カテゴリー「オペラ」の50件の記事

2018年5月18日 (金)

コンサートの記(385) 小林沙羅&西村悟デュオ・リサイタル~「母の日」に贈る歌の花束~

2018年5月13日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、小林沙羅&西村悟デュオ・リサイタル~「母の日」に贈る歌の花束~を聴く。若手ソプラノである小林沙羅(さら)とテノールの西村悟(さとし)の共演。ピアノ伴奏はベテランの河原忠之が務める。

曲目は事前発表と多少異同があり、第1部が、ヘンデルの歌劇「セルセ」より“オンブラマイフ”(西村悟歌唱)、伝カッチーニの「アヴェ・マリア」(小林沙羅歌唱)、トスティの「薔薇」(小林沙羅歌唱)、トスティの「理想の人」(西村悟歌唱)、ドニゼッティの「一粒の涙」(西村悟歌唱)、ヴェルディの歌劇「椿姫」より“乾杯の歌”(デュオ)、「椿姫」より“不思議だわ~花から花へ”(小林沙羅歌唱)、「椿姫」より“燃える心を”(西村悟歌唱)、「椿姫」より“パリを離れて”(デュオ)。第2部が、レハールの喜歌劇「微笑みの国」より“気味は我が心の全て”(西村悟歌唱)、レハールの喜歌劇「ジュディタ」より“熱き口づけ”(小林沙羅歌唱)、小林沙羅作詞・作曲の「子守歌」(本人歌唱)、ドヴォルザークの「我が母の教え給いし歌」(小林沙羅歌唱)、武満徹の「小さな空」(西村悟歌唱)、プッチーニの歌劇「マノン・レスコー」より第3幕への間奏曲(河原忠之によるピアノソロ版)、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」よりロドルフォとミミの出会いから第1幕ラストまで。

注目を集める若手ソプラノの小林沙羅。「題名のない音楽会」への出演でもお馴染みである。東京藝術大学卒業後、同大学院修士課程修了。2010年から2015年までウィーンとローマに留学し、研修と歌唱活動を行う。2017年に出光音楽賞受賞。野田秀樹が演出した井上道義指揮「フィガロの結婚」日本全国ツアーののスザンナ(すざ女)役で知名度を上げ、「カルメン」のミカエラ役で藤原歌劇団にデビュー。三枝成彰作曲の「狂おしき真夏の一日」への出演も話題になった。藤原歌劇団団員、大阪芸術大学准教授。今月の大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会でマーラーの交響曲第4番の独唱を務めるほか、夏には佐渡裕指揮のオペラ、ウェーバーの「魔弾の射手」への出演も決まっている。

テノールの西村悟は、日本大学芸術学部音楽学部卒業後、東京藝術大学大学院オペラ科を修了。第36回イタリア声楽コンコルソ・ミラノ部門にて大賞(1位)を受賞。2010年にイタリア・ヴェローナに留学し、翌11年にリッカルド・ザンドナーイ国際声楽コンクールで2位入賞、合わせて審査委員長特別賞を受賞。田尾80回日本音楽コンクールでは第1位を獲得し、聴衆賞も受賞している。大野和士指揮バルセロナ交響楽団によるメンデルスゾーンの「讃歌」のソリストとしてヨーロッパデビュー。新国立劇場オペラ「夜叉ヶ池」、藤原歌劇団の「ラ・トラヴィアータ」、「蝶々夫人」、「仮面舞踏会」、「ルチア」などに出演。平成25年度五島記念文化賞オペラ部門オペラ新人賞や第23回出光音楽賞を受賞。藤原歌劇団団員。

ヘンデルの歌劇「セルセ」より“オンブラマイフ”。現在ではソプラノによって歌われることが多いが、元々は男性の王様のナンバーであり、カウンターテナーやソプラニスタが歌う曲である。全身黒の衣装で登場した西村は声に張りがあり、安定感も抜群だ。

伝カッチーニの「アヴェ・マリア」。水色のドレス姿で現れた小林の歌唱は入りの声量がやや足りず、悪い意味でアマチュア的な歌唱になっていた。ただ、小林はオペラのナンバーになると人が変わったかのように生き生きと歌い出す。小林沙羅として歌うよりも劇中の人物になりきって歌うのが得意という、根っからのオペラ歌手のようだ。

ヴェルディの歌劇「椿姫」より。実は小林はヴィオレッタ役をまだ演じたことはないそうである。オペラにはソリストに何かあったときのためにカバーキャストやアンダースタディーという制度があり、そこからスターの座を掴む者もいるのだが、東日本大震災のあった2011年に、小林は「椿姫」で森麻季演じるヴィオレッタのカバーキャストを務めたことがあったという。東北で震災があった時は、兵庫県での「椿姫」公演があったそうだが、森麻季はその時、東京におり、ひょっとしたら森麻季が兵庫県に来られないかも知れないというので、小林も「私がヴィオレッタやるの?」と焦ったそうである。幸か不幸か森麻季は無事兵庫入りして小林が舞台に上がることはなかったそうだ。
二人ともチャーミングな歌唱を聴かせる。ヴィオレッタの薄幸な雰囲気を小林は上手く出していたように思う。

第2部。西村はグレーのタキシードに着替え、小林は前半が深紅の、後半が第1部と同じ水色のドレスで登場する。小林はレハールの喜歌劇「ジュディッタ」より“熱き口づけ”でステージ狭しとばかりに華麗に踊る。バレエの経験があるだけに踊るのがかなり好きなようである。小林は更にステージから降りて、母の日ということで手にしていたカーネーションを女性客に配って回る。西村は小林について、「良いとこ一杯ある。歌えて踊れて顔良くて可愛くて」と挙げていく。

ドヴォルザークの「我が母の教え給いし歌」。小林は以前からこの曲を歌いたいと思っていたそうだが、ステージで披露するのは今日が初めてとなるそうである。母の日に合わせた選曲のようだが、なかなか味わい深い歌い方であった。

武満徹の「小さな空」。西村悟が歌うのだが、この曲を男性歌唱で聴くのは初めてかも知れない。素朴な歌詞とメロディーによる曲であるが、やはり武満の楽曲だけに日本人の琴線に触れるものがあるように思う。西村の歌唱も堂に入っている。

河原忠之のピアノソロによる「マノン・レスコー」より第3幕への間奏曲(確かな構成力を感じさせる演奏であった)を経て、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」第1幕より。当初は、「冷たき手を」「私の名はミミ」「おお、麗しの乙女よ」の3曲を歌う予定だったのだが、リハーサルで興が乗ってしまったそうで、ロドルフォとミミの出会いから第1幕の終わりまでを演技付きで歌うことに変えたという。セットは椅子一脚だけだが、かなりしっかりした演技による歌唱であり、オペラの一場面をまるごと楽しめるという趣向になった。
小林は高音の伸びにやや難があったが、心理描写やドラマ性に富んだ歌唱を聴かせ、西村は豊かな声量と確かな技術、細やかな演技で魅せた。

アンコールは、レハールの喜歌劇「メリー・ウィドウ」よりワルツ(とざした唇に)。日本語詞でワルツを踊りながらの歌唱。楽しいデュオ・リサイタルであった。



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2018年5月10日 (木)

コンサートの記(381) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 かがり火オペラ パーセル 歌劇「ディドとエアネス」

2018年5月5日 びわ湖ホール湖畔広場にて

午後7時から、湖畔広場(中ホールの外)で、かがり火オペラ、パーセルの歌劇「ディドとエネアス」を観る。指揮は大川修司、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団のメンバーと、笠原雅仁(リュート)、梁川夏子(チェンバロ)、中村洋彦&井上佳代(リコーダー)による演奏。出演は全員びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーで、船越亜弥(ディド)、内山建人(エネアス)、飯嶋幸子(ペリンダ)、藤村江李奈、益田早織、吉川秋穂、溝越美詩、山際きみ佳、鳥越聖人、熊谷綾乃、川野貴之、蔦谷明夫、板東達也、五島真澄、宮城島康。演出:中村敬一。英語上演、日本語字幕付きである。

上演前に演出の中村敬一によるトークがある。「ディドとエネアス」のあらすじを紹介した他、イタリア人は歌を愛し、フランス人はダンスを好んで、イギリス人はシェイクスピアの国ということもあって演劇を愛好するという話をして、そのためもあってイギリス人の有名なオペラ作曲家はパーセルとベンジャミン・ブリテンの二人だけという話をする。
イギリス史上ただ一人といっていい天才作曲家のヘンリー・パーセル。エリザベス朝時代に活躍した作曲家であるが、彼の没後、約200年に渡ってイギリスは大物作曲家不在の国となってしまう。その後、20世紀に入ってから、ベンジャミン・ブリテンがようやく世界的なオペラを書くようになるのだが、ブリテンはパーセルのことを大変尊敬しており、ブリテン自身が編曲を手掛けたブリテン版「ディドとエアネス」も存在するという。

仮設舞台の上に布が一枚垂れているが、これに映像が投影されたり、船の帆に見立てられたりする。

びわ湖ホール館長の山中隆と、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」のプロデューサーでびわ湖ホールの音楽監督でもある沼尻竜典によるかがり火点灯式の後でオペラスタート。


神話の時代のお話である。トロイ戦争に破れ、ローマを目指しての船旅に出たエアネス王子は嵐に遭い、カルタゴへ流される。カルタゴを建てたディド女王は、アプロディーテーの息子で男前のエアネスと恋に落ちる。だが二人の仲を知った魔女は嫉妬して、精霊に化けてエアネスの前に現れ、カルタゴを離れてローマに向かうよう命じる。ディドからも精霊の命令に従うよう説得されたエアネスはためらいつつもイタリアへと向かい、元々気鬱気味であったディドは自ら命を絶つ。

バロック時代のオペラということもあってあらすじは平易である。パーセルの音楽は「天才」の評価にふさわしい優れたものだ。古楽だけにドラマ性に富んでいるというわけにはいかないが、ラストの暗い響きなどには時代を超越したものがあるように思う。
中ホールがすぐ背後にあり、「俺だったら中ホールの照明を使うなあ」と思っていたが、中村敬一もラストで中ホールの明かりを使っていた。

今よりも神の存在がずっと大きかった時代の話。人間は神の前ではちっぽけな存在でしかなかったが、ある意味、「神のせい」に出来た時代でもある。神という存在に後付けされた免罪符とでもいうべきか。人間の意識が肥大化し、神が殺害されて全ての事柄が個人に結びつくようになった今に比べると、この時代は別の種類の豊かさに満ちていたとも言える。

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2018年4月23日 (月)

コンサートの記(374) ローム ミュージック フェスティバル 2018 初日

2018年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

左京区岡崎にあるロームシアター京都で開催される、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴きに行く。今日はホール内で行われる全ての公演、サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」、リレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」、オーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べに接する。ローム・スクエア(中庭)では中学高校の吹奏楽部の演奏が合間合間に行われており、今日は、京都市立桂中学校吹奏楽部、龍谷大平安高校吹奏楽部、大阪桐蔭高校吹奏楽部の演奏が行われていた。桂中学校や龍谷大平安の吹奏楽部はオーソドックスな演奏だったのだが、大阪桐蔭高校はとにかく個性的。まず吹奏楽部員が歌う。更にダンスが始まり、今度はミュージカル、ラストでは女子生徒が空箱に入って串刺しにするというマジックまで披露。もはや吹奏楽部ではなくエンターテインメント部である。やはり大舞台である甲子園の常連校(今春も選抜制覇)はやることが違う。無料パンフレットに記載された部の紹介も他の学校は挨拶程度だが、大阪桐蔭高校吹奏楽部だけは全国大会や海外コンクールでの華々しい成績が並んでいる。


サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」は、午後1時開演。曲目は、アルベニスの「タンゴ」、ファリア作曲(フリッツ・クライスラー編曲)「スペイン舞曲」、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番、ラヴェルの「ツィガーヌ」、ドビュッシーのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、クロールの「バンジョーとフィドル」、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」、サラサーテの「カルメン幻想曲」

たびたびデュオ・コンサートを行っている成田達輝と萩原麻未。萩原の方がYouTubeに載っていた成田の演奏を見て共演を申し込んだそうである。萩原は最近ではソロよりも室内楽の方に興味があるようだ。ただ、今年の7月には奈良県の大和高田市や出身地である広島市などでソロ・リサイタルを開く予定がある。萩原は昨年の10月にピアノ・リサイタルツアーを行っており、私もいずみホールでの公演のチケットを取ったのだが、風邪のために行けなかった。

技巧派の成田と個性派の萩原の組み合わせ。スペインものとフランスものを軸にしたプログラムだが、ラヴェルやドビュッシーを弾いた時の萩原麻未が生み出す浮遊感が印象的。重力に逆らうような音であり、やはりセンスがないとこうした音を奏でることは出来ないと思う。

成田のヴァイオリンは情熱的で骨太。男性的なヴァイオリンである。伸び上がるように弾いたり、床の上を少しずつ滑るように体を動かすのも個性的だ。構築感にも長けた萩原のピアノをバックに成田が滑らかな歌を奏でていく。理想的なデュオの形の一つである。

今日は、例えはかなり悪いが発狂した後のオフィーリアのようなドレスで登場した萩原麻未。純白のドレスであるが、ロングスカートや腕にスリットが入っている。演奏を始める時に、成田の方を振り返って上目遣いで確認を行うのも魅力的だったりする。

開演前に背後の方で、「萩原さんのお母さんにご挨拶して、似てらっしゃいますよねえ」と語っている男性がいたので、誰かと思ったら作曲家の酒井健治氏だった。その萩原麻未のお母さんは結構有名人のようで、色々な人に挨拶を受けていた。


間の時間に平安神宮に参拝する。


午後4時からは、サウスホールで行われるリレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」。ローム ミュージック フェスティバルの参加者は、ほぼ全員ローム ミュージック ファンデーションの奨学生や在外研究生、ロームが主催する京都・国際音楽学生フェスティバル出演者や小澤征爾音楽塾塾生なのだが、「ザ・スピリット・オブ・ブラス」は、ロームに援助を受けた12人の金管奏者と打楽器奏者1名による団体である。メンバーは、菊本和昭(NHK交響楽団首席トランペット奏者、元京都市交響楽団トランペット奏者。元ローム奨学生)、伊藤駿(新日本フィルハーモニー首席トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、杉木淳一郎(元新星日本交響楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、新穂優子(にいぼ・ゆうこ。Osaka Shion Wind Orchestraトランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、堀田実亜(ほった・みつぐ。ドルトムント・フィルハーモニー管弦楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、日橋辰朗(にっぱし・たつろう。読売日本交響楽団首席ホルン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、太田涼平(山形交響楽団首席トロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、風早宏隆(かぜはや・ひろたか。関西フィルハーモニー管弦楽団トップトロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、古賀光(NHK交響楽団契約トロンボーン奏者。次期首席トロンボーン奏者就任見込み。元小澤征爾音楽塾塾生)、辻姫子(東京フィルハーモニー交響楽団副首席トロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、藤井良太(東京交響楽団バストロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、宮西淳(元台湾国家交響楽団首席テューバ奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、黒田英実(くろだ・ひでみ。女性。NHK交響楽団打楽器奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)

曲目は、J・S・バッハの「小フーガト短調」(竹島悟史編曲)、パーセルの「トランペットチューン&エア」(ハワース編曲)、クラークの「トランペット、トロンボーンと金管アンサンブルのための『カズンズ』」(井澗昌樹編曲)、ドビュッシーの「月の光」(井澗昌樹編曲)、ハチャトゥリアンの「剣の舞」(井澗昌樹編曲)、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍楽隊の行進”(竹島悟史編曲)、ガーデの「ジェラシー」(アイヴソン編曲)、「ロンドンデリーの歌」(アイヴソン編曲)、リチャーズの「高貴なる葡萄酒を讃えて」よりⅣ.ホック、カーマイケルの「スターダスト」(アイヴソン編曲)、マンシーニの「酒とバラの日々」(アイヴソン編曲)、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(井澗昌樹編曲)

菊本和昭がマイク片手に進行役を務める。それぞれの奏者が入れ替わりでソロを取るスタイルだが、皆、楽団の首席級の奏者だけに腕は達者である。
ハチャトゥリアンの「剣の舞」では、打楽器奏者の黒田英実が木琴の他に、小太鼓、スネア、シンバルなどを一人で担当。リハーサルで他のメンバー全員が圧倒されたという超絶技巧を繰り広げた。

ちなみに、多くの曲の編曲を手掛けた井澗昌樹(いたに・まさき)は客席に来ており、菊本に呼ばれて立ち上げって拍手を受けていた。

「ラプソディ・イン・ブルー」は短めの編曲かなと思っていたが、かなり本格的なアレンジが施されており、聴き応えがあった。

アンコールは、バリー・グレイ作曲・竹島悟史編曲による「サンダーバード」。格好いい編曲であり、演奏であった。


午後7時からは、メインホールでオーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べを聴く。下野竜也指揮京都市交響楽団の演奏。
昨年のローム ミュージック フェスティバルの京都市交響楽団演奏会の指揮を務めたのは三ツ橋敬子、一昨年は阪哲朗であったが、いずれも出来は今ひとつ、ということもあったのか、今年は京都市交響楽団常任首席客演指揮者である実力者、下野竜也が起用された。下野もまたウィーン国立音楽大学在学中にローム奨学生となっている。

曲目は、前半に、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」、武満徹の「3つの映画音楽」、酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」(オーケストラ版世界初演)という日本の音楽が並び、後半は日本が舞台となるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャルハイライト版が上演される。
ナビゲーターとして、昨年のローム ミュージック フェスティバルにも参加した朝岡聡が起用されており、前半では楽曲の解説を、後半の「蝶々夫人」ではストーリーテラーを務める。

コンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。

外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。
今日は1階席22列22番での鑑賞。残響は短いが直接音は良く聞こえる。良い席だと思える。下野の指揮は立体感の表出が見事。各楽器のメロディーの彫刻が丁寧であり、だからこそ優れた音響をオーケストラから引き出すことが出来るのであろう。音に宿る生命感も平凡な指揮者とは桁違いだ。

武満徹の「3つの映画音楽」。「ホゼー・トレス」「黒い雨」「他人の顔」の3つの映画の音楽を作曲者である武満本人がコンサート用に纏めたもの。「他人の顔」における苦み走ったワルツはショスタコーヴィチにも繋がる深さを持っている。下野の各曲の描き分けは流石の一言である。音の輪郭がクッキリとしていて迷いがない。

酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」。酒井がローム奨学生でもあった京都市立芸術大学在学中の1999年に、京都・国際音楽学生フェスティバル委嘱作品として発表したチェロとピアノのための曲を新たにオーケストラ用に編曲したものである。「箱根八里」や「さくらさくら」という民謡・童謡が用いられている。叙情的な楽曲であるが、酒井作品の本来の味わいはもっと先鋭的であり、酒井が終演後に「ああいう曲を書く人だと思われると困るな」と話しているのが耳に入った。

このコンサートは客席に有名人が多い。開演5分前に、「えー? 席どこ?」という感じで席を探している可愛らしい顔のお嬢さんがいるなと思ったら、萩原麻未さんであった。萩原さんはやはりというかなんというか成田君の隣の席だったようだ。なお、二人とも新幹線で今日中に帰る必要があるようで、前半が終わると帰って行った。
休憩時間にロビーに出ていると、井上道義がふらふら歩いているのが目に入る。その後、オペラ歌手と思われる女性を相手になにやら熱く語っていた。

後半、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャル・ハイライト版。演出:田尾下哲(たおした・てつ)、構成:新井鷗子、衣装:半田悦子、映像:田村吾郎、絵画:牛嶋直子、照明:西田俊郎。出演:木下美穂子(蝶々夫人)、坂本朱(さかもと・あけみ。スズキ)、宮里直樹(ピンカートン)、大山大輔(シャープレス)

オーケストラスペースの背後に段を置いて二重舞台とし、背景にスクリーン幕が下がる。ここに牛嶋直子の絵が投影される。日本語字幕は使用されず、朝岡聡がストーリーを説明してから場面が演じられる。ただ字幕がないので、詳しいセリフはわからない。「蝶々夫人」は何度も観ているオペラだが、セリフをすぐに思い出せるわけではない。
1時間以内に纏める必要があるということで、ピンカートンが現地妻を持とうという時の傲慢な態度、蝶々夫人とピンカートンの愛の二重唱、「ある晴れた日に」、花びらを撒く蝶々さんとスズキ、蝶々さんの自決と終幕など、駆け足での展開である。
歌手がステージ上のオーケストラより後ろにいるためか、声の通りが今ひとつに思えたところもあったが、全体的に歌唱は安定している。ただ女声歌手はともに声が細めのため、出番の短い男声歌手二人の方が存在感があるように感じた。上演上の制約の結果でもあるだろう。

下野の指揮はドラマティックにして色彩豊かで雄弁。遺漏のない出来であった。



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2018年4月22日 (日)

観劇感想精選(239) 白井晃演出 「三文オペラ」

2007年11月9日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター中ホールにて観劇

午後7時より兵庫県立芸術文化センター中ホールで、「三文オペラ」を観る。ベルトルト・ブレヒト作、クルト・ワイル音楽。酒寄進一による新訳テキストによる公演。演出は白井晃。音楽監督:三宅純。出演は、吉田栄作、ROLLY、篠原ともえ、銀粉蝶、佐藤正宏、大谷亮一、細見大輔、猫背椿、六角慎司、内田紳一郎ほか。

ブレヒトは演劇に「異化効果」を持ち込んだことで知られるが、現代の観客は安易に登場人物に同化せず、冷静に眺めていることが多いので、「異化効果」について特に気にする必要はない。
ただ、演出の白井晃がわかりやすい「異化効果」を用いているのでそれは参考になる。白井晃は主人公の悪党ミッキ・メッサーに恋する女性ポリーに篠原ともえをキャスティングしている(白井本人の希望によるキャスティング)。ポリーはセクシーで挑発的な歌や仕草をするのだが、篠原ともえがそれをやると予想されるとおりセクシーにも挑発的にもならない。むしろ可笑しい。これが「異化効果」の一例である。

ブレヒトの芝居は何本か観ているが「三文オペラ」を観るのは初めて。ただ戯曲は二十歳の頃に読んでいるし、同時期にジョン・モーセリ(ジョン・マウチュリー)指揮ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)、ウテ・レンパーほかによるクルト・ワイルの「三文オペラ」全曲盤を聴いているので、内容も歌も一応はわかっている。


通常はオーケストラピットとして使われる部分を平土間にし、そこに三階建てのセットを組み上げている。電光掲示の文字が浮かび上がり、いくつかのト書きが随時示される。

モーセリ盤などではチープなオーケストレーションによる演奏が行われているが、白井晃の音楽好きは有名なだけに、三宅純を招いてゴージャスなサウンドを築いた。


ジョン・ゲイの「ベガーズ・オペラ」を下敷きにした作品(なお、「ベガーズ・オペラ」も来年2月に大阪の梅田芸術劇場メインホールで上演された)。舞台はヴィクトリア女王即位直前のロンドンのソーホー。大英帝国時代初期よりソーホーには移民が多く移り住み、風俗店や貧民窟などが立つ雑多な街となっていた。
ジョナサン・ジェルマイヤ・ピーチャム(大谷亮一)は、ソーホーで乞食衣装屋を営んでいる。汚らしい衣装に身を包み、車いすに乗って身障者に見せかけたホームレスの男達に乞食をさせて金儲けをするという一種の詐欺商法である。ヴィクトリア朝のロンドンの乞食というと、サー・アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの一作「唇のねじれた男」が有名だが、当時のロンドンの乞食について研究したシャーロキアン(熱狂的なシャーロック・ホームズ信奉者)によると、実際、大英帝国では乞食は結構な稼ぎになったらしい。

ソーホーを根城にした盗賊団のキャプテン(リーダー)メッキ・メッサー(吉田栄作)。メッサーは、ピーチャムの娘であるポリー(篠原ともえ)と結婚式を挙げる。しかし、盗賊団のリーダーで殺人、強盗、放火、強姦などの常習犯であるメッサーとの結婚にピーチャム夫妻はポリーとメッサーの仲を裂こうとする。

実はメッキ・メッサーは、ロンドン警視庁(スコットランドヤード)のタイガー・ジャッキー・ブラウン総督とかっての戦友であり、またブラウンに盗んだ金の何割かを与えており、捕まる心配はまずないのだった。ところがピーチャムは、娘とメッサーの仲を裂くために、メッサーを逮捕させようと画策する……。

お洒落な演出で知られる白井晃だけに、「三文オペラ」であっても決して汚くはならない。そして悪党どもが次々出てくるシーンでも粗暴な感じは表にでない。だからこちらも安心して笑っていられる。

ブレヒトの劇作は敢えてギクシャクした方法を選択しているのだが、それは余り気にならなかった。


休憩時間に、演出ノートを手にした白井晃がロビーを一人で歩いていた。それを目ざとく見つけた女の子が白井晃に握手を求める。白井さんは快く応じていた。


2007年に「三文オペラ」を上演するに当たり、白井晃は現代社会の諸問題とのオーバーラップを狙っており、成功している。思い切って現代風の訳を施した酒寄進一のテキストの力も大きい。


一つ一つを書くほど野暮ではないが、ブレヒトの時代と現代とでは共通の点も多い。社会構造の根っこや人間の本質は当時と今とでもそれほど変わっていないのだから当然といえば当然なのだが、21世紀に入り、一時期の日本では忘れられていた(あるいは忘れるよう仕向けられていた)構造がより明確にわかるようになってきている。問題の直接の出発点はイギリスで起こった産業革命にあるのだからこれまた当然といえば当然なのだが、それを可視的にする演劇の力は今なお有効である。

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2018年3月19日 (月)

コンサートの記(362) 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅥ ラヴェル 歌劇「子どもと魔法」&プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」

2018年3月16日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後7時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅥ ラヴェル 歌劇「子どもと魔法」&プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」を観る。
当初、「子どもと魔法」は小澤征爾が指揮する予定だったが、急病ということで、公演の副指揮者であり昨夏のセイジ・オザワ松本フェスティバルでも「子どもと魔法」を指揮したデリック・イノウエが代役を務める。小澤の降板によるチケット払い戻しや減額はないが、本来は有料のパンフレットが入場者全員に無料で進呈されることになった。

パンフレットには、2000年からの小澤征爾音楽塾塾生の名簿が載っており、その中には泉原隆志(京都市交響楽団コンサートマスター)、滝千春(ヴァイオリニスト)、長原幸太(読売日本交響楽団コンサートマスター)、林七奈(大阪交響楽団コンサートミストレス)、宮本笑里(ヴァイオリニスト)、遠藤真理(チェリスト。読売日本交響楽団ソロ・チェロ奏者)、宮田大(チェリスト)、難波薫(フルーティスト。日本フィルハーモニー交響楽団&紀尾井ホール室内管弦楽団メンバー)、上田希(クラリネット奏者。いずみシンフォニエッタ大阪&アンサンブル九条山メンバー)、金子平(読売日本交響楽団首席クラリネット奏者)、小谷口直子(京都市交響楽団首席クラリネット奏者)、吉岡奏絵(日本センチュリー交響楽団クラリネット奏者)、稲垣路子(京都市交響楽団トランペット奏者)、朴葵姫(ギタリスト)、十束尚宏(副指揮者)、三ツ橋敬子(副指揮者)、村上寿昭(副指揮者)らの名を見つけることが出来る。

当初は「ジャンニ・スキッキ」が前半、小澤の振る「子どもと魔法」が後半の予定だったが、順番は入れ替わっている。

演奏は、小澤征爾音楽塾オーケストラ。日本、中国、台湾、韓国を中心としたアジア諸国からオーディションを勝ち抜いた若者達によって編成された祝祭管弦楽団である。「子どもと魔法」には、日本人の若者から選抜された小澤征爾塾合唱団と、京都市少年合唱団が加わる。

まず、ラヴェルの歌劇「子どもと魔法」。私は以前に、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で演奏会形式による上演を聴いたことがある。
指揮はデリック・イノウエ。演出:デイヴィッド・ニース(メトロポリタン歌劇場首席演出家)。出演:エミリー・フォンズ、駒田敏章、マリアンヌ・コルネッティ、キーラ・ダフィー、清水多恵子、町英和、キース・ジェイムソン、栗林瑛利子、藤井玲南(ふじい・れな)、山下未沙ほか。

指揮のデリック・イノウエは日系カナダ人の指揮者。メトロポリタン歌劇場でたびたびタクトを執っている他、日本のオーケストラの指揮台にも登場。京都市交響楽団の定期演奏家にも客演したことがあり、私も聴いている。1985年のヴィットリオ・グイ指揮者コンクールで優勝。イタリアのキジアーナ音楽院でフランコ・フェラーラに師事。桐朋学園大学留学時とタングルウッド音楽祭で小澤征爾に師事している。桐朋学園では秋山和慶と尾高忠明にも学んだ。

そのデリック・イノウエであるが、急の代役ということもあってか、小澤征爾音楽塾オーケストラからラヴェルに相応しい輝かしい響きは引き出せず、苦戦気味である。

ラヴェルの歌劇「子どもと魔法」はファンタジーであり、筋書きらしい筋書きはない。家具だの動物だのが言葉を使って騒ぎ出すという話である。
物語が展開されるわけでははいので、オーケストラの魅力を欠くと、苦しくなってしまう。デイヴィッド・ニースの演出は、ぬいぐるみなども使った賑やかなものだったが、やはり「子どもと魔法」は演奏会形式で行った方がイメージが拡がって良いようにも感じた。

プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」。プッチーニ唯一の純喜劇オペラであり、「外套」「修道女アンジェリカ」と共に三部作として構想・初演されたものである。初演は1918年にメトロポリタン歌劇場で行われたが、「ジャンニ・スキッキ」のみ好評だったと伝えられている。私は5年ほど前に河内長野で「ジャンニ・スキッキ」の上演を観たことがある(井村誠貴指揮、岩田達宗演出)。

指揮はジョセフ・コラネリ。メトロポリタン歌劇場の常連であり、特にイタリアものを得意としている。現在は、グリマーグラスフェスティバル音楽監督とニューヨーク・グリニッジ・ヴィレッジのオペラ芸術監督。演出は引き続きデイヴィッド・ニースが担当。出演:ロベルト・ディ・カンディア、サラ・タッカー、マリアンヌ・コルネッティ、アレッサンドロ・スコット・ディ・ルツィオ、キース・ジェイムソン、清水多恵子、デイヴィッド・クロフォード、ドナート・ディ・ステファノ、駒田敏章、エミリー・フォンズ、塙翔平、寺田功治、松澤佑海(まつざわ・ゆみ)、後藤春馬(ごとう・かずま)、石田天星、北村穂乃香。

ダンテの「神曲」に由来する話。台本はジョヴァッキーノ・フォルツァーノが手掛けているが、これが実によく出来た汎用性のあるシチュエーションコメディーに仕上がっている。
フィレンツェの富豪であったブオーゾ・ドナーティの遺産を巡る話で、設定では一応、1299年のフィレンツェということになっているが、普遍的な話なので時代設定を変えて行われることも多い。今回も舞台を1960年代に変えての上演となる。ということで、登場人物の格好も現代風だったり、一昔前の映画に出てきそうな趣を持っていたりする。

ジョセフ・コラネリの指揮する小澤征爾音楽塾オーケストラは、生き生きとして瑞々しい張りのある音を奏でる。「子どもと魔法」の時と同じオーケストラのはずなのだが、まるで違って聞こえる。作曲家の資質の違いを考える必要もあるが、指揮者の能力に残酷なほどの差があるということなのだろう。

ニースは紫色の毒々しいソファーを用いることで、ブオーゾの親族達の俗っぽさを表している。みなブオーゾの遺産が欲しい。人間なら当然のことでもあり、特別に非難されることでもないのだが、ブオーゾが全遺産に修道院に寄付しようとしていたことが混乱と笑いを生み、リヌッチオ(アレッサンドロ・スコット・ディ・ルツィオ)とラウレッタ(サラ・タッカー)という恋する若き二人の美しさが強調されることになる。ちなみにジャンニ・スキッキと娘のラウレッタはフィレンツェ市出身者ではないようで、とかく見下されているようだ。フィレンツェは京都市の姉妹都市であるが、京都もまたそうしたところのある街である。フィレンツェを京都の鏡と見立てた上演も出来そうだ(というより、5年前にそのことを私は岩田達宗さんに提唱していたりします)。

このオペラでは、ラウレッタが歌う「ねえ、私のお父さん」というアリアがとても有名である。実はカラオケのJOYSOUNDにはこの曲が入っていて、私はたまに歌うことがある。



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2018年3月15日 (木)

コンサートの記(361) 團伊玖磨 歌劇「夕鶴」2018西宮

2018年3月10日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、團伊玖磨の歌劇「夕鶴」を観る。作:木下順二、演出:岩田達宗(いわた・たつじ)。園田隆一郎指揮ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の演奏。今日明日と公演があり、ダブルキャストだが、今日の出演は、佐藤美枝子、松本薫平、柴山昌宣、豊島雄一(とよしま・ゆういち)。児童合唱は夙川エンジェルコール。美術:島次郎。副指揮者に広上淳一の弟子で第2回ニーノ・ロータ国際指揮者コンクールで優勝した石﨑真弥奈の名前がクレジットされている。

日本のオペラとしてはトップクラスの上演回数を誇る「夕鶴」。木下順二の戯曲を「一字一句変えることなく」という条件でオペラ化したものだが、今では純粋な演劇公演として取り上げられることはほとんどなく、専らオペラ版で親しまれている。元の戯曲が子ども達の合唱で始まり、モノローグが多用されるなど、オペラ向きということもその一因だろう。

指揮者の園田隆一郎は関西でのオペラ公演で活躍することも多い。東京藝術大学音楽学部指揮科卒、同大学院修了。イタリア・シエナのキジアーナ音楽院に留学。その後、ローマでも学び、現在もローマ在住。指揮を遠藤雅古、佐藤功太郎、ジェイムズ・ロックハート、ジャンルイジ・ジェルメッティ、アルベルト・ゼッタらに師事。ロッシーニのオペラを十八番とし、現在は、藤沢市民オペラの芸術監督の座にある。

木下順二の原作は、助けた鶴と結婚して幸せに暮らしている与ひょうが、資本主義の権化のような惣どと相方のような運ずに唆されて妻に鶴の羽で出来た織物を作るよう命令し、更に機を織っている妻の姿をのぞいてしまったことで別れることになるという物語である。純粋な二人が資本絶対主義、第一主義によって引き裂かれるという解釈で良いだろう。木下順二もそうした想定で書いたはずである。ただ、「作者が意図した通りに読むのが正解」というわけでは必ずしもない。そもそも正解のある文学作品など面白くもなんともない。

民話の「鶴の恩返し」と違うのは、鶴が恩返しのために機を織るのではなく、人間に惚れて押しかけ妻になっているところであり、異種交際の物語となっているところである。最も古い形としては「日本書紀」にも登場する箸墓伝説(旦那の正体が実は蛇であったという話)に見られ、安倍晴明伝説(母親が信太狐の葛の葉)でも知られる。
岩田達宗の演出ノートによると、「本来全ての生き物は種を存続させるために生きている。だから種を超えた恋は、自然の摂理を犯す行為であり、生命の円環を破壊する恐ろしい行為だ(中略)「夕鶴」の主人公つうはその罪を犯した鶴だ」と述べられている。「葛の葉は」などの書き出すと話がややこしくなるので出さずにおく。とにかくそれは「人智を超え、自然の摂理を凌駕する激しい恋の物語だったのだ」(岩田達宗の演出ノートよる)
更に、つうが織る「鶴の千羽織」は、主人公二人の子供に見立てられた解釈がなされている。舞台の後半で千羽織を織り上げたつう(佐藤美枝子)が、千羽織二反を赤子を抱くように抱えているのを見れば、その解釈が徹底されているのがわかる。人間と鶴の間に子供は出来ないので(やはり葛の葉の件は棚上げとしておく)千羽織を代わりに生むのだ。そして千羽織を売り飛ばして金を得るという行為は人身売買にすら見立てられている。

とまあ、岩田さんの解釈を書いたが、ここからは私自身の考えを述べていく。与ひょうは千羽織を売ることで金銭を得ていた。昔は貧乏ながら働き者だったが、今は寝て過ごしていても苦労はしていない。少なくとも惣どや運ずのところにも話が伝わっているほどには大金を得ている。ただ、家を新築するというではなし、食べ物が豪勢になったということでもなく、妻のつうと二人で睦まじく暮らせればいいというだけの素朴な青年のように見受けられる。つうがもう千羽織は織れないと言っても特に文句はなく納得してしまっている。金にさほど執着はないのだ。つうが黄金を貯めた袋を開けて驚く場面があるが、与ひょうは金を貯めるだけで散財はしていないという見方も出来るわけで、与ひょうが金のために魂を売ったというつうの考えは勘違いなのかも知れないのである。与ひょうの態度も惣どに言われたままにやっただけで、本意からとは思えない。朴訥ゆえに上手く操られてしまったのだろう。

与ひょうとつうの関係は、所詮人間と鶴であり、そのそもの考え方にすれ違いが見られ、悲劇という形で終わるしかないものだったともいえる。
つうは、与ひょうが惣どにたぶらかされて千羽織を売った金で都に行っていまい、自分は捨てられると考えた。だが、実際は与ひょうが金を得たいと思った理由は、つうと二人で都に行きたい、そして二人で今よりも良い暮らしをしたいからであり、つうと別れる気は微塵もないのである。与ひょうが「つうのために」と思っていることがつうには伝わらない。そしてつうが千羽織のためにいかに苦痛に耐えているかを与ひょうは知らない。完全にすれ違いのドラマ、そう見た方が奥行きが出る。
つうは与ひょうと別れたくないがために最後の千羽織を織ることにするのだが、皮肉にもそのことが原因で自分から与ひょうの下を去る羽目になり、与ひょうはつうと幸せになりたいがためにつうを永遠に失うことになるのである。そしてそれはあくまで決定打であり、最初からすれ違っていた以上、破局は必定で、この時でなくともいつかは訪れるはずのものなのだ。

つうも与ひょうも望んでいるのはイノセントな幸福だ。二人とも子供が好きで子供達と仲良く遊んでいることからもそれはわかる。だが、そんなイノセントな夢がいつまでも続くのだろうか。まして人間と鶴の関係である。昔話なら「いつまでも幸せに暮らしましたとさ。目出度し目出度い」でいいのかも知れないが、リアリスティックに考えれば、この無邪気な喜びは、いつか破られることが決まっている。いつまでも子供のように生きてはいられない。惣どの功利的な考えやその存在が全く理解出来ない大人など存在しないだろう。汚れなき世界の喪失は、誰もがなんらかの形で経験することである。幸か不幸か良い年になっても王様や女王様でいられる人も皆無ではないが、大多数の人は痛みと共に夢幻の楽園を去って行く。

だからこのオペラは若い人にこそ観て貰いたい、若い人にこそ、喪失の痛切さがありありと分かるはず、なのだが若い人は余り来ていない。オペラはチケット料金がネックのようである。

ロームシアター京都では、毎年、新国立劇場の主催による高校生のためのオペラ鑑賞会教室を行っている。京都市交響楽団の演奏で、指揮は広上淳一や高関健といった京響の常任指揮者達が務めている。残席がある場合は一般向けの当日券が発売されるのだが、「(仮に行ったとしても)高校生ばかりの中でオペラを観ても居心地が悪い。みんな若い若い! オレ浮いてる浮いてる! 『なんや? あのおっさん?』と思われたらどうしよう?(実際、思われるだろうが)」という話を開演前に岩田さんと話した。
なお、今年ロームシアター京都で行われる新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演は園田隆一郎指揮の「魔笛」が予定されている。

解釈ばかり書いていても仕方ないので、作品自体をもっと具体的に語ると、島次郎による舞台は比較的シンプルなものである。つましく暮らしている夫婦なのでこれで十分であろう。余りセットに凝られると歌い手に目がいかない可能性もある。

つうを演じた佐藤美枝子は声も佇まいも良い。与ひょうとの別れの場面などは絵になっていた。
それこそ資本の権化のようないかめしい惣ど(つうの正体が鶴であることを知っても驚きも悪びれもしない)をいかめしく演じた豊島雄一も好演である。

園田隆一郎のしやなかにして浮遊感のある音楽作りも好感が持てるものだった。

阪急中ホールの音響だが、それほど空間が大きくないということもあり、声もオーケストラの音も良く通っていたように思う。



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2018年3月 6日 (火)

コンサートの記(353) 龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版~

2018年3月4日 東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールにて

午後3時から、渋谷のBunkamuraオーチャードホールで、龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版を聴く。レナード・バーンスタインの弟子であり、現在NHK交響楽団首席指揮者の座にあるパーヴォ・ヤルヴィが師の代表作を取り上げる。

龍角散Presentsということで、入場者には龍角散ダイレクトのサンプルが無料配布された。

1957年に初演された「ウエスト・サイド・ストーリー」。まさに怪物級のミュージカルである。ミュージカルは一つでも名ナンバーがあれば成功作なのだが、「ウエスト・サイド・ストーリー」の場合は名曲が「これでもかこれでもか」とばかりに連なり、「全てが有名曲」といっても過言でないほどの水準に達している。とにかく世界的にヒットしたということに関していえば20世紀が生んだ舞台作品の最右翼に位置しており、超ドレッドノート級傑作である。

出演は、ジュリア・ブロック(マリア)、ライアン・シルヴァーマン(トニー)、アマンダ・リン・ボトムズ(アニタ)、ティモシー・マクデヴィット(リフ)、ケリー・マークグラフ(ベルナルド)、ザカリー・ジェイムズ(アクション)、アビゲイル・サントス・ヴィラロボス(A-ガール)、竹下みず穂(ロザリア)、菊地美奈(フランシスカ)、田村由貴絵(コンスエーロ)、平山トオル(ディーゼル/スノー・ボーイ/ビッグ・ディール)、岡本泰寛(ベビー・ジョン)、柴山秀明(A-ラブ)。東京オペラシンガーズ(ジェッツ&シャークス)、新国立歌劇場合唱団(ガールズ)

今日のNHK交響楽団はチェロ首席奏者の藤森亮一がステージ前方に来るアメリカ式の現代配置を基調とした布陣である。コンサートマスターは客演のヴェスコ・エシュケナージ。N響はステージ後方に陣取り、舞台前方に歌手が出てきて歌ったりちょっとした演技をしたりする。

久しぶりとなるオーチャードホール。中に入るのは2度目だが、実はここでコンサートを聴くのは初めて。前回は「カタクリ家の幸福」という映画の完成披露試写会で訪れている。忌野清志郎が「昨日」というタイトルのどこかで聴いたことがあるような曲をギターで弾き語りしていた。

オーチャードホールの音の評判は良くないが、今日聴いた2階席4列目には残響は少なめだが素直な音が飛んできていた。ステージは遠目だが思っていたほど悪くはない。

第1部が60分、第2部が35分という上演時間。合間に30分の休憩がある。

N響は音には威力があるが、余り慣れていないアメリカものということもあり、ジャジーな場面では金管などに硬さが見られる。パーヴォは打楽器出身であるためリズム感は抜群のはずなのだが、N響からノリを思うままに引き出せていないようにも感じられる。
一方でリリカルな音楽では弦の艶やかな音色が生き、歌も秀逸で、万全に近い出来を示していた。パーヴォの棒もやはり上手い。

歌手陣の大半はクラシック畑出身。トニー役のライアン・シルヴァーマンはブロードウェイを活躍の主舞台としており、三役で出演の平山トオルもミュージカル出身だが、他は純然たるクラシックの歌手かミュージカルにも出たことがあるクラシック歌手である。バーンスタイン自身がドイツ・グラモフォンにレコーディングした「ウエスト・サイド・ストーリー」に聴かれるように、クラシックの歌手が歌った場合は声が肥大化してしまって余り良い結果が出ないのだが、今回は歌手達は健闘した方だと思う。ただジェッツやシャークスが集団で出てきて歌う時は、ギャングなのに首を振って音楽を聴いているだけでそれらしさが出ず、違和感がある。かといってクラシックの歌手達が踊れるはずもなく、粋なパフォーマンスを繰り広げるというわけにもいかないのでどうしようもない。そういう上演なのだと思うしかない。

コンサート上演を前提にしたものであり、ストーリーは飛び飛びになっているが、それでもラストに感動していまうのは音楽の力ゆえあろう。

残念ながらBunkamuraオーチャードホールは渋谷のど真ん中にあり、JR渋谷駅に向かうためには道玄坂の人混みを突っ切る必要がある。コンサートの余韻に浸れる環境にはない。出来ることなら別の会場で、パーヴォ指揮の「ウエスト・サイド・ストーリー」を聴いてみたい。



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2018年2月23日 (金)

コンサートの記(348) 角田鋼亮指揮 大阪交響楽団ほか フンパーディンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」

2018年2月12日 びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」を観る。日本語訳詞での上演、日本語字幕付きである(訳詞:中山悌一・田中信昭)。指揮は角田鋼亮(つのだ・こうすけ)、演奏は大阪交響楽団。演出:栗山晶良。出演はびわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバー。ほどんどがダブルキャストだが、今日の出演は、吉川秋穂、飯島幸子(いいじま・ゆきこ)、五島真澄(男性である)、船越亜弥、増田貴宏、平尾悠(ひらお・はるか)、溝越美詩(みぞこし・みう)、川野貴之、内山建人。大津児童合唱団、滋賀洋舞協会。衣装:緒方規矩子。舞台美術:妹尾河童。

まず指揮者の角田綱亮による挨拶とワークショップのようなものがある。
関西でも活躍の場を拡げている角田綱亮。現在、セントラル愛知交響楽団と大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務めており、今年の4月からは仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者にも就任予定である。1980年生まれ。東京芸術大学および同大学院修士課程修了後、ベルリン芸術大学国家演奏家資格課程を修了。2006年に第3回ドイツ全音楽大学・指揮者コンクールで最高位を獲得。2年後の第4回同コンクールでも2位に入る。2010年の第3回マーラー指揮コンクールでも最終選考(トップ6)に残っている。

角田は、挨拶と自己紹介をした後で、「ピットに入りますと後頭部しか見えないと思いますので、今のうちに表の顔を覚えておいて下さい」と冗談を言う。今回の上演ではラスト近くに出てくる「お菓子になった魔女の歌」をお客さんにも歌って貰いたいということで、予行練習を行うために出てきたのだ。びわ湖声楽アンサンブルのメンバーも登場し、先にテノールが歌って、同じ歌詞とメロディーの部分を観客だか聴衆だかが歌う。歌詞と譜面は無料パンフレットに載っている。角田はリハーサルでも本番でもここでは客席を向いて指揮を行った。
ワークショップでは結構歌ってくれる人はいたのだが、やはり大津のお客さんということもあってか本番では歌う人は余りいなかったようである。

角田の作り出す音楽はしなやかで躍動感がある。「若手指揮者はこうでなくては!」という演奏が出来ていたように思う。大阪交響楽団の鳴りも良い。

有名なグリム童話が原作。子供の頃には一度は接したことのある物語である。ただし残酷な面はカットされている。今回は子供に観て貰うために日本語詞による上演だが質は上々。妹尾河童のメルヘンに満ちたセットも効果的で、眠っていた幼心が呼び覚まされたかのような独特の快感がある。特に滋賀洋舞協会のバレエダンサーを起用した14人の天使の場面は本当に夢のような美しさをたたえていた。栗山晶良は、1980年にやはり妹尾河童と組んだ「ヘンゼルとグレーテル」でサントリー音楽賞を受賞しているそうである。
日本語詞による公演は、どうしても歌手達の演技力がネックになってしまうのだが、今回の上演では合格点に達していたと思う。増田貴宏演じる魔女がユーモラスで良かった。


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2018年2月22日 (木)

三浦環 プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」より“ある晴れた日に”

三浦環(ソプラノ。1884年2月22日―1946年5月26日)

ちなみに、三浦環が東京音楽学校の教員だった時に、しょっちゅうからかってくる腕白坊主がいたが、それが後の大作曲家、山田耕筰である。

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2018年2月 5日 (月)

コンサートの記(342) 細川俊夫 オペラ「班女」2018広島

2018年1月28日 広島市のJMSアステールプラザ中ホールにて

午後2時から、JMSアステールプラザ中ホールで、細川俊夫のオペラ「班女(はんじょ)」を観る。2004年にフランスのエクスプロヴァンス音楽祭で初演されたもの。原作は三島由紀夫(『近代能楽集』より「班女」)、台本・作曲:細川俊夫、テキスト英語訳:ドナルド・キーン、演出:岩田達宗(いわた・たつじ)。川瀬賢太郎指揮広島交響楽団の演奏。出演は、柳清美(ユウ・チョンミ)、藤井美雪、折河宏治(おりかわ・ひろはる)。



私の初舞台は『近代能楽集』に収められている「綾の鼓」なのである。演出は観世榮夫と無駄に豪華であった。その時の観世榮夫はもう相当なお年だったのだが、鼓を投げ渡す時のアイデアなどは上手くはまり、「やっぱり凄いんだな」と皆で確認したものである。ちなみに私が演じた藤間春之輔は女形という設定だったのだが、どう考えても私に女形は無理なので、デフォルメして普通じゃない人を勝手に演じてしまった思い出がある。

三島由紀夫の「班女」は初演時には英訳したもので行われている。原典は世阿弥の「班女」。美濃国の遊女・花子が吉田少将なる人物と恋に落ち、扇を交換して別れたことに端を発する物語で、二人は京で再会することになる。この花子は狂言「花子」にも登場、更に歌舞伎舞踊「身替座禅」へと転じている。「花子」の主人公や「身替座禅」の山陰右京のモデルは後水尾天皇、怖ろしい奥さんのそれは東福門院和子といわれている。私は「身替座禅」は二度ほど観ている。

武満徹亡き後、海外で最も名を知られた日本人作曲家の一人となっている細川俊夫。広島市の出身で、国立音楽大学中退後、渡独。ベルリン芸術大学で尹伊桑(ユン・イサン)に師事。その後、フライブルク大学でも学んでいる。

能舞台を使用。橋懸りの下に広島交響楽団の楽団員が陣取る。開演前に本田実子(じつこ)役の藤井美雪が能舞台の上に現れ、新聞紙をハサミで切り刻んでいく。
下手から指揮者の川瀬賢太郎が現れ、演奏がスタート。この上演では冒頭と第4場で地下鉄の駅で録音された轟音が鳴り響く。騒音の暴力性と21世紀の環境を感じさせる音として細川が指定したものである。

細川俊夫は個性が強い作曲家であり、その作品には「細野節」ともいうべき音響が刻印されている。今回もキュルキュルと鳴る弦楽の音に細野らしさが宿っている。特徴なのはバスフルートの用い方で、尺八に似た音を出しながら随所で効果的に用いられていた(フルート:森川公美)。
日本センチュリー交響楽団を経て広響コンサートミストレスに就任した蔵川瑠美を始めとする弦楽群が鋭く且つきめ細かい響きを発し、夢と現の間を彷徨うかのような音像を作り上げていく。

英語による上演であるが、セリフの部分にはところどころ日本語が用いられており、対比の手法が用いられている。そういえば三島由紀夫と親交のあった観世榮夫も「もっと対比させろ!」と言っていた。

恋い焦がれて狂女となった元遊女の花子(柳清美)と彼女を独占しようと企む四十路の売れない画家・実子(藤井美雪)の名前からして「花と実」という好対照のものである。花のように咲いては散ってしまいそうな儚い花子と、毒々しい生命力を持つ実子のコントラストの妙である。

実子は夢見る存在の花子を囲って、いわば隠棲のような暮らしをしている。それが新聞報道によって掻き乱されるのだが、今回の上演では実子はラップトップパソコンを使って情報収集しているという設定である。また花子を「奪いにくる」吉雄(折河宏治)は タブレット端末を手に登場。あたかも「情報化社会」=「正義面した外界」の化身のようだ。

私個人の話になるが、インターネットを始める前、二十代前半の頃と今を比べると、情報が手軽に入るようになってからは便利になったが、人間の核になる部分が―「実」と言い換えてもいいかもしれないが―薄くなったようにも思えるのだ。ある意味、情報の洪水に押し流されて掻き乱されて、「間違えようがなく私個人である部分」 が不鮮明になったというべきか。前回、広島に来たときはまだガラケーを使っており、広島駅で降りてすぐに駅ビルの書店で広島の観光案内を買ったのだが、今回はスマートフォンでなんでも検索できてしまうので楽なのは楽なのだが、「生きている手応え」のようなものを感じにくくなっているような気もするのだ。 「自我が外部に浸食されている」。そして普段はそれを感じなくなってしまった恐怖が、こうした作品に触れることでふいに突きつけられたように思える。

岩田達宗の演出は、情報過多な世界と浸食される人間の内面の競り合い、つまり内外の戦いを前面に出したものだが、もし私が同様の演出をするなら(同様の演出はしないと思うが)、すでに半ばハイジャックされた形の内面における内々の葛藤、そして内部にいる「他」の排斥と自己の回復(内戦)を描いたと思う。そこが違いである。おそらく私がSNSを徹底して使い倒すタイプだからだろう。
藤井美雪演じる実子は感情の激しい人物として描かれており、三島のテキストから見てもこれは妥当なのであるが、これも私だったら氷のように凜然としている女として舞台に立たせたい。単純にクールな女が打ち崩されていく様が見たいということでもある。

そして自分が花子=「夢見ることを許されている存在」に肯定されていくのだ。

細川俊夫、岩田達宗、川瀬賢太郎によるアフタートークでは、ラストがハッピーエンドなのかどうかという話になっていたが、私が思うに実子に関しては「そこにしかいけないよね」という印象が強い。嵌まるべき場所に嵌まったということだと思う。社会的にはともかくとして文学的にはそれは大団円だと言えるのだろう。「許された存在」によって「許された」のだから。
柳清美の可憐さ、藤井美雪の恐ろしさ、折河宏治の存在感などもありキャストについては演劇的には満点である。なお、藤井美雪は福山市在住(広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学声楽科講師)、折河宏治は広島市在住(同じくエリザベト音楽大学准教授)で地元キャストが活躍している。昨日の上演でも吉雄役は広島市在住の山岸玲音(やまぎし・れおん)が歌っており、広島音楽界の充実がうかがえる。


アフタートークでは、細川俊夫が広島交響楽団の演奏について「これまで60何回演奏された(「班女の)演奏の中で最高」と褒め称え、賞賛を受けた指揮の川瀬賢太郎が冗談でガッツポーズを繰り出す場面があった。川瀬は「班女」がオペラ指揮デビューであり、同じオペラの再演で指揮を執るのも今回の「班女」が初めてだそうである。
演出の岩田達宗が川瀬と初めて一緒に仕事をしたのはモーツァルトの「フィガロの結婚」だそうだが、フィガロと「班女」の共通点についても語った。また能の仕草の内実についても語り、能舞台がキャストに与えた影響についても話していた。岩田は能や歌舞伎の要素を取り入れた演出を行うことが多いのだが(奥さんの影響らしい)、今回、能舞台を使った演出をすることで、「倒錯」ともいうべき状態が起こっていたことも明かされた。

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