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2019年5月13日 (月)

観劇感想精選(300) 大阪松竹座「七月大歌舞伎」2014昼の部 「天保遊侠録」「女夫狐」「菅原伝授手習鑑」より寺子屋

2014年7月21日 道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午前11時から、道頓堀にある大阪松竹座で、「七月大歌舞伎」昼の部を観る。演目は、『天保遊侠録』、『女夫狐』、『菅原伝授手習鑑』より「寺子屋」。ちなみに夜の部も魅力的な演目が揃っているが、今年は観る予定はない。


『天保遊侠録』は、勝海舟の父親である勝小吉(正式な通称は勝左右衛門太郎。演じるは中村橋之助)が主人公である。小吉は男谷信友を生んだ男谷家の出であるが妾腹の生まれであるため、小身の御家人である勝家の養子となるが、学問嫌いで遊び好き。牢にも二度入ったことがあり、役にも就かないでいたが、長男の麟太郎(のちの勝海舟)が神童の誉れ高いというので、金子の用意のために御番入りをしようと思い、小普請方支配頭の大久保上総介(片岡市蔵)や鉄砲組添え番の井上角兵衛(嵐橘三郎)らに取り入るべく、宴席に招こうとしている。小吉の甥の松坂庄之助(中村国生)も宴会の準備を手伝っているのだが、二人とも遊び人であったため、こうした正式な場での振る舞い方がわからない。
井上が芸者・八重次(片岡孝太郎)を連れて宴会の行われる料亭にやって来る。だが、八重次は小吉と昔馴染みであったが小吉が牢に入ったのを知らず、捨てられたと勘違いしたままであるため、小吉を見るや、憎しみが募ってすぐにその場を立ち去ってしまう。

八重次の妹分の芸者である茶良吉(中村児太郎)が、八重次に言付けを頼まれてやって来る。小吉が宴の主催者では今日の宴席には上がれないというのだ。仕方なく小吉は宴会の主催者を降りることにし、衣服を改めるために奥へと引っ込む。

小吉が奥に引っ込んでいる間に、麟太郎(子役が演じている)が現れる。麟太郎は、小吉に似ず利発であり、小吉の境遇のみならず世の中の状況を子供ながらに良く見抜いていた。

麟太郎が風呂に入り、着替えるために離れへと入っていったところに、小吉が戻って来て、丁度、その場にやって来た八重次と鉢合わせ、口論になる。と、離れの二階窓が開き、麟太郎が顔を覗かせる。麟太郎は聡明ぶりを発揮。八重次も感心し、麟太郎のためになるのならと、宴席に出ることを承知する。

やがて、大久保上総介や井上角兵衛が料亭に入ってくる。しかし、こういった場に慣れていない小吉や庄之助は至らぬことばかりで、大久保らを怒らせてしまい……

主役の勝小吉を演じる中村橋之助が二度、セリフを噛んでしまうという瑕疵があったが、全体としては優れた舞台になっていたと思う。


『女夫狐』は、『義経千本桜』から「川連法眼の館」、通称「四の切り」のリメイクであり、内容はほぼ同じであるが、主君は源九郎判官義経ではなく、楠木正成の子、楠帯刀正行(くすのきたてわきまさつら)である。

鼓の皮にされた狐の子供がやって来て鼓を恋い慕うというあらすじは同じであり、塚本狐が化けた又五郎(中村翫雀)と千枝狐が化けた弁内侍(中村扇雀)が楠正行(尾上菊之助)の下にやって来て、正行の持つ鼓を所望する。弁内侍は正行の恋人であったが、今はこの世の人ではない。不審がる正行は、弁内侍に宮中の行事をそらんじてみろというが、弁内侍はこともなげに舞ながら挙げてみせる。
楠正行は、弁内侍が生きていたのかと驚き、正行と女夫の契りを交わしたいという弁内侍の申し出を快諾する。又五郎は喜びの舞を演じて見せるが、雪の上の足跡が人間ではなく狐のものであることに正行が気付くと、正体を現し、正行の鼓の皮は自分達の親狐のものなのだと打ち明ける。「四の切り」同様、早替え、欄干渡り、独特の節を持つ狐言葉での語りなどが行われる。

弁内侍こと千枝狐を演じた中村扇雀の舞や立ち居振る舞いは実に妖艶。中村翫雀の面を次々に変えるユーモラスな舞も良かった。


『菅原伝習手習鑑』より「寺子屋」。子役が沢山出てくる。舞台はその名の通り、武部源蔵(中村橋之助)が営む寺子屋である。子役が多い中に大人の役者が子供役として混じっている。中村国生演じる与太郎である。菅丞相(菅原道真)の子である菅秀才(子役が演じている)が与太郎をたしなめる。武部源蔵は菅丞相の元家臣であり、そのため菅丞相の子である菅秀才を預かっている。

ところが、菅丞相を太宰府へと追いやった時平公(藤原時平)の家臣が、菅秀才を討つよう源蔵に命じたのである。源蔵は秀才を討つことは絶対に出来ない。だが、身代わりになる子供を探すのも気が引ける。しかも、自身の寺子屋に通うものはどれも田舎育ちで、公達の子のような品を持ち合わせているものはいない。どうしたものかと寺子屋に帰ったところ、妻の戸浪(尾上菊之助)から新たに寺子屋に入った小太郎(子役が務める)を紹介され、小太郎が見るからに育ちが良さそうであったため、彼ならば菅秀才の身代わりになれると確信する。しかし、だからといって心が晴れるわけではなく、幼い命を奪わねばならない苦しみに夫婦共に沈痛な面持ちである。

そこへ、時平公の家臣である春藤玄蕃(片岡市蔵)と松王丸(片岡仁左衛門)がやって来る。源蔵と戸浪は菅秀才を押し入れの中に隠し、子ども達を寺子屋の奥へと下がらせる。

松王丸は、菅丞相の家臣、白太夫の息子で、菅秀才のことは子供の頃から知っている。そこで、今日は首実検役として訪れたのだった。
時平公の家臣一同は、寺子屋に通う子供の親を連れてきていた。そこで、親に子供を呼ばせ、一人一人顔をあらためることにする。六人出てきたが、誰も彼も山家の顔で、気品のあるものは一人もいない。春藤玄蕃と松王丸は、まだ奥に菅秀才がいるはずだと源蔵夫婦に迫り、源蔵は仕方なく「菅秀才の首を差し出す」と言って奥へ入っていく。寺子が六人出てきたのに、机が七つあるのを見つけた松王丸に、戸浪は菅秀才の机だと告げる。

小太郎の首を菅秀才の首だと言って源蔵は差し出す。首を検めた松王丸は、「菅秀才の首に相違ない」と断言し、病があるということで、早々に退散する。

春藤玄蕃も下がったところで、源蔵夫婦はがっくりと肩を落とし、身を震わせて、「何とか上手くいった」と手を取り合う。
そこへ、千代という女(中村時蔵)がやって来る。千代は小太郎の母であった。源蔵は隙を窺い、千代に斬りつけるが、千代は小太郎の文机で源蔵の刀を受け止め、退ける。そして「南無阿弥陀仏」と書かれた幡と経帷子を取り出す。
門口から、松の枝が投げ入れられる。松の枝に付けられた短冊には「梅は飛び桜は枯るゝ世の中に何とて松のつれなかるらん」という菅丞相の歌が記されていた。そして松王丸が寺子屋の中へ入ってくる。源蔵は「おのれ、幼き命を奪いし者」と松王丸に斬りかかるが、松王丸は刀を交わし、本当のことを話す。白太夫の三人の息子、梅王丸、竹王丸、松王丸は菅丞相の左遷後、それぞれ別々の主君に仕えることとなり、松王丸は不本意ながら時平公の家臣となったが、菅丞相との主従関係を思い出すにつれ心苦しく、病と称して時平公から遠ざかろうとしていた。しかし、時平公から「菅秀才の首を取るまでは隠居は認めない」と言われる。源蔵の気質を知る松王丸は、「源蔵が秀才の首を差し出すことは絶対にない」と思ったが、ならば他の者が犠牲にならねばならないというので、小太郎に白羽の矢を立てたのである。思惑の通りにことは運んだが、千代と松王丸は我が子を身代わりに立てざるを得なかった因果を嘆き、戸浪と源蔵も悲しみに暮れる。
そこへ、園生の前という貴婦人(片岡秀太郎)が寺子屋の前に輿で乗り付けるのだが、彼女が実は……。

歌舞伎の演目の中でも特に感動的といわれる場である。客席のあちこちからすすり泣きが聞こえた。悲劇ではあるが、大和心をくすぐる話であり、秀逸である。笑いの場面も取り入れられていることで、悲しみはいや増しに増す。

橋之助の繊細さと剛胆さを兼ね備えた演技、仁左衛門の善悪両面を巧みに演じ分ける技量に感心した。

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2019年5月 4日 (土)

観劇感想精選(299) 野村萬斎構成・演出・主演「マクベス」2014西宮

2014年7月1日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、野村萬斎構成・演出・主演の「マクベス」を観る。シェイクスピアの四大悲劇の一つ「マクベス」を出演者5人のみで上演するというもの。
野村萬斎は、シェイクスピアの「リチャード三世」を基にした「国盗人」で優れた出来を示していただけに期待が高まる。
出演:野村萬斎、秋山菜津子、高田恵篤(たかた・けいとく)、福士惠二、小林桂太。野村萬斎がマクベスを、秋山菜津子がマクベス夫人を演じる。他の三人は、魔女役とされているが、バンクォーやマクダフなどの主要登場人物も兼任する。
「国盗人」では、舞台を日本に移していた野村萬斎であるが、「マクベス」ではスコットランドのままである。ただ着物に日本刀、長刀など、様式は全て和風である。今回の上演では能の謡や笛、鼓の音などが要所要所で流れる。上演時間90分、途中休憩なしである。上演終了後に野村萬斎によるポストトークがある。

舞台中央には、〇がくり抜かれた衝立が一つ。〇は地球を表現していると野村萬斎はポストトークで打ち明けた。
「きれいは汚い、汚いはきれい」という魔女達の言葉が有名な「マクベス」であるが、登場人物が現れる前に、「森羅万象」という言葉で始まる役者達によるセリフが流れる。「地球の屑、屑の地球、大地のゴミ、ゴミの大地、空気の澱(おり)、澱の空気、人間のクズ、クズの人間」という、逆にすると意味の変わる言葉で、「きれいは汚い、汚いはきれい」を模したものである。この世界が持つ両義性を表現しようという意図のようだ。
野村萬斎の演出は、幕を効果的に使ったもので、日本の伝統演劇を良い形で取り入れており、オリジナリティのある「マクベス」に仕上がっている。今回のツアーでは日本で上演する前にルーマニアやフランスなどを回ったというが、当地での評価はかなり高かったようだ。
バンクォーの亡霊の場では、血糊の付いた能面を使っており、狂言師である野村萬斎ならではの効果を上げている。
マクベスとマクベス夫人が即位する場以降、背後の幕には蜘蛛の巣を描いたものが用いられるが、これは「マクベス」を基にした黒澤明の映画「蜘蛛巣城」へのオマージュであろう。

 

運命に操られているのか、運命を切り開いているのか、どうとも取れる「マクベス」という作品は人間という存在の矛盾というものを描いているようでもある。恐妻として知られるマクベス夫人も最後は精神を侵されて自殺することになるという強いのか弱いのかわからない女性である。マクベスも王の座を勝ち取ったようでありながら、実際は魔女の手の上で転がされているだけのように思える。

 

高田恵篤、福士惠二、小林桂太らは、寺山修司の天井桟敷などで活躍していた俳優達で、アングラ第一世代。還暦越えの役者もいる。その世代の特性を生かして、暗黒舞踏などを披露。魔女の持つ異様さを表現する。

 

野村萬斎の演技は、狂言をイメージした形式的なものだが、相手役の秋山菜津子が新劇スタイルの優れた演技をしているということもあっていささか不自然さが目立つのが難。大河ドラマの「軍師官兵衛」で片岡鶴太郎が、暗君・小寺政織をかなりデフォルメして演じていたが、丁度あれに似た印象である。だが、構成力と演出力は確かなものがあった。

 

大量の紙吹雪などを用いた耽美的な演出であり、絵になる芝居であった。「国盗人」の方が出来はずっと上であるが、「マクベス」もなかなか見応えがある。

 

ポストトークで、野村萬斎は、まず今回の「マクベス」が朗読劇スタイルに始まり、今回の形に仕上がるまで大分時間を要したことを語る。上演スタイルの初演時には、萬斎は地球をイメージした球形のセットを組ませたそうだが、大掛かりな装置であったため東京でしか上演出来なかったという。海外で上演したいという希望を持っていた萬斎は、狂言のような簡素な舞台装置にすれば簡単に持って行けるということで、再演時からは布を主体にした今回のようなスタイルに変えたという。そして、ルーマニアで上演することが決まった今回の再々演では、東欧は電気が不安定だということで照明効果の代わりに、能の謡いなどを入れることで場の雰囲気を変えることにしたという。
マクダフ一家皆殺しの場はカットされていたが、これについて萬斎は「マクベスを悪人と決めつけたくなかったから」と述べる。
最後に萬斎は、「パリで上演を行ったので、次回はもうドーバー海峡を越えて、本場であるイギリスに討ち入るだけじゃないかと、舞台になったスコットランドのエディンバラ演劇祭でやってみたいなと思っております」という抱負を語って締めた。

 

野村萬斎構成・演出・主演「マクベス」2016西宮

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2019年5月 2日 (木)

コンサートの記(552) 近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2019初日 葵トリオ&大西宇宙バリトンリサイタル&沼尻竜典オペラ・セレクション プーランク 歌劇「声」

2019年4月27日 びわ湖ホールにて

今日から明日までの二日間、びわ湖ホールで「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2019」が開催される。今年は昨年とは違ってそれほど興味を惹かれなかったのだが、プーランクのモノオペラ「声」に出演予定だった砂川涼子が数日前、体調不良のために降板、急遽カバーキャストだった石橋栄実が代役として本番に挑むことを知り、聴きたくなったのである。砂川涼子も良い歌手で聴いてみたくはあったのだが、大阪音楽大学声楽科の教授でもある石橋栄実が「声」をやるなったら「聴きにいかねば」という義務感のようなものを感じてしまったのだ。

数年前に、渋谷のスパイラルホールで三谷幸喜演出、鈴木京香の出演による「声」を観たのだが、三谷幸喜は基本的に陽性のものを生み出す人、鈴木京香も健康美が売りの女優であるため、痛切さには欠けていて、残念な気持ちで会場を後にしている。

 

せっかく音楽祭が行われているのにモノオペラ「声」だけを聴いて帰るというのももったいないので、葵トリオと大西宇宙のリサイタルのチケットも取った。

 

午後1時5分から、びわ湖ホール中ホールで葵トリオのコンサートを聴く。曲目は、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第5番「幽霊」とマルティヌーのピアノ三重奏曲第3番。

葵トリオは、小川響子(ヴァイオリン)、伊東裕(いとう・ゆう。チェロ。男性)、秋元孝介(ピアノ)によって結成されたピアノトリオ。Akimoto、Ogawa、Itoの頭文字を取って葵トリオと命名されており、葵の花言葉である「大望、豊かな実り」にもちなんでいるそうである。昨年のミュンヘン国際コンクールで優勝を飾っており、今最も注目される日本人ピアノトリオである。
全員、東京藝術大学と同大学院の出身。
小川響子(愛称は「おがきょ」のようである)は、東京フィルハーモニー交響楽団のフォアシュピーラーとして活躍し、カラヤン・アカデミーの試験に合格して、現在ではベルリン・フィルで学んでいる。
伊東裕は、東京藝術大学大学院を修了後、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院に進み、現在はラ・ルーチェ弦楽八重奏団と紀尾井ホール室内管弦楽団のメンバーである。
秋元孝介は、東京藝術大学大学院博士課程在籍中。第2回ロザリオ・マルシアーノ国際ピアノコンクールで第2位を受賞している。

中ホールで室内楽を聴くのは初めて。今日は2階席で聴いたが、音の通りが良く、室内楽にも向いているようだ。

葵トリオの演奏であるが、一体感が見事、あたかも三人で一つの楽器を弾いているかのような、あるいは三つの楽器を一人で奏でているかのような自在感と反応の良さに魅せられる。スタイルとしてはシャープであり、モダンスタイルによる演奏だが、時折古楽的な響きも出すなど、スタイルの幅広さが感じられ、現代的である。
昨年、びわ湖ホールで聴いたフォーレ四重奏団もそうだが、アルバン・ベルク・カルテットのスタイルを更に先鋭化させたような切れ味の鋭い表現が室内楽における一つの傾向となっているようである。

アンコール演奏があり、ハイドンのピアノ三重奏曲第27番より第3楽章が演奏された。
ここでも鋭利な表現が聴かれる。

 

続いて、小ホールで大西宇宙(おおにし・たかし)によるバリトンリサイタルを聴く。午後2時開演。葵トリオのアンコールがあったため、小ホールに入るのが遅くなり、開演5分前にようやく席に着く。

曲目は、プロコフィエフの歌劇『戦争と平和』より「輝くばかりの春の夜空だ」、ヴォルフの「メーリケ歌曲集」より「散歩」「少年鼓手」「炎の騎士」、武満徹の「死んだ男の残したものは」、シアーの「アメリカン・アンセム~名もなき兵士に捧ぐ歌」

ピアノ伴奏は、筈井美貴(はずい・みき)。

大西宇宙は、武蔵野音楽大学を経て、ジュリアード音楽院を卒業。シカゴ・リリック歌劇場で研鑽を積み、「エフゲニー・オネーギン」「真珠採り」「カルメン」「リゴレット」「ロメオとジュリエット」などに出演している。

筈井美貴は、武蔵野音楽大学音楽部器楽科を卒業、同大学院修了。第11回メンデルスゾーン・カップ・ヨーロッパ第1位及びルービンシュタイン賞受賞。主に声楽家と共に活動している。

日本人の場合、体格面の問題でバリトンとはいえ声が軽い人が多いのだが、大西は、はっきりとしたバリトンの音程と声質で歌うことの出来る歌手である。

「戦争と平和」を主題としたリサイタル。歌詞対訳などは配られなかったが、大西が曲の内容を解説する。

筈井のピアノは伴奏としては表現が豊かすぎるところがあるような気がしたが、達者なのは確かである。

私の好きな「死んだ男の残したものは」は、全曲ではなく抜粋版での歌唱。もう少し歌い分けが明確な方が良いように思うが、クラシックの歌曲としてはこうした表現の方がしっくりくるのも確かである。

 

 

午後3時から、大ホールで沼尻竜典オペラセレクション プーランクの歌劇「声」を観る。演奏会形式であるが、衣装、演技、セットありでの上演。先に書いたとおり、当初は砂川涼子が主演する予定であったが体調不良により降板、カバーキャストであった石橋栄実が短時間のリハーサルを経て本番に臨む。
原作・脚本:ジャン・コクトー、演出:中村敬一。演奏は沼尻竜典指揮の京都市交響楽団。
コクトーの「声(人間の声)」は心理劇であり、プーランクの音楽によって主人公である女の心理がよりわかりやすいようになっている。繰り返される音が女の落ち気味の心理状態を描写し、木琴による電話のベルが神経症的に響く。女はもう恋人である男にあうことは叶わず、声を聴くことだけで繋がっているのだが、「今の私にはあなたの声だって凶器になるわ!」という言葉が次第に真実味を増していく。

恋愛中毒気味の女を石橋栄実は見事に体現しており、歌唱も演技も万全、沼尻指揮の京響もプーランクの音楽を我が物にしており、アンニュイで痛みのあるオペラに仕上がっていた。

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2019年4月30日 (火)

観劇感想精選(298)「伝統芸能の今」2014

2014年5月11日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後3時30分から京都芸術劇場春秋座で、「伝統芸能の今」2014を観る。「ゴールドリボン+世界の子どもにワクチンを」チャリティー企画である。今回は三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)に続き、春秋座の二代目芸術監督に就任した四代目市川猿之助によるプログラムである。出演は、市川猿之助の他に、上妻宏光(三味線プレイヤー)、茂山逸平(能楽師狂言方)、亀井広忠(能楽師囃子方)、田中傳次郎(歌舞伎囃子方)ら。

開演前に出演者がホワイエで、パンフレットを売ったり募金を募ったりしている。

まず、上妻宏光による津軽三味線独奏で、「津軽じょんがら節」、上妻の作曲による「紙の舞」(スパニッシュギターからの影響が感じられる曲である)。上妻の津軽三味線であるが、クラシックギター奏者でさえも凌ぐほど左手の動きが大きく、速い。人間の指の動きとは思えないほどに迅速である。
続いて、茂山逸平の舞と上妻宏光、亀井広忠、田中傳次郎によるコラボ奉納舞「三番三(さんばそう)」。茂山逸平の動きは極めてスムースであり、メリハリもくっきりしている。

次は、市川猿之助と上妻宏光、田中傳次郎による舞「空破(くうは)」。猿之助のしなやかな舞を堪能できた。

前半最後は、猿之助が二代目市川亀治郎時代に武田信玄役で出演した大河ドラマ「風林火山」にインスパイアされて、猿之助自身が振付を行った創作舞踊「風林火山」。上妻宏光の津軽三味線生演奏と、オーケストラ演奏の録音による大河ドラマ「風林火山」メインテーマ(作曲は、京都芸術劇場春秋座を持つ京都造形芸術大学の先代の学長だった千住博の実弟・千住明である)に乗せて猿之助が舞う。甲斐武田氏というと騎馬武者軍団が有名であり、荒事を取り入れた勇壮な踊りになるかと予想したが、実際はそれとは正反対のたおやかな舞いであった。

10分の休憩を挟んで、メインの4人によるトーク。福山雅治から贈られた襲名披露記念幕をバックに、会話が行われる。春秋座では、四代目猿之助の芸術監督襲名に当たり、イメージキャラクターを作ろうと企画が立ち上がり、瓜生山学園(京都造形芸術大学+京都芸術デザイン専門学校)の学生が描いたキャラクターの中から事前に11点が選ばれ、観客に投票用紙が配られて、良いと思ったキャラクターに投票して貰い、得票数の多かったキャラクター3つの中から猿之助自身が採用するものを決める。キャラクターというと可愛らしい画が採用されやすいので、造形大のマンガコースの学生が描いたものが多い。

トップ3は、エントリーナンバー1の源九郎狐をキャラクターにしたもの、エントリーナンバー5の鼓に猿の顔を描いたもの、エントリーナンバー10の猿之助が舞う姿をマンガタッチで描いたもの(マンガコースの学生の作品である)であった。
ドラムロール後に猿之助から発表が行われるのであるが、ドラムロールが太鼓によるもので、猿之助は「これじゃお化けだよ」と言う。
選ばれたのは情報デザインコースの女学生二人組の作成によるエントリーナンバー1の源九郎狐をモチーフにしたものであった。人間らしさが一番希薄なキャラクターではあるが、猿之助は「京都には伏見稲荷もあり、これが一番京都らしい」と選定理由を述べた(実際は、京都人の意識としては伏見稲荷はあくまで伏見のもので京都とは別というものも根強いようである)。

邦楽というものは、ミニマルミュージックに近いものがあり、同じ音型が何回も繰り返されるため、演奏する側も舞う側も「どこで終わるんだろう」と勘定を付けるのが難しいという。茂山逸平は笛の音型でどこまで進んだかを把握しているそうだ。上妻宏光は劇伴の経験は少ないが、「三番三」のラスト近くで狂言方が飛び上がる場面があるので、そこから推測しているようである。
ちなみに、チャリティーのために集まった募金額は、初日である昨日が48万円台、今日の第1回目の公演が47万円ちょっとであるが、今日2回目の公演となる今回は26万円程度しか集まっておらず、田中傳次郎は、「あと20万円ぐらい集まらないと、この後、猿之助さん出てきません」と言う(昨日と今日の1回目の公演は、休憩時間と終演後に行われた募金も多いだろうから、この回だけ吝嗇家が集まったというわけではないと思われる)。

後半、歌舞伎と狂言による「石橋(しゃっきょう)」。「石橋」は狂言と歌舞伎の両方であるが、内容は少し違う。今回は前半が茂山逸平による仙人を主人公にした狂言、後半が猿之助による浄土の獅子の舞となる。前半と後半に関連性が余りないが、ストーリーで魅せる作品ではないので特に気にはならない。
天竺から来た仙人(茂山逸平)が、唐の清涼山にある文殊菩薩の浄土の入り口に辿り着く。現世と清涼山の間にあるのが、自然が作り上げた石橋(しゃっきょう)だ。幅は一尺(約30cm)ほどしかなく、橋の上は苔むしていて鳥でさえ滑って留まることは出来ないという。仙人は石橋に挑もうとするが結局諦める。
その後、清涼山に住む獅子(市川猿之助)が現れ、蝶二匹(猿之助の弟子が務める)を従えながら舞う。春秋座は歌舞伎用の劇場なのでセリがあり、今回の「伝統芸能の今」2014ツアーの中で唯一、春秋座でだけ猿之助はセリを使って現れる。「石橋」は「連獅子」のモチーフになった作品だけに、猿之助は首を何度もグルグルと回して観客からの喝采を浴びた(猿之助自身が以前、テレビ番組で話していたことだが、「連獅子」をやると目が回ってしまい、終演後に嘔吐してしまうことも珍しくないという)。

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2019年4月22日 (月)

観劇感想精選(297) パルコ・プロデュース2019「母と惑星について、および自転する女たちの記録」(再演)

2019年4月13日 左京区岡崎のロームシアター京都サウルホールにて観劇

午後6時からロームシアター京都サウスホールで、パルコ・プロデュース2019「母と惑星について、および自転する女たちの記録」を観る。作:蓬莱竜太、演出:栗山民也。出演:芳根京子、鈴木杏、田畑智子、キムラ緑子。
2017年に初演された作品であり、第20回鶴屋南北戯曲賞を受賞している。

長崎とトルコ・イスタンブールの場面を行き来しながら描かれる女優四人の芝居。いくつかの事例から、この作品が蓬莱竜太流「三人姉妹」の翻案であることが察せられる。

 

辻美咲(田畑智子)、優(鈴木杏)、シオ(芳根京子)は峰子(キムラ緑子)の娘である。父親は物心ついた頃にはすでに蒸発しており、不明だ。
長崎市内の自身が経営するバーで、庄野真代の「飛んでイスタンブール」をよく歌っていた峰子が死んだ。三人の娘は、母親の遺骨を散骨するためにイスタンブールに来ている。軍楽が響く街(実際にイスタンブールに行ったことはないが、おそらく今のイスタンブールでは実際に軍楽を聴くことはないと思われる)。
美咲はバザールで4000トルコ・リラの絨毯を買ったのだが、桁を一つ誤魔化されており、実際はクレジットカードで4万トルコ・リラ(約200万円)を支払っていた。雑誌にエッセイや旅行記などを書いているフリーライターの美咲は貯金が少なく、これでほぼ一文無しとなってしまう。
優はバンドマンで派遣社員をしている男と結婚したのだが、以前からの願いで専業主婦をしている。お相手は月一でバンドライブを行っているのだが、売れていないので儲かるどころかやるたびに借金が膨らんでいる。
美咲が東京の大学に進学し、優も東京を出て行った後も長崎に残って峰子の世話をしていたシオは、町の売店で働いているのだが、当然ながらお金になる仕事ではない。
三人の母親の峰子は、社会的には破綻した女性であり、三人の娘を生んだのも、自分が好きなところに飛んで行ってしまわないよう「重石」とするためだった。
峰子の遺骨を撒く場所を探して、三姉妹はイスタンブールを彷徨うのだが、そのうち、誰からともなく母親の幽霊を見たと言い出して……。

三女のシオを演じる芳根京子がストーリーテラーを兼ね、長女の美咲役の田畑智子や次女の優役の鈴木杏も峰子との思い出などを語ったり、録音された声がエッセイの題材や独り言として流れたりする。更に優は旦那にLINEを打って現状報告、ということで語りが多すぎるきらいはある。
内容もどちらかといえば映像作品にした方が映える種類のもので、最も見せ場の多い芳根京子の演技も表情をクルクル変えるなど映像向きである。そのため、「これが演劇である必要があるのか」という疑問も浮かばないではなかったが、ストーリー展開は好感の持てるものであり、四人の女優の熱演もあって満足のいくものに仕上がっていた。

次女が突然、「働く」と言い出したり、ラスト付近で行進曲が奏でられたりするのが、チェーホフの「三人姉妹」へのオマージュだと思われる。ロシアの田舎町からではなく母親から旅立って行く「三人姉妹」の物語だ。

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2019年3月16日 (土)

観劇感想精選(293) こまつ座第126回公演「イーハトーボの劇列車」2019

2019年3月8日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、こまつ座第126回公演「イーハトーボの劇列車」を観る。作:井上ひさし、演出:長塚圭史。出演は、松田龍平、山中惇、村岡希美、天野はな、土屋佑壱、松岡依都美(まつおか・いずみ)、宇梶剛士、福田転球、中村まこと、紅甘(ぐあま)、小日向星一(小日向文世の息子)、岡部たかし。音楽:宇野誠一郎、阿部海太郎。

こまつ座の「イーハトーボの劇列車」は、6年前に、井上芳雄の宮沢賢治、鵜山仁の演出で観ているが、今回は松田龍平の宮沢賢治、長塚圭史の演出という組み合わせとなった。

セットは学校の教室。窓が所々破れており、向こうには草っ原が見える。役者が舞台の上手と下手に横一列になり、出番になると教室の中に現れるという趣向を行っている場面もある。

 

松田龍平の宮沢賢治であるが、残念ながら井上芳雄に比べると大きく劣る。トップミュージカルスターである井上芳雄に対し、松田龍平は主に映像で活躍している俳優なので、舞台で差が出てしまうのは当然なのであるが、松田が演じる宮沢賢治はどう見ても利発とは思えない。宮沢賢治という人物は、「素朴なインテリ」もしくは「頭の良い駄目男」という言葉で表すことが出来るのだが、松田は聡明な印象に欠けるため、「素朴な駄目男」に見えるという頭を抱えたくなるような結果になってしまっている。ただ、賢治が考える日蓮像に繋がっているとも考えられ、「これは宮沢賢治ではない」と断定することも出来ないように思う。

今回は、鵜山仁演出版ではカットされていたところも上演されており、上演時間は休憩時間も含めて3時間30分に及ぶという大作となっている。

長塚圭史の演出であるが、真面目すぎてユーモアを欠くところがあるのが気になる。鵜山仁版では笑えていた場所もあっさり通過してしまって意味がなくなっていたりする。ユーモアがあるからそれに対比されるシリアスな場面が痛切さを増すのだが、今回はそうした趣向を炙り出すまでには至っていなかった。

キャストも鵜山仁版の方がずっと充実しており、今回のキャストはセリフのやり取りなどが全般的に今一つ噛み合っていなかったように思うが、宮沢政次郎(賢治の父親)と伊藤儀一郎の二役を演じる山中惇は、特に伊藤儀一郎を演じている時に良い味を出していたように思う。
宮沢とし子(詩「永訣の朝」で知られる賢治の妹)と車掌ネルの二役で出た天野はなも可憐で印象深かった。

思い残し切符も、鵜山仁の演出では希望として描かれていたように感じられたのだが、長塚圭史の演出では「受け継ぐ義務のあるもの」というより切実な意味を伴っていたように感じられ、観劇後の充実感はなかなかのものであった。やはり「イーハトーボの劇列車」は本が良いのだと思われる。

 

こまつ座「イーハトーボの劇列車」2013

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2019年3月14日 (木)

観劇感想精選(292) 文楽京都公演2019 「義経千本桜」より“道行初音旅”&「新版歌祭文」より“野崎村の段”

2019年3月3日 京都府立文化芸術会館にて観劇


正午から京都府立文化芸術会館で文楽京都公演を観る。演目は「義経千本桜」より“道行初音旅”と「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)」より“野崎村の段”。いずれも歌舞伎で観たことのある演目であり、比較が楽しみとなる。なお、もう一つのプログラムは「義経千本桜」より“椎の木の段”と“すしやの段”(いがみの権太)であるが、昨年の南座の顔見世で観たばかりであり、記憶が生々し過ぎるためパスする。


 


まず、竹本小住太夫による解説がある。


 


「義経千本桜」より“道行初音旅”は、“川連法眼館の場”の前の段に当たる。初音鼓にされた狐の子どもが源義経の家臣である佐藤忠信に化け、初音鼓を持ち歩く静御前の前に現れるというシーンである。歌舞伎では市川九團治の忠信で観ている。


人形による舞と扇のキャッチ、忠信の主遣いである吉田清五郎の衣装早替えが見せ場となる。華麗な衣装に身を包んだ人形が生き生きとした動きをする。狐の動きも生々しい。


謡には忠信の名を分けて「忠(ちゅう)と信(まこと)」という言葉にしたり、静御前に掛けて「静かに忍ぶ都をば」と言ったりと、日本文学の正統である掛詞がふんだんに使われている。


 


「新版歌祭文」より“野崎村の段”。歌舞伎では中村七之助のおみつで観ている。


 


武家の子である久松は、父の切腹により家が潰れたため、野崎村の小百姓である久作に育てられ、今は大坂の油屋の丁稚奉公に出ている。油屋の娘であるお染とは相思相愛だったのだが、お染は親が持ってきた縁談に従うほかなく、久松は油屋奉公人の小助らに騙され、店の金を横領したことにされてしまいそうになる。


一方、久作は娘のおみつと久松を夫婦にしようと思っており、おみつもその気である。


年の暮れ、久作が年末の挨拶に出掛けている間に小助が久松を連れて野崎村にやって来る小助は久松が金を盗んだとして弁償を迫るが、帰ってきた久松は小助にすぐに金を渡す。久作は久松におみつと祝言を挙げるように言い、おみつもその気になって支度を始める。そこにお染がやってくるのだが、おみつはお染の正体をすぐに見抜き、冷たく当たる。


ラストシーンでは屋形船が登場するのだが、船頭が体を拭いたり川に落ちて泳ぐシーンがあったりするのだが、とてもユーモラスであり、江戸時代の人々の粋(いき)が直に伝わってくる。

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2019年3月 9日 (土)

2346月日(10) ベルトルト・ブレヒト著 大岡淳訳『三文オペラ』(共和国)刊行記念 連続トークイベント「おまへは歌ふな」大阪篇 「私たちは「近代」を卒業できるか? ~歌の生まれるところ~」

2019年2月28日 大阪・肥後橋のCalo Bookshop&Cafeにて

午後7時から、大阪の肥後橋にあるCalo Bookshop & Cafeで、ベルトルト・ブレヒト著 大岡淳訳『三文オペラ』(共和国)刊行記念 連続トークイベント「おまへは歌ふな」大阪篇に参加する。大阪篇のタイトルは「私たちは「近代」を卒業できるか? ~歌の生まれるところ~」である。

訳者の大岡淳は、1970年西宮市生まれの演出家、劇作家、批評家。総白髪なので年取って見えるがまだ40代である。早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。現在はSPAC-静岡舞台芸術センター文芸部スタッフ、浜松市の公立大学法人静岡文化芸術大学非常勤講師などを務めている。
ゲストとして、滋賀県立大学教授である細馬宏通と詩人でNPO法人ココルーム代表、労働者街の市民大学である釜ヶ崎芸術大学・大学院発起人の上田假奈代が参加する。

第一部は大岡淳が自ら訳した『三文オペラ』の文章を朗読し、「モリタート(マック・ザ・ナイフ)」を歌う。

その前に、「三文オペラ」の登場人物とストーリーの説明がある。壁には登場人物達のイラストが貼られている。
「三文オペラ」はイギリスの劇作家であるジョン・ゲイの『乞食オペラ』をブレヒトが改作したもので、ロンドンが舞台である。といってもブレヒトはロンドンに行ったことがなく、サー・アーサー・コナン・ドイルのシューロック・ホームズシリーズが大好きだったということで、ホームズものに登場するロンドンを念頭に置いた架空の街、ロンドンを舞台としている。ロンドンに行ったことのある人からは、「こんなのロンドンじゃない」と言われることもあるそうだ。

大阪篇は歌がテーマになっている。ということで音楽も大きな比重を占める。
「三文オペラ」の作曲者は、1900年に生まれ、1950年に没するという年号を覚えやすい生涯を送った(?)クルト・ワイル。ブレヒトとは何度も共同作業を行っている。ドイツ時代はクラシックの作曲家であったが、ユダヤ人であったためアメリカに亡命し、以後はミュージカルの作曲を主に行っている。
思えば、私が初めて買ったオペラのCDが「三文オペラ」なのだった。初めて買ったオペラのCDが「三文オペラ」だったという人は余りいないと思われる。そもそも一般的な日本人はオペラのCDやらレコードやらを保持していない。
クルト・ワイルの音楽はかなり個性的であり、「三文オペラ」もいわゆるオペラというジャンルに含まれるのかどうか微妙なところである。ちなみに私は演劇として上演された「三文オペラ」は2度観ているが、新国立劇場で上演されたオペラとしての「三文オペラ」は観ていない。


大岡は、池袋で行われた演劇祭で上演される「三文オペラ」のために新訳を行ったのだが、SPACの上司である宮城聰に、「お前、歌詞翻訳しろ」と命じられて取り組んだそうである。ちなみに大岡は早稲田大学在学中に第二外国語として2年間ドイツ語を学んだだけだったのだが、「お前、ドイツ語出来る?」と聞かれて、「出来ます!」と答えてしまい、最初は英語で書かれたドイツ語入門のテキストを読むことから始めたそうだ。それから9ヶ月後に翻訳を仕上げたのだが、上演後、ドイツ語の専門家から「そんなの物理的に可能なんですか?」と言われたそうである。
本来は歌詞のみの翻訳だったのだが、「歌詞だけじゃ整合性がなくなる」ということで全編を訳した。ただ、宮城から「歌詞翻訳の分しか金が用意出来ない」と言われ、それで新たなテキストを発売することにしたそうだ。ただ戯曲というのはそもそも売れないもので、「全国行脚」をして回ることになったそうである。連続トークイベントは今月6日に東京・早稲田で始まり、静岡(2度)、横浜を経て、昨夜が西宮、今日が大阪である。今後、岡山、福岡を回り、3月17日には番外編として中目黒で音楽ライブも行われる。

大岡は日本軽佻派を自称しており、『三文オペラ』の訳でも様々なことを試みている。脚韻を徹底させてあり、B系ともいわれる若者言葉を用いている他、マックヒースの演説では七五調を取り入れていて、歌舞伎のセリフのように響いてくる。

大岡は、これまでに発表された『三文オペラ』の様々な訳を読み上げ、「モリタート」は歌う。黒テントの山元清多(やまもと・きよかず)が舞台を日本に置き換えたバージョンの「モリタート」も歌われるのだが、黒テントの上演では服部吉次(はっとり・よしつぐ。服部良一の次男で、服部克久の実弟)が「モリタート」を歌っていた。服部吉次は音大出身で、実に上手く「モリタート」を歌っていたのだが、18日に行った横浜でのトークショーでは大岡の目の前に服部吉次がおり、服部の目の前で「モリタート」を歌うことになったそうだ。ちなみに服部の横には串田和美がいるという謎の豪華布陣だったそうである。


ちなみに、大岡は、ピーチャムとマックヒースの年が近い感じがするということで、ピーチャムの娘であるポリーとマックヒースとの間に年の差があるのではないかと読んでいるようである。例えとして、「ピーチャムが東尾修、マックヒースが石田純一、この人、靴下はいてないかも知れない。ポリーが東尾理子」と言っていた。マックヒースは銀行家に成り上がろうとしており、そのため、奥さんがちゃんとした人である必要が出てきたのだ。

貧民階層の人達が出てきて、整合性の低いことを言っていたりするのだが、これは釜ヶ崎芸術劇場でやろうとしている釜ヶ崎オ!ペラに似ているそうである。貧しい人達が上流階級や政府に逆らうでもなく、グチグチ言ってるだけで結果として為政者の思うがままになっているという状況は、19世紀末の架空のロンドンと今の日本社会に共通するもののようだ。上田假奈代によると道に出てきたり、何かすることがある人はまだましで、釜ヶ崎でも下の人達は引きこもって酒浸りであり、緩慢な自殺へと向かっているそうだ。

今の社会はみんなで歌える歌がなくなったという話になる。大岡によると、「原発で働いている人には歌がない」という。昔の炭鉱などでは文芸部があったり合唱サークルがあったりして、「炭坑節」という作者不詳の歌が生まれるという文化があった。ただ、原発には、ひょっとしたらあるのかも知れないが歌が生まれているという感覚がない。放射線が体に貯まらないよう、短期で人員の入れ替えがあるのかも知れないし、作業自体がリズムがあると支障を来すようなものなのかも知れない。本当の原因はわからないが歌から遠い場所に我々は来てしまっている。

「近代」が個々で行う作業が尊ばれた時代なのだとしたら、我々は「近代」を卒業出来ていない。
上田は、言葉には歴史があり、自分で生み出したものではないのに、何から何まで自分で生んだように錯覚するのが「近代」の文芸なのだというようなことを言う。
明治以降の詩に関しては、文語から口語へ、定型詩から自由詩へという流れが一貫としてあったのだが、大岡によるとそれも限界に来ているのかも知れないという。

大岡と上田は鳥取で、子ども達と一緒になって作品作りをするワークショップを行っていたりするのだが、個人では生み出すことが出来ないような豊かなものが生まれる可能性があるそうだ。


歌の話に戻ると、J-POPなどは歌が長くなり、複雑になったと細馬は指摘する。今のポピュラーシンガーのライブには、予めCDなり配信なりを聞き込んで、全曲わかるようにして挑むのが普通なのだが(私もそういうことはする)、細馬が若い頃はそんなことはしなかったそうで、楽曲も演奏時間が短く、誰でも歌えるようなものだったというのが大きいのではないかという。
確かに、現在主流のJ-POPは歌詞も複雑で1回聴いただけではなんのことを歌ってるのかよく分からなかったり、音程も半音ずつ上がり下がりしていたり、転調に次ぐ転調があったりと、変拍子が当たり前のように入っていたりと、聴くのも歌うのも難しいものが多い。世代間の断絶もあり、例えば私の親世代の人はブラックミュージックなどは音楽に聞こえない、子どもはいないけど子ども世代に当たる十代の子達が聴くラップなどは私は余り聴かないということもある。音楽を聴くというスタンスが変化し、アーチスト個人と聴衆一人の1対1のコミュニケーションという形になったような気がする。

「三文オペラ」だけでなく、つい最近に至るまで、貧困層の人々の声は、インテリ達が想像によって代弁していたのだが、例えば大岡が子どもの頃に住んでいたという川崎市生まれの人気ラップアーティストがいるそうだのだが、「川崎区で有名になるには人を殺すかラッパーになるか」という歌詞を歌うそうで、当事者が声を上げるようになってきた。ただ、彼らも下剋上を好む成り上がりで、結局、大人になって良い車になるようになって上がりであり、成り上がれなかった人達のことは等閑視するようで、貧困層の中にもまた階級が生まれ、音楽を共有出来ないことになっているようだ。

大岡は、演劇に関しても今は人間同士の密度の濃い劇団システムは廃れてしまい、プロデュース公演が基本で、いつもいる人はプロデューサーだけという状態と指摘する。昔は劇団に所属している人だけで上演を行っており、他劇団への客演さえ問題視され、テレビやCMに出るなんてとんでもないという風潮があったが、今はCMにテレビドラマの仕事を受けたからといって「なんでだよ!」と怒る人はまずいない。

他者とじっくり何かを作るという作業が時代に合わなくなってきているのかも知れない。個のアイデンティティも崩壊し、サイコパスが主流になって人間間の契約が成り立たなくなって、世界が崩壊するというディストピアを大岡は思い浮かべてもいるそうだ。

ただ、ポピュラー音楽が崩壊していく様は、クラシックがすでに辿った道であり、今のポピュラーミュージックは、理解が困難になったクラシックに変わる形で台頭した。あるいはこれから先により身近な形の音楽が生まれるかも知れないという予感は私の中ではある。



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2019年3月 7日 (木)

2346月日(9) ドイツ演劇サロン「アルトゥロ・ウィの興隆」

2019年2月26日 大阪・周防町のウイングフィールドにて

午後7時から、大阪・周防町のウイングフィールドで、ドイツ演劇サロン「アルトゥロ・ウィの興隆」に参加する。
「アルトゥロ・ウィの興隆」は、ベルトルト・ブレヒトが、第二次大戦中の1941年にアドルフ・ヒトラーとナチスを揶揄するために書いた戯曲である。当時、ブレヒトはアメリカに亡命中であり、上演するあてもないままに書かれた作品だ。結局、ブレヒトの存命中にはこの戯曲は上演されることはなく、1995年になってようやくブレヒトが創設したベルリナー・アンサンブルによって初演されている。演出を担当したのは、「ハムレットマシーン」のハイナー・ミュラー(当時のベルリナー・アンサンブルの芸術監督)であった。演出家としては、これがミュラーの遺作となっている。2005年には東京の新国立劇場でもベルリナー・アンサンブルによって上演されており、ドイツでは人気の演目となっているようだ。
2005年は、「日本におけるドイツ年」であり、他のドイツの劇団も東京公演を行っていて、西堂行人によると東京のみではあったが日本とドイツの演劇界がリンクするような雰囲気が醸成されていたそうだ。ただ、その後、日本とドイツの距離は再び遠くなってしまい、日本では内省的で個人的な演劇が主流となっている。


1929年から1938年にかけてのシカゴに舞台は移されており、マフィアの話になっている。アドルフ・ヒトラーに相当するアルトゥロ・ウィは、マフィアのボスである。世界恐慌によって痛手を受けたカリフラワー業界に目を付けたウィは、乗っ取りをたくらむのだが拒絶される。カリフラワー業界はシカゴのドッグスパロー市長(ヒンデンブルク大統領に相当)を頼りにしており、ウィはドッグスパローの弱点を探し始める。そして、ドッグスパロー市長が収賄に手を染めていることを発見したウィは、ドッグスパローをゆすりにかかる。最初は相手にしていなかったドッグスパローだが……。

登場人物のうち、ジリーがゲーリング、ジボラがゲッペルス、ローマがレーム(三島由紀夫の「我が友ヒットラー」では最重要人物となる)をモデルにした人物である。

全編は2時間以上ある作品であるが、今回は30分強にまとめた映像がスクリーンに投影される。
出演者は、西堂行人(演劇評論家、明治学院大学文学部芸術学科教授)、笠井友仁(演出家、エイチエムピー・シアターカンパニー)、高安美帆(俳優、エイチエムピーカンパニーと舞夢プロに所属。大阪現代舞台芸術協会理事)の3人。で、適宜コメントを入れながら上映が行われる。


ヒトラーは演説の名手になるために俳優に教えを受けたという、嘘か本当かわからない話があるが、この劇の中でもアルトゥロ・ウィが名優にセリフ術を教わる場面がある。バーナード・ショーの「ピグマリオン」つまり映画の「マイ・フェア・レディー」にもこうした場面はあるのだが、かくして犬のように野卑で獰猛だった男が、稀代の名演説家に変身する。ウィは部下から「不自然だ」という指摘を受けるのだが、「この世に自然に生きている人間など一人もいない」と一蹴する。
ちなみに、名優はシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」に出てくるアントニーの演説をテキストとしてセリフの稽古を行うのだが、自分の人生を振り返って、「シェイクスピアは人生を台無しにしてしまう」と語っており、これは「演劇はドイツを台無しにしてしまう」と読み替えることが出来る。つまり虚構を作り上げるという広義の演劇によって権力は捏造されるのだが、そうした権力を告発するのもまた演劇の役割であることが筋を追っていくとわかるという、合わせ鏡のような魅力的な構造が浮かび上がる。
西堂行人が、ブレヒトの劇には「往路と復路がある」という話をしていたが、そこにも繋がっているようにも思う。


高安美帆は、ドイツのギーセン大学応用演劇学科の客員教授をしていたことがあるということで、ベルリンで発行されている芸術ガイドが来場者に回される。ベルリナー・アンサンブルは毎日のように上演を行っており、有名な作品としては「メディア」や「マクベス」などを上演していることがわかる。芸術ガイドには、音楽(ベルリン・フィルハーモニーでの公演情報も載っており、今年の1月には「モーツァルト&サリエリ」というプログラムの演奏会が行われていたことがわかる)、オペラ、グルメなど様々な情報が載っている。

かつて東西に分かれていたベルリン。東ベルリンだけもしくは西ベルリンだけでも一大都市に相当する劇場を持っていたため、他の都市に比べて上演数が多いのが特徴である。大劇場だけでなく、小劇場演劇も盛んで、トルコ人街にいくつも小劇場が出来ていたりするようだ。そうした土壌ゆえか、ベルリンの人達は、とにかく熱心に観劇するそうで、舞台上と客席の間で丁々発止の雰囲気が築かれることも多いようだ。また、東ベルリンと西ベルリンに分かれていた時代の名残が今もあり、「東には負けない」「西には負けない」という気概に満ちているそうで、新しいものがどんどん生まれているそうだ。

ハイナー・ミュラーは、冒頭に書かれている口上を本編が終わった後に来るよう、置き換えている。ラストで種明かしがされるという感じだが、ブレヒトの劇自体はかなり露骨にわかるように書かれており、冒頭で設定を明かしてしまうと、作者の意図通りに見えすぎてしまうということもあるのだろう。
ミュラーは時折、地下鉄が通り過ぎる音を入れている。ブレヒトの異化効果とするのが適当なのかも知れないが、舞台の設定を地下鉄のすぐ上の得たいの知れない空間とすることで劇場らしさを消し、同時に作品のフィクション性や時間を隔てた物語という距離を埋めた切実感を出そうとしたとも思われる。


ちなみに西堂行人は、ベルリンで「アルトゥロ・ウィの興隆」の初演を観ているそうで、それが自身にとっても画期となったそうである。

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2019年2月21日 (木)

京都芸術センター「継ぐこと・伝えること62 『享楽×恍恍惚惚』―男舞・女舞―」 中村壱太郎

2019年2月11日 京都芸術センター講堂にて

午後2時から京都芸術センター講堂で、「継ぐこと・伝えること62 『享楽×恍恍惚惚』―男舞・女舞―」を観る。出演は中村壱太郎(かずたろう)。若手を代表する女方(女形)の一人である。

中村壱太郎は、四代目中村鴈治郎の長男である。1990年生まれ。本名は林壱太郎。
中村鴈治郎家は上方の名跡だが、すでに東京に移住しており、壱太郎も東京生まれの東京育ちである。屋号は成駒屋で、私が観た時には、「小成駒!」という声が掛けられてもいた。2014年に、日本舞踊吾妻流の七代目家元、吾妻徳陽(あづま・とくよう)を襲名している。

プログラムは、創作長唄「藤船頌(とうせんしょう)」、レクチャー・ワークショップ「日本舞踊とは」(中村壱太郎&広瀬依子)、休憩を挟んでレクチャー「日本舞踊の音楽について」(中村壱太郎&中村壽鶴)、長唄「島の千歳」


創作長唄「藤船頌」。歌詞は事前に観客に配られている。唄:杵屋禄三、今藤小希郎。三味線:杵屋勝七郎、今藤長三朗。立鼓:中村壽鶴。笛:藤舎伝三。
主人公はお公家さんだそうである。春の海辺を謳ったもので、藤の紫と海の青が一体となって賛嘆される。

壱太郎は、紋付き袴で登場。強靱な下半身に支えられていると思われるブレのない舞踊を行う。西洋の舞踊は体を大きく見せる方向に行きがちだが、日本舞踊は両手や体を最短距離で動かす無駄のない動きが特徴的であり、好対照である。
扇には表に墨絵の藤、裏に波の絵が描かれている。藤が墨絵なのは、彩色すると「女っぽく見えてしまうから」「藤が面に出過ぎるから」という2つの理由があるらしい。


元「上方芸能」誌の編集長、広瀬依子を進行役としたレクチャー・ワークショップ「日本舞踊とは」。壱太郎は私物だというMacのノートパソコンを使ってスライドを投影し、解説を行う。

まずは歌舞伎の歴史から解説。出雲阿国の阿国歌舞伎から若衆歌舞伎を経て、現在まで続く野郎歌舞伎に至るまでの歴史が簡単に解説される。
歌舞伎の元祖は出雲阿国による阿国歌舞伎で、これは舞踊である。女性が男装をした舞うものだったのだが、「風紀が乱れる」ということで廃止になり、若衆歌舞伎へと移行する。若衆歌舞伎は、壱太郎曰く「ジャニーズ系」のようなもので、「美しいものを見たいが、女性は駄目となると未成年の男性」に目が行くということだったのだが、この時代は同性愛は一般的なことであるため、やはり風紀上よろしくないとのことで禁止され、「成人男性によるちゃんとしたお芝居なら良い」ということで野郎歌舞伎が生まれる。
歌舞伎は江戸の歌舞伎と上方の歌舞伎に分かれるが、江戸が英雄を登場させてポーズで見せるという外連を重視するのに対し、上方歌舞伎は庶民が主人公で日常を主舞台にするという違いがある。

日本舞踊、吾妻流についても解説が行われる。吾妻流は日舞の中では傍系で、元々は女性の歌舞伎踊りとして始まり、現在も門人の99%は女性だそうだ。ただ、その家元となった壱太郎(=吾妻徳陽)が男性ということで複雑なことになっているらしい。
吾妻流は、江戸時代中期に始まっているがいったん途絶えている。再興されたのは昭和に入ってからで、十五代目市村羽左衛門の娘である藤間春枝が吾妻春枝として興したのだが、十五代目市村羽左衛門の実父は白人とされており、壱太郎にも白人の血が流れているかも知れないというロマンがあるそうである。
壱太郎の大叔父に当たる五代目中村富十郎が吾妻徳隆(とくりゅう)を名乗っており、壱太郎の舞踊名も漢字が似たようなものをということで、徳陽になったそうだ。舞踊名にはもう一つ候補があって、壱太郎が慶應義塾出身ということで、「徳応ではどうか」というものだったのだが、壱太郎は「徳応だと偉そうな感じがする」というので徳陽に決まったそうだ。
「陽」の字はご年配の方の名前には余りつかないということで若々しさも感じられる良い名前だと思う。

その後、韓国で収録されたという壱太郎による舞踊「鷺娘」の映像がスクリーンに投影される。女方にとって映像、それも4Kを超えて8Kとなると女ではないことがはっきりわかるので困ったことになってしまうそうだ。
「鷺娘」は衣装の早替えがあるのだが、海外で上演すると拍手が貰えないという。「Wow!」という驚嘆の反応になってしまうそうだ。
女方の理想は、「女になり切って演じるのではなく、女らしさを追求する」というもので、「矛盾した」難しいものである。女らしさを演じるために腰を落とした上で良い姿勢を保つことが肝要なようである。女らしい仕草をするために常に内股であることを心がけてもいるそうだ。


休憩後、立鼓の中村壽鶴と壱太郎によるレクチャー「日本舞踊の音楽について」。壽鶴は鼓をばらしてみせる。普段はばらした形で持ち歩いているそうだ。
鼓の皮は何の皮を使っているかということがクイズ形式で観客に出され、壱太郎が、「土日の新聞をチェックしている人はわかるかも知れません」とヒントを出し、壽鶴も「淀駅に行く方はわかるかも知れません」と続ける。淀駅は京都競馬場の最寄り駅である。ということで正解は馬の皮。往時は馬が最も身近な動物だったようである。ちなみに今日、壽鶴が持っている鼓の胴は江戸時代製、皮の部分は安土桃山時代に作られたもので、かなりの値打ちもののようだ。
鼓は乾燥すると音が高くなるため、息を吹きかけて湿らせ、音を調整するそうである。


長唄「島の千歳」。唄は杵屋禄三と今藤小希郎、三味線が杵屋勝七郎と今藤長三朗、立鼓が中村壽鶴である。
白拍子を主人公とした女舞。白拍子に見せるため、壱太郎は長絹を纏っての登場である。
白拍子も阿国歌舞伎同様、男装した女性が舞を行うものだが、男性である壱太郎が男装した女性を演じるということで、幾重にも転倒した状況を生んでいる。抒情と艶を二つながら生かした典雅で妖しい舞となる。



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