カテゴリー「歴史」の66件の記事

2019年7月 6日 (土)

2346月日(13) 龍谷ミュージアム 特別展「因幡堂平等寺」

2019年5月25日 西本願寺前の龍谷ミュージアムにて

龍谷ミュージアムで、特別展「因幡堂平等寺」を観る。烏丸高辻にある因幡堂平等寺(因幡薬師)の本堂内部改修工事に伴う仏像移設に合わせて行われる特別展示会である。因幡堂がこうした展示会を行うのは最初で最後になる予定だという。

橘行平が因幡国に国司として赴いたときに海中から拾い上げられた薬師如来が、行平を慕って自ら烏丸高辻にある行平の屋敷に飛んできたというのが因幡堂平等寺の始まりである。橘行平の座像も展示されているが、渋い男前だ。
「因幡堂縁起」には、地引き網に掛かった(でいいのかな?)薬師如来や行平の邸宅までやってきた薬師如来の絵が描かれている。登場人物達の表情や仕草は生き生きとしてユーモラスであり、20世紀に漫画が日本を代表する文化として広まる下地がこの時すでに出来ているような気がする。

因幡堂に平等寺という寺号を賜ったのは高倉天皇ということで、高倉天皇の伝記(「高倉院昇霞記」。北村季吟の写筆)の展示もあるのだが、開かれたページには、「上皇自太相国福原亭還御」という文字が並び、幼い安徳帝に譲位した高倉上皇が福原の平清盛邸から京に帰ったことがわかる記述になっていた。

因幡堂は京の中心における文化の発信基地でもあり、伝統芸能の上演なども行われていた。展示されている狂言番付から、「源平布引滝」などが上演されていたことがわかる。
また、幕末の文久3年に境内で見世物市が開かれ、訪れた芹沢鴨がいくつかの逸話を残している。

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2019年6月17日 (月)

観劇感想精選(304) 加藤健一事務所 「Taking Sides ~それぞれの旋律~」

2019年6月1日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後2時から、京都府立府民ホールアルティで、加藤健一事務所の公演「Taking Sides ~それぞれの旋律~」を観る。「戦場のピアニスト」「想い出のカルテット」「ドレッサー」のロナルド・ハーウッドが、20世紀最高の最高の指揮者であったヴィルヘルム・フルトヴェングラーのナチ裁判予備審問を描いた戯曲の上演。私は6年ほど前に、行定勲の演出、筧利夫、平幹二朗、福田沙紀、当時無名の鈴木亮平らの出演による上演(「テイキングサイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」)を観ている。
テキスト日本語訳は小田島恒志と小田島則子。演出は鵜山仁。出演は、加藤健一、今井朋彦(文学座)、加藤忍、小暮智美(青年座)、西山聖了、小林勝也(文学座)。

舞台上方に下側がちぎれた状態の星条旗が掛かっている。舞台下手にも星条旗が、あたかも歌劇「蝶々夫人」の上演時のように掲げられている。上手に上方に設けられたドームが崩れ落ちたままのドアがあり、登場人物はこのドアから入ってくる。
ベートーヴェンの交響曲第5番第4楽章の演奏が鳴り響いて上演開始。星条旗を吊り下げていた上手側の紐が切れ、舞台上に落ちかかる。後方の壁にはベルリン陥落の模様の映像が投影される。

灯りがつくと、エンミ・シュトラウベ(加藤忍)が指揮真似をしている。エンミはベートーヴェンの愛好家なのだが、連合軍取調局に所属しているアメリカのスティーヴ・アーノルド少佐(加藤健一)は、音楽には全く興味がなく、ベートーヴェンの交響曲第5番についても、「くその役にも立たないほど退屈」と感じている。エンミはベートーヴェンの交響曲第8番が最も好きなのだが、ベートーヴェン入門曲として第九を薦める。だが、アーノルドは「第5より短いのか?」と聴く気のない発言をする。

アーノルドは世界的な大指揮者であるヴィルヘルム・フルトヴェングラー(小林勝也)の予備審問を担当するのだが、フルトヴェングラーについては全く知らない。知らないからこそ選ばれたという側面もある。アメリカで活躍するアルトゥーロ・トスカニーニやレオポルト・ストコフスキーは知っているが、指揮者ではなくバンドリーダーという認識であり、フルトヴェングラーもバンドリーダーの一人だと思っている。
フルトヴェングラーは、ナチス政権化にあってナチ党員にならず、ユダヤ人音楽家の国外逃亡に手を貸していた。だが自身はドイツに留まってベルリン陥落の前年にようやくスイスへ亡命したため、「実はナチ協力者なのではないか?」という嫌疑をかけられていた。フルトヴェングラーと彼が指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、ナチがドイツ国民の優越性を示すためのプロパガンダとして用いていた。
新たにアーノルドの部下となったデイヴィッド・ウィルズ中尉(西山聖了)は、ハンブルク生まれのユダヤ系ドイツ人で今はフィラデルフィア在住という二重にも三重にも引き裂かれた経歴の持ち主である。精神的にはヨーロッパ寄りであり、ベートーヴェンは大好き。その点において同じアメリカ人でもアーノルドとは大きく異なっている。

典型的なアメリカ的合理主義的精神の持ち主であるアーノルドは、予備知識を徹底して廃してフルトヴェングラーやベルリン・フィルの第2ヴァイオリン奏者であったヘルムート・ローデ(今井朋彦)を追求していく。
途中、タマーラ・ザックスという女性(小暮智美)が闖入する。タマーラはドイツ人女性で旧姓は典型的なドイツの苗字であるミュラー。しかし、ユダヤ人ピアニストであるヴァルター・ザックスと結婚していた。ヴァルター・ザックスとタマーラはパリに亡命するが、ナチスによってパリが陥落したため、ヴァルターはアウシュヴィッツに送られて命を落とした。だが、二人がパリに亡命出来たのはフルトヴェングラーのお陰であるとして、彼の無罪を訴えに来たのである。

タマーラだけでなく、ローデ、エンミ、デイヴィッドら全員がフルトヴェングラーは偉大な芸術家だと擁護する中、アーノルドは後光効果(ハロー効果)を廃した追求を行おうとする。フルトヴェングラー本人にも脅威となった若きヘルベルト・フォン・カラヤンの存在や、愛人や隠し子が各所にいたというフルトヴェングラーの私生活に踏み込んで揺さぶりをかけていく。
やがて、ナチス高官ハンス・ヒンケルが残した様々なデータによってローデが実はナチ党員だったことがわかり……。

 

行定勲演出の「テイキングサイド」では、小林隆がヘルムート・ローデを演じており、最初から気弱で人におもねりそうなローデ像を作り上げていたが、今回の「Taking sides」は今井朋彦のローデということで印象は大きく異なり、同じセリフでも意図が異なって聞こえる。
「テイキングサイド」でアーノルドを演じた筧利夫は、異常なまでの映像記憶力の持ち主で、かなりの早口、非感情的という人物に扮していたが、加藤健一のアーノルドは異能者であることはセリフで示されてはいるものの、それを思わせる展開はほぼないため、同じ合理主義者のアメリカ人ではあっても異なった要素が表に出ているように思われる。行定演出ということあって、筧のアーノルドはかなり挑戦的でもあったようだ。

「テイキングサイド」では、平幹二朗演じるフルトヴェングラーの完全敗北という感じに見えたラストだが、今回はフルトヴェングラーの後悔のみに留められ、またラストに流れる第九第1楽章も「芸術はそんなことで負けも終わりもしない」というアーノルドへの忠告のように響いた。

アメリカの合理主義とドイツ引いてはヨーロッパの伝統主義、芸術至上主義の代理戦争の構図がこの劇には見て取れる。そして、戦前においてはドイツを、戦後はアメリカをモデルとして発展してきた日本において「Taking sides(どちらの側を取るか)」を上演する意味についても考えさせられる。

 

ロビー(というより普段は喫茶店として使われているスペース。喫茶店は今日は午後3時で閉店)でアフタートークがあり、出演者全員が登場する。

イギリスでは「Taking Sides」は「コラボレーション」との二本立て作品として上演されており、「コラボレーション」の方は、加藤健一事務所は2011年に上演している。加藤健一は、「Taking Sides」の台本も同時に読んでいたそうだが、その時はフルトヴェングラーという人物を知らなかったために上演を見送ったそうである。ただ、それから8年経って、「早くやらないと、どっち(アーノルドとフルトヴェングラー)を演るのかわからなくなってしまう」ということで取り上げることにしたそうである。
加藤健一は、普段は真逆の人間なので演じやすかったと言って笑いを取るが、「フルトヴェングラー好きはいっぱいいるものですから」、フルトヴェングラーファンから悪く見られるのが嫌なようで、東京公演の時も楽屋に来た今井朋彦のフルトヴェングラー好きの知り合いから、「段々段々、憎く憎く見えてきました」と言われてショボンとしたそうである。
小暮智美は、「福島県会津出身です。京都には色々な思いがあります」と自己紹介。演じたタマーラについてハーウッドは「タマーラはホームレスのように見える」と書いていたため、そう見えるように稽古の時から工夫をしており、お歯黒をしてきてみんなから「この人は何をしてるんだ?」と怪訝な顔をされたり、演出の鵜山仁から「いや、そういうんじゃない」と駄目だしされつつ、色々模索している最中だそうである。ちなみに今日のメイクは今井朋彦に「八ツ橋に見える」と言われたそうだが、言われた方はどんなだかわからないそうである。

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2019年6月 1日 (土)

2346月日(12) 京都国立博物館 「特別展 時宗二祖上人七百年御遠忌記念 国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」

2019年5月21日 京都国立博物館にて

東山七条にある京都国立博物館平成知新館で、「特別展 時宗二祖上人七百年御遠忌記念 国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」を観る。

盆踊りの元になったとも伝わる踊り念仏で知られる一遍智真。浄土系仏教である時宗の祖である。時宗自体は一遍が著作を残さなかったり寺院での布教を重視しなかったということもあって、鎌倉新仏教の中ではマイナーな方であるが、室町幕府に仕えた同朋衆といわれる芸術集団は時宗の信徒たちであり、その思想は日本文化の中に溶け込んでいる。

一遍の生涯を描いた「一遍聖絵」は、一般的には「一遍上人絵伝」の名で知られるが、一遍の死の10年ほど後に画僧の円伊(とその弟子達)によって描かれており、他の宗祖達の絵伝などに比べると、まだ当人の記憶が人々の記憶に鮮明に残っているうちに描かれたというのが特徴である。そのためかどうか、一遍の姿は神格化されてはいない。

実のところ、円伊の生涯についてはよくわかっていないようだ。

今回の一遍聖絵の展示は、円伊が描いた本物と竹内雅隆が明治の終わりから大正時代にかけて一遍聖絵を模写したものが交互の並ぶという形で行われる。現在は後期の展示となっており、第1巻第1段が竹内雅隆のもの、第1巻第2段、3段が、4段が円伊のものである。その後も、第2巻第1段2段が竹内雅隆、第2巻第3段4段が円伊といった具合だ。ガラスケース上方の壁には円伊による一遍聖絵のパネルが並んでおり、竹内雅隆のものと円伊のものを見比べることも出来る。

一遍聖絵の特徴は、かなりの高所から俯瞰図として描かれていることである。風景画にならよくある手法だが、これは時宗開祖一遍を讃える絵なのである。なのに一遍の姿はかなり小さく、どこにいるのかわからない場面もある。主人公が小さく描かれた絵伝というのも異色である。
円伊がなぜ、こうした視座を取り入れたのかはわからないが、あるいは阿弥陀仏が見た一遍という視点なのだろうか。単純だが、絵伝は単純でわかりやすいことが生命線でもあり、誰でも思いつくようなことが正解に近いとも思われる。

俯瞰図であるため、広範囲を見渡すことが出来るようになっており、一遍が訪れた神社や寺院、往事の人々の姿が生き生きと鮮やかに描かれており、宗教画としてよりも絵画的要素や史料的な面の方が価値が高いのではないかと思われる。
時宗は念仏によってそれを信じない人をも救うと考える宗派である。救われる人々がある意味では主人公であり、市井の人々が一遍と同等に描かれていることは、あるいはそれを表しているのかも知れない。

 

同じ浄土系宗派の開祖であっても、生涯に二度ほどしか神社に参拝した記録がない親鸞とは違い、一遍は日本各地の神社に参拝して縁を結んでいる。日本各地を歩き回り、踊り念仏を広めた一遍であるが、過労気味となり、51歳という宗教者としては比較的若い年齢で他界している。
一遍亡き後、急速に衰えた時宗は真教(他阿)らによって再興される。真教を描いた遊行上人の縁起絵も展示されているが、一遍聖絵とは違い、少し上から姿が大きく描写されている。こちらの方が一般的で、一遍聖絵の方が特殊である。一遍上人自体が日本宗教史の中でも特殊な存在であるが、その死後わずか10年で円伊がそれを見抜いていたのかどうか。

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2019年3月26日 (火)

2346月日(11) 京都文化博物館 「北野天満宮 信仰と名宝」

2019年3月19日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で「北野天満宮 信仰と名宝」を観る。
天満宮の総社である北野天満宮。その祭神である菅原道真公と天神の本地である十一面観音などに関する展示である。

学問の神様とされる菅原道真。氏や育ちではなく知力で右大臣にまで上った人物である。知で昇進した先例には吉備真備らがいるが家格を超える昇進を遂げたのは菅原道真が初とされる。その後、藤原時平らの讒言があって太宰府に左遷され、失意の内に亡くなる。だがその後、清涼殿に落雷があったり、藤原氏の有力者が次々に他界するなどの変異があり、雷神と集合して天神として北野の地に祀られることになった。元々、北野の地は都の北西を守る霊地であり、道真は都を守る怨霊として祀られることになる。

 

「北野天神縁起」はパネル展示があるだけだが、文子天満宮や吉祥院天満宮など、北野天満宮より成立が早いとされる天満宮の由来が描かれているのがわかる。

 

道真は、左遷された不遇を漢詩に詠んでいるが、その「去年今夜待清涼 秋思詩編独断腸 恩賜御衣今在此 報持毎日拝余香」は、その後に描かれた天神像にたびたび書き込まれている。
天神像も様々で、一般によく知られているのは憤怒の表情を浮かべた天神像だが、中には道真の失意をそのままに表した憂い顔の天神像も存在する。

道真は漢詩や和歌だけでなく、学者として史書の「類聚国史」編纂の仕事もしており、そのうちの2冊が展示されている。

 

後半は北野天満宮に関する展示である。
北野天満宮は麹造りを支援しており、醸造業者の連盟である麹座に神人の位を与えて保護していたのだが、洛中の酒屋が麹造りを始めたため、独占権を失いそうになる。そこで北野麹座は室町幕府に訴え、独占権の確約を手にする。足利義持の命により、北野麹座以外の麹室は破却されることになった。
足利義持の下知状と一色義範の遵行書状が展示されているが、二人とも「北野」の「北」の字を崩しており「小」に見えるのが特徴である。草書だとそうなるのだと思われる。

その後、北野が生んだ文学とされる連歌(宗祇の肖像などが展示されている)の展示を経て、北野天満宮の祭礼展示となる。上映時間約20分の映像が流されており、北野天満宮で一年の間に行われる祭礼の模様をダイジェストで見ることが出来る。

 

北野天満宮史上最大のハイライトの一つである北野大茶会の展示としては、実際に掲げられた高札の他に大茶会の様子を描いた絵図、またその繋がりで現在の北野天満宮の社殿を築いた豊臣秀頼の筆による御神号などが展示されていた。

 

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2019年3月24日 (日)

コンサートの記(534) 創作オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」2019大阪

2019年3月10日 大阪・大手前のドーンセンター7階ホールにて

午後5時から、大阪・大手前のドーンセンター7階ホールで、創作オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」を観る。元李氏朝鮮王朝の李垠(り・ぎん)殿下の妃となった李方子(まさこ)の生涯を描いたモノオペラである。
ちなみにドーンセンターのすぐ南には追手門学院小学校と追手門学院大手前中学・高等学校があるのだが、李垠と方子は1940年代に大阪で暮したことがあり、次男である李玖は追手門学院小学校の前身である大阪偕行社附属小学校に通っていたそうである。

企画・構成・台本・主演は、田月仙(チョン・ウォルソン。ソプラノ)。作曲、指揮は孫東勲(Song Donghoon)、台本は木下宣子、演出は新宿梁山泊の金守珍(Kim SuJin)、プロデューサー・総監督は太田慎一。
演奏は、富永峻(ピアノ)とCALAFミュージックアンサンブル(桜田悟、花積亜衣、若狭直人、村山良介)。合唱はCALAFヴォーカルアンサンブル(田中由佳、星野律子、石山陽太郎、相原嵩)。李垠役はバレエダンサーの相沢康平が務める。歌もセリフもなく、李垠の化身としてダンスのみの表現となる(殿下の声:キム・テグワン)。ナレーションは濱中博久。韓国舞踊:金姫玉韓国伝統舞踊研究所。

日本語歌唱、字幕付きでの上演。ステージ後方にスクリーンがあり、そこに映像が投影される。


15歳の時に、日本に留学していた元大韓帝国の皇太子・李垠との婚約を新聞で知った梨本宮方子(田月仙)。完全な政略結婚であり、一方的に婚約を決められた方子は嘆くが、日韓双方の架け橋となるために嫁ぐことを決意する。
韓国併合により李垠は日本の王族となり、皇族に準ずる待遇を得ていた。かつての李王家邸は赤坂プリンスホテル旧館(現・クラシックハウス)となっており、私も前を通ったことがある。
敗戦後、李垠と方子は臣籍降下されることになり、国籍も失う。韓国に帰ろうとする李垠だったが、李承晩の妨害に遭って難航する。その後、朴正熙によって帰国が認められるが、李垠はすでに病身であり、7年後に死去。残された方子は、知的障害児のための学校を興すなどして韓国社会のために尽力。「韓国の母(オモニ)」と呼ばれるようになる。

激動の人生を歩んだ李方子であるが、その障害をモノオペラで描くのはかなり困難であることが予想される。実際、次から次へ休みなく様々なドラマが起こるため、逆に焦点が定まらず、盛りだくさんだが詰め込みすぎてドラマとしての起伏がないという印象も受けた。テレビドラマなどには向いているのだろうが。
感情表現やセリフの用い方にも疑問あり。歌詞に飛躍があるようにも感じられる。


東京音楽大学芸術音楽作曲科出身である孫東勲による音楽は充実しており(婚礼のバレエの場面では、意図的にショパンの「軍隊ポロネーズ」を模した音楽が流れる)、田月仙のドラマティックな歌唱も見事。相沢康平のバレエと金姫玉韓国伝統舞踊研究会による踊りも華やかで良い味を出している。

オペラとして成功作なのかどうかわからないが、李方子という女性には興味を持った。色々と調べてみたくなる。

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2019年2月22日 (金)

美術回廊(23) 東京都写真美術館 「日本の1968」

2013年6月26日 恵比寿の東京都写真美術館にて

東京都写真美術館で「日本の1968」という展覧会を観ることにする。村上春樹が「我らが年」と呼び、村上龍が自伝的小説のタイトルに選んだ1969年の前年。日米安全保障条約改正反対運動を中心とした学生運動がピークに差し掛かろうかという時期の写真を中心とした展覧会である。ただ1968をキーワードに1968年以外の時代の写真も展示されている(1968年の100年前である、1868年頃に撮影された写真には幕末の写真家として知られる上野彦馬撮影のものが含まれる。また1968年頃にデビューしたアラーキーこと荒木経惟(あらき・のぶあき)の写真もあり、竹中直人が荒木をモデルに作成した映画「東京日和」(竹中直人監督作品。松たか子の映画デビュー作でもある)にも出てくる柳川の小舟の上で眠る妻の写真(「東京日和」では中山美穂が主人公の妻役であり、完全に同じ構図で写真は撮られている」)も展示されている。

1968年の4年前、1964年に取られた若者達の写真もあるが、皆、どことなく石原裕次郎っぽい。

学生運動関連の写真も勿論、多い。最も過激といわれた日大全共闘が出版した資料などがあるが、東京以外の学生運動の記録もある。広島大学全共闘が発行したもので、学生運動の記録が年表形式で書き込まれている。


写真のみならず、映像の展示もある。1968年を舞台とした映像は二つ。共に10月の国際反戦デーの新宿の映像である。東口では当時流行っていたアングラことアンダーグラウンド演劇のそれを真似た、大阪万博開催反対のパフォーマンス。今見ると、アホにしか見えないのだが、当時の彼らは本気だったのだろう。

西口では夜に、日米安保条約改正およびベトナム戦争反対を標榜するヘルメットにマスク姿の学生を中心とした集団(東大全共闘、中大、革マル派という文字が読み取れる。ヘルメットに「日」の一文字の集団が過激なことで知られた日大全共闘だと思われる)が、火炎瓶を投げ込む姿などが映っている。駆けつけた機動隊の姿を捉えて、映像作品は終わる。

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2019年2月 7日 (木)

観劇感想精選(288) 「テイキングサイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」

2013年2月23日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「テイキングサイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」を観る。「ドレッサー」「想い出のカルテット ~もう一度唄わせて~」の劇作家、ロナルド・ハーウッドの筆による作品。テキスト日本語訳:渾大防一枝、演出:行定勲。出演:筧利夫、福田沙紀、小島聖、小林隆、鈴木亮平、平幹二朗。

20世紀を代表する指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの第二次大戦中のナチ協力疑惑の取り調べを描いた、クラシックファンにとってはかなり有名な作品である。ただ、クラシックと歴史のことがわからないと内容把握はまず困難だと思われ、そのためか、後ろの方の席は空席が目立った。


ベートーヴェンの交響曲第5番第4楽章が鳴り響く中で劇は始まる。

1945年、第二次大戦後のベルリン。連合国側の米軍少佐、スティーヴ・アーノルド(筧利夫)は、非ナチ化審議に於いて、ドイツを代表する指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラー(平幹二朗)がナチ党員だったのではないかという疑いを持ち、予備審議を行うことにする。協力者は若いドイツ人のエンミ・シュトラウベ(福田沙紀)。エンミの父親はヒトラー暗殺計画を企んで処刑されたが、ヒトラー亡き今ではドイツ人から英雄視されている。スティーヴは音楽に対する教養はまるでないが、異常な記憶力の持ち主であり、見聞きしたことは全て忘れないという異能者である(どことなくAIを連想させる人物である)。

一方、エンミはドイツ音楽の愛好家であり、フルトヴェングラーを尊敬している。ベートーヴェンが好きで、特に好きなのは交響曲第8番。

フルトヴェングラーに対する取り調べの前に、スティーヴは、フルトヴェングラーが音楽監督を務めていたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者、ヘルムート・ローデ(小林隆)を呼ぶ。ローデは、フルトヴェングラーがナチ嫌いだったと語り、ヒトラーの御前演奏の前に、ヒトラー対する敬礼をしない工夫として、指揮棒を持ったままステージに上がるようフルトヴェングラーに進言したことがあると伝える。指揮棒を持ったまま敬礼をすると、最前列に座ったヒトラーの目を指揮棒の先端が刺してしまう。だから敬礼をしなくていいのだと。
しかし、スティーヴはフルトヴェングラーがヒトラーの御前で演奏したこと、また、ヒトラーとフルトヴェングラーが握手している写真を示し、ヒトラーとフルトヴェングラーが懇意であったのではないかと疑う。ヘルムートは、それはヒトラーが勝手に壇上に上がりフルトヴェングラーの手を取ったまでで、その場にいたカメラマンがそれを撮影したに過ぎないと疑惑を否定する。

エンミもまた、フルトヴェングラーが多くのユダヤ人演奏家(ヨーゼフ・クリップス、アーノルド・シェーンベルクの名が含まれる)の亡命に協力した事実を告げる。

スティーヴの元に新たに赴任した、デイヴィット・ウィルズ(鈴木亮平)は、ハンブルク生まれのユダヤ人で、ユダヤ人迫害を避け、アメリカに亡命。姓もユダヤ風のものからWASP風のウィルズに改姓している。ウィルズは、フルトヴェングラーが世界最高の指揮者であるとし、スティーヴに対してフルトヴェングラーの無実を訴える。

そんな中、タマーラ・ザックスという女性(小島聖)が尋問室にやって来る。タマーラは自身はドイツ人で旧姓はミュラーだが、ワルター・ザックスというピアニストに惚れて結婚。ワルターはピアノの腕をフルトヴェングラーに認められ、パリにザックス夫妻が亡命するための手続きを行ってくれたという。しかし、パリはナチスドイツ軍により陥落、ワルターは収容所に送られ、命を落としたという。だが、タマーラはフルトヴェングラーがかつての夫のためにしてくれたことを深く感謝しており、フルトヴェングラーがいかにユダヤ人に親切で、慈悲深い人であったかを切々と語る。

そしていよいよ本物のフルトヴェングラーが現れる。フルトヴェングラーは自分がナチに協力したことはないと断言し、二度もナチス党員になった若い指揮者(ヘルベルト・フォン・カラヤンのことである)が演奏活動を再開しているのに、なぜ自分が公的な音楽活動が出来ないのかと不満を語る。ヒトラーの御前演奏も、ヒトラーの誕生日の演奏も、ヨーゼフ・ゲッペルスやヘルマン・ゲーリングの根回しがあり、断ることは自分の力では不可能だったのだと告げる。また、ナチスが政権を取った1933年にフルトヴェングラーはナチスへの嫌悪からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を辞任しており(のちに復帰)、またユダヤ人と結婚したドイツ人作曲家、パウル・ヒンデミットの歌劇「画家マチス」が上演禁止になった際、ヒンデミットの擁護を行い、また新聞に「ヒンデミット事件」を寄稿していることを告げる。
第1回の審議は終わり、フルトヴェングラーは尋問室を去る。エンミは自分の好きな交響曲第8番のSPを掛け、第1幕は終わる。


第2幕。ベルリン・フィルの第2ヴァイオリン奏者であるヘルムート・ローデが実はナチ党員であり、自分がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者になれたのも在籍していたユダヤ人奏者が追い出されて欠員が出たからだと告白する。またフルトヴェングラーはヘルベルト・フォン・カラヤンを嫌っていたという事実も口にする。フルトヴェングラーはカラヤンを憎む余り、カラヤンと名前で呼ばず、「K」と呼んでいた。差別的な人であったことは事実だと。また、デイヴィットもフルトヴェングラーが「反ユダヤ」であることを知っていたという(フルトヴェングラーはドイツ音楽至上主義者だった)。しかし、同時にデイヴィットは「反ユダヤ発言をしなかった非ユダヤ人はいない」とも発言する。

ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章アレグレットが流れる中、ナチスの収容所における映像が映し出される。積み重なるユダヤ人の死体。それを押しやるブルドーザー、穴に押し込まれるユダヤ人の遺体。これはスティーヴの夢であった。スティーヴは異常な記憶力の持ち主であったため、このかつて見た嫌な光景を毎晩、夢として見る羽目になっているのである。

フルトヴェングラーに対する二度目の尋問が行われる。ここで、スティーヴは二度もナチ党員になっていながら公的演奏活動(正式には録音のみの活動である)を行っているヘルベルト・フォン・カラヤンの名前を出す。フルトヴェングラーがカラヤンを嫌っていたのは事実であり、カラヤンこと「K」がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者になることを怖れて、ヒトラーの御前演奏会に臨んだのではないかとスティーヴは考える。そしてそれは実際、真実に最も近いであろう。

スティーヴは、ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーが1933年に亡命しているのに、なぜフルトヴェングラーは終戦直前まで亡命しなかったのかについて触れる。フルトヴェングラーは「ワルターもクレンペラーもユダヤ人であり、亡命せざるを得なかったのであり、自分は違う。自分はドイツに留まることでナチスと戦ったのだ」と言い張る。しかし、事実としては「K」がドイツ楽壇に君臨するのを怖れていたのではないかという疑惑が浮かぶ(実際、フルトヴェングラーは最晩年に自身の後任になるベルリン・フィルの指揮者について、「私がベルリン・フィルの指揮者としてふさわしくないと思っている男は一人だけ。あの男です」と暗にカラヤンが後任に抜擢されることを拒んでいる。だが、その後、フルトヴェングラーが怖れたことは現実となる。常任指揮者であったルーマニア人指揮者、セルジウ・チェリビダッケとベルリン・フィルが敵対関係になりつつあったことに加え、ベルリン・フィルのアメリカ・ツアーに同行できる独墺系指揮者がカラヤンしかおらず、そのカラヤンが「もし自分をベルリン・フィルの常任にしないならばアメリカ・ツアーには同行しない」と言ったことで、後任はカラヤンに決まった)。

スティーヴはブルックナーの交響曲第7番第2楽章アダージョのSPをエンミに掛けさせる。そしてフルトヴェングラーに聴く。「この曲は何ですか?」「ブルックナーの交響曲第7番アダージョだ」「誰の指揮ですか?」「誰のかって? 私のだよ」「これが流されたのはヒトラーが自殺した日です。追悼の音楽として」

実際問題として、ヒトラーはカラヤンを嫌っていた。理由はカラヤンは暗譜で指揮するのが常だったが、ヒトラーの御前上演となるオペラで、ソプラノがミスし、カラヤンは譜面を置いていなかったため、十分なフォローが出来ず、ヒトラーは「あの、若いのは何故譜面を持っていないんだ!」と激怒。以後、ヒトラーが愛する指揮者はフルトヴェングラーだけとなる。

スティーヴはヒトラーが愛したのはフルトヴェングラーの演奏であったと告げる。それに対してフルトヴェングラーは、「私はナチのために指揮したのではなく、ドイツ国民のために指揮したのだ」「芸術は中でも音楽は人間の内面を豊かにするために必要だ」と音楽論を展開する。
それに対して、スティーヴは「私生児は何人いますか?」と聞く。フルトヴェングラーの女好きは有名であり、自分の子供が何人いるのか自分でも把握できなかったと言われている。今でもフルトヴェングラーという姓の奴がいたら怪しいと言われるほどだ。

フルトヴェングラーは音楽の神聖さを強調し音楽と政治は無関係だとするが、実際はフルトヴェングラー自身は俗人であり、フルトヴェングラーに対しては批判的でカラヤンを「奇跡のカラヤン」と評した音楽評論家を政治力を用いてソビエト戦線に送ったり、ドイツを離れなかったのも、ドイツ国内のあちこちに愛人がいたからなのではないかと詰め寄られる。フルトヴェングラーはそれでも音楽の素晴らしさを強調するが、「1934年に亡命していたなら」と後悔の言葉を口にし、吐き気に襲われる。ヘルムートとエンミに抱えられながら退場するフルトヴェングラー。デイヴィットはフルトヴェングラーを「堕ちた偶像」と言いながらもフルトヴェングラーこそは世界最高の指揮者であり、あのような取り調べを行うべきではなかったのではないかとスティーヴに意見する。

ベートーヴェンの第九第1楽章が流れる中、劇は終わる。


様々な角度から再検討すると、何が正しくて何が間違っているのか、聖と俗とは何なんなのか、音楽は、そして演劇は我々にとって何をもたらすものなのか。人によって答えは違う、そう、人によって答えが違うからこそ、人生とは奥行があり、芸術とは価値があるのだと認識させられた舞台であった。


上演終了後に、演出の行定勲、デイヴィット役の鈴木亮平によるトークがある。司会は関西テレビの山本悠美子アナウンサー。

まず、「テイキングサイド」を上演することになったきっかけを行定勲が語る。行定勲が「テイキングサイド」の本を受け取ったのは、3.11の東日本大震災発生直後のことだったという。行定勲は映画の撮影をしていたのだが、大震災が起こったため、一度、撮影を全面的に中止にしたという。その後、仕事は再開したが、映画の撮影をするのはこの時期には不謹慎なのではないかという思いがこみ上げてきたし、周りも「不謹慎なのでは」という空気になったという。その時、「テイキングサイド」を読んで、戦後に行われた芸術を巡る審議という内容が、今、自分達の置かれている立場にリンクするのではないかと思い、引き込まれていったという。

また配役では、筧利夫と平幹二朗という、普通は舞台上で同時に観ることが想像しにくい組み合わせであるということから敢えてキャスティングしたという。筧利夫が演じるスティーヴ・アーノルドは芸術音痴で早口というクエンティン・タランティーノの映画に良く出てくるようなキャラクターを意識したという。そのことでセリフも聞き取りにくくなるし(筧利夫は普段使わない用語が沢山出てくる脚本に苦しんだのか、珍しく二回噛んだ)、内容も把握しにくくなるが、それも計算の内だという。

鈴木亮平は、今回のキャストの中で唯一オーディションで選ばれたという。オーディションは普通は数ページの台本によって行われるのだが、今回の作品ではデイヴィットのセリフ全てが渡され、それで審査されることになったそうで、鈴木は「うそーん」と思ったそうだ(行定勲の厳しさは映画界では有名である)。鈴木はカラオケボックスにこもってひたすらセリフを覚えてオーディションに臨み、あまり良い感触は得なかったそうだが選ばれたという。また鈴木は関西出身で、明日は両親と祖母と祖母の友人達が見に来る予定だという。

演技では筧利夫は想像通りの出来であり、平幹二朗はフルトヴェングラー役には残念ながら似合わないように思えた。わがままが過ぎて干され気味と噂の福田沙紀はまずまず可憐な演技を見せ、他の俳優も健闘していたように思う。

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2019年1月30日 (水)

天満天神繁昌亭 2019年一月天神寄席「信長・秀吉・家康」

2019年1月25日 大阪・天満天神繁昌亭にて

午後6時30分から、大阪の天満天神繁盛亭で、一月天神寄席「信長・秀吉・家康」を聴く。

番組と出演者は、「荒大名の茶の湯」笑福亭風喬、「大名将棋」笑福亭仁喬、「太閤の白猿」森乃福郎、「家康の最期」旭堂南海、中入り後、鼎談「時代小説と落語」(桂春團治、高島幸次)、「本能寺」桂米左。なお、鼎談に出演予定だった小説家の木下昌輝がインフルエンザのために降板となり、急遽、旭堂南海が加わって鼎談という形になった。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑であるが、落語は基本的に庶民を描くものであり、偉人は登場しない。今回行われる上演でも、旭堂南海の「家康の最期」は講釈。前半の他の演目も講釈を原作とするもので、桂米左の「本能寺」は歌舞伎を原作とするものである。


「荒大名の茶の湯」。徳川家康の参謀である本田佐渡守正信と、豊臣恩顧の7人の大名(加藤清正、池田輝政、浅野幸長、黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、福島正則)の茶の湯の会を描いた作品である。
家康から7人の大名を篭絡するよう命を受けた本田正信が、茶会に7大名を招くのだが、細川忠興以外の6人は純粋な武人で、茶の湯についてはなにも知らない。そこで教養人である細川忠興に相談し、全員が忠興の真似をすることになるのだが、真似すべきでないところも真似してしまうという笑い話である。家康はほんのちょっとしか登場しない。
笑福亭風喬は、枕として「有馬で某国立大学の先生を相手に落語をした時の話」をする。「『落語は頭のいい人が笑うんです。頭の悪い人はなにが可笑しいのかわかりません』と話してから落語をしたところ、あの人たちよく笑うんです。なに話しても笑う」と言っていた。
加藤清正の顔が大きく、髭も長かったという話がオチにも繋がっている。


「大名将棋」。登場人物は、紀伊徳川家2代目の若殿とその家臣。若殿が家臣と将棋を指すのだが、家臣が負けたときは鉄扇で2度頭を叩く、ただ若殿が負けることはないということで、若殿は銀将を真後ろに動かし、金将を斜めに下がらせ、自分の桂馬は名馬だといって4つも5つも進ませ、槍(香車)を横に進ませ、角行を左右に飛車を斜めに、王将は「八艘飛びじゃ」と言って盤の下に隠してしまうという体で、無理やり負けということにされた家臣たちは鉄扇でしたたかにはたかれ、「もう石焼き芋屋にでもなろうか」と転職を考えるありさま。それを知った家老の石部金吉郎が若殿に立ち向かうという話である。


「太閤の白猿」。東雲節の由来を探るという話。秀吉が登場するのだが、主人公になるのは秀吉によく似ているということで大坂城に招かれて優遇されている白猿の方である。この作品にも加藤清正や福島正則は登場するのだが、鍵を握っているのは「独眼竜」伊達政宗である。


講釈「家康の最期」。家康が大坂夏の陣で討死したという仮説を元にした話である。江戸時代に出来た話だが、神君家康を書くのはまずいということで、「本を刷るのはまずいが、筆写したものは良し。売るのはまずいが、貸本屋に置くのはOK」ということだったそうである。
真田幸村が魔神のような活躍を見せる。結構、不気味である。
ちなみに、家康の影武者となったのが南光坊天海でその正体は明智光秀、というのは旭堂南海が付け加えたものだという。


鼎談「時代小説と落語」。桂春團治と高島幸次(大阪大学招聘教授)が小説家の木下昌輝に話を聞くはずが、木下がインフルエンザに罹患し、熱は下がったが医師から外出禁止令を受けているということで欠席。高島が木下からのメールを読み上げた後で、「加藤清正や福島正則が、『清正』『正則』と呼ばれることはない。諱といって本名を呼ぶのは失礼に当たる」ということで、「そういうことを本に書いている」と自分の本を紹介し始めてしまう。ちなみに高島は大阪天満宮で古文書解読の市民講座を開いているのだが、木下はそこでの生徒だそうである。

旭堂南海が呼ばれ、三英傑のことを書いた講釈は多数存在するが、落語はほとんどないという話をする。
高島は、落語の良さとして、「時代そのものがわかる」ことを挙げる。落語には、長屋の小僧が代官に気に入られて跡継ぎになる話があるそうなのだが、そうしたことは実際に数多く起こっていたそうで、ちょっと前まで日本の教科書には「江戸時代は士農工商の身分社会でした」と書かれていたが、実際は身分は流動的で、武士と庶民がいただけで庶民間に階級はなく、金で武士になることも出来た(坂本龍馬は商人を本家とする階級の生まれ、中岡慎太郎は庄屋の倅である)。春團治は、「確かに農民は身分が低いからと馬鹿にするという落語はありませんな」と語る。
ちなみに春團治は、来月大阪松竹座で行われる芝居に落語の祖とされる安楽庵策伝役で出演するそうで、出番は少ないが、高島から「主役よりも良い役」と言われていた。


トリとなる「本能寺」。歌舞伎のために書かれた本を説明を加えながら一人語り用にしたものである。元となった歌舞伎の演目は現在では廃れてしまって上演されず、上方落語の芝居噺としてのみ残っているそうだ。
鳴り物、ツケ入りの上演。
桂米左は、歌舞伎の見得や立ち回りを大げさにやって笑いを取っていた。



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2018年12月 5日 (水)

史の流れに(5) 京セラ美術館 鳥羽伏見の戦い150年記念展「維新の夜明け」

2017年12月3日 伏見区の京セラ美術館にて

伏見区の京セラ本社1階にある京セラ美術館で、鳥羽伏見の戦い150年記念展「維新の夜明け」を観る。

京セラ美術館は比較的小規模な美術館であるが、入館は基本的に無料である。

現在、大和大学准教授を務める友人の竹本知行氏(愛称は「竹ぽん」)も監修の一人として名を連ねており、映画「隠し剣鬼の爪」の特典映像として撮られた幕末という時代と武器の解説映像(竹本氏は武具や兵器の専門家である)も流れていた。上映時間53分ということで見ている時間はなかったが、竹本氏は声に特徴があるので、どこに出演しているのかはすぐにわかった。

展示数は余り多くないが、鳥羽伏見の戦いの戯画が数点、銃器や砲弾に銃弾、当時の伏見の図面、17歳で討ち死にした阿多孫二郎の鉢振や家族宛の書簡などが展示されている。阿多孫二郎は、17歳にして死を覚悟しており、両親と祖父母に向けて別れの書状をしたためている。その文には「さんずの川で会いましょう」や「もう(故郷に)帰ることはありません」「討ち死に以外の道は考えていません」という決意が述べられていた。

伏見奉行所跡地の近くにある魚三楼に今も銃弾の通り抜けた跡が残っており、鳥羽伏見の戦いの痕跡と伝わるも「伏見に師団があった頃に、その辺の若いのが発砲してつけたのではないか」という話もあるが、弾の大きさからいって銃弾ではなく伏見の戦いで使われた四斤山砲破裂砲弾の鉄弾子とみるのが適当なのだそうである。

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2018年10月27日 (土)

コンサートの記(444) 「時の響」2018楽日 大ホール第1部 広上淳一指揮京都市交響楽団 広上淳一リクエスツ「音楽維新 NHK大河ドラマテーマ音楽で聴く歴史の波形」

2018年10月21日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで行われている「時の響き」2018。大ホールでの第1部と第2部の出演は、広上淳一指揮京都市交響楽団。
コンサートマスターは今日も渡邊穣で、第1部の木管楽器の首席奏者はオーボエの髙山郁子のみ、第2部では勢揃いという顔触れである。

午前11時開演の第1部は、広上淳一リクエスツ「音楽維新 NHK大河ドラマテーマ音楽で聴く歴史の波形」と題されたコンサートで、幕末を舞台とした大河ドラマのメインテーマ曲を中心にした曲目が編まれており、

谷川賢作の「その時歴史が動いた」エンディングテーマ、坂本龍一の「八重の桜」、川井憲次の「花燃ゆ」(ヴォーカル:平野雅世&迎肇聡)、湯浅譲二の「徳川慶喜」、吉俣良の「篤姫」、佐藤直紀の「龍馬伝」(ヴォーカル:平野雅世)、林光の「花神」、富貴晴美の「西郷どん」が演奏される。

司会は、FM京都 a-stasionのDJである慶元まさ美(けいもと・まさみ)が務める。

NHK職員の息子であり、子どもの頃から大河ドラマを見ていて、自称「大河フェチ」の広上淳一の解説も聞き物である。


現在は「歴史秘話ヒストリア」となっている枠で流れていた「その時歴史が動いた」。詩人の谷川俊太路の息子で、作曲家の谷川賢作の作品である。
広上によると、「ラストで、取り上げられた人物の金言といいますか、箴言、まあ金言ですね。それが松平さん(松平定知アナウンサー)のアナウンスで流れて、最後にトランペットが鳴るところで涙を流す」と「自分自身の体験なってしまいましたが」語る。広上はよく泣く人のようである。

午前中にスタートするということで、広上は「おはようございます」と挨拶していた。


「八重の桜」。慶元が、同志社大学の創設者である新島襄の妻となった新島八重(山本八重)を紹介し、広上は「私の頭の中では綾瀬はるかになっています」と語る。
八重の兄である山本覚馬が西郷隆盛と仲良くなり、御所の北にあった二本松の薩摩藩邸跡地を安値で譲られて、新島襄の同志社が出来たという話を広上はする。

「八重の桜」のテーマ曲は、放送中であった2013年に、坂本龍一のピアノと栗田博文指揮東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で聴いてことがある。新しくなったフェスティバルホールで聴いた初のコンサートであった。
尾高忠明指揮NHK交響楽団による本編用の音源でも、坂本龍一&栗田指揮東京フィルの演奏でも最初から壮大でドラマティックな展開となっていたが、今日の広上はそれらとは違い、一瞬一瞬の光の明滅を描いたかのような儚げなものであった。尾高や坂本&栗田が咲き誇る桜を描いたのとは対照的に、散りゆく花びらを音の変えたかのような演奏である。


「花燃ゆ」。吉田松陰の妹である杉文を主人公にした作品。広上は「私にとっては井上真央」。井上真央もこの作品の低視聴率があだとなったのか、最近はいい噂が聞こえてこない。
本編で指揮を行っていたのは、広上の弟子である下野竜也。下野竜也はNHKに気に入られているようで、その後も何度も大河ドラマのテーマ曲指揮を手掛けており、「真田丸」では謎の商人役(真田信之役の大泉洋に「誰?」と言われる)で出演までしてしまっている。「RAMPO」などの作曲家である川井憲次のメインテーマはドラマティックで良かったのだが、本編自体は脚本家を4人も注ぎ込むも音楽に負ける出来となってしまっていた。


「徳川慶喜」。作曲は20世紀の日本を代表する作曲家の一人であった湯浅譲二。現代音楽の要素を取り入れており、大河ドラマのメインテーマの中では取っつきやすい方ではない。広上は、徳川慶喜については「昔は余り好きじゃなかった」と語り、「軍事力は負けないだけのものを持っていたのに、兵を見殺しにして逃げて謹慎しちゃって情けない人だと思っていた」
ただ、「当時の列強に日本を乗っ取られる」危険性を避けるためと知ってからは見る目が変わったようである。
演奏前に、大政奉還の舞台となった二条城のCGがスクリーンに映る。
本編でもオープニングタイトルは個性的であり、江戸の写真や絵と共に縦書きの字幕が左から右へと流れていくという絵巻物手法が取られていたのを覚えている。


吉俣良の「篤姫」。21世紀に入ってからの大河の中では平均視聴率が最高を記録した作品である。広上は、「まさか岡田准一と結婚するとは思わなかった」と宮﨑あおいについて語る。
ちなみに影の脚本家を巡る噂のある作品でもある。
広上は、「地味だけど」と前置きしつつ、曲に関して褒める。
本編での指揮は井上道義で、耽美的な演奏を行っていたが、広上の指揮する「篤姫」は井上のものに比べるとスタイリッシュである。


佐藤直紀の「龍馬伝」。本編を指揮したのも広上淳一である。
佐藤直紀は、広上の東京音楽大学の後輩であり、教え子でもあるそうだが、「彼は私の授業には出ませんで」と広上は語る。「龍馬伝」のレコーディングの時に、佐藤は「あの時はお世話になりました」と言いに来たそうだが、広上が「そんなにお世話したっけ?」と返すと、「いや、最初の1回しか授業に出ていませんで、それで、『単位あげるよ』と言われたので、もう出ませんで」だそうである。広上は単位はあげたが、大学から授業に出ない学生に単位をあげたのが問題視されたそうで、翌年からは当該授業からは外されてしまったそうである。
佐藤は、インドやネパールなどの南アジアの「エキゾチックな」民族音楽を学ぶのが好きな人だそうである。

本編ではオーストラリアのミュージシャンであるリサ・ジェラルドがヴォーカルを担当していたが、今回は平野雅世がマイクなしのソプラノで歌う。
ただこの曲は、マイクありのヴォーカルで歌った方が効果的なように思えた。


林光の「花神」。大村益次郎こと村田蔵六を主人公にした作品である。「花神(かしん)」は「花咲か爺さん」の中国での呼称。自分は去ってしまうけれど咲かせた花は残るという姿を司馬遼太郎が花神に例えたものである。

広上は林光について「大天才」と最大級の賛辞を送る。林光は尾高尚忠の弟子であり、十代の頃からすでに尾高に認められていて鞄持ちなどをしており、東京芸大に入るも学ぶものが何もないため1年で中退して作曲活動に入ったという早熟ぶりについても話す。
基本的にオプティミスティック人であり、どんな時でも明るかったという。

「花神」は、現在は総集編のVTRのみが残っている。私も総集編のみDVDで見た。
林光は、作風が比較的平易なことでも知られ、どの作品でも明快な旋律を一番大事にしている。曲と広上の相性も良いようだ。


現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」のオープニングテーマ。一昨日、岩村力指揮京都市交響楽団の演奏で聴いているため、聞き比べが出来る。
広上の指揮する「西郷どん」は、岩村のそれと比べて重層的であり、より多くの音が聞こえる。劇伴としては主題が明確に浮かぶ演奏が好まれる傾向にあるのだが、広上の解釈はクラシック作品に対するのと変わらないスタイルが貫かれているようだ。

全般を通していえることだが、広上の奏でる大河のメインテーマはどこか儚げで移ろいやすく、どんなに明るいメロディーや和音にも憂いが影に潜んでいるという日本人的美質が聴き取れる。まるで「桜」の美意識だ。

広上の大河指揮デビュー作も幕末ものの「新選組!」なのだが、残念ながら演奏はなし。「時の響」は時間の関係でアンコール演奏も一切なしのようである。


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