カテゴリー「演劇」の400件の記事

2019年1月21日 (月)

観劇感想精選(284) 渡辺徹&水野美紀主演「ゲゲゲの女房」

2011年10月28日 大阪府貝塚市のコスモスシアター大ホールにて観劇

午後6時30分から、大阪府貝塚市にあるコスモスシアター大ホールで、舞台「ゲゲゲの女房」を観る。朝の連続テレビ小説久々の快作として話題になり、映画化もされた、武良布枝(むら・ぬのえ。水木しげる=武良茂の奥さんである)の自伝『ゲゲゲの女房』の舞台化である。


京都から貝塚までは実はかなり距離がある。貝塚市は大阪の中でも泉南という地域、現在の大阪府の南部に当たる旧和泉国の中でも南部にある。南北に長い都市だが、南端は和歌山県と接しているという場所である。すぐ北にあるのが、だんじり祭で有名な岸和田市だ。


さて、舞台「ゲゲゲの女房」は、武良布枝の原作を、東憲司(ひがし・けんじ)の脚本・演出・美術で舞台化したもの。出演:水野美紀、渡辺徹、梅垣義明、篠田光亮(しのだ・みつよし)、大和田獏ほか。今月は大和田獏のお嬢さんである大和田美帆の舞台(「キネマの天地」)も観ているので親娘の演技を同じ月に観ることになる。

東憲司は、「どこかで見たことのある名前だぞ」という認識しかなかったが、「ゲゲゲの女房」が始まってからすぐに、「ああ『夜は短し歩けよ乙女』の人だ」とわかる。舞台転換の技法がそのままだったからである。劇の内容がとても良かったので、幕間にパンフレットを購入して(余程良い劇でないと私はパンフレットは買わない)確認したところ果たしてそうであった。

舞台「ゲゲゲの女房」は笑いの要素もあるものの基本的にシリアスな内容である。劇としての完成度は極めて高いが、実は水木しげる夫妻を演じる渡辺徹と水野美紀を除く、大和田獏や梅垣義明という上手い役者は人生の敗北者を演じている。彼らは価値転換、現代文明の洗礼の犠牲者である。人生では一応成功者のように見える男を演じている篠田光亮も、ある理由で敗北者だということがわかる。水木しげる夫妻も劇の前半では苦難の道を歩んでおり、後半になっても社会の価値観に逆らって生きることの難しさが前面に出されている。人生の成功者は全て端役扱いである。

劇としても「素晴らしい」の一言であるが、それ以上に、現代の資本主義や新自由主義などへのアンチテーゼを示しており、更には価値観とは何かという問いかけで観るものを揺さぶり、そして芸術論、芸術家論として観ることも可能という奥行きのある芝居である。貝塚まで観に行った価値があったどころか大量のおつりまで貰えた気分だ。

水野美紀も渡辺徹も色々言われる人だが、今日の演技は実に細やかで丁寧な名人クラスのもので、掛け値なしの名優である。コスモスシアター大ホールは名前の通り、空間が大きいので耳の横にマイクを付け、PAを使っての演技であったが、負担は増すことにはなるが、PAなしでも全員セリフをホール一杯に響かせることが出来るのではないだろうか。こうした優れた俳優こそきちんと評価されるべきだと思う。この公演は渡辺徹の水木しげる(劇中の本名は村野しげる)と水野美紀の村野布子(武良布枝にあたる)だから成功したのである。

現代の社会は一握りの成功者と圧倒的多数の敗北者から成り立っている。だから「ゲゲゲの女房」のような社会の敗北者や犠牲者達に焦点をあてた舞台はもっと観られてしかるべきで、再演を希望したくなる。大阪公演も貝塚で一日だけということではなく、シアター・ドラマシティで一週間やってもいい。それぐらいの価値はある芝居である。

太宰治の書いた文章がこの劇にピッタリなので、最後に記しておく。「いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です」(『斜陽』より)

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2019年1月13日 (日)

観劇感想精選(283) 紺野美沙子の朗読座「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」@びわ湖ホール

2019年1月5日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時30分から、びわ湖ホール中ホールで、紺野美沙子の朗読座の公演「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」を観る。出演は、紺野美沙子(朗読とおはなし)、陣野英則(解説。早稲田大学文学学術院教授)、中井智弥(二十五絃箏、箏)、相川瞳(パーカッション)。演出は篠田伸二。

『源氏物語』から、第一ヒロイン的存在である紫の上(紫式部という通称の由来とされている)を中心とした恋物語のテキスト(早稲田大学名誉教授である中野幸一による現代語訳である『正訳 源氏物語』を使用)を用いた朗読公演である。


まずオープニング「新春を寿ぐ」と題した演奏がある。中野智弥作曲・演奏による箏曲「プライムナンバー」という曲が演奏され、その後、主役である紺野美沙子が現れて、中野とトークを行う。紺野美沙子は『源氏物語』ゆかりの帯を締めて登場。その写真が後方のスクリーンに映される。昨日、西宮の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで公演を行ったのだが、「もっと近くで帯の柄を見たい」という声があったため、今日は写真をスクリーンに投影することにしたそうである。前側が「浮舟」、後ろ側がおそらく葵祭の車争いの場面の絵柄である。着物の柄も平安時代を意識したもので、貝合の貝を入れる貝桶の絵が鏤められている。紺野は、『源治物語』の現代語訳を多くの人が行っているという話をするが、瀬戸内寂聴の紹介は物真似で行っていた。
中野が、「プライムナンバー」という曲名の解説を行う。「プライムナンバー」は「素数」という意味で(紺野美沙子はにこやかに、「素数。ありましたね」と語る)、4分の2拍子、4分の3拍子などの2や3が素数であると語り、素数の拍子を用いたこと、また箏は13弦で13は素数であることなどを語る。

ちなみに、『源氏物語』の主人公である光源氏は箏の名手であり、演奏を聴いた女性達が涙を流して感動したという話を中野がすると、紺野は、「あら? じゃあ、中野さんは、平成の光源氏?」と冗談を言い、中野も「そうだと嬉しいんですが。ローラースケートを履いてる方(光GENJI)じゃなく」と冗談で返す。紺野は、「次の時代もご活躍を」と更に畳みかけていた。

それから、二十五絃箏の紹介。邦楽は通常はペンタトニック(五音階)であるが、二十五絃箏は西洋のドレミの十二音階を奏でることが出来るそうである。

その後、パーカッショニストの相川瞳も登場。今日は25種類の打楽器を使うそうで、日本生まれの打楽器として木魚と鳥笛を紹介していた。

紺野美沙子は、有閑マダム層が使うような言葉遣いであったが、意識していたのかどうかはわからない。


その後、第1部のトークセッションに移る。ゲストは早稲田大学文学学術院教授の陣野英則。今日使用するテキストの現代語訳を行った中野幸一の弟子だそうである。
陣野は、『源氏物語』を長編大河小説と位置づける(紺野美沙子 「橋田壽賀子もびっくり」)。1000年前にこれほど大部の恋愛フィクションが書かれた例は海外にも存在せず、しかも作者が女性というのが凄いという話になる。海外ではこの時代、歴史書や叙事詩、戦争物や回顧録、エッセイ、日記文学などは書かれていたが、大部のフィクションの名作が現れるのはずっと後になってからである。

『源氏物語』がわかりにくいのは、古文ということもあるが、人間関係が入り組んでいるということを上げる。登場人物は450名ほどに上り、主人公の光源氏があちらと関係を持ち、こちらとも契りを結びということをやっているため、男女関係が滅茶苦茶になっている。ただ、陣野によると光源氏が素晴らしいのは、関係を持った全ての女性の面倒を見ることだそうで、ドン・ファンなど他の好色家には見られないことだとする。
スクリーンに人物関係図や男女関係図を投影しての説明。わかりやすい。
紺野美沙子は、「私、慶應義塾大学文学部国文科卒ということで、色々わからないといけないんですが、資料が多いもので、大和和紀先生の漫画『あさきゆめみし』で読んだ」と伝えると、陣野は、「今の学生は、ほぼ全員、『あさきゆめみし』から入っています」と答えていた。


第2部が今日のメインとなる「朗読と演奏」になる。

二十五絃箏の中井智弥は、東京藝術大学音楽学部邦楽科卒。伝統的な箏や地歌三絃の演奏も行いつつ、二十五絃箏の演奏をメインに行っている。2016年には三重県文化奨励賞を受賞。

パーカッションの相川瞳も東京藝術大学音楽学部出身。2007年にブルガリアで開催されたプロヴディフ国際打楽器コンクールDuo部門で2位入賞(1位なし)。大友良英 with あまちゃんスペシャルビッグバンドのメンバーとして紅白歌合戦に出場したこともあり、2019年の大河ドラマ「いだてん」オープニングテーマの演奏にも加わっている。

「いづれのおんときか女御更衣あまたさぶらいける中に、いとやんごとなききわにはあらねど、すぐれてときめきたもふありけり」の出だしからスタート。
光源氏と紫の上の出会い(といっていいのかな?)である「若紫」、光源氏と紫の上との初枕が出てくる「葵」、光源氏が須磨へと下り、紫の上と離ればなれになる「須磨」、源氏と結ばれた明石の君と、明石の姫君が大堰へと上る「松風」、光源氏と帝の娘である女三の宮が結婚することになるという「若菜上」、紫の上がみまかる「御法」と光源氏の死が暗示される「幻」の各帖から選ばれた文章が読まれ、和歌とその現代語訳が読み上げられる。映像も多用され、想像力の補完を行う。

紺野美沙子の朗読に凄みはないが、的確な読み上げは流石は一流女優の技である。テキストの背後にある心理をもさりげなく炙り出してみせる。

紫の上という女性の「女であることの哀感」と、光源氏の紫の上への愛と、愛するが故の切なさがありありと伝わってくる朗読であり、聞いていて一途に悲しくなったりもする。これが大和心の真髄の一つである「もののあはれ」だ。
哀しみと同時に、日本という国で生まれ育ったことの喜びが胸を打つ公演でもあった。


バラ色に彩られた雲が覆う琵琶湖の湖畔を歩いて帰途に就く。


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2019年1月12日 (土)

これまでに観た映画より(122) ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督作品 「罪とか罰とか」

DVDで、日本映画「罪とか罰とか」を観る。成海璃子主演作。ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督作品。出演は他に、永山絢斗(ながやま・けんと。瑛太の弟)、段田安則、奥菜恵、犬山イヌコ、大倉孝二、山崎一、安藤さくら、入江雅人、市川由衣、佐藤江梨子、六角精児、田中要次(BOBA)、緋田康人、広岡由里子、高橋ひとみ、石田卓也、森若香織、行定勲、玉置孝匡、串田和美、徳井優ほか。いなくてもいい役で「時効警察」つながりの麻生久美子がカメオ出演している(当初は脚本になく、特別に出てくれることになったので、役を作ったとのこと)。

重層構造の映画で、様々なシーンが一つにまとまっていくという構造を持つ。文学における意識の流れ的な手法も用いられる。

売れないグラビアアイドルの円城寺アヤメ(成海璃子)が、自身が映っているグラビアが逆さまに印刷され、鼻の下に変なシミまでつけられていることに怒る。コンビニで雑誌を確認したアヤメは、「立ち読み禁止」を示す店長(徳井優)に「買いますから」といいつつ、お金がないことに気付き、万引きしてしまう。マネージャーの風間涼子(犬山イヌコ)に連れられてコンビニに謝罪に訪れるアヤメ。取り調べに来た警官に一日署長の話を持ちかけられたアヤメは、やむなく一日署長を務めることに。アヤメが一日署長を務める警察署にはアヤメの元彼である春樹(永山絢斗)がいた。この春樹というのが連続殺人を犯している殺人鬼であるが、アヤメは春樹が殺人鬼であることを隠し、付き合ってきたのだった。

演劇を主舞台とするケラリーノ・サンドロヴィッチらしい作品。緻密な構造が印象的だが、その分、出来すぎの印象を受け、現実感が乏しいような印象も受ける。私は高く評価したいが、嘘くさいと感じる人も出てくるだろう。


レンタルDVDだが、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、成海璃子、犬山イヌコの3人によるコメンタリーが全編に渡って入っている。内容よりも、注文したケーキが大変なことになって大騒ぎになったりしていて笑える。

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2019年1月 6日 (日)

観劇感想精選(282) シアターコクーン・オンレパートリー2018 「民衆の敵」

2018年12月30日 森ノ宮ピロティホールにて観劇

12時30分から、森ノ宮ピロティホールで「民衆の敵」を観る。ヘンリック・イプセンの代表作の一つの上演。テキスト翻訳:広田敦郎(シャーロット・バースランドの英語逐語訳による)。演出:ジョナサン・マンビィ。出演:堤真一、安蘭けい、谷原章介、大西礼芳(おおにし・あやか)、赤楚衛二(あかそ・えいじ)、外山誠二、大鷹明良(おおたか・あきら)、木場勝己、段田安則ほか。

ノルウェー南部の港町が舞台。市長のペテル・ストックマン(段田安則)と弟で医師兼科学者のトマス・ストックマン(堤真一)の兄弟は、街を温泉保養地として栄えさせることに成功しつつある。トマスが提案し、ペテルが計画を推進しているものだ。ペテルは上流階級の人々を湯治客として招くべく、更なる宣伝を進めようとしている。
しかし、弟のトマスは、温泉が汚染されていることを突き止める。湯治客の間で、感染症が流行ったのだが、その原因が、工場からの廃液が原因である水質汚濁であることがわかったのだ。
トマスは、源泉から湯治場までの配管を変えるよう提案するのだが、ペテルはそのために要する莫大な費用と風説を恐れ、工事そのものに反対する。

トマスは、真実を伝えるべく、新聞社の「民衆の声」編集長であるホヴスタ(谷原章介)に話を持ち込む。貧しい農家の出であるホヴスタは、トマスが持ち込んだ報告書を新聞に掲載し、自らを蔑む上流階級に一泡吹かせてやろうと乗り気だったのだが、配管変更工事のための費用に税金が使われると知ると、勝ち目はないと見て身を翻す。一見、正義の徒と思えるホヴスタだが、実は民衆に取り入るための工作に熱心であることにトマスの娘であるペトラ(大西礼芳)は気づく。

自分には「絶対的な多数派」が味方になるはずだと考えていたトマスだが、形勢不利だと気づく。トマスは民衆相手に真実を訴えるための集会を開くのだが……。


多数派の危うさに切り込む作品である。
温泉の水質汚濁は深刻な問題のはずなのだが、それよりも街の経済状態や評判が優先される。人々は保身第一で動き、生活を優先させ、利他的な行動に出ようとはしない。「家庭の幸福は諸悪の本」という太宰治の言葉が浮かぶ。

民衆は流されやすいが、理性がないのではない。理性があるからこそ打算的になるのだ。集会の場で、酔っ払って判断力をなくした男一人が他人とは異なる行動に出る場面が必要以上に丁寧に描かれるのは、それを暗示しているのだと思われる。

今回の上演は、1960年代に舞台を移して行われる。1960年代は日本においては公害が問題視された時代である。
水俣病を例に取る。水俣病は、チッソ水俣工場が排水を水俣湾に流していたことが原因で起こった人災である。しかし、原因がチッソが流した排水にあるとわかっても、工場責任者は公表を禁じている。更に大学によって原因が発表されてからもチッソは反論、別の説を出し、結論が出るのが遅れてしまう(水俣病が確認されたのは1956年、公害認定は1968年)。会社は勿論、チッソの恩恵を受けた地域住民も保身に走っており、また社会自体も企業利益を優先させる風潮があり、「民衆の敵」そのままの状態が生まれてしまっている。「民衆の敵」自体もノルウェーで実際の起こったコレラ発生事件が元になっているといわれている。
また、公害とは認識されていないものの、福島での原発事故にも演出のジョナサン・マンビィはパンフレットで触れており、見えないフリをして突き進みたい現代の日本の群集心理も投影されていることがうかがえる。そもそも今の時代の日本で「民衆の敵」を上演するのなら、それを避けることは出来ない。


終演後、拍手は鳴り止まず、上演終了のアナウンスが流れても拍手は続き、総立ちの観客が出演者を称えた。



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2019年1月 4日 (金)

観劇感想精選(281) ロームシアター京都「能楽チャリティ公演 ~被災地再興、京都からの祈り」2017 第2部

2017年8月24日 ロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、「能楽チャリティ公演 ~被災地再興、京都からの祈り」第2部を観る。今日の午前中に第1部公演があり、ソワレが第2部である。演目は異なる。

演目は、能「花月」(出演:大江広祐ほか)、能「雪」(出演:金剛永謹ほか)、狂言「梟」(出演:茂山茂ほか)、能「一角仙人」(出演:松野浩行、浦田親良、河村紀仁、梅田嘉宏ほか)。

外国人の観客も多いということで、豊嶋晃嗣(てしま・こうじ)が上演前に作品の解説を行い、それを通訳の女性が英訳した。


能「花月」。京都の清水寺(「せいすいじ」と読まれる)が舞台。筑紫国出身の僧侶が花月と呼ばれる少年芸人(見た目は少年に見えない)を見かけ、花月こそ自分の子であると僧侶が気づくという話である。


能「雪」。ストーリーのない能である。摂津国野田(現在の大阪市北区野田)が舞台。僧侶が正体不明の女性と出会い、女性の正体が雪の精だとわかり、雪の精が舞う。


狂言「梟」。弟が山に行って何かにとりつかれた状態になったため、兄は山伏に祈祷を求める。だが、最後はミイラ取りがミイラになるという狂言である。弟を島田洋海が、兄を茂山逸平が演じているのだが、それぞれ「ひろみ」、「いっぺい」と本名で呼ばれていた。

能「一角仙人」。ちょっとした大道具が用いられる。釣り鐘のようなものは洞窟、小さな牢屋のものは一角仙人の住まいである。一本の角を持っている一角仙人が龍神を洞窟に閉じ込めてしまい、日照りになる。そこで村の美女が一角仙人を訪ねてきて、仙人に酒を飲ませて神力を弱めようとする。「桂の葉に溜まった露を飲んでいるので酒はやらない」という仙人だったが美女の踊りを見て調子に乗り、酒をあおって結局は雨が降り始める。ラストは仙人と龍神二人が戦うことになるのだが、赤い髪の龍神は佇まいからして迫力に溢れていた。

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2018年12月28日 (金)

観劇感想精選(280) 「なにわバタフライN・V」

2010年3月13日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後4時から、京都芸術劇場春秋座で「なにわバタフライN・V」を観る。三谷幸喜:作・演出の戸田恵子による一人芝居。2004年の初演以来6年ぶりの再演である。N・VはNEW VERSIONの略であり、その通り、観た印象はずいぶんと異なる、といっても初演を観たときの私の記憶はすっかり飛んでしまっていたのだが。

会場に入ると、舞台上に巨大な風呂敷包みがある。初演時のセットは楽屋風のものだったが、今回のニューバージョンではセットらしいセットはなく、背後に幕が下りるだけのものになっていた。

上手袖から戸田恵子がひょっこりと顔を出して上演開始。まず戸田が客席に語りかけ、お客さんに手伝って貰いながら風呂敷を由佳に敷きつめる作業を行う(作業を手伝ったお客さんには握手とお菓子のプレゼントがあった)。

ミヤコ蝶々をモデルにした女芸人の一代記。女芸人が見えない記者に自分の人生を物語るというスタイルで一人芝居が進められていく。

女芸人の人生を彩る男達は折りたたみ式の額縁で表現され、戸田恵子は部分的に例外はあるものの、女芸人一人を演じていく。

照明と音響による場面転換もわかりやすく、三部形式の幕間には戸田が客席に語りかけるなど、親しみやすさが増しているように思えた。

ユーモラスでチャーミングな戸田の演技も素晴らしく、初演時にあったやらずもがなの演出も整理されていて、楽しくも説得力のある芝居になっていたように思う。

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2018年12月26日 (水)

観劇感想精選(279) 野村萬斎主演&演出 「国盗人(くにぬすびと)」2009@兵庫県立芸術文化センター

2009年12月16日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「国盗人(くにぬすびと)」を観る。シェイクスピアの「リチャード三世」を河合祥一郎が日本を舞台に翻案した、現代狂言ともいえる舞台。主演&演出:野村萬斎。出演は他に、白石加代子、山野史人、泉陽二、小田豊、大森博史、石田幸雄、若松力、中村美貴、じゅんじゅん等。

「国盗人」は2年前にやはり兵庫県立芸術文化センター中ホールで行われた初演版を観ている。その時は、今井朋彦が重要な役割を演じていたが、今回は今井が出演しないということもあって、テキストも大幅に書き換えての再演となった。
ヨーク家とランカスター家の戦いである薔薇戦争を背景にした「リチャード三世」を、白薔薇一族と赤薔薇一族との戦に置き換え、登場する主要な4人の女性を白石加代子が一人四役で演じ分ける。


白薔薇一族と赤薔薇一族との戦いが白薔薇一族の勝利に終わり、殺害された白薔薇一族の長の長男である一郎(山野史人)が王座に着く。しかし、三男の悪三郎(野村萬斎)は自身が王の座に就くことを密かに狙っていた。次兄の善二郎が入牢した機を狙って善二郎を暗殺し、長兄の一郎も心労によって崩御すると、次の王になるはずだった一郎の王子を退けて、悪三郎が戴冠する。更に悪三郎は自らの地位を盤石のものとするために一郎の王子を自ら殺害するなど悪事を重ねていく……。


初演の際にはあった笑いの部分が少し削られて、スッキリとした台本になっている。本がより整ったといえばいえるし、笑いが少なくなって物足りなくなったともいえる。
初演の時のインパクトが、こちら側の慣れにより薄まってしまったのも確かだ。
それでも現代狂言として「リチャード三世」を再現する試みとしては大変優れたものであることに違いはない。


主演の野村萬斎の演技は、劇の始まりこそ狂言の言い回し的なセリフが大仰に思われたが、劇が進むにつれてそれも気にならなくなり、生来の気品と、子供の頃から鍛え上げられた表現力で、魅力的な悪役である悪三郎を見事に演じきる。

萬斎による演出もスピード感があり、能の囃子方を使った音楽も効果的で、見応え十分であった。

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2018年12月25日 (火)

観劇感想精選(278) 下鴨車窓 「人魚」

2009年12月13日 下鴨のアトリエ劇研にて観劇

午後7時から、アトリエ劇研で下鴨車窓の公演「人魚」を観る。作・演出:田辺剛。出演:平岡秀幸、森衣里、豊島由香、宮部純子。

例によっていつとも知れぬ時代のどことも知れぬ場所が舞台である。「人魚」といっても、アンデルセンの「人魚姫」に出てくるような可憐な存在ではなく、シレーヌ(セイレーン)伝説に出てくるような、人肉を漁る邪悪な存在として人魚が登場する。

沖で歌を歌い、若い漁師を惑わせ、食い殺していた人魚が捕獲される。人魚は棺桶のような水槽に入れられ、首を縄で繋がれている。

人魚の面倒は一組の親娘が見ているのだが、人魚は口が悪い上に、臭いによって蝿が集まるという不快な存在である。

人魚が殺されないでいるのには理由があった。人魚はこの世のものとは思えないほど甘い歌を歌うのである。村の長老達がその人魚の歌を聴きたがっているのだ。しかし人魚はその求めに応じようとはしない。

一日に数時間、人魚は海の中で泳ぐのを許されるのだが、そんなある日、面倒をみていた娘が恋している若い漁師が溺れて人魚に近づきすぎてしまったために、食い殺されるという事件が起きる。それでも親娘は人魚の面倒を見続け……。


最近の田辺剛が好んで用いる寓意の手法による作品だが、これまで以上に寓意と物語の調和が高まり、完成度も同時に上がっているのが感じられる。

若い漁師達の誘惑して食らうという邪悪な存在でありながら、美しい声で歌うために生かされている人魚。美と悪という二つの要素を抱えた存在と人間との在り方が描かれており、興味深い。

役者陣は、時折、台詞に喋らされているような印象を受けることもあったが健闘していたと思う。

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2018年12月24日 (月)

観劇感想精選(277) 「海をゆく者 ーThe Seafarerー」2009

2009年12月11日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時より、大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼで「海をゆく者 ─The Seafarer─」を観る。作:コナー・マクファーレン、テキスト日本語訳:小田島恒志、演出:栗山民也。出演:平田満、吉田鋼太郎、浅野和之、大谷亮介、小日向文世。

アイルランドの劇作家、コナー・マクファーレンの戯曲による公演である。

アイルランド。目が不自由になったリチャード(吉田鋼太郎)の家で、弟のシャーキー(平田満)は兄の面倒をみている。クリスマスイブの夜。リチャードの家にカードをやるために男達が集まってくる。

ニッキー(大谷亮介)が連れてきたのはロックハートという紳士(小日向文世)。ロックハートはシャーキーの過去をよく知っていた。監獄で出会ったと語るロックハートの正体は実は悪魔であり……。

アイルランド特有の風習や、店の名前などの固有名詞が数多く出てくるため、こちらの理解が追いつかない場合もあったが、大筋は理解できた。

味のある男優達による味のあるドラマ。基本的には下層の人々による薄汚い話なのだが、見終わった後に理由のよくわからない感動がある。それは悪魔に勝ったという感慨なのか、人間が神に祝福された存在であるという幸福感なのか。とにかく、この俳優陣だからこそ感じられた感動であることは間違いないようだ。

栗山民也の演出はパーツパーツが全て見事にはまった大変優れたものであった。

終演後、拍手は鳴り止まず、出演者は4度、ステージに呼び戻された。

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2018年12月16日 (日)

観劇感想精選(276) shelf 「私たち死んだものが目覚めたら」

2009年10月25日 下鴨のアトリエ劇研にて観劇

午後2時からアトリエ劇研で東京の劇団、shelfの公演「私たち死んだものが目覚めたら」を観る。原作:ヘンリック・イプセン、構成・演出:矢野靖人。出演:阿部一徳、桜井晋、山田宏平(山の手事情社)、秋葉要志、片岡佐知子、川渕優子、大川みな子。

「私たち死んだものが目覚めたら」はイプセン最後の作品である。

彫刻家のルーベック(阿部一徳)は若い頃に「復活の日」という傑作彫刻をものにしたが、それ以来創作意欲は衰えてしまっている。その「復活の日」のモデルを務めたイレーネ(川渕裕子)もまた、「復活の日」の完成後に魂の抜け殻となり、不幸な人生を歩んでいた。そんな二人がフィヨルドの前の温泉保養地のホテルの一角で再会する……。

大変優れた戯曲であり、それを再現する演出の力も高かったように思う。役者達の水準も高く、舞台は絵画として観てもきちんと絵になっていたし、イプセンのエクリチュールを的確に抑えていたように思う。

芸術と芸術家というものの在り方を追求するイプセンの視線は鋭い。芸術家が芸術を生み出す行為とは果たして本当の人生といえるのか。私も芸術家の端くれではあり、戯曲なり詩なりを書いているときには確かに充実感がある。しかしそれを一歩離れてみた場合、それが本当の人生といえるのだろうかという疑問を抱いてしまうのである。何もしていないのではないかという気にさせさせられてしまうのだ。イプセンもまたそうした思いに駆られたことがあるのではないだろうか。
真に充実した人生。だがそれは本当に存在するのかしないのか。

芸術の傑作をものにした日から、二人の人物が生ける屍になってしまったという下りからは、村上春樹の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の本多老人の話が思い浮かんだ。強烈な光を目にした時に自分の人生は終わってしまったのだという。
そうした特別な体験をする人がいるであろうことは想像出来る。体中が激しく揺さぶられるような体験。幸福の絶頂であると同時にその後の人生を台無しにしてしまう特別な経験。そうした体験をすることは果たして幸福なのか不幸なのか。

優れた戯曲による優れた公演であったように思う。

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