カテゴリー「イギリス」の12件の記事

2017年4月23日 (日)

美術回廊(10) ビアトリクス・ポター生誕150年「ピーターラビット展」大阪

2017年3月24日 グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル地下1階イベントラボにて

グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル地下1階にあるイベントラボで、ビアトリクス・ポター生誕150年「ピーターラビット展」を観る。
「ピーターラビット」でお馴染みのビアトリクス・ポター、というより私はピーターラビットしか知らなかったりするのだが、実はピーターラビットが脇役に回った絵本なども書いている。
裕福な家に生まれたビアトリクス・ポター。当時は、お金持ちの家の子は庶民のいる学校には通わず、家庭教師から全てを教わることになっており、ポターもまたそうして育った。それゆえ、友達に囲まれて育つという経験がなく、兎などのペットを飼って可愛がる時間が長かった。このことがポターがピーターラビットを生み出す契機にもなっている。

ビアトリクス・ポターのタッチは緻密でありながら柔らかく、「これだけの絵が描けたらそれは売れるわな」と思うのだが、実はポターは持ち込みを行った全ての出版社から書籍化を断られており、最初の作品は自費出版で出している。ピーターラビットを書くきっかけになったのは、病気になったノエル少年(ポターの元家庭教師であるアニー・ムーアの息子)を励ますために兎の絵入りで出した手紙だというが、今回の展覧会でもその写しもまた展示されている。アニー・ムーアがポターに兎の物語を書くことを勧めたようだ。
自費出版された私家版『ピーターラビットのおはなし』は口絵のみカラーで他は表紙も含めて着色はされていない。そこまでのお金がなかったのと、着色は余計と思われたという二つの理由があったようだ。

裕福な家に生まれたことはアドバンテージだけではない。有閑階級出身のポターは出版社の創業家出身で同社に勤務していたノーマン・ウォーンと恋に落ちるが、両親から「格下の男との結婚は認めない」と断られている。

ポターの少女時代の作品も展示されているが、すでに優れた描写力が見られる。なお、ポターの父親や弟の描いた絵も展示されているがいずれもデッサン力が高く、画才に恵まれた一族であったことが確認出来る。

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2017年3月20日 (月)

観劇感想精選(204) 「お気に召すまま」

2017年2月7日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「お気に召すまま」を観る。「人生は舞台、人はみな役者に過ぎぬ(今回の公演では、「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」という訳であった)」というセリフで有名な作品である。昨年が没後400年に当たったウィリアム・シェイクスピア。今年は様々なシェイクスピア作品が上演される。
白水社から出ている小田島雄志翻訳のテキストを使用。演出:マイケル・メイヤー。出演:柚希礼音(ゆずき・れおん)、橋本さとし、ジュリアン、横田栄司、伊礼彼方(いれい・かなた)、芋洗坂係長、平野良、平田薫、入絵加奈子、古畑新之(ふるはた・にいの)、武田幸三、新井将人、俵木藤汰(たわらぎ・とうた)、青山達三、マイコ、小野武彦ほか。音楽:トム・キット。

舞台を1967年のアメリカに移しての上演である。ということで、オーランドー(ジュリアン)やオリヴァー(横田栄司)、フレデリック(小野武彦)、アダム(青山達三)などは背広を着て登場する。ロザリンド(柚木礼音)やシーリア(マイコ)も、最初はフラッパーのような格好で登場する。

元宝塚歌劇団男役トップの柚木礼音の主演ということで、客席には宝塚ファンの女性が多い。

セットは、パルテノン宮殿を思わせるエンタシスの柱数本に三角形の屋根。アメリカの首都ワシントンD.C.という設定だという。アーデンの森はヒッピー達の祭典サンフランシスコのヘイトアシュベリーを起点に起こったムーブメント「サマー・オブ・ラブ」に置き換えられており、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア(カリフォルニア・ドリーミン)」が流れて、セットがサイケデリックなものに変わる。ギター、エレキベース、キーボード、チェロの生演奏があり、アミアンズ役の伊礼彼方はギターの弾き語りを行う。

「お気に召すまま」は、長兄のオリヴァーから冷遇され、ろくに教育も受けることが出来なかった末弟のオーランドー。フレデリックから追放された前公爵など、抑圧された存在が登場するのだが、なぜか皆、瞬く間に仲直りという、不思議な展開を見せる。

今回の舞台では、オーランドーとチャールズ(武田幸三)が戦うのは相撲やレスリングではなく、総合格闘技となっている。

父の追放を悲しんでいるロザリンド。親友でフレデリックの娘であるシーリアはロザリンドに従妹としてまた友人としての絶対的な愛を語り、慰める。格闘技の試合に勝ったオーランドーを見たロザリンドは一目で恋に落ち、銀のブレスレットをプレゼントする。オーランドーもロザリンドに惚れていた。

だが、オリヴァーの不興を買ったオーランドーは、今回はヘイトアシュベリーということになっているアーデンの森に執事のアダムと共に逃げ込む。アーデンの森にはロザリンドの父親である前公爵(小野武彦二役)もいた。フレデリックから追放を宣告されたロザリンドは自らもシーリアと共に森に行くことにする。ロザリンドは「女同士では危険。だが私は普通の娘としては背が高い方だから、男装しようと思う」としてギャニミードという男性名を名乗り、シーリアはギャニミードの妹であるアリーナということにして、道化のタッチストーン(芋洗坂係長)とを連れて森に向かう。

オーランドーは空腹で倒れたアダムのために、公爵が率いるヒッピーの一団を襲うが、彼らの落ち着いた態度に己の行為を恥じ、ヒッピー達と行動を共にするようになる。またオーランドーは森の木という木に、七五調と韻を駆使した恋文を紙に書いて張っていく。

森の別の場所では老いた羊飼いのコリン(俵木藤汰)が、若き羊飼いであるシルヴィアス(平野良)の女羊飼いフィービーへの思いを感じているのだが、フィービーはシルヴィアスを相手にしない。コリン達とシルヴィアスの姿を見たギャニミードとシーリア。ギャニミードは更にオーランドーの恋文も発見する。韻を踏んでいることに感心するギャニミードであったが、タッチストーンは「簡単だ」と言って、韻文を作ってみせる。
オーランドーが現れる。ギャニミードは男装していたので自分の正体が女のロザリンドだと知らせることはなく、「女の心に通じた男」としてオーランドーに女の口説き方をアドバイスし、「自分をロザリンドだと思って接して欲しい」と言って、シミュレーションをたっぷり味わう。だが、フィービーもギャニミードに恋してしまい……。

実は、オーランドーとロザリンドが妙なやり取りをしている一方で、アリーナに扮したシーリアとオリヴァーは一目で恋に落ち、タッチストーンはオードリーというおつむの少し弱い女(入絵加奈子)を見つけて恋仲になろうとしているのである。オーランドーとロザリンドの恋だけが回り道をしていることになる。恋について語る役割でもあるといえるのだが(オーランドーが「恋のために死にたい」というと、ロザリンドに扮したギャニミード正体はロザリンドというややこしい人物が、「人類の歴史は6000年あるが、これまで恋で命を落とした男はいない」と答えるなど)。

「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」というセリフを語るのは、オーランドーの次兄・ジェークイズ(橋本さとし)である。オーランドーから「憂鬱病」と称される彼は、「お気に召すまま」の登場人物の中でかなり異色の存在である。恋の物語になぜ厭世家が紛れ込んでいるのか。ジェークイズを見ていると、「お気に召すまま」が単なる喜劇には見えなくなる。
時について語られる場面がいくつかある。オーランドーやギャニミードのセリフに出てくる。だが、時について最も語られるのがジェークイズの「この世界はすべてこれ」で始まるセリフの後半である。人間には7つの時代があるとされる。「赤ん坊」「子供」「恋する若者」「軍人」「裁判官」「老人」「そして再び赤ん坊。忘却へと帰る」。いずれも良いイメージでは語られない。これは何を意味するのか。
恋する人達の中で厭世家のジェークイズが滑稽に浮かぶ上がるという説もあるが、少なくとも今回の上演ではそうは思えない。ジェークイズは精神的に老いた男で恋する若者達を俯瞰で見ているのか。あるいはジェークイズは未来の視点からヒッピー達を見ているのか。
1967年のアメリカに設定が変わっていることを考えれば、その後のアメリカ史と重ねているという解釈も出来る。1969年のウッドストックで、音楽のムーブメントは変わり(イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」ではそのことが暗示されているとされる)、ベトナム戦争は1975年にアメリカ建国以来初の負け戦として終わる。

マイケル・メイヤーの演出は、俳優にかなり細かな演技をつけたもので、「カッチリした」という言葉が一番ピッタリくる。日本人がやっているとお堅く見えるレベルだ。
また音楽を多用して賑やかな舞台にしており、政治都市ワシントンD.C.から離れた理想郷(一種のカウンターカルチャー)を企図しているように思う。

ラスト(エピローグ)のロザリンドの口上は、柚木礼音が歌を加えて披露した。

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2017年2月28日 (火)

これまでに観た映画より(89) ヒッチコック9「下宿人」

2017年2月23日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時からMOVIX京都で、ヒッチコック9「下宿人」を観る。アルフレッド・ヒッチコック監督初のスリラー映画としてとても有名な作品である。英国での封切りは1926年(日本の年号に直すと大正15年=昭和元年)。近衛秀麿と山田耕筰がNHK交響楽団の前身である新交響楽団(アマチュアオーケストラの新交響楽団とは別)を立ち上げたのがこの年である。
2階の部屋をうろつき回る下宿人(演じるのはアイヴァ・ノヴェロ)を下から捉えたカット(ノヴェロにガラス板の上を歩かせて撮影した)はよく知られている。

切り裂きジャックをモデルにした映画とされるが、マリー・ベロック・ロウデンスによる原作小説があり、ヒッチコック本人は、切り裂きジャックにインスパイアされた映画を作ろうという気持ちは薄かったといわれる。
なお、「霧のロンドンの物語」という副題がついているが、ヴィクトリア朝のロンドンというと枕詞のように「霧の」という形容詞がつく。だが、当時のロンドンが特に霧が発生しやすい街だったというわけではなく、その霧の正体は実は工場から出る煤煙だったということで人工的な現象だったわけである。

女性が断末魔の声を上げる映像でスタート。舞台はロンドン。毎週火曜日に金髪の巻き毛の女性が殺害されるという事件が続いている。遺体には「復讐者」と書かれたカードが必ず添えられていた。
目撃者の証言によると、犯人は顔の下半分をマフラーで覆った背の高い男だったという。モデルをしているデイジー(ジューン・トリップ)は金髪の巻き毛であるため、同僚に「用心しなくちゃね」などと語っている。
デイジーには恋人がいる。スコットランドヤードの刑事であるジョー(マルコム・キーン)である。ジョーがデイジーの実家に上がり込んで殺人事件の話をしている。仕草から見て、ジョーの方が一方的に惚れているようだ。
その時、デイジーの家をノックする男がいた。デイジーの実家では下宿人を募集しており、下宿を希望して来たのだ。男は背が高く、マフラーで顔の下半分を隠している。背後には霧が立ちこめ、バックライトも当たっていて、いかにも怪しそうである。男はデイジーを見ると興味を引かれたような目つきをする。
2階の下宿人用の部屋に案内された男は、そこにブロンドの女性の肖像画がいくつも掛かっているのを見て眉をひそめ、絵を取り替えるよう注文する。
火曜日の夜。男は密かに家を抜け出して表に出る。デイジーの母親(マリー・オールト)は男が出て行ったことに気づく。男は30分後に足音を潜めて帰ってきたのだが、その間にまたも金髪の女性が殺害されていた。デイジーの母親は男を怪しいとにらむ。


娯楽映画であるが、実験的要素を取り込んでおり、後に「ヒッチコック・シャドー」と呼ばれることになる長く不気味な影もすでに登場している。実はそのために配給側から「この映画は酷すぎる」と難癖を付けられてお蔵入りになりかけたそうである。当時はまだ映画には芸術的要素はお呼びでなかったことが窺える。
ヒッチコック映画ではお馴染みのヒッチコックのカメオ出演もこの映画から始まっているが、理由は遊び心からではなく、「エキストラが足りなかったため」監督本人も出る必要があったとされている。

サイレント映画ということで、俳優は表情豊かに演じている。「目は口ほどにものを言う」という諺通り、就中、目の表情が重要ということで、ギョロ目の演技も目立つ。今の映画であんな演技をしたら「大根」のレッテルが貼られるだろうが、当時はそうした演技のようが良しとされたのだろう。今の演技で重要なのは表情よりもセリフ回しの上手さで、いくら美男美女でもセリフが喋れなければお声は掛からないが、当時はセリフが録音出来ないので、見た目重視だった。トーキーの時代になり、見た目は良いがセリフの喋れない俳優が淘汰される様を描いた映画が「雨に唄えば」である。

サー・アーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズを読むと、ブランデーを気付け薬代わりに飲ませるシーンがたびたび出てくるが、同じ対処法がこの映画でも見られる。

今回の音楽はアシッド・ジャズの大家であるニティン・ソーニーが新たに手掛けたものを使用し、ロンドン交響楽団が演奏している。とてもお洒落な音楽である。
「リング」では字幕によるセリフは余り出てこなかったのだが、「下宿人」はセリフが比較的多く、「リング」同様、劇団とっても便利の大野裕之が日本語訳を読み上げた。
1コマ1コマデジタル修正を行ったというだけあって、映像はかなり綺麗になっている。映像はモノクロであるがセピア色に染められたものとブルー系に染められたものの二種類があり効果的に用いられている。

「下宿人」を映画館で観ることなどないのだろなと思っていたが、幸運にしてその機会を得た。ありがたいことである。

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2017年2月25日 (土)

観劇感想精選(200) 中谷美紀&神野三鈴二人芝居「メアリー・ステュアート」

2015年7月11日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後7時から梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、パルコ・プロデュース公演「メアリー・ステュアート」を観る。中谷美紀と神野三鈴による二人芝居。作:ダーチャ・マライーニ(フリードリヒ・シラー作『メアリー・ステュワート』の自由な翻案)、テキスト日本語訳:望月紀子、演出:マックス・ウェブスター。リュート演奏:久野幹史/笠原雅仁。音楽監督:辻康介。衣装デザイン:ワダエミ。

数奇な運命を辿ったスコットランド女王メアリー・ステュアートの主に後半生を女優二人のみで演じるという舞台である。作者のダーチャ・マライーニはフィレンツェ生まれだが幼少期の7年間を日本で過ごしているという。父母がイタリアのファシスト党を支持していなかったために敵性外国人と見なされ、最後の2年間は名古屋の強制収容所で暮らした。46年にイタリアに帰国。25歳で小説家としてデビューし、フェミニズムの立場から積極的に社会活動にも参加し、「怒れる女」という異名も取っているという。

今回が3度目の舞台となる中谷美紀。初舞台「猟銃」でも、2度目の舞台となる「ロスト・イン・ヨンカーズ」でも圧倒的な演技を披露し、私が生で演技を観たことのある舞台俳優の中では迷うことなくナンバーワンに挙げたい天才女優である。今回も役作りのためにスコットランドを旅して回ったとのこと。

中谷美紀の演技を受けて立つのは、いつの間にかベテラン女優の領域に達した神野三鈴。新劇から小演劇まで幅広く演じてきた女優である。彼女も役作りのためイングランドまで行ったらしい。

中谷も神野も数役を演じる。基本は中谷はメアリー・ステュアート、神野がエリザベス女王(エリザベスⅠ世)であるが、中谷はメアリーを演じている時には神野はメアリーの乳母であるエリザベス・ケネディを演じ、神野がエリザベス女王を演じている時には中谷が侍女のナニーに扮する。いずれも気位の高いメアリー・ステュアートとエリザベス女王に対し、ナニーとケネディはどちらかというと気弱であり、二人の女優が正反対の女性を交互に演じることになる。二人は男性の役も声のみで演じ、また中谷美紀はレティス・ノールズという女性も演じる。

メアリー・ステュアートとエリザベス女王、更にその周囲の関係はかなり込み入っている。イギリスがまだU.K.ではなく、イングランドとスコットランドとに分裂していた時代の話である。メアリー・ステュアートとエリザベス女王は従姉妹に当たる(正確には更に遠い血縁である)。ヘンリーⅦ世がエリザベス女王の祖父であり、メアリー・ステュアートの曾祖父になる。ヘンリーⅦ世は娘をスコットランド王室に送り込み、ジェームズⅣ世と結婚させる。ジェームズⅣ世の息子であるジェームズⅤ世がメアリー・ステュアートの父親である。またヘンリーⅦ世の後を継いてイングランド王となったヘンリーⅧ世の娘がエリザベス女王である。

メアリー・ステュアートは生後6日でスコットランド女王として即位するが、その後イングランドとスコットランドの争乱から逃れるためにフランスに渡り、スコットランド女王であり続けながらフランス王妃にもなっている。フランス王フランソワⅡ世と結婚したメアリーであるが、病弱なフランソワは若くして亡くなり、メアリーもスコットランドに戻る。グレートブリテン島内はプロテスタントとカトリックの間で争いが起きていた。イングランド領内はプロテスタントが、スコットランドではカトリックが優勢であり、メアリーは一貫してカトリックの信仰を続けた。エリザベス女王はイングランドとスコットランド統合のためにレスター卿ロバート・ダドリーとメアリー・ステュワートとの結婚を画策するも上手くいかなかった。
その後も、アン・ブーリンが殺害されてエリザベスは庶子扱いとなってため、血筋の上ではメアリー・ステュアートの方が上であり、エリザベス女王の悩みの種となっていた。

中谷演じるメアリー・ステュアートも、神野演じるエリザベス女王も芯の強い女性であるが、メアリー・ステュアートの方がどちらからというとスマートで色恋も多いのに対し、エリザベス女王は石頭という印象を受ける。またメアリーが「お世辞は嫌い」と言い切るのに対して、エリザベスはアメリカでの黒人の扱いを美辞麗句で飾ることに腐心しており、好対照である。メアリーにとっては取り繕わないのが正義であるが、エリザベスはいかに上手く取り繕うかが国家運営のためには大事だと思っている節がある。

舞台後方は鏡張りになっており、かなり効果的に使われる。特にメアリー・ステュワートの裁判シーンの手法は鮮やかだ。セットは比較的簡素であり、テーブルに椅子、いくつかの木の箱などが置かれているだけである。

イングランド国内で軟禁生活を送っているメアリー・ステュアート。国内統治のためにはメアリーを処刑した方がいいのだが、エリザベスは処刑の話をするナニーに、「王の首が跳べば、民衆は王の首を刎ねても良いのだと思って次は自分の首を狙う」と話す。このように、中谷美紀演じるナニーが中谷美紀演じるメアリーを追い込むセリフが幾つかあり、鏡に映ったような転倒が見て取れる。「シンメトリーの鏡」という言葉もセリフの中に登場する。メアリーはある意味自滅した女性であるため、こうした手法は効果的である。

メアリーはこれまでの人生や自分を巡る男達についてケネディに語る。音楽家のダヴィッド・リッチョ暗殺の場面では狂乱の場も用意されており、中谷美紀の見せ場である。ヘンリー・ダーンリーの子を身籠もった時は、破水から出産に至るまでも演技と語りで表現される。ヘンリー・ダーンリーとメアリー・ステュアートの間に生まれたジェームズⅥ世が後にスコットランド王からイングランド王ジェームズⅠ世になり、ブリテン統一が果たされるのである。
ちなみにエリザベス女王の命令で無理矢理結婚させられそうになったレスター卿ロバート・ダドリーに対してはメアリーは一貫して冷たい。メアリーは命令されるのが嫌いな女なのだ。これに対してやはり中谷が演じるエリザベス女王の侍女ナニーは命令されるのが大好きであり、余りに素直すぎるのでエリザベスに怒られたりする。一方で、エリザベスは自分に無断でレスター卿ロバート・ダドリーと結婚した若いレティス・ノールズ(中谷美紀)をたしなめたりもする(レスター卿ロバート・ダドリーとエリザベス女王は恋仲だったという説がある。このシーンではレティスとエリザベスのシーンでは女性の方が喜びそうなことも行われる)。このレティス・ノールズは自らの意思に忠実という、ある意味自立した理想的な女性像として特別に登場している節がある。

大英帝国の礎を築いたエリザベスも自立した強い女性であるが、一国の君主であることのくびきからは逃れることが出来ない。人々はエリザベスに皇太子を生むことを求める。
 

基本的にスリリングでタイトな心理劇であるが、途中でロバート・ダドリーを「豚」とおちょくるユーモラスな歌が用意されており、中谷と神野の二人がマイクを手に歌う。アイドルグループ出身であり、坂本龍一のプロデュースでヒット曲も生んでいる中谷と、音楽劇などにも多数出演している神野は二人とも歌がかなり上手であった。ちなみに「豚」はイケメンだったらしい。

「イギリスと結婚した」として生涯独身だったエリザベス女王と、何人もの男性と付き合いイングランド王を生んだメアリー・ステュアート。メアリーの子がイングランド王室を継いだ(ステュアート朝)ということを思えば、U.K.はエリザベスとメアリーの共作ということにもなるだろう。劇中ではメアリーがエリザベスに向けた手紙で「わたしたちのいずれかが男であったなら」という手紙を読み上げるシーンがあり、もっと直接的な共作の夢が語られている。

メアリー・ステュアートとエリザベスⅠ世は、手紙のやり取りは頻繁に行っていたが、実際に会ったことはないそうである。だが、この舞台「メアリー・ステュアート」では夢の中でエリザベスとメアリーが出会う場面がある。その時のメアリーを演じる中谷は急に愛らしい女性へと変身。流石の演技力を見せる。

構造自体は歴史的背景もあって複雑であり、かなり巧みに出来ている。そのためイギリスの歴史のグチャグチャさに呆れることにもなるのだが、中谷も神野も別の女性へと一瞬で、それも自然にチェンジしているため、二人の演技力を存分に楽しめる公演になっている。

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2016年7月 6日 (水)

コンサートの記(246) 山田和樹指揮 バーミンガム市交響楽団来日公演2016大阪

2016年6月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団の来日演奏会を聴く。

イギリスのEU離脱の中で行われる来日公演。時期がたまたま重なってしまった。

バーミンガム市交響楽団(City of Birmingham Symphony Orchestra。略称はCBSO)の来日演奏会を聴くのは通算で3度目。最初は1990年代後半に、東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で、サー・サイモン・ラトル指揮の演奏会を聴いた。ラトルはすでにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督への就任が決まっていたはずだが、前半に現代音楽が並んだということもあり、当日のタケミツホールは半分も入っていないというガラガラ状態。聴衆の現代音楽アレルギーを目の当たりにした格好だった。後半のベートーヴェン交響曲第5番の演奏は刺激的でとても面白かったが、それが「ピリオド・アプローチ」なるものによって演奏されたものだと知るのは少し経ってからのことである。

2度目は、2002年、京都コンサートホールにおいて。私が京都コンサートに初めて足を踏み入れたのがバーミンガム市交響楽団の来日演奏会だったのだ。指揮者は当時、CBSOの音楽監督を務めていたサカリ・オラモ。メインで演奏されたシベリウスの交響曲第2番が清心な出来映えであった。

ただ、前回聴いたのが2002年ということで、実に14年ぶりのバーミンガム市交響楽団体験となる。メンバーも大幅に変わったはずで、ファゴットの女性奏者はクラシックではまだ珍しい黒人である。

曲目は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:河村尚子)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

日本人若手指揮者界のトップランナーともいうべき山田和樹は、1979年生まれ。東京芸術大学在学中にオーケストラ(トマト・フィルハーモニー管弦楽団。現:横浜シンフォニエッタ)を立ち上げ、2009年には第51回ブザンソン国際コンクールで優勝という経歴から、「リアル千秋真一」と呼ばれたこともある。今年の秋からは先日来日もしたモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任することが決定している。その他に、スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団とオーケストラ・アンサンブル金沢のミュージックパートナー、横浜シンフォニエッタの音楽監督など多くのポストを牽引している。現在はベルリン在住。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。今日のメインはベートーヴェンの交響曲第7番だが、その初演を聴いて、「ベートーヴェンもついに気が狂ったか」と日記に記しているのが他ならぬウェーバーである。

アメリカ式現代配置での演奏。バーミンガム市交響楽団はラトルの時代から仄暗い響きを特徴としていたが、それは今も守られているようである。
弦はビブラートを抑えたピリオド奏法だが、盛り上がりを見せるようになるとビブラートを盛大に掛けるため折衷様式の演奏である。ティンパニが堅めの音出しているのが古楽風だ。
山田のオーケストラ統率力は極めて高い。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。フェスティバルホールはステージが広いので、予めオーケストラを奥寄りに配置し、ピアノを下手奥から正面へと移動させることで、楽団員が退場しなくても場面転換が可能になっている。

真っ赤なドレスで登場した河村尚子(かわむら・ひさこ)。今、最も注目に値するピアニストの一人である。1981年、兵庫県西宮市生まれ、5歳の時の一家で渡独。ドイツで普通教育と音楽教育を受け、現在もドイツ在住である。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、超絶技巧が必要なことで知られており、「弾き終わったら気が狂う」といわれるほど難しい。そのため、技巧を見せびらかすためにバリバリと弾くピアニストも多いのだが、河村尚子のスタートは慎重である。何かを探しながらためらいつつ進むという趣。技巧よりもラフマニノフの内面に光を当てたピアノである。
河村の特長であるヒンヤリとした音色を持つエッジの効いたピアノはラフマニノフにピッタリである。山田が指揮するバーミンガム市響も立体的な伴奏を奏でる。山田はスケールの的確さというものを理解しており、徒にスケールを拡げすぎることがない。

第2楽章を煌めきと不安とで彩った河村。その河村が第3楽章に入ると技巧を前面に出して、熱烈な凱歌を奏でる。ベートーヴェン的解釈と読んで良いのかはわからないが、第1楽章や第2楽章での憂鬱が圧倒的な音の波に呑み込まれていく。ラフマニノフの勝利を河村は鍵盤に刻みつける。決して、情熱をまき散らす様な演奏ではなく、今この時に刻印する。ただの「お祭り」に陥らない音楽を河村は創造する。本当に優れたピアニストだ。

山田指揮するバーミンガム市交響楽団の迫力も虚仮威しでなく、良かった。

河村のアンコール曲は、ラフマニノフの前奏曲変ト長調作品23の10。
音楽が底から沸き上がってくるような、不思議な曲であり、演奏であった。

ベートーヴェンの交響曲第7番。山田は以前、大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮して同曲を演奏している。
アメリカ式の現代配置ではあるが、ティンパニは指揮者の正面でははく、上手奥に位置する。しかも古楽用のバロックティンパニでの演奏である。

ということで、このベートーヴェンでは徹底したピリオド・アプローチによる演奏が展開された。弦楽器がビブラートを用いることはほとんどない。ホルンはモダン楽器を使用していたが、トランペットは通常のものとはやや違うように見えた。ピストンが着いているようには見えないのである。ナチュラルトランペットにも見えないが、過渡期的な楽器を使ったのだろうか。

ピリオドによって様式は異なるが、演奏の出来不出来に影響はしない。山田の楽曲構造把握は抜群で、マスとしてのスケールをきちんと把握して演奏している。そのため、決して大言壮語のベートーヴェンにはならない。

ベーレンライター版の楽譜を用いてるため、通常とは異なるところがいくつかあったが、特に気にする必要はないだろう。第3楽章のティンパニとトランペットの強奏は意図が余り伝わってこなかったが。

第1楽章と第2楽章で一つの音楽、第3楽章と第4楽章でもう一つの音楽という昨今流行のスタイルでの演奏。
少し軽い気もしたが、爽快な演奏ではある。第3楽章と第4楽章ではジャンプも飛び出すなど、指揮姿も躍動感に溢れていた山田。金管の強奏、ティンパニの強打も効果的で迫力ある第7を生み出した。ただノリが良すぎてベートーヴェン的要素が後退してしまったのはマイナスかも知れない。

アンコール。まず山田のスピーチ。「イギリスではシェイクスピア没後400年ということで、コンサートでシェイクスピアにまつわる様々な楽曲が毎回のように演奏されています。それではウォルトンという作曲家による『ヘンリー五世』より“彼女の唇に触れて別れなん”」。山田がオーケストラの方に向き直って演奏スタート。弦楽合奏のための曲である。映画音楽だそうだが、気高い曲調で、演奏もエレガントであった。

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2014年5月 8日 (木)

コンサートの記(134) ロビン・ティチアーティ指揮スコティッシュ・チェンバー・オーケストラ来日演奏会2014西宮

2014年2月17日 兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後7時から、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、ロビン・ティチアーティ指揮スコティッシュ・チェンバー・オーケストラの来日演奏会を聴く。

ロビン・ティチアーティは、1983年生まれのイタリア系イギリス人の指揮者。世界的に高い評価を受けている指揮者としては現役最年少である(何を持って世界的に高い評価を受けているかは人によって基準が異なると思うが、ここでは「世界各地の有力オーケストラを振って好評を博し、レコーディングも行っていてこれも好評」とする。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などを指揮しているという定義に変えるなら、現役最年少はやはり依然として1981年生まれのグスターボ・ドゥダメルということになるだろう)。

ティチアーティは、当初はヴァイオリン、パーカッションなどを学び、イギリス・ナショナル・ユース・オーケストラに所属していたが、サー・サイモン・ラトルとサー・コリン・デイヴィスに才能を見出されて15歳で指揮者に転向。ラトルとサー・コリンに師事した。2006年にリッカルド・ムーティの代役としてスカラ座オーケストラを指揮してスカラ座史上最年少デビューを飾る。翌年にはザルツブルク音楽祭にも史上最年少指揮者としてデビューしている。
2009年からスコティッシュ・チェンバー・オーケストラ(スコットランド室内管弦楽団、SCO)の首席指揮者を務めており、今年1月にはグラインドボーン音楽祭の音楽監督に就任している。スコティッシュ・チェンバー・オーケストラとはベルリオーズの幻想交響曲などをLINNレーベルにレコーディング。同楽団を指揮した「ロベルト・シューマン交響曲全集」がやはりLINNレーベルから今年中にリリースされる予定である。また2010年からバンベルク交響楽団の首席客演指揮者も務めている。

世界中の楽団から引っ張りだこの状態であり、世界的オーケストラだけでも、バイエルン放送交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ロンドン交響楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニック、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)、ウィーン交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、ブダペスト祝祭管弦楽団、フランス国立管弦楽団への客演が決まっている。
古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団とも共演を重ねている。

スコティッシュ・チェンバー・オーケストラは、スコットランド室内管弦楽団としても知られ、サー・チャールズ・マッケラスの指揮による多くの名盤を生み出しているオーケストラ。ただ世界的な知名度があるかというと、残念ながらそうではない。ティチアーティは若い指揮者だが、「40(歳)、50は洟垂れ小僧」といわれる指揮者の世界にあっては、若い指揮者が名門オーケストラのシェフになることは極めて稀である。

ティチアーティもスコティッシュ・チェンバー・オーケストラもピリオド・アプローチには慣れているため、当然、ピリオドでの演奏となった。トランペットもホルンも口だけで音程を操作するナチュラル仕様のものを採用している。

曲目は、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:マリア・ジョアン・ピリス)、ベートーヴェンの交響曲第5番。

ティチアーティは日本ではまだ知名度が低いため、ティチアーティとスコティッシュ・チェンバー・オーケストラだけで来日公演を行っても集客が見込めないということで、人気ピアニストのマリア・ジョアン・ピリスがツアーに加わっている。

チェンバー・オーケストラ(室内管弦楽団)といっても編成の大きさは各楽団で異なるが、スコティッシュ・チェンバー・オーケストラの場合は、第1ヴァイオリン7名、第2ヴァイオリン6名といった風で、フルサイズのオーケストラの丁度半分ぐらいの編成である。配置はヴァイオリン両翼であるが、弦の編成は舞台下手側から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ(背後にコントラバス)、第2ヴァイオリンで、いわゆる一般的な古典配置とは異なる。ティンパニが置かれているのは舞台上手奥。

ティチアーティ登場。カーリーヘアーであり、才能も勿論だが、髪形も相まって、彼には「第二のラトル」というキャッチフレーズも付いている。

序曲「フィンガルの洞窟」。ビブラートを抑えた弦が透明で美しい音を奏でる。編成が小さめなので、スケールも小さめになるのは当然である。ただ、奥行きがないのはティチアーティの若さ故だろう。
整った演奏であったが、味わい深さを出すにはやはり指揮者が年齢を重ねるしかないようだ。ティチアーティの指揮はこの曲では比較的動きが小さめであった。

ショパンのピアノ協奏曲第2番。通常、ショーピースの後でピアノ協奏曲が演奏されるときは、ピアノを運ぶための道が出来るようオーケストラの弦楽器奏者はいったん退場するのだが、スコティッシュ・チェンバー・オーケストラは小編成であり、KOBELCO大ホールのステージは広めなので、予め客席に近い方を開けておき、そこにピアノを運んで設置することで楽団員が退場しなくてもピアノ協奏曲を演奏出来るようになっていた。

若きショパンが書いた作品であり、ショパンが管弦楽法の講義を受けてから間もないうちに書かれたということで、オーケストレーションに問題があり、20世紀前半までは指揮者がオーケストラ伴奏を編曲して良く響くように改めた楽譜で演奏されるのが常であったが、20世紀後半になると、「未熟ではあるが、ショパンの曲調に合っている」「響きがショパンらしい」「ショパンの場合、ピアノ協奏曲はあくまでピアノが主役でオーケストラは脇役なのだから、響かないことは逆にピアノを引き立てる」などの意見が多く出て、現在はショパンが書いたオーケストレーションそのままのスコアで演奏するのが当たり前になっている。

ピリオド・アプローチによるショパンのピアノ協奏曲の伴奏を聴くのは初めてだが、未熟な感じが目立つという欠点がある一方で、よりドラマティックで心理描写を細やかに行えるようになるという印象を受けた。ただ、心の移り変わりがよくわかるのは、ティチアーティの丁寧な指揮の成果であることも間違いなく、ピリオド・アプローチを行えば何でも良くなるということではない。
「フィンガルの洞窟」は暗譜で指揮したティチアーティであったが、この曲では譜面とスコアを置いての指揮であった。

ピリスは実に温かいピアノを弾く。生ぬるいということではなく、ヒューマニズムのような温かさである。そういう点においてはレナード・バーンスタインに通ずるものがあるように思う。
曲調の描き分けも丁寧で、第2楽章の「青春の憧れと痛手」も霊感に満ちていたが、全編に渡って漂う温もりは他のピアニストの演奏からは感じ取ったことがない種類のものであった。

ピリスはアンコールとしてショパンの夜想曲作品9の3を弾く。情感豊かな演奏であった。

 

ベートーヴェンの交響曲第5番。ティチアーティは、暗譜&ノンタクトで指揮する。
冒頭の運命動機をティチアーティは全て手の動きで指示する。特徴的なのはフェルマータの部分をはっきりわかるようディミヌエンドさせること。これまで聴いたことのない解釈である。その他の部分でも強弱の付け方は個性的だ。
思い切った金管の強奏、鮮明な弦楽器の音などピリオド・アプローチの良さが出た演奏である。ナチュラルホルンやナチュラルトランペットは音程を外しやすいのだが、長年に渡って吹き続けてきたということもあり問題なしである。ナチュラルホルンやトランペットは、濃い音色や透明な音を出すことに関しては現代の楽器より優れた部分はあるように思う。ただ燦々と輝くような音色は現代楽器の方が出しやすいようだ。
ティチアーティの楽曲解釈であるが、明晰な楽曲分析は光るが、文学的な意味での内容の踏み込みがやや浅いように感じた。だが、おそらく敢えてそうしているのだろうと途中で気付く。音そのものに語らせたかった部分はあると思う。
第4楽章へ突入する時のテンポは速めで、あっさりとした感じがあり、ここは拍子抜けした。ここだけはドラマティックにして欲しかった。

さて、版の問題であるが、第3楽章までは、ベーレンライター版だろうと思っていた。ピリオド・アプローチはベーレンライター版の楽譜を用いることが多いし、ベーレンライター版ベートーヴェン交響曲全集の校訂を行った音楽学者ジョナサン・デル・マーはイギリス人だからである。ティンパニの入り方もベーレンライターのものである。しかし、ブライトコプフ(ブライトコップ)版との違いが最も明瞭になるはずの第4楽章でベーレンライター版にしては妙なことに気付く。まず、ピッコロが1オクターブ上を吹いて浮き上がるはずの部分でピッコロ奏者はなんと吹くことすらしない。そしてラストのティンパニはトレモロが普通なのだが、今日の演奏ではティンパニは「タン、タン」と音を二つ打っただけで演奏を終えた。こんな演奏は聴いたことがない。
あとで関係者に伺ったところ、使用した楽譜はベーレンライター版とのことであったが、どうも腑に落ちない。後日、ベーレンライター版の総譜で確認したところ、やはりベーレンライター版の指示とは明らかに違った演奏をしていることがわかった。

アンコールはモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲。典雅な演奏であり、ティチアーティのモーツァルト指揮者としての才能を感じさせる好演であった。

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2014年1月 6日 (月)

コンサートの記(120) ポール・マッカートニー「OUT THERE」大阪公演at京セラドーム大阪

2013年11月12日 京セラドーム大阪にて

午後7時から、京セラドーム大阪で、ポール・マッカートニーの来日ツアー公演「OUT THERE」を聴く。今回が最後の来日になるのではないかと噂されているポール・マッカートニー。ビートルズナンバーもたっぷりということがそれを示唆しているともいわれる。

ポール!

東京・田安門の武道館でコンサートを聴いたことはあるが、ドーム球場での音楽公演に接するのは初めてである。東京ドームには1回しか行ったことがないが(そこはスワローズファンなので。もっとも神宮球場に行ったことも数えるほどだが)、何度も通っている京セラドーム大阪(大阪ドーム)で初のドームコンサート体験というのはやはり嬉しい。

3万人以上の聴衆が押し寄せるということもあってか、京セラドーム大阪は午後5時開場。野球の時とほぼ一緒なので、対応には全く問題はないだろう。

本当は今日が日本ツアー初日だったのだが、満員御礼につき追加公演が組まれ、昨日が追加公演で初日となった。昨日のコンサートの様子は各紙が取り上げているが、今日は昨日のは違ったラフな格好でポールは現れた。

私の席は野球開催時にはバックネット裏の特等席となる場所だが、残念ながら、今回はバックスクリーンのある場所にステージが組まれている。ということで、ステージからかなり遠い。京セラドーム大阪はホームプレートからバックスクリーンまで122mだが、ホームプレートから、後部フェンスまで十数メートル。更に後部フェンスから私の席までの距離が十数メートル。ということで、約150mほど先にポールがいることになる。「いるな」「動いてるな」ということぐらいしかわからない。ステージの両袖に巨大スクリーンがあり、そこにはポールがアップで映っている。

セットリストであるが、ビートルズナンバーを想像以上に多く、「あのビートルズナンバーが好きなのに歌ってくれなかった」と思う人はごく僅かではないかと思うほどである。

ポールが「まいど、オーサカ、ただいまー」と言ってコンサートスタート。新聞にも出ていたが、ポールは、「コンバンハ、ニホンゴ、ガンバリマス。デモ、エイゴノホウガ、トクイデス」と言ったり、「オーサカ、めっちゃスキヤネン」と叫んだりする。「ワタシノ、ニホンゴ、ドウデスカ?」と聞いたりもしていた。

いきなり、ビートルズナンバーである「エイト・デイ・ア・ウィーク」でスタート。大いに盛り上がる。新作アルバム『NEW』から「セーブ・アス」を挟んで再びビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」、ウイングス時代の「あの娘のおせっかい」と「レット・ミー・ロール・イット」、再びビートルズの「ペイパーバックライター」、ポールのソロ曲である「マイ・ヴァレンタイン」、「1985年」(ウイングス)、そしてビートルズの代表作の一つ「ロング・アンド・ワインディング・ロード」が歌われる。その後、「恋することのもどかしさ」(故リンダ夫人に捧ぐということで、スクリーンには在りし日のリンダの映像が映し出される)、「夢の人」(ビートルズ)、「恋を抱きしめよう」(ビートルズ)、「アナザー・デイ」、ビートルズの初期の代表作の一つ「アンド・アイ・ラヴ・ハー」、「ブラックバード」(テレビでアメリカの公民権運動を知って作ったというポールの説明あり)、ジョン・レノンに捧げた曲である「ヒア・トゥデイ」、『NEW』より「NEW」(演奏前にポールから、『NEW』を日本の海外アルバムチャート1位にしてくれてありがとうとのコメントあり)、「クイーニー・アイ」(『NEW』)、「レディ・マドンナ」(ビートルズ)、「オール・トゥギャザー・ナウ」(ビートルズ)、「ラヴリー・リタ」(ビートルズ)、コンサートのタイトルにもなった「エヴリバディ・アウト・ゼア」(『NEW』)、「エリナー・リグビー」(ビートルズ。まさかこの曲を歌ってくれるとは思っていなかった)、「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」(ビートルズ)

ポールは、「次はジョージに捧げる曲です」と言って、ウクレレを弾きながらジョージのナンバーである「サムシング」を歌う。ウクレレを弾きながらというところに捻りが利いている。

ポールは今度は、「この曲はみんなで歌いましょう」と言って、「オブラ・ディ・オブラ・ダ」が演奏される。

ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」を経て、再びビートルズナンバーが続く。「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」、「レット・イット・ビー」、ウイングスの「007死ぬのは奴らだ」

そして今回のコンサートの山場ともいうべき、「ヘイ・ジュード」の演奏に入る。ポールは「Na Na Na Na Na Na Na」のところを聴衆全員に歌わせ、続いて、「男性」といって男性客のみに歌わせる。そして「女性、ガールズ&レディース」といって女性客の歌声を響かせる。そして「エブリバディ!」と言って、全員での大合唱となる。

アンコール。ポールが日章旗を持ち、もう一人がユニオンジャックを持って現れる。「デイ・トリッパー」(ビートルズ。この曲も歌ってくれるとは思っていなかった)、「ハイ・ハイ・ハイ」(ウイングス)、ラストはビートルズナンバーである「ゲット・バック」で締めた。

ポールは、再度のアンコールに応えて、登場。「イエスタデイ」をギター一本で弾き語りする。歌詞とメロディーが惻惻と胸に染み込んでくる名曲中の名曲である。

ポールは、下手袖にはけようとするがそこにメンバーが待ち構えており(という演出)エレキギターを渡してアンコール続行となる。「ヘルター・スケルター」、「ゴールデン・スランバー」、「キャリー・ザット・ウェイト」そして、最後は「ジ・エンド」でジ・エンドとなる。

約2時間の演目を終えた後で、更に5曲のアンコール。計約2時間半のライブである。

ポールは、年齢を全く感じさせない熱唱。ギター、ベース、ピアノ、シンセサイザー(オルガン風外観)、ウクレレを演奏する。ギターは何種類も取り出し、そのうちの一つはジミ・ヘンドリックスが愛用していたものだという。

チケット料金の割りにはステージから遠いというのが不満であったが(パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の演奏会は、チケットを買うのが遅れたため、今回は高めの席で聴いたが、それでも今日のコンサート料金よりは安かったし、パーヴォは目の前にいた。確かにポールは歴史に名を残すことが確実な偉人であるが、パーヴォも歴史に名を残す可能性の高い人物である)、それ以外は満足のいくコンサートであった。ポールがどう思うか、またポールの年齢にもよるが、また来日して貰って、今度は近い席で聴いてみたい。ただ、近くの席はファンクラブ優先などがあるかも知れない。

私はビートルズは好きで、19歳で大学に入ったとき、真っ先に買ったのが、版権の遅れのためCD化されたばかりの赤盤、青盤であった。オリジナルアルバムもほとんど持っていて、カラオケでビートルズナンバーを歌うこともある(ジョンの作品である「ノルウェイの森」が一番多いと思う)。

ただ、ビートルズ解散後は、私はもともとジョン・レノン派であったということもあって、ジョン・レノンのアルバムは折に触れて聴くことはあっても、ポールのアルバムはほとんど聴いてこなかった。ジョンがビートルズ解散後に賛否両論はあっても独自の道を見つけたのに対し、ポールの方はビートルズ時代の実験精神が嘘のように売れ線のシンガーソングライターになってしまい、物足りなくもあった。メロディーメーカーとしての才能はポールがビートルズの中でナンバーワンだったと思うし、ジョンもジョージも他界した今ではそれはもう揺るがないだろう。しかし、ビートルズの時の時代を切り取ったようなシンクロナイズなパワーが消えてしまったように思うのはなぜなのか。変わったのはポールなのか時代なのか、あるいは両方なのか。それはわからないが、今日もポール・マッカートニーやウイングス名義の曲よりもビートルズナンバーの方に力強さを感じた。技巧的にはビートルズ解散以降の方が上であり、メロディー的にもビートルズ時代の方がシンプルなのだが、ビートルズという稀有な四人が集まって(晩年は不仲であったが)作り上げた作品群は、ポール・マッカートニーという個人が個人のみによる作業で作り上げた音楽を上回る何かを持っていたのかも知れない。

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2013年11月14日 (木)

ベンジャミン・ブリテン シンプル・シンフォニー

長岡京室内アンサンブルの演奏でどうぞ。

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2008年12月25日 (木)

「青い紅玉」

子供の頃はシャーロック・ホームズ・シリーズが好きでした。今でも嫌いではありませんが。

クリスマスシーズンになると『シャーロック・ホームズの冒険』に収録された「青い紅玉」という短編を思い出します。クリスマスに食べられるガチョウを利用して、盗んだ「青い紅玉」という貴重な宝石を運ぼうとする事件を扱ったものです。

ところで、紅玉というのはルビーのことで、ルビーと同じ元素で青い宝石のことをサファイアといいます。だったら、「青い紅玉」はサファイヤのことになってしまうじゃないか、特に貴重ということでもないじゃないか。
ということで、最近では「青い紅玉」は誤訳ということになり、「青いガーネット」という訳が用いられるようになっています。

それはともかくとして、ホームズがわざと賭に負けて真相を掴みだし、一人笑い転げるシーンはとても印象的です。

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2008年7月11日 (金)

これまでに観た映画より(28) 「リトル・ダンサー」

DVDでイギリス映画「リトル・ダンサー」を観る。2000年制作。スティーヴン・ダルドリー監督作品。

1984年、イギリス北部の炭坑の町。11歳のビリー・エリオットはボクシングをやっているが、彼にはやる気がない。そんなある日、工事のため下の階でやっていたバレエレッスンをボクシングをやっている体育館の脇でやることになる。もともとダンスのとりこだったビリーはレッスンを見ているうちにバレエに次第に惹かれていくのであった。しかし炭坑の町だけに父親は、「男らしくない」と強硬に反対し……。

ビリー・エリオットの成長を描く爽快な一編である。観ていてワクワクする。ここにはドラマがある。現代人はドラマを好まなくなったなどと、利いた風に人は言うけれど、そんなわけがないことがこの映画を見ればわかると思う。
映像の美しさも特筆事項。そして、無惨な炭坑の町をきちんと描くという社会的な部分も決して忘れていない。見応えのある作品である。

原題は「ビリー・エリオット」。その名の通り、バレエを描くと言うよりも、むしろビリーという少年をきちんと描いている。家族の愛の強さと大切さもちゃんと教えてくれる。
6歳でダンスを始め、2000倍のオーディションを勝ち抜いた、ビリー役のジェイミー・ベル(1986年生まれ)の見事なダンスにも瞠目。観て絶対に損はしない一本である。

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