カテゴリー「文学」の57件の記事

2008年12月25日 (木)

「青い紅玉」

子供の頃はシャーロック・ホームズ・シリーズが好きでした。今でも嫌いではありませんが。

クリスマスシーズンになると『シャーロック・ホームズの冒険』に収録された「青い紅玉」という短編を思い出します。クリスマスに食べられるガチョウを利用して、盗んだ「青い紅玉」という貴重な宝石を運ぼうとする事件を扱ったものです。

ところで、紅玉というのはルビーのことで、ルビーと同じ元素で青い宝石のことをサファイアといいます。だったら、「青い紅玉」はサファイヤのことになってしまうじゃないか、特に貴重ということでもないじゃないか。
ということで、最近では「青い紅玉」は誤訳ということになり、「青いガーネット」という訳が用いられるようになっています。

それはともかくとして、ホームズがわざと賭に負けて真相を掴みだし、一人笑い転げるシーンはとても印象的です。

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2008年12月13日 (土)

わたしがさびしいときに

“わたしがさびしいときに、ほとけさまはさびしいの”

金子みすず(金子みすゞ)の「さびしいとき」という童謡の一節です。

金子みすゞは浄土真宗の檀徒(門徒)で、浄土真宗(や浄土宗)の「ともいき」の思想が出ていると見ることも出来ます。

それはそれとして、他者と感情を共有できる動物というのはあるいは人間だけなのかも知れません。共感する能力というのは実はかなり高度なものなのかも知れないですね。

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2008年11月22日 (土)

太宰治 『直筆で読む「人間失格」』(集英社新書ヴィジュアル版)

「おうとうき」というタイトルのブログなのに、太宰治について触れた記事が少ないというのは我ながら不当な気もします。ということで紹介します。集英社新書ヴィジュアル版から出たばかりの『直筆で読む「人間失格」』。

美知子夫人により保存され、その後、日本近代文学館に寄贈された、「人間失格」の太宰治の直筆原稿を撮影し、本としてまとめたものです。

太宰治 『直筆で読む「人間失格」』(集英社新書ヴィジュアル版) 太宰治の「人間失格」。生涯に一度は読んでおくべき本の筆頭に来るほどの傑作ですが、その傑作を太宰本人の筆跡によって味わうことの出来る日が来ようとは。そして、その『直筆で読む「人間失格」』の出版されるまさにその時代に生きることが出来たというのは、私にとってのささやかな幸せです。

さて、この「人間失格」。陰惨なストーリーを持つものと評価が定まっていますが、今回、久しぶりに読み返してみて、通説とは違った解釈が出来るようにも思えました。小説の冒頭で示される有名な三葉の写真の描写。これは大庭葉蔵の手記を手にした、ある小説家が書いたものですが、この「醜い」「不思議」「奇怪」と称された写真が、実は、大庭葉蔵が描いたとされる「お化けの絵」に通じているのではないかということです。「お化けの絵」は葉蔵のお道化を見抜いた竹一なる少年が、ゴッホやモディリアーニの絵を評して言った言葉です。ゴッホもモディリアーニも真実を見抜く目を持った天才画家であり、その絵は、一瞥しただけではわからない真実を描写しています。ということは、葉蔵の写真を見た作家は、それを「醜い」「奇怪」だと思ったけれども、それは作家がそう見ただけで、あるいはこの作家は本当のことを見抜く目のない人物だった可能性も指摘できます。

この三葉の写真のエピソードが冒頭置かれているために、カモフラージュされた格好になっていますが、大庭葉蔵なる人物は極めて頭の切れる男です。特にその観察眼、人間の本質を見抜く目は尋常ではありません。葉蔵の人間批評の一つ一つが的を射ており、その批評される人間に読者も含まれますので、あるいはカモフラージュが行われているのかも知れませんが、葉蔵が見た「人間」こそが実は奇妙な存在であり、実際に堀木正雄やヒラメと称される渋田などはあまりにも俗な「人間」として描かれています。一方、堀木やヒラメは処世術に長けた人物でもあります。しかし葉蔵は堀木やヒラメなどに本心からの愛情を抱くことはなく、彼が愛したのは、どこか浮き世を超越したところのある女達でした。

「人間失格」は確かに重い話です。「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました」という言葉も痛烈です。実際、葉蔵はアルコールに溺れ、モルヒネ中毒になり、廃人となりますが、葉蔵の手記の最後の部分に感じられる彼岸の境地ともいえる不思議な明るさは何なのでしょうか。そして太宰が、「所謂「人間」」という言葉を敢えて用いている意味深さ。

所謂「人間」は、「世間」や「社会」の、音楽でいうコードの中で生きています。そのコードの中では「欲望」や「処世術」が幅を利かせています。俗なものです。コードから外れたメロディが時として効果を上げることがあるように、俗な「人間」から外れることに意味があるとしたのなら。もちろん、葉蔵は上手にそれを成し遂げることは出来ませんでした、彼は「人間」に合わせようとして墜落したのです。しかし、そのことで訪れるユーモアと平安に満ちた悟りのような心持ち(「Let it be」のようです)。これは小説の最後に出てくる「神様」「天使」という言葉に繋がってはいないでしょうか。

人間を失格すべきではないでしょう。しかし「所謂人間」からはあるいは失格もまた尊い、尊いというのは行きすぎにしても、一つの手であるというコード(これは音楽のコードではありません)が透けて見えてはこないでしょうか。
合わせるのではなく、あるがままに生きる。

太宰治 『直筆で読む「人間失格」』(集英社新書ヴィジュアル版) 紀伊國屋書店BookWebト

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2008年10月 5日 (日)

京都の文学青年の夢

京都に住む文学青年の夢。それは梶井基次郎の小説「檸檬」の舞台となった京都の丸善にレモンを置いてくること。

ということで数年前に私もやりました。

京都・丸善で梶井基次郎の真似をする

「檸檬」の主人公がレモンを買った寺町二条の八百卯でレモンを買い、ちゃんと丸善の画集売り場に行って、画集を積み重ねて(さすがに堆く積み上げることは出来ませんでしたが)上にレモンを乗せました。店員さんが、「ああ、またやってるのがいるな」という感じで見ているのがわかりましたが。

今は京都の丸善は閉店してしまったので、京都の文学青年の夢が一つ消えてしまったことになります。

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2008年8月16日 (土)

よくわからない歌詞(4) 「肩たたき」

西条八十作詞の「肩たたき」

“母さん お肩をたたきましょ タントンタントンタントントン”

何故最後だけ同じ方を2回叩くのだ?

「タン」が右、「トン」が左だとすると、「右左右左右左左」となってしまうではないか。

まあ、これは次の「タントンタントンタントントン」で、「タン」を左、「トン」を右にすると回数は合うのでそれでもいいということにしよう。

“母さん白髪がありますね タントンタントンタントントン”

余計なお世話じゃないか。せめて、“母さん白髪がありますね 抜いてあげましょタントントン”ぐらいじゃないと親孝行な感じがしないではないか。

ちなみに、“真っ赤な罌粟(けし)が笑ってる”のところを題材に、村上春樹が短編小説(というより掌編小説かな?)を書いている。結構面白い。

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2008年6月22日 (日)

『蟹工船』と『戦艦ポチョムキン』

プロレタリア文学の最高峰であり、最近再び注目を浴びている小林多喜二の『蟹工船』。カムチャッカ(作品中ではカムサツカ)沖で蟹漁を行うオンボロ工場船における労働者の悲惨としかいいようのない待遇と、上官(特に浅川監督)の人を人とも思わない非人間性を渾身の筆で描き抜いた作品です。

小林多喜二 『「蟹工船」「一九二八・三・一五」』(岩波文庫) 蟹工船には即戦力になるよう、農村から学のある真面目な若者を労働者として雇っていましたが、若者は学があるために「ストライキ」なるものを漁夫に教え、広め、船員達はストライキを敢行。一応の成功を見ます。しかし……。

岩波文庫に併録されている「一九二八・三・一五」では、共産主義のために活動している個々や団体に焦点を当てて書いた小林多喜二ですが、「蟹工船」は、それとは真逆の群衆劇であり、労働者側の個々の個性がなるべく目立たないように工夫されています。

附記という形で語られるストライキの顛末が楽天的に過ぎるのではないかという弱点はありますが、執筆当時25歳だった小林多喜二としては会心の出来だったと思われます。資本家のみならず、帝国主義の軍隊、全体主義の大日本帝国の国策、更には「献上品」の蟹という形で出てくるトップへの批判など、相当の勇気を持って書かれた作品であり、視野の広さという点において、私小説的なものから抜け出せなかったそれまでのプロレタリア文学から一歩進んだ小説であるといっていいでしょう。

『蟹工船』とよく似た設定を持った映画として多くの人が思い浮かべるのが、世界映画史上屈指の名作として知られる『戦艦ポチョムキン』。実際にあった事件を基にして作られた映画であり、監督は「モンタージュ理論」の完成者として知られるセルゲイ・エイゼンシュタイン。1925年のサイレント作品ですが、本国であるソビエトでも検閲に次ぐ検閲で満足に上映されないという状態でした。日本で上映されたのは第二次大戦が終わってから。ということで、設定は似ていますが、小林多喜二が『蟹工船』のモデルとしたという事実はありません。

DVD『戦艦ポチョムキン』 しかしエイゼンシュタインもソ連のプロレタリア芸術協会の会員であり、世界中で資本階級と労働者階級の軋轢が露見しつつある時代であったということもあり、『蟹工船』と『戦艦ポチョムキン』のシンクロニシティは必然として起こったと見ることも出来ます。

『戦艦ポチョムキン』は、1905年に起こった「ポチョムキンの反乱」を題材として撮られた映画であり、ウジのわいた肉を食べさせられるなどした水兵達が不満を爆発させ、ストライキを決行。上官達は水兵達を抑えつけようとし、銃殺までしようとしますが、最後は水兵側が勝利。
映画のラストでも水兵の勝利が描かれていますが、これは史実ではなく、実際は、反乱を起こした水兵達は死罪に処せられました。

IVCから出ている「戦艦ポチョムキン」のDVDには、なつかしの淀川長治による解説が収められています。

小林多喜二 『蟹工船 一九二八・三・一五』(岩波文庫) 紀伊國屋書店BookWeb

Antonov / Eizenstein/戦艦ポチョムキン Bronenosets Potyomkin

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2008年6月 6日 (金)

フランス語が出来ないのに「ミラボー橋」を訳したこと

フランスの詩人、ギョーム・アポリネールの「ミラボー橋」という詩が好きで、もう4年も前になりますか、フランス語の原文からの翻訳を試みたことがあります。私は大学時代の第二外国語として中国語を取っていたので、フランス語を学んだことは1秒たりともないのですが、仏和辞書を引きながら訳してみました。なんでそんなことをしたのかというと、堀口大学らが訳した既成の訳文が気に入らなかったからで。

翻訳後、大学のフランス語の先生に見て貰ったのですが、翻訳として問題はないそうなので、「猫町通り通信」に載せました。それから随分時間が経ったのですが、ふと、「鴨東記」にも載せてみようと思い、アップしてみました。七五調を取り入れた翻訳です。

「ミラボー橋」 ギョーム・アポリネール

ミラボー橋の下、セーヌは流れる。
我らが恋もまた然り。
この恋の意味を忘れない。
喜びは悲しみを越えた後に。

夜よ来たれ、鐘よ鳴れ。
日々は過ぎ去り残るのは、
ここにいる我一人のみ。

手に手を重ね見つめ合う、我らが下を
腕で作った橋のもとを、永遠の視線を、疲れきった波は流れる。

夜よ来たれ、鐘よ鳴れ。
日々は過ぎ去り残るのは、
ここにいる我一人のみ。

恋は水と流れ散る。
恋は去った。
人生はかくもゆっくり流れ、
希望だけが激しく燃える。

夜よ来たれ、鐘よ鳴れ。
日々は過ぎ去り残るのは、
ここにいる我一人のみ。

日々はゆき、幾週も経て、
時は過ぎ去り、恋もまた、もはや戻ることはない。
ミラボー橋の下、セーヌは流れる。

夜よ来たれ、鐘よ鳴れ。
日々は過ぎ去り残るのは、
ここにいる我一人のみ。

日本語訳:本保弘人

京都には鴨川という絵になる川があるので、「ミラボー橋」の世界もヒシヒシと感じることが出来ます。東京には隅田川、大阪にも淀川という、やはり絵になる川があるので、橋の上に立って「ミラボー橋」の世界を感じてみるのもいいかも知れないですね。

生まれ故郷の千葉市には、都川や葭川(よしかわ)といった、千葉市民しか知らない小さな川しか流れていないので、「ミラボー橋」の世界を味わうのは難しいかな。行政区の名の由来になっているので少しだけ有名な花見川は、水源である印旛沼の出水口が閉じられているので流れていないし。
語感だけなら、「君待橋(きみまちばし)の下、都川(みやこがわ)は流れる」はなかなか良いと思うのですが。

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2008年5月24日 (土)

『ロルカ詩集』(土曜美術社出版販売)

詩が好きにとってはおなじみの、土曜美術社出版販売から出ている『ロルカ詩集』を紹介します。世界現代詩文庫の第21巻として出ているもの。小海永二:訳。

『ロルカ詩集』(土曜美術社出版販売) 小海永二:訳 20世紀のスペイン詩壇を一人で代表しているといっても過言ではない、フェデリコ・ガルシア・ロルカ。
1898年にアンダルシア地方のグラナダ近郊に生まれ、グラナダ市、マドリッド、ニューヨーク、キューバなどで生活。
スペインに戻ってからは、素人劇団を立ち上げて、主に劇作家として活躍しています。

しかし、この素人劇団が左派であった共和政府からの援助を受けていたため、フランコが独裁政権を築くと同時に、ロルカは左派知識人として追われることになり、グラナダの友人宅に潜んでいるところを見つかって、すぐそばのオリーブ畑で銃殺されました。時に38歳。

フランコ政権下のスペインでは、ロルカ作品は発禁となり、長い間読むことが出来ませんでした。
沢木耕太郎の『深夜特急』にも、スペインを訪れた沢木が、「ロルカの詩を読むことは出来るのか?」と現地の人に訊いて否定される場面があります。

濃厚なスペイン情緒とダダイズムなどの影響も受けたロルカの詩。わかりやすい詩とイメージ連鎖が必要な難解な作品が混在していますが、難解なものでも声に出して読んでみると、案外すっと体と心に染み込んでくるところがあり、そこが魅力です。

『ロルカ詩集』(世界現代詩文庫 土曜美術社出版販売) 紀伊國屋書店BookWeb

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2008年5月20日 (火)

『求めない』 加島祥造

現代社会は、消費社会であり、消費のために人々は追い立てられています。曰く「~がないと時代に乗り遅れます」、曰く「~があると便利です」、曰く「~なしではもうこれからは通用しません」等々。

さりながら、そうした大きな流れに乗ることで我々は我々自身を見つめる目を曇らせてしまうことが往々にしてあります。加島祥造の詩集『求めない』(小学館)には、そうした大きな流れの中で、あらゆることを求めすぎている自分を見つめ直すのに最適な言葉が散りばめられています。

加島祥造 『求めない』 とてもシンプルな言葉がならんでいます。難しいことは一切書かれていません。しかし、その言葉を読んでいく内に、これまで見聞きしたこと、読んだこと考えたこと、そうしたあらゆる記憶が繋がっていく心地よさがあります。人間なら誰でもこうした繋がりを見つけられるはずです。

求めるという行為には求めて当然という思いがあり、求められるのは求めたことの代償という考えがあり、しかし、それらは極めて産業構造的な考えです。

求めると見えない、それは求めるときは求めるものだけに目を配るからで、ある種の豊饒さから目を背けたことの結果でもあるわけです。

ここにあるものだけでなく、「外のもの」に引きずり回される。あるいはありもしないものに追い立てられる。それは現代人、いや現代に限らず人間の宿命なのかも知れず、それが故に宗教や思想(『求めない』には仏教や老荘思想に通ずるものが多くあります)を生んだのでしょう。
「外のもの」に消費されることだけが人生の在り方なのか。求め、求められという循環の中で生きていることで、本当に大切なことから目を背け、その周囲で延々とデッドヒートを繰り広げる羽目になっていはしないか。

そういう思いに駆られたことのある方に読んで貰いたい本です。

加島祥造/「求めない」加島祥造

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2008年3月 5日 (水)

好きな短歌(29)

しら鳥は哀しからずや空の青 海のあをにもそまずただよふ 若山牧水

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2008年2月24日 (日)

好きな短歌(28)

君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ 北原白秋

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2008年1月14日 (月)

好きな短歌(27)

やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに 石川啄木

この短歌を読むと、シューベルトの歌曲「菩提樹」を連想します。いつの時代でもどこの国でも人間の感情は似通っています。

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2007年12月 4日 (火)

街の想い出(18) 横浜その2 中島敦文学碑

横浜市を初めて訪ねたのは1991年、高校2年生、16歳の春のことだった。横浜市は東京湾を挟んで、私が住んでいた千葉市のほぼ対岸にある。この対岸にあるというのがネック(というのかどうか)になって、それまで私は横浜に行ったことがなかったのだ。

千葉から横浜に行くには総武快速・横須賀線を使えば電車一本で済むのだが、横浜に着く前に東京がある。東京があるなら横浜まで行く必要はほとんどない。ということで、同じ南関東に住みながら、16歳になるまで私は横浜に行ったことはなかったのである。

遠足、というのだろうか、高校2年の時に学年全員で日帰りの旅行をするという習慣が私の高校にはあった。そして私が高2の時の遠足の目的地が横浜であり、それが私の横浜初体験となったのである。

普通、千葉から横浜に行くにはバスを使う。しかしその時は普通ではなかった。フェリーをチャーターして、千葉港から横浜港に向かったのである。海上を行くのだから、千葉から神奈川まで一直線、東京に寄る必要はなかった。

横浜に着いた私が一番最初に向かったのが元町幼稚園。「山月記」、「李陵」などの作品で知られる中島敦が教師として働いていた私立横浜高等女学校の跡地が元町幼稚園であり、敷地内に中島敦文学碑が建っているのである。幼稚園の敷地内に文学碑が建っているというのもどうかと思うが(幼稚園内に入るにはそこそこ勇気がいる)、高校2年生で、初めて横浜に行って、一番の目的というのが中島敦文学碑を見ることという当時の私も今になってみればどうかと思う。しかし、それなりに複雑な高校生活を送っていた私にとって、自意識の問題について書き続けた中島敦は共感できる存在であり、横浜の中島敦文学碑を訪ねてみたいと前々から思っていたのである。

幼稚園の敷地の一番奥に中島敦文学碑はあった。よりによって一番奥に建てることもないと思う。余計入りにくい。おまけに校庭(園庭)では園児が遊んでいる。こんなところに入って行っても良いのだろうか。しかし、「碑を見たい」と幼稚園教諭にいうと、あっさり通してくれた。私は高校の制服を着ていたし、悪い生徒にも見えなかった(はずだ)。今の時代は違う。幼児を襲う犯罪が起こり、高校生といえども幼い子に危害を加える可能性を否定出来ない時代、幼稚園教諭も気軽に通してはくれないかも知れない。

中島敦文学碑を間近で見て、かって中島敦がこの地にいたのだと思うと何となく頬がゆるんだ。憧れの作家の故地を訪ねるのはやはりいいものである。

街の想い出(18) 横浜その2 中島敦文学碑(写真は文学碑ではなく元町幼稚園の外にある説明板)

最初に中島敦文学碑を訪ねてから16年が経った今年(2007年)7月、私は、再び横浜の元町幼稚園を訪れた。生憎土曜日であり、幼稚園は休みで、文学碑を間近で見ることは出来なかった。

そして今年11月、私は33歳になった。中島敦が喘息の発作で亡くなった歳に並んでしまったのである。

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2007年12月 3日 (月)

好きな短歌(26)

熟田津に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王

熟田津(にきたつ)は今の愛媛県松山市付近だという。
のちに白村江の戦いの名で知られることになる新羅征討(大和朝廷と百済王朝の遺臣連合軍は、新羅・唐連合軍の前に惨敗した)のための戦いに出る大和朝廷軍を勇気づけるための歌とされる。女性的な柔和な言い回しと勇ましさを兼ね備えた名歌。

額田王は、中大兄皇子(葛城皇子。のちの天智天皇)、大海人皇子(のちの天武天皇)の兄弟両方から愛された女性として知られる。

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2007年11月19日 (月)

好きな短歌(25)

心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行

いわゆる三夕(「秋の夕暮れ」で終わる三つの歌)の一つ。三夕の中では唯一、秋の夕暮れの美しさを歌った歌です。

「心なき身にはあはれは知られけり」は勿論謙遜です(本当はこんなことは書くまでもないのですが)。

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2007年10月21日 (日)

ヘンリック・イプセン 戯曲『ペール・ギュント』

ノルウェーを代表する劇作家ヘンリック・イプセン。「人形の家」、「幽霊」、「野鴨」などと並ぶ彼の代表作に「ペール・ギュント」があります。
劇作にも生活にも行き詰まりを感じていたイプセンがイタリア滞在中に書いた「ペール・ギュント」。しかしこの戯曲は上演を前提としていない安楽椅子の演劇(読む戯曲、レーゼ・ドラマ)として書かれました。

ノルウェーの片田舎に生まれたペール・ギュントは、嘘つきで女たらしというろくでもない男。結婚式で花嫁をさらってしまったことから村に戻れなくなったペールは、世界中を旅することになります。ノルウェーの山の中でトロルの娘と結婚させられそうになり、モロッコでは仲間に裏切られ 、アラビアでは予言者として迎えられるもやはり一波乱あり……、というように、舞台が次々と移るため、上演のための台本としては向いていません。

イプセン 戯曲(劇詩)『ペール・ギュント』

イプセンも上演許可を出す気はありませんでしたが、クリスチャニア(現在のオスロ)の劇場がどうしても上演したいというので、モロッコとアラビアを舞台とした第4幕を音楽で処理することを提案したのち、上演許可を出しました。劇付随音楽の作曲を依頼されたのは、当時のノルウェーの国民的作曲家エドヴァルド・グリーグ。しかしグリーグは第4幕を音楽で処理することに難色を示し、結局、セリフはほとんどカットされずに上演はなされました。結果として、グリーグの音楽だけが大成功して彼の代表作となり、舞台作品としての「ペール・ギュント」の評判は芳しくありませんでした。

しかし、人生に関する様々な示唆に富んだわかりやすい物語として、「ペール・ギュント」は読む分には十分に面白い話です。

「ペール・ギュント」は最近まで、『イプセン全集』に収録されたもの以外は手に入れにくかったのですが、イプセンの没後100年に当たった昨年、論創社から毛利三彌訳の単行本が出版されました。1978年、千田是也演出による新劇合同公演のための上演用台本として訳されものが基であり、完全版ではありませんが、「ペール・ギュント」という作品の持つ面白さを十分に味わうことが出来ます。

ところで、「ペール・ギュント」は演劇の上演よりも、映画の原作に向いているように思えるのですが……。今のところ、映画として制作され、大々的に上映されたという話はなぜか聞きません。
実写にしたら面白くないかも知れませんが、アニメ映画なら結構なものが出来上がるような気がするのですが。

ヘンリック・イプセン 戯曲『ペール・ギュント』 毛利三彌:訳 (論創社)   紀伊國屋書店BookWeb

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2007年9月28日 (金)

好きな俳句(4)

露の世は露の世ながらさりながら 小林一茶

愛嬢をわずか1歳で亡くした時に詠んだ歌。悲しみ、無念の思い、生命の儚さ、世の残酷さを僅か17文字で最大限に表した傑作。

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2007年9月23日 (日)

好きな短歌(24)

大江山生野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立 小式部内侍

小式部内侍は、和泉式部のお嬢さんです。若くして歌の名手として名を馳せましたが、あまりの上手さに、「実は母親の和泉式部に歌を作ってもらっているのさ」という代作説が出ていました。

和泉式部が夫と共に丹後国(天橋立がある)に赴任していた時のこと、朝廷で歌合わせの会があり、小式部内侍も出席しました。小式部内侍の歌は母親の和泉式部の代作なのでは、と疑いを持っていた藤原定頼が、「お母さんからの手紙は読まれましたかな」と暗に「手紙に歌が書かれているのだろう」という意味を込めた意地悪な質問をしたところ、小式部内侍が即座に読んだのが、上の歌。

生野は「行く野」、「ふみもみず=踏みもみず」は「文も見ず」の掛詞。才気溢れる歌です。

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2007年9月19日 (水)

好きな俳句(3)

無残やな甲(かぶと)の下のきりぎりす 松尾芭蕉

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2007年9月 9日 (日)

菊の歌

秋の菊にほふ限りはかざしてむ 花よりさきと知らぬ我が身を 紀貫之

心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花 凡河内躬恒

秋に咲き秋に散りゆく菊の花 盛りを知らず行く人思う 愚作

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2007年8月30日 (木)

Yahoo!無料ゲーム 「文学検定クイズ 文学ノススメ」

Yahoo!の無料ゲーム「文学検定クイズ 文学ノススメ」をやってみました。文学に関する知識兼雑学問題。

http://games.yahoo.co.jp/games/flash/quiz_bungaku/

30問、三択形式の出題ですが、私の結果は25問正解の偏差値64。文学部助教授レベル。
文学部を出ていて偏差値64じゃちょっと低いな。まあ、知識問題だからよしとするか。しかし、今は助教授じゃなくて、准教授といういい方になったんじゃなかったっけ、と負け惜しみを言ってみる。

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2007年8月10日 (金)

ご先祖様は帰ってこない

我が家の宗派は真宗(浄土真宗)大谷派です。京都七条烏丸の東本願寺(真宗本廟)を本山とする一派です。

浄土真宗が他の仏教の宗派と違うところは、「お盆だろうが何だろうが、先祖の霊が帰ってくることはない」という考え方を持つところです。そもそも浄土真宗は霊の存在を否定しています。浄土真宗のお盆は、お彼岸と同様で仏になった先祖に感謝するための行事であります。霊は帰ってこないので、迎え火や送り火の習慣もありません。

熱心な浄土真宗(本願寺派)の信者であった童謡詩人の金子みすゞは、「海へ」という作品の一節で海の向こうを彼岸に例え、“海のむこうは/よいところだよ、みんな行ったきり/帰りゃあしない。”と書いています。

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2007年8月 1日 (水)

子供の視点に戻って見た世界 谷川俊太郎詩集『はだか』

谷川俊太郎が、子供の視線に戻って世界(子供の世界、大人の世界、家族、学校、友達、自分自身)を再構成してみせた詩集『はだか』を紹介します。佐野洋子の絵入り。筑摩書房刊。

谷川俊太郎詩集『はだか』

『はだか』は、子供を主人公とし、全てひらがなを用いた23編の詩から成っており、難解な表現も一切出てきませんが、それでいて奥深さを感じさせる詩集です。

大人が忘れがちな、あるいは気付かないか気付いていても通り過ぎてしまうような感情を平易な言葉を使って鋭くついてくる、愛らしく、時に怖ろしくもある詩が並んでいます。

なお、『はだか』に収録されている6編の詩(「むかしむかし」、「おじいちゃん」、「おばあちゃん」、「おとうさん」、「おかあさん」、「とおく」)は、武満徹最後の管弦楽曲となった「系図 Family Tree  ~若い人のための音楽詩」の朗読部分に(一部を変更して)使われています。

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2007年7月17日 (火)

好きな短歌(23)

韓衣(からころも)裾にとりつき泣く子らを置きてそ(ぞ)来(き)ぬや母(おも)なしにして 防人歌

白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れた大和朝廷は、新羅と唐の侵攻に備え、九州に太宰府、水城(みずき)、大野城を築き、さらに防人を置いて警護に当たらせました。防人は義務であり、庶民は拒否することは出来ません。ということでこうした悲惨な状況も生まれることになったのです。悲しみが良く表れた歌です。

(韓衣<大陸風の衣装のこと>は「裾」、「着る」などの枕詞で、特に深い意味はありません)

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2007年6月18日 (月)

新川和江詩集 『わたしを束ねないで』

新川和江(1929- )の書いた詩を、「女の一生」をテーマに編んだ詩集『わたしを束ねないで』を紹介します。童話屋という出版社から出ているもの。

新川和江 『わたしを束ねないで』 茨城県結城市に生まれ、結城高等女学校在学中から詩作を開始、西条八十などに師事した新川和江。優しさに満ちた分かり易い言葉で、世界を再編、若しくは激変させてみせる詩人です。

学校の教科書などにも採用されている表題作を始め、代表作の一つである「比喩でなく」、我が子への激烈な愛を感じさせる「赤ちゃんに寄す」、詩への思いを綴った「母音」、「さういう星が…」、「お米を量る時は…」、「足の悪い子供が…」など、女性的な優しさと強さと儚さを兼ね備えたしなやかな言葉の数々を備えた詩が、読むものの心に水のようにそっと満ちてきて、渦潮のように激しく独自の世界へと引き込んでいきます。

一見強靱に見える現実社会の前に疲れたときに、手を伸ばして欲しい詩集です。

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2007年6月14日 (木)

好きな短歌(22)

鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな 与謝野晶子

鎌倉は高徳院の大仏を詠んだ歌です。大仏を美男と呼ぶ斬新さが光ります。
しかし残念なのは鎌倉の大仏は釈迦牟尼ではなくて阿弥陀如来なのですね。与謝野晶子の勘違いとされています。かといって、「鎌倉や御仏なれど阿弥陀様 美男におはす夏木立かな」ではクオリティが下がる気もします。

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2007年5月27日 (日)

百人一首の日

本日5月27日は「百人一首の日」なのだそうです。

藤原定家が小倉山荘で選んだ「小倉百人一首」ですが、必ずしもその人の代表作が選ばれているわけではなく、出来の悪い歌もあります。

例えば、

吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ(文室康秀)

意味:「吹いたとたんに秋の草木の萎れるので、山からの風を嵐というのだろう」
だから何だという内容の歌です。文室康秀は六歌仙の一人として有名ですが、女好きで小野小町に懸想したりしています。また、文室氏は蝦夷征伐に功を成した武門系の一族で、文化人の藤原定家からすると、「野蛮な一族の出」であり、気に入らなかったのでしょう。もっと良い歌もあるのに、こういう歌を敢えて選んだのも嫌がらせでしょうか。

もう一首、

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山(持統天皇)

意味:「春が過ぎて夏が来たようですねえ、真っ白な衣を天香具山に干しているようなので」
春が過ぎたら夏なのは当たり前だろ、ということで技巧的にどうかと思われる歌です。

タレント・神田うのの名前の由来として有名な(?)鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)こと持統天皇ですが、このお方、結構な暴君です。特に息子の草壁皇子を皇太子にするために、最大のライバルであった大津皇子を讒謗によって死に追いやる様などは残酷という他ありません。こういうタイプの女性は定家は嫌いだったのではないでしょうか。出来の悪い歌を載せるというのはやはり嫌がらせでなのかも知れません。定家の時代には皇室は天智系に移って久しく、天武天皇と並んで天武系最高の天皇であった持統天皇に対するイメージは芳しからぬものがあったと思われます(ちなみに「小倉百人一首」の第一首は天智天皇作のなかなか良い歌。そして第二首が持統天皇作のいまいちな歌です)。

ちなみにここに載せた持統帝の歌は定家による改作で、元の歌は、

春すぎて夏きたるらし白たへの衣乾したり天の香具山

多分、これは叙景詩ではないでしょう。天下盤石となり、盛りを迎えた天武系王朝を歌ったものだと思われます。この自信溢れる歌を、定家の時代の流行りとはいえ軟弱なものに変えてしまったのは、定家が何らかの意図を持ってしたことなのでしょうか。

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2007年4月25日 (水)

好きな短歌(21)

人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾が行く道を吾は行くなり 西田幾多郎

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2007年4月14日 (土)

谷川俊太郎 『ことばあそびうた』

谷川俊太郎の子供のための詩集『ことばあそびうた』(福音館書房)を紹介します。子供のための詩集ですが、子供のためだけの詩集ではなく、大人も楽しめます。

文字は全てひらがな。難解な表現も一切ありません。

谷川俊太郎 『ことばあそびうた』

具体的な詩の内容は、著作権の関係もあってここでお知らせすることは出来ませんが、詩集のタイトル通り、言葉遊び満載の詩が並んでいます。

「かっぱ」、「いるか」、「さる」などは小学校の教科書などにも載ったことがあるので、一度は目にされたことのある方も多いと思います。

言葉遊びだけに似た節回しが並んでおり、朗読すると舌がもつれそうになる作品もあるため、私は滑舌のトレーニングのためのテキストとして用いたこともあります。

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