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2019年2月11日 (月)

コンサートの記(522) 広上淳一指揮京都市交響楽団第566回定期演奏会

2013年3月24日 京都コンサートホールにて

午後2時30分より、京都市交響楽団の第566回定期演奏会に接する。今日の指揮者は常任指揮者の広上淳一。

プレトークでは坊主頭にした広上が司会を担当し、京響の女性ヴァイオリン奏者二人にヴァイオリンについて語って貰うという形式を取っていた。広上によるとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はコンサートマスター以外の奏者は、その日によってバラバラであり、昨日前列で弾いていた奏者が今日は後列で弾くということもあるらしい。ただ普通のオーケストラは座る位置は大体決まっていて、京響もそうだという。
ヴァイオリンというと前列の前の方が腕利きというイメージがあるが、ヴァイオリン奏者によると、後列の方が音を合わせるのが難しいため、腕利きが後列になることも多いという。


ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:クララ=ジュミ・カン、プロコフィエフの交響曲第7番というプログラム。


ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」では、諧謔と歪んだエスプリに満ちた音楽を広上は存分に引き出す。変拍子を2回トントンと跳ねることで処理するなど指揮姿は今日も独特だ。フォルテシモは京都コンサートを揺るがさんばかりに響き渡る。


コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。コルンゴルトがアメリカに渡り、映画音楽を手掛けるようになってからの作品で、映画音楽からの引用が各所に散りばめられているという。

ヴァイオリン独奏のクララ=ジュミ・カンは韓国系ドイツ人。わずか4歳でマンハイム音楽院に入学し、5歳でハンブルグ交響楽団と共演したという神童系ヴァイオリニストである。
カンのヴァイオリンの音色は太からず細からず中道を行く。技術は非常に優れている。
ハリウッド風のやや大袈裟な伴奏を広上と京響はスケール豊かに奏でる。

アンコール。カンはバッハの無伴奏パルティータ第2番よりサラバンドでしっとりとした演奏を聴かせ、パガニーニの24の奇想曲より第17番で超絶技巧を披露する。


メインの交響曲第7番。冒頭の抒情的なヴァイオリンの歌の美しさから惹き付けられる。その後もプロコフィエフ特有のユニークでパワフルな音楽を広上と京響はクッキリとした輪郭で奏で続けた。文句なしの名演である。

定期演奏が9月から始まるのは日本ではNHK交響楽団などいくつかの団体だけで、大抵のオーケストラは3月でシーズンが終了する。ということで、今年も卒団者を送り出す。37年間、ヴィオラ奏者として在籍した北村英樹の退団式があり、北村は花束を受け取った。

その後、プロコフィエフの交響曲第7番のラストをアンコール演奏してコンサートはお開きとなった。

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2019年2月10日 (日)

コンサートの記(521) ロベルト・フォレス・ベセス指揮 NHK交響楽団演奏会京都公演2019

2019年2月1日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後7時からロームシアター京都メインホールで、NHK交響楽団演奏会京都公演を聴く。指揮はロベルト・フォレス・ベセス。

NHK交響楽団の京都公演は、京都コンサートホールを使うことが多かったが、今回初めてロームシアター京都メインホールが用いられる。東京のオーケストラでは日本フィルハーモニー交響楽団が毎年ロームシアター京都メインホールで演奏会を行っているが、それに次ぐ登場である。


指揮者のロベルト・フォレス・ベセス(ヴェセス)は、スペイン出身の指揮者。バレンシアの生まれだが、フィンランド・ヘルシンキのシベリウス音楽院でレイフ・セーゲルスタムに師事して指揮を学び、2006年のオルヴィエート指揮者コンクールと2007年にはルクセンブルクのスヴェトラーノフ国際指揮者コンクールで入賞を果たしている。現在はフランスのオーヴェルニュ室内管弦楽団芸術・音楽監督の座にある。


曲目は、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:ソン・ヨルム)、ドヴォルザークの交響曲第7番。


今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。オーボエには定年退職が迫る茂木大輔。N響首席オーボエ奏者としての茂木さんを生で見るのは今日が最後かも知れない。第2ヴァイオリン首席の大林修子、チェロ首席の藤森亮一、フルート首席の甲斐雅之など、お馴染みのメンバーも顔を揃える。


チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ。
N響の力強さがありありと感じられる演奏である。ロームシアター京都メインホールの音楽特性もあって硬質の響きであるが、キビキビとした音運びや、質の高い合奏力など、N響の美質が存分に生かされている。
フォレス・ベセスの指揮は若々しくエネルギッシュである。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
ソリストのソン・ヨルムは、韓国の若手演奏家の中で最も将来有望とされている女性ピアニスト。11歳の時に「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」で2位入賞、2011年のチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門でも2位に入っている。オバーリン国際ピアノコンクールとエトリゲン国際青少年ピアノコンクール、ヴィオッティ国際音楽コンクール・ピアノ部門ではいずれも史上最年少で優勝。韓国芸術総合学校を卒業後、ハノーファー音楽舞台芸術大学で学んでいる。

ソン・ヨルムのピアノはスケールが大きく、音色よりも輪郭の明晰さで勝負するタイプである。メカニックは高度で、表現力も高い。パウゼを長く取るのも個性的である。
フォレス・ベセス指揮のN響もパワフルな伴奏を聴かせる。

ソン・ヨルムのアンコール演奏は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より中国の踊り(ミハイル・プレトニョフ編曲)。原曲ではファゴットで吹かれる低音と煌びやかな高音が印象的なチャーミングな演奏である。


ドヴォルザークの交響曲第7番。
全般的に純音楽的な解釈による演奏で、スラブ的なローカリズムは余り感じられないが、上質の演奏芸術を味わうことが出来る。N響のアンサンブル能力や表現力は高く、マスの響きで聴かせる。これがヴィルトゥオーゾ・オーケストラを聴く愉しみなのだろう。


アンコール演奏は、シベリウスの「悲しきワルツ」。遅めのテンポでスタートし、アッチェレランドで盛り上がる。オペラも得意とするというフォレス・ベセスらしい物語性豊かな演奏であった。


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観劇感想精選(289) 「ホロヴィッツとの対話」

2013年3月13日 イオン化粧品シアターBRAVA!にて観劇

午後7時から、イオン化粧品シアターBRAVA!で、「ホロヴィッツとの対話」を観る。三谷幸喜:作・演出。出演:渡辺謙、段田安則、和久井映見、高泉淳子。ピアノ演奏:荻野清子。

20世紀最高のピアニストの一人と言われながら、奇行の数々や長期にわたる活動停止、キャンセル魔として、「幻のピアニスト」とも呼ばれたウラディミール・ホロヴィッツ(段田安則)と夫人のワンダ(高泉淳子)、そのピアノ調律師のフランツ・モア(渡辺謙)と妻のエリザベス(和久井映見)による四人芝居である。

1978年のある日、ホロヴィッツはピアノの調律師を務めてくれているフランツ一家の夕食を訪ねることになる。その一夜の物語である。フランツには二人の息子と一人の娘がいるが、息子二人はホロヴィッツの来訪を嫌って他所に行ってしまい、娘のエレンは中耳炎の発作により自室で寝込んでいる。

ホロヴィッツは偏食家で、アルコールは一切受け付けず、エヴィアンしか飲まないのだが、フランツが行った店にはエヴィアンは1本しかなく、仕方が無いので他はボルヴィックにしたという。

ホロヴィッツの妻ワンダは、20世紀前半を代表する大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニであり、父の血を継いだのかかなり強気な性格である。

エリザベスはホロヴィッツとワンダに料理を振る舞おうとするのだが、エリザベスが提案したスパゲティをホロヴィッツは嫌がり、ヴェルミチェッリが食べたいという。更にムール貝を嫌う。
ワンダはワンダで、勝手にフランツの家のリビングの模様替えを始めてしまい……。

「今回は笑わせます」と三谷は宣伝していたが、腹を抱えて笑うような場面はなく、小技でちょっとずつ笑わせるというタイプ。基本的にはコメディではあるが内容はシリアスである。

キーパーソンは、舞台上に登場しない、ホロヴィッツとワンダの娘であるソニア。ホロヴィッツを父に、トスカニーニを祖父に持つ彼女は、早くからピアノやヴァイオリンの稽古を始めたが、ものにならず、絵画や詩作へと分野を広げるが、トスカニーニが亡くなったのと同じ年、22歳の時のバイク事故を起こし(バイクで電柱に激突したのだがブレーキを踏んだ形跡はなかったという)、植物人間状態を経て24歳で亡くなっている。偉大な父と祖父を持つ重圧、苦悩が示されている。同時にそうした無言の圧力を娘に掛けたホロヴィッツは「ソニアは私が殺したようなものだ」と言う。

一方で、フランツの三人の子供はその後、幸せな人生を過ごしている。天才の子と凡才の子の対比がここでなされている。

フランツは第二次大戦で兄と弟を亡くしており、死の影が暗く舞台を覆う。その重苦しさを跳ね返すのがフランツの三人の子供であり、ホロヴィッツという得意なキャラクターだ。

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2019年2月 8日 (金)

コンサートの記(520) 準・メルクル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第466回定期演奏会

2013年3月1日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第466回定期演奏会を聴く。今日の指揮はNHK交響楽団への客演で日本でもおなじみの準・メルクル。知らない方のために書いておくと、準・メルクルは1959年、ミュンヘン生まれのドイツの指揮者。父がドイツ人、母が日本人のハーフで、準というファーストネームの漢字は物心ついてから自分で決めたという。

NHK交響楽団には毎年のように客演しており、力があるものしか指揮台に立てない年末の第九を指揮したこともあるし、AltusレーベルにはNHK交響楽団とのレコーディングも行っている。また、最近では廉価盤レーベルの雄NAXOSにリヨン国立管弦楽団と「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音して好評である。


プログラムは、ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:イングリット・フリッター)、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」抜粋。「ニーベルングの指輪」はロリン・マゼールのように編曲して管弦楽組曲として演奏する場合もあるが、今回はワーグナーのスコアには手をつけず、要所要所を抜き出して繋いだものだという。実際、有名な「ワルキューレの騎行」も結末のある管弦楽曲版ではなく、そのまま「ヴォータンの告別」に繋げていた。


シューマンのピアノ協奏曲。イングリット・フリッターは1973年生まれ、ブエノスアイレス生まれという、マルタ・アルゲリッチを思わせるような出身地を持つ女流である。

そのフリッターの弾くシューマンはリリカルではなくエモーショナル。指よりも心で弾くピアノだ。表現も音の強弱も幅が広い。

メルクル指揮する大阪フィルも情熱的な伴奏でフリッターの演奏に応えた。
フリッターはアンコールとしてショパンの夜想曲第19番を演奏した。センチメンタルな曲調ではあるが、フリッターのピアノには独特の情熱があり、諦観のようなものは窺えない。


メインのワーグナー楽劇「ニーベルングの指輪」抜粋。「ラインの黄金」より序奏、神々のニーベルハイム下降の場の音楽、「ワルキューレ」からワルキューレの騎行、ヴォータンの告別より、「ジークフリート」からジークリートと大蛇ファーフナーの戦い~ファーフナーの死、「神々の黄昏」から夜明けとジークフリートのラインへの旅、ジークフリートの死と葬送行進曲、ブリュンヒルデの自己犠牲(後半)と終曲という構成である。

メルクルは冒頭の序奏の夜明けの場面から音を丁寧に重ね(コントラバス、ファゴット、ホルン、ワーグナーホルン)、暗い音から華々しい金管へと音が移行することで徐々に夜が明けていく部分を丁寧に作る。ドイツの歌劇場で鍛えたメルクルだけに、このあたりの表出力は流石である。大フィルも重厚でかつ洗練された音でメルクルの指揮に応える。有名な「ワルキューレの騎行」は爽快であるが、決して悪のりはしない。「ジークフリートの死と葬送行進曲」も自然な悲しみが滲み出ていた。

全曲を通して50分ほどの版であるが、長さを感じさせない見事な演奏であった。メルクルと大フィルの高い集中力の賜物であろう。

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2019年2月 7日 (木)

観劇感想精選(288) 「テイキングサイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」

2013年2月23日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「テイキングサイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」を観る。「ドレッサー」「想い出のカルテット ~もう一度唄わせて~」の劇作家、ロナルド・ハーウッドの筆による作品。テキスト日本語訳:渾大防一枝、演出:行定勲。出演:筧利夫、福田沙紀、小島聖、小林隆、鈴木亮平、平幹二朗。

20世紀を代表する指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの第二次大戦中のナチ協力疑惑の取り調べを描いた、クラシックファンにとってはかなり有名な作品である。ただ、クラシックと歴史のことがわからないと内容把握はまず困難だと思われ、そのためか、後ろの方の席は空席が目立った。


ベートーヴェンの交響曲第5番第4楽章が鳴り響く中で劇は始まる。

1945年、第二次大戦後のベルリン。連合国側の米軍少佐、スティーヴ・アーノルド(筧利夫)は、非ナチ化審議に於いて、ドイツを代表する指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラー(平幹二朗)がナチ党員だったのではないかという疑いを持ち、予備審議を行うことにする。協力者は若いドイツ人のエンミ・シュトラウベ(福田沙紀)。エンミの父親はヒトラー暗殺計画を企んで処刑されたが、ヒトラー亡き今ではドイツ人から英雄視されている。スティーヴは音楽に対する教養はまるでないが、異常な記憶力の持ち主であり、見聞きしたことは全て忘れないという異能者である(どことなくAIを連想させる人物である)。

一方、エンミはドイツ音楽の愛好家であり、フルトヴェングラーを尊敬している。ベートーヴェンが好きで、特に好きなのは交響曲第8番。

フルトヴェングラーに対する取り調べの前に、スティーヴは、フルトヴェングラーが音楽監督を務めていたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者、ヘルムート・ローデ(小林隆)を呼ぶ。ローデは、フルトヴェングラーがナチ嫌いだったと語り、ヒトラーの御前演奏の前に、ヒトラー対する敬礼をしない工夫として、指揮棒を持ったままステージに上がるようフルトヴェングラーに進言したことがあると伝える。指揮棒を持ったまま敬礼をすると、最前列に座ったヒトラーの目を指揮棒の先端が刺してしまう。だから敬礼をしなくていいのだと。
しかし、スティーヴはフルトヴェングラーがヒトラーの御前で演奏したこと、また、ヒトラーとフルトヴェングラーが握手している写真を示し、ヒトラーとフルトヴェングラーが懇意であったのではないかと疑う。ヘルムートは、それはヒトラーが勝手に壇上に上がりフルトヴェングラーの手を取ったまでで、その場にいたカメラマンがそれを撮影したに過ぎないと疑惑を否定する。

エンミもまた、フルトヴェングラーが多くのユダヤ人演奏家(ヨーゼフ・クリップス、アーノルド・シェーンベルクの名が含まれる)の亡命に協力した事実を告げる。

スティーヴの元に新たに赴任した、デイヴィット・ウィルズ(鈴木亮平)は、ハンブルク生まれのユダヤ人で、ユダヤ人迫害を避け、アメリカに亡命。姓もユダヤ風のものからWASP風のウィルズに改姓している。ウィルズは、フルトヴェングラーが世界最高の指揮者であるとし、スティーヴに対してフルトヴェングラーの無実を訴える。

そんな中、タマーラ・ザックスという女性(小島聖)が尋問室にやって来る。タマーラは自身はドイツ人で旧姓はミュラーだが、ワルター・ザックスというピアニストに惚れて結婚。ワルターはピアノの腕をフルトヴェングラーに認められ、パリにザックス夫妻が亡命するための手続きを行ってくれたという。しかし、パリはナチスドイツ軍により陥落、ワルターは収容所に送られ、命を落としたという。だが、タマーラはフルトヴェングラーがかつての夫のためにしてくれたことを深く感謝しており、フルトヴェングラーがいかにユダヤ人に親切で、慈悲深い人であったかを切々と語る。

そしていよいよ本物のフルトヴェングラーが現れる。フルトヴェングラーは自分がナチに協力したことはないと断言し、二度もナチス党員になった若い指揮者(ヘルベルト・フォン・カラヤンのことである)が演奏活動を再開しているのに、なぜ自分が公的な音楽活動が出来ないのかと不満を語る。ヒトラーの御前演奏も、ヒトラーの誕生日の演奏も、ヨーゼフ・ゲッペルスやヘルマン・ゲーリングの根回しがあり、断ることは自分の力では不可能だったのだと告げる。また、ナチスが政権を取った1933年にフルトヴェングラーはナチスへの嫌悪からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を辞任しており(のちに復帰)、またユダヤ人と結婚したドイツ人作曲家、パウル・ヒンデミットの歌劇「画家マチス」が上演禁止になった際、ヒンデミットの擁護を行い、また新聞に「ヒンデミット事件」を寄稿していることを告げる。
第1回の審議は終わり、フルトヴェングラーは尋問室を去る。エンミは自分の好きな交響曲第8番のSPを掛け、第1幕は終わる。


第2幕。ベルリン・フィルの第2ヴァイオリン奏者であるヘルムート・ローデが実はナチ党員であり、自分がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者になれたのも在籍していたユダヤ人奏者が追い出されて欠員が出たからだと告白する。またフルトヴェングラーはヘルベルト・フォン・カラヤンを嫌っていたという事実も口にする。フルトヴェングラーはカラヤンを憎む余り、カラヤンと名前で呼ばず、「K」と呼んでいた。差別的な人であったことは事実だと。また、デイヴィットもフルトヴェングラーが「反ユダヤ」であることを知っていたという(フルトヴェングラーはドイツ音楽至上主義者だった)。しかし、同時にデイヴィットは「反ユダヤ発言をしなかった非ユダヤ人はいない」とも発言する。

ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章アレグレットが流れる中、ナチスの収容所における映像が映し出される。積み重なるユダヤ人の死体。それを押しやるブルドーザー、穴に押し込まれるユダヤ人の遺体。これはスティーヴの夢であった。スティーヴは異常な記憶力の持ち主であったため、このかつて見た嫌な光景を毎晩、夢として見る羽目になっているのである。

フルトヴェングラーに対する二度目の尋問が行われる。ここで、スティーヴは二度もナチ党員になっていながら公的演奏活動(正式には録音のみの活動である)を行っているヘルベルト・フォン・カラヤンの名前を出す。フルトヴェングラーがカラヤンを嫌っていたのは事実であり、カラヤンこと「K」がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者になることを怖れて、ヒトラーの御前演奏会に臨んだのではないかとスティーヴは考える。そしてそれは実際、真実に最も近いであろう。

スティーヴは、ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーが1933年に亡命しているのに、なぜフルトヴェングラーは終戦直前まで亡命しなかったのかについて触れる。フルトヴェングラーは「ワルターもクレンペラーもユダヤ人であり、亡命せざるを得なかったのであり、自分は違う。自分はドイツに留まることでナチスと戦ったのだ」と言い張る。しかし、事実としては「K」がドイツ楽壇に君臨するのを怖れていたのではないかという疑惑が浮かぶ(実際、フルトヴェングラーは最晩年に自身の後任になるベルリン・フィルの指揮者について、「私がベルリン・フィルの指揮者としてふさわしくないと思っている男は一人だけ。あの男です」と暗にカラヤンが後任に抜擢されることを拒んでいる。だが、その後、フルトヴェングラーが怖れたことは現実となる。常任指揮者であったルーマニア人指揮者、セルジウ・チェリビダッケとベルリン・フィルが敵対関係になりつつあったことに加え、ベルリン・フィルのアメリカ・ツアーに同行できる独墺系指揮者がカラヤンしかおらず、そのカラヤンが「もし自分をベルリン・フィルの常任にしないならばアメリカ・ツアーには同行しない」と言ったことで、後任はカラヤンに決まった)。

スティーヴはブルックナーの交響曲第7番第2楽章アダージョのSPをエンミに掛けさせる。そしてフルトヴェングラーに聴く。「この曲は何ですか?」「ブルックナーの交響曲第7番アダージョだ」「誰の指揮ですか?」「誰のかって? 私のだよ」「これが流されたのはヒトラーが自殺した日です。追悼の音楽として」

実際問題として、ヒトラーはカラヤンを嫌っていた。理由はカラヤンは暗譜で指揮するのが常だったが、ヒトラーの御前上演となるオペラで、ソプラノがミスし、カラヤンは譜面を置いていなかったため、十分なフォローが出来ず、ヒトラーは「あの、若いのは何故譜面を持っていないんだ!」と激怒。以後、ヒトラーが愛する指揮者はフルトヴェングラーだけとなる。

スティーヴはヒトラーが愛したのはフルトヴェングラーの演奏であったと告げる。それに対してフルトヴェングラーは、「私はナチのために指揮したのではなく、ドイツ国民のために指揮したのだ」「芸術は中でも音楽は人間の内面を豊かにするために必要だ」と音楽論を展開する。
それに対して、スティーヴは「私生児は何人いますか?」と聞く。フルトヴェングラーの女好きは有名であり、自分の子供が何人いるのか自分でも把握できなかったと言われている。今でもフルトヴェングラーという姓の奴がいたら怪しいと言われるほどだ。

フルトヴェングラーは音楽の神聖さを強調し音楽と政治は無関係だとするが、実際はフルトヴェングラー自身は俗人であり、フルトヴェングラーに対しては批判的でカラヤンを「奇跡のカラヤン」と評した音楽評論家を政治力を用いてソビエト戦線に送ったり、ドイツを離れなかったのも、ドイツ国内のあちこちに愛人がいたからなのではないかと詰め寄られる。フルトヴェングラーはそれでも音楽の素晴らしさを強調するが、「1934年に亡命していたなら」と後悔の言葉を口にし、吐き気に襲われる。ヘルムートとエンミに抱えられながら退場するフルトヴェングラー。デイヴィットはフルトヴェングラーを「堕ちた偶像」と言いながらもフルトヴェングラーこそは世界最高の指揮者であり、あのような取り調べを行うべきではなかったのではないかとスティーヴに意見する。

ベートーヴェンの第九第1楽章が流れる中、劇は終わる。


様々な角度から再検討すると、何が正しくて何が間違っているのか、聖と俗とは何なんなのか、音楽は、そして演劇は我々にとって何をもたらすものなのか。人によって答えは違う、そう、人によって答えが違うからこそ、人生とは奥行があり、芸術とは価値があるのだと認識させられた舞台であった。


上演終了後に、演出の行定勲、デイヴィット役の鈴木亮平によるトークがある。司会は関西テレビの山本悠美子アナウンサー。

まず、「テイキングサイド」を上演することになったきっかけを行定勲が語る。行定勲が「テイキングサイド」の本を受け取ったのは、3.11の東日本大震災発生直後のことだったという。行定勲は映画の撮影をしていたのだが、大震災が起こったため、一度、撮影を全面的に中止にしたという。その後、仕事は再開したが、映画の撮影をするのはこの時期には不謹慎なのではないかという思いがこみ上げてきたし、周りも「不謹慎なのでは」という空気になったという。その時、「テイキングサイド」を読んで、戦後に行われた芸術を巡る審議という内容が、今、自分達の置かれている立場にリンクするのではないかと思い、引き込まれていったという。

また配役では、筧利夫と平幹二朗という、普通は舞台上で同時に観ることが想像しにくい組み合わせであるということから敢えてキャスティングしたという。筧利夫が演じるスティーヴ・アーノルドは芸術音痴で早口というクエンティン・タランティーノの映画に良く出てくるようなキャラクターを意識したという。そのことでセリフも聞き取りにくくなるし(筧利夫は普段使わない用語が沢山出てくる脚本に苦しんだのか、珍しく二回噛んだ)、内容も把握しにくくなるが、それも計算の内だという。

鈴木亮平は、今回のキャストの中で唯一オーディションで選ばれたという。オーディションは普通は数ページの台本によって行われるのだが、今回の作品ではデイヴィットのセリフ全てが渡され、それで審査されることになったそうで、鈴木は「うそーん」と思ったそうだ(行定勲の厳しさは映画界では有名である)。鈴木はカラオケボックスにこもってひたすらセリフを覚えてオーディションに臨み、あまり良い感触は得なかったそうだが選ばれたという。また鈴木は関西出身で、明日は両親と祖母と祖母の友人達が見に来る予定だという。

演技では筧利夫は想像通りの出来であり、平幹二朗はフルトヴェングラー役には残念ながら似合わないように思えた。わがままが過ぎて干され気味と噂の福田沙紀はまずまず可憐な演技を見せ、他の俳優も健闘していたように思う。

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2019年2月 6日 (水)

コンサートの記(519) 湯川潮音 京都ワンマンライブ「odeの向こうに見える景色」@紫明会館

2019年1月19日 京都市北区の紫明会館にて

午後5時30分から、北区紫明通にある紫明会館で湯川潮音の京都ワンマンライブ「odeの向こうに見える景色」を聴く。

今回は、ピアノのフジワラ・マヒト、ヴァイオリンの高原久実、チェロの徳澤青弦(とくざわ・せいげん)のピアノトリオをバックに湯川潮音が歌う。

湯川潮音は、京都では歴史ある建物で歌うことが多く、アートコンプレックス1928(現・GEAR劇場)、京都府庁旧本館、今はなき元・立誠小学校の講堂などで歌っており、今回も国登録有形文化財に指定されている紫明会館(変換したら「指名快感」と表示された。確かにドラフトで指名されたら快感だろう)の3階にある講堂(ホール)でのライブとなる。

紫明会館は、京都師範学校(京都教育大学の前身)の創立50周年を記念して、同校同窓会が建てたものである。昭和7年(1932)竣工。現在は各種団体への貸館も行われている。


「渡り鳥の3つのトラッド」でスタート。次いで「しずくのカーテン」が歌われる。

その後に湯川潮音によるトークがあり、今年は年女であること、ではあるが特に何をしようか決めてないということ、昨日、何十年ぶりかで派手に転倒して左膝を打ち、ズボンが破れ、今も流血の痕が膝に残っていることなどを語り、「今日は歌うことで厄払いをしたい」と抱負を述べた。ちなみに、ピアノでバンマスのフジワラ・マヒトは今日ついていないそうで、新横浜駅で崎陽軒のシューマイ弁当を買ったと思ったらシューマイ単品で、「シューマイばっかじゃん!」と言っていたことや、靴下が穴だらけだったということを湯川が語っていた。ちなみに、フジワラは曲順を間違えるというアクシデントもあり、本当についていないようである。

湯川潮音は、2年前に妊娠と出産を経験したのだが、そのために最近はライブ活動を行えておらず、ヴォカリーズによるアルバム「ode(オード)」も発表したはいいが、生では全然歌えていないということで、今日が初披露となるそうである。

その前に、湯川が初めて英語で作詞したという曲、「What a day it」と、「セロファンの空」に収録された「birch」が歌われ、「ode」の楽曲へと入っていく。

「ode」はsione名義で発表されたヴォカリーズアルバム。全編歌詞なしの作品であり、湯川潮音の美声がいっそう引き立つ上に、その世界観も魅力的である。8分の6拍子による楽曲などは、エンヤの「boadicea」を連想させたりする。声によって築かれる浮遊感溢れるもう一つの現実世界。

その後、「キルト」が歌われ、最後の曲として、新たにリリースされた子守唄アルバム「わたしの子守唄」からの楽曲である「ロッキングホース」が歌われる。良い歌だ。


アンコールは2曲、まずは「○○の子守唄」。寝て欲しい人の名前を注文して貰い、湯川がそれに応える形で名前入りで録音して発送するという楽曲である。これまで子どもだけではなく、親御さん、本人、果てはペットの名前に至るまで注文を受けたそうで、「我ながら大それたことをしてしまったものだ」と思ったそうだが、今日は会場にいる人のリクエストを受けて歌う。

ラストは「ルビー」。聴いているこちらの厄まで祓われていくかのような快感を覚えるコンサートであった。



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コンサートの記(518) 広上淳一指揮京都市ジュニアオーケストラ第8回演奏会

2013年1月27日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで京都市ジュニアオーケストラの第8回演奏会を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者で京都市ジュニアオーケストラのスーパーバイザーである広上淳一。

京都市ジュニアオーケストラは、京都市在住、若しくは京都市内通学でオーディションを勝ち抜いた11歳から23歳までの奏者によって編成された若い人のための非常設オーケストラである。京都市交響楽団のメンバーの指導を受け、更に京都市立芸術大学4回生の大谷麻由美と東京音楽大学大学院2年生の水戸博之によって合奏指導を受けて、広上の指導によるリハーサルを行い公演に臨む。


曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ソリスト:金子三勇士)とショスタコーヴィチの交響曲第5番。いずれも若い人が挑むには難しい曲である。

ピアノ独奏の金子三勇士(かねこ・みゅうじ)は、1989年、日本人の父とハンガリー人の母の間に生まれたハーフ。すでにソリストやピアノ伴奏者として活躍しているが、東京音楽大学大学院に在学中の学生でもある。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ソリストの金子三勇士は、高い技術で表情豊かな演奏を展開。ただ、技術に寄りかかりすぎのきらいがあり、「もっとゆっくり弾いた方が味わいが出るのではないか」と思える箇所がいくつかあった。また自慢の技術であるが、一カ所、明らかなミスタッチがあり、こちらも完璧とはいかなかった。

広上淳一の指揮する京都市ジュニアオーケストラは、憂いを帯びた響きを出し、感心させられる。明らかに技術不足のパートがあったり(どのパートかは内緒。プロでない人にああだこうだ言っても何の得にもならない)、音が薄手の箇所があったりしたが、若さ故にこれは仕方ないだろう。

金子三勇士はアンコールとしてリストの「コンソレーション第3番」を弾く。ロマンティックな曲調に対する金子の感性と高度なテクニックがピタリとはまり、ラフマニノフ以上の出来であった。


ショスタコーヴィチの交響曲第5番。速めのテンポを基調とした新たな発見の多い演奏であった。まず、第1楽章からソビエト当局をおちょくるような仕掛けが隠されていることがわかる。第2楽章は更に露骨である。広上の譜読みの鋭さが窺える。

第3楽章の美しさも特筆事項。これはまさにレクイエムである。

「皮相な凱歌」と「押しつけられた歓喜」という解釈もされる第4楽章であるが、広上も速めのテンポで皮相さを表出した上で更に、「これは凱歌どころか、クールな怒りを表しているのではないか」と聞こえるようなど個性的な演奏が続く。トランペットの華麗なソロは権力者への異議申し立てのように聞こえるし、重苦しい場面はソビエト人民の内面の苦悩を代弁しているように受け取ることが出来る。

この曲の新たな一面を見せつけられたかのような、刺激的な演奏であった。


アンコールでは広上はピアニカ演奏に回り、大谷麻由美と水戸博之のローテーションによる指揮で、ルロイ・アンダーソンの「フィドル・ファドル」が演奏される。時折聞こえる広上のピアニカソロがユーモラスであった。

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2019年2月 5日 (火)

コンサートの記(517) 広上淳一指揮京都市交響楽団第564回定期演奏会

2013年1月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第564回定期演奏会に接する。今日の指揮者は常任指揮者の広上淳一。

ハイドンのトランペット協奏曲(トランペット独奏:ルベン・シメオ)とベルリオーズの幻想交響曲というプログラム。

開演前のプレトークでは、緑色の京響のTシャツを着た広上淳一が、京響トランペット副首席奏者である早坂宏明と共に登場。広上本人がトランペットの専門家ではないので、早坂を連れてきたという。

ハイドンの時代は、今ではナチュラルトランペットと呼ばれる。バルブのない、マウスだけで音程を取る演奏至難なトランペットが当たり前であったが、ウィーンのトランペッターであるアントン・ヴァイディンガーが有鍵トランペットを開発。これに触発されたハイドンは、それまでは演奏不可能だった音を出せるようになったトランペットのための協奏曲を作曲したとしう。

トランペット協奏曲の独奏者であるルベン・シメオはスペイン出身。正真正銘の弱冠、二十歳である。20世紀最高のトランペッターといわれたモーリス・アンドレがその最高に惚れ込み、ただ一人の直系の弟子として育てたという。

シメオのトランペットは輪郭がクッキリしており、力強い。音は輝かしいというより渋めであるが、メカニックは抜群だ。これで深みが出たらいうことなしだが、二十歳で深みを出されたら、それはちょっと出来すぎなので、演奏を楽しむ分には今のままで何の文句もない。

広上指揮の京響は温かく、優しい音楽を奏でる。

演奏終了後、クラリネット奏者や打楽器奏者がバタバタと出てきて、京響とシメオによるアンコール演奏。チャールズ・コーファーの「マカレナ」(ルベンの父親であるホセ・シメオの編曲)。シメオのトランペットはハイドンの時よりも音が鋭く、超絶技巧も難なくこなして聴衆を沸かせた。


ベルリオーズの幻想交響曲。
第1楽章の木管による序奏のあと、主旋律は弦楽に移るのだが、この時点で弦楽の音は妖気に満ちていて不気味であり、背筋がゾッとする。京響の技術は高いが、第1ヴァイオリンの出が一瞬遅くなる場面があった。指揮者と奏者の意思が合わなかったのだろう。

第2楽章の舞踏会でも音に毒があり、ベルリオーズの狂気を至るところで炙り出して、明るく華やかな音楽には終わらせない。

第3楽章では寂寥感の表出が抜群である。ティンパニの思い切った強打も効果的である。

第4楽章「断頭台への行進」はベルリオーズの狂気を全開にした強烈な演奏。弦も管も屈強であり、音響が悪い京都コンサートホールを楽器として鳴らす。終結部に向かう場面での広上のアッチェレランドの容赦のなさには息を呑む。

第5楽章。鐘はステージの後方。パイプオルガンの横に置かれている。激しく熱狂的な演奏であり、この曲の異常さをも同時に表出する。音楽を聴いていて「怖い」と感じたのは久しぶりである。

演奏終了後に、広上は「あけましておめでとうございます」と言って聴衆を笑わせ、京都市交響楽団をこれからもよろしくお願いしますと告げた。

そしてアンコール演奏。定期演奏会には普通はアンコール演奏がないものだが、広上は定期演奏会であってもアンコール演奏をすることがままある。正月ということで、「ピッチカート・ポルカ」を演奏。ベルリオーズの毒を中和するのに効果的な楽しい演奏であった。

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2019年2月 4日 (月)

コンサートの記(516) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2012

2012年4月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、京都市交響楽団大阪特別公演に接する。今日の指揮者は京響常任指揮者の広上淳一。


曲目は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:パヴェル・シュポルツル)、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。

今日の広上は全編ノンタクトで指揮する。


ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番。安定感のある演奏である。京響は弦も管も好調。興奮を煽るような演出こそないが、シャープな演奏である。


ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲。ソリストのパヴェル・シュポルツルはチェコ出身の若手。青いヴァイオリンを用いている。

シュポルツルのヴァイオリンはとても滑らか。技術も高い。天翔るようなヴァイオリンだ。
広上指揮の京響も立体感と重厚感のある立派な伴奏を聴かせる。

シュポルツルは「素晴らしい聴衆」、「みんな優しい」と言い、アンコールとして、ドヴォルザークの「ユモレスク」(オーケストラ伴奏版)、パガニーニの24のカプリースより第5番、J・S・バッハの「ガヴォット」を演奏する。チャーミングな出来映えであった。

メインであるリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。広上淳一が京都市交響楽団の常任指揮者に就任して最初の定期演奏会でメインとして取り上げた曲目である。

京響の響きは堂々としており、且つ美しい。フルートの清水信貴、クラリネットの小谷口直子、オーボエの高山郁子、コンサートマスターの渡邊穣ら奏者達の健闘が目立つ。広上の指揮姿は相変わらずユニークだが、音楽は正統派。立派な「シェエラザード」を聴かせてくれた。


アンコールはドヴォルザークのスラヴ舞曲第3番。楽しい演奏であった。

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2019年1月31日 (木)

コンサートの記(515) びわ湖ホール オペラへの招待 林光 オペラ「森は生きている」(室内オーケストラ版)2019

2019年1月20日 びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで林光のオペラ「森は生きている」(室内オーケストラ版)を観る。原作:サムイル・マルシャーク、訳:湯浅芳子、台本・作曲:林光、オーケストレーション:吉川和夫。指揮とピアノは寺嶋陸也(てらしま・りくや)、演奏は大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(コンサートミストレス:赤松由夏)。美術:増田寿子、衣装:半田悦子。演出:中村敬一。「びわ湖ホール オペラへの招待」として上演されるもの。

開演前に舞台体験コーナーが設けられており、自由に舞台に上がってあちこち見て回ることが出来るようになっている。私も舞台に上がって色々と観察する。


出演は全員、びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーで、宮城島康(みやぎしま・こう)、溝越美詩(みぞこし・みう)、森季子(もり・ときこ)、川野貴之、藤村江李奈、船越亜弥、黒田恵美(くろだ・えみ)、熊谷綾乃(くまがい・あやの)、益田早織、栗原未和(くりはら・みわ)、坂東達也、五島真澄(ごとう・ますみ。男性)。


日本を代表する作曲家の一人である林光(1931-2012)。早くから尾高尚忠に師事し、東京芸術大学に進むも、もう学ぶことはなにもなくなってしまっており、早々に中退してプロの作曲家として活躍を始めている。現代音楽とは距離を置き、旋律のクッキリとした明確な作風が特徴である。オペラシアターこんにゃく座の座付き作曲家としても活動しており、「森が生きている」もこんにゃく座のために書かれたものである。


ロシアの児童小説家であるサムイル・マルシャークの戯曲が原作であり、このオペラも舞台はロシアである。

まず月の精霊たちの集いが描かれた後で、少女(黒田恵美)が森に薪を拾いに来たところから話が始まる。この国の女王様(栗原未和)は少女と同じぐらいの年なのだが、聡明ではあるもののやや子供じみており、とてつもなくわがままである。女王様は真冬であるにも関わらず、「籠一杯のマツユキ草が欲しい」と家臣にねだり、家臣がお触れを出すことになる。薪を拾いに来た少女はどうやら母親や姉と血が繋がっていないようで、いつも冷たくされていた。今日も母と姉から「マツユキ草を摘んでくるよう」命令され、持って帰れないと家には入れて貰えないという仕打ちを受ける。母も姉も少女が死んでも構わないという考えのようだ。
当然ながらマツユキ草を見つけることが出来ず、少女は彷徨う。死を意識して怯える少女だったか、遠くに光を見つける。進んでいくと……。


昔からよくある貧しく不幸な少女の成功を描いた童話である。少女のサクセスストーリーであるだけでなく、女王の悟りと改心の物語でもあり、教訓めいてもいるのだが、子どもや若い人のためのオペラ入門としても優れた作品である。
第2幕冒頭に合唱で歌われる「十二月の歌」は、聴衆も一緒になって歌う、ということで開演前にワークショップのようなものがあり、びわ湖ホール声楽アンサンブルとメンバーと聴衆が一緒になって歌う。無料パンフレットの中に「十二月の歌」の楽譜が記されている。


中村敬一の演出は、紗幕に投影される映像を生かしたもので、わかりやすさと共にファンタジックでメルヘンチックな味わいを加えることにも成功していたように思う。

びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーによる歌唱も愛らしく、漫画的なところのあるこのオペラの展開に相応しいものになっていた。

上演終了後に、「十二月の歌」が再度びわ湖ホール声楽アンサンブルと聴衆によって歌われ、雰囲気の良いまま終わる。びわ湖ホールは、「びわ湖ホール オペラへの招待」などを通してオペラファンを着実に増やしているようだ。



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