カテゴリー「野球」の200件の記事

2018年9月17日 (月)

スタジアムにて(3) オリックス・バファローズ対千葉ロッテマリーンス@わかさスタジアム京都 2018.5.27

2018年5月27日 西京極・わかさスタジアム京都にて

西京極にあるわかさスタジアム京都で、オリックス・バファローズ対千葉ロッテマリーンズの公式戦を見る。
午後2時プレーボールであるが、わかさスタジアム京都は正午開場であり、私も12時半頃に行って、特設のショップを見て回ったりする。今日は気温が高く、日差しもきつくなるので、日射病および熱中症予防のために帽子があった方が良いのだが、私が持っているのは東京ヤクルトスワローズのレプリカキャップと優勝記念キャップのみ。千葉市出身なので千葉ロッテマリーンズを応援するのだが、3塁側ベンチに一人だけスワローズの帽子をかぶった人がいたら何だと思われる。そこでマリーンズのレプリカキャップを初めて買う。スワローズのレプリカキャップも手掛けているマジェスティック製品であるため、馴れたかぶり心地である。以前のマリーンズの帽子は黒字にMの白抜きというシンプルなものだったが、今はMに赤の縁取りがあり、少し凝ったデザインになっている。

オリックス・バファローズは、先日、ほっともっとフィールド神戸で、バファローズの試合と日本女子プロ野球のダブルヘッダーを行ったが、今日も日本女子プロ野球・京都フローラの選手がキャンペーンで球場に着ていて、オリジナルグッズの宣伝や記念撮影などを行っていた。

大分の唐揚げなどを食べて、両チームの練習を見る。今日は阪急デーということで、オリックス・バファローズの選手は往年の阪急ブレーブスのビジター復刻ユニフォームを着て試合に臨む。

KBS京都のアナウンサーで、スポーツ番組「京スポ」の司会を務める海平和(うみひら・なごみ)アナウンサーが進行役として登場し、試合前のセレモニーが行われる。今日は始球式が3回も行われる。

まずは、阪急ブレーブス黄金期のサブマリンエース、山田久志が登場。スタンドが沸く。山田は左足を上げたまま上半身を屈めるという往年のままの美しいフォームを披露。体を更に下げるのはもう難しいのか、アンダースローではなくサイドスローからの始球式になったが、年齢を感じさせないキレのある球を投げて、客席から歓声が上がった。

続いて、日本女子プロ野球・京都フローラの若手である古谷恵菜(ふるや・めぐな)投手による始球式。飛躍が期待される古谷。勢いのあるボールを投げ込んで、スタンドから拍手が起こる。

最後は、オリックスの選手が守備に着いてから、京都府宇治市出身の女優・タレントの中村静香による始球式がある。中村静香はアラサーの女性タレントとしてはメジャーな方だが、私の周りからは「誰?」という声が複数上がった。考えてみれば中村静香がバラエティー番組に出演している時間にマリーンズファンは千葉の人はチバテレビで、その他の人はCSでマリーンズの試合をテレビ観戦しているわけで、見たことがなかったとしても不思議ではない。
中村はキャッチャーのサインに首を振るというパフォーマンスも行い、山なりではあったがキャッチャーのミットにそのまま飛び込むボールを投げ込んだ。


今日のバファローズの先発は、ゴールデンルーキーの田嶋大樹。佐野日大高校、JR東日本を経て昨年のドラフト1位で入団した左腕。今季ルーキー初勝利を挙げ、ここまで5勝と新人王有力候補である。

マリーンズの先発は、こちらも左腕の土肥星也(どひ・せいや)。2年目であるが一軍では未勝利である。

田嶋と土肥のピッチングスタイルは対照的。田嶋がMAX148キロのストレートで押すのに対して、土肥はMAXで140キロもストレートは大体130キロ台。テイクバックの小さな独特のフォームから繰り出される変化球を中心に組み立てる。

試合は初回にオリックスの吉田正尚(まさたか)がライトへのツーランホームランを放つが、オリックスはその後、土肥からヒットすら奪えなくなる。

4回表、マリーンズは先頭の4番・角中がヒットで出ると、続くドミンゲスがレフト最上段へのツーランアーチを架け、マリーンズが同点に追いつく。

その後は膠着状態となる。

8回裏、千葉ロッテは、土肥、田中、大谷に次ぐ4番手投手としてシェッパーズを送り込むが、ツーアウトを取ったところでシェッパーズが突如制球を乱し、二者連続でフォアボールを与える。続くバッターは吉田正尚。吉田はセンターに抜けるタイムリーを放ち、これが決勝打となった。吉田は今日のバファローズの得点3点を一人で挙げる活躍である。

9回表は増井が締め、3-2でオリックス・バファローズが千葉ロッテマリーンズを下した。なお、7安打をマークしたマリーンズに対してバファローズはわずか3安打で3点を奪っての勝利で、効率が良い。

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2018年9月 9日 (日)

北海道日本ハムファイターズ合唱版「大空と大地の中で」

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2018年9月 3日 (月)

観劇感想精選(254) 舞台「野球」~飛行機雲のホームラン~

2018年8月25日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後5時から梅田芸術芸場シアター・ドラマシティで舞台「野球」~飛行機雲のホームラン~を観る。作・演出:西田大輔。音楽:笹川三和。出演:安西慎太郎、多和田和弥、永瀬匡、小野塚勇人、松本岳、白又敦、小西成也、伊崎龍次郎、松井勇歩、永田聖一朗、林田航平、村田洋二郎、田中良子、竹内諒太、本間健大、書川勇輝、秋山皓郎、今井直人、田上健太、藤木孝。野球監修:桑田真澄。

第二次大戦中の中学野球(現在の高校野球に相当)を舞台に戦争と友情を主題にした群像劇が繰り広げられる。

伏ヶ丘商業学校の唐澤静(多和田和弥)と会沢商業学校の穂積均(安岡慎太郎)は小学校時代の友人にしてライバル。唐澤は甲子園の常連校である伏ヶ丘商業に進み、穂積は敢えて伏ヶ丘商業を避け、会沢商業に進んだ。1944年、戦争の激化のため、全国中等学校野球選手権は2年連続の中止が決定。予科練に進んだ野球部員は唐澤の神風特攻前日にかつての所属学校野球部ごとに分かれ、試合に臨む。南海軍(南海ホークス。英語が敵性言語であるとしてニックネームとしての使用も禁止されたための措置)に進むことが決まっていた唐澤だが、夢は絶たれた。肘を傷めていた唐澤だが、マウンドに上がるのは今日が最後であり、全力で投球する。

立ち上がりが不安定であるが、ストレートの威力は沢村栄治に匹敵するといわれる穂積。穂積が会沢商に進むきっかけとなった先輩の岡光司(永瀬匡)、併合当時は日本人とされたが差別も受けてきた朝鮮半島出身の伏ヶ丘・菱沼力(小野塚勇人)、唐澤の姉で新聞記者だったが反戦記事を書き続けたために解雇となった唐澤ユメ(田中良子)、ユメと共に狂言回しの役割を受け持つ海軍中佐の遠山貞昭(藤木孝)、新聞記者になること夢見て唐澤に関する記録を書き続けていた伏ヶ丘の三塁手・堂上秋之(松井勇歩)、会沢商業の監督に指名されるが野球には疎い街軍中尉の菊池勘三(名前の似ている菊池寛にちなんであだ名は「父帰る」である。演じるのは林田航平)らが時系列を飛ばす形でドラマを構成する。舞台後方には黒板状のスコアボードがあり、試合が進むごとに、出演者がチョークで得点を記していく。

八百屋飾りの舞台。マウンド、各塁、バッターボックスなどは特定の場所に置かれず、状況によって次々とフォーメーションを変えていく。客席通路も使用し内外野の守備が客席で行われることもある。

ボールは使用するが、投手役の俳優が直接投げることはない。なお、開演前に「本日は演出としてボールを使用いたします。ボールが客席に飛び込むことがあるかも知れませんが、ボールはスタッフが回収に伺いますので、くれぐれも客席に投げ返さないようお願いいたします」という影アナがあった。当然ながら劇場でそんなアナウンスを聞くのは初めてである。

PL学園時代に甲子園での高校通算最多勝記録となる20勝を挙げ、読売ジャイアンツとピッツバーグ・パイレーツで投手として活躍した桑田真澄が野球監修を手掛けており、そのためピッチャーの二人は桑田によく似た仕草をする。特に穂積均役の安西慎太郎は前屈みになったサインの見方、ワインドアップから右肩を下げながらのテイクバック、上体を捻って打者に背中を見せるところなどが桑田のフォームに瓜二つである。腕の使い方は桑田よりも元カープの池谷公二郎に似ているが、安西は世代的に池谷を知らないはずなので、たまたま似たのだと思われる。唐澤役の多和田和弥はサイン交換時のポーズは桑田や穂積と一緒だが、その後は違う。

俳優陣で私が知っているのはベテランの藤木孝だけ(最も重要なセリフを与えられているのも彼である)。若い俳優達に関してはほとんど知らないが、開場時間を予定より15分早めて行われたグッズ販売に女性が長蛇の列を作っており、相当な人気があることがうかがえる。後で調べたところミュージカル「テニスの王子様」の出演者が多いことがわかった。
私自身は「桑田真澄が野球監修をするなら」ということで観に行ったのだが、客席に男性はほとんどいない。劇場と球場に通う層はどうやら重なっていないようである。

戦時ということで野球自体が敵性競技として疎まれており、使用語はストライクが「良し!」、ボールが「駄目!」、ファールが「圏外球」、セーフが「安全」といった風に日本語に直され、アラビア数字も駄目で背番号は漢数字で書かれている。グローブも戦前戦中のものは現在と大きく異なるのだが(当時はスポットの浅い握るタイプのもの。挟み込むタイプの現在のものとは違い、片手を添えて両手で捕らないと取りこぼしてしまうことになる。日本では今でも「ボールは両手で捕る」が常識化しているのはこのためである)、客席にそこまでこだわる人はいないのと、ドラマ進行状に特に問題とはならないので、現代タイプのものを使用している。

漫画原作も手掛けるという西田大輔の本と演出はスピード感と視覚効果を大事にした上で外連味にも富むもの。一貫したストーリーよりもシャッフリングされた矢継ぎ早の展開を重視しており、各々のエピソードを絡めてラストへ持って行く形はラヴェルの「ボレロ」のようである。客席が女性中心ということで客席の各所からすすり泣きが聞こえ、上演としてはかなりの成功だと思える。

上演後は毎回アフタートークがあるようで、今日も永田聖一朗と伏ヶ丘商業の生徒達によるトークが行われる。天才エース・唐澤静役の多和田和弥は実は野球が大嫌いであったことを明かす。子供の頃のキャッチボールが顔に当たったことがトラウマになっており、野球が好きな人の気持ちが理解出来ないほどであったそうだが、この舞台をきっかけに野球が好きになったそうである。



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2018年8月29日 (水)

これまでに観た映画より(105) 大森南朋主演「キャッチボール屋」

DVDで日本映画「キャッチボール屋」を観る。大崎章監督作品。主演:大森南朋。出演は、キタキマユ、寺島進、松重豊、光石研、水橋研二、庵野秀明、内田春菊、峰岸徹ほか。

会社をリストラされたタカシ(大森南朋)は、公園でキャッチボール屋をしている竹村(庵野秀明)を見かけ、キャッチボールをする。ちょっと代わってくれないといって竹村はどこかへ。その間、キャッチボール屋をすることになるタカシ。公園には色々な人がキャッチボールをしにくる。結局、竹村は戻ってこず、タカシがキャッチボール屋をすることに……。

独特の時間の流れる大人の童話的作品。特に見所らしい見所はないけれど、こうした淡々とした作品に付き合うのもたまにはいい。それにしても、寺島進、松重豊、光石研という日本を代表するバイプレーヤーが揃っているというのはさりげなく豪華である。

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2018年8月 7日 (火)

スタジアムにて(2) セ・パ交流戦 オリックス・バファローズ対ヤクルトスワローズ 2005.6.2

2005年6月2日 大阪ドームにて

大阪ドームへ。プロ野球セ・パ交流戦ヤクルトスワローズ×オリックス・バファローズの対戦を見る。
客が少ない。下手すると客席にはヤクルトファンの方が多いかも知れない。

ヤクルトスワローズ、今日は古田敦也選手が完全にオフであった。キャッチャーは米野。
ヤクルトは初回に岩村がオリックス先発・光原からセンターへソロホームランを放ち先制。その後も真中のツーランホームランで追加点を挙げる。

ヤクルトの先発は川島亮。安定感は抜群で今日もスコアボードに「0」を描き続ける。が、6回に平野にタイムリーを浴びて1失点。連続イニング無失点は29イニングスで途絶えた。しかし7回をこの1点だけに抑えるナイスピッチング。一方でオリックスはランナーの守備妨害が飛び出すなど、どうにも勝てそうな雰囲気がない。
オリックス2番手は加藤大輔。150キロを超えるストレートを連発するが、ラミレスが負けじとセンター前にタイムリーを放つ。

ヤクルトはゴンザレス、石井弘寿の継投でオリックス打線を封じ、4対1で勝利した。
しかしヤクルト打線の各打者の成績を見ても、とてもこれがセリーグ首位のチームであるとは思えない。投手力が安定していることが第一だろうが、野村監督以来のデータ野球が徹底されているのだろう。

ヒーローインタビューは川島。「コントロールが良くなかった」というがどうしてどうして。もし今日以上にコントロールが良かったらどうなってしまうのだろう?
川島はこのまま成長すれば往年の北別府学(広島カープ)のようなタイプの好投手になるかも知れない(後記:川島亮は右肩の故障に悩まされ、その後、大成することなく引退。2018年現在は、東京ヤクルトスワローズの1軍マネージャーを務めている)。

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2018年7月26日 (木)

スタジアムにて(1) セ・パ交流戦 阪神タイガース対西武ライオンズ@西京極球場 2005.5.17

2005年5月17日 京都・西京極球場にて観戦

西京極球場にプロ野球セ・パ交流戦、阪神泰西武戦を見に行く。当日券で入ったが3塁側の比較的見やすい席を取ることが出来た。3塁側とはいえ周りは阪神ファンだらけ。3塁側どころかレフトスタンドも、おそらく観客の98%以上は阪神ファンだろう。西武ファンはほんのわずかな場所に固まっているだけ。ちなみに私はヤクルト・スワローズが好きなので中立の立場である。

阪神の先発は速球投手・福原忍。しかし今日は球にキレがない。バッテリーを真横から見る席だったのでそれははっきりとわかった。西京極球場にはスピードガン表示がないので、普段は150キロ前後を記録する福原のスピードが今日も出ていたのかどうかはわからない。しかし思ったよりは速く感じられない。2回表、福原は西武打線に連打を浴び、1点を献上。西武打線は明らかに右打ち狙いであり、福原の動揺を誘ったようだ。

西武の先発はサウスポーの帆足。交わすピッチャーというイメージがあるが、球は思ったよりも速く、手元で伸びており、本当に球がホップしているように見えた。2回裏、帆足はキレのある釣り球を生かし、四、五、六番バッターを三者三振に切って取る。速球は伸び、スライダーはコーナー一杯に決まり、カーブは低く沈む。これは打ちにくそうだ。

6回、西武カブレラがフルスイングするとバットが手を離れて一塁側スタンドに飛び込むという珍プレーがあった。カブレラはそれが心理的に影響したのか三振に終わる。しかしその後、西武打線は相手エラーにつけ込み、2点を追加。阪神は福原がピッチャーライナーを足に当てた後、一塁側へ悪送球。キャッチャー野口もパスボールをするなど守備が安定しない。

終盤になって帆足は高めのストレートに伸びが無くなる。9回裏、完封ペースであった帆足から阪神の三番シーツがセンターにホームラン。続く四番金本もツーベースヒット。スペンサーのヒットで金本が帰り1点差。一発出れば逆転サヨナラという場面で代打・桧山がバッターボックスへ。しかし西武の守護神・豊田のフォークにバットは空を切りゲームセット。3対2でライオンズの勝利。
見応えのある試合だった。

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2018年2月14日 (水)

幻の沢村栄治

※ この記事は2017年12月2日に書かれたものです。

戦前の日本を代表する名投手、沢村栄治が、1944年の12月2日、乗船していた軍隊輸送船が撃沈されて戦死しました。享年27。

京都商業(現・京都学園高校)時代に山口千万石とバッテリーを組み、甲子園に出場。慶應義塾大学に進むかと思われましたが、京都商を中退してベーブ・ルースやルー・ゲーリックが来日した際の第2回日米野球に参加。トータルではいい成績は残せませんでしたが、1934年11月20日に草薙球場で行われた第10戦での好投で一躍名を挙げます(ただこの時、西日が邪魔してバッターボックスからボールが見にくかったという証言あり。ベーブ・ルースは沢村がドロップを投げる時に口を真一文字に結ぶ癖を発見。自分は倒れましたが、続くルー・ゲーリックにこの癖を教え、ゲーリックが沢村のドロップをソロホームランにして決勝点を挙げたといわれています)。

その後、大日本東京野球倶楽部に参加。1935年2月14日に横浜港から出帆したアメリカ遠征(大日本東京野球倶楽部は東京ジャイアンツというニックネームを名乗る)ではマイナーリーグ相手に登板。好投を披露し、「スクールボーイ・サワムラ」としてアメリカでも人気になります。ファンがサインを求めたので応じたところ、相手は実はファンではなく、サインしたのはメジャー球団の入団契約書だったという騒ぎがあったりもしました。

東京巨人軍に入団後、数々の賞を獲得。現在でも沢村の名はその年最高の先発完投型投手に与えらえる沢村賞に残されています。

さて、全盛時の並外れた快速球は今も伝説となっており、「150キロか160キロか」と話題になりますが、本格的な投球時の映像が残されておらず、沢村の投球と球速は幻となっていました。
近年、沢村栄治のものとされる投球映像が発見されました。

足を高々を挙げるフォームがトレードマークとされ、西本聖のような後継者を生みましたが、実際のフォームはそれほど足を高くは挙げていなったとされ、発見された映像でも足を自然に踏み出す姿が確認できます。

映像を解析したところ、「160キロ近く出ていた可能性がある」という結果が出ました。ただ、古い映像なのでコマ送りの速度が一定しておらず、映像だけで速度を断定することはできないというのが本当のところのようです。
今のところ、沢村の球速が何キロだったのかは、可能性しか語ることはできませんが、もう目にすることの不可能な幻だからこそ、その快速球へのロマンが無限に広がるような気がします。

沢村栄治よ永遠なれ。

中京大学スポーツ科学部・湯浅景元教授による沢村栄治の球速分析


巨人軍の同僚、千葉茂と青田昇による検証

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2018年1月21日 (日)

プロ野球 セントラル・リーグの愉しみ(3) ドラゴンズ、スワローズ編

※ この記事は2017年12月15日に書かれたものです。


中日ドラゴンズは、中京圏唯一のプロ野球団です。大都市圏に1チームというのは恵まれていることでもありますが、タニマチが幅を利かせやすいという難点があり、ドラゴンズの場合はタニマチがスターティングオーダーに容喙することが問題視されたりもしました。

名古屋でメイダイといえば名古屋大学(名大)のことなのですが、ドラゴンズはメイダイではメイダイでも明治大学(明大)出身者が多いのが特徴です。「燃える男」星野仙一を始め、初代エースの杉下茂、初優勝時の監督である天知俊一、牧野茂、川上憲伸、筒井壮(星野仙一の甥)、小笠原孝、岩田慎司、柳裕也らが明治大学野球部OBです。

本拠地は中日球場、ナゴヤ球場を経て、現在はナゴヤドームでホーム試合を行っています。

1954年の初優勝・初日本一以降、リーグ優勝はするものの日本一は逃すというパターンが続いていましたが、2007年はシーズン2位ながらクライマックス・シリーズで逆転、日本シリーズでも山井大介、岩瀬仁紀の継投パーフェクトがあるなど北海道日本ハムファイターズを圧倒して実に53年ぶりの日本一になりました。ただシーズン1位通過での日本一は今なお1954年が最後です。

近年では広いナゴヤドームを本拠地としていることもあり、投手力を徹底して補強する守りのチームとなっています。

エースナンバーを20とするなど、独自の系譜を持っている球団でもあります。読売ジャイアンツのV10を阻止したチームでもあり、それ以来のファンが多いのも特徴です。

 

野村克也を監督に据えた1990年代にID野球で球界を席巻した東京ヤクルトスワローズ。本拠地としているのは学生野球のメッカでもある明治神宮球場です。

1950年に社会人野球の強豪だった国鉄鉄道局がプロ化を目指し、外郭団体などを親会社とするウルトラCの手段でプロ球団・国鉄スワローズとなりました。しかしチームのメンバーは国鉄鉄道局の選手が主体。アマチュアでは強豪でもプロでは心もとない。「名古屋にとてつもなく速い球を投げる少年がいる」という話を聞きつけた西垣徳雄監督がその少年・金田正一をスカウト。金田は享栄商業(現・享栄高校)を中退して国鉄入りします。

金田正一という大エースがいたものの、エース一人ではどうにもならず、国鉄は万年Bクラス球団でした。金田も親会社がサンケイグループに変わるのを機にBクラス球団所属10年制度を使ってジャイアンツに移籍します。

サンケイスワローズ、サンケイアトムズ、アトムズ時代もパッとしなかった球団ですが、チーム名をヤクルトスワローズに変えてから4年目の1978年に広岡達郎監督のもとで初優勝。絶対的エースの松岡弘、「ペンギン」安田猛といった投手陣に、「赤鬼」チャーリー・マニエル、「月に向かって打て」大杉勝男、「小さな大打者」若松勉らの打線がかみ合い、日本シリーズでも阪急ブレーブスを下して日本一に輝きました。ただ、この時は神宮球場の優先使用権が東京六大学野球にあったため、日本シリーズのホームゲームでは後楽園球場を使用しています。

神宮球場で日本シリーズが開催されるようになったのはやはり1990年代で、投手では岡林洋一、西村龍次、川崎憲次郎、石井一久、伊藤智仁、高津臣吾、打者では広沢克己、池山隆寛、古田敦也、飯田哲也、稲葉篤紀、土橋勝征、真中満らが神宮球場で躍動。チーム層が薄かったため、優勝の翌年には疲れ果てたのかBクラスに転落、その翌年にまた優勝というエレベーターチームではありましたが、一時代を築きました。日本一に輝いた回数は5回で、これはさりげなくセ・リーグ単独2位の記録だったりします。

ヤクルトの企業イメージそのままの「ファミリー球団」を指向しており、明るくのびのびとしたチームカラーで、退団後にヤクルト本社でお世話になる選手もいます。「そんな体質だから弱いんだ」という声もありますが、球界のオアシスのような存在であり、「アンチのいない不思議な球団」としても知られています。

近年では徹底した打のチームであり、2013年には総得点数が12球団1位なのに投手陣が崩壊していたために最下位という珍記録(総得点1位のチームが最下位になるのは日本プロ野球史上初)を生みました。

東京に本拠地を構えるセ・リーグ球団同士としてジャイアンツのことは強く意識しており、慶大罰の強いジャイアンツに対抗して早稲田大学出身の選手を多く取る傾向が以前はありました。

背番号の象徴的意味合いは他のチームよりも濃く、1が「ミスタースワローズ」の背番号(若松勉→池山隆寛→岩村明憲→青木宣親→山田哲人)。エースナンバーは17(松岡弘、川崎憲次郎、川島亮、成瀬善久ら)で、23は藤井秀悟、青木宣親、山田哲人と引き継がれた出世番号です。

日本のプロ野球では、高卒か高卒社会人経由の投手がエースを張ることが多いのですが、21世紀入ってからのスワローズでは、青山学院大学出身の石川雅規、日本大学出身の館山昌平、創価大学出身の小川泰弘といったように大卒エースの系譜が出来ているのも大きな特徴です。

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プロ野球 セントラル・リーグの愉しみ(2) ジャイアンツ、タイガース編

※ この記事は2017年12月15日に書かれたものです。


現存するプロ野球チームの中で最長の歴史を誇る読売ジャイアンツ。大日本東京野球倶楽部を前身とし、かつては後楽園球場を、今は東京ドームを本拠地としています。

リーグ優勝回数はセパ両リーグ中ダントツとなる45回、日本一に輝いた回数も22回と他を圧倒しています。

ジャイアンツというニックネームは、当時、アメリカで最も強く、人気もあったニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツの前身)に由来しており、元々は大日本東京野球倶楽部が渡米した際に付けられた臨時名称でしたが、すぐに公式ニックネームに採用されています。

日本プロ野球が発足する際、「プロ野球が世間の信頼を得るためには大学のスター選手を入れないといけない」ということで、早稲田大学の三原修、慶應義塾大学の水原茂を相次いで加入させます。三原と水原は不仲というわけではなかったのですが、のちに三原がジャイアンツを去り、水原が監督に就任したことで、その後長きに渡るジャイアンツの慶応閥が始まりました。

ジャイアンツは好き嫌いは別として日本最高の名門球団であることは間違いないため、名選手が綺羅星の如く並んでいます。沢村栄治、ヴィクトル・スタルヒン、中島治康(日本プロ野球における初代三冠王)、川上哲治(赤バット。打撃の神様)、千葉茂(猛牛)、青田昇、別所毅彦、中尾碩志(初代背番号18のエース。ちなみに左腕である)、藤本英雄(日本プロ野球完全試合達成者第1号)、城之内邦雄(エースのジョー)、金田正一、長嶋茂雄(ミスタージャイアンツ)、王貞治(世界最多本塁打記録保持者)、藤田元司、堀内恒夫(V9のエース。悪太郎)、高橋一三(元祖・左のエース)宮田征典(八時半の男)、江川卓(怪物)、西本聖、原辰徳、桑田真澄、斎藤雅樹(平成の大エース)、槙原寛巳(ミスターパーフェクト)、松井秀喜(ゴジラ)、清原和博、高橋由伸、上原浩治。これらがジャイアンツのユニフォームに袖を通した選手たちです。

永久欠番の数も12チーム最多で、1(王貞治)、3(長嶋茂雄)、4(黒沢俊夫)、14(沢村栄治)、16(川上哲治)、34(金田正一)と実に6つもの永久欠番が存在します。

 

ジャイアンツとの対戦が「伝統の一戦」として盛り上がるのが阪神タイガース。日本で2番目に長い歴史を誇る球団です。本拠地はいわずと知れた阪神甲子園球場。旧称は大阪タイガースであり、大阪の球団というイメージが強いタイガースですが、阪神甲子園の所在地が兵庫県西宮市ということで、保護区域は兵庫県ということになっています。

タイガースというニックネームは、当時、アメリカで強かったデトロイト・タイガースに由来します。

実はジャイアンツの応援歌(「読売ジャイアンツの歌(闘魂込めて)」)とタイガースの応援歌(「阪神タイガースの歌(六甲おろし)」)は作曲者が一緒(古関裕而)だったりします。

大阪を中心に、ジャイアンツと人気を二分しているタイガースですが、必ずしも強いチームというわけでもなく、セ・リーグ制覇は9回あるものの、日本一に輝いたのは1985年のわずか1度だけです。ただその1985年のタイガース優勝は社会現象になりました。

所属選手にも人気者・実力者が並びます。景浦将(沢村栄治のライバル)、若林忠志(元祖背番号18のエース)、藤村富美男(物干し竿)、吉田義男(今牛若丸。ムッシュ)、藤田平、小山正明(針の穴をも通すコントロール)、村山実(ザトペック投法)、江夏豊(シーズン奪三振世界記録保持者)、田淵幸一、掛布雅之(ミスタータイガース)、真弓昭信(史上最強の1番バッター)、岡田彰布、ランディ・バース(史上最強の助っ人外国人)、小林繁、赤星憲広、井川慶、金本知憲、藤川球児、今岡誠、福留孝介、鳥谷敬といった選手が挙げられます。

打高投低のシーズンが多く、1985年の日本一の年もエース不在で、この年のタイガースは今に至るまで「打だけで日本一を勝ち取った唯一のチーム」といってもいいでしょう。

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プロ野球 セントラル・リーグの愉しみ(1) ロビンス、ベイスターズ、カープ編

※ この記事は、2017年12月15日に書かれたものです。

 

1949年12月15日、セントラル・リーグが成立。それまで1リーグ制だった日本プロ野球は2リーグに分裂します。日本プロ野球への新球団参入を認めないチームがセントラル・リーグ(セ・リーグ)を立ち上げたわけですが、数合わせのためもあって、複数の新球団がセ・リーグに加わりました。

セ・リーグ結成時の球団は、読売ジャイアンツ、松竹ロビンス、中日ドラゴンズ、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、広島カープ(現・広島東洋カープ)、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)、西日本パイレーツ(1年限りで活動停止)、そして期限ぎりぎりで加入したのが国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)です。

国有会社である国鉄がプロ野球団を持っていたことを不思議に思う方もいらっしゃると思いますが、さすがに国鉄本体がプロ野球チームを持つことは許されず、国鉄の外郭団体である交通協力会を中心に、鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社(現・JTB)などが親会社になっています。

 

1950年、第1回のセ・リーグ公式戦でチャンピオンに輝いた松竹ロビンスは、実は京都に本拠地を置く球団でした。フランチャイズは衣笠球場。この球場は現在・立命館大学衣笠キャンパスになっている場所にありましたが、今は往時をしのばせるものは何も残っていません。立命館大学衣笠キャンパスは今でも交通アクセスが不便なことで知られていますが、それは昔も変わらず、本拠地球場として登録されていながら、実際はロビンスは難波駅の目の前にある交通至便な大阪球場でホームゲームのほとんどを行っていました。
松竹ロビンスは後に大洋ホエールズと合併します。

その大洋ホエールズ。大洋漁業を親会社とするチームで、当初の本拠地は山口県下関市に置かれていました。ホエールズは3年間、下関市営球場(現存せず)でホームゲームを行っていましたが、松竹との合併により、本拠地を大阪球場に移転。更に川崎球場時代を経て、現在の横浜スタジアムを本拠地とするに至っています。
大洋ホエールズはとにかく弱い球団でした。1960年に、知将・三原修の三原マジックによりセ・リーグ制覇と日本一を達成しますが、その後は鳴かず飛ばず状態。カミソリシュートでお馴染みの平松政次が長年に渡ってエースを張り、通算201勝で名球会入りを果たしていますが、平松は優勝の経験がありません。名球会入りしている投手でリーグ優勝経験がないのは平松一人だけです。

今も記憶に新しい1998年。権藤博監督率いる横浜ベイスターズはマシンガン打線と呼ばれた強力打撃陣と、「ハマの大魔神」こと佐々木主浩を守護神とした投手陣の踏ん張りで38年ぶりのセ・リーグ制覇を達成。日本シリーズでも西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)を4勝2敗で下して日本一に輝きました。この1998年の横浜ベイスターズの快進撃は社会現象となり、1998年は「横浜ベイスターズの年」として記憶されているといっても過言ではないほどです。

横浜の市民球団を目指していた横浜ベイスターズですが、TBSが撤退し、DeNAが親会社となることで横浜市民球団としての色彩は後退しました。ただDeNAは野球に力を入れており、ファンも増加。今年、2017年にはリーグ3位ながらクライマックス・シリーズを勝ち上がって日本シリーズに進出。福岡ソフトバンクホークスに敗れはしたものの、健闘は称えられました。

大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズの名選手というと、先に挙げた平松政次が第一に挙がるでしょうが、「ハマの番長」として横浜ファン以外にも愛された三浦大輔、「ハマの大魔神」佐々木主浩、ウォーレン・クロマティに「メジャーでも通用する」と断言された遠藤一彦、打者ではスーパーカートリオと呼ばれた俊足の高木豊、加藤博一、屋敷要が有名です。

 

日本初の市民球団として知られるのが広島東洋カープです。広島市と広島県をフランチャイズとして、かつては広島市のど真ん中にあった広島市民球場、現在はメジャーリーグの球場を参考にしたマツダズZoomZoomスタジアム(新・広島市民球場)を本拠地としています。

創設に当たって樽募金が行われたことが有名ですが、この樽募金は実は今も続いています。

カープな長年に渡ってセ・リーグのお荷物扱いされていましたが、1975年に古葉竹織監督の下で初優勝。この広島カープ初優勝も社会現象になりました。ただ日本シリーズでは阪急ブレーブスに敗れています。

カープが日本一に輝いたのは、1979年のことです。3勝3敗で迎えた日本シリーズ最終戦。舞台は今はなき大阪球場ですが、ここで今も語り草になっている「江夏の21球」がありました。1点リードで迎えた9回裏、広島の守護神となっていた江夏豊がノーアウト満塁のピンチを招きながら一死後、スクイズをカーブの握りのまま外すという離れ業で三塁ランナーをタッチアウトとして二死。そして石渡茂を空振り三振に切って取り、日本を決めました。

広島東洋カープは1980年代には投手王国を築いて常勝球団となりましたが、1991年の優勝を最後にリーグ制覇から遠ざかり、2016年に実に四半世紀ぶりのセ・リーグ王者となっています。

広島の名選手というと、ともに名球会入り&永久欠番となっている「ミスター赤ヘル」山本浩二(背番号8)と「鉄人」衣笠祥雄(背番号3)が双璧でしょう。山本浩二はオールスターでのホームランが14本で歴代1位、衣笠祥雄は連続出場試合日本記録保持者です。

投手で鮮烈な記憶に残っているのは、「炎のストッパー」津田恒実(津田恒実)。全球ストレート勝負で三球三振に打ち取られたバースは、「津田はクレージーだ」という言葉を残しました。

投手王国と呼ばれた時代の広島には、その他にも「精密機械」北別府学、「月に向かって投げる」大野豊、「奪三振マシーン」川口和久ら錚々たるメンバーが揃っていました。比較的最近の選手として大きな業績を残した投手に、前田健太、黒田博樹(背番号15は永久欠番に)らがいます。

打者では、「天才」前田智徳、「曲者」達川光男、そして今では「史上最強のセカンド」菊池涼介や「神ってる」鈴木誠也がカープの顔となっています。

カープの野球は伝統的にディフェンス重視で、レベルの高い投手と守備陣で失点を最小限に抑える野球を行う傾向にあります。

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