カテゴリー「ベートーヴェン」の70件の記事

2017年12月12日 (火)

コンサートの記(331) フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団来日公演2017名古屋

2017年11月28日 名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールにて

午後6時45分から、名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールで、フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団の来日演奏会を聴く。

日本特殊陶業市民会館は、JR金山駅(名鉄と名古屋市営地下鉄も乗り入れており、金山総合駅の総称もある)で降りて北へすぐの所にある。

日本特殊陶業市民会館フォレストホールは、以前の名古屋市民会館大ホール。ネーミングライツによる中京大学文化市民会館オーロラホールを経て現在の名称になっている。1972年竣工というもあって、翌年完成した渋谷のNHKホールに内装がよく似ている。
ということで音響が不安だったのだが、良く聞こえるホールであった。


ベートーヴェンの交響曲第5番とブラームスの交響曲第1番という王道プログラムでの演奏会である。


フィリップ・ジョルダンは、私と同じ1974年生まれの指揮者。父親は名指揮者として知られたアルミン・ジョルダンである。チューリッヒに生まれ、同地で学んだ後、歌劇場のコレペティートル(下稽古のピアニスト)から音楽キャリアをスタートさせるという、叩き上げの王道を経て、若き日のヘルベルト・フォン・カラヤンが君臨したことで知られるウルム市立歌劇場のカペルマイスターに就任。1998年から2001年まではベルリン国立歌劇場でダニエル・バレンボイムの助手を務めている。2001年にグラーツ歌劇場とグラーツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となり、2004年まで務める。2006年から2010年まではベルリン国立歌劇場の首席客演指揮者。現在はパリ・オペラ座の音楽監督とウィーン交響楽団の首席指揮者の座にある。2020年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することがすでに決まっている。

ウィーン交響楽団は、ウィーン・フィルハーモニーに次ぐ、ウィーンの第2オーケストラ的団体として知られている。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからなるオーケストラであり、定期演奏会の数が少ない。「もっと恒常的にオーケストラコンサートを聴きたい」というウィーン市民の声に応える形で結成されたのがウィーン交響楽団である。1900年創設。歴代のシェフには、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ヨーゼフ・クリップス、カルロ・マリア・ジュリーニ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ウラディーミル・フェドセーエフ、ファビオ・ルイージというビッグネームが並ぶ。近年では最晩年のジョルジュ・プレートルとの名盤が評判を呼んだ。
一方で、「暴れ馬のようなオーケストラ」という評価もついて回っている。

ヴァイオリン両翼だが、弦楽の配置は下手から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンで、一般的な古典配置のヴィオラとチェロを逆にしたスタイルである。コントラバスは舞台最後部に横一列に並ぶ。ティンパニは舞台下手奥に陣取る。

フィリップは全曲暗譜での指揮。いかにも才人といった風の身のこなしである。


ベートーヴェンの交響曲第5番。
冒頭の運命動機のフェルマータは自然な感じで伸ばす。ピリオド・アプローチを採用しており、弦楽器よりも管楽器において古楽風スタイルが顕著である。旋律のラストは伸ばさずにサッと引っ込む感じで刈り上げる。ティンパニが硬い音を出しているのも特徴。
ウィーン交響楽団は各楽器の音色が濃く、音の情報量が豊かである。
フィリップは、管楽器、特に金管、就中ホルンの浮かび上がらせ方が巧みであり、立体的な音響を生んでいる。
楽章間はほとんど開けず、4楽章を通して1曲という解釈による演奏。ベーレンライター版の譜面をかなり忠実に再現しており、第4楽章の掛け合いでは、通常の「タッター、ジャジャジャジャン、タッター、ジャジャジャジャン」ではなく「タッター、タッター、タッター、タッター」と同音反復を採用。ピッコロの活躍も目立っていた。
フィリップが手を差し伸べた楽器群が光度を増す様は、あたかも手品を見ているかのようである。
一方で、細部は結構粗めで、ウィーン交響楽団の個性が出ている。


ブラームスの交響曲第1番。冒頭は情熱を抑えて、悲哀を強調した解釈。音もブルートーンである。この曲は、ベートーヴェンの運命動機と同じ「ジャジャジャジャン」という音型が何度も出てくるのだが、フィリップはそれを強調することはなかった。ウィーン交響楽団の音の密度はベートーヴェンの時よりも更に濃い。
ウエットな音がラストに向けて輝きを増していくという演奏であり、第4楽章は晴れがましくも輝かしい名演となる。


アンコールとして、まずブラームスの「ハンガリー舞曲」第5番が演奏される。ウィーン的な情趣とハンガリーの民族音楽的味わいが上手くミックスされた演奏である。

フィリップが、「ウィーンからのご挨拶(Greeting from Wien)」と言って、ヨハン・シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏され、更に「雷鳴と電光」も続く。両曲とも日本のオーケストラが演奏する機会も多い曲だが、本場・ウィーンの演奏であるだけに、音の切れも輝きも密度も段違いの出来である。ウィーン交響楽団のメンバー全員がオーストリア人というわけではないはずだが、やはり子供の時からウィンナワルツに触れ、誇りとしてきた楽団員が多いだけに、他国のオーケストラの追随を許さないだけのレベルに達することが可能なのだろう。
なお、シンバルと大太鼓は、本編ではティンパニを叩いていた奏者が一人で演奏。かなり楽しそうであった。

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2017年12月 9日 (土)

コンサートの記(329) 下野竜也指揮京都市交響楽団第618回定期演奏会

2017年11月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第618回定期演奏会を聴く。この公演をもって「京都の秋音楽祭」2017は終了する。今日の指揮は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:アンナ・フェドロヴァ)とジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」

京都市交響楽団のTwitterの載せられた映像で、「チケットが売れていません。買って下さい」と語っていた下野は、プレトークでもまずそのことに触れ、「空席が目立ちますが、空席以外は満席ということで」と吉本芸人のようなことを言う。ただ今日は当日券売り場に長蛇の列が出来ていたため、開演前にはなかなかの入りとなった。定期演奏会は昨日もあったため、あるいは評判を聞いて駆けつけた人がいたのかも知れない。
下野はプレトークでは調性について語り、調性が持つ色彩感についても述べていた。「ピアノを弾こうかと思ったのですが、上手く弾けないので」とピアノを弾きながらの解説を行うことはなかった(下野は音楽一家に育ったわけでもなく、子供の頃からピアノを習うということもなかったため、他の指揮者のようにピアノが抜群というわけではない)。
ジョン・アダムズの作品については、「100年後にはベートーヴェンの「皇帝」のようなお馴染みの作品になっているかも知れない」と語り、初演ではないが初演に立ち会うような、同時性を感じられる面白さについても述べていた。


今日のコンサートマスターは客演の西江辰郎、フォアシュピーラーは泉原隆志。第2ヴァイオリン首席は今日も客演で、直江智沙子が入る。管楽器は、オーボエの髙山郁子とクラリネットの小谷口直子が全編に出演。他のパートの首席は「ハルモニーレーレ」のみの出演である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。
ピアノ独奏のアンナ・フェドロヴァはウクライナ出身の若手ピアニスト。キエフ音楽院、イタリアのイモラ国際アカデミー、ロンドンの王立音楽院に学び、2009年のルービンシュタイン記念国際ピアノコンクールで優勝。その他のコンクールでも優勝や入賞歴があるという。

フェドロヴァのピアノは、音の粒立ちが良く、透明感がある。メカニックは高度なのだが、バリバリ弾くというよりも適切なタイミングで適切な鍵盤の上に指を置いていくというスタイルであり、押しつけがましさのないしなやかな演奏を展開する。

下野指揮の京都市交響楽団は、下野の体型とは正反対の(?)引き締まったフォルムで、バネのある力強い伴奏を行った。ティンパニが硬めの音を出していたが、それ以外は完全にモダンスタイルの演奏である。

アンコールとしてフェドロヴァはショパンの「子犬のワルツ」を演奏。涼しげな演奏であった。


後半、ジョン・アダムズの「ハルモニーレーレ」。
ジョン・アダムズは、1947年生まれのアメリカの作曲家。ハーバード大学音楽学部で作曲を学び、大学卒業後はサンフランシスコに移住し、同地の音楽院で作曲などを教えながら作曲と指揮活動を行っている。反復を特徴とするポスト・ミニマルの代表的な作曲家であり、「中国のニクソン」や「ドクター・アトミック」など社会的な題材によるオペラの作曲家としても知られている。管弦楽曲作品としては、「ショート・ライド・イン・ア・ファースト・マシーン」が比較的有名である。 
「ハルモニーレーレ」は、1984年から1985年に掛けて書かれた作品で、下野のプレトークによると、「約20年前に、約ですよ(正確には1986年)。に、サントリーホールで、ケント・ナガノ指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団によって」日本初演が行われ、その後、日本では演奏される機会がなかったのだが、2年前に下野が東京で同曲を取り上げ、この京都での演奏が日本で3度目の上演になるという。

3つのパートからなる曲で、パート1はタイトルなし、パート2のタイトルは「アンフォルタスの傷」、パート3が「マイスター・エックハルトとクエッキー」である。
大編成での演奏であり、ステージ上にオーケストラ奏者が所狭しと並ぶ。ティンパニ以外の打楽器奏者は複数の楽器を掛け持ちするため打楽器の数も多く、テューバは珍しく2管編成。ピアノにチェレスタという鍵盤楽器も加わる。

ミニマル・ミュージックということで、同じパートの繰り返しが音の波が押し寄せる様に聞こえたり、心地のよいリズム感を生んだりする。
パート1ではジョン・ウィリアムズの映画音楽のように聞こえる部分があったり、パート2はホルストの組曲「惑星」の「天王星」を連想する曲想だったりと、宇宙的な拡がりを感じさせる作品である。
パート3「マイスター・エックハルトとクエッキー」は、強烈なリズムの反復によってスケールがどんどん拡がっていき、熱狂のうちに「皇帝」と同じ変ホ長調で曲は閉じられる。

楽しい現代音楽であり、演奏終了後、客席は大いに沸いた。


終演後のレセプションに参加し、下野とフェドロヴァの挨拶を聞いて帰る。下野は「ハルモニーレーレ」について、「初めて聴いた時は大きなプラネタリウムの中にいるような感じがした」と述べ、「来年のプログラムが近く発表になると思いますが、来年も『下野の奴、またこんな曲取り上げやがって』と言われるような曲をやることを予告しておきます」と語った。
フェドロヴァは下野のことを、「ファンタスティック・マエストロ」と呼び、「大きなオーケストラとやったけれど、まるで室内楽の演奏をしているかのようだった」と感想を述べ、また京都コンサートホールの音響を素晴らしいと評していた。

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2017年9月 9日 (土)

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団 ベートーヴェン 交響曲第5番

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2017年7月29日 (土)

コンサートの記(313) 広上淳一指揮京都市交響楽団第614回定期演奏会

2017年7月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第614回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

チラシなどには「広上淳一のブラームス讃 第1弾」と銘打たれたコンサート。曲目は、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ピンカス・ズーカーマン)、ブラームスの交響曲第3番。


開演20分前からプレトークがある。お昼の公演なのだが、広上淳一は「こんばんはー」と言ってステージに登場。京都市交響楽団第2ヴァイオリン奏者の後藤良平と京都市交響楽団シニアマネージャー兼チーフマネージャーの柴田智靖も広上に続いて現れる。

まずベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるピンカス・ズーカーマンの話。後藤良平は、イツァーク・パールマンなどの優れた弦楽奏者と共演したことがあるという話をし、広上と二人で、ズーカーマンは、パールマンやアイザック・スターンと同じユダヤ系ヴァイオリニストだという話になる。ズーカーマンが京響と共演するのは今日が初めてだそうである。

続いて、広上がブラームスの交響曲第3番を指揮するのは今日が3回目だという話をする。難しい曲なので取り上げにくいらしい。広上がまだ駆け出しの頃、受けた指揮者コンクールでブラームスの交響曲第3番が課題曲だったのだが、「ロマンの塊」のようで、「これは難しいぞ」と感じた思い出などを語る。

ブラームスの大学祝典序曲。広上や後藤は「旺文社の大学受験ラジオ講座」のテーマ曲として知ったそうで、広上は大学浪人時代にずっと「旺文社の大学受験ラジオ講座」を聞いていたのだが、テーマ曲がブラームスの大学祝典序曲であるということは知らず、大学に入ってから曲名を知ったそうである。
後藤は、「京都は大学生の比率が日本一多い街、だいたい10人に1人で京都市の人口が150万弱だから14万人」と語り、この曲が京都で演奏するのに相応しい曲だと述べた。
その他、祇園祭の話も出たのだが、広上は幼い頃に父親に連れられて祇園祭を見たものの(山矛巡行だと思われる)人ばかりで何も見えなかったという思い出があるそうだ。


今日のコンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣、フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積も出演する。管は多くの首席奏者がブラームスの交響曲第3番のみ登場した。


ブラームスの大学祝典序曲。最近では演奏が良くても心揺すられることは余りないのだが、広上のブラームスには感心させられた。明晰で美しく、繊細で上品な演奏。特筆すべきは日本人ならではの細やかな感性が十全に生きていることで、日本人指揮者と日本のオーケストラがなし得るものとしては最上レベルの演奏と書いて間違いないと思う。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのピンカス・ズーカーマンはユダヤ系のヴァイオリニストらしく磨き抜かれた美音と高度なメカニックを披露。音に張りがあり、明るい。ステージ上が明るくなったかのように錯覚するほどだ。ポルタメントの使い方も味わい深い。
広上指揮の京都市交響楽団も充実した伴奏を聴かせる。丁寧で構築感抜群の演奏であり、第3楽章のオーケストラのみの演奏場面ではズーカーマンはオーケストラの方を振り向いて満足げな表情を見せる。ズーカーマンは京響のことが大分気に入ってしまったようだ。

大曲であるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということでアンコール演奏はなし、最後はズーカーマンは手ぶらで現れ、アンコールを演奏しないことを示した。


ブラームスの交響曲第3番。大学祝典序曲同様、日本人の美質が十全に発揮された演奏である。立体感もあり、音色は澄んで、旋律の歌い方にも日本人好みの小粋さがある。各楽器の奏者達の技術も高く、世界中でこのコンビだけが再現できるブラームスであったと思わせる快演であった。

なお、今日と明日の演奏会はハイレゾによる収録が行われ、後日配信される予定である。

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2017年7月 9日 (日)

コンサートの記(308) シュテファン・ザンデルリンク指揮 ハンブルク交響楽団来日演奏会2017京都

2017年7月3日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、シュテファン・ザンデルリンク指揮ハンブルク交響楽団の来日演奏会を聴く。

ハンブルク交響楽団が来日するのは今回が初めて。

ザンデルリンクファミリーの一人で若い頃からレコーディングなども行っているシュテファン・ザンデルリンク。以前に大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)を指揮した演奏会を聴いたことがある。

演目は、ベートーヴェンの「エグモント」序曲、ベートーヴェンの交響曲第5番、ブラームスの交響曲第1番。


チェロを前面に出したアメリカ式の現代配置での演奏。今日のザンデルリンクは全編ノンタクトで指揮する。


今日はステージをすり鉢状にはしていないが、残響は長い。昨日、一昨日とロームシアター京都メインホールでの京都市交響楽団の演奏を聴いたが、残響が短かったため、残響長めのホールで聴くとホッとする。京都コンサートホールがやはり私のホームなのだと確認した。


「エグモント」序曲。ハンブルク交響楽団は渋めの響き。弦は琥珀のような独自の輝きを持っている。
ベーレンライター版の楽譜を使っていたと思われるのだが、ピッコロはさほど目立つ活躍はしていなかった。譜面を改変したのかも知れない。
熱気をそれほど表には出さない端正な演奏である。


ベートーヴェンの交響曲第5番。運命動機のフェルマータは長く伸ばすが、フォルムを自在に変える演奏であり、復古的なスタイルではない。ピリオド・アプローチを援用しており、弦楽はビブラートを控えめにしてボウイングもモダンスタイルとは異なるものだったが、ピリオドスタイルを前面に出したものではない。
ゲネラルパウゼを長めに取ったかと思えば繰り返しでは間を詰めたりと、即興性を重視しているようである。
第4楽章ではベーレンライター版の音型反復を採用(ブライトコプフ版では、「タッター ジャジャジャジャン タッター ジャジャジャジャン)と運命動機の音型で返すところを「タッター タッター タッター タッター」と同音型で返す)。ピッコロの浮かび上がりはラストのみ採用と、様々な版から取捨選択を行っていることが窺える。


ブラームスの交響曲第1番。強靱なフォルムを彫刻することに心を砕いた演奏である。
テンポは中庸であり、ピリオド的な要素もほぼない。渋い音色を生かしたロマン的な演奏だが、作品にのめり込み過ぎることはなく、音像そのものの美しさを生かしたものとなっている。


アンコールはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲。ティンパニの音が硬めであり、弦楽のビブラートも押さえた演奏。ロココ的な良さが十分に出た演奏だった。

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2017年7月 4日 (火)

コンサートの記(307) 「長富彩 ピアノ・リサイタル ベートーヴェンからリストへ -古典派からロマン派への転遷-」

2017年6月17日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、「長富彩 ピアノ・リサイタル ベートーヴェンからリストへ ―古典派からロマン派への転遷―」を聴く。

今日のザ・シンフォニーホールは1階席のみの販売のようで、1000人前後に聴衆を絞っての演奏である。ザ・シンフォニーホールで1階席のみのピアノ公演だと残響が長すぎるようにも感じられ、最初のうちは音に馴染めなかったが、プログラムが後半に入る頃には慣れていた。

曲目は、前半がオール・ベートーヴェンで、ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、「エリーゼのために」、ピアノ・ソナタ第30番。
後半がオール・リストで、「愛の夢」第3番、「ハンガリー狂詩曲第2番」、「詩的で宗教的な調べ」より第3番“孤独のなかの神の祝福”

青のドレスで登場した長富綾は「小柄で華奢な女性」という印象。そうした女性がベートーヴェンやリストの楽曲を弾くというのは余りリアリティを感じないのだが、感じようが感じなかろうが演奏会は始まる。


ベートーヴェンの「悲愴」では音の立体感の巧みな生み出し方が最も印象的である。

「エリーゼのために」ではやや遅めのテンポを取り、ベートーヴェンがこの曲に込めた情念を炙り出していく。なお「エリーゼ」というのはベートーヴェンの筆跡が荒かったために生まれた誤読で、実際は「テレーゼ」なのだという説が有力視されていたが、「エリザベート・レッケルという女性のために書かれた楽曲」という新説も生まれており、詳細不詳である。ただエリーゼの正体が誰かというのは、音楽史的には重要であっても、演奏するにも鑑賞する上でも大した事象ではないと思われるのも事実である。

ピアノ・ソナタ第30番では、瑞々しい感性が生きた快演。ラストの祈りの表現も見事であった。


リストの「愛の夢」第3番。
長富はこの曲でも遅めのテンポを採用して、浮遊感のあるロマンティックな演奏を繰り広げる。やや音が軽いと思われる場所もあるが傷ではない。


「ハンガリー狂詩曲第2番」。出だしの雄々しさの表出も巧みであり、ラストに迎えての情熱的な盛り上げ方も上手い。

「詩的で宗教的な調べ」より第3番“孤独のなかの神の祝祭”。煌めきのある音で計算のきちんと行き届いた演奏を聴かせる。


かなり良いピアニストである。
 


アンコール演奏は2曲。ラフマニノフの前奏曲「鐘」でスケール豊かな音像を描いた後は、モーツァルトの「トルコ行進曲」(編曲版)。編曲者が誰なのかはわからないが、左右各々の手が別々の展開をするという凝ったものである。長富彩の演奏も優れていた。

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2017年6月11日 (日)

コンサートの記(303) 本名徹次指揮 日本センチュリー交響楽団 「センチュリー豊中名曲シリーズ Vol.2」

2017年5月7日 豊中市立文化芸術センター大ホールにて

豊中へ。曽根駅の近くにある豊中市立文化芸術センター大ホールで、「センチュリー豊中名曲コンサート Vol.2」を聴く。本名徹次指揮日本センチュリー交響楽団の演奏。児玉麻里と児玉桃の児玉姉妹が2台のピアノのための作品を演奏する。


「センチュリー豊中名曲コンサート Vol.2」の曲目は、ベートーヴェンの交響曲第1番、プーランクの2台のピアノのための協奏曲(ピアノ:児玉麻里&児玉桃)、サン=サーンスの「動物たちの謝肉祭」(管弦楽版)。「センチュリー豊中名曲コンサート」では今後、ベートーヴェンの交響曲を全曲取り上げる予定である(今年度は延原武春の指揮で「田園」が、小泉和裕の指揮で「英雄」が演奏される予定)。

今日の日本センチュリー交響楽団のコンサートミストレスは松浦奈々。古典配置での演奏である。

今日の指揮者である本名徹次は1957年、福島県郡山市生まれ(そもそも本名姓は福島県発祥の苗字である)。現在はベトナム国立交響楽団の音楽監督兼首席指揮者を務めていることで知られる。東京芸術大学器楽科中退。元々、「大学中退」という肩書きに憧れていたそうだが、指揮者志望であったものの芸大の指揮科は定員2名程度と難関であるため、器楽科に進んで指揮のプライベートレッスンを受けられる環境を自分で整えたかったのかも知れない。指揮を山田一雄と井上道義に師事。アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールで2位に入り、ブダペスト国際指揮者コンクールでは優勝に輝く。
日本国内では大阪シンフォニカー(現・大阪交響楽団)の常任指揮者や名古屋フィルハーモニー交響楽団の客演常任指揮者なども務めている。日本人作曲家作品演奏専門のアマチュア・オーケストラであるオーケストラ・ニッポニカの指揮者としても活躍した。


ベートーヴェンの交響曲第1番。ピリオド・アプローチでの演奏。バロック・ティンパニを使用する。
弦楽器はビブラートは適宜掛けているが(中編成のセンチュリー響がこのホールで徹底したノンビブラート奏法を行うと音が小さくて聞こえにくくなるかも知れない)、ボウイングがかなり大きいという古楽奏法である。ヴァイオリンなどは弓の端から端まで用いる。
センチュリー響は元々ピリオドでの演奏に長けていた上に、近年ではハイドンの交響曲のピリオドでの演奏を続けているので、古楽奏法は手慣れている。
本名徹次の指揮姿はエレガントで音運びも達者である。
なお、本名徹次が指揮棒を使用したのはこの曲だけで、続く2曲はノンタクトで指揮した。


プーランクの2台のピアノのための協奏曲。ピアノの児玉姉妹は実は豊中市生まれである。育ちはパリで、今も本拠地はヨーロッパに置いているため、国籍も見た目も日本人であるが、内面が何人なのかはちょっとわからない。児玉麻里は指揮者のケント・ナガノ夫人でもある。
プーランクの2台のピアノのための協奏曲は、ストラヴィンスキーの影響を受けているといわれているが、聴くとそれはすぐにわかる。
姉妹ではあるが、児玉麻里の生み出すピアノの音と児玉桃のそれは少し異なり、児玉麻里の方がよりまろやかで、児玉桃の弾くピアノはエッジが立っている。どの音をどちらが出しているのははっきりわかるレベルで異なるのが面白い。
ピアノ協奏曲では普通はピアノがステージの一番手前側に来るのだが、今日は2台のピアノのための協奏曲ということもあって、舞台一番手前に指揮台があり、その奥にピアノ2台が向かい合う形で置かれている。下手側のピアニストが児玉麻里、上手側が児玉桃である。
第2楽章はモーツァルトを模したといわれる(プーランクは「パリのモーツァルト」という異名でも知られた)チャーミングな旋律が登場するのだが、児玉姉妹は比較的スマートな演奏に仕上げていた。


休憩を挟んで、サン=サーンスの「動物たちの謝肉祭」(管弦楽曲版)。管弦楽版による「動物たちの謝肉祭」のCDはシャルル・デュトワ指揮ロンドン・シンフォニエッタ盤などいくつか出ている。
プーランクの2台のピアノのための協奏曲の時は違い、この曲では2台のピアノが舞台の一番手前に置かれ、指揮者がその奥に布陣する。
「象」や有名な「白鳥」など、ソロによる曲があるのだが、いずれも本名徹次は指揮をせず、ソリストに全てを任せていた。
「ピアニスト」のスケールの練習は「下手であれば下手であるほど良い」とされており、思いっきり砕けた演奏をするピアニストもいるのだが、児玉姉妹は特に受けを狙うこともなく、普通に演奏していた。
児玉姉妹、本名指揮のセンチュリー響ともに洒脱な演奏を展開した。


アンコール演奏は児玉姉妹が受け持つ。本編とは逆に、児玉麻里が上手側、児玉桃が下手側とピアノを交換。だが、やはりというかなんというか、別のピアノを弾いてもそれぞれのピアニズムに変化はない。
最近、姉妹でリリースした2台のピアノのよる作品のCDに収められたチャイコフスキーの「くるみ割り人形」から、「こんぺいとうの踊り」と「トレパック」(ともにアレンスキー編曲)。いずれも息の合った見事な演奏であった。


豊中市立文化芸術センター大ホールの音であるが、前回と同じような席であったため、どこの席で聴いてもそうだとは言い切れないのだが、残響は短めであるものの、キャパがそれほど大きくないということもあって、音の通りが良い。
ステージが小さめであり、おそらく前の方の椅子を動かしてステージをせり出すことも可能だとは思うのだが、そもそもキャパ1300ちょっとと大ホールにしては小さいため、今後もフルサイズのオーケストラの公演が行われることは少ないと思われる。

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2017年5月17日 (水)

コンサートの記(300) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第507回定期演奏会

2017年4月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第507回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大フィル桂冠指揮者の大植英次。

大フィル定期演奏会プレトーク担当の福山修氏によると、大フィルは今年が創設70年になるのだが、前身である関西交響楽団が70年前に第1回の定期演奏会を行ったのが1947年の4月26日ということで、今日が大フィルの誕生日に当たるのだという。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第7番と、オルフの世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」。関西では今年、「カルミナ・ブラーナ」が立て続けに演奏される。たまたまなのか、「カルミナ・ブラーナ」がブームになりつつあるのかは不明。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。


ベートーヴェンの交響曲第7番。
大植英次はベートーヴェンは不得意であり、交響曲全曲演奏会なども行っているのだが評判は伝わってこない。
ピリオド・アプローチによる演奏。弦楽器はノンビブラートの演奏を行うが、これは第2楽章において効果的に働いていた。
第1楽章はピリオドとしては平均的なテンポだったが、第2楽章以降は比較的速めの演奏を行う。
低弦をきっちりと弾かせた演奏だが、バランス的にはピラミッド型になることはない。第1楽章は音の密度の濃い演奏を行い、第2楽章もあっさりしがちだが好演である。第2楽章ではレガートを多用してスマートで滑らかな演奏に仕上げている。
ただ第3楽章と第4楽章は「軽快」といえばいえるが、余りに軽く、ベートーヴェンらしさは後退してしまっていた。10年以上前に聴いた大植と大フィルの演奏による第7よりは良かったかも知れないが、ベートーヴェンを得意とする他の指揮者のそれに比べると物足りないのは否めない。


オルフの世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団、児童合唱は大阪すみよし少年少女合唱団。独唱は、森麻季(ソプラノ)、与那城敬(バリトン)、藤木大地(カウンターテナー)。

「カルミナ・ブラーナ」の音楽性はマーラーの声楽付き交響曲に通じるところがあり、マーラー指揮者である大植には大いに期待が持てる。
大植英次はこの曲も全曲暗譜で指揮する。
オーケストラ約100名、合唱約200人ということで、計約300名で演奏される大曲。広い広いフェスティバルホールのステージが人で埋まる。

大植はテンポを自在に変える演奏。大フィルから鋭い響きを生み出す。大阪フィルハーモニー合唱団も大阪すみよし少年少女合唱団もハイレベルな合唱を聴かせる。一音一音明瞭に発声するのが特徴だが、私はドイツ語を学んでいないので音楽面ではともかくとして言語的にどれほど効果的なのかはよくわからない。
大人数での演奏ということで、フェスティバルホールの音響も有効に働いていたように思う。

ソプラノ独唱の森麻季は、クッキリとした歌声で魅せる。声の質はメゾ・ソプラノに近いかも知れないが高音が良く伸び、技術も高い。
バリトン独唱の与那城敬はドラマティックな歌唱を披露。声が良く通る。

「ローストされる白鳥」の歌は、通常はテノールが裏声で冗談めかして歌うのであるが、今回の演奏はカウンターテナーの藤木大地が裏声ではなくカウンターテナーの発声で歌う。おちゃらけた歌い方であり、藤木も藤木をフォローする与那城も軽い仕草の演技をしているのだが、白鳥の悲哀がそこはかとなく伝わってくる。丸焼きにされる白鳥の悲哀というのもそれはそれで可笑しいものであるのだが。

やはり、「カルミナ・ブラーナ」とマーラー指揮者の相性は良いようで、大植指揮の「カルミナ・ブラーナ」は大成功であった。

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2017年5月13日 (土)

コンサートの記(298) アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団大阪特別公演2017

2017年4月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで東京都交響楽団の大阪特別公演を聴く。今日の指揮者は日米ハーフのアラン・ギルバート。ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督であり、NHK交響楽団へたびたび客演していたことでも知られる。1967年生まれ。現在、ジュリアード音楽院指揮・オーケストラ科ディレクター、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団桂冠指揮者、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者も務めている。

今日のコンサートマスターは矢部達哉。ドイツ式現代配置での演奏である。今日の都響男性団員は大半が燕尾服ではなく背広姿である(全員背広に見えたのだが、全ての男性楽団員を確認出来たわけではない)。

曲目は、ベートーヴェンの劇付随音楽「エグモント」序曲、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノ独奏:イノン・バルナタン)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」

開演前にステージ上でティンパニ奏者が練習していたのだが、音色が硬かったため、ベートーヴェンではピリオド・アプローチが行われることがわかった。


ベートーヴェンの劇付随音楽「エグモント」序曲。ギルバートはベートーヴェンは「エグモント」も「英雄」も暗譜で指揮した。
弦楽器はビブラートを控えめにして、ボウイングもピリオド特有のものである。ピリオドのためか、音色が若干乾き気味である。
ギルバートの指揮は指揮棒を持たない左手を右手と同じぐらい多用するのが特徴。拍を刻むのではなく、音型を指揮棒で示していくタイプである。両手よりも上体の動きで指揮することもある。
バランス感覚も良く、やや地味ながら好演であった。


ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。ピアノ独奏のイノン・バルナタンは、1979年、イスラエルのテルアビブ生まれのピアニスト。ニューヨーク・フィルの初代アーティスト・イン・レジデンスを務めたそうである。
バルナタンはピアノをバリバリ弾くタイプではく、音を丁寧に置いていく感じだが、技巧にはキレがあり、ロマンティシズムの表出も上手い。
ギルバート指揮の都響は十全とは言えないかも知れないが、甘美な音色を生んでいたように思う。


メインであるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。ギルバートは、第1楽章、第3楽章、第4楽章ではピリオドとしては平均的な速度を採用。第2楽章「葬送行進曲」はピリオドとしてもやや速めである。
弦楽は「エグモント」よりもビブラートを更に抑えた演奏。時折、完全ノンビブラートで生み出される響きが美しい。
ギルバートは管楽器を浮かび上がらせるのが上手く、都響の管楽器も巧者揃いである。特に金管は全員腕利きだ。
今日のギルバートは、残響2秒程度というフェスティバルホールとしては理想的な残響時間を生んでいたが、ゲネラルパウゼを長めに取るのも特徴。今日は私は3階席の4列目、下手端の方で聴いていたが、あるいは指揮台の上ではもっと残響が長く聞こえたのかも知れない。

第1楽章の主題行方不明は原譜通り採用。ギルバートは木管を強調することはせず、本当に行方不明のように聞こえた。意図的にそうしたのかも知れない。

第2楽章には「タタタタン」という、後に交響曲第5番で使用される「運命動機」の原型が聴かれるのだがギルバートはそれを強調することはなく、主題を吹く管楽器の方を優先させていた。

第3楽章と第4楽章の間はアタッカで繋いだギルバート。見通しの良い端正な仕上がりで、ベートーヴェンがモーツァルトから受けた影響なども際立たせて、アポロ芸術的な「英雄」となった。

カーテンコールでは、ギルバートは最後は客席に向かって手を振り、コンサートはお開きとなった。

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2017年5月 5日 (金)

コンサートの記(297) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2017

2017年4月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団大阪特別公演を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
曲目は、ベートーヴェンの交響曲第5番、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。
今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。管楽器の首席奏者は前半のベートーヴェンにはほとんど出演せず、ベートーヴェンのオーボエは客演の岡北斗が吹いた。


広上は節目節目でベートーヴェンの交響曲第5番を取り上げており、十八番としている。

今日は二つ指揮棒を軽く振ってから演奏スタート。フェルマータはいつもよりも少しだけ短めにしているようである。ピリオド・アプローチによる演奏であり、音の末尾を伸ばすことはない。
音の密度が高く、弦、管共に充実した演奏を展開する。フルートの浮かび上がらせ方の上手さも目立つ。
第4楽章突入部分の輝かしさは特筆事項で、真の勝利をつかみ取った心の震えまでもが伝わってくるかのようだ。
ベーレンライター版の譜面を使っていたようで、第4楽章ではピッコロの活躍が目立つが、一番浮き上がるところのピッコロは採用しておらず、交ぜて使っているようである。ラストではピッコロを思う存分吹かせていた。
広上は、ジャンプをしたかと思えば、振りかぶって指揮棒を下げ下ろしたり、指揮棒を両手で持って剣道の「面!」のように払い下げたりする。


休憩を挟んで後半。ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」。しなやかにしてソリッドな演奏が展開される。夜想曲やロマンスの可憐さも見事だ。夜想曲ではコンサートマスターの渡邊穣が美しいヴァイオリンソロを奏でた。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。京響の技術の高さと、明るい音色が十全に発揮された演奏である。広上の弦と管のバランスの取り方も最上であり、ティンパニなどの打楽器の思い切った強打も効果的である。音の百貨店のようにどんな音でも出せる万能系の演奏である。
広上のピョンピョンと跳ねる指揮姿も面白かった。


カーテンコール。広上は客席に向かって、「また来ます」と挨拶。「皆さんのご多幸を祈って」ということで、ビゼーの「アルルの女」第1組曲よりアダージェットがアンコールとして演奏される。瑞々しい出来であった。

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