カテゴリー「ベートーヴェン」の77件の記事

2018年5月24日 (木)

コンサートの記(388) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団  ベートーヴェン交響曲全曲演奏会第1回

2018年5月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会第1回を聴く。大阪フィルが朝比奈時代から何度も繰り返し行って来たベートーヴェン交響曲チクルスの新シリーズである。

札幌交響楽団時代にもベートーヴェン交響曲全曲演奏を行っている尾高忠明。大阪フィルのシェフに就任してまず大フィルの看板企画に挑むことに決めた。

今日の演目は、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲、交響曲第1番、劇音楽「エグモント」序曲、交響曲第2番。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ベートーヴェンの初期交響曲であるが、第1ヴァイオリン12型と大きな編成での演奏。ピリオド・アプローチを採用しているが、スケールは大きく、ベートーヴェンの初期作品ではあっても大交響曲として演奏していることがわかる。

今日もノンタクトで指揮する尾高忠明。やや速めのテンポでの演奏。エネルギー放出量は大きいが、弦楽にHIPを取り入れているためか暑苦しくはならない。
フォルムの堅固さも特徴であり、朝比奈以来のDNAが保たれているのが確認出来た。
時折、音像が雑になるところもあったが、第1回の演奏としては上出来だったように思う。

全曲演奏終了後、尾高は、「あと7曲ありますので、よろしくお願いします」と言い、最後は「おやすみなさい」のポーズをして指揮台を後にした。


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2018年5月20日 (日)

コンサートの記(387) 寺岡清高指揮大阪シンフォニカー交響楽団第125回定期演奏会 ハンス・ロット 交響曲第1番

2008年5月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時より、大阪のザ・シンフォニーホールで、大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)の第125回定期演奏会を聴く。指揮は大阪シンフォニカー響正指揮者の寺岡清高。

「ベートーヴェンと世紀末ウィーンの知られざる交響曲シリーズ」と銘打たれた4回公演の第1回目。前半がベートーヴェンの交響曲第2番、後半がハンス・ロットの交響曲第1番というプログラム。

寺岡清高は早稲田大学卒業後、桐朋学園大学で学び、更にウィーン国立音楽大学でも指揮を専攻した。その後もイタリアのキジアーナ音楽院やフィエゾーレ音楽院などで学んでいる。師はカルロ・マリア・ジュリーニ、ネーメ・ヤルヴィ、ヨルマ・パヌラなど。2004年に大阪シンフォニカーの正指揮者になっている。昨夏は、急病のネーメ・ヤルヴィの代役としてイギリス室内管弦楽団を指揮してロンドン・デビューを飾った。ところで本当にネーメさんは急病になったのだろうか。師が急病だと偽って弟子にチャンスを与えることはたまにある。

25歳で夭逝したハンス・ロット(1858-1884)の交響曲第1番が演奏されるというのが珍しい。

ハンス・ロットはウィーンの生まれ。16歳でウィーン音楽院に入ってアントン・ブルックナーに弟子入りし、その才能を認められている。2歳下のグスタフ・マーラーは同門であり、親友でもあった。

20歳で交響曲第1番の第1楽章を完成させるが、ブルックナー以外の教師には認められなかった。それでもその2年後には交響曲第1番を完成させ、憧れの存在であったヨハネス・ブラームスを訪問し、ブラームスが審査員を務めていたベートーヴェン大賞に交響曲第1番を応募するが、ブラームスから酷評されて精神を病み、精神病院に入院。回復することなく25歳で亡くなった。

ハンス・ロットの交響曲第1番が初演されたのは、ごく最近のこと。1989年、アメリカのシンシナティにおいてだった。

私が最も信頼している若手指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ(いうまでもなくネーメの息子)は、ハンス・ロットを高く評価していて、インタビューで「録音したい」とも語っていた(その後、フランクフルト放送交響楽団と同曲を録音、名盤となった)。ということで聴いてみたくなったのである。
寺岡はネーメの弟子なので、ハンス・ロットの交響曲第1番を取り上げるのも自然という気もする。

ベートーヴェンの交響曲第2番。寺岡がこの曲を前半に取り上げた理由は、後半のハンス・ロットの交響曲第1番を聴いてわかった。

大阪シンフォニカー交響楽団はアメリカ方式の現代配置を採用。日本のオーケストラとしては珍しい。
3階のステージ左手上の席に座ったということも影響しているのかどうか、ヴァイオリンの響きは実に艶やかだが、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの響きが鈍く聞こえる。

管はまずまず充実していたが、第2楽章でホルンの目立つキークスがあり。

寺岡の表現は中庸を行くもので、悪いところはないが、良いところも余り見つからない。活きの良さを強調するでもなく、音の美しさを追求するでもない。強弱のつけ方は、良く言うと大らか、悪く言うと大雑把である。安心して聴けるベートーヴェンであるが、その分、もの足りなさも感じる。

後半のハンス・ロットの交響曲第1番。
初めて聴く曲だが、青春の息吹が感じられる作品であった。ベートーヴェンの「青春の歌」ともいえる交響曲第2番と組み合わせられたのも納得。

清々しい響きの目立つ曲で、金管などの強奏に浅さが感じられたり、まとまりの悪い箇所もあるが、格好いい音型も多く、オーケストレーションも巧みで、聴かせる。また、鳥の鳴き声を模す音型があるなど、大自然の響きを感じさせる拡がりのある音楽が展開される。第3楽章は、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第2楽章に似た舞踏の旋律である。オーストリアの田舎の舞踏をモチーフにしているので似たものになったのかと思いきや、どうもマーラーはハンス・ロットのオマージュとして似た旋律を敢えて書いたらしい。

ブルックナーやマーラーの影響と、ブルックナーやマーラーにも影響を与えたことが窺える作品だ。完成時のロットは22歳。早熟の筆による充実のシンフォニー。

だが、どうも妙なのである。4楽章からなる交響曲なのだが、全ての楽章が太陽の光を燦々と浴びているようで、陰影に乏しい。たまに影のある音型が出てきても、すぐに明るめの旋律で否定されてしまう。

ハンス・ロットの師のブルックナーにしても、友人のマーラーにしても陰影は濃厚である。マーラーの音楽の場合には更に激しい葛藤もある。なのにハンス・ロットの音楽にはそれが感じられないのだ。

明るい未来を夢見る若者の曲であるが、人間である以上、もっと葛藤があってもいいと思うのだがそれがない。全楽章を通して、夢見がちな若者の明るい未来を疑わない音楽に終始する。

そして、第4楽章では、明らかにブラームスの交響曲第1番第4楽章を意識した凱歌が流れ、ラストも自己讃美のように聞こえなくもない。葛藤もないのに凱歌を奏でていいものか。

ブラームスは実はハンス・ロットの音楽を否定したのではなく、人間性に疑問を持ったのではないだろうか。ブラームスはブルックナーと折り合いが悪く、ブルックナーの弟子のハンス・ロットに好感を抱いているはずはなかった。そのロットが賞に曲を発表する事前に自分を訪ねてきて、応募した曲に自己の楽曲の影響を受けたことの窺える部分があったのなら、「媚びを売っている」と思われても仕方がないような気もする。

実は、ハンス・ロットは、ブラームスに作品を酷評されてベートーヴェン大賞には落選するが、同時に応募した芸術家奨学金(審査員はやはりブラームス)が下りたのである。ブラームスが作品を全く認めていないのなら奨学金が下りるはずもない。更にブラームスを信奉していた評論家のハンスリックは、ロットのことを褒めているのである。

しかし、奨学金が下りることが決定した頃には、ハンス・ロットはすでに精神病院の中にいた。ロットはブラームスを尊敬していたようで、そのブラームスから酷評を受けたのがショックで発狂したという。ブラームスが自分を殺そうとしていると口走ったともいう。

これも妙だ。師であるブルックナーも、マーラーも、自作の交響曲の初演は失敗することが多かった。ブルックナーは憧れのウィーン・フィルに自身の交響曲を演奏して貰うべく奔走し、リハーサルにまで漕ぎ着けたが、そこでウィーン・フィルのメンバーに作品を否定されるという屈辱まで受けている。しかし、発狂はしなかった。ブルックナーもマーラーも強迫性障害を患ってはいたのだが。

ブラームスに作品を否定されたのがショックなのはわかるが、ブラームスだって神様ではないのである。あらゆる作品の出来を見抜けるとは限らないし、意図的に芸術作品を否定することもある。ブラームスの批評を鵜呑みにしてしまうとは22歳にしては無邪気すぎないか。発狂するほどブラームスに心酔していたということなのだろうが、余りにも冷静さを欠いている。ブラームスに自作を褒められて当然という意気込みがあったのか。ブルックナーには理解されていたのにそれでは駄目だったのか。自意識が強すぎやしないか。
それが夢見る交響曲第1番の作風に繋がっているように思えるのだ。

演奏は、金管がばたつく場面があったりしたが、全般的に見れば充実していた。

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2018年5月15日 (火)

コンサートの記(383) 大和証券グループPresents 佐渡裕指揮トーンキュンストラー管弦楽団 レナード・バーンスタイン生誕100年記念日本ツアー2018京都公演

2018年5月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、大和証券グループPresents 佐渡裕指揮トーンキュンストラー管弦楽団レナード・バーンスタイン生誕100年記念日本ツアー2018京都公演を聴く。

京都生まれの佐渡裕の凱旋公演となる。佐渡は2016年にもトーンキュンストラー管弦楽団と日本ツアーを行ったが、その際は関西ではフェスティバルホールでの公演を行っただけであった。今回の日本ツアーは今日が初日で、この後、今月27日まで13箇所での公演を行う。関西では今回もフェスティバルホールでの公演を行うが、佐渡の現在の本拠地である兵庫県立芸術文化センターでの演奏会はない。
有料パンフレットの販売はないが、かなり充実した内容の無料パンフレットが配られており、良心的である。

今日の曲目は、バーンスタインのキャンディード序曲、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、ブラームスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ヴァレリー・アファナシエフ)

今日は3階LB1列2番での鑑賞。偶然だが、LBというのは、Leonard Bernsteinのイニシャルと一緒で嬉しくなる。


ます佐渡が一人で登場し、マイクを手にトークを行う。レナード・バーンスタインとの思い出、更に最初はニューヨークで勉強しようと思っていたところ、バーンスタインに連れられてウィーンに行き、ウィーン国立歌劇場やムジークフェラインザールの立ち見席で演奏を聴いて学んだこと。ウィーンでは立ち見席での時代を経て今では指揮台に立つようになったため、「なかなか座らせてくれない」というお決まりのギャグを繰り出して聴衆を笑わせていた。オーストリアでもバーンスタイン生誕100年ということで今年はバーンスタインの作品が多く取り上げられるそうである。ちなみにウィーンでは指揮の仕事がなかったため、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して、ラムルー管弦楽団の首席指揮者に就くなど、指揮としての本格的なキャリアはフランスでスタートさせている。

日本ではウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団と呼ばれることもあるトーンキュンストラー管弦楽団は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、ウィーン放送交響楽団に次ぐ、ウィーン第四のオーケストラ的な扱いをされている団体である。現在はニーダーエースターライヒ州のオーケストラとして州都ザンクトペルテンを本拠地としており、ウィーンムジークフェラインザールでも演奏会を行っている。歴代の首席指揮者の中には、クルト・ヴェス、ハインツ・ワルベルク、ワルター・ウェラー、ファビオ・ルイージといった日本でもお馴染みの指揮者の名前も並んでいる。
ウィーン放送交響楽団でも評価は高くないが、トーンキュンストラー管弦楽団はそれより下ということで、ポピュラー音楽の演奏を手掛けることも多い。
クリスチャン・ヤルヴィ、アンドレス・オロスコ=エストラーダの時代を経て、2015年に佐渡裕が首席指揮者に就任。比較的指揮者をコロコロ変える傾向にある楽団だが、佐渡とは任期延長を行っている。私はクリスチャン・ヤルヴィとの来日公演をザ・シンフォニーホールで聴いており、佐渡とのフェスティバルホールでの演奏会を聴いているため、これが3度目のトーンキュンストラー管弦楽団体験となる。

ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは上手側に置かれている。無料パンフレットに団員の名簿も載っているが、ファーストヴァイオリンにShotaro Tojima、チェロにKanade Oshimaと日本人の名前が見られる。チェロに東洋人風の容貌の奏者は一人しかおらず、Kanade Oshimaさんは女性であることがわかった。ピアノ/チェレスタにKyoko Yoshizawaの名もあるが、今日はピアノとチェレスタが用いられる曲はないため、降り番である。


バーンスタインのキャンディード序曲。出だしに爆発力があり、テンポもリズムも理想的である。語り上手な演奏なのであるが、オーケストラのパワー、特に弦楽の威力が今ひとつなのが玉に瑕である。


ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。佐渡は第九の演奏を多く手掛けており、代名詞のようになっているが、ベートーヴェンは必ずしも得意とはしていない。
弦楽器のビブラートを控えめにして透明な響きを出しているが、ピリオドの影響が感じられるのそこだけで、ピリオドアプローチによる演奏ではない。瑞々しい響きが印象的だが、弦と管のバランスが悪く、時に金管が能天気な強奏を行うことがある。「田園」はベートーヴェンの曲の中でも実は演奏が難しい部類に入るのだが、トーンキュンストラー管弦楽団の力が及ばない場面も見受けられる。
佐渡は第2楽章をノンタクトで振るが、テンポが速過ぎて詩情を欠くところもあった。
第4楽章の嵐は、迫力満点で描写力も高いが、佐渡が今も「爆演の佐渡」から抜け出せていないことも感じられた。
最終楽章も悪くはないのだが、やはり弦と管のバランスは最後まで整わなかった。


後半。ブラームスのピアノ協奏曲第2番。独奏は、1990年代に異色のピアニストとして脚光を浴びたヴァレリー・アファナシエフ。ピアニストであると同時に、詩人、小説家としても活動しており、鬼才として日本でもファンが多い。モスクワ音楽院でエミール・ギレリスに師事。1968年のバッハ国際コンクールと1972年のエリザベート王妃国際コンクールで優勝。1974年に西側に亡命し、ベルギー国籍を得ている。

極端に遅いテンポを採用することなどで知られるアファナシエフであるが、協奏曲ということもあり、それほど個性を前面には現さない。
今日はピアノの鍵盤が良く見える席にいたのだが、アファナシエフは指を余り曲げることなく、鍵盤上に指を置いていくような弾き方をする。日本だったら先生から直されるような弾き方である。
アファナシエフは旋律を切るように弾いたり、立体感を出しながらブラームスの古典的一面を強調しつつ演奏したりするが、特に異端という印象は受けず、充実したブラームス演奏を展開する。
佐渡指揮のトーンキュンストラー管はやはりパワー不足という感は否めないが、自分達の作曲家であるブラームスのロマンティシズムを大切にした演奏を行っていた。第3楽章のチェロのソロも充実の演奏である。


アファナシエフはアンコールとして、ショパンのマズルカ イ短調を演奏する。こちらは協奏曲と違ってかなり個性的な演奏である。ショパンの曲というよりも古典派の作品のように聞こえる。

ラストは佐渡とトーンキュンストラー管によるアンコール演奏、ブラームスのハンガリー舞曲第5番。ノリの良い演奏であった。

ベートーヴェンは少し落ちるが、なかなかの出来の演奏会だったように思う。トーンキュンストラー管弦楽団のレベルであるが、技術面に関しては日本のオーケストラと比べても中堅程度で抜群に良いオーケストラというわけではないようである。いかにも独墺系のオーケストラらしい渋めの響きは魅力的である。

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2018年4月19日 (木)

コンサートの記(373) 下野竜也指揮 京都市交響楽団第505回定期演奏会

2007年10月12日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団(京響)の第505回定期演奏会に接する。今日の指揮者は下野竜也。ソリストとして、若手ピアニストの小菅優(こすげ・ゆう)が登場する。
曲目は、J・S・バッハ作曲、レスピーギ編曲の「パッカサリアとフーガハ短調」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、フランクの交響曲ニ短調。

前にも何度か書いたが、下野竜也は1969年生まれの若手指揮者。鹿児島に生まれ、県下有数の進学校である甲南高校を卒業。ここで普通なら大都市にある音大を目指すところだが、下野は地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入っている。鹿児島大学の音楽科にも指揮専攻はあるが、有名指揮者が教えているわけではない。あるいは下野はこの時点ではプロの音楽家を目指していなかったのかも知れない。鹿児島大学卒業後、桐朋学園大学音楽学部付属指揮教室で本格的に指揮の勉強を始め、イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事している。ちなみに、先日、名古屋フィルを指揮してシベリウスの名演を聴かせたハンヌ・リントゥもキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事しており、二人は同門ということになる。
大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)の指揮研究員となり、1999年に大フィルを指揮してデビュー。2001年のブザンソン国際指揮者コンクールに優勝して脚光を浴びる。昨年、読売日本交響楽団の正指揮者に就任している。

西郷さんのような体格で、ニコニコと笑みを浮かべながら棒を振る様は、クマのぬいぐるみが指揮しているようで可愛らしいが、実力は確かである。


指揮者はみな、自分自身の音色を持っているが、下野の音は若手にしては渋め。「パッカサリアとフーガハ短調」は、弦の渋い音色と、管の華やかな色彩をともに生かした演奏だった。
ポディウム席で聴いていたのだが、パイプオルガンを使う曲だったので、ポディウム席の真後ろにあるパイプオルガンの低音が床を小刻みに揺らす。音楽とは振動であり、振動で音を感じるというのも私自身は好きである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ソリストの小菅優は1983年生まれ。9歳の時に渡欧し、以後、ずっとヨーロッパで音楽教育を受け、活動を続けている。日本人の若手女流ピアニスト(といってもヨーロッパでの生活の方が長いので、正真正銘の日本人ではないのかも知れないが)の中で最も脚光を浴びている一人である。

小菅は立体的な音を奏でる。一音一音が美しく、また音に風景が宿っているような、想像を喚起する力がある。
下野の指揮も小菅に合わせて非常に爽やか。ベートーヴェンではなく、モーツァルトのピアノ協奏曲を聴いているのではないか、と錯覚するほどであった。
渋い第2楽章では、小菅、下野ともに落ち着いた音色で演奏。曲想の描き分けが鮮やかだ。

ソリストにも様々なタイプがあって、完全に自分の世界に入ってしまう人もいるが、小菅はそれとは正反対。下野の指揮棒を常に意識し、オーケストラだけが演奏する場面では、京響の団員とアイコンタクトを図っていた。オーケストラにも好まれるタイプのピアニストである。

アンコールは2曲。いずれもショパンの「24の前奏曲」より第3番と第7番。なお、京都コンサートホールの、今日のアンコール曲目を知らせるホワイトボードには、なぜか「ショパン 前奏曲第3番、第5番」と書かれていた。
ちなみにショパンの前奏曲第7番は、世間では太田胃散のCM曲として認知されているあの曲である。

小菅優が出演する割には客の入りは少なかったが、若い人が多く聴きに来ており、休憩時間や終演後に、「(小菅優と)同世代だし応援したいよね」という話がそこかしこで聞こえたのが心強い。


フランクの交響曲ニ短調。尻上がりの演奏であった。京響は、金管が極めて優秀。輝かしい音色で鳴り渡る。下野の指揮は全般的には良かったが、切迫感が欲しい場面での迫力が今一つ。下野も、コンサートマスターのグレブ・ニキティンも顔を真っ赤にしての力演なのだが、その割には出る音に緊張感が足りない。
一方、優雅な曲想のところでは、丁寧な演奏で魅せる。どちらかというと淡彩の演奏で、もっと濃い音を出しても良いと思うのだが、あっさりしている方が日本人には合っているのかも知れない。

第2楽章演奏終了後、誰かの時計のアラームが鳴り始める。しかも長い間止まない。下野はアラーム音が消えるのを待っている。ようやくアラーム音が消え、下野はニコリと微笑んで指揮棒を振り始める。第3楽章(最終楽章)は金管の大活躍もあって素晴らしい演奏となった。


指揮者としてのポストは東京で得た下野だが、大阪フィルとの繋がりも強く、来年4月から京響の常任指揮者となる広上淳一に師事したこともあるようなので、今後も関西で指揮活動を行っていくことだろう。というより絶対に行って欲しい。

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2018年4月 6日 (金)

コンサートの記(367) サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月12日 大阪・中之島の(旧)フェスティバルホールにて

午後2時から大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団の来日演奏会を聴く。オラモとフィンランド放送交響楽団の来日公演を聴くのは2度目、前回は京都コンサートホールでの公演に接している。

サカリ・オラモは、1965年生まれの指揮者。シベリウス・アカデミーで、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、加えてヴァイオリニストとしても研鑽を積む。かつてはフィンランド放送交響楽団のコンサートマスターだったということもあるオラモ。指揮者としてのデビュー時の相手もフィンランド放送交響楽団だそうで、楽団員達とは古くからの気心の知れた間柄だ。
オラモは、サー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に任命されて一躍脚光を浴びたが、バーミンガム市響のシェフの座(現在の肩書きは音楽監督)からは近く離れる予定で、今後は首席指揮者の地位にあるフィンランド放送交響楽団と、新たに音楽監督に就任するロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を主たる活躍の場にするものと思われる。

フィンランドのオーケストラということで、東京などの公演ではシベリウス作品をプログラムに盛り込んでいるフィンランド放送響であるが、大阪公演ではシベリウスの名は演奏曲目にはない。
ブラームスの「悲劇的序曲」、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」(独奏チェロと管弦楽のための作品だが、今回はトランペットを独奏としたバージョンで演奏する。ソリストを務めるのは、人気、実力とも世界最高のトランペッターといわれるセルゲイ・ナカリャコフ)、ベートーヴェンの交響曲第5番というプログラム。

残響の少ないフェスティバルホールの、ステージから遠い天井桟敷に座ったため、音そのものの美しさを楽しむことは出来なかったが、フィンランド放送交響楽団の高い機能と、オラモの雄弁な指揮を楽しむことは出来た。フィンランド放送交響楽団は20年ほど前の来日公演ではオーケストラの技術がボロボロで、評価も同様に散々だったそうだが、技術面では著しい向上を見せており、解像度の高い音楽を繰り広げる。

ブラームスの「悲劇的序曲」では、ひんやりとした弦と、輝かしい金管の音色の対比が鮮やかであり、オラモの指揮もタイトルに込められた悲劇的な雰囲気を的確に引き出している。

「ロココの主題による変奏曲」で、オラモとフィンランド放送響は更に優れた実力を発揮。ロシア風の冷たく拡がりのある音色から、心からの温もりを感じさせるロマンティックで優しい音色まで、自在に操る様は魔術のようだ。
チェロ独奏のための曲をトランペット(正確にはフリューゲルホルンというトランペットとは微妙に違う楽器)で吹いてしまおうという挑戦は無謀にも思えるが、名手ナカリャコフだけに技術的な不満は感じさせない。しかしチェロに比べるとトランペットはどうしても分が悪い。高度なトランペット演奏技術が求められるわりには聴き映えが今ひとつという点でも損だ。

ナカリャコフは、アンコール曲に超絶技巧を思う存分披露できる「ベニスの謝肉祭」(ジャン・パティステュ・アーバン作曲)を選び、神懸かり的な技術を披露。客席を圧倒する。


メインのベートーヴェンの交響曲第5番では、オラモは理知的な演奏を繰り広げる。大編成による演奏だが、弦楽器のビブラートを抑え気味にするなどピリオド奏法の影響も見られ、良い意味で折衷的なスタイルを採用(配置もヴァイオリンが両翼に来る古典的配置を基本としながら、、コントラバスは舞台上手奥に置くという折衷様式であった)。ベートーヴェンが書いた楽譜を客観的に丁寧に音に変えていく。基本のテンポは速めだが伸縮自在であり、表情も多彩。第1楽章と第2楽章をアタッカで繋いだのも個性的だ。
音楽にのめり込むことはないが、その分、曲の効果を十全に発揮させる計算がなされており、第4楽章冒頭の輝かしさにも瞠目させられた。「秀才によるベートーヴェン」という言葉が浮かぶ名演奏。
まだ交響曲第5番を聴いただけだが、オラモのベートーヴェンはかなり期待して良さそうだ。

アンコールはやはりシベリウス。最近はアンコール曲の定番となった感もある「悲しきワルツ」が演奏された。オラモはピアニッシモの部分を聴き取るのが難しいほど弱い音で演奏してみせる。昨年来日したパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルもアンコール曲として演奏した「悲しきワルツ」で、ピアニッシモを強調していた。この曲のピアニッシモの部分をかなり弱くするというのは流行りなのだろうか。

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2018年3月29日 (木)

コンサートの記(366) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017(年度)「魔法のオーケストラ」第4回“音楽の魔法”

2018年3月25日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017(年度)「魔法のオーケストラ」第4回“音楽の魔法”を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

本番に先駆けてロビーコンサートがある。京響の各奏者が自分たちのパート以外の楽器に挑戦していたが、ラストに登場する出雲路橋カルテットのメンバーとして広上淳一が登場、モンティの「チャルダッシュ」でピアニカ(鍵盤ハーモニカ)でソロを取る。アゴーギク使いまくりのユーモラスな演奏。京響のメンバーもロビーにいて演奏を聴いており、私の近くには中山航介君(この間、出原さんに付き合って女装してコンサートに参加したらしい。京響も最近は飛んでるなあ)がいたのだが、ずっと笑いっぱなしだった。
スマホで映像を撮っている熱心な人がいるなあと思ってよく見たら大阪フィルハーモニー交響楽団の福山修事務局次長であった。大阪フィルでもこうした試みは行いたいだろう。


今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。京響の二人いるコンサートマスターのうちの一人である渡邊穣はこの3月で卒団。泉原も指の怪我から復帰して半年ほどで調子は十全ではないと思われる。尾﨑平のアシスタント・コンサートマスターからの昇格もなさそうである。ということで、新たにコンサートマスターを連れてくる必要がある。泉原が怪我で1年ほど抜けていた間に何人か客演のコンサートマスターが試されたが、合格者がいたのかどうかはまだわからない。


今日の演目は、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」よりメインタイトル、ベートーヴェンの交響曲第5番より第1楽章、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲より第1楽章(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、ブラームス(シュメリング編曲)のハンガリー舞曲第5番、チャイコフスキーの交響曲第5番より第4楽章。


先日、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団への客演で大成功を遂げた上淳一。すでに次回の客演も決まったという。


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」よりメインタイトル。スケール豊かなシンフォニックな演奏であり、映画音楽というよりクラシックの音楽作品と捉えたような立派な出来である。リズムと響きのバランスにも広上らしい明晰さが見られた。

演奏終了後、ガレッジセールの二人が登場。ゴリが「あそこの窓から見てたんですが、広上さんがだんだんヨーダに見えてきた」と言うと広上は「ヨーダのようだ」と冗談を言って、ゴリに「先生、今日、最初から飛ばしますね!」と言われる。

広上が、「ゴリちゃん、川ちゃん、二人はなんで漫才師やってるの?」と聞き、川田が「僕らは楽しいからやってます」と言うもゴリが「正直、お金になるから」と言って、川田に「最低だな、お前!」と突っ込まれる。広上は、「舞台に出るのが楽しいからやってるんでしょ。僕らもそうなんです」と言う。

続いて、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の楽曲解説。ベートーヴェンの父親がDVを行っていたという話から始まる。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの父親であるヨハン・ヴァン・ベートーヴェンは有能なテノール歌手だったのだが、「ここぞという時にいつも失敗してしまう」ということでうだつが上がらず(酷い上がり症だったという説もある)その不満を息子にぶつけていた。ベートーヴェンの祖父は同じ名前のルートヴィヒでボン市の音楽長を務めた名音楽家。そのためベートーヴェンの母親は息子がDVに遭うたびに祖父の話をして慰めたと広上は語る。ヨハンにしてみれば父親も名音楽家、息子も名音楽家でそのために余計ストレスが溜まったという話もあったりする。
「運命」の冒頭のジャジャジャジャーンは父親との決別を描いたものという説を広上は明かす。

ベートーヴェンの交響曲第5番は広上の十八番の一つであり、京響でも何度も取り上げているが、今日の演奏は三連符を強調するような、これまでに聴いたことのない解釈であった。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの辻彩奈は、1997年生まれの新進ヴァイオリニスト。岐阜県大垣市に生まれ、2009年の第63回全日本学生音楽コンクールヴァイオリン部門小学校の部で全国1位を獲得。2013年の第82回日本音楽コンクールヴァイオリン部門でも1位を獲得。2015年の第11回ソウル国際音楽コンクールで第2位(最高位)、2016年のモントリオール国際音楽コンクールで優勝と若くして華々しいキャリアを誇っている。現在は東京音楽大学に特別特待奨学生として在学中。1年後にアンサンブルホールムラタでのリサイタル開催も決まっている。

真っ赤なドレスで登場した辻彩菜。話すのは余り得意ではないようで、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に関しても、「誰でも一度は聴いたことあります。よね?」と広上に聞いて、ゴリに「なんで一々、広上先生を頼るんですか?」と突っ込まれていた。ゴリは辻を「恥ずかしがり屋さんですね」と評したが、広上は「ヴァイオリンはそうじゃない」と答える。

辻のヴァイオリンであるが、高音の切れ味と輝かしい音色、きっぱりとした歌い方が特徴である。二十歳にしてはかなり音楽性が高い。パウゼの取り方も独特である。


後半。ブラームスのハンガリー舞曲第5番。広上はガレッジセールの二人を指揮台のそばに立たせたまま序盤を指揮。ゆったりとしたテンポからアッチェレランドしていく演奏である。広上は左手でゴリの顔を撫でるように指揮しておどける。続いて、「ブラームス先生が書いたとおりに」ということでインテンポの演奏を行う。楽譜に全てが書けるわけではなく、解釈の余地があるということを示したのであるが、全曲演奏することなく次のチャイコフスキーの曲に進んでしまおうとする。京響の楽団員達は顔を見合わせていた。
実際にブラームスがどんな演奏を望んでいたかを知る術は最早なく、ブラームスがタイムマシーンに乗ってここにやって来たら、「広上! なに勝手なことやってんだよ!」と言われるかも知れないし、「よく理解してくれた」と褒められるかも知れないと語る。「我々はブラームス先生の思いを『忖度』して演奏するだけ」
ハンガリー舞曲第5番全曲の演奏であるが、まずは自然体でスタートし、再現部でタメにタメてアッチェレランドというスタイルであった。


チャイコフスキーの交響曲第5番第4楽章。広上は鞄を持ってきており、中から別のジャケットやらカツラやらサングラスやらを取り出す。まずは金髪アフロのカツラを被り、サングラスをしてロシア人指揮者「ヒロカミンスキー」に扮して疑似ラスト付近の部分を演奏する。本編の疑似ラストで拍手が起こるのを防ぐ狙いもあるだろう。だがサングラスをしたため楽譜が見えず、練習番号を確認していたりする。カツラやサングラスは昨日、LOFTで買ってきたそうだ。
ヒロカミンスキーの演奏。新即物主義的な解釈であり、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の前身であるレニングラード・フィルハーモニー交響楽団に半世紀に渡って君臨したムラヴィンスキーを意識した演奏を行っていることがわかる(チャイコフスキーの交響曲第5番はエフゲニー・ムラヴィンスキーの十八番である)。
今度は、茶髪でロン毛のカツラを被り、「日本人指揮者、名前は言いませんが、こういう髪型をした」ということでコカミを名乗り、濃厚な演奏を行う。明かされることはなかったが、どう考えてもコバケンこと小林研一郎の物真似である(チャイコフスキーの交響曲第5番は小林研一郎の十八番でもある)。
同じ曲でもイメージが大きくことなることを示した後で、広上指揮京響のオリジナルの演奏。今日はどこかを強調するということはなく比較的端正な演奏であった。


アンコールはチャイコフスキーの「白鳥の湖」より「スペインの踊り」。比較的短い曲だが、曲調の変化を丁寧に描き分けた演奏となった。

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2018年2月27日 (火)

ベートーヴェン 交響曲第8番 レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1814年2月27日、ベートーヴェンの交響曲第8番が初演されました。ベートーヴェンの交響曲の中でも飛び抜けて明朗な曲調を持つ曲です。ベートーヴェンの生前、この曲の評価は低めでしたが、ベートーヴェン自身は第8交響曲に自信を持っていたといわれています。
今年で生誕100年を迎えるレナード・バーンスタインの指揮でお楽しみ下さい。

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2017年12月12日 (火)

コンサートの記(331) フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団来日公演2017名古屋

2017年11月28日 名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールにて

午後6時45分から、名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールで、フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団の来日演奏会を聴く。

日本特殊陶業市民会館は、JR金山駅(名鉄と名古屋市営地下鉄も乗り入れており、金山総合駅の総称もある)で降りて北へすぐの所にある。

日本特殊陶業市民会館フォレストホールは、以前の名古屋市民会館大ホール。ネーミングライツによる中京大学文化市民会館オーロラホールを経て現在の名称になっている。1972年竣工というもあって、翌年完成した渋谷のNHKホールに内装がよく似ている。
ということで音響が不安だったのだが、良く聞こえるホールであった。


ベートーヴェンの交響曲第5番とブラームスの交響曲第1番という王道プログラムでの演奏会である。


フィリップ・ジョルダンは、私と同じ1974年生まれの指揮者。父親は名指揮者として知られたアルミン・ジョルダンである。チューリッヒに生まれ、同地で学んだ後、歌劇場のコレペティートル(下稽古のピアニスト)から音楽キャリアをスタートさせるという、叩き上げの王道を経て、若き日のヘルベルト・フォン・カラヤンが君臨したことで知られるウルム市立歌劇場のカペルマイスターに就任。1998年から2001年まではベルリン国立歌劇場でダニエル・バレンボイムの助手を務めている。2001年にグラーツ歌劇場とグラーツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となり、2004年まで務める。2006年から2010年まではベルリン国立歌劇場の首席客演指揮者。現在はパリ・オペラ座の音楽監督とウィーン交響楽団の首席指揮者の座にある。2020年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することがすでに決まっている。

ウィーン交響楽団は、ウィーン・フィルハーモニーに次ぐ、ウィーンの第2オーケストラ的団体として知られている。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからなるオーケストラであり、定期演奏会の数が少ない。「もっと恒常的にオーケストラコンサートを聴きたい」というウィーン市民の声に応える形で結成されたのがウィーン交響楽団である。1900年創設。歴代のシェフには、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ヨーゼフ・クリップス、カルロ・マリア・ジュリーニ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ウラディーミル・フェドセーエフ、ファビオ・ルイージというビッグネームが並ぶ。近年では最晩年のジョルジュ・プレートルとの名盤が評判を呼んだ。
一方で、「暴れ馬のようなオーケストラ」という評価もついて回っている。

ヴァイオリン両翼だが、弦楽の配置は下手から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンで、一般的な古典配置のヴィオラとチェロを逆にしたスタイルである。コントラバスは舞台最後部に横一列に並ぶ。ティンパニは舞台下手奥に陣取る。

フィリップは全曲暗譜での指揮。いかにも才人といった風の身のこなしである。


ベートーヴェンの交響曲第5番。
冒頭の運命動機のフェルマータは自然な感じで伸ばす。ピリオド・アプローチを採用しており、弦楽器よりも管楽器において古楽風スタイルが顕著である。旋律のラストは伸ばさずにサッと引っ込む感じで刈り上げる。ティンパニが硬い音を出しているのも特徴。
ウィーン交響楽団は各楽器の音色が濃く、音の情報量が豊かである。
フィリップは、管楽器、特に金管、就中ホルンの浮かび上がらせ方が巧みであり、立体的な音響を生んでいる。
楽章間はほとんど開けず、4楽章を通して1曲という解釈による演奏。ベーレンライター版の譜面をかなり忠実に再現しており、第4楽章の掛け合いでは、通常の「タッター、ジャジャジャジャン、タッター、ジャジャジャジャン」ではなく「タッター、タッター、タッター、タッター」と同音反復を採用。ピッコロの活躍も目立っていた。
フィリップが手を差し伸べた楽器群が光度を増す様は、あたかも手品を見ているかのようである。
一方で、細部は結構粗めで、ウィーン交響楽団の個性が出ている。


ブラームスの交響曲第1番。冒頭は情熱を抑えて、悲哀を強調した解釈。音もブルートーンである。この曲は、ベートーヴェンの運命動機と同じ「ジャジャジャジャン」という音型が何度も出てくるのだが、フィリップはそれを強調することはなかった。ウィーン交響楽団の音の密度はベートーヴェンの時よりも更に濃い。
ウエットな音がラストに向けて輝きを増していくという演奏であり、第4楽章は晴れがましくも輝かしい名演となる。


アンコールとして、まずブラームスの「ハンガリー舞曲」第5番が演奏される。ウィーン的な情趣とハンガリーの民族音楽的味わいが上手くミックスされた演奏である。

フィリップが、「ウィーンからのご挨拶(Greeting from Wien)」と言って、ヨハン・シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏され、更に「雷鳴と電光」も続く。両曲とも日本のオーケストラが演奏する機会も多い曲だが、本場・ウィーンの演奏であるだけに、音の切れも輝きも密度も段違いの出来である。ウィーン交響楽団のメンバー全員がオーストリア人というわけではないはずだが、やはり子供の時からウィンナワルツに触れ、誇りとしてきた楽団員が多いだけに、他国のオーケストラの追随を許さないだけのレベルに達することが可能なのだろう。
なお、シンバルと大太鼓は、本編ではティンパニを叩いていた奏者が一人で演奏。かなり楽しそうであった。

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2017年12月 9日 (土)

コンサートの記(329) 下野竜也指揮京都市交響楽団第618回定期演奏会

2017年11月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第618回定期演奏会を聴く。この公演をもって「京都の秋音楽祭」2017は終了する。今日の指揮は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:アンナ・フェドロヴァ)とジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」

京都市交響楽団のTwitterの載せられた映像で、「チケットが売れていません。買って下さい」と語っていた下野は、プレトークでもまずそのことに触れ、「空席が目立ちますが、空席以外は満席ということで」と吉本芸人のようなことを言う。ただ今日は当日券売り場に長蛇の列が出来ていたため、開演前にはなかなかの入りとなった。定期演奏会は昨日もあったため、あるいは評判を聞いて駆けつけた人がいたのかも知れない。
下野はプレトークでは調性について語り、調性が持つ色彩感についても述べていた。「ピアノを弾こうかと思ったのですが、上手く弾けないので」とピアノを弾きながらの解説を行うことはなかった(下野は音楽一家に育ったわけでもなく、子供の頃からピアノを習うということもなかったため、他の指揮者のようにピアノが抜群というわけではない)。
ジョン・アダムズの作品については、「100年後にはベートーヴェンの「皇帝」のようなお馴染みの作品になっているかも知れない」と語り、初演ではないが初演に立ち会うような、同時性を感じられる面白さについても述べていた。


今日のコンサートマスターは客演の西江辰郎、フォアシュピーラーは泉原隆志。第2ヴァイオリン首席は今日も客演で、直江智沙子が入る。管楽器は、オーボエの髙山郁子とクラリネットの小谷口直子が全編に出演。他のパートの首席は「ハルモニーレーレ」のみの出演である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。
ピアノ独奏のアンナ・フェドロヴァはウクライナ出身の若手ピアニスト。キエフ音楽院、イタリアのイモラ国際アカデミー、ロンドンの王立音楽院に学び、2009年のルービンシュタイン記念国際ピアノコンクールで優勝。その他のコンクールでも優勝や入賞歴があるという。

フェドロヴァのピアノは、音の粒立ちが良く、透明感がある。メカニックは高度なのだが、バリバリ弾くというよりも適切なタイミングで適切な鍵盤の上に指を置いていくというスタイルであり、押しつけがましさのないしなやかな演奏を展開する。

下野指揮の京都市交響楽団は、下野の体型とは正反対の(?)引き締まったフォルムで、バネのある力強い伴奏を行った。ティンパニが硬めの音を出していたが、それ以外は完全にモダンスタイルの演奏である。

アンコールとしてフェドロヴァはショパンの「子犬のワルツ」を演奏。涼しげな演奏であった。


後半、ジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」。
ジョン・アダムズは、1947年生まれのアメリカの作曲家。ハーバード大学音楽学部で作曲を学び、大学卒業後はサンフランシスコに移住し、同地の音楽院で作曲などを教えながら作曲と指揮活動を行っている。反復を特徴とするポスト・ミニマルの代表的な作曲家であり、「中国のニクソン」や「ドクター・アトミック」など社会的な題材によるオペラの作曲家としても知られている。管弦楽曲作品としては、「ショート・ライド・イン・ア・ファースト・マシーン」が比較的有名である。 
「ハルモニーレーレ」は、1984年から1985年に掛けて書かれた作品で、下野のプレトークによると、「約20年前に、約ですよ(正確には1986年)。に、サントリーホールで、ケント・ナガノ指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団によって」日本初演が行われ、その後、日本では演奏される機会がなかったのだが、2年前に下野が東京で同曲を取り上げ、この京都での演奏が日本で3度目の上演になるという。

3つのパートからなる曲で、パート1はタイトルなし、パート2のタイトルは「アンフォルタスの傷」、パート3が「マイスター・エックハルトとクエッキー」である。
大編成での演奏であり、ステージ上にオーケストラ奏者が所狭しと並ぶ。ティンパニ以外の打楽器奏者は複数の楽器を掛け持ちするため打楽器の数も多く、テューバは珍しく2管編成。ピアノにチェレスタという鍵盤楽器も加わる。

ミニマル・ミュージックということで、同じパートの繰り返しが音の波が押し寄せる様に聞こえたり、心地のよいリズム感を生んだりする。
パート1ではジョン・ウィリアムズの映画音楽のように聞こえる部分があったり、パート2はホルストの組曲「惑星」の「天王星」を連想する曲想だったりと、宇宙的な拡がりを感じさせる作品である。
パート3「マイスター・エックハルトとクエッキー」は、強烈なリズムの反復によってスケールがどんどん拡がっていき、熱狂のうちに「皇帝」と同じ変ホ長調で曲は閉じられる。

楽しい現代音楽であり、演奏終了後、客席は大いに沸いた。


終演後のレセプションに参加し、下野とフェドロヴァの挨拶を聞いて帰る。下野は「ハルモニーレーレ」について、「初めて聴いた時は大きなプラネタリウムの中にいるような感じがした」と述べ、「来年のプログラムが近く発表になると思いますが、来年も『下野の奴、またこんな曲取り上げやがって』と言われるような曲をやることを予告しておきます」と語った。
フェドロヴァは下野のことを、「ファンタスティック・マエストロ」と呼び、「大きなオーケストラとやったけれど、まるで室内楽の演奏をしているかのようだった」と感想を述べ、また京都コンサートホールの音響を素晴らしいと評していた。

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2017年9月 9日 (土)

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団 ベートーヴェン 交響曲第5番

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