カテゴリー「絵画」の13件の記事

2017年4月23日 (日)

美術回廊(10) ビアトリクス・ポター生誕150年「ピーターラビット展」大阪

2017年3月24日 グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル地下1階イベントラボにて

グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル地下1階にあるイベントラボで、ビアトリクス・ポター生誕150年「ピーターラビット展」を観る。
「ピーターラビット」でお馴染みのビアトリクス・ポター、というより私はピーターラビットしか知らなかったりするのだが、実はピーターラビットが脇役に回った絵本なども書いている。
裕福な家に生まれたビアトリクス・ポター。当時は、お金持ちの家の子は庶民のいる学校には通わず、家庭教師から全てを教わることになっており、ポターもまたそうして育った。それゆえ、友達に囲まれて育つという経験がなく、兎などのペットを飼って可愛がる時間が長かった。このことがポターがピーターラビットを生み出す契機にもなっている。

ビアトリクス・ポターのタッチは緻密でありながら柔らかく、「これだけの絵が描けたらそれは売れるわな」と思うのだが、実はポターは持ち込みを行った全ての出版社から書籍化を断られており、最初の作品は自費出版で出している。ピーターラビットを書くきっかけになったのは、病気になったノエル少年(ポターの元家庭教師であるアニー・ムーアの息子)を励ますために兎の絵入りで出した手紙だというが、今回の展覧会でもその写しもまた展示されている。アニー・ムーアがポターに兎の物語を書くことを勧めたようだ。
自費出版された私家版『ピーターラビットのおはなし』は口絵のみカラーで他は表紙も含めて着色はされていない。そこまでのお金がなかったのと、着色は余計と思われたという二つの理由があったようだ。

裕福な家に生まれたことはアドバンテージだけではない。有閑階級出身のポターは出版社の創業家出身で同社に勤務していたノーマン・ウォーンと恋に落ちるが、両親から「格下の男との結婚は認めない」と断られている。

ポターの少女時代の作品も展示されているが、すでに優れた描写力が見られる。なお、ポターの父親や弟の描いた絵も展示されているがいずれもデッサン力が高く、画才に恵まれた一族であったことが確認出来る。

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2017年1月27日 (金)

美術回廊(9) あべのハルカス美術館 「デュフィ展」2014

2014年9月15日 大阪・天王寺のあべのハルカス美術館にて

大阪の、あべのハルカス美術館で、「デュフィ展」を観る。

あべのハルカスは外から眺めたことはあるが、中に入るのは初めてである。16階にある、あべのハルカス美術館までは直通エレベーターがあり、利用者はそれで美術館まで向かうことになる。便利なのであるが、あべのハルカスの展望台に行くには2階でチケットを買う必要があり、展望台にも行きたい人にはちょっと不便である。また、帰りも16階から1階まで直通で向かうため、ありがたいのだが、15階より下にある近鉄百貨店あべのハルカス店のシャワー効果には結びつかず、ここが近鉄あべのハルカス店の失敗だと言われている。実際、売り上げは苦戦しているようだ。

今回、画を見るラウル・デュフィはフランスの野獣派に属する画家。当初は写実的な画を描いていたが、アンリ・マティスの絵画を観て驚き、それ以降は、写実よりも印象を大切にする作風へと変化していく。原色を多用するのが特徴であり、エスプリ・クルトワを最もダイレクトに伝えてくる画家の一人である。

音楽を好んだため、音楽関連の絵画も多い。指揮者のシャルル・ミュンシュとは交流があり、オーケストラを題材にした画を何枚も描いており、今回も絵画や下絵が展示されている。興味深いのはオーケストラの配置で、1930年代から40年代に描かれたものは全て現在では古典配置と呼ばれるものであるが、1950年に描かれたオーケストラの画は、現代配置になっている。レオポルド・ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者だった時代に始めたという現代配置が、1940年代末にフランスでも普及したことがわかる。

デュフィは元々は右利きである。若い頃は右手に絵筆を握っていたのだが、「右手でだと余りにも自由に描けてしまう」という理由で、敢えて左手で描くということを始め、以降は晩年まで絵画に関してはサウスポーで通した。

1877年生まれであり、1953年に亡くなっているが、臨終の際に、イーゼルに掛けてあったという絵画も原物が飾られている。

明るくて温かみのある画だが、例えば、J・S・バッハや、モーツァルト、ドビュッシーらをモチーフにした画を観て、それがどんな音楽をイメージして描かれたのかと考えると、意外に暗めの曲調のものが思い浮かぶ(「モーツァルト」という絵画があり、今回は展示されていないが、楽譜の表紙には“Symphony No.40”と書かれているように見え、だとしたら流れているのは悲壮感に溢れたものということになる)。
「バッハへのオマージュ」もヴァイオリンが一挺画かれているだけだが、このヴァイオリンでバッハのどんな曲が弾かれたのであろうか。「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」の中の曲である可能性が高いが、仮に「シャコンヌ」だったとしたらイメージも変わってきてしまう。

また最も好んだ色は青だというから、デュフィは絵画から感じられるほど能天気な人間ではおそらくなかったであろうと思われる。

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2017年1月11日 (水)

美術回廊(8) 名古屋市美術館 「画家たちと戦争:展 彼らはいかにして生きぬいたのか」

2015年7月30日 名古屋市美術館にて

名古屋市美術館へ。名古屋市美術館では現在、「画家たちと戦争:展 彼らはいかにして生きぬいたのか」展をやっている。横山大観、藤田嗣治、恩地孝四郎、北川民次、岡鹿之助、福沢一郎、北脇昇、吉原治良、宮本三郎、山口薫、松本竣介らの第二次大戦前後の絵画が並んでいる。福沢一郎のようにシュールレアリスムの画風を見とがめられ、作風転向をせざるを得なかった画家もいる。

 

フランスで活躍していた藤田嗣治(ふじた・つぐはる。レオナール・フジタ。オダギリジョーが藤田嗣治を演じた映画が制作された)は、ずっとフランスで活動しており、ヨーロッパの戦況が不穏だというので(実際、後にパリは陥落する)日本に戻っていたのだが、日本の戦争のために画を描いた。これに戦後になって「戦争鼓舞の責任」などと言いがかりをつけられた藤田は激怒。再びパリに渡りフランスに帰化。本名もレオナール・フジタとして終生日本に帰ることはなかった。

全聾の画家、松本竣介は上京後画家となるが、戦争協力の要請には応えずに仄めかしに留まる画を描いている。今回の「画家たちと戦争」展のポスターに使われているのは松本の「立てる像」だ。松本本人の自画像だという。

北川民次の画を観た第一印象は「メキシコの画家の絵みたい」であったが、実は北川民次はメキシコでも絵を習った経験があるそうで、メキシコの画家の作風に似ているのは当たり前なのだった。名古屋市美術館はメキシコ人画家の絵を多数所有しており、常設展示もしているので比較も可能である。

最も有名だと思われる横山大観は戦争に荷担した側である。直接戦争に関与したわけではないが、彼の画いた富士山の絵の数々は戦費捻出に利用されたという。

恩地孝四郎が描いた「あるヴァイオリニストの印象」に描かれているのは諏訪根自子(すわ・ねじこ)だそうである。

個人的には山口薫の、「銃」という画が最も印象深かった。赤茶けた背景の中で、機関銃が三脚のように立てかけられている。三脚の機関銃の束は少なくとも三つはある。今丁度戦いの最中なのか、戦を待つ機関銃なのか、一戦終わった後の機関銃なのか。それはわからないが、何とも言えない禍々しさが画から伝わってくる。

 

常設展では、モディリアーニの「おさげ髪の少女」や、ユトリロの「ノルヴァン通り」を観ることが出来た。

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2016年12月20日 (火)

美術回廊(7) 京都市美術館 「バルテュス展」2014京都

2014年8月26日 京都市美術館にて

京都市美術館で「バルテュス展」を観る。

フランス人画家であるバルテュス。バルテュスというのは愛称兼芸名で、本名はバルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラという長いものである。スキーという英語でいうsonに当たるロシア・スラヴ圏の言葉が苗字に入っているため、スラヴ系の血を引いている。父親はポーランドの貴族階級出身。母親はロシア系ユダヤ人である。
バルテュス自身も最初の妻との間に出来た息子にスタニスラスというロシア人やポーランド人に多いファーストネームを付けている。

絵はほぼ独学であり、ルーブル美術館に足繁く通っては習作を繰り返していたという。

最初にバルテュスの才能を評価したのは詩人のリルケである。まだ少年であったバルテュスの絵を見たリルケは「この年齢でこうした絵が描けるとは驚くべきことだ」として、ストーリー仕立てとなった連作絵画にリルケ本人が序文を書いて出版している。

その後、バルテュスは、『呪われた部分』の思想家ジョルジュ・バタイユや、『ヴァン・ゴッホ』などの俳優・詩人・小説家のアルトナン・アルトー等と交友している。

バルテュスの時代はシュルレアリスムが全盛であり、バルテュスの作風は「古くさい」と見なされて、同時代の画家達からはなかなか認められなかった。そこでバルテュスは敢えて扇情的な表現を取ることで、スキャンダラスな評価を受ける。バルテュスは少女を描くことが多く、それがロリータコンプレックスであるとも見なされたが、実際にはバルテュスには少女趣味はなかったようである。バルテュスは少女を描きながら、同時に少女の未来を描いているようにも見える。

京都市美術館の「バルテュス展」のポスターに使われたのは「美しい日々」という作品。窓を背にして椅子に腰掛けた少女が手鏡を見ている様子を描いたものだが、キャンバスの右隅には暖炉に薪をくべている男も描かれている。自然光と暖炉の明かり、その中で少女は二重に照らされている。ということは、薪をくべている男は少女をより美しくする役割をしているわけで、彼はバルテュス本人なのかも知れない。

バルテュスの風景画はどことなくユトリロに似ているところがあるが、人物画の方は、少なくとも20世紀のヨーロッパでは似た作風の画家は見当たらない。ああした暗さは中南米の画家が良く採るものである。フリーダ・カーロなどがそうだ。

バルテュスは何枚も習作を描くことで、完成作を練り上げるというタイプであったという。「美しい日々」などを観ていると、斎藤茂吉の「実相観入」という言葉も浮かぶ。人物画はどれも写実的というより示唆的である。

少年時代には中国文化に惹かれたというバルテュスであるが、その後、日本のことも気に入り、最初の来日時に行われた自身の展覧会のスタッフであった出田節子を見初め、後に結婚する。節子夫人の影響もあり、『源氏物語』や『雨月物語』なども英語訳やフランス語訳版で読み、日本語の学習もしていたようである。節子夫人は結婚後は常に和服であり、バルテュスもそれに倣って和服を愛用するようになる。二人の間には男の子が生まれたが早世し、後に長女となる春美が誕生している。

パリを離れてスイスの田舎町に移り住んだバルテュスは風景画なども良く描いている。また節子夫人をモチーフに浮世絵の要素も取り入れた人物画も描いている。ちなみにこの絵では姿見の鏡が用いられており、バルテュスにとって鏡は重要なアイテムなのかも知れない。

最後の展示室には、篠山紀信撮影による晩年のバルテュスと節子夫人、娘の春美との写真が並んでいる。笑顔で見つめ合うバルテュスと節子夫人の写真は微笑ましく、写真が欲しくなるが、篠山紀信の作品であるため、ミュージアムショップで売られてはいなかった。だが、節子夫人によるバルテュスの回想録にその写真が入っていたため、それを買うことに決め、他に風景画の額画と、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』をモチーフにした画集などを買う。

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2016年12月 9日 (金)

美術回廊(6) 「イラストレーター 安西水丸展」京都2016

2016年7月8日 美術館「えき」KYOTOにて

ジェイアール京都伊勢丹7階に隣接した美術館「えき」KYOTOで、「イラストレーター 安西水丸展」を観る。

千葉県千倉町(現・千葉県南房総市千倉)出身で、イラストレーター、画家、小説家、エッセイストなど幅広い分野で活躍した安西水丸(本名:渡辺昇。1942-2014))の展覧会である。

村上春樹とのコラボレーションでも知られた安西水丸。二年前に訃報を聞いたときには驚いたが、村上春樹とのやり取りの内容から若いイメージがあったものの、1942年生まれと予想よりもお年だったのである。

千倉のイメージが強いが、生まれは東京で、3歳の時に小児喘息の療養のために母方の実家である千倉に移り住んでいる。千倉は千葉県内でも海が美しいことで知られる街だ(と書きながら実は千倉には行ったことがない。千葉県出身ではあるが千葉市民は千葉県の南の方には余り行かないのである)。

日大豊山高校を経て日大藝術学部美術学科造形コース卒。生家が代々建築の仕事をしていたため、建築についても学ぶ必要があり、いわゆるダブルスクールで建築の専門学校の夜間コースにも通っている。村上春樹との対談によると、夫人とはこの専門学校で出会ったそうである。

日大藝術学部卒業後、電通に入社、その後、平凡社にも勤める。村上春樹のエッセイによるとかなり楽しいサラリーマン時代を送ったそうだが、にわかには信じられないほどパラダイス状態であるため、かなり脚色されているのかも知れない。

本名は渡辺昇(京都・一乗寺の名家の方や坂本龍馬のお友達と同性同名である)で、村上春樹の短編小説集『パン屋再襲撃』には全編に渡ってワタナベノボルという名前で登場する。


安西水丸本人が「大人になっても小学生の絵を描いている大人」と称しているように、一種のヘタウマ的な持ち味のある人である。千倉時代の絵もあって、普通に上手いのだが、そこから次第にタッチがシンプルになっていく。

いくつものイラストをじっくり見て気がつくのは余白の多さである。対象物と比較すると余白の部分がかなり多い。ただ、ぱっと見ではそうしたことには気がつかない。描かれた対象物の持つパワーと、絶妙なバランスが、余白を見えない力で埋めているのだろう。

またシンプルではあってもお洒落である。原色を用いた配分の妙がそうした世界を生んでいるのだと思われる。

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2016年12月 3日 (土)

美術回廊(5) 「メアリー・カサット展」京都

2016年11月27日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて
 

左京区岡崎の京都国立近代美術館で、「メアリー・カサット展」を観る。

メアリー・カサット(1844-1926)はアメリカに生まれ、祖国とフランスで活躍した女流画家。学生時代は古典美術を描いていたが、渡仏後に印象派に作風を変え、その後、独自の画風を生み出してアメリカ画壇の先駆者となっている。
現在の米ペンシルバニア州ピッツバーグの生まれ。現在は斜陽都市として知られるピッツバーグだが当時はまだ景気が良く、父親は成功した株式仲買人、母親は銀行家の娘で、金銭的には恵まれた幼少期を過ごした。
フィラデルフィアの絵画アカデミーで絵を学んだメアリーは、プロの画家を目指すために渡仏。普仏戦争により一時帰国するも再びヨーロッパに渡り、パリでカミーユ・ピサロに師事した。その後、ドガの描いた絵に激しく惹かれ、ドガと対面。ドガの勧めもあって印象派の作品を発表するようになる。

まず「画家としての出発」という、学生時代の作品の展示から始まる。「フェルメール」という言葉が説明に用いられているが、影響は一目見ればわかる。顔を分厚く塗って立体感を持たせた油彩画であり、構図もいかにもフェルメール的である。

渡仏後には作風をガラリと変え、柔らかで淡い感触の絵が並ぶ。絵画なので当然ながら静止しているのだが、カンヴァスの向こうから光が差し込んでいるように感じられたり、描かれた対象が今にも「揺れ」そうなイメージ喚起力を持っている。
「浜辺で遊ぶ子どもたち」からは、潮騒が聞こえてきそうだ。

メアリーは観劇を好んだそうで、劇場に集う婦人達の絵画を発表している。好んで観劇をする女性は、当時、時代の先端を行く新たな女性像でもあった。女性達が家庭から自由になりつつあったのである。

印象派の画家であるため、「ジャポニズム」の影響も受けており、浮世絵にインスパイアされた「化粧台の前のデニス」など、合わせ鏡の絵を描いている。
個人的にはこの「化粧台の前のデニス」が最も気に入ったのだが、絵葉書などにはこの絵は採用されていなかった。

その後の絵画は、タッチよりも内容重視であり、何かを求める赤子の姿を通して、「新たなる生命を求める存在」を描くようになる(作品としては、「母の愛撫」、「果実をとろうとする子ども」など)。内容重視と行っても絵画の技術をなおざりにしたわけではなく、三角形を二つ合わせた構図(北条氏の家紋を思い浮かべるとわかりやすい)を用いて安定感を出している。ドライポイントで描かれた「地図」(「レッスン」とも呼ばれるそうである。二人で何かを熱心に読んでいる子供の姿である)という絵にも惹かれた。

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2016年11月27日 (日)

美術回廊(4) 「レオ・レオニ 絵本のしごと」

2013年6月26日 東京・渋谷のBunkamuraザ・ギャラリーにて

東急文化村地下1階にあるBunkamuraザ・ギャラリーに行く。小学校の教科書に載っている「スイミー」で有名な、レオ・レオニ(レオ・レオーニ)の「レオ・レオニ 絵本のしごと」という展覧会をやっている。

オランダのアムステルダムに生まれたレオ・レオニは、幼時より画才を発揮し、9歳で王立美術学校に入学するなど神童ぶりを発揮するが、その後は家族の都合で、ベルギーのブリュッセル、アメリカのフィラデルフィアなどに移り住む。大学は美術大学ではなく、スイスのチューリッヒ大学経済学部を卒業した。その後、結婚してイタリアのジェノヴァで暮らしていたが、ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を握ると、人種差別活動が展開され、ユダヤ人であるレオ・レオニはアメリカへの亡命を余儀なくされた。アメリカでは新聞社や出版社のイラストレーターやグラフィックデザイナーとして働く。アメリカ時代の1959年に、これまた有名な「あおくんときいろちゃん」で絵本作家デビュー。この時すでに49歳であった。1962年にイタリアに戻り、1963年に、「スイミー」で現在のスロヴァキアの首都ブラティスラヴァで行われた世界絵本原画展で大賞(金のりんご賞)受賞。以後、1999年に亡くなるまでイタリアで絵本作家として活動を続けた。

レオ・レオニの画は深く読み込む必要はない。絵本は寓意に満ちており、芸術の大切さと芸術家であることの矜持、弱者への温かい眼差しと共に現実の厳しさをも教える、足を知ること、尊大ぶることの愚かしさ、自意識、アイデンティティ、レーゾンデートルといった抽象的な概念を分かりやすく教える、と、分かりやすいものを説明すると難しい言葉を使うことになるというパラドックスに陥るわけだが、大人は抽象概念として理解出来るものの、子供にはまだ無理なので、寓意を用いて分かりやすく伝えるわけである。簡単なものを難しくいうのは簡単だが、難しいものを簡単にするのは難しい。

驚いたのは、「スイミー」を始めとする数多くのレオ・レオニ作品の日本語翻訳の8割以上を詩人の谷川俊太郎が手掛けていたこと。谷川俊太郎が「マザーグース」の翻訳を行っていることは知っており、実際、谷川俊太郎が翻訳した「マザーグース」を楽しく読んで来たのだが、まさか「スイミー」の翻訳者が谷川俊太郎だったとは寡聞にして知らなかった。そして同時にいかにも谷川俊太郎らしい仕事だとも思った。

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2013年7月 4日 (木)

希望・愛・喜びを伝える画家「マッケンジー・ソープ」絵画展

1956年、北イングランド生まれの画家、マッケンジー・ソープの絵画展を紹介します。
東京・渋谷の東急文化村1階ギャラリーに於いて、7月7日まで開催されています。

マッケンジー・ソープ絵画展

マッケンジー・ソープは生まれながらにしてLD(学習障害)の一つである読字障害に苦しめられてきました。更に実家は労働者階級で貧しく、テレビも買えないような家で、クラスメートとは話が合わず、孤独な少年時代を過ごしました。

今でこそ読字障害は認知度が高く、トム・クルーズやウーピー・ゴールドバーグ、最近ではスティーヴン・スピルバーグも読字障害であることを告白していますが、マッケンジー・ソープが少年だった頃には読字障害は知られておらず、ただの勉強の出来ない子として、マッケンジー少年は教師から「あなたは将来、何をやっても成功出来ません」と最後通牒を突きつけられました。それでもマッケンジー少年は自分に画の才能があることを発見し、得意な分野で成功を収めました。

少年時代の影響もあるのでしょう。マッケンジー・ソープの画は一見すると絵本に出てくるような愛らしいもので、原色も多く華やかで、それこそ希望、愛、喜びを伝えていますが、よく見ると孤独感や、生きることの困難さが滲み出ています(それでも同時に救いもあります)。

日本ではまだ知名度は低いですが、海外では評価の高い画家、マッケンジー・ソープ。見て損はしない画ばかりです。

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2009年7月21日 (火)

幻想の画家・ルドン 『ルドン』(新潮美術文庫)

19世紀後半に活躍したフランスの画家、オディロン・ルドン。そのルドンの絵と生涯を解説した新潮美術文庫の『ルドン』を紹介します。

『ルドン』(新潮美術文庫) 1840年生まれのオディロン・ルドンは、同い年のモネとは正反対に、実在しない幻想の世界を描写することを得意とした画家です。それには彼が広陵としたメドック地方ペイルルバードに育ったということも影響していると思われます。荒れ果てた大地をキャンバスに幼き日のルドン少年は様々なイメージを頭の中に描いていたのでしょう。
また、同時代の詩人、ボードレールにも強い影響を受け、ボードレールの代表作である『悪の華』の挿絵を描いてもいます。

時に妖艶、時に壮絶、時に静謐と様々な魅力を持つルドンの絵画37点と解説を収めた、ルドン入門に最適の一冊です。

『ルドン』(新潮美術文庫) bk1

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2009年1月18日 (日)

アンドリュー・ワイエスの死

アメリカの世界的な画家、アンドリュー・ワイエス氏が死去。91歳。少年時代に神経衰弱を患い、幼い頃に医師から「10歳まで保たない」と短命を宣告されたワイエス。

それゆえか彼の画風は、緻密な描写の裏に孤独と悲しみ、死の予感を宿していました。

好きな画家の絵の中には、愛好する見手その人が存在するといわれます。ワイエスの絵の中にも、おそらく私はいるのでしょう。

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