カテゴリー「祭り」の10件の記事

2018年5月10日 (木)

コンサートの記(381) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 かがり火オペラ パーセル 歌劇「ディドとエアネス」

2018年5月5日 びわ湖ホール湖畔広場にて

午後7時から、湖畔広場(中ホールの外)で、かがり火オペラ、パーセルの歌劇「ディドとエネアス」を観る。指揮は大川修司、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団のメンバーと、笠原雅仁(リュート)、梁川夏子(チェンバロ)、中村洋彦&井上佳代(リコーダー)による演奏。出演は全員びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーで、船越亜弥(ディド)、内山建人(エネアス)、飯嶋幸子(ペリンダ)、藤村江李奈、益田早織、吉川秋穂、溝越美詩、山際きみ佳、鳥越聖人、熊谷綾乃、川野貴之、蔦谷明夫、板東達也、五島真澄、宮城島康。演出:中村敬一。英語上演、日本語字幕付きである。

上演前に演出の中村敬一によるトークがある。「ディドとエネアス」のあらすじを紹介した他、イタリア人は歌を愛し、フランス人はダンスを好んで、イギリス人はシェイクスピアの国ということもあって演劇を愛好するという話をして、そのためもあってイギリス人の有名なオペラ作曲家はパーセルとベンジャミン・ブリテンの二人だけという話をする。
イギリス史上ただ一人といっていい天才作曲家のヘンリー・パーセル。エリザベス朝時代に活躍した作曲家であるが、彼の没後、約200年に渡ってイギリスは大物作曲家不在の国となってしまう。その後、20世紀に入ってから、ベンジャミン・ブリテンがようやく世界的なオペラを書くようになるのだが、ブリテンはパーセルのことを大変尊敬しており、ブリテン自身が編曲を手掛けたブリテン版「ディドとエアネス」も存在するという。

仮設舞台の上に布が一枚垂れているが、これに映像が投影されたり、船の帆に見立てられたりする。

びわ湖ホール館長の山中隆と、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」のプロデューサーでびわ湖ホールの音楽監督でもある沼尻竜典によるかがり火点灯式の後でオペラスタート。


神話の時代のお話である。トロイ戦争に破れ、ローマを目指しての船旅に出たエアネス王子は嵐に遭い、カルタゴへ流される。カルタゴを建てたディド女王は、アプロディーテーの息子で男前のエアネスと恋に落ちる。だが二人の仲を知った魔女は嫉妬して、精霊に化けてエアネスの前に現れ、カルタゴを離れてローマに向かうよう命じる。ディドからも精霊の命令に従うよう説得されたエアネスはためらいつつもイタリアへと向かい、元々気鬱気味であったディドは自ら命を絶つ。

バロック時代のオペラということもあってあらすじは平易である。パーセルの音楽は「天才」の評価にふさわしい優れたものだ。古楽だけにドラマ性に富んでいるというわけにはいかないが、ラストの暗い響きなどには時代を超越したものがあるように思う。
中ホールがすぐ背後にあり、「俺だったら中ホールの照明を使うなあ」と思っていたが、中村敬一もラストで中ホールの明かりを使っていた。

今よりも神の存在がずっと大きかった時代の話。人間は神の前ではちっぽけな存在でしかなかったが、ある意味、「神のせい」に出来た時代でもある。神という存在に後付けされた免罪符とでもいうべきか。人間の意識が肥大化し、神が殺害されて全ての事柄が個人に結びつくようになった今に比べると、この時代は別の種類の豊かさに満ちていたとも言える。

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2018年5月 9日 (水)

コンサートの記(380) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 クロージングガラコンサート

2018年5月5日 びわ湖ホール大ホールにて

午後5時30分から、メインホールで、沼尻竜典指揮京都市交響楽団ほかによる「クロージングガラコンサート」を聴く。ガラコンサートというと正装が必要な場合がある。音楽祭の一環としてのガラコンサートなので、ドレスコードはないはずだが、今日はこちらも特別にネクタイは締めて行った。たまには正装して臨むのもいいだろう。

大ホール外のメインロビーでも無料演奏会が行われており、午後4時40分からは、日本センチュリー交響楽団のクラリネット奏者である吉岡奏絵が、ピアノの寺嶋千紘と共にチャイコフスキーの「くるみ割り人形」を基にした変奏曲(A・シャボー編曲)の演奏で聴衆を沸かせていた。

クロージングガラコンサートの曲目は、ロッシーニ没後150年を記念した歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍の行進”と同じく歌劇「ウィリアム・テル」よりアリア“暗い森、寂しい荒野”(ソプラノ独唱:森谷真理)、ウェーバーのクラリネット・コンチャルティーノとドビュッシーのクラリネットのための第1狂詩曲(クラリネット独奏:マイケル・コリンズ)、プッチーニの歌劇「トスカ」よりアリア“星は光りぬ”(テノール独唱:市原多朗)、ラヴェルの「ボレロ」

京響の男声楽団員達は蝶ネクタイを着けての登場。指揮者の沼尻竜典も蝶ネクタイ姿である。
沼尻は今日も全曲ノンタクトでの指揮である。

「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍の行進”は京響の金管群の輝かしい響きが印象的な演奏である。

演奏終了後、沼尻はマイクを片手に挨拶。「私の世代ですと、この曲は『俺たちひょうきん族』のテーマというイメージなのですが、若い人はピンとこないようで」と語る。
沼尻はロッシーニについての解説を行う。「ウィリアム・テル」はロッシーニ最後のオペラであるが、37歳の時にこの作品を書いて以降はオペラの作曲家を辞めて美食評論家になったということなどについて。

ロッシーニは、ベートーヴェンと同時代人であり、ロッシーニオペラの人気はベートーヴェンを震撼させたのだが、あっさりとリタイアし、悠々自適の生活を送るという、珍しい経歴を持つ。本人が余り音楽に執着がなかったのかも知れないが、ロッシーニのオペラは作曲者の死後には上演される機会がほとんどなくなってしまい、序曲だけが名曲として演奏会で取り上げられるということが続いている。一方で、アルベルト・ゼッダなどロッシーニのスペシャリストとされる演奏家も何人かいる。

歌劇「ウィリアム・テル」よりアリア“暗い森、寂しい荒野”。独唱の森谷(もりや)真理は栃木県小山市出身。武蔵野音楽大学を卒業後、同大学院を首席で修了。渡米してマネス音楽院に留学し、プロフェッショナルコースを修了。現在はウィーン在住である。第5回ヴェロニカ・ダン国際声楽コンクールなどで優勝し、パームビーチオペラの「魔笛」夜の女王役でオペラデビュー。2014年には、びわ湖ホールの「リゴレット」で日本デビューを果たしている。

声のコントロールが巧みであり、表情も細かい。本当に自由自在という印象を受ける。

続いて、マイケル・コリンズが登場する、ウェーバーのクラリネット・コンチャルティーノとドビュッシーのクラリネットのための第1狂詩曲。
マイケル・コリンズは、1962年イギリス生まれ。8歳でクラリネットを始め、16歳の時にBBCヤング・ミュージシャン・オブ・ジ・イヤーに輝いている。フィルハーモニア管弦楽団の首席クラリネット奏者を経て現在は指揮者としても活躍しており、シティ・オブ・ロンドン・シンフォニアの首席指揮者も務めている。

ウェーバーもベートーヴェンの同時代人で、いかにもドイツロマン派の作曲家らしい作風を示している。これに比べるとドビュッシーの作品は明らかに異質であり、ドビュッシーの登場が音楽史上におけるエポックメイキングであったことがわかる。

マイケル・コリンズは技巧難度最高レベルのソロを楽々と吹いていく。ドビュッシーの演奏終了後、沼尻はマイケル・コリンズについて「難しいはずなのに余裕を持って吹いているのが凄い。しかも目を合わせてくれる。私どもの伴奏もとても難しいので、こちらも余裕を持って、と言いたいところなんですが」と語った。

プッチーニの「トスカ」より“星は光りぬ”。テノール独唱の市原多朗は日本テノール界の大御所的存在である。「本間様には及びもせぬが」で有名な山形県酒田市出身。東京芸術大学及び同大学院修了。
沼尻は、かなり前にNHKニューイヤーオペラで市原と「星は光りぬ」をやったことがあるそうである。その時の苦労話も話したのだが、「ここだけの話ということで」「Twitterに書かないで下さい」と話していた。沼尻も喋りは達者である。指揮者の場合、トークが苦手だと仕事が減りそうな傾向がある。

市原は貫禄の歌唱を披露。とにかくドラマティックである。アンコールもあり、「オー・ソレ・ミオ」が朗々と歌われた。

ラヴェルの「ボレロ」。沼尻は「ボレロ」について、「変奏曲、メロディーを変えるのではなく、音色を変えていくという、まあ何と斬新な」と語る。その後、珍しい楽器が用いられているというので、オーボエ・ダモーレやソプラノサックス、テノールサックスなどが紹介される。
ラヴェルはバレエ音楽として「ボレロ」を作曲。ラヴェル本人は手慰みのつもりで書いたといわれているが、作曲者の意図に反して、現在では最も有名なラヴェル作品として認知されている。

やや速めのテンポを採用。「ボレロ」の場合、指揮者が楽団に委ねてしまう場合もあるのだが、沼尻は最初から最後まで指揮を続けた。


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2018年5月 8日 (火)

コンサートの記(379) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

2018年5月5日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時30分から、大ホールで、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴く。

今年はレナード・バーンスタインの生誕100年に当たるということで、バーンスタインの作品と、指揮者としてのバーンスタインが最も得意としたショスタコーヴィチの交響曲第5番を合わせて取り上げるという演奏会を広上淳一や佐渡裕が行ったり企画したりしているが、この演奏会も同様のものである(大植と大フィルは、昨日、バーンスタインの「ウエストサイド・ストーリー」より“シンフォニック・ダンス”を演奏している)。

今日のコンサートマスターは崔文洙。今日は第4楽章でヴァイオリンの弦が切れるというアクシデントがあり、ヴァイオリンがリレーされて運ばれ、弦が張り替えられて戻ってくるという珍しい場面を目にすることになった。

びわ湖ホール大ホールの音響の効果もあって、鈍重な傾向のある大フィルの音がソフィスティケートされて聞こえる。弦に厚みがあり、管も力強い。
大植は1拍目のみを示すことが多いが、低弦と管には細かな表情付けを行うこともある。この曲のヒロイックな場面は皮相にして、嘆きの部分を丁寧に歌うことで、この曲の一般的な演奏とは別の表情を浮かび上がらせる。ピッチカートの力強さが印象的であり、第3楽章では弦楽器ががなり立てるように歌うところがある。当然、音は汚くなるのだが、それもまた意図したものなのだと思える。


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コンサートの記(378) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 ダルマ・ブダヤ 「ドビュッシーが魅せられたジャワガムラン」

2018年5月4日 びわ湖ホール中ホールにて

大ホールの向かいにある中ホールで、ダルマ・ブダヤによるガムランの演奏「ドビュッシーが見せられたジャワガムラン」を聴く。12時30分開演。ガムランに影響を受けた作曲家であるドビュッシーの没後100年を記念しての演奏である。

ダルマ・ブダヤは、1979年に大阪大学文学部音楽学研究室を拠点に結成された団体。中部ジャワスタイルの古典音楽の研究とガムランのための現代作品の創作・演奏を行っているそうである。1996年にインドネシアでの4都市公演を行い、2000年にはCDデビューも果たしている。メンバーは全員日本人(山崎晃男、林公子、安田香織、稲田直美、松田仁美、近藤チャコ、明日香郁子、板脇眞理子、平良理子、近藤美奈子、棚橋慶恵)だが、今日は賛助出演としてインドネシア人のアナント・ウィチャクソノが加わる。

曲目は、グンディン「マジュムッ(饗宴)」、クワタン「スボカストウォ(表敬)」~「アヤッアヤアン」~「スルプッ」~ドラナン「ルスン・ジュムングルン」、「クボ・ギロ」、舞踊「カロンセ(相思相愛)」(舞踊出演:リンタンシシッ)、「ムギ・ラハユ(平穏なれ)」

ドビュッシーは、1889年(明治憲法制定の年である)のパリ万博でガムランを聴いており、多大な影響を受けている。それまでの西洋音楽においては禁じ手とされた和音などを盛んに使った独自の作曲法を築きつつあったドビュッシーにとって、西洋音楽とはことなるイディオムを持ったガムランは大いに刺激となっただろう。

日本では、坂本龍一の師としても知られる小泉文夫が東京芸術大学で研究と実践を行っている。

ガムランはCDでは聴いたことがあるが、生で聴くのはおそらく今日が初めてである。青銅の独特の響き、ミニマルミュージックにも繋がる繰り返し、急激な加速と減速を特徴としている。

1889年のパリ万博の記録によると、「クボ・ギロ」という曲が演奏されたことは確からしいのだが、今日演奏する「クボ・ギロ」と同一演目なのかどうかはわからないそうだ。

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2018年5月 7日 (月)

コンサートの記(377) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 オープニングコンサート

2018年5月4日 びわ湖ホール大ホールにて

今年から始まった「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」まずは大ホールで、沼尻竜典指揮京都市交響楽団によるオープニングコンサートがある。午前11時15分開演。

びわ湖ホールの音楽監督である沼尻竜典は、近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2018のプロデューサーでもある。昨年まではびわ湖ホールでラ・フォル・ジュルネの大津公演が行われていたが、金沢に次いで大津も独立、新たにびわ湖ホールを中心とした音楽祭を立ち上げた。今年は沼尻指揮京都市交響楽団と大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団が軸となり、有名ソリスト達が独自色の濃いリサイタルを散りばめていくという構成である。

オープニングコンサートの曲目は、ソプラノの中村恵理が独奏を務めるグノーの「ロメオとジュリエット」より“私は夢に生きたい”とジーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の町」、そしてドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」である。上演時間約1時間の公演。

独唱者の中村恵理は、近年ヨーロッパでの評価を高めている歌手。兵庫県出身。大阪音楽大学、同大学院、新国立劇場オペラ研修所を経てオランダでも学ぶ。2008年にイギリスのロイヤル・オペラにデビュー。2010年からはウォルフガング・サヴァリッシュが長年総監督を務めたことでも知られるバイエルン国立歌劇場の専属歌手として6年に渡って活躍。2016年にはウィーン国立歌劇場デビューも果たしている。


グノーの「ロメオとジュリエット」より“私は夢に生きたい”。響きが良いことで知られるびわ湖ホール大ホール。京都市交響楽団の立体感をともなった緻密なアンサンブルを聴き取ることが出来る。中村恵理の歌声はパワフル。残響が長いので耳にはビリビリとした感じで伝わってくるが、声の美質はよくわかる。

演奏終了後、沼尻は、マイクを片手に「おはようございます」の挨拶(コンサートで聴衆に向かって「おはようございます」を使うことは稀である)の後で、音楽祭のタイトルが覚えにくいというのでお客さんと共に唱和。「これで覚えて貰ったと思います」と語る。『私は夢に生きたい』は、音楽祭の今年のテーマとなっているが、「昨今、『そんなこと言ってないで稼げることをしなさい』という風潮があるように感じますが、そこに逆らうように敢えて付けた」そうである。今日の沼尻は全曲ノンタクトでの指揮であった。


ジーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の町」。近年、聴く機会が増えている曲でもある。中村の朗らかな歌唱と、京響のグラデーション豊かな伴奏が耳を楽しませてくれる。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は、最近では新たなる旅立ちの折によく取り上げられる。今回も「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」の船出を祝っての演奏である。
午前中から聴くような曲ではないように思えて、余り集中出来なかったが、きちんと整った演奏であることは聴き取れた。ただ、沼尻竜典の指揮ということで特別な面白さを感じるということはない。沼尻はそうしたタイプの音楽家ではない。

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2018年4月24日 (火)

コンサートの記(375) ローム ミュージック フェスティバル 2018 二日目(楽日)

2018年4月22日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

今日も、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴くためにロームシアター京都に出向く。昨日も今日もロームシアターのある左京区岡崎までは歩いて往復した。

 

今日最初に行われるコンサートは林美智子らメゾ・ソプラノ歌手達の共演であるリレーコンサートCであるが、これはチケットを買わずにパスして、午後3時30分開演のリレーコンサートDから聴く。

ロームシアターに着いたのはローム・スクエアで行われる立命館高校吹奏楽部の演奏が準備に入っているところで、何の音もしていないという時間帯であった。サウスホールからはリレーコンサートCを聴き終えた人々が続々と出てくるのが見える。

 

午後3時30分から、ロームシアター京都サウスホールで、リレーコンサートD 朗読劇「兵士の物語」~彼の運命や如何に!?を聴く。

曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番(ヴァイオリン独奏:玉井菜採)、ブーレーズの「ドメーヌ」(クラリネット独奏:亀井良信)、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」(朗読:西村まさ彦、ヴァイオリン:玉井菜採、コントラバス:佐野央子、クラリネット:亀井良信、ファゴット:佐藤由起、トランペット:三澤慶、トロンボーン:今込治、打楽器:西久保友広)。西村まさ彦(本名である西村雅彦から改名)が登場するという、ある意味、今回のローム ミュージック フェスティバル最大の目玉ともいうべき公演である。

まずは、玉井菜採(たまい・なつみ)の独奏によるJ・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番。
関西では聴く機会も多い玉井菜採。京都市生まれ、大津市育ちのヴァイオリニストである。母親は京都市交響楽団のヴァイオリン奏者であった。桐朋学園大学在学中にプラハの春国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝。桐朋学園大学卒業後にアムステルダム・スヴェーリンク音楽院、ミュンヘン音楽大学に学ぶ。ミュンヘン音楽大学在学中にローム・ミュージック・ファウンデーションの奨学生となっている。J・S・バッハ国際コンクール最高位獲得、エリザベート王妃国際コンクールやシベリウス国際コンクールで入賞と、コンクール歴も華麗である。

玉井のヴァイオリンは艶があり、歌も淀みがない。演奏スタイルやスケールもバッハに合っており、上質の演奏を繰り広げた。

ピエール・ブーレーズが書いたクラリネット独奏のための作品である「ドメーヌ」。6片の楽譜からなるが演奏する順番は決まっておらず、楽譜は縦から読んでも横から読んでもOKという、ブーレーズらしい尖った作品である。縦からも横からも読める楽譜がどういうものを指すのかはわからないが、五線譜に書かれたものではないであろう。

クラリネットの亀井良信は、桐朋女子高校音楽科(共学)卒業後に渡仏。パリ市12区立ポール・デュカ音楽院とオーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ地方国立音楽院をいずれも1位で卒業。ブーレーズに認められて、騎馬オペラ団ZINGAROのソリストに起用されたこともある。現在はソリストとしての活動の他、桐朋学園大学准教授も務める。

暗闇の中、亀井が忍び足で登場。6つある譜面台の内、上手奥の譜面から演奏を始める。6つとも当然ながら現代的曲調だが個性は様々。「怒りのブーレーズ」と呼ばれ、様々な権威に挑戦して先鋭的な作品を生み出して来たブーレーズだが、今聴くと案外わかりやすい音楽であることがわかる。思いのほかメロディアスであり、少なくともブーレーズよりも後に登場した現代音楽作曲家の作品に比べると把握のしやすい内容である。思えば現在では「傑作」として誰もが認める作品が初演時に「メロディーがない」と批評されたという事実がある。

様々な特殊奏法が駆使されるが、亀井は余裕を持ってこなしていく。

10分間の休憩を挟んで、メインであるストラヴィンスキーの「兵士の物語」。ロシア革命の翌年である1918年に書かれた作品だが、ストラヴィンスキーもご多分に漏れずロシア革命に巻き込まれて財産を失い、人が雇えないので小編成で演奏可能な舞台上演用作品を、ということで書かれたのがこの曲である。
テキスト日本語訳は新井鷗子。

物語は、許嫁のいる故郷に帰る途中の兵士・ジョセフが悪魔と出会い、愛用しているヴァイオリンを手放す代わりに未来が読める本を得たということから始まる。ジョセフは文盲であったが、悪魔から渡された本は読むことが出来た。悪魔のお屋敷で2日を過ごしたジョセフだが、実際の世の中では3年が過ぎていた。故郷に帰ったジョセフであるが、人々はジョセフはもう死んだものだと思い込んでおり、「幽霊が出た」と思って門扉を堅く閉ざしてしまう。許嫁ももう他の男と結婚しており、子どもまでいた。失意の内に隣国にやって来たジョセフは未来が読める本のお陰で巨万の富を得るが友達はゼロになり、女にももてず、食欲も減退して心は全く満たされない。そんな時、その国の王様がお触れを出す。お姫様がどんな名医でも治すことの出来ない病気に罹患しており、治すことが出来る者が現れたらその者に姫をやろうというものであった。どう治療すればいいか知っていたジョセフは王宮へと向かうのだが、再び悪魔が現れ……、というもの。人間の幸福と芸術の問題が語られる寓話である。

朗読担当の西村まさ彦は、テレビや映画、舞台でお馴染みの俳優。出世作はエキセントリックな指揮者を演じた「MAESTRO(マエストロ)」である。富山商業高校卒業後、東洋大学に進学するが高校時代の失恋を引きずったままであり、ほとんどキャンパスに通うことなく中退。出身地である富山市の写真専門学校に入り、この時に文化祭のようなもので演劇(専門学校のM先生が書いた坂本龍馬を主役にしたオリジナル作品だったという)に初めて触れている。一時、カメラマンの助手になるが、地元のアマチュア劇団で演劇の面白さに触れ、俳優を目指して再び上京。劇団文化座に所属しつつ、様々な劇団に客演を重ねていた(文化座は無断外部出演がばれたら首だったらしい)。知り合いを通じて三谷幸喜が主宰していた東京サンシャインボーイズに入団し、看板俳優となる。1990年代前半にはすでに、佐々木蔵之介、堺雅人、升毅、古田新太らと並んで小劇場のエース的存在として注目を浴びていた。彼らの中で一番最初にお茶の間での人気を得たのが西村である。
現在では俳優業の他に、出身地である富山市などでの演劇ワークショップ講師を務めるほか、大正大学表現学部の特任客員教授として後進の育成にも当たっている。
舞台俳優としては演劇の新たなる可能性を探究しており、劇作家ではなく構成作家など演劇畑以外の作家を起用した公演を行っている。

玉井と亀井以外の演奏メンバーを紹介していく。
佐野央子(さの・なかこ)は東京藝術大学および同大学院出身のコントラバス奏者。小澤征爾音楽塾塾生などを経験し、現在は東京都交響楽団のコントラバス奏者である。
佐藤由起(さとう・ゆき)は桐朋学園大学卒業後、シドニー大学大学院修士課程を修了したファゴット奏者。シドニー大学大学院時代にシドニー交響楽団契約奏者として活動している。小澤征爾音楽塾などを経て現在はNHK交響楽団のファゴット奏者を務めている。
三澤慶は東京音楽大学卒業後にフリートランペッターとして活躍。現在は東京室内管弦楽団トランペット奏者でもある。東京音楽大学在学中に京都・学生フェスティバルに参加。
今込治(いまごめ・おさむ)は大友良英ビッグバンドなどで活躍するトロンボーン奏者。東京藝術大学卒業後、ロストック音楽演劇大学も卒業。横浜シンフォニエッタのシーズンメンバーでもある。東京藝大在学中に京都・学生フェスティバルに参加している。
打楽器の西久保友広は東京音楽大学卒業同大学院修了。在学中にKOBE国際学生音楽コンクール打楽器部門の最優秀賞および兵庫県教育委員会賞を受賞。JILA音楽コンクール打楽器部門1位、神戸新聞文化財団松方ホール音楽賞大賞などを受賞している。小澤征爾音楽塾に参加。現在は読売日本交響楽団打楽器奏者を務める。

西村は全身黒の衣装で登場。朗読を始める前に何度も咳き込んで、客席のみならず演奏者からも笑いが起こる。
語りであるが、いかにも西村まさ彦らしい味のあるものである。ジョセフという兵士の朴訥な感じもよく伝わってくる。

ストラヴィンスキーの音楽であるが、ファゴットが「春の祭典」を想起させる旋律を吹いたりはする。ただ、後年、「カメレオン作曲家」と呼ばれる傾向は見えており、多彩な音楽語法が使用されている。

 

午後6時から、ローム ミュージック フェスティバル 2018の最終公演であるオーケストラ コンサート Ⅱ 天才と英雄の肖像を聴く。メインホールでの上演である。演奏は下野竜也指揮の京都市交響楽団。

曲目は、天才・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:小林愛実)とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」

昨日に引き続き、朝岡聡がナビゲーターを務めて、前半後半とも演奏開始前に一人で現れて楽曲の紹介と解説を行った。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平という布陣は昨日と同様である。

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。ソリストの小林愛実(こばやし・あいみ)は1995年、山口県宇部市生まれの若手。5歳でピアノ全国大会の決勝に進出、9歳で国際デビューを果たし、14歳でEMIからCDデビュー、サントリーホールでのリサイタル日本人および女性演奏家最年少記録保持者という神童系ピアニストである。桐朋女子高校音楽科に全額奨学金特待生として入学。現在はローム奨学生としてフィラデルフィアのカーティス音楽院で学んでいる。

下野と京響はピリオドスタイルを採用。音色も旋律の歌い方もモダンスタイルとは明らかに異なる。今日は昨日とは違って3階席正面5列目で聴いたのだが、メインホールの3階席でピリオドスタイルの演奏を聴くのはやはり厳しいように思う。音が小さすぎる。

小林のピアノは冒頭から仄暗さと輝きという相反する要素を止揚した極めて優れたものである。孤独の告白の部分は勿論だが、第2楽章のような一見典雅な曲調であっても常に涙を滲ませている。第1楽章と第3楽章のカデンツァは聴き慣れないものだったが、誰のものを使用したのかは不明である。

今の日本人若手ピアニストはまさに多士済々。技術面で優れているだけでなく極めて個性的な逸材が顔を揃えている。ピアニストが書いた本を読むと、今はもうバリバリ弾けるのは前提条件で、和音を作る際にどの指に最も力を入れるかなど、かなり細かい解釈と計算を行っていることがわかる。技巧面で完璧なら問題なしという時代はとっくに終わったようだ。20世紀スタイルのピアノを弾いている人は段々仕事が減っていくかも知れない。

小林のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第20番(遺作)。冒頭は遅めのテンポで痛切な感じを出し、主部は立体感を出しと孤独と悲しみを歌う。そのままのスタイルでいくのかと思ったが、舞曲風の場面では快活さを前面に出すなど一筋縄ではいかないピアノであった。相当な実力者と見て間違いないだろう。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。リヒャルト・シュトラウスは下野の得意レパートリーの一つである。京響の機能面での充実が感じられる好演となった。
ステージ上をびっしりと埋めるオーケストラ。メインホールの音響は残響こそ1秒もないほどだが音の通りは良く、個々の楽器の音がクッキリと聞こえる。これにより、下野の肺腑を衝く高い音楽性が明らかになっていく。ヴァイオリン群と低弦群、管楽器群の対話の明確さなど、リヒャルト・シュトラウスの意図が手に取るようにわかる。
惜しむらくは終盤が一本調子になってしまったことだが、日本を代表する存在とはいえまだ50歳にもならない指揮者による演奏であるため、完璧を望むのは酷だろう。音の充実だけを取ればヨーロッパの第一級のオーケストラに匹敵する水準に達していたように思う。



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2018年4月23日 (月)

コンサートの記(374) ローム ミュージック フェスティバル 2018 初日

2018年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

左京区岡崎にあるロームシアター京都で開催される、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴きに行く。今日はホール内で行われる全ての公演、サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」、リレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」、オーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べに接する。ローム・スクエア(中庭)では中学高校の吹奏楽部の演奏が合間合間に行われており、今日は、京都市立桂中学校吹奏楽部、龍谷大平安高校吹奏楽部、大阪桐蔭高校吹奏楽部の演奏が行われていた。桂中学校や龍谷大平安の吹奏楽部はオーソドックスな演奏だったのだが、大阪桐蔭高校はとにかく個性的。まず吹奏楽部員が歌う。更にダンスが始まり、今度はミュージカル、ラストでは女子生徒が空箱に入って串刺しにするというマジックまで披露。もはや吹奏楽部ではなくエンターテインメント部である。やはり大舞台である甲子園の常連校(今春も選抜制覇)はやることが違う。無料パンフレットに記載された部の紹介も他の学校は挨拶程度だが、大阪桐蔭高校吹奏楽部だけは全国大会や海外コンクールでの華々しい成績が並んでいる。


サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」は、午後1時開演。曲目は、アルベニスの「タンゴ」、ファリア作曲(フリッツ・クライスラー編曲)「スペイン舞曲」、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番、ラヴェルの「ツィガーヌ」、ドビュッシーのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、クロールの「バンジョーとフィドル」、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」、サラサーテの「カルメン幻想曲」

たびたびデュオ・コンサートを行っている成田達輝と萩原麻未。萩原の方がYouTubeに載っていた成田の演奏を見て共演を申し込んだそうである。萩原は最近ではソロよりも室内楽の方に興味があるようだ。ただ、今年の7月には奈良県の大和高田市や出身地である広島市などでソロ・リサイタルを開く予定がある。萩原は昨年の10月にピアノ・リサイタルツアーを行っており、私もいずみホールでの公演のチケットを取ったのだが、風邪のために行けなかった。

技巧派の成田と個性派の萩原の組み合わせ。スペインものとフランスものを軸にしたプログラムだが、ラヴェルやドビュッシーを弾いた時の萩原麻未が生み出す浮遊感が印象的。重力に逆らうような音であり、やはりセンスがないとこうした音を奏でることは出来ないと思う。

成田のヴァイオリンは情熱的で骨太。男性的なヴァイオリンである。伸び上がるように弾いたり、床の上を少しずつ滑るように体を動かすのも個性的だ。構築感にも長けた萩原のピアノをバックに成田が滑らかな歌を奏でていく。理想的なデュオの形の一つである。

今日は、例えはかなり悪いが発狂した後のオフィーリアのようなドレスで登場した萩原麻未。純白のドレスであるが、ロングスカートや腕にスリットが入っている。演奏を始める時に、成田の方を振り返って上目遣いで確認を行うのも魅力的だったりする。

開演前に背後の方で、「萩原さんのお母さんにご挨拶して、似てらっしゃいますよねえ」と語っている男性がいたので、誰かと思ったら作曲家の酒井健治氏だった。その萩原麻未のお母さんは結構有名人のようで、色々な人に挨拶を受けていた。


間の時間に平安神宮に参拝する。


午後4時からは、サウスホールで行われるリレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」。ローム ミュージック フェスティバルの参加者は、ほぼ全員ローム ミュージック ファンデーションの奨学生や在外研究生、ロームが主催する京都・国際音楽学生フェスティバル出演者や小澤征爾音楽塾塾生なのだが、「ザ・スピリット・オブ・ブラス」は、ロームに援助を受けた12人の金管奏者と打楽器奏者1名による団体である。メンバーは、菊本和昭(NHK交響楽団首席トランペット奏者、元京都市交響楽団トランペット奏者。元ローム奨学生)、伊藤駿(新日本フィルハーモニー首席トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、杉木淳一郎(元新星日本交響楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、新穂優子(にいぼ・ゆうこ。Osaka Shion Wind Orchestraトランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、堀田実亜(ほった・みつぐ。ドルトムント・フィルハーモニー管弦楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、日橋辰朗(にっぱし・たつろう。読売日本交響楽団首席ホルン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、太田涼平(山形交響楽団首席トロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、風早宏隆(かぜはや・ひろたか。関西フィルハーモニー管弦楽団トップトロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、古賀光(NHK交響楽団契約トロンボーン奏者。次期首席トロンボーン奏者就任見込み。元小澤征爾音楽塾塾生)、辻姫子(東京フィルハーモニー交響楽団副首席トロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、藤井良太(東京交響楽団バストロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、宮西淳(元台湾国家交響楽団首席テューバ奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、黒田英実(くろだ・ひでみ。女性。NHK交響楽団打楽器奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)

曲目は、J・S・バッハの「小フーガト短調」(竹島悟史編曲)、パーセルの「トランペットチューン&エア」(ハワース編曲)、クラークの「トランペット、トロンボーンと金管アンサンブルのための『カズンズ』」(井澗昌樹編曲)、ドビュッシーの「月の光」(井澗昌樹編曲)、ハチャトゥリアンの「剣の舞」(井澗昌樹編曲)、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍楽隊の行進”(竹島悟史編曲)、ガーデの「ジェラシー」(アイヴソン編曲)、「ロンドンデリーの歌」(アイヴソン編曲)、リチャーズの「高貴なる葡萄酒を讃えて」よりⅣ.ホック、カーマイケルの「スターダスト」(アイヴソン編曲)、マンシーニの「酒とバラの日々」(アイヴソン編曲)、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(井澗昌樹編曲)

菊本和昭がマイク片手に進行役を務める。それぞれの奏者が入れ替わりでソロを取るスタイルだが、皆、楽団の首席級の奏者だけに腕は達者である。
ハチャトゥリアンの「剣の舞」では、打楽器奏者の黒田英実が木琴の他に、小太鼓、スネア、シンバルなどを一人で担当。リハーサルで他のメンバー全員が圧倒されたという超絶技巧を繰り広げた。

ちなみに、多くの曲の編曲を手掛けた井澗昌樹(いたに・まさき)は客席に来ており、菊本に呼ばれて立ち上げって拍手を受けていた。

「ラプソディ・イン・ブルー」は短めの編曲かなと思っていたが、かなり本格的なアレンジが施されており、聴き応えがあった。

アンコールは、バリー・グレイ作曲・竹島悟史編曲による「サンダーバード」。格好いい編曲であり、演奏であった。


午後7時からは、メインホールでオーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べを聴く。下野竜也指揮京都市交響楽団の演奏。
昨年のローム ミュージック フェスティバルの京都市交響楽団演奏会の指揮を務めたのは三ツ橋敬子、一昨年は阪哲朗であったが、いずれも出来は今ひとつ、ということもあったのか、今年は京都市交響楽団常任首席客演指揮者である実力者、下野竜也が起用された。下野もまたウィーン国立音楽大学在学中にローム奨学生となっている。

曲目は、前半に、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」、武満徹の「3つの映画音楽」、酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」(オーケストラ版世界初演)という日本の音楽が並び、後半は日本が舞台となるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャルハイライト版が上演される。
ナビゲーターとして、昨年のローム ミュージック フェスティバルにも参加した朝岡聡が起用されており、前半では楽曲の解説を、後半の「蝶々夫人」ではストーリーテラーを務める。

コンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。

外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。
今日は1階席22列22番での鑑賞。残響は短いが直接音は良く聞こえる。良い席だと思える。下野の指揮は立体感の表出が見事。各楽器のメロディーの彫刻が丁寧であり、だからこそ優れた音響をオーケストラから引き出すことが出来るのであろう。音に宿る生命感も平凡な指揮者とは桁違いだ。

武満徹の「3つの映画音楽」。「ホゼー・トレス」「黒い雨」「他人の顔」の3つの映画の音楽を作曲者である武満本人がコンサート用に纏めたもの。「他人の顔」における苦み走ったワルツはショスタコーヴィチにも繋がる深さを持っている。下野の各曲の描き分けは流石の一言である。音の輪郭がクッキリとしていて迷いがない。

酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」。酒井がローム奨学生でもあった京都市立芸術大学在学中の1999年に、京都・国際音楽学生フェスティバル委嘱作品として発表したチェロとピアノのための曲を新たにオーケストラ用に編曲したものである。「箱根八里」や「さくらさくら」という民謡・童謡が用いられている。叙情的な楽曲であるが、酒井作品の本来の味わいはもっと先鋭的であり、酒井が終演後に「ああいう曲を書く人だと思われると困るな」と話しているのが耳に入った。

このコンサートは客席に有名人が多い。開演5分前に、「えー? 席どこ?」という感じで席を探している可愛らしい顔のお嬢さんがいるなと思ったら、萩原麻未さんであった。萩原さんはやはりというかなんというか成田君の隣の席だったようだ。なお、二人とも新幹線で今日中に帰る必要があるようで、前半が終わると帰って行った。
休憩時間にロビーに出ていると、井上道義がふらふら歩いているのが目に入る。その後、オペラ歌手と思われる女性を相手になにやら熱く語っていた。

後半、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャル・ハイライト版。演出:田尾下哲(たおした・てつ)、構成:新井鷗子、衣装:半田悦子、映像:田村吾郎、絵画:牛嶋直子、照明:西田俊郎。出演:木下美穂子(蝶々夫人)、坂本朱(さかもと・あけみ。スズキ)、宮里直樹(ピンカートン)、大山大輔(シャープレス)

オーケストラスペースの背後に段を置いて二重舞台とし、背景にスクリーン幕が下がる。ここに牛嶋直子の絵が投影される。日本語字幕は使用されず、朝岡聡がストーリーを説明してから場面が演じられる。ただ字幕がないので、詳しいセリフはわからない。「蝶々夫人」は何度も観ているオペラだが、セリフをすぐに思い出せるわけではない。
1時間以内に纏める必要があるということで、ピンカートンが現地妻を持とうという時の傲慢な態度、蝶々夫人とピンカートンの愛の二重唱、「ある晴れた日に」、花びらを撒く蝶々さんとスズキ、蝶々さんの自決と終幕など、駆け足での展開である。
歌手がステージ上のオーケストラより後ろにいるためか、声の通りが今ひとつに思えたところもあったが、全体的に歌唱は安定している。ただ女声歌手はともに声が細めのため、出番の短い男声歌手二人の方が存在感があるように感じた。上演上の制約の結果でもあるだろう。

下野の指揮はドラマティックにして色彩豊かで雄弁。遺漏のない出来であった。



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2017年5月11日 (木)

観劇感想精選(211) フェスティバルシティ・オープン記念「祝祭大狂言会」2017

2017年4月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて観劇

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、フェスティバルシティ・オープン記念「祝祭大狂言会」2017を観る(「だいきょうげんかい」と打ったら、「大凶限界」と変換された。晴れの舞台だというのに変なIMEだ)。先日、フェスティバルタワー・ウエストが竣工したことを記念しての公演である。
「千鳥」、「奈須与一語(なすのよいちのかたり)」、「唐人相撲(とうじんずもう)」の三つの狂言の演目が上演される。

狂言上演前に、野村萬斎による解説がある。野村萬斎は自他共に認める雨男だが、今日の大阪は晴れである。
今日の舞台は一風変わっていて、左右両方に橋掛かりがある。野村萬斎は上手の橋掛かりから登場。野村萬斎はまず左右の橋掛かりのことを語る。

最初の演目である「千鳥」は狂言大蔵流の茂山千五郎家によって上演される。野村萬斎は、「『千鳥』は(野村萬斎のいる)和泉流にも大蔵流にもあるのですが、悔しいことに大蔵流の方が面白いんですね。くそー!」と悔しがる振りをして、「金がないのに酒を買ってこいと命令する。今で言うパワハラ」と解説を行う。
続いては、野村萬斎は一人で演じる「奈須与一語」の解説。萬斎は、「那須与一の人を教科書で習ったという人」、「知っている人」と聞く。そして、「源義経のことを判官と呼びます。プロレスラーじゃないですよ。この話がわかった人はある程度年の行った方だと思いますが」と続けて、屋島の戦いでの那須与一の活躍を説明する。八幡大菩薩が源氏の氏神であるということと、那須与一が那須出身だということで、那須の神様である湯泉大明神が信仰の対象であることを語る。一人で数人を演じ分けるのだが、「早替えをいたします。実基という少し年上の武将になります。脱いだりはしませんよ。仕草だけで変わったということにするのが狂言です。『そこにいるのは誰か?』『実基』が狂言。『そこにいるのは誰か?』『野村萬斎だ』では狂言にはなりません」
「唐人相撲」。大人数が登場する珍しい演目であるが、野村萬斎が上演した「唐人相撲」は以前、びわ湖ホール中ホールで観たことがある。「唐音という偽物の中国語を語るのですが、流派によっては本物の中国語を使う場合がある。なんの意味があるんでしょうか?(一応補足すると、大半の日本人は中国語を解さないため、語られているのが本物の中国語なのか偽物の中国語なのか判別出来ないので本物の中国語を使っても意味がない)」「京劇を意識した本格的なアクロバットを行う上演もあるそうです。だったら京劇を観た方が良い」とユーモアを込めて語る。
ちなみにまだ解説の時間なのに客席ですでに居眠りをしていた人がいたようで、野村萬斎にネタにされていた。


「千鳥」。先に書いたとおり、京都を拠点とする茂山千五郎家(狂言大蔵流)による上演である。出演:茂山千五郎(太郎冠者)、茂山茂(主人)、茂山千作(酒屋の亭主)。

太郎冠者が主人から酒屋に行って酒を買ってくるよう命令される。しかし、主人は酒屋につけを沢山貯めている上に太郎冠者に金を渡してくれない。それでも酒屋にやって来た太郎冠者はなんとか酒をせしめようとする。
「千鳥」というのは、尾張国にある津島神社の津島祭で行われる千鳥流しのことである。太郎冠者は酒樽を千鳥や山車に見立てて、かっさらおうとするのだが、酒屋の亭主に見つかってしまう。そこで、流鏑馬をすると言って……。

以前にも一度観たことがある「千鳥」。太郎冠者と酒屋の亭主の駆け引きが見物である。


野村萬斎独演による「奈須与一語」。一人語りであり、狂言でありながら笑いの要素はない。
上手側の橋掛かりから登場した野村萬斎は、地語り、源九郎判官義経、後藤兵衛実基、奈須与一(那須与一)を演じ分けるほか、平家方で扇を掲げる若い女も仕草で表現する。
フェスティバルホールは多目的ホールであるがクラシック音楽用の音響設計がなされているため、セリフを発するとビリビリと響いてしまうところがあるのだが(ミュージカル「レ・ミゼラブル」が上演される予定があるが、今のところストレートプレーの上演がほとんどなされていないのはおそらくそれが理由だと思われる)、野村萬斎は声が相当奥深いところから発せられるため、発音も明瞭で声に張りがある。
奈須与一が弓を構えて馬で駆ける場面を野村萬斎は立て膝で演じるのだが、本当に馬に乗っているかのように見える。野村萬斎はやはり凄い。
なお、「奈須与一語」はセリフが古文調でわかりにくいため、無料パンフレットには全てのセリフが載っている。


休憩を挟んで後半。まず、守家由訓(もりや・よしのり。大鼓)、中田弘美(大鼓)、成田達志(小鼓)、一噌隆之(いっそう・たかゆき。笛)による能楽囃子がある。

そして最後の演目である「唐人相撲」。出演は、野村萬斎、石田幸雄、野村万作ほか。総勢40人ほどによる大規模演目である。「唐人相撲」では二つある橋掛かりが効果的に用いられる。
ちなみに背後にあった松の木を描いた書き割りは上演中に上にはけ、玉座が現れる。その背後のスクリーンには入退場時の唐人達の影絵が投影される。
唐に滞在していた日本人相撲取り(野村萬斎)が、皇帝(野村万作)に帰国したい旨を告げる。そこで、皇帝は日本人相撲取りに最後の相撲を取るというに命じ、通辞(通訳。演じるのは石田幸雄)の行事により、日本人相撲取りと唐人達の対決が始まる。
唐人役の狂言方は、二人ずつ肩車をして日本人力士に挑んだり、組体操の人間ピラミッドを作ったりする。
出鱈目中国語が使われているのだが、「ワンスイ!(万歳!)」や、「イー、アー、サン、スー」などの基礎的な中国語は案外そのまま使われていたりする。古代から明治時代頃までの日本人の知識階級には実際に漢語が出来た人も多かったので(彼らは漢詩を詠んでいた。今でこそ日本における漢詩文化は廃れてしまっているが、長い間、漢詩は和歌や俳句などよりも上位に置かれた)、部分部分では漢語そのままの発音が用いられているのであろう。
野村萬斎はアクロバットには否定的であったが、とんぼを切ったりという初歩的なアクロバットは用いられている。全く用いないと、唐人役の人々の見せ場が皆無になってしまうので。
野村萬斎演じる日本人相撲取りは気合いや息だけで相手を飛ばしたりするという念力も用いる。リアリズムの芝居ではなく狂言なので何でもありということである。
子役も数名登場し、見せ場を作っていた。

華やかな狂言公演であった。

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2017年3月16日 (木)

2346月日(1) 「JUNPA設立5周年記念国際詩祭」@ロームシアター京都ノースホール

2017年2月14日 ロームシアター京都ノースホールにて
 
午後2時から、ロームシアター京都ノースホールで、「JUNPA設立5周年記念国際詩祭」に参加する。メインホールやサウスホールには何度も来ているロームシアター京都だが、ノースホールには入るのは初めてである。実は、一度、ノースホールで行われるマレーシアの演劇を観る予定があり、チケットを取ってロームシアター京都まで行ったのだが、痰が喉に絡まって仕方なく、上演中に「ウンウン」やるわけにもいかないし、集中力も持続しないし、というわけで諦めている。

ノースホールはロームシアター京都の地下2階にあるブラックボックス状の空間である。
JUNPAというのは、日本国際詩人協会の略。2014年に京都で設立されている。委員長は上村多恵子。

ベルギー生まれで現在はスペイン在住のジャーメイン・ドルーゲンブロート、日本国際詩人協会創立者の有馬敲(ありま・たかし。今日は体調不良を押しての参加だそうである)、イタリアの詩人であるダンテ・マッフィア、日本国際詩人協会変種顧問の村田辰夫、フランス人の哲学者で詩人であるイグ・ラブリュス、イタリアの詩人で「コモ詩の館」館長でもあるラウラ・ガラヴァリア、日本国際詩人協会代表のすみくらまりこ、2013年の日本国際詩人協会最優秀賞を受賞した下田喜久美、更に新進詩人であるタニウチヒロシ、加納由将、浜田千秋の3人が参加する。京都には来ていないがイタリアの詩人のドナテッラ・ビズッティの作品も読まれた。また、アイルランド出身のガブリエル・ローゼンストックは体調不良のために不参加で、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが詩を代読した。

まず、上村多恵子による開会の挨拶。自然災害や国際紛争、SNSの普及による情報の洪水の中にあって、「言葉で世界とどう切り結ぶか」を模索したい旨を述べる。

続いて、特別後援である関西・大阪21世紀協会の理事長・堀井良殷(ほりい・よしたね)の挨拶。奈良に住んでいるということで、柿本人麻呂の「敷島の倭(やまと)の国は言霊の佐(たす)くる国ぞ真幸(まさき)くあれこそ」と紀貫之の筆による『古今和歌集』の仮名序「やまとうたは人の心を種として万の言の葉とぞなりにける」を紹介し、日本の詩の元をたどる。
ちなみに、『古今和歌集』の仮名序には「(やまとうたは)天地(あめつち)をも動かし」という言葉があるのだが、江戸時代にこれに対して詠まれた宿屋飯盛の「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは」という狂歌が有名であり、私などはこの狂歌が頭に浮かんでしまった。

読まれるテキスト(京都だけのものではなく、関西各地で行われるABCD4つのプログラム用の作品全てを収録)は日本語版と英語版が共に1000円で売られている。対訳本はないようである。

山田啓二京都府知事は参加されなかったが、代わりに山田府知事夫人(流石、府知事夫人というか、かなり綺麗な方である)が参加し、JUNPAへの祝辞を述べる。
門川大作京都市長からも祝電が届いた。


現代詩の朗読であるが、私も詩は一応専門であるため(そもそも私は高校時代に田村隆一の後輩になりたくて進学先を選んでおり、詩に関しては早熟であった)、おおよその内容は分かる。100%分かるということはないが、そもそも作者ですら100%理解出来ているわけではない。100%分かる詩というのはつまらない詩である。

第一部 詩の朗読 「時の二重奏」「存の二重奏」では、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが英語で自作を朗読した後、武西良和が日本語訳のテキストを読み上げた。
有馬敲の詩も武西良和が朗読。その後、ダンテ・マッフィアの詩を稲葉妙恵が日本語朗読した。「滝の二重奏」では、先に書いたとおり、体調不良で欠席のガブリエル・ローゼンストックの詩はジャーメイン・ドルーゲンブロートが英語で代読した。その訳詞はすみくらまりこが朗読。そして村田辰夫の詩は村田本人が朗読。村田は日本語で朗読した後で英訳したテキストも読み上げた。


休憩を挟み、音楽会が行われる。未来へ贈る歌 創作童謡の会「黄金(おうごん)のあみ」ミニコンサート。ノースホールには四方にテラスがあるのだが、曲ごとにテラスに青や赤、オレンジなど電飾が点る演出があった。
黄金のあみは、大阪音楽大学の教員と日本国際詩人協会の協働によって生まれた創作童謡を発表していく会である。
今日の演目は、「ちいさなちきゅう」(詩:有馬敲、作曲:中澤道子)、「影子の楽しいハロウィンナイト」(詩:すみくらまりこ、作曲:中澤道子)、「実がころろ」(詩:上村多恵子、作曲:岡田正昭)、「わたしたちのオーロラ」(詩:ラウラ・ガラヴァリア、作曲:南川弥生)、「宇宙の蝶」(詩:下田喜久実、作曲:南川弥生)の5曲。

ピアノは全曲、織部温子が担当。「ちいさなちきゅう」と「実がころろ」は谷口耕平(テノール)が歌い、「影子の楽しいハロウィン」、「わたしたちのオーロラ」と「宇宙の蝶」は堀口梨絵(ソプラノ)が歌い上げる。「わたしたちのオーロラ」と「宇宙の蝶」では、平田英治のサキソフォンが加わった。
中澤道子の作風は一番童謡的。「影子のハロウィンナイト」はNHK「みんなのうた」に出てきそうな曲である。
南川弥生(みなみかわ・みお。「やよい」ではない)の作風は現代音楽の影響も受けており、ピアノやサキソフォンが不協和音も奏でていた。

ノースホールは音響設計はされていないはずである。この広さで残響があったらうるさくなってしまう。


続いて第二部 詩の朗読。「命の二重奏」として、ドナテッラ・ビズッティの「誘惑」という短編詩を上村多恵子が日本語訳を朗読し、ラウラ・ガラヴァリアが英語で朗読した。

「海の二重奏」では、イグ・ラブリュスが、自作をフランス語で朗読。タニウチヒロシが日本語訳と2016年に亡くなった飛鳥聖羅の詩を朗読した。イグ・ラブリュスの作品には飛鳥聖羅への追悼詩が含まれていた。

「星の二重奏」では、ラウラ・ガラヴァリアと下田喜久美が自作を朗読。

ラストは新人賞過去受賞者の朗読。
タニウチヒロシが自作を朗読。その後、加納由将がステージに上がるが、加納は車椅子の上に心身不自由ということで、浜田千秋とタニウチヒロシが加納の作品を朗読し、加納は自作を英語でなんとか読み上げた。浜田千秋の革命を題材にした詩で、詩の朗読は終わる。


上村多恵子が国際詩祭京都会場プログラムが無事終了したことの謝辞を述べ、最後は、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが挨拶し、「タエコに日本のハイクのように短い挨拶をするよう言われている」と冗談を言った後で、「美しい京都」「素晴らしい聴衆」と賛辞を贈った上で、「ありがとうございました」と日本語で言って締めた。

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2006年7月 8日 (土)

日本三大七夕祭り

七夕祭りは日本各地で行われているが、特に有名なのが仙台の七夕祭り(ひと月遅れの8月7日をメインとする祭りである)と、神奈川県平塚市の湘南ひらつか七夕祭りである。

「日本三大七夕祭り」という言葉があるが、三大のうちの二つは仙台と平塚で確定しているようだ。

さて、もう一つはどこか、ということだが、仙台と平塚に比べるといずれもスケールが小さく、「我が町の七夕祭りこそが三大七夕祭りの一つだ」とアピールしている自治体は多いものの、どこも全国的な知名度は今一つである。

私の出身地である千葉市の隣町、千葉県茂原市の七夕祭りも「日本三大七夕祭りの一つである」とアピールしている(愛知県一宮市、同安城市の七夕祭りも地元では「日本三大七夕祭り」の一つであると主張)。しかし、茂原の七夕祭りを千葉県民以外の人達がどれだけ知っているのか、というとほとんど知られていないのではなかろうか。
茂原の七夕祭りは千葉テレビで中継されたりもするが、やはりスケールが小さく、千葉市民であった私も残念ながら行ってまで楽しもうという気にはなれなかった。

ところで千葉県茂原市は全国的な知名度は低めであったが、最近はタレントの小倉優子が生まれた「こりん星」が在る(?)ことで多少有名になったようである。

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