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2018年12月12日 (水)

コンサートの記(466) 川瀬賢太郎指揮 日本センチュリー交響楽団第231回定期演奏会

2018年12月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで日本センチュリー交響楽団の第231回定期演奏会を聴く。今日の指揮は若手の川瀬賢太郎。

今日はオール米英プログラムで、アイヴスの「答えのない質問」、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」、マイケル・ナイマンのチェンバロ協奏曲(チェンバロ独奏:マハン・エスファニハ。日本初演)、アイヴスの交響曲第2番が並ぶ。


アメリカを代表する作曲家の一人であるチャールズ・アイヴス。ただ彼は日曜作曲家であった。イエール大学で作曲を学び、大作を書き上げたりしているのだが、卒業後は保険会社に勤務し、作曲はその傍らで行っていた。これについては、「自身の作風を認められるのは難しいと悟り、生活を優先させた」といわれている。売れることを考えなかったために個性的な音楽を作曲することが出来たと考えることも出来るだろう。その後、自身で保険会社を興し、副社長になるなど、ビジネスマンとして有能だったようだ。
アイヴスもまた、レナード・バースタインによるアメリカ音楽の積極的な紹介によって知名度を上げた作曲家の一人である。ただその時にはアイヴスは心臓病を患って作曲からは引退状態であり、複雑な感情を抱いていたようだ。「今更」という思いもあっただろう。アイヴスリバイバルはバーンスタインの弟子に受け継がれ、マイケル・ティルソン=トーマスはアイヴスの交響曲全集を制作している。


今日のコンサートマスターは荒井英治、フォアシュピーラーに松浦奈々。


今日、タクトを振る川瀬賢太郎は、東京音楽大学で指揮を広上淳一らに師事。東京音大における広上の一番弟子的存在である。広上はバーンスタインの弟子であるため川瀬は孫弟子ということになり、師である広上同様、アメリカ音楽にも積極的に取り組んでいる。


アイヴスの「答えのない質問」。バーンスタインが行ったレクチャーのタイトルにも転用されていることで有名である。
神秘的な弦の流れの上を、管が公案的な問いを発していくという展開。舞台裏でのトランペット独奏は水無瀬一成が務め、「弦楽のためのアダージョ」演奏終了後にステージに登場して拍手を受けた。
センチュリーの響きは輪郭がクッキリとしており、合奏能力が高いことがわかる。


バーバーの「弦楽のためのアダージョ」。川瀬は「答えのない質問」とこの曲をアタッカで繋ぎ、単一楽曲の裏表のような表現を行う。

サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」は、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された時にバーンスタインが追悼曲の1曲として演奏したことで知名度が増したが、それ以前からラジオの追悼番組のBGMとして流れており、この1曲だけが飛び抜けて有名になってしまったため、バーバー本人は「僕は葬送曲の作曲家じゃないんだけどね」と不満を述べることもあったという。
私自身がこの曲を初めて知ったのは、実はクラシックにおいてではない。坂本龍一が「Beauty」というアルバムで、ピアノと二胡、エレキギターのための編曲で「Adagio」として発表したものを聴いたのが初である(エレキギター演奏は、アート・リンゼイ。二胡は姜建華)。その後、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団の来日演奏会の模様がNHKで流れ、第1曲として「弦楽のためのアダージョ」が演奏されたのを視聴している。

川瀬は少し速めのテンポで歌い上げる。クライマックスでのゲネラルパウゼを長めに取ったのも印象的であった。


マイケル・ナイマンのチェンバロ協奏曲(チェンバロと弦楽オーケストラのための)。チェンバロ独奏のマハン・エスファニハはイラン出身のチェンバロ奏者、指揮者。スタンフォード大学に学び、アメリカとイタリアでチェンバロの修行を続けた後で渡英。オックスフォード大学ニュー・カレッジのレジデンス・アーティストに就任している。2015年に30歳でギルドホール音楽演劇学校の教授に就任しているというから、川瀬とは同年代ということになる。

ミニマル・ミュージックの提唱者として知られるマイケル・ナイマン。ピーター・グリーナウェイの映画音楽では自身がチェンバロを弾いて参加しているということもあり、チェンバロを自身の楽器としている(学生時代はバロック音楽の研究も行っていた)。ちなみに、私がザ・シンフォニーホールで初めて聞いた聴いたコンサートはマイケル・ナイマン・バンドの来日公演であった。

単調によるミステリアスな響きによってスタート。その後、長調に転じ、変拍子による音楽が繰り広げられる。繰り返しの快感と開放された時の開放感というナイマンの良さが出ている。面白いのはチェンバロによるカデンツァ。左手のエイトビートのリズムと右手の煌めくような響きは、コンピューターゲームのBGMを連想させる。そうした音楽が多いためだ。リズムもチェンバロ曲としては異例だが、響きがコンピューター音にように聞こえるというのが興味深い。チェンバロの表現の幅が明らかに拡がっている。


アンコール演奏。エスファニハは、”This piece composed by English composer Henry PURCELL.”と英語で紹介。「グラウンド」という曲が演奏される。左手で奏でられる下段の鍵盤の音がギターのように響くのが面白い。ハンマーで弦を叩いて音を出すピアノと違い、ハンマーに付いた爪で弦を弾くというチェンバロならではの音色だ。


メインであるアイヴスの交響曲第2番。初演の指揮を担ったのはレナード・バーンスタインであった。アメリカ民謡やフォスターのメロディーなどが随所に鏤められた曲である。

イギリスの楽曲のようなジェントルな響きで始まるが、アメリカの旋律が加わることによってアメリカ的なローカリズムとユーモラスな味わいが生まれる。更にリヒャルト・シュトラウスにような燦々たる音色の金管が登場して壮大なアマルガム形成、かと思いきや、ラストは「なーんてね」といった感じの不協和音で締めくくられる。一種の冗談への転化である。初演の際に作曲者自身によって改訂されたということだが、大真面目な感じにしたくなかったのだろう。

川瀬指揮のセンチュリー響は中編成ということもあって響きが拡がらない部分もあったが、第5楽章における狂騒感の表出は優れていた。まだ三十代前半の指揮者ということもあって指揮棒も振りすぎで、却ってオーケストラコントロールが行き届かない場面があったりもしたのだが、この年齢でアメリカ音楽をこの出来まで持って行けるのなら大したものである。

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2018年12月10日 (月)

コンサートの記(465) 岡山大学交響楽団第65回記念定期演奏会大阪公演

2018年12月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後6時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、岡山大学交響楽団第65回記念定期演奏会大阪公演を聴く。指揮は吹奏楽ではお馴染みの保科洋。

旧制第六高等学校や旧制岡山医科大学などを前身とする岡山大学。旧制第三高等学校である京都大学とは同じナンバースクールで、更に岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)は元々は第三高等学校の医学部だったということで、京都大学と交流があり、5年ごとに京都大学交響楽団とのジョイントコンサートを行うのが恒例だそうで、今回も第1曲目であるワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲は岡山大学交響楽団と京都大学交響楽団の合同演奏となる。


曲目は、前記ワーグナー作品の他に、保科洋の「饗宴 Deux Paysanges Sonores Ⅰ,Ⅱ」とブルックナーの交響曲第7番。


岡山大学交響楽団(通称:岡大オーケストラ、岡大オケ)はその名の通り岡山大学の交響楽団なのだが、オフィシャルホームページの「岡大オケ概要」にもある通り「岡山大学の学生、及び周辺の大学の学生で構成されるオーケストラ」であり、岡山理科大学、ノートルダム清心女子大学、川崎医療福祉大学、就実大学の大学生、更に岡山理科大学専門学校と岡山科学技術専門学校の専門学校生も入っている。今回の公演だけなのかどうかはわからないが、岡山大学のOBやOGも参加してことがわかる。
京都大学交響楽団も俗にいうインカレは多いようで、メンバー表を見ると、同志社大学、京都工芸繊維大学、京都産業大学、京都薬科大学、京都女子大学、京都府立大学、龍谷大学、立命館大学、滋賀大学の学生が加入していることがわかる。

大学オーケストラと一口に言っても、早稲田大学交響楽団のようにカラヤン・コンクールで何度も優勝している本格志向の楽団から単なるオーケストラサークルに至るまで幅広いが、岡山大学交響楽団の場合は約半数が入団時初心者であるものの、個別指導やプロの指導、保科洋による「岡大オケ・システム」という独自の養成方法の確立などもあり、かなり本格的に取り組んでいることがうかがえる。


岡山大学交響楽団常任指揮者の保科洋は、1936年生まれ。小澤征爾の1つ下、シャルル・デュトワやズービン・メータ、エリアフ・インバルと同い年ということになる。東京芸術大学作曲科出身。卒業作品で第29回毎日音楽コンクール作曲部門(管弦楽)で1位を受章。その後、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭を執ると同時に作曲活動を続け、特に吹奏楽曲では日本の第一人者と目されるまでになっており、「風紋」は最も有名な吹奏楽曲の一つとなっている。
保科は、昨年の4月に脳出血で入院。6月に退院したが、健康上の不安はあるようで、今日は杖をついて登場。ブルックナーの交響曲第7番では指揮台上に椅子が置かれ、楽章間にそれほど長い間ではないが腰を下ろして休憩を取っていた。

ワーグナーとブルックナーは保科が指揮するが、保科作曲の「饗宴」は秋山隆がタクトを執る。
秋山隆は保科洋の弟子で、現在は川崎医科大学病理学教室に勤務する現役の病理専門医である。中学時代に吹奏楽を始め、岡山一宮高校時代には学生指揮者として賞を得ている。岡山大学医学部入学と同時に岡山大学交響楽団にトランペット奏者として入部し、保科の指導の下で演奏。学生指揮者としても活動を始め、岡大オケを第2回全日本大学オーケストラコンクール1位獲得に導いている。卒部後は、岡山大学交響楽団サブコンダクターとして保科を支えている。


ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。京都大学交響楽団との合同演奏で、コンサートマスターは京都大学農学部4年のM君が務める。
弦楽の輪郭がクッキリとせず、主旋律がどこに行ったのかわからなくなるなど、混沌とした演奏であるが、臨時特別編成の学生オーケストラということもあり、こんなものだろうとも思う。


保科の「饗宴」以降は岡山大学交響楽団の単独演奏で、コンサートミストレスは教育学部4年のNさんが担う。無料パンフレットを読むとNさんのニックネームが「ラムエル」らしいことがわかるのだが、何の説明もないため由来は不明。執筆者は新日本フィルハーモニー交響楽団のヴァイオリン奏者で岡大オケ第1ヴァイオリントレーナーの篠原英和であるが、聴きに来るのは全員身内という前提で書かれていると思われ、端折ったのであろう。

「饗宴」は、下野竜也指揮広島ウインド・オーケストラによる吹奏楽版のCDは出ているが、管弦楽曲版の音源はないようで、貴重な体験となる。岡大オケのメンバーも保科の作品ということもあってか全身全霊での演奏。繊細な味わいのある見事な仕上がりとなった。下手側の席で聴いていた保科は演奏終了後に秋山に促されて立ち上がり、喝采を受けた。


ブルックナーの交響曲第7番。ワーグナーと保科作品はチェロが上手手前に来るアメリカ式の現代配置での演奏であったが、ブルックナーはドイツ式の現代配置で演奏される。

パート別では木管楽器が最も安定しており、冴え冴えとした音を響かせる。弦楽器はやはり輪郭がやや曖昧であり、金管もずれが目立つ場面があるが、アマチュアオーケストラとしてはまずまずの水準に達しているように思われる。ブルックナーの交響曲はそのまま演奏してもブルックナーの音楽にならないところがあり、難度は高いのだが、交響曲第7番はメロディー主体ということもあり、ブルックナーを得手としていない指揮者やオーケストラでも聴かせる演奏を行うことは可能である。音楽を聴く喜びを感じることが出来た。

こうしてブルックナーの交響曲を聴いてみると、ブルックナーが誰よりもキリスト教的な音楽を書いているということがわかり、その点で最もヨーロッパ的な作曲家だということが確認出来る。

思い出されるのは、朝比奈隆と大阪フィルハーモニー交響楽団が、ブルックナーの眠る聖フローリアン教会で交響曲第7番を演奏しようとした際、本番前に現地の老人が朝比奈の楽屋を訪れて、「キリスト教徒でない者にブルックナーが演奏出来るはずがない」と抗議のようなものを行ったという、比較的よく知られた話である。ブルックナーがキリスト教の精神そのものを音楽に昇華したというわけではないため、キリスト教徒でもない日本人でもブルックナーの交響曲を見事に再現することは可能であるように思われるのだが、楽曲から受け取るものはヨーロッパ人とは大きく異なるのも事実であるように思われる。ブルックナーは日本人にとって奥の院の音楽だ。

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2018年12月 8日 (土)

コンサートの記(464) 「情熱大陸スペシャルライブ SUMMER TIME BONANZA2009」

2009年8月1日 大阪府吹田市の万博記念公園もみじ川芝生広場にて

午後1時開演の「情熱大陸スペシャルライブ SUMMER TIME BONANZA2009」に接する。葉加瀬太郎プロデュースのライブ。出演は、葉加瀬太郎、秦基博、柴田淳、SOLT&SUGAR(塩谷哲、佐藤竹善)、クリスタル・ケイ、西村由紀江、中孝介、CHEMISTRY、押尾コータロー、一青窈、藤井フミヤ、森山直太朗、小田和正、一十三十一。オープニングアクト、カサリンチュ。
会場は大阪府吹田市の万博記念公園もみじ川芝生広場。野外公演である。天気は曇り。時折太陽が顔を覗かせる。幸い、雨は降らなかった。

豪華な出演陣による6時間ぶっ通しのライブである。数万単位の人が万博記念公園もみじ川芝生広場を埋め尽くす。私は遅く行ったために余り良い席が取れず、ステージよりもスクリーンに映された映像を眺める時間が多かった。聴ければいいやというわけである。
オーディエンスも集中している人もいれば、音楽そっちのけで仲間同士で喋っている人まで様々である。
その様々な聴衆が小田和正の出番では一斉に音楽に集中する。ネームバリューと実力がものをいうようだ。小田和正は、「ラブストーリーは突然に」を歌いながら、ステージを降り、ステージと客席の間を右に左に走り、時には聴衆にマイクを向けて歌わせる。さすが大御所のパフォーマンスである。

蝉が鳴き、風が吹き、人の熱気がする広場に座りながら時を過ごしている間に様々な思念が浮かぶ。気分が高揚したり内省的になったりする。

柴田淳、佐藤竹善、藤井フミヤは今日発表するのが初めてという新曲を披露する。そういう場に立ち会えるのも嬉しい(注・柴田淳の新曲は、2018年現在、彼女最後のシングルリリースとなっている代表曲「Love Letter」である)。

最後は葉加瀬太郎の「情熱大陸」の音楽で締めくくられ、出演者全員が「情熱大陸」の青いTシャツを着て登場し、お開きとなった。

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2018年12月 7日 (金)

コンサートの記(463) 京響プレミアム「岸田繁 交響曲第二番初演」@京都コンサートホール

2018年12月2日 京都コンサートホールにて

午後4時から京都コンサートホールで、京響プレミアム「岸田繁 交響曲第二番初演」に接する。京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一の指揮。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーは尾﨑平。今日はオーボエ首席の髙山郁子とクラリネット首席の小谷口直子が全編に出演する。


曲目は、第1部「世界音楽~響きのインスピレーション 『フォークロア・プレイリスト①』」が、岸田繁の弦楽五重奏のための古風な舞曲「あなたとの旅」(管弦楽版)、バルトークの「ルーマニアンフォークダンス」、ショスタコーヴィチ(バルシャイ編)の室内交響曲第1番第1楽章、ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハ第4番から第2曲、岸田繁のオーケストラのための序曲「心の中のウィーン」。第2部が岸田繁の交響曲第二番(世界初演)。

岸田の交響曲第一番はロームシアター京都メインホールで初演されたが、第二番は京都コンサートホールでの初演となる。


まず、岸田繁と広上淳一がマイクを手に登場する。
岸田繁は、「作曲『家』と言うのは慣れていないのですが、作曲家の岸田繁です」と自己紹介する。そして広上を「広上淳一マエストロです」と紹介し、「広上先生」と呼びかけるが、「先生はやめて」「マエストロもやめて」「広上さんでいい」と返される。

第1部のタイトルにフォークロアと入っていることについて、岸田は、「フォークというと『神田川』とか高石ともやとかを思い浮かべるかも知れませんが、フォークロアということで民族音楽」と説明する。

岸田は、「広上さんは、本番前に緊張したりすることはありますか?」と聞き、広上は、「ある。今も心臓がばっこんばっこんいってる」と答え、「若い頃は、年取ったら緊張もしなくなって楽にやれるんだろうな、と思っていたが、年を取れば取るほど怖くなる」と語り、「指揮者の仲間にも『年取った方が怖くならない?』と聞いたらみんな『なる』って」
岸田も、「今、心臓が飛んで行ってあのパイプオルガンの上にいるような」と言うと、広上は、「やっぱり眼鏡を掛けてるの?」と冗談を言う。
広上は、「クラシックを料理店に例えるとどんな感じ? 僕もあなたも居酒屋大好きだけど」と聞き、岸田は迷ってから「めっちゃ美味い中華料理店」返す。広上は「今日はどんなお客さんが来ているのかわかりませんが」と前置きしてから、「めっちゃ美味い中華料理店に年に2回は行きたくならない?」と言い、それをクラシックに例えて、「垣根が高いかも知れないけれど」と言いつつ、その後にクラシックオーケストラのコンサートに通う重要性を述べていた。

岸田 「オーケストラのある人生とオーケストラのない人生、どっちが良い悪いということではないと思いますが、僕はある人生を選んで正解だったと思います」


まず、岸田繁の弦楽五重奏のための古風な舞曲「あなたとの旅」(管弦楽版)。
3部形式で、中国の国歌のような歌い出しの第1部&第3部とチャイコフスキー風のトリオを持っている。
今日も京響は好調で輝かしい音を奏でる。

バルトークの「ルーマニアンフォークダンス」
京響の力強い弦楽パートが魅力的な音を奏で、広上の生み出すリズム感と巧みなローカリズムが面白い演奏を生む。

ショスタコーヴィチ作曲、バルシャイ編曲の室内交響曲第1番より第1楽章。
以前、編曲者であるバルシャイの指揮による音盤を聴いたことがあるのだが、交響曲第6番第1楽章のような深い美しさを持つ曲である。広上の曲の掘り下げ方が巧みだ。

ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハ第4番第2曲。元々はピアノ曲で、完成後すぐの1941年にオーケストラ編曲がなされている。
ブラジルクラシック界を代表するヴィラ=ロボス。ブラジル音楽とバッハ風様式の高い次元での統合を企図した作曲家だ。ただ、この曲のメロディーはどことなくお洒落でシャンソンを連想させるところがある。京響の磨き抜かれた音が印象的だが、美しすぎてムード音楽のように聞こえるところがある。この辺は好みが分かれそうだ。

岸田繁のオーケストラのための序曲「心の中のウィーン」
ウィーンということでワルツが奏でられる。明快な旋律によるわかりやすい楽曲である。広上と京響が作る音楽は上品だ。


岸田繁の交響曲第二番初演の前に、岸田と広上がまたマイクを手に登場。広上は、「くるりでやる時と映画音楽を作る時、交響曲の時で作る姿勢は違うの?」と聞き、岸田が「一緒だと思います」と答える。

広上は指揮の師でもあるレナード・バーンスタインの話をする。バーンスタインは元々は作曲家志望で、指揮者としてはそれほど野望を持っていなかったのだが、インフルエンザで指揮台に立てなくなったブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して大成功。指揮者として売れっ子になる。
「バーンスタイン先生は、作曲をしている時には自己否定が多くなるのだが、指揮者として発散することでバランスが取れる。演奏するのも作曲するのも音楽をするということでは一緒だから」ということで指揮者としての活動を増やすのだが、岸田が作曲するときの精神状態についても聞く。やはり自己否定は増えていくそうではある。
広上が「ここで『俺(指揮)やーめた!』って言ったらどうする?」と冗談を言い、岸田も「僕が全曲アカペラでやります」と冗談で返していた。


岸田繁の交響曲第一番は5楽章で出来ていたが、交響曲第二番は、オーソドックスな4楽章からなる。全編を通してロシアンな雰囲気があり、ロシアの作曲家を意識した作品であることがうかがえる。

全体的にロマンティックな調性音楽で、映画音楽にも通じるところがある。なお、作曲はDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)を使って行われ、スコア編集は徳澤青弦が務めている。

チャイコフスキーの「悲愴」交響曲第3楽章のような音楽が冒頭とラストに配され、ラフマニノフ、プロコフィエフ、リムスキー=コルサコフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなどを思わせる響きが随所に顔を出す。ラストはチャイコフスキー風に「ジャジャジャジャン」の運命動機で締められた。
広上指揮の京響は、「ブリリアント」そのものの演奏を展開。オーケストラを聴く楽しみを存分に味わわせてくれる。


演奏終了後に、広上が岸田に自作を聴いた感想を聞き、岸田は、「生まれて初めて鏡を見たような」と答える。「こいつ案外やるやん! といったような」だそうである。

岸田は、「京都市の皆さん、京都市に京都市交響楽団と広上淳一がいて良かったですね」と語る。


アンコールとして、くるりの代表曲である「宿はなし」の管弦楽版が演奏される。
演奏前に広上が「『宿はなし』って、昔、貧乏だったの?」と聞き、岸田は「学生時代は貧乏だったので、寝ちゃいけない場所で寝たり」
広上 「でも、これから12月1月と寒くなってくるけど」
岸田 「宿はあった方がいいと思います」
と、漫才のボケ同士の会話にようになっていた。

広上は遅めのテンポで旋律を揺らしながら歌い、曲が持つノスタルジアをいや増しに増していた。



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2018年12月 5日 (水)

コンサートの記(463) ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団来日公演2009大阪

2009年7月11日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団の来日公演を聴く。曲目は、リムスキー=コルサコフの歌劇「雪娘」組曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:川久保賜紀)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」というオール・ロシア・プログラム。

ロシア・ナショナル管弦楽団は、1990年にプレトニョフが興したロシア初の民間オーケストラ。結成する際に、既成のオーケストラから人材が流れるなどして問題となったこともある。


リムスキー=コルサコフの歌劇「雪娘」組曲は、知名度は低いが愛らしい作品。ロシア・ナショナル管弦楽団は管楽器の音のエッジが立っており、中でも金管の輝かしい音は日本のオケのそれとは別次元にある。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるのは川久保賜紀。2002年のチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で1位なしの2位に輝いた逸材である。
プレトニョフとロシア・ナショナル管のゆったりとした序奏に続いて、川久保のソロが始まる。線の太さはないが、音は磨き抜かれ、気品すら漂う。技術も高く、評判に違わぬ優れたヴァイオリニストであることがわかる。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、この1年の間に何度か生で聴く機会があり、木嶋真優、南紫音ともに今一つであったが、川久保賜紀はさすがというか、格の違いは明らかである。

川久保はアンコールにJ・S・バッハの無伴奏パルティータ第3番より“ブーレ”を演奏する。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。冒頭はゆっくりとしたテンポで始まるがすぐに加速し、オーケストラの機能美を発揮した演奏が展開される。第1楽章の第2主題を歌わずに流したり、第2楽章を速めのテンポで駆け抜けたりと、即物的な印象を受ける。

第3楽章も健康優良児的演奏。しかし、ここまでが伏線であった。
第4楽章は一転して、繊細な表情で嘆きの歌を歌い上げる。第3楽章までは第4楽章とのコントラストをつけるために敢えて暗い表情を抑えた演奏をしていたのである。第3楽章までで表現された凛凛たる英雄像が第4楽章で打ち崩される。プレトニョフ、意外に演出が巧みである。
葬送の雰囲気すら漂う打4楽章が終わった後、長い沈黙があり、やがて拍手が起こる。優れた解釈による演奏であった。

悲劇的な解釈による演奏でプログラムが終わったためか、アンコールはなし。これもまたプレトニョフの巧みな演出であり、こちらも不満はなしである。

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2018年12月 4日 (火)

コンサートの記(462) Ensemble FOVE presents “TRANS”@京都芸術センター

2018年11月28日 京都芸術センター講堂にて

午後7時30分から、室町通錦小路上ルにある京都芸術センターの講堂で、Ensemble FOVE presents “TRANS”という公演を聴く。

Ensemble FOVEは、作曲家の坂東祐大を主宰として結成された気鋭の若手演奏家による団体。2016年に発足したばかりである。
今日の出演メンバーは、上野耕平(アルトサックス)、荒木奏美(オーボエ)、中野日出鷹(ファゴット)、伊藤亜美(ヴァイオリン)、安達真理(ヴィオラ)、地代所悠(男性。コントラバス)、宮下和也(エレクトロニクス&テクニーク)。他に録音による演奏参加者が15人。更にグラフィックデザインとして稲葉英樹が参加している。

“TRANS”は全曲、坂東祐大が作曲したもので、「Bubbles&Scales」、「Etude」、「Poly Clock Etude」、「Transform and Deform」、「Trance homage to Jonann Johannsson」、「Seesaw」、「Melting dance」、「Untitlid/fantasitc」の8曲(8部)からなる。

講堂内部は、中央にコンピューターと音響操作スペースになる平台が置かれており、その周りに椅子が無作為無指向に置かれている。その外縁に上にアルミホイル状のもの(被災地などで使う防寒具らしい)を敷き詰めた平台が6つ、客席を取り囲むようにして配されている。中央が宮下和也のスペース、他は各奏者一人ずつにあてがわれた演奏スペースとなる。
不思議な空間である。

客席の外周にはスピーカーも置かれており、開演前から泡がはじけるような音が聞こえているが、演奏者はみな楽器にマイクを取り付けたプラグド状態であり、直接音と同時にマイクが捉えた音も四方八方から飛び出してくる仕掛けとなっている。録音による参加者の音もここから流れて来る。生演奏と録音のコラボも当然ながら多い。

照明も演奏家の真上から当たったり、場内を回転したりと多彩だ。


坂東の書いた音楽であるが、スマートでクールである。メロディーではなく、その瞬間瞬間の響きを聴かせる作品であり、特殊奏法も用いられていて、シャープな印象を受ける。
響きと光の動く様を見聞きしていると、あたかも深海にいるような、あるいは360°水槽に囲まれた水族館にいるような錯覚に陥る。音の遊泳だ。
つかもうとすると逃げてしまう逃げ水のような音楽でもある。現代音楽ならではの面白さだ。
中川日出鷹が長いソロを取る、4曲目の「Transform and Defort」が特に印象的だが、「ドレミファソラシド」の音階を青葉市子のヴォーカルが辿る1曲目「Bubbles&Scales」(楽器演奏者は始めから半音進行となる)や、伊藤亜子がソロヴァイオリンを奏でる8曲目の「Untitled/fantastic」なども特徴的である。

出演者の中では、「題名のない音楽会」の常連でもある上野耕平が最も有名だと思われるが、全員が高い評価を受けている音楽家であり、クオリティは申し分ない。


終演後に、出演者達によるアフタートークがある。フルートの荒木奏美のように「よくわからない」と正直に言う人もいたが、「自然に出来てしまうのだな」と感じさせる発言もあった。
作者の坂東祐大は、「不快と快感の間を狙った作品」だと説明する。ジェットコースターを例えとして挙げて、「ジェットコースターって、不快の塊ですけど、それにあれほど乗る人がいるということはスリルや何かを求める人がいて、快感に変わる」というようなことを話す。
今日は照明が点滅する上に、聴き慣れない現代音楽ということで、上野が「不快さに耐えきれず、出て行ってしまった方が3名ほどいましたが」と言い、坂東は「あそこから快感へと変わるのに、不快なままにさせてしまって申し訳なかった」と語っていた。

安達真理によると、Ensemble FOVEのメンバーは仲がとても良いそうで、プライベートでも和気藹々とやっているそうである。


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2018年12月 3日 (月)

コンサートの記(461) アントニ・ヴィット指揮ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2009京都

2009年6月26日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールでワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の来日公演に接する。指揮者は芸術監督・首席指揮者のアントニ・ヴィット(ヴィト)。
曲目は、モニューシュコの序曲「おとぎ話」、ショパンのピアノ協奏曲第1番、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。

ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団はポーランドのトップオーケストラ。
指揮者のアントニ・ヴィットはポーランド第二のオーケストラといわれるカトヴィツェのポーランド国立放送交響楽団の音楽監督を務めた後でワルシャワ国立フィルのシェフの座に就くという、いわばポーランド人指揮者のエリートコースを歩んでいる指揮者である。NAXOSレーベルの看板指揮者の一人でもあり、チャイコフスキーの「悲愴」はNAXOSにポーランド国立放送響を指揮して録音しており、情熱に溢れた演奏であった。

モニューシュコの序曲「おとぎ話」とショパンのピアノ協奏曲第1番は中編成での演奏である。

モニューシュコの序曲「おとぎ話」は悪い曲ではないが良い曲でもないという印象の薄い曲であった。ワルシャワ国立フィルの音は楽器が余り良くないためか痩せ勝ち乾き勝ちであったが、ホールは良く鳴っていた。なぜなのかはよくわからない。あるいはホールを響かせる演奏技法というものを楽団員達が身につけているのかも知れない。


ショパンのピアノ協奏曲第1番のソリストは日本でもおなじみのスタニスラフ・ブーニン。登場した時から前屈みで歩いており、演奏中も猫背で神経質な印象を受ける。しかし、ピアノの音はそんなブーニンの気質を良い方に反映してか極めて繊細で輝かしい。
ブーニンの指の回りは必ずしも良くなかったが、それを磨き抜かれた音で補うという個性的な演奏。ヴィット指揮のワルシャワ国立フィルもブーニン同様、繊細さに溢れた伴奏を奏でる。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」はフル編成での演奏。ヴィットはNAXOSへの録音と同じく情熱的な演奏を聴かせる。なお、前半の2曲では指揮棒を手にしていたヴィットだが、この曲はノンタクトで振る。ワルシャワ国フィルの音は相変わらず乾き気味だが、第1楽章第2楽章などには独特の艶があって美しい。
第3楽章は情熱全開の演奏で、終わると同時に大きな拍手が起こった。続く第4楽章の嘆きの表情も堂に入っていて、好演といえる。

アンコールは2曲。ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番とプロコフィエフの古典交響曲より“ガボット”。
ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番は縦の線が合っているんだが合っていないんだかわからないような演奏であったが、威勢は良く、会場を盛り上げた。

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2018年12月 2日 (日)

コンサートの記(460) 河村尚子ピアノリサイタル2018京都 オール・ベートーヴェン・プログラム

2018年11月27日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで河村尚子のピアノリサイタルを聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。

演目は、ピアノ・ソナタ第18番、ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」


今日は最前列下手寄りで聴く。河村の手の動きがよく見える席である。

今年はシリーズでベートーヴェンのピアノ・ソナタに取り組んでいる河村尚子。出身地の西宮にある兵庫県立芸術文化センターではKOBELCO大ホールと神戸女学院小ホールで複数回の公演を行う。西宮での第1回のリサイタルは私もチケットを取ったのだが、風邪のために断念した。

広上淳一のお気に入りということもあり、京都市交響楽団の定期演奏会のソリストとしてよく京都コンサートホールに登場する河村尚子。ムラタホールでもチェロのホルヌングとのデュオリサイタルを行っているが、ソロでのピアノリサイタルとなると久しぶりである。


いつも通り満面の笑顔で登場した河村。堅固な構築美、強靱なタッチ、雄渾なスケール、温かさと若々しさを兼ね備えた音色、抜群のリズム感、繊細な弱音の妙技、横溢するエネルギー、多彩な表情など、優れたところを挙げれば切りのない理想的なベートーヴェン演奏を繰り広げる。日本人女性ピアニストが弾いているとは思えないどころか「とんでもない」と形容したくなる出来である。
「ワルトシュタイン」では第1楽章で雄々しさ溢れる演奏を展開。演奏終了後に白人女性が思わず感嘆の声を上げていた。第2楽章と第3楽章では愛らしいメロディーが奏でられるのだが、河村は可憐な音色で歌い上げ、喜びに溢れたベートーヴェン像を彫刻した。

「熱情」ソナタ第1楽章では、絶妙の間合いと強弱の交代で「運命主題」との相克のドラマを巧みに描く。
そして第3楽章では透き通った音色を奏で、「透明な悲しみ」と名付けたくなるような独自の演奏に仕上げていた。


全てのプログラムが終了した後で、河村はマイクを片手に登場。ベートーヴェンの思い出を語る。ベートーヴェンのピアノ・ソナタはピアニストには付きもので、好きと嫌いとに関わらず取り組まなければいけないもの、という話から入る。河村は、「若い頃から好きで、弾いて来た方だとは思いますが、思い返してみると余りよくわかっていなかったような」と振り返る。ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」は、「子どもでも弾いて良いよ」という内容だそうで、河村は第1楽章を9歳で、第2楽章を10歳で勉強したというが、「録音も参考にしよう」というので、CDは当時出たばかりで余り数がなかったそうだが、ヴィルヘルム・ケンプのものをカセットテープにダビングして、車で移動する時などに良く聴いていたそうである。自宅でもケンプのカセットテープをラジカセで聴き、聴いては弾き聴いては弾きを繰り返していたそうだが、ある時、再生ボタンを押しても音が出ない。「あれ?」と思ってしばらく待ったがやはり何も言わない。「再生ボタンじゃないところ押しちゃったかな? でも再生ボタン押してるよね?」と独り言を言いつつよく見てみると赤いボタンも押してしまっている。再生すると自分の声が聞こえたそうである。カセットテープは爪の部分を折ると録音されなくなるのだが、それはしていなかったようだ。ということでケンプの録音が消えてしまい、「どうしよう! お母さんに怒られる!」と思った河村は自分の演奏を上書きして誤魔化そうとしたのだが、「ラジカセの録音ボタンを押してピアノに向かうまで何歩か掛かる。足音は入ってしまうわけですよ」というわけで、「絶対にばれる!」と思っていたのだが、母親にそれとなく聞いても全く気づいていなかったという話である。

「テレーズ」の第2楽章に16分音符の主題が出てくるのだが、それが「エリーゼのために」の元になったのではないかと河村は推測する。「エリーゼのために」は実は「テレーゼのために」なのではないかという説もあるのだが、「今日は『エリーゼのために』として演奏します」

比較的遅めのテンポで歌い出す「エリーゼのために」で、音に拡がりが生まれており、個性に溢れている。そんじょそこらの「エリーゼのために」とはやはり格が違うようだ。



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2018年12月 1日 (土)

コンサートの記(459) 遊佐未森 「mimori yusa concert tour 2009“銀河手帳”」@なんばHatch

2009年6月23日 大阪・港町のなんばHatchにて

午後7時から大阪のなんばHatchで遊佐未森のライブ「mimori yusa concert tour 2009“銀河手帖”」を聴く。遊佐の最新アルバム「銀河手帖」を携えてのライブである。

未森さんは、前半は水色の、後半は赤のワンピースで登場。「銀河手帖」の収録された曲を始め、「クロ」「瞳水晶」「冬の日のW」などを歌う。

飛び入りゲストの参加がある。ミュージカルソー奏者のサキタハヂメである。前日、遊佐のところにサキタから「見に行きます」とメールがあり、その際「良かったノコギリ持っていきます」と書いてあったため、急遽ゲスト参加して貰うことになったという。
「銀河手帖」に収録されたインストゥルメンタル曲「五月、エニシダ」(遊佐未森はピアノを担当)と「ripple」でサキタはミュージカルソーを演奏。混じり気のない美しい音を披露した(IMEは「疲労した」と変換した。美しい音は疲労するのか?)。

未森さんの歌声は包み込むような優しさを持ち、聴いていて頭のてっぺんからつま先まで癒されるかのよう。また「ショコラ」ではマジックの要領で手から紙の花を次々に取り出すなど、エンターテインメントの精神に溢れていた。

アンコールでは、昨年のライブで受けが良かったということで、「ミネソタの卵売り」も歌う。実はこの歌を唄いながら、遊佐は踊りまくるのであるが、それが好評だったらしい。

とにかく約2時間半、幸福感に満ちたライブに浸ることが出来た。

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コンサートの記(458) ドビュッシー没後100年スペシャル・シリーズ 光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー 第3回「ドビュッシーが見た風景」 パスカル・ロジェ・ピアノ・リサイタル

2018年11月23日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで、ドビュッシー没後100年スペシャル・シリーズ 光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー第3回「ドビュッシーが見た風景」パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタルを聴く。

レクチャーとコンサートによるスペシャル・シリーズ 光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー。今日は、午後1時20分から鶴園紫磯子(つるぞの・しきこ)によるプレトーク「ドビュッシーが愛した画家たち~ターナー、モネそして北斎」が20分ほどあり、その後にパスカル・ロフェのピアノ演奏がある。

スクリーンにターナーやモネ、北斎の絵画が投影され、それらを鶴園が解説していく。印象派に大きな影響を与えたイギリスの画家、ターナー。初期のターナー作品は輪郭のはっきりしたものだが、晩年になるにつれて光度が増し、描写というよりも光の印象を表したものへと変わっていく、これに影響を受けたのがクロード・モネで、モネも最初の内はコントラストのはっきりした絵を描いていたのだが、次第に輪郭がおぼろになっていく。ドビュッシーはモネの絵を愛し、影響を受けたとされるが、どの程度なのかは推測に任せるしかない。モネが多大な影響を受けたもう一人の画家、葛飾北斎。有名な「神奈川沖浪裏」は、ドビュッシーの「海」の表紙にも用いられている。北斎もリアリズムの画家ではなく、イメージを強固に打ち出している。そこに通底するのは反リアリズムであり、これが音楽に於いても重要な潮流となっていく。


パスカル・ロジェのピアノ・リサイタル。曲目は、ドビュッシーの「前奏曲」第1集と第2集である。

フランスを代表するピアニストとして日本でも知名度の高いパスカル・ロジェ。以前は英DECCAレーベルのフランスピアノ音楽をほぼ一人で背負って立っていた。ドビュッシー、ラヴェル、サティ、プーランクなどのピアノ曲のほぼ全てをレコーディングしている。
パリの音楽一家に生まれ、パリ国立高等音楽院を首席で卒業。その後、J・カッチェンに師事。1971年のロン=ティボー国際コンクール・ピアノ部門で優勝している。2014年のジュネーヴ国際音楽コンクールのピアノ部門では審査委員長も務めた。


フランス人らしいシャープなピアノを持ち味とするロジェ。ドビュッシーの前奏曲でもまず何よりも音楽の核になる部分を見つけ出し、十指で的確に捉えていくような演奏を行う。ドビュッシーの前奏曲は、1曲を除いて全てに象徴的なタイトルが付いているが、そうしたイメージに左右される前にまず音楽的に重要な要素を取り出して堅実に築き上げた音響自体に作品を語らせていく。物語的というより真に詩的ピアニズムであるともいえる。
余計なものを削ぎ落として核を取り出すのであるが、音楽が細くなることはなく、むしろ線は太く男性的である。長年に渡ってフランスのピアノ音楽と向き合って来たロジェだからこそ可能な至芸といえるだろう。


アンコールは2曲。いずれもドビュッシー作品で、まずは「喜びの島」が豊かな色彩によって歌われる。
最後は、「ベルガマスク組曲」より“月の光”。ロジェだけに構築感を優先させた音楽になるだろうと思いきや、思いのほか物語性豊かな演奏で、耳に馴染みやすい演奏であった。音も煌びやかで親しみやすい。

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