カテゴリー「ノート」の103件の記事

2017年10月24日 (火)

合わせ鏡の国

日本という国は近代において二度大転換している。これを理解していない人は自分の意思と真逆の方向を選んでしまう。

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2017年10月 2日 (月)

先入観は最大の敵

先入観は最大の敵である。思い込みが当たることはまずない。

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2017年9月23日 (土)

NHK交響楽団学生定期会員時代のこと

 東京時代にNHK交響楽団の学生定期会員を2年ほどやっておりました(1997年-99年)。定期会員としての最初のコンサートの指揮者は、現在、京都市交響楽団の常任指揮者を務めている広上淳一でした。因縁を感じます。メインはグリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番&第2番で、広上さんったら「アニトラの踊り」では指揮台の上でステップ踏んで踊ってました。

 定期会員の1年目は良かったのですが、2年目にはきつくなりました。渋谷のNHKホールまでは片道2時間。そして毎回聴きたい指揮者や曲目とは限らない。というわけで「今日は気が進まないなあ」と思いながら通うこともありました。「聴きたい」から「聴かなければならない」に変わってしまったのです。日本では評価が低いドミトリ・キタエンコが実は名指揮者だったという発見もありましたけれども。というわけで社会人になってからはN響の定期会員も辞め(N響のシーズンは9月ー6月なので、「なると同時に」ではありません)、以後もオーケストラの定期会員にはなっていません。

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2017年4月 9日 (日)

真の敵なるもの

真の敵なるものは得てして捏造されるものである。そして虚像を生み出すものとそれを許すものが本当の敵なのである。

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2017年1月19日 (木)

イドにて

 何も貞子の話をしようというのではない。イドというのは井戸というよりもフロイトが提唱した自我としてのイドに近いものだ。

 ただし、ここでは物語を援用する。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』だ。
 井戸の底に潜った主人公は激しい怒りを覚える。かつて経験した怒り、呑み込んでしまって発散できなかったトゲの数々。それがどこかで現実と繋がり、社会を動かし、何かを揺さぶる。

 私も激しい怒りをイドのそこに抑えてきた。誰だってそうだ。この世が自分のものでない以上、誰もが理不尽な経験をする。いわれのない咎をかぶせられ、こちらの想像を超えた壮大な勘違いに押し流される。

 今までは私はそれをこらえてきた。超自我というリミッターによって。
 だが、そうまでして耐え続ける必要があるのか。

 忘れられるなら忘れてしまった方が良い。こちらは生々しく記憶していても「加害者」である彼らはもう何も覚えていないだろう。それならこちらも記憶しているだけ無駄だということになる。

 「それはもう中空にある」

 だが無意識から現れた「幽霊のような私」が、私の自制を激しくなじるのだ。「臆病だ」と、「もっと表に出せ」と。
 イドの底で目をこらして、私は私にとって最も有効な水脈を見いだしたい。私が「幽霊の私」に取って代わられてしまう前に。

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2017年1月18日 (水)

遠くへ来た

遠くへ来た「はずだ」。おそらく誰よりも。
幼き頃の私と今の私は連続性さえ見られないほどに断絶されている。
般若心経に云う。「色即是空 空即是色」。一切は空であり、瞬間瞬間の幻だと。
遠くへ来たのかあるいは元々遠く隔たれていたのか。

だが、それとはまた別の記憶が私に宿っている。私の中にかつての子供がいる。
子供の私は戸惑い、社会との間にある透明にして越えがたい膜を感じている。その被膜の中で、私はどこにも行けないまま今もうずくまり続けている。私は遠くへなど行けずにそのままなのだ。

遠くへ来た私と行けなかった私。二つの隔絶された私が混濁し、私そのものの像を私から遠ざけている。

写真の中の私に今の私は何を語ろうか。「来られた」と云うべきか「行けなかったよ」と告げるべきか。

私の片方の目は昔を彷徨い、片方の目は今にある。ある部分は若い頃のまま止まり、別の部分は未来に達している。そうした継ぎ接ぎだらけのセルフポートレートを前に、「本当の私はどの部分に宿るのか」と私は戸惑っている。あるいは全てが「本当の私」なのかも知れないのに。

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2017年1月15日 (日)

眠りによるハイジャックあるいは逢魔が時の私

 眠りに体を一時的にハイジャックされる。それは私の奥に抑圧された何かが表に出ることでもなく、私の潜在意識に眠る私が表の私に変わって目を覚ますことでもない。
 黄昏時に、あるいは彼は誰時に、光と闇の移り変わる逢魔が時に、多くのものが溶けて一体になるのと同様、「私の制御する私」以外の私が渾然とした形で現れるということである。
 ハイジャックされた私は抑制力を持たず、一貫した記憶も保持しないが、それは私が私でなくなるということとは著しく違う。さなぎとしての個体と脱皮して蝶となった個体とが同一であるように、個としての私自体は存在する。
 そしてハイジャックされた個体が私と連続性を持つことで恐怖が生まれる。
 「私が私と思っている私は本当に私であるのか」
 デカルト的思惟はもう否定された。私の根源自体が私でない可能性がある。それは私でありながら私でない、「逢魔が時の私」だ。
 それを私は何と名付けよう。フランソワーズ・サガン的な戸惑いの中にある私を。

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2016年8月15日 (月)

日本語・規定・閉鎖

日本語で思考する限り、日本語的な発想からは逃れることは出来ない。日本語でよくわからない観念を英語や北京語に置き換えると途端によくわかるということはあるが、それは所詮は「還元された日本語」による理解である。
日本語で考えるとまるで正反対に思えることでも、実は「日本」という中にあるごく至近距離の思考の果実でしかないということはよくある。
我々は限られた材料で考えるしかないのである。悲しいことなのかどうかはわからないが。

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2016年7月26日 (火)

多くは語りたくないのだが

 例えば優生学などは時代と共に形を変えて存在するものであり、一定の「正しい」という支持を得やすいという性質を持つのも確かである。ナチスが「生きるに値しない命」という「正義感」のもとにかつて行ったことの亡霊が急に現れたようにも思われるのだが、福祉大国として知られる北欧諸国が知的障害者の女性に対する避妊手術の強要(断種法)を「良いこと」として比較的最近まで行ってきたことはその変奏であり、しかも「常に存在し続け、これからも更なる変遷を経て『あり続ける』だろう」という心が暗くなるような想像が、自分自身の罪のような強迫感とともに繰り返されている。
 そして今は「起こってしまった」という事実に対し、翼をなくした鳥のように呆然とたたずむことしか出来ないでいる

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2016年6月21日 (火)

「愛」から外れて

「愛」の危険性は、「愛」から外れたものを異端と断定してしまうところにあるのだろう。

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