カテゴリー「言葉」の20件の記事

2017年3月16日 (木)

2346月日(1) 「JUNPA設立5周年記念国際詩祭」@ロームシアター京都ノースホール

2017年2月14日 ロームシアター京都ノースホールにて
 
午後2時から、ロームシアター京都ノースホールで、「JUNPA設立5周年記念国際詩祭」に参加する。メインホールやサウスホールには何度も来ているロームシアター京都だが、ノースホールには入るのは初めてである。実は、一度、ノースホールで行われるマレーシアの演劇を観る予定があり、チケットを取ってロームシアター京都まで行ったのだが、痰が喉に絡まって仕方なく、上演中に「ウンウン」やるわけにもいかないし、集中力も持続しないし、というわけで諦めている。

ノースホールはロームシアター京都の地下2階にあるブラックボックス状の空間である。
JUNPAというのは、日本国際詩人協会の略。2014年に京都で設立されている。委員長は上村多恵子。

ベルギー生まれで現在はスペイン在住のジャーメイン・ドルーゲンブロート、日本国際詩人協会創立者の有馬敲(ありま・たかし。今日は体調不良を押しての参加だそうである)、イタリアの詩人であるダンテ・マッフィア、日本国際詩人協会変種顧問の村田辰夫、フランス人の哲学者で詩人であるイグ・ラブリュス、イタリアの詩人で「コモ詩の館」館長でもあるラウラ・ガラヴァリア、日本国際詩人協会代表のすみくらまりこ、2013年の日本国際詩人協会最優秀賞を受賞した下田喜久美、更に新進詩人であるタニウチヒロシ、加納由将、浜田千秋の3人が参加する。京都には来ていないがイタリアの詩人のドナテッラ・ビズッティの作品も読まれた。また、アイルランド出身のガブリエル・ローゼンストックは体調不良のために不参加で、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが詩を代読した。

まず、上村多恵子による開会の挨拶。自然災害や国際紛争、SNSの普及による情報の洪水の中にあって、「言葉で世界とどう切り結ぶか」を模索したい旨を述べる。

続いて、特別後援である関西・大阪21世紀協会の理事長・堀井良殷(ほりい・よしたね)の挨拶。奈良に住んでいるということで、柿本人麻呂の「敷島の倭(やまと)の国は言霊の佐(たす)くる国ぞ真幸(まさき)くあれこそ」と紀貫之の筆による『古今和歌集』の仮名序「やまとうたは人の心を種として万の言の葉とぞなりにける」を紹介し、日本の詩の元をたどる。
ちなみに、『古今和歌集』の仮名序には「(やまとうたは)天地(あめつち)をも動かし」という言葉があるのだが、江戸時代にこれに対して詠まれた宿屋飯盛の「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは」という狂歌が有名であり、私などはこの狂歌が頭に浮かんでしまった。

読まれるテキスト(京都だけのものではなく、関西各地で行われるABCD4つのプログラム用の作品全てを収録)は日本語版と英語版が共に1000円で売られている。対訳本はないようである。

山田啓二京都府知事は参加されなかったが、代わりに山田府知事夫人(流石、府知事夫人というか、かなり綺麗な方である)が参加し、JUNPAへの祝辞を述べる。
門川大作京都市長からも祝電が届いた。


現代詩の朗読であるが、私も詩は一応専門であるため(そもそも私は高校時代に田村隆一の後輩になりたくて進学先を選んでおり、詩に関しては早熟であった)、おおよその内容は分かる。100%分かるということはないが、そもそも作者ですら100%理解出来ているわけではない。100%分かる詩というのはつまらない詩である。

第一部 詩の朗読 「時の二重奏」「存の二重奏」では、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが英語で自作を朗読した後、武西良和が日本語訳のテキストを読み上げた。
有馬敲の詩も武西良和が朗読。その後、ダンテ・マッフィアの詩を稲葉妙恵が日本語朗読した。「滝の二重奏」では、先に書いたとおり、体調不良で欠席のガブリエル・ローゼンストックの詩はジャーメイン・ドルーゲンブロートが英語で代読した。その訳詞はすみくらまりこが朗読。そして村田辰夫の詩は村田本人が朗読。村田は日本語で朗読した後で英訳したテキストも読み上げた。


休憩を挟み、音楽会が行われる。未来へ贈る歌 創作童謡の会「黄金(おうごん)のあみ」ミニコンサート。ノースホールには四方にテラスがあるのだが、曲ごとにテラスに青や赤、オレンジなど電飾が点る演出があった。
黄金のあみは、大阪音楽大学の教員と日本国際詩人協会の協働によって生まれた創作童謡を発表していく会である。
今日の演目は、「ちいさなちきゅう」(詩:有馬敲、作曲:中澤道子)、「影子の楽しいハロウィンナイト」(詩:すみくらまりこ、作曲:中澤道子)、「実がころろ」(詩:上村多恵子、作曲:岡田正昭)、「わたしたちのオーロラ」(詩:ラウラ・ガラヴァリア、作曲:南川弥生)、「宇宙の蝶」(詩:下田喜久実、作曲:南川弥生)の5曲。

ピアノは全曲、織部温子が担当。「ちいさなちきゅう」と「実がころろ」は谷口耕平(テノール)が歌い、「影子の楽しいハロウィン」、「わたしたちのオーロラ」と「宇宙の蝶」は堀口梨絵(ソプラノ)が歌い上げる。「わたしたちのオーロラ」と「宇宙の蝶」では、平田英治のサキソフォンが加わった。
中澤道子の作風は一番童謡的。「影子のハロウィンナイト」はNHK「みんなのうた」に出てきそうな曲である。
南川弥生(みなみかわ・みお。「やよい」ではない)の作風は現代音楽の影響も受けており、ピアノやサキソフォンが不協和音も奏でていた。

ノースホールは音響設計はされていないはずである。この広さで残響があったらうるさくなってしまう。


続いて第二部 詩の朗読。「命の二重奏」として、ドナテッラ・ビズッティの「誘惑」という短編詩を上村多恵子が日本語訳を朗読し、ラウラ・ガラヴァリアが英語で朗読した。

「海の二重奏」では、イグ・ラブリュスが、自作をフランス語で朗読。タニウチヒロシが日本語訳と2016年に亡くなった飛鳥聖羅の詩を朗読した。イグ・ラブリュスの作品には飛鳥聖羅への追悼詩が含まれていた。

「星の二重奏」では、ラウラ・ガラヴァリアと下田喜久美が自作を朗読。

ラストは新人賞過去受賞者の朗読。
タニウチヒロシが自作を朗読。その後、加納由将がステージに上がるが、加納は車椅子の上に心身不自由ということで、浜田千秋とタニウチヒロシが加納の作品を朗読し、加納は自作を英語でなんとか読み上げた。浜田千秋の革命を題材にした詩で、詩の朗読は終わる。


上村多恵子が国際詩祭京都会場プログラムが無事終了したことの謝辞を述べ、最後は、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが挨拶し、「タエコに日本のハイクのように短い挨拶をするよう言われている」と冗談を言った後で、「美しい京都」「素晴らしい聴衆」と賛辞を贈った上で、「ありがとうございました」と日本語で言って締めた。

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2014年8月 1日 (金)

深津篤史氏・最後のメッセージ

桃園会のブログに記された深津篤史氏のおそらく最後となる文章です。死期が迫っているとは思えないほどの穏やかさが印象的です。「ゆっくり休みますね」が偶然ですが別の意味で遺言のようになっています。

深津篤史「座長は辛いを日記」から2014年7月15日更新分

http://fukashige.blog27.fc2.com/

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2014年6月19日 (木)

文芸について(引用)

神秘の事故、天の誤算、僕がそれを利用したのは事実だ(ジャン・コクトー)

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2009年8月12日 (水)

青なじみ

青痣のことを私の故郷の千葉県では「青なじみ」という。おそらく、語源は「青な染み」であると思われる。茨城県でも青痣のことを「青なじみ」というようだ。ちなみに西隣の東京では「青たん」という。「青いたんこぶ」の略だと思われる。

今日の夕方、散歩からの帰りに、自宅のドアに、手の指を挟んでしまい、右手の薬指の爪に青なみじが出来た。痛みはそれほどでもないので、こうしてタイピングで文章を書くことも出来る。そして、「青なじみ」という言葉を思い出したことで、京都に住んでいても私が千葉の人間であることを深く印象づけられたのであった。

言葉はその土地と密接に結びついている。言葉はその土地に根付き、同時に言葉はその土地を生み出す。世界は言葉によって整序されているともいえる。

そんな言葉にまつわる出来事を、今日の夕方の怪我によって思い起こした。

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2009年3月 7日 (土)

門徒もの知らず

「門徒もの知らず」という言葉があります。基本的には悪口です。

門徒とは浄土真宗(真宗)の檀徒のこと。浄土真宗は、迷信を信じず、ひたすら「南無阿弥陀仏」といっていればいいということ。迷信は信じないので六曜も信じず、友引だろうが何だろうが葬儀を行って構わないということになっています。

このことから、「門徒物忌み知らず」が「門徒もの知らず」に繋がったという説が主に浄土真宗側から出ていますが、本来が、「門徒もの知らず」の後ろに他の宗派の悪口(「法華骨なし」など)が並んで一セットであるということ、また「門徒物忌み知らず」という言葉が古い文献に見られないということから、「門徒もの知らず」の方が「門徒物忌み知らず」より先に出来た言葉だと思われます。

さて、浄土真宗の葬儀の仕方も特別でして、迷信は排除、ということでお清めの塩は用いません。焼香の際は、香を頭に押し頂くことはなく、線香は火を付けずに、折って香炉に置きます。

他の宗派は必ずといっていいほどやることをやらないというのも、浄土真宗が「もの知らず」と思われる所以だと思われます。

逆の見方をすれば、他の宗派の人が浄土真宗の在り方を知らないということでもあり、どっちもどっちということになるのですけれどね。

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2009年1月22日 (木)

人物と怪物

“不運は人物をつくり、幸運は怪物をつくる”(ビクトル・ユゴー)

幸運に恵まれた人の中には信じがたいほど我が儘で独善的な人がいますよね。

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2009年1月 6日 (火)

ほっこり

「ほっこり」という言葉があります。京言葉で「疲れた」という意味です。しかし、京都以外でも用いられることがあるようで、その場合は、「ほっとした」という意味になります。「ほっとした」の方の「ほっこり」の出典を見ると江戸時代に書かれたもの(十返舎一九などが使っている)なので、相当な歴史を持つ言葉のよう。

一方で、京言葉の「ほっこり」の使い方も、最近は語感からか、「ほっとした」という意味に転化して用いられることが多いよう。言葉は変化するものなので、いずれ、京言葉の「ほっこり」も「疲れた」という意味で用いられなくなるのかも知れません。若い人で、疲れて「あー、ほっこり、ほっこり」という人がそう沢山いるとも思えないので。

私自身は……、そもそも「ほっこり」という言葉は使わないなあ。

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2009年1月 1日 (木)

ケータイ「『明鏡クイズ! 問題な日本語』12月末全国テスト」

ケータイ「『明鏡クイズ! 問題な日本語』12月末全国テスト」で、50点満点であった。毎月末にテストがあり、常に満点者は複数名いたので、今回も同点首位の人が何人もいるだろうと思っていたが、年末で参加人数が少なかったのか、満点は私一人だけで、単独首位であった。取り敢えずご報告。

本当はもっと喜んでもいいのだろうけれど、漢字が読めない人が一国の首相になっている一方で、力のある人でも職に就けないという社会にあって、点が良くったってどうってことないとも思える。

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2008年6月 9日 (月)

誤変換

「いれたてのおちゃ」→ ×「入れた手のお茶」 ○「入れ立てのお茶」

「ほんじつかいてんのおみせ」→ ×「本日回転のお店」 ○「本日開店のお店」

などの誤変換を題材にして、「うちの変換は大丈夫です」というアピールをしていた「一太郎」(ジャストシステム)のCM。

しかし、ジャストシステムのIMEであるATOKも勿論完璧ではなく、妙な変換をすることがあります。

最近の誤変換で驚いたのは、「こうべしんぶん」を「頭新聞」と変換したこと。神戸新聞はそんなにマイナーなのか? というより神戸新聞を頭新聞と変換したら例の事件が連想されて不気味じゃないか。

それから歴史的用語にはATOKは弱いようで、「横浜正金銀行」を「横浜賞金銀行」と誤変換したことには笑いました。
「横浜賞金銀行」か。楽しそうな銀行だな。店内のあちこちから、「おめでとうございまーす!」という声が聞こえてきそうな。

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2007年12月13日 (木)

虎に翼

韓国では「鬼に金棒」のことを「虎に翼」というのだそうである。

そこで調べてみると「虎に翼」という言葉は『韓非子』の出典であることがわかった。『韓非子』は紀元前2世紀頃に成立したとされる。それが朝鮮半島に入ってきて今も使われているということなのだろう。朝鮮半島には野生の虎が生息しているのでイメージもしやすく、定着したのだと思われる。

ところで、「虎に翼」と聞いてもう一つ思い出すことがある。

飛鳥時代の日本。近江朝。死の間際にある天智天皇は弟である大海人皇子(のちの天武天皇)を呼び出し、「皇位を継いでくれるか」と訊く。大海人皇子はこれを辞し、天智の子である大友皇子に位を譲るように言って吉野に下る。

吉野に下る大海人皇子を見て、ある人が「虎に翼をつけて放つようなものだ」と言ったという。

以下は仮説である。

「虎に翼をつけて放つ」というのは、そのある人が比喩表現としてその場で思いつき、用いたものだと思っていた。しかし、これは朝鮮半島で使われている諺を言っただけ、つまり慣用表現だった可能性はないだろうか。つまりそのある人とは滅亡した百済からの亡命者だったのである。

『韓非子』という書物の名が日本史上に登場するのは平安時代になってからのことだという。漢文読み下しが普及し、漢籍の研究が本格的に始まるのも奈良時代半ばとのこと。天智朝、天武朝はそれ以前のこと。天智朝、天武朝の歴史が書かれた『日本書紀』の成立もやはりそれ以前のことである。

仮に当時の日本人に途轍もないインテリがいて、独自に『韓非子』を手に入れ(遣唐使はすでにあったし、亡命してきた百済人からも手に入れられる可能性はある。入手出来る可能性はゼロではない)、「虎に翼」という表現を知っていて使ったのだとしても、日本には虎などいないのだから、よくイメージ出来ないし、人にも伝わらないのではないか。

『日本書紀』の写本の中には、「ある人が『虎に翼をつけて放つようなものだ』と言った」ではなく、「人々は『虎に翼をつけて放つようなものだ』と囁き合った」となっているものもあるという。
囁きあったというのだから、その人々というのは「虎に翼」という諺が通じる人、つまり百済からの渡来人同士であった可能性が高い。百済からの渡来人は大海人皇子を怖れていたのだ。

ということは、大海人皇子は、上層部に渡来人を多く抱えたと思われる天智朝に不満を抱いていて、大和人による朝廷を理想としており、それ故、天智天皇と反目していたという可能性も生まれてくる。

「壬申の乱」は、親百済遺臣派と反百済遺臣派の戦いだった可能性も否定出来ないのではないか。

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