カテゴリー「ベートーヴェン」の106件の記事

2019年10月16日 (水)

これまでに観た映画より(133) 「レディ・マエストロ」

2019年10月10日 京都シネマにて

京都シネマでオランダ映画「レディ・マエストロ」を観る。原題は「The Conductor」という意味深なものなのだが、日本でこの映画を観る場合に「The Conductor」だと意図が伝わりにくいためにタイトルが変えられたのだと思われる。監督・脚本はマリア・ペーテルス。出演は、クリスタン・デ・ブラーン、ベンジャミン・ウェインライト、スコット・ターナー・スコフィールドほか。セリフはオランダ語と英語が用いられており、少しだがドイツ語も登場する。音楽監督はステフ・コリンヨン。
女性指揮者の草分け的存在であるアントニア・ブリコ(1902-1989)の肖像を描いた映画である(全ての人生が描かれているわけでない)。アントニアを演じるのはクリスタン・デ・ブラーン。

1926年(日本だと大正15年=昭和元年)のニューヨーク。クラシック音楽好きで才能にも恵まれたオランダからの移民であるウィリー(クリスタン・デ・ブラーン)はカーネギーホールの客席案内係(レセプショニスト)として働いている。当時のニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(ニューヨーク・フィルハーモニックの前身)は指揮者は勿論、楽団員全てが男性で占められており、オーケストラ絡みで女性が就ける仕事は客席案内係ぐらいのものだった。

この日は同郷の大巨匠指揮者であるウィレム・メンゲルベルクが指揮台に立って、十八番であるマーラーの交響曲第4番を指揮するということで、ウィリーも興奮気味であり、仕事でミスを犯したりもする。ただ、客席案内係はコンサート本番を聴くことは許されない。ウィリーは本番中、誰もいないと思った男性用トイレに入り、漏れてくる音楽に心奪われて、箸を指揮棒代わりに(どうやら箸で食事をする習慣があるようである)鏡に向かって生き生きと指揮を続ける。が、その時に、男が一人、男性用トイレに入ってくる。富豪の息子のフランク(ベンジャミン・ウェインライト)だ。「衛生面での点検だ」と誤魔化したウィリーはその後、大胆な行動に出る。第1楽章が終わった後で、持ち運び用の椅子を手にカーネギーホールの中央通路を進み、指揮者であるメンゲルベルクの真後ろに陣取って曲を聴こうとしたのだ。メンゲルベルクも複雑な表情を浮かべるが、第2楽章の指揮を始める。だが、それを見たフランクは激昂。ウィリーをホールの表へと叩き出してしまう。
結局、ウィリーは客席案内係の仕事をクビになったことを契機に、本格的に音楽の道に進むことを決意。指揮者を夢見て、ブラスバンドの指揮者であったゴールドスミスに頼み出て弟子にして貰い、名門UCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)の音楽学部の試験にも合格。ただその後ゴールドスミスがウィリーを女として意識し、関係を迫ったことで関係は破綻する。音楽学校の学費を稼ぐためにタイピストや接客業の職に就こうとするも気位の高さが伝わるのか、有能さを示しても落ちてばかりのウィリー。ナイトクラブのベース奏者であるロビン(スコット・ターナー・スコフィールド)に気に入られてロビンのいるバンドのピアニストに決まり、グリーグの「トロルドハウゲンの結婚行進曲」を弾いていると、ロビンはジャズ風に編曲した「トロルドハウゲンの結婚行進曲」を弾いて見せ、連弾を行う。

フランクはゴールドスミスと友人であり、豪奢なフランクの自宅で音楽家を招いたパーティーがあるということで、ゴールドスミスから招かれるのだが、ゴールドスミスは急用で帰宅。ウィリーはゴールドスミスとの関係が破綻した後でもフランクとの仲を深めていく。

だが、ウィリーは祖国のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の指揮者であるメンゲルベルクに師事しようと決めており、オランダに行く決意をしていた。アメリカで一緒になって欲しいと言うフランクからのプロポーズにウィリーは迷う。フランクはともかくとして、彼の母親はウィリーが「指揮者になりたい」という夢を語ると一笑に付す。本格的な女性指揮者などまだ一人もいない時代。日本で例えるなら、女でありながら「大相撲の横綱になりたい」と言っているのと同様の世迷い言としか聞こえないのだった。

実は、ウィリーは両親の実の子ではないことが判明する。音楽家への道を進むことに反対した母親がつい明かしてしまったのだ。ウィリーは出生時の名であるアントニア・ブリコとして指揮者への道を進み始める。

コンセルトヘボウでアントニアはメンゲルベルクと出会う。弟子入りを懇願するが、メンゲルベルクはフランクの友人であったため、フランクに相談の手紙を書き、アントニアと結婚したいフランクはメンゲルベルクに「アメリカに帰れ」と言ってくれるよう頼む。結局、メンゲルベルクの弟子にはなれなかったアントニアだが、メンゲルベルクの推薦状を得てベルリンに向かい、ドイツの大指揮者であったカール・ムックに会いに行って弟子入りが許される。ベルリン国立音楽アカデミーの指揮科の定員は2人のみであったが、この難関も突破。若い女性が指揮者ということで反発しがちなオーケストラ団員達をも納得させていき、最終的にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立って、コンサートを成功に導く。
だが、アメリカではゴールドスミスが腹いせからアントニアへの批判をマスコミにばらまいており、女性からも「女が男性達に指揮棒で指示を行うなんて」と反発を受ける。ニューヨーク・フィルとの演奏は成功したが、次に舞い込んだのは失業した音楽家が結成したオーケストラを指揮する仕事。いやいや引き受けたアントニアだが、ある日、リハーサルに行くと、女性団員しか来ていない。ニュージャージ-交響楽団が楽団員を募集しているということで、男性団員達は全員オーディションを受けに行ってしまったのだ。ちなみに女性はオーディションを受ける資格はないという。アントニアは女性楽団員のみによるオーケストラを結成し、女であっても音楽家たり得るのだということを示そうとする……。

日本に限っても、先日、沖澤のどかがブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、ブザンソン国際指揮者コンクール覇者の先輩である松尾葉子、宝塚男役風ルックスでも人気の西本智実、小柄な体から力強い音楽を生み出す三ツ橋敬子、北欧のスペシャリストとして活躍する新田ユリなど、今は女性指揮者は珍しくもなんともないが、アントニア・ブリコが指揮者を志していたのは、「女は将軍と指揮者にだけはなれない」と言われていた時代であり、女性でありながら指揮者を生業としていることへの反発は今とは比べものにならないほど強かった。そんな中で快進撃を続けるアントニアのサクセスストーリーとして描かれているように見えるのだが、ラストの字幕でアントニアが結成したニューヨーク女性交響楽団はアントニアが男性団員の入団を許したことで注目を失い、4年で解散。アントニアは生涯、有力楽団の首席指揮者のポジションには就けなかったことが語られる。更には2017年現在でも、世界の指揮者トップ50の中にも女性の名はないということで、集団を率いる職業である指揮者に女性がなることの困難が示される。ハンブルク州立歌劇場の総支配人として活躍したシモーネ・ヤングやアメリカの上位楽団であるボルティモア交響楽団の音楽監督を務めるマリン・オールソップなど有名指揮者も当然いるが、オペラ歌手は勿論、ヴァイオリンのアンネ=ゾフィー・ムターやチョン・キョンファ、ピアノのマルタ・アルゲリッチや今はイギリス国籍になったが内田光子など世界トップランクに数えられる演奏家も多い器楽分野に比べても指揮分野における女性進出はなかなか進んでいかないのが現状である。古典派を不得手とする女性指揮者が多いこと、ブラームスやブルックナーなど女性には理解しづらい音楽がコンサートのメインレパートリを占めているということもあるのだろうが、「そもそもクラシックの作曲家といえば男性のみ」「指揮者も楽団員も男性のみ」という時代が長かったことが影響してもいるのだろう。ベルリン・フィルが女性団員の入団を正式に認めたのだが1980年代後半(その前にザビーネ・マイヤー事件というものがあり、女性クラリネット奏者であるザビーネ・マイヤーを強烈に推して入団させたヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィル団員の猛反発にあり、関係が悪化。マイヤーは身を引いたが、最終的にはカラヤンはベルリン・フィルの終身芸術監督辞任に追い込まれている)、ウィーン・フィルに至っては、世紀が変わろうかという時まで「入団出来るのは男性のみ」という姿勢を貫き続けていた。
「世界のトップランクのオーケストラ」と聞いてクラシックファンなら誰でも思い浮かべるような楽団のトップとして君臨している女性指揮者はゼロ。日本でも人気はあるがポジションが得られていない女性指揮者がほとんどで、東京に9つあるプロオーケストラや日本各地の都市の顔となるオーケストラのトップに立っている女性指揮者は一人もいない。芸大の指揮科教授として多くの教え子を生み出した松尾葉子も、出身地である名古屋に本拠を置くセントラル愛知交響楽団常任指揮者という地位が最高。人気指揮者である西本智実も日本フィルハーモニー交響楽団のミュージック・パートナーが一番上のポジションで、仕方がないので自分で結成したオーケストラを率いている。テレビ出演も多い三ツ橋敬子は現時点では本拠地なしの状態で、客演生活が続いている。新田ユリも北欧音楽には強いがポストは愛知室内オーケストラという定期演奏会を年に2回ほどしか行えない団体のものを得られているのみである。ある意味、アメリカにおける女性大統領並みの「ガラスの天井」を感じさせる職業であり、ラストの演奏会のシーンは希望に満ちているが、現実の厳しさを示すこともおろそかにはしていない。

クラシック音楽の使い方は面白く、聴いてすぐなんというタイトルの曲かが分かると広がりやおかしみを持って受け取ることが出来るように思う。「拍手をして下さい。コメディは終わりました」というベートーヴェンの最後の言葉とされるものがさりげなく語られていたりもする。

アントニアは女性指揮者のフロントランナーとしては成功したが、性別関係なく「指揮者としての名声を勝ち取る」ことに関しては「誰が見ても成功」という結果は出せなかったのかも知れない。それでも「絶対に無理」という周囲の声や蔑みをはねのけて指揮台に立ち続けるアントニアの姿に爽快感を覚える。カール・ムックのセリフにあるように「指揮台に立ち続けること」が何より重要なのだと納得させられる。

何より感心させられるのは、西洋の俳優は指揮者を演じるのが上手いということ。クリスタン・デ・ブラーンは往時の長めの指揮棒を振っているため、バトンテクニック抜群に見えるということはないが、音楽が体から生まれているように見せる演技には卓越したものがある。

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2019年9月30日 (月)

コンサートの記(593) 下野竜也指揮京都市交響楽団第638回定期演奏会

2019年9月22日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第638回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。今回が、首席常任客演指揮者としては下野と京響の最後のステージとなる。

曲目は、ブルックナーの弦楽五重奏曲ヘ長調WAB112から「アダージョ」(スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ編曲)、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番(ピアノ独奏:ヤン・リシエツキ)、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」

ヴァイオリン両翼、コントラバスがステージ最後列で横一線に並ぶ形の古典配置での演奏である。コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平といういつもの布陣。第2ヴァイオリンの客演首席には瀧村依里が入る。ヴィオラのトップには店村眞積が入り、今日は小峰航一は降り番である。ブルックナーは弦楽のための作品で、モーツァルトから入る管楽器の首席奏者はホルンの垣本昌芳とトランペットのハラルド・ナエス。トランペットはモーツァルト、ベートーヴェン共にハラルド・ナエスと稲垣路子の二人の出演であった。木管楽器の首席は全員、ベートーヴェンのみの出演である。

 

プレトークで下野竜也は、「今日は言ってみれば、普通の曲をやります」と始め、「田園」の楽曲解説に多くの時間を割く。ベートーヴェンの交響曲全9曲の中で「田園」が一番難しいというのが、下野や先輩の指揮者の共通の認識だそうである。考えてみれば「ベートーヴェン交響曲全集」は山のように出ているが、「田園」の名盤として誰もが推すものはワルターとベームぐらいしかない。ということで、下野は「ベートーヴェンの交響曲の中で『田園』が一番得意」という指揮者を信用しないことにしているそうである。高関健が、「僕、『田園』得意だよ」と下野に語ったことがあるそうだが、どうもジョークだったようだ。「運命」や「英雄」にはドラマというか出来事があるが、「田園」にそうしたものはなく、描かれているのは何気ない日常。朝起きて、食事をして、奥さんに「行ってきます」と言って家を出るような何気ない日常の幸せが描かれているそうである。下野も病気をしたことがあり、そんな時には「健康って幸せなことだなあ」と感じたそうだが、ドラマティックではない幸せを表現するのは難しいそうである。ドラマがないから45分だらだら演奏していればいいというわけにはいかない。

「田園」と「運命」とは双子の作品だということについても触れる。同じ日に同じ演奏会で初演されおり、その時は交響曲第5番「田園」で、「運命」こと第5が交響曲第6番として演奏されたのだが、共に少ない音で作曲されているという共通点がある。「運命」は、タタタターの4つの音だけで組み立てられたような作品で、下野が暇なときに数えたところ、第1楽章だけで491回「タタタター」の運命動機が出てきたそうだが、「田園」も第1楽章冒頭の主題が形を変えてコンポーズされているという話をする。
また、ラストではホルンがミュートで音を奏でるのだが、ホルンがミュートを使う時は、夜の描写に限られるそうで、「田園」に夜が来たことを表している。ただその後に「タ、ター」と2つ音がある。下野は「郭公の声かな?」と思っていたそうだが、ウィーンに留学していた問いに疑問が氷解したそうである。あれは、「Oh,God!」と言っているのだそうだ。「アーメン」や郭公の声ではなく、「オー! ゴッド!」で聴いて欲しいと下野は言う。

モーツァルトのピアノ協奏曲第24番は、モーツァルトが残したただ2曲の短調で書かれたピアノ協奏曲の1曲。ソリストのヤン・リシエツキと共演するのは今回が初めてではないようだが、優れたピアニストで一緒にやるのが楽しみだと語る。
ブルックナーの弦楽五重奏曲WAB112から「アダージョ」は、日本でも名指揮者として知られたスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが弦楽オーケストラ用に編曲したものである。スクロヴァチェフスキは晩年に読売日本交響楽団の常任指揮者を務めており、読響の正指揮者を務めていた時代の下野の直接の上司に当たる。
下野は、「ブルックナーが嫌いな人は多いと思いますが」と切り出し、「何を描いているのかわかろうとすると難しいけれど、頭で考えるのではなく心で感じて欲しい」と述べた。

下野「『運命』などは当時は現代音楽だったわけで。『どっかおかしいんじゃないか?』と言われていた。それが次第に理解されるようになって200年ぐらいかけて定着した」ということで、今の現代音楽も毛嫌いせずに聴いてみることを勧めていた。終演後にも、「聴いて批判するのはご自由です。ただ聴かないでというのは駄目です」と念を押していた。

 

ブルックナーの弦楽五重奏曲ヘ長調WAB112より「アダージョ」。ブルックナーがウィーン音楽院の院長をしていた時代に、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヘルメスベルガーから委嘱された弦楽四重奏曲を結果的に弦楽五重奏曲として完成させた作品の第3楽章である。
ブルックナーは、ウィーン音楽院の教師や即興演奏を得意とする当代随一のオルガニストとして評価を得ていたが、作曲家としては生前には数えるほどしか成功を勝ち得ておらず、それが原因なのかどうかはわからないが、強迫性障害などの精神疾患にも苦しんだ。そんなブルックナーが精一杯、人生と世界を肯定したような清澄で優しい旋律と音色を特徴とする。弦楽五重奏曲自体はブルックナーの中期の作品なのだが、スクロヴァチェフスキの編曲もあってか「人生の夕映え」のような雰囲気も感じられる。
下野は細部まで念入りに構築した上で、淀みない流れを生んでいくという理想的なブルックナー演奏を展開。古典配置を採用したため、音の受け渡しも把握しやすい。京響の音色は分厚くて輝かしく、ノスタルジアの表出も素晴らしい。
ちなみに、「田園」の第1楽章に似た音型が登場し、そのためにプログラミングされたのかも知れない。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第24番。
ソリストのヤン・リシエツキは、1995年生まれの若手ピアニスト。ポーランド人の両親の下、カナダのカルガリーに生まれ、9歳でオーケストラとの共演を果たすという神童であった。2008年と2009年に両親の祖国であるポーランド・ワルシャワの「ショパンのそのヨーロッパ国際音楽祭」に招かれ、ショパンのピアノ協奏曲第1番と第2番を演奏している。これらはライブレーコーディングが行われ、フランスのディアパゾン・ドールを受賞。201年には15歳という異例の若さでドイツ・グラモフォンとの専属契約を結んでいる。2013年にはグラモフォン・アワードでヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

下野と京響はHIPを援用したアプローチ。弦楽のビブラートも現代風でなくここぞという時に細やかに用い、ボウイングは大きめ。ティンパニはバロックタイプのものではないが、かなり堅めの音で強打する。推進力があり、光と陰が一瞬で入れ替わる。

ヤン・リシエツキのピアノは、仄暗い輝きを奏でる。最近の白人ピアニストに多いが、音が深めである。ちょっと前までモーツァルトのピアノ演奏といえば、「真珠を転がすような」だとか「鍵盤を嘗めるような」と形容されるような美音によるものが多かったが、傾向が変わってきたようである。まだ若いという頃もあるが、いたずらに個性を出すことのない誠実なピアノで技術も高い。
余り指摘されているのを見たことはないが、第2楽章は「フィガロの結婚」のアリア「恋とはどんなものかしら」がこだましているように聞こえる。フィガロとピアノ協奏曲第24番はほぼ同じ時期に書かれており、ピアノ協奏曲第24番の初演の1ヶ月後にフィガロ初演の幕が上がっている。

リシエツキのアンコール演奏は、J・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」よりアリア。雅やかな祈りが京都コンサートホールを満たしていく。中間部で激しくなるところがあり、余り聴かれない解釈だったが、ロマンを込めようとしたのだろうか。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。自然体のスタートを見せる。弦主導の音楽作りであり、第1ヴァイオリン14型ということで迫力があるが、音の輪郭が十分に整わないため、モヤモヤとして聞こえて爽やかさには欠けるところがある。また弦の威力に管が掻き消される場面もあった。
ただ下野は最初から第5楽章に焦点を当てた解釈を行っており、4つの楽章をラストに至るまでの過程として描いている。
第2楽章の音の動きや第3楽章の土俗性などは意識的にブルックナー演奏から培ったものを援用しているようで、ソフィスティケートとは正反対の音の生命力を前面に押し出している。下野も芸風が広い。
第4楽章の嵐では、ティンパニの中山航介のティンパニの強打とコントラバスの轟々とした響きが迫力を生む。なお、トロンボーン奏者二人は、この楽章の途中で登場し、第5楽章で活躍する。
そして第5楽章。単にハイリゲンシュタットやウィーンやオーストリアやドイツ語圏に留まらない地球全体への感謝の思いが瑞々しく語られる。
最後は、プレトークで言っていた通りの「神と大いなる者への賛辞」で締めくくられた。

下野の京都市交響楽団常任首席客演指揮者としての最後のステージということで、門川大作京都市長が花束を持って現れ、下野への感謝を述べ、下野が京都市立芸術大学指揮科の教授として頑張っていることを紹介する。京都市交響楽団と京都市立芸術大学の間で協定が結ばれたそうで、今後、京都市の更なる音楽的発展が期待されているようだ。

昨日は下野は広上淳一から花束を受け取ったようだが、今日は今回のステージを最後に京響を退団する第2ヴァイオリン奏者の野呂小百合に、下野からリレーの形で手渡された。

下野は、自身が広島交響楽団の音楽総監督を務めていること。広島は平和の街で、カタカナでヒロシマと書くとまた別の意味を持つ街であること、その他に客演して回っている札幌、仙台、横浜、名古屋など全ての街に美術館や劇団があって文化が大切に育まれていることを語り、それも全て平和があるからこそで、平和のためにあるものでもあるとして、自身がオーケストラのために編曲したというプーランクの「平和のためにお祈りください」をアンコールとして演奏する。
「京都市交響楽団をこれからもよろしくお願いします」と下野は言って演奏スタート。切実な歌詞と哀感に満ちた旋律を持つ楽曲なのであるが、下野の編曲によって穏やかで安らぎを感じさせる素朴でささやかな祈りへと変わっていた。

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2019年7月21日 (日)

コンサートの記(577) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団第26回いずみ定期演奏会

2015年2月26日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、日本センチュリー交響楽団第26回いずみ定期演奏会を聴く。今日の指揮者はセンチュリー響首席指揮者の飯森範親。

いずみホールは室内楽や器楽の演奏に向いた中規模ホール。日本センチュリー交響楽団も2管編成の中編成オーケストラということで、曲目もそれに相応しいものが選ばれる。
J・S・バッハのブランデンブルク協奏曲第3番、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:萩原麻未)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

J・S・バッハのブランデンブルク協奏曲は、ヴァイオリン4人、ヴィオラ2人、チェロ3人、コントラバス1人、チェンバロ1人という編成での演奏。今日は女性奏者は全員、思い思いのドレスアップをしての登場である。京都市交響楽団の場合だと場所柄、着物姿の奏者もいたりするのだが、大阪だけに流石にそれはない。

飯森はノンタクトでの演奏。譜面台を置き、譜面をめくりながら指揮するが、スコアに目をやることはほとんどなく、奏者の方を向きながら譜面を繰ったりしていたので、全曲暗譜していて譜面を置いているのは形だけであることがわかる。
当然ながらピリオド・アプローチを意識しての演奏だったが、ビブラートは結構掛ける。いずみホールは中規模ホールにしては天井が高く、空間も広いので、徹底してノンビブラートにすると後ろの方の席では良く聞こえないということが起きるためだ。演奏の出来はまずまずである。飯森はどちからというとロマン派以降に強い指揮者なのでバッハが抜群の出来になるということはないと思われる。


萩原麻未をソリストに迎えてのモーツァルトのピアノ協奏曲第20番。場面展開の間、飯森範親がマイクを片手に現れてトークで繋ぐ。萩原については、萩原がジュネーヴ国際コンクールで優勝するより前に広島交響楽団の演奏会で共演したことがあるという話をした。

萩原麻未は、1986年、広島市生まれの若手ピアニスト。2010年にジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で日本人としては初となる第1位に輝き、注目を集めるようになった演奏家である。5歳でピアノを初めて数ヶ月後に広島県三原市のジュニアピアノコンクールで優勝、13歳の時に第27回パルマドール国際コンクール・ピアノ部門で史上最年少優勝という神童系ピアニストでもある。広島音楽高等学校を卒業後に渡仏、パリ国立音楽院卒業、同大学院修士課程修了。パリ地方音楽院室内楽科やザルツブルク・モーツァルティウム音楽院でも学んでいる。

昨年、藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団と共演したが、藤岡がプレトークで萩原のことをベタホメに次ぐベタホメで持ち上げすぎてしまったため、「うーん、期待したほどではなかったかな」という印象を受けた。アンコールで弾いたショパンの夜想曲第2番の第2拍と第3拍をアルペジオにするなど個性派であることはわかったが。

ただ今日は飯森範親が持ち上げすぎなかったということもあるかも知れないが、傑出したピアニストであることを示す演奏を展開する。

まず、ピアノの音色がウエットである。モーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、モーツァルトが書いたたった2曲の短調のピアノ協奏曲の内の1曲であり、萩原のピアノの音色はモーツァルトの悲しみを惻惻と伝えることに適している。スケールも大きい。ペダリングもまた個性的であり、優れたピアニズムの一因となっている。
第2楽章の典雅さも魅力的であり、第3楽章では速めに弾いたりするが、それはモーツァルトの切迫した心情を表現するのに適ったものである。

萩原は、基本的に猫背で顔を鍵盤に近づけて弾く。グレン・グールドのような弾き方である。日本では良しとされない弾き方であるが、海外で学んだ結果、今のスタイルに行き着いたのであろう。

飯森指揮のセンチュリー響であるが、先にも書いた通り、いずみホールはオーケストラを演奏するのに必ずしも向いたホールではない。萩原のピアノのスケールが大きく、良く聞こえたのに比べると、センチュリー響の伴奏はピリオド奏法を取り入れているということもあって音が小さく聞こえてしまうという難点があった。

萩原はアンコールとして、J・S・バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」を弾く。バッハの「平均律クラーヴィア集第1巻より前奏曲」をグノーが伴奏に見立てて旋律を上乗せした作品である。雅やかで祈りに満ち、それでいて情熱的という不思議な世界が展開された。


メインであるベートーヴェンの交響曲第7番。飯森はこの曲だけ指揮棒を用い、譜面台なしの暗譜で指揮する。古典配置、ピリオド・アプローチによる演奏。飯森は指揮者としてはまだ若いだけに颯爽とした演奏が繰り広げられる。

第1楽章の終盤で、第1拍のみを強調したりする個性的な演奏であるが、おそらくベーレンライター版のスコアを持ちいて独自の解釈をしたのであろう。

第1楽章からアタッカで入った第2楽章は深みには欠けるがそれ以外は上出来である。

第3楽章、第4楽章は燃焼度の高い演奏となる。飯森は右手に持った指揮棒では拍を刻み、左手で表情を指示することが多いが、センチュリー響も飯森の指揮によく応え、集中力の高い演奏を行う。白熱した快演。
少しスポーティな感じはするが全体的には悪くない演奏である。ただ、コンサート全体を通して見ると萩原のピアノのほうが印象深い演奏会であった。

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2019年7月16日 (火)

コンサートの記(574) 下野竜也指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会

2019年7月11日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学指揮科教授の下野竜也。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番、チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」(チェロ独奏は、音楽学部弦楽専攻4回生の舘野真梨子)、ドビュッシーの交響詩「海」

海の日が来週に迫っているということもあるのか、「海」をメインに持ってきたプログラムである。日本の音楽教育は今もドイツ偏重の嫌いがあるため、フランスものやロシアものもちゃんと弾いていこうという意図もあるのかも知れない。

他の国については具体的には知らないが、日本の音楽教育は高校でも大学でも女子が中心となっている。今日もステージ上は9割以上が女子である。ヴァイオリンやヴィオラで男子学生を見つけるのは「ウォーリーを探せ」状態。管ではトランペットやテューバなどでは男子学生も多いが、その他はやはり女性優位。近年、プロオーケストラのホルン奏者に優秀な女性奏者が目立つが、京都市立芸大オーケストラのホルンパートも大半が女性で占められている。
ただ、客席には男性が多いというのが、クラシックの逆転現象である。もっとも、国を問わず、クラシック音楽ファンは圧倒的に男性が多い。

ホワイエで見覚えのある女の子を見掛けたが、多分、「テラの音(ね)」に出演していた声楽科の子だと思われる。京都市立芸大の学生だけでなく、制服を着た高校生も男女ともに多いのが、今回の演奏会の特徴でもある。

 

ベートーヴェンの交響曲第2番。
第1楽章などは学生オーケストラであるためパワー不足は否めず、内声のホルンが迷走する場面もあったりしたが、若い人達による瑞々しい響きが好感を抱かせる。「ベートーヴェンの青春の歌」ともいわれる第2楽章も爽やかでチャーミングに歌われる。
ヨーロッパの高等音楽機関では、今ではHIP(歴史的演奏法)が必修になっているはずだが、日本はそこまでではないのか、今日も特にHIPらしき要素は見られない。
下野の指揮はリズミカルな音運びが特徴で、第4楽章などは学生達もとても楽しそうに演奏し、ノリノリとなった。

 

チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。チェロ独奏の舘野真梨子(たちの・まりこ)はオーディションを勝ち抜いて選ばれたようだ。富山県立呉羽高等学校音楽コース出身。第28回クラシック音楽コンクール大学の部チェロ部門第4位、2019年小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトに参加、2016年ベストオブアンサンブルin金沢合格、2017年ルーマニア国際音楽コンクール・セバスチャン賞受賞などの実績がある。

舘野真梨子であるが、長身で肩幅も広く、音楽家というよりもスポーツ選手のような雰囲気を出している。技術は高く、表現力も豊かで良いチェリストである。
下野指揮の京芸オーケストラはコンサートミストレスもトップの顔ぶれなども変わったが、潤いのある輝かしい音を奏でていた。

場面転換のため、チャイコフスキーとドビュッシーの間に下野のトークが挟まれる。
「ご記憶に新しいと思いますが、先程まで指揮をしていた者です」と冗談でスタート。「ちょっと受けたのが嬉しいです」
下野は京都市立芸術大学の教授になってから3年目だが、「将来、オーケストラに入るかどうかはわかりませんが、入った場合の礎となるように」ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの曲をしっかりやろうという計画を立てており、今日もベートーヴェンの交響曲第2番を入れている。「『英雄』のような派手な曲ばかり注目されますが」もっと若い頃の作品もちゃんとやろうということで、前回は交響曲第1番、今回は第2番を演奏した。チャイコフスキーは、ロシアの中では西洋を向いていた作曲家と見なされており、シューマンやブラームスなども目標としていた、ということでドイツのロココの時代をモチーフにした曲を選んだそうである。ロシア人の指揮者は口を揃えて、「ロシア人以外の指揮者がチャイコフスキーを振るとベタベタし過ぎる」と語るそうだが、下野は「そっちだって結構ベタベタ」と感じているそうだ。
ドビュッシーの「海」は形にするだけでも難しい曲だが、ドビュッシーもやっておかねばならないということで挑戦の意味も込めて選んだようである。

 

そのドビュッシーの交響詩「海」。ハープは学生ではなく、京響ファンにはお馴染みの松村姉妹が務める。学生相手の指揮ということもあってか、下野は主題を浮き上がらせるような音楽作りをする。わかりやすくはある。3つの楽章全てで力尽くの場面が見られたが、プロのオーケストラ相手ではどうなるのか気になる。学生オーケストラということで強引にドライブした方が形にはなりやすいだろうから。
京芸の学生達も技術はかなりあり、フランス音楽的な表現力とは異なるかも知れないがパワーや音の煌めきなどにも長けている。下野の骨格のしっかりした音楽作りもあって、強引さはあっても聴かせる仕上がりにはなっていた。

演奏終了後、一度引っ込んだ下野は抜き足差し足で再登場、コンサートミストレスの肩を後ろから叩き、一人で立たせて拍手を受けさせるなど、茶目っ気を見せていた。

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2019年7月15日 (月)

コンサートの記(573) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2019

2019年7月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団大阪特別公演を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲、ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」序曲、レスピーギの交響詩「ローマの松」という重量級プログラムである。

コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーは尾﨑平。今日はヴィオラ首席に店村眞積が入る。第2ヴァイオリンの首席は客演の山崎千晶。首席フルート奏者の上野博昭は「英雄」のみの出演である。

 

ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。広上はベートーヴェンを得意としているが、「英雄」を京響で取り上げる機会はこれまでほとんどなかったはずである。
広上の指揮なので最初から飛ばすかと思われたが、最初の二つの和音からして穏やかであり、勢いでなく優美さを優先させるという意外な「英雄」となる。
バロックティンパニを使用しており、思い切った強打が見られるが、それ以外に特段ピリオド的な要素はなし。ただ、リズムの刻み方が独特であり、モダンスタイルともまた異なる個性的な「英雄」である。考えてみれば、モダンオーケストラによるピリオド奏法が本格的に取り入れられてからすで20年以上が経過しており、異なった傾向の演奏が現れたとしても不思議ではない。
第2楽章の葬送行進曲も燃焼度は高いがフォルムの美しさは保たれており、アポロ的な芸術が指向されているようである。
広上は肩を上下させるなど、今日もユニークな指揮姿である。

 

ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲ではドラマティックに盛り上げ、歌劇「仮面舞踏会」序曲ではこぼれるような抒情美が目立つ。

 

レスピーギの交響詩「ローマの松」。オルガンの桑山彩子、ピアノの佐竹裕介、チェレスタの塩見亮が加わっての演奏である。
ボルゲーゼ荘の松から、はち切れんばかりの勢いと匂うようなエレガンスが同居しているという独自の演奏となる。
カタコンブ付近の松のほの暗さの描き方と袖から聞こえるハラルド・ナエスのトランペットソロも優れている。ジャニコロの松では、小谷口直子のクラリネットソロが雅趣満点である。
パイプオルガンの両サイドに金管のバンダを配したアッピア街道の松も迫力十分であるが、ザ・シンフォニーホールの空間が小さめであるため、スケールがややオーバー気味でもある。とはいえ、かなり優れた部類に入る「ローマの松」であることは間違いないだろう。浮遊感など、レスピーギが印象派から受けた影響を感じ取れるところも素晴らしい。

 

アンコール演奏は、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3集からイタリアーナ。今日のスタイルの締めくくりに相応しい典雅な演奏であった。

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2019年7月 6日 (土)

コンサートの記(569) ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年6月30日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後1時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。「未完成」「運命」「新世界より」の三大シンフォニープログラム。ミヒャエル・ザンデルリンクとドレスデン・フィルのコンビではブランドとして少し弱いかも知れないが、大阪フィルハーモニー交響楽団なども毎年行っている「未完成」「運命」「新世界」の三大交響曲プログラムはとにかく人気であり、今日もザ・シンフォニーホールの客席は8割以上は埋まっていると思われる。


旧東ドイツを代表する指揮者であったクルト・ザンデルリンクの息子であるミヒャエル・ザンデルリンク。異母兄のトーマスと同母兄のシュテファンも指揮者だが、ミヒャエルは最初にチェリストとしてキャリアを築いてから指揮者に転向したことが他の親族とは異なる。ハンス・アイスラー音楽大学でチェロを専攻し、マリア・カナルス国際コンクール・チェロ部門で優勝。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席チェロ奏者やソリストとして活動後、30歳を過ぎてから指揮者デビューしている。現在も教育者としてチェロに携わっており、フランクフルト音楽舞台芸術大学教授などを務めている。

ヘルベルト・ケーゲルが残した録音によって知名度が高まったドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。ドイツのオーケストラでありながらフランスの名匠であるミシェル・プラッソンを首席指揮者に招くなど意欲的な人選でも知られる。2011年よりミヒャエル・ザンデルリンクが首席指揮者を務めてきたが、ミヒャエルはこの6月をもって勇退、後任には以前にもドレスデン・フィル首席指揮者を務めていたマレク・ヤノフスキの再任が決まっており、秋から新時代に入る予定である。


午後1時30分ジャストにドレスデン・フィルのメンバーがステージ上に現れる。時間にかなり正確なのがドイツの楽団らしい。前後半でコンサートマスターとフォアシュピーラーが入れ替わり、前半はHeike Janickeがコンサートミストレスを務め、前半のフォアシュピーラーであるRalf-Carstten Bromselが後半のコンサートマスターとなってHeike Janickeはフォアシュピーラーに回る。ほぼ2年に1度のペースで来日しているドレスデン・フィルであるが、現在は日本人の団員はいない。東洋系の容姿の人はいるが、メンバー表を見ると中華系であることがわかる。


「未完成」と「運命」は、ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。ミヒャエルはノンタクトでの指揮である。

シューベルトの交響曲第7番「未完成」は、LP時代には「運命」とのカップリングが王道といわれた曲だが、CD時代に入るとその組み合わせによる録音は減り、曲が短く、コンサートのメインにしにくということでプログラミングされる機会も減っている。

チェロはビブラートを盛大に使用。その他の弦楽器奏者は思い思いに掛けたり掛けなかったりという折衷タイプの演奏である。シューベルトの毒もかなり出ており、各楽器の美しさも生きた演奏となっていた。楽章間をアタッカで繋いだのも個性的である。


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。トランペットが古楽器に変わり、ティンパニもバロックタイプのものが用いられる。私の席からはホルンはよく見えなかったが、おそらくナチュラルホルンに変わっていたはずである。

ミヒャエル・ザンデルリンクは、両手を横に広げ、止まったところで運命動機が奏でられる。フェルマータはかなり短めである。
「未完成」とは違って、かなり徹底したピリオドアプローチによる演奏である。弦楽器のボウイングも語尾を伸ばさずに弦から弓を離すというHIP特有のもので、パウゼも短い。
やはりアタッカで入った第2楽章で木管が引っ掛けるなど、技術的には十分とはいえないものだが、切れや力強さ、細やかな表情付けなど、ドイツのオーケストラの美質がよく現れていた。
ピッコロが浮かび上がるのは1カ所だけで、音型がはっきり変わるという場面もなく、譜面の版ははっきりしない。ブライトコプフ版も新版が揃い始めており、「ピリオドといえばベーレンライター」という時代も終わりつつある。


後半のドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」では、ドレスデン・フィルは弦の配置をドイツ式の現代配置に変え、ミヒャエルは指揮棒を手にしていた。
この曲でも木管が音を外すなど、弱点となっているようである。管を浮かび上がらせることを特徴とする演奏であるが、縦の線は正直かなり怪しい。
ミヒャエルは、第1楽章のクライマックスでテンポを上げて迫力を出すが、かなり粗く感じられたのも確かである。
第4楽章でも弦の鋭い音色と、強力だが巧みな和音作りで美観を損なわない金管が効果的だったが、テンポが速過ぎると思えるところがあった。


アンコール演奏は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第8番。土俗感はなく整った演奏で、フォルムとしての美しさを出していた。

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2019年6月23日 (日)

コンサートの記(565) シャー・シャオタン指揮チャイナ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年6月13日 谷町4丁目のNHK大阪ホールにて

午後7時から、谷町4丁目のNHK大阪ホールでチャイナ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

チャイナ・フィルハーモニー管弦楽団(中国爱乐乐团)は、2000年に発足した北京のオーケストラである。その少し前には北京のオーケストラを統合する形で中国国家交響楽団が生まれており、チャイナ・フィルも中国放送交響楽団を母体に放送系団体を再編成してスタートしている。
メンバー表にピンイン(中国語版ローマ字)表記による氏名が載っているが、香港系の名前が一人いる他は全員が漢民族系の姓名である。
芸術監督兼首席指揮者は中国唯一の世界的指揮者である余隆(YU Long)。百度百科の記事によると首席客演指揮者は世界的な作曲家でもあるクシシュトフ・ペンデレツキが務めているようである。

白人が約半数を占める香港フィルを除けば、中国のオーケストラを聴くのは5回目。コンサートオーケストラに限ると4回目である。一口に「中国のオーケストラ」といっても国土が広いため、レベルには差がある。広州交響楽団のようなアジアを代表する水準に達しているオーケストラもあれば、これまで聴いた中で最低レベルでしかなかった黒竜江・ハルビン交響楽団(朝比奈隆が指揮していた白系ロシア人を中心とした楽団とは別の比較的新しいオーケストラ)のような団体も存在する。アジアで最も長い歴史を誇る上海交響楽団も十数年前に聴いた限りでは日本のアマチュアオーケストラの平均的レベルより下になると思われる。

文化大革命によってクラシック音楽が弾圧の対象となったため、中国のクラシックの水準は世界的に見てそう高いとはいえないが、ソリストでは、ピアニストのランラン、ユンディ・リ、ユジャ・ワン、チェリストのジャン・ワンなど世界的な演奏家が次々に現れている。
オーケストラの方はまだまだこれからであり、90年代に結成されたばかりの中国国家交響楽団にシャルル・デュトワが客演した際に作られたドキュメンタリーでは、中国国家交響楽団のメンバーがどうしてもフランス音楽の音が出せないため、デュトワと共にパートごとに居残り特訓をする様が流されていた。

 

曲目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、チェン・チーガン(陳其鋼)のヴァイオリン協奏曲「苦悩の中の歓喜」(ヴァイオリン独奏:リュー・ルイ)、ベートーヴェンの交響曲第5番。

指揮はチャイナ・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者のシャー・シャオタン(夏小汤)。1964年生まれ、北京の中央音楽院で学び、現在はチャイナ・フィルの常任指揮者の他、チャイナ・ユース交響楽団の首席指揮者と中央音楽院の指揮科教授を務めている。

当然ながらチケットは全然売れていない。今日は2階席のチケットを取ったのだが、1階席の招待席が全く捌けていないので交換可ということになっており、NHK大阪ホールの1階席は必ずしも音は良くないのだが、「少しでも客席に人がいる方が演奏する側もやりやすいだろう」ということもあって換えて貰う。結局、1階席のそこここに人はいるが間ががら空きという状態での演奏会となる。

ドイツ式の現代配置での演奏。入場の仕方に特徴があり、立って聴衆の拍手を受けるのだが、全員がステージの上に揃わないうちに、コンサートマスターが「この辺でいいよ」と手で示して、弦楽奏者などは座ってしまう。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。
最初に発された音から優れたアンサンブルであることが分かる。細部などは割合いい加減だったりするのだが、音に張りと勢いがあり、和音に対する感性が独特であると同時に優れている。内声部の強調なども個性的であり、世界的にマイナーとされるオーケストラの個性を聴く喜びが総身を駆け抜ける。聴くだけで感動するタイプの音である。

 

チェン・チーガンのヴァイオリン協奏曲「苦悩の中の歓喜」。単一楽章による変奏曲である。
世界的に高い評価を受けているチェン・チーガン。上海に生まれ、文化大革命の苦難を経て、再発足したばかりの中央音楽院に入学。34歳で渡仏し、パリでメシアンに師事。現在もフランス在住である。
ヴァイオリン独奏のリュー・ルイ(刘睿。リュー・ルェイの方が原音に近い)は、現在、チャイナ・フィルのアソシエイト・コンサートマスターの地位にある。1983年、四川省成都生まれ。4歳でヴァイオリンを始め、10歳で中央音楽院の小学校部門に入学。2005年に中央音楽院を卒業してチャイナ・フィルに入団し、2014年にアシスタント・コンサートマスターとなっている。

冒頭はいかにもメシアン風の響きであり、薄明の中をただ一人で歩んでいるような孤独な音楽が繰り広げられる。中国風のメロディーと西洋的な旋律が奏でられた後で、クラリネットが甘い歌で誘うが、ヴァイオリンソロが決然と拒否するという印象的な場面が2度続く。予想を裏切る展開であり、ハッとさせられる瞬間である。チャルメラの音色を模したオーボエが同じようにソロを吹く場面があるが、今度はヴァイオリンによって肯定されるようだ。
最後は広がりのある音楽で締めくくられる。

演奏終了後、リュー・ルイは喝采を受けるが、日本のオーケストラとは違い、カーテンコールを長く受けずに、ある程度でさっと切り上げてしまうという光景が珍しい。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第5番。
シャー・シャオタンは一度指揮棒を振り下ろしてから半分ほど上げ、もう一度振り下ろす瞬間に運命動機がスタートする。動きのみならず息づかいも駆使する。
第1楽章は反復あり。転調による警告の場面ではグッとテンポを遅くして文学的な解釈を示す。緩急やタメの作り方が独特であり、他の指揮者や団体がためるところは素通りして、余り例がないところでテンポを緩めたりする。全体的にシャープなフォルムによる演奏であり、トスカニーニやカラヤンが追求したタイプの音像が聴かれる。当然ながらピリオドではない。
物語性も重視しており、ある意味、懐かしいタイプのベートーヴェンになっているといえる。内声のえぐり方も強烈であるが、音で圧するのではなく、様々な音を独自に積み重ねることで生まれる重層性が魅力的な演奏である。

 

アンコール演奏は、菅野よう子の「花は咲く」。優しい編曲と演奏であった。

シャー・シャオタンは、何度目かのカーテンコールで、弦楽器の最前列の奏者と握手を交わすが、弦楽器の他の奏者達はそれと同時に横にいる奏者と握手を始める。管楽器奏者はステージ中央に集まってスマホで記念写真を撮り始める。その後、楽団員達は客席に向かって手を振ったり、投げキッスをしたりしながらステージを後にする。なんだかとってもフリーダムに見える。検閲制度のある国の人々なのだが。
拍手がそれほど長く続いたというわけでもないのだが、最後はシャー・シャオタンが一人でステージ中央に現れ、お辞儀と投げキッスをして手を振りながら帰って行く。
これらは世界的にマイナーなオーケストラの演奏会に行く醍醐味でもある。

 

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2019年5月 3日 (金)

コンサートの記(553) 「ムジークフェストなら」2014 アルバート ロト ピアノリサイタル「再び天才の六月」

2014年6月6日 なら100年会館中ホールにて

奈良へ。
現在、奈良では「ムジークフェストなら」という音楽祭が行われている。

折角、近く(というほど近くはないが)で音楽祭をやっているのだから、いくつか聴きに行こうと思い(奈良のホールの音響を確かめたかったということもある)、今日はその一つである、アルバート・ロト(会場やチケット、曲目を記した用紙には、何故か「アルバート ロト」と中点なしの表記がなされている)のピアノリサイタルを聴くために奈良まで足を運んだのである。
会場は、なら100年会館中ホール。JR奈良駅前という一等地にあるが、洛北からだと、JR奈良駅に行くには面倒な乗り換えが多く、またいずれにせよ近鉄丹波橋で乗り換えるため、丹波橋から近鉄で近鉄奈良駅まで出て、歩いて、なら100年会館まで向かうことにする。

なら100年会館には初めて行くので、場所をチェック。奈良は京都と同じで、東西と南北にほぼ一直線に道が伸びているため、わかりやすい。
なら100年会館は、奈良市の市政100年を記念して1999年にオープンした比較的新しい文化芸術施設である。大、中、小の3つのホールがあり、外観は立派。中ホールはシューボックス形式で、内観はお洒落である。
全席自由であり、整理番号もないため、中ホール入り口には列が出来ていたが、「特に良い席で聴く必要はないや」と思い、そばにある休憩所でのんびりして、列になっている人がいなくなる頃を見計らって中ホールに入る。下手(しもて)、中央、上手(かみて)の3列で、左右に伸びる中央通路を挟んでステージに近い側の席と遠い席があるのだが、上手のステージに近い席が空いていたので、そこに座る。
ピアノコンサートの聴衆は4パターンに分かれる。「取り敢えず真ん中」派と、「ピアニストの手元が見えるので下手」派、「ピアニストの顔が見えて、音も良いので上手」派、「席にはこだわらない若しくは空いてる席に座る」派である。ピアノのコンサートに通い慣れている人は、下手派と上手派に分かれるようだが、私はどちらかというと下手派ではある。だが、今日は上手の席を選んだ。

午後7時から、「ムジークフェストなら アルバート・ロト ピアノリサイタル2014 再び天才の六月」を聴く。「天才の六月、再び」か「六月、再びの天才」の方がタイトルとして良いと思われるのだが、コンサートのタイトルに文句を言っても仕方がない。

アルバート・ロトは、1946年、ニューヨーク生まれのピアニスト。父はポーランド系、母はウクライナ人だという。ジュリアード音楽院で名教師のゴロニツキーに学ぶ。ホロヴィッツが「教えたい」と申し出るもこれを断っている。1965年のモントリオール国際コンクールと、1966年のブゾーニ国際コンクールのピアノ部門で優勝。1970年の初来日後、毎年のように来日しているそうだが、私は寡聞にして知らない。現在はマンハッタン音楽大学の教授も務めている。夫人は日本人で、雪の結晶を世界で初めて発見した中谷宇吉郎の三女だそうである。

名前を知らないピアニストだったので、ムジークフェストならがなければ生涯聴くことはなかった演奏家だと思われるが、ちょっとした巡り合わせで聴くことになった。プログラムに惹かれたということもある。
曲目は、J・S・バッハ作曲(ブゾーニ編曲)「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」より“シャコンヌ”、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番と第21番「ワルトシュタイン」、ショパンのバラード第3番「水の精」、ショパンの夜想曲第8番、ショパンのポロネーズ第6番「英雄」(「英雄」ポロネーズ)。
ロトは、黒いズボンとシャツ、白のジャケットで登場する。

バッハ作曲、ブゾーニ編曲の「シャコンヌ」。ファジル・サイのピアノによる超名演を生で聴いたことのある曲である。ファジル・サイのようなピアニストを天才と呼ぶならロトは天才では全くないが(そもそも現役のピアニストで「天才」と呼べる人は私は10人ほどしか知らない)、時に骨太、時に柔らかで繊細な音でロトは「シャコンヌ」を紡ぎ出していく。
ファジル・サイは、大バッハとブゾーニ、ブゾーニに影響を与えたリストと、リストに影響を与えたベートーヴェンというあらゆる音楽家の要素が高い次元で統合された演奏を聴かせたが、ロトの弾く「シャコンヌ」は敢えて言うならベートーヴェン的である。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、それも大曲が2曲も並ぶというプログラムから、ベートーヴェン弾きとしての誇りが窺われる。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番と第22番「ワルトシュタイン」はいずれも正攻法の演奏である。ロトは鍵盤を強打した後で手を跳ね上げるというパフォーマンスも見せる。
天才ではないが、正攻法の優れたベートーヴェン弾きというと、チリ出身のクラウディオ・アラウが思い浮かぶが、アラウはブゾーニの弟子である。

ショパンのバラード第3番では瑞々しい演奏を展開し、夜想曲第8番では叙情味たっぷりの愛らしい演奏を披露する。だが、「英雄」ポロネーズでは指がもつれ気味。歌い崩したり音を切る場所を変えたりするが、サンソン・フランソワや河村尚子のように効果的だからやっているのではなく、「こうした方が楽に弾けるから」という理由で行っているように聞こえた。

全プログラム終了後、ロトはマイクを片手に登場し、日本語で(奥さんが日本人なので日本語も流暢である)「今日は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番と第22番と弾くことが出来てとってもハッピーです。アンコールとして、第31番の第1楽章を演奏したいと思います」と語り、再び充実したベートーヴェンがホールに満ちた。

なら100年会館中ホールの音響であるが、前の方の席で(ここの席順は、1列2列という数字や、A列B列というアルファベット順ではなく、イロハ順である)ピアノの直接音がそのまま届いたため、ホール全体の音響はわからなかった。だが、素直な音のするホールだということはわかった。

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2019年4月29日 (月)

コンサートの記(551) ローム ミュージック フェスティバル 2019 「オーケストラコンサートⅡ 二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」&「リレーコンサートC 河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」

2019年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールおよびサウスホールにて

午後2時30分から、ロームシアター京都メインホールで、ロームミュージックフェスティバル2019 オーケストラコンサートⅡ「二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」を聴く。ロームミュージックフェスティバル2019の2日目にして楽日のオーケストラ公演。指揮は、2016年に行われたロームミュージックフェスティバルのタクトも執っている阪哲朗。ナビゲーターをフリーアナウンサーの朝岡聡が務める。反田恭平人気もあって、チケットは完売である。

曲目は、まずオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲が演奏され、次いでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番(原典阪)という二つのコンチェルトが登場する。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は「メンコン」の愛称で知られ、三大ヴァイオリン協奏曲の一つにも数えられる有名作だが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番は取り上げられる機会が極めて希少な作品である。第1番から第3番までを収めた「チャイコフスキー ピアノ協奏曲全集」はいくつかあって、私はヴィクトリア・ポストニコワが夫君であるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの指揮で録音したものを千葉にいた頃に聴いているが、それでも聴いたのは2回程度、京都に来てからは聴いておらず、曲も忘れている。ということで事実上、初めて接することになる。YouTubeにはいくつか演奏がアップされていると思われるが、敢えて聴かずに出掛ける。


指揮者の阪哲朗は京都市出身。京都市立芸術大学音楽学部で作曲を専攻し、卒業後にウィーン国立音楽大学で指揮をレオポルド・ハーガーらに師事。1995年に第44回ブザンソン指揮者コンクールで優勝して一躍脚光を浴びている。欧州では一貫してオペラ畑を歩き、アイゼナハ歌劇場音楽総監督、レーゲンスブルク歌劇場音楽総監督などを務めている。コンサート指揮者としては客演が主で、これまで特にこれといったポストには就いていなかったが、この4月に山形交響楽団の常任指揮者となっている。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。どうも第2ヴァイオリンは今日は全員女性のようで、ありそうでなかなかない光景となった。小谷口直子は降り番だったが、それ以外は首席奏者が前半後半ともに顔を揃える。


オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲。阪哲朗はかなり細かな指示を京響に送る。指揮の動きがかなり細やかだ。
阪哲朗は若い頃はスケールが小さいという難点があったが、最近は音楽が徐々にではあるが拡がりを増しているように思われる。ただ、これまで何人もの指揮者を目にしてきたが、指揮棒を動かしすぎる指揮者は得てしてスケールが小さいように感じられる。楽団の自発性を引き出しにくいということが影響しているのだろうか。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの日下紗矢子は、現在、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の第1コンサートマスターと読売日本交響楽団の特別客演コンサートマスターを務めている。

朝岡聡による楽曲の紹介があり、第1楽章の美しさ、第2楽章の希望、第3楽章の「天使が跳ねるような」快活さが語られる。

一週間前のスイス・ロマンド管弦楽団の来日演奏会で辻彩奈のソロによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いたばかりだが、日下のヴァイオリンは辻に比べて旋律を線として捉えることに成功しているように思われる。音色には艶があり、スケールが大きくて音の通りも良いが、ロームシアター京都メインホールは同じ永田音響設計が手がけた兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール同様、オーケストラよりもヴァイオリンの方が聞き取りやすいようである。
日下も京響も音色や曲調の変化の描き方に長けており、京都らしい雅やかな演奏となった。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番。まず朝岡聡が楽曲とソリストである反田恭平の紹介を行う。「今更申し上げるまでもないと思いますけれど」と前置きしての「今最も上り調子であるピアニスト」反田の紹介。高校在学中に第81回日本音楽コンクールで1位となり、チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に首席で入学。現在はショパン音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)で学んでいる。反田がTwitterやInstagramをやっているということで、このコンサートのために反田が書いた文章も朝岡は読み上げた。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、カデンツァがもの凄く、p(ピアノ)の指示が12個並ぶ。「pが弱く、ppがピアニシモ、pppがピアニシモシモ、12個だとなんと読むんでしょうか」。更にf(フォルテ)も9個並ぶことが紹介される。「このカデンツァを聴くだけでも来た甲斐がある」そうで、全曲を聴き終えたときには、「感動を通り越して衝撃。もしかしたら子孫末代に至るまでの語り草となる」というところで笑い声が起こったので、「いや、大袈裟じゃありません」と続けた。

その反田のピアノであるがとにかく巧い。巧すぎるといってもいいほどで、メカニカルな部分に関しては少なくとも実演に接したことのある日本人ピアニストの中では最高である。韓国人ピアニストのキム・ソヌクを京都市交響楽団の定期演奏会で初めて聴いた時も余りの巧さに驚いたのだが、それに匹敵するほどの超絶技巧の持ち主と見ていい。音にクッキリとした輪郭があり、いかなる時も音に淀みや歪みはなく、あるべき時にあるべき場所に音がはまっていく。シャープな感受性の持ち主であることも察せられ、まさに21世紀スタイルの日本人ピアニストの登場と書いても過言ではないほどだ。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、第1番とは違い、ニコライ・ルビンシテインから高く評価されている。初演もニコライがピアノを弾く予定だったのだが、それに至る前にニコライは逝去。初演はニコライの死の翌年にセルゲイ・タネーエフのピアノ、ニコライの兄であるアントン・ルビンシテインの指揮によってモスクワで行われ、大成功を収めた。ただ、その後、評価は落ちてしまったようである。
曲調や表情がコロコロと変わるため、作曲者の意図が今ひとつはっきりしないというのも理由の一つだと思われる。第2楽章でヴァイオリンとチェロのソロがピアノをそっちのけにして掛け合いを続けるというのもピアノ協奏曲としては奇妙である(第1楽章のカデンツァなどに超絶技巧が必要とされるため、ピアニストに休む時間を与えたと考えることも出来るように思う)。今日は泉原隆志とチェロの中西雅音(まさお)が情熱的なソロを奏でた。
反田の壮演に会場は沸きに沸き、スタンディングオベーションを行う人が多数。ポピュラー音楽のコンサート並みに盛り上がる。

最後に反田はピアノの蓋を閉じて、京響のメンバーの顔が見えるようにして拍手を送るというパフォーマンスを見せた。


次いで、午後5時30分から、サウスホールでリレーコンサートC「河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」を聴く。

曲目は、ピアノ・ソナタ第26番「告別」、ピアノ・ソナタ第27番、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」

現在、連続してベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏に取り組んでいる河村尚子。CDのリリースも始まっている。

今日は最前列。選んだのではなく、コンピューターが勝手に割り振った席である。クラシックのコンサートでは最前列は演奏者に近いがその割に音が飛んでこないので敬遠されることが多く、余り期待していなかったのだが、かなり音が良い。上からピアノの音が降ってくるような音響である。サウスホールはステージが高めなので、ピアノの蓋に当たった音が直接最前列に降りてきたのだと思われる。

河村尚子の描くベートーヴェンであるが、やはり凄い。壮絶である。反田恭平が天に羽ばたくようなピアノを弾くなら、河村尚子は地上を駆け抜ける駅馬車のような重厚なピアノで勝負する。表現の幅が広く、優れたピアニストが再創造者であることを確認させられるような優れたベートーヴェンであった。

今日はアンコールがある。河村が昨日一昨日とNHK交響楽団との共演で矢代秋雄のピアノ協奏曲を弾いたということで、矢代秋雄が書いた4手のためのピアノ曲「夢の舟」を岡田博美が2手のために編曲したものを弾く。友人であった三善晃の作品にも通じる穏やかな抒情美を讃えた作品であった。
 

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2019年4月14日 (日)

コンサートの記(543) 下野竜也指揮京都市交響楽団スプリング・コンサート2019

2019年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを聴く。

曲目は、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調(トランペット独奏:ハラルド・ナエス&西馬健史)、ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ヴァイオリン:豊島泰嗣、チェロ:上村昇、ピアノ:上野真)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」


全席完売だが、今日はポディウム席は発売されていない。
今日は6列目の真ん中で聴く。ステージから近いが、管楽器の奏者は顔がよく見えないため、誰が吹いているのかわからない場合もある。


ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調。京都市交響楽団の首席トランペット奏者であるハラルド・ナエスが第1トランペットを、西馬健史が第2トランペットを務める。
日本でも屈指の輝きを誇る京都市交響楽団のトランペット陣。今日も燦燦と輝くような音を響かせる。
京都市交響楽団は小編成での演奏。西脇小百合がチェンバロを奏でる。生き生きとした伴奏であった。
弦楽奏者のビブラートであるが、統一されてはおらず、思い思いに弾いている。


ベートーヴェンの三重協奏曲の演奏前に、下野がマイクを手にして登場。舞台の転換作業の間をトークで繋ぐ。「京都市交響楽団常任しゅせ……、間違えました。なんとか指揮者の下野竜也です」とユーモアと込めた自己紹介した後で、ナエスと西馬をステージに呼び、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調の思い出について語って貰う。二人ともこの曲を演奏するのは人生で2回目だそうだが、ナエスは1回目はパイプオルガンとの共演、西馬もピアノとの演奏があるだけであり、オーケストラをバックに演奏するのは初めてだそうである。


ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。京都市交響楽団は近年、この曲を取り上げることが多い。
ピアノ三重奏にオーケストラ伴奏が付くという特異な協奏曲。ベートーヴェンがなぜこうした編成の曲を書いたのかは今でも謎であるが、チェロパートの比重が比較的大きく、演奏技術もチェロが最も高度であるため、チェロの名手から委嘱された可能性が高いとされている。
ヴァイオリンの豊島奏嗣、チェロの上村昇(京都市交響楽団首席チェロ奏者)、ピアノの上野真、更に指揮者の下野竜也も京都市立芸術大学の教員である。ということもあってか、室内楽的要素の強い親密な演奏が展開される。
下野指揮の京響であるが、渋めの音でスタートし、かなり豪快に鳴る。京響のパワーと下野のオケを鳴らす技術は想像以上であるようだ。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。人気曲だけに実演で聴く機会も多いが、思いのほか名演に当たる確率が低いような気もしている。

下野はベートーヴェンとは真逆の明るい音色を京響から引き出す。流石の手腕だが、第1楽章のクライマックスなどでは全ての音を鳴らし過ぎたため、輪郭や主旋律の把握が難しくなっていた。

第2楽章と第3楽章は秀演で、第2楽章の深々とした歌、第3楽章の覇気に満ちた音楽運びなどが印象的である。

第4楽章も迫力があるが、音が大きい割りには客席に届くエネルギーが必ずしも十分ではないように感じされる。音の密度がそれほど濃いわけではないということも影響しているのかも知れない。京響のブラス陣は優秀で、力強さと浮遊感を兼ね備えた優れた音楽性を示していた。


下野は、「京都市交響楽団史上、最も短いアンコール曲」と語って、ベートーヴェンの「フィデリオ」より行進曲が演奏される。古典的造形美が強調された演奏で、ベートーヴェンの優美な一面を楽しむことが出来た。

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