カテゴリー「言葉」の21件の記事

2018年1月23日 (火)

人前で表現するということ 『西村雅彦の俳優入門』と広上淳一の指揮ワークショップより

※ この記事は2017年12月12日に書かれたものです。

 

12月12日は、俳優の西村まさ彦(本名および旧芸名:西村雅彦)の誕生日です。最近は俳優だけでなく、大正大学表現文化学部の特任客員教授として後進の育成に当たっていたり、生まれ故郷の富山市で市民のための演劇ワークショップの講師としても活躍しています。

私が彼の演技に初めて触れたのは、1993年秋から1994年3月までにかけてフジテレビ系の深夜ドラマとして放送された「マエストロ」での演技でした。それまでも三谷幸喜が主宰する東京サンシャインボーイズの看板俳優として活躍していましたが、この「マエストロ」を目にしたNHKのプロデューサーが大河ドラマ「秀吉」の徳川家康に抜擢を決めてたことで大出世。以後の破天荒な活躍ぶりは今更記すまでもないでしょう。

さて、その西村雅彦の著書である『西村雅彦の俳優入門』と、2016年12月1日に京都市北文化会館で行われた広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザー)の指導による立命館大学交響楽団とのワークショップにはいくつもの共通点があり、「表現する」ということに関して重要な示唆があるように感じられましたのでここに記しておきます。

西村まさ彦も広上淳一も、人前で表現をするには恥を捨てなければいけないという意識を共通して持っています。人前で演技するのに恥じらいの気持ちがあってはセリフにも動きにも意識しない抑制が出てしまいます。意図的に抑制して演技が出来るなら名優の域でしょうが、意識しない抑制というのは、つまり声も体も上手く操れていないということですので、表現の敵以外のなにものでもありません。また指揮者というのは、100名ほどもいる楽団員も前で様々な仕草をします。恥の気持ちがあったら動きがぎくしゃくしてしまい、楽団員に意図が全く伝わらないということになってしまいます。指揮者というのは、自分では一切音を出さず、オーケストラメンバーに全ての音を委ねています。意図が伝わらなければ音楽を生み出すこと自体が不可能になってしまうわけです。

恥の意識を破るにはまずどうするか。西村まさ彦も広上淳一も第一歩は共通しています。「大きな声を出すこと」です。大きな声を出すことで自己を開放します。人前で大声が出せるようになれば、人前に出る恥の気持ちや恐怖は薄らいでいくことでしょう。

さて、人前での表現において次に重要なのは、相手にきちんと意思を伝えることです。ちょっと離れた距離にいる人に本を取ってもらうとします。西村まさ彦はまず、相手の顔を見ないでセリフを言うように仕向けます。当然ながら、これではその人が誰に向かって本を取ってくれるよう頼んだのかわかりません。本のそばにいる人は、「自分かな」とは思うでしょうが、確信は持てない。そこで、西村は相手の方を見て、そして相手に向かってきちんと言葉を発するように指導します。これは当たり前のことように思うかも知れませんが、案外できていない人が多いようです。西村はピンポン球を相手に向かって投げながらのダイアローグの練習もします。重要なことを伝える時にはセリフを言うと同時にピンポン球を相手に取りやすいように投げます。また相手に強く訴えかける時は、相手の胸に向かって強く投げます。これによって言葉の重要度を可視化できるようにしているのです。

一方の広上は、立命館大学の学生指揮者の動きに、「全然楽しそうじゃない」とダメ出しして、単に棒を振るだけでなく指揮することで楽団員を鼓舞するよう言います。広上は立命館の学生指揮者に、「鼓舞するってわかる?」と聞き、学生指揮者が「盛り上げるとか」と答えると、「さすが立命館の学生! 頭が良い! うちの学生(東京音楽大学と京都市立芸術大学の学生)に『鼓舞するってわかる?』って聞いたら『昆布ですか?』と返ってきまして。漢字から教えなおさないといけない」

笑い話になってしまいましたが、一体なにを誰に向かってなんのためにということを明確にしておかないといけないということのようです。

さて、「俺は俳優にもならないし、指揮者になるつもりもないから関係ない」と思う方もいらっしゃるかも知れません。しかし、生きるということは人前での表現なのです。全ての人が人前で他人に向かって自分の意図を伝えていくということで人間社会は成り立っています。つまり、相手に向かって正確に伝達できる技術を持たないと、人間関係も世の中も上手く回っていかないということになります。表現する技術はプロの表現者はもちろんのこと、一般人である我々にも、いや我々にこそ必要なのかも知れません。

シェイクスピアの「お気に召すまま(As You Like it)」に、「この世は舞台、人はみな役者」というセリフがあります。実はこのセリフはふさぎの虫である皮肉屋のジェイクイーズのセリフで、マイナスの意味があるのですが、こう受け取ることも出来ます。実は多くに演劇人が解釈しているのですが、「役者には役割がある。舞台にあっては役者は役割を果たさなければならない」

役者である以上、この世界にとっては誰もが重要なのです。そして役割を果たすためには誰かに向かって表現しなければなりません。演劇も音楽も遠く離れた世界の絵空事ではありません。生きるためのヒントがたくさん散りばめられているのです。

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2017年3月16日 (木)

2346月日(1) 「JUNPA設立5周年記念国際詩祭」@ロームシアター京都ノースホール

2017年2月14日 ロームシアター京都ノースホールにて
 
午後2時から、ロームシアター京都ノースホールで、「JUNPA設立5周年記念国際詩祭」に参加する。メインホールやサウスホールには何度も来ているロームシアター京都だが、ノースホールには入るのは初めてである。実は、一度、ノースホールで行われるマレーシアの演劇を観る予定があり、チケットを取ってロームシアター京都まで行ったのだが、痰が喉に絡まって仕方なく、上演中に「ウンウン」やるわけにもいかないし、集中力も持続しないし、というわけで諦めている。

ノースホールはロームシアター京都の地下2階にあるブラックボックス状の空間である。
JUNPAというのは、日本国際詩人協会の略。2014年に京都で設立されている。委員長は上村多恵子。

ベルギー生まれで現在はスペイン在住のジャーメイン・ドルーゲンブロート、日本国際詩人協会創立者の有馬敲(ありま・たかし。今日は体調不良を押しての参加だそうである)、イタリアの詩人であるダンテ・マッフィア、日本国際詩人協会変種顧問の村田辰夫、フランス人の哲学者で詩人であるイグ・ラブリュス、イタリアの詩人で「コモ詩の館」館長でもあるラウラ・ガラヴァリア、日本国際詩人協会代表のすみくらまりこ、2013年の日本国際詩人協会最優秀賞を受賞した下田喜久美、更に新進詩人であるタニウチヒロシ、加納由将、浜田千秋の3人が参加する。京都には来ていないがイタリアの詩人のドナテッラ・ビズッティの作品も読まれた。また、アイルランド出身のガブリエル・ローゼンストックは体調不良のために不参加で、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが詩を代読した。

まず、上村多恵子による開会の挨拶。自然災害や国際紛争、SNSの普及による情報の洪水の中にあって、「言葉で世界とどう切り結ぶか」を模索したい旨を述べる。

続いて、特別後援である関西・大阪21世紀協会の理事長・堀井良殷(ほりい・よしたね)の挨拶。奈良に住んでいるということで、柿本人麻呂の「敷島の倭(やまと)の国は言霊の佐(たす)くる国ぞ真幸(まさき)くあれこそ」と紀貫之の筆による『古今和歌集』の仮名序「やまとうたは人の心を種として万の言の葉とぞなりにける」を紹介し、日本の詩の元をたどる。
ちなみに、『古今和歌集』の仮名序には「(やまとうたは)天地(あめつち)をも動かし」という言葉があるのだが、江戸時代にこれに対して詠まれた宿屋飯盛の「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは」という狂歌が有名であり、私などはこの狂歌が頭に浮かんでしまった。

読まれるテキスト(京都だけのものではなく、関西各地で行われるABCD4つのプログラム用の作品全てを収録)は日本語版と英語版が共に1000円で売られている。対訳本はないようである。

山田啓二京都府知事は参加されなかったが、代わりに山田府知事夫人(流石、府知事夫人というか、かなり綺麗な方である)が参加し、JUNPAへの祝辞を述べる。
門川大作京都市長からも祝電が届いた。


現代詩の朗読であるが、私も詩は一応専門であるため(そもそも私は高校時代に田村隆一の後輩になりたくて進学先を選んでおり、詩に関しては早熟であった)、おおよその内容は分かる。100%分かるということはないが、そもそも作者ですら100%理解出来ているわけではない。100%分かる詩というのはつまらない詩である。

第一部 詩の朗読 「時の二重奏」「存の二重奏」では、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが英語で自作を朗読した後、武西良和が日本語訳のテキストを読み上げた。
有馬敲の詩も武西良和が朗読。その後、ダンテ・マッフィアの詩を稲葉妙恵が日本語朗読した。「滝の二重奏」では、先に書いたとおり、体調不良で欠席のガブリエル・ローゼンストックの詩はジャーメイン・ドルーゲンブロートが英語で代読した。その訳詞はすみくらまりこが朗読。そして村田辰夫の詩は村田本人が朗読。村田は日本語で朗読した後で英訳したテキストも読み上げた。


休憩を挟み、音楽会が行われる。未来へ贈る歌 創作童謡の会「黄金(おうごん)のあみ」ミニコンサート。ノースホールには四方にテラスがあるのだが、曲ごとにテラスに青や赤、オレンジなど電飾が点る演出があった。
黄金のあみは、大阪音楽大学の教員と日本国際詩人協会の協働によって生まれた創作童謡を発表していく会である。
今日の演目は、「ちいさなちきゅう」(詩:有馬敲、作曲:中澤道子)、「影子の楽しいハロウィンナイト」(詩:すみくらまりこ、作曲:中澤道子)、「実がころろ」(詩:上村多恵子、作曲:岡田正昭)、「わたしたちのオーロラ」(詩:ラウラ・ガラヴァリア、作曲:南川弥生)、「宇宙の蝶」(詩:下田喜久実、作曲:南川弥生)の5曲。

ピアノは全曲、織部温子が担当。「ちいさなちきゅう」と「実がころろ」は谷口耕平(テノール)が歌い、「影子の楽しいハロウィン」、「わたしたちのオーロラ」と「宇宙の蝶」は堀口梨絵(ソプラノ)が歌い上げる。「わたしたちのオーロラ」と「宇宙の蝶」では、平田英治のサキソフォンが加わった。
中澤道子の作風は一番童謡的。「影子のハロウィンナイト」はNHK「みんなのうた」に出てきそうな曲である。
南川弥生(みなみかわ・みお。「やよい」ではない)の作風は現代音楽の影響も受けており、ピアノやサキソフォンが不協和音も奏でていた。

ノースホールは音響設計はされていないはずである。この広さで残響があったらうるさくなってしまう。


続いて第二部 詩の朗読。「命の二重奏」として、ドナテッラ・ビズッティの「誘惑」という短編詩を上村多恵子が日本語訳を朗読し、ラウラ・ガラヴァリアが英語で朗読した。

「海の二重奏」では、イグ・ラブリュスが、自作をフランス語で朗読。タニウチヒロシが日本語訳と2016年に亡くなった飛鳥聖羅の詩を朗読した。イグ・ラブリュスの作品には飛鳥聖羅への追悼詩が含まれていた。

「星の二重奏」では、ラウラ・ガラヴァリアと下田喜久美が自作を朗読。

ラストは新人賞過去受賞者の朗読。
タニウチヒロシが自作を朗読。その後、加納由将がステージに上がるが、加納は車椅子の上に心身不自由ということで、浜田千秋とタニウチヒロシが加納の作品を朗読し、加納は自作を英語でなんとか読み上げた。浜田千秋の革命を題材にした詩で、詩の朗読は終わる。


上村多恵子が国際詩祭京都会場プログラムが無事終了したことの謝辞を述べ、最後は、ジャーメイン・ドルーゲンブロートが挨拶し、「タエコに日本のハイクのように短い挨拶をするよう言われている」と冗談を言った後で、「美しい京都」「素晴らしい聴衆」と賛辞を贈った上で、「ありがとうございました」と日本語で言って締めた。

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2014年8月 1日 (金)

深津篤史氏・最後のメッセージ

桃園会のブログに記された深津篤史氏のおそらく最後となる文章です。死期が迫っているとは思えないほどの穏やかさが印象的です。「ゆっくり休みますね」が偶然ですが別の意味で遺言のようになっています。

深津篤史「座長は辛いを日記」から2014年7月15日更新分

http://fukashige.blog27.fc2.com/

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2014年6月19日 (木)

文芸について(引用)

神秘の事故、天の誤算、僕がそれを利用したのは事実だ(ジャン・コクトー)

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2009年8月12日 (水)

青なじみ

青痣のことを私の故郷の千葉県では「青なじみ」という。おそらく、語源は「青な染み」であると思われる。茨城県でも青痣のことを「青なじみ」というようだ。ちなみに西隣の東京では「青たん」という。「青いたんこぶ」の略だと思われる。

今日の夕方、散歩からの帰りに、自宅のドアに、手の指を挟んでしまい、右手の薬指の爪に青なみじが出来た。痛みはそれほどでもないので、こうしてタイピングで文章を書くことも出来る。そして、「青なじみ」という言葉を思い出したことで、京都に住んでいても私が千葉の人間であることを深く印象づけられたのであった。

言葉はその土地と密接に結びついている。言葉はその土地に根付き、同時に言葉はその土地を生み出す。世界は言葉によって整序されているともいえる。

そんな言葉にまつわる出来事を、今日の夕方の怪我によって思い起こした。

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2009年3月 7日 (土)

門徒もの知らず

「門徒もの知らず」という言葉があります。基本的には悪口です。

門徒とは浄土真宗(真宗)の檀徒のこと。浄土真宗は、迷信を信じず、ひたすら「南無阿弥陀仏」といっていればいいということ。迷信は信じないので六曜も信じず、友引だろうが何だろうが葬儀を行って構わないということになっています。

このことから、「門徒物忌み知らず」が「門徒もの知らず」に繋がったという説が主に浄土真宗側から出ていますが、本来が、「門徒もの知らず」の後ろに他の宗派の悪口(「法華骨なし」など)が並んで一セットであるということ、また「門徒物忌み知らず」という言葉が古い文献に見られないということから、「門徒もの知らず」の方が「門徒物忌み知らず」より先に出来た言葉だと思われます。

さて、浄土真宗の葬儀の仕方も特別でして、迷信は排除、ということでお清めの塩は用いません。焼香の際は、香を頭に押し頂くことはなく、線香は火を付けずに、折って香炉に置きます。

他の宗派は必ずといっていいほどやることをやらないというのも、浄土真宗が「もの知らず」と思われる所以だと思われます。

逆の見方をすれば、他の宗派の人が浄土真宗の在り方を知らないということでもあり、どっちもどっちということになるのですけれどね。

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2009年1月22日 (木)

人物と怪物

“不運は人物をつくり、幸運は怪物をつくる”(ビクトル・ユゴー)

幸運に恵まれた人の中には信じがたいほど我が儘で独善的な人がいますよね。

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2009年1月 6日 (火)

ほっこり

「ほっこり」という言葉があります。京言葉で「疲れた」という意味です。しかし、京都以外でも用いられることがあるようで、その場合は、「ほっとした」という意味になります。「ほっとした」の方の「ほっこり」の出典を見ると江戸時代に書かれたもの(十返舎一九などが使っている)なので、相当な歴史を持つ言葉のよう。

一方で、京言葉の「ほっこり」の使い方も、最近は語感からか、「ほっとした」という意味に転化して用いられることが多いよう。言葉は変化するものなので、いずれ、京言葉の「ほっこり」も「疲れた」という意味で用いられなくなるのかも知れません。若い人で、疲れて「あー、ほっこり、ほっこり」という人がそう沢山いるとも思えないので。

私自身は……、そもそも「ほっこり」という言葉は使わないなあ。

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2009年1月 1日 (木)

ケータイ「『明鏡クイズ! 問題な日本語』12月末全国テスト」

ケータイ「『明鏡クイズ! 問題な日本語』12月末全国テスト」で、50点満点であった。毎月末にテストがあり、常に満点者は複数名いたので、今回も同点首位の人が何人もいるだろうと思っていたが、年末で参加人数が少なかったのか、満点は私一人だけで、単独首位であった。取り敢えずご報告。

本当はもっと喜んでもいいのだろうけれど、漢字が読めない人が一国の首相になっている一方で、力のある人でも職に就けないという社会にあって、点が良くったってどうってことないとも思える。

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2008年6月 9日 (月)

誤変換

「いれたてのおちゃ」→ ×「入れた手のお茶」 ○「入れ立てのお茶」

「ほんじつかいてんのおみせ」→ ×「本日回転のお店」 ○「本日開店のお店」

などの誤変換を題材にして、「うちの変換は大丈夫です」というアピールをしていた「一太郎」(ジャストシステム)のCM。

しかし、ジャストシステムのIMEであるATOKも勿論完璧ではなく、妙な変換をすることがあります。

最近の誤変換で驚いたのは、「こうべしんぶん」を「頭新聞」と変換したこと。神戸新聞はそんなにマイナーなのか? というより神戸新聞を頭新聞と変換したら例の事件が連想されて不気味じゃないか。

それから歴史的用語にはATOKは弱いようで、「横浜正金銀行」を「横浜賞金銀行」と誤変換したことには笑いました。
「横浜賞金銀行」か。楽しそうな銀行だな。店内のあちこちから、「おめでとうございまーす!」という声が聞こえてきそうな。

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