カテゴリー「ベートーヴェン」の104件の記事

2019年7月21日 (日)

コンサートの記(577) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団第26回いずみ定期演奏会

2015年2月26日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、日本センチュリー交響楽団第26回いずみ定期演奏会を聴く。今日の指揮者はセンチュリー響首席指揮者の飯森範親。

いずみホールは室内楽や器楽の演奏に向いた中規模ホール。日本センチュリー交響楽団も2管編成の中編成オーケストラということで、曲目もそれに相応しいものが選ばれる。
J・S・バッハのブランデンブルク協奏曲第3番、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:萩原麻未)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

J・S・バッハのブランデンブルク協奏曲は、ヴァイオリン4人、ヴィオラ2人、チェロ3人、コントラバス1人、チェンバロ1人という編成での演奏。今日は女性奏者は全員、思い思いのドレスアップをしての登場である。京都市交響楽団の場合だと場所柄、着物姿の奏者もいたりするのだが、大阪だけに流石にそれはない。

飯森はノンタクトでの演奏。譜面台を置き、譜面をめくりながら指揮するが、スコアに目をやることはほとんどなく、奏者の方を向きながら譜面を繰ったりしていたので、全曲暗譜していて譜面を置いているのは形だけであることがわかる。
当然ながらピリオド・アプローチを意識しての演奏だったが、ビブラートは結構掛ける。いずみホールは中規模ホールにしては天井が高く、空間も広いので、徹底してノンビブラートにすると後ろの方の席では良く聞こえないということが起きるためだ。演奏の出来はまずまずである。飯森はどちからというとロマン派以降に強い指揮者なのでバッハが抜群の出来になるということはないと思われる。


萩原麻未をソリストに迎えてのモーツァルトのピアノ協奏曲第20番。場面展開の間、飯森範親がマイクを片手に現れてトークで繋ぐ。萩原については、萩原がジュネーヴ国際コンクールで優勝するより前に広島交響楽団の演奏会で共演したことがあるという話をした。

萩原麻未は、1986年、広島市生まれの若手ピアニスト。2010年にジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で日本人としては初となる第1位に輝き、注目を集めるようになった演奏家である。5歳でピアノを初めて数ヶ月後に広島県三原市のジュニアピアノコンクールで優勝、13歳の時に第27回パルマドール国際コンクール・ピアノ部門で史上最年少優勝という神童系ピアニストでもある。広島音楽高等学校を卒業後に渡仏、パリ国立音楽院卒業、同大学院修士課程修了。パリ地方音楽院室内楽科やザルツブルク・モーツァルティウム音楽院でも学んでいる。

昨年、藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団と共演したが、藤岡がプレトークで萩原のことをベタホメに次ぐベタホメで持ち上げすぎてしまったため、「うーん、期待したほどではなかったかな」という印象を受けた。アンコールで弾いたショパンの夜想曲第2番の第2拍と第3拍をアルペジオにするなど個性派であることはわかったが。

ただ今日は飯森範親が持ち上げすぎなかったということもあるかも知れないが、傑出したピアニストであることを示す演奏を展開する。

まず、ピアノの音色がウエットである。モーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、モーツァルトが書いたたった2曲の短調のピアノ協奏曲の内の1曲であり、萩原のピアノの音色はモーツァルトの悲しみを惻惻と伝えることに適している。スケールも大きい。ペダリングもまた個性的であり、優れたピアニズムの一因となっている。
第2楽章の典雅さも魅力的であり、第3楽章では速めに弾いたりするが、それはモーツァルトの切迫した心情を表現するのに適ったものである。

萩原は、基本的に猫背で顔を鍵盤に近づけて弾く。グレン・グールドのような弾き方である。日本では良しとされない弾き方であるが、海外で学んだ結果、今のスタイルに行き着いたのであろう。

飯森指揮のセンチュリー響であるが、先にも書いた通り、いずみホールはオーケストラを演奏するのに必ずしも向いたホールではない。萩原のピアノのスケールが大きく、良く聞こえたのに比べると、センチュリー響の伴奏はピリオド奏法を取り入れているということもあって音が小さく聞こえてしまうという難点があった。

萩原はアンコールとして、J・S・バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」を弾く。バッハの「平均律クラーヴィア集第1巻より前奏曲」をグノーが伴奏に見立てて旋律を上乗せした作品である。雅やかで祈りに満ち、それでいて情熱的という不思議な世界が展開された。


メインであるベートーヴェンの交響曲第7番。飯森はこの曲だけ指揮棒を用い、譜面台なしの暗譜で指揮する。古典配置、ピリオド・アプローチによる演奏。飯森は指揮者としてはまだ若いだけに颯爽とした演奏が繰り広げられる。

第1楽章の終盤で、第1拍のみを強調したりする個性的な演奏であるが、おそらくベーレンライター版のスコアを持ちいて独自の解釈をしたのであろう。

第1楽章からアタッカで入った第2楽章は深みには欠けるがそれ以外は上出来である。

第3楽章、第4楽章は燃焼度の高い演奏となる。飯森は右手に持った指揮棒では拍を刻み、左手で表情を指示することが多いが、センチュリー響も飯森の指揮によく応え、集中力の高い演奏を行う。白熱した快演。
少しスポーティな感じはするが全体的には悪くない演奏である。ただ、コンサート全体を通して見ると萩原のピアノのほうが印象深い演奏会であった。

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2019年7月16日 (火)

コンサートの記(574) 下野竜也指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会

2019年7月11日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学指揮科教授の下野竜也。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番、チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」(チェロ独奏は、音楽学部弦楽専攻4回生の舘野真梨子)、ドビュッシーの交響詩「海」

海の日が来週に迫っているということもあるのか、「海」をメインに持ってきたプログラムである。日本の音楽教育は今もドイツ偏重の嫌いがあるため、フランスものやロシアものもちゃんと弾いていこうという意図もあるのかも知れない。

他の国については具体的には知らないが、日本の音楽教育は高校でも大学でも女子が中心となっている。今日もステージ上は9割以上が女子である。ヴァイオリンやヴィオラで男子学生を見つけるのは「ウォーリーを探せ」状態。管ではトランペットやテューバなどでは男子学生も多いが、その他はやはり女性優位。近年、プロオーケストラのホルン奏者に優秀な女性奏者が目立つが、京都市立芸大オーケストラのホルンパートも大半が女性で占められている。
ただ、客席には男性が多いというのが、クラシックの逆転現象である。もっとも、国を問わず、クラシック音楽ファンは圧倒的に男性が多い。

ホワイエで見覚えのある女の子を見掛けたが、多分、「テラの音(ね)」に出演していた声楽科の子だと思われる。京都市立芸大の学生だけでなく、制服を着た高校生も男女ともに多いのが、今回の演奏会の特徴でもある。

 

ベートーヴェンの交響曲第2番。
第1楽章などは学生オーケストラであるためパワー不足は否めず、内声のホルンが迷走する場面もあったりしたが、若い人達による瑞々しい響きが好感を抱かせる。「ベートーヴェンの青春の歌」ともいわれる第2楽章も爽やかでチャーミングに歌われる。
ヨーロッパの高等音楽機関では、今ではHIP(歴史的演奏法)が必修になっているはずだが、日本はそこまでではないのか、今日も特にHIPらしき要素は見られない。
下野の指揮はリズミカルな音運びが特徴で、第4楽章などは学生達もとても楽しそうに演奏し、ノリノリとなった。

 

チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。チェロ独奏の舘野真梨子(たちの・まりこ)はオーディションを勝ち抜いて選ばれたようだ。富山県立呉羽高等学校音楽コース出身。第28回クラシック音楽コンクール大学の部チェロ部門第4位、2019年小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトに参加、2016年ベストオブアンサンブルin金沢合格、2017年ルーマニア国際音楽コンクール・セバスチャン賞受賞などの実績がある。

舘野真梨子であるが、長身で肩幅も広く、音楽家というよりもスポーツ選手のような雰囲気を出している。技術は高く、表現力も豊かで良いチェリストである。
下野指揮の京芸オーケストラはコンサートミストレスもトップの顔ぶれなども変わったが、潤いのある輝かしい音を奏でていた。

場面転換のため、チャイコフスキーとドビュッシーの間に下野のトークが挟まれる。
「ご記憶に新しいと思いますが、先程まで指揮をしていた者です」と冗談でスタート。「ちょっと受けたのが嬉しいです」
下野は京都市立芸術大学の教授になってから3年目だが、「将来、オーケストラに入るかどうかはわかりませんが、入った場合の礎となるように」ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの曲をしっかりやろうという計画を立てており、今日もベートーヴェンの交響曲第2番を入れている。「『英雄』のような派手な曲ばかり注目されますが」もっと若い頃の作品もちゃんとやろうということで、前回は交響曲第1番、今回は第2番を演奏した。チャイコフスキーは、ロシアの中では西洋を向いていた作曲家と見なされており、シューマンやブラームスなども目標としていた、ということでドイツのロココの時代をモチーフにした曲を選んだそうである。ロシア人の指揮者は口を揃えて、「ロシア人以外の指揮者がチャイコフスキーを振るとベタベタし過ぎる」と語るそうだが、下野は「そっちだって結構ベタベタ」と感じているそうだ。
ドビュッシーの「海」は形にするだけでも難しい曲だが、ドビュッシーもやっておかねばならないということで挑戦の意味も込めて選んだようである。

 

そのドビュッシーの交響詩「海」。ハープは学生ではなく、京響ファンにはお馴染みの松村姉妹が務める。学生相手の指揮ということもあってか、下野は主題を浮き上がらせるような音楽作りをする。わかりやすくはある。3つの楽章全てで力尽くの場面が見られたが、プロのオーケストラ相手ではどうなるのか気になる。学生オーケストラということで強引にドライブした方が形にはなりやすいだろうから。
京芸の学生達も技術はかなりあり、フランス音楽的な表現力とは異なるかも知れないがパワーや音の煌めきなどにも長けている。下野の骨格のしっかりした音楽作りもあって、強引さはあっても聴かせる仕上がりにはなっていた。

演奏終了後、一度引っ込んだ下野は抜き足差し足で再登場、コンサートミストレスの肩を後ろから叩き、一人で立たせて拍手を受けさせるなど、茶目っ気を見せていた。

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2019年7月15日 (月)

コンサートの記(573) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2019

2019年7月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団大阪特別公演を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲、ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」序曲、レスピーギの交響詩「ローマの松」という重量級プログラムである。

コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーは尾﨑平。今日はヴィオラ首席に店村眞積が入る。第2ヴァイオリンの首席は客演の山崎千晶。首席フルート奏者の上野博昭は「英雄」のみの出演である。

 

ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。広上はベートーヴェンを得意としているが、「英雄」を京響で取り上げる機会はこれまでほとんどなかったはずである。
広上の指揮なので最初から飛ばすかと思われたが、最初の二つの和音からして穏やかであり、勢いでなく優美さを優先させるという意外な「英雄」となる。
バロックティンパニを使用しており、思い切った強打が見られるが、それ以外に特段ピリオド的な要素はなし。ただ、リズムの刻み方が独特であり、モダンスタイルともまた異なる個性的な「英雄」である。考えてみれば、モダンオーケストラによるピリオド奏法が本格的に取り入れられてからすで20年以上が経過しており、異なった傾向の演奏が現れたとしても不思議ではない。
第2楽章の葬送行進曲も燃焼度は高いがフォルムの美しさは保たれており、アポロ的な芸術が指向されているようである。
広上は肩を上下させるなど、今日もユニークな指揮姿である。

 

ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲ではドラマティックに盛り上げ、歌劇「仮面舞踏会」序曲ではこぼれるような抒情美が目立つ。

 

レスピーギの交響詩「ローマの松」。オルガンの桑山彩子、ピアノの佐竹裕介、チェレスタの塩見亮が加わっての演奏である。
ボルゲーゼ荘の松から、はち切れんばかりの勢いと匂うようなエレガンスが同居しているという独自の演奏となる。
カタコンブ付近の松のほの暗さの描き方と袖から聞こえるハラルド・ナエスのトランペットソロも優れている。ジャニコロの松では、小谷口直子のクラリネットソロが雅趣満点である。
パイプオルガンの両サイドに金管のバンダを配したアッピア街道の松も迫力十分であるが、ザ・シンフォニーホールの空間が小さめであるため、スケールがややオーバー気味でもある。とはいえ、かなり優れた部類に入る「ローマの松」であることは間違いないだろう。浮遊感など、レスピーギが印象派から受けた影響を感じ取れるところも素晴らしい。

 

アンコール演奏は、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3集からイタリアーナ。今日のスタイルの締めくくりに相応しい典雅な演奏であった。

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2019年7月 6日 (土)

コンサートの記(569) ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年6月30日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後1時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。「未完成」「運命」「新世界より」の三大シンフォニープログラム。ミヒャエル・ザンデルリンクとドレスデン・フィルのコンビではブランドとして少し弱いかも知れないが、大阪フィルハーモニー交響楽団なども毎年行っている「未完成」「運命」「新世界」の三大交響曲プログラムはとにかく人気であり、今日もザ・シンフォニーホールの客席は8割以上は埋まっていると思われる。


旧東ドイツを代表する指揮者であったクルト・ザンデルリンクの息子であるミヒャエル・ザンデルリンク。異母兄のトーマスと同母兄のシュテファンも指揮者だが、ミヒャエルは最初にチェリストとしてキャリアを築いてから指揮者に転向したことが他の親族とは異なる。ハンス・アイスラー音楽大学でチェロを専攻し、マリア・カナルス国際コンクール・チェロ部門で優勝。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席チェロ奏者やソリストとして活動後、30歳を過ぎてから指揮者デビューしている。現在も教育者としてチェロに携わっており、フランクフルト音楽舞台芸術大学教授などを務めている。

ヘルベルト・ケーゲルが残した録音によって知名度が高まったドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。ドイツのオーケストラでありながらフランスの名匠であるミシェル・プラッソンを首席指揮者に招くなど意欲的な人選でも知られる。2011年よりミヒャエル・ザンデルリンクが首席指揮者を務めてきたが、ミヒャエルはこの6月をもって勇退、後任には以前にもドレスデン・フィル首席指揮者を務めていたマレク・ヤノフスキの再任が決まっており、秋から新時代に入る予定である。


午後1時30分ジャストにドレスデン・フィルのメンバーがステージ上に現れる。時間にかなり正確なのがドイツの楽団らしい。前後半でコンサートマスターとフォアシュピーラーが入れ替わり、前半はHeike Janickeがコンサートミストレスを務め、前半のフォアシュピーラーであるRalf-Carstten Bromselが後半のコンサートマスターとなってHeike Janickeはフォアシュピーラーに回る。ほぼ2年に1度のペースで来日しているドレスデン・フィルであるが、現在は日本人の団員はいない。東洋系の容姿の人はいるが、メンバー表を見ると中華系であることがわかる。


「未完成」と「運命」は、ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。ミヒャエルはノンタクトでの指揮である。

シューベルトの交響曲第7番「未完成」は、LP時代には「運命」とのカップリングが王道といわれた曲だが、CD時代に入るとその組み合わせによる録音は減り、曲が短く、コンサートのメインにしにくということでプログラミングされる機会も減っている。

チェロはビブラートを盛大に使用。その他の弦楽器奏者は思い思いに掛けたり掛けなかったりという折衷タイプの演奏である。シューベルトの毒もかなり出ており、各楽器の美しさも生きた演奏となっていた。楽章間をアタッカで繋いだのも個性的である。


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。トランペットが古楽器に変わり、ティンパニもバロックタイプのものが用いられる。私の席からはホルンはよく見えなかったが、おそらくナチュラルホルンに変わっていたはずである。

ミヒャエル・ザンデルリンクは、両手を横に広げ、止まったところで運命動機が奏でられる。フェルマータはかなり短めである。
「未完成」とは違って、かなり徹底したピリオドアプローチによる演奏である。弦楽器のボウイングも語尾を伸ばさずに弦から弓を離すというHIP特有のもので、パウゼも短い。
やはりアタッカで入った第2楽章で木管が引っ掛けるなど、技術的には十分とはいえないものだが、切れや力強さ、細やかな表情付けなど、ドイツのオーケストラの美質がよく現れていた。
ピッコロが浮かび上がるのは1カ所だけで、音型がはっきり変わるという場面もなく、譜面の版ははっきりしない。ブライトコプフ版も新版が揃い始めており、「ピリオドといえばベーレンライター」という時代も終わりつつある。


後半のドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」では、ドレスデン・フィルは弦の配置をドイツ式の現代配置に変え、ミヒャエルは指揮棒を手にしていた。
この曲でも木管が音を外すなど、弱点となっているようである。管を浮かび上がらせることを特徴とする演奏であるが、縦の線は正直かなり怪しい。
ミヒャエルは、第1楽章のクライマックスでテンポを上げて迫力を出すが、かなり粗く感じられたのも確かである。
第4楽章でも弦の鋭い音色と、強力だが巧みな和音作りで美観を損なわない金管が効果的だったが、テンポが速過ぎると思えるところがあった。


アンコール演奏は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第8番。土俗感はなく整った演奏で、フォルムとしての美しさを出していた。

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2019年6月23日 (日)

コンサートの記(565) シャー・シャオタン指揮チャイナ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年6月13日 谷町4丁目のNHK大阪ホールにて

午後7時から、谷町4丁目のNHK大阪ホールでチャイナ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

チャイナ・フィルハーモニー管弦楽団(中国爱乐乐团)は、2000年に発足した北京のオーケストラである。その少し前には北京のオーケストラを統合する形で中国国家交響楽団が生まれており、チャイナ・フィルも中国放送交響楽団を母体に放送系団体を再編成してスタートしている。
メンバー表にピンイン(中国語版ローマ字)表記による氏名が載っているが、香港系の名前が一人いる他は全員が漢民族系の姓名である。
芸術監督兼首席指揮者は中国唯一の世界的指揮者である余隆(YU Long)。百度百科の記事によると首席客演指揮者は世界的な作曲家でもあるクシシュトフ・ペンデレツキが務めているようである。

白人が約半数を占める香港フィルを除けば、中国のオーケストラを聴くのは5回目。コンサートオーケストラに限ると4回目である。一口に「中国のオーケストラ」といっても国土が広いため、レベルには差がある。広州交響楽団のようなアジアを代表する水準に達しているオーケストラもあれば、これまで聴いた中で最低レベルでしかなかった黒竜江・ハルビン交響楽団(朝比奈隆が指揮していた白系ロシア人を中心とした楽団とは別の比較的新しいオーケストラ)のような団体も存在する。アジアで最も長い歴史を誇る上海交響楽団も十数年前に聴いた限りでは日本のアマチュアオーケストラの平均的レベルより下になると思われる。

文化大革命によってクラシック音楽が弾圧の対象となったため、中国のクラシックの水準は世界的に見てそう高いとはいえないが、ソリストでは、ピアニストのランラン、ユンディ・リ、ユジャ・ワン、チェリストのジャン・ワンなど世界的な演奏家が次々に現れている。
オーケストラの方はまだまだこれからであり、90年代に結成されたばかりの中国国家交響楽団にシャルル・デュトワが客演した際に作られたドキュメンタリーでは、中国国家交響楽団のメンバーがどうしてもフランス音楽の音が出せないため、デュトワと共にパートごとに居残り特訓をする様が流されていた。

 

曲目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、チェン・チーガン(陳其鋼)のヴァイオリン協奏曲「苦悩の中の歓喜」(ヴァイオリン独奏:リュー・ルイ)、ベートーヴェンの交響曲第5番。

指揮はチャイナ・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者のシャー・シャオタン(夏小汤)。1964年生まれ、北京の中央音楽院で学び、現在はチャイナ・フィルの常任指揮者の他、チャイナ・ユース交響楽団の首席指揮者と中央音楽院の指揮科教授を務めている。

当然ながらチケットは全然売れていない。今日は2階席のチケットを取ったのだが、1階席の招待席が全く捌けていないので交換可ということになっており、NHK大阪ホールの1階席は必ずしも音は良くないのだが、「少しでも客席に人がいる方が演奏する側もやりやすいだろう」ということもあって換えて貰う。結局、1階席のそこここに人はいるが間ががら空きという状態での演奏会となる。

ドイツ式の現代配置での演奏。入場の仕方に特徴があり、立って聴衆の拍手を受けるのだが、全員がステージの上に揃わないうちに、コンサートマスターが「この辺でいいよ」と手で示して、弦楽奏者などは座ってしまう。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。
最初に発された音から優れたアンサンブルであることが分かる。細部などは割合いい加減だったりするのだが、音に張りと勢いがあり、和音に対する感性が独特であると同時に優れている。内声部の強調なども個性的であり、世界的にマイナーとされるオーケストラの個性を聴く喜びが総身を駆け抜ける。聴くだけで感動するタイプの音である。

 

チェン・チーガンのヴァイオリン協奏曲「苦悩の中の歓喜」。単一楽章による変奏曲である。
世界的に高い評価を受けているチェン・チーガン。上海に生まれ、文化大革命の苦難を経て、再発足したばかりの中央音楽院に入学。34歳で渡仏し、パリでメシアンに師事。現在もフランス在住である。
ヴァイオリン独奏のリュー・ルイ(刘睿。リュー・ルェイの方が原音に近い)は、現在、チャイナ・フィルのアソシエイト・コンサートマスターの地位にある。1983年、四川省成都生まれ。4歳でヴァイオリンを始め、10歳で中央音楽院の小学校部門に入学。2005年に中央音楽院を卒業してチャイナ・フィルに入団し、2014年にアシスタント・コンサートマスターとなっている。

冒頭はいかにもメシアン風の響きであり、薄明の中をただ一人で歩んでいるような孤独な音楽が繰り広げられる。中国風のメロディーと西洋的な旋律が奏でられた後で、クラリネットが甘い歌で誘うが、ヴァイオリンソロが決然と拒否するという印象的な場面が2度続く。予想を裏切る展開であり、ハッとさせられる瞬間である。チャルメラの音色を模したオーボエが同じようにソロを吹く場面があるが、今度はヴァイオリンによって肯定されるようだ。
最後は広がりのある音楽で締めくくられる。

演奏終了後、リュー・ルイは喝采を受けるが、日本のオーケストラとは違い、カーテンコールを長く受けずに、ある程度でさっと切り上げてしまうという光景が珍しい。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第5番。
シャー・シャオタンは一度指揮棒を振り下ろしてから半分ほど上げ、もう一度振り下ろす瞬間に運命動機がスタートする。動きのみならず息づかいも駆使する。
第1楽章は反復あり。転調による警告の場面ではグッとテンポを遅くして文学的な解釈を示す。緩急やタメの作り方が独特であり、他の指揮者や団体がためるところは素通りして、余り例がないところでテンポを緩めたりする。全体的にシャープなフォルムによる演奏であり、トスカニーニやカラヤンが追求したタイプの音像が聴かれる。当然ながらピリオドではない。
物語性も重視しており、ある意味、懐かしいタイプのベートーヴェンになっているといえる。内声のえぐり方も強烈であるが、音で圧するのではなく、様々な音を独自に積み重ねることで生まれる重層性が魅力的な演奏である。

 

アンコール演奏は、菅野よう子の「花は咲く」。優しい編曲と演奏であった。

シャー・シャオタンは、何度目かのカーテンコールで、弦楽器の最前列の奏者と握手を交わすが、弦楽器の他の奏者達はそれと同時に横にいる奏者と握手を始める。管楽器奏者はステージ中央に集まってスマホで記念写真を撮り始める。その後、楽団員達は客席に向かって手を振ったり、投げキッスをしたりしながらステージを後にする。なんだかとってもフリーダムに見える。検閲制度のある国の人々なのだが。
拍手がそれほど長く続いたというわけでもないのだが、最後はシャー・シャオタンが一人でステージ中央に現れ、お辞儀と投げキッスをして手を振りながら帰って行く。
これらは世界的にマイナーなオーケストラの演奏会に行く醍醐味でもある。

 

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2019年5月 3日 (金)

コンサートの記(553) 「ムジークフェストなら」2014 アルバート ロト ピアノリサイタル「再び天才の六月」

2014年6月6日 なら100年会館中ホールにて

奈良へ。
現在、奈良では「ムジークフェストなら」という音楽祭が行われている。

折角、近く(というほど近くはないが)で音楽祭をやっているのだから、いくつか聴きに行こうと思い(奈良のホールの音響を確かめたかったということもある)、今日はその一つである、アルバート・ロト(会場やチケット、曲目を記した用紙には、何故か「アルバート ロト」と中点なしの表記がなされている)のピアノリサイタルを聴くために奈良まで足を運んだのである。
会場は、なら100年会館中ホール。JR奈良駅前という一等地にあるが、洛北からだと、JR奈良駅に行くには面倒な乗り換えが多く、またいずれにせよ近鉄丹波橋で乗り換えるため、丹波橋から近鉄で近鉄奈良駅まで出て、歩いて、なら100年会館まで向かうことにする。

なら100年会館には初めて行くので、場所をチェック。奈良は京都と同じで、東西と南北にほぼ一直線に道が伸びているため、わかりやすい。
なら100年会館は、奈良市の市政100年を記念して1999年にオープンした比較的新しい文化芸術施設である。大、中、小の3つのホールがあり、外観は立派。中ホールはシューボックス形式で、内観はお洒落である。
全席自由であり、整理番号もないため、中ホール入り口には列が出来ていたが、「特に良い席で聴く必要はないや」と思い、そばにある休憩所でのんびりして、列になっている人がいなくなる頃を見計らって中ホールに入る。下手(しもて)、中央、上手(かみて)の3列で、左右に伸びる中央通路を挟んでステージに近い側の席と遠い席があるのだが、上手のステージに近い席が空いていたので、そこに座る。
ピアノコンサートの聴衆は4パターンに分かれる。「取り敢えず真ん中」派と、「ピアニストの手元が見えるので下手」派、「ピアニストの顔が見えて、音も良いので上手」派、「席にはこだわらない若しくは空いてる席に座る」派である。ピアノのコンサートに通い慣れている人は、下手派と上手派に分かれるようだが、私はどちらかというと下手派ではある。だが、今日は上手の席を選んだ。

午後7時から、「ムジークフェストなら アルバート・ロト ピアノリサイタル2014 再び天才の六月」を聴く。「天才の六月、再び」か「六月、再びの天才」の方がタイトルとして良いと思われるのだが、コンサートのタイトルに文句を言っても仕方がない。

アルバート・ロトは、1946年、ニューヨーク生まれのピアニスト。父はポーランド系、母はウクライナ人だという。ジュリアード音楽院で名教師のゴロニツキーに学ぶ。ホロヴィッツが「教えたい」と申し出るもこれを断っている。1965年のモントリオール国際コンクールと、1966年のブゾーニ国際コンクールのピアノ部門で優勝。1970年の初来日後、毎年のように来日しているそうだが、私は寡聞にして知らない。現在はマンハッタン音楽大学の教授も務めている。夫人は日本人で、雪の結晶を世界で初めて発見した中谷宇吉郎の三女だそうである。

名前を知らないピアニストだったので、ムジークフェストならがなければ生涯聴くことはなかった演奏家だと思われるが、ちょっとした巡り合わせで聴くことになった。プログラムに惹かれたということもある。
曲目は、J・S・バッハ作曲(ブゾーニ編曲)「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」より“シャコンヌ”、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番と第21番「ワルトシュタイン」、ショパンのバラード第3番「水の精」、ショパンの夜想曲第8番、ショパンのポロネーズ第6番「英雄」(「英雄」ポロネーズ)。
ロトは、黒いズボンとシャツ、白のジャケットで登場する。

バッハ作曲、ブゾーニ編曲の「シャコンヌ」。ファジル・サイのピアノによる超名演を生で聴いたことのある曲である。ファジル・サイのようなピアニストを天才と呼ぶならロトは天才では全くないが(そもそも現役のピアニストで「天才」と呼べる人は私は10人ほどしか知らない)、時に骨太、時に柔らかで繊細な音でロトは「シャコンヌ」を紡ぎ出していく。
ファジル・サイは、大バッハとブゾーニ、ブゾーニに影響を与えたリストと、リストに影響を与えたベートーヴェンというあらゆる音楽家の要素が高い次元で統合された演奏を聴かせたが、ロトの弾く「シャコンヌ」は敢えて言うならベートーヴェン的である。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、それも大曲が2曲も並ぶというプログラムから、ベートーヴェン弾きとしての誇りが窺われる。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番と第22番「ワルトシュタイン」はいずれも正攻法の演奏である。ロトは鍵盤を強打した後で手を跳ね上げるというパフォーマンスも見せる。
天才ではないが、正攻法の優れたベートーヴェン弾きというと、チリ出身のクラウディオ・アラウが思い浮かぶが、アラウはブゾーニの弟子である。

ショパンのバラード第3番では瑞々しい演奏を展開し、夜想曲第8番では叙情味たっぷりの愛らしい演奏を披露する。だが、「英雄」ポロネーズでは指がもつれ気味。歌い崩したり音を切る場所を変えたりするが、サンソン・フランソワや河村尚子のように効果的だからやっているのではなく、「こうした方が楽に弾けるから」という理由で行っているように聞こえた。

全プログラム終了後、ロトはマイクを片手に登場し、日本語で(奥さんが日本人なので日本語も流暢である)「今日は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番と第22番と弾くことが出来てとってもハッピーです。アンコールとして、第31番の第1楽章を演奏したいと思います」と語り、再び充実したベートーヴェンがホールに満ちた。

なら100年会館中ホールの音響であるが、前の方の席で(ここの席順は、1列2列という数字や、A列B列というアルファベット順ではなく、イロハ順である)ピアノの直接音がそのまま届いたため、ホール全体の音響はわからなかった。だが、素直な音のするホールだということはわかった。

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2019年4月29日 (月)

コンサートの記(551) ローム ミュージック フェスティバル 2019 「オーケストラコンサートⅡ 二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」&「リレーコンサートC 河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」

2019年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールおよびサウスホールにて

午後2時30分から、ロームシアター京都メインホールで、ロームミュージックフェスティバル2019 オーケストラコンサートⅡ「二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」を聴く。ロームミュージックフェスティバル2019の2日目にして楽日のオーケストラ公演。指揮は、2016年に行われたロームミュージックフェスティバルのタクトも執っている阪哲朗。ナビゲーターをフリーアナウンサーの朝岡聡が務める。反田恭平人気もあって、チケットは完売である。

曲目は、まずオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲が演奏され、次いでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番(原典阪)という二つのコンチェルトが登場する。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は「メンコン」の愛称で知られ、三大ヴァイオリン協奏曲の一つにも数えられる有名作だが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番は取り上げられる機会が極めて希少な作品である。第1番から第3番までを収めた「チャイコフスキー ピアノ協奏曲全集」はいくつかあって、私はヴィクトリア・ポストニコワが夫君であるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの指揮で録音したものを千葉にいた頃に聴いているが、それでも聴いたのは2回程度、京都に来てからは聴いておらず、曲も忘れている。ということで事実上、初めて接することになる。YouTubeにはいくつか演奏がアップされていると思われるが、敢えて聴かずに出掛ける。


指揮者の阪哲朗は京都市出身。京都市立芸術大学音楽学部で作曲を専攻し、卒業後にウィーン国立音楽大学で指揮をレオポルド・ハーガーらに師事。1995年に第44回ブザンソン指揮者コンクールで優勝して一躍脚光を浴びている。欧州では一貫してオペラ畑を歩き、アイゼナハ歌劇場音楽総監督、レーゲンスブルク歌劇場音楽総監督などを務めている。コンサート指揮者としては客演が主で、これまで特にこれといったポストには就いていなかったが、この4月に山形交響楽団の常任指揮者となっている。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。どうも第2ヴァイオリンは今日は全員女性のようで、ありそうでなかなかない光景となった。小谷口直子は降り番だったが、それ以外は首席奏者が前半後半ともに顔を揃える。


オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲。阪哲朗はかなり細かな指示を京響に送る。指揮の動きがかなり細やかだ。
阪哲朗は若い頃はスケールが小さいという難点があったが、最近は音楽が徐々にではあるが拡がりを増しているように思われる。ただ、これまで何人もの指揮者を目にしてきたが、指揮棒を動かしすぎる指揮者は得てしてスケールが小さいように感じられる。楽団の自発性を引き出しにくいということが影響しているのだろうか。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの日下紗矢子は、現在、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の第1コンサートマスターと読売日本交響楽団の特別客演コンサートマスターを務めている。

朝岡聡による楽曲の紹介があり、第1楽章の美しさ、第2楽章の希望、第3楽章の「天使が跳ねるような」快活さが語られる。

一週間前のスイス・ロマンド管弦楽団の来日演奏会で辻彩奈のソロによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いたばかりだが、日下のヴァイオリンは辻に比べて旋律を線として捉えることに成功しているように思われる。音色には艶があり、スケールが大きくて音の通りも良いが、ロームシアター京都メインホールは同じ永田音響設計が手がけた兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール同様、オーケストラよりもヴァイオリンの方が聞き取りやすいようである。
日下も京響も音色や曲調の変化の描き方に長けており、京都らしい雅やかな演奏となった。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番。まず朝岡聡が楽曲とソリストである反田恭平の紹介を行う。「今更申し上げるまでもないと思いますけれど」と前置きしての「今最も上り調子であるピアニスト」反田の紹介。高校在学中に第81回日本音楽コンクールで1位となり、チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に首席で入学。現在はショパン音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)で学んでいる。反田がTwitterやInstagramをやっているということで、このコンサートのために反田が書いた文章も朝岡は読み上げた。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、カデンツァがもの凄く、p(ピアノ)の指示が12個並ぶ。「pが弱く、ppがピアニシモ、pppがピアニシモシモ、12個だとなんと読むんでしょうか」。更にf(フォルテ)も9個並ぶことが紹介される。「このカデンツァを聴くだけでも来た甲斐がある」そうで、全曲を聴き終えたときには、「感動を通り越して衝撃。もしかしたら子孫末代に至るまでの語り草となる」というところで笑い声が起こったので、「いや、大袈裟じゃありません」と続けた。

その反田のピアノであるがとにかく巧い。巧すぎるといってもいいほどで、メカニカルな部分に関しては少なくとも実演に接したことのある日本人ピアニストの中では最高である。韓国人ピアニストのキム・ソヌクを京都市交響楽団の定期演奏会で初めて聴いた時も余りの巧さに驚いたのだが、それに匹敵するほどの超絶技巧の持ち主と見ていい。音にクッキリとした輪郭があり、いかなる時も音に淀みや歪みはなく、あるべき時にあるべき場所に音がはまっていく。シャープな感受性の持ち主であることも察せられ、まさに21世紀スタイルの日本人ピアニストの登場と書いても過言ではないほどだ。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、第1番とは違い、ニコライ・ルビンシテインから高く評価されている。初演もニコライがピアノを弾く予定だったのだが、それに至る前にニコライは逝去。初演はニコライの死の翌年にセルゲイ・タネーエフのピアノ、ニコライの兄であるアントン・ルビンシテインの指揮によってモスクワで行われ、大成功を収めた。ただ、その後、評価は落ちてしまったようである。
曲調や表情がコロコロと変わるため、作曲者の意図が今ひとつはっきりしないというのも理由の一つだと思われる。第2楽章でヴァイオリンとチェロのソロがピアノをそっちのけにして掛け合いを続けるというのもピアノ協奏曲としては奇妙である(第1楽章のカデンツァなどに超絶技巧が必要とされるため、ピアニストに休む時間を与えたと考えることも出来るように思う)。今日は泉原隆志とチェロの中西雅音(まさお)が情熱的なソロを奏でた。
反田の壮演に会場は沸きに沸き、スタンディングオベーションを行う人が多数。ポピュラー音楽のコンサート並みに盛り上がる。

最後に反田はピアノの蓋を閉じて、京響のメンバーの顔が見えるようにして拍手を送るというパフォーマンスを見せた。


次いで、午後5時30分から、サウスホールでリレーコンサートC「河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」を聴く。

曲目は、ピアノ・ソナタ第26番「告別」、ピアノ・ソナタ第27番、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」

現在、連続してベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏に取り組んでいる河村尚子。CDのリリースも始まっている。

今日は最前列。選んだのではなく、コンピューターが勝手に割り振った席である。クラシックのコンサートでは最前列は演奏者に近いがその割に音が飛んでこないので敬遠されることが多く、余り期待していなかったのだが、かなり音が良い。上からピアノの音が降ってくるような音響である。サウスホールはステージが高めなので、ピアノの蓋に当たった音が直接最前列に降りてきたのだと思われる。

河村尚子の描くベートーヴェンであるが、やはり凄い。壮絶である。反田恭平が天に羽ばたくようなピアノを弾くなら、河村尚子は地上を駆け抜ける駅馬車のような重厚なピアノで勝負する。表現の幅が広く、優れたピアニストが再創造者であることを確認させられるような優れたベートーヴェンであった。

今日はアンコールがある。河村が昨日一昨日とNHK交響楽団との共演で矢代秋雄のピアノ協奏曲を弾いたということで、矢代秋雄が書いた4手のためのピアノ曲「夢の舟」を岡田博美が2手のために編曲したものを弾く。友人であった三善晃の作品にも通じる穏やかな抒情美を讃えた作品であった。
 

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2019年4月14日 (日)

コンサートの記(543) 下野竜也指揮京都市交響楽団スプリング・コンサート2019

2019年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを聴く。

曲目は、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調(トランペット独奏:ハラルド・ナエス&西馬健史)、ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ヴァイオリン:豊島泰嗣、チェロ:上村昇、ピアノ:上野真)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」


全席完売だが、今日はポディウム席は発売されていない。
今日は6列目の真ん中で聴く。ステージから近いが、管楽器の奏者は顔がよく見えないため、誰が吹いているのかわからない場合もある。


ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調。京都市交響楽団の首席トランペット奏者であるハラルド・ナエスが第1トランペットを、西馬健史が第2トランペットを務める。
日本でも屈指の輝きを誇る京都市交響楽団のトランペット陣。今日も燦燦と輝くような音を響かせる。
京都市交響楽団は小編成での演奏。西脇小百合がチェンバロを奏でる。生き生きとした伴奏であった。
弦楽奏者のビブラートであるが、統一されてはおらず、思い思いに弾いている。


ベートーヴェンの三重協奏曲の演奏前に、下野がマイクを手にして登場。舞台の転換作業の間をトークで繋ぐ。「京都市交響楽団常任しゅせ……、間違えました。なんとか指揮者の下野竜也です」とユーモアと込めた自己紹介した後で、ナエスと西馬をステージに呼び、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調の思い出について語って貰う。二人ともこの曲を演奏するのは人生で2回目だそうだが、ナエスは1回目はパイプオルガンとの共演、西馬もピアノとの演奏があるだけであり、オーケストラをバックに演奏するのは初めてだそうである。


ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。京都市交響楽団は近年、この曲を取り上げることが多い。
ピアノ三重奏にオーケストラ伴奏が付くという特異な協奏曲。ベートーヴェンがなぜこうした編成の曲を書いたのかは今でも謎であるが、チェロパートの比重が比較的大きく、演奏技術もチェロが最も高度であるため、チェロの名手から委嘱された可能性が高いとされている。
ヴァイオリンの豊島奏嗣、チェロの上村昇(京都市交響楽団首席チェロ奏者)、ピアノの上野真、更に指揮者の下野竜也も京都市立芸術大学の教員である。ということもあってか、室内楽的要素の強い親密な演奏が展開される。
下野指揮の京響であるが、渋めの音でスタートし、かなり豪快に鳴る。京響のパワーと下野のオケを鳴らす技術は想像以上であるようだ。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。人気曲だけに実演で聴く機会も多いが、思いのほか名演に当たる確率が低いような気もしている。

下野はベートーヴェンとは真逆の明るい音色を京響から引き出す。流石の手腕だが、第1楽章のクライマックスなどでは全ての音を鳴らし過ぎたため、輪郭や主旋律の把握が難しくなっていた。

第2楽章と第3楽章は秀演で、第2楽章の深々とした歌、第3楽章の覇気に満ちた音楽運びなどが印象的である。

第4楽章も迫力があるが、音が大きい割りには客席に届くエネルギーが必ずしも十分ではないように感じされる。音の密度がそれほど濃いわけではないということも影響しているのかも知れない。京響のブラス陣は優秀で、力強さと浮遊感を兼ね備えた優れた音楽性を示していた。


下野は、「京都市交響楽団史上、最も短いアンコール曲」と語って、ベートーヴェンの「フィデリオ」より行進曲が演奏される。古典的造形美が強調された演奏で、ベートーヴェンの優美な一面を楽しむことが出来た。

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2019年4月 7日 (日)

コンサートの記(541) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2013名古屋

2013年11月23日 名古屋の三井住友海上しらかわホールにて

三井住友海上しらかわホールへ。パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラムで、歌劇「フィデリオ」序曲、交響曲第4番、交響曲第3番「英雄」が演奏される。

三井住友海上しらかわホールは前を通ったことはあるのだが、中に入るのは今日が初めてである。

ピリオド・アプローチによる演奏を得意とするドイツ・カンマーフィル。トランペットはピストンのないナチュラルトランペット。二階席下手の席に座っていたので、舞台下手側に座るホルン奏者の姿は見えないが、間違いなくナチュラルホルンであろうと思う。実際に音を聴くとやはりナチュラルホルンであることがわかる。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。

三井住友海上しらかわホールの内装は、壁が全て木目であり、とても美しい。天井はやや高めであるため、オーケストラが演奏するには残響がやや短い。室内楽やピアノのリサイタルなどでは残響は余り必要でないため、そういう風に音響設計されているのかも知れない。内装、音響共に、大阪の、いずみホールに似ている。


パーヴォ登場。今日は全曲暗譜で指揮をする。

歌劇「フィデリオ」序曲。出だしが実にリズミカルである。パーヴォのバトンテクニックは真に鮮やかで、あたかも指揮棒の先で音符を拾い上げて、オーケストラの方へすっと投げているかのような印象を受ける。本当に動いたとおりに音楽が生まれるのである。少なくとも実演に接したことのある指揮者の中でパーヴォほど高度なバトンテクニックを持っている人は他にいない。サー・サイモン・ラトルやマリス・ヤンソンス、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の先代音楽監督であるダニエル・ハーディングの指揮も見ているが、ここまで見事ではなかった。
ナチュラルホルンであるが、モダン楽器のホルンでも「ホルンといえばキークス(音外し)という言葉が思い浮かぶ」と言われるほど演奏が難しい楽器である。そのため、音程を外す場面があった。
交響曲第5番同様、ピッコロが1オクターブ上を吹いて浮き上がる場面があり、ベーレンライター版の楽譜を使っていることがわかる。これまでずっと使われてきたブライトコップ(ブライトコプフ)版の楽譜で演奏された歌劇「フィデリオ」序曲のCDを聴いてもピッコロが浮かび上がる場面に出会ったことはない。
躍動感あふれる演奏であった。


交響曲第4番。私はパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニーの実演を横浜で聴いている。
今日も密度の濃い演奏である。楽章1つ演奏するだけで、並みの演奏の交響曲1曲分の聴き応えがある。
パーヴォは、CDにおいて、ベートーヴェンの交響曲第4番と第7番の演奏をカップリングでリリースし、アポロ芸術的と思われる交響曲第4番をディオニソス芸術的に、ディオニソス芸術の代表的存在であった交響曲第7番をアポロ芸術的に演奏するという真逆の解釈を示し、私は一聴して驚いたのであるが、パーヴォはそうした楽曲の光が当たらない一面を見つけるのが得意なようである。
緩急、強弱ともに自在な演奏であった。


後半、交響曲第3番「英雄」。同じ名古屋にある愛知県立芸術劇場コンサートホールで、パーヴォとドイツ・カンマーフィルによるこの曲の実演を聴いている。

ベートーヴェンのメトロノーム指示に近い速度を採用。そのためかなり速めの演奏である。ロマンティクな演奏になれている人は「速すぎる」と思うだろうが、20世紀後半の演奏から聴き始めた私などの世代にとっては、意気揚々と進軍する英雄の姿が目に見えるようなフレッシュな解釈である。
パーヴォは音のバランスを取るのが天才的に上手いため、クライマックスで、主旋律がトランペットから木管楽器に移る時にも、主旋律は行方不明にならず、木管が演奏しているのがきちんと聴き取れる。

第2楽章の葬送行進曲も白熱の演奏であり、哀感が強く胸に染み込む。

第3楽章。ティンパニの強奏が凄まじい。弦楽器であるが、各楽器の首席奏者だけが別の旋律を弾く場面が見られる。トリオにおけるナチュラルホルンの演奏も上手い。

最終楽章。序奏でパーヴォは歌い崩しをする。この楽章では、弦楽器の、コントラバスを除く各首席奏者のみが演奏し、弦楽四重奏になる場面がベーレンライター版の楽譜にはある。元々「solo」と書いてはあったようだが、「何かの間違いだろう」ということで採用されていなかったのだ。パーヴォの指揮するベートーヴェンは基本的にベーレンライター版の楽譜を用いているのだ、これが忠実に履行される。憩いの場ともいうべき印象を受ける。そして快速による凱旋行進。心躍る演奏であった。


アンコールは2曲。ブラームスの「ハンガリー舞曲」より第1番と、パーヴォのアンコールピースの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。

ハンガリー舞曲第1番は、ブラームスがハンガリーの民謡や舞曲を収集して、まずピアノ連弾のための曲として纏められたもので、ブラームス自身もブラームス編曲として出している。舞曲であるため、目まぐるしく緩急が変化するのであるが、パーヴォは魔法のようにテンポを操り、「寄せては返す波のように激し」い演奏になった。

シベリウスの「悲しきワルツ」。超絶ピアニシモが今日も聴かれる。この時は会場内にいる全員が耳を澄ませるため、独特の張り詰めた空気がホール内を占拠する。

全て秀演。名古屋まで聴きに来るだけの価値のある演奏会であった。名古屋の聴衆は非常にマナーが良く、それも嬉しかった。

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2019年3月15日 (金)

コンサートの記(531) ブルーノ=レオナルド・ゲルバー ピアノ・リサイタル2013京都

2013年10月22日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、ブルーノ=レオナルド・ゲルバーのピアノ・リサイタルを聴く。

現役屈指のベートーヴェン弾きとして知られるブルーノ=レオナルド・ゲルバー。アルゼンチンの生まれ育ちである。ラテンアメリカはその名の通りスペイン系が主流だが、ゲルバー自身はスペインではなく、オーストリア、フランス、イタリアなどの血を引いているという。7歳の時に重い小児麻痺を患い、1年以上寝たきりの生活が続くが、5歳でリサイタルを開いた神童だけに「もったいない」ということで、両親はベッドの上でも弾けるようにピアノを改造し、幼いゲルバーも毎日ピアノのレッスンに励むことが出来たという。

小児麻痺の影響は現在も残り、歩行が少し不自由である。オーケストラの演奏会のソリストとして登場する時には指揮者に手を引かれて登場するのであるが、今日はソロ・リサイタルだけに、マネージャーに導かれて上手の客席入り口から登場した。

アルティは様々なステージを組むことが可能だが、今日はステージを平土間にし、ステージ上手脇と下手脇の両方にも席を設けている。下手側の席の人はゲルバーの背中を見ながら、上手側の席の人はゲルバーの顔を見ながらピアノを聴くことになる。私はステージ脇の席ではなく、8列目、下手側の席であった。ピアニストの手元がよく見える席である。
平土間にしてステージの両脇にも席を設けたので、通常のステージを使う際に設けられた出入口は使用出来なかったため、上手の客席入り口から現れたのである。


ゲルバーが得意とするオール・ベートーヴェン・プログラム。ピアノ・ソナタ第14番「月光」、ピアノ・ソナタ第3番、ピアノ・ソナタ第15番「田園」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」が演奏される。なお、当初発表されたプログラムとは、「月光」と「田園」の順番が入れ替わった。

ゲルバーの実演に接するのは久しぶり。まだ千葉に住んでいた頃に、東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団のソリストとして登場した時以来ではないだろうか。その時の演奏はかすかに記憶にあるが、指揮者が誰であったかなどは覚えていない。エリアフ・インバルであったような気もするが確かではない。
2010年に京都市交響楽団とも共演しているが、京都コンサートホールではなく、びわ湖ホール大ホールで行われた特別演奏会であり、私は耳にしていない。

ゲルバーは同性愛者としても知られるが、そもそもクラシック音楽界には同性愛者は多く、アメリカでは「ユダヤ人か同性愛者でないと指揮者として成功出来ない」といわれたこともあるほどだ。ただこれは当時、アメリカを代表する指揮者であったレナード・バーンスタインやジェームズ・レヴァイン、マイケル・ティルソン・トーマスなどがこぞってユダヤ系の、カミングアウトした同性愛者であったためで、かなり誇張されていると思われる。ユダヤ人でも同性愛者でもないのにアメリカで指揮者として成功した人物は沢山いる。

アルティは室内楽演奏に適した規模のホールであり、ゲルバーなら京都コンサートホール大ホールでもリサイタルが開けると思っていたが、ゲルバーも最近はレコーディングを全く行っていないためか日本での知名度に陰りが出てきたようで、アルティでも当日券は発売されていた。ステージの脇にも客席を設けるなど、いつもよりは席数は多く、9割以上は埋まっていたが、有名演奏家でもレコーディングを定期的に行っていないと忘れられる時代なのかも知れない。
歩くのにも不自由するということは、運動も十分には行えないということであり、ゲルバーも以前に見た時に比べると体のボリュームが大分増えている。


ピアノ・ソナタ第14番「月光」。遅めのテンポによるスケール豊かな演奏である。
タッチは力強いが、体だけでなく音にもボリュームがあり、音量が大きいだけでなく、音そのものにも広がりがある。ベートーヴェン自身は幻想的ソナタと名付けたこの曲。ドイツ語で「幻想的」というと、日本語の「幻想的」以上に「即興性に富む」という意味があるそうで、それ故に、盲目の少女にベートーヴェンが月光を輝きを教えるために即興でピアノを弾いてこの曲を作ったという話が創作されたりするわけだが(勿論、事実ではない。ベートーヴェンはピアノ即興演奏の名手であったが、「月光」ソナタはさすがに即興で作ったにしては完成度が高すぎる)、ゲルバーのピアノによる「月光」ソナタは「幻想的」でもあり、「即興的」でもある。また第1楽章は十字架を担いでゴルゴダの丘を登るキリストを描いたものという解釈を仲道郁代が披露していたが、そう考えた場合の哀感も良く出ている。
正攻法の演奏であり、河村尚子が弾いた「月光」ソナタのような天才的な閃きはないが、立派な演奏である。
ゲルバーのペダリングであるが、踏みかえは多いものの、ダンパーペダルを踏み続けていることもあり、音がややこもる。


ピアノ・ソナタ第3番。
ベートーヴェン初期のピアノ・ソナタであるが、だからといって、スケールを小さくしたりすることはない。むしろきっちりとした演奏を行うことにより、J・S・バッハなどにも通じる古典性を際立たせてみせた。
「月光」ソナタでもそうであったが、ゲルバーのピアノは左手がものを言っており、スケールを大きくしたり、立体感を与えたりしている。


休憩を挟んで、ピアノ・ソナタ第15番「田園」。
第1楽章も美しい演奏であったが、左手が受け持つ旋律を敢えて無表情に弾くことで古雅な趣を出した第2楽章の演奏は至芸ともいえるものであった。


ラストとなる、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」。
ゲルバーは技術も高いが、最高レベルではなく、今日も何度かミスタッチがあったし、ゲルバーが思い描いているようには指が回らないという箇所もあったが、演奏会とは技術品評会ではなく、音楽を聴くための催しであり、。音楽性が高ければ技術に多少瑕疵があったとしても問題ではない。技術でゲルバーより上のベートーヴェンを弾くピアニストも多いであろうが、味わい深さはそれとは別問題である。

「熱情」というタイトルの曲だが、ゲルバーの演奏は実に情熱的。強音と弱音の幅も広く、表現は多彩である。好きなタイプのベートーヴェンかと聞かれれば、少し異なるかもしれないが(私が好きなベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏は、ルドルフ・ゼルキンのように極めて端正なものか、サンソン・フランソワや河村尚子のように独自の閃きに満ちた個性的なものかのどちらかである)聴きごたえは十分なベートーヴェンであった。


ピアノ・ソナタ4曲の演奏、また歩行が困難ということもあり、アンコール演奏は行わなかったゲルバー。それでもいったん退場した後に喝采に応えて、ステージの半ばまで歩いて一礼し、最後は、入り口を再び開けて、その場で深々とお辞儀をしてリサイタルを終えた。

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