カテゴリー「イギリス」の21件の記事

2019年7月22日 (月)

コンサートの記(578) サー・ネヴィル・マリナー指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団第79回定期演奏会

2015年5月15日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後3時から、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、兵庫芸術文化センター管弦楽団の第79回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、この4月に91歳を迎えたサー・ネヴィル・マリナー。

兵庫芸術文化センター管弦楽団は、月に1度同一演目3回の定期演奏会を行っており、今日は初日である。
曲目は、ハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、ティペットの2つの弦楽オーケストラのための協奏曲、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。イギリスを共通項としたプログラムである(スコットランドがイギリスから独立していたら演目も変わっていたのだろうか?)。

指揮のサー・ネヴィル・マリナーは日本でもお馴染みの存在。1924年、イングランド・リンカーン生まれ。映画「アマデウス」の音楽監督を務めたことでも知られる。フィリップス、DECCA、EMIなどに膨大な量の録音を行っており、「史上最もレコーディングの多い指揮者」といわれたこともあるが、90年代の世界的不況以降は録音には恵まれているとはいえない。フィリップス・レーベルにはモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ブラームスの交響曲全集を録音しているが、フィリップスは現在ではDECCAに吸収合併され、レーベルとしては消滅している。
マリナーは当初はヴァイオリニストとして音楽活動をスタート。ロンドン王立音楽院とパリ音楽院でヴァイオリンを学び、マーティン弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者、ロンドン交響楽団の第2ヴァイオリン奏者として活躍。イートン校でヴァイオリン教師をしていた時に指揮者のピエール・モントゥーと知り合い、師事する。1959年にアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(アカデミー室内管弦楽団)を組織し、指揮者兼コンサートマスターとして活動を開始。のちに指揮に専念する。指揮者としてロサンジェルス室内管弦楽団とミネソタ管弦楽団の音楽監督、シュトゥットガルト放送交響楽団の首席指揮者などを務めた。レパートリーはバロック以前から現代音楽まで幅広いが、特にモーツァルトには定評がある。

今日の兵庫芸術文化センター管弦楽団のゲスト・コンサートマスターは田野倉雅秋(大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター、名古屋フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)。コントラバスにNHK交響楽団の吉田秀が、ファゴットに京都市交響楽団の中野陽一郎が参加する。チェロにはゲスト・トップ・プレーヤーとしてマーティン・スタンツェライト(広島交響楽団首席チェロ奏者)が参加しているため、六人いる奏者の中で純粋な日本人は一人だけである(ハーフの奏者が一人いる)。

マリナー登場。91歳と高齢だけにゆったりとした歩みであるが元気そうである。

ハイドンの交響曲第96番「奇蹟」。
今日は前から2列目、上手の端に近い席であるが、KOBELCO大ホールはオペラ対応であるため天井が高く反響板もない。ということでステージに近い割りにはさほど音が良く聞こえないし(音が上に行ったまま帰ってこないため)、バランスも悪い。弦楽奏者で演奏中に顔がはっきり見えるのはコンサートマスターの田野倉雅秋だけ。アメリカ式現代配置であるためチェロ奏者は背中しか見えない(ティペットの弦楽オーケストラのための演目があるためティンパニは指揮者の正面ではなく上手奥)。管楽器奏者で顔がはっきり見えるのはファゴットの中野陽一郎だけ。その代わり、マリナーの指揮は良く見える。

そのマリナーの指揮であるが、指示がかなり細かい。通常の演奏なら指揮者がオーケストラのある程度任せることもあるのだが、今日のマリナーは100%、自身の棒で操ろうとする。兵庫芸術文化センター管弦楽団は日本で唯一の育成型オーケストラであるが、そのこととマリナーの棒捌きに関係があるのかわからない。ただ、伝統ある強者揃いのオーケストラを一人で完全に制御しようとすれば反発を受ける可能性があり、下手をすると喧嘩になる怖れもある。育成型オーケストラなら平均年齢が若く、メンバーが入れ替わるため伝統のようなものも築かれない。
格調が高く、明るめの音色による演奏。ピリオド奏法が話題になる前からピリオド的なアプローチを行っていたマリナーであるが、他の指揮者による流線型の演奏に比べると表情は穏健であり、刺激には乏しい。

ティペットの2つの弦楽オーケストラのための協奏曲。ヴァイオリンが両翼配置に変わり、ヴィオラがそれに挟まれる形になる。その背後に横一列にチェロ、更に後ろにコントラバスが並ぶ。シンメトリーの構図である。
颯爽とした演奏である。マリナーの指揮は相変わらずかなり細かい。第2楽章では左手でビブラートの長さも指示する。

音が良いとは言えない席ということもあって、前半は音楽を聴いたというよりもマリナーの指揮棒の細やかさを見たという印象が強い。

メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。音色が明るめであり、特にトランペットの音が輝かしいが、音の重心が全体的に高めであり、音が軽い印象を受けるため、この曲が持つ荘重な一面が余り出ない。マリナーの採ったテンポがかなり速めということもあり、曲の魅力が十全に引き出されたとは言えない演奏である。
ただ弦のハーモニーは美しく、マリナーがヴァイオリン奏者出身、それもオーケストラに所属していたということがプラスに作用したのかも知れない。

今日はアンコールがある。メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」より第3楽章。この曲の演奏は渋みがあって良かった。
マリナーは曲が終わる毎にガッツポーズをしてみせ、最後はコンサートマスターである田野倉の手を取って一緒に退場した。

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2019年5月16日 (木)

コンサートの記(555) 尾高忠明指揮 大阪フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」

2014年7月31日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」というコンサートを聴く。途中休憩なし、上演時間約1時間という、通常のハーフサイズのコンサートで、井上道義が首席指揮者になったこの4月から大阪フィルがザ・シンフォニーホールで始めたシリーズである。今シーズンは有名作曲家の交響曲第1番をメインにしたプログラムが組まれている。今日の交響曲第1番はエルガー作曲のもの。ショーピースとして先に同じエルガーの行進曲「威風堂々」第1番が演奏される。指揮は日本におけるイギリス音楽演奏の第一人者といっても過言ではない尾高忠明。今日の大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターは田野倉雅秋。フォアシュピーラーは渡辺美穂。

演奏開始前に尾高忠明によるプレトークがある。「7時30分開演。皆さん、不思議でしょう。でもヨーロッパではこれが普通なんです。午後8時開演、スペインなどでは午後11時開演というコンサートもあります。午後11時開演だと終わるのが翌日の午前1時。で、そこからレクチャーを行ったりしまして、午前6時に終わってそのまま移動という大変なことになったりするのですが」と話し始める。
「私は桐朋学園大学というところで齋藤秀雄先生に指揮を習いまして、齋藤先生は今から40年前に亡くなりましたので若い方はご存じないかも知れませんが。齋藤先生が仰ったのは、『指揮者は余り喋っちゃ駄目だよ』」と語って笑いを取る。

「日本指揮者協会というものがありまして、二代目の会長が齋藤秀雄先生。そして三代目の会長が大阪フィルの朝比奈隆先生でした。朝比奈先生が会長をされていた頃に、『みんなで何かやろうじゃないか』という話が持ち上がりまして、その時、日本指揮者協会には70人ほどが参加していたのですが、70人で指揮しても仕方がない。そこで、みんなでオーケストラをやろうという話になりました。朝比奈先生はヴァイオリン、私もヴァイオリンをやっておりまして、井上道義君はコントラバスです。指揮者はなしで演奏しようということになりました。で、モーツァルトの『フィガロの結婚』序曲、オッフェンバックの『天国と地獄』序曲、最後に『カステラ一番』と出てくる奴ですね。『天国と地獄』には美しいヴァイオリンソロがありまして、これを誰がやるのがいいか、そこで、江藤俊哉先生、彼はヴァイオリニストでありましたが指揮者もしていまして指揮者協会にも入っていた。で、江藤さんがいいだろうと。次は『越天楽』(近衛秀麿編曲のオーケストラ版である)ですが、これは指揮するのも難しいが、演奏するのも難しい(雅楽はクラシックとは異なり、他の奏者と出だしを合わせてはいけないのである。クラシックは合わせるのが基本だが、邦楽、特に雅楽では「音が重なるのは相手に失礼」という正反対の考え方をする)。そこで、江藤先生に『首を振ってくれ』と注文すると上手く合った。じゃあ、これで行こうと。で、指揮者はみんな忙しいので、練習は本番前の2時間だけ。山本直純さんがトランペットを吹いていたのですが、『調子が良い』というので、それで練習を終えまして、大賀典雄さん、ソニーの大賀典雄さんが『フィガロの結婚』のアリアを歌うというので(大賀典雄はソニーの社長として有名だが、東京芸術大学声楽科を卒業しており、ドイツに音楽留学もしていて当初はバリトン歌手志望であり、企業人になる予定はなかった。指揮者としての活動もしており、晩年にはレコーディングも行っている)ちょっと歌って、『良い、良い』というので本当は3分のところを30秒で終わりまして、そうやって本番と。『フィガロの結婚』序曲でもう拍手喝采であります。『天国と地獄』では、『江藤、ブラボー!』と個別にブラボーが掛かりまして。で、それが良くなかったんですね。『越天楽』では、江藤さんが首を振るのを忘れてしまいまして、しっちゃかめっちゃかに。『江藤さん、首振って、首振って』と言ったのですが、江藤先生はブラボーを貰ったものですから良い気分になっていて、もう自分の世界に入ってしまって人の声が聞こえないわけです。客席からは『しっかりしろ!』なんて声も聞こえる。で、山田一雄先生、山田先生はハープが得意だったのですが、山田先生のような偉い方を奥に置いていくわけにはいかないので、ステージの前寄り、私の横ぐらいにハープを置いていたんです。我々はパート譜だけだったのですが山田先生は総譜を持っていまして、『ああ助かった』と思い、『山田先生、今、我々はどこにいますか?』と聞いたところ、山田先生から『我々は今、何の曲をやってるんだい?』と返ってきまして。今日は『しっかりしろ!』などと言われないように演奏したいと思います」と大阪人好みのユーモアを交えた話をした。

今日は前から6列目。ザ・シンフォニーホールはどの席で聴いても良い音はするが、前から6列目だと、直接音が届きすぎて、マスとしての響きは堪能しにくいため、私好みの音を聴くことは残念ながら出来なかった。

行進曲「威風堂々」第1番。重心のしっかりした演奏であり、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団(ウェールズ人は「自分達はU.K.には含まれるがイングランド人ではない」と考えているかも知れないが)の首席指揮者としての活躍で知られる尾高のイギリスものへの適性がよく示されている。推進力もあり、それでいてノーブルさを失わない。

エルガーの交響曲第1番。
「ブラームスの交響曲第5番」と賞賛された(実は「ブラームスの交響曲第5番」といわれたのには他にもわけがある)スケール豊かな作品である。尾高指揮の大フィルは潤いのある音色で、堂々とした演奏を展開する。この今日はリズム楽器に打楽器ではなくコントラバスを多用するという特徴があるのだが、コントラバスの生かし方も優れている。
弦の俊敏さ、管の力強さが目立ち、弦と管のバランスにも秀でている。「見事」と言う他ないエルガーであった。

演奏終了後、尾高はマイクを持って登場し、「井上(道義)君と僕とは50年来の親友でありまして、(井上道義が癌で入院したということを聞いたときは)ショックを受けましたが、あれから何度もメールのやり取りを致しまして、かなり元気になっているようです。秋には井上君もきっと復帰してくれるだろうと思っております」と語った。尾高忠明は今では見るからに紳士然としているが、桐朋学園大学時代は、井上と共に、「悪ガキ井忠(イノチュウ)」と称されるほどやんちゃであった。井上道義は今もやんちゃであるが。

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2018年10月20日 (土)

観劇感想精選(261) 加藤健一事務所 「Out of Order ~イカれてるぜ!~」

2018年10月13日 京都府立府民ホールALTIにて観劇

午後2時から、烏丸迎賓館通りにある京都府立府民ホールALTIで、加藤健一事務所の公演「Out of Order ~イカれてるぜ!~」を観る。作:レイ・クーニー、テキスト日本語訳:小田島恒志、演出:堤泰之。出演:加藤健一、浅野雅博(文学座)、さとうこうじ、坂本岳大、阪本篤(温泉ドラゴン)、加藤忍、日下由美、頼経智明子(文学座)、はざまみゆき(ハイリンド)、新井康弘。
1990年初演の作品。レイ・クーニーはこの本でローレンス・オリビエ賞最優秀コメディ賞を受章している。

イギリス・ロンドンのウェストミンスター・ホテルのスイートルーム648号室が舞台である。

与党・保守党の副大臣であるリチャード(加藤健一)が妻(日下由美)に電話をしている。リチャードは、野党・労働党の議員秘書であるジェーン(加藤忍)と不倫を楽しもうとしており、妻には電話で「今、大英博物館の資料閲覧室にいる」 と嘘をついた。
ところが、カーテンを開けるとそこにはなんとも異様なものが。このままでは警察沙汰になって二人の関係がばれると気づいたリチャードは必死の隠蔽工作を試みる。


文学の手法に「妨害」というものがあるが、それを徹底させたシチュエーションコメディーである。ここで来たら最悪という時に誰よりも来て欲しくない人が現れたり、今なら大丈夫という時に何も起こらなかったりというバッドタイミングに人々は翻弄される。

レイ・クーニーは三谷幸喜が最も影響を受けた劇作家の一人であり、「Out of Order」の中にも「これはあの作品の元ネタ」と思えるものがちりばめられている。まさに笑いのジェットコースターであり、三谷作品が好きな人は是非観るべき、といっても今日も知り合いには出会わなかったけれど。

政治への揶揄もあり(国会議事堂に戻れというリチャードにジェーンは「あんなところじゃ眠れないわ」と反論するも、リチャードに「どうして? みんないつも居眠りしてるじゃないか」と返されるなど)、ブリティッシュ・コメディーらしいどぎつい内容もあったりするが、出演者のレベルが高いということもあって心から笑える内容になっていた。



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2018年10月11日 (木)

観劇感想精選(259) 「チルドレン」

2018年10月3日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、「チルドレン」を観る。1984年生まれのイギリスの若手劇作家、ルーシー・カークウッドが2016年に手掛けた戯曲の翻訳上演。イギリスを舞台にした作品であるが、モチーフとなっているのは2011年3月11日に日本の福島で起こった原発事故である。
演出:栗山民也、テキスト日本語訳:小田島恒志、出演:高畑淳子、鶴見辰吾、若村麻由美。

イギリスの東沿岸沿いの田舎町。地震と津波を原因とする原子力発電所の事故があり、一帯は立ち入り禁止区域となっている。そこから少し離れた家にヘイゼル(高畑淳子)とロビン(鶴見辰吾)の夫妻が移り住んでいる。二人は以前は原子力発電所に勤める科学者で原発の近くに住んでいたのだが、放射能の影響で家を離れ、ロビンの持ち物だったこの家に今は住んでいる。

幕が上がると、ローズ(若村麻由美)が鼻から血を流して立っている。ローズはヘイゼルとロビンの元同僚であり、3人とも原子力発電所の建設に一から携わってきたのだが、ローズはその後、アメリカのマサチューセッツ州に移り住んでいた。ヘイゼルの耳には「ローズが自殺した」という噂が届いており、それを信じていたため、突然、目の前に現れたローズを幽霊か死神かと勘違いして咄嗟に手が出てしまったのだ。
実は最初はローズがロビンの恋人だったのだが、二人が別れてすぐにヘイゼルがロビンといい仲になり、ヘイゼルが妊娠したことで敗北を悟ったローズがアメリカへと逃げていたことがわかる。ヘイゼルは完璧主義者であり、つい避妊を忘れたなどということはあり得ない。妊娠したということは、計画通りだったということである。

科学者であったヘイゼルとロビンは、今ではパソコンも使わず、計画停電があるため電気にも頼らず、オーガニックの野菜を育て、牛を飼いというアーミッシュさながらの生活を送っている。あたかも科学者だった時代の反動でもあるかのように。
ヘイゼルはヨガに凝り、若さを保つことにもこだわっている。
ロビンが牛を飼っている牧場は、今では立ち入り禁止区域内にある。だが、ロビンは牛たちのために、毎日朝から晩まで牧場で過ごしていた。

ローズが突然この家にやって来たのには、当然ながら訳があった。原発の廃炉作業に携わることに決めた彼女は、行動を共にしてくれる60歳以上の科学者をスカウトしていたのだ。計画では20人以上を集める予定だが、現時点で集まっているのは18人である。つまりそういうことだった。ヘイゼルがローズを見た時に感じた不吉さは実は正しかったということになる。
ローズは言う。「原発で働いているのは私たちの子どもの世代」。未来ある若者達に代わり、自分達、原発を生んだ科学者が責任を取るのは当然だという思いがローズにはあった。ローズは乳がんを患っており、もう先は長くない。
だが、ローズと違い、ヘイゼルとロビンには実の子どもがいる。特に長女は障害を抱えており、38歳で今も独身。ヘイゼルは自分がいなくなった時のことを考えてためらう。

原発で働く自分達の子ども世代の若者達、実の子ども達、そして自分達が生み出した原発、それら全てが「みんな我が子」であり、等しく責任を取らなくてはいけない。あちらが立てばこちらが立たぬ状態であるが、それが冷酷ではあるが現実であり、人としてなすべきこと。

はっきりとは口に出さないが、皆、自罰の意識を持っており、贖罪の思いを常に抱いていたことがうかがわれる。ロビンは牛たちのために立ち入り禁止区域に入って作業をしているということになっているが、実際は緩慢な自殺の手段として放射線を大量に浴びるために敢えて立ち入っているのではないかと思える節もある。ロビンとヘイゼルが元科学者でありながら科学に背を向けた生活を送っているのもある種の贖罪なのではないか。

福島第一原発事故から7年が経過したが、今なお誰も責任を取ろうとはしていない。いや、原発事故だけではない。あらゆる事柄について「なかったことにしたい」という空気が蔓延し、この国は自家中毒に陥っているとしか思えないような状況が続いている。「気に入らないことはないことにしてしまっても構わない」という幼稚なナルシシズムが服を着て大手を振って歩いているかのような。
だが自己愛だけではどこにも行けないのである。とにかく受け入れ、呑み込むこと。「敢然と」。それは幸福なことではないかも知れないが、生きるということの実相でもある。

若村麻由美も鶴見辰吾も大好きな俳優で、実力も文句なしなのだが、やはり高畑淳子の凄さは目立つ。空間に溶け込める俳優は何人もいるけれど、存在するだけで空間を作り出せる俳優はそう多くはない。息子さんのことで色々あったけれど、やはり彼女は女優であり続けるべきだと強く思う。


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2018年8月31日 (金)

コンサートの記(416) 高関健指揮京都市交響楽団第626回定期演奏会 ブリテン 「戦争レクイエム」

2018年8月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第626回定期演奏を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。
京響の8月定期は宗教曲を演奏することが恒例であり、今年もベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」が取り上げられる。
ソプラノ独唱は木下美穂子、テノール独唱:小原啓楼(おはら・けいろう)、バリトン独唱:大西宇宙(おおにし・たかおき)。京響コーラスと京都市少年合唱団も参加する。

編成が独特である。ポディウム席は合唱が入るため今日は販売されていない。ソプラノ独唱の木下美穂子もポディウムに陣取る。オーケストラは指揮台周辺の室内オーケストラのその外郭の大オーケストラに分かれる。室内オーケストラのコンサートマスターは客演の石田泰尚(いしだ・やすなお)。大オーケストラのコンサートマスターは泉原隆志。京都市少年合唱団は3階正面席の下手側に離れて置かれ、指揮は京都市少年合唱団の津幡泰子(つばた・やすこ)が行う。

午後2時から高関健によるプレトークがある。編成の関係か楽屋の位置によるのか、今日は普段と違い、舞台上手から登場した。
ブリテンの「戦争レクイエム」は1962年の初演。高関はこの時代に生まれた音楽の最高傑作と高く評価しており、匹敵する作品はメシアンのトゥーランガリラ交響曲のみであるとする。
高関は、10年前に群馬交響楽団の定期演奏会でこの曲を取り上げており、それ以前に小澤征爾指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、初演者でもあるディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのバリトン独唱で聴いたことがあり、強い感銘を受けたことを語る。
「戦争レクイエム」は初演の際は、室内オーケストラの指揮者と大オーケストラの指揮者、少年合唱団の指揮者の三人体制で演奏されたそうだが、室内オーケストラと大オーケストラが同時にで演奏することはほとんどないのでオーケストラの指揮者は一人でいいということになったそうだ。

イギリスの20世紀を代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテン。ドイツ人から「作曲家のいない国」と揶揄されたイギリスが久しぶりに生んだ天才作曲家である。オペラに傑作が多いが、オーケストラ曲や声楽曲の部門でも活躍しており、日本の皇紀2600年記念として書かれたシンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)などが有名。皇紀2600年の曲に鎮魂曲を書いたため、物議を醸してもいる。
同性愛者としても知られ、テノール歌手のピーター・ピアーズとパートナーであり、「戦争レクイエム」の初演のテノール歌手はピアーズが務めている。
また指揮者としても活躍しており、「戦争レクイエム」の初演の指揮者を務め、英DECCAへのレコーディングでもタクトを執っている。DECCAの「戦争レクイエム」は日本の第1回レコードアカデミー賞大賞を受賞した。

演奏時間約85分の大作。滅多に上演されない曲であるため、今日の演奏会のチケットは完売である。

高関らしい構築感のしっかりとした演奏である。京響コーラスと京都市少年合唱団のレベルも高い。
「戦争レクイエム」は、一般的な「レクイエム」のラテン語詩の間に、第一次大戦中に25歳で戦死したウィルフレッド・オーウェンの英語詩が挟まれるという構成である。オーウェンの英語詩はテノールのバリトンによって歌われ、戦場の陰惨さと犠牲となる戦士達の悲惨さが独唱と対話の形式を用いて描かれている。イギリス人作曲家らしいというべきか、大仰さは丁寧に封じられており、淡々と、だが深く続く場面が印象的である。

この曲は、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団ほかのCDでしか聴いたことがないが、ブリテンによる自作自演盤なども聴いてみたくなる。

レセプションで高関の話を聞く。実は、7年前にも「戦争レクイエム」を指揮する機会があったそうだが、上演の予定日は2011年3月12日。東日本大震災発生の翌日である。3月11日には、高関は「戦争レクイエム」を演奏する予定であった東京フィルハーモニー交響楽団と共に千葉県内にいたそうだが、地震で交通網は全て遮断されてしまって東京には帰れない。更に会場となるはずだった新宿文化センター大ホールも地震によって具合の悪いところが発見されたということで演奏会は中止になったという。
プレトークで話そうかとも思ったそうだが、「プレトークが終わってから本番までの間に地震があったら嫌だな」ということで終演後に話すことにしたそうだ。



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2018年8月19日 (日)

アクラム・カーン振付「Chotto Desh/チョット・デッシュ」

2018年8月12日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後3時からロームシアター京都ノースホールで、アクラム・カーン振付のダンス公演「Chotto Desh/チョット・デッシュ」を観る。

アクラム・カーンは1974年、ロンドン生まれの世界的振付家。父親はバングラデシュ人、母親はフィリピン人である。幼少期からインドの伝統舞踏であるカタックを学び、大学ではコンテンポラリーダンスと作品創作を専攻。2000年にアクラム・カーン・カンパニーを設立し、高い評価を得るようになる。2012年のロンドンオリンピックの開会式の振付も担当しているそうだ。

ダンサー1人による作品。無料パンフレットやチケットには、デニス・アラマノスまたはニコラス・リッチーニとクレジットされているが、今日はデニス・アラマノスのソロである。

今回は、子供も大人もロームシアター京都を楽しもうというイベントであるプレイ!シアター in Summerのプレ公演という位置づけであり、子供でも楽しめるよう特別に作成した日本語吹き替え版による上演が行われる。声の出演は、Masayo Mimura、Akira Koieyama、Meg Kubota、Lilian Carter。

「チョット・デッシュ」は、ベンガル語で「小さな祖国」という意味。アクラム・カーンのソロ作品である「デッシュ」を元に生まれており、カーン自身の自伝的要素を入れた作品である。「チョット・デッシュ」への翻案はスー・バックマスターが手掛けている。音楽は、Jocelyn Pookの作曲。ミニマルミュージック系の作風である。

アクラム・カーン(デニス・アラマノス)のスマートフォンに異常があったことから話は始まる。カスタマーサポートに電話をしたのだが、担当として出たのは12歳の女の子。混乱するカーンは、幼き日に毎年訪れていたバングラデシュの街を彷徨う。そして昔語りが始まる。

アクラム・カーンの父親は腕のいい料理人であり、息子のアクラムにも料理人になることを望んでいた。坊主頭のデニス・アラマノスは頭頂部に墨で目と口を書き入れ、アクラムの父親に見立てる。

落ち着きのない子どもだったアクラムは、祖母が読んでくれる絵本「ハニーハンター」が好きだった。舞台の背後に紗幕が降りているが、そこにアニメーションが投影される。飢饉の年に、父親から止められたにも関わらず蜂蜜を取りに行ってしまった男の子の話だ。船に乗り、木に登り、蝶を追う。やがて蜂の巣から蜜を取り出すことに成功した男の子だが木のてっぺんから墜落してしまい……。

16歳になったアクラムに父親は料理の仕事を手伝うように何度も言うのだが、アクラムは聞き入れない。アクラムは料理人ではなくダンサーになりたかったのだ。

父親と息子の関係についてはよくあるもので、特に目新しいところはないのだが、祖母が教えてくれた冒険譚には胸がワクワクする。私も幼い頃は冒険話が大好きで、映画版の「ドラえもん」を毎年楽しみにしていたり、コナン・ドイルの「失われた世界(ロスト・ワールド)」に心ときめかせていたりした。今の子供もそうだろう。

子供には希望と夢を、大人ノスタルジックな感情を与えてくれる名編である。



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2018年8月18日 (土)

観劇感想精選(252) オックスフォード・シェイクスピア・プレイヤーズ(オックスフォード大学演劇協会) 「十二夜」

2018年8月11日 京都劇術劇場春秋座にて観劇

午後3時から、京都芸術劇場春秋座で、オックスフォード・シェイクスピア・プレイヤーズ(オックスフォード大学演劇協会)の来日公演「十二夜」を観る。
オックスフォード・シェイクスピア・プレイヤーズは、オックスフォード大学のドラマ・ソサエティであるオックスフォード大学演劇協会のメンバーからなるシェイクスピア作品に特化したツアーカンパニーである。メンバーはスタッフも含めて全員オックスフォード大学の学生で構成されており、出身者には、「Mr.ビーン」のローワン・アトキンソン、「ブリジット・ジョーンズの日記」のヒュー・グラント、「博士と彼女のセオリー」のフェリシティ・ジョーンズらがいるそうだ。

オックスフォード・シェイクスピア・プレイヤーズは20年前から来日公演を行うようになっており、来日時には毎回、蜷川幸雄の出迎えを受けていたそうで、今回は蜷川没後としては初めての来日となるようだ。

イギリス最古にして最高の大学として知られるオックスフォード大学。日本でいう大学とは違い、オックスフォード大学という単一の大学があるわけではなく、39あるカレッジの集合体がオックスフォード大学という総称を名乗っている。オックスフォードの学生は、二つの分野を専攻するのが一般的である。

今回の演出は、セント・ヒューズ・カレッジで英語学と英文学を学ぶフレッド・ウィーナンドが担当。ウィーナンドは物語の舞台を光と影が一体になった1960年代に変更するという読み替えを行っている。日本でもジョン・ケアードが「お気に召すまま」の時代設定をアメリカの1960年代に変えた上演が行われたが、発想自体は完全に一緒である。イギリス人やアメリカ人にとっては60年代は特別な時代であるようだ。

今回の上演の特徴は、道化のフェステを女優(マートン・カレッジで英語学と英文学を学ぶスザンナ・タウンゼント)が演じるということ。ボーイッシュな雰囲気を出しているが、女性が道化役というのは珍しい(ただ史実はともかくとしてくオリヴィアの道化であるため、同性であったとしてもおかしくはないように思える)。

英語上演、日本語字幕付き。字幕は新たに作ったのではなく、白水社から出ている小田島雄志訳のものを使用している。小田島雄志の翻訳は映画の字幕とは違って文字制限ありの中で訳されたものではないため、字幕はめまぐるしく切り替えられ、中には0コンマ何秒で切り替わって読めないということもあった。

ギリシャのイリリアを舞台に、セバスチャンとヴァイオラの双子が嵐に遭ったことから起こるスラップスティックな喜劇が繰り広げられる。
音月圭が主演した「十二夜」では、ヴァイオラとその男装版のシザーリオ、そしてセバスチャンの三役を音月一人で演じる演出が施されていたが、今回はヴァイオラ&シザーリオとセバスチャンは別の俳優が演じている。

嵐に遭い、兄のセバスチャン(リンカーン・カレッジで考古学と古代史を学ぶローレンス・ベンチャーが演じる)とはぐれてしまったヴァイオラ(ユニバーシティ・カレッジで英語とロシア語を学ぶデイジー・ヘイズが演じる)は、生活のために男装して名をシザーリオと変え、土地の実力者であるオーシーノ公爵(セント・ピーターズ・カレッジで神学と東洋学を学ぶマーカス・ナイト=アダムズが演じる)に小姓として使えることにする。シザーリオとことヴァイオラはオーシーノ公爵に恋をする。そのオーシーノ公爵は伯爵令嬢であるオリヴィア(マグダレン・カレッジでスペイン語とイタリア語を学ぶクロエ・ディラニーが演じる)に夢中であり、シザーリオを恋の伝令としてオリヴィアのもとに使わすのだが、オリヴィアはシザーリオを本物の男だと思い込んで恋してしまう。恋の一方通行である。

一方、オリヴィアの叔父であるサー・トービー(クィーンズ・カレッジで歴史と英語を学ぶジョー・ピーテンが演じる)とサー・アンドリュー(セント・ジョンズ・カレッジで歴史と政治学を学ぶヒュー・タッピンが演じる)は、オリヴィアに執事として使えるマルヴォーリオ(クライスト・チャーチでイタリア学を専攻するジョニー・ワイルズが演じる))の態度が大きいため、反感を抱いている。トービーとアンドリューは侍女のマライア(キーブル・カレッジで古典考古学と古代史を学ぶケイト・ウエアが演じる)や召使いのフェービアン(ハートフォード・カレッジで英語学を専攻するアダム・グッドボディが演じる)を巻き込んで、マルヴォーリオにぎゃふんと言わせようと画策する。更には道化のフェステも仲間に加わり……。

今日は桟敷席と2階席は用いられていない。1階席の後ろの方にイギリス人の若者が固まっていて、普通のシーンでもドッカンドッカン受けているのだが、日本人の客は私も含めてどこが笑えるのかよくわからず、温度差がある。ドタバタのシーンや意図的なオーバーアクションの演技では国籍の差なく笑いが起こる。
衣装や装置も1960年代をイメージしたサイケデリックなものを使用。一般的なシェイクスピア上演とは異なる格好をしているが、若者達のエネルギーを表すのに効果的であったように思う。

英語の台詞回しに関しての巧拙は私には全くわからないが、動きや身のこなしについては一定の水準に達している。日本の俳優の場合、演技中の両手の置き方が上手くいかない場合が多いが、イギリス人でも若者達が演じる場合は同じ傾向があることがわかる。向こうは話しながら身振り手振りをつけるのが一般的なので、日本人俳優ほどには目立たないけれども。
道化のフェステ役のスザンナ・タウンゼントは美しい歌声の持ち主であり、これを聴くと、「フェステ役を女性にするのも悪くない」と思える。



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2018年6月24日 (日)

観劇感想精選(246) 「ハングマン HANGMEN」

2018年6月15日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで「ハングマン HANGMEN」を観る。作:マーティン・マクドナー、テキスト日本語訳:小川絵梨子、演出・出演:長塚圭史、出演:田中哲司、秋山菜津子、大東駿介、宮崎吐夢、大森博史、市川しんぺー、谷川昭一朗、村上航、富田望生(みう)、三上市朗、羽場裕一。

「ビューティー・クイーン・オブ・リナーン」、「ウィー・トーマス」、「イニシュマン島のビリー」などで知られるマーティン・マクドナー。イギリスとアイルランドの二重国籍の劇作家であり、映画監督としても活躍。バイオレンス、ブラック・ユーモア、差別などを題材とした本を書いている。長塚圭史はマクドナーの作品を何度も演出しており、今回の「ハングマン」は、「ウィー・トーマス」、「ピローマン」、「ビューティー・クイーン・オブ・リナーン」に次いで4度目の演出となる。

開演前には舞台となる1960年代に流行ったブリティッシュロック(ビートルズなど)が流れている。出演者の平均年齢が高いことや京都ではマーティン・マクドナーの名前が余り知られていないこともあってか入りは「悲惨」の部類に入ると思う。

1963年、絞首刑執行人(ハングマン)であるハリー・ウェイド(田中哲司)が、ジェームズ・ヘネシー(村上航)という男を今まさに死刑にしようとしていた。ヘネシーは女性暴行犯として死刑を言い渡されたのであるが、最後まで無罪とアリバイを主張。ハングマンがハリーであることに関しても、「せめてピアポイント(最も腕が良いといわれた絞首刑執行人)を呼べ!」と言ったことからハリーを激高させる。ハリーがレバーを引き、死刑は執行された。

2年後。イングランドの北西部にある工業都市オールダムにあるパブ。ここはハリーの妻であるアリス(秋山菜津子)が経営する店である。絞首刑の執行が法律によって廃止になるその日、ハングマンをお払い箱になったハリーは、このバーでマスターのようなポジションとなり(この時代はビールを出すときにはカウンターにあるレバーを引いてグラスに注いでいたようである)馴染み客と飲んでいたのだが、そこに見知らぬ客が一人加わっている。マンチェスターから来た新聞記者のクレッグ(長塚圭史)である。クレッグは最後のハングマンであるハリーのインタビューを取ろうとやって来たのだが、ハリーは応じようとしない。ハリーは「2階で話すなら」と妥協案を出すのだが、ハリーは本質的にはお喋りであり、グレッグの口車に乗って、必要以上のことを話してしまう。ただこの記事のおかけで、ハリーは翌日にはオールダムの有名人となる。
店に新客がもう一人やって来る。金髪の若い男、ピーター・ムーニー(大東駿介)である。田舎の工業都市であり、教養も十分とはいえない(ニーチェという名前もキルケゴールの名も聞いたことがない)他の客とは違い、ムーニーはスマートではあるがミステリアスというより不気味な印象を抱かせる。
ハリーとアリスにはシャーリー(富田望生)という15歳の娘がいる。肥満気味で内向的なシャーリーは学校では浮いた存在のようで……。

ブラックな味わいのサスペンスである。ヘネシーが本当に犯人だったのか、またムーニーの正体は何者なのか、なぜムーニーは自らを危機にさらすような行動に出たのか(ニーチェの名前が出るのは伏線なのかも知れないが)、いずれにおいても最後まで解決はなされておらず、観る者の意識は死体さながらに宙づりになったまま。それこそがマクドナーの意図なのだろう。

マクドナー作品の特徴として不毛な恋愛という要素があるのだが、ハリーとアリスの娘であるシャーリーは異性にモテるどころか、学校も休みがちの存在であり、見た目と性格のハンディから今後も異性から相手にされるかどうかも怪しいという状態。それを見越したムーニーに付け込まれるのだが、当然ながら本物の恋愛に発展することはない。結局の所、ハリーもその家族も元の自分からは抜け出せず、未来は暗いままというマクドナーならではのラストが待っている。



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2018年3月10日 (土)

コンサートの記(357) サカリ・オラモ指揮BBC交響楽団来日演奏会2018大阪

2018年3月7日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールでサカリ・オラモ指揮BBC交響楽団の来日演奏会を聴く。

曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小菅優)とマーラーの交響曲第5番。

BBC交響楽団の配置はヴァイオリン両翼だが、コントラバスが上手の第2ヴァイオリンの後ろに2列で並ぶところが古典配置とは異なる。

サカリ・オラモは、1965年生まれのフィンランドの中堅を代表する指揮者。シベリウス音楽院でヴァイオリンを学び、フィンランド放送交響楽団のコンサートマスターとして活躍。その後、名教師、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、1993年に急病になった指揮者の代役として指揮台に上がって大成功するという「バーンスタイン・ドリーム」の体現者の一人となった。1999年にサー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任。私が京都に来てから初めて聴いたコンサートがサカリ・オラモ指揮バーミンガム市交響楽団の来日公演であった。
その後、かつて自らが在籍していたフィンランド放送交響楽団の首席指揮者を経て、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団やBBC交響楽団など複数のオーケストラのシェフを務めている。

プロムスでお馴染みのBBC交響楽団。NHK交響楽団のイギリス版として知名度も高い。ただロンドンの五大オーケストラの中ではずっとBクラスに甘んじている。1930年にエイドリアン・ボールトによって創設され、アンドリュー・デイヴィスが首席指揮者を務めた1990年代に一時代を築くが、21世紀に入ってからのレナード・スラットキンやイルジー・ビエロフラーヴェク時代は相性が今ひとつということもあって低迷気味であった。2013年からはサカリ・オラモが首席指揮者を務めている。オラモとの顔合わせでは初来日となる。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。出だしをアルペジオで開始した小菅優は、しっかりとした構築力と結晶化された音色を生かした正統派の演奏を展開する。デュナーミクの処理も上手い。
オラモ指揮のBBC交響楽団はいかにもイギリスのオーケストラらしい渋めの音色を基調としている。時折、合奏能力を高めて透明な音を出すが、これが効果的である。
オラモの指揮は造形はそれほど重視せず、流れに重きを置いている。管の音の通りが良く魅力的だが、リアルに過ぎる箇所があったのは気になった。

小菅優はアンコールとしてショパンの練習曲作品25の1を演奏。耳が洗い清められるような清冽な演奏であった。

マーラーの交響曲第5番。オラモはこの曲をバーミンガム市交響楽団とライブ録音しており、私も京都コンサートホールでオラモにサインして貰ったCDを持っているのだが、録音、演奏ともに今ひとつであった。
チェロとコントラバスを離しているということもあってか、低弦を強調しない摩天楼型のバランスである。金管がパワフルであるが時にバランスを欠いてうるさく響きこともある。

細部を整序せずむしろ強調することでマーラーの書いた音楽の異様性を明らかにしていくような演奏であり、初めてマーラーの音楽を聴いた聴衆の衝撃が理解出来そうでもある。
第2楽章はアタッカで突入。流れ重視の音楽が効果的である。
第3楽章では一時期、首席ホルン奏者を指揮者の横に立たせてホルン協奏曲のように演奏することが流行ったが、曲の性質から行けばホルン奏者が横一列に並んだ方が効果が上がるように思う。
第4楽章のアダージェットは少し速めのテンポで淡く儚く展開。この楽章だけでなくユダヤ的な濃厚さは抑えた演奏になっており、都会的ですらある。
最終楽章のラストはアンサンブルの精度よりも勢いを重視。熱狂的に締めくくる。
この曲でも、ここぞという時に聴かれる透明な音色が抜群の効果を上げていた。

聴衆の熱狂的な拍手に応えたオラモは、「シベリウス、アンダンテ・フェスティーヴォ」と言ってアンコール演奏が始まる。
これが音色といいテンポといい表情付けといい実に理想的な演奏である。フィンランド出身の指揮者とシベリウスを愛するイギリスのオーケストラの相乗効果であろう。マーラーをはるかに凌ぐ極上の演奏であった。今度があるなら、このコンビによるシベリウスの交響曲を聴いてみたい。



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2017年4月23日 (日)

美術回廊(10) ビアトリクス・ポター生誕150年「ピーターラビット展」大阪

2017年3月24日 グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル地下1階イベントラボにて

グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル地下1階にあるイベントラボで、ビアトリクス・ポター生誕150年「ピーターラビット展」を観る。
「ピーターラビット」でお馴染みのビアトリクス・ポター、というより私はピーターラビットしか知らなかったりするのだが、実はピーターラビットが脇役に回った絵本なども書いている。
裕福な家に生まれたビアトリクス・ポター。当時は、お金持ちの家の子は庶民のいる学校には通わず、家庭教師から全てを教わることになっており、ポターもまたそうして育った。それゆえ、友達に囲まれて育つという経験がなく、兎などのペットを飼って可愛がる時間が長かった。このことがポターがピーターラビットを生み出す契機にもなっている。

ビアトリクス・ポターのタッチは緻密でありながら柔らかく、「これだけの絵が描けたらそれは売れるわな」と思うのだが、実はポターは持ち込みを行った全ての出版社から書籍化を断られており、最初の作品は自費出版で出している。ピーターラビットを書くきっかけになったのは、病気になったノエル少年(ポターの元家庭教師であるアニー・ムーアの息子)を励ますために兎の絵入りで出した手紙だというが、今回の展覧会でもその写しもまた展示されている。アニー・ムーアがポターに兎の物語を書くことを勧めたようだ。
自費出版された私家版『ピーターラビットのおはなし』は口絵のみカラーで他は表紙も含めて着色はされていない。そこまでのお金がなかったのと、着色は余計と思われたという二つの理由があったようだ。

裕福な家に生まれたことはアドバンテージだけではない。有閑階級出身のポターは出版社の創業家出身で同社に勤務していたノーマン・ウォーンと恋に落ちるが、両親から「格下の男との結婚は認めない」と断られている。

ポターの少女時代の作品も展示されているが、すでに優れた描写力が見られる。なお、ポターの父親や弟の描いた絵も展示されているがいずれもデッサン力が高く、画才に恵まれた一族であったことが確認出来る。

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