カテゴリー「音楽」の957件の記事

2018年8月11日 (土)

YMO 「Behind the Mask」歌詞和訳付きバージョン

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2018年8月10日 (金)

加古隆 「パリは燃えているか」

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2018年8月 8日 (水)

コンサートの記(410) マルク・ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢第405回定期演奏会 フィルハーモニー・シリーズ ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」金沢公演(ステージ・オペラ形式)

2018年7月30日 金沢駅前の石川県立音楽堂コンサートホールにて

午後6時30分から、金沢駅前の石川県立音楽堂コンサートホールで、オーケストラ・アンサンブル金沢の第405回定期演奏会 フィルハーモニー・シリーズ 歌劇「ペレアスとメリザンド」を観る。ステージ・オペラ形式での上演。
原作:モーリス・メーテルリンク(メーテルランク)、作曲:クロード・ドビュッシー。演出:フィリップ・ベジア&フローレン・シオー(仏ボルドー国立歌劇場との共同制作で、2018年1月のボルドー公演に基づく上演)。マルク・ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏。ミンコフスキは今年の9月からオーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督に就任する予定で、そのための記念公演の一つである。出演は、スタニスラフ・ドゥ・バルベラック(テノール。ペレアス)、キアラ・スケラート(ソプラノ。メリザンド)、アレクサンドル・ドゥハメル(バリトン。ゴロー)、ジェローム・ヴァルニエ(バス。アルケル)、シルヴィ・ブルネ=グルッポーソ(メゾ・ソプラノ。ジュヌヴィエーヴ)、マエリ・ケレ(アキテーヌ・ユース声楽アカデミー・メンバー。イニョルド)、ジャン=ヴァンサン・ブロ(医師・牧童)。合唱・助演:ドビュッシー特別合唱団。映像:トマス・イスラエル。

フランス語上演・日本語字幕付きである(日本語訳:増田恵子)。なお上演前にロビーコンサートが行われており、ドビュッシーの「シランクス」などが演奏された。

舞台は四段構え。通常のステージの中央のオーケストラ・アンサンブル金沢とミンコフスキが陣取り、ステージの前の客席部分が取り払われていて、ここも使用される。ステージ上手はやや高くなっており、舞台奥は更に高くなっていて、ここがメインの演技の舞台となる。その背後に紗幕があるが、メリザンドが髪を下ろすシーンなどではひときわ高いところにある舞台が光で透けて現れる。
オーケストラのいる舞台の前方にも紗幕が垂れており、ここにも映像が映る。ラストのシーンを除いて、映像は基本的にモノクロームであり、人物の顔や目のクローズアップが頻用される。

ドビュッシー唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」。メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」自体は劇付随音楽を複数の作曲家が手掛けており、フォーレ、シベリウス、シェーンベルクのものがよく知られている。1893年にパリで初演されたストレートプレーの「ペレアスとメリザンド」(メリザンド役はサラ・ベルナール)を観たドビュッシーはその魅力に取り憑かれ、すぐにオペラ化を計画。メーテルリンクの許可も得る。オペラが上演されるのはそれから8年後のことだが、メーテルリンクはメリザンド役に自分の愛人を起用するように迫った。ドビュッシーは音楽的素養のない人間をヒロインに抜擢することを拒絶。かくして裁判沙汰にまでなり、メーテルリンクの憎悪が極限に達した中で初演されるという、なんともドビュッシーらしい展開を見せた。独自のイディオムによる音楽が用いられたということもあり(そもそもアリアらしいアリアはほとんどない)、初演は不評に終わるが、その後10年で100回もパリで上演されるなどヒット作となっている。

メーテルリンクの戯曲では、ヒロインのメリザンドは実は水の精(オンディーヌ)であることが冒頭で示唆されているのだが、ドビュッシーは冒頭を全てカットしてしまったため、意味が通らなくなっているシーンもある。メリザンドが水の精(誤変換で「ミズノ製」と出た)だとすれば、ペレアスは水の世界へと導かれたことになり、水の精と人間の間に生まれた子供が未来を司るということになる。

いつかはわからない時代、アルケルが治めるアルモンド王国での物語。狩りの帰りに森の中で迷ってしまった王子のゴローは、泉のほとりで泣く少女を見つける。少女の名はメリザンド。泉の底にはメリザンドが落とした冠が輝いている。ゴローはメリザンドを連れて城に帰ることにする。ゴローはメリザンドとの結婚を望み、王のアルケルはこれを許す。
ゴローの弟であるペレアスは、船で旅立とうとしているのだが、その前にメリザンドと共に城内にある「盲人の泉」を訪れる。この泉にメリザンドはゴローから貰った指輪を落としてしまうのだが、これが悲劇を招くことになる。

物語造形からしておぼろな印象だが、噛み合わないセリフも多く、ミステリアスな戯曲である。
映像との相性も良く、お洒落だが仄暗い闇の中を進んでいくような感触の上演となっている。

マルク・ミンコフスキ指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢は極上の演奏を展開。音の輪郭がクッキリしており、密度も濃く、上品で上質のソノリティーを保ち続ける。
歌手達も大健闘であり、舞台装置も演出も見事だ。チケットを取るのが遅かったため3階席の券しか手に入らなかったが、石川県立音楽堂コンサートホールの響きは素晴らしく、少なくとも音に関してはステージから遠いこともハンデにはならなかった。
カーテンコールの最後でミンコフスキはスコアを掲げて作品への敬意を示す。極めてハイクオリティーの「ペレアスとメリザンド」と観て間違いないだろう。

音楽関係者も多数駆けつけたようで、終演後のホワイエには、野平一郎や池辺晋一郎といったオーケストラ・アンサンブル金沢ゆかりの作曲家の姿も見られた。



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2018年8月 2日 (木)

都はるみ歌唱 「親子三代千葉おどり」(みんなで踊ろう編)


この曲のおかげで、千葉市の子供達は「千葉の名物は祭りと踊り」だと思い込んでいます。

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2018年8月 1日 (水)

コンサートの記(409) 京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団 フォーレ 「レクイエム」

2018年7月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団によるガブリエル・フォーレの「レクイエム」を聴く。

オール・フランス・プログラムで、サティの「ジムノペディ」第1番と第3番(ドビュッシー編曲。ピアノ版の第1番が第3番、第3番が第1番と入れ替わっている)、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:石橋栄実、バリトン独唱:大沼徹。合唱:京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018)。


今日もコンサートマスターは客演の須山暢大、泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーには尾﨑平。

前半は今年没後100年を迎えたドビュッシーをフィーチャーしたものである。「ジムノペディ」において広上は、落ち着いて瀟洒で詩的な演奏を行う。フランスの都会の光景が目に見えるような洒脱な表現だ。

「小組曲」は広上が好んで取り上げる曲の一つ。細部まで神経の行き届いた軽やかで涼やかで儚げで快活で、とにかくありとあらゆる光景を指揮棒の先で描いてみせる。迫力、造形力、音捌き、全てが高い水準にある。


フォーレの「レクイエム」。合唱を担当する京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018は、今回の公演のために結成された市民団体。声楽経験者でない人も含まれているが、広上の指揮により、「リベラ・メ」での高揚感などは最高レベルのものを示している。プロや常設団体ではないので、声の粒立ちには問題があるが健闘したほうだろう。
広上の巧みな音運びにより、空間が一瞬にして清められるような印象を受ける。京響の発する音は色彩豊かで匂うように上品。管楽器も角の取れたまろやかさで、まさに天上の響きといった趣である。石橋栄実と大沼徹のソリストも優れた歌唱を聴かせ、技術的にはともかく音楽的には「完璧」の領域に達した「レクイエム」となった。

広上淳一は凄い。

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2018年7月30日 (月)

コンサートの記(408) ユッカ=ペッカ・サラステ指揮 N響「夏」2018 大阪公演

2018年7月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後4時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、N響「夏」2018 大阪公演を聴く。指揮はフィンランドを代表する指揮者の一人であるユッカ=ペッカ・サラステ。

1956年生まれのユッカ=ペッカ・サラステ。三つ年上のオスモ・ヴァンスカや二歳年下のエサ=ペッカ・サロネンと共に、フィンランド指揮界のアラ還世代(フィンランドには還暦もなにもないわけだが)を代表する人物である。ヴァイオリン奏者として世に出た後でシベリウス音楽院でヨルマ・パヌラに指揮法を師事。クラリネット奏者として活躍していたヴァンスカやホルン奏者としてキャリアをスタートさせたサロネンとは同じ時期に指揮を学んでいる。パヌラの教育方針として「オーケストラの楽器に精通すること」が重要視されており、指揮とピアノ以外の楽器を学ぶことはプラスになったようである。
1987年から2001年までフィンランド放送交響楽団の指揮者を務め、「シベリウス交響曲全集」を二度制作。フィンランディア・レーベルに録音した二度目の全集は今でも屈指の高評価を得ている。その後、スコットランド室内管弦楽団(スコティッシュ・チェンバー・オーケストラ)の首席指揮者、トロント交響楽団の音楽監督、BBC交響楽団の首席客演指揮者、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と、主に北欧、イギリス、北米での指揮活動を行い、現在はケルンのWDR交響楽団の首席指揮者の地位にある。

曲目は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:バイバ・スクリデ)、ブラームスの交響曲第1番。
無料パンフレットに寄稿している中村孝義は、シベリウスとブラームスの両者に奥手で思慮深く、自罰的という共通項を見いだしている。

N響配置ことドイツ式の現代配置での演奏。今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。
NHK交響楽団も若返りが進み、90年代後半に学生定期会員をしていた頃にも在籍していたメンバーは少なくなっている。有名どころでは第2ヴァイオリンの今では首席奏者になった大林修子、オーボエ首席の茂木大輔(『楽器別人間学』が大幅に手を加えて本日復刊である)、ティンパニ(打楽器首席)の久保昌一らがいるのみである。

シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。フィンランディアに録音した「シベリウス交響曲全集」では辛口の演奏を行ったサラステ。この「アンダンテ・フェスティーヴォ」でも痛切なほどに磨き上げられた弦の音色が印象的である。ただ単にツンとしているだけの演奏ではなく、彩りを自由自在に変え、さながらオーロラの揺らめきのようの趣を醸し出す。そうした音色で旋律を優しく歌い上げるという相反する要素を包含し共存させたかのような演奏である。
サラステの指揮は比較的振り幅を抑えた合理的なものであった。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストのバイバ・スクリデは、1981年、ラトヴィアの首都リガ生まれのヴァイオリニスト。音楽一家に生まれ育ち、ドイツのロストック音楽演劇大学でヴァイオリンを専攻。2001年にエリーザベト王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門で1位を獲得している。

N響の音は「アンダンテ・フェスティーヴォ」と同傾向である。輪郭のクッキリした音であり、アンサンブルの精度の高さが感じられる。
スクリデのヴァイオリンは優雅で色彩豊か。シベリウスを演奏するのに最適の音楽性を持ったヴァイオリニストである。

スクリデのアンコール演奏は、ヨハン・パウル・フォン・ウェストホフのヴァイオリン・ソナタ第3番より「鐘の模倣」。ヴィヴァルディにも共通したところのあるバロック期の技巧的一品。スクリデの優れた技巧が光る。

ブラームスの交響曲第1番。サラステは序奏を快速テンポで駆け抜ける。また表情を抑え、暑苦しくなるのを防いでいる。タクトはシベリウスを指揮するときよりも大きく振るし、情熱的な盛り上がりも見せるが、あくまで一音一音を丁寧に積み上げている演奏。N響の威力のある音と渋い音色もプラスに作用する。
第3楽章演奏後、ほとんど間を置かずに第4楽章に突入。この楽章ではパウゼの部分も詰めて演奏しているのが印象的であった。
フィンランドを代表する指揮者であったパーヴォ・ベルグルンドがヨーロッパ室内管弦楽団を指揮してブラームス交響曲全集の名盤を録音しているが、フィンランド人指揮者の分析的アプローチはブラームスに合っているのだと思われる。

アンコールとして、シベリウスの「クオレマ」より鶴のいる情景が演奏される。透明感に満ちた優れたシベリウスであった。



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2018年7月29日 (日)

コンサートの記(407) 下野竜也指揮京都市交響楽団第625回定期演奏会

2018年7月22日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第625回定期演奏会を聴く。午後2時30分開演。京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也がタクトを執る。

曲目は、シューマンの「天使の主題による変奏曲」からテーマ(野本洋介編曲)、尾高惇忠のピアノ協奏曲(ピアノ独奏:野田清高)、ブルックナーの交響曲第1番(リンツ稿・ハース版)。
現代音楽とブルックナーの初期交響曲は不入りな演目の両巨頭(?)だが、今日は二つとも入っている。ということでチケットは売れず、下野も京響のFacebookページに載せられた映像でに「チケット売れてません。特に日曜日」と語っていたが、当日券売り場にもそれなりに人が並んでおり、演目からいえば入った方だと思える。

午後2時から下野竜也によるプレトークがある。下野は初演魔と呼ばれた岩城宏之の言葉を引用し、「昔に書かれたものは色々な録音が残っていて聞き比べが出来る。その面白さはあるが、今の時代に書かれたものを演奏することも演奏家の使命である」ということで、一昨年に書かれたばかりの尾高惇忠の曲を取り上げる意義について述べた。

ブルックナーの交響曲第1番は一般的に演奏される機会が比較的多いウィーン稿ではなくリンツ稿を今回は採用。リンツ稿は作曲された当時のスコアを基本にしたものであり、ウィーン稿は初演から四半世紀ほど経過してからブルックナー本人が加筆訂正を加えたものである。下野はスコアを文章に例え、「若い頃書いたものは未熟で文法的間違いがあり、月日が流れてから書き直すというのはよくあること」。ただし、若い頃の勢いで書かれた魅力も捨てがたいとしてリンツ稿を取り上げることにしたそうだ。ブルックナーは、「苦手な作曲家・嫌いな作曲家の1位の常連」と紹介し、同じようなことが繰り返されてドラマもないということで面白くないと取られることがあるが、そうしたものとは別の魅力、日々の細かな幸せが綴られたものというブルックナーの味わい方を説明していく。ハース版とノヴァーク版の違いであるが、ハース版の方がブルックナーのオリジナルの譜面に近く、ノヴァーク版の方が合理的に書かれていて採用する人も多いが、ブルックナー自身のスコアに近づけたいということでハース版を選んだと話した。

今日もコンサートマスターは客演で豊嶋泰嗣が入る。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン首席も客演の長岡聡季が務める。オーボエの髙山郁子以外の管楽首席奏者はブルックナーのみの出演。

シューマンの「天使の主題による変奏曲」からテーマ。読売日本交響楽団の打楽器奏者である野本洋介の編曲である。下野竜也は読売日本交響楽団の正指揮者(下野のために特別に新設されたポスト。2006年から2013年まで務めた)と首席客演指揮者(2013-2017)を務めており、野本とは旧知ということで、下野が音楽総監督を務める広島交響楽団のために昨年書かれたもののようだ。
3分ほどの小品だが、シューマンらしいロマンティックな味わいがある。

尾高惇忠は、1944年生まれ。実弟は指揮者の尾高忠明、実父は作曲家で指揮者の尾高尚忠である。東京藝術大学作曲科を卒業。作曲を池内友次郎、矢代秋雄、三善晃に師事、ピアノを安川加寿子に師事している。1970年にパリ高等音楽院に留学し、作曲をモーリス・デュリュフレ、アンリー・デュティーユらに師事している。実父を顕彰する尾高賞を2度受賞したほか、別宮賞なども受賞している。
ピアノ協奏曲は、今日のソリストである野田清高のために書き下ろされたものである。
その野田清高は、東京藝術大学および大学院修士課程を修了後、ブラームスと20世紀作品を組み合わせたリサイタルを連続して行い、これが評価されて博士号を授与されている。現在は東京学芸大学准教授を務める。
ピアノ協奏曲は、2016年3月に野田のピアノ、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団の演奏によりサントリーホールで初演され、同年7月には尾高忠明指揮札幌交響楽団、清水和音の独奏によりKitaraでも演奏されている。

チェレスタやジュ・ドゥ・タンブルなどを使った独特の大編成での演奏。ピアノ協奏曲ではあるが、ピアノも含めた全体の音響で聴かせる作品である。
第1楽章では低音がショスタコーヴィチ、高音がメシアンのような音楽で対比がなされ、第2楽章では武満徹にも通じるような音響とサティの「ジムノペディ第1番」を短調にしたような旋律が特徴的であり、第3楽章では同じ音型を繰り返すパワフルな音像が印象的な楽曲となっている。
ピアノの鍵盤を幅広く使う作品であり、野田清高のシャープな音楽性と力強い打鍵力が発揮されていた。

演奏終了後、客席にいた尾高惇忠がステージ上に呼ばれ、下野や野田と共に拍手を受けた。

ブルックナーの交響曲第1番。この曲のリンツ稿を聴くのはおそらく初めてになるはずである。
ブルックナーは若い頃はオルガン演奏の名手として鳴らし、特に即興演奏を得意としたが、交響曲に取り組んだのは比較的遅く、この第1番が完成したのは彼が42歳になる年であった。初演はその2年後にブルックナー本人の指揮によりリンツのプロアマ混成オーケストラのよってなされた。

ブルックナーというの素朴で野人というイメージであるが、初期の交響曲は当時のオーストリア楽団を意識した端正な趣もある。ただブルックナーの個性が従来の音楽の器をはみ出しており、そのことが如実にわかってしまうため、当時の聴衆に「異様」という印象を抱かれたことも想像される。
ブルックナーと得意とする下野竜也。ただ、今のところ、下野のブルックナーで名演と讃えられる水準に達したものはないように感じられる。堅固の構築力は感じさせるが柔らかさがなく、ミリタリー調になる傾向はある。
ただ今日の第1番は下野の個性に合っており、推進力やスケールの豊かさなどは十分で、秀演の領域には達したように思われる。曲も見通しの悪さはあるがブルックナーならではの発想があちこちで生きており、興味深い。京都市交響楽団の音色とパワーも十二分に発揮され、魅力的であった。

今日は客席にムスリムの女性、白人男性、北京語を話しているカップルなどがおり、国際色豊かである。



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2018年7月28日 (土)

コンサートの記(406) 萩原麻未ピアノ・リサイタル 2018@大和高田さざんかホール小ホール

2018年7月16日 奈良県大和高田市の大和高田さざんかホール小ホールにて

大和高田さざんかホール小ホールで、「萩原麻未ピアノ・リサイタル」を聴く。午後3時開演。奈良県に縁のある萩原麻未。7年ほど前に奈良県立桜井高校に眠っていたスタインウェイの復活プロジェクトのピアニストとして指名され、その後もやまと郡山城ホールでの「ならピ」などに出演している。

萩原麻未は、1986年広島生まれ。広島市安佐南区と呉市で育つ。5歳でピアノのレッスンを初めてすぐに地元のコンクールで賞を取るという神童系であるが、天然な性格でも知られている。
13歳で第27回パルマドーロ国際コンクールで史上最年少優勝。プロのピアニストを目指す場合、出身地は地方でも高校からは東京の学校に通う場合が多いが、萩原は地元の広島音楽高校(浄土真宗本願寺系。現在は閉校)に進学。高校2年の時に広島で行われたジャック・ルヴィエのマスターコースを受講したのが転機になり、パリ国立高等音楽院と同大学院ピアノ科でジャック・ルヴィエに師事。大学院修了後も室内楽クラスで学ぶ。平行してパリ地方音楽院でも室内楽をエリック・ル・サージュらに師事。その後、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽演劇大学でもピアノを専攻。
2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で優勝。同コンクール・ピアノ部門は8年に渡って優勝に値するピアニストが出ておらず快挙となった。
現在のところ、ソロでのピアノコンサートよりも協奏曲のソリストや室内楽での演奏を好んでいるようで、デビューアルバムも堤剛との室外楽演奏であった。

プログラムは前半が、J・S・バッハのフランス組曲第5番、ショパンのノクターン第1番と第2番、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」、第9番「別れのワルツ」、第6番「小犬のワルツ」、リストの愛の夢第3番、「ラ・カンパネラ(鐘)」。後半が、ドビュッシーの「月の光」、「喜びの島」、「小さな黒人」、ガーシュウィンの3つのプレリュードと「ラプソディ・イン・ブルー」。事前に発表されていたのはバッハとショパンだけだったが、かなり豪華な曲目となった。

萩原麻未は、春に行われたロームシアター京都での室内楽公演の時と同じ腕にスリットが開いた白のドレスで登場。椅子に座ってすぐによそ見をしながら弾き始め、首を揺らしながら上方へと目をやりキッとした目つきになって鍵盤を見下ろす。何者かに憑かれたかのような集中力の高い演奏が行われるが、その前に体の中に何かを下ろしたり籠めたりするような仕草であった。

非常に個性的な演奏を行うことの多い萩原麻未。経歴からもわかるが、堅固なフォルムを重視するドイツ流ではなくセンス優先のフランス風ピアニズムである。
バッハでは典雅且つ緻密な演奏を行った萩原。演奏後、マイクを手にトークを行う。今日の曲目は普段と違い、「親戚や家族の前で演奏するとしたら」という考えで組まれたものだそうである。

ショパンのノクターン第1番。痛切な表現が耳を奪う。ずっとアゴーギクを使いっぱなしといってもいい表現で、ショパンの文学性を徹底して歌い抜いた演奏である。
ノクターン第2番は、協奏曲のソリストとして登場した時にアンコールとして演奏されたものを聴いている。その時は左手をアルペジオにするなどかなり個性的な演奏であった。今日もアルペジオこそ使わなかったが、どう考えても音を足しているという表現。テンポも自由自在であり、予測不能の展開を見せる。他のピアニストによる穏やかな演奏とは大きく異なっていた。

ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」では一転してヴィルトゥオーゾ的演奏を展開し、「別れのワルツ」では伸縮自在の煌びやかな「小犬のワルツ」ではスケール豊かな演奏を繰り広げる。
萩原はアルフレッド・コルトーが好きだそうだが、それは頷ける。

リストの愛の夢第3番と「ラ・カンパネラ」では、遅めのテンポでスタートして加速、二本の腕で弾いているとは思えないほどのメカニックを披露した。

後半。萩原の十八番であるドビュッシー。
「月の光」での詩情、「喜びの島」の色彩感と巨大なピアニズム、「小さな黒人」のエキゾチックな味わいなど文句なしである。

ガーシュウィンの演奏の前に、萩原が再びマイクを手にスピーチ。桜井高校でのスタインウェイの話などをする。その時の桜井高校の先生方は今でも赴任先が異なるそうだが、今日も駆けつけてくれたそうである。ガーシュウィンの曲は「ジャズとクラシックの融合」、「ラプソディ・イン・ブルーについては「『のだめカンタービレ』のエンディングで使われていた」と紹介。作風がこれまでものとは違って「ブイブイ言ってるような」と笑いながら紹介し、「ブイブイ言わせます」と言って演奏開始。

「3つのプレリュード」。ジャジーな要素を上手く取り入れた演奏。いずれも短い作品だが密度の濃い曲であり演奏である。プレリュード第2番は私も練習したことがあるのだが、短時間で弾けるような代物ではなかった。今度また練習できたら良いのだが。

「ラプソディ・イン・ブルー」。ピアノの蓋が揺れているのが確認出来るぐらいの力強い演奏である。3つのプレリュードの演奏でも感じられたことだが、パースペクティブの作り方がまことに巧みであり、それが故に奥行きと彩りが増す。チャーミングでアンニュイで高潔にしてにして親しみやすいという大満足のガーシュウィンであった。
ガーシュウィンはラヴェルに心酔して弟子入りしようとしたことがあり(「君は一流のガーシュウィンなのに、なんでラヴェルの二番煎じになろうなんてするんだい?」と断られた)、「パリのアメリカ人」という交響詩も書いているが、フランス音楽とジャズには相通じるものがあるような気がする。そもそもジャズ発祥の地であるルイジアナ州は元々フランスの領地だった場所だ。

アンコールは3曲。事前に決めていなかったそうで、その場で思いついた曲を演奏する。
まず、シャンソンの「四月にパリで」。「もう7月なんですけど」と言って演奏開始。シャルル・トルネの作曲、アレクシス・ワイセンベルク編曲版。洒落た演奏である。
2曲目は、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」。京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでも聴いたことのある曲である。クリアな音色で崇高な憧憬を語るようなイノセントな演奏。
ラストは、「Over The Rainbow」。「普段、リラックスしたい時に一人で弾いている曲」だそうである。美音と伸びやかな音楽性を楽しむことが出来た。

大和高田さざんかホール小ホールは、シューボックス型をしており、天井はやや低めだがフォルテシモでも音が潰れることはない。ピアノや室内楽向けのホールとしては第一級の音響を誇ると思われる。Wikipediaにも載っていないような知名度の低いホールであり、ホームページも独自ドメインを取っていない状態であるが稼働率が低いままにしておくのは惜しいホールである。クラシックファンには音が良ければどこだろうが飛んでいくというタイプが多いのでもっとアピールしても良いと思われる。


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2018年7月27日 (金)

コンサートの記(405) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン交響曲全曲演奏会第3回

2018年7月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅲを聴く。Ⅰは聴いたが、Ⅱは同日にロームシアター京都で行われた田中泯のダンス公演を優先させたため接していない。

交響曲第6番「田園」と交響曲第5番という王道の組み合わせ。であるが、この時期に聴くにはちょっと重い。

今日のコンサートマスターは崔文洙。大フィルのスタンダードであるドイツ式の現代配置による演奏であるが、今日は第2ヴァイオリンが客演も含めて全員女性という、ありそうでなかなかない構成になっている。第1ヴァイオリン15名、第2ヴァイオリン14名というモダンスタイルでの演奏。


交響曲第6番「田園」。テンポもスタイルも中庸で、音の瑞々しさを優先させた演奏。空間の広いフェスティバルホールだが、編成が大きく、モダンスタイルということで良く響く。
優れた演奏ではあるが、特筆事項はこれといってないように思う。


交響曲第5番。出だしの運命動機ではフェルマータを短めに取り、流線型のフォルムを作り上げる。出だしで第2ヴァイオリンがわずかにフライングしたほか、クラリネット、ピッコロなどにミスがある。
面白いのは第4楽章のクライマックスの音型で、金管群が耳慣れない和音を築く。そういう譜面があるのかどうか。またクラリネットが二本ともベルアップによる演奏を行っている部分があった。ピリオドアプローチによる演奏で目にするが、そうではない演奏で見かけるのは初めてである。
尾高はラストも流さずにカッチリとした止めを行い、個性を刻印した。

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2018年7月23日 (月)

コンサートの記(404) 「江藤ゆう子 昭和を歌う」2018@アンサンブルホールムラタ

2018年7月14日 京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで、「江藤ゆう子昭和を歌う」と題されたコンサートを聴く。

京都市出身である江藤ゆう子。これまで昭和歌謡を150曲歌ってきており、2年前にロームシアター京都オープニングイベントの一つとしてサウスホールで総集編のコンサートが催された。今回はプランツ・コーポレーションの武部宏のリクエストによって開催されたものである。

昭和は64年まであり(厳密には62年+昭和元年が1週間+昭和64年が1週間)元号の中で最長。しかも昭和モダニズムがあり、大戦があり、高度経済成長があり、安保などを巡る学生運動があり、マスメディアの発達があり、音楽に関してもレコードやカラオケの台頭がありと、政治経済文化全てにおいて激動の時代であった。ただ良い歌と売れる歌が一致していた幸福な時代と見ることも出来る。

平成に入ると歌謡曲という言い方自体がされなくなり、呼び方はJPOPに。音楽のジャンルは細分化され、特定のジャンルのみ詳しい人も増えた。というよりカラオケが発達しすぎて、音楽は聴くものではなく歌うものになった。それ自体は良くも悪くもないのだろうが、聴くという行為が「カラオケで歌うために覚える」に転換されてしまい、聴いて楽しむ何かを聴き取るという行為は残念ながらないがしろにされつつあるように思う。「平成歌謡(平成ポップス)」が今度どう評価されるかにも興味があるが(日本でブラックミュージックが本格的に広まるのは平成以降である)、今日はとにかく昭和歌謡を聴く。

曲目は第1部が、「私の青空」、「東京ラプソディー」(以上、戦前)、「テネシーワルツ」、「東京ブギウギ」、「港が見える丘」(以上、昭和20年代)、「星のフラメンコ」、「いつでも夢を」、愛の讃歌(以上、昭和30年代)、「真っ赤な太陽」、「喝采」、「二人でお酒を」、「街の灯り」、「虹と雪のバラード」(以上、昭和40年代)。第2部が、「聖母(マドンナ)たちのララバイ」、「赤いスイートピー」、「恋人よ」(以上、昭和50年代)、「天城越え」、「愛燦燦」(以上、昭和60年代)、みなさんで歌うコーナーに「りんごのうた」、「見上げてごらん夜の星を」、「青春時代」、「川の流れのように」の4曲があり、ラストは江藤ゆう子のオリジナルナンバーである「愛のうた」で締められる。

参加ミュージシャンは、小松尚人(ドラムス&パーカッション)、中嶋明彦(ベース)、黒田かなで(ヴァイオリン)、井上弘道(サックス)、笹井順子(ピアノ)。
小松、中嶋、笹井の順でステージに登場。黒田と井上は後方から客席通路を通ってステージの上がる。最後に江藤が登場したが、ワイヤレスマイクが最初、オンにならないというハプニングがあった。その後も、ワイヤレスマイクがオンにならない場面があったため、第2部ではワイヤーのついたマイクに切り替えられた。

客席はご年配の方が目立つが、「昭和」に特別な思い入れのある若い人も多いため、若者の姿もあった。

昭和歌謡にはバックのミュージシャンの技量に問題があったりするが、勢いや熟成がない交ぜになった面白さがある。戦後直後は「俺たちは音楽で復興を盛り上げるんだ」という気概があり、後年になる毎に衣食住完備の成熟した社会の中でのラブソングが増えるようになる。

私は遊佐未森の「檸檬」や「スヰート檸檬」といった昭和歌謡カバーアルバムを愛聴しており、テレビドラマなどで使われた昭和歌謡を拾っていくことで、まずまず多くのナンバーを知ることが出来ている。今回取り上げられた曲で「全く知らない」聴いたこともないという曲は1曲もない。今はYouTubeなどで古い曲を気に聴くことが出来る時代である。

「テネシーワルツ」は、テネシー州の州歌。日本には都道府県を代表する歌が全ての自治体にあるわけではないが、○○の国歌などといわれる曲が存在してる場合もある(例えば、「青葉城恋歌」は仙台の国歌、「いざゆけ若鷹軍団」が福岡の国歌といったように)。ポップスが自治体の歌というのは素晴らしいことであるように思われる。

「港が見える丘」の舞台は神戸であるという説があるが、今、横浜にある港の見える丘公園は、「港が見える丘」に触発されて生まれたものである。歌が施設を生んだという興味深い例である。今回は1番と3番のみの歌唱であった。

「星のフラメンコ」は、私にとっては関根勤が西郷輝彦を真似して歌っていたナンバーである。「いつでも夢を」は橋幸夫と吉永小百合のオリジナルよりも桑田佳祐と原由子夫妻のバージョンを聴く機会が多かったような気がする。

「虹と雪のバラード」は、小学生の時に上級生が合唱していた記憶がある。なんのために歌っていたのかは忘れてしまったが。

第2部。武部宏のスピーチでスタート。私は昭和49年生まれなので、リアルタイムで知っているのは第2部の歌からになる。

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」。岩崎宏美は私と誕生日が同じ(11月12日)である。この曲は「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマとして初のヒット作となったものである。今の社会はもう「女もみんな傷を負った戦士」になってしまっており、男も女も互いを癒やせない。時の流れは残酷だ。

「赤いスイートピー」は、綾瀬はるかがカバーしていることでも知られる。作曲は呉田軽穂(くれた・かるほ。女優のグレタ・ガルボのもじり)名義の松任谷由実。「時をかける少女」同様、前奏がユーミンしている。ちなみに、江藤によると赤いスイートピーは当時は実在していなかったそうだが、この曲がきっかけになって品種改良によって生まれているそうだ。
「恋人よ」は、千葉にいた頃、ピアノでよく弾き語りした曲である。ちなみに、カラオケで「恋人よ」を入れようとすると、優先候補に工藤静香の「恋一夜」が出てきてしまうことがあるので要注意。

「天城越え」。石川さゆりの代表曲である。「津軽海峡冬景色」と並ぶ二大ヒットなのだが、そのせいで石川さゆりは紅白歌合戦ではこの2曲しか歌わせて貰えなくなっている。「ルパン三世」のテーマ曲である「ちゃんと言わなきゃ愛さない」が話題になった時には、石川本人がNHKに掛け合ったそうだが、棄却という形になっている。

「愛燦燦」。父方の祖母が小椋佳のファンだったような記憶がある。

みなさんで歌うコーナー。無料パンフレットの裏に歌詞が記載されている。大阪だともっと歌って貰えると思うのだが、京都にしては歌ってくれていた方だと思う。
以前、木屋町・龍馬で白人の団体客に、「日本の代表的な曲を歌って欲しい」とリクエストされて、「ジャパニーズ・スタンダードナンバー、スキヤキ」として「上を向いた歩こう」を歌ったら大盛り上がりになってしまったことがあるのだが、「見上げてごらん夜の星を」の坂本九の死はショッキングであった。普段は全日空機しか使わない坂本九が、空きがないためやむなくJAL123便に乗った、また明石家さんまが当日JAL123便に乗る予定が仕事が早く終わったので先に出る飛行機を使って難を逃れたという運命の交差点である。
ちなみに「川の流れのように」は原曲だとサビが超高音になり、普通の人は歌えないため、キーを下げたものに変えられていた。最晩年(とはいえまだ50代前半だが)にこの曲を歌い上げていた美空ひばりの凄さがわかる。

アンコールでは「三百六十五歩のマーチ」と童謡「ふるさと」が江藤ゆう子と聴衆とで歌われた。

私は、中高生の頃に久保田利伸などのブラックミュージックに影響を受けたミュージシャンなども良く聴いたが、父親に言わせると「なんだこれ? 音楽か?」であり、一世代差なのに断絶を深く感じる。ラップなどが当たり前になり(旋律が「線」から「点」に変わる)、オルタナティブ・ロックなどももう過去のポップミュージックとなってしまっている。親子でテレビを見て楽しめるのが昭和歌謡的であるとすれば、平成はiPodやネットで個人が音楽を楽しむようになっており、広く親しまれるポップスを生む土壌がないともいえる。



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