カテゴリー「東京」の26件の記事

2008年8月 5日 (火)

街の想い出(24) 神田・御茶ノ水界隈その7 内山書店

街の想い出(24) 神田・御茶ノ水界隈その7 内山書店

東京都千代田区神田駿河台下の、すずらん通り。この通りに中国関係専門書店が2軒あります。1軒は以前に単独で紹介した東方書店。そしてもう1軒がここで紹介する内山書店です。
内山書店は3階建て。私が初めて訪れた頃(1994年)と最近とでは本の配置が多少異なっていますが、1階に日本語の中国語と中国関係書、中国語による経済書、文学書などが並べられ、2階には中国の古典書や音楽書、3階では民芸品などが売られていました。

2階には中国の音楽CDやカセットテープ、VCDなどが並ぶコーナーがあり、中国人作曲家によるオーケストラ曲のCDも売られていました。演奏を担当しているのが中国の団体ではなく、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団という、名前を聞いたこともない怪しげなオーケストラであったことが記憶に残っています。

さて、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団は、現在ではNAXOSというレーベルから出ている録音でおなじみのオーケストラとなっていますが、複雑な事情によりロシア・フィルハーモニー管弦楽団を名乗る団体は複数あるため、内山書店に並んでいたCDのロシア・フィルハーモニー管弦楽団と、NAXOSからCDを出しているロシア・フィルハーモニー管弦楽団が同一団体なのか、今でも判然としないのです。

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2008年5月 1日 (木)

ある数字の話

「1は2、3は12、4は10、6は4、8は8、10は6、12は無し」

これだけだと大多数の人は何を言っているのかわからないと思います。関東出身で、京都に住んでいる人はピンと来るかも知れませんが。

実はこれ、テレビのチャンネルの違いを言ったもので、関東のテレビ局のチャンネル番号が京都では何チャンネルに相当するかを示したものです。

東京→京都の順で併記してみると、

NHK総合 1→2
NHK教育 3→12
日本テレビ 4→10 読売テレビ
TBSテレビ 6→4 毎日テレビ
フジテレビ 8→8 関西テレビ
テレビ朝日 10→6 ABCテレビ
テレビ東京 12→ 京都では基本的にテレビ大阪の番組は受信出来ない。

京都のUHF局であるKBS京都テレビは多くの家庭では3チャンネルに入っています。
KBS京都は、以前はテレビ東京の関連局として同じ番組を数多く放送していたようですが、テレビ東京系列の関西キー局であるテレビ大阪が出来てからは独自路線を歩み、テレビ大阪が京都府を視聴地域にしなかった(KBS京都の反発もあって出来なかった)ため、京都ではテレビ東京系列の番組が視聴出来なくなっています。

VHF局とUHF局が共存している関東から見ると奇妙な気もしますが、これが関西流のようです。ただ、VHF局が本社を置く東京には長くUHF局は存在しなかったので、事情がそれほど違うというわけでもないのでしょう。

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2008年4月30日 (水)

街の想い出(23) 銀座その4 銀座シネパトス

街の想い出(23) 銀座その4 銀座シネパトス

東銀座にある銀座シネパトス。地下にある映画館です。3つのスクリーンがあり、ロードショー、名画など様々な映画を上映。

この映画館観た映画で印象深いのは、ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」のリバイバル上映。1994年か1995年のことだったと思います。

今はどうか知りませんが、当時の銀座シネパトスは近くを走る地下鉄の音がときおり館内に響いてくるという、のんびりした感じの映画館。そうした場所で、アラン・ドロン演じる主人公が海辺で太陽の光を浴びながら満面の笑みを浮かべ、でも実は……、という切ないラスト(このラストシーンは原作にはない、映画独自のもの)を観るのは、最新式の映画で万人向けの映画を観るのとは違った独特の感慨があったのをよく憶えています。

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2008年3月14日 (金)

街の想い出(22) 銀座その3 銀座山野楽器本店

銀座通りにある山野楽器本店。銀座のみならず日本を代表する老舗音楽ショップです。CD売り場や楽器販売も充実していますが、私はCDや楽器よりもピアノスコアを買うためにこの店に良く通いました。ここと銀座通りの南にあるヤマハ銀座店に行けば、欲しいピアノスコアは大体手に入れることが出来ました。

1999年のある日、山野楽器銀座本店の楽譜売り場に行くと、子供向けの曲が延々とかかっていました。モニターにアニメの映像が流れ、スピーカーからは同じ曲がエンドレスで流れていたわけです。その時は何で子供向けの曲をずっと流しているのかわからなかったのですが、程なく、その子供向けの曲の正体がわかりました。大ブレークすることになる「だんご三兄弟」だったのです。「だんご三兄弟」は話題にはなっていたもののCDはまだ発売になっておらず、楽譜が先行発売されていたので、楽譜売り場でここぞとばかりに「だんご三兄弟」が流れていたわけです。
それにしても瞬く間に盛り上がって、あっという間に終わった、あの「だんご三兄弟」フィーバーは何だったんでしょうね。

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2007年12月17日 (月)

街の想い出(19) 銀座その2 東劇

街の想い出(19) 銀座その2 東劇

東劇。銀座と築地の中間、東銀座にある映画館です。

ここで観た映画と特に印象に残っているのは、竹中直人監督の「119」と黒沢清監督の「ニンゲン合格」。

「119」は消防署員の物語。とはいえ、ここ何年も火事が起こっていないという平和な海辺の街でのお話です。出演は、赤井英和、鈴木京香、温水洋一、塚本晋也、浅野忠信、津田寛治、マルセ太郎、宮城聰、竹中直人ほか。脚本は、筒井ともみ、宮沢章夫、竹中直人の3人が担当。音楽:忌野清志郎。
静岡県沼津市を中心とした日本情緒の残る風景、小津安二郎を意識した竹中の演出、撮影当時25歳だった鈴木京香の日本美人ぶり、忌野清志郎の歌など、見所の多い作品です。

「ニンゲン合格」は、14歳の時に事故で記憶を失った青年(西島秀俊)が10年ぶりに目覚めたところから始まるヒューマンドラマ。出演は、西島秀俊、役所広司、りりぃ、麻生久美子、哀川翔、洞口依子ほか。
展開が淡々としているので、“退屈だ”と評価する人も多かったようですが、「人間」、「夢」、「家族」などについて考えさせられるところも多く、個人的には第一級の人間ドラマであると思っています。

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2007年11月24日 (土)

街の想い出(17) 銀座その1 シネスイッチ銀座(銀座文化劇場)

街の想い出 銀座その1 シネスイッチ銀座(銀座文化劇場)

東京都中央区銀座、銀座のシンボルともいえる和光の裏通りにあるのがシネスイッチ銀座です。1997年までは、シネスイッチ銀座と銀座文化劇場という2つの劇場が入っていて、銀座文化劇場は往年の名画を上映するいわゆる名画座でした。現在はシネスイッチ銀座1とシネスイッチ銀座2となり、ロードショー館となっています。

私が良く通ったのは、今はなき銀座文化劇場の方で、ルキノ・ヴィスコンティの「家族の肖像」や「ベニスに死す」、先日亡くなったモーリス・ベジャールがバレエの振付を担当した「愛と哀しみのボレロ」などが強く印象に残っています。

グスタフ・マーラーをモデルにした「ベニスに死す」(原作はトーマス・マンの小説)は、テレビでも観ていたのですが、スクリーンで観ると耽美的な味わいがよりはっきりとわかりました。

「愛と哀しみのボレロ」は、ラストの有名なバレエシーン(ラヴェルの「ボレロ」。この振付をしたのがモーリス・ベジャール)以上に、とにかく長い映画だったという印象が残っています。今観たらまた違った感じを受けるのかも知れませんが。

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2007年8月29日 (水)

東京と京都 大学キャンパスの違い

私は大学生活を二度送っています。最初は明治大学で、二度目は京都造形芸術大学で、いずれも卒業しています。

東京にいる頃は当然だと思っていたことが京都ではそうではないということは多々ありますが、京都に来て面白かったのは、大学の建物の一つ一つに凝った名前がついていることです。

明治大学駿河台キャンパスは、記念館(のちにリバティタワーに建て替えられた)を除けば、5号館、6号館、7号館といったように単に建てられた順に番号が振られているだけでしたが(縁起担ぎからか、4号館と9号館、13号館は存在せず。また、10号館、11号館、12号館、14号館以外の建物はキャンパス再開発により現在は消滅)、京都造形芸術大学瓜生山キャンパスは、メインの建物が「人間館」、舞台芸術コースの入っているのが「天心館」(おそらく岡倉天心に由来)、映像スタジオのあるのが「青窓館」といった風に名前がついていました。

京都にある私立大学の多くが、キャンパス内にある建物に名前をつけています。

立命館大学衣笠キャンパスの時計台のある建物は「存心館」。他にも「以学館」や「学而館」など、建物のほぼ全てに名前がついています。

同志社大学今出川校地には重要文化財に指定されている「クラーク記念館」や「有終館」、「ハリス理化学館」などがあり、その他の建物にも「寒梅館」、「啓明館」などの名前がついています。
隣接する同志社女子大学も、国登録有形文化財に指定されている2つの建物、「栄光館」、「ジェームズ館」を始め、全ての建物が独自の名を持っています。

龍谷大学深草キャンパスは、1号館、2号館といったように番号制ですが、「紫英館」、「紫朋館」といったように名前がついている校舎もあります。

京都産業大学や京都外国語大学のように番号のみの校舎しかないところもあるのですが、私立大学に関しては建物に名前をつける習慣のある学校が多数派です。

一方、東京の私立大学は、番号制もしくはアルファベット制(A棟、B棟といったような)の大学が圧倒的。法政大学のように、竣工した年を名前に冠した校舎(「55年館」、「80年館」などがある)を持つ大学もありますが、この場合もネーミングは即物的で、全く凝っていません。

東京の大学では○年生、京都の大学では○回生と、学年の呼び方が違うというのは比較的知られていますが、建物に凝った名前をつけるかどうかというのは案外知られていない違いのようです。

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2007年7月20日 (金)

街の想い出(14) 神田・御茶ノ水界隈その6 書泉グランデ

書泉グランデ

神田神保町の書店街では三省堂神田本店に次ぐ大型書店・書泉グランデ。
三省堂神田本店で見つからなかった本も、書泉グランデに行けば見つかる可能性は非常に高いものがありました(逆もまたしかり)。

ここは、文庫と外国文学(ヨーロッパ系が強し)を始め、人文科学系の書籍が充実していました。映画・演劇、絵画などの芸術系(音楽系は余り強くありませんでした)、科学系もなかなかだったように記憶しています。

1994年の春、CXで「文學ト云フ事」という深夜番組が放送されました。その第1回放送で特集されたのは武者小路実篤の『友情』でしたが、放送の翌日、東京中の書店から『友情』が消えたそうです。私も放送の翌日、三省堂神田本店、書泉グランデ、東京堂書店を探してみたものの、『友情』は全て売り切れ。深夜番組で視聴率もそれほど高くはなかったはずなのに。テレビの影響力に改めて驚いたものです。

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2007年6月24日 (日)

街の想い出(13) 神田・御茶ノ水界隈その5 矢口書店

街の想い出(13) 神田・御茶ノ水界隈 矢口書店

神田神保町の書店街、靖国通り沿いにある矢口書店。映画・演劇専門の古書店です。以前紹介した音楽専門の古書店・古賀書店のお隣にあります。 ここで良く買ったのは「キネマ旬報」のバックナンバー。古い映画のシナリオなども買っていました。演劇関連書の方はたまに買う程度でしたが、絶版になった戯曲なども多く揃っていたので勉強になりました。

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2007年5月20日 (日)

車内のドラマ

電車に乗っていると、様々な人々の様々な話が聞こえてくる。特に東京の場合は全国から人が集まっているので、話される内容も多彩である。

東京の車中における特徴の一つは、真剣にビジネスの話をしている人が多いことだ。大阪の場合は、仕事の話といっても(ちなみに大阪の電車内で仕事の話をしている人はどういうわけか余り見かけない。東京では女性同士でも仕事や仕事場の話をしているというのに)単なる愚痴や悪口しか聞こえてこないが、東京の場合は愚痴一つにしても、「(この場にいない彼は)こうすればいいのになあ」だとか「(この場にいない後輩は)そういうことが出来ても仕方ないんだよなあ。だってさあ…」という風に、建設的側面を帯びている。

千葉から東京まで毎日のように電車で通っていた頃は、そういったビジネスマン達の話をたびたび耳にしていた。そしてその中から、当時の私には絶対に体験し得なかった、ビジネス世界におけるシリアスで多種多様なドラマを想像することが出来た。ある意味、東京の電車内はドラマの宝庫だったのだ。

「社会」や「ドラマ」を「知る」上で、これは非常に有効である。

関東にいた頃は、当たり前すぎて気がつかなかったことに、関西に移り、そして一時帰京したことで気づいた。
東京で過ごすということは、そうしたアドバンテージを知らず知らずのうちに受けているということのようである。

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2007年5月14日 (月)

街の想い出(12) 神田・御茶ノ水界隈その4 古賀書店

千代田区神田神保町・古賀書店

神田古書店街・靖国通り沿いにある「古賀書店」。音楽書専門の古書店です。小さいながらも世界的に有名なお店で、指揮者のゲンナジー・ロジェストヴェンスキー氏をはじめ、著名アーティストがたびたび訪れます。
この店ではピアノスコアや作曲家の自伝などをよく買いました。クラシックのみならず、ポピュラー音楽関係の本も充実しています。

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2007年5月 7日 (月)

街の想い出(11) 渋谷その2 タワーレコード渋谷店

タワーレコード渋谷店

日本最大級のCDショップ、タワーレコード渋谷店。90年代後半、私はNHK交響楽団の定期会員で、毎月土曜日の定期公演をNHKホールまで聴きに行っていました。演奏会終了後にしばしば立ち寄ったのが、ここタワーレコード渋谷店です。ここのクラシックコーナーは情報が早く、サー・ゲオルグ・ショルティ死去のニュースを知ったのも、ここのクラシック売場においてでした。

またここはイベントも盛んで、国内外の様々なアーチストがミニライブを行いますし、時にはサイン会も開いています。また、たまに海外アーチストがCD試聴をしている姿を見かけることもありました。

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2007年4月23日 (月)

街の想い出(10) 神田・御茶ノ水界隈その3 東京堂書店

街の想い出(10) 神田・御茶ノ水界隈その3 東京堂書店

中国の首相であった周恩来も、若き日の東京滞在時代に足繁く通ったという東京堂書店。神田神保町の、すずらん通りにあります。

ここは、ちくま文庫と海外文学、歴史書などが充実していました。ちくま文庫は三省堂ではなく、だいたいこの東京堂書店で買っていました。
詩関係の雑誌を買っていたのも、ここ東京堂書店です。

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2007年4月21日 (土)

街の想い出(9) 神田・御茶ノ水界隈その2 三省堂書店神田本店

街の想い出(9) 神田・御茶ノ水界隈その2 三省堂書店神田本店

駿河台下にある三省堂書店神田本店。日本を代表する大型書店の一つです。日本一の書店街である神田神保町で最も品揃え豊富なお店。

この三省堂書店神田本店には、明大生時代に毎日のように通いました。いつも本を買っていたわけではなく、新刊をチェックしたり、映画のパンフレット(旧作のパンフレットを売っているコーナーがある)を探したりもしてしました。

私の場合、雑誌と文庫本は主に明大の生協書籍部(とある理由により現在は存在しない)で買っており、三省堂書店神田本店では、明大の生協になかった文庫本、歴史書、音楽関係書、映画・演劇関連書、ステーショナリーなどを購入していました。

三省堂書店神田本店では、作家などのサイン会も良く行われています。私は作家のサイン会に立ち会った機会は残念ながらないのですが、1999年に、女優の市毛良枝さんが著作を発表した時に行ったサイン会を見かけたことがあります。市毛さんは実年齢よりも遙かにお若く見える方で、「さすが女優さんは違うなあ」と感心したものでした。

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2007年4月11日 (水)

街の想い出(8) 神田・御茶ノ水界隈その1 東方書店

街の想い出(8) 東方書店

以前にも紹介したことのある東方書店。東京千代田区神田駿河台下の、すずらん通りにあります。中国関係書籍の専門店で、明大生時代には毎週のように通っていました。

蒼蒼社という小さな出版社から出ていた「中国現代小説」という季刊誌を始め、中国語学習教材、中国関係図書や雑誌などを良く買っていました。

東方書店は地上3階地下1階からなる書店で、1階には日本語で書かれた中国関係の書籍。2階には中国や台湾、香港から輸入した中国語の原書、3階には中国語の雑誌が置かれ、地下1階では中国語のビデオなどが売られていました。
中国語学習のビデオを買ったことがあり、中国本土で放映されているドラマ(日本語と北京語の字幕付き)が収録されていましたが、当時の中国のドラマは映画とは全く異なり、俳優も演出もレベルと高いとは残念ながら言えませんでした。世界に冠たる中国映画の人材がテレビの方には回ってこなかったのが大きいのかも知れません。

季刊「中国現代小説」を毎号読んでいたおかげで、中国の現代作家には多少詳しくなりました。お気に入りは残雪という女性作家や、史鉄生という下半身が不自由な作家。史鉄生の「境界」という短編小説は特に気に入り、戯曲化したこともあります(未上演)。

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2007年4月 5日 (木)

街の想い出(7) 渋谷その1 シネ・アミューズ

シネ・アミューズはその名の通り、サザンオールスターズや福山雅治が所属するアミューズが経営する映画館。シネ・アミューズEASTとシネ・アミューズWESTの2つのスクリーンを有しています。

シネ・アミューズEAST/WEST

東急百貨店渋谷本店の向かいのビル4階にあるシネ・アミューズ。私が東京にいたころは映画館の上の5階フロアにある店の雑音(ハイヒールで歩く女性の靴音など)が頻繁に聞こえることで不評でしたが、今はどうなっているのでしょう。

シネ・アミューズで観た映画で印象的なものを挙げると、岩井俊二監督・松たか子主演の「四月物語」、SABU監督・堤真一主演の「MONDAY」、塚本晋也監督・主演の「バレット・バレエ」といった作品名が思い浮かびます。

「四月物語」は松たか子の映画初主演作で、内容は少女漫画チックなところがありますが、映像の美しさと10代だった松たか子の初々しさが魅力的。千葉・幕張がロケ地に選ばれたことも千葉市出身の私にとって嬉しいことでした。

「MONDAY」は普段は普通のサラリーマン高木(堤真一)が酔って暴走するという内容の映画で、劇場受付で「飲んだら無敵」という合言葉を言うと入場料が割引になるという特典がありました。
野田秀樹が正体不明のオカマ役で出ているの何とも不思議です。

「バレット・バレエ」はバイオレンス映画で、神経症の匂いがするのが気に障りましたが、(登場シーンは少ないものの)鈴木京香の悲しげな雰囲気と、真野きりなの好演が心に残る作品です。ところで真野きりなは今どうしているのだろう?

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2007年2月28日 (水)

帰京、帰洛、帰阪

東京に帰ることを「帰京」という。同じく京都に帰ることを「帰洛」といい、大阪の場合は同様に「帰阪」という。しかし、日本の都市の中で、その土地に戻ることを指す、誰もがわかる用語を持つのは、この東京、京都、大阪だけだ。つまり江戸時代の三都である(地元の人だけに通用する言葉なら全国のあらゆる都市にあるようだが)。

大阪よりも人口が多い横浜は「浜」という漢字一字で表されることがあるが、「帰浜」という言葉が使われることは少ない。

京阪神という言葉で、京都や大阪と並び称される神戸であるが、「帰神」という言葉は神戸の人にしか通じない。他の土地の人に、「帰神(きしん)してます」と電話で話しても、「え? 何を寄進したの?」と聞き返されそうだ。

日本三大都市圏の一つ中京圏の中心で日本第4の都市である名古屋に帰ることをいう「帰名」も一般的ではなく、IMEでも変換されない(名古屋では普通に使われているようだが)。札幌市に帰ることを指す「帰札」はIMEで一発変換できるが、辞書には載っていないので俗語なのだろう。

江戸時代の三都は今でも特別な都市であることが、こうしたことからもわかる。

千葉は「葉」という一字で表せるのだが、「帰葉」という言葉は存在しない。「帰葉」といっても通じる人には通じると思うが、通じる人にしか通じない言葉というのは言葉として弱すぎる。

というわけで、2日前に「千葉に帰り」、今日「帰洛した」私なのだった。

※なお、辞書に載っているのは、「帰京」と「帰洛」だけです。「帰阪」という言葉は全国的に通用すると思いますが、辞書には載っていません。

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2007年1月21日 (日)

街の想い出(6) 新宿その4 紀伊國屋ホール

1994年4月、明治大学に入学したばかりの私が初めて自分でお金を払って観た演劇が、紀伊國屋ホール(紀伊國屋書店新宿本店4階)での東京サンシャインボーイズの公演「ショー・マスト・ゴー・オン(再演)」(三谷幸喜:作・演出)でした。フジテレビの深夜枠で放送されていたクラシック音楽を題材にしたドラマ「マエストロ」で主演を務めていた西村雅彦が東京サンシャインボーイズの看板俳優だということで観に行ったのです。東京サンシャインボーイズが、この「ショー・マスト・ゴー・オン」の折り込みチラシにおいて、今後30年の充電期間に入ることを発表していました。
東京サンシャインボーイズの充電前最後の公演はその年の秋の上演された「罠」ですが、これは劇団員が2チームに分かれての公演であり、劇団員がほぼ全員揃って公演するのはこの「ショー・マスト・ゴー・オン」がラストでした。

この公演は私にとっては衝撃的でした。「世の中にこれほど面白いものがあったのか」と喫驚したものです。それから、たびたび劇場に通うようになり、演劇が面白かったのではなく、「ショー・マスト・ゴー・オン」という作品が面白かったのだということに気づくようになるのですが、とにかく私の演劇経験の第一歩が「ショー・マスト・ゴー・オン」であったというのは幸運だと思います。

演劇に興味を持った私は、この後、明治大学で「戯曲研究」の授業を取るなどして、日本の演劇は何が過剰で何が足りないのかを追求していくことになります。

私の演劇人生の第一歩は紀伊國屋ホールから始まりました。

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2007年1月 9日 (火)

街の想い出(5) 新宿その3 紀伊國屋書店

JR新宿駅を降りるとだいたい真っ先に向かうのが東口にある紀伊國屋書店新宿本店でした。4階に紀伊国屋ホールがあるためか演劇関係の書籍が神田書店街よりも充実していて、私も戯曲を始め数多くの本を購入しました。
映画や音楽関係のコーナーの品揃えも抜群でした。私が紀伊國屋書店で初めて買った本は確か坂本龍一のピアノスコアだったと思います。

紀伊國屋はオリジナルのビデオも制作していたので、それもいくつか購入して楽しみました。それらの中では瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)監督の「生まれ変わるとしたら」という映像作品(短編映画というより映像詩といった方が適当かな)は特に印象に残っていて、のちに私は同名の短編戯曲(一人芝居のための)を書くことになります。

紀伊國屋新宿本店

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2006年12月15日 (金)

街の想い出(4) 新宿その2 テアトル新宿

新宿には何度も映画を観に行きました。多くの映画館に行きましたが、その中で最も多く通ったのがテアトル新宿です。新宿駅東口から地下街を通り、紀伊国屋書店に入って本を探したり買ったりした後、その裏通りを歩いてテアトル新宿に通いました。

テアトル新宿

テアトル新宿で観た映画で特に印象に残っているのは3本、中国映画祭で観た「息子の告発」とDVDのカテゴリーに記事を書いた「カリスマ」、そして「ナビィの恋」です。

「カリスマ」のことはもう書いたので、「息子の告発」と「ナビィの恋」について書きます。

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2006年12月 7日 (木)

街の想い出(3) 新宿その1 ヴァージンメガストア新宿店

「新宿」と聞いてまず思い浮かべるのはヴァージンメガストア新宿店(2004年閉店)。新宿に行った時は、だいたいこのヴァージンメガストア新宿店と紀伊國屋書店本店には寄るようにしていました。

ヴァージンメガストア新宿店の特徴は、アジア系ポップミュージックのコーナーが飛び抜けて傑出していたこと。
私が東京に通い始めた1994年当時、フジテレビ系の深夜枠(関東&北海道ローカル)に「アジアン・ビート」という音楽紹介番組がありました。司会をしていたのは、まだ全く売れていなかったユースケ・サンタマリアと、文恵子さんという韓国系の女性(文さんについては本職は何なのかよく知りません)。中国、香港、台湾、韓国、インドネシア、タイなどのポップスを中心に、ミュージッククリップなども流していました。

90年代半ばの日本の音楽シーンはバブル経済の崩壊を受けて、内省的な歌詞を持ったものが支持されていましたが、アジア諸国は経済が昇り調子だったということもあり、より広い視野を持った力強い歌詞を持つ歌や、あるいは日本ではイケイケの時代を経て失われつつあった奥手のラブソングなど、新しくないだけに却って新鮮な曲が溢れていました。

その後、フェイ・ウォン、艾敬、崔健などは日本のレーベルと契約し、彼らのCDは少し大きめのCDショップでなら手に入るようになった(今はまた入手困難になってしまいましたが)ものの、そうしたメジャーレーベルから注目を浴びていないアジアンアーチストを探すのも、ヴァージンメガストア新宿店に通う楽しみでした。

私がCDを買ったアジアのアーチストの中で特に記憶に残っているグループがあります。
韓国の男性ヒップホップデュオ“deux(デュース)”です。

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2006年12月 4日 (月)

街の想い出(2) 神田すずらん通り

東京・神田神保町。三省堂書店の裏手に伸びる通りが「すずらん通り」です。江戸時代からあるという由緒ある通り。一帯はいわゆる「神田書店街」で、すずらん通りにも個性溢れる書店がいくつもあります。

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2006年9月 3日 (日)

山手線の好きな駅

東京にいる頃は当然ながら山手線をよく利用しました。気に入った駅もいくつかあります。今日は気に入っている山手線の駅トップ3とその理由を書きます。

1位 「有楽町駅」 銀座の最寄り駅であり、駅前には有名な有楽町マリオンがある。織田信長の弟である織田有楽斎の屋敷があったことに由来するという駅名も優雅(しかし織田有楽斎の屋敷が当地にあったというのは史実ではないという)。

2位 「恵比寿」 ヱビスビールの工場前に建ったことから恵比寿という駅前がついたという珍しい駅。恵比寿ガーデンプレイスが出来て以降、急速にきれいになった。

3位 「品川」 駅の面積は日本一。新幹線も停まるようになり、駅の東側には企業の高層ビルが相次いで建てられ、21世紀に入ってから周りの風景は一変した。ちなみに「品川」駅であるが、品川区ではなく港区にある。

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山手線占い

山手線占い。歴史ある占いサイトですが、最近なぜか急に注目を浴びるようになったので紹介しておきます。

http://www.web1week.com/tokyo/uranai/

ちなみに私の結果は「上野駅」。当たっていないような気もするが…。

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2006年8月 1日 (火)

八月一日

八月一日、または八月朔日と書いて、「ほずみ(ほづみ)」と読む苗字がある。旧暦の八月一日は穂を積む日、つまり収穫の日であったため、八月一日を「ほづみ」と読むことがあるためだ。

また、八月朔日は略して八朔(はっさく)と呼ばれる。徳川家康が江戸に入ったのが八月朔日であることから、徳川家では、江戸が起こった日として「八朔の打ち入り」とし、目出度い日とされた。

ということで都市としての東京が生まれた日でもある八月一日なのでした。

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2006年7月 1日 (土)

東京、京都

1994年の春から2002年の春まで、東京に通う生活を続けた。他県に住みながら東京で一日の大半を過ごす人を俗に「○○都民(○○には県の名前が入る)」という。私は千葉市民だったから、「千葉都民」ということになる。

東京は関東平野の中央に位置する街であり、拡がろうと思えば関東平野一杯まで拡がることが出来る。
関東には東京の他にも、横浜市、川崎市、千葉市、さいたま市といった政令指定都市を始め、多くの大都市があるが、それらは全て東京の衛星都市であり、東京なしでは成り立たない街だ。そしていずれも「東京らしさ」に浸食された「擬似東京都市」であり、東京の一機能を担った「東京化された街」も多い。

東京は実に大きいのである。

江戸時代に人口100万を超え、世界一の大都市となった東京(江戸)は、明治になって首都となり(遷都の詔が出ず、また「奠都」〔新たに都を作ること。都を移す遷都とは異なる〕という言葉を使ったため、今もなお、紛らわしいことになっている)、日本の中心となった。

中心となったと書いたのは日本が東京を中心とする中央集権国家となったためである。それまでは地方分権が基本であり、地方のことはその地の当主(大名)が決めていたのだ。しかし、それでは近代化が遅れるということで、明治政府は首都を東京に移し、中央集権国家を造り上げた。

それは当時としては意味も意義もあることだった。実際、日本は世界史上、稀な急成長をその後二度も成し遂げている。

しかし、そのために、日本全体が東京化することになった。それは戦後の「アメリカ化」にも似た強烈さだった。関東にはミニ東京がいくつも出来、大阪も第二東京のようになってしまった。

あらゆる面で「個性」が失われた。失うことが実は善しとされていたのではないかという気もする。

8年間の東京生活、若しくは27年間の東京傘下での生活を経て、私は今、京都で暮らしているのだが、ここもまた「東京らしさ」の浸食を免れてはいないようだ。

もちろん、良くも悪くも京都らしさは残っている。東京らしさに対抗できる(対抗なんてしなくてもいいのかも知れないが)個性を提示できる街として京都は最右翼だろう。しかし、人間レベルで見た場合、京都人らしさと東京人らしさは実に似ている。あらゆる意味において「狭い」。

東京も京都も都市の一形態でしかなく、そこの住民は住民であるに過ぎないのだが、「虎の威を借る狐」のように、自らのステージを一段高く置きたがる(勿論、あくまでそういう人が他の都市に比べて多いということで全員がそうではあるということではない。そんなことを意識せずにきちんと生活している人の方がむしろ多いことも当然だ)。それが良いことなのか悪いことなのかは一概には言えないが、地方出身者である私の目には東京人も京都人もいささか奇異に映ることは否めないのである。

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