カテゴリー「哲学」の4件の記事

2019年4月25日 (木)

これまでに観た映画より(125) 「がんになる前に知っておくこと」

2019年4月18日 京都シネマにて

午後5時55分から京都シネマで「がんになる前に知っておくこと」を観る。がんの医療関係者などに女優でピアノ講師などもしている鳴神綾香がインタビューするスタイルで撮られたドキュメンタリー映画。三宅流監督作品。プロデューサーの上原拓治が4年前に義妹をがんで亡くしたことから制作を決めた映画である。
オープニングとエンディング曲は、J・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」よりアリア。鳴神綾香が演奏しており、演奏風景を収めたシーンもある。

二人に一人がかかる癌。日本人の死亡率トップの病気である。でありながら癌に関する知識は十分という人を余り見かけないのが現状である。私自身も癌の家系ではなく癌で亡くなった親族が少ないということもあって、全くといっていいほど知識を持ち合わせていない。
数年前に胸にしこりを感じ、乳がんを疑った鳴神。幸い良性であったが、癌に対する恐怖を感じたということでナビゲーターに選ばれている。
癌の治療に携わる外科医、放射線腫瘍医、癌の専門医である腫瘍内科医、癌の研究医、癌治療の緩和ケアを行う緩和医療医、更にがん専門看護師、がん相談支援センター相談員、癌経験者によるピア・サポーター、癌経験者などに鳴神が話を聞いていく。癌をめぐる多くの人々の話を聞くことで複数の視座と立体感を得ることに成功しており、また順番も工夫されていて、例えば複数の人が口にする「緩和ケア」についての情報を観る者に十分に与えるため、まず緩和医療医の話を流すことで、他の人やほとんどの日本人が抱いている緩和ケアに対する誤解などがわかるようになっている。

正しい知識を伝えることの大切さも語っており、例えばインターネット上には様々な情報が乗っているが、国立がんセンターなど確かな情報を載せているサイトを閲覧することが重要で、そうでないと効果のない療法にはまってしまう危険性がある。また、がん相談支援センターというものが日本全国の病院に約400ほど設置されているそうで、その病院の患者でなくても相談出来るようになっている。

癌に携わる医師に共通することは、「治せばいい、生きられればいい」ではなく、「いかに癌と生きていくか」を考えているということである。癌になったら死ぬだけというのは30年前の考えだそうで、今は癌と共存する時代だそうである。癌の治療をしながら働いてい生きていけることが可能になっているそうで、今なお「癌になったら終わり」というイメージが流布してしまっているのはマスコミにも責任があるそうだ。
感じるのは、「癌と生きる哲学」。複数の治療法が提案可能な時代であり、敢えて治療をしないという選択肢もあるという。ただ、個人的に「もう年だから何もしなくていい」と考えても、家族と医師による話を聞くことで考えが変わったりもするようである。
治療しても他に影響が出てしまって、それがクオリティ・オブ・ライフ(QOL)が低下するようでは本末転倒でもあり、医師や医療従事者が「何を優先するか」を患者と話し合うことで決めるというスタイルが取られている。ちなみに「ライフ」は「生活」という意味でとらえられることが多いが、「人生」という意味もあり、「癌になってもいかなる人生を設計するか」がこれからの癌治療では重要になってくる。
癌を経験しても希望を捨てずに生きている人も何人も登場し、「癌=終焉」ではないことを教えられる。
どうも「癌患者は癌患者らしくしなければならない」という思い込みと押しつけがまかり通っているようで、本人が率先してそうした考えに囚われてしまうケースが大半のようなのだが(仏教でいうところの「無縄自縛」である)、「押し込められた人生観」から自由になることは癌に罹患していなくても重要であるように思われる、というよりそうした姿勢でいることが癌に対する心構えにも繋がっているようだ。


帰り道の四条通は華やいでおり、気候の良さも相まって夢の中を歩いているような気分になる。

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2017年9月15日 (金)

観劇感想精選(220) 演劇集団マウス・オン・ファイア 「ゴドーを待ちながら」京都

2017年9月10日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、「ゴドーを待ちながら」を観る。アイルランドのカンパニーである演劇集団マウス・オン・ファイアによる上演。英語上演、日本語字幕付き。作:サミュエル・ベケット、演出:カハル・クイン。出演:ドンチャ・クロウリー、デイビッド・オマーラ、マイケル・ジャッド、シャダーン・フェルフェリ、下宮真周(しもみや・ましゅう)。ラッキーを演じるシャダーン・フェルフェリはインド出身、下宮真周は中学校1年生の少年である。東京・両国のシアターX(カイ)と演劇集団マウス・オン・ファイアの共同製作。
今回は作者であるベケット本人の演出ノートを手がかりに、ベケット自身の演出を忠実に再現することを目指したプロジェクトである。


「ゴドーを待ちながら」を観るのは記憶が正しければ3回目である。最初は2002年に東京・渋谷のシアターコクーンで(正確に書くとシアターコクーン内特設劇場のTHE PUPAで)串田和美演出のもの(串田和美のエストラゴン、緒形拳のウラジーミル)を観ており、京都に移ってからは近畿大学舞台芸術専攻の卒業公演で上演されたものを観ている。


「ゴドーを待ちながら」は初演時に大スキャンダルを巻き起こしたことで有名で、特にアメリカ初演の際は、1幕目終了後に客が列をなして帰ってしまったという話が伝わっている。

セットらしいセットを用いず、出演者は5人だけ。特にドラマらしいことも起こらないまま作品は進んでいく。

舞台上で描かれるのは人生そのものであり、大半の人間の人生がそうであるように、起伏というものがほとんどない。ということで「つまらなければつまらないほど上演としては成功」と考えられる作品である。

今回の上演では、移民や難民の問題に直面する社会を描くということで、ラッキーにインド人のシャダーン・フェルフェリを配役し、木の形をロシア正教のシンボル(八端十字架)に似せ、ポォツォやラッキーの服装に帝国主義を表す「青、赤、白」の要素を取り入れているという(ロシア、イギリス、フランス、アメリカなど帝国主義の国は国旗にこの色を用いている)。エストラゴンとウラジーミルという二人の浮浪者を始めとする現代人を圧迫しているのが帝国主義という解釈である。


行き場のない浮浪者であるエストラゴンとウラジーミル。生きる意味をなくしてしまっているようにも見えるのだが、「ゴドーを待つんだ」というそのためだけに「ここ」で待ち続けている。「救世主」なのか(「ゴドー」とは「ゴッド」のことだという解釈がよく知られている)、あるいは「死神」なのか。それはわからないが、ともかく「最期」にやってくるのがゴドーである。ゴドーが来るまでは我々はどこにも行けず「ここ」にいるしかない。たまに自殺という手段で「ここ」から逃げ出してしまう人もいるが劇中ではそれも封じられている(エストラゴンとウラジーミルの二人が死を望んでいることはそれとなく示されてはいる。一方でウラジーミルがしきりに尿意を催すことは「生きている」ことの象徴でもある)。劇中で行われるのは「退屈極まりない」という人生の属性をいかにして埋めていくかという作業である。時には観客も題材にしたりする。
ポッツォとラッキーの乱入はあるが、その場を掻き乱したり、時間の経過やその厳格さを示すだけであり、生きるということの本質を揺るがしたりはしない。我々はどこにも行けず、ただ「ここ」で来るのかどうかもわからないゴドーを待ち続けているだけである。

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2008年5月20日 (火)

『求めない』 加島祥造

現代社会は、消費社会であり、消費のために人々は追い立てられています。曰く「~がないと時代に乗り遅れます」、曰く「~があると便利です」、曰く「~なしではもうこれからは通用しません」等々。

さりながら、そうした大きな流れに乗ることで我々は我々自身を見つめる目を曇らせてしまうことが往々にしてあります。加島祥造の詩集『求めない』(小学館)には、そうした大きな流れの中で、あらゆることを求めすぎている自分を見つめ直すのに最適な言葉が散りばめられています。

加島祥造 『求めない』 とてもシンプルな言葉がならんでいます。難しいことは一切書かれていません。しかし、その言葉を読んでいく内に、これまで見聞きしたこと、読んだこと考えたこと、そうしたあらゆる記憶が繋がっていく心地よさがあります。人間なら誰でもこうした繋がりを見つけられるはずです。

求めるという行為には求めて当然という思いがあり、求められるのは求めたことの代償という考えがあり、しかし、それらは極めて産業構造的な考えです。

求めると見えない、それは求めるときは求めるものだけに目を配るからで、ある種の豊饒さから目を背けたことの結果でもあるわけです。

ここにあるものだけでなく、「外のもの」に引きずり回される。あるいはありもしないものに追い立てられる。それは現代人、いや現代に限らず人間の宿命なのかも知れず、それが故に宗教や思想(『求めない』には仏教や老荘思想に通ずるものが多くあります)を生んだのでしょう。
「外のもの」に消費されることだけが人生の在り方なのか。求め、求められという循環の中で生きていることで、本当に大切なことから目を背け、その周囲で延々とデッドヒートを繰り広げる羽目になっていはしないか。

そういう思いに駆られたことのある方に読んで貰いたい本です。

加島祥造/「求めない」加島祥造

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2007年4月25日 (水)

好きな短歌(21)

人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾が行く道を吾は行くなり 西田幾多郎

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