カテゴリー「ベートーヴェン」の95件の記事

2019年3月15日 (金)

コンサートの記(531) ブルーノ=レオナルド・ゲルバー ピアノ・リサイタル2013京都

2013年10月22日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、ブルーノ=レオナルド・ゲルバーのピアノ・リサイタルを聴く。

現役屈指のベートーヴェン弾きとして知られるブルーノ=レオナルド・ゲルバー。アルゼンチンの生まれ育ちである。ラテンアメリカはその名の通りスペイン系が主流だが、ゲルバー自身はスペインではなく、オーストリア、フランス、イタリアなどの血を引いているという。7歳の時に重い小児麻痺を患い、1年以上寝たきりの生活が続くが、5歳でリサイタルを開いた神童だけに「もったいない」ということで、両親はベッドの上でも弾けるようにピアノを改造し、幼いゲルバーも毎日ピアノのレッスンに励むことが出来たという。

小児麻痺の影響は現在も残り、歩行が少し不自由である。オーケストラの演奏会のソリストとして登場する時には指揮者に手を引かれて登場するのであるが、今日はソロ・リサイタルだけに、マネージャーに導かれて上手の客席入り口から登場した。

アルティは様々なステージを組むことが可能だが、今日はステージを平土間にし、ステージ上手脇と下手脇の両方にも席を設けている。下手側の席の人はゲルバーの背中を見ながら、上手側の席の人はゲルバーの顔を見ながらピアノを聴くことになる。私はステージ脇の席ではなく、8列目、下手側の席であった。ピアニストの手元がよく見える席である。
平土間にしてステージの両脇にも席を設けたので、通常のステージを使う際に設けられた出入口は使用出来なかったため、上手の客席入り口から現れたのである。


ゲルバーが得意とするオール・ベートーヴェン・プログラム。ピアノ・ソナタ第14番「月光」、ピアノ・ソナタ第3番、ピアノ・ソナタ第15番「田園」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」が演奏される。なお、当初発表されたプログラムとは、「月光」と「田園」の順番が入れ替わった。

ゲルバーの実演に接するのは久しぶり。まだ千葉に住んでいた頃に、東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団のソリストとして登場した時以来ではないだろうか。その時の演奏はかすかに記憶にあるが、指揮者が誰であったかなどは覚えていない。エリアフ・インバルであったような気もするが確かではない。
2010年に京都市交響楽団とも共演しているが、京都コンサートホールではなく、びわ湖ホール大ホールで行われた特別演奏会であり、私は耳にしていない。

ゲルバーは同性愛者としても知られるが、そもそもクラシック音楽界には同性愛者は多く、アメリカでは「ユダヤ人か同性愛者でないと指揮者として成功出来ない」といわれたこともあるほどだ。ただこれは当時、アメリカを代表する指揮者であったレナード・バーンスタインやジェームズ・レヴァイン、マイケル・ティルソン・トーマスなどがこぞってユダヤ系の、カミングアウトした同性愛者であったためで、かなり誇張されていると思われる。ユダヤ人でも同性愛者でもないのにアメリカで指揮者として成功した人物は沢山いる。

アルティは室内楽演奏に適した規模のホールであり、ゲルバーなら京都コンサートホール大ホールでもリサイタルが開けると思っていたが、ゲルバーも最近はレコーディングを全く行っていないためか日本での知名度に陰りが出てきたようで、アルティでも当日券は発売されていた。ステージの脇にも客席を設けるなど、いつもよりは席数は多く、9割以上は埋まっていたが、有名演奏家でもレコーディングを定期的に行っていないと忘れられる時代なのかも知れない。
歩くのにも不自由するということは、運動も十分には行えないということであり、ゲルバーも以前に見た時に比べると体のボリュームが大分増えている。


ピアノ・ソナタ第14番「月光」。遅めのテンポによるスケール豊かな演奏である。
タッチは力強いが、体だけでなく音にもボリュームがあり、音量が大きいだけでなく、音そのものにも広がりがある。ベートーヴェン自身は幻想的ソナタと名付けたこの曲。ドイツ語で「幻想的」というと、日本語の「幻想的」以上に「即興性に富む」という意味があるそうで、それ故に、盲目の少女にベートーヴェンが月光を輝きを教えるために即興でピアノを弾いてこの曲を作ったという話が創作されたりするわけだが(勿論、事実ではない。ベートーヴェンはピアノ即興演奏の名手であったが、「月光」ソナタはさすがに即興で作ったにしては完成度が高すぎる)、ゲルバーのピアノによる「月光」ソナタは「幻想的」でもあり、「即興的」でもある。また第1楽章は十字架を担いでゴルゴダの丘を登るキリストを描いたものという解釈を仲道郁代が披露していたが、そう考えた場合の哀感も良く出ている。
正攻法の演奏であり、河村尚子が弾いた「月光」ソナタのような天才的な閃きはないが、立派な演奏である。
ゲルバーのペダリングであるが、踏みかえは多いものの、ダンパーペダルを踏み続けていることもあり、音がややこもる。


ピアノ・ソナタ第3番。
ベートーヴェン初期のピアノ・ソナタであるが、だからといって、スケールを小さくしたりすることはない。むしろきっちりとした演奏を行うことにより、J・S・バッハなどにも通じる古典性を際立たせてみせた。
「月光」ソナタでもそうであったが、ゲルバーのピアノは左手がものを言っており、スケールを大きくしたり、立体感を与えたりしている。


休憩を挟んで、ピアノ・ソナタ第15番「田園」。
第1楽章も美しい演奏であったが、左手が受け持つ旋律を敢えて無表情に弾くことで古雅な趣を出した第2楽章の演奏は至芸ともいえるものであった。


ラストとなる、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」。
ゲルバーは技術も高いが、最高レベルではなく、今日も何度かミスタッチがあったし、ゲルバーが思い描いているようには指が回らないという箇所もあったが、演奏会とは技術品評会ではなく、音楽を聴くための催しであり、。音楽性が高ければ技術に多少瑕疵があったとしても問題ではない。技術でゲルバーより上のベートーヴェンを弾くピアニストも多いであろうが、味わい深さはそれとは別問題である。

「熱情」というタイトルの曲だが、ゲルバーの演奏は実に情熱的。強音と弱音の幅も広く、表現は多彩である。好きなタイプのベートーヴェンかと聞かれれば、少し異なるかもしれないが(私が好きなベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏は、ルドルフ・ゼルキンのように極めて端正なものか、サンソン・フランソワや河村尚子のように独自の閃きに満ちた個性的なものかのどちらかである)聴きごたえは十分なベートーヴェンであった。


ピアノ・ソナタ4曲の演奏、また歩行が困難ということもあり、アンコール演奏は行わなかったゲルバー。それでもいったん退場した後に喝采に応えて、ステージの半ばまで歩いて一礼し、最後は、入り口を再び開けて、その場で深々とお辞儀をしてリサイタルを終えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月 4日 (月)

コンサートの記(528) 広上淳一指揮 読売日本交響楽団 読響サマーフェスティバル「三大交響曲」2013

2013年8月21日 池袋の東京芸術劇場コンサートホールにて


東京へ。池袋にある東京芸術劇場コンサートホールで、広上淳一指揮読売日本交響楽団の演奏会を聴くためだ。


今回のコンサートの曲目は、シューベルトの交響曲第7番(旧番号では第8番)「未完成」、ベートーヴェンの交響曲第5番、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」である。


広上の指揮するベートーヴェンの交響曲第5番は、彼が常任指揮者を務める京都市交響楽団の演奏会で二度聴いているが、他の曲目を広上の指揮で聴くのは初めてである。そもそも「未完成」交響曲は生で聴くことをも初めてなのではないだろうか。かつてはクラシックといえばベートーヴェンの第5交響曲とシューベルトの「未完成」交響曲が二大人気曲であったが、現在ではシューベルトの交響曲というと、第8番(旧番号では第9番)「ザ・グレイト」の方がコンサートでは人気である。


 


開演は午後6時30分。


 


京都芸術劇場は京都造形芸術大学内にある私営のホールであるが、東京芸術劇場は東京都の施設である。ということで、やはり都営である東京文化会館と共に東京都交響楽団の本拠地となっている。


音響であるが、東京の音楽専用ホールとしては良い方である。サントリーホールほどではないが、少なくともNHKホールよりはかなり上である(NHKホールも広さを考えれば良く聞こえると思うが「広さを考えれば」である)。今日は前から2列目の席。京都コンサートホールの2列目だと、音が上に行ってしまって直接音が余り届かず、歯がゆい思いをするのだが、東京芸術劇場コンサートホールの場合は音も良い。


 


広上は今日は3曲ともノンタクトで指揮した。京都市交響楽団とのベートーヴェンは指揮棒を振っていたので、ノンタクトによる広上のベートーヴェン交響曲第5番の演奏を聴くのは初めてとなる。


 


シューベルトの交響曲第7番「未完成」。広上は冒頭こそおどろおどろしい雰囲気は作らなかったが、第1楽章は曲が進むにつれてシューベルトの秘められた狂気が露わになっていく。弦楽器群の出す音などは聴いていて胸が苦しくなるほどだ。


夢見るような第2楽章。広上の指揮する読響は実に美しい音色を奏でる。だが、中間部ではやはり聴く者を戦慄させるような迫力があった。


 


ベートーヴェンの交響曲第5番。京都市交響楽団の演奏と比べるとホールの影響もあるだろうが(初めて聴いたのは兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール。二度目は京都コンサートホールである)まろやかな音による演奏であった。極めてドラマティックであり、広上とベートーヴェンの相性の良さが感じられる。


第3楽章から最終楽章までの切れ目なく繋がる場面で、広上さんは右手の肘を下げて、そこから砲丸投げのように上方に上を突き出す。外連味はあるが効果的な指揮法だと思う。


読売日本交響楽団は、最近では、シルヴァン・カンブルラン、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、下野竜也という、偶然かどうかはわからないが、いずれも渋めの音色を引き出す指揮者にポストを与えており、そのせいか、今日の読響も京響のような燦々とした音色ではないが、最終楽章に突入するところではパッと光が差したかのような神々しい音で広上の指揮に応えた。


 


休憩を挟み、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。


 


広上は序奏こそ平均的なテンポで開始するが(音色はやはり渋めである)、徐々にリタルダンドして行き、展開部に入ることにはかなり遅くなる。だが、管楽器の一斉合奏の所でテンポを上げ、ドラマティックな演奏が展開される。管楽器群であるが、立体的な音を奏でており、オーケストラの力と共に広上の統率力および表現力の巧みさが感じられる。


 


第2楽章は実に抒情的。ノスタルジックな雰囲気を味わうことが出来た。


 


第3楽章は管だけでなく全ての楽器が立体的な音を奏でる。まさに広上マジックである。


そして最終楽章。推進力に富んだ演奏であり、力強いが、金管の咆吼の際も弦楽器などとのバランスは最良に保たれており、力任せの演奏にはなっていない。


これまで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(ザ・シンフォニーホール)やパーヴォ・ヤルヴィ指揮シンシナティ交響楽団(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)による「新世界」交響曲の名演を聴いているが、広上淳一指揮読売日本交響楽団による「新世界」交響曲は、総合力ではそういった猛者をも凌ぎ、実演で聴いた「新世界」の中では文句なしにナンバー1である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月27日 (日)

コンサートの記(513) 広上淳一指揮京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2011

2011年12月28日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は京響常任指揮者の広上淳一。ソプラノ独唱:小川里美、メゾ・ソプラノ独唱:手嶋眞佐子、テノール独唱:吉田浩之、バリトン独唱:黒田博。合唱:京響市民合唱団&京都市立芸術大学音楽学部合唱団。

ソプラノの小川里美は、クラシックの歌手とは思えないほど細身である。


第九の前に、モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲ハ長調が演奏される。フルート独奏は、京響首席フルート奏者の清水信貴、ハープ独唱は京響ハープ奏者の松村衣里。室内管弦楽団編成での演奏である。

清水のフルートは伸びやかで、松村のハープは温かい音色を奏でる。広上はノンタクトで指揮。踊るような自在な指揮だが、「これぞモーツァルト」というべき典雅な音を京響から引き出す。ハープの松村衣里はピンク色のドレスを着ていたが、そのこともあってか、花園を行くイメージが浮かぶような幸福な音楽と演奏である。


メインの第九こと、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。名演であった。

第1楽章から、広上の棒が作り出す音楽の密度が濃い。情報量が豊富で、京響の奏者達も熱演である。スケールは大きく、あたかも音楽で宇宙を描いたかのよう。いや、第5では人間ドラマを書き上げたベートーヴェンも第9にたどり着く頃にはすでに宇宙規模の音楽を作り上げるまでになっていたのだろう。第九は人間讃歌であるが、同時に神の領域にも達している音楽なのだ。

広上の指揮は情熱的かつユニーク。ティンパニを思いっ切り叩かせるのが個性的だが、その際に、ボクシングのパンチのように、左右の腕を交互に突き出す。更には何度もジャンプ。普段は陽気なおじさんの広上であるが、指揮している時の表情は険しく、まさに芸術家の顔である。

第4楽章の「歓喜の歌」になると広上は一転して笑顔で、歌を一緒に歌う。独奏者は歌いにくいかも知れないが、現役の日本人指揮者でこれだけの第九を振れるのは広上と大野和士ぐらいなので、あるいは一緒に歌って貰えて光栄と思うべきなのかも知れない。

広上と京響の第九は前にも一度聴いているが、それを遥かに上回る演奏。生でこれだけの第九を聴いたのは初めてかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月31日 (月)

コンサートの記(488) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅴ」第九

2018年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅴ」を聴く。年末の第九が、今年はチクルスの一環を兼ねての演奏となる。

今日は1階席7列6番という席。ステージ上に合唱が乗るためせり出し舞台となり、前5列は潰れたため、前から2列目である。
フェスティバルホールの前の方の席は音が上に行ってしまうため音響は余り良くない。まだ3階席の方が良いくらいである。下手側であるため、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの直接音が強く聞こえ、バランスも悪く、全体としての音像を把握しにくい。更に第1ヴァイオリンの陰に隠れて指揮者である尾高忠明の姿はほとんど見えない。10年前の旧フェスティバルホール最終公演となった大植英次指揮大阪フィルの第九を最前列で聴いた時も丁度こんな感じだった。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋、フォアシュピーラーに須山暢大。
独唱者は、安藤赴美子(ソプラノ)、加納悦子(メゾソプラノ)、福井敬(テノール)、与那城敬(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。

昨年のミュージックアドヴァイザーを経て、今年の4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督となった尾高忠明。カリスマ性のあるタイプではないが、大フィルとの相性はかなり良く、ずっしりとした大フィルの音響に見通しの良さが加わった。


全般を通してテンポは中庸。ところどころ遅くなったり速くなったりでインテンポではないが、大言壮語しない堅実な第九という印象を受ける。ある意味、最もドイツ的なスタイルである。

昨年の尾高指揮の第九では、ホルンが第2楽章のソロを一度もまともに吹けないという惨状を呈していたが、今日もホルンはキークスが多い。元々、音を外しやすい楽器ではあるが、他の楽器が好調だっただけによりいっそう目立つ。

「光輝満つ」といった感じの弦楽と冴え冴えとした木管の響きが印象的な第九である。

第2楽章の緻密なアンサンブルによって浮かび上がる音楽は、あたかも「歓喜の歌」に出てくる天体の動きの描写のように感じられる(実際は、ベートーヴェンは第2楽章を作曲時には、第4楽章には別の音楽を入れる予定だったとされ、直接的な繋がりがあるわけではないと思われる)。壮大な音楽と演奏だ。

バリトンの与那城敬は調子が今一つのようにも感じされたが、独唱者と大フィル合唱団も力強い歌を披露する。

前の方で聴いていると、全曲のラストが天井へと吸い込まれていく音楽のように聞こえる。これは前の方に座った者だけが味わえる興趣だったかも知れない。


尾高と大フィルによる「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会」には、第2回の交響曲第3番「英雄」と第4番の演奏会を除く全てに参加したことになる。余り達成感はなし。皆勤だったら違った気分になったのだろうけれど。


今年も恒例の「蛍の光」の合唱がある。指揮は福島章恭。溶暗した中で、指揮者と合唱団がペンライトを手にしての歌である。過ぎゆく月日と平成の時代をしみじみと感じる。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月30日 (日)

コンサートの記(487) 下野竜也指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2018

2018年12月27日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。

シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」(語り:宮本益光)との組み合わせである。ホワイエには、曲間の拍手を控えるよう、張り紙がしてある。

独唱は、吉原圭子(ソプラノ)、小林由佳(メゾソプラノ)、小原啓楼(テノール)、宮本益光(バリトン)。合唱は、京響コーラス。

今日のコンサートマスターは、客演の西江辰郎(新日本フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。
第2ヴァイオリンの客演首席には瀧村依里が入る。


「ワルシャワの生き残り」が上演されるということで、ポディウムの左右端には日本語字幕表示装置が据えられている。


「ワルシャワの生き残り」は、アーノルト・シェーンベルクのアメリカ時代の作品である。ユダヤ人であったシェーンベルクは、ナチス・ドイツの台頭により、プロイセン芸術アカデミー教授の座を追われ、アメリカへと亡命することになったのだが、その後のナチスの動向は把握出来ず、戦後になってからユダヤ人虐殺の実態を知ることになる。ワルシャワのゲットーから生還し、アメリカに渡った男性の体験談を聞いたシェーンベルクは、ワルシャワでの話を英語のテキストとして、語りと男声合唱のための曲として発表。これが「ワルシャワの生き残り」である。

ワルシャワのゲットーで意識を失ったユダヤ人の男は、朧気な意識の中で軍曹の罵声や殺害命令を聞くことになる。

鮮烈な響きによる音像が上手く纏められているのが下野らしい。宮本による語りもドラマティックだ。ガス室に送られていくユダヤ人達の合唱を担う京響コーラス男声合唱も迫力ある声を発する。


ほぼ間を開けずに、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」に突入。速めのテンポでスタート。一貫してテンポは速く、部分によっては特快となる。指揮者のプロポーションとは対照的な(?)スマートでアポロ芸術的な第九である。

第2楽章のラストを羽根のようにふわっと柔らかくするのは、広上と広上の弟子達の特徴であり、下野もそれを踏襲する。

例えるならパールのような、乳白色の優しい輝きを持つ音色も特徴。純度も高く、ティンパニの強打も特徴だが、それをも包み込むような柔らかさがある。癒やし系の第九というべきか。

「歓喜の歌」も速め。登場の拍手が起こらないよう、独唱者達はオーケストラが奏でる歓喜の主題が第2ヴァイオリンに移る頃に、舞台上手奥側からおもむろに現れる。

「ワルシャワの生き残り」と繋げることで、殺した側と殺された側とに引き裂かれた(テキストを引用すると「世の流れに厳しく分けられていた」)人類の和解と救済の「歓喜の歌」となった。


清々しい気分で、京都コンサートホールを後にする。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月29日 (土)

コンサートの記(484) 広上淳一指揮京都市交響楽団スプリングコンサート2010

2010年4月11日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団のスプリングコンサートを聴く。指揮は広上淳一。司会は豊田瑠衣(フリーアナウンサー)。

「ヒーロー」をテーマにしたコンサート。前半は歴史のヒーローということで、NHK大河ドラマのテーマ曲がずらりと並ぶ。「龍馬伝」、「赤穂浪士」、「元禄太平記」、「花神」、「翔ぶが如く」、「利家とまつ」、「篤姫」、「天地人」

大河ドラマのテーマをフルオーケストラで聴けるというのは贅沢である。「龍馬伝」のボーカルソロは京都市立芸大大学院生が務めており、プロには比ぶべくもなかったが、スプリングコンサート自体が新しく学生や社会人になった人のためのコンサートなので、こうした人選になったことに文句はない。


後半は、クラシック界のヒーローということで、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」が演奏された。最近の演奏は、ピリオド奏法を意識した速めのテンポによる「田園」が多いが、広上と京響は中庸のテンポで、「田園」の美しい旋律を瑞々しく歌い上げていた。

アンコールとして、ジョン・ウィリアムズの「スーパーマン」のマーチが演奏された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月26日 (水)

コンサートの記(477) アレクサンダー・リープライヒ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 「第9シンフォニーの夕べ」2009

2009年12月29日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の「第9シンフォニーの夕べ」という演奏会に接する。ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の演奏。午後7時開演。

タクトを執るのは1968年生まれの中堅、アレクサンダー・リープライヒ。今日手元に届いた音楽之友社の「世界の指揮者名鑑866」にはその名が記されておらず、国際的にはまだ無名だが、昨年、大阪フィルの定期演奏会で指揮し、マーラーの交響曲第4番で好演を示したことから個人的に注目している指揮者である。

ソプラノ・安藤赴美子、アルト・竹本節子、テノール・福井敬、バリトン・青山貴、合唱は大阪フィルハーモニー合唱団という編成。

冒頭のホルンがいきなりずれたり(ホルンはその後も誰でもわかるミスを犯すなど今日も不調であった)、指揮者の手元から指輪がステージ上に飛んでいったりとハプニングもあったが、全体的には透明感溢れるスマートな演奏。テンポは速め、見通しが良く、強弱の変化、表情のつけ方がともに細やかで、ピリオド・アプローチを採用しており、時に硬めの音で強奏されるティンパニが効果的。躍動感があり、新鮮な息吹を感じる。


大阪フィルの第九には昨年も大植英次指揮の演奏に接しているが、同じ日本人として残念ながらリープライヒの方が大植よりも格上、ものが違うという気がする。結果として「才能とは何なのか?」と考えさせられることにもなった。

大阪フィルハーモニー合唱団とソリスト陣も好調で、印象的な第九演奏会であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月23日 (日)

コンサートの記(475) ダニエル・ハーディング指揮パリ管弦楽団来日演奏会2018京都

2018年12月14日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都・パリ友情盟約締結60周年/日仏友好160周年記念 ダニエル・ハーディング指揮パリ管弦楽団の来日演奏会に接する。パリ管弦楽団の来日演奏会を聴くのは今日で3度目。全て京都コンサートホールにおいてである。3回聴いたことのある海外オーケストラは、ドイツ・カンマーフィル、バーミンガム市交響楽団などいくつかあるが、3度とも同じ会場というのはパリ管弦楽団だけである。パリ市と京都市は姉妹都市ということで京都公演が多いのかも知れない。前2回はともにパーヴォ・ヤルヴィの指揮であり、ベルリオーズの幻想交響曲がメインの最初の演奏会は、これまで私が接した全てのコンサートの中でナンバーワンである。

まともなコンサートホールが一つもないといわれたパリだが、3年前に最新の音響を誇るフィルハーモニー・ド・パリが完成し、パリ管弦楽団もそこを本拠地とするようになった。
なお、ハーディングはすでにパリ管弦楽団の音楽監督から離任することを決めており、これが日本では最後の組み合わせになる可能性も高い。


曲目は、ベルリオーズのオペラ「トロイ人」から“王の狩りと音楽”、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:イザベル・ファウスト)、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」


ハーディングは今月11日行われた札幌公演の直前に転倒して右足首を骨折。札幌の演奏会には車椅子を使って登場し、指揮した。このことはSNSで拡散されて話題になっていたが、今日も演奏会の前にマイクを手にした男性が登場し、「マエストロが札幌で転倒して右足首を骨折した」「ただ、マエストロは指揮には全く影響がないとおっしゃっていて」「椅子に座って指揮することをご了承下さい」とアナウンスした。

ダニエル・ハーディングの指揮には、以前、マーラー・チェンバー・オーケストラの京都公演で接したことがある。それ以来、2度目である。

古典配置での演奏。舞台最後列にはモダンティンパニが並び、ベルリオーズではこれが使われる。舞台上手にはバロックティンパニが置かれていて、ベートーヴェンではこちらが用いられる。


ベルリオーズのオペラ「トロイ人」から“王の狩りと音楽”。冒頭の弦楽の妙なる響きに魅せられる。オーケストレーションの名人であったベルリオーズの華麗な響きが堪能出来る演奏。ただクライマックスでは京都コンサートホールの特性上、音が散り気味となる。ホルンの音が豊かで色彩が濃く、フランスのオーケストラの美質が感じられるのが良い。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ソリストのイザベル・ファウストは、現代を代表する名手の一人である。

ハーディング指揮のパリ管は速めのテンポでスタート。
ファウストのヴァイオリンは、音に張りがあり、パリ管共々弱音が極めて繊細で美しい。第2楽章のきめ細やかな音楽作りは白眉。全般を通して精緻な音楽性が印象的な美演となる。
なお、第1楽章のカデンツァではティンパニが大活躍。ベートーヴェン自身がピアノ協奏曲に編曲したものからの再アレンジ版だと思われる。ファウストとティンパニ奏者(Eric Sammutだと思われる)が息を合わせた好演であった。

ファウストのアンコール演奏は、クルターグの「ヴァイオリンのためのサイン.ゲーム.メッセージ ジョン・ケージへのオマージュ」より“Fur den.der heimlich lauschet”微妙に表情を変えていく音型が魅力的な短い作品である。ファウストの繊細な持ち味はこの曲でも有効であった。


ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。単なる巡り合わせだと思うが、この曲の実演で優れたものに出会った記憶がない。有名な割りにコンサートで取り上げられる回数が余り多くないということもあるが、日本人指揮者の場合は情に流れやすいのかも知れない。

ハーディングは、この曲はノンタクトで振る。

冒頭の広がりのある響きからとても魅力的である。テンポは中庸。ピリオド奏法によるノンビブラートの弦楽が効果的であり、描写力が豊かである。木々のざわめきや光の移ろいが音の中から拡がっていくかのようだ。
新鮮さ溢れる第2楽章と第3楽章、ティンパニの強打が効果的な第4楽章「嵐」、そして第5楽章の清々しさなど、万全の音運びで、貫禄の名演奏となった。

「田園」演奏終了時が9時20分頃ということもあり、アンコールはなし。「田園」が優れた出来だっただけにそれも良い選択である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月22日 (土)

コンサートの記(474) 広上淳一指揮京都市交響楽団第530回定期演奏会

2009年11月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分開演の京都市交響楽団第530回定期演奏会に接する。今日の指揮は常任指揮者の広上淳一。京都コンサートホールは満員の盛況である。

曲目は、モーツァルトの「魔笛」序曲、ベートーヴェンの三重協奏曲(ヴァイオリン:堀米ゆず子、チェロ:宮田大、ピアノ:アブデル・ラーマン・エル=バシャ)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガン:桑山彩子)。

午後2時10分から広上によるプレトークがある。眼鏡をかけて登場した広上は来シーズンのコンサートプログラムが決まったことを告げたが、「12月18日に正式に発表になるので、その前に発表してしまうとお楽しみが減ってしまう」ということで、内容は公表されなかった。
今日の演奏会の曲目についての話となり、ヴァイオリンの堀米ゆず子やオルガンの桑山彩子もステージに呼ばれて話す。ベートーヴェンの三重協奏曲のヴァイオリンパートは梯子を登るように難しいと堀米談。


モーツァルトの「魔笛」序曲。広上が振ると京響はまろやかな響きを出す。推進力もあって良い演奏だ。


続いてベートーヴェンの三重協奏曲。

今月、ロストロポーヴィチ・コンクールで優勝を勝ち取ったばかりの宮田大のチェロは実に滑らか。堀米のヴァイオリンは陽光を浴びたような明るい音を出し、エル=バシャの立体感のあるピアノも印象的である。
広上指揮の京響は燃焼度の高い音を出して、これも印象深かった。


サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。

冒頭は実に繊細。主部に入るとあらゆる音が鮮明に聞こえる。弦は時に透明で時に色彩豊か、金管は輝かしい。洒落た味わいにも富んでいて、これは間違いなく国際クラスで通用する演奏となった。桑山の奏でるオルガンも朗々と鳴り、広上の体全体から音楽が放射されたかのようなクライマックスの高揚感は言葉では表現出来ないほどである。

演奏終了後の盛んな拍手の後で広上がスピーチ。「京響はオーケストラ道の王道を歩みつつあり、白鵬のように連勝していきたい」とのこと。更に「一曲プレゼントします」ということで、グリーグの「過ぎた春」が演奏された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 2日 (日)

コンサートの記(460) 河村尚子ピアノリサイタル2018京都 オール・ベートーヴェン・プログラム

2018年11月27日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで河村尚子のピアノリサイタルを聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。

演目は、ピアノ・ソナタ第18番、ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」


今日は最前列下手寄りで聴く。河村の手の動きがよく見える席である。

今年はシリーズでベートーヴェンのピアノ・ソナタに取り組んでいる河村尚子。出身地の西宮にある兵庫県立芸術文化センターではKOBELCO大ホールと神戸女学院小ホールで複数回の公演を行う。西宮での第1回のリサイタルは私もチケットを取ったのだが、風邪のために断念した。

広上淳一のお気に入りということもあり、京都市交響楽団の定期演奏会のソリストとしてよく京都コンサートホールに登場する河村尚子。ムラタホールでもチェロのホルヌングとのデュオリサイタルを行っているが、ソロでのピアノリサイタルとなると久しぶりである。


いつも通り満面の笑顔で登場した河村。堅固な構築美、強靱なタッチ、雄渾なスケール、温かさと若々しさを兼ね備えた音色、抜群のリズム感、繊細な弱音の妙技、横溢するエネルギー、多彩な表情など、優れたところを挙げれば切りのない理想的なベートーヴェン演奏を繰り広げる。日本人女性ピアニストが弾いているとは思えないどころか「とんでもない」と形容したくなる出来である。
「ワルトシュタイン」では第1楽章で雄々しさ溢れる演奏を展開。演奏終了後に白人女性が思わず感嘆の声を上げていた。第2楽章と第3楽章では愛らしいメロディーが奏でられるのだが、河村は可憐な音色で歌い上げ、喜びに溢れたベートーヴェン像を彫刻した。

「熱情」ソナタ第1楽章では、絶妙の間合いと強弱の交代で「運命主題」との相克のドラマを巧みに描く。
そして第3楽章では透き通った音色を奏で、「透明な悲しみ」と名付けたくなるような独自の演奏に仕上げていた。


全てのプログラムが終了した後で、河村はマイクを片手に登場。ベートーヴェンの思い出を語る。ベートーヴェンのピアノ・ソナタはピアニストには付きもので、好きと嫌いとに関わらず取り組まなければいけないもの、という話から入る。河村は、「若い頃から好きで、弾いて来た方だとは思いますが、思い返してみると余りよくわかっていなかったような」と振り返る。ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」は、「子どもでも弾いて良いよ」という内容だそうで、河村は第1楽章を9歳で、第2楽章を10歳で勉強したというが、「録音も参考にしよう」というので、CDは当時出たばかりで余り数がなかったそうだが、ヴィルヘルム・ケンプのものをカセットテープにダビングして、車で移動する時などに良く聴いていたそうである。自宅でもケンプのカセットテープをラジカセで聴き、聴いては弾き聴いては弾きを繰り返していたそうだが、ある時、再生ボタンを押しても音が出ない。「あれ?」と思ってしばらく待ったがやはり何も言わない。「再生ボタンじゃないところ押しちゃったかな? でも再生ボタン押してるよね?」と独り言を言いつつよく見てみると赤いボタンも押してしまっている。再生すると自分の声が聞こえたそうである。カセットテープは爪の部分を折ると録音されなくなるのだが、それはしていなかったようだ。ということでケンプの録音が消えてしまい、「どうしよう! お母さんに怒られる!」と思った河村は自分の演奏を上書きして誤魔化そうとしたのだが、「ラジカセの録音ボタンを押してピアノに向かうまで何歩か掛かる。足音は入ってしまうわけですよ」というわけで、「絶対にばれる!」と思っていたのだが、母親にそれとなく聞いても全く気づいていなかったという話である。

「テレーズ」の第2楽章に16分音符の主題が出てくるのだが、それが「エリーゼのために」の元になったのではないかと河村は推測する。「エリーゼのために」は実は「テレーゼのために」なのではないかという説もあるのだが、「今日は『エリーゼのために』として演奏します」

比較的遅めのテンポで歌い出す「エリーゼのために」で、音に拡がりが生まれており、個性に溢れている。そんじょそこらの「エリーゼのために」とはやはり格が違うようだ。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア ウェブログ・ココログ関連 オペラ カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ トークイベント ドイツ ドキュメンタリー映画 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都四條南座 京都市交響楽団 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 動画 千葉 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 学問・資格 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 食品 飲料 香港映画