カテゴリー「京都」の30件の記事

2008年8月 7日 (木)

関西の情報誌

日本各地にその地方独特の情報誌があると思いますが、関西のローカル情報誌として代表的な雑誌2種を紹介します。

まずは、京阪神地区の月刊情報誌「L magazine」(京阪神エルマガジン社)。

月刊「L magazine(エルマガジン)」 20代を中心とした若者向けの情報誌です。

「Weekly ぴあ」と同じ、映画、音楽、演劇、テレビ、展覧会情報を始め、グルメ、雑貨、その他独自情報などが載っています。

特に小演劇情報は他誌よりも大きなスペースを割いてくれるため、関西演劇界では、公演情報は「ぴあ」よりも「エルマガジン」に載せる方が有効であるとも言われています。

“今月の7人”というコーナーを始め、著名人へのインタビューも充実。

京阪神地区の繁華街MAPも巻末についています。


続いては京都・滋賀(京滋)地区の月刊情報誌「Leaf」(リーフ・パブリケーションズ)。

月刊「Leaf(リーフ)」 こちらは20代後半から30代を対象にした大人の雰囲気漂う雑誌。グルメやファッションが中心で、その他に音楽、映画、CD&DVD、書籍の紹介などがあります。

この雑誌もインタビュー記事が充実していますが、それよりも特に京都について深く知りたい人に向いている雑誌です。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年7月22日 (火)

西京極 京都サンガF.C.対FC東京戦観戦

2008年7月21日、サッカーJ1、京都サンガF.C.が本拠地の京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場(通称:西京極スタジアム)でFC東京を迎えて行った試合を観戦しました。

西京極 京都サンガ対FC東京戦 西京極球場横ゲート

西京極スタジアムは歴史がある(つまりぼろい)上に、客席からピッチまでが遠く、観客からの評価は余り高くありませんが、少しでも雰囲気を良くしようと、阪急西京極駅から西京極スタジアムに向かうまでの道の途中、西京極球場の横にカラフルな特設ゲートやテントが並んでいます。

サンガドリンク
これは、西京極スタジアム内で売られている「サンガドリンク」。サイダーにグレープジュースなどを足したもののようです。サンガのチームカラーである紫色の飲み物。

西京極スタジアムで配られた団扇 写真は柳沢敦選手
暑い夏の西京極。スタジアム入場者にはもれなく団扇が配られます。この団扇を次の西京極の試合に持って行くと当日でも前売り料金で入ることが出来ます(サンガスペシャルシートとアウェイ側サポーター席は例外。前売りチケット完売の場合は当日券が出ない場合もありますのでご注意を)。

試合は後半5分、コーナーキックに柳沢敦が囮になってニアサイドに飛び出し、その背後に蹴りこまれたボールに水本裕貴がヘッドで合わせて京都サンガが先制。
しかし、このままタイムアップでサンガ勝利かと思われたロスタイムに、フリーキックからのプレーでFC東京に追いつかれてしまいました。タイムアップまで残りあと10秒というところで、勝ち星はサンガから逃げていきました。残念。

京都サンガF.CユニフォームタイプTシャツ
一緒にサンガを応援したユニフォームタイプのTシャツ。お疲れ様でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月21日 (月)

京のラーメン店(2) 「京都ラーメン研究所」

京都駅のそばにある「京都ラーメン研究所」。研究所という名ではありますが、本当に白衣を着て研究を行っているわけではなく、ごく普通のラーメン店です。所在地は、京都市南区西九条横町。

京都ラーメン研究所

とんこつベースのラーメンで、個性的というよりは万人に好かれるタイプの味。

どこのラーメン店でもそうですが、ここも地元のお客さんが多いようで、私が行った日には、近くに座っていたおじちゃん数人が島田紳助(京都市出身)の話をしていました。どうも、紳助氏のお知り合いだったようで、「最近、あいつ(注:島田紳助のこと)も何だかんだ」というような話でした(「何だかんだ」の部分はここでは書けないようなことです。別に悪いことではなく、プライベートに触れることなので)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月16日 (水)

梅雨明けらしい

梅雨明けらしい ただし京都市左京区は薄曇り

大阪管区気象台は、16日、近畿地方の梅雨明けを宣言。ただし京都市左京区上空は薄曇りで、梅雨明けらしいカラリとして天気ではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 3日 (木)

京都LRT構想について

京都市内にLRT(ライトレール。次世代型路面電車)の導入が検討されています。

かつては京都市内に張り巡らされていた路面電車網(京都市電)は京都名物の一つでしたが、「これからはモータリゼーションの時代」という言葉のもと廃止が進み、1978年に全廃となりました。

代わって市バス網が発達しましたが、それと同時に、京都市内の交通量が増え、モータリゼーションの負の面である自動車の排出ガス増加の問題も浮上します。

自動車の排出ガスには二酸化炭素が多量に含まれており、京都のような盆地にある街で、道幅が狭く、しかも碁盤目状という特殊な町割りのなされているところでは、排出ガスが貯まりやすいというこことになります。碁盤目状の町割りは、建物が低ければ問題ないのですが、ビルなどが建ち並ぶようになると、風が吹き抜けにくくなるため、空気の循環が悪くなり、温室効果ガスが溜まって、ただでさえ暑い京都の夏の気温を一層上げます。

二酸化炭素排出量の少ないLRTを導入し、同時に自動車の京都市中心街への乗り入れ量を減らすことが出来れば(ここが重要。LRTを導入しても、京都市中心部への自動車乗り入れに規制が行われなければ渋滞が更に酷くなって排出ガスも却って増える)、温室効果ガス削減を定めた京都議定書が採択された街・京都がCO2削減に大きく舵を取ったことをアピール出来ます。また暑すぎる京都の夏の気温を幾分かでも下げる効果も合わせて期待できるように思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月24日 (火)

京のラーメン店(1) 「東京ラーメン」

京のラーメン店 「東京ラーメン」

京都というと関西ということもあってか「うどん」のイメージを持っていらっしゃる方も多いと思いますが、実は全国屈指のラーメン店激戦区でもあります。

そんな京都のラーメン店を紹介しようというシリーズ。第1回は左京区吉田牛ノ宮町(鞠小路丸太町上がる東側)にある「東京ラーメン」。

京都のラーメン店の紹介でありながら、いきなり「東京ラーメン」という名のお店を紹介してしまうというのがあれですが、こういうのもひねりが利いていて(?)いいのではないでしょうか(?)。

「東京ラーメン」は店主(味のある顔をしたおじいさん)が東京出身の師匠のもとでラーメン修業したことに由来する店名。京都のラーメンというと脂がギトギトの濃い味のものが主流ですが、ここはさすがに「東京ラーメン」だけあって比較的すっきりした味です。麺はストレート麺。ラーメン(並)1杯400円。日曜、祝日休み。

京都大学の近くということもあって学生にも人気のお店です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月15日 (日)

千葉県民の日

本日6月15日は「千葉県民の日」。1873年の6月15日に印旛県と木更津県が合併して千葉県が誕生したことに由来します。「千葉県民の日」には千葉県内の公立学校は休校になります。今年の「千葉県民の日」は日曜日なので、何の影響もないのですが。

「千葉県民の日」というと、東京ディズニーランドがとても混むことで知られています。千葉県浦安市にある東京ディズニーランドでは、全国の都民・県民の日に該当都民・県民の入場割り引きサービスを行うのですが、地元である千葉県の県民の日は当然ながらかなり混みます。

現在は、私は千葉県民ではなく、京都府民。「京都府民の日」もあります。毎月23日。当然ながら学校はお休みにはなりません。毎月休まれても困りますからね。「ふ(二)み(三)ん」の語呂合わせで23日が府民の日になったのでしょうが、これでは毎月29日が肉の日というのと発想が変わらないような。
そろそろ毎年特定の「京都府民の日」設定に移行した方が良いような気もします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 1日 (木)

ある数字の話

「1は2、3は12、4は10、6は4、8は8、10は6、12は無し」

これだけだと大多数の人は何を言っているのかわからないと思います。関東出身で、京都に住んでいる人はピンと来るかも知れませんが。

実はこれ、テレビのチャンネルの違いを言ったもので、関東のテレビ局のチャンネル番号が京都では何チャンネルに相当するかを示したものです。

東京→京都の順で併記してみると、

NHK総合 1→2
NHK教育 3→12
日本テレビ 4→10 読売テレビ
TBSテレビ 6→4 毎日テレビ
フジテレビ 8→8 関西テレビ
テレビ朝日 10→6 ABCテレビ
テレビ東京 12→ 京都では基本的にテレビ大阪の番組は受信出来ない。

京都のUHF局であるKBS京都テレビは多くの家庭では3チャンネルに入っています。
KBS京都は、以前はテレビ東京の関連局として同じ番組を数多く放送していたようですが、テレビ東京系列の関西キー局であるテレビ大阪が出来てからは独自路線を歩み、テレビ大阪が京都府を視聴地域にしなかった(KBS京都の反発もあって出来なかった)ため、京都ではテレビ東京系列の番組が視聴出来なくなっています。

VHF局とUHF局が共存している関東から見ると奇妙な気もしますが、これが関西流のようです。ただ、VHF局が本社を置く東京には長くUHF局は存在しなかったので、事情がそれほど違うというわけでもないのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月28日 (月)

サッポロ一番 関西味探訪 京都・背脂しょうゆラーメン

サッポロ一番 関西味探訪 京都・背脂しょうゆラーメン

地方のラーメンが注目を浴びるようになってから久しいですが、京都ラーメンもカップ麺として様々な種類が発売されるようになりました。
サンヨー食品から出ている「サッポロ一番背脂しょうゆラーメン」もその一つ。

ご存じの方も多いと思いますが京都ラーメンは脂の多いギトギト感が特徴。サッポロ一番背脂しょうゆラーメンもギトギト感がよく出ています。関西圏なので「うどん」のイメージも強い京都ですが、実はラーメン激戦区でもあります。ラーメン店の数もかなり多く、味も京都風から、東京風の醤油ラーメン、札幌風の味噌ラーメン、とんこつの博多ラーメンはもちろん、どこの地域にもない独特の味で勝負する店もたくさんあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月16日 (日)

頑張れ京都サンガF.C.

京都サンガF.C. Tシャツ

というわけで、京都サンガF.C.のTシャツを着て、2008年度J1ホーム開幕戦、対大宮アルディージャ戦を見に、西京極まで行ってきました。
京都サンガF.C.のグッズは、レプリカユニフォームなど色々ありますが、値段も手頃なのはやはりTシャツだと思います。紫色ということで少し派手であり、サンガ戦観戦時以外は着にくい代物ではありますが。

サンガのTシャツにも様々な種類がありますが、私が持っているのはサポーター用の背番号「12」の入ったもの。

西京極では、レプリカユニフォームや、選手の背番号とネーム入りのTシャツに人気があるようで、背番号12のTシャツを着ている人は少数派でしたが。

それはともかくとして、本日の対大宮アルディージャ戦では、渡邉大剛選手の鮮やかなミドルシュートが決まり、2-1でサンガが勝利しました。柳沢敦選手も京都移籍後初ゴールを決めましたし(ゴール前での混戦の中でのゴールだったので肉眼で誰が決めたのかわからなかったのは残念でしたが)、第1節で勝ち点3を上げている大宮相手に嬉しい勝ち星を挙げてくれました。

ホームグラウンドである京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場(西京極スタジアム)にかなりガタが来ているのが残念ですが、自分の街にあるプロスポーツチームを応援できるというのは幸せなことだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 4日 (火)

奈良本辰也・編 『京都百話』

山口県生まれ、京都帝国大学文学部国史学科で日本史を学び、立命館大学文学部史学科の教授となるもアカデミズムに失望し、以後は在野の京都歴史学者として活躍した奈良本辰也(1913-2001)編による『京都百話』(角川ソフィア文庫)を紹介します。奈良本の他、高野澄、佐方郁子、百瀬明治の4人が書いた京都の名所に関するエッセイ集。

奈良本辰也・編 『京都百話』

1984年に初版が出た本なので、古い説が採られていたりもしますが、京都の数多い名所の歴史やエピソードを知ることが出来ます。

三条大橋と高山彦九郎、高瀬川と寺田屋事件、姉小路公知が暗殺された「猿ヶ辻の変」の謎、北野と菅原道真の関係、三年坂伝説の変遷、小来栖での明智光秀の最期、神護寺と文覚上人、愛宕山が山城国に入ったわけ、栂尾の明恵上人と夢、西山の寺院と桂昌院(徳川綱吉の母。京都の八百屋に生まれ、徳川三代将軍・家光の側室となる。将軍の母として従一位を賜った)、伏見城と太閤秀吉など、京を色取った人物と事件と歴史の、文章によるタペストリーが楽しめます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月30日 (金)

紅葉の盛り

紅葉の盛り 北白川疎水沿いの紅葉

北白川疎水沿いの紅葉。写真では余りきれいに出ていませんが、実際は目に染みるほど鮮烈な赤です。

夏の酷暑の影響で遅れ気味だった京都の紅葉、今が盛りです。明日明後日は天気も良いとの予報が出ており、絶好の紅葉狩り日和となりそうです。ぜひ京都にお越しください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月29日 (水)

東京と京都 大学キャンパスの違い

私は大学生活を二度送っています。最初は明治大学で、二度目は京都造形芸術大学で、いずれも卒業しています。

東京にいる頃は当然だと思っていたことが京都ではそうではないということは多々ありますが、京都に来て面白かったのは、大学の建物の一つ一つに凝った名前がついていることです。

明治大学駿河台キャンパスは、記念館(のちにリバティタワーに建て替えられた)を除けば、5号館、6号館、7号館といったように単に建てられた順に番号が振られているだけでしたが(縁起担ぎからか、4号館と9号館、13号館は存在せず。また、10号館、11号館、12号館、14号館以外の建物はキャンパス再開発により現在は消滅)、京都造形芸術大学瓜生山キャンパスは、メインの建物が「人間館」、舞台芸術コースの入っているのが「天心館」(おそらく岡倉天心に由来)、映像スタジオのあるのが「青窓館」といった風に名前がついていました。

京都にある私立大学の多くが、キャンパス内にある建物に名前をつけています。

立命館大学衣笠キャンパスの時計台のある建物は「存心館」。他にも「以学館」や「学而館」など、建物のほぼ全てに名前がついています。

同志社大学今出川校地には重要文化財に指定されている「クラーク記念館」や「有終館」、「ハリス理化学館」などがあり、その他の建物にも「寒梅館」、「啓明館」などの名前がついています。
隣接する同志社女子大学も、国登録有形文化財に指定されている2つの建物、「栄光館」、「ジェームズ館」を始め、全ての建物が独自の名を持っています。

龍谷大学深草キャンパスは、1号館、2号館といったように番号制ですが、「紫英館」、「紫朋館」といったように名前がついている校舎もあります。

京都産業大学や京都外国語大学のように番号のみの校舎しかないところもあるのですが、私立大学に関しては建物に名前をつける習慣のある学校が多数派です。

一方、東京の私立大学は、番号制もしくはアルファベット制(A棟、B棟といったような)の大学が圧倒的。法政大学のように、竣工した年を名前に冠した校舎(「55年館」、「80年館」などがある)を持つ大学もありますが、この場合もネーミングは即物的で、全く凝っていません。

東京の大学では○年生、京都の大学では○回生と、学年の呼び方が違うというのは比較的知られていますが、建物に凝った名前をつけるかどうかというのは案外知られていない違いのようです。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年8月24日 (金)

水道水の話

京都の水道水は、夏になると生ぬるく、冬になると冷たくなります。これは決して当たり前のことではありません。

生まれ故郷の千葉市の水道水は、夏になると冷たく、冬になると温かくなります。快適です。

京都市の水道水は、おそらく上水道が余り深くないところを通っているために地表の温度に影響されやすいのでしょう。逆に千葉市の上水道は地下深くを通っているため、地表の影響を受けずに水温が一定であるため、夏には冷たく、冬には温かく感じられるのだと思われます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月12日 (火)

犬も京都じゃ暑気にあたる

犬も京都じゃ暑気にあたる 昼寝で暑さを紛らわす犬

暑い京都の夏。まだ初夏ですが、京都市の気温は30℃に達しています。

他の地域でも夏になると犬は日陰で休みますが、京都の場合は、日陰もまた暑いので(風や空気自体が熱気を帯びている)昼寝をして暑さをやり過ごす犬の多いこと多いこと。

街を歩いていると、ここでもあそこでも飼い犬は寝ています。これほど多くの犬が眠りこけている街は夏の京都以外には存在しないのではないでしょうか。

「犬も京都じゃ暑気にあたる」です(「犬も暑けりゃ暑気にあたる」の方が語呂がいいのですが、「暑い」と「暑気」はかぶるので「京都じゃ」にしました。こちらの方が正確でもあるので)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月31日 (木)

京都通への第一歩 『京都・観光文化時代MAP』

新創社と光村推古書院が共同で作り上げた「京都時代MAP」シリーズの第3弾、『京都・観光文化時代MAP』を紹介します。

『京都・観光文化時代MAP』

先に出た『京都時代MAP 幕末維新編』と『京都時代MAP 安土桃山編』に加え、京都が上京と下京に二分されていた室町時代、そして京都の礎の築かれた平安時代の地図も加えた決定版的一冊です。

それぞれの時代の京都地図の上に、半透明の紙を使った現代の京都の街の地図を重ねることで、今、この建物がある場所にはかって何があったのか、それも平安時代、室町時代、安土桃山時代、江戸幕末の時代に何があったのかを知ることが出来ます。
京都という街を歴史という縦軸と地理という横軸で捉えることが可能なわけです。

特に平安時代編では、「あの人はここに住んでいたのか!」、「あの建物はここにあったのか!」という発見の喜びを歴史好きに与えてくれます。

地図以外にも、「応仁の乱」、「本能寺の変」、「池田屋事件」など、京都を舞台とした数々の事件に関する記事も充実しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月26日 (月)

京都の良さ

本当の京都の良さは「静寂」があって初めて感じられるものが多い。「つゆおとなうものなし」というわびしさや、「静」を至上とした佇まい。そこに京の美の本質が現れることがある。

ただ、京都は観光地であり、ガイドマップ等の紹介もあって、穴場とされた場所にも多くの人が押し寄せるようになり、そうした深閑とした良さを感じさせる場所が段々少なくなってきている。

だからそうした寂たる趣に満ちた場所は自分の足を使って探すしかなくなってきている。いやきているではない。もともと京都は足で稼ぐ街だったのだ。自分が気に入る場所を探せるというのが京都の街の本来の、そして本当の良さでもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月28日 (水)

帰京、帰洛、帰阪

東京に帰ることを「帰京」という。同じく京都に帰ることを「帰洛」といい、大阪の場合は同様に「帰阪」という。しかし、日本の都市の中で、その土地に戻ることを指す、誰もがわかる用語を持つのは、この東京、京都、大阪だけだ。つまり江戸時代の三都である(地元の人だけに通用する言葉なら全国のあらゆる都市にあるようだが)。

大阪よりも人口が多い横浜は「浜」という漢字一字で表されることがあるが、「帰浜」という言葉が使われることは少ない。

京阪神という言葉で、京都や大阪と並び称される神戸であるが、「帰神」という言葉は神戸の人にしか通じない。他の土地の人に、「帰神(きしん)してます」と電話で話しても、「え? 何を寄進したの?」と聞き返されそうだ。

日本三大都市圏の一つ中京圏の中心で日本第4の都市である名古屋に帰ることをいう「帰名」も一般的ではなく、IMEでも変換されない(名古屋では普通に使われているようだが)。札幌市に帰ることを指す「帰札」はIMEで一発変換できるが、辞書には載っていないので俗語なのだろう。

江戸時代の三都は今でも特別な都市であることが、こうしたことからもわかる。

千葉は「葉」という一字で表せるのだが、「帰葉」という言葉は存在しない。「帰葉」といっても通じる人には通じると思うが、通じる人にしか通じない言葉というのは言葉として弱すぎる。

というわけで、2日前に「千葉に帰り」、今日「帰洛した」私なのだった。

※なお、辞書に載っているのは、「帰京」と「帰洛」だけです。「帰阪」という言葉は全国的に通用すると思いますが、辞書には載っていません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月16日 (火)

ユリカモメの季節

鴨川のユリカモメ(都鳥)

今やすっかり京都の冬の風物詩となった鴨川のユリカモメ。ユリカモメが鴨川に初めて群れをなして飛来したのは私が生まれた1974年のことだそうです。以後、30年以上に渡り、毎年冬になるとユリカモメは鴨川にやって来ます。餌付けが成功したためとも言われています。

別名を都鳥というユリカモメ。鴨川を泳ぎ、周辺を舞う姿は優雅で心が和みますが、四条大橋以南の上空をユリカモメの大群が輪になって飛行している様(「鳥柱」というらしい)を見るとヒッチコックの「鳥」を連想して少し不気味になったりもします。
とはいえ、基本的には愛らしいユリカモメ。地球温暖化のためか飛来する数が年々減っているとのことですが、これからもずっと京都の冬の名物であって欲しいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月20日 (水)

『御土居堀ものがたり』

中村武生著 『御土居堀ものがたり』 豊臣秀吉により、京を囲う形で作られた惣構の土塁「御土居」。京都が城塞都市であった頃の名残である。江戸時代以降次第に破壊が進み、戦後、京都市街の拡大により数えるほどしか残っていない御土居堀の魅力に迫る一冊、『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター)。
著者の中村武生氏は御土居堀の跡に建つ佛教大学の大学院生時代より御土居堀の研究を始め、現在では佛教大学や花園大学の非常勤講師を務めている。
なお、通常は「御土居」という名の方が通りが良いが、中村氏は御土居の外に堀があったことを重視、「御土居堀」という名を用いている。

惣構の説明に始まり、御土居堀の歴史と役割、現存する御土居堀とかって御土居堀のあった場所を地図を用いて説明するなど歴史に詳しい人にもそうでない人にもわかりやすい内容となっている。

「JR京都駅の1番線ホーム(現在は0番線ホームとなっている。日本一長いプラットホームである)は御土居を利用したもの」という話が実は俗説に過ぎないことを明かすなど、御土居堀の歴史を探るのに欠かせない一冊と言える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月16日 (土)

京都の歌

ご当地ソングというものがあります。日本全国の地方や都市を舞台とした歌です。古都というブランドもあって京都を舞台とした歌はいくつもあります。

「渚ゆう子 ベスト30」 京都を歌う歌手として有名なのは何といっても渚ゆう子でしょう。京都人と勘違いされることも多いですが、大阪市生まれで、現在も大阪でハワイアン歌手として活躍しているそうです。

この「渚ゆう子 ベスト30」というアルバム(東芝EMI。渚ゆう子のヒット曲は3、4曲なのですが、余りヒットしなかった曲や最近の曲も入れてベスト30として発売しています)にも、「京都の恋」、「京都慕情」(いずれもベンチャーズの作曲)の有名曲のほか、“♪京都~大原三千院~”という歌いだしが有名な「女ひとり」のカバーや「京都慕情」への返歌ともいうべき「京都ひとり」など京都を舞台とする歌、全11曲が収録されています。

「京都慕情」は、京都のインディーズバンドであるSunny Side Upによりカバーされています。

サニー・サイド・アップ「京都慕情」 これがSunny Side Up版「京都慕情」のCDシングルジャケット。Sunny Side Upは男性2人、女性1人の3人編成によるバンド(現在はSUNISAIに名称変更)。村井伸吾と山田和嘉子の2人がボーカルを務めますが、「京都慕情」では村井伸吾がメインボーカルを担当しています。男性ボーカルによる「京都慕情」もいいものです。Sunny Side Upの歌う「京都慕情」は2002年の9月に発売され、2003年には京都インディーズチャートで1位を獲得しています。

さらにキャンペーンソングとして京阪電鉄の「出町柳から/朝靄の京橋で乗り換え」(YODOYA RECORD)があります。
中之島ゆき 「出町柳から」&「朝靄の京橋で乗り換え」 2003年に製作されたもので、中之島ゆき名義の女性歌手が歌っています(正体は元アイドルグループのメンバーで、最近はテレビドラマ「結婚できない男」にも出演していたあの人です)。京阪電鉄のキャンペーンソングだけに京阪の駅名が次々出てくる(だけの?)歌です。音楽として楽しむ種類のものではありませんが、京阪電車をよく利用する人や、京阪沿線で暮らす人々には嬉しい曲です。

渚ゆう子/ベスト 30 (Re-issue)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月26日 (日)

診察時間

京都に来て意外に思ったのは、病院の診察時間が午前中と夕方からであったこと。午前中は午前8時頃に始まって12時頃に終わる。これは千葉でも一緒である。しかし千葉の場合は午後の診察があって、だいたい午後2時か3時、早いところは午後1時に始まり、6時には診察が終わってしまう。
一方、京都には、午後は4時か5時という比較的遅い時間に診察が始まって午後8時頃まで開いている病院が多い午後一で診察を行うところはほとんどないが、遅くまで病院が開いているということはサラリーマンには便利である。

私も東京で会社員をしていた(といっても短い期間だが)頃は、病院通いに苦労した。風邪の時は朝一で、地元である千葉の医院で診察して貰ってから会社に向かい、遅れた時間分だけ残業時間を長くした。会社にいる時間に軽い風邪の症状を感じても、その日の内に病院にかかることはほとんで出来ない。会社での勤務時間帯と病院の開いている時間帯が一緒なので通院しながら会社に通い続けるということも難しい。だから土曜日の病院は混雑するところが多かった。

しかし京都のサラリーマンは、多少残業があっても勤め帰りに診察を受けることが出来る。午後すぐの時間帯に何かあった時は困るが、持病があっても通院しながら会社員を続けることは難しくはない。

千葉市の方が人口におけるサラリーマンの割合が多いイメージがある(実際はどうなのだろうか? 人口そのものは京都市の方が千葉市より50万人ほど多い)が、診察時間がサラリーマン向けに設定されていないというのは不思議である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月17日 (金)

好きな短歌(7)

汝や知る都は野辺の夕雲雀揚がるを見ても落つる涙は 飯尾彦六左右衛門尉

好きな短歌というわけでは正確に言うとないのですが、今日、あることがきっかけでこの歌が頭に浮かんだので記しておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 7日 (火)

北山時雨

京都の晩秋の風物詩である北山時雨。北山の方からやって来る通り雨のことである。晩秋から冬にかけて日本海側に荒天をもたらす雪雲は日本列島の中心部を横断する山脈や山地によって遮られ、南側には影響しないことが多いのだが、京都の場合は北側の山が低いので雲を完全に抑えることが出来ずに時雨となるのである。

以前、「男心と秋の空」の「秋の空」とは京都の秋の空だという記事を載せたが、京都の変わりやすい秋の天気は、この北山時雨によるところが多いとされる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月11日 (月)

男心と秋の空

「男心と秋の空」は変わりやすいものの代表をいった諺だ(「女心と秋の空」はのちに出来た俗諺で、辞書によっては載っていないこともある)。

ところで「秋の空」は変わりやすいのだろうか。秋の空というと「天高く」というように澄み切ったイメージが強く、変わりやすいという印象はすぐには浮かばない方の方が多いと思われる。

実は「男心と秋の空」の「秋の空」とは京都の秋の空のことである。他の地域とは異なり京都の秋の空は気まぐれである。晴れていたかと思うと、突然雨が降り出す。俄雨が毎日のように続く。晩秋から初冬にかけての京都の風物詩である「北山時雨」もある。

というわけで、「男心と秋の空」は京都に於いてこそ実感できる諺なのだった。まあ、男心の方は京都でなくても実感出来るが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月30日 (日)

消えた「どんどん焼け」

「京都では戦前といえば応仁の乱の前を指す」という言葉を耳にされた方は多いと思う。太平洋戦争で京都が罹災しなかった(実際は罹災したのだが隠された)故に生まれた言葉だと思われるのだが、果たして本当だろうか?

応仁の乱以降も京では戦乱が起こっている。天文法華の乱、本能寺の変などだが、その中で最大のものは元治元年(1864)7月19日に起こった禁門の変であろう。

前年の八月十八日の政変で、京を追われた長州が「会津討つべし」と再上洛。これを会津・桑名・薩摩連合軍が迎え撃ち、御所蛤御門周辺を最激戦地とし、洛中各所で戦いが起きた。

戦いは一日で終わったため、これだけなら戦争というほどのことはなかっただろう。しかし長州藩邸から起こった火は三日間に渡って燃え続け、洛中の3分の2を焼いたという(これを「どんどん焼け」という。「どんどん」とは大砲の音の擬音だということだ)。これだけの被害が出ると「戦争」と認識するのが普通のような気もする。そしてどんどん焼けから立ち直る前に維新を迎えてしまった京都は天皇の東京御幸(そして帰ってこなかった)、町並みの変化など一大転換期を迎えることになる。

また太平洋戦争時も、京都人は出征したのであり、多くの方が亡くなった。また、延焼を防ぐために街が改造された。これでも「戦争がなかった」という意識を持つものなのだろうか?

「京都では戦前といえば応仁の乱以前を指す」という言葉は、もともとは「どんどん焼け」を知らないよそさんが京都人をからかうために作った質の悪い冗談ように思える(実際、笑い話として用いられる場合が多い)のだが、果たしてどうなのだろう。仮に応仁の乱以前を本当に「戦前」と呼ぶにしても、その「戦前」の話などすることがあるのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月17日 (月)

祇園囃子幻想

祇園囃子幻想

写真はKYOTO RECORDSから発売されている「祇園囃子」のCDジャケット。

祇園祭といえば、宵々々山、宵々山、宵山、山鉾巡行などが連想されますが、祇園祭そのものは、7月の間中続きます。そしてその間、商店街では、このCDに収録された祇園囃子がスピーカーから流れています。そして勿論、宵々々山から宵山にかけては、四条通近辺で本物の祇園囃子が鳴り響きますし、山鉾巡行の日は、祇園囃子とともに山や鉾が動いていきます。

私は京都に移住したのは2002年のことですが、その年の夏、街の至る所から祇園囃子が流れてくるのを聴いて、異界に迷い込んでしまったような、目の前に違う現実が開けているような、そんな思いに駆られました。

祇園囃子は、西洋の音楽とは全く異なる霊感に満ちています。それは私の頭の中に見たこともない別世界を作り出します。

もともと幻想小説は好きで、エドガー・アラン・ポーやギ・ド・モーパッサン、内田百閒、泉鏡花の小説などを愛読していたのですが、祇園囃子の響きが形作る世界には、彼らの小説に通ずるものがあるように思います。

祇園囃子を聴くと、私の意識は別世界に飛びます。そこには生もなく死もなく、人の姿さえもなく、幾万の風車(かざぐるま)が風に歌い、風鈴の音が時間を凍らせています。寂しい世界です。しかし寂しいながらもそこには懐かしさがあります。

なぜ私がそんな世界を思い浮かべるのかは自分でも良くわからないのですが、おそらくこれまでの人生で経験してきた様々な光景が渾然一体となり、そうした幻想へと収斂されていくのでしょう。そして祇園囃子はその幻想を開く鍵の一つなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 1日 (土)

東京、京都

1994年の春から2002年の春まで、東京に通う生活を続けた。他県に住みながら東京で一日の大半を過ごす人を俗に「○○都民(○○には県の名前が入る)」という。私は千葉市民だったから、「千葉都民」ということになる。

東京は関東平野の中央に位置する街であり、拡がろうと思えば関東平野一杯まで拡がることが出来る。
関東には東京の他にも、横浜市、川崎市、千葉市、さいたま市といった政令指定都市を始め、多くの大都市があるが、それらは全て東京の衛星都市であり、東京なしでは成り立たない街だ。そしていずれも「東京らしさ」に浸食された「擬似東京都市」であり、東京の一機能を担った「東京化された街」も多い。

東京は実に大きいのである。

江戸時代に人口100万を超え、世界一の大都市となった東京(江戸)は、明治になって首都となり(遷都の詔が出ず、また「奠都」〔新たに都を作ること。都を移す遷都とは異なる〕という言葉を使ったため、今もなお、紛らわしいことになっている)、日本の中心となった。

中心となったと書いたのは日本が東京を中心とする中央集権国家となったためである。それまでは地方分権が基本であり、地方のことはその地の当主(大名)が決めていたのだ。しかし、それでは近代化が遅れるということで、明治政府は首都を東京に移し、中央集権国家を造り上げた。

それは当時としては意味も意義もあることだった。実際、日本は世界史上、稀な急成長をその後二度も成し遂げている。

しかし、そのために、日本全体が東京化することになった。それは戦後の「アメリカ化」にも似た強烈さだった。関東にはミニ東京がいくつも出来、大阪も第二東京のようになってしまった。

あらゆる面で「個性」が失われた。失うことが実は善しとされていたのではないかという気もする。

8年間の東京生活、若しくは27年間の東京傘下での生活を経て、私は今、京都で暮らしているのだが、ここもまた「東京らしさ」の浸食を免れてはいないようだ。

もちろん、良くも悪くも京都らしさは残っている。東京らしさに対抗できる(対抗なんてしなくてもいいのかも知れないが)個性を提示できる街