カテゴリー「演劇」の321件の記事

2017年12月17日 (日)

観劇感想精選(223) 「24番地の桜の園」

2017年12月8日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて

午後7時から、森ノ宮ピロティホールで、「24番地の桜の園」を観る。
24番地というのは、東京・渋谷にあるシアターコクーンの住所だそうで、演出を担当した串田和美による日本独自の「桜の園」を作り上げたいという心意気が込められているようだ。
 
原作:アントン・チェーホフ、演出・脚色・美術・出演:串田和美、翻訳・脚色:木内宏昌。出演:高橋克典、風間杜夫、八嶋智人、松井玲奈、美波、大堀こういち、池谷のぶえ、尾上寛之(おのうえ・ひろゆき)、北浦愛(きたうら・あゆ)、菅裕輔(すが・ゆうすけ)、新田祐里子、大森博史、久世星佳、小林聡美。楽士としての出演:太田惠資、大熊ワタル、関島種彦、アラン・パットン、飯塚直、ギデオン・ジュークス。

本来の「桜の園」ではクライマックスに近い、ロパーヒン(高橋克典)とレオニード(風間杜夫)が競売から戻ってくる場面から始まる。ただ競売の結果は知らされることなく、物語は桜の園の思い出へと移っていく。

百科事典にも載っているという桜の園。だが地主のリューバ(小林聡美)と兄のレオニードは没落しており、桜の園を手放さざるを得ない状態にある。農奴の階級から成り上がったロパーヒンは桜の園を貸して別荘地にすることを提案するが、リューバは承知しない。お金がない状態でありながらリューバは浪費癖を治すことが出来ず、レオニードの頭の中はビリヤードのことばかり。
リューバの娘であるアーニャ(松井玲奈)は、亡き弟の家庭教師であったペーチャ(八嶋智人)に気がある。ペーチャは高邁な理想を抱いており、「ロシアのインテリ達は何もしていない。労働こそが人間の歩みべき道だ」と説いているが、いい年をしてまだ大学生、それも卒業できる見込みもない万年大学生で当然ながら労働もしておらず、そのことをロパーヒンにからかわれている。

時代が変わっていく。貴族や大地主の時代が終わる。実力の時代が、ロパーヒンのように身分を己の腕で勝ち取るがやってくる。だが、リューバとレオニードも時代の波に乗ることが出来ない。その悲哀が惻々と伝わってくる。

チェーホフが書いた部分の他に、銀行の支配人(頭取)になったレオニードの、想像の中でのドタバタ劇が足されていたり、ピーシチク(串田和美)とピーシチクの夫人となる女性(池谷のぶえ)との恋愛劇(「熊」)が挿入されていたりと、様々な要素が散りばめられている。レオニードの三輪車に乗りながらのモノローグは、太宰治の「斜陽」からの引用のようである。また桜の園を追われる人々の姿にイスラム圏の難民の姿(もしくはカナンの地を追われたアシュケナージ)が重ね合わされている部分もある。

テレビではコミカルなおばちゃんというイメージの強い小林聡美だが、舞台では流石の演技力を発揮して魅力十分。リューバの可憐さを存分に描き出していた。

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2017年11月19日 (日)

観劇感想精選(222) 佐々木蔵之介主演 「リチャード三世」

2017年11月4日 森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後6時から、森ノ宮ピロティホールで「リチャード三世」を観る。「演劇史上最も魅力的な悪役」と断言してもいいタイトルロールを演じるのは佐々木蔵之介。

「リチャード三世」は、以前に古田新太主演の劇団新感線版をシアターBRAVA!で観ており、野村萬斎が現代狂言に仕立てた「国盗人」も兵庫県立芸術文化センター中ホールで二度観ている。

作:ウィリアム・シェイクスピア、木下順二が日本語訳したテキストを使用、上演台本・演出はシルヴィウ・プルカレーテ。主演は、佐々木蔵之介、手塚とおる、今井朋彦、長谷川朝晴、阿南健治、壌晴彦(じょう・はるひこ)、山中崇、植本純米、山口馬木也、土屋佑壱、河内大和(こうち・やまと)、浜田学(はまだ・まなぶ)、櫻井章喜(さくらい・あきよし)、八十田勇一(やそだ・ゆういち)、有薗芳記、渡辺美佐子ほか。音楽:ヴァシル・シリー。演出補:谷賢一。

シルヴィウ・プルカレーテはルーマニア出身の演出家。エディンバラフェスティバル批評家賞最優秀作品賞、ピーター・ブルック賞、ダブリン演劇祭批評家賞など数々の栄冠を勝ち得ているという。

耽美的な「リチャード三世」という印象である。

三面が石壁という舞台設定(実際はカーテンが降りている)。酒場とおぼしき場所。三人のサックス奏者が演奏し、白いシャツを着た男達が車座になって、音楽に合わせてステップを踏んで踊っている。その中の一人が客席の方に向き直る。佐々木蔵之介(リチャード三世)である。佐々木は有名な冒頭のモノローグを語り、セリフをクラレンス役の長谷川朝晴に振る。冒頭は酒場に集った男達が余興で「リチャード三世」を演じているという設定である。そのままの設定でいくのかと思ったが、余興というのは冒頭のみの設定だったようで、その後は比較的リアルな演技スタイルでの上演が行われる。

渡辺美佐子以外は全員男性というキャスト。紅一点、と呼ぶには年が行きすぎているかも知れないが、渡辺美佐子が演じるのは代書屋という役名のオリジナルキャスト。正体はおそらくシェイクスピア本人であると思われる。代書屋はラフを巻いている。

佐々木蔵之介演じるリチャード三世は酒をラッパ飲みし、スープを鍋からかっくらうという野性味溢れる人物である。リチャード三世はせむし(体が曲がっている)という設定だが、佐々木はいくつかのシーンで体を屈めての演技を行っていた(リチャードがせむしを演じているという設定)。

映像を使用しており、リチャード三世の夢のシーンではその映像と影アナで独特の雰囲気を生み出していた。

佐々木蔵之介は「マクベス」で主演したときも戦闘シーンを端折ったバージョンで上演していたが、今回も戦闘シーンはなく、リチャード三世と代書屋の二人だけのシーンを代わりに入れていた。

リチャードに殺された人々が現れて呪いの言葉をリチャードに次々と浴びせる悪夢の場面は、サックスの伴奏に合わせて幽霊達が歌うという処理がなされていた。少し軽い気もするが、その後のアンビエントミュージックを使用したシーンと見事な対比を生んでいたように思う。


最初は舞台上に大勢いた人々が徐々に減っていき、リチャード一人だけの場面へと繋がる。所詮は道化のリチャード。その寂寞とした孤独感が胸に染みる。


カーテンコールは4度。3回目からは客席が総立ちとなった。

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2017年11月 6日 (月)

笑いの林(96) 大阪文化芸術フェス2017「劇団アニメ座 ~逆襲のアニメ座~」

2017年10月26日 よしもと西梅田劇場にて観劇

午後7時から、よしもと西梅田劇場で、大阪文化芸術フェス2017「劇団アニメ座 ~逆襲のアニメ座~」を観る。

先月末にオープンしたばかりのよしもと西梅田劇場。大阪中央郵便局の跡地にある西梅田スクエアの西端に建てられた仮設劇場である。噂には聞いていたが本当にテント小屋のような感じで、防音のための施工はなされておらず、すぐそこが大阪駅ということで劇場の中にJR列車の走る音が絶えず入ってくる。

出演:若井おさむ(座長)、天津・向清太朗、桜 稲垣早希、R藤本(今回は脚本も担当)、キャベツ確認中、こりゃめでてーな・伊藤、セブン by セブン・玉城、スタジオカドタ、ぬまっち(松竹芸能)、がっき~、堀川絵美、虹。特別出演:小澤亜李(おざわ・あり。声優)、千本木彩花(せんぼんぎ・さやか。声優)。

弱小芸能プロダクションのアニメ座エンターテイメントが舞台。向清太朗がマネージャーを務め、アニメ芸人数名が所属しているだけの事務所である。ただでさえ仕事が少ないのに、このところ仕事がパッタリと絶えてしまった。所属芸人であったベジータ(R藤本)が大手プロダクション、ネオ・アニメーション・ジ・オリジン(ネオジオ)に引き抜かれ、ネオジオのシャア芸人・ぬまっちと共にアニメ座エンターテイメントの妨害をしているのが原因のようである。
悪いことに、カイジ芸人のこりゃめでてーな・伊藤が一千万の借金を背負ってしまう。来週、近くでニュースターオーディションという新人のためのオーディションがあり、優勝賞金が一千万だと知ったアニメ座エンターテイメントの所属芸人は、賞金目当てでニュースターオーディションに参加する。

まず若井おさむによる影アナでスタート。天津・向のセリフは大半が説明台詞であり、彼が狂言回し役を務める。
劇団とはいっても、お笑いの演目では「コーナー」に入る場面が多くあり、堀川絵美(高橋真梨子の「for you...」を歌う)とこりゃめでてーな・伊藤(田原俊彦の「抱きしめてTonight」を歌真似入りで歌う)による歌合戦、がっき~&セブン by セブン・玉城VSキャベツ確認中による演技対決、早希ちゃんとスタジオカドタによる「インテリ対決」、全員参加による「声優対決」などがある。

インテリ対決であるが、お勉強が苦手な早希ちゃんとスタジオカドタによる対決であるため(早希ちゃんは「インテリ」を「インターナショナルなテリーマン」だと思っているようである)珍答続出。
答えをフリップに書いて出すクイズ対決なのだが、「安土桃山時代に茶道を完成させた人物は誰?」という問い(答えは千利休)に早希ちゃんは「茶々」と回答。「茶道」も「ちゃどう」と読んでいた。スタジオカドタは「千ノ里丸」と回答。「せんのりきゅう」という音はあっていたようだが、なぜか「九」に一画入れて「丸」にしてしまったようである。

「現在の大相撲4人の横綱のうち3人の名前を書きなさい」というクイズ。スタジオカドタは「横綱は世界に一人しかいないんじゃないのか?」と頓珍漢なことを言う。スタジオカドタは「白龍(はくりゅう)」「白砲(はくほう)」「山大国(やまたいこく)」と書いて正解ゼロ。早希ちゃんも「場ゑ戸(元大関の把瑠都のことのようだ。もう引退してるし、そもそも横綱にはなっていない)」「白方龍(はくほうりゅう)」「米二式(こめにしき)」という滅茶苦茶な回答であった。

最後は英訳問題。「彼は働いていないどころか仕事を探してもいない」という、「not but構文」を用いる問題なのだが、早希ちゃんは「英語で答えるんですか?」と珍発言。二人とも「not but構文」は知らず、早希ちゃんは「He bijines(businessのことのようだ) not job,not job,not job」と“not”を繰り返すだけの文章。スタジオカドタは長く書いたが、英語の体をなしているところがほとんどなく、やはりというかなんというか、二人とも正解を一つも出せずに終わった。


声優の二人は、オーディションの審査員という設定で登場。芸人達の芸を見る。声優対決では、芸人書いたセリフを読み上げてもいた。小澤亜李のことを向は「言葉が荒れてる」と言っていたが、結構な毒舌で、それも悪意があるのではなく、普通にしていても言葉がきつくなってしまうようで、近くにいると困るタイプかも知れない。

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2017年10月 6日 (金)

観劇感想精選(221) 大竹しのぶ主演 ミュージカル「にんじん」

2017年9月2日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午後4時30分から、道頓堀の大阪松竹座で、ミュージカル「にんじん」を観る。原作:ジュール・ルナール、テキスト日本語訳:大久保洋、脚本・作詞:山川啓、演出:栗山民也、音楽:山本直純、出演:大竹しのぶ、中山優馬、秋元才加、中山義紘、真琴つばさ、今井清隆、宇梶剛、キムラ緑子ほか。

赤毛でそばかすがあるため、皆から「にんじん」と呼ばれているフランソワ(大竹しのぶ)の物語である。「出来が悪い」「駄目」などと言われ、家庭の中にあっても居場所が見つけられないにんじん。
にんじんの両親(宇梶剛とキムラ緑子が演じている)のも仲が悪く、互いが会話を交わそうとせず、結局、にんじんが間を取り持つことになる。にんじんから見れば自分よりもはるかに優遇されているように見える兄のフェリックス(中山優馬)と姉のエルネスティーヌ(秋元才加)であるが彼らは彼らで内心の葛藤を抱えていて……。
ミュージカル「にんじん」の実に38年ぶりの再演である。当時20代だった大竹しのぶも還暦を迎えた。第1幕が45分ほど、30分の休憩を挟んで第2幕が1時間ほどと、決して長い作品ではなく、年齢に関係なく楽しむことの出来る作品であると思われる。
にんじんがなぜそれほど人から、就中母親から嫌われるのかについてはそれなりの答えが用意されている。

山本直純の音楽は多少古さを感じさせるが(時代を超えるのは思いのほか難しいようである)、彼ならではの「ドラマ」を感じさせる出来となっている。

大竹しのぶが少年「にんじん」を好演。中山優馬が兄を、秋元才加が姉を演じるというキャストの中で違和感がないどころか説得力のある演技と歌唱で魅せた。

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2017年9月15日 (金)

観劇感想精選(220) 演劇集団マウス・オン・ファイア 「ゴドーを待ちながら」京都

2017年9月10日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、「ゴドーを待ちながら」を観る。アイルランドのカンパニーである演劇集団マウス・オン・ファイアによる上演。英語上演、日本語字幕付き。作:サミュエル・ベケット、演出:カハル・クイン。出演:ドンチャ・クロウリー、デイビッド・オマーラ、マイケル・ジャッド、シャダーン・フェルフェリ、下宮真周(しもみや・ましゅう)。ラッキーを演じるシャダーン・フェルフェリはインド出身、下宮真周は中学校1年生の少年である。東京・両国のシアターX(カイ)と演劇集団マウス・オン・ファイアの共同製作。
今回は作者であるベケット本人の演出ノートを手がかりに、ベケット自身の演出を忠実に再現することを目指したプロジェクトである。


「ゴドーを待ちながら」を観るのは記憶が正しければ3回目である。最初は2002年に東京・渋谷のシアターコクーンで(正確に書くとシアターコクーン内特設劇場のTHE PUPAで)串田和美演出のもの(串田和美のエストラゴン、緒形拳のウラジーミル)を観ており、京都に移ってからは近畿大学舞台芸術専攻の卒業公演で上演されたものを観ている。


「ゴドーを待ちながら」は初演時に大スキャンダルを巻き起こしたことで有名で、特にアメリカ初演の際は、1幕目終了後に客が列をなして帰ってしまったという話が伝わっている。

セットらしいセットを用いず、出演者は5人だけ。特にドラマらしいことも起こらないまま作品は進んでいく。

舞台上で描かれるのは人生そのものであり、大半の人間の人生がそうであるように、起伏というものがほとんどない。ということで「つまらなければつまらないほど上演としては成功」と考えられる作品である。

今回の上演では、移民や難民の問題に直面する社会を描くということで、ラッキーにインド人のシャダーン・フェルフェリを配役し、木の形をロシア正教のシンボル(八端十字架)に似せ、ポォツォやラッキーの服装に帝国主義を表す「青、赤、白」の要素を取り入れているという(ロシア、イギリス、フランス、アメリカなど帝国主義の国は国旗にこの色を用いている)。エストラゴンとウラジーミルという二人の浮浪者を始めとする現代人を圧迫しているのが帝国主義という解釈である。


行き場のない浮浪者であるエストラゴンとウラジーミル。生きる意味をなくしてしまっているようにも見えるのだが、「ゴドーを待つんだ」というそのためだけに「ここ」で待ち続けている。「救世主」なのか(「ゴドー」とは「ゴッド」のことだという解釈がよく知られている)、あるいは「死神」なのか。それはわからないが、ともかく「最期」にやってくるのがゴドーである。ゴドーが来るまでは我々はどこにも行けず「ここ」にいるしかない。たまに自殺という手段で「ここ」から逃げ出してしまう人もいるが劇中ではそれも封じられている(エストラゴンとウラジーミルの二人が死を望んでいることはそれとなく示されてはいる。一方でウラジーミルがしきりに尿意を催すことは「生きている」ことの象徴でもある)。劇中で行われるのは「退屈極まりない」という人生の属性をいかにして埋めていくかという作業である。時には観客も題材にしたりする。
ポッツォとラッキーの乱入はあるが、その場を掻き乱したり、時間の経過やその厳格さを示すだけであり、生きるということの本質を揺るがしたりはしない。我々はどこにも行けず、ただ「ここ」で来るのかどうかもわからないゴドーを待ち続けているだけである。

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2017年7月15日 (土)

観劇感想精選(219) 下鴨車窓 「渇いた蜃気楼」2017大阪

2017年7月7日 大阪・周防町のウイングフィールドにて観劇

午後8時から、大阪・周防町のウイングフィールドで、下鴨車窓の公演「渇いた蜃気楼」を観る。
「渇いた蜃気楼」は、2014年に「わたしの焦げた眼球/遠視」というタイトルでOFT名義で初演され、翌年に現在のタイトルに変わっての下鴨車窓での再演が行われ、その後毎年上演が行われている。今年は先に札幌での公演が行われ、今日から3日間、大阪での上演がある。
作・演出:田辺剛。出演:大沢めぐみ、藤原大介、高杉征司(三人のローマ字表記の頭文字を採ったOFTというユニットを組んでいる)。

「渇いた蜃気楼」は電子版の台本が発売されている。私も台本は読んでいるのだが、上演を観る上では本を読まずにフラットな状態で臨んだ方が良かったように思う。


とある田舎町が舞台である。酷暑。内陸にあるこの町では水が不足しており、亮と真澄の夫妻が暮らす高台のアパートには水が回らなくなっている。仕方がないので、亮がポリタンクを手に、スーパーに設置された給水所から水を運んでいる。亮は自転車にポリタンクを乗せて運んでいたのだが、その自転車が盗まれるという出来事が発生、舞台はその直後から始まる。

亮はこの町の工場で働いていたのだが、クビになり、現在は退職金と真澄のパート代で暮らしている。亮と真澄は高校の同級生。東京で出会い、出身地に近いこの町に戻ってきて入籍した。
どことなく「隘路」のようなこの場所に高校時代の同級生である雄二が訪ねてきたことで、過去の記憶により現在が波立つという物語である。

過去も現在も不安定である三人の、バランスの不確かさが明らかになっていく。現在は過去に束縛され、過去は現在によって歪む。平穏な日常に「何か」が黒い口を開けて潜んでいるようにも見える。
ホラーではないので、追求を行うことはなく、舞台は日常へと戻っていくのだが、それ故に起きたさざ波が印象深くなるようになっている。

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2017年6月27日 (火)

観劇感想精選(218) ミュージカル「パレード」

2017年6月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、ミュージカル「パレード」を観る。1913年にアメリカ・ジョージア州アトランタで起こったレオ・フランク事件に基づく作品である。1998年にアメリカで初演され、1999年度のトニー賞最優秀作詞・作曲賞、最優秀脚本賞を受賞している。

作:アルフレッド・ウーリー、作詞・作曲:ジェイソン・ロバート・ブラウン、共同構想およびブロードウェイ版演出:ハロルド・プリンス、演出:森新太郎。出演:石丸幹二、堀内敬子、武田真治、新納慎也、坂元健児、藤木孝、石川禅、岡本健一ほか。

1913年、アトランタ。南軍戦没者記念日。南北戦争終結から半世紀が過ぎたが、南北戦争従軍者や南部の男達はパレードに参加して南部の誇りを歌い上げていた。
ニューヨーク出身のユダヤ人であるレオ・フランク(石丸幹二)は、アトランタ生まれのユダヤ人であるルシール(堀内敬子)と結婚し、アトランタに住んでいる。アトランタの鉛筆工場に工場長として就職したためで、工場長の職は妻のツテを伝って得たものだった。北部出身のレオはアトランタの街に馴染めないものを感じていた。

南軍戦没者記念日にも仕事に出掛けたレオは、訪ねてきた13歳の少女、メアリー・フェイガンに給料を渡す。

だが、その日、メアリーは家に帰らず、黒人のニュート・リーがメアリーの遺体を発見する。第1発見者のニュート・リーと、工場長であるレオ・フランクが容疑者として逮捕される。逮捕されたのが黒人だとユダヤ人だと知ったジョージア州検事のヒュー(石川禅)は、差別の問題なども絡めてレオ・フランクを裁判に掛けるよう命令する。裁判では反ユダヤ反北部の気風により偽証が相次ぎ、レオには死刑が宣告される……。

レオ・フランク事件は、その後、完全な冤罪であるとされ、真犯人と思われる人物もわかっているのだが、レオはレイシズムの犠牲者のなったことがわかっている。ただ、今もレオが真犯人だと思い込んでいる人達がいるそうである。

偏見によるでっち上げが真実とされ、犠牲者が出ていく。冤罪が生まれる過程は、海の向こうのよそ事ではない。


ストリートプレーでなくミュージカルとして制作されたのは、音楽が物語の陰鬱さを中和するとともに物語を強く推し進める役割を果たしているからだと思われる。スネアが鳴るなど、南部特有の荒っぽく、リズミカルな伴奏に乗ってメロディーが紡がれていく。オーケストラピットが用いられており、上手と下とに橋が渡してあって、出演者がそこに乗って歌や演技を行うこともあり、またキャストがオーケストラピットから入退場を行うこともある。

重苦しくて嫌な話だが、出演者の好演と音楽や歌の充実もあり、骨太の上演となった。

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2017年6月18日 (日)

観劇感想精選(217) ミュージカル「王家の紋章」2017大阪

2017年5月24日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇
 

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「王家の紋章」を観る。細川智栄子あんど芙~みんによる同名少女アニメのミュージカル化。原作マンガは1976年に連載開始で、現在も連載中という、41年の歴史を誇るロングヒット作である。エジプトで考古学を学ぶアメリカ人の少女・キャロルと古代エジプトの王・メンフィスとのロマンが描かれる。
脚本・作詞・演出は、荻田浩一。作曲・編曲は、シルヴェスター・リーヴァイ。音楽監督:鎮西めぐみ。東宝の製作。
出演は、浦井健治、新妻聖子、平方元基(ひらかた・げんき)、伊礼彼方(いれい・かなた)、愛加あゆ、出雲綾、矢田悠祐、木暮真一郎、濱田めぐみ、山口祐一郎ほか。

古代エジプトが舞台の上に、日本人役の人がいないということもあり、説明ゼリフが多用される。現代日本と地続きの作品ではないので、説明がないとわからないのだ(例えば姉弟で夫婦というのは古代エジプト王朝ではごくごく当たり前だが、現代日本ではありえないので、王の姉であるアイシスがメンフィス王に恋しているということは第三者によって仄めかされる)。傍白や、録音を用いた心情吐露のセリフも比較的多めである。


まず古代エジプト人達によるデモストレーションがあり、本編に入る。考古学を学ぶためにエジプトに留学しているアメリカ人少女のキャロル(新妻聖子)が、兄のライアン(伊礼彼方)と電話をしている。ライアンはリード・コンツェルンの総帥であり、キャロルがエジプトに留学出来ているのもリード家に生まれたおかげだ。キャロルは新たに発掘されたメンフィス王の墓の見学が叶ったことをライアンに告げる。
だが、メンフィス王の棺内に備えられていた花束を見たキャロルは、「古代のロマンス!」とばかりにその花束に手を伸ばし、それが王墓を犯した罪と古代エジプト人達(アイシスら)の霊に見なされ、断罪のために古代にタイムスリップさせられてしまう。妹の失踪を知ったライアンは動揺する。

古代エジプト。メンフィス王(浦井健治)がまさに即位したところだ。メンフィスはエジプト全体の王と上エジプトの王を兼ね、下エジプトを治めるのはメンフィスの異母姉のアイシス(濱田めぐみ)。彼女は祭礼の長でもある。エジプトの宰相を務めるのは賢人・イムホテプ(山口祐一郎)。
ヒッタイトからの来賓としてメンフィスの即位式に参加したミタムン(愛加あゆ)は、ヒッタイトの王女である自分がメンフィスと結ばれることで、ヒッタイトが繁栄することを夢見ている。

ナイルの川岸で失神しているところを奴隷の青年に保護されたキャロルは、金髪であるため異国人であると見抜かれる。異国人であるとわかったら処罰されるかも知れないということで、マントをかぶって出歩くようキャロルは注意される。
だが、やがてメンフィス王と巡り会ったキャロルは、古代エジプト人がまだ持っていない知識(水の濾過や鉄の知識、解毒の方法)などを駆使し、伝説として伝わるナイルの神が生んだ金色に輝く少女「ナイルの少女」として崇められるようになる。しかし、キャロルは歴史を変えてしまうことに罪悪感を抱いており……。

世界史上、初めて鉄器の鋳造に成功したといわれるヒッタイトと、エジプトの闘争のドラマでもある。キャロルは己一人が原因となって戦争が起ころうとしていることにも苦しむ。

「俺様」を絵に描いたようなメンフィスと、現代からタイムスリップしたキャロルの時代を超えたロマンスであり、客席には当然ながら女性の姿が多い。私もいくらシルヴェスター・リーヴァイが作曲した作品だからといっても、新妻聖子が出演していなかったら観に行ってはいない。ちなみにキャロルはWキャストで、新妻聖子の他に元AKB48の宮澤佐江が出演している。宮澤佐江のキャロルだったら、観に行っていないはずである。

新妻聖子もそこそこいい年なのであるが、喋り方が少女のそれであり、流石の演技力を見せている。なぜ、そうした演技が出来るのかというと、「頭が良い」からという身も蓋もない結論になるのだが、更に書くと、おそらくであるが、二十歳前後の知り合い(何人もいるはずである)の喋り方を観察して参考にしているのだと思われる。新妻聖子は頭で組み立てて考えるタイプの女優である。

新妻聖子の他にも、浦井健治、濱田めぐみ、山口祐一郎といった各世代の日本ミュージカル界のエースを注ぎ込んでいるため、演技や歌唱は文句なしに楽しめる。単純にエンターテインメントとしても充実した作品である。


えーっと、ところで、歴史を変えることになんのためらいも恥じらいも感じない方々がいらっしゃるようで。

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2017年6月16日 (金)

観劇感想精選(216) 白井晃演出 「春のめざめ」

2017年5月27日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時からロームシアター京都サウスホールで「春のめざめ」を観る。今日のロームシアター京都はメインホールで槇原敬之のコンサートがあるようで、賑わっている。
ドイツの作家、フランク・ヴェデキントの出世作である戯曲「春のめざめ」。ドイツのギムナジウムに通う、今年14歳を迎える少年少女を軸に展開される物語である。
ドイツの中等教育というと、ヘルマン・ヘッセの小説『車輪の下』を連想する方が多いかも知れないが、「春のめざめ」の初演と『車輪の下』の発表は同じ1906年である。「春のめざめ」の戯曲の方が出来たのは先で、1891年に書かれた戯曲であるが、その過激な内容ゆえ15年の間、発禁とされていたのだった。

KAAT 神奈川芸術劇場の製作。演出:白井晃。出演は、志尊淳(しそん・じゅん)、大野いと、栗原類、あめくみちこ、河内大和(こうち・やまと)、那須佐代子、大鷹明良(おおたか・あきら)ほか。音楽:降谷建志。

演出の白井晃に取って、京都は挫折と再生の地である。大阪生まれの白井晃は大阪府立天王寺高校時代には京都大学を目指していたが、入試に失敗。立命館大学には合格し、入学金と学費は払うが通うことはほとんどなく、京大のそばに下宿して翌年の京大受験に備えて勉強を続けていた。そんなある日、早稲田大学の演劇サークルが京都公演を行うこと知った白井は観に行って感激。「彼らと共に演劇がしたい!」と志望校を早稲田に切り替えて今に至るまで演劇活動を続けている。
だから京都公演を行うということではないかも知れないが、京都で上演を行ってくれるのはありがたいことである。


開場時からすでに客席通路には男性のアンサンブルキャストが立っており、劇場内全てがギムナジウムの中という設定であることがわかる。中央通路の上手側入り口(今日は一般客には閉鎖されている)付近には白井晃が立っているのも確認出来た。開演時間が近づくと、栗原類など主役クラスの俳優も客席通路に現れ、女子生徒役の女優も姿を見せる。

舞台は2階建て。背面にはアクリル板が立てられており、照明の当て方によって鏡の役割を果たしたり、透明になったりする。

出演者が横一列に並び、照明が変わると一様に激しく暴れ出す。青春期の疾風怒濤を表しているかのようだ。
なお、アクリル板には白い液体が塗りつけられるが、それがなんのメタファーかはすぐにわかるようになっている。
ポストトークで白井晃は舞台美術について、生徒達がガラスケースに閉じ込められた実験動物をモチーフにしたと明かしていたが、私にはそこは「出口のない戦いの場所」のように見えた。

ギムナジウムの女子部に通うヴェントラ(大野いと)は、「こんな丈の長いスカートはけない!」と母親(あめくみちこが演じている)に文句を言っている。ヴェントラは女に生まれた喜びを噛みしめているが、どうして子供が生まれるのかはまだ知らない。

一方、ギムナジウムの男子部に通うメルヒオール(志尊淳)は頭脳明晰でありながらそのエネルギーをどこに向ければいいのかわからず、悩んでいた。メルヒオールの親友であるモーリッツ(栗原類)は成績不振であり、進級できるかどうか微妙である。ギムナジウムは全員が進級できるわけではなく、落第者が一人は出る仕組みになっているようだ。モーリッツは競争に耐えられず、アメリカに渡ろうと考えている。
そんなモーリッツにメルヒオールは「子供の作り方」を教えるのだった。


青春の身もだえるような日々が、直截な表現で叩きつけるように描かれている。

若い出演者達の演技は十分とはいえないも知れないがエネルギーがあり、ベテラン陣には安定感がある。


私はもう、青春の日々からは大分遠ざかってしまったため、痛切さという意味では若い人達に比べると感じにくくなっているのかも知れないが(なんといっても14歳の子供がいてもおかしくない年であり、彼らを抑圧する親や社会の側に立つような年齢である)、第2次ベビーブーマーという抑制が多い世代を生きた者として、往時を思い返すとその「痛み」に胸が苦しくなるのをまだ思い出すことも出来る。

ラストには機械仕掛けの神を模したと思われる謎の人物が登場し、未来への希望と怖れを含みつつ芝居は終わる。

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2017年6月13日 (火)

観劇感想精選(215) 大阪松竹座「五月花形歌舞伎」 「野崎村」&「怪談乳房榎」

2017年5月17日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

大阪・道頓堀にある大阪松竹座で、「五月花形歌舞伎」を観る。午後4時開演の会で、演目は、新版歌祭文「野崎村」と「怪談乳房榎」

大阪松竹座の「五月花形歌舞伎」には、中村勘九郎、中村七之助の兄弟が出演。市川猿之助も出る。「怪談乳房榎」は、勘九郎・七之助兄弟がニューヨークで行われた平成中村座で大当たりを取った演目でもある。


「野崎村」は、近松半二が人形浄瑠璃のための書いた本を基にした世話物の義太夫狂言である。「心中」がキーワードになっている。
大坂の野崎村が舞台。百姓の久作(板東彌十郎)には一男一女があったが、息子の久松(中村歌昇)は実子ではなく、武士の家の出。訳あって実家が断絶し、久作に引き取られたのだ。久作には実の娘であるお光(中村七之助)がいて、久松とお光は将来を約束した仲だった。
久松は大坂の油屋に奉公に出ていたが、実家に戻ってくる。
冒頭に、久松の男っぷりとお光の容色を村人が褒めるセリフが加わっている。
七之助演じるお光は、久松が戻ってきて結婚も間近ということで浮き浮きとした様子。何度も鏡を見て、自らの容姿におかしなところはないかと確かめるが、どうやら少しナルシストの傾向があるようでもある。
大坂で久松と恋仲だった、油屋の娘・お染が久作の家を訪ねてくる。訪ねて来た人が噂に聞くお染だと悟ったお光は、つれなくして家に入れようとしない。

色々あって、久松とお染は心中しようとして久作に止められ、お光は身をひくため仏門に入る決意をするのだが、「身をひくために仏門に入る」という感覚は、正直、今ひとつピンとこない。現代では「身をひくために仏門に入る」ということはまずないということもあるのだが、身をひくような状況であるのかどうか。お光が幼かったとすればそれまでになるのだが。

七之助のお光は色気があってとても良い。


「怪談乳房榎」。三遊亭円朝の落語が原作である。中村勘九郎は、菱川重信、下男の正助、うわばみ三次の3役を早替りで演じる。

隅田川河畔の隅田堤。絵師の菱川重信の妻であるお関(七之助)が、桜の名所である堤の茶屋で休んでいると、従兄弟の松井三郎(市川猿弥)がやってくる。松井の主家である谷家で、金蔵に盗賊が押し入り、二千両が盗まれるという事件が発生。佐々繁(さっさ・しげる)という侍の羽振りが急に良くなったという話を聞いた松井の父親は佐々を捉えようとするが、佐々は逐電。事件を解決できないまま亡くなった父親の無念を晴らすため、松井は佐々の行方を追っていたのである。

松井が去った後、器量よしであるお関は、通りがかりの者に絡まれるが、深編み笠の浪人がお関を助ける。浪人の名は磯谷浪江(市川猿之助)。磯谷は、「絵師になりたい」ということで、菱川重信に弟子入りする運びとなったのだが、磯谷の正体こそ佐々繁であり……。

中村勘三郎は、正助役として下手に去ったかと思えば、うわばみ三次としてすぐに現れたり、うわばみ三次と正助が階段ですれ違う場面で、三次から正助へ瞬く間に化けたりする。
花道で他の役者と入れ替わるのだが、これがまた実に巧みで、どうなっているのかやはりわからない。勘九郎が早替りを行うたびに、客席から感嘆の声がもれる。歌舞伎の外連の極みである。

今回は、角筈十二社大滝の場では、本水が使用される。勘九郎は水を思いっきりはね飛ばして、客席から笑いが起こる(一階席前から5列目までの人には水よけ用のシートが予め配られていた)。
角筈という地名は現在では消滅しているが、西新宿の一帯であり、東京都庁の辺りである。角筈一二社(じゅうにそう)大滝は、現在の新宿中央公園内にあった人工の滝。淀橋浄水場建設の際に埋めたてられ、現在では影も形もない。

勘九郎は正助の剽軽ぶりがよくはまっている。勘九郎も七之助も実にいい役者である。実いい役者なのだが、二人合わせてもまだ父親の勘三郎には遠く及ばない。勘三郎は不世出の名優であり、超えるのは至難の業であると思われる。

猿之助が出演ということで、勘九郎は猿之助がテレビCMに出ているソルマックの話をしたり(「CMに出ているのがまたいい男」と言っていた)、キーになる印籠に「澤瀉」の家紋が入っているという設定にして笑いを取っていた。

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