カテゴリー「雑感」の59件の記事

2008年6月21日 (土)

夏至

今日は夏至。そして今夜は、英語でいう「ミッドサマーナイト」=「真夏の夜」。ということで、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』の舞台となった季節です。

観劇が趣味なので、シェイクスピアの舞台は数多く観ているのですが、『真夏の夜の夢』に関しては有名俳優による公演はまだ観たことがありません。大阪芸術大学舞台芸術学科の学外定期公演として行われた『ま、夏の夜の夢』はシアター・ドラマシティで観たことがあるのですが、本来は一人の俳優が演じる役であるパックを、どういうわけか20名ほどの大人数で演じていて、役を貰えなかった学生を全員パックに回したんじゃないかと疑いたくなるほど、不思議な舞台になっていました。

ところで、イギリスだけでなく、緯度の高いところにある国では夏至は特別な日。北欧各国では夏至祭が行われます。また、太陽信仰のある国でも夏至は特別視されます。

しかし、日本にも太陽信仰はあるのに(最高神である天照大神が太陽神である。そもそも国号からして「日本」なので太陽が特別な存在とされていることがわかる)夏至にまつわる特別な行事は最近までほとんどありませんでした。これはやはり、日本では梅雨の時期に夏至がくることと無関係ではないと思われます。いくら一年で一番昼が長い日とはいっても、太陽が雲の向こうにいることが多いとあっては、なかなか祝う気にはなれないでしょう。

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2008年2月15日 (金)

日本史必修

神奈川県教育委員会が県立高校での日本史必修を決めたそうですが、私が高校生だった頃(1990年代前半)、私が生まれ育った千葉県の公立高校の多くは、日本史、世界史、地理、公民(現代社会)、政治経済の全てが必修でした。私の高校では1年が「地理」と「公民」必修、2年が「世界史」必修、3年が「日本史」と「政治経済」必修でした。当時はそれが普通だと思っていたのですが、他の都道府県ではそうでもなかったようで。

理想としては「日本史」、「世界史」、「地理」、「公民系科目(現代社会+政治経済)」は全て必修が良いと思うのですが、私立高校では大学受験に有利に働くよう一科目に集中させるということもありそうなので、対抗策として全科目必修には踏み切れないのか。しかし、「日本史」、「世界史」、「地理」、日本の社会や法律への知識が十分になくて大学生になっても良いものなのかどうか。問題は根深そうですね。

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2008年2月 2日 (土)

あをによし

「あをによし」は「奈良」の枕詞です。

「あをによし」とは不思議な言葉ですが、「あをに」とは「青丹」で、「青い土」という説と、「青」と「丹」で、奈良の都の青い瓦と丹の色(赤っぽい色)の柱のこととする説があります。

ところで、予備校で教わった古文の先生は、若いときに「あをによし」=「奈良の枕詞」とだけ憶えていて、意味を知らなかったそうで、ある日の授業で生徒に質問を受けて、焦ったそうです。

彼はとっさに、「奈良といえば羅城門で、都に入るには、そこで門番をしている青鬼の調べを受け、『良し』と言って貰う必要があった」と、“何だかなー”の嘘をつきました。

家に帰って本当の意味を調べてきた古文の先生は、翌日、何食わぬ顔で、「青鬼が『良し』なんて本気にしたの? 冗談だよ」といって取り繕ったとか。
授業中の笑い話として喋っていたことなので、本当にあったことなのか作り話なのかはよくわかりません。しかし、もし本当だとして、「あをによし」=「青鬼良し」だと信じた生徒はいたのかな? いなかったんじゃないだろうか。

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2007年12月22日 (土)

朱夏の愉しみ

「青春」という言葉があります。甘い響きのする言葉です。

何故、「青い春」と書くのかというと、中国の陰陽五行説に由来していて、それぞれの季節に色が割り当てられているためです。季節の色は青、赤(朱)、白、黒(玄)から成っていて、これは方位の色と全く一緒です。
つまり「青春(東方・青龍)」、「朱夏(南方・朱雀)」、「白秋(西方・白虎)」、「玄冬(北方・玄武)」です。太陽の運行を見ると人間の年齢と方角の色が一致していることもわかります。東(青春・青龍)に始まり、南中(朱夏・朱雀して)、西(白秋・白虎)に終わります。「玄冬」=「黒い冬」というのは死に直結した救いがない印象を受けますが、太陽は北方にはいかないので、人生に於いて、「死」を除けば、それほど絶望的な事態に直面することはないと解釈したいと思います(実際は人生には絶望がつきものなのですが)。

さて、「青春」という言葉だけが有名になっていますが、「朱夏」、「白秋」というのも良い響きを持った言葉です。「青春が終わった」というと、悲観的な印象を受けますが、そうではなく、「朱夏が始める」と考えれば、明るい気分になれそうです。「朱夏」は、漢字をデザインとして見た場合は視覚的に美しく、また「しゅか」という音も良いですし、「夏」=「盛り」というプラスのイメージも発生します。

若いというのは確かに楽しいことではありますが、同時にみっともないことでもあります。もし仮に10代や20代に戻ることが可能だったとしても私はそれを拒否するでしょう。ああいうみっともない時代は一度で十分です。
もっともこれは若い時代を否定しているわけではありません。みっともないことを散々してきたから今の自分があるわけですから。

10代、20代の頃には、「頭ではわかっていても体ではわかっていなかった」、逆に「体ではわかっていても頭がついてこなかった」ということが数多くありました。30代になって頭と体のバランスが良くなって、ようやく人生の本来の味わいがわかり始めています。そういう時代にいるのですから、無理して青春を追い求める必要もないでしょう。

私は朱夏を愉しんでいきたいと思います。

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2007年12月12日 (水)

そんなの関係ねえ?

「そんなの関係ねえ」。流行語として使う分にはいいのですが、世の中の事象に対して「そんなの関係ねえ」という態度を取っていると、意外なところで跳ね返ってくることも多いです。

「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、意外なものと意外なものが繋がっていたりします。というより、世の中は繋がりと繋がりの連鎖なので大抵のことは自分に関係していると思った方が無難です。

皮肉な繋がりというのもあって、地球に優しい「バイオ燃料」という多くの人が「おお、素晴らしい」と考えるエネルギーが拡がった結果、牛乳が値上がりするという、妙な結果が現れたりします。地球に優しいことをしているつもりで、人間が苦しくなるということもあり得るということです(ちなみにバイオ燃料は、必要とするだけの穀物量を廃材を含めて確保するには今よりも穀物の生産量を上げる必要があり、その結果、焼畑農業が更に広まって地球環境が悪化するという説もあります。また食べ物に事欠く国が世界にはまだ多いというのに、食物をそちらに回さず先進国のための燃料とするというのが良いことなのかという問題もあったりします)。

「牛乳の値段が上がる? 俺は飲まないから、そんなの関係ねえ」で済まないのは言うまでもないことでしょう。

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2007年12月 7日 (金)

日本語Tシャツ

昨日、大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴きにザ・シンフォニーホールに行ったのですが、ホール内で黒地に白抜き文字で「心音」と書かれたTシャツが売られていることに気付きました。「心音」は大阪フィルの音楽監督を務める大植英次の好む言葉で、「心からの音」という意味の造語です(「心臓の音」という本来の意味ではない)。そのTシャツ、デザインとしては今一つか。

ただ、最近、欧米では日本語の入ったTシャツが人気で、特に漢字入りTシャツはちょっとしたブームになっていると聞きます。それも正統的な言葉ではなく、「公衆便所」、「尊皇攘夷」など、日本人が驚くような言葉を使ったTシャツが人気のよう。日本でも一時期、過激な英文の書かれたTシャツを着ることが若者の間で流行りましたが、洋の東西を問わず、人間はそうしたエキセントリックなことが好きなようです。

先日、東京に行くためにJR京都駅のホームで新幹線を待っていたところ、白地に青い文字で「馬鹿外人」と書かれたTシャツを着た白人男性を見かけて、「あれ、意味わかって着ているのだろうか?」と思ったのですが、調べると「馬鹿外人」Tシャツは欧州製で、着ている本人も意味はわかっていて、やはり日本人を驚かせるためにわざと着て来日する人が多いとのことでした。

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冬の風鈴

冬の風鈴

街を歩いていると、冬でも風鈴を出している家を見つけたりします。寒風に吹かれて風鈴がリンリン、凛々となるのを聞くと寒さがいや増しに増します。

冬でも風鈴を出している家は、単にしまうのが面倒なのか、あるいは凛と鳴る風鈴の冷たい抒情が気に入っているのか。

そういえば清少納言も『枕草子』で「冬はつとめて」と一日で最も寒い早朝の寒さの情緒を愛でています。冬の寒さをより際立たせる装置も情趣があって時にはいいものです(あくまで時にはです)。

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2007年9月 5日 (水)

格好いい生き方をしようという

格好いい生き方をしようと考えること自体が格好悪いことのように思えるのは気のせいだろうか。

「格好いい生き方」と一口に言っても様々な形態があると思うが、生き物としての人間が持つ泥臭さよりも、非人間的な記号がスマートだと思う「格好良さ」は人間として格好いいのか。

良い生き方をしている人は案外格好いい生き方をしていないように思うのだが。

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2007年9月 1日 (土)

怪談のような

死んだと思ったらまだ続きがあって、人生が延々と続くとしたら恐いとは思いませんか。

パラレルな場所があって、そこが元いた場所と変わらない状態で続くのだとしたら。

あなたはその続きの世界で今度は、若しくは再び陰惨な死に方をするかも知れない。でも、死んだと思ったらまた陰惨な場所に出てくるのだとしたら。

あなたはあなたから永遠に逃げられず、「デンマークは牢獄だ」どころか何処へいっても牢獄、あるいは自分自身が牢獄であるのだとしたら。

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2007年8月18日 (土)

美しいとは、「美しいという固定的状態」にあるのではなく、「美しくありたい」という願望と行為の中にあると思われるのです。

そして、「美しくありたい」という目標にある美しさとは、絵葉書的な美しさではなく、絶えず移り変わる美しさであると思います。それは気構えであり、姿勢であり、行動です。

固定的な美を求めよるとする願望は美とは正反対の卑しい願いに陥る可能性があります。それは自己愛であり、権威欲であり、ドグマであり、ある意味怠惰です。

生きるとは常に「過程」です。流動的なものです。過程に美を見いだせないならそれはそれで寂しいことです。

ただ、そう思いながらも私は恐怖もまた感じるわけです。チェーホフの言葉を借ります。
「わたしたちの時代は過ぎてゆく」(『かもめ』より 神西清:訳)

あるいは美意識とは過ぎゆくものへの恐怖が生み出したものなのかも知れません。
権威者が必要以上に固定的な美に拘るのも、恐怖心の裏返しなのでしょうか。

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