カテゴリー「シベリウス」の75件の記事

2019年5月 5日 (日)

コンサートの記(554) パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年4月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団の演奏会を聴く。

エストニア・フェスティバル管弦楽団は、パーヴォ・ヤルヴィが創設したオーケストラである。
エストニアの保養地・避暑地であるパルヌで毎年行われる音楽祭のレジデンスオーケストラであり、2011年にパーヴォが父親であるネーメ・ヤルヴィと共にパルヌ音楽祭の指揮マスタークラスを始めた際に結成された。メンバーのうち半分はエストニアの若い音楽家、残りの半分はパーヴォが世界中から集めた優秀な音楽家たちであり、教育的な面と表現拡大の両面を目指しているようである。

 

曲目は、ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:五嶋みどり)、トゥールの「テンペストの呪文」、シベリウスの交響曲第2番。

 

午後2時15分頃からプレイベントがある。ナビゲーターはソリストの五嶋みどり(MIDORI)。
黄色いTシャツで登場した五嶋みどりは、プレイベントの説明と、エストニア・フェスティバル管弦楽団の簡単な紹介を行った後で、エストニア・フェスティバル管弦楽団の女性ヴァイオリニスト、ミーナ・ヤルヴィと二人でプロコフィエフの2つのヴァイオリンのためのソナタハ長調より第2楽章を演奏する。今日は2階の最後部の席で聴いたのだが、ヴァイオリンの音がかなり小さく感じられ、当然ながらフェスティバルホールが室内楽には全く向いていないことがわかる。

続いて、エストニア・フェスティバル管弦楽団の創設者兼音楽監督で今日の指揮も務めるパーヴォ・ヤルヴィに五嶋みどりが話を聞く。
パーヴォはまずエストニアの紹介をする。人口150万ぐらいの小さな国だが、音楽が重要視されていること、優れた作曲家や音楽家が大勢いること、自分は17歳の時にエストニアを離れてアメリカで暮らしてきたが、人からエストニアについて聞かれるうちに、エストニアの音楽親善大使になる団体を作りたいと思い、エストニア・フェスティバル管弦楽団を創設したことなどを語る。
エストニアの音楽文化のみならず、バルト三国やポーランド、フィンランド、スウェーデン、ロシアなどとも互いに影響し合っており、そのことも表現していきたいとの意気込みも語った。
パルヌはフィンランドの温泉のある保養地で、パーヴォの父親であるネーメもそこに家を持っていて、パーヴォはショスタコーヴィチやロストロポーヴィチなどとパルヌのヤルヴィ家で会っているそうである。

最後は、エストニア・フェスティバル管弦団のヴィオラ奏者である安達真理に五嶋が話を聞く。安達がステージに出ようとする際に誰かとじゃれ合っているのが見えたが、パーヴォが「行かないで」という風に手を引っ張ったそうで、五嶋は「今のはマエストロのエストニアンジョークですか?」と聞いていた。
エストニアの首都タリンについては、安達は「可愛らしい、可愛らしいなんて軽く言っちゃいけない悲しい歴史があるんですが、古き良きヨーロッパが凝縮されているような」街で、ヨーロッパ人からも人気があるそうだ。パルヌ(五嶋みどりは「ペルヌ」と発音。おそらく「パ」と「ペ」の中間の音なのだろう)にはビーチがあるのだが、「サンフランシスコのビーチのようなものではなくて、わびさびというか」と思索に向いた場所らしいことがわかる。
プレイベントの締めくくりは、五嶋と安達によるヴァイオリンとヴィオラの二重奏。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調より第1楽章が演奏された。

 

ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏である。ティンパニは上手奥に陣取る。

 

ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」。
エストニアのみならず世界を代表する現代作曲家の一人であるアルヴォ・ペルト。ロシア正教の信者となってからは強烈なヒーリング効果を持つ作品を生み出し、1990年代にはちょっとしたペルトブームを起こしている。
タイトル通り、ベンジャミン・ブリテンへの追悼曲として作曲された、弦楽オーケストラとベルのためのミニマル風作品である。
冒頭の繊細な弦のささやきから魅力的であり、色彩と輝きと光度のグラデーションを変えながら音が広がっていく。あたかも音による万華鏡を見ているような、抗しがたい魅力のある作品と演奏である。エストニア・フェスティバル管弦楽団の各弦楽器の弓の動き方など、視覚面での面白さも発見した。

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。
ソリストの五嶋みどりは、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と同曲をレコーディングしており、歴代屈指の名盤に数えられている。
五嶋のヴァイオリンであるが、集中力が高く、全ての音に神経が注がれて五嶋独自の色に染まっていることに感心させられる。全ての音を自分のものにするということは名人中の名人でもかなり難しいはずである。
第3楽章における弱音の美しさもそれまで耳にしたことのないレベルに達していた。
パーヴォ指揮のエストニア・フェスティバル管は表現主義的でドラマティックな伴奏を繰り広げる。音の輝きやニュアンスが次々と変わっていくため、シベリウス作品に似つかわしくないのかもしれないが、面白い演奏であることも確かだ。

五嶋みどりのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番からサラバンド。まさに音の匠による至芸であり、バッハの美しさと奥深さを存分に伝える。

 

トゥールの「テンペストの呪文」
トゥールは1959年生まれのエストニアの作曲家。パーヴォの3つ年上である。1979年にプログレッシブ・ロックバンドバンドIn speで注目を集めており、リズミカルな作風を特徴としている。パーヴォはトゥール作品のCDをいくつか出している。
「テンペストの呪文」は、シェイクスピアの戯曲「テンペスト」に影響を受けて書かれたもので、2015年にヤクブ・フルシャ指揮萬バンベルク交響楽団によって初演されている。煌びやかにしてプリミティブな音楽であり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に繋がるところがある。パーヴォは打楽器出身ということもあってリズムの処理は万全、楽しい演奏に仕上がる。

 

メインであるシベリウスの交響曲第2番。全編を通して透明な音で貫かれる。
パーヴォがかなりテンポを動かし、即興性を生んでいる。パーヴォは音のブレンドの達人だが、この曲ではあたかも鉈を振るって彫刻を行うような力技も目立つ。ゲネラルパウゼが長いのも特徴だ。
「荒ぶる透明な魂の遍歴」を描くような演奏であり、第4楽章も暗さは余り感じさせず、ラストに向かって一直線に、時には驚くほどの速さによる進撃を見せる。
終結部はなんとも言えぬほどの爽快さで、フィンランドと人類の魂の開放が謳われる。

 

アンコールは2曲。まず、パーヴォの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」が演奏される。今日も超絶ピアニシモが聞かれた。

アンコールの2曲目は聴いたことがない作品。アルヴェーンの「羊飼いの娘の踊り」だそうである。弦楽による民族舞踊風の音楽が終わった後で拍手が起こったが、パーヴォは「まだまだ」と首を振って、オーボエがリリカルでセンチメンタルな旋律を歌い始める。
その後、冒頭の民族舞踊調の音楽が戻ってきて、ノリノリのうちに演奏を締めくくる。爆発的な拍手がパーヴォとエストニア・フェスティバル管を讃えた。

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2019年1月28日 (月)

コンサートの記(514) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第235回定期演奏会

2012年2月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで関西フィルハーモニー管弦楽団の第235回定期演奏会を聴く。今日の指揮は首席指揮者の藤岡幸夫(ふじおか・さちお)。
「藤岡幸夫のシベリウス・チクルス第1夜」と銘打たれた公演である。藤岡幸夫は、日本におけるシベリウス演奏の権威であった渡邉暁雄(わたなべ・あけお)の弟子であり、シベリウスを得意としている。


曲目は、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏・小山実稚恵)、吉松隆の「朱鷺(トキ)によせる哀歌」、シベリウスの交響曲第7番。


午後6時40分頃から藤岡幸夫によるプレトークがある。
普段は関西フィルの事務局員の人が出てきて、指揮者と二人でプレトークを行うのだが、今回から指揮者一人によるプレトークとなったようである。藤岡も「普段なら横に暴走を止めてくれる人がいるのですが」と言って笑わせる。

藤岡は、演奏会が「藤岡幸夫のシベリウス・チクルス第1夜」と書かれているのに、年に交響曲1曲の演奏ペースであることについて、「(まとめて)チクルスでやってもいいのですが、それだとシベリウス好きの人しか聴きに来ないので、お客が入らない」と説明する。音盤においてはシベリウスの交響曲全集はリリースラッシュであるが、それが演奏会のプログラムに反映されるまでには時間がかかる。マーラーやブルックナーも何だかんだで30年ぐらいかかっているから、シベリウスの交響曲が演奏会の王道になるのは今世紀の中頃になるだろうか。ただ、東京ではピエタリ・インキネン指揮によるシベリウス交響曲チクルスがある。東京ではこれまでも何度もシベリウス交響曲チクルスは行われており、シベリウスの交響曲がプログラムの定番として根付くのは関西よりも東京の方が早くなるだろう。

吉松隆について藤岡は「イギリスに留学する時に(藤岡は慶應義塾大学卒業後、英国の王立ノーザン音楽大学指揮科で学んでいる)、日本の現代音楽のCDを沢山持っていきまして、それまで吉松隆という名前さえも知らなかったのですが、『朱鷺によせる哀歌』を聴いて、この人に音楽人生の全部を捧げるのは勿体ないけれども(客席からささやかな笑いあり)、半分ぐらいは捧げていいのではないか」と惚れ込んだことを語る。また吉松隆が「シベリウスの交響曲第6番を聴いて作曲家になりたいと思った人」であることも紹介する。

アメリカ式の現代配置による演奏である。


ブラームスのピアノ協奏曲第1番。ソリストの小山実稚恵は、情熱的なピアノ演奏を展開する人。今日も出だしこそクールであったが、次第に高揚していき、情熱を鍵盤に叩きつけるような激しい演奏になる。それでいて乱暴に感じさせないところが流石でもある。日本人の「ピアノの女王」といえば、現時点では、海外生活の長い内田光子は別格として、中村紘子や仲道郁代ではなく小山実稚恵であろう。
藤岡の指揮する関西フィルもしっかりとした伴奏を行うが、弦の音色がブラームスをやるにはあっさりしすぎており、オーケストラとしての機能にも問題が感じられる。


弦楽とピアノによる、「朱鷺によせる哀歌」。この曲でも関西フィルの弦楽器には「非力」を感じたが、音色は美しく磨かれ、なかなか充実した演奏になっていたと思う。


メインである、シベリウスの交響曲第7番。いいところと悪いところが混在した出来であった。藤岡の指揮にあっさり流しすぎの所と、各楽器を丁寧に塗り重ねた部分との差があったし、関西フィルの音色も「神秘」を感じさせるまでには至らなかった。ただ優れた箇所はいくつもあり、ホール上方にオーロラが揺れる場面が現出したような、抜群の雰囲気作りを見せたパッセージがあったのも事実である。

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2019年1月15日 (火)

コンサートの記(505) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第447回定期演奏会

2011年4月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪まで出かける。大阪フィルハーモニー交響楽団の第447回定期演奏会があるのだ。午後7時開演。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。大阪フィルの音楽監督としてのラストシーズン、定期初登場である。

曲目はレナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:小曽根真)とシベリウスの交響曲第2番。


演奏前に、大植英次がマイクを持って登場して東日本大震災に哀悼の意を示し、災害の時に音楽を奏で続けて亡くなった例があり、それがタイタニック号沈没の時の楽士達だったと述べる。大植はコンサートマスターの長原幸太に指示して、指揮者なしでタイタニック号沈没の際に楽士達が弾いていたという「讃美歌320 主よみもとに近づかん」を最初は弦楽四重奏で、次いで弦楽全員で奏でる。


レナード・バーンスタインは大植英次の師。佐渡裕が「レナード・バーンスタイン最後の弟子」を自認していて、実際、その通りなのだが、レナード・バーンスタインの最晩年にアシスタントをしていたのは実は佐渡ではなくて大植である。

最近、急速に再評価が進んでいるレナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の作品。レニーは交響曲を3曲残しているが、純粋な器楽交響曲はこの「不安の時代」のみ。ただ、「不安の時代」は交響曲でありながら、ピアノ協奏曲的な面も強い。

私自身は、「不安の時代」をCDで何度か聴いており、一部を佐渡裕指揮京都市交響楽団の演奏で聴いているが、今日は体調が悪いということもあって音楽が自然に体に入ってこない。ただ演奏がいいというのはわかる。小曽根のピアノは技術も表現も見事だし、大植指揮の大フィルも熱演であった。ただやはりホルンは今日も問題ありだし、今日はファゴットも不調だった。

小曽根はアンコールに応えて1曲弾く。最初は何の曲かわからなかったが、次第にレニーの「ウェストサイド物語」より「トゥナイト」のメロディーが浮かび上がってくる。ラストは同じく「ウェストサイド物語」の「クール」をアレンジした旋律で締めくくる。


シベリウスの交響曲第2番。本質的にはマーラー指揮者である大植のシベリウスということで興味深い(ちなみにシベリウスとマーラーは仲が悪かった)。

第1楽章。自然な感じで入る指揮者が多いが、大植は大きめの音でスタート。続くオーボエの音も明るく朗々としている。シベリウス指揮者の演奏で聴くと自然に理解できるところでも大植の指揮だと難渋に聞こえるところがあり、やはり大植とシベリウスは余り相性が良くないようだ。

第2楽章は、シベリウスの音楽よりも、その悲劇性を際立たせたような演奏。

勢いのある第3楽章を経て、最終楽章では大植らしいヒロイズムが勝った演奏になる。朗々とした凱歌(大植が振ると凱歌以外の何ものにも聞こえない)と、それまでの忍従を思わせる旋律の対比も上手く、交響曲第2番だけにこうした演奏もありだと思う。

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2019年1月 8日 (火)

コンサートの記(497) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2010

2010年7月19日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時からザ・シンフォニーホールで、京都市交響楽団の大阪特別公演を聴く。指揮は常任指揮者の広上淳一。

前半は京響の7月定期と同じで、シベリウスの交響詩「フィンランディア」とグリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)。

メインはシベリウスの交響曲第2番である。


前半は、一昨日聴いた印象とほとんど変わらないが、やはりザ・シンフォニーホールで聴くと音が良い。
一昨日は赤いドレスで登場したアリス=紗良・オットは、今日は緑のドレスを纏っていた。アンコールとして、ショパンの夜想曲第20番とリストの「ラ・カンパネラ」を弾く。


シベリウスの交響曲第2番。広上指揮のこの曲は京都市ジュニアオーケストラの演奏で聴いているが、やはり京都市交響楽団の方が何といってもオーケストラの質が格段に良い。シベリウス的な演奏ではないかも知れないが、力強く、輝かしい演奏が展開されていた。

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2018年12月21日 (金)

コンサートの記(472) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018西宮

2018年12月15日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。名古屋公演と同一プログラムである。
今日は1階席で聴くことになる。ただ、1階席とはいえ、補助席の前の最後列であり、頭の上に2階席が張り出しているため、音響的には余り良くない場所である。

兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール(兵庫芸文大ホール)でパーヴォ指揮の演奏を聴くのは2度目。前回は、シンシナティ交響楽団の来日演奏会を聴いている。


曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」

同一演目を聴くということで、ホールの音響の違いがよくわかる。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲は、名古屋で聴いたときよりも濃い陰影が感じられたが、愛知県芸術劇場コンサートホールはもともと響きが明るいため、ホールの響きで生まれた印象の違いであろう。もっとも、演奏者もホールの音響に合わせて演奏を微妙に変えるのが普通である。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。独奏者のヒラリー・ハーンは、兵庫芸文大ホールがお気に入りのようで、関西公演時にはここを使うことが多い。

音響の影響もあり、オーケストラのデュナーミク、パースペクティブ共に名古屋の時よりも狭く感じられ、第1楽章の優しい終わり方なども視覚ではわかるのに、音として十分に捉えられない憾みがある。第3楽章でも音が余り飛んでこない。
一方で、ヴァイオリンの響きは良く届く。過ぎていく今この時を愛でては儚むような、日本人の琴線に触れるヴァイオリンである。純度は高く、歌には淀みがない。これぞヴァイオリンの「至芸」である。


アンコール演奏が今日は2曲ある。まず、ヒラリー・ハーンが「バッハのプレリュードです」と日本語で言って演奏開始。自在感溢れる才気煥発のバッハである。
続いて、「バッハのサラバンドです」とやはり日本語で告げてからスタート。今度は精神的な深みを感じさせる「祈り」のようなバッハであった。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。兵庫芸文大ホールでは、ジャナンドレア・ノセダが兵庫芸術文化センター管弦楽団を指揮した「ザ・グレイト」を聴いたことがある。

残響は短めであるため、ゲネラルパウゼなどには間が感じられるが、全体的に速めのテンポであり、一瀉千里に駆け抜ける。「天国的な長さ」と評される曲であり、演奏によってはしつこさを感じさせるものなのであるが、パーヴォとドイツ・カンマーフィルの演奏は、そうしたものを一切感じさせない爽快感溢れるものである。
速いだけなら味気ないものになってしまうが、パーヴォの抜群のコントロールによって各声部が浮き上がるために楽曲の構造把握が容易になり、発見が多く、新鮮な息吹をこの曲に与えている。
兵庫芸文大ホールの響きは愛知県芸よりも広がりと潤いがないが、その分、スケールが大きく感じ取れたように思う。ただ、細部に関してはステージと私の席との間に目に見えない巨大なカーテンが下りているような感じで、臨場感を欠きがちではあった。悪い音ではないのだが。

同じコンビによる「ザ・グレイト」を2度聴いたことになるが、実演に接した「ザ・グレイト」の中ではパーヴォとドイツ・カンマーフィルのものが総合力で1位になるだろう


アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。シベリウス・ファンに「好きなシベリウスのアンコール曲」を聞いたら1位になると思われる曲である。どこまでも清澄で優しい「親愛なる声」に接しているかのような演奏であった。



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2018年12月20日 (木)

コンサートの記(471) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018名古屋

2018年12月13日 名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールにて

午後6時45分から、愛知県芸術劇場コンサートホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマ―フィルハーモニー管弦楽団(ドイツ・カンマ―フィルハーモニー・ブレーメン)の来日演奏会を聴く。午後6時45分開演というと他の地方では中途半端な時間帯のように思えるが、名古屋では主流の開演時間である。

曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン独奏:ヒラリー・ハーン)、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」


改修工事が終わったばかりの愛知県芸術劇場コンサートホール。パイプオルガンの工事が行われたほか、ホワイエのカーペットが全面的にブルーものに変更され、内部も白木の香りが漂っていて新鮮な空気である。詳しい改修部分についてはホームページで発表されているようだ。


名古屋では何度も聴いているパーヴォとドイツ・カンマーフィル。以前、パーヴォが舞台上手から登場したことがあったのだが、今日は下手袖から登場する。ドイツ・カンマーフィルはお馴染みとなった古典配置での演奏。無料パンフレットにメンバー表が載っており、第1ヴァイオリンにHozumi Murata、ヴィオラにTomohiro Arita、ファゴットにRie Koyamaと、日本人が3人参加していることがわかる。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲。パーヴォは冒頭で低弦を強調し、他の弦よりわずかに長めに弾かせるなどして迫力を十分に出す。ただ、主部はドラマ性よりも煌びやかで快活な雰囲気をより前面に出している。
ナチュラルトランペットとバロックティンパニを使用し、弦がビブラートをかなり抑えたピリオド・アプローチでの演奏である。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」
現代最高クラスの天才ヴァイオリニストであるヒラリー・ハーン。以前に名古屋で、パーヴォ指揮ドイツ・カンマーフィルと共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴いている(諏訪内晶子の代役)。

極めて純度の高いヴァイオリンの響きをヒラリーは奏でる。美と悲しみが寄り添い合い、一瞬混ざり合っては儚げに散っていくという、桜のようなモーツァルトだ。時折、聴いていて胸が苦しくなる。
パーヴォ指揮のドイツ・カンマーフィルは、楽章の末尾をふんわりと柔らかく演奏したり、急激な音の増強を効果的に用いるなど、効果的な伴奏を奏でる。第3楽章のトルコ風の堂々とした響きも見事だ。

アンコール演奏。ヒラリーは、「バッハのジークです」と日本語で紹介してから弾き始める。彼女が15歳でデビューした時の曲がバッハの無伴奏である。この程、続編が出て、全曲がリリースされたが、「聖典」と呼ばれてベテランヴァイオリニストでさえ演奏することをためらう作品に、若い頃から取り組んで発表していたことになる。というわけで万全の演奏。技術、表現力ともに満点レベルである。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。この曲ではトランペットはモダンを用いているが、ピリオドのスタイルは貫かれている。

冒頭から速めのテンポを採用。この曲でもロッシーニ・クレシェンドのような音の急激な盛り上がりが効果的である。やはりパーヴォのオーケストラコントロールは最上級で、タクトで描く通りの音がオーケストラから引き出される。まるでベーゼンドルファーを華麗に弾きこなすピアニストを見ているかのようだ。
また、各楽器を巧みに浮かび上がらせ、普通の演奏では渾然一体となってしまう部分を重層的に聴かせることに成功している。古典的なフォルムを構築しつつロマン的内容を詳らかにするという理想的演奏の一つである。
「天国的な長さ」といわれる「ザ・グレイト」であるが、テンポの速さに加えてパーヴォとカンマーフィルの巧みな語り口もあり、全く長く感じなかった。
美しい音型が蕩々と続く「ザ・グレイト」。この演奏を聴いていると、ブルックナーの初期交響曲がシューベルトに繋がっていることがよくわかる。


アンコールは、パーヴォの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。いつもながらの超絶ピアニシモが聴かれる。
以前に比べると随所でテヌートが聴かれるのが興味深かった。



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2018年8月26日 (日)

コンサートの記(414) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団 Meet the Classic Vol.37@大阪工業大学梅田キャンパス 常翔ホール

2018年8月19日 大阪工業大学梅田キャンパス 常翔ホールにて

大阪へ。
午後2時から、竣工したばかりの大阪工業大学梅田キャンパス内にある常翔ホールで関西フィルハーモニー管弦楽団のMeet the Classic Vol.37に接する。指揮は関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者で、Meet the Classic公演を始めた藤岡幸夫。Meet the Classic公演は通常はいずみホールで行われるのだが、現在、いずみホールは改装工事中のため、常翔ホールで行われることになった。

大阪工業大学梅田キャンパスが出来たのは、阪急梅田駅の東側、以前は廃校になった梅田東小学校があったところである。向かいには大阪の「凌雲閣」跡の碑がある。
近年、学生を集めるための大学キャンパスの都心回帰傾向があり、京都でも同志社大学が教養部の置かれていた京田辺キャンパスを理系のみのものとし、文系は1年から4年まで京都御所の北にある今出川キャンパスに新校舎を建てるなどして集約している。
梅田地区にも各大学がサテライトを置くほか、宝塚大学が梅田に進出。大阪工業大学もロボット関係の学部を梅田の超高層キャンパスに移した
大阪工業大学梅田キャンパスは、地上21階地下2階のOIT(Osaka Institute of Technology)梅田ビルを丸ごとキャンパスとしたもの。東京の理系大学である工学院大学が西新宿に超高層ビル一棟のキャンパスを構えているが、丁度、そんな感じである。ビルキャンパスは受験生から敬遠されがちだが、都心にある場合は利便性が魅力であり、理系であればなおさら色々と便利だろう。

常翔ホールは、OITビルの3階にある。各椅子に上に引き出して手前に倒すタイプの簡易デスクが付いており、主に講演や集会場として使われるホールだと思われるが、すでに室内楽などのコンサートが行われている。客席は比較的急傾斜で作られており、椅子が一段上がるごとに階段が2つ付いている。各段は木目であるが、ぱっと見、段差がわかりにくく、転びそうになったり転んだりする人が何人かいる。

曲目は、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:小栗まち絵)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」

ステージはやや狭く、第1ヴァイオリン10型の編成でびっしりと埋まる。ティンパニは指揮者の正面に置くスペースがないということもあり、ステージ下手奥に配される。
今日のコンサートマスターは岩谷祐之(いわや・すけゆき)。今日も関西フィルの通常シフトであるアメリカ式の現代配置での演奏である。

ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」。関西フィル Meet the Classicのオープニングテーマである。音響であるが、想像よりもずっと良い。それほど大きなホールではないが音の通りが良く、各楽器が明晰に聞こえる。

演奏終了後、藤岡幸夫がマイクを片手にスピーチ。するもマイクがオンにならず、藤岡が声を張って挨拶する。藤岡も常翔ホールで演奏するのは初めてだったが、音響の良さに驚いたそうで、「ここの館長は元ピアニストで、共演したこともあるのですが、彼が徹底して」音響を追求したホールだそうで、「むしろゴージャスになりすぎないよう音を抑える必要がある」そうである。「マイク使わなくても、声良く聞こえますよね」と藤岡は言う。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソリストの小栗まち絵は重鎮的存在である。大阪生まれ、桐朋学園大学に学び、第37回日本音楽コンクールで1位を獲得。渡米し、インディアナ大学ブルーミントン校アーティスト・ディプロマ課程を修了。ソリストの他、室内楽奏者としても活躍し、夫で京都市交響楽団コンサートマスターであった故・工藤千博と共に教育活動にも熱心に取り組んできた。現在は相愛大学大学院教授、東京音楽大学特任教授の座にある。

藤岡と小栗は初共演だそうだが、藤岡の方が熱心に共演を希望していたそうである。小栗の門下生とは藤岡は何度も共演しているそうだが、全員、自分のソロパートだけでなく、オーケストラの音にも気を配るそうで、小栗の教育の素晴らしさを藤岡は称えていた。

小栗のソロは渋く、玄人好みである。テクニックをひけらかすでもなく、無駄に音楽にのめり込むでもなく、出しゃばるでもなく、オーケストラと一体になった「音楽」の素晴らしさそのものを感じさせる。

演奏終了後、藤岡は小栗にコメントを求めるも、やはりマイクのスイッチが入らず。スタッフが下手から別のマイクを持って出てくる。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲について小栗は、「若い頃には良く弾いたが、もう弾くことはないと思っていた。だけどこの際」ということでもう一度弾いてみようと思ったそうだ。

アンコールは、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番よりアンダンテ。堅実な演奏であった。

メインであるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。藤岡は演奏前にスピーチ。ティンパニはバロックティンパニ、トランペットはナチュラル・トランペットを使用していることを明示し、「今でこそベートーヴェンはクラシックコンサートのオーソドックスなレパートーリーという感じですが、彼の生前中はそうじゃなかった。破壊者、革命家といった感じだった。例えば、二つの和音が鳴った後で、チェロが主題を奏でますが、チェロにテーマを弾かせるというのは画期的なことだった」。第2楽章についても「葬送行進曲ですが、悲しいというよりも史上のあらゆる英雄への思いを込めたような圧のある」と説明する。第3楽章でも従来のメヌエットではなくスケルツォを採用、第4楽章でも変奏曲をピッチカートで奏でるという画期的なことをやっていると述べた。今回は青年ベートーヴェンのエネルギーを客席に届けるという主旨の演奏のようだ。

ピリオドらしく速めのテンポを採用。弦楽器奏者はビブラートというよりも要所要所を「揺らす」奏法を行う。
関西フィルハーモニー管弦楽団は、関西のオーケストラの中でもパワーでは下位に来る楽団であるため、オーケストラの持ち味を最大限に引き出すための演奏でもあるようだ。
白熱した演奏であるが、ややうるさく聞こえてしまうのが難点。青年作曲家の情熱は伝わる演奏だったが、全曲を通した見通しの良さも欲しくなる。

演奏終了後、藤岡は、「とにかく暑いんでね。少しでも涼しくなる演奏を」ということで、「あんまり演奏されない曲なんですが、シベリウスの『クリスチャンⅡ世』より“エレジー”」が演奏される。良く整った演奏であった。

藤岡は今夜放送される「エンター・ザ・ミュージック」の紹介もする。「エンター・ザ・ミュージック」のプロデューサーを務めているのが実は小栗まち絵のお嬢さんなのだそうだ。


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2018年7月30日 (月)

コンサートの記(408) ユッカ=ペッカ・サラステ指揮 N響「夏」2018 大阪公演

2018年7月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後4時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、N響「夏」2018 大阪公演を聴く。指揮はフィンランドを代表する指揮者の一人であるユッカ=ペッカ・サラステ。

1956年生まれのユッカ=ペッカ・サラステ。三つ年上のオスモ・ヴァンスカや二歳年下のエサ=ペッカ・サロネンと共に、フィンランド指揮界のアラ還世代(フィンランドには還暦もなにもないわけだが)を代表する人物である。ヴァイオリン奏者として世に出た後でシベリウス音楽院でヨルマ・パヌラに指揮法を師事。クラリネット奏者として活躍していたヴァンスカやホルン奏者としてキャリアをスタートさせたサロネンとは同じ時期に指揮を学んでいる。パヌラの教育方針として「オーケストラの楽器に精通すること」が重要視されており、指揮とピアノ以外の楽器を学ぶことはプラスになったようである。
1987年から2001年までフィンランド放送交響楽団の指揮者を務め、「シベリウス交響曲全集」を二度制作。フィンランディア・レーベルに録音した二度目の全集は今でも屈指の高評価を得ている。その後、スコットランド室内管弦楽団(スコティッシュ・チェンバー・オーケストラ)の首席指揮者、トロント交響楽団の音楽監督、BBC交響楽団の首席客演指揮者、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と、主に北欧、イギリス、北米での指揮活動を行い、現在はケルンのWDR交響楽団の首席指揮者の地位にある。

曲目は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:バイバ・スクリデ)、ブラームスの交響曲第1番。
無料パンフレットに寄稿している中村孝義は、シベリウスとブラームスの両者に奥手で思慮深く、自罰的という共通項を見いだしている。

N響配置ことドイツ式の現代配置での演奏。今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。
NHK交響楽団も若返りが進み、90年代後半に学生定期会員をしていた頃にも在籍していたメンバーは少なくなっている。有名どころでは第2ヴァイオリンの今では首席奏者になった大林修子、オーボエ首席の茂木大輔(『楽器別人間学』が大幅に手を加えて本日復刊である)、ティンパニ(打楽器首席)の久保昌一らがいるのみである。

シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。フィンランディアに録音した「シベリウス交響曲全集」では辛口の演奏を行ったサラステ。この「アンダンテ・フェスティーヴォ」でも痛切なほどに磨き上げられた弦の音色が印象的である。ただ単にツンとしているだけの演奏ではなく、彩りを自由自在に変え、さながらオーロラの揺らめきのようの趣を醸し出す。そうした音色で旋律を優しく歌い上げるという相反する要素を包含し共存させたかのような演奏である。
サラステの指揮は比較的振り幅を抑えた合理的なものであった。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストのバイバ・スクリデは、1981年、ラトヴィアの首都リガ生まれのヴァイオリニスト。音楽一家に生まれ育ち、ドイツのロストック音楽演劇大学でヴァイオリンを専攻。2001年にエリーザベト王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門で1位を獲得している。

N響の音は「アンダンテ・フェスティーヴォ」と同傾向である。輪郭のクッキリした音であり、アンサンブルの精度の高さが感じられる。
スクリデのヴァイオリンは優雅で色彩豊か。シベリウスを演奏するのに最適の音楽性を持ったヴァイオリニストである。

スクリデのアンコール演奏は、ヨハン・パウル・フォン・ウェストホフのヴァイオリン・ソナタ第3番より「鐘の模倣」。ヴィヴァルディにも共通したところのあるバロック期の技巧的一品。スクリデの優れた技巧が光る。

ブラームスの交響曲第1番。サラステは序奏を快速テンポで駆け抜ける。また表情を抑え、暑苦しくなるのを防いでいる。タクトはシベリウスを指揮するときよりも大きく振るし、情熱的な盛り上がりも見せるが、あくまで一音一音を丁寧に積み上げている演奏。N響の威力のある音と渋い音色もプラスに作用する。
第3楽章演奏後、ほとんど間を置かずに第4楽章に突入。この楽章ではパウゼの部分も詰めて演奏しているのが印象的であった。
フィンランドを代表する指揮者であったパーヴォ・ベルグルンドがヨーロッパ室内管弦楽団を指揮してブラームス交響曲全集の名盤を録音しているが、フィンランド人指揮者の分析的アプローチはブラームスに合っているのだと思われる。

アンコールとして、シベリウスの「クオレマ」より鶴のいる情景が演奏される。透明感に満ちた優れたシベリウスであった。



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2018年6月 3日 (日)

コンサートの記(393) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第205回定期演奏会

2008年9月4日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第205回定期演奏会を聴く。今日の指揮は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。

曲目は、ヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」、吉松隆の左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」(ピアノ独奏:舘野泉)、シベリウスの交響曲第5番。
藤岡幸夫は、日本におけるシベリウス解釈の泰斗であった渡邊暁雄の弟子であり、シベリウスの交響曲第5番は、藤岡が最も愛する曲とのことである。

午後6時40分頃に、例によって関西フィル事務局の西濱さんが出てきて、指揮者の藤岡を招いてのプレトークを行う。藤岡によると今日の演奏会は、今年の関西フィルが組んだ最も美しいプログラムであるとのことである。

ヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」。プレトークで、藤岡は弦楽の別働隊(というものがこの曲では用いられるのである)にノンビブラートでの演奏をさせると語っていたが、その通り、徹底してビブラートを抑えた古雅な響きが美しかった。
関西フィルの音色は綺麗だが、私は数ヶ月前に「タリスの主題による幻想曲」を大植英次指揮の大阪フィルハーモニーの演奏で聴いており、大植が描いた異様なほど繊細な美しさや、弦楽別働隊と本隊との切り替えの巧みさが思い出されてしまった。
やはり現時点では、大植の実力が藤岡のそれの遙か上を行っていると断言していいだろう。


吉松隆の左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」は、今日のソリストである舘野泉(男性です)のために書かれ、昨年、ドレスデン室内管弦楽団の来日公演時に舘野のピアノソロで初演された。
今回は、藤岡の要請を受けて、吉松隆自身が2管編成のフルオーケストラ用に改訂した版での演奏。改訂版での世界初演である。

会場には吉松隆の姿もある。

吉松隆と藤岡幸夫は慶應高校の先輩後輩であるが、実は舘野泉も慶應高校の出身であるという。吉松と藤岡はそのまま慶應大学に進んだが(吉松は大学を中退した)、舘野は東京藝術大学に進学している。

そんな慶應高校トリオ(?)による曲と演奏。まず吉松の曲であるが、これが世にも美しい佳編。朝靄の高原の中を歩いているかのような可憐な冒頭、小川のせせらぎのようなピアノの楚々とした音色。シベリウスを意識したと思われる(吉松も藤岡も舘野もシベリウス好きという共通点がある)オーケストレーション。今後、左手のためのピアノ協奏曲の定番になってもおかしくない秀麗さを持っていた。

演奏終了後に吉松もステージに呼ばれ、聴衆から喝采を浴びる。

脳溢血のため、右手が不自由になり、現在は左手のピアニストとして活躍している舘野泉。フィンランドに居を構え、日本シベリウス協会の会長でもある。舘野泉の父親が舘野泉に会うために一人でフィンランドを訪れたところ、フィンランドの空港でパスポートを見た税関の職員が、「オー、ピアニスト、TATENO!」と言ったため、父親に「お前はそんなに有名なのか」と驚かれたというエピソード(舘野泉本人が以前話していた)があり、おそらく存命中の人物としてはフィンランドで一番有名な日本人は舘野泉だと思われる。

現在もリハビリに励んでおり、いつの日か両手のピアニストとして復帰する夢を持っているという舘野。しかし、出てくる時は足を引きずる感じで、ピアノのもとまで行くのが難儀そうであった。それでも演奏は素晴らしく、彼らしいリリカルな音色が最大限に発揮されていた。

アンコール曲として、舘野はカッチーニの「アヴェ・マリア」を弾く。「左手独奏のための編曲は吉松だろうか?」と思っていたが、「アヴェ・マリア」の演奏が終わった後に吉松も登場したのでどうやらそうらしいことがわかる(後で確認したところ、やはり吉松の編曲であった)


シベリウスの交響曲第5番。藤岡のこの曲への愛情が滲み出ているかのような演奏。第1楽章ラストの追い込みが激しすぎるのでは、という疑問もあるが、全曲を通して透明感に溢れた美演を繰り広げた。第3楽章で金管の音型が崩れる場面が何度かあったのが残念であるが、良きシベリウス演奏であったと思う。

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2018年4月 6日 (金)

コンサートの記(367) サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月12日 大阪・中之島の(旧)フェスティバルホールにて

午後2時から大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団の来日演奏会を聴く。オラモとフィンランド放送交響楽団の来日公演を聴くのは2度目、前回は京都コンサートホールでの公演に接している。

サカリ・オラモは、1965年生まれの指揮者。シベリウス・アカデミーで、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、加えてヴァイオリニストとしても研鑽を積む。かつてはフィンランド放送交響楽団のコンサートマスターだったということもあるオラモ。指揮者としてのデビュー時の相手もフィンランド放送交響楽団だそうで、楽団員達とは古くからの気心の知れた間柄だ。
オラモは、サー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に任命されて一躍脚光を浴びたが、バーミンガム市響のシェフの座(現在の肩書きは音楽監督)からは近く離れる予定で、今後は首席指揮者の地位にあるフィンランド放送交響楽団と、新たに音楽監督に就任するロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を主たる活躍の場にするものと思われる。

フィンランドのオーケストラということで、東京などの公演ではシベリウス作品をプログラムに盛り込んでいるフィンランド放送響であるが、大阪公演ではシベリウスの名は演奏曲目にはない。
ブラームスの「悲劇的序曲」、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」(独奏チェロと管弦楽のための作品だが、今回はトランペットを独奏としたバージョンで演奏する。ソリストを務めるのは、人気、実力とも世界最高のトランペッターといわれるセルゲイ・ナカリャコフ)、ベートーヴェンの交響曲第5番というプログラム。

残響の少ないフェスティバルホールの、ステージから遠い天井桟敷に座ったため、音そのものの美しさを楽しむことは出来なかったが、フィンランド放送交響楽団の高い機能と、オラモの雄弁な指揮を楽しむことは出来た。フィンランド放送交響楽団は20年ほど前の来日公演ではオーケストラの技術がボロボロで、評価も同様に散々だったそうだが、技術面では著しい向上を見せており、解像度の高い音楽を繰り広げる。

ブラームスの「悲劇的序曲」では、ひんやりとした弦と、輝かしい金管の音色の対比が鮮やかであり、オラモの指揮もタイトルに込められた悲劇的な雰囲気を的確に引き出している。

「ロココの主題による変奏曲」で、オラモとフィンランド放送響は更に優れた実力を発揮。ロシア風の冷たく拡がりのある音色から、心からの温もりを感じさせるロマンティックで優しい音色まで、自在に操る様は魔術のようだ。
チェロ独奏のための曲をトランペット(正確にはフリューゲルホルンというトランペットとは微妙に違う楽器)で吹いてしまおうという挑戦は無謀にも思えるが、名手ナカリャコフだけに技術的な不満は感じさせない。しかしチェロに比べるとトランペットはどうしても分が悪い。高度なトランペット演奏技術が求められるわりには聴き映えが今ひとつという点でも損だ。

ナカリャコフは、アンコール曲に超絶技巧を思う存分披露できる「ベニスの謝肉祭」(ジャン・パティステュ・アーバン作曲)を選び、神懸かり的な技術を披露。客席を圧倒する。


メインのベートーヴェンの交響曲第5番では、オラモは理知的な演奏を繰り広げる。大編成による演奏だが、弦楽器のビブラートを抑え気味にするなどピリオド奏法の影響も見られ、良い意味で折衷的なスタイルを採用(配置もヴァイオリンが両翼に来る古典的配置を基本としながら、、コントラバスは舞台上手奥に置くという折衷様式であった)。ベートーヴェンが書いた楽譜を客観的に丁寧に音に変えていく。基本のテンポは速めだが伸縮自在であり、表情も多彩。第1楽章と第2楽章をアタッカで繋いだのも個性的だ。
音楽にのめり込むことはないが、その分、曲の効果を十全に発揮させる計算がなされており、第4楽章冒頭の輝かしさにも瞠目させられた。「秀才によるベートーヴェン」という言葉が浮かぶ名演奏。
まだ交響曲第5番を聴いただけだが、オラモのベートーヴェンはかなり期待して良さそうだ。

アンコールはやはりシベリウス。最近はアンコール曲の定番となった感もある「悲しきワルツ」が演奏された。オラモはピアニッシモの部分を聴き取るのが難しいほど弱い音で演奏してみせる。昨年来日したパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルもアンコール曲として演奏した「悲しきワルツ」で、ピアニッシモを強調していた。この曲のピアニッシモの部分をかなり弱くするというのは流行りなのだろうか。

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