150キロを超える快速球を武器に、「炎のストッパー」と呼ばれ、広島カープのリリーフエースとして活躍しながら、脳腫瘍のためにわずか32歳で他界した津田恒美(登録名は昭和60年より津田恒実)投手の人生を追った、NHKスペシャル「もう一度、投げたかった」の文庫化『もう一度、投げたかった 炎のストッパー津田恒美最後の闘い』(幻冬舎文庫)を紹介します。
NHKプロデューサーであった山登義明と、同じくNHKのディレクターであった大古滋久の共著。
昭和35年8月1日、山口県新南陽市(現在の周南市)和田に生まれた津田恒美は、長身と強力な背筋、更には後方に60°以上反るという右手中指のスナップを生かした速球を武器に、南陽工業高校を甲子園に導き、協和発酵を経て広島東洋カープにドラフト1位で入団します。
球団創設以来、まだ一人も新人王のタイトルホルダーを出していなかった当時の広島カープにおいて、津田は新人王獲得を至上命題とされ、見事にそれに応えてみせます。
しかし、速球派投手ならではの肩の故障。更には人並み外れた速球を生み出す秘密であった柔軟な中指を持つが故の血行障害など、何度も苦境に立たされました。
高校時代には「ノミの心臓」と呼ばれ、プロ入り後も自身の気の弱さに悩まされながらも、中学時代にコーチを受けた、早稲田大学の投手・道方康友から授けられた「弱気は最大の敵」という言葉を胸に刻み、逆境を乗り越えていきます。
しかし平成3年、30歳の津田を悲劇が襲います。春先から頭痛に悩まされ、そのシーズンの初登板となった4月14日の対巨人戦でKO。シーズン開幕前から晃代(てるよ)夫人に体調不良を訴えていた津田は、翌15日に検査を受け、脳腫瘍であることがわかります。
気の弱い津田に本当の病名を打ち明けられない晃代。何とかごまかし続けますが、2ヶ月後に限界を感じ、津田に本当の病名を打ち明けます。その瞬間、津田は子供のように泣き崩れたといいます。
気の弱さから生きることを諦めかけた津田。しかし、晃代夫人の献身的な看護に支えられているうちに、病気と闘っていくことを決意します。
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