カテゴリー「絵画」の23件の記事

2019年1月17日 (木)

2346月日(6) 龍谷ミュージアム 「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ― 特集展示・仏教美術のいきものがかり」

2019年1月9日 龍谷ミュージアムにて

龍谷ミュージアムで今日から始まった「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ― 特集展示・仏教美術のいきものがかり」を観る。
生き物を描いた仏画などを特集展示したものだが、それは3階展示スペースの半分ほどに留まり、ガンダーラ周辺の仏教美術が主となる。

2階展示室の、第1部「アジアの仏教」では、仏立像、仏坐像などの仏像、碑文やサンスクリット語の経典、仏画、中国仏教などの展示があり、3階展示室では第2部の「日本の仏教」と題した日本仏教関連の美術が並んでいる。面白いのは、室町時代や江戸時代に描かれた聖徳太子絵伝に出てくる人々の格好が平安時代風(国風)であることだ。まだ衣装の研究が進んでおらず、往時の装束がわかっていなかったのだと思われる。

龍谷ミュージアムは、浄土真宗本願寺派の龍谷大学の美術館。ということで、浄土宗や浄土真宗の展示が幅を占めている。中でもお家芸である浄土真宗の展示は充実していて、親鸞聖人の坐像(真如苑真澄寺像)や、蓮如筆による「南無阿弥陀仏」の六字名号が展示されていた。

午後3時から、映像スペースで、西本願寺の障壁画に関する約12分の映像が上映される。安土桃山時代に建てられた西本願寺。当初描かれた狩野派の障壁画を、江戸時代中期に円山派が修復した絵が映される。一方、修復されることなく、今ではほとんど判別が出来なくなってしまった「竹虎図」をコンピューター処理で解析し、往時の姿を復活させるプロジェクトも進んでいる。現在は「竹虎図」は修復中で、その姿はCGでしか見られないようだが、今後も作業は進んで、全てが復活する日も来るようである。

特集展示「仏教美術のいきものがかり」。桃山時代に描かれた涅槃図では多くの動物が釈迦の最期を看取っていることが確認出来る。



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2018年12月 9日 (日)

美術回廊(20) 生誕100年「いわさきちひろ、絵描きです。」@美術館えきKYOTO

2018年12月6日 美術館えきKYOTOにて

美術館えきKYOTOで、「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」展を観る。

童話などの愛らしい挿絵でもお馴染みの、いわさきちひろ(1918-1974)。55歳と若くして亡くなっている。

福井県武生市(現・越前市)に生まれ、東京で育つ。東京府立第六高等女学校(現・都立三田高校)卒業後は東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)に進学したいという意志を持っていたが、両親に反対されて断念している。その後、意に染まぬ結婚したが、これは夫の自殺によって幕を下ろした。戦時中は満州などで過ごし、敗戦の衝撃から共産主義へと傾倒。日本共産党の党員となり、共産党宣伝部の芸術学校でも学んでいる。ソ連に渡った経験もあり、同地で描かれたスケッチなども展示されていた。二人目の夫は日本共産党の幹部。

「愛らしい、わかりやすい、色彩豊か」として愛されているちひろの絵だが、こうしたものが共産主義の理想とする芸術に近しいことは確かである。「共産党員なのになんでこんなに可愛らしい絵が描けるんですか?」と聞かれたちひろが「共産党員だから描けるんです」と答えたというエピソードがあるが、ある意味、的確な答えになっている。

絵画の他に書道にも親しんだちひろ。ちひろは左利きだが字は右に矯正している。一方で、絵筆は左手で握ったため、左手で絵を描きながら書を記すということも行っていたそうだ。

和服を着た少女の顔の横に百人一首の歌(「あまつかぜ雲の通い路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめむ」と「あいみての後の心に比ぶれば昔はものも思わざりけり」)を書いた絵や、東歌の「多摩川にさらす手作りさらさらになんぞこの子のここだかなしき」より多摩川に布をさらす少女の絵なども展示されている。気に入ったのだが、絵葉書などにはなっておらず。残念。

高畑勲が、この展覧会の監修を務める予定だったそうだが、実現する前に逝去している。ただ高畑の発案により、ちひろの絵である「子犬と雨の日の子どもたち」を大きく引き延ばしたものが展示されている。淡い色彩のちひろの絵は、水滴から拡がる波紋のように無限の拡張を続けているかのように見える。



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2018年12月 6日 (木)

観劇感想精選(270) 市村正親主演「炎の人」

2009年7月18日 大阪・京橋のシアターBRAVA!にて観劇

午後5時30分から、大阪・京橋のシアターBRAVA!で、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの生涯を描いた舞台「炎の人」を観る。作:三好十郎、演出:栗山民也。1951年に劇団民藝で初演されて大ヒット。日本におけるゴッホブームを生んだともいわれる名作である。

ゴッホを演じるのは市村正親。出演は他に、益岡徹、荻野目慶子、今井朋彦、原康義、さとうこうじ、渚あき、斎藤直樹、荒木健太朗、野口俊丞、保可南、大鷹明良、中嶋しゅう、銀粉蝶。


ベルギーで宣教師をしていたゴッホ(市村正親)は坑夫達のストライキに荷担して、宣教師の資格を剥奪される。画家になることを志したゴッホはオランダの政治都市ハーグで修業し、パリでゴーガン(益岡徹)やロートレックらと交際。ゴーガンにはその絵を「乱暴だが本物だ」と評価されるが、絵は一枚も売れなかった。弟のテオことテオドール(今井朋彦)の援助を受けながら生活し、アルルでゴーガンと共に暮らすようになるゴッホ。しかし、その精神は徐々に異常を来していく……。

ベルギーの場面ではくすんだ色の背景。それがハーグ、パリ、アルルと舞台が変わる毎に背景色は鮮明さを増していく。

劇場の構造故か演技のスタイルのためかセリフがやや聴き取りにくいところがあり、そのことも含めて観るのに集中力を必要とする作品である。

ゴッホになりきった市村正親の演技は、「見事」の一言。

ゴーガンに画才を認められるも絵は一枚も売れず、それでも憑かれたようにキャンバスに向かい続けるゴッホの姿、そしてゴッホを襲う悲劇に心を動かされる。

絵の世界を舞台とする作品ではあるが、認められないまま続ける時代が長く続くということは他の芸術においても、また純粋に人生においても良くあることである。それでも生き続けようという勇気をこの作品から貰った気がする。

第2幕の冒頭で、ゴッホの絵が映像で大写しになる場面があるのだが、アルルの田園風景の陽光のまぶしさが伝わるような、またアルルの跳ね橋の上にいる女性が今にも動き出しそうな、川に拡がる波紋が更に拡がっていきそうな、そうした絵を観ていると、なぜゴッホが生前認められなかったのか不思議に思えてくる。それは運命なのか、神のいたずらなのか。つまるところ、絵画とはエネルギーを描くものだという発想がその時代にはまだなかったということなのだろうか。

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2018年11月17日 (土)

美術回廊(19) 「ムンク展 ―共鳴する魂の叫び」@東京都美術館

2018年11月10日 東京・上野の東京都美術館にて

JR総武線と山手線を乗り継いで、上野へ。

東京都美術館で行われている「ムンク展 ―共鳴する魂の叫び」を観る。

「叫び」で知られるノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク。日本でも特に人気の高い画家の一人である。

ということで、多くの人が押しかけたため、ゆっくりと観る時間は残念ながらない。観ようと思えば観られないこともないのだが、今日は午後5時前に大津のびわ湖ホールに着いていなければならない。ということで、気に入った作品を重点的に観ていくことにする。

展覧会は冒頭と最後にムンクの自画像が置かれている。1枚目はモノクロの写実的なものだが、2枚目からはすでムンクらしい沈んだ雰囲気が出ている。北欧ノルウェーは冬が長く暗い。そうした地理的気候的な影響もあると思われるが、幼くして亡くなった姉の影響も無視出来ないだろう。「病める子」という連作からは死へ向かう幼子への悲哀が面に出ている。グリーグの「オーセの死」(オーセは幼子ではないが)が聞こえて来そうな絵である。
一方で、晩年の自画像は平明で色彩もシンプル。心境の変化が表れている。

「叫び」は有名なので説明は不要だと思われる。日本文学に例えると晩年の芥川龍之介作品的な世界である。

実は同じ構図による「不安」というこれまた有名な作品も横に飾られているのだが、そちらは余り注目されていない。


不吉さはその他の作品にも表れていて、生と死の境にいるような「マドンナ」、異世界へ旅立つ人を描いたかのような「二人、孤独な人々」などが挙げられる。

恋人の別れを描いた作品では、瀕死の表情を浮かべた男と平然としている女の対比が描かれているが、これはムンク自身が愛人に殺されそうになったという事件を背景にしている。
この事件を題材にした作品の中で最もよく知られているのが、「マラーの死」である。フランスのジャコバン派の領袖であったマラーと「暗殺の天使」ことシャルロット・コルデーを描いた作品は様々な画家が手掛けているが、多くの画家がシャルロット・コルデーは「暗殺は行ったが天使」というコンセプトに基づいているのに対し、ムンクは「天使だかなんだか知らないが暗殺者だ!」と告発している。そばで観ると分厚く塗られた絵の具が立体的であり、ある種の威圧感と異様さが観る者に迫ってくる。絵画作品が持つパワーを再認識させられる作品である。

代表作の一つである「生命のダンス」には人生の諸相が一気に迫ってくるような「邯鄲の夢」的テイストがある。


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2018年11月16日 (金)

美術回廊(18) 三菱一号館美術館 「フィリップス・コレクション展」

2018年11月9日 東京・丸の内の三菱一号館美術館にて

東京駅で降り、丸の内にある三菱一号館美術館に向かう。

三菱一号館美術館では、「フィリップス・コレクション展」が開かれている。
俗に「三菱村」と呼ばれる三菱企業ビル集合体の一角に三菱一号館美術館はある。入り口は中庭側にあり、正面側は三菱一号館歴史資料館として公開されている。

三菱一号館は、帝国ホテルなどで知られるジョサイア・コンドルが設計したが、1968年に老朽化のために解体。その後、コンドルの設計図や解体時の実測図などを元に再建され、2009年に竣工、2010年に美術館などを含む複合施設としてオープンしている。

ダンカン・フィリップスがコレクションした作品を展示するするワシントンD.C.の私立美術館、フィリップス・コレクションが保有する作品の展示。ブラック、ピカソ、ゴッホ、セザンヌ、モネ、デュフィ、ドガ、スーラ、ユトリロ、ドラクロアなどの作品が並ぶ。
フィリップス・コレクションは、今年が開設100周年にあたるそうだ。

ペンシルバニア州の鉄鋼王の息子に産まれたダンカン・フィリップス。妻が画家だったということもあり、存命中の画家を中心に多くのコレクションを行い、私邸を増築した美術館を作り上げた。

フィリップスが最も愛した画家はジョルジュ・ブラックだったようである。全体をデザインし、ブロックを積み上げるよう再構成する画風が特徴である。ピカソにも通じるところのあるキュビズムの画家だが、ピカソのようなカオス傾向はなく、整然とした画面を好んでいるようだ。

ピカソの作品は、絵画と彫刻を展示。絵画からはピカソらしいダイナミズムが感じられる。

コレクションの中で少し違った雰囲気をまとっているラウル・デュフィ。「画家のアトリエ」という作品には明るい広がりがあり、密度の濃い作品が多い中で、一種のポップさが見る者を楽しませる。より日常的というべきか。私はこういう絵が好きだ。

ゴッホの「道路工夫」は大胆なエネルギー業者がある。木々が上へと体を伸ばし続けているかのようなダイナミズムが横溢している。
生前、ゴッホがなぜ評価されなかったかというと、「絵はエネルギーを表すもの」などという認識が全くなかったためだと思われる。ゴッホ一人がその可能性に気づいていたのだが賛同者がいなかれば理解はされない。ゴッホが理解されるようになったのは、その手法を更に推し進めたピカソなどが現れたということも大きいだろう。ピカソに比べれば、ゴッホもまだ穏健派だ。

私が好きな画家の一人であるモーリス・ユトリロの「テルトル広場」。乳白色を浮き上がらせつつ、落ち着いた感じが素敵である。普段着で接することの出来るような絵だ。

ワシリー・カンディンスキーの「連続」。案内表示には「楽譜のような」と記されていたが、象形文字的デザインの美しさと、原色を対比させた鮮やかさ、子ども心に満ちた表現力などが観る者を魅了する。

館内には複製を写真撮影出来るコーナーもあり、そこにある絵の中で私が最も気に入ったのが、ハインリヒ・カンペンドンクの「村の大通り」(下の写真を参照のこと)。立体を組み合わせたような意欲的な構図と童話の挿絵のような愛らしさ、温かさが同居している作品である。本物は思いのほか迫力がある。

今日、最も気に入った作品がシャイム・スーティンの「雉」。射殺された雉を描いたものである。スーティンにとって静物画とは単なる静態ではなく命を奪われたものという意味を持っていたそうで、死骸の冷たさが伝わってくるような描写が印象的である。「沈黙に満ちた迫力」と書くべきか。

同じくスーティンの「嵐の下の下校」は、1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻したその日に完成した作品だという。下校する二人の児童を描いたものなのだが、背後の森からからなんとも形容しようのない不吉さが漂っており、大嵐の前の静けさが切り取られているかのような絵である。



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2018年11月 9日 (金)

美術回廊(17) 没後50年「藤田嗣治展」@京都国立近代美術館

2018年10月30日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎の京都国立近代美術館で開催されている「没後50年 藤田嗣治展」を観に出掛ける。
藤田嗣治の展覧会を観るのは、今日で計3回目。そのうちの1度は名古屋で観たため、京都では2度目となる。

エコール・ド・パリを代表する画家の中で唯一の日本人であった藤田嗣治(ふじた・つぐはる)。乳白色を厚く塗った肖像画が人気を博している。

東京生まれ。幼少時を熊本で過ごし、11歳の時に帰京。高等師範学校(現・筑波大学)の附属小学校と中学校を卒業して、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)に入学するも教師から作風を認められず、対立。卒業してから2年後にパリに渡り、同地の画家達と交流して、評価を得るようになる。

第二次大戦が勃発すると藤田は帰国し、請われて戦争画の仕事を始める。しかし戦後になると藤田は戦争協力者と見なされるようになり、日本に失望して再び渡仏。その後、キリスト教の洗礼を受け、憧れのレオナルド・ダ・ヴィンチに由来するレオナールという洗礼名をファーストネームとしてフランスに帰化し、日本に戻ることなく1968年に没した。「私は日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ」という言葉がよく知られている。

この展覧会最初の絵は、藤田が東京美術学校時代に描いた自画像である。黒い背景に不敵な笑みを浮かべた藤田。自らの才気を隠そうとしない若者の姿がそこにある。

その後の藤田の絵だが、とにかく暗いのが印象的である。同じような構図で風景画を描いているユトリロと比較しても憂いの雰囲気が強く出ている。鬱窟とした心をそのままキャンバスに反映したかのような淀んだ印象を受ける。背景が全体的にグレーがかっているのがそうした感覚を生むようである。

パリ時代に描いた自画像が何枚かあり、その中にある赤と青の鉛筆を取り入れた乳白色の自画像は、さりげなくトリコロールを取り込んで「パリで生きる」という決意表明をしているように見える。

その後に、有名な乳白色の時代が来る。この頃に描かれた子どもをモチーフにした絵も何枚か展示されており、元々子どもが好きだったことも確認出来る。

徹底して乳白色を使った 裸婦の絵は、肉体が持つはち切れんばかりの生命力を表しているが、同時に体を陶磁器に置き換えたかのような非現実性も内包している。ある意味、これは理想化された肉体なのだ。
ただ、この裸婦の絵群も、背景を真っ暗にするなど、快活からはほど遠い作風である。

その後、藤田は中南米への旅に出る。メキシコの画壇の影響を多分に受けたようで、この頃に描かれた日本の力士像などは急に顔の彫りが深くなっており、明らかな作風の転換が見られる。メキシコの絵画らしい仄暗さを入れつつ、躍動感に富んだ絵を描いている。

この躍動感が存分に生かされたのが、有名な「闘争(猫)」という絵である。何匹の猫がベッドの上で暴れ回っており、猫達の叫び声が伝わってくるかのような生命力溢れる絵だが、この作品、複数の円を組み合わせた構図を取っており、葛飾北斎の「富嶽三十六景」に代表される浮世絵の手法を積極的に取り入れていることがわかる。この時代の絵には他にも人物を真ん真ん中に描くという、浮世絵的大胆さを持つ作品が存在する。

二次大戦により帰国した藤田。藤田は日記を詳細につけるタイプであったが、1941年から1947年までのものは見つからないか破棄されているという。

ドラクロアを始めとする歴代のフランス画家の影響を受けたダイナミックな戦争画は迫力満点だが、そのことが藤田にとって悲劇となった。

日本を離れ、パリへと向かう途中のニューヨークで描かれたという「カフェ」(下の写真を参照のこと)。この絵で藤田はいきなり作風を変える。藤田の作品に濃厚だった影が姿を消すのである。少なくとも表面上はそう見える。余りの大転換に異様さすら覚えるほどだ。その後の作品もバックライトを当てているような明るいものが続く。この急転は何を意味するのか?

「藤田は本音を封じ込めたのではないか?」

それまで藤田は絵に自己を投影していた。だが、祖国に裏切られたという失望と憤りから、絵には自己ではなく理想を託すようになったのだはないか。自らの本音を覆い隠すために乳白色を分厚く塗り込めたのではないか。そうした想像が出来る。

カトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタとなった藤田は、宗教画を多く描くようになる。そこには子どもが多く登場する。「大人が信じられなくなった藤田は子ども達に夢を託した」、そういわれている。ただ、十字架を背景に不敵な笑みを浮かべている子どもは、若き頃の藤田そのものであり、自身が投影されていることがうかがえる。
ただ、日本のキリシタン殉教者を描いた作品を見ていると、藤田は日本を追われた自分をイエスを始めとする殉教者に重ねていたのではないかと思われるのである。
最後の絵である「礼拝」には藤田自身が登場する。奥行きのあるアーチを背景とした聖女の横に控えるのは藤田と妻の君代である。天使に祝福され、戴冠しようとしている聖女に藤田が何を祈ろうとしているのかははっきりとはわからない。


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2018年10月 2日 (火)

美術回廊(16) 美術館「えき」KYOTO 「フランス国立図書館版画コレクション ピカソ 版画をめぐる冒険」

2018年9月25日 JR京都駅ビルの美術館「えき」KYOTOにて

京都駅の近くで用事があったので、ついでに美術館「えき」KYOTOで、「フランス国立図書館版画コレクション ピカソ 版画をめぐる冒険」を観に行く。

パブロ・ピカソが残した版画作品と、影響を受けた版画作品などを紹介する展覧会。ピカソがレンブラントの作品を再構成した作品なども展示されている。

ピカソというと、デフォルメされた人物が特徴的だが、極限までデフォルメするまでの中間地点を描いた作品もあり、ピカソがどこを強調したのかを知ることが出来る(目が特に誇張されている)。

祖国であるスペインの闘牛を題材にした版画がいくつかあるが、闘牛そのものを描いた作品からは不吉な印象を受けるものの、ピカドールと闘牛の戦いを描いたものから受けるのはピカドールの軽やかさと躍動感の方であり、闘牛は脇役に過ぎないように見える。

ピカソはスペイン出身者である自身のリビドーの象徴としてミノタウルスを描いており、画面全体を揺るがすような迫力を与えている。

またミノタウルスの時代である古代ギリシャの影響を受けた作品も残していて、シンプルな裸体画や、牧神やディオニソスの巫女、ケンタウルスといった想像上の生き物を題材としたリトグラフなどを観ることが出来る。

マネの「草上の朝食」をヴァリエーションとして描いたり(エロスへの転換が見られる)、レンブラントの「エッケ・ホモ(この人を見よ!)」の主役をイエスではなく自分に置き換えてしまったりと、やりたい放題なのがいかにもピカソらしい。

ピカソの肖像画は、モデルのみでなく自分を含めた画家を作品の中に登場させるというのも特徴だそうで、一人真面目くさった画家を登場させるという皮肉を効かせたものもある。


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2018年4月21日 (土)

都をどり特別展 「祇園・花の宴」「草間彌生・花の間展」2018年4月3日

2018年4月3日 祇園甲部歌舞練場・フォーエバー現代美術館にて

祇園甲部歌舞練場に行く。耐震対策着手のため閉鎖されている祇園甲部歌舞練場。ただ、南側にある八坂倶楽部はフォーエバー現代美術館・祇園として開いていて草間彌生の作品を展示しており、祇園甲部歌舞練場の一部がカフェとしてオープン中、2階の座敷では4月の間、芸妓と舞妓による10分ほどの舞のステージがある。今回は春秋座で行われている都をどりの半券を見せると無料で入場出来る。

統合失調症を発症しながら、その独特の世界観で高く評価される草間彌生。松本に生まれ、京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術工芸高校)を卒業。その後、渡米しニューヨークで活躍。在米時代の作品も展示されている。ただ当時のアメリカでは自国とヨーロッパ系のアーティスト以外は論じるに値しないという風潮があり、体調を崩したということもあって1973年に帰国。一時期活動が低迷するが、その後も現在に至るまで芸術活動を行っている。

ドットを無数に敷き詰めたような作風が特徴。ドット状のものが外へ外へと拡がっていくような生命感が感じられる。

午後2時30分から芸妓と舞妓によるステージがある。今日の出演者は、芸妓が槇子、舞妓がまめ衣。二人で「六段くずし」と「祇園小唄」を舞う。観客は白人の観光客が圧倒的に多い。二人とも繊細、丁寧且つ魅力的な舞を披露した。欧米などでは舞というとパワフルなものが多いが、日本の舞はそれとは正反対。だからこそ外連を武器とした歌舞伎舞踊などもアンチテーゼとして生まれ得たのかも知れない。



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2018年4月18日 (水)

美術回廊(15) 京都文化博物館 「ターナー 風景の詩」展

2018年4月14日 京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「ターナー 風景の詩(うた)」展を観る。明日までの開催ということで、結構な人出である。
イギリスを代表する風景画家として知られるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。今回はターナーの山岳と海洋を絵を中心とした展覧会である。ターナーはロンドンのコヴェント・ガーデンの生まれだそうで、貧しい理髪師の息子ではあり、母が病気がちであったということもあって基礎教育も満足に受けられなかったそうだが、周囲は文化的な環境ということもあって幼い頃から絵画に取り組んで才能を示し、父親は息子が描いた絵を店先に飾っていたそうである。画家としては早くに認められており、20代でロイヤル・アカデミーの会員となり、パトロンもついて順調な画家人生を送った。
当時は絵画といえば肖像画や宗教画が一般的で、風景画は名所図会や挿絵がある程度で評価の対象ですらなかったという時代であったが、ターナーは風景画の価値を上げることに貢献する。

初期の作品は、黄色や茶色を多用した淡い色彩と奥行きのある作風が特徴であるが、手前側を緻密に描き、遠景を朧にすることで奥行きを生み出すという技巧を用いていることがわかる。後年には全景を朧にすることで全てが溶け合ったような作風へと変化していく。個人的には後年の霧の中の光景のような朧な作風の方が好きなのだが、この手の絵は大画面だから見栄えがするということで、絵葉書などには採用されていなかった。

山岳の絵は峻険な場面が描かれ、海洋を題材とした絵画では嵐に翻弄される船が好んで取り上げられている。ターナーは自然への畏敬の念を抱いていたようで、その感情は「崇高」という言葉で語られている。
ターナーが生きたのはナポレオン戦争があった時代ということで、対フランス軍海戦の絵も展示されている(トラファルガーの戦いを描いた作品は今回は展示されていない)。海の日没を描いた作品、「海辺の日没とホウボウ」は、クロード・モネの「印象・日の出」を彷彿とさせる作品であるが、実際はターナーの絵の方が30年以上前に描かれたものであり、モネはターナーを尊敬していたそうで、ターナーが「印象派の父」と呼ばれる由縁となっている。

ターナーは版画や挿絵の作家としても活躍しており、こちらは緻密な描写力が駆使されている。ちなみにターナーは極度の完璧主義者だったそうで、版画の版元とは技術面での問題を巡ってしばしば諍いを起こしていたそうである。

映像コーナーではターナーの生涯を10分の映像でたどることが出来るようになっている。40代で訪れたイタリア旅行が一大転機となったようで、写実的だった作風から対象がもつイメージや光度を重視したものに転換しているそうだ。
当時としては長命な76年の生涯であったが、晩年に至るまで精力的な活動を行い、ターナーが残した絵は3万点以上に上るという。



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2018年2月20日 (火)

美術回廊(14) 京都国立近代美術館 「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」

2018年2月15日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

満足稲荷神社に参拝してから京都国立近代美術館に向かう。
京都国立近代美術館では現在、「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」が開催されている。フィンセント・ファン・ゴッホの作品と、ゴッホが影響を受けた浮世絵の展示である。
浮世絵を見て日本に憧れたゴッホ。南仏アルルを日本に見立て、浮世絵の影響を色濃く受けた作品を描いていく。

浮き世は西洋の絵画に比べると構図がかなり大胆であり、表現主義的な一面がある。ゴッホの絵を見ると、例えば「糸杉の見える花咲く果樹園」では、中央にかなりくっきりとした二等辺三角形の構図が見える。筆致以外でもこうした浮世絵からの影響が窺える。
中央に橋を描き、洗濯女を小さく描いた「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」も同様の構図がたびたび登場する歌川広重の「東海道五十三次」との接点が分かるように展示が行われていた。

波や木々のうねりは、例えば葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」などに見られるような誇張した表現の影響を受けているように思う。おそらくゴッホは対象物そのものよりも、それがもつエネルギーを描きたかったのだと思われる。静止した芸術に動的なものを持ち込みたかったのだろう。それは困難であり、異端でもある。ゴッホが生前に認められなかった理由の一因がそこにあるのかも知れない。

京都国立近代美術館の4階には、森村泰昌がゴッホの「寝室」という絵を立体化した展示物が飾られている。これは写真撮影可であり、SNS等に掲載して是非情報を拡げて欲しい旨が書かれていた。

「森村泰昌、ゴッホの部屋を訪れる」

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