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2018年4月24日 (火)

コンサートの記(375) ローム ミュージック フェスティバル 2018 二日目(楽日)

2018年4月22日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

今日も、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴くためにロームシアター京都に出向く。昨日も今日もロームシアターのある左京区岡崎までは歩いて往復した。

 

今日最初に行われるコンサートは林美智子らメゾ・ソプラノ歌手達の共演であるリレーコンサートCであるが、これはチケットを買わずにパスして、午後3時30分開演のリレーコンサートDから聴く。

ロームシアターに着いたのはローム・スクエアで行われる立命館高校吹奏楽部の演奏が準備に入っているところで、何の音もしていないという時間帯であった。サウスホールからはリレーコンサートCを聴き終えた人々が続々と出てくるのが見える。

 

午後3時30分から、ロームシアター京都サウスホールで、リレーコンサートD 朗読劇「兵士の物語」~彼の運命や如何に!?を聴く。

曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番(ヴァイオリン独奏:玉井菜採)、ブーレーズの「ドメーヌ」(クラリネット独奏:亀井良信)、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」(朗読:西村まさ彦、ヴァイオリン:玉井菜採、コントラバス:佐野央子、クラリネット:亀井良信、ファゴット:佐藤由起、トランペット:三澤慶、トロンボーン:今込治、打楽器:西久保友広)。西村まさ彦(本名である西村雅彦から改名)が登場するという、ある意味、今回のローム ミュージック フェスティバル最大の目玉ともいうべき公演である。

まずは、玉井菜採(たまい・なつみ)の独奏によるJ・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番。
関西では聴く機会も多い玉井菜採。京都市生まれ、大津市育ちのヴァイオリニストである。母親は京都市交響楽団のヴァイオリン奏者であった。桐朋学園大学在学中にプラハの春国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝。桐朋学園大学卒業後にアムステルダム・スヴェーリンク音楽院、ミュンヘン音楽大学に学ぶ。ミュンヘン音楽大学在学中にローム・ミュージック・ファウンデーションの奨学生となっている。J・S・バッハ国際コンクール最高位獲得、エリザベート王妃国際コンクールやシベリウス国際コンクールで入賞と、コンクール歴も華麗である。

玉井のヴァイオリンは艶があり、歌も淀みがない。演奏スタイルやスケールもバッハに合っており、上質の演奏を繰り広げた。

ピエール・ブーレーズが書いたクラリネット独奏のための作品である「ドメーヌ」。6片の楽譜からなるが演奏する順番は決まっておらず、楽譜は縦から読んでも横から読んでもOKという、ブーレーズらしい尖った作品である。縦からも横からも読める楽譜がどういうものを指すのかはわからないが、五線譜に書かれたものではないであろう。

クラリネットの亀井良信は、桐朋女子高校音楽科(共学)卒業後に渡仏。パリ市12区立ポール・デュカ音楽院とオーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ地方国立音楽院をいずれも1位で卒業。ブーレーズに認められて、騎馬オペラ団ZINGAROのソリストに起用されたこともある。現在はソリストとしての活動の他、桐朋学園大学准教授も務める。

暗闇の中、亀井が忍び足で登場。6つある譜面台の内、上手奥の譜面から演奏を始める。6つとも当然ながら現代的曲調だが個性は様々。「怒りのブーレーズ」と呼ばれ、様々な権威に挑戦して先鋭的な作品を生み出して来たブーレーズだが、今聴くと案外わかりやすい音楽であることがわかる。思いのほかメロディアスであり、少なくともブーレーズよりも後に登場した現代音楽作曲家の作品に比べると把握のしやすい内容である。思えば現在では「傑作」として誰もが認める作品が初演時に「メロディーがない」と批評されたという事実がある。

様々な特殊奏法が駆使されるが、亀井は余裕を持ってこなしていく。

10分間の休憩を挟んで、メインであるストラヴィンスキーの「兵士の物語」。ロシア革命の翌年である1918年に書かれた作品だが、ストラヴィンスキーもご多分に漏れずロシア革命に巻き込まれて財産を失い、人が雇えないので小編成で演奏可能な舞台上演用作品を、ということで書かれたのがこの曲である。
テキスト日本語訳は新井鷗子。

物語は、許嫁のいる故郷に帰る途中の兵士・ジョセフが悪魔と出会い、愛用しているヴァイオリンを手放す代わりに未来が読める本を得たということから始まる。ジョセフは文盲であったが、悪魔から渡された本は読むことが出来た。悪魔のお屋敷で2日を過ごしたジョセフだが、実際の世の中では3年が過ぎていた。故郷に帰ったジョセフであるが、人々はジョセフはもう死んだものだと思い込んでおり、「幽霊が出た」と思って門扉を堅く閉ざしてしまう。許嫁ももう他の男と結婚しており、子どもまでいた。失意の内に隣国にやって来たジョセフは未来が読める本のお陰で巨万の富を得るが友達はゼロになり、女にももてず、食欲も減退して心は全く満たされない。そんな時、その国の王様がお触れを出す。お姫様がどんな名医でも治すことの出来ない病気に罹患しており、治すことが出来る者が現れたらその者に姫をやろうというものであった。どう治療すればいいか知っていたジョセフは王宮へと向かうのだが、再び悪魔が現れ……、というもの。人間の幸福と芸術の問題が語られる寓話である。

朗読担当の西村まさ彦は、テレビや映画、舞台でお馴染みの俳優。出世作はエキセントリックな指揮者を演じた「MAESTRO(マエストロ)」である。富山商業高校卒業後、東洋大学に進学するが高校時代の失恋を引きずったままであり、ほとんどキャンパスに通うことなく中退。出身地である富山市の写真専門学校に入り、この時に文化祭のようなもので演劇(専門学校のM先生が書いた坂本龍馬を主役にしたオリジナル作品だったという)に初めて触れている。一時、カメラマンの助手になるが、地元のアマチュア劇団で演劇の面白さに触れ、俳優を目指して再び上京。劇団文化座に所属しつつ、様々な劇団に客演を重ねていた(文化座は無断外部出演がばれたら首だったらしい)。知り合いを通じて三谷幸喜が主宰していた東京サンシャインボーイズに入団し、看板俳優となる。1990年代前半にはすでに、佐々木蔵之介、堺雅人、升毅、古田新太らと並んで小劇場のエース的存在として注目を浴びていた。彼らの中で一番最初にお茶の間での人気を得たのが西村である。
現在では俳優業の他に、出身地である富山市などでの演劇ワークショップ講師を務めるほか、大正大学表現学部の特任客員教授として後進の育成にも当たっている。
舞台俳優としては演劇の新たなる可能性を探究しており、劇作家ではなく構成作家など演劇畑以外の作家を起用した公演を行っている。

玉井と亀井以外の演奏メンバーを紹介していく。
佐野央子(さの・なかこ)は東京藝術大学および同大学院出身のコントラバス奏者。小澤征爾音楽塾塾生などを経験し、現在は東京都交響楽団のコントラバス奏者である。
佐藤由起(さとう・ゆき)は桐朋学園大学卒業後、シドニー大学大学院修士課程を修了したファゴット奏者。シドニー大学大学院時代にシドニー交響楽団契約奏者として活動している。小澤征爾音楽塾などを経て現在はNHK交響楽団のファゴット奏者を務めている。
三澤慶は東京音楽大学卒業後にフリートランペッターとして活躍。現在は東京室内管弦楽団トランペット奏者でもある。東京音楽大学在学中に京都・学生フェスティバルに参加。
今込治(いまごめ・おさむ)は大友良英ビッグバンドなどで活躍するトロンボーン奏者。東京藝術大学卒業後、ロストック音楽演劇大学も卒業。横浜シンフォニエッタのシーズンメンバーでもある。東京藝大在学中に京都・学生フェスティバルに参加している。
打楽器の西久保友広は東京音楽大学卒業同大学院修了。在学中にKOBE国際学生音楽コンクール打楽器部門の最優秀賞および兵庫県教育委員会賞を受賞。JILA音楽コンクール打楽器部門1位、神戸新聞文化財団松方ホール音楽賞大賞などを受賞している。小澤征爾音楽塾に参加。現在は読売日本交響楽団打楽器奏者を務める。

西村は全身黒の衣装で登場。朗読を始める前に何度も咳き込んで、客席のみならず演奏者からも笑いが起こる。
語りであるが、いかにも西村まさ彦らしい味のあるものである。ジョセフという兵士の朴訥な感じもよく伝わってくる。

ストラヴィンスキーの音楽であるが、ファゴットが「春の祭典」を想起させる旋律を吹いたりはする。ただ、後年、「カメレオン作曲家」と呼ばれる傾向は見えており、多彩な音楽語法が使用されている。

 

午後6時から、ローム ミュージック フェスティバル 2018の最終公演であるオーケストラ コンサート Ⅱ 天才と英雄の肖像を聴く。メインホールでの上演である。演奏は下野竜也指揮の京都市交響楽団。

曲目は、天才・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:小林愛実)とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」

昨日に引き続き、朝岡聡がナビゲーターを務めて、前半後半とも演奏開始前に一人で現れて楽曲の紹介と解説を行った。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平という布陣は昨日と同様である。

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。ソリストの小林愛実(こばやし・あいみ)は1995年、山口県宇部市生まれの若手。5歳でピアノ全国大会の決勝に進出、9歳で国際デビューを果たし、14歳でEMIからCDデビュー、サントリーホールでのリサイタル日本人および女性演奏家最年少記録保持者という神童系ピアニストである。桐朋女子高校音楽科に全額奨学金特待生として入学。現在はローム奨学生としてフィラデルフィアのカーティス音楽院で学んでいる。

下野と京響はピリオドスタイルを採用。音色も旋律の歌い方もモダンスタイルとは明らかに異なる。今日は昨日とは違って3階席正面5列目で聴いたのだが、メインホールの3階席でピリオドスタイルの演奏を聴くのはやはり厳しいように思う。音が小さすぎる。

小林のピアノは冒頭から仄暗さと輝きという相反する要素を止揚した極めて優れたものである。孤独の告白の部分は勿論だが、第2楽章のような一見典雅な曲調であっても常に涙を滲ませている。第1楽章と第3楽章のカデンツァは聴き慣れないものだったが、誰のものを使用したのかは不明である。

今の日本人若手ピアニストはまさに多士済々。技術面で優れているだけでなく極めて個性的な逸材が顔を揃えている。ピアニストが書いた本を読むと、今はもうバリバリ弾けるのは前提条件で、和音を作る際にどの指に最も力を入れるかなど、かなり細かい解釈と計算を行っていることがわかる。技巧面で完璧なら問題なしという時代はとっくに終わったようだ。20世紀スタイルのピアノを弾いている人は段々仕事が減っていくかも知れない。

小林のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第20番(遺作)。冒頭は遅めのテンポで痛切な感じを出し、主部は立体感を出しと孤独と悲しみを歌う。そのままのスタイルでいくのかと思ったが、舞曲風の場面では快活さを前面に出すなど一筋縄ではいかないピアノであった。相当な実力者と見て間違いないだろう。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。リヒャルト・シュトラウスは下野の得意レパートリーの一つである。京響の機能面での充実が感じられる好演となった。
ステージ上をびっしりと埋めるオーケストラ。メインホールの音響は残響こそ1秒もないほどだが音の通りは良く、個々の楽器の音がクッキリと聞こえる。これにより、下野の肺腑を衝く高い音楽性が明らかになっていく。ヴァイオリン群と低弦群、管楽器群の対話の明確さなど、リヒャルト・シュトラウスの意図が手に取るようにわかる。
惜しむらくは終盤が一本調子になってしまったことだが、日本を代表する存在とはいえまだ50歳にもならない指揮者による演奏であるため、完璧を望むのは酷だろう。音の充実だけを取ればヨーロッパの第一級のオーケストラに匹敵する水準に達していたように思う。



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2018年4月23日 (月)

コンサートの記(374) ローム ミュージック フェスティバル 2018 初日

2018年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

左京区岡崎にあるロームシアター京都で開催される、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴きに行く。今日はホール内で行われる全ての公演、サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」、リレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」、オーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べに接する。ローム・スクエア(中庭)では中学高校の吹奏楽部の演奏が合間合間に行われており、今日は、京都市立桂中学校吹奏楽部、龍谷大平安高校吹奏楽部、大阪桐蔭高校吹奏楽部の演奏が行われていた。桂中学校や龍谷大平安の吹奏楽部はオーソドックスな演奏だったのだが、大阪桐蔭高校はとにかく個性的。まず吹奏楽部員が歌う。更にダンスが始まり、今度はミュージカル、ラストでは女子生徒が空箱に入って串刺しにするというマジックまで披露。もはや吹奏楽部ではなくエンターテインメント部である。やはり大舞台である甲子園の常連校(今春も選抜制覇)はやることが違う。無料パンフレットに記載された部の紹介も他の学校は挨拶程度だが、大阪桐蔭高校吹奏楽部だけは全国大会や海外コンクールでの華々しい成績が並んでいる。


サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」は、午後1時開演。曲目は、アルベニスの「タンゴ」、ファリア作曲(フリッツ・クライスラー編曲)「スペイン舞曲」、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番、ラヴェルの「ツィガーヌ」、ドビュッシーのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、クロールの「バンジョーとフィドル」、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」、サラサーテの「カルメン幻想曲」

たびたびデュオ・コンサートを行っている成田達輝と萩原麻未。萩原の方がYouTubeに載っていた成田の演奏を見て共演を申し込んだそうである。萩原は最近ではソロよりも室内楽の方に興味があるようだ。ただ、今年の7月には奈良県の大和高田市や出身地である広島市などでソロ・リサイタルを開く予定がある。萩原は昨年の10月にピアノ・リサイタルツアーを行っており、私もいずみホールでの公演のチケットを取ったのだが、風邪のために行けなかった。

技巧派の成田と個性派の萩原の組み合わせ。スペインものとフランスものを軸にしたプログラムだが、ラヴェルやドビュッシーを弾いた時の萩原麻未が生み出す浮遊感が印象的。重力に逆らうような音であり、やはりセンスがないとこうした音を奏でることは出来ないと思う。

成田のヴァイオリンは情熱的で骨太。男性的なヴァイオリンである。伸び上がるように弾いたり、床の上を少しずつ滑るように体を動かすのも個性的だ。構築感にも長けた萩原のピアノをバックに成田が滑らかな歌を奏でていく。理想的なデュオの形の一つである。

今日は、例えはかなり悪いが発狂した後のオフィーリアのようなドレスで登場した萩原麻未。純白のドレスであるが、ロングスカートや腕にスリットが入っている。演奏を始める時に、成田の方を振り返って上目遣いで確認を行うのも魅力的だったりする。

開演前に背後の方で、「萩原さんのお母さんにご挨拶して、似てらっしゃいますよねえ」と語っている男性がいたので、誰かと思ったら作曲家の酒井健治氏だった。その萩原麻未のお母さんは結構有名人のようで、色々な人に挨拶を受けていた。


間の時間に平安神宮に参拝する。


午後4時からは、サウスホールで行われるリレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」。ローム ミュージック フェスティバルの参加者は、ほぼ全員ローム ミュージック ファンデーションの奨学生や在外研究生、ロームが主催する京都・国際音楽学生フェスティバル出演者や小澤征爾音楽塾塾生なのだが、「ザ・スピリット・オブ・ブラス」は、ロームに援助を受けた12人の金管奏者と打楽器奏者1名による団体である。メンバーは、菊本和昭(NHK交響楽団首席トランペット奏者、元京都市交響楽団トランペット奏者。元ローム奨学生)、伊藤駿(新日本フィルハーモニー首席トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、杉木淳一郎(元新星日本交響楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、新穂優子(にいぼ・ゆうこ。Osaka Shion Wind Orchestraトランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、堀田実亜(ほった・みつぐ。ドルトムント・フィルハーモニー管弦楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、日橋辰朗(にっぱし・たつろう。読売日本交響楽団首席ホルン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、太田涼平(山形交響楽団首席トロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、風早宏隆(かぜはや・ひろたか。関西フィルハーモニー管弦楽団トップトロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、古賀光(NHK交響楽団契約トロンボーン奏者。次期首席トロンボーン奏者就任見込み。元小澤征爾音楽塾塾生)、辻姫子(東京フィルハーモニー交響楽団副首席トロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、藤井良太(東京交響楽団バストロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、宮西淳(元台湾国家交響楽団首席テューバ奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、黒田英実(くろだ・ひでみ。女性。NHK交響楽団打楽器奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)

曲目は、J・S・バッハの「小フーガト短調」(竹島悟史編曲)、パーセルの「トランペットチューン&エア」(ハワース編曲)、クラークの「トランペット、トロンボーンと金管アンサンブルのための『カズンズ』」(井澗昌樹編曲)、ドビュッシーの「月の光」(井澗昌樹編曲)、ハチャトゥリアンの「剣の舞」(井澗昌樹編曲)、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍楽隊の行進”(竹島悟史編曲)、ガーデの「ジェラシー」(アイヴソン編曲)、「ロンドンデリーの歌」(アイヴソン編曲)、リチャーズの「高貴なる葡萄酒を讃えて」よりⅣ.ホック、カーマイケルの「スターダスト」(アイヴソン編曲)、マンシーニの「酒とバラの日々」(アイヴソン編曲)、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(井澗昌樹編曲)

菊本和昭がマイク片手に進行役を務める。それぞれの奏者が入れ替わりでソロを取るスタイルだが、皆、楽団の首席級の奏者だけに腕は達者である。
ハチャトゥリアンの「剣の舞」では、打楽器奏者の黒田英実が木琴の他に、小太鼓、スネア、シンバルなどを一人で担当。リハーサルで他のメンバー全員が圧倒されたという超絶技巧を繰り広げた。

ちなみに、多くの曲の編曲を手掛けた井澗昌樹(いたに・まさき)は客席に来ており、菊本に呼ばれて立ち上げって拍手を受けていた。

「ラプソディ・イン・ブルー」は短めの編曲かなと思っていたが、かなり本格的なアレンジが施されており、聴き応えがあった。

アンコールは、バリー・グレイ作曲・竹島悟史編曲による「サンダーバード」。格好いい編曲であり、演奏であった。


午後7時からは、メインホールでオーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べを聴く。下野竜也指揮京都市交響楽団の演奏。
昨年のローム ミュージック フェスティバルの京都市交響楽団演奏会の指揮を務めたのは三ツ橋敬子、一昨年は阪哲朗であったが、いずれも出来は今ひとつ、ということもあったのか、今年は京都市交響楽団常任首席客演指揮者である実力者、下野竜也が起用された。下野もまたウィーン国立音楽大学在学中にローム奨学生となっている。

曲目は、前半に、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」、武満徹の「3つの映画音楽」、酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」(オーケストラ版世界初演)という日本の音楽が並び、後半は日本が舞台となるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャルハイライト版が上演される。
ナビゲーターとして、昨年のローム ミュージック フェスティバルにも参加した朝岡聡が起用されており、前半では楽曲の解説を、後半の「蝶々夫人」ではストーリーテラーを務める。

コンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。

外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。
今日は1階席22列22番での鑑賞。残響は短いが直接音は良く聞こえる。良い席だと思える。下野の指揮は立体感の表出が見事。各楽器のメロディーの彫刻が丁寧であり、だからこそ優れた音響をオーケストラから引き出すことが出来るのであろう。音に宿る生命感も平凡な指揮者とは桁違いだ。

武満徹の「3つの映画音楽」。「ホゼー・トレス」「黒い雨」「他人の顔」の3つの映画の音楽を作曲者である武満本人がコンサート用に纏めたもの。「他人の顔」における苦み走ったワルツはショスタコーヴィチにも繋がる深さを持っている。下野の各曲の描き分けは流石の一言である。音の輪郭がクッキリとしていて迷いがない。

酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」。酒井がローム奨学生でもあった京都市立芸術大学在学中の1999年に、京都・国際音楽学生フェスティバル委嘱作品として発表したチェロとピアノのための曲を新たにオーケストラ用に編曲したものである。「箱根八里」や「さくらさくら」という民謡・童謡が用いられている。叙情的な楽曲であるが、酒井作品の本来の味わいはもっと先鋭的であり、酒井が終演後に「ああいう曲を書く人だと思われると困るな」と話しているのが耳に入った。

このコンサートは客席に有名人が多い。開演5分前に、「えー? 席どこ?」という感じで席を探している可愛らしい顔のお嬢さんがいるなと思ったら、萩原麻未さんであった。萩原さんはやはりというかなんというか成田君の隣の席だったようだ。なお、二人とも新幹線で今日中に帰る必要があるようで、前半が終わると帰って行った。
休憩時間にロビーに出ていると、井上道義がふらふら歩いているのが目に入る。その後、オペラ歌手と思われる女性を相手になにやら熱く語っていた。

後半、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャル・ハイライト版。演出:田尾下哲(たおした・てつ)、構成:新井鷗子、衣装:半田悦子、映像:田村吾郎、絵画:牛嶋直子、照明:西田俊郎。出演:木下美穂子(蝶々夫人)、坂本朱(さかもと・あけみ。スズキ)、宮里直樹(ピンカートン)、大山大輔(シャープレス)

オーケストラスペースの背後に段を置いて二重舞台とし、背景にスクリーン幕が下がる。ここに牛嶋直子の絵が投影される。日本語字幕は使用されず、朝岡聡がストーリーを説明してから場面が演じられる。ただ字幕がないので、詳しいセリフはわからない。「蝶々夫人」は何度も観ているオペラだが、セリフをすぐに思い出せるわけではない。
1時間以内に纏める必要があるということで、ピンカートンが現地妻を持とうという時の傲慢な態度、蝶々夫人とピンカートンの愛の二重唱、「ある晴れた日に」、花びらを撒く蝶々さんとスズキ、蝶々さんの自決と終幕など、駆け足での展開である。
歌手がステージ上のオーケストラより後ろにいるためか、声の通りが今ひとつに思えたところもあったが、全体的に歌唱は安定している。ただ女声歌手はともに声が細めのため、出番の短い男声歌手二人の方が存在感があるように感じた。上演上の制約の結果でもあるだろう。

下野の指揮はドラマティックにして色彩豊かで雄弁。遺漏のない出来であった。



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2018年4月19日 (木)

コンサートの記(373) 下野竜也指揮 京都市交響楽団第505回定期演奏会

2007年10月12日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団(京響)の第505回定期演奏会に接する。今日の指揮者は下野竜也。ソリストとして、若手ピアニストの小菅優(こすげ・ゆう)が登場する。
曲目は、J・S・バッハ作曲、レスピーギ編曲の「パッカサリアとフーガハ短調」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、フランクの交響曲ニ短調。

前にも何度か書いたが、下野竜也は1969年生まれの若手指揮者。鹿児島に生まれ、県下有数の進学校である甲南高校を卒業。ここで普通なら大都市にある音大を目指すところだが、下野は地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入っている。鹿児島大学の音楽科にも指揮専攻はあるが、有名指揮者が教えているわけではない。あるいは下野はこの時点ではプロの音楽家を目指していなかったのかも知れない。鹿児島大学卒業後、桐朋学園大学音楽学部付属指揮教室で本格的に指揮の勉強を始め、イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事している。ちなみに、先日、名古屋フィルを指揮してシベリウスの名演を聴かせたハンヌ・リントゥもキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事しており、二人は同門ということになる。
大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)の指揮研究員となり、1999年に大フィルを指揮してデビュー。2001年のブザンソン国際指揮者コンクールに優勝して脚光を浴びる。昨年、読売日本交響楽団の正指揮者に就任している。

西郷さんのような体格で、ニコニコと笑みを浮かべながら棒を振る様は、クマのぬいぐるみが指揮しているようで可愛らしいが、実力は確かである。


指揮者はみな、自分自身の音色を持っているが、下野の音は若手にしては渋め。「パッカサリアとフーガハ短調」は、弦の渋い音色と、管の華やかな色彩をともに生かした演奏だった。
ポディウム席で聴いていたのだが、パイプオルガンを使う曲だったので、ポディウム席の真後ろにあるパイプオルガンの低音が床を小刻みに揺らす。音楽とは振動であり、振動で音を感じるというのも私自身は好きである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ソリストの小菅優は1983年生まれ。9歳の時に渡欧し、以後、ずっとヨーロッパで音楽教育を受け、活動を続けている。日本人の若手女流ピアニスト(といってもヨーロッパでの生活の方が長いので、正真正銘の日本人ではないのかも知れないが)の中で最も脚光を浴びている一人である。

小菅は立体的な音を奏でる。一音一音が美しく、また音に風景が宿っているような、想像を喚起する力がある。
下野の指揮も小菅に合わせて非常に爽やか。ベートーヴェンではなく、モーツァルトのピアノ協奏曲を聴いているのではないか、と錯覚するほどであった。
渋い第2楽章では、小菅、下野ともに落ち着いた音色で演奏。曲想の描き分けが鮮やかだ。

ソリストにも様々なタイプがあって、完全に自分の世界に入ってしまう人もいるが、小菅はそれとは正反対。下野の指揮棒を常に意識し、オーケストラだけが演奏する場面では、京響の団員とアイコンタクトを図っていた。オーケストラにも好まれるタイプのピアニストである。

アンコールは2曲。いずれもショパンの「24の前奏曲」より第3番と第7番。なお、京都コンサートホールの、今日のアンコール曲目を知らせるホワイトボードには、なぜか「ショパン 前奏曲第3番、第5番」と書かれていた。
ちなみにショパンの前奏曲第7番は、世間では太田胃散のCM曲として認知されているあの曲である。

小菅優が出演する割には客の入りは少なかったが、若い人が多く聴きに来ており、休憩時間や終演後に、「(小菅優と)同世代だし応援したいよね」という話がそこかしこで聞こえたのが心強い。


フランクの交響曲ニ短調。尻上がりの演奏であった。京響は、金管が極めて優秀。輝かしい音色で鳴り渡る。下野の指揮は全般的には良かったが、切迫感が欲しい場面での迫力が今一つ。下野も、コンサートマスターのグレブ・ニキティンも顔を真っ赤にしての力演なのだが、その割には出る音に緊張感が足りない。
一方、優雅な曲想のところでは、丁寧な演奏で魅せる。どちらかというと淡彩の演奏で、もっと濃い音を出しても良いと思うのだが、あっさりしている方が日本人には合っているのかも知れない。

第2楽章演奏終了後、誰かの時計のアラームが鳴り始める。しかも長い間止まない。下野はアラーム音が消えるのを待っている。ようやくアラーム音が消え、下野はニコリと微笑んで指揮棒を振り始める。第3楽章(最終楽章)は金管の大活躍もあって素晴らしい演奏となった。


指揮者としてのポストは東京で得た下野だが、大阪フィルとの繋がりも強く、来年4月から京響の常任指揮者となる広上淳一に師事したこともあるようなので、今後も関西で指揮活動を行っていくことだろう。というより絶対に行って欲しい。

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2018年4月16日 (月)

コンサートの記(372) 「漆原朝子のウィーン紀行」2007

2007年6月7日 大阪・淀屋橋の大阪倶楽部4階ホールにて

大阪へ。午後7時より、大阪倶楽部4階ホールにて、漆原朝子のヴァイオリン、三輪郁のピアノによる室内楽コンサート「漆原朝子のウィーン紀行」を鑑賞。
ヴァイオリンの漆原姉妹の妹である漆原朝子は1966年生まれ。東京藝術大学附属高校、東京藝術大学に学び、ジュリアード音楽院に留学。1988年に東京でデビュー。同年秋にはニューヨークでリサイタルを行い、絶賛されている。
年を取ってもなお……、いやいや、長いキャリアを誇りながらもチャーミングな容姿で人気の漆原朝子だが、得意レパートリーは、シューマン、ブラームス、シューベルトなど渋めである。高音の煌めきよりも、低音の豊かさが魅力のヴァイオリニストである。

「漆原朝子のウィーン紀行」というタイトル通り、ウィーンで活躍した作曲家の作品を並べたプログラム。モーツァルトの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」K.376(モーツァルトの時代には、ヴァイオリン・ソナタの主役はまだピアノだったのである)、シューベルトのヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第2番、ウェーベルンのヴァイオリンとピアノのための4つの小品、クライスラーの「愛の悲しみ」、シューベルトの「幻想曲」D.934が演奏される。ウェーベルンが入っているというのが渋い。

会場となった大阪倶楽部は、大正13年(1924)竣工の名建築(国登録有形文化財)。大阪倶楽部は、大正時代に英国風の本格的社交クラブとして創設されている。会員制であり、普段は非会員は建物に中に入ることは出来ないのだが、今回は特別に入ることが出来る。ただし2階、3階は立ち入り不可。
4階のホールは、京都芸術センター(旧・明倫小学校)の講堂内によく似た作りである。

漆原のヴァイオリンはモーツァルトには余り向いていないようで、煌びやかなモーツァルトは味わえない。逆に三輪郁のピアノはモーツァルトが演奏が最も良かった。
モーツァルト以外の曲はいずれも優れた演奏。特にシューベルトの2曲は漆原の解釈の深さが感じられる秀演であった。
漆原朝子は可愛らしい顔をしているが、ひとたびヴァイオリンを構えると芸術家の顔に変貌する。それが印象的であった。

アンコールは2曲。いずれもクライスラーの作品で、「ウィーン風小行進曲」と「愛の喜び」が演奏された。

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2018年4月15日 (日)

コンサートの記(371) ダミアン・イオリオ指揮 京都市交響楽団第622回定期演奏会

2018年4月13日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第622回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は初来日となるダミアン・イオリオ。

イタリア人とイギリス人の間に生まれたダミアン・イオリオ。曲目は、彼が生まれ育ったイタリアを代表する作曲家であるレスピーギのローマ三部作。ローマ三部作を一度に演奏する場合は、最もドラマティックな「ローマの松」をトリに置くことが多いのだが、今回は、作曲されたのと同じ「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭」の順で演奏される。

イオリオはイギリスのロイヤル・ノーザン・カレッジ・オブ・ミュージックとアメリカのインディアナ大学で音楽を学び、ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタート。デンマーク国立放送交響楽団のヴァイオリン奏者を務めた後、サンクトペテルブルク国立音楽院で指揮を学び、欧米各地のオーケストラに客演、オペラでも活躍。オペラ指揮者としては出自をたどるようにイギリス、イタリア、ロシアの作品を得意としているようである。ロシアのムルマンスク・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者を経て、現在は英国のナショナル・ユース・ストリング・オーケストラの音楽監督とミルトン・キーンズ・シティ・オーケストラの音楽監督を務めている。ポストから見ると特筆すべきことはないようである。今後は、パリ・オペラ座でムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」を指揮する予定があるようだ。

プレトークに登場したイオリオは、自分がローマで育ち、現在はイタリア北部に住んでいること、ローマ三部作で描かれた場所によく行ったことなどを話す。更にレスピーギの特徴として若い頃にサンクトペテルブルクの劇場(現在のマリインスキー劇場の前身)でヴィオラ奏者として働いており、ロシアの音楽に影響を受けたということを挙げる。そのためレスピーギの音楽にはロシア音楽の影響が感じられるという。「どこかは明かしませんが」とイオリオは言ったが、例えば「ローマの祭」の主顕祭にストラヴィンスキーからの影響を聴き取るのは簡単である。
イオリオは独特の編成についても語り、マンドリンやラチェット(ガラガラと鳴る楽器)、特殊な打楽器、ピアノしかも連弾であることなどを紹介する。

レスピーギは1879年生まれであるが、1880年前後の生まれのイタリアの器楽作曲家はイタリア国内で特別視されているという。レスピーギの他にカゼッラやマリピエロなどがいるが、レスピーギ以外は忘れられた人が多いとイオリオは語る。イタリアではなんといってもオペラ作曲家が重視されるということも大きいが、政治的な問題もあり、ムッソリーニと対立したマリピエロなどは作品自体が抹消されたような状態になったそうである。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今期の京都市交響楽団は、少なくとも今のところはコンサートマスターは泉原一人体制で行くようで、尾﨑もアシスタント・コンサートマスターから変更なしである。第2ヴァイオリンの首席も空位のままで今日は首席客演として白井篤が入る。
今日は編成が特別ということで客演奏者が多い。打楽器に7人が加わった他、ホルンには元京響奏者で現在は日本センチュリー交響楽団首席ホルン奏者の水無瀬一成が参加し、オルガンには関西ではお馴染みの桑山彩子が加わる。「ローマの祭」のマンドリン独奏は大西功造。

交響詩「ローマの噴水」。ローマ三部作は今年に2月にフェスティバルホールでアンドレア・バッティストーニ指揮大阪フィルハーモニー交響楽団による演奏を聴いたばかりだが、レスピーギを演奏するには明るい音色を発する京響の方がずっと向いている。イオリオは明快なだけでなく洒落た音色を京響から引き出す。立体感も抜群であり、京都コンサートホールの音響も演奏にプラスに働く。

交響詩「ローマの松」。イオリオは輝きよりも浮遊感を重視。レスピーギが印象派の影響を受けていることがよくわかる。京響は音の輝き、迫力、バランス全てが上質。レスピーギを演奏するには理想的な響きを奏でていた。

「ローマの松」を聴いたらコンサートが終わりというイメージがあるので、続きがあるのが不思議だが、トリは交響詩「ローマの祭」。イオリオと京響は情感豊かな演奏を展開。ベルリオーズやリムスキー=コルサコフと並んで三大オーケストレーションの名手に数えられるレスピーギだが、本当に情景が目に見えるような巧みな描写が音によって繰り広げられた。

ローマ三部作は3曲通してもCD1枚に収まってしまうため、それだけで演奏会を行うと少し短い。ということでなのかどうか今回はアンコール演奏がある。同じくイタリアの作曲であるポンキエッリの「ジョコンダ」より“時の踊り”。愛らしさ、荘重さ、熱さを兼ね備えた演奏であった。



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2018年4月12日 (木)

コンサートの記(370) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第517回定期演奏会「尾高忠明音楽監督就任披露演奏会」

2018年4月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第517回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はこの4月から大阪フィルの第3代音楽監督に就任した尾高忠明。「尾高忠明音楽監督就任披露演奏会」と銘打たれている。

4月ということで、プログラムには須山暢大(すやま・のぶひろ)の新コンサートマスター就任が発表されているほか、ホルンの和久田有希、トランペットの高見信行、トロンボーン・トップ奏者の福田えりみの3名の新入団、一方、トップ・クラリネット奏者のブルックス・ストーンが3月31日付けで退団したとの知らせもある。

曲目は、三善晃のオーケストラのための「ノエシス」とブルックナーの交響曲第8番(ハース版)

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。大編成のブルックナーに特殊な編成の「ノエシス」ということで客演奏者が多い。客演ホルンには名手として知られる安土真弓(あんづち・まゆみ。名古屋フィルハーモニー交響楽団首席ホルン奏者)の名前も見える。

三善晃のオーケストラのための「ノエシス」。丁度40年前の1978年に尾高忠明の指揮によって初演された曲である。
チェロの独奏に始まり、次第にカオスへと発展する、いかにも現代音楽的な曲だが、途中で打楽器が盛大に打ち鳴らされ、熱い響きへと変わっていく。なかなか面白い曲である。

ブルックナーの交響曲第8番。
この曲は最近では第九やマーラーの「復活」などと共に節目で演奏される曲となっている。大植英次が大フィル音楽監督として最後に取り上げたのもこの曲であり、昨年は下野竜也が広島交響楽団音楽総監督就任記念の曲として取り上げている。
朝比奈隆の時代は「大フィルといえばブルックナー」といわれたものだが、第2代音楽監督の大植英次、昨年の3月まで大フィルの首席指揮者を務めた井上道義とマーラー指揮者が大フィルのシェフの座にあり、二人ともブルックナーは得手とはしていなかった。ブルックナーの交響曲第8番は大フィル史上、シェフしか指揮をしていない曲である。井上道義指揮による大フィルのブル8は実演で聴いたことはないが、井上が京響を指揮したブル9の出来から考えれば名演だったとは思えない。下野はブルックナーを得意としているが、広響を指揮した第8や読響を振った第7を聴いた感じでは、後期の交響曲を指揮するにはまだ若い。一方、尾高はブルックナーの交響曲が日本では「わけのわからない曲」「あんなの音楽なのか」と言われていた頃から積極的に取り組んでおり、日本を代表するブルックナー指揮者である。名演の期待が高まる。

ブルックナーの交響曲第8番は、彼の第7番の交響曲が初めて初演での成功を収めた後で書かれ、現在では最高傑作の呼び声も高いのだが、第7初演での成功を味わった後でもブルックナーの生来の気の弱さは変わらず、第8初演の指揮を任せようとしたヘルマン・レーヴィから拒絶されると例によって「楽曲が悪かったからだ」と改訂に取り組んでしまい、複数の版が残されることになった。

ブルックナーの交響曲は楽譜に書かれたことをそのまま鳴らしただけでは音楽にならず、指揮者が再構築する必要があるのだが、尾高は着実に確実に音を積み上げていく。音を野放図に鳴らしてはならず、いかなる大音響でも抑制が必要、ただ抑制しすぎても音が拡がらないという難しさがあるのだがその処理も万全である。
音も瑞々しく純度が高い。弦と管の編み方も巧みである。関西にはブルックナーを得意とする指揮者は少ない。久しぶりに聴くブルックナーらしいブルックナーであった。

尾高新監督、上々の船出である。

響きは置くとして、周辺も含めた雰囲気の良さではフェスティバルホールは日本一だと思う。レッドカーペットの階段はハレの気分を生みだし、天井の高いホワイエも異空間の味わいがある。大阪フィルもホールの鳴らし方を心得つつあり、音響面でも徐々に充実。そして何より中之島と地の利がある。交通の便も文句なしで、土佐堀川を見ながらの行き帰りも心地よい。



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2018年4月11日 (水)

楽興の時(21) 「テラの音」 at 浄慶寺 Vol.21 ~2つの楽器が奏でるJazzyな夜~

2018年4月6日 京都市中京区の真宗大谷派浄慶寺にて

午後7時から、御幸町通竹屋町にある真宗大谷派浄慶(じょうきょう)寺で、「テラの音(ね)」 Vol.21 ~2つの楽器が奏でる Jazzyな夜~を聴く。
お寺でコンサートを聴くという企画「テラの音」。クラシックの室内楽を行う場合が多いが、今回は久しぶりにジャズの演奏が行われる。

出演は、尾崎薫(男性。ダブルベース)と野間由起(ピアノ)の二人。浄慶寺にはグランドピアノは入らないので、ローランドのキーボードを用いる。

尾崎薫はピアノ教室を営んでいる家に生まれ、幼少時よりピアノを習うが、高校時代にベースに転向。「題名のない音楽会」に出演したこともあるという。現在は関西を中心に活躍している。
野間由起は甲陽音楽学院クラシックピアノコースを卒業。在学中より英国ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスでバレエピアニスト及びグレード試験の伴奏、ミュージカルや合唱団の伴奏などを行い、専門学校や音楽教室のピアノ講師としても活躍している。

曲目は、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」、ドビュッシーの「月の光」、尾崎薫の「機械仕掛けの神殿」、尾崎薫の「光」、野間由起の「猫ハウス」、松任谷由実の「春よ、こい」、グローバー・ワシントンJrの「メイク・ミー・ア・メモリー」、リズ・ライトの「ブルーローズ」、尾崎薫の「浮島」、ショパンのノクターン第2番、尾崎薫の「朽ち果てた祠」、小椋佳の「愛燦燦」

尾崎作曲による曲は不思議なタイトルが付いており、尾崎はその由来を語るが、タイトルと曲の内容はそれほどマッチしていないようにも思える。「機械仕掛けの神殿」は3拍子と4拍子の変拍子である。
全体に8分の6拍子の曲が多い。ショパンのノクターン第2番は元から8分の6拍子だが、野間由起の「猫ハウス」も8分の6拍子で書かれており、「愛燦燦」も8分の6拍子と4拍子の変拍子でアレンジされている。

野間由起が元々はクラシックピアノをやっていたということもあり、演奏もクラシック的な要素が強い。技術面で卓越しているというわけではないが、家庭的な温かい音楽性を持ち味とする二人であった。

アンコールは見岳章の「川の流れのように」。美空ひばりの歌のドラマ性とはまた違った趣がある。


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2018年4月10日 (火)

コンサートの記(369) 「遊佐未森 cafe mimo Vol.18 ~春爛漫茶会~」大阪

2018年4月7日 大丸心斎橋劇場にて

午後5時から、大丸心斎橋劇場で、「遊佐未森 cafe mimo Vol.18 ~春爛漫茶会~」を聴く。遊佐未森の春恒例ライヴ。
cafe mimoはボーカル&ピアノの遊佐未森にギターの西海孝、パーカッションの楠均のトリオでの上演が基本であったが、売れっ子ミュージシャンは多忙ということで、このところ西海孝は不在であったが、今年は久しぶりに戻ってきた。

今年は遊佐未森のデビュー30周年に当たる。ということで、30周年記念ベストアルバムである「PEACHTREE」が発売になったばかりである。

1曲目から、オーディエンスは手拍子を始めるが、最初のうちは4拍子だったものの、その後5拍子6拍子と展開していく曲だったために拍手がやむ。意地でもたたき続けたい人が何人かいたのだが4拍でしか打てないため、拍手が合わないだけでなくバラバラになってしまっていた。国立音楽大学出身だけあって遊佐の曲は単純ではない。

cafe mimoは元々はひな祭りの時期に女性向けとして始まった公演が元になっている。ということで、「桃」という曲が歌われ、「桃といえば」ということで「ネクター」というヴォカリーズの曲も歌われた。ネクターというのは元々は神々のための酒という意味であったという。

cafe mimoでは毎回、カバー曲が歌われるのだが、今回は「PEACHTREE」のレコーディングとジャケット撮影で訪れたスコットランドの情景から連想したというドリーム・アカデミーの楽曲と、更に遊佐未森がドラムスを担当して、矢野顕子の「春咲小紅」が歌われる。

大阪公演のゲストは、太田裕美。太田によると、「70年代のヒット曲映像を見ている若い人からは、え? 太田裕美ってまだ生きてるの? 歌ってるの?」というリアクションを取られることが多くなったという。
「木綿のハンカチーフ」が有名な太田裕美だが、今日はそれは歌わず、「南風 South Wind」、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」、そして太田が遊佐に書き下ろしたという「水色の帽子」が二人で歌われる。「南風」は遊佐が好きな曲としてリクエストしたのだが、「南風」が好きだという人は珍しいそうで、太田によると遊佐は「『南風』のことを好きだと言ってくれた最初の、そしておそらく最後の人」だそうである。
二人が初めて対面したのは、遊佐のデビュー直前だそうで、遊佐未森は大学在学中か卒業してすぐという頃。ということで太田は遊佐の第一印象を「女学生みたい」と感じたそうで、「大丈夫? 東京、よく分かってる?」と思ったそうだ。


なお、大分前のcafe mimoで取り上げられた国立市立第八小学校校歌(遊佐の作詞・作曲)が「PEACHTREE」には収録されている。その時のcafe minoのアンケートに「国立市立第八小学校の校歌をリリースして下さい」と書いたが、なんとかかんとか実現したことになる。

アンコールでは、「おかあさんといっしょ」の4月の曲として書き下ろされた「なないろのしゃぼんだま」のセルフカバーバージョンが本邦初公開という形で演奏された。

遊佐未森は私より10歳年上というわけで、もう結構な年なのだが(大学を卒業してからデビューして30年ということで年はすぐわかってしまうのであるが)高音の声の伸び、そしファルセットが相変わらず美しく、聴いているだけで優しい気持ちになれる時間を過ごすことが出来た。

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2018年4月 8日 (日)

コンサートの記(368) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団第224回定期演奏会

2018年4月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで日本センチュリー交響楽団の第224回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はセンチュリー響首席指揮者の飯森範親。

曲目は、ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、ライネッケのフルート協奏曲(フルート独奏:ワルター・アウアー)、カリンニコフの交響曲第1番。

今日のコンサートミストレスは松浦奈々。

カリンニコフの交響曲第第1番は直前にザ・シンフォニーホールでのセッション録音が行われ、今日の演奏会でもライブ収録が行われる予定である。


ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲。前半は「整えすぎ」という印象を受けたが、ラストに向けて盛り上がっていくライブ的趣向の演奏である。


ライネッケのフルート協奏曲。カール・ライネッケは1824年生まれのドイツの作曲家。ライプツィッヒを拠点として活動し、ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者を務めたほか、ピアニストとしても活躍。晩年にはライプツィッヒ音楽院の院長も務めた。生前はドイツ中にその名声が轟いていたという。

独奏のワルター・アウアーは、現在のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・フルート奏者である。オーレル・ニコレらに師事し、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者を経て、2003年にウィーン・フィルおよびウィーン国立歌劇場の首席フルート奏者に就任している。

アウアーは自信満々で登場。オーケストラが始まると手をかざしたり振ったり指揮者のような動きをする。当たり前であるが飯森範親が指揮者としてちゃんといる。
アウアーは吹き始める前にコンサートミストレスの松浦奈々とフォアシュピーラーの西川茉利奈に、「指揮者よりも僕の音を聴いて付いてきてね」とでもいうように視線を送っていた。第2楽章の冒頭でも同様である。
ということでとにかくアウアーが主役の演奏である。アウアーのフルートは技術こそ完璧とまでは行かなかったものの音楽性がとにかく高くエレガントである。ちょい悪親父風の見た目や振る舞いとは正反対だ。この人はモテるんだろうな。

ライネットのフルート協奏曲であるが、とくにこれといったインパクトはないものの、ロマンティックな香りの漂う良い作品である。

アウアーはアンコールとして、今年が没後100年に当たるドビュッシーの「シランクス」を吹く。完成度の高い演奏だった。


後半、カリンニコフの交響曲第1番。飯森は同じザ・シンフォニーホールで関西フィルハーモニー管弦楽団を指揮してこの曲を演奏している。調べると、もう6年以上前のことである。
レコーディングを行うということで、リハーサルもセッションでも何度も演奏した曲だけにオーケストラの響きもエッジが立ち、コンサート前半とは大違いである。
飯森は強弱を丁寧に付けた演奏を行う。こうすることでオリエントな印象が強まったように感じられた。
金管がやや荒れ気味であるが、ロシアの作曲家であるということを考えればこうした演奏も良いのかも知れない。第4楽章では大きく高揚し、センチュリーで演奏するには熱すぎる解釈とも思えたが、出来自体は充実したものであった。おそらく、録音としても良いものが出来たのではないだろうか。

演奏終了後、飯森は客席に向けてスピーチ。「カリンニコフという作曲家は若くして亡くなっています。34歳。35歳の誕生日を目前にして亡くなりました」「お金にならない仕事ばっかりしていたんですが」「チャイコフスキーに憧れていて認められて」ということで、チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」より“四羽の白鳥の踊り”がアンコールとして演奏される。丁寧な仕上がりであった。

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2018年4月 6日 (金)

コンサートの記(367) サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月12日 大阪・中之島の(旧)フェスティバルホールにて

午後2時から大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団の来日演奏会を聴く。オラモとフィンランド放送交響楽団の来日公演を聴くのは2度目、前回は京都コンサートホールでの公演に接している。

サカリ・オラモは、1965年生まれの指揮者。シベリウス・アカデミーで、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、加えてヴァイオリニストとしても研鑽を積む。かつてはフィンランド放送交響楽団のコンサートマスターだったということもあるオラモ。指揮者としてのデビュー時の相手もフィンランド放送交響楽団だそうで、楽団員達とは古くからの気心の知れた間柄だ。
オラモは、サー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に任命されて一躍脚光を浴びたが、バーミンガム市響のシェフの座(現在の肩書きは音楽監督)からは近く離れる予定で、今後は首席指揮者の地位にあるフィンランド放送交響楽団と、新たに音楽監督に就任するロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を主たる活躍の場にするものと思われる。

フィンランドのオーケストラということで、東京などの公演ではシベリウス作品をプログラムに盛り込んでいるフィンランド放送響であるが、大阪公演ではシベリウスの名は演奏曲目にはない。
ブラームスの「悲劇的序曲」、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」(独奏チェロと管弦楽のための作品だが、今回はトランペットを独奏としたバージョンで演奏する。ソリストを務めるのは、人気、実力とも世界最高のトランペッターといわれるセルゲイ・ナカリャコフ)、ベートーヴェンの交響曲第5番というプログラム。

残響の少ないフェスティバルホールの、ステージから遠い天井桟敷に座ったため、音そのものの美しさを楽しむことは出来なかったが、フィンランド放送交響楽団の高い機能と、オラモの雄弁な指揮を楽しむことは出来た。フィンランド放送交響楽団は20年ほど前の来日公演ではオーケストラの技術がボロボロで、評価も同様に散々だったそうだが、技術面では著しい向上を見せており、解像度の高い音楽を繰り広げる。

ブラームスの「悲劇的序曲」では、ひんやりとした弦と、輝かしい金管の音色の対比が鮮やかであり、オラモの指揮もタイトルに込められた悲劇的な雰囲気を的確に引き出している。

「ロココの主題による変奏曲」で、オラモとフィンランド放送響は更に優れた実力を発揮。ロシア風の冷たく拡がりのある音色から、心からの温もりを感じさせるロマンティックで優しい音色まで、自在に操る様は魔術のようだ。
チェロ独奏のための曲をトランペット(正確にはフリューゲルホルンというトランペットとは微妙に違う楽器)で吹いてしまおうという挑戦は無謀にも思えるが、名手ナカリャコフだけに技術的な不満は感じさせない。しかしチェロに比べるとトランペットはどうしても分が悪い。高度なトランペット演奏技術が求められるわりには聴き映えが今ひとつという点でも損だ。

ナカリャコフは、アンコール曲に超絶技巧を思う存分披露できる「ベニスの謝肉祭」(ジャン・パティステュ・アーバン作曲)を選び、神懸かり的な技術を披露。客席を圧倒する。


メインのベートーヴェンの交響曲第5番では、オラモは理知的な演奏を繰り広げる。大編成による演奏だが、弦楽器のビブラートを抑え気味にするなどピリオド奏法の影響も見られ、良い意味で折衷的なスタイルを採用(配置もヴァイオリンが両翼に来る古典的配置を基本としながら、、コントラバスは舞台上手奥に置くという折衷様式であった)。ベートーヴェンが書いた楽譜を客観的に丁寧に音に変えていく。基本のテンポは速めだが伸縮自在であり、表情も多彩。第1楽章と第2楽章をアタッカで繋いだのも個性的だ。
音楽にのめり込むことはないが、その分、曲の効果を十全に発揮させる計算がなされており、第4楽章冒頭の輝かしさにも瞠目させられた。「秀才によるベートーヴェン」という言葉が浮かぶ名演奏。
まだ交響曲第5番を聴いただけだが、オラモのベートーヴェンはかなり期待して良さそうだ。

アンコールはやはりシベリウス。最近はアンコール曲の定番となった感もある「悲しきワルツ」が演奏された。オラモはピアニッシモの部分を聴き取るのが難しいほど弱い音で演奏してみせる。昨年来日したパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルもアンコール曲として演奏した「悲しきワルツ」で、ピアニッシモを強調していた。この曲のピアニッシモの部分をかなり弱くするというのは流行りなのだろうか。

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