カテゴリー「フランス」の20件の記事

2017年11月 8日 (水)

コンサートの記(322) 京都フィルハーモニー室内合奏団 室内楽コンサートシリーズ Vol.64 「~フランス音楽~」

2017年11月1日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から、京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、京都フィルハーモニー室内合奏団の室内楽コンサートシリーズ Vol.64「~フランス音楽~」を聴く。

曲目は、サン=サーンスの七重奏曲、ピエルネの「パストラーレ」、グノーの弦楽四重奏曲第3番、ファラン(ファランク)の九重奏曲というかなりマニアックなものである。全曲とも私はコンサートでは勿論、CDですら聴いたことがない。そもそもCDが出ているのかすらわからない。

出演メンバーは、ヴァイオリンが岩本祐果(いわもと・ゆか)と森本真裕美、ヴィオラが松田美奈子、チェロが佐藤響、コントラバスが金澤恭典(かなざわ・やすのり)、フルートが市川えり子、オーボエが岸さやか、クラリネットが松田学、ファゴットが小川慧巳(おがわ・えみ)、ホルンが御堂友美(みどう・ともみ)、トランペットが西谷良彦(にしたに・よしひこ)、ピアノは客演の岡純子(おか・すみこ)


サン=サーンスの七重奏曲。編成は、トランペット、ピアノ、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。七重奏という編成自体が珍しい。
作風はいかにもサン=サーンスらしい洒脱なものである。


ピエルネの「パストラーレ」。編成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンという管楽五重奏である。
フランス近代の作曲家であるガブリエル・ピエルネ。名前は比較的有名だが、作品となるとほとんど知られていない。「鉛の兵隊の行進曲」が吹奏楽のレパートリーとしてかろうじて知られている程度である。生前は指揮者としても知られていたようで、コロンヌ管弦楽団を指揮して様々な曲のフランス初演を行ったりもしている。
「パストラーレ」とは、田園という意味であるが、ピエルネの「パストラーレ」は、牧童の笛を模したオーボエに始まるメランコリックな楽曲である。


グノーの弦楽四重奏曲第3番。優雅さと悲哀が仄かに漂うような、エスプリに満ちた作品である。


ファランの九重奏曲。編成、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン。
ファランは私も初めてその名を耳にする作曲家。ファーストネームはルイーズで女流である。パリ音楽院の教授(ピアノ科)に女性として初めて就任した人だそうで、音楽界における女性の立場向上にも貢献したようである。
九重奏曲であるが、部分的には美しい旋律や和音に溢れているのだが、1つの楽章を通して聴くと冗長に感じられる。曲全体を見渡しての作品構築に関しては優れていなかったのかも知れない。それでもミステリアスな第3楽章などは興味深かった。


アンコールとしてチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」よりナポリの踊りからのコルネット独奏部分をトランペットに変えての演奏が行われる。


京フィルメンバーの演奏であるが、個々の技量も高く、アンサンブルもたまに怪しいところがあったが許容範囲で、フランス音楽の典雅さを上手く表していたように思う。ALTIの音響も室内楽には合っており、聴いていて気分が良かった。

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2017年3月24日 (金)

観劇感想精選(205) ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」2017大阪

2017年3月1日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」を観る。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」をフランス人のジェラール・プレスギュルヴィックがミュージカル化したもの。潤色・演出は宝塚歌劇団の小池修一郎。宝塚歌劇でも上演されたことがあるようだが、今回は新演出での上演である。音楽監督は太田健。
出演は主役クラスはWキャストで、今日の出演は、古川雄大、生田絵梨花(乃木坂46)、馬場徹、小野賢章(おの・けんしょう)、渡辺大輔、大貫勇輔。レギュラー出演者は、香寿たつき、シルビア・グラブ、坂元健児、阿部裕(あべ・ゆたか)、秋園美緒、川久保拓司、岸祐二、岡幸二郎ほか。ダンサーが多数出演し、華やかな舞台となる。

このミュージカルは、「死」と名付けられたバレエダンサー(大貫勇輔)の舞踏で始まる。背後の紗幕には爆撃機と爆撃される街の映像が投影される。
「死」は常にというわけではないが、舞台上にいて出演者達に目を配っている。ロミオ(古川雄大)が失望する場面が合計3度あるのだが、その時はロミオと一緒になって踊る。ロミオに毒薬を手渡すのも「死」の役目だ。
今日は出演しない「死」役のもう一人のバレエダンサーは、連続ドラマ「IQ246」にも出演して知名度を上げた宮尾俊太郎で、宮尾が舞う日のチケットは全て完売である。

イタリア・ヴェローナ。時代は現代に置き換えられており、登場人物達はスマートフォン(セリフではケータイと呼ばれる)や動画サイトを使っている。舞台は観念上のヴェローナのようで、実際のヴェローナにはない摩天楼が建ち並び、BOXを三段に重ねたセットが用いられる。
ヴェローナを二分するモンタギュー家とキャピュレット家。モンタギュー家は青地に龍の旗をはためかせ、モンタギューの一党も青系の衣装で統一されている。一方、赤字にライオンの旗をトレードマークとするキャピュレットの一族は赤系の服装だ。
モンタギューとキャピュレットの間では争いが絶えない。特にキャピュレット家のティボルト(渡辺大輔)と、モンタギュー家のマーキューシオ(小野賢章)は不倶戴天の敵という間柄である。
ヴェローナ大公(岸祐二)が両家の仲裁に入り、「今度争った場合は刑に処す」と宣言する。

キャピュレット卿(岡幸二郎)とキャピュレット夫人(香寿たつき)は、娘のジュリエット(生田絵梨花)をパリス伯爵(川久保拓司)に嫁がせようとしていた。ロミオにいわせるとパリスは「いけ好かない成金」であるが、キャピュレット卿は借金があり、ジュリエットと結婚したあかつきには借金を肩代わりしてもいいとパリスは言っていた。
ジュリエットはこの物語では16歳という設定。本当の愛というものを知らないうちに親が決めた相手と結婚することに疑問を感じている。だが、キャピュレット夫人は、「自分は結婚に愛というものを感じたことなど一度もない」と断言する。キャピュレット夫人も親の言いなりでキャピュレット卿と結婚したのだが、夫に魅力は感じず、夫も女遊びに励んでいたので負けじと浮気を繰り返していた。
そしてキャピュレット夫人は、ジュリエットが不義の子だということを本人に告げる(このミュージカルオリジナルの設定である)。のちにキャピュレット卿は、ジュリエットが自分の子供ではないと気づき、3歳のジュリエットの首を絞めて殺そうとしたのだが、余りに可愛い、実の娘以上に可愛いので果たせなかったというモノローグを行う。

キャピュレット夫人(くわえ煙草の時が多い)は、甥のティボルトになぜ戦うのか聞く。ティボルトは、「人類はこれまでの歴史で、どこかでいつも戦ってきた」と人間の本能が戦いにあるのだという考えを示す。キャピュレット夫人は愛の方が重要だと主張するがティボルトは受け入れない。

一方、ヴェローナ1のモテ男であるロミオは、数多くの女を泣かせてきたが、今度こそ本当の恋人に会いたいと願っている。マーキューシオやベンヴォーリオに誘われて、キャピュレット家で行われた仮面舞踏会にロミオは忍び込む。パリス伯爵に絡まれていたジュリエットだが、ロミオと出会い、互いに一目惚れで恋に落ちる。だが、ロミオの正体がばれ、パリス伯爵との結婚が急かされるという結果になってしまう。

バルコニーでジュリエットが、「ロミオあなたはなんでそんな名前なの?」という有名なセリフを語る。ロミオがバルコニーに上ってきて、二人は再会を喜び、「薔薇は名前が違ってもその香りに変わりはない」というセリフを二人で語り上げる。

ティボルトもまた従妹であるジュリエットに恋していた。ティボルトも15歳で女を知り、それ以降は女に不自由していないというモテ男だったのだが、本命はジュリエットだった。日本の法律では従兄妹同士は結婚可能なのだが、キャピュレット家には従兄妹同士は結婚出来ないという決まりがあるらしい。
ティボルトはこれまで親の言うとおり生きてきたのだが、それに不満を持つようになってきている。ただ、自由に生きることにも抵抗を覚えていた。

一方、モンタギュー家のロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオも大人達の言うがままにならない「自由」を求めており、自分達が主役の社会が到来することを願っていた。いつの時代にもある若者達の「既成の世界を変えたい」という希望も伝わってくる。

バルコニーでの別れの場。ジュリエットは父親から「18歳になるまではケータイを持ってはならない」と命令されており、ロミオと連絡を取る手段がない。ジュリエットはロミオに薔薇を手渡す。「明日になっても気が変わらなければ、この花を乳母(ジルビア・グラブ)に渡して」と言うジュリエット。ロミオは勿論心変わりをすることなく、訪ねてきた乳母に薔薇の花を返す。かくして二人はロレンス神父(坂元健児)の教会で結婚式を挙げる。フレンチ・ミュージカルであるため、フランス語で「愛」を意味する「Aimer(エメ)」という言葉がロミオとジュリエットが歌う歌詞に何度も出てくる。

二人の結婚の噂が流れ、街では、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」という「マクベス」のセリフを借りた歌が流れる。「顔は綺麗と思った女性でも」という意味である。

再びモンタギューとキャピュレットの諍いが起こる。マーキューシオがティボルトとの戦いに敗れて死に、その腹いせでロミオはティボルトを刺し殺してしまう。ヴェローナ大公はロミオにヴェローナからの永久追放を宣言するのだった。


常に人々を見下してきた「死」が、ラストになって敗れる。ロレンス神父がジュリエットに死んだようになる薬を手渡したことをロミオにメールするのだが、ロミオはケータイをなくしてしまっており、事実を知らないまま「死」から手にした毒薬で自殺し、それを知ったジュリエットも短剣で胸を突き刺して後を追う。ここまでは「死」のシナリオ通りだったのだが、ロミオとジュリエットの愛に心打たれたモンタギュー卿(阿部裕)がキャピュレット卿と和解。ロミオとジュリエットの名は後世まで残るものと讃えられる。ロミオとジュリエットの死が愛を生んだのだ。「死」は息絶える仕草をし、ここにおいて愛が死に勝ったのである。


楽曲はロック風やクラブミュージック調など、ノリの良いナンバーが比較的多く採用されている。拍子自体は4分の4拍子や4分の3拍子が多く、リズムが難しいということはない。
ベンヴォーリオがのぼせ上がったモンタギュー一族をなだめる場面があり(「ロミオとジュリエット」を翻案した「ウエスト・サイド・ストーリー」における“クール”の場面のようである)、これまたベンヴォーリオがマントヴァ(この劇では売春街という設定になっている)に追放されたロミオを思って一人語りをしたり伝令も兼ねたりと、ベンヴォーリオは原作以上に重要な役割を与えられている。


2013年のミュージカル「ロミオ&ジュリエット」でもロミオを演じた古川雄大は安定した歌と演技を披露する。
ジュリエットを演じた乃木坂46の生田絵梨花はミュージカル初挑戦であるが、実力はあるようで、すでにオーディションを突破しなければキャスティングされないミュージカル「レ・ミゼラブル」にコゼット役での出演が決定している。生田絵梨花はピアノが得意で日本クラシック音楽コンクール・ピアノ部門での入賞歴があり、現在は音楽大学に在学中。ということでソニー・クラシカルのベスト・クラシック100イメージキャラクターも務めていたりする。演技はやや過剰になる時もあるが、歌は上手いし、筋は良い。
ティボルト役の渡辺大輔とマーキューシオ役の小野賢章も存在感があって良かった。

カーテンコールは3度。最後は大貫勇輔が客席に向かって投げキッスを送りまくり、笑いが起こっていた。

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2017年3月17日 (金)

観劇感想精選(203) 第3回勘緑文楽劇場公演「エディット・ピアフ物語」

2017年3月5日 大阪・日本橋の国立文楽劇場にて観劇

午後4時30分から、大阪・日本橋(にっぽんばし)にある国立文楽劇場で、第3回勘緑文楽劇場公演「エディット・ピアフ物語」を観る。


勘緑文楽劇場は、元文楽協会技芸員で、現在は人形座「木偶舎(もくぐしゃ)」主宰である勘緑が人形浄瑠璃の新しい可能性を求めて、2012年1月に33年在籍した文楽座を辞して始めた新文楽である。勘緑は、現在、人形浄瑠璃とくしま座芸術監督、筑前艶恋座代表でもある。

洋服を着た人形が行う文楽を観るのは、今回が初めてである。シャンソン歌手の代名詞であるエディット・ピアフ(本名:エディット・ジョヴァンナ・ガション)の生涯を文楽で描こうという試み、文楽だけでなく、講談、シャンソン、フレンチジャズ、マジック、アクロバットなどあらゆる要素を取り入れたSHOWになっている。

講談師を務めるのは、4代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)。2000年に大阪市立大学法学部を卒業後、司法浪人をしていたが、「講談師も弁護士も最後に“し”がついてるから一緒や」と旭堂南陵に言われて講談師になったという変わり種。日本語の他に英語、スウェーデン語をこなす。1993年から翌年にかけてスウェーデンへ交換留学に行っており、ストックホルムで行われたノーベル賞の授賞式にも参加しているという。昨年11月に4代目・玉田玉秀斎を襲名したばかりである。

今回の公演では、義太夫の代わりに玉田玉秀斎が全ての語りをこなす。

玉秀斎は舞台下手に陣取り、舞台上手がバンドスペースとなっている。演奏者は、川瀬眞司(ギター、音楽プロデューサー)、山本佳史(ギター)、中村尚美(ウッドベース)、かとうかなこ(クロマチックアコーディオン)、高橋誠(ヴァイオリン)。シャンソン歌手のZaZaがヴォーカリストとして参加し、パフォーマーのKAMIYAMAがマジックとパントマイム、吉田亜希がアクロバティックダンスを行う。

開演5分前に、勘緑が人形を使いながら舞台から客席に降りてくる。KAMIYAMAらパフォーマーもそれに従う。


まず、バンド陣が「シャレード」のテーマを引いてスタート。客席後方から、子供の人形が現れる。声は玉田玉秀斎が担当する。「おかーさん、もうすぐ会えるんだね! 色々歌って欲しいな」と子供は言いつつ舞台上に上がり、退場する。この人形は後にエディット・ピアフの娘、マルセルであることがわかる。

ラジオのチューニングの音が流れ、「歌手のエディット・ピアフさんが亡くなりました。享年47歳でした」と伝える。

そして、舞台上に今度現れたのはモヒカン刈の男。ピアフの父親であるルイスである。ルイスは己の惨めな境遇を全部人のせいにする。
ピアフは生まれてすぐに母親が逃げ出し、父親のルイスに育てられるのだが、ルイスも元々人間が悪く、実の娘を母親が営業する売春宿に売る。ルイスの母親も「娘を売るなんて、ろくでなし!」と言うが、結局、高値で引き取る。売春宿には仕事のしすぎでもう子供が産めない体になってしまった娼婦のティティーヌがいた。ティティーヌはピアフを実の子供のように可愛がる。ピアフが歌を覚えることが得意なのに気づいたティティーヌはピアフに歌を教える。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」などを歌った。
だが、ピアフは目を病み、視力を失ってしまう。ティティーヌは様々な薬を試すが効果はなく、後は神頼みしかなくなる。聖地に巡礼するティティーヌとピアフ。すると不思議なことにピアフの目が見えるようになった。
だが、目が見えるなら役に立つということで、ルイスが自分が経営している見世物小屋にピアフを入れようと迎えに来る。ルイスの手下役のKAMIYAMAと吉田亜希もそれに従い、人形と人間が争うという珍しい場面が演じられる。

見世物小屋の場面。KAMIYAMAがブリーフケースを使ったパントマイムを行い、その後、マジックも披露する。そして舞台上から赤い布が2枚降りてきて、吉田亜希がそれを伝って上にあがり、サーカスのようなアクロバット芸を披露する。

そして、ピアフの初舞台。ピアフは「ラ・マルセイエーズ」を歌い(歌はZaZaが担当)、大反響を呼んで、歌手、エディット・ピアフが誕生するのだった。

パリの劇場で歌ったピアフは、小柄な体から放たれる圧倒的な歌で大成功。フランス語で雀を意味する俗語の「ピアフ」の名で呼ばれるようになる。


有名ナンバーは、「パリの空の下」、「バラ色の人生」、「愛の賛歌」、「パダム・パダム」、「群衆」、「水に流して」などが歌われる。

16歳になったピアフは、プティルイという男性と結婚。女の子が生まれ、マルセルとピアフは名付ける。だが、マルセルは病に倒れ、早世してしまう。嘆くピアフ(この場面ではアコーディオン奏者のかとうかなこが舞台の中央まで進み出てクロマチックアコーディオン(ボタン式アコーディオン)を弾き、ピアフがアコーディオンにすがろうとする。その後、マルセルは天国からピアフを見つめる役をする。

戦争が始まり、ピアフはパリを占領したドイツ将校のために歌うが、それでフランス人捕虜収容所に慰問に行く権利を手に入れる。ピアフは収容所に入っては、捕虜を逃がす作戦を決行した。

戦後、ピアフはボクサーのマルセル・セルダンと出会い、恋に落ちる。「なぜあなたは悲しい歌ばかり歌うのですか?」というセルダンにピアフは「本当に悲しいからよ」と答える。だが、歌うことが自分に出来ることと考えるピアフは歌い続ける覚悟もしていた。
ピアフとセルダンは、フランス民謡「月夜(月の光に)」のメロディーに合わせて踊る。

多忙ゆえに会えなくなったピアフとセルダンであるが、ピアフがニューヨークでコンサートを行う時期に、セルダンもニューヨークでタイトルマッチを戦うことになった。
ピアフはセルダンのために「愛の賛歌」を用意して待っていたが、セルダンを乗せた飛行機が墜落。ピアフは最愛の人を失った。関係者は当日のコンサートを中止にしようとしたが、ピアフは決行を決意し、全身を振り絞るようにして「愛の賛歌」を歌う。

セルダンの死によって抜け殻のようになってしまったピアフは、酒、煙草、ドラッグに溺れ、40代とは思えないほどに老け込んでしまった。そんなある日、ピアフはテオ・サポラという青年と出会う。「みんな自分を利用して金儲けをしているだけだ」と言うピアフに、テオはピアフの歌の素晴らしさを語る。復活したピアフはオランピア劇場でコンサートを行い、大成功。1時間半の本編が終わった後で、ピアフはアンコールとして「水に流して」を歌うのだった。

ピアフが亡くなり、ピアフの霊はマルセルの霊と再会する。ZaZaの「愛の賛歌」日本語版が歌われて劇は終わる。


大竹しのぶが舞台「ピアフ」にライフワークのように取り組んでおり、遂には紅白歌合戦にまで出場してしまったということで、観に来ていたおばあちゃんの多くが、「大竹しのぶ」の名を口にしていた。勘緑が終演後に、「勘緑文楽劇場公演は3回目にしてようやく満員になった」と言っていたが、多分、大竹しのぶ効果はあったと思われる。

人形と人形とがダンスを踊ったり、セリが頻繁に使われたり(「これでもか」というほど高くせり上がる場面もある)、回り舞台まで使うなど、国立文楽劇場で出来ることは全てやったという感じである。
構想から今日の舞台まで5年掛かったというが、まあ、色々な要素を取り入れているので時間は掛かるだろう。
木偶舎の座員は、全員、勘緑から「緑」の字を貰っているが、12人中10人が女性という、浄瑠璃上演集団としてはかなり異色のグループである。この後、木偶舎は、東北地方支援公演に向かうという。

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2017年1月27日 (金)

美術回廊(9) あべのハルカス美術館 「デュフィ展」2014

2014年9月15日 大阪・天王寺のあべのハルカス美術館にて

大阪の、あべのハルカス美術館で、「デュフィ展」を観る。

あべのハルカスは外から眺めたことはあるが、中に入るのは初めてである。16階にある、あべのハルカス美術館までは直通エレベーターがあり、利用者はそれで美術館まで向かうことになる。便利なのであるが、あべのハルカスの展望台に行くには2階でチケットを買う必要があり、展望台にも行きたい人にはちょっと不便である。また、帰りも16階から1階まで直通で向かうため、ありがたいのだが、15階より下にある近鉄百貨店あべのハルカス店のシャワー効果には結びつかず、ここが近鉄あべのハルカス店の失敗だと言われている。実際、売り上げは苦戦しているようだ。

今回、画を見るラウル・デュフィはフランスの野獣派に属する画家。当初は写実的な画を描いていたが、アンリ・マティスの絵画を観て驚き、それ以降は、写実よりも印象を大切にする作風へと変化していく。原色を多用するのが特徴であり、エスプリ・クルトワを最もダイレクトに伝えてくる画家の一人である。

音楽を好んだため、音楽関連の絵画も多い。指揮者のシャルル・ミュンシュとは交流があり、オーケストラを題材にした画を何枚も描いており、今回も絵画や下絵が展示されている。興味深いのはオーケストラの配置で、1930年代から40年代に描かれたものは全て現在では古典配置と呼ばれるものであるが、1950年に描かれたオーケストラの画は、現代配置になっている。レオポルド・ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者だった時代に始めたという現代配置が、1940年代末にフランスでも普及したことがわかる。

デュフィは元々は右利きである。若い頃は右手に絵筆を握っていたのだが、「右手でだと余りにも自由に描けてしまう」という理由で、敢えて左手で描くということを始め、以降は晩年まで絵画に関してはサウスポーで通した。

1877年生まれであり、1953年に亡くなっているが、臨終の際に、イーゼルに掛けてあったという絵画も原物が飾られている。

明るくて温かみのある画だが、例えば、J・S・バッハや、モーツァルト、ドビュッシーらをモチーフにした画を観て、それがどんな音楽をイメージして描かれたのかと考えると、意外に暗めの曲調のものが思い浮かぶ(「モーツァルト」という絵画があり、今回は展示されていないが、楽譜の表紙には“Symphony No.40”と書かれているように見え、だとしたら流れているのは悲壮感に溢れたものということになる)。
「バッハへのオマージュ」もヴァイオリンが一挺画かれているだけだが、このヴァイオリンでバッハのどんな曲が弾かれたのであろうか。「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」の中の曲である可能性が高いが、仮に「シャコンヌ」だったとしたらイメージも変わってきてしまう。

また最も好んだ色は青だというから、デュフィは絵画から感じられるほど能天気な人間ではおそらくなかったであろうと思われる。

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2016年12月 3日 (土)

美術回廊(5) 「メアリー・カサット展」京都

2016年11月27日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて
 

左京区岡崎の京都国立近代美術館で、「メアリー・カサット展」を観る。

メアリー・カサット(1844-1926)はアメリカに生まれ、祖国とフランスで活躍した女流画家。学生時代は古典美術を描いていたが、渡仏後に印象派に作風を変え、その後、独自の画風を生み出してアメリカ画壇の先駆者となっている。
現在の米ペンシルバニア州ピッツバーグの生まれ。現在は斜陽都市として知られるピッツバーグだが当時はまだ景気が良く、父親は成功した株式仲買人、母親は銀行家の娘で、金銭的には恵まれた幼少期を過ごした。
フィラデルフィアの絵画アカデミーで絵を学んだメアリーは、プロの画家を目指すために渡仏。普仏戦争により一時帰国するも再びヨーロッパに渡り、パリでカミーユ・ピサロに師事した。その後、ドガの描いた絵に激しく惹かれ、ドガと対面。ドガの勧めもあって印象派の作品を発表するようになる。

まず「画家としての出発」という、学生時代の作品の展示から始まる。「フェルメール」という言葉が説明に用いられているが、影響は一目見ればわかる。顔を分厚く塗って立体感を持たせた油彩画であり、構図もいかにもフェルメール的である。

渡仏後には作風をガラリと変え、柔らかで淡い感触の絵が並ぶ。絵画なので当然ながら静止しているのだが、カンヴァスの向こうから光が差し込んでいるように感じられたり、描かれた対象が今にも「揺れ」そうなイメージ喚起力を持っている。
「浜辺で遊ぶ子どもたち」からは、潮騒が聞こえてきそうだ。

メアリーは観劇を好んだそうで、劇場に集う婦人達の絵画を発表している。好んで観劇をする女性は、当時、時代の先端を行く新たな女性像でもあった。女性達が家庭から自由になりつつあったのである。

印象派の画家であるため、「ジャポニズム」の影響も受けており、浮世絵にインスパイアされた「化粧台の前のデニス」など、合わせ鏡の絵を描いている。
個人的にはこの「化粧台の前のデニス」が最も気に入ったのだが、絵葉書などにはこの絵は採用されていなかった。

その後の絵画は、タッチよりも内容重視であり、何かを求める赤子の姿を通して、「新たなる生命を求める存在」を描くようになる(作品としては、「母の愛撫」、「果実をとろうとする子ども」など)。内容重視と行っても絵画の技術をなおざりにしたわけではなく、三角形を二つ合わせた構図(北条氏の家紋を思い浮かべるとわかりやすい)を用いて安定感を出している。ドライポイントで描かれた「地図」(「レッスン」とも呼ばれるそうである。二人で何かを熱心に読んでいる子供の姿である)という絵にも惹かれた。

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2016年11月29日 (火)

コンサートの記(261) 井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第472回定期演奏会

2013年9月19日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第471回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルの定期演奏会へは久しぶりの登場だという井上道義。ただ、井上は大フィルのマチネーコンサートは指揮しているし、またすぐに大阪フィルとバルトークの歌劇「青ひげ公の城」を演奏会形式で上演する予定があり、大フィルと疎遠だったわけではない。今年の大フィルの年末の第九も井上が指揮する予定である(その後、井上道義は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任した)。

メシアンの大作、トゥランガリラ交響曲1曲のみで勝負するというプログラムである。

フランスの現代音楽の大家、オリヴィエ・メシアンの代表作の一つであるトゥランガリラ交響曲。交響曲というが全10楽章からなり、ドイツの作曲家による交響曲とは質が異なる音楽ではある。ただ、フランス作曲家による交響曲というのは、そもそもドイツの作曲家によるものとは異なるものが多い。ベルリオーズ然り、フランク然り、ショーソン然りである。またドビュッシーの交響詩「海」は交響曲と呼んでも構わない構造をしているが、作曲家自身は交響曲と名付けず、三つの交響的素描と記している。トゥランガリラ交響曲が、交響曲であるのか、交響詩であるのか、単なる管弦楽曲であるのかと問われれば、フランクの交響曲やショーソンの交響曲同様、フランスの交響曲の特徴である循環形式を持っているため、交響曲であると応えるのが適当だと思われる。

トゥランガリラ交響曲の初演は、1949年。レナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニックによって行われている。バーンスタインの弟子となった小澤征爾は世界初演から10年ちょっとという時点で、NHK交響楽団を指揮してこの曲の日本初演を行っており、大反響を呼ぶも、N響の慣例を無視して若い指揮者が現代音楽をプログラムに取り上げたことがN響側の勘に障ったようで、直後の小澤・N響事件の伏線になった可能性が指摘されている。真相は今もわからない。

現在では、トゥランガリラ交響曲は現代音楽の古典的扱いであり、比較的良く演奏される現代音楽である。一時期、今はもう放送されていない「N響アワー」のオープニングの音楽としてトゥランガリラ交響曲の第5楽章が使われていた。

現代音楽の古典的扱いとはいえ、現代音楽であることには違いなく、今日の演奏会は、1階席と2階席はほぼ埋まったが、3階席には空席が目立った。日本人の現代音楽アレルギーが払拭されるにはまだ時間が掛かりそうである。ちなみに大阪フィルがトゥランガリラ交響曲を初めて演奏したのは1980年で、1983年にも演奏されているが、それから今まで20年もの間、一度もプログラムに載ることはなく、実に20年ぶりの演奏となるという。

この曲には、ピアノとオンド・マルトノの独奏者が加わるが、ピアノは児玉姉妹の妹である児玉桃が、オンド・マルトノは「オンド・マルトノといえばこの人」という存在である原田節(はらだ・たかし)が演奏する。

「トゥランガリラ」はサンスクリット語であり、「破壊と創造」、「愛」などといった複数の意味がある。

今日のオーケストラ配置は通常とは異なる。蓋を完全に開けたピアノと、オンド・マルトノが指揮者の左右に陣取り、弦はいつものドイツ風現代配置であるが、中央に寄せられており、チェロは第1列には並ばず、ヴィオラの後ろに第2列目から並ぶ。コントラバスは最後列に横一列という配置である。管楽器は木管、金管ともにステージ上手側、弦楽器の横と後ろに舞台奥から手前まで二列から三列で並び、舞台下手はピアノの背後にチェレスタ二台、その後ろはヴィブラフォンで、その他のパーカッションもステージ奥から手前までを占める。下手側壁沿いに大太鼓、シンバルなど。

井上道義は、言動はエキセントリックだが、指揮姿は極めてオーソドックスなもので、拍を刻んだり、音を出す楽器の方へ手を差し伸べたりする。今日は指揮棒を取って振り始めたが、エモーショナルな楽章ではノンタクトで、リズミカルな楽章では指揮棒を手にしてと、楽章によって指揮の仕方を分けていた。楽譜を譜面台に置いてめくりながらの指揮であったが、総譜は分厚く、この曲がいかに大曲かが実感出来る。
井上は大フィルから時に妖しげな、時に光彩陸離というのが最も相応しい音を引き出し、優れた演奏となった。スケールも大きく、パワフルである。金管に思い切り吹かせる場面もあるが、井上のバランス感覚が優れているため、決して「うるさい」とは感じない。

児玉桃のピアノも澄んだ音色が印象的で、メシアンの曲を演奏するのに相応しく、原田節のオンド・マルトノは最早文句の付けようがない水準にまで達している。

熱演を示した、井上と大フィル。3階席にはスタンディングオベーションを行っている聴衆も何人かおり、井上はそれを見つける度に手を振ったり、ポーズを決めたりしていた。

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2016年11月 3日 (木)

アルド・チッコリーニ(ピアノ) ドビュッシー 「アラベスク第1番」

イタリア出身でフランスに帰化し、エリック・サティのスペシャリストとしても知られたアルド・チッコリーニの演奏。
「アラベスク第1番」は私も昔、練習したことがあるのですが、残念ながら弾けるようにはなりませんでした。

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2016年7月18日 (月)

美術回廊(3) 国立西洋美術館世界文化遺産登録決定記念 「ボルドー展 ―美と陶酔の都へ―」

2016年7月17日 東京・上野の国立西洋美術館にて

国立西洋美術館へ。国立西洋美術館の建物も世界文化遺産への申請を行っているようである。企画展示である「ボルドー展 ―美と陶酔の都へ―」を観る。

フランスのボルドーというと、今ではワインの街として知られているが、かつては海上交通の要衝として港町として栄えていた。ガロンヌ河沿いに三日月形に発展したことから「月の港」とも呼ばれていたという。

展示はボルドーのあるアキテーヌ地方の古代の石器や石に刻まれた素朴な人物像から始まり、中世の装飾品や日用品、モンテーニュの『エセー(随想録)』と「法の精神のためのノート」、近世・近代の絵画、ボルドーワインのラベルなどが並ぶ。

ルーベンス、ゴヤ、ドラクロワ、ルドン、トゥールーズ=ロートレック、モネなどの有名画家の作品も並ぶが、私が最も気に入ったのは、ジャン=ポール・アローという画家の「フロワラックから見たボルドーの眺め」という画。ボルドーの街が希望に輝いて見えるのが良い。だが、「フロワラックから見たボルドーの眺め」はミュージアムショップで扱っておらず、残念であった。ミュージアムショップではドラクロワの「ライオン狩り」という作品(上の部分は焼失してしまっている)がメインの画として様々なグッズが売られている。確かに迫力のある画であるが、頻繁に眺めたい画ではないように思える。

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2016年1月11日 (月)

チョン・ミョンフン指揮フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団 ラヴェル 「ラ・ヴァルス」

フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団のオフィシャルFacebookにアップされたものです。

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2015年11月15日 (日)

フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」

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