カテゴリー「フランス」の27件の記事

2018年8月 8日 (水)

コンサートの記(410) マルク・ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢第405回定期演奏会 フィルハーモニー・シリーズ ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」金沢公演(ステージ・オペラ形式)

2018年7月30日 金沢駅前の石川県立音楽堂コンサートホールにて

午後6時30分から、金沢駅前の石川県立音楽堂コンサートホールで、オーケストラ・アンサンブル金沢の第405回定期演奏会 フィルハーモニー・シリーズ 歌劇「ペレアスとメリザンド」を観る。ステージ・オペラ形式での上演。
原作:モーリス・メーテルリンク(メーテルランク)、作曲:クロード・ドビュッシー。演出:フィリップ・ベジア&フローレン・シオー(仏ボルドー国立歌劇場との共同制作で、2018年1月のボルドー公演に基づく上演)。マルク・ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏。ミンコフスキは今年の9月からオーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督に就任する予定で、そのための記念公演の一つである。出演は、スタニスラフ・ドゥ・バルベラック(テノール。ペレアス)、キアラ・スケラート(ソプラノ。メリザンド)、アレクサンドル・ドゥハメル(バリトン。ゴロー)、ジェローム・ヴァルニエ(バス。アルケル)、シルヴィ・ブルネ=グルッポーソ(メゾ・ソプラノ。ジュヌヴィエーヴ)、マエリ・ケレ(アキテーヌ・ユース声楽アカデミー・メンバー。イニョルド)、ジャン=ヴァンサン・ブロ(医師・牧童)。合唱・助演:ドビュッシー特別合唱団。映像:トマス・イスラエル。

フランス語上演・日本語字幕付きである(日本語訳:増田恵子)。なお上演前にロビーコンサートが行われており、ドビュッシーの「シランクス」などが演奏された。

舞台は四段構え。通常のステージの中央のオーケストラ・アンサンブル金沢とミンコフスキが陣取り、ステージの前の客席部分が取り払われていて、ここも使用される。ステージ上手はやや高くなっており、舞台奥は更に高くなっていて、ここがメインの演技の舞台となる。その背後に紗幕があるが、メリザンドが髪を下ろすシーンなどではひときわ高いところにある舞台が光で透けて現れる。
オーケストラのいる舞台の前方にも紗幕が垂れており、ここにも映像が映る。ラストのシーンを除いて、映像は基本的にモノクロームであり、人物の顔や目のクローズアップが頻用される。

ドビュッシー唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」。メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」自体は劇付随音楽を複数の作曲家が手掛けており、フォーレ、シベリウス、シェーンベルクのものがよく知られている。1893年にパリで初演されたストレートプレーの「ペレアスとメリザンド」(メリザンド役はサラ・ベルナール)を観たドビュッシーはその魅力に取り憑かれ、すぐにオペラ化を計画。メーテルリンクの許可も得る。オペラが上演されるのはそれから8年後のことだが、メーテルリンクはメリザンド役に自分の愛人を起用するように迫った。ドビュッシーは音楽的素養のない人間をヒロインに抜擢することを拒絶。かくして裁判沙汰にまでなり、メーテルリンクの憎悪が極限に達した中で初演されるという、なんともドビュッシーらしい展開を見せた。独自のイディオムによる音楽が用いられたということもあり(そもそもアリアらしいアリアはほとんどない)、初演は不評に終わるが、その後10年で100回もパリで上演されるなどヒット作となっている。

メーテルリンクの戯曲では、ヒロインのメリザンドは実は水の精(オンディーヌ)であることが冒頭で示唆されているのだが、ドビュッシーは冒頭を全てカットしてしまったため、意味が通らなくなっているシーンもある。メリザンドが水の精(誤変換で「ミズノ製」と出た)だとすれば、ペレアスは水の世界へと導かれたことになり、水の精と人間の間に生まれた子供が未来を司るということになる。

いつかはわからない時代、アルケルが治めるアルモンド王国での物語。狩りの帰りに森の中で迷ってしまった王子のゴローは、泉のほとりで泣く少女を見つける。少女の名はメリザンド。泉の底にはメリザンドが落とした冠が輝いている。ゴローはメリザンドを連れて城に帰ることにする。ゴローはメリザンドとの結婚を望み、王のアルケルはこれを許す。
ゴローの弟であるペレアスは、船で旅立とうとしているのだが、その前にメリザンドと共に城内にある「盲人の泉」を訪れる。この泉にメリザンドはゴローから貰った指輪を落としてしまうのだが、これが悲劇を招くことになる。

物語造形からしておぼろな印象だが、噛み合わないセリフも多く、ミステリアスな戯曲である。
映像との相性も良く、お洒落だが仄暗い闇の中を進んでいくような感触の上演となっている。

マルク・ミンコフスキ指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢は極上の演奏を展開。音の輪郭がクッキリしており、密度も濃く、上品で上質のソノリティーを保ち続ける。
歌手達も大健闘であり、舞台装置も演出も見事だ。チケットを取るのが遅かったため3階席の券しか手に入らなかったが、石川県立音楽堂コンサートホールの響きは素晴らしく、少なくとも音に関してはステージから遠いこともハンデにはならなかった。
カーテンコールの最後でミンコフスキはスコアを掲げて作品への敬意を示す。極めてハイクオリティーの「ペレアスとメリザンド」と観て間違いないだろう。

音楽関係者も多数駆けつけたようで、終演後のホワイエには、野平一郎や池辺晋一郎といったオーケストラ・アンサンブル金沢ゆかりの作曲家の姿も見られた。



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2018年8月 1日 (水)

コンサートの記(409) 京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団 フォーレ 「レクイエム」

2018年7月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団によるガブリエル・フォーレの「レクイエム」を聴く。

オール・フランス・プログラムで、サティの「ジムノペディ」第1番と第3番(ドビュッシー編曲。ピアノ版の第1番が第3番、第3番が第1番と入れ替わっている)、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:石橋栄実、バリトン独唱:大沼徹。合唱:京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018)。


今日もコンサートマスターは客演の須山暢大、泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーには尾﨑平。

前半は今年没後100年を迎えたドビュッシーをフィーチャーしたものである。「ジムノペディ」において広上は、落ち着いて瀟洒で詩的な演奏を行う。フランスの都会の光景が目に見えるような洒脱な表現だ。

「小組曲」は広上が好んで取り上げる曲の一つ。細部まで神経の行き届いた軽やかで涼やかで儚げで快活で、とにかくありとあらゆる光景を指揮棒の先で描いてみせる。迫力、造形力、音捌き、全てが高い水準にある。


フォーレの「レクイエム」。合唱を担当する京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018は、今回の公演のために結成された市民団体。声楽経験者でない人も含まれているが、広上の指揮により、「リベラ・メ」での高揚感などは最高レベルのものを示している。プロや常設団体ではないので、声の粒立ちには問題があるが健闘したほうだろう。
広上の巧みな音運びにより、空間が一瞬にして清められるような印象を受ける。京響の発する音は色彩豊かで匂うように上品。管楽器も角の取れたまろやかさで、まさに天上の響きといった趣である。石橋栄実と大沼徹のソリストも優れた歌唱を聴かせ、技術的にはともかく音楽的には「完璧」の領域に達した「レクイエム」となった。

広上淳一は凄い。

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2018年7月25日 (水)

フィリップ・ドゥクフレ/カンパニーDCA 「新作短編集」@びわ湖ホール

2018年7月15日 びわ湖ホール中ホールにて

午後3時から、びわ湖ホール中ホールでフィリップ・ドゥクフレ/カンパニーDCAの「新作短編集」を観る。2017年5月16日にフランスのラ・クールシヴで初演されたコンテンポラリーダンス作品。

フィリップ・ドゥクフレはパリ生まれの振付家・演出家。1983年にダンス・カンパニーDCAを立ち上げ、1989年のフランス革命200年祭ではシャンゼリゼ大通りでの記念パレードである「ブルー・ブラン・グード」のために「ラ・ダンス・デ・サボ」の振付を担当。1992年のアルベールビル冬季五輪では開会式と閉会式の演出を担当している。サーカス、映像トリック、ダンスなどを交錯させる作風が特徴。1994年に初来日。以後たびたび来日している。
2006年には単独公演「Solo」の日本公演を行う。シアター・ドラマシティでの来日公演を私は観ているが、ドゥクフレの出演作に触れるのはそれ以来12年ぶりとなる(振付作はミュージカル「わたしは真悟」を観ている)。

作品は5部の短編からなる。「デュオ」、「穴」、「ヴィヴァルディ」、「進化」、「日本への旅」という構成。「進化」と「日本への旅」の間に「R(エール)」という名の短編が挿入されている。
出演は、フラビアン・ベルヌゼ、アレクサンドル・カストル、メリチェイ・チェカ・エステバン、ジュリアン・フェランティ、スザンヌ・ソレール、ヴィオレット・ヴァンティ、アリス・ロラン、フィリップ・ドゥクフレ。
テキスト:アリス・ロラン、テキスト日本語訳:副島綾、日本語台詞:征矢(そや)かおる(文学座)。

「ソロ」では男女のダンサーがピアノを弾いたり、フルートを吹いたりする。フルートを吹きながらのダンスがあるが、本当にその場で吹いているのかは不明。ただ、ピアノは実際に弾いているようである。ドゥクフレはダンサーに対する要求が高いようだ。

「穴」では、穴にはまった男性の上半身と女性の脚による表現。その後、ドゥクフレが一人で穴から登場し、穴の開いたジャケットを使ったダンスを行う。

「ヴィヴァルディ」は、無料パンフレットによると、ドゥクフレが亡き母に捧げた作品。カウンターテナーを使ったヴィヴァルディ作品が流れる中、比較的クラシカルなスタイルのダンスが行われる。

要所要所でスクリーンや紗幕に映像が投影されるのだが、「進化」では、スピードカメラを用いたLoopingという技法を用いて、ダンスの動きが連続写真のようにスクリーンに投影される。この作品ではダンサーがカホンを叩いたり、歌をうたったりする。
続く「R」では、シルク・ドゥ・ソレイユ出身のスザンヌ・ソレールが宙乗りをした上でダンスを行う。ソレールの技はアクロバティックにしてスピーディ且つエレガント。人間離れしているようなところがあり、あたかも妖精を見ているかのような感慨にとらわれる。

「日本への旅」では、日本語の台詞が出演者によって語られ、録音された征矢かおるの台詞が流れる。12年前に観た「Solo」ではドゥクフレは吹越満の録音された台詞を使っていた。こうしたスタイルが好きなようである。
和歌や俳句(「百千鳥さえずる春はものごとにあらたまれども我ぞふりゆく」詠み人知らず 「淡雪の中にたちたる三千大世界またその中に抹雪ぞ降る」良寛 「春雨や檻に寝ねたる大狸」子規 「冬草も見えぬ雪野の白鷺は己が姿に身を隠したり」道元)がスクリーン投影され、日本のテレビCMや相撲中継などがザッピングのスタイルで流れる。また山手線の駅の到着のメロディーが流れたりもする。
どことなくサイケデリックな印象も受ける小品で、扇子や緋の和傘などが用いられ、フランス人の見たエキゾチックな日本を知ることが出来る。

上演時間は90分ほどだが、中身のぎゅっと詰まった多彩な表情を移ろわせていく作品であった。

ホワイエで、ポストトークがある。出演は、フィリップ・ドゥクフレ、ジュリアン・フェランティ、アリス・ロラン。テキストも担当しているアリス・ロランはパリ第七大学で現代文学と英語を学び、執筆や翻訳も行うなど多彩な才能に恵まれている一方でストリップダンサーとしても活躍しているという人だそうだ。ドゥクフレは日本文学については詳しくないので、全て彼女に任せたそうである。
ドゥクフレは日本の伝統芸能には興味津々な一方で、日本で爛熟期に達しつつあるアイドル文化に関しては「日本のテレビでよく見るけどストレンジだね」と答えただけで気にも留めていないようであった。日本政府はクールジャパンの一つとしてアイドルを推そうとしているのだが、日本人が考えるクールジャパンと海外で受けるそれとの間にはかなりの距離があるようである。



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2018年7月12日 (木)

菅原洋一 「知りたくないの」

訳詞:なかにし礼

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2018年5月12日 (土)

観劇感想精選(242) 「夢と錯乱」

2018年5月6日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後3時から、京都芸術劇場春秋座で「夢と錯乱」を観る。27歳で夭逝したオーストリアの詩人、ゲオルク・トラークルの散文詩「夢と錯乱」を取り上げる上演。演出:クロード・レジ、テキストフランス語訳:ジャン=クロード・シュネデール&マルク・プティ。出演:ヤン・ブードー。フランス語上演、日本語字幕付き(テキスト日本語訳:中村朝子、字幕:浅井宏美)。特設座席を使っての上演である。

現在93歳のクロード・レジ。フランスの前衛演出家である。1960年代にはマルグリット・デュラスと共に仕事を行い、その後、ヨン・フォッセの「だれか、来る」やサラ・ケインの「4時48分サイコシス」などの演出を行っている。本作が最後の演出作になる予定。

ゲオルク・トラークルは、モーツァルトの街として知られるザルツブルクの生まれ。裕福な商人だった父親と芸術好きな母親の間に生まれた。ゲオルクは、幼少時から文学に興味を示し、音楽的な才能を発揮する。同様の気質を持つ妹が一人おり、彼女は後にピアニストになるのだが、ゲオルクと彼女は近親相姦の関係にあったといわれている。
ギムナジウムで文学仲間と共に同人誌を始めたゲオルクだが、飲酒や薬物に溺れるようになり、二度の落第を経験して学校を中退。その後、薬剤師になるための3年の実習を経てウィーン大学薬学部に入学し、薬剤師の免許を取ったが、薬剤師としての仕事に馴染めず、公務員になるも長続きせず、デカダンスな生活を送る。困窮したゲオルクは第一次大戦に志願。薬剤試官として前線に赴くも繊細な神経が戦場の地獄絵図に耐えられず、精神を病み、ピストルによる自殺未遂を経てコカインの過剰摂取により死亡。自殺とみられている。彼の死から3年後、妹もまたピストル自殺により世を去った。
悲惨な人生を歩んだゲオルクであるが、ヴィットゲンシュタインから「天才」と称されるほどの詩才を持ち、現在ではドイツ表現主義最大の詩人という評価を得ている。

ゲオルク・トラークルの散文詩「夢と錯乱」は、伝記的内容を持つ。

「すべては薄明のなかで」起こる。
闇の中、何かが光っている。その何かが徐々に揺れ出し、移動する。明度が上がると、その何かが俳優のヤン・ブードーであることがわかる。上部にアーチ。その下でブードーは絞り出すような声で、「夢と錯乱」のテキストを語っていく。ゲオルク・トラークルの言葉には「赤」や「青」を始めとする様々な色が散りばめられているのだが、照明は灰色であり、ラスト近くで黄昏の赤が入るほかはモノクロームの世界が展開される。
ゲオルクの後悔の言葉、過去に築き上げた思惟の城、青い色をした妹の影、旅立ちゆく父親と神経質な母親の像。ヤン・ブードーは哀れな狂人としてテキストを読み上げていく。
そして石のように彼は死へと落ちていく。
「呪われた種族」のことを彼は繰り返し語る。ゲオルク、彼の妹、彼の家族、これらは間違いなく呪われた種族に入る。そしてその外、今に至るまでの人間の歴史を呪いとして告発しているようでもある。

死の淵にある彼の姿に、演出のクロード・レジはおそらく自身を重ねているのだろう。イエスを始めとする「人類の苦悩を引き受けた」存在の一人として。

上演時間約1時間程度であるが、そこには濃密な時間が流れていた。



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2018年3月 4日 (日)

コンサートの記(351) アンサンブル九条山コンサート vol.5 「波形 スペクトル楽派―新音響言語の誕生」

2018年2月28日 京都芸術センター講堂にて

午後7時から、京都芸術センター講堂で、アンサンブル九条山(くじょうやま)コンサート vol.5 「波形 スペクトル楽派―新音響言語の誕生」を聴く。

曲目は、ジャチント・シェルシの「ホウ」よりⅠ,Ⅱ,Ⅴ(ソプラノのための)、カイヤ・サーリアホの「灰」(アルト・フルート、チェロ、ピアノのための)、フィリップ・ユレルの「ループスⅡ」(ヴィブラフォンのための)、トリスタン・ミュライユの「沈みゆく太陽の13の色」(フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、エレクトロニクスのための)、ジャン=リュック・エルヴェの「外へ」(クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための)、フィリップ・ルルーの「恋しい人、よろしければ ……18世紀のフランス民謡から」(ソプラノのための)、ジェラール・グリゼーの「タレア」(フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための)

出演は、アンサンブル九条山(フルート・若林かをり、クラリネット・上田希、ヴァイオリン・石上真由子、チェロ・福富祥子、ソプラノ・太田真紀、打楽器・畑中明香、ピアノ・森本ゆり)、有馬純寿(ありま・すみひさ。エレクトロニクス。ミュライユ作品のみ)、若林千春(男性。若林かをりの旦那さん。指揮。グリゼー作品のみ)

フランスを中心に生まれたスペクトル楽派に分類される作曲家の作品が並ぶ。現代音楽の中でも比較的新しい潮流の作品群であり、耳に馴染みの良い音楽ではないだろうが、新しい響きを追求した作品だけにそれは当然であるとも言える。

私が名前を知っていてCDも持っているのはフィンランド出身のサーリアホだけだが、他の作曲家の作品も興味深い。
畑中明香(はたなか・あすか)のヴィブラフォン独奏によるフィリップ・ユレルの「ループスⅡ」はミステリアスな音響が印象的だし、サーリアホ作品の微妙なグラデーション(ピアノの森本ゆりがピアノの弦に直接触れて音を出すという特殊奏法もある)、トリスタン・ミュライユの「沈みゆく太陽の13の色」における宇宙的な拡がり、ジェラール・グリゼーの「タレア」では突然現れる民謡風の旋律などが耳に新しい。

スペクトル派の音楽を聞き込んでいるわけではないので、「わかりにくい」と感じたことも事実だが、現代音楽を得意とする演奏家達の好演により、純粋に音楽として楽しめる仕上がりとなっていた。もっと内容を掘り下げて書けたら良かったのだが、わからないものを「わかる」とは言えないのである。



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2017年12月31日 (日)

観劇感想精選(226) 「この熱き私の激情 ―それは誰にも触れることができないほど激しく燃える あるいは、失われた七つの歌―」

2017年12月5日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、「この熱き私の激情 -それは誰にも触れることができないほど激しく燃える あるいは、失われた七つの歌-」を観る。原作:ネリー・アルカン、翻案・演出:マリー・ブラッサール。翻訳:岩切正一郎。出演:松雪泰子、小島聖、初音映莉子、宮本裕子、芦那すみれ、奥野美和、霧矢大夢。音楽:アレクサンダー・マクスウィーン。



ネリー・アルカンは、1973年、カナダ・ケベック州生まれ。モントリオールの大学に通いながら生活のために高級娼婦のアルバイトをし、その経験を生かしたセクシャルな内容の小説『ピュタン -偽りのセックスにまみれながら真の愛を求め続けた彼女の告白-』を発表。ケベック州のみならずフランス文壇の寵児となるも、2009年に36歳の若さで首つり自殺している。
セクシャルな作風、若くして自殺という点で、サラ・ケインを彷彿とさせる人物である。


物語は6人の女優の詩的にして内省的なモノローグと歌、ダンサーの奥野美和によるダンスによって進められていく。

アクリルによって隔てられたオランダの飾り窓のような7つの部屋。この7という数字は、松雪泰子演じる影の部屋の女の独白により、7つの大罪と明白にリンクしたものであることがわかる。

暗闇の中で複数の女の声がする。父親と幼い娘の話だ。父親は娘に、「やがてお前にも安らぎがやってくるだろう」と告げる。娘、つまり幼き日の主人公は安らぎについて考えるのだが、成人して死を目前に控えた今では安らぎについての明白な答えなどどうでも良くなっていた。

最初の女(芦那すみれ)のモノローグ。「幻想の部屋」。7つの時から母親(この物語では一貫して母親の存在は希薄であるか、悪意を持ったものとして登場する)に勧められてフィギュアスケートをしていた女。だが、その演技は誰よりも稚拙であり、フィギュアスケートを勧めた母親に憎しみのような感情を抱く。やがて娼婦となった女は、「上空から見下ろした私」はクレーターや南極や北極の氷や高山の頂のようなものだと感じるようになり、周りのみなは皮膚の下の本当の自分を見ようとしないと嘆く。「自分は醜くはないが美しくもない」と感じている女だったが、こうも語る。「女は美によって革命からも守られているが、革命を起こすことは出来ない」
女は「年だけは取ってはいけない」と独りごちる。

「天空の部屋」の女(小島聖)が現れる。天空の部屋は公衆トイレの個室である。女は南極やクレバスの裂け目といった荒涼とした風景に至高の美を感じ、それらが人間が容易に立ち入れない場所にあることを嘆く。美は人々から遠く離れた場所か、望遠レンズの向こうにしか存在しない。
彼女の友人の父親は天体観測が好きだった。そして惑星が死んで爆発する瞬間の輝き(超新星=スーパーノヴァである)こそがこの世で最も美しいものだと考えていた。死と同居した美しさを語る友人の父親を、彼女は「詩人だ」と感じていた。

「血の部屋」。女(霧矢大夢)は、幼くして死んだ彼女の姉の幻影と共に生きていた。そして彼女は夢見る。美しく生きている姉の姿を(ダンサーの奥野美和が姉の幻影をアクロバットな身のこなしで演じる)。そして男が男の娘と結婚し、子供を産み、その娘達(つまり男の子供にして孫)が男を新たな関係を結ぶ「理想郷」を夢想する。

「神秘の部屋」。女(初音映莉子)は、「自分が男だったなら」と思っている。彼女が生まれたとき、母親は男の子が生まれることを希望していた。産婦人科の先生から「男の子だろう」と告げられ、セバスチャンという名前まで授かっていた。だから女は自分が生まれたとき、母親が怒りで自分を床へと叩きつけないようしっかりとその手を握っていた。
女は娼婦になった今でも「男のように愛せたら」と強く感じており、自分の中の男を意識している。女はもう一人の自分かも知れない男(やはり奥野美和が演じている)と部屋にいて、幼い頃、叔母がやってくれたタロット占いの結果を思い出すのだった。

「影の部屋」。女(松雪泰子)は、死後の世界に怯えていた。幼い頃、女は父親に問うた。「死んだらどうなるの? 私も塩の柱になってしまうの? 神様に試されるの?」。父親は、「優しい子でなければいけない。そして許しを乞うんだ」と答えた。
父親は、「ソドムの市と塩の柱」の話をするのが好きだった。燃えさかるソドムの市を振り返ったがために、ある女は神によって塩の柱にされてしまった。だが女はその後の塩の柱が気になっていた。父親は話してくれなかったことだ。ソドムの市と共に塩の柱も燃えてしまったのだろか? あるいは塩の柱はそのまま残り、朽ちるに任されたのか。
女は地獄を厭い、輪廻転生もまた恐れる。自殺した女の魂が転生したとして、また辛い生涯を過ごさねばならないのではないか。女はそうした夢想さえも嫌になり、首を吊る。

「蛇の部屋」。女(宮本裕子)は、10歳の時に過ちを犯した。同級生の男の子と性的行為に及んだのだ。それを父親に見られた。あれほど好きだった父親の関係がそれから変化してしまう。娼婦になった今、女は小学校時代の夢を見る。レンガ造りの校舎の中で、ピアノの発表を行うのだ。なんで自分が小学校にいるのかと疑問に思うが、とにかくピアノを弾こうとする。だが楽譜にはページがない。そこで女は「自分がピアニストになるのは無理なのだ」と小学生の時にすでに気づいていたことを思い返す。
女が小学生だった頃、絵を描いた。子供らしい可愛い絵だ。青い空が拡がる。だがその絵を見た父親は青い空の中に何匹もの黒蛇がいると語っていた。

「失われた部屋」。女(奥野美加)は、死を目前にしたこの時に、自分がとても美しくなっていることを感じた。観客までもが自らの想像の産物である映画館の中で、自分が主演女優を演じる映画が上演される。だが、やがて全ては崩壊し、孤独だけが残るのだった。


魂を乗せたような独特の歌によって、一人の女の孤独な姿が浮かび上がる。望み、愛し、感じ、燃え上がり、悩み、報われない。絶えず居場所のない女の魂の経歴が披瀝されていく。
強度且つ高度に芸術的な作品であり、見応えは十分であった。こうした芸術性の高い演劇は、日本では行おうと思ってもなかなか行えない。日本という国の土壌がこうしたものを生み出しにくいということもあるし、やろうと思っても観客がついてこない可能性が高い。

翻案と演出を手がけたマリー・ブラッサールは、実は日本では中谷美紀が主演した「猟銃」のカナダプロダクションで主役である三人の女を演じた人であるという。「猟銃」、「アンデルセン・プロジェクト」などと共にカナダ演劇のレベルの高さを思い知らされた上演であった。

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2017年11月 8日 (水)

コンサートの記(322) 京都フィルハーモニー室内合奏団 室内楽コンサートシリーズ Vol.64 「~フランス音楽~」

2017年11月1日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から、京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、京都フィルハーモニー室内合奏団の室内楽コンサートシリーズ Vol.64「~フランス音楽~」を聴く。

曲目は、サン=サーンスの七重奏曲、ピエルネの「パストラーレ」、グノーの弦楽四重奏曲第3番、ファラン(ファランク)の九重奏曲というかなりマニアックなものである。全曲とも私はコンサートでは勿論、CDですら聴いたことがない。そもそもCDが出ているのかすらわからない。

出演メンバーは、ヴァイオリンが岩本祐果(いわもと・ゆか)と森本真裕美、ヴィオラが松田美奈子、チェロが佐藤響、コントラバスが金澤恭典(かなざわ・やすのり)、フルートが市川えり子、オーボエが岸さやか、クラリネットが松田学、ファゴットが小川慧巳(おがわ・えみ)、ホルンが御堂友美(みどう・ともみ)、トランペットが西谷良彦(にしたに・よしひこ)、ピアノは客演の岡純子(おか・すみこ)


サン=サーンスの七重奏曲。編成は、トランペット、ピアノ、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。七重奏という編成自体が珍しい。
作風はいかにもサン=サーンスらしい洒脱なものである。


ピエルネの「パストラーレ」。編成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンという管楽五重奏である。
フランス近代の作曲家であるガブリエル・ピエルネ。名前は比較的有名だが、作品となるとほとんど知られていない。「鉛の兵隊の行進曲」が吹奏楽のレパートリーとしてかろうじて知られている程度である。生前は指揮者としても知られていたようで、コロンヌ管弦楽団を指揮して様々な曲のフランス初演を行ったりもしている。
「パストラーレ」とは、田園という意味であるが、ピエルネの「パストラーレ」は、牧童の笛を模したオーボエに始まるメランコリックな楽曲である。


グノーの弦楽四重奏曲第3番。優雅さと悲哀が仄かに漂うような、エスプリに満ちた作品である。


ファランの九重奏曲。編成、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン。
ファランは私も初めてその名を耳にする作曲家。ファーストネームはルイーズで女流である。パリ音楽院の教授(ピアノ科)に女性として初めて就任した人だそうで、音楽界における女性の立場向上にも貢献したようである。
九重奏曲であるが、部分的には美しい旋律や和音に溢れているのだが、1つの楽章を通して聴くと冗長に感じられる。曲全体を見渡しての作品構築に関しては優れていなかったのかも知れない。それでもミステリアスな第3楽章などは興味深かった。


アンコールとしてチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」よりナポリの踊りからのコルネット独奏部分をトランペットに変えての演奏が行われる。


京フィルメンバーの演奏であるが、個々の技量も高く、アンサンブルもたまに怪しいところがあったが許容範囲で、フランス音楽の典雅さを上手く表していたように思う。ALTIの音響も室内楽には合っており、聴いていて気分が良かった。

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2017年3月24日 (金)

観劇感想精選(205) ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」2017大阪

2017年3月1日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」を観る。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」をフランス人のジェラール・プレスギュルヴィックがミュージカル化したもの。潤色・演出は宝塚歌劇団の小池修一郎。宝塚歌劇でも上演されたことがあるようだが、今回は新演出での上演である。音楽監督は太田健。
出演は主役クラスはWキャストで、今日の出演は、古川雄大、生田絵梨花(乃木坂46)、馬場徹、小野賢章(おの・けんしょう)、渡辺大輔、大貫勇輔。レギュラー出演者は、香寿たつき、シルビア・グラブ、坂元健児、阿部裕(あべ・ゆたか)、秋園美緒、川久保拓司、岸祐二、岡幸二郎ほか。ダンサーが多数出演し、華やかな舞台となる。

このミュージカルは、「死」と名付けられたバレエダンサー(大貫勇輔)の舞踏で始まる。背後の紗幕には爆撃機と爆撃される街の映像が投影される。
「死」は常にというわけではないが、舞台上にいて出演者達に目を配っている。ロミオ(古川雄大)が失望する場面が合計3度あるのだが、その時はロミオと一緒になって踊る。ロミオに毒薬を手渡すのも「死」の役目だ。
今日は出演しない「死」役のもう一人のバレエダンサーは、連続ドラマ「IQ246」にも出演して知名度を上げた宮尾俊太郎で、宮尾が舞う日のチケットは全て完売である。

イタリア・ヴェローナ。時代は現代に置き換えられており、登場人物達はスマートフォン(セリフではケータイと呼ばれる)や動画サイトを使っている。舞台は観念上のヴェローナのようで、実際のヴェローナにはない摩天楼が建ち並び、BOXを三段に重ねたセットが用いられる。
ヴェローナを二分するモンタギュー家とキャピュレット家。モンタギュー家は青地に龍の旗をはためかせ、モンタギューの一党も青系の衣装で統一されている。一方、赤字にライオンの旗をトレードマークとするキャピュレットの一族は赤系の服装だ。
モンタギューとキャピュレットの間では争いが絶えない。特にキャピュレット家のティボルト(渡辺大輔)と、モンタギュー家のマーキューシオ(小野賢章)は不倶戴天の敵という間柄である。
ヴェローナ大公(岸祐二)が両家の仲裁に入り、「今度争った場合は刑に処す」と宣言する。

キャピュレット卿(岡幸二郎)とキャピュレット夫人(香寿たつき)は、娘のジュリエット(生田絵梨花)をパリス伯爵(川久保拓司)に嫁がせようとしていた。ロミオにいわせるとパリスは「いけ好かない成金」であるが、キャピュレット卿は借金があり、ジュリエットと結婚したあかつきには借金を肩代わりしてもいいとパリスは言っていた。
ジュリエットはこの物語では16歳という設定。本当の愛というものを知らないうちに親が決めた相手と結婚することに疑問を感じている。だが、キャピュレット夫人は、「自分は結婚に愛というものを感じたことなど一度もない」と断言する。キャピュレット夫人も親の言いなりでキャピュレット卿と結婚したのだが、夫に魅力は感じず、夫も女遊びに励んでいたので負けじと浮気を繰り返していた。
そしてキャピュレット夫人は、ジュリエットが不義の子だということを本人に告げる(このミュージカルオリジナルの設定である)。のちにキャピュレット卿は、ジュリエットが自分の子供ではないと気づき、3歳のジュリエットの首を絞めて殺そうとしたのだが、余りに可愛い、実の娘以上に可愛いので果たせなかったというモノローグを行う。

キャピュレット夫人(くわえ煙草の時が多い)は、甥のティボルトになぜ戦うのか聞く。ティボルトは、「人類はこれまでの歴史で、どこかでいつも戦ってきた」と人間の本能が戦いにあるのだという考えを示す。キャピュレット夫人は愛の方が重要だと主張するがティボルトは受け入れない。

一方、ヴェローナ1のモテ男であるロミオは、数多くの女を泣かせてきたが、今度こそ本当の恋人に会いたいと願っている。マーキューシオやベンヴォーリオに誘われて、キャピュレット家で行われた仮面舞踏会にロミオは忍び込む。パリス伯爵に絡まれていたジュリエットだが、ロミオと出会い、互いに一目惚れで恋に落ちる。だが、ロミオの正体がばれ、パリス伯爵との結婚が急かされるという結果になってしまう。

バルコニーでジュリエットが、「ロミオあなたはなんでそんな名前なの?」という有名なセリフを語る。ロミオがバルコニーに上ってきて、二人は再会を喜び、「薔薇は名前が違ってもその香りに変わりはない」というセリフを二人で語り上げる。

ティボルトもまた従妹であるジュリエットに恋していた。ティボルトも15歳で女を知り、それ以降は女に不自由していないというモテ男だったのだが、本命はジュリエットだった。日本の法律では従兄妹同士は結婚可能なのだが、キャピュレット家には従兄妹同士は結婚出来ないという決まりがあるらしい。
ティボルトはこれまで親の言うとおり生きてきたのだが、それに不満を持つようになってきている。ただ、自由に生きることにも抵抗を覚えていた。

一方、モンタギュー家のロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオも大人達の言うがままにならない「自由」を求めており、自分達が主役の社会が到来することを願っていた。いつの時代にもある若者達の「既成の世界を変えたい」という希望も伝わってくる。

バルコニーでの別れの場。ジュリエットは父親から「18歳になるまではケータイを持ってはならない」と命令されており、ロミオと連絡を取る手段がない。ジュリエットはロミオに薔薇を手渡す。「明日になっても気が変わらなければ、この花を乳母(ジルビア・グラブ)に渡して」と言うジュリエット。ロミオは勿論心変わりをすることなく、訪ねてきた乳母に薔薇の花を返す。かくして二人はロレンス神父(坂元健児)の教会で結婚式を挙げる。フレンチ・ミュージカルであるため、フランス語で「愛」を意味する「Aimer(エメ)」という言葉がロミオとジュリエットが歌う歌詞に何度も出てくる。

二人の結婚の噂が流れ、街では、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」という「マクベス」のセリフを借りた歌が流れる。「顔は綺麗と思った女性でも」という意味である。

再びモンタギューとキャピュレットの諍いが起こる。マーキューシオがティボルトとの戦いに敗れて死に、その腹いせでロミオはティボルトを刺し殺してしまう。ヴェローナ大公はロミオにヴェローナからの永久追放を宣言するのだった。


常に人々を見下してきた「死」が、ラストになって敗れる。ロレンス神父がジュリエットに死んだようになる薬を手渡したことをロミオにメールするのだが、ロミオはケータイをなくしてしまっており、事実を知らないまま「死」から手にした毒薬で自殺し、それを知ったジュリエットも短剣で胸を突き刺して後を追う。ここまでは「死」のシナリオ通りだったのだが、ロミオとジュリエットの愛に心打たれたモンタギュー卿(阿部裕)がキャピュレット卿と和解。ロミオとジュリエットの名は後世まで残るものと讃えられる。ロミオとジュリエットの死が愛を生んだのだ。「死」は息絶える仕草をし、ここにおいて愛が死に勝ったのである。


楽曲はロック風やクラブミュージック調など、ノリの良いナンバーが比較的多く採用されている。拍子自体は4分の4拍子や4分の3拍子が多く、リズムが難しいということはない。
ベンヴォーリオがのぼせ上がったモンタギュー一族をなだめる場面があり(「ロミオとジュリエット」を翻案した「ウエスト・サイド・ストーリー」における“クール”の場面のようである)、これまたベンヴォーリオがマントヴァ(この劇では売春街という設定になっている)に追放されたロミオを思って一人語りをしたり伝令も兼ねたりと、ベンヴォーリオは原作以上に重要な役割を与えられている。


2013年のミュージカル「ロミオ&ジュリエット」でもロミオを演じた古川雄大は安定した歌と演技を披露する。
ジュリエットを演じた乃木坂46の生田絵梨花はミュージカル初挑戦であるが、実力はあるようで、すでにオーディションを突破しなければキャスティングされないミュージカル「レ・ミゼラブル」にコゼット役での出演が決定している。生田絵梨花はピアノが得意で日本クラシック音楽コンクール・ピアノ部門での入賞歴があり、現在は音楽大学に在学中。ということでソニー・クラシカルのベスト・クラシック100イメージキャラクターも務めていたりする。演技はやや過剰になる時もあるが、歌は上手いし、筋は良い。
ティボルト役の渡辺大輔とマーキューシオ役の小野賢章も存在感があって良かった。

カーテンコールは3度。最後は大貫勇輔が客席に向かって投げキッスを送りまくり、笑いが起こっていた。

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2017年3月17日 (金)

観劇感想精選(203) 第3回勘緑文楽劇場公演「エディット・ピアフ物語」

2017年3月5日 大阪・日本橋の国立文楽劇場にて観劇

午後4時30分から、大阪・日本橋(にっぽんばし)にある国立文楽劇場で、第3回勘緑文楽劇場公演「エディット・ピアフ物語」を観る。


勘緑文楽劇場は、元文楽協会技芸員で、現在は人形座「木偶舎(もくぐしゃ)」主宰である勘緑が人形浄瑠璃の新しい可能性を求めて、2012年1月に33年在籍した文楽座を辞して始めた新文楽である。勘緑は、現在、人形浄瑠璃とくしま座芸術監督、筑前艶恋座代表でもある。

洋服を着た人形が行う文楽を観るのは、今回が初めてである。シャンソン歌手の代名詞であるエディット・ピアフ(本名:エディット・ジョヴァンナ・ガション)の生涯を文楽で描こうという試み、文楽だけでなく、講談、シャンソン、フレンチジャズ、マジック、アクロバットなどあらゆる要素を取り入れたSHOWになっている。

講談師を務めるのは、4代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)。2000年に大阪市立大学法学部を卒業後、司法浪人をしていたが、「講談師も弁護士も最後に“し”がついてるから一緒や」と旭堂南陵に言われて講談師になったという変わり種。日本語の他に英語、スウェーデン語をこなす。1993年から翌年にかけてスウェーデンへ交換留学に行っており、ストックホルムで行われたノーベル賞の授賞式にも参加しているという。昨年11月に4代目・玉田玉秀斎を襲名したばかりである。

今回の公演では、義太夫の代わりに玉田玉秀斎が全ての語りをこなす。

玉秀斎は舞台下手に陣取り、舞台上手がバンドスペースとなっている。演奏者は、川瀬眞司(ギター、音楽プロデューサー)、山本佳史(ギター)、中村尚美(ウッドベース)、かとうかなこ(クロマチックアコーディオン)、高橋誠(ヴァイオリン)。シャンソン歌手のZaZaがヴォーカリストとして参加し、パフォーマーのKAMIYAMAがマジックとパントマイム、吉田亜希がアクロバティックダンスを行う。

開演5分前に、勘緑が人形を使いながら舞台から客席に降りてくる。KAMIYAMAらパフォーマーもそれに従う。


まず、バンド陣が「シャレード」のテーマを引いてスタート。客席後方から、子供の人形が現れる。声は玉田玉秀斎が担当する。「おかーさん、もうすぐ会えるんだね! 色々歌って欲しいな」と子供は言いつつ舞台上に上がり、退場する。この人形は後にエディット・ピアフの娘、マルセルであることがわかる。

ラジオのチューニングの音が流れ、「歌手のエディット・ピアフさんが亡くなりました。享年47歳でした」と伝える。

そして、舞台上に今度現れたのはモヒカン刈の男。ピアフの父親であるルイスである。ルイスは己の惨めな境遇を全部人のせいにする。
ピアフは生まれてすぐに母親が逃げ出し、父親のルイスに育てられるのだが、ルイスも元々人間が悪く、実の娘を母親が営業する売春宿に売る。ルイスの母親も「娘を売るなんて、ろくでなし!」と言うが、結局、高値で引き取る。売春宿には仕事のしすぎでもう子供が産めない体になってしまった娼婦のティティーヌがいた。ティティーヌはピアフを実の子供のように可愛がる。ピアフが歌を覚えることが得意なのに気づいたティティーヌはピアフに歌を教える。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」などを歌った。
だが、ピアフは目を病み、視力を失ってしまう。ティティーヌは様々な薬を試すが効果はなく、後は神頼みしかなくなる。聖地に巡礼するティティーヌとピアフ。すると不思議なことにピアフの目が見えるようになった。
だが、目が見えるなら役に立つということで、ルイスが自分が経営している見世物小屋にピアフを入れようと迎えに来る。ルイスの手下役のKAMIYAMAと吉田亜希もそれに従い、人形と人間が争うという珍しい場面が演じられる。

見世物小屋の場面。KAMIYAMAがブリーフケースを使ったパントマイムを行い、その後、マジックも披露する。そして舞台上から赤い布が2枚降りてきて、吉田亜希がそれを伝って上にあがり、サーカスのようなアクロバット芸を披露する。

そして、ピアフの初舞台。ピアフは「ラ・マルセイエーズ」を歌い(歌はZaZaが担当)、大反響を呼んで、歌手、エディット・ピアフが誕生するのだった。

パリの劇場で歌ったピアフは、小柄な体から放たれる圧倒的な歌で大成功。フランス語で雀を意味する俗語の「ピアフ」の名で呼ばれるようになる。


有名ナンバーは、「パリの空の下」、「バラ色の人生」、「愛の賛歌」、「パダム・パダム」、「群衆」、「水に流して」などが歌われる。

16歳になったピアフは、プティルイという男性と結婚。女の子が生まれ、マルセルとピアフは名付ける。だが、マルセルは病に倒れ、早世してしまう。嘆くピアフ(この場面ではアコーディオン奏者のかとうかなこが舞台の中央まで進み出てクロマチックアコーディオン(ボタン式アコーディオン)を弾き、ピアフがアコーディオンにすがろうとする。その後、マルセルは天国からピアフを見つめる役をする。

戦争が始まり、ピアフはパリを占領したドイツ将校のために歌うが、それでフランス人捕虜収容所に慰問に行く権利を手に入れる。ピアフは収容所に入っては、捕虜を逃がす作戦を決行した。

戦後、ピアフはボクサーのマルセル・セルダンと出会い、恋に落ちる。「なぜあなたは悲しい歌ばかり歌うのですか?」というセルダンにピアフは「本当に悲しいからよ」と答える。だが、歌うことが自分に出来ることと考えるピアフは歌い続ける覚悟もしていた。
ピアフとセルダンは、フランス民謡「月夜(月の光に)」のメロディーに合わせて踊る。

多忙ゆえに会えなくなったピアフとセルダンであるが、ピアフがニューヨークでコンサートを行う時期に、セルダンもニューヨークでタイトルマッチを戦うことになった。
ピアフはセルダンのために「愛の賛歌」を用意して待っていたが、セルダンを乗せた飛行機が墜落。ピアフは最愛の人を失った。関係者は当日のコンサートを中止にしようとしたが、ピアフは決行を決意し、全身を振り絞るようにして「愛の賛歌」を歌う。

セルダンの死によって抜け殻のようになってしまったピアフは、酒、煙草、ドラッグに溺れ、40代とは思えないほどに老け込んでしまった。そんなある日、ピアフはテオ・サポラという青年と出会う。「みんな自分を利用して金儲けをしているだけだ」と言うピアフに、テオはピアフの歌の素晴らしさを語る。復活したピアフはオランピア劇場でコンサートを行い、大成功。1時間半の本編が終わった後で、ピアフはアンコールとして「水に流して」を歌うのだった。

ピアフが亡くなり、ピアフの霊はマルセルの霊と再会する。ZaZaの「愛の賛歌」日本語版が歌われて劇は終わる。


大竹しのぶが舞台「ピアフ」にライフワークのように取り組んでおり、遂には紅白歌合戦にまで出場してしまったということで、観に来ていたおばあちゃんの多くが、「大竹しのぶ」の名を口にしていた。勘緑が終演後に、「勘緑文楽劇場公演は3回目にしてようやく満員になった」と言っていたが、多分、大竹しのぶ効果はあったと思われる。

人形と人形とがダンスを踊ったり、セリが頻繁に使われたり(「これでもか」というほど高くせり上がる場面もある)、回り舞台まで使うなど、国立文楽劇場で出来ることは全てやったという感じである。
構想から今日の舞台まで5年掛かったというが、まあ、色々な要素を取り入れているので時間は掛かるだろう。
木偶舎の座員は、全員、勘緑から「緑」の字を貰っているが、12人中10人が女性という、浄瑠璃上演集団としてはかなり異色のグループである。この後、木偶舎は、東北地方支援公演に向かうという。

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