カテゴリー「シベリウス」の69件の記事

2018年8月26日 (日)

コンサートの記(414) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団 Meet the Classic Vol.37@大阪工業大学梅田キャンパス 常翔ホール

2018年8月19日 大阪工業大学梅田キャンパス 常翔ホールにて

大阪へ。
午後2時から、竣工したばかりの大阪工業大学梅田キャンパス内にある常翔ホールで関西フィルハーモニー管弦楽団のMeet the Classic Vol.37に接する。指揮は関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者で、Meet the Classic公演を始めた藤岡幸夫。Meet the Classic公演は通常はいずみホールで行われるのだが、現在、いずみホールは改装工事中のため、常翔ホールで行われることになった。

大阪工業大学梅田キャンパスが出来たのは、阪急梅田駅の東側、以前は廃校になった梅田東小学校があったところである。向かいには大阪の「凌雲閣」跡の碑がある。
近年、学生を集めるための大学キャンパスの都心回帰傾向があり、京都でも同志社大学が教養部の置かれていた京田辺キャンパスを理系のみのものとし、文系は1年から4年まで京都御所の北にある今出川キャンパスに新校舎を建てるなどして集約している。
梅田地区にも各大学がサテライトを置くほか、宝塚大学が梅田に進出。大阪工業大学もロボット関係の学部を梅田の超高層キャンパスに移した
大阪工業大学梅田キャンパスは、地上21階地下2階のOIT(Osaka Institute of Technology)梅田ビルを丸ごとキャンパスとしたもの。東京の理系大学である工学院大学が西新宿に超高層ビル一棟のキャンパスを構えているが、丁度、そんな感じである。ビルキャンパスは受験生から敬遠されがちだが、都心にある場合は利便性が魅力であり、理系であればなおさら色々と便利だろう。

常翔ホールは、OITビルの3階にある。各椅子に上に引き出して手前に倒すタイプの簡易デスクが付いており、主に講演や集会場として使われるホールだと思われるが、すでに室内楽などのコンサートが行われている。客席は比較的急傾斜で作られており、椅子が一段上がるごとに階段が2つ付いている。各段は木目であるが、ぱっと見、段差がわかりにくく、転びそうになったり転んだりする人が何人かいる。

曲目は、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:小栗まち絵)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」

ステージはやや狭く、第1ヴァイオリン10型の編成でびっしりと埋まる。ティンパニは指揮者の正面に置くスペースがないということもあり、ステージ下手奥に配される。
今日のコンサートマスターは岩谷祐之(いわや・すけゆき)。今日も関西フィルの通常シフトであるアメリカ式の現代配置での演奏である。

ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」。関西フィル Meet the Classicのオープニングテーマである。音響であるが、想像よりもずっと良い。それほど大きなホールではないが音の通りが良く、各楽器が明晰に聞こえる。

演奏終了後、藤岡幸夫がマイクを片手にスピーチ。するもマイクがオンにならず、藤岡が声を張って挨拶する。藤岡も常翔ホールで演奏するのは初めてだったが、音響の良さに驚いたそうで、「ここの館長は元ピアニストで、共演したこともあるのですが、彼が徹底して」音響を追求したホールだそうで、「むしろゴージャスになりすぎないよう音を抑える必要がある」そうである。「マイク使わなくても、声良く聞こえますよね」と藤岡は言う。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソリストの小栗まち絵は重鎮的存在である。大阪生まれ、桐朋学園大学に学び、第37回日本音楽コンクールで1位を獲得。渡米し、インディアナ大学ブルーミントン校アーティスト・ディプロマ課程を修了。ソリストの他、室内楽奏者としても活躍し、夫で京都市交響楽団コンサートマスターであった故・工藤千博と共に教育活動にも熱心に取り組んできた。現在は相愛大学大学院教授、東京音楽大学特任教授の座にある。

藤岡と小栗は初共演だそうだが、藤岡の方が熱心に共演を希望していたそうである。小栗の門下生とは藤岡は何度も共演しているそうだが、全員、自分のソロパートだけでなく、オーケストラの音にも気を配るそうで、小栗の教育の素晴らしさを藤岡は称えていた。

小栗のソロは渋く、玄人好みである。テクニックをひけらかすでもなく、無駄に音楽にのめり込むでもなく、出しゃばるでもなく、オーケストラと一体になった「音楽」の素晴らしさそのものを感じさせる。

演奏終了後、藤岡は小栗にコメントを求めるも、やはりマイクのスイッチが入らず。スタッフが下手から別のマイクを持って出てくる。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲について小栗は、「若い頃には良く弾いたが、もう弾くことはないと思っていた。だけどこの際」ということでもう一度弾いてみようと思ったそうだ。

アンコールは、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番よりアンダンテ。堅実な演奏であった。

メインであるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。藤岡は演奏前にスピーチ。ティンパニはバロックティンパニ、トランペットはナチュラル・トランペットを使用していることを明示し、「今でこそベートーヴェンはクラシックコンサートのオーソドックスなレパートーリーという感じですが、彼の生前中はそうじゃなかった。破壊者、革命家といった感じだった。例えば、二つの和音が鳴った後で、チェロが主題を奏でますが、チェロにテーマを弾かせるというのは画期的なことだった」。第2楽章についても「葬送行進曲ですが、悲しいというよりも史上のあらゆる英雄への思いを込めたような圧のある」と説明する。第3楽章でも従来のメヌエットではなくスケルツォを採用、第4楽章でも変奏曲をピッチカートで奏でるという画期的なことをやっていると述べた。今回は青年ベートーヴェンのエネルギーを客席に届けるという主旨の演奏のようだ。

ピリオドらしく速めのテンポを採用。弦楽器奏者はビブラートというよりも要所要所を「揺らす」奏法を行う。
関西フィルハーモニー管弦楽団は、関西のオーケストラの中でもパワーでは下位に来る楽団であるため、オーケストラの持ち味を最大限に引き出すための演奏でもあるようだ。
白熱した演奏であるが、ややうるさく聞こえてしまうのが難点。青年作曲家の情熱は伝わる演奏だったが、全曲を通した見通しの良さも欲しくなる。

演奏終了後、藤岡は、「とにかく暑いんでね。少しでも涼しくなる演奏を」ということで、「あんまり演奏されない曲なんですが、シベリウスの『クリスチャンⅡ世』より“エレジー”」が演奏される。良く整った演奏であった。

藤岡は今夜放送される「エンター・ザ・ミュージック」の紹介もする。「エンター・ザ・ミュージック」のプロデューサーを務めているのが実は小栗まち絵のお嬢さんなのだそうだ。


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2018年7月30日 (月)

コンサートの記(408) ユッカ=ペッカ・サラステ指揮 N響「夏」2018 大阪公演

2018年7月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後4時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、N響「夏」2018 大阪公演を聴く。指揮はフィンランドを代表する指揮者の一人であるユッカ=ペッカ・サラステ。

1956年生まれのユッカ=ペッカ・サラステ。三つ年上のオスモ・ヴァンスカや二歳年下のエサ=ペッカ・サロネンと共に、フィンランド指揮界のアラ還世代(フィンランドには還暦もなにもないわけだが)を代表する人物である。ヴァイオリン奏者として世に出た後でシベリウス音楽院でヨルマ・パヌラに指揮法を師事。クラリネット奏者として活躍していたヴァンスカやホルン奏者としてキャリアをスタートさせたサロネンとは同じ時期に指揮を学んでいる。パヌラの教育方針として「オーケストラの楽器に精通すること」が重要視されており、指揮とピアノ以外の楽器を学ぶことはプラスになったようである。
1987年から2001年までフィンランド放送交響楽団の指揮者を務め、「シベリウス交響曲全集」を二度制作。フィンランディア・レーベルに録音した二度目の全集は今でも屈指の高評価を得ている。その後、スコットランド室内管弦楽団(スコティッシュ・チェンバー・オーケストラ)の首席指揮者、トロント交響楽団の音楽監督、BBC交響楽団の首席客演指揮者、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と、主に北欧、イギリス、北米での指揮活動を行い、現在はケルンのWDR交響楽団の首席指揮者の地位にある。

曲目は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:バイバ・スクリデ)、ブラームスの交響曲第1番。
無料パンフレットに寄稿している中村孝義は、シベリウスとブラームスの両者に奥手で思慮深く、自罰的という共通項を見いだしている。

N響配置ことドイツ式の現代配置での演奏。今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。
NHK交響楽団も若返りが進み、90年代後半に学生定期会員をしていた頃にも在籍していたメンバーは少なくなっている。有名どころでは第2ヴァイオリンの今では首席奏者になった大林修子、オーボエ首席の茂木大輔(『楽器別人間学』が大幅に手を加えて本日復刊である)、ティンパニ(打楽器首席)の久保昌一らがいるのみである。

シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。フィンランディアに録音した「シベリウス交響曲全集」では辛口の演奏を行ったサラステ。この「アンダンテ・フェスティーヴォ」でも痛切なほどに磨き上げられた弦の音色が印象的である。ただ単にツンとしているだけの演奏ではなく、彩りを自由自在に変え、さながらオーロラの揺らめきのようの趣を醸し出す。そうした音色で旋律を優しく歌い上げるという相反する要素を包含し共存させたかのような演奏である。
サラステの指揮は比較的振り幅を抑えた合理的なものであった。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストのバイバ・スクリデは、1981年、ラトヴィアの首都リガ生まれのヴァイオリニスト。音楽一家に生まれ育ち、ドイツのロストック音楽演劇大学でヴァイオリンを専攻。2001年にエリーザベト王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門で1位を獲得している。

N響の音は「アンダンテ・フェスティーヴォ」と同傾向である。輪郭のクッキリした音であり、アンサンブルの精度の高さが感じられる。
スクリデのヴァイオリンは優雅で色彩豊か。シベリウスを演奏するのに最適の音楽性を持ったヴァイオリニストである。

スクリデのアンコール演奏は、ヨハン・パウル・フォン・ウェストホフのヴァイオリン・ソナタ第3番より「鐘の模倣」。ヴィヴァルディにも共通したところのあるバロック期の技巧的一品。スクリデの優れた技巧が光る。

ブラームスの交響曲第1番。サラステは序奏を快速テンポで駆け抜ける。また表情を抑え、暑苦しくなるのを防いでいる。タクトはシベリウスを指揮するときよりも大きく振るし、情熱的な盛り上がりも見せるが、あくまで一音一音を丁寧に積み上げている演奏。N響の威力のある音と渋い音色もプラスに作用する。
第3楽章演奏後、ほとんど間を置かずに第4楽章に突入。この楽章ではパウゼの部分も詰めて演奏しているのが印象的であった。
フィンランドを代表する指揮者であったパーヴォ・ベルグルンドがヨーロッパ室内管弦楽団を指揮してブラームス交響曲全集の名盤を録音しているが、フィンランド人指揮者の分析的アプローチはブラームスに合っているのだと思われる。

アンコールとして、シベリウスの「クオレマ」より鶴のいる情景が演奏される。透明感に満ちた優れたシベリウスであった。



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2018年6月 3日 (日)

コンサートの記(393) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第205回定期演奏会

2008年9月4日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第205回定期演奏会を聴く。今日の指揮は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。

曲目は、ヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」、吉松隆の左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」(ピアノ独奏:舘野泉)、シベリウスの交響曲第5番。
藤岡幸夫は、日本におけるシベリウス解釈の泰斗であった渡邊暁雄の弟子であり、シベリウスの交響曲第5番は、藤岡が最も愛する曲とのことである。

午後6時40分頃に、例によって関西フィル事務局の西濱さんが出てきて、指揮者の藤岡を招いてのプレトークを行う。藤岡によると今日の演奏会は、今年の関西フィルが組んだ最も美しいプログラムであるとのことである。

ヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」。プレトークで、藤岡は弦楽の別働隊(というものがこの曲では用いられるのである)にノンビブラートでの演奏をさせると語っていたが、その通り、徹底してビブラートを抑えた古雅な響きが美しかった。
関西フィルの音色は綺麗だが、私は数ヶ月前に「タリスの主題による幻想曲」を大植英次指揮の大阪フィルハーモニーの演奏で聴いており、大植が描いた異様なほど繊細な美しさや、弦楽別働隊と本隊との切り替えの巧みさが思い出されてしまった。
やはり現時点では、大植の実力が藤岡のそれの遙か上を行っていると断言していいだろう。


吉松隆の左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」は、今日のソリストである舘野泉(男性です)のために書かれ、昨年、ドレスデン室内管弦楽団の来日公演時に舘野のピアノソロで初演された。
今回は、藤岡の要請を受けて、吉松隆自身が2管編成のフルオーケストラ用に改訂した版での演奏。改訂版での世界初演である。

会場には吉松隆の姿もある。

吉松隆と藤岡幸夫は慶應高校の先輩後輩であるが、実は舘野泉も慶應高校の出身であるという。吉松と藤岡はそのまま慶應大学に進んだが(吉松は大学を中退した)、舘野は東京藝術大学に進学している。

そんな慶應高校トリオ(?)による曲と演奏。まず吉松の曲であるが、これが世にも美しい佳編。朝靄の高原の中を歩いているかのような可憐な冒頭、小川のせせらぎのようなピアノの楚々とした音色。シベリウスを意識したと思われる(吉松も藤岡も舘野もシベリウス好きという共通点がある)オーケストレーション。今後、左手のためのピアノ協奏曲の定番になってもおかしくない秀麗さを持っていた。

演奏終了後に吉松もステージに呼ばれ、聴衆から喝采を浴びる。

脳溢血のため、右手が不自由になり、現在は左手のピアニストとして活躍している舘野泉。フィンランドに居を構え、日本シベリウス協会の会長でもある。舘野泉の父親が舘野泉に会うために一人でフィンランドを訪れたところ、フィンランドの空港でパスポートを見た税関の職員が、「オー、ピアニスト、TATENO!」と言ったため、父親に「お前はそんなに有名なのか」と驚かれたというエピソード(舘野泉本人が以前話していた)があり、おそらく存命中の人物としてはフィンランドで一番有名な日本人は舘野泉だと思われる。

現在もリハビリに励んでおり、いつの日か両手のピアニストとして復帰する夢を持っているという舘野。しかし、出てくる時は足を引きずる感じで、ピアノのもとまで行くのが難儀そうであった。それでも演奏は素晴らしく、彼らしいリリカルな音色が最大限に発揮されていた。

アンコール曲として、舘野はカッチーニの「アヴェ・マリア」を弾く。「左手独奏のための編曲は吉松だろうか?」と思っていたが、「アヴェ・マリア」の演奏が終わった後に吉松も登場したのでどうやらそうらしいことがわかる(後で確認したところ、やはり吉松の編曲であった)


シベリウスの交響曲第5番。藤岡のこの曲への愛情が滲み出ているかのような演奏。第1楽章ラストの追い込みが激しすぎるのでは、という疑問もあるが、全曲を通して透明感に溢れた美演を繰り広げた。第3楽章で金管の音型が崩れる場面が何度かあったのが残念であるが、良きシベリウス演奏であったと思う。

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2018年4月 6日 (金)

コンサートの記(367) サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月12日 大阪・中之島の(旧)フェスティバルホールにて

午後2時から大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団の来日演奏会を聴く。オラモとフィンランド放送交響楽団の来日公演を聴くのは2度目、前回は京都コンサートホールでの公演に接している。

サカリ・オラモは、1965年生まれの指揮者。シベリウス・アカデミーで、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、加えてヴァイオリニストとしても研鑽を積む。かつてはフィンランド放送交響楽団のコンサートマスターだったということもあるオラモ。指揮者としてのデビュー時の相手もフィンランド放送交響楽団だそうで、楽団員達とは古くからの気心の知れた間柄だ。
オラモは、サー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に任命されて一躍脚光を浴びたが、バーミンガム市響のシェフの座(現在の肩書きは音楽監督)からは近く離れる予定で、今後は首席指揮者の地位にあるフィンランド放送交響楽団と、新たに音楽監督に就任するロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を主たる活躍の場にするものと思われる。

フィンランドのオーケストラということで、東京などの公演ではシベリウス作品をプログラムに盛り込んでいるフィンランド放送響であるが、大阪公演ではシベリウスの名は演奏曲目にはない。
ブラームスの「悲劇的序曲」、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」(独奏チェロと管弦楽のための作品だが、今回はトランペットを独奏としたバージョンで演奏する。ソリストを務めるのは、人気、実力とも世界最高のトランペッターといわれるセルゲイ・ナカリャコフ)、ベートーヴェンの交響曲第5番というプログラム。

残響の少ないフェスティバルホールの、ステージから遠い天井桟敷に座ったため、音そのものの美しさを楽しむことは出来なかったが、フィンランド放送交響楽団の高い機能と、オラモの雄弁な指揮を楽しむことは出来た。フィンランド放送交響楽団は20年ほど前の来日公演ではオーケストラの技術がボロボロで、評価も同様に散々だったそうだが、技術面では著しい向上を見せており、解像度の高い音楽を繰り広げる。

ブラームスの「悲劇的序曲」では、ひんやりとした弦と、輝かしい金管の音色の対比が鮮やかであり、オラモの指揮もタイトルに込められた悲劇的な雰囲気を的確に引き出している。

「ロココの主題による変奏曲」で、オラモとフィンランド放送響は更に優れた実力を発揮。ロシア風の冷たく拡がりのある音色から、心からの温もりを感じさせるロマンティックで優しい音色まで、自在に操る様は魔術のようだ。
チェロ独奏のための曲をトランペット(正確にはフリューゲルホルンというトランペットとは微妙に違う楽器)で吹いてしまおうという挑戦は無謀にも思えるが、名手ナカリャコフだけに技術的な不満は感じさせない。しかしチェロに比べるとトランペットはどうしても分が悪い。高度なトランペット演奏技術が求められるわりには聴き映えが今ひとつという点でも損だ。

ナカリャコフは、アンコール曲に超絶技巧を思う存分披露できる「ベニスの謝肉祭」(ジャン・パティステュ・アーバン作曲)を選び、神懸かり的な技術を披露。客席を圧倒する。


メインのベートーヴェンの交響曲第5番では、オラモは理知的な演奏を繰り広げる。大編成による演奏だが、弦楽器のビブラートを抑え気味にするなどピリオド奏法の影響も見られ、良い意味で折衷的なスタイルを採用(配置もヴァイオリンが両翼に来る古典的配置を基本としながら、、コントラバスは舞台上手奥に置くという折衷様式であった)。ベートーヴェンが書いた楽譜を客観的に丁寧に音に変えていく。基本のテンポは速めだが伸縮自在であり、表情も多彩。第1楽章と第2楽章をアタッカで繋いだのも個性的だ。
音楽にのめり込むことはないが、その分、曲の効果を十全に発揮させる計算がなされており、第4楽章冒頭の輝かしさにも瞠目させられた。「秀才によるベートーヴェン」という言葉が浮かぶ名演奏。
まだ交響曲第5番を聴いただけだが、オラモのベートーヴェンはかなり期待して良さそうだ。

アンコールはやはりシベリウス。最近はアンコール曲の定番となった感もある「悲しきワルツ」が演奏された。オラモはピアニッシモの部分を聴き取るのが難しいほど弱い音で演奏してみせる。昨年来日したパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルもアンコール曲として演奏した「悲しきワルツ」で、ピアニッシモを強調していた。この曲のピアニッシモの部分をかなり弱くするというのは流行りなのだろうか。

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2018年3月10日 (土)

コンサートの記(357) サカリ・オラモ指揮BBC交響楽団来日演奏会2018大阪

2018年3月7日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールでサカリ・オラモ指揮BBC交響楽団の来日演奏会を聴く。

曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小菅優)とマーラーの交響曲第5番。

BBC交響楽団の配置はヴァイオリン両翼だが、コントラバスが上手の第2ヴァイオリンの後ろに2列で並ぶところが古典配置とは異なる。

サカリ・オラモは、1965年生まれのフィンランドの中堅を代表する指揮者。シベリウス音楽院でヴァイオリンを学び、フィンランド放送交響楽団のコンサートマスターとして活躍。その後、名教師、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、1993年に急病になった指揮者の代役として指揮台に上がって大成功するという「バーンスタイン・ドリーム」の体現者の一人となった。1999年にサー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任。私が京都に来てから初めて聴いたコンサートがサカリ・オラモ指揮バーミンガム市交響楽団の来日公演であった。
その後、かつて自らが在籍していたフィンランド放送交響楽団の首席指揮者を経て、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団やBBC交響楽団など複数のオーケストラのシェフを務めている。

プロムスでお馴染みのBBC交響楽団。NHK交響楽団のイギリス版として知名度も高い。ただロンドンの五大オーケストラの中ではずっとBクラスに甘んじている。1930年にエイドリアン・ボールトによって創設され、アンドリュー・デイヴィスが首席指揮者を務めた1990年代に一時代を築くが、21世紀に入ってからのレナード・スラットキンやイルジー・ビエロフラーヴェク時代は相性が今ひとつということもあって低迷気味であった。2013年からはサカリ・オラモが首席指揮者を務めている。オラモとの顔合わせでは初来日となる。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。出だしをアルペジオで開始した小菅優は、しっかりとした構築力と結晶化された音色を生かした正統派の演奏を展開する。デュナーミクの処理も上手い。
オラモ指揮のBBC交響楽団はいかにもイギリスのオーケストラらしい渋めの音色を基調としている。時折、合奏能力を高めて透明な音を出すが、これが効果的である。
オラモの指揮は造形はそれほど重視せず、流れに重きを置いている。管の音の通りが良く魅力的だが、リアルに過ぎる箇所があったのは気になった。

小菅優はアンコールとしてショパンの練習曲作品25の1を演奏。耳が洗い清められるような清冽な演奏であった。

マーラーの交響曲第5番。オラモはこの曲をバーミンガム市交響楽団とライブ録音しており、私も京都コンサートホールでオラモにサインして貰ったCDを持っているのだが、録音、演奏ともに今ひとつであった。
チェロとコントラバスを離しているということもあってか、低弦を強調しない摩天楼型のバランスである。金管がパワフルであるが時にバランスを欠いてうるさく響きこともある。

細部を整序せずむしろ強調することでマーラーの書いた音楽の異様性を明らかにしていくような演奏であり、初めてマーラーの音楽を聴いた聴衆の衝撃が理解出来そうでもある。
第2楽章はアタッカで突入。流れ重視の音楽が効果的である。
第3楽章では一時期、首席ホルン奏者を指揮者の横に立たせてホルン協奏曲のように演奏することが流行ったが、曲の性質から行けばホルン奏者が横一列に並んだ方が効果が上がるように思う。
第4楽章のアダージェットは少し速めのテンポで淡く儚く展開。この楽章だけでなくユダヤ的な濃厚さは抑えた演奏になっており、都会的ですらある。
最終楽章のラストはアンサンブルの精度よりも勢いを重視。熱狂的に締めくくる。
この曲でも、ここぞという時に聴かれる透明な音色が抜群の効果を上げていた。

聴衆の熱狂的な拍手に応えたオラモは、「シベリウス、アンダンテ・フェスティーヴォ」と言ってアンコール演奏が始まる。
これが音色といいテンポといい表情付けといい実に理想的な演奏である。フィンランド出身の指揮者とシベリウスを愛するイギリスのオーケストラの相乗効果であろう。マーラーをはるかに凌ぐ極上の演奏であった。今度があるなら、このコンビによるシベリウスの交響曲を聴いてみたい。



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2018年2月25日 (日)

コンサートの記(350) オリ・ムストネン指揮 京都市交響楽団第620回定期演奏会

2018年2月16日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第620回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフィランド出身の才子、オリ・ムストネン。

1967年生まれのムストネン。90年代にまずピアニストとして注目を浴びる。表現力はもちろんのこと、J・S・バッハの平均律クラーヴィア集とショスタコーヴィチの「プレリュードとフーガ」を組み合わせて1つの曲集にするなど、斬新なプログラミング能力でも目立っていた。バッハとショスタコーヴィチの組み合わせで演奏会も行われ、私もサントリーホールに聴きに行っているが、CDならともかくとして実演でこれを聴くにはかなり体力と集中力がいったのを覚えている。途中休憩で帰る人も多いコンサートであった。
ピアニストとしての代表盤に、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団と録音した、ショパンのピアノ協奏曲第1番とグリーグのピアノ協奏曲イ短調がある。

その後、ムストネンは指揮者や作曲家としても活動を始めるようになっている。私もムストネンがヘルシンキ祝祭管弦楽団とレコーディングしたシベリウスの交響曲第3番とヒンデミットの「四つの気質」のCD(オンディーヌ)を持っている。

曲目は、ムストネンの自作自演で弦楽オーケストラのためのトリプティーク、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ムストネンの弾き振り)、シベリウスの交響曲第2番。

今日の京響は通常とは異なり、チェロがステージ前側に出るアメリカ式の現代配置での演奏である。コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに渡邊穣。第2ヴァイオリン首席はなかなか埋まらないようで、今日も瀧村依里が客演首席奏者として入っていた。

プレトークで、ムストネンは(英語でのトーク。通訳は小松みゆき)、トリプティークがある学者からの依頼によって書かれたものであり、学者の亡き妻の思い出に捧げる曲として作られたものであることを述べる。原曲は3台のチェロのための曲だったのだが、後に弦楽オーケストラのための曲としてリライトされたそうである。最後が喜びで終わることも語られる。
ベートーヴェンはムストネンにとってはヒーローだそうで、その重層的な構造の作品に触れると、「森の中を彷徨う時のように」いつも新しい発見があるのだそうだ。また、ベートーヴェンの作品は暗いまま終わることなく最後が勝利になるのが常と語る。
シベリウスについては、いつも自然と一緒にいるような作曲家であり、その点においてベートーヴェンと似ていると述べた。

ムストネンの弦楽オーケストラのためのトリプティーク。3つの曲からなり、第1曲が「ミステリオーソ(神秘的に)」、第2曲が「フリオーソ(熱狂的に、激しく)」、第3曲が「アド・アストラ(天へ)」である。
例えばシベリウスの交響曲第5番の第3楽章のように、あるいはこの後演奏される第2番の第4楽章のように、反復する音型が用いられた作品である。シベリウスに限らず、フィンランド出身の作曲家は透明な音像を用いることが多いのだが、ムストネンの作品もこの例に漏れず、瑞々しくも透明感に溢れる音響を大事にしている。
ムストネンの指揮はノンタクトであり、動きだけを見ていると指揮者というよりは運動選手のようだが、生み出す音楽が軽くなるということはない。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。
ムストネンのピアノだが、入りではほとんどダンパーペダルを使わず、あたかもフォルテピアノで弾いているような音を生み出す。ただそれだけなら単なる個性的演奏なのだが、音に深味がある。ペダルを使わないために音の粒立ちが良く、ベートーヴェンが生きていた時代に聴かれたであろう演奏が説得力を持って現れる。一音だけ取れば乱暴に聞こえる表現もその後の展開をたどると緻密な計算の基づくものであったことがわかる。もう50代に入ったムストネンであるが今なおアグレッシブな表現に挑んでいることが聞き取れた。
京響もピリオドを意識した演奏。特にティンパニの硬い音と強打が効果的であった。

アンコールとしてムストネンは、バッハのインベンション第14番を弾くが、老眼鏡を持ってくるのを忘れたということで中断して退場。アイグラスを手に再登場して最初から最後まで弾いた。

シベリウスの交響曲第2番。ムストネンは京都市交響楽団から輪郭のクッキリとした音を引き出す。余り押しつけがましさのない演奏であり、シベリウスの交響曲の中でも叙事詩的とされるこの曲に対して叙景詩的なアプローチを行っているように思えた。
初演時から凱歌と受け止められた第4楽章に関しても物語的な演奏を行わず、フォルムのグラデーションを変えることで拡がりのある音の風景を描き出す。長調の部分は晴れやかな光景を、短調のところは風雪の日々を歌い上げているようであり、よくある「勝ちか負けか」の外にある解釈を示していたように思う。こうしたシベリウスの交響曲第2番を聴くのは初めてであり、ムストネンの怜悧さが際立っていた。

この一週間で、大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、日本センチュリー交響楽団、そして京都市交響楽団を聴いたことになるが、やはり現在の実力でいえば京響がナンバーワンだと思える。音の密度が違う。



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2018年1月24日 (水)

ジャン・シベリウスのいる光景

※ この記事は2017年12月8日に書かれたものです。

ジャン・シベリウス

音楽史上を代表する交響曲作曲家であるジャン・シベリウスが生まれたのは、1865年12月8日のことだった。彼が生を受けたのは、フィンランドのハメーンリンナ。だが、当時、フィンランドはロシアの統治下にあった。

フィンランドの国情も複雑だった。国民の大半はフィン人であったが、政治や文化を担っていたのは少数のスウェーデン系フィンランド人であり、公用語もスウェーデン語だった。シベリウスが生まれたのは、そのスウェーデン系フィンランド人の家系である。

幼い頃のジャン少年(ジャンというのは一種の芸名であり、出生名はヨハネ、愛称はヤンやヨハネである)は自然とヴァイオリンが大好きであり、ヴァイオリン片手に野山を駆け巡るのが何よりも好きだった。一方で、勉強には余り身が入らなかったようで、小学生の時に一度留年している。

フィンランドの民族的高揚が高まっている時期、シベリウスもスウェーデン語の学校からフィンランド語の学校に移って勉強を続けることになる。もっとも、シベリウスは生涯、フィンランド語をスウェーデン語同等に扱うことはできなかったのだが。

ヘルシンキ大学とヘルシンキ音楽院に進んだシベリウス。ヘルシンキ大学では法学部に入ったが、法律の教科書のページを開くことはほとんどなく、ヘルシンキ音楽院に入り浸って作曲とヴァイオリンの演奏に没頭する。ちなみにヘルシンキ音楽院は現在、校名をシベリウス・アカデミーに変えている。

シベリウスの夢は偉大なヴァイオリニストになることだった。だが、子供の頃からヴァイオリニストになるための教育を受けていたわけでもなく、また人前で極端に上がってしまうという性格であったため、ヴァイオリニストになることは断念せざるを得なかった。一方で作曲には熱心に取り組む、ウィーン留学時には、当時、交響曲作家としては全く認められていなかったブルックナーの作風に心酔。弟子入りしようとして断られたりしている。ブルックナーへの弟子入りが叶わなかったシベリウスはゴルトマルクに師事した。

フィンランドには民族的叙事詩「カレワラ」がある。シベリウスは、この「カレワラ」に基づくカンタータ的交響曲であるクレルヴォ交響曲を発表。作曲家としての第一歩を記す。

シベリウスが注目を浴びたのは、「新聞の日」という愛国的イベントのための曲を作曲した時であった。ラストの曲は後に「フィンランディア」というタイトルで知られるものである。

「フィンランディア」は加筆されて交響詩となり、フィンランドの独立への情熱を代弁するものとして熱狂的に受け入れられた。

こうして作曲家として順調なスタートを切ったシベリウスは美しきアイノ夫人を得て、私生活も充実していく。

交響曲第1番の成功を受けて、発表された交響曲第2番は第4楽章が「フィンランド人の意識の高揚と凱歌」と受け取られ、熱狂的な支持を受ける。現在も交響曲第2番はシベリウス最大のヒット作である。

社会的な成功を得たシベリウスだが、生活面では問題を抱えていた。とにかく浪費家だったのである。酒と煙草と芸術を愛してそれらのための金に糸目を付けないシベリウスは多額の借金を抱えるようになる。

見かねた友人たちの助言を受け入れて、シベリウスはヘルシンキを去ることになった。新たな生活の基盤はヘルシンキの北、湖に面した場所にあるヤルヴェンパーである。ここにシベリウスはアイノ夫人に由来するアイノラ荘を建てて、作曲に専念。この頃から作風は明らかに変化する。

 

シベリウスが癌の宣告を受けたのは、1908年、43歳の時だった。喉に腫瘍ができ、咽頭癌を疑われたのだ。腫瘍は良性で、摘出手術を受けて感知するが、この時の絶望は交響曲第4番に色濃く表れている。

交響曲第4番は、1911年に、作曲者自身の指揮によって初演されたが、これが一大事件となる。その内省的な作風に聴取は大いに戸惑い、「客席にこの曲の内容を理解できた人がほとんどいなかった」と評されるほどであった。アメリカ人の音楽評論家が、「酔っぱらいのたわごと(ちなみにこの時期、シベリウスは断酒していた)」と切り捨てる一方で、イギリスの音楽評論家であるセシル・グレイは、「無駄な音が一つもない」と絶賛。後にグレイはシベリウスのことを「ベートーヴェン以降最大のシンフォニスト」と評することになる。

 

その後のシベリウスの作曲活動は順調だった。ある時までは。

1923年、シベリウスは交響曲第6番、第7番、交響詩「タピオラ」を発表する。そしてその後、沈黙の時期に入ってしまうのだ。これが有名な謎となっている「シベリウスの晩年の沈黙」である。

作曲を続けていた形跡はある。交響曲第8番の初演は何度もアナウンスされたが、そのたびごとに延期された。シベリウス本人や娘の証言によると交響曲第8番は一度、もしくは数度完成した。しかし出来に満足しないシベリウスによって総譜は暖炉にくべられたという。

シベリウスはその後、作曲家としての正式な引退宣言を行う。書痙が原因とされるが、無調音楽などの台頭に失望したという説もある。

 

日本は、フィンランド本国、イギリス、アメリカなどの並び、シベリウスの演奏が盛んな国である。渡邉暁雄という世界的なシベリウス指揮者が活躍しており、渡邉の没後も指揮者の尾高忠明らがシベリウスを盛んに演奏している。

 

シベリウスを代表する曲としては、まず問題作でもある交響曲第4番を挙げたい。絶望や孤独といった意識がこれほど純粋に音化された曲は他に例を見ない。

他にお薦めの交響曲としては、第6番と第7番がある。いずれも神秘的にして純度の高い音世界が繰り広げられており、音楽好きにとってこの上ない音の宝となっている。

渡邉暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団 シベリウス 交響曲第6番

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団 シベリウス 交響曲第7番

小品としては「悲しきワルツ」を推したい。この曲は世界的指揮者であるパーヴォ・ヤルヴィのアンコール演奏の定番となっているため、今後も聴く機会は多いだろうと思われる。

パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン シベリウス 「悲しきワルツ」

 

「シベリウスの音楽には人がいない」といわれている。その音光景の中に人物が存在しないという意味なのだが、本当にそうなのだろうか。

日本人的な意識に立ってみれば、音に見える自然風景の中に人間が溶けているように思える。西洋においては自然と人間は対立項であるが、日本ではそうではない。

シベリウスの光景は、徹底して自然が描かれているがゆえに最も人間的であると言っても良いのではないだろうか。

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2017年12月24日 (日)

シベリウス 「クリスマス讃歌」より“権力も栄誉も求めず”

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コンサートの記(333) 速海ちひろ&ヤンネ舘野 クリスマスコンサート2017京都

2017年12月16日 河原町五条下ルの日本聖公会京都ヨハネ教会にて

午後5時30分から、河原町五条下ルの日本聖公会京都聖ヨハネ教会で、速海(はやみ)ちひろとヤンネ舘野のクリスマスコンサートを聴く。

速海ちひろはハープ奏者、ソプラノ歌手。三重県伊勢市出身で、現在は京都市在住である。日本聖公会の大学である立教大学文学部仏文科卒業後、奨学金を得てイギリスとフランスに留学。ハープを声楽を専攻し、パリUFAM国際コンクールで1位を獲得している。

ヤンネ舘野は、現在は左手のピアニストとして活躍する舘野泉の息子である。フィンランド・ヘルシンキ生まれ。ヘルシンキ音楽院とシカゴ芸術音楽学院でヴァイオリンを学ぶ。シカゴ芸術音楽学院では森悠子に師事した。現在はヘルシンキのラ・テンペスタ室内管弦楽団のコンサートマスター兼音楽監督、山形交響楽団の第2ヴァイオリン奏者を務めており、長岡京室内アンサンブルのメンバーでもある。


曲目は、「きよしこの夜」、「柊飾ろう」(ウェールズ地方の古いキャロル)、「彷徨いながら不思議に思う」(アパラチアの古いキャロル)、「この幼子は誰?」(グリーンスリーブス)、「松明手に手に」(南フランスのキャロル)、「クリスマスキャロルメドレー」(もろびとこぞりて~ジングルベル~まきびとひつじを)、マスネの「タイスの瞑想曲」、シベリウスの「ノヴェレッテ」、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」、伝カッチーニ作曲(実作者はウラディーミル・ヴァヴィロフ)の「アヴェ・マリア」、武満徹の「死んだ男の残したものは」、シベリウスの「フィンランディア賛歌」(平和の歌。交響詩「フィンランディア」より)、シベリウスの「権力も栄誉も求めず」、オーベルチュアの「処女マリア」、J・S・バッハの「ラルゴ」(無伴奏パルティータより)、なかにしあかねの「愛されている」、久石譲の「Stand Alone」(NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」主題歌)、「アメイジング・グレイス」


ヤンネ舘野がシベリウスを弾くというので聴きに行ったコンサートで、速海ちひろのことはよく知らなかったのだが、顔というよりも雰囲気が女優の清水美沙に似ている。

谷川俊太郎作詞の「死んだ男の残したものは」を聴きながら、1990年代半ばに明治大学駿河台キャンパスのそばで、清水美沙(当時は清水美砂)や谷川俊太郎とすれ違ったことを思い出した。

速海のハープと歌声は温か。教会の演奏ということで音響が抜群というわけではないのだが、ヤンネ舘野のヴァイオリンもスケールが大きく、艶やかな音を奏でる。良いヴァイオリニストは、弦の表面を撫でるのではなく、芯の部分を確実にとらえていくような弾き方をする。

シベリウスの「ノヴェレッテ」は、清澄という言葉がぴったりくるような音楽である。

「死んだ男の残したものは」は、寺嶋陸也によって3年前にハープ弾き語りとヴァイオリン伴奏用に編曲されたものなのだが、これまで演奏する機会がなく、今日がこのバージョンに初演になるそうだ。ハープが不吉な和音を奏で、ヴァイオリンが不協和音を発する独自の編曲で、強く印象に残った。

シベリウスの「権力も栄誉も求めず」は、ヤンネ舘野によるとフィンランドではとてもポピュラーな曲なのだそうである。サカリ・トペリウスによるフィンランド語原詩による歌唱。速海は、フィンランド語原語での歌唱を当初はためらったそうだが、詩の内容が素晴らしいため、原語で歌うことにしたのだという。


アンコール演奏は3曲。まずは高橋晴美の「ありがとう」。2曲目がヴィヴァルディの「冬」より第2楽章、ラストは聴衆と共に「きよしこの夜」をもう一度歌った。

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2017年12月19日 (火)

コンサートの記(332) 秋山和慶指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第156回定期演奏会

2017年12月11日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第156回定期演奏会を聴く。京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団、京都市立芸術大学音楽学部・大学院合唱団の演奏。指揮は、京都市立芸術大学客員教授の秋山和慶。

曲目は、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、シューベルトのミサ曲第2番、シベリウスの交響曲第2番。


秋山和慶指揮のシベリウスは、10月に日本センチュリー交響楽団の定期演奏会で交響曲第1番を聴く予定だったのだが、風邪のために参加出来なかったので、代わりに今日の演奏会を聴くことにしたのだ。


秋山和慶は、日本指揮者界の重鎮的存在である。桐朋学園大学で齋藤秀雄に指揮を学び、齋藤メソッドの第一人者ともいわれている。東京交響楽団音楽監督・常任指揮者を40年に渡って務め、レオポルド・ストコフスキーの後任としてアメリカ交響楽団音楽監督に就任。バンクーバー交響楽団音楽監督(現在は桂冠指揮者の称号を得ている)、シラキュース交響楽団音楽監督なども務めており、国際的なキャリアも十分である。この4月まで広島交響楽団の音楽監督を務めており、現在は同楽団の終身名誉指揮者。中部フィルハーモニー交響楽団の初代芸術監督・首席指揮者の座にもある。

京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団であるが、日本の音楽教育の現状からいっても当然なのだがメンバーの大半が女性である。


メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」。細部が雑然とした感じなのは学生オーケストラなので仕方ない。余りドイツ的な感じのしない演奏であるが、弦楽の波などは一定のレベルに達していたように思う。

場面転換の間に京都市立芸大教授の下野竜也が登場。繋ぎのトークを行う。ちなみに下野は秋山の後任として広島交響楽団の音楽総監督に就任しており、また下野が鹿児島大学教育学部卒業間近になって指揮者を志したときに、秋山が主演のような形で出演している齋藤メソッドのビデオを何度も見て自己鍛錬を繰り返し、間接的ながら齋藤メソッドの継承者に名を連ねているという経緯がある。
「不審者ではありません」と下野はトークをスタート。シューベルトのミサ曲第2番について、「ベネディクトゥスは、ベートーヴェンの「フィデリオ」の4つめの曲と瓜二つ」と語り、18歳のシューベルトがいかにベートーヴェンを尊敬し、参考にしていたかがわかると話す。またラストの「アニュス・デイ」を短調で書いていることを初めて知ったときには、「やるな!」と感嘆したそうである。
シベリウスの交響曲第2番については、「寒い時期に聴くシベリウスは格別。明日は寒波が押し寄せるようですが、今夜はシベリウス日和、日和じゃないか、シベリウス・ナイト」と語っていた。
「今日は私は当然ながら指揮はいたしません」と言って下野は帰って行った。


シューベルトのミサ曲第2番。下野の話にもあった通り、シューベルトが18歳の時に書いた曲である。ソプラノ独唱は講殿由紀奈(こうどの・ゆきな。大学院音楽研究科声楽専攻2回生)、テノール独唱は木下紀章(大学院音楽研究科声楽専攻1回生)、バス独唱は廣田雅亮(大学院研究科声楽専攻1回生)。
京都市立芸術大学音楽学部・大学院合唱団はなかなかのハイレベルである。ソプラノ独唱の講殿由紀奈は可憐な声をしているが、呼吸が浅いようで、そのためか歌声に説得力を欠くように感じられた。テノールと木下紀章とバスの廣田雅亮は声量がもう一つのようである。


シベリウスの交響曲第2番。弦の音が素晴らしい。シベリウスの神秘性やリリシズム、透明感を余すところなく描き出している。一方で、管はホルン(5人全員が女性である)が冒頭で躓いたり、他の楽器も音程を間違えないようにと意識しすぎたためか、最初のうちは硬さが目立ったが、徐々に調子を上げていく。
秋山の指揮はところによりドラマティックに過ぎる箇所があるように感じられたが、全般的には語り上手で耽美的なシベリウス演奏を展開する。
第4楽章では歓喜のメロディーと内省的なパッセージが交互に訪れるのだが、秋山の生み出す音楽はとにかく美しいので、内省的な部分も暗さや懊悩がほとんど感じられない。作曲者の意図に沿ったものかというと微妙だが、磨き抜かれた聴き応えのある演奏に仕上がっており、聴き応え十分であった。

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