カテゴリー「ミュージカル」の31件の記事

2018年5月11日 (金)

観劇感想精選(241) ミュージカル「リトル・ナイト・ミュージック」2018大阪

2018年5月4日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後7時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「リトル・ナイト・ミュージック」を観る。「ウエストサイド・ストーリー」や「スウィーニー・トッド」などの名作ミュージカルを手掛けたスティーヴン・ソンドハイムの最高傑作とされる作品の日本初上演である。作曲・作詞:スティーヴン・ソンドハイム、脚本:ヒュー・ホィーラー、翻訳・作詞:高橋知伽江、演出:マリア・フリードマン、振付:ティム・ジャクソン。音楽監督・指揮:小林恵子。出演:大竹しのぶ、風間杜夫、安蘭ケイ、栗原英雄、蓮佛美沙子、ウエンツ瑛士、木野花、安崎求、トミタ栞、瀬戸たかの(瀬戸カトリーヌ改め)。リーベリーダー(アンサンブルキャスト):彩橋みゆ、飯野めぐみ、家塚敦子、中山昇、ひのあらた。

19世紀のスウェーデンが舞台。本作はスウェーデン映画の巨匠であるイングマール・ベルイマン監督の映画「夏の夜は三度微笑む」に着想を得た作品で、1973年に初演。トニー賞7部門、グラミー賞2部門を獲得している。これほど評価の高いミュージカルがなぜ日本で上演されなかったかはナンバーを聴けばすぐにわかる。完成度は恐ろしく高いが難度もそれ以上に高い。ミュージカル初挑戦となる風間杜夫の最初のナンバーは、なんとレチタティーヴォ調。ただでさえ難しいのにレチタティーヴォに不向きな日本語で歌うのはほぼ不可能。ということで、風間杜夫は音程もリズムも外しまくっていた。元々歌はそれほど得意ではないのだと思われるが、初挑戦のミュージカルが本作というのは酷である。

朗読や朗読劇への出演はあるものの、本格的なミュージカルに挑戦するのは初となるのが、風間杜夫演じる弁護士のフレデリック・エイガマンの幼妻・アン役の蓮佛美沙子。蓮佛美沙子は現在27歳だが、アンは18歳ということで10歳ほど下の女性を演じることになる。「若さ」と「幼さ」の表現に長け、かなり高めの音が要求される歌もこなしていた。ただ、魅力が十分に出ていたかというとそうでもないように思う。

リーベリーダーという役割を与えられている5人は、いずれも歌唱力が高い。年中ミュージカルで出ているような気がする飯野めぐみを始め、歌第一で取られた人達なのだから当然ともいえるが、歌に関しては有名キャストを上回っていたようにも思える。
ストーリーはリーベリーダーがワルツのリズムに乗って登場するところから始まるのだが、このミュージカルはとにかく3拍子系の楽曲が多い。全体のおそらく9割前後が3拍子系の楽曲で占められている。舞踏のリズムである3拍子系が多用されていることには勿論、意味がある。作品自体がエンドレスワルツ的狂騒を描いたお話なのである。

ストーリーであるが、第一幕を観ている時はとにかく退屈に感じられる。第一の理由は私の年齢にある。この手の話を気楽に観られるほど若くはないが、切実に感じるほどには年を取っていない。
第1幕を見終えて、本気で「もう帰ろうか」と思ったが、今後が面白くなりそうな予感もあり、第2幕の予定上演時間は約55分と短めであったため続けて観ていくことにする。

第2幕では、フレデリックの息子のヘンリック(ヘンリック・イプセンにちなんだ名前であることが暗示される場面がある。演じるのはウエンツ瑛士)、アン、カールマグナス伯爵(栗原英雄)と妻のシャーロット(安蘭けい)、舞台女優のデジレ(大竹しのぶ)などが入り乱れた恋の話になる。盲目状態の愛が繰り広げられ、人間という存在が根本に持つ愚かしさとそれゆえの愛おしさが照射されていく。

悲惨な状況であるにも関わらず滑稽という場面が第2幕には登場する。ヘンリックが縊死しようとする場面や、フレデリックの「不思議だ。庭のベンチに腰掛けて休んでいたら、人生が終わってしまった」というセリフは、悲劇性を伴っているはずだが妙に可笑しく、客席が笑いで沸く。フレデリックのこのセリフをこれほどリアルに語れる俳優は風間杜夫をおいて他にいないはずで、歌唱力の不足を補って余りある配役といえるだろう。

この感想は時間の関係で当日には書かず、翌日、翌々日に書いたものなのだが、時間が経てば経つほどこの作品に対する愛着は強くなっている。そういう作品はこれまでに何度か観たことがある。
すぐにわかることなど、その程度のものでしかないということなのかも知れない。

終演後にアフタートークがあり、ウエンツ瑛士と安蘭けいが参加する。司会を置かず、ウエンツがリードする形で二人が自由に喋るというスタイルである。ウエンツは「みんな僕を馬鹿にする」としてふさぎの虫に取り憑かれているヘンリックを、安蘭けいは頭が空っぽの夫にうんざりしているシャーロットをそれぞれ好演していた。ともにミュージカル経験が豊富だけに、この難しい作品と役を手の内に入れていた印象を受ける。
途中、カールマグナス伯爵役の栗原英雄とアン役の蓮佛美沙子が舞台を上手から下手へと横切っていった。

今回は、演出がマリア・フリードマン、振付がティム・ジャクソンということで稽古は全て英語による指示で行われたのだが、ウエンツ瑛士と瀬戸たかの(安蘭けいはまだ「カトリーヌちゃん」と呼んでいるようだ)というハーフが二人おり、いかにも英語が出来そうな雰囲気を持つもの、実は二人とも英語でのコミュニケーションは一切出来ないということで苦労があったようである。ウエンツは、義母でありながら恋心を寄せているアン役の蓮佛美沙子と二人一組になることが多かったのだが、蓮佛美沙子は英語が得意で、マリアの指示を大体理解することが出来るため、横にいるウエンツにも「通訳が言わなくてもわかるよね」と暗に示されることが多く、ウエンツもさも分かったような振りをせざる得ず、稽古が終わった後でマリアに「あれ、なんて言ってたの?」と聞きに行く羽目になったそうだ。
安蘭けいによると、マリア・フリードマンは「リトル・ナイト・ミュージック」に女優として出演した経験があり、マリアが演じたことのあるシャーロットとペトラ(今回は瀬戸たかのが演じた)には思い入れが強いようで、指示も細かかったそうである。

なお、デジレの娘、フレデリカ(演じるのはトミタ栞)の名はフレデリックの女性形なのだが、フレデリカがフレデリックとデジレの間に出来た娘なのかどうかについては答えが書かれていないという。フレデリカの父親がフレデリックなのかどうか、ウエンツが客席に拍手の大きさでアンケートを取る。今日のお客さんは、フレデリックとフレデリカは親子だと考えている人が比較的多いようだった。



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2018年3月20日 (火)

観劇感想精選(235) ミュージカル「舞妓はレディ」

2018年3月18日 福岡・中洲川端の博多座にて観劇

12時から博多座でミュージカル「舞妓はレディ」を観る。周防正行監督の同名ミュージカル映画の舞台化。原作:周防正行&アルタミラピクチャーズ、脚色:堀越真、演出:柴﨑秀臣、作曲・編曲:周防義和、作詞:周防正行&種ともこ。出演:唯月ふうか、榊原郁恵、平方元基(ひらかた・げんき)、蘭乃はな、多田愛佳(おおた・あいか)、片山陽加(かたやま・はるか)、土屋シオン、谷口浩久、湖月わたる、辰巳琢郎ほか。

映画「舞妓はレディ」でのナンバーの他に新曲も含めた上演が行われる。博多座オリジナルのミュージカルであり、京都が舞台ではあるが上演は博多座でしか行われない。

主人公の西郷春子(舞妓としては小春)を演じる唯月(ゆづき)ふうかは北海道札幌市生まれの21歳。本名の川上桃子名義で歌手としてデビューしたが現在はミュージカルを主舞台として活動している。唯月ふうかという芸名はどことなく宝塚っぽいが宝塚歌劇とは一切関係がない。

宝塚出身なのは湖月(こづき)わたると蘭乃はなであり、男役出身の湖月わたるには男装するシーンも用意されている。

映画にもAKBグループのアイドルがバイト舞妓役で出演していた(武藤十夢と松井珠理奈)が、今回も元HKT48の多田愛佳と元AKB48の片山陽加が同じ役で出演。映画ではラップ調の曲が用意されていたが、今回はその代わりに新曲「アイドルになりたい」(作詞:寺﨑秀臣、作曲:佐藤泰将)が歌い上げられた。

メイン楽曲である「舞妓はレディ」に乗せて、芸舞妓役の女優による舞でスタート。上手の花道(今回は客席を横切る形のいわゆるメインの花道は使用しない)から旅装の春子が登場し、舞台の中央へ。回り舞台が反時計回りして奥へと消えていく。

舞台は京都の架空の花街・下八軒。下八軒は小さな花街であり、後継者不足に悩んでいる。現役の舞妓は桃春(蘭乃はな)一人だけ。しかも桃春は現在29歳で、本来ならとっくに芸妓に上がっているところを舞妓が他にいないために留任させられている。イベントでは舞妓が足りないのでバイト舞妓の福葉(多田愛佳)や福名(片山陽加)を駆り出さねばならない有様だ。そんな下八軒の老舗置屋である万寿楽に春子が訪ねてくる。 「舞妓になりたい」と語る春子は鹿児島弁と津軽弁をちゃんぽんで話す。京大学の言語学者・京野法嗣(平方元基)は春子に興味を覚え、春子に京言葉を仕込むことに決める。京野のバックアップを受けて、下八軒で仕込み(見習い)として働くことになった春子だったが……。

映画「舞妓はレディ」よりも春子と京野の恋愛路線が前面に押し出されており、ミュージカル的な味わいが増している。
そのため、春子(小春)という人物の不可解さはこの劇ではほとんど触れられておらず、掘り下げられることも当然ながらない。
映画「舞妓はレディ」を観て春子の出自について疑問を持った方もいらっしゃると思われる。春子は薩摩弁と津軽弁をネイティブ並みに話す。祖父が鹿児島県出身で祖母が青森県出身、現在は津軽地方在住。両親は共に他界しており、祖父母に育てられる。そのため不思議な話し方になる。ただ津軽でずっと暮らしていたら津軽弁が強くなるのが普通である。そして映画では京野が津軽の春子の実家に行くシーンがある(今回のミュージカルでは音声のみによって処理されている)のだが雪深く、他に何もないような場所。そしてそこに住む春子の社会性の乏しさ。本当に友達がいるのだろうか? そもそも不登校なのではないか? そんな印象も受ける。もっとも仮にそうだったとしてもそうした設定が明かされることはないだろう。春子が本当にそういう性格だったとしても、花街側、少なくとも京都の五花街は「舞妓はそういう子がなるもの」という誤解を受けることを怖れるはずである。わかる人にはわかるはずなので、それがシンデレラストーリーに繋がっていると見ることも出来るのだが、今回のミュージカルではそうした要素はなく、「マイ・フェア・レディ」同様のピグマリオンのみが展開の軸となる。

舞妓・小春となる春子を演じた唯月ふうかは芸達者なようで、歌もダンスも見事にこなす。冒頭の素朴さや襟替えしてからの華やかさなど、演じ分けも堂に入っている。ただ、これは彼女の責任ではないのだが、「やはり上白石萌音って凄かったんだなあ」と思ったのも事実である。

万寿楽の女将、小島千春は榊原郁恵が演じているのだが、その配役によって舞台の明るさとコミカルさが増す。存在しているだけで雰囲気が作れるのが榊原郁恵の良いところである。
幕間にご主人である渡辺徹さんとすれ違う。話していたのは息子さんかな? その後、渡辺徹さんとその関係者が私と同じ4列目のセンター付近で鑑賞されているのが確認出来た(私は下手端の方である)。

ミュージカル俳優として売り出し中の平方元基。福岡県出身である。学者の息子である長谷川博己のような見るからにインテリ然とした雰囲気は出せていないが、京野の若さと才気の表現は十分に出来ており、歌も万全である。

湖月わたると蘭乃はなの元宝塚コンビは歌にダンスに大活躍。映画スターを演じるダンスシーンでの湖月わたるの男装は本物の男よりも格好がいいくらいだ。

終幕とカーテンコールでタイトル曲「舞妓はレディ」の歌とダンスが行われるのだが、何度も行われるので、前の方のお客さんは振りを覚えてしまい、一緒に踊っていた。私も見ているだけでは悔しいので少しだけ踊った。



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2018年3月 6日 (火)

コンサートの記(353) 龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版~

2018年3月4日 東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールにて

午後3時から、渋谷のBunkamuraオーチャードホールで、龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版を聴く。レナード・バーンスタインの弟子であり、現在NHK交響楽団首席指揮者の座にあるパーヴォ・ヤルヴィが師の代表作を取り上げる。

龍角散Presentsということで、入場者には龍角散ダイレクトのサンプルが無料配布された。

1957年に初演された「ウエスト・サイド・ストーリー」。まさに怪物級のミュージカルである。ミュージカルは一つでも名ナンバーがあれば成功作なのだが、「ウエスト・サイド・ストーリー」の場合は名曲が「これでもかこれでもか」とばかりに連なり、「全てが有名曲」といっても過言でないほどの水準に達している。とにかく世界的にヒットしたということに関していえば20世紀が生んだ舞台作品の最右翼に位置しており、超ドレッドノート級傑作である。

出演は、ジュリア・ブロック(マリア)、ライアン・シルヴァーマン(トニー)、アマンダ・リン・ボトムズ(アニタ)、ティモシー・マクデヴィット(リフ)、ケリー・マークグラフ(ベルナルド)、ザカリー・ジェイムズ(アクション)、アビゲイル・サントス・ヴィラロボス(A-ガール)、竹下みず穂(ロザリア)、菊地美奈(フランシスカ)、田村由貴絵(コンスエーロ)、平山トオル(ディーゼル/スノー・ボーイ/ビッグ・ディール)、岡本泰寛(ベビー・ジョン)、柴山秀明(A-ラブ)。東京オペラシンガーズ(ジェッツ&シャークス)、新国立歌劇場合唱団(ガールズ)

今日のNHK交響楽団はチェロ首席奏者の藤森亮一がステージ前方に来るアメリカ式の現代配置を基調とした布陣である。コンサートマスターは客演のヴェスコ・エシュケナージ。N響はステージ後方に陣取り、舞台前方に歌手が出てきて歌ったりちょっとした演技をしたりする。

久しぶりとなるオーチャードホール。中に入るのは2度目だが、実はここでコンサートを聴くのは初めて。前回は「カタクリ家の幸福」という映画の完成披露試写会で訪れている。忌野清志郎が「昨日」というタイトルのどこかで聴いたことがあるような曲をギターで弾き語りしていた。

オーチャードホールの音の評判は良くないが、今日聴いた2階席4列目には残響は少なめだが素直な音が飛んできていた。ステージは遠目だが思っていたほど悪くはない。

第1部が60分、第2部が35分という上演時間。合間に30分の休憩がある。

N響は音には威力があるが、余り慣れていないアメリカものということもあり、ジャジーな場面では金管などに硬さが見られる。パーヴォは打楽器出身であるためリズム感は抜群のはずなのだが、N響からノリを思うままに引き出せていないようにも感じられる。
一方でリリカルな音楽では弦の艶やかな音色が生き、歌も秀逸で、万全に近い出来を示していた。パーヴォの棒もやはり上手い。

歌手陣の大半はクラシック畑出身。トニー役のライアン・シルヴァーマンはブロードウェイを活躍の主舞台としており、三役で出演の平山トオルもミュージカル出身だが、他は純然たるクラシックの歌手かミュージカルにも出たことがあるクラシック歌手である。バーンスタイン自身がドイツ・グラモフォンにレコーディングした「ウエスト・サイド・ストーリー」に聴かれるように、クラシックの歌手が歌った場合は声が肥大化してしまって余り良い結果が出ないのだが、今回は歌手達は健闘した方だと思う。ただジェッツやシャークスが集団で出てきて歌う時は、ギャングなのに首を振って音楽を聴いているだけでそれらしさが出ず、違和感がある。かといってクラシックの歌手達が踊れるはずもなく、粋なパフォーマンスを繰り広げるというわけにもいかないのでどうしようもない。そういう上演なのだと思うしかない。

コンサート上演を前提にしたものであり、ストーリーは飛び飛びになっているが、それでもラストに感動していまうのは音楽の力ゆえあろう。

残念ながらBunkamuraオーチャードホールは渋谷のど真ん中にあり、JR渋谷駅に向かうためには道玄坂の人混みを突っ切る必要がある。コンサートの余韻に浸れる環境にはない。出来ることなら別の会場で、パーヴォ指揮の「ウエスト・サイド・ストーリー」を聴いてみたい。



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2017年10月 6日 (金)

観劇感想精選(221) 大竹しのぶ主演 ミュージカル「にんじん」

2017年9月2日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午後4時30分から、道頓堀の大阪松竹座で、ミュージカル「にんじん」を観る。原作:ジュール・ルナール、テキスト日本語訳:大久保洋、脚本・作詞:山川啓、演出:栗山民也、音楽:山本直純、出演:大竹しのぶ、中山優馬、秋元才加、中山義紘、真琴つばさ、今井清隆、宇梶剛、キムラ緑子ほか。

赤毛でそばかすがあるため、皆から「にんじん」と呼ばれているフランソワ(大竹しのぶ)の物語である。「出来が悪い」「駄目」などと言われ、家庭の中にあっても居場所が見つけられないにんじん。
にんじんの両親(宇梶剛とキムラ緑子が演じている)のも仲が悪く、互いが会話を交わそうとせず、結局、にんじんが間を取り持つことになる。にんじんから見れば自分よりもはるかに優遇されているように見える兄のフェリックス(中山優馬)と姉のエルネスティーヌ(秋元才加)であるが彼らは彼らで内心の葛藤を抱えていて……。
ミュージカル「にんじん」の実に38年ぶりの再演である。当時20代だった大竹しのぶも還暦を迎えた。第1幕が45分ほど、30分の休憩を挟んで第2幕が1時間ほどと、決して長い作品ではなく、年齢に関係なく楽しむことの出来る作品であると思われる。
にんじんがなぜそれほど人から、就中母親から嫌われるのかについてはそれなりの答えが用意されている。

山本直純の音楽は多少古さを感じさせるが(時代を超えるのは思いのほか難しいようである)、彼ならではの「ドラマ」を感じさせる出来となっている。

大竹しのぶが少年「にんじん」を好演。中山優馬が兄を、秋元才加が姉を演じるというキャストの中で違和感がないどころか説得力のある演技と歌唱で魅せた。

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2017年6月27日 (火)

観劇感想精選(218) ミュージカル「パレード」

2017年6月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、ミュージカル「パレード」を観る。1913年にアメリカ・ジョージア州アトランタで起こったレオ・フランク事件に基づく作品である。1998年にアメリカで初演され、1999年度のトニー賞最優秀作詞・作曲賞、最優秀脚本賞を受賞している。

作:アルフレッド・ウーリー、作詞・作曲:ジェイソン・ロバート・ブラウン、共同構想およびブロードウェイ版演出:ハロルド・プリンス、演出:森新太郎。出演:石丸幹二、堀内敬子、武田真治、新納慎也、坂元健児、藤木孝、石川禅、岡本健一ほか。

1913年、アトランタ。南軍戦没者記念日。南北戦争終結から半世紀が過ぎたが、南北戦争従軍者や南部の男達はパレードに参加して南部の誇りを歌い上げていた。
ニューヨーク出身のユダヤ人であるレオ・フランク(石丸幹二)は、アトランタ生まれのユダヤ人であるルシール(堀内敬子)と結婚し、アトランタに住んでいる。アトランタの鉛筆工場に工場長として就職したためで、工場長の職は妻のツテを伝って得たものだった。北部出身のレオはアトランタの街に馴染めないものを感じていた。

南軍戦没者記念日にも仕事に出掛けたレオは、訪ねてきた13歳の少女、メアリー・フェイガンに給料を渡す。

だが、その日、メアリーは家に帰らず、黒人のニュート・リーがメアリーの遺体を発見する。第1発見者のニュート・リーと、工場長であるレオ・フランクが容疑者として逮捕される。逮捕されたのが黒人だとユダヤ人だと知ったジョージア州検事のヒュー(石川禅)は、差別の問題なども絡めてレオ・フランクを裁判に掛けるよう命令する。裁判では反ユダヤ反北部の気風により偽証が相次ぎ、レオには死刑が宣告される……。

レオ・フランク事件は、その後、完全な冤罪であるとされ、真犯人と思われる人物もわかっているのだが、レオはレイシズムの犠牲者のなったことがわかっている。ただ、今もレオが真犯人だと思い込んでいる人達がいるそうである。

偏見によるでっち上げが真実とされ、犠牲者が出ていく。冤罪が生まれる過程は、海の向こうのよそ事ではない。


ストリートプレーでなくミュージカルとして制作されたのは、音楽が物語の陰鬱さを中和するとともに物語を強く推し進める役割を果たしているからだと思われる。スネアが鳴るなど、南部特有の荒っぽく、リズミカルな伴奏に乗ってメロディーが紡がれていく。オーケストラピットが用いられており、上手と下とに橋が渡してあって、出演者がそこに乗って歌や演技を行うこともあり、またキャストがオーケストラピットから入退場を行うこともある。

重苦しくて嫌な話だが、出演者の好演と音楽や歌の充実もあり、骨太の上演となった。

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2017年6月18日 (日)

観劇感想精選(217) ミュージカル「王家の紋章」2017大阪

2017年5月24日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇
 

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「王家の紋章」を観る。細川智栄子あんど芙~みんによる同名少女アニメのミュージカル化。原作マンガは1976年に連載開始で、現在も連載中という、41年の歴史を誇るロングヒット作である。エジプトで考古学を学ぶアメリカ人の少女・キャロルと古代エジプトの王・メンフィスとのロマンが描かれる。
脚本・作詞・演出は、荻田浩一。作曲・編曲は、シルヴェスター・リーヴァイ。音楽監督:鎮西めぐみ。東宝の製作。
出演は、浦井健治、新妻聖子、平方元基(ひらかた・げんき)、伊礼彼方(いれい・かなた)、愛加あゆ、出雲綾、矢田悠祐、木暮真一郎、濱田めぐみ、山口祐一郎ほか。

古代エジプトが舞台の上に、日本人役の人がいないということもあり、説明ゼリフが多用される。現代日本と地続きの作品ではないので、説明がないとわからないのだ(例えば姉弟で夫婦というのは古代エジプト王朝ではごくごく当たり前だが、現代日本ではありえないので、王の姉であるアイシスがメンフィス王に恋しているということは第三者によって仄めかされる)。傍白や、録音を用いた心情吐露のセリフも比較的多めである。


まず古代エジプト人達によるデモストレーションがあり、本編に入る。考古学を学ぶためにエジプトに留学しているアメリカ人少女のキャロル(新妻聖子)が、兄のライアン(伊礼彼方)と電話をしている。ライアンはリード・コンツェルンの総帥であり、キャロルがエジプトに留学出来ているのもリード家に生まれたおかげだ。キャロルは新たに発掘されたメンフィス王の墓の見学が叶ったことをライアンに告げる。
だが、メンフィス王の棺内に備えられていた花束を見たキャロルは、「古代のロマンス!」とばかりにその花束に手を伸ばし、それが王墓を犯した罪と古代エジプト人達(アイシスら)の霊に見なされ、断罪のために古代にタイムスリップさせられてしまう。妹の失踪を知ったライアンは動揺する。

古代エジプト。メンフィス王(浦井健治)がまさに即位したところだ。メンフィスはエジプト全体の王と上エジプトの王を兼ね、下エジプトを治めるのはメンフィスの異母姉のアイシス(濱田めぐみ)。彼女は祭礼の長でもある。エジプトの宰相を務めるのは賢人・イムホテプ(山口祐一郎)。
ヒッタイトからの来賓としてメンフィスの即位式に参加したミタムン(愛加あゆ)は、ヒッタイトの王女である自分がメンフィスと結ばれることで、ヒッタイトが繁栄することを夢見ている。

ナイルの川岸で失神しているところを奴隷の青年に保護されたキャロルは、金髪であるため異国人であると見抜かれる。異国人であるとわかったら処罰されるかも知れないということで、マントをかぶって出歩くようキャロルは注意される。
だが、やがてメンフィス王と巡り会ったキャロルは、古代エジプト人がまだ持っていない知識(水の濾過や鉄の知識、解毒の方法)などを駆使し、伝説として伝わるナイルの神が生んだ金色に輝く少女「ナイルの少女」として崇められるようになる。しかし、キャロルは歴史を変えてしまうことに罪悪感を抱いており……。

世界史上、初めて鉄器の鋳造に成功したといわれるヒッタイトと、エジプトの闘争のドラマでもある。キャロルは己一人が原因となって戦争が起ころうとしていることにも苦しむ。

「俺様」を絵に描いたようなメンフィスと、現代からタイムスリップしたキャロルの時代を超えたロマンスであり、客席には当然ながら女性の姿が多い。私もいくらシルヴェスター・リーヴァイが作曲した作品だからといっても、新妻聖子が出演していなかったら観に行ってはいない。ちなみにキャロルはWキャストで、新妻聖子の他に元AKB48の宮澤佐江が出演している。宮澤佐江のキャロルだったら、観に行っていないはずである。

新妻聖子もそこそこいい年なのであるが、喋り方が少女のそれであり、流石の演技力を見せている。なぜ、そうした演技が出来るのかというと、「頭が良い」からという身も蓋もない結論になるのだが、更に書くと、おそらくであるが、二十歳前後の知り合い(何人もいるはずである)の喋り方を観察して参考にしているのだと思われる。新妻聖子は頭で組み立てて考えるタイプの女優である。

新妻聖子の他にも、浦井健治、濱田めぐみ、山口祐一郎といった各世代の日本ミュージカル界のエースを注ぎ込んでいるため、演技や歌唱は文句なしに楽しめる。単純にエンターテインメントとしても充実した作品である。


えーっと、ところで、歴史を変えることになんのためらいも恥じらいも感じない方々がいらっしゃるようで。

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2017年3月24日 (金)

観劇感想精選(205) ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」2017大阪

2017年3月1日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」を観る。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」をフランス人のジェラール・プレスギュルヴィックがミュージカル化したもの。潤色・演出は宝塚歌劇団の小池修一郎。宝塚歌劇でも上演されたことがあるようだが、今回は新演出での上演である。音楽監督は太田健。
出演は主役クラスはWキャストで、今日の出演は、古川雄大、生田絵梨花(乃木坂46)、馬場徹、小野賢章(おの・けんしょう)、渡辺大輔、大貫勇輔。レギュラー出演者は、香寿たつき、シルビア・グラブ、坂元健児、阿部裕(あべ・ゆたか)、秋園美緒、川久保拓司、岸祐二、岡幸二郎ほか。ダンサーが多数出演し、華やかな舞台となる。

このミュージカルは、「死」と名付けられたバレエダンサー(大貫勇輔)の舞踏で始まる。背後の紗幕には爆撃機と爆撃される街の映像が投影される。
「死」は常にというわけではないが、舞台上にいて出演者達に目を配っている。ロミオ(古川雄大)が失望する場面が合計3度あるのだが、その時はロミオと一緒になって踊る。ロミオに毒薬を手渡すのも「死」の役目だ。
今日は出演しない「死」役のもう一人のバレエダンサーは、連続ドラマ「IQ246」にも出演して知名度を上げた宮尾俊太郎で、宮尾が舞う日のチケットは全て完売である。

イタリア・ヴェローナ。時代は現代に置き換えられており、登場人物達はスマートフォン(セリフではケータイと呼ばれる)や動画サイトを使っている。舞台は観念上のヴェローナのようで、実際のヴェローナにはない摩天楼が建ち並び、BOXを三段に重ねたセットが用いられる。
ヴェローナを二分するモンタギュー家とキャピュレット家。モンタギュー家は青地に龍の旗をはためかせ、モンタギューの一党も青系の衣装で統一されている。一方、赤字にライオンの旗をトレードマークとするキャピュレットの一族は赤系の服装だ。
モンタギューとキャピュレットの間では争いが絶えない。特にキャピュレット家のティボルト(渡辺大輔)と、モンタギュー家のマーキューシオ(小野賢章)は不倶戴天の敵という間柄である。
ヴェローナ大公(岸祐二)が両家の仲裁に入り、「今度争った場合は刑に処す」と宣言する。

キャピュレット卿(岡幸二郎)とキャピュレット夫人(香寿たつき)は、娘のジュリエット(生田絵梨花)をパリス伯爵(川久保拓司)に嫁がせようとしていた。ロミオにいわせるとパリスは「いけ好かない成金」であるが、キャピュレット卿は借金があり、ジュリエットと結婚したあかつきには借金を肩代わりしてもいいとパリスは言っていた。
ジュリエットはこの物語では16歳という設定。本当の愛というものを知らないうちに親が決めた相手と結婚することに疑問を感じている。だが、キャピュレット夫人は、「自分は結婚に愛というものを感じたことなど一度もない」と断言する。キャピュレット夫人も親の言いなりでキャピュレット卿と結婚したのだが、夫に魅力は感じず、夫も女遊びに励んでいたので負けじと浮気を繰り返していた。
そしてキャピュレット夫人は、ジュリエットが不義の子だということを本人に告げる(このミュージカルオリジナルの設定である)。のちにキャピュレット卿は、ジュリエットが自分の子供ではないと気づき、3歳のジュリエットの首を絞めて殺そうとしたのだが、余りに可愛い、実の娘以上に可愛いので果たせなかったというモノローグを行う。

キャピュレット夫人(くわえ煙草の時が多い)は、甥のティボルトになぜ戦うのか聞く。ティボルトは、「人類はこれまでの歴史で、どこかでいつも戦ってきた」と人間の本能が戦いにあるのだという考えを示す。キャピュレット夫人は愛の方が重要だと主張するがティボルトは受け入れない。

一方、ヴェローナ1のモテ男であるロミオは、数多くの女を泣かせてきたが、今度こそ本当の恋人に会いたいと願っている。マーキューシオやベンヴォーリオに誘われて、キャピュレット家で行われた仮面舞踏会にロミオは忍び込む。パリス伯爵に絡まれていたジュリエットだが、ロミオと出会い、互いに一目惚れで恋に落ちる。だが、ロミオの正体がばれ、パリス伯爵との結婚が急かされるという結果になってしまう。

バルコニーでジュリエットが、「ロミオあなたはなんでそんな名前なの?」という有名なセリフを語る。ロミオがバルコニーに上ってきて、二人は再会を喜び、「薔薇は名前が違ってもその香りに変わりはない」というセリフを二人で語り上げる。

ティボルトもまた従妹であるジュリエットに恋していた。ティボルトも15歳で女を知り、それ以降は女に不自由していないというモテ男だったのだが、本命はジュリエットだった。日本の法律では従兄妹同士は結婚可能なのだが、キャピュレット家には従兄妹同士は結婚出来ないという決まりがあるらしい。
ティボルトはこれまで親の言うとおり生きてきたのだが、それに不満を持つようになってきている。ただ、自由に生きることにも抵抗を覚えていた。

一方、モンタギュー家のロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオも大人達の言うがままにならない「自由」を求めており、自分達が主役の社会が到来することを願っていた。いつの時代にもある若者達の「既成の世界を変えたい」という希望も伝わってくる。

バルコニーでの別れの場。ジュリエットは父親から「18歳になるまではケータイを持ってはならない」と命令されており、ロミオと連絡を取る手段がない。ジュリエットはロミオに薔薇を手渡す。「明日になっても気が変わらなければ、この花を乳母(ジルビア・グラブ)に渡して」と言うジュリエット。ロミオは勿論心変わりをすることなく、訪ねてきた乳母に薔薇の花を返す。かくして二人はロレンス神父(坂元健児)の教会で結婚式を挙げる。フレンチ・ミュージカルであるため、フランス語で「愛」を意味する「Aimer(エメ)」という言葉がロミオとジュリエットが歌う歌詞に何度も出てくる。

二人の結婚の噂が流れ、街では、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」という「マクベス」のセリフを借りた歌が流れる。「顔は綺麗と思った女性でも」という意味である。

再びモンタギューとキャピュレットの諍いが起こる。マーキューシオがティボルトとの戦いに敗れて死に、その腹いせでロミオはティボルトを刺し殺してしまう。ヴェローナ大公はロミオにヴェローナからの永久追放を宣言するのだった。


常に人々を見下してきた「死」が、ラストになって敗れる。ロレンス神父がジュリエットに死んだようになる薬を手渡したことをロミオにメールするのだが、ロミオはケータイをなくしてしまっており、事実を知らないまま「死」から手にした毒薬で自殺し、それを知ったジュリエットも短剣で胸を突き刺して後を追う。ここまでは「死」のシナリオ通りだったのだが、ロミオとジュリエットの愛に心打たれたモンタギュー卿(阿部裕)がキャピュレット卿と和解。ロミオとジュリエットの名は後世まで残るものと讃えられる。ロミオとジュリエットの死が愛を生んだのだ。「死」は息絶える仕草をし、ここにおいて愛が死に勝ったのである。


楽曲はロック風やクラブミュージック調など、ノリの良いナンバーが比較的多く採用されている。拍子自体は4分の4拍子や4分の3拍子が多く、リズムが難しいということはない。
ベンヴォーリオがのぼせ上がったモンタギュー一族をなだめる場面があり(「ロミオとジュリエット」を翻案した「ウエスト・サイド・ストーリー」における“クール”の場面のようである)、これまたベンヴォーリオがマントヴァ(この劇では売春街という設定になっている)に追放されたロミオを思って一人語りをしたり伝令も兼ねたりと、ベンヴォーリオは原作以上に重要な役割を与えられている。


2013年のミュージカル「ロミオ&ジュリエット」でもロミオを演じた古川雄大は安定した歌と演技を披露する。
ジュリエットを演じた乃木坂46の生田絵梨花はミュージカル初挑戦であるが、実力はあるようで、すでにオーディションを突破しなければキャスティングされないミュージカル「レ・ミゼラブル」にコゼット役での出演が決定している。生田絵梨花はピアノが得意で日本クラシック音楽コンクール・ピアノ部門での入賞歴があり、現在は音楽大学に在学中。ということでソニー・クラシカルのベスト・クラシック100イメージキャラクターも務めていたりする。演技はやや過剰になる時もあるが、歌は上手いし、筋は良い。
ティボルト役の渡辺大輔とマーキューシオ役の小野賢章も存在感があって良かった。

カーテンコールは3度。最後は大貫勇輔が客席に向かって投げキッスを送りまくり、笑いが起こっていた。

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2017年3月 8日 (水)

観劇感想精選(202) ミュージカル「フランケンシュタイン」2017大阪

2017年2月2日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇
 
午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「フランケンシュタイン」を観る。韓国で制作されたミュージカルの日本版である。潤色は中谷まゆみとのコンビで知られる板垣恭一。今日が大阪初日である。
ビクター・フランケンシュタイン&ジャックとアンリ・デュプレのちのフランケンシュタインの怪物はWキャストで、今日はビクターを中川晃教が、アンリ・デュプレを小西遼生が演じる。
原作:メアリー・シェリー、脚本&歌詞:ワン・ヨンボム、音楽:イ・ソンジュン、訳詞:森雪之丞、音楽監督:島健、潤色&演出:板垣恭一、振付:森川次郎&黒田育世。出演:中川晃教、小西遼生、音月桂、鈴木壮麻、相島一之、濱田めぐみ他。子役も出ていたが、ビクターの少年時代を演じてた少年(石橋陽彩)はえらく芸達者である。

今回は、主要キャストの全員が一人二役を演じる。


まず、ビクター・フランケンシュタイン(中川晃教)が怪物(小西遼生)を生み出そうとしているシーンから始まる。ビクターの姉であるエレン(濱田めぐみ)の「ビクター! やめて、あなたのしようとしていることは間違ってるわ!」と言う声と、執事のルンゲ(鈴木壮麻)の「坊ちゃま!」と呼ぶ声が聞こえる。怪物が目を覚ましたところで時は遡る。

ナポレオン戦争の最中。怪我人の手当をしていた優秀なフランス人医師であるアンリ・デュプレ(小西遼生)にビクターが話し掛ける。ビクターはアンリが何者か知っていた。
アンリは生物の再生と創造の可能性を探っていたのだが、諦めていた。それを知ってビクターは助手としてアンリを雇おうとしたのだ。ビクターも生物の再生方法を試していた。「人間はそのうちに滅びる」ので、遺体再生そして「生命そのものの創造」の手段を考えていたのだ。「命の創造を神はお許しにならない」とアンリは反対する。「あなたは神を信じないのですか?」というアンリに、ビクターは、「信じている。だが、神は至福ではなく呪いをもたらすものだ」と答える。生物の創造に反対していたアンリだが、ビクターの信念と希望を信じる心に惹かれ、助手となる。ビクターは著名人のようで、ウォルターという医学生の若者はビクターのファンである。

ビクターの幼なじみであるジュリア(音月桂)は、ビクターのことをずっと恋い慕っていた。ビクターがアンリを連れて留学から戻ってきた。ビクターとは今も両思いのはずだとジュリアは思っている。

しかし、ビクターに嫌がらせをする人達もいる。エレンはジュリアに「ビクターの呪い」について話す。ビクターの父親も医師であったが、妻(ビクターの母)をペストで亡くしていた。しかし、ビクターが母親を生き返らせたという話が広がる。ジュリアは幼い頃にビクターがジュリアの飼っていた犬を生き返らせ、自分が噛まれて怪我をしたことを思い出した。

ジュリアの父で町の名士であるステファン(相島一之)もビクターの才能を買っている。

人間を創造するのには、死んだばかりの人間の脳がいる。それが手に入らないことを悩んでいるビクター。執事のルンゲが「葬儀屋に行ってはどうか」と提案し、ビクターは「どうしてそれに気がつかなかったんだ!」と早速、ルンゲに手配を頼む。だが、葬儀屋はふざけた真似を行った。ビクターを慕っているウォルターを殺してその首を提供したのだ。激怒したビクターは葬儀屋を殴り殺してしまう。
ビクターの成功を信じているアンリは自分が身代わりとなって名乗り出て逮捕される。姉のエレンにアンリを実験道具にしたいのかと問われたビクターは、法廷で「自分がやった」と告白するが、ステファンがそれを妨害。かくしてアンリは断頭台の露と消えた。

しかし、ビクターはアンリを生き返らせようとする。「人間は愚かでテロや戦争をする。それを乗り越えるための創造を」
冒頭のシーンが繰り返され、アンリはフランケンシュタインの怪物として再生した。しかし、怪物はもはやアンリではなく、ビクターの言うことを聞かない。ルンゲを殺した怪物をビクターは狙撃するが、怪物は窓から飛び降りて逃げ出す。


3年後。ビクターとジュリアは結婚している。だが、ジュリアの父親で市長になっていたステファンが森で行方不明になったという報告があり、皆で捜索に向かう。そこでビクターの前に紳士の格好をした怪物が現れる。あたかも「嵐が丘」のヒースクリフのように。怪物は、これまでの「血と涙」の3年間を語り、「創造主よ。なぜ俺を生んだ」となじる(怪物はビクターを常に「創造主」と呼ぶ)。

3年前、怪物は、森で熊に襲われていたカトリーヌ(音月桂二役)を助けた。怪物は熊を返り討ちにした上に食べてしまったらしい。「熊、美味しい」と語る怪物。カトリーヌは闘技場で下女として働く貧しい女性。幼い頃に父親から性的虐待を受け、他人から唾を吐きかけられるなど蔑まれて生きてきた。人間が嫌いなカトリーヌは怪物に「北極に行きましょう。あなたが好きな熊もホッキョクグマがたくさんいるわ」と夢を語る。「誰からも傷つけられない国」へ行きたいと語り、怪物と踊るカトリーヌ。そこへ現れた闘技場の主の妻エヴァ(濱田めぐみ二役)は、怪物を見て、「怪物じゃない。金よ」と言う。闘技場に怪物を出して儲けようと考えたのだ。エヴァは怪物を牢に閉じ込め、邪険に扱う。

闘技場(COLISEUMと電飾がついている)の主であるジャック(中川晃教二役)は金貸しのフェルナンド(相島一之二役)に多額の借金をしている。フェルナンドは自分の部下であるチューバヤという屈強な青年に勝てる者がジャックの身内にいたら借金を帳消しにすると提案。エヴァもジャックも怪物を出そうとするが、フェルナンドも怪物の存在は知っており、カトリーヌに、「これを怪物に飲ませれば自由にしてやる」と薬を渡す。「生きる意味がない。生きていても辛いだけ」と考えているカトリーヌは、「それでも自分が必要とされる時が来るなら」と希望は捨てておらず、「自由にしてやる」という言葉を信じて怪物に薬を与えてしまう。

怪物はビクターに復讐心を抱いていた。「俺と同じ目に遭わせてやる」と。まず、ステファンが殺され、エレンが犯人に仕立て上げられる。そして妻のジュリアが……。


望んでいない怪物として蘇った男の悲哀は、不幸なカトリーヌの姿に繋がる。二人とも蔑まれた存在だ。だが、最初から蔑まれた存在だった訳ではない。蔑まれた存在は生み出されたのだ。人間によって。人間の「心」が差別や蔑まれる存在を生み出しているのである。社会から捨てられた者の悲哀と孤独。それは当事者だけでなく人間であることの悲しみであり、他者を隔てることで生まれた孤独である。
そして人間は生み出す。己のために己の信念を貫くために悲劇を、戦争やテロといった「怪物」を。己の正義は誰かを踏みにじることによって生きる。「正義」と「悪」はあたかも一人二役のように背中合わせの「怪物」だ。敵の死を願い、実行してしまう人間はフランケンシュタインの怪物よりもずっと凶暴な怪物なのである。
「神のご意思」というものがあるのかどうかはわからない。だが、信念といった美化されやすいものは、「許されざる領域」に安易に踏み込めてしまう。「生み出せる」という「奢り」は、生み出されるものの思いも生み出した結果も想像することすらない。

人間に出来る最高の救済はあるいは孤独の分かち合いなのだろか。
今日は3階席の上の方。いわゆる天井桟敷での鑑賞。オーケストラピットからの音の方が通りやすく、またスピーカーの関係で、歌詞が聞き取りにくいことがあったが、許容範囲ではある。
ミュージカルのトップスターの一人である中川晃教は歌も演技も圧倒的。存在感もある。小西遼生も優れた演技と歌を披露する。何度も上演に接している濱田めぐみも圧巻の出来。
元宝塚歌劇団男役トップの音月桂は、昨年、「十二夜」のヴァイオラとシザーリオ役で主演した舞台を観ているが、歌声を聴くのはこれが初めて。ジュリアとカトリーヌの演技のみでなく歌声の違いも聴かせるなど、実力の高さが窺える。
東京サンシャインボーイズ出身の相島一之だけは、ミュージカル畑の人でないため、歌は余り上手くなく、演技のスタイルも微妙に違うのだが、お得意の悪役では流石の演技を見せていた。


イ・ソンジュンの音楽は要所要所で3拍子の楽曲を用いるのだが特徴である。かなりの高音が要求される部分もあるのだが、出演者達は楽々クリアしていた。やはりトップスターはものが違う。

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2017年2月 4日 (土)

観劇感想精選(198) ミュージカル「わたしは真悟」

2016年12月23日 ロームシアター京都メインホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都メインホールで、ミュージカル「わたしは真悟」を観る。



ミュージカル「わたしは真悟」は、楳図かずおのマンガをミュージカル化したもの。高畑充希と門脇麦のダブル主演である。演出&振付は、フィリップ・ドゥクフレ。ドゥクフレは、アルベールオリンピックの開会式と閉会式の演出を担当した人物であり、シルク・ドゥ・ソレイユのミュージカルの演出も手掛けている。ということで、アクロバティックな能力が要求されたり、高いところに昇ったり、巨大ブランコを漕いだりと、身体能力も求められる。高所恐怖症だったりしたらまずキャスティングされない。

脚本:谷賢一。出演は、高畑充希と門脇麦の他に、大原櫻子、小関裕太、成河(ソン・ハ)等。作曲:トクマルシューゴ&阿部海太朗。作詞:青葉市子。振付&美術:エリック・マルタン、演出協力:白井晃。白井晃は、来年5月にサウスホールでドイツの劇作家の作品を演出する予定である。


今日は1バルコニー席の下手側で鑑賞。この席はかなり酷い。壁を背にした3列目であり、椅子が高めに置かれていて、足を浮かせて足置きに乗せないといけない。長い時間、この状態では苦しいのだが、更にステージを見るには体を捻る必要がある。完全に設計の失敗である。京都というのはまともな施設を造ろうとすると何かと横槍が入るところである。バルコニー席も本来なら2列で一杯一杯のはずなのだが、2000席に拘ったためにかなり無理矢理押し込められた感じである。



333メートルの鉄塔(東京タワー)のてっぺんに、マリン(本名は山本真鈴。演じるのは高畑充希)とサトル(本名は近藤悟。演じるのは門脇麦)が登っているのが発見され、地上で一騒動起きる。マリンは、「今が人生で一番素敵な瞬間なのかも知れないね」と語り、「大人になったら別の生き物になっちゃうんだよ」という風なことも言う。楳図かずおの原作だけに、こうしたイノセンスの要素がかなり濃い。

産業用アームロボットが暴走する。人々はロボットを「壊せ!」と叫び、ロボットがある女を殺したのを確認すると「死んだ」と口々に言う。ロボットの人格(成河)は、「こうして私は生まれた、といいます」と語り始める。ロボットの人格は、人格のコアな部分は希薄であると同時に、全世界の機械と動植物に働きかける神のような力を持つため、客観性と神の視座を合わせ持つことを意味する、「~といいます」という伝聞系の言葉を多用する。

ロボットの人格は、「初めに言葉ありき」と聖書の言葉を引用した後で、「しかし私は意識を持つ前に言葉を持ってしまったといいます」と言い、なぜそういうことになったのかを探ろうとする。

実は、マリンと町工場の息子であるサトルが、工場の社会科見学を機に小学6年生の夏休みに恋に落ちて、この産業用アームロボットに二人の情報を始めとするあらゆる情報を打ち込んだのだ。ロボットの人格は、マリンとサトルを両親と認識し、それぞれの名前から一時ずつ取って、自らを真悟と名乗る。周囲の人々は真悟を怖れるが、サトルの同級生のしずか(大原櫻子)だけは真悟を守ろうとする。

外交官の娘であるマリンは夏休みが終わったら家族でロンドンに渡ることになっていたのだ。マリンはサトルにそれを言い出せない。二人で結婚するにはどうすればいいのか。子供を作るにはどうしたらいいのか。「333のテッペン」にその答えが隠されているようである。

ロンドンに渡ったマリンは、自身がなぜか病院にいることに気づく。記憶はほぼ失っていた。サトルという名前は覚えていたが、それが誰なのかは思い出せない。
イギリスでは日本人と日本人排斥運動が起こっていた。ロビンという青年(小関裕太)がマリンを連れ出す。ロビンはマリンを連れ出し、地下室に監禁した上、「外では戦争が起こっており、核爆弾が使用された」と嘘をついて、マリンと強引に結婚しようとする。マリンも日本人も見下された存在だった。日本人は「技術はあるが独創性がない」「金はあるが美意識はない」と侮られていた。

一方、サトルも電気店の店頭でパソコン(まだPC98である)をいじっている時に、真悟が暴走していることを懸念した三人の黒服の男取り囲まれていた。真悟には日本人全ての情報が入っている(一瞬だが、モニターに「ウメヅカズオ」という名が映るのを確認することが出来る)。汚れた大人達は真悟を怖れたのだ。
真悟は両親を守ると同時に、二人の間に愛があったことを伝えようとする。


イノセントな愛の物語である。バタイユ的愛と書いてもいいだろうが、12歳の少年少女なので、そこまでには達していないだろう。子供から大人へと移り変わろうとするほんの一瞬に感じる「子供であったことの尊さ」を上手くすくい取ってるように感じた。

高畑充希も門脇麦も微妙な年齢の少女と少年を演じていたが共に好演。歌唱力も万全で、高畑充希はファルセットの多用や、主旋律の後で対旋律に回るという成河とのデュオなど、難しいナンバーを振られていたがそつなくこなした。

予想以上の健闘だったのが大原櫻子。子供子供した子供を演じるのはそう簡単ではないはずだが、上手く少女らしさを出した演技をしていたように思う。彼女は二世タレントなので筋も良いのだろう(二世タレントだから必ずしもセンスを受け継ぐというわけではないのはご承知の通りであるが)。


ドゥクフレの演出は、モニターや背後のスクリーンに投影される映像を多用したもの。ステージを目一杯使っているが、ロームシアター京都メインホールはこの演出をするにはキャパが大きすぎるように感じた。

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2016年2月25日 (木)

サイモン・ラトル指揮バーミンガム・コンテンポラリー・ミュージック・グループ レナード・バーンスタイン ミュージカル「ワンダフル・タウン」序曲

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