カテゴリー「シベリウス」の58件の記事

2016年11月27日 (日)

コンサートの記(260) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第278回定期演奏会

2016年10月14日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時からザ・シンフォニーホールで関西フィルハーモニー管弦楽団の第278回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。年1作、7年がかりで行われる「シベリウス交響曲チクルス」の第5回である。

曲目は、吉松隆の「夢色モビールⅡ」(1993/98)、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:オーギュスタン・デュメイ)、シベリウスの交響曲第2番。


開演20分前から藤岡幸夫によるプレトークがある。まず藤岡の慶應義塾高校・慶應義塾大学の先輩である吉松隆の「夢色モビールⅡ」について、「吉松さんの作品は関西フィルで沢山取り上げましたが、考えたら『夢色モビールⅡ』はまだやってないのでやることにしました」とのこと。
バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番については、「無調ではなく調性音楽ではありますがギリギリのところを突いている」と評価。「デュメイさんのヴァイオリンも含めて良い意味で悪魔的になっています」と語る。
シベリウスの交響曲第2番。「シベリウスというと北欧の自然を描いたというイメージがありますが、人間的なドラマも描いています。この交響曲第2番では人間的な葛藤が良く出ていまして、最愛の娘を亡くして、失意から妻子を残してイタリアへ慰安旅行に出掛けた時に書かれたわけですが、娘を亡くした絶望から這い上がろうとしているシベリウスの姿を聴き取ることが出来ます。第2楽章は特に深い絶望。第4楽章はよくフィンランドの民族的高揚と捉えられますがもっと私的なものだと思われます」という意味のトークを行う。

アメリカ式の現代配置での演奏。コンサートマスターは岩谷祐之(いわや・すけゆき)である。


吉松隆の「夢色モビールⅡ」(1993/98)。この曲は1993年にサキソフォン奏者・須川展也のために書かれた曲で、当時はサクソフォンとハープ、弦楽四重奏のための室内楽曲であった。その後、オーケストラコンサート用にアレンジされ、独奏楽器とハープ&弦楽オーケストラのための作品となり、98年に初演。今日はこの98年版をヴァイオリン独奏バージョンにて演奏を行う。ヴァイオリン独奏はコンサートマスターの岩谷祐之が務める。

吉松らしい繊細な美しさを持った曲。旋律が瑞々しく、美しい。ヴァイオリン独奏の岩谷、ハープの佐々木美香ともに達者な演奏を聴かせ、満足のいく出来となった。


バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。ヴァイオリン独奏のオーギュスタン・デュメイは関西フィルの音楽監督でもあり、関西フィルのポストを持つ音楽家同士の共演となる。

バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番は吉松作品とは対照的に美しい旋律は意図時に退けられており、断片的なメロディーが鳴る中で展開がなされているという難解な作品である。大作でもあり、今日は終演時間がいつもより遅れた。

第1楽章ではデュメイは豪快な演奏を展開。関フィルも負けじと野性味溢れる伴奏を展開する。
関西フィルは関西のオーケストラの中では非力な方だが、今日は威力ある音を聴かせる。ただ無理矢理出したという印象も否めず。音がひりついているように聞こえ美しさという点ではもう一歩。
第2楽章の痛切さ、第3楽章のスケールの拡がりなどを上手く表現した演奏であったが、曲自体が難しく、演奏は見事なものだとわかるのだが曲の内容を十全に把握することは現時点の私には困難である。この曲のCDは1種類しか持っていないはずだが今度じっくり聞き込んでみようか。


シベリウスの交響曲第2番。爽やかさ溢れる音色でこの曲をスタートさせた藤岡だったが、第1楽章の途中でテンポを落とし、神秘的な一面を演奏にくわえる。この第1楽章では金管が不調であり、音を外したり出だしが揃わなかったりした。その後持ち直しただけに残念。
第2楽章や第4楽章での悲壮感の表出は今一つだったが、第4楽章では暗さを強調しない分、楽曲の把握がしやすくなるというプラスの面がある(把握しやすければいいという訳ではないことは勿論であるが)。
第3楽章のオーボエの歌は牧歌的であり、素晴らしい雰囲気を生み出していたように思う(オーボエ:佛田亜希子)。

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2016年6月19日 (日)

ユッカ=ペッカ・サラステ指揮ラハティ交響楽団 シベリウス 交響曲第5番

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2015年12月11日 (金)

コンサートの記(217) オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団「シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」最終日

2015年11月29日 東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”にて

オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団による「シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」最終日。今日は交響曲第5番、交響曲第6番、交響曲第7番が一挙に演奏される。東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”にて午後3時開演。

東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”の三角屋根の正面には明かり取りの窓があるのだが、開演直前に下の方から三角形の蓋がせり出してきて、窓は閉じられ、外からの光も入ってこなくなった。

交響曲第5番。冒頭の管が揃わないなど、いささか雑然としたスタート。尻上がりに調子を上げるかと思っていたが、アンサンブルの雑さは結局全曲を通して改善されることはなかった。弦楽器は比較的好調であるが、管楽器は音が濁るなど十全とはいえない。この曲の演奏に関しては残念ながら合格点は与えられないであろう。

交響曲第6番は、一転して超名演が展開される。藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いたばかりだが、出来は流石にカムとラハティ交響楽団の方がずっと上だ。神秘的で温かさにも溢れた弦の音色がノスタルジアを呼び起こし、管の響きが心の傷を癒やしてくれる。
これだけの演奏が可能なのに交響曲第5番で失速したのは不思議だが、やはり曲によって向き不向きがあるのであろう。

交響曲第7番もスケールが適度に保たれ、響きが洗練された優れた演奏。カムは強弱の付け方が独特である。
      単一楽章でありながら、4つの表情を持ち、実質的な交響曲となっているシベリウスの交響曲第7番。カムとラハティは楽曲の把握がしやすい演奏を行った。


今日もアンコールは3曲である。まずはシベリウス生誕150年に相応しい「アンダンテ・フェスティーヴォ」。ラハティ交響楽団の聴いてきて胸が痛くなるほどヒンヤリとした透明な響きが印象的な佳演である。

続いて、「ある情景のための音楽」。悲劇的な曲調で始まるが、ラストに向けて明るくなっていく。カムの指揮は盛り上げ方が上手い。

ラストは勿論、といっていいのかどうかはわからないが交響詩「フィンランディア」。ラハティ響のブラスの威力が今ひとつであったが、全般的には整った演奏である。フィンランド第2の国歌と言われる部分の歌い方はやはり堂に入っていた。

今日は満員となった客席からはカムとラハティ響を讃える拍手が鳴り止むことがなかった。

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2015年12月10日 (木)

コンサートの記(216) シベリウス生誕150年 オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団「シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」第2夜

2015年11月27日 東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”にて

午後7時から、東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で、オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団の「シベリウス交響曲サイクル」第2夜を聴く。今日は、交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ペッテリ・イーヴォネン)、交響曲第4番の3曲が演奏される。

交響曲第3番。冒頭の民族舞踊曲のような旋律は、力強く弾かせる指揮者と音を抑えて弾かせる指揮者の2タイプがいるのだが、カムは強く弾かせる。
ラハティ交響楽団の弦のバリエーションは多彩。弱音が特に美しく、ヒンヤリとした音の奏で方なども上手い。東京オペラシティコンサートホールは残響が長いため第1楽章のラストである「アーメン」なども音が上へと伸びていき、少し留まってから消える。「神秘的」と呼んでも良いような体験である。

ヴァイオリン協奏曲。ソリストのペッテリ・イーヴォネンはフィンランドのヴァイオリニスト。1987年、ヘルシンキ生まれ。9歳でシベリウス・アカデミーに入学し、2005年にフィンランド・クオピオ・ヴァイオリン・コンクールにおいて史上最年少で優勝。2010年にはシベリウス国際ヴァイオリン・コンクールで第2位および特別賞を受賞している。
長身のヴァイオリニストであるが、フィンランド人は基本的に背が高いため(オッコ・カムは比較的小柄だが)ラハティ交響楽団の男性楽団員と身長はさほど変わらず、実際に何センチあるのかは不明である。

冒頭、オーケストラの弦の刻みの弱音が冷たく、異世界のような響きを出す。ラハティ交響楽団はメカニックそのものは日本のオーケストラと互角程度であるが、やはりシベリウスの演奏に関しては本家だけに説得力がある。
イーヴォネンのソロの磨き抜かれた美しい音を奏で、自然の美しさや人間の孤独感などを詳らかにしていく。

アンコールとしてイーヴォネンはイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりバラードを弾く。ヴィルトゥオーゾタイプではないだけに、技巧面では物足りないものがあったが、語り上手なヴァイオリンではあった。


交響曲第4番。私が「20世紀最高の交響曲」と評価している曲である。
カムとラハティ今日は丁寧な演奏でシベリウスの憂鬱を描き出していく。
カムは第1楽章と第2楽章の間と第3楽章と第4楽章の間をアタッカで開始、前半と後半という解釈であるとも思われる。
ラハティ響はやはり弦楽の魅力の方が管楽のそれより上だが、この曲では金管を強く吹きすぎて弦楽が聴き取れなくなるというバランス上の問題があった。
それでも「秀演」と呼ぶに相応しい演奏が展開された。
第4楽章ではグロッケンシュピールを採用。愛らしくも深遠な音楽が奏でられていく。

アンコールは3曲。まずは「悲しきワルツ」。模範的な演奏である。ピッチカートの場面ではかなり音を小さくしたが、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のそれと比べるとずっと大きく、常識的な範囲での演奏であった。

続いて「ミュゼット」。クラリネット奏者が湧き上がる泉のような鮮烈なソロを奏でた。

ラストは「鶴のいる風景」。叙情味溢れる優れた演奏であった。

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2015年12月 4日 (金)

コンサートの記(215) シベリウス生誕150年 オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団「シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」初日

2015年11月26日 東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”にて

午後7時から、初台にある東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で、オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団による「生誕150年 シベリウス交響曲サイクル(チクルス)」の第1夜を聴く。

日本人作曲家として最も知名度の高い武満徹の名をメモリアルとして掲げている東京オペラシティコンサートホール。海外のアーチストからは「タケミツホール」という愛称で親しまれている。合掌造りのような三角形の高い屋根を持つことが特徴である。ただ、ステージ上に反響板はあるので、京都コンサートホールのように「音が高いところに留まって降りてこない」というようなことはない。
東京の中でも好きなコンサートホールだったのだが、京都に移ってからは来る機会自体がなくなってしまった。


午後6時20分と、東京の常設オーケストラの演奏会に比べると遅めの開場である。


フィンランドを代表する指揮者の一人であるオッコ・カムは、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団、フィンランド国立歌劇場の音楽監督としての活躍を経て、2011年秋にシベリウス演奏で世界的な評価を受けているラハティ交響楽団の首席指揮者と、ラハティ交響楽団が主役となるラハティのシベリウス音楽祭の芸術監督に就任している。これまで京都市交響楽団に2度客演、いずれもシベリウスの作品を指揮しているほか、以前は日本フィルハーモニー交響楽団にもポストを持っており、よく指揮していた。池袋にある東京芸術劇場コンサートホールで行われた、日本フィルハーモニー交響楽団のサンデーコンサートを指揮したことがあり、メインのプログラムであるシベリウスの交響曲第2番の演奏が、私が本当の意味でのシベリウスの醍醐味を知った初めての経験となった。ということで、カムは私がシベリウスに開眼するきっかけを作ってくれた恩人でもある。
1982年に当時手兵であったヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団と共に来日し、シベリウス交響曲全曲演奏の企画を行っているが、交響曲第1番と第4番、第7番の3曲は日本におけるシベリウスの泰斗であった渡邊暁雄に指揮を譲っており、カム一人による日本におけるシベリウス交響曲チクルスは今回が初めてになると思われる。

今回のシベリウス交響曲チクルスは交響曲の番号通りの演奏される。ということで、今日は交響曲第1番と第2番が演奏される。
オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団のシベリウス交響曲チクルスは、生誕150年を迎えたシベリウスメモリアルイヤーの日本における白眉であり、日本各地から聴衆が集まってきていると思われる。白人の聴衆も多い。

アメリカ式の現代配置による演奏。コンサートミストレスはMaaria LEINO。クラリネット奏者の女性はオレンジ色の髪、ファゴットを吹く女性は赤毛で共に目立つ。染めているのではなく、地毛が明るい色なのであろう。

交響曲第1番。カムは今回の演奏会では全曲椅子に座って指揮した。
冒頭、ティンパニが鳴る中でクラリネットが孤独な感じのソロを奏でる。途中でティンパニが音を止め、クラリネットの一人語りになるのだが、一人語りの場面ではカムは指揮するのを止めて、オレンジ色の髪のクラリネット奏者に全てを任せた。
ラハティ交響楽団は、輝きと仄暗さを併せ持つ弦の音色が出色のオーケストラである。管も弦ほどではないが優れている。

    カムの指揮は基本的には右手と左手がシンメトリーに動く端正なものだが、時折、指揮棒を持つ右手とは別の動きをする左手の操作が抜群。音型を操作し、音色やニュアンスを変える。ゲネラルパウゼを長く取るのも特徴である。
冴え冴えとした優れたシベリウスであった。

交響曲第2番。
この曲は、オスモ・ヴァンスカに率いられたラハティ交響楽団が、西宮北口の兵庫芸術文化センター大ホールで「理想的」といってもいい超名演を行っており、それとの比較にもなる。なお、カムはシベリウスの交響曲第2番を計3度レコーディングしており得意曲目である。
ヴァンスカに比べると個性的な演奏である。カム指揮によるシベリウスの交響曲第2番の実演はこれまでにも東京と京都で一度ずつ聴いているが、それに比べても個性の度は強い。細部まで丁寧に仕上げた演奏であるが、第2楽章は勿論、第4楽章でもシベリウスの苦悩がヴィヴィッドに伝わってくる。第4楽章もカムは単純な凱歌にすることはなかった。

アンコールは3曲。3回に分けられて行われたカムとラハティの「シベリウス交響曲サイクル」であるが3回ともアンコールは3曲であった。

「ミランダ」(組曲「テンペスト」第2判より)、「行列」、「間奏曲」(「ペレアスとメリザンド」より)の3曲が演奏されたが、いずれも生命力に満ちた快活な音楽が奏でられた。

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2015年11月 6日 (金)

コンサートの記(213) シベリウス生誕150年 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第269回定期演奏会

2015年10月30日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第269回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。

曲目は、シベリウスの交響曲第6番(シベリウス生誕150年記念)、吉松隆の「ドーリアン」(関西初演)とサイバーバード協奏曲(サクソフォン独奏:須川展也、ピアノ独奏:小柳美奈子、パーカッション独奏:山口多嘉子)

藤岡幸夫と関西フィルハーモニー管弦楽団は、1年1曲のペースでシベリウス交響曲全曲演奏を進めており、今回が4年目。交響曲第7番、交響曲第3番、交響曲第4番に次いで、今年は交響曲第6番を取り上げる。なお、来年は交響曲第2番を演奏することがすでに決まっている。

2015年7月14日付けで、打楽器奏者の細江真弓が入団。吉松の曲では打楽器が効果的に用いられているため、早速の大活躍となった。「ドーリアン」では小太鼓で熱演。「サイバーバード」ではシンバルやタンバリンで活躍した。

午後6時40分頃から、指揮者の藤岡幸夫によるプレトークがある。慶應義塾高校と慶應義塾大学の先輩である吉松隆の才能に藤岡は惚れ込んでおり(吉松隆は厳密にいうと慶應義塾大学中退である)、シベリウスの交響曲第6番は、高校1年生だった吉松が初めてLPで聴いて涙を流すほど感動した曲で、この曲を聴いて吉松は作曲家になることを志したということから、藤岡はシベリウスの交響曲第6番を演奏する時には、吉松の作品を一緒に演奏しようと決めていたという。

その後、吉松隆がステージ上に呼ばれ、シベリウスの交響曲第6番は吉松の大好きな宮澤賢治の作品に相通じるものを感じたと語る。ミステリアスで純度の高いところは両者の作品に共通している。「ドーリアン」は、シベリウスを聴いて作曲家になろうと志した人が書いたとは思えないほど賑やかな曲だが、吉松としては現代音楽の殻を破りたいと思って作曲したとのこと。シベリウスの交響曲第6番は「ドーリア旋法」を用いて書かれているのだが、吉松の「ドーリアン」もタイトルからわかる通り、ドーリア旋法が用いられている。

吉松は小綺麗な演奏が嫌いだそうで、藤岡が吉松作品のレコーディングを終えて、袖に戻ってくると、「演奏が整い過ぎている。お前、ちょっと行ってぶっ壊してこい」と言ったり、今回のリハーサルでもサキソフォンの須川展也に、「音が綺麗すぎる。もうちょっと汚い音を出せないのか」と注文を付けていたそうである。

今日のコンサートマスターは岩谷祐之。アメリカ式の現代配置による演奏である。なお、NHK-FMによるライブ録音が行われ、後日放送されるとのこと。

シベリウスの交響曲第6番。冒頭、第2ヴァイオリンが澄んだ美しい響きを奏で、ヴィオラが加わって立体的になり、更に第1ヴァイオリンが繊細この上ない旋律を奏でる。この曲は元々ヴァイオリン協奏曲として書かれたということもあり、チェロやコントラバスよりも明らかに第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラの3パートを重視して書かれている。

関西フィルはあっさりとした音色を持つオーケストラだが、そのことが透明感のあるシベリウスの交響曲第6番にはプラスに作用している。

藤岡は今日は全曲譜面台の上に総譜を置き、めくりながら指揮。指揮姿は端正で、大きな音が欲しい楽器の方を向いてその通りの音を弾き出すなど、オーソドックスなものである。

全4楽章を通して繊細且つ優美、聴いていて耳が洗われるような清澄な音楽を藤岡と関西フィルは生み出していた。

吉松隆の「ドーリアン」。大編成の打楽器が特徴である。シベリウスというよりもストラヴィンスキーの作品のようなリズム重視の曲。この曲は吉松が27歳の時に初演されているが、同時期に初演され、吉松のデビュー曲として認知されている「朱鷺に捧げる哀歌」の方がずっと有名である。

新しい作品を生んでやろうという意欲に満ちた曲であり、変拍子など現代音楽的な要素もあるが、響き自体は美しく、特に弦楽は漆のような独特の光沢の音色を奏でる。吉松は無調音楽には反対であり、無調音楽のアンチテーゼとしてこの曲を生んだそうだ。難解な部分もあるが全体を通してみるとなかなか楽しい音楽である。

吉松隆のサイバーバード協奏曲。一応、サキソフォン協奏曲となっているが、ピアノやパーカッションのソリストも大活躍する。

日本人クラシックサキソフォンの第一人者である須川展也(すがわ・のぶや)は光沢のある美しい音色を奏でる。ピアノの小柳美奈子とパーカッションの山口多嘉子は共にソリストとしてよりもアンサンブルの奏者として活躍している人だが、それだけに須川とのやり取りは万全である。パーカッションの山口はドラムセットの他に、小さめの銅鑼2つ、更には様々な鈴を奏でる。

藤岡指揮の関西フィルも堂々たる演奏。第1楽章「彩の鳥」はジャズの影響の強い曲だが、終盤に弦楽とピアノがシベリウスの交響曲第4番の冒頭を意図的に真似る箇所がある。須川は普通のサキソフォン曲では使わないような高い音も出す。

第2楽章「悲の鳥」はエレジー。この曲を作曲している時に、吉松は実妹の晴子を亡くしており、悲しみの気持ちをこの楽章に込めた。ピアノとサックスがノスタルジアにも似た懐かしい響きを奏でる。

最終楽章「風の鳥」では、再びジャジーな要素が戻ってくるが、今度は洗練された現代のジャズである。第1楽章がジョン・コルトレーンだとすると、最終楽章は楽器こそ違えどウイントン・マルサリスだ。

須川展也、小柳美奈子、山口多嘉子の3人はアンコール演奏を行う。吉松隆の「融けてゆく夢」。ピアノが雪の上を歩くかのように、左手、右手が交互に冷たい音色の和音を奏で、サキソフォンが煌びやかだが、哀感に満ちた旋律を歌う。パーカッションの山口は後半になると風鈴で合いの手を入れる。サキソフォンの音が上昇すると、突然、断ち切られるようにして音楽は終わる。夢を題材にした楽曲としては効果的なラストだったように思う。

今日は指揮者、オーケストラ、ソリストのいずれもが充実した、満点に近い演奏会であった。

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2015年11月 3日 (火)

コンサートの記(212) シベリウス生誕150年 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第492回定期演奏会 シベリウス 交響曲第2番ほか

2015年10月14日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第492回定期演奏会を聴く。今日の指揮は「炎のコバケン」こと小林研一郎。熱烈なファンと強烈なアンチを持つという一人AKBのような指揮者である。ヘルベルト・フォン・カラヤンもファンとアンチに二分されるタイプだが、カラヤンの場合は耽美的な傾向と「傲岸」といわれた性格が災いしていたのに対し、コバケンさんの場合は性格的には腰の低い人で、濃厚な演奏スタイルが好悪を分かつようである。

曲目は、小林研一郎の「四季への憧憬(パッカサリアより)の自作自演、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン独奏:南紫音)、シベリウスの交響曲第2番(作曲者生誕150年記念)。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。なお、10月1日付けで、井野邉大輔がヴィオラ・トップ奏者に就任、同じく久貝ひかりがヴァイオリン奏者として入団している(久貝は第2ヴァイオリン奏者としてスタート。「ヴァイオリン奏者として入団」としか書かれていないため、このまま第2で行くのか第1に回るのかは不明だと思われる)。

大阪フィルでは毎年夏の「三大交響曲」演奏会のタクトを1991年から任されている小林研一郎だが、大フィルの定期演奏会に登場するのは久しぶりとなる。

早足で登場した小林は、指揮台に上がる前に、「皆様、今晩はようこそお越し下さいました」と挨拶。だが、私も含めて聴衆は「え? どういうこと?」と戸惑い、無反応だったため、「何とか反応を下さい(ママ)」と続けて聴衆が拍手を送った。

小林は1曲目に自作を指揮するので、曲目の説明をするためにトークを入れたのだった。「指揮者が演奏の前に語るというのは不遜な気がします」と言った後で、「自分の作品を1曲目として、しかもモーツァルトやシベリウスという大作曲家の前に演奏するなど、言語道断、という気がします。不遜とも思いますが、大フィルの首席指揮者の井上道義さんがどうしてもやって欲しいというので、やることにしました」と語り、秋に始まって夏に終わる「四季への憧憬」で描かれているものを説明する。

小林研一郎は、東京芸術大学音楽学部を二度出ている。二度目の入学は3年時編入学ではなく、一から受験勉強しての再受験である。もっとも、学士入学が流行り出すのは1980年代以降であるため、小林の時代には3年時編入学というものがなかった可能性も高いのだが。最初は作曲科を卒業し、その後に指揮科に入学、卒業している。作曲科も指揮科も優秀な成績で卒業しているが、指揮者としての活動が活発化したため、作曲に割く時間がなかなか取れなかった。「パッカサリア」は、小林が2000年に作曲し、自身でも取り上げている唯一といってもいい作品。日本初演の評判は「時代遅れ、時代錯誤」と散々だったらしいが、何だかんだで知名度はある。ただ「パッカサリア」の演奏時間は約30分を要するため、今回の大フィル定期のために小林が全10部中4部を抜き出して編曲し、「四季への憧憬」として纏めものを演奏することになったという。

曲はフルートが奏でる寂しげな「秋」で始まる。フルート独奏、フルート合奏が主で、クラリネット、ピアノ、ハープが合いの手を入れる。小林はフルートの旋律を尺八の音を念頭に作曲したそうで、極めて日本的な作品である。「冬」はシベリウスの交響曲第4番の冒頭に少し似た入り方をする。弦楽が凍えた音を出すが中途半端な印象は否めない。「春」になると淡い彩りによる雅やかな音楽が始まるが、一部二部に分かれており、第二部に入ると「春」にしては賑やか過ぎるような気もする。「夏」は夏祭りの音楽で、賑やかであるが(打楽器は「インプロ(Improvisation。即興という意味)」という指示だそうだ)、小林の性格が真面目すぎるためか、今一つ弾けた感じがしない。もっと盛大にやってもいいと思われるのだが。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。室内オーケストラ編成での伴奏。小林はノンタクトで指揮。指揮台の前に譜面台とその上に総譜が置かれたが、小林は結局、一度も総譜をめくるどころか触れることすらせず、暗譜による指揮であった。

ヴァイオリンの独奏の南紫音(みなみ・しおん)は、先日、ハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで第2位を獲得したばかり。コンクール終了後初の仕事が、この大フィル定期でのヴァイオリンソロだという。

関西でも聴く機会の多い南紫音。1989年、福岡県北九州市生まれのヴァイオリン奏者である。そのため、2005年には北九州市民文化奨励賞を、翌2006年には福岡県文化賞を受賞している。
2005年にロン=ティボー国際音楽コンクールで第2位に入り、注目を浴びる。その前年である2004年にはアルベルト・クルチ国際ヴァイオリンコンクールで優勝している。西南学院高等部を経て、桐朋学園大学を卒業。現在はドイツのハノーファー在住である。一般には知名度の低いハノーファーという街だが、ハノーファー国立音楽演劇大学出身の日本人演奏家が多く、また大植英次が同校の終身教授を務めているためクラシックファンにはよく知られている。プロフィールには、「現在、ハノーファーににてクシシトフ・ヴェグジンに師事」としか書かれていないが、南紫音もおそらくハノーファー国立音楽演劇大学で学んでいるのだと思われる。

自身の名前に掛けたのかどうかわからないが、紫のドレスで登場した南。磨き抜かれた美しい音を聴かせる。

南の実演にはこれまでも何度か接しており、「スケールが小さいな」という印象を抱いていた。ハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで2位になったことで変化することを期待していたが、そう簡単に成長するということはないようで、今日もやや一本調子気味。音色は美しいのだが曲調の描き分けが十分とはいえず、変化に乏しい。

小林指揮の大阪フィルは時にデモーニッシュな響きも奏でるのだが、南のヴァイオリンは陰影が十分とはいえないように思う。左手のメカニックは抜群なのだが、表現においては壁に当たっているような印象を受ける。ハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールも南が「今回で最後」という思いで受けたコンクールで、2位という結果には納得したそうだが、優勝できなかったのは「技術に偏りがち」と取られた可能性を否めない。

シベリウスの交響曲第2番。

「炎のコバケン」の愛称通り、小林研一郎というと、熱い演奏を思い浮かべがちなのだが、実際の小林はかなり器用な指揮者であり、このシベリウスでも演奏にふさわしいヒンヤリとした響きを大阪フィルから引き出す。

比較的ゆっくりとしたテンポでスタート。各楽器をよく歌わせるが、歌い方が悪く書くと演歌調になりがちなのが小林のクラシック指揮者としての弱点である。小林研一郎は美空ひばりが大好きだそうで、結果として日本的な歌い方を採り、それが日本的に噛み砕かれたクラシックを好む人には指示され、ヨーロッパ至上主義の人からは「異端」と見なされるのかも知れない。

第4楽章の入りでテンポをグッと落とすところなどは実に日本的である。

シベリウスの交響曲第2番というと、金管の威力、特にホルンの腕が試されるのだが、今日の大フィルのホルン陣は好調。完璧とまではいかなかったが、先月の大植英次指揮のブラームスでの不調が嘘のように達者な演奏を披露する。金管の中でもむしろトランペットが能天気な軽い音を出しており、シベリウスには不似合いであった。無料パンフレットを執筆した片山杜秀が、最終楽章について、「ドイツ的高潮」「フィンランド的高潮」として、完全に凱歌という解釈をしており、小林もそうした解釈をしていることがわかる。間に挟まれた不穏な部分については片山は「準備運動のような経過」とのみ書いており、その暗さには触れていない。小林も暗さを強調することはなかった。

私自身が、「第4楽章は凱歌」という解釈には疑問を抱いている。そう考えるのは勿論私だけではないようで、例えば大植英次などは、暗い部分を強調して単純な凱歌としない解釈で聴かせている。

演奏終了後、小林は指揮棒を指揮台の上に置き、弦楽器奏者達と握手、第1ヴァイオリン奏者とは全員と握手する。いったん退場してから再登場した小林はホルン奏者達の下へと歩み寄り、台の上へと登って握手。その後、ティンパニ、オーボエと握手をして回り、フルート、クラリネットを立たせて拍手を送った。

再び指揮台のそばへと歩み寄った小林は、「実に雄渾な演奏だったと思います。皆様達と同じように私も大フィルのファンでございます。このような素晴らしい演奏を聴いた後ではもう何もお聴きにならない方が良いと思います」とユーモアを交えて語り、楽団員全員と共に二度頭を下げ、コンサートはお開きとなった。

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2015年10月26日 (月)

コンサートの記(211) シベリウス生誕150年 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団 「関西フィルハーモニー管弦楽団 Meet the Classic vol.31」 シベリウス 交響曲第1番ほか

2015年8月11日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、「関西フィルハーモニー管弦楽団 Meet the Classic vol.31」を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。「Meet the Clsassic」はそもそも藤岡が立ち上げた企画だそうである。

曲目は、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」、菅野祐悟の「永遠の土」(世界初演)、菅野祐悟の箏と尺八と管弦楽のための協奏曲~Revive~(関西初演。箏独奏:遠藤千晶、尺八独奏:藤原道山)、シベリウスの交響曲第1番。

「軍師官兵衛」、「ガリレオ」、「花咲舞が黙ってない」などの音楽で知られる菅野祐悟の新作が2作含まれているのが特徴である。また生誕150年を記念して東京では3つ、広島で1つ行われるシベリウス交響曲チクルスは関西ではゼロではあるが、藤岡と関西フィルは1年に1曲ペースによる「シベリウス交響曲全曲演奏」を行っている最中であり、定期演奏会で取り上げられる交響曲第6番の他に、今日は交響曲第1番、そして今月末に京都府城陽市で交響曲第2番の演奏が行われる予定であり、シベリウスの祝祭年に合わせた曲目を入れている。

「Meet the Classic」は藤岡によるトークを交えてのコンサートであるが、藤岡本人は「話すのは余り得意ではない」そうで、日本語に訳すと「クラシックとの出会い」というタイトルのコンサートであり、わかりやすさを心がけているためトークを入れているようである。

いずみホールは基本的に室内楽、器楽、室内オーケストラのためのホールであり、フル編成のオーケストラが演奏すると音が飽和しやすいのだが、そこは藤岡も勿論心得ていて、スケールを拡げすぎずにまとめるという演奏を目指していたように思われる。

ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」。藤岡はルロイ・アンダーソンの作品を気に入っており、ことある毎に演奏しているが、今日も華麗な音色を駆使した優美な音楽作りを行う。「舞踏会の美女」はワルツであるが、藤岡は3つ振らずに、1拍目だけを指揮棒の上げ下げで示すため、指揮姿だけだと二拍子で振っているように見える。

菅野祐悟の「永遠の土」。菅野は会場に来ており(開演直前に客席に入ってきた。自分の席に間違えて座っているお客さんがいたようで、共に苦笑いを浮かべていた)、藤岡から招かれてステージに上がり、「永遠の土」についてのちょっとした解説を行う。
「永遠の土」というのは聖書の用語だそうで、元の言葉を記すと「人間は土に命を吹き込まれて造られた」。つまり「永遠の土」とは人間のことである。人間は土から生まれて土に帰るというのがキリスト教の発想のようである。
菅野は、キリスト教系の幼稚園に通っていたそうで、聖書を読む授業のようなものがあり、その時にこの言葉に触れたという。菅野はキリスト教徒ではないので、他の言葉は忘れてしまい、今は聖書に接する機会もないそうだが、この言葉のことはよく覚えており、インスピレーションを受けたそうである。

ちなみに、菅野は「子供の頃から自分の理想とする音楽が頭の中で響いていたのですが、ありとあらゆる場所を探してもそんな音楽はない。ということは自分で作るしかない」ということで作曲家になったそうである。

「永遠の土」は、弦楽とビブラフォン、マリンバという変わった編成による楽曲。しっとりとした音楽で始まり、やがて哀感が増していく。ビブラフォンは普通に演奏されたりもするが、鍵をヴァイオリンの弓で擦るという特殊奏法も用いられる。藤岡はこの曲だけはノンタクトで指揮した。

菅野祐悟の箏と尺八と管弦楽のための協奏曲~Revive~。シアトル交響楽団の委嘱によって作曲された作品であり、まず藤岡幸夫指揮日本フィルハーモニー交響楽団による世界初演が東京で行われた後で、シアトルでの初演が行われ、シアトルでは演奏終了後にオールスタンディングオベーションとなった曲であるという。箏と尺八の世界初演、シアトル初演の奏者は今日と同じ。シアトル交響楽団を指揮したのは残念ながら藤岡ではないという。

ソリストである遠藤千晶と藤原道山が登場し、藤岡と菅野を交えての4人でプレトークが行われる。藤原道山は「なんで俳優にならなかったのだろう?」と思わせるほどの男前であり、イケメン指揮者といわれている藤岡でさえも「(藤原は)格好いいから(横に並ぶの)嫌になっちゃう」と発言していた。藤原道山のような顔立ちこそイケメンではなく正真正銘の「男前」というのであろう。写真映りは余り良くない方だと思われるが、実物は谷原章介と西島秀俊の顔を足して二で割ったとうな顔立ちで、谷原や西島よりも男前である。

遠藤が演奏する箏は、十三絃といわれる最も一般的な箏であり、オーケストラと共演するには音の数が少ないが、これを箏柱を動かして調弦を変えることで多彩な音を生み出すという特殊奏法が行われる。

尺八は藤原道山によると、「尺八とは思えないほどノリノリ」であり、そのため藤原は今日は和服ではなく洋装で来たという。

遠藤も藤原も東京芸術大学音楽学部および同大学院出身であり、同窓である(パンフレットに書かれたプロフィールでは、遠藤は「東京藝術大学」という表記を採用し、藤原は「東京芸術大学」という新字体を用いている)。

オーソドックスな3楽章を採用した協奏曲。各楽章には英語によるタイトルが付けられており、第1楽章には「Sunrise」、第2楽章には「Pray」、第3楽章には「Future」とある。

第1楽章は箏の独奏から始まる。いかにも「和」といった風の凛として華やかな感じだが、曲調は徐々にドラマティックになっていく。

第2楽章は、尺八が民謡のような懐かしさを感じさせるメロディーを吹く。この旋律はラストにも戻ってくる。

第3楽章は、管楽器奏者がほぼ全編に渡って手拍子を行うという個性的なもので、ノリはラテンである。藤原道山も手拍子を行う場面が一箇所だけあり、オーケストラメンバーとの掛け合いとなる。

調性音楽であり、わかりやすく楽しい音楽であった。

 

後半、シベリウスの交響曲第1番。藤岡と関西フィルは2009年にこの曲を演奏しており、私もその演奏会を聴いている。その時の藤岡の解釈はややスポーティーな印象を受けたが、今日は良い意味で自然体の音楽を奏でることが出来ていたように思う。

関西フィルは関西のプロオーケストラの中では非力な部類に入ると思うが、シベリウスの演奏にはパワフルさはさほど重要ではない。メカニックは管も弦も安定しており、ライブ演奏としてはなかなかの完成度に達していた。

アンコール演奏は、エルガーの「夕べの歌」。藤岡のアンコールの定番だそうだが、私は聴くのは初めてである。抑制の程よく効いたノーブルな演奏であった。

関西フィルは今後も音楽監督であるオーギュスタン・デュメイや首席指揮者である藤岡の指揮による意欲的な演奏会が続く。プログラムだけを比較すれば関西で一番面白いかも知れない。

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2015年10月25日 (日)

コンサートの記(210) シベリウス生誕150年 シベリウス 交響曲第2番ほか 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第5回城陽定期演奏会

2015年8月23日 京都府城陽市の文化パルク城陽プラムホールにて

午後2時から、京都府城陽市の文化パルク城陽プラムホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第5回城陽定期演奏会を聴く。今日の指揮は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。コンサートマスターは岩谷祐之。

曲目は、吉松隆の「三つの水墨画」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:金子三勇士)、シベリウスの交響曲第2番。関西ではシベリウスの交響曲チクルスは行われないが、関西フィルは毎年1曲ペースで進めているシベリウス交響曲全曲演奏(今年は秋に交響曲第6番が演奏される予定)に加え、先日、いずみホールで交響曲第1番が演奏され、今日は交響曲第2番が演奏される。
 

午後1時20分開場であり、午後1時40分から藤岡幸夫によるプレトークがある。
藤岡はまず、慶應義塾高校と慶應義塾大学の先輩である作曲家・吉松隆の「三つの水墨画」について説明。2013年に作曲されたばかりの曲であり、吉松が2012年に大河ドラマ「平清盛」の音楽を手掛けたのを機に京都という街に対する視点が変わり、その直後に京都府物産協会50周年記念曲作曲の依頼を受けて書かれたものだという。ちなみに吉松の先祖の一人は国学者で京都で私塾を開いていた大国隆正なる人物だという。大国隆正の門下には「岩倉具視の右腕」として知られる玉松操がいるそうである。

「六波羅」、「孤月(こげつ)」、「京童(きょうわらべ)」の3曲からなり、初演は2013年6月7日にJR京都駅特設ステージにおいて藤岡指揮の関西フィルの演奏で行われているが、音響の良い場所ではない上に室内オーケストラ編成での演奏だったので、今日のようにフル編成で演奏してどう聞こえるのかは藤岡にもわからないということだった。

「六波羅」は平家の栄華を描いたもので、繊細で雅やかな曲調が特徴である。「孤月」はチェロ独奏が渋い旋律を奏で、曲全体も落ち着いた趣がある。「京童」は「京の童歌」(歌詞は「まるたけえびすにおしおいけ」という京都の東西に延びる通りの頭文字を挙げていくもの)を題材にしたもので、弦と管がフーガのように「京の童歌」の旋律を歌い交わす。リズミカルで楽しい音楽である。

フルオーケストラによる演奏でも何の問題もなかったように思う。なお、この曲だけは藤岡はノンタクトで指揮した。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏の金子三勇士(かねこ・みゅうじ)は、日洪のハーフ。1989年、日本に生まれ、6歳の時に母親の祖国であるハンガリーに一人で渡る。バルトーク音楽小学校でチェ・ナジュ・タマーシュネーにピアノを師事。2001年にハンガリー全国ピアノコンクール・9歳~11歳の部で優勝。その後、飛び級で国立リスト音楽大学に入学。2005年から2006年にかけて3つのピアノコンクールで優勝後、日本に帰り、東京音楽大学附属高校に編入学。東京音楽大学卒業、東京音楽大学大学院修了後、再び渡洪。現在は国立リスト音楽大学大学院博士課程に在籍中である。2008年にバルトーク国際ピアノコンクールで優勝。
三勇士という名前は「ミュージック」に掛けたもので、「爆弾三勇士」とはおそらく何の関係もないと思われる。

以前から日本でも精力的にピアニストとしての活動を続けた金子三勇士。藤岡はプレトークで金子のピアノを「男性的」と評していた。
 

藤岡は故・園田高弘(日本音楽史上に残る名ピアニスト)から、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のレクチャーを受けたことがあり、園田は「藤岡君、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は遠くで鐘が鳴るようにして始まる。そしてネヴァ川――ロシアの曲なのでロシアの川です――ネヴァ川の流れのように滔々と進む」と語ったそうだ。

金子のピアノを一言で言い表すと「ダイナミック」。スケールが大きく、良い意味で細かなことにとらわれない。高音の強打は痛烈だが、基本的には温かな音色で弾くピアニストである。第3楽章ではペダルを踏んでいない左足でステージを何度も蹴るなど情熱的な演奏を展開した。

文化パルク城陽プラムホールは多目的ホールであるため残響がほとんどないが、多目的ホールにしてはよく聞こえる方である。ただ、残響がないため音が美しく変わるということはない。京都コンサートホールなどは響きが良くないが、それはクラシック専用ホールにしては良くないということであり、何だかんだで音響設計のされていない多目的ホールよりはずっと良い音がする。
不利な状況でのオーケストラ伴奏であるが、関西フィルは力強い演奏を展開した。

ピアノアンコール。金子は、「こういう曲(ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番)の後でアンコールを弾くのは難しいのですが、落ち着いた雰囲気をということで、ショパンの夜想曲遺作を」と言って、ショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)を演奏する。冒頭をかなり弱く弾き、トリルを伸ばすという独特の演奏であった。

シベリウスの交響曲第2番。プレトークで藤岡はこの曲について、「ロシア圧制下に書かれて発表された曲で、フィンランドでは祖国の勝利を切望する愛国的な作品として熱狂的に支持されたが、実はこの曲を書く前にシベリウスは娘を幼くして亡くし、気分転換のために家族でイタリアに旅行に出るも、『ローマに行く』という置き手紙をして一人で家族から離れてしまうなど精神的に不安定な状況にあった」と語る。第4楽章は煽るような凱歌であるが、熱狂的な旋律の他にもう一つ、憂鬱な印象を受ける主題も存在する。高揚感のある主題が強烈であるためついメランコリーなメロディーの存在を忘れがちになってしまうのだが、一般に第4楽章に対して行われる「熱狂的な凱歌」という解釈が的確なものなのかに関しては再考の余地があるように思う。

藤岡の造形は見事で、彼のシベリウス指揮者としての確かな成長が感じられる。ただ、第2楽章のコントラバスとチェロのピッチカート、木管の旋律の後でヴァイオリンが加わるときの加速が余りに急激であり、これほど赤裸々な苦悩という表現で良いのかという疑問も浮かぶ。

それ以外は優れた解釈であったが、関西フィルは第4楽章に入って最初の金管の合奏が思いっ切り散らかるなど、技術面での弱さはまだ感じられる。それでも総体としては優れたシベリウス演奏であったように思う。

藤岡はプレトークで「今日はアンコールがあります」「クラシックの曲ではありません」と言っていたが、アンコール曲は「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」。先月聴いた広上淳一指揮京都市交響楽団の「ダニー・ボーイ」には及ばなかったが、整った美しい演奏ではあった。

 

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2015年4月30日 (木)

コンサートの記(186) オッコ・カム指揮 京都市交響楽団第587回定期演奏会

2015年2月22日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第587回定期演奏会を聴く。

今日の指揮者はフィンランドの名匠、オッコ・カム。京都市交響楽団の指揮台へは2004年の定期演奏会(メインはシベリウスの交響曲第2番だった)以来、11年ぶりの登場である。その11年の間に京響は急成長を遂げた。特に広上治政下での躍進には著しいものがある。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに渡邊穣。フルート首席奏者の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子はニールセンのみの演奏である。

曲目は、シベリウスの交響幻想曲「ポヒョラの娘」、グリーグのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:ナレ・アルガマニヤン)、ニールセンの交響曲第4番「不滅」。オール北欧音楽プログラムである。

シベリウスとニールセンは今年が生誕150年に当たり、北欧を代表するシンフォニスト二人が同い年というのは偶然ではあるが面白い。北欧を代表する作曲家というと、やはりグリーグの名前も挙がるが、グリーグは小品の作曲を得意としており、大作として完成させたのは今日演奏されるピアノ協奏曲イ短調のみである。実はグリーグも交響曲を書いたのであるが、同世代の同郷作曲家であるスヴェンセンの交響曲を聴いて自分は交響曲を書くのに向いていないと悟り、完成した交響曲も習作扱いとして封印。生前に出版されることはなかった。グリーグの交響曲は今日の指揮者であるオッコ・カム指揮のレコーディングがあるが、作品としての締まりやまとまりがなく、聴いて「名曲だ」と思う人はいないと思われる。

オッコ・カムは、第1回カラヤン国際指揮者コンクールの覇者として注目を浴びた指揮者であるが、もともとはヴァイオリン奏者であり、指揮は独学であった。カムがカラヤン国際指揮者コンクールで指揮したベートーヴェンの交響曲第4番は「マエストロ・カラヤンその人が演奏したかのよう」と激賞されるが、実はカムの余りの棒の拙さに呆れたベルリン・フィルのメンバーが弾き慣れたカラヤン指揮の際の流儀で自主的に演奏した結果であり、コンクールの結果に関してベルリン・フィルのメンバーは冷淡だったという。コンクールの優勝者にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会へのデビューとレコーディングが特典として与えられたが、定期演奏会は失敗に終わり、シベリウスの交響曲第2番のレコーディングは行われたが、シベリウスの交響曲第1番と第3番の録音はベルリン・フィルから拒否されている(ヘルシンキ放送交響楽団、現在のフィンランド放送交響楽団が代役となり、レコーディングされた)。

カムは「コンクールでの成功が逆にその後の音楽キャリア形成の邪魔になる場合もある」とも語っている。ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、フィンランド国立歌劇場の音楽総監督という、フィンランド国内での要職にはついているものの、今一つパッとしなかったカムであるが、2011年からフィンランドのオーケストラではあるが世界的な名声を誇るラハティ交響楽団の音楽監督に就任。巻き返しの絶好のチャンスが訪れている。ラハティ交響楽団とカムは、今秋、東京でシベリウス交響曲サイクル(チクルス)を行う予定である。

シベリウスの交響幻想曲「ポヒョラの娘」。フィンランドの民俗叙事詩「カレワラ」から題材を採った交響詩的作品である。京響の弦の透明感が生きており、関西随一と思われるブラスの屈強さもプラスに作用。霊感溢れる演奏となった。シベリウスの作品はオーケストラが優れていれば優れているほど良いという類のものではないが、関西フィルや札幌交響楽団のようにどちらかというと非力なオーケストラよりは、根源的なパワーを持ち合わせている京響や大フィルが有利なのは間違いない。

グリーグのピアノ協奏曲。ソリストのナレ・アルガマニヤンは25歳の若い女性ピアニスト。ファミリーネームからわかる通りアルメニア出身である。5歳からピアノを始め、アルメニアの首都エレバンにあるチャイコフスキー音楽学校を経て、ウィーン国立音楽大学に入学。史上最年少での入学だったという。2008年にモントリオール国際コンクール・ピアノ部門で優勝。2011年にペンタートン・レーベルと専属契約を結びCD3点をリリースしている。内田光子が絶賛するピアニストだそうだ。

そのアルガマニヤンのピアノは硬質で実に輝かしい。ダイヤモンド系の輝きである。叙情味も十分であるが、速いパッセージになると必要以上にバリバリと弾いて音楽よりも技術を感じさせてしまう。HJリムも同じようなピアノを弾くが、こうしたスタイルが流行りなのだろうか?

カム指揮の京響も充実した伴奏を聴かせる。一ヶ所、急に速くなったところがあったが、ソリストに合わせたのかと思いきやそうではないようでカム独自の解釈なのであろう。

アンコールとしてアルガマニヤンはグルック作曲、ズガンバーティ編曲の「精霊の踊り」を演奏。煌びやかな音色の中に憂いの宿る高雅にして感傷的な、ラヴェルではないが、演奏である。

アルガマニヤンはアンコールをもう1曲。グリュンフェルトの演奏会用パラフレーズ「こうもり」。ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」より、聴き所をピアノ編曲したもの。超絶技巧満載の曲であり、アルガマニヤンは華麗な演奏を展開した。

メインであるニールセンの交響曲第4番「不滅」。同い年のシベリウスは、日本国内でも把握しているだけで4回の交響曲チクルス(東京3回、広島1回)が行われ、生誕150年が盛大に祝われるが、ニールセンは交響曲第4番「不滅」が今日も含めて2回、交響曲第5番が同じく2回、交響曲第2番「4つの気質」、交響曲第3番「広がりの交響曲」が1回ずつで必ずしも多くはない。そもそもシベリウスがフィンランド本国やイギリスでは作曲者の生前から、アメリカでや日本でもシベリウス没後の1960年代には優れた作曲家として知られるようになったのに対して、ニールセンは1980年代前半にヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が交響曲第4番「不滅」をリリースして話題になり、1980年代後半にヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団が現在でも決定盤といわれる「ニールセン交響曲全集」をリリースして世界的な好評を得たという、比較的近年になって評価の高まった作曲家である。ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団による「ニールセン交響曲全集」は曲の内容も勿論であるが、優秀録音とオーディオマニアが好みそうな大音響が売り物であった。CDの発売が行われていた頃、私は中学生であったが、「ブロムシュテットがニールセンという格好いい曲を書く人の音楽を録音しているそうだ」ということは何となく把握していた。実際に私がブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団のニールセンを耳にするのは大学生になってからであるが。

シベリウスの交響曲全集には、レナード・バーンスタイン、ヘルベルト・フォン・カラヤン(第3番のみお気に召さなかったようで取り上げず)、サー・サイモン・ラトル、サー・ジョン・バルビローリ、サー・コリン・デイヴィス(3度)、ロリン・マゼール(2度)、オスモ・ヴァンスカ(2度)、渡邉暁雄(2度)、ネーメ・ヤルヴィ(2度)、ヘルベルト・ブロムシュテット、スペシャリストであるパーヴォ・ベルグルンドの3度に渡るリリースなどがあるが、ニールセンの交響曲全集はブロムシュテットが2度(最初の全集は日本では近年までリリースされず)録音しているのが目立つ程度で、他にはオスモ・ヴァンスカ盤くらいしかない。

ニールセンの交響曲第4番「不滅」は4つの楽章が切れ目なく演奏されるが、第4楽章で二人のティンパニ奏者による激しい打ち合いがあり、オーディオマニアを狂喜させる曲である。

京都市交響楽団は弦、管ともに力があり、フォルテからピアノまで自在に音を変化させる。弦は分厚く、木管は爽やかで金管は輝かしい。

カムの指揮は要所要所で指揮棒の先で音型を示すもので、派手ではないもののやりたいことはよくわかる。各楽章のフォルムも万全である。

第4楽章では、舞台奥中央に陣取った京響首席打楽器奏者の中山航介と、舞台上手に座る京響副首席打楽器奏者の宅間斉が豪快なティンパニで迫力を出す。

日本のオーケストラによるものとしては第一級と言って間違いないニールセン演奏であった。演奏終了後、カムはティンパニを叩いた中山航平と宅間斉を指揮台まで招いて握手を交わし、共に客席からの喝采を浴びた。

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