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2017年4月12日 (水)

コンサートの記(291) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年3月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「東芝グランドコンサート2017」 NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会を聴く。

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団は、ギュンター・ヴァントとのコンビで親しまれた北ドイツ放送交響楽団(NDR交響楽団)が、新本拠地ホールであるエルプフィルハーモニーの落成と共に改名した団体である。
一昨年に、北ドイツ放送交響楽団名義で、首席指揮者であるトーマス・ヘンゲルブロックと共に来日し、大阪のザ・シンフォニーホールでも演奏会を行っていて私も聴いているが、新しい名称になってからは初来日である。
今日の指揮者は、ポーランド生まれの俊英、クシシュトフ・ウルバンスキ。NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者である。昨年まで東京交響楽団首席客演指揮者を務めており、大阪フィルハーモニー交響楽団も数度客演していて、日本でもお馴染みの存在になりつつある。ワルシャワのショパン音楽アカデミーでは指揮をNAXOSの看板指揮者として知られるアントニ・ヴィトに師事。2007年にプラハの春国際音楽コンクールで優勝に輝いている。
シャープな指揮姿であるが、時折、ダンスのようなステップも踏む。


曲目は、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。オール・ドイツ・プログラムである。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。フェスティバルホールにはパイプオルガンはないので、「ツァラトゥストラはかく語りき」では、電子オルガンが用いられる。

一度楽譜を見ただけで全て覚えてしまう「フォトグラフメモリー」という特殊能力を持つウルバンスキ。今日も指揮台の前には譜面台はなく、協奏曲も含めて全て暗譜で指揮する。

ウルバンスキ登場。どことなくGACKTに雰囲気が似ている。もっとも、GACKTを生で見たことはないのだけれど。


ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番。ウルバンスキは情熱を持っているのだろうが、それを表に出すことの少ない指揮をする。
全編、ピリオド・アプローチによる演奏だが、特筆すべきは弱音の美しさ。本当に息を飲むほどに美しい超絶ピアニシモである。そしてラストに向けて盛り上がっていく弦楽のエネルギーの豊かさ。爽快なベートーヴェンである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ソリストは日本でもお馴染みになったアリス=紗良・オット。日独のハーフであり、「美しすぎる」という奇妙な形容詞が流行った時には「美しすぎるピアニスト」などと言われた。ピアニストのモナ=飛鳥・オットは実妹。
個性的なピアニストであり、ウルバンスキとは異なって情熱を剥き出しにするタイプである。
「裸足のピアニスト」としても知られているアリス。今日は黒いロングドレスの裾を引きずりながらチョコマカ早歩きで登場したため足下は見えなかったが、ピアノを弾くときは素足でペダルを踏んでいるのが確認出来た。

アリスのピアノは、浮遊感、透明度ともに高く、冒頭ではちょっとした歌い崩しを行うなど、今日も個性がフルに発揮されている。
第1楽章終了後、第2楽章終了後とも、ウルバンスキは腕を下げず、アリスがピアノを弾くことで楽章が始まるというスタイルを採っていた。
第2楽章のリリシズム、第3楽章のパワーなどいずれも感心する水準に達している。アリスは右手片手弾きの場面では左手の掌を上に向けて左肩の付近で止めていた。科を作っていたわけではなく、単に癖なのだろう。

演奏終了後、喝采を浴びたアリス。聴衆からお花も貰う(許可がない場合は聴衆としてのマナー違反になりますので、真似しない方がいいです)。

ウルバンスキ指揮のNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団もピリオド・アプローチながら力強い伴奏を奏でた。

アンコールは2曲。まずは、昨年、「ピーコ&兵動のピーチケ・パーチケ」でも演奏していた、グリーグの抒情小曲集より「こびとの行進」。
20年近く前に、砧(きぬた)にある世田谷美術館講堂で、グリーグのピアノ曲演奏会(世田谷美術館の「ムンク展」関連事業)を聴いたことがある。演奏を行ったのは、グリーグ演奏の大家でNAXOSレーベルに「グリーグ ピアノ曲全集」も録音していたアイナル・ステーン=ノックレベルグ。「グリーグ本人の演奏にそっくり」といわれたピアノを弾く人だ。来日前に交通事故に遭ったそうで万全の体調ではなかったそうだが、ステーン=ノックレベルグは、「抒情の極み」とでもいうべき演奏を披露していた。
アリスの弾く「こびとの行進」は、ステーン=ノックレベルグのそれと比べると若々しいのは当たり前だが、リズム感の良さが際立っている。アリスは普段はクラシックは余り聴かず、ポピュラー音楽の方を好んで聴くそうだが、ポピュラーは「リズムが命」という面があるため、クラシック演奏にもプラスに働くのだろう。
メカニックが抜群なのは今更書くまでもない。

拍手を受けて椅子に腰掛けたアリスは、「皆様、今夜はお越し下さってありがとうございます。もうピアノが伸びてきてしまっていますので、最後にオーケストラのメンバーと皆様のためにショパンのワルツ遺作を弾きたいと思います」と言ってから、ショパンのワルツ19番(遺作)を弾く。テンポの伸縮自在の演奏だが、それが効果的であった。


後半、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキはやや遅めのテンポでスタートする。冒頭に出てくる3つの音が全曲を支配する「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキの表現は見通しが良く、リヒャルト・シュトラウスの意図もウルバンスキ自身の意思もよく伝わってくる。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は有名曲なので、コンサートで取り上げられることも比較的多いが、これほど楽曲構成の把握がわかりやすく示された演奏を聴くのは初めてである。
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団であるが、弦も管も技術は極めて高い。この曲は弦楽のトップ奏者がソロを取る場面が何度もあるのだが、全体がそうした室内楽的な緻密さに溢れた好演となっていた。弦の音色は透明度が高く、明るい。輝きに関しては昨日聴いたプラハ交響楽団とは真逆である。管楽器も力強く、音楽性も高かった。
なお、舞台袖での鐘は、グロッケンシュピール奏者が自身のパートを演奏し終えた後で上手袖に下がり、兼任して叩いていた。


アンコール演奏は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲。非常に洗練されたワーグナーであり、ドイツの楽団でありながら「ドイツ的」といわれる濃厚な演奏とは一戦を画したものになっていた。

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2017年3月11日 (土)

コンサートの記(280) いずみシンフォニエッタ大阪第38回定期演奏会「満喫!楽聖ベートーヴェン」

2017年2月11日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後4時から、京橋にあるいずみホールで、いずみシンフォニエッタ大阪の第38回定期演奏会を聴く。今回は、「満喫!楽聖ベートーヴェン」と題して、ベートーヴェンを題材にした現代曲と、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」が演奏される。指揮は、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者の飯森範親。

曲目は、シュネーベルの「ベートーヴェン・シンフォニー」(1985年作曲)、ベートーヴェンの「大フーガ変ロ長調」(川島素晴編曲弦楽合奏版。2003/2016)、西村朗(にしむら・あきら)の「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」(2007年作曲)、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ:若林顕。川島素晴編曲いずみシンフォニエッタ大阪2017年版)

開演30分前からロビーで室内楽のミニコンサートがあり、開演15分前からステージ上でいずみシンフォニエッタ大阪音楽監督の西村朗がプレトークを行う。
西村は、指揮者の飯盛範親と、作曲家でいずみシンフォニエッタ大阪プログラム・アドバイザーの川島素晴もステージに呼び、3人でプレトークを行う。

まず、シュネーベルという作曲家についての紹介。ドイツのシュヴァルツヴァルト地方のバーデン=ヴュルテンベルク州出身であり、飯森は以前、ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督をしていたため、「親しみがあると言いたいのですが」と口ごもる。理由を西村朗が明らかにする、「シュネーベルという人はかなり変な人」だそうである。

「ベートーヴェン・シンフォニー」は、緻密に積み上げられたベートーヴェンの交響曲第5番第1楽章を骨抜きにしてしまおうという妙な意図によって作曲された曲だそうである。


ベートーヴェンの「大フーガ変ロ長調」は、元々は弦楽四重奏曲として書かれたものである。その後、名指揮者であったワインガルトナーによって弦楽合奏のための編曲がなされ、レナード・バーンスタインなども指揮して録音しているが、今回は川島素晴が新たに編曲したものを用いる。川島は、2003年にも同曲を編曲しているが、今回は更に手を加えた譜面での演奏となる。ヴァイオリンの高音を極限まで追求したものだそうである。

なお、オーケストラの調はピアノの平均律などとは違い、高めの音がより高く聞こえてしまうため、調整していると飯森と川島は語る。


西村朗の「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」。日本では年末になるとどこもかしこも第九一色になるが、第九演奏前にベートーヴェンの序曲などを前座として演奏すると、定時に遅れてきたお客さんも、「ああ、本編には間に合った」と思ってくれるそうである。そこで第九のための「究極の前座音楽を書いて欲しい」という依頼を受けて、西村が作曲したのが「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」である。飯森によると「思いの外、好評」だそうである。4つの楽章からなり、第1楽章はベートーヴェンの交響曲第1番から第8番までの要素を順番に出し、その後は、8つの交響曲の中でも有名な曲を優先して出していくという構成である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。川島素晴がシンフォニエッタ用にオーケストレーションを変更しており、原譜にはないトロンボーンを加えているという。飯森はソリストの若林顕(わかばやし・あきら)について、「以前も共演したことがあるのですが、大分、貫禄がついた」と述べた。

なお、いずみシンフォニエッタ大阪のコンサートミストレスである小栗まち絵が、昨年7月に行われたいずみシンフォニエッタ大阪のジャック・ボディの「ミケランジェロによる瞑想曲」の独奏が評価され、大阪文化祭賞最優秀賞を受賞したということで、ステージ上に呼ばれ、西村から花束が手渡された。受賞の連絡が来た時に、小栗は新大阪駅のホームにいたそうで、電話の内容が良く聞こえず、いずみシンフォニエッタ全体が賞を受けたものだと勘違いしたという。
小栗は、亡くなった主人(京都市交響楽団のコンサートマスターだった工藤千博)や、相愛大学(大阪にある浄土真宗本願寺派の大学。音楽学部がある)での教育も含めて評価されたのだと思うと述べた。


まずは、シュネーベルの「ベートーヴェン・シンフォニー」。コンサートマスターは佐藤一紀。ベートーヴェンの交響曲第5番は、「タタタターン」という4つの音で積み上げられるが、シュネーベルは、これは「ターター」という音に変え、迫力を殺いでしまう。伊藤朱美子と細江真弓による木琴や鉄琴、マリンバなどは運命動機による演奏を行うが、サン=サーンスの「死の舞踏」のように響く。打楽器の山本毅が特殊な楽器を使ってノイジーな音を出し、ハープの内田奈織も不気味な音を発していた。


川島素晴の編曲によるベートーヴェンの「大フーガ変ロ長調」。この曲では小栗まち絵がコンサートミストレスを務める。飯森範親は、この曲だけはノンタクトで振った。
第1ヴァイオリンの高音が特徴だとプレトークで語られていたが、全体的に第1ヴァイオリンは一番高い弦を主体に奏でる。やがて小栗まち絵がソロを取った時に、第1ヴァイオリンのアンサンブル群が現代音楽で聴かれるような超高音を出し始める。最後は小栗まち絵も含めて第1ヴァイオリンが痛烈な高音を発していた。


西村朗の「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」。コンサートマスターは高木和弘に変わる。
ベートーヴェンの交響曲第1番の冒頭が奏でられるが、そこから曲調はめまぐるしく変わる。交響曲第5番は第3楽章など様々な部分が採用され、「田園」では鳥の鳴き声を真似る場面や第5楽章、第8番はメトロノームの動きを真似た第2楽章、第7番はダイナミックな第3楽章などの要素がちりばめられる。第3番「英雄」はプロメテウス主題などが取られていた。

飯森範親といずみシンフォニエッタ大阪の演奏であるが、やはり現代音楽の演奏を長年続けているため、「手慣れた」という印象を受ける。聴き手を圧倒するだけのものはないかも知れないが、レベルは高く、巧い。


休憩を挟んで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。ピアノ独奏の若林顕は、東京芸術大学、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院、ベルリン芸術大学などで学んだピアニスト。メカニック抜群のヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして知られており、大阪でも難曲として知られるリスト編曲の第九を年末に演奏するなどの催しを行ってきたため知名度は高い。1985年にブゾーニ国際ピアノコンクールで2位、1987年のエリザベート国際コンクールでも第2位となっている。

若林はタッチも技術も極めて堅固。音には独特の煌めきがあり、明るさを感じさせる部分でも燦々とした輝きではなく、漆器のようなどこか渋みのある光を放っている。
飯森指揮のいずみシンフォニエッタ大阪(コンサートマスターは釋伸司)も溌剌とした演奏を披露。ベートーヴェンの指定では木管とトランペットが2管編成なのだが、いずみシンフォニエッタ大阪は単管であるため、代わりに川島が加えたトロンボーン(トロンボーン演奏:呉信一)は低音部を支えるのに効果的であった。なお、ピリオド・アプローチは採用されていなかった。

喝采を浴びた若林に飯森が、「なんかアンコール弾く?」と聞くような仕草をし、若林が「いや、もう勘弁」という風に首を振ってコンサートはお開きとなった。

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2017年3月 6日 (月)

コンサートの記(278) 小菅優ピアノ・リサイタル@びわ湖ホール大ホール2017

2017年2月4日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、小菅優のピアノ・リサイタルを聴く。


びわ湖ホールのロビーからは、雪を頂いた比良山系が見えた。

びわ湖ホール名曲コンサートの一環として行われた「小菅優 ピアノ・リサイタル」であるが、曲目はある程度クラシック通でないと内容がわからないものが多く、いわゆる通俗名曲によるコンサートではない。


プログラムは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」、同じくピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、武満徹の「雨の樹 素描」と「雨の樹 素描Ⅱ~オリヴィエ・メシアンの追悼に」、リストの「巡礼の年 第3年」より“エステの噴水”、リストのバラード第2番、ワーグナー作曲・リスト編曲の「イゾルデの愛の死」

びわ湖ホール大ホールはキャパが大きいので、3階席と4階席は今日は使用されていなかった。入りは、プログラムが渋いことを考えればまずまずである。

小菅優は翡翠色のドレスで登場する。

日本を代表する若手女性ピアニストである小菅優は、1983年東京生まれ。東京音楽大学付属音楽教室で学んだ後、10歳の時にドイツに渡り、以後はドイツで音楽教育を受けている。
コンクール歴が一切ないピアニストとしても知られているが、今は札幌交響楽団の首席指揮者を務めているマックス・パンマーが京都市交響楽団に客演し、小菅優と共演したときに、プレトークで、「小菅優が子供だった頃に優勝したピアノ・コンクールで伴奏を務めていたことがある。成長した姿を見て嬉しく思う」と発言していたので、青少年のためのピアノ・コンクールで優勝したことがあるのかも知れない。
コンクール歴なしとされるヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターも西ドイツ青少年音楽コンクールでは優勝経験がある。
小菅は同世代で共に東京音楽大学ピアノ科特任講師を務める河村尚子と親しいようで、東京では河村と二人でピアノ・デュオ・コンサートも行っている。
超絶技巧の持ち主であり、特にベートーヴェンやリストなどには定評がある。

グレン・グールドのように猫背になって弾くことも多い演奏スタイル。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」。一音たりとも蔑ろにしない、極めて集中力の高い演奏を展開する。
日本人女性ピアニストというと、音の線が細いことが多いのだが、小菅はそうした悪い意味での「細さ」や「軽さ」とは無縁である。音にボリュームがあり、情報がぎっしり詰まっている。
やや遅めのテンポで開始した第1楽章。幻想的(ドイツ語の場合は「即興的」というニュアンスも含むようである)というより悲しみを堪えつつもそっと語りかけてくるような趣がある。
立体感のある第2楽章の演奏に続く第2楽章は情熱の奔流。第一級のベートーヴェンである。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」。軽快さと推進力のある第1楽章も優れていたが、一番凄かったのは第3楽章。小川のせせらぎのように清らかな音が、巨大な流れとなり、最後は浮遊感のある演奏に変わる。マジカルである。

構造力と情熱と強靱なタッチ。良い例えなのかどうかわからないが、小菅は「女版エミール・ギレリス」のようなベートーヴェン弾きである。


休憩を挟んで、武満徹の「雨の樹 素描」と「雨の樹 素描Ⅱ~オリヴィエ・メシアンの追悼に」。繊細にして緻密な設計士の技による優れた演奏である。透明感のある音で、武満の神秘的な音楽を解き明かし、再構成してゆく。

リストの「巡礼の年 第3年」より“エステ荘の噴水”。村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で知名度を上げたリストの「巡礼の年」だが、“エステ荘の噴水”は映画で用いられるなど、以前から有名であった。
清潔感と生命感に溢れるピアノである。

リストのバラード第2番。多彩な音のパレットが生かされる。仄暗い響きから、輝きを放つ音、官能的な音色まで自由自在である。メカニックも驚くほど高度である。

ワーグナー作曲・リスト編曲「イゾルデの愛の死」。びわ湖ホール大ホールは天井が高いのだが、その天井まで貫くような強烈な音がここぞという時に飛び出す。原曲が持つうねりをピアノで極限まで追求したような演奏。まだ30代前半のピアニストとは思えないほどの成熟した音楽であった。


アンコールはメシアンの「プレリュード第1番 鳩」。鳥の鳴き声に惹かれていたメシアンだが、それを不思議な音楽に仕上げている。この曲を聴くと、武満徹がメシアンから多大な影響を受けていることがわかる。
小菅は、ミステリアスにして美しい和音を巧みに紡ぎ出してみせた。


ブラーヴァ! 文句なしのコンサートであった。

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2017年2月 1日 (水)

コンサートの記(270) ヤクブ・フルシャ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第504回定期演奏会

2016年12月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第504回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、チェコ出身のヤクブ・フルシャ。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:河村尚子)とショスタコーヴィチの交響曲第10番。


1981年生まれの若手指揮者であるヤクブ・フルシャ。東京都交響楽団首席客演指揮者として日本でもお馴染みである。今季(2016-2017)から名門バンベルク交響楽団の首席指揮者に就任。
プラハ芸術アカデミーで、イルジー・ビエロフラーヴェクとラドミル・エリシュカに師事し、チェコ国内で活躍。プラハ・フィルハーモニアの首席指揮者として知名度を上げ、現在では世界的な活動を行っている。
幸田浩子のアルバムにプラハ・フィルハーモニアと共に参加しており、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団や東京都交響楽団とも録音も行っている。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番でソリストを務める河村尚子(かわむら・ひさこ)はフルシャと同い年である。兵庫県西宮市生まれ。5歳の時に一家で渡独し、教育は全てドイツで受けている。最初のうちは日本人学校に通っていたが、後に自らの意思でドイツ語の学校に編入。ハノーファー国立音楽演劇大学大学院ピアノ・ソリスト課程を修了。エッセンのフォルクバング芸術大学の教授でもある。現在は、東京音楽大学ピアノ科の特任講師でもあり、同大学指揮科教授の広上淳一とも親しいようで、何度も共演しており、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の広上指揮京都市交響楽団との演奏はCDにもなっている。


今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。ドイツ式の現代配置での演奏。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。赤いドレスで登場したソリストの河村尚子は今日も怖ろしいレベルの演奏を展開する。
高度なメカニックを誇る河村だが、今日の演奏は技術面で優れているだけでは絶対に弾けない類いのものである。曲が進む毎に輝きを増していくピアノの音色にも驚かされるし、右手と左手が別々の生き物のように鍵盤上で疾駆する様には唖然とさせられる。音は立体感を持ち、感情が宿っている。
第2楽章の哀しみの表現も秀逸であり、「とんでもないレベルのピアニストになってしまったな」という印象を受ける。

フルシャ指揮の大阪フィルは、編成を一回り小さくし、ビブラートを抑えめにしたピリオド・アプローチでの演奏。にも関わらず、広いフェスティバルホールでかなり鳴らす。
チェロやコントラバスをしっかりと弾かせるピラミッドバランスの演奏。古楽を意識したティンパニの硬めの音も特徴である。


河村はアンコールとしてスカルラッティのソナタヘ長調K.17を弾く。フルシャもホルン奏者の前に腰掛けて河村の演奏を聴く。
「玲瓏」そのものだ。


ショスタコーヴィチの交響曲第10番。エキストラを多数入れての大編成での演奏。

フルシャの指揮は、指揮棒を持っていない左手の使い方が巧みであり、雄弁でもある。この曲ではジャンプを繰り返すなど、若々しい指揮姿が印象的である。
オーケストラを鳴らす術に長けたフルシャ。今日も大フィルを盛大に鳴らす。フェスティバルホールの音響は、ショスタコーヴィチを演奏するには実は最適である。大阪市北区と福島区の間にあるザ・シンフォニーホールは優れた音響のホールだが、空間が小さく残響が長いため、最強音で鳴らすと音が飽和してしまうだろう。フェスティバルホールはその心配はない。

ラストもジャンプで決めたフルシャ。実は今日は客の入りはそれほどでもなかったのだが(日本では若い指揮者が振る演奏会は入りが余り良くないことが多い)、聴衆は盛んな拍手でフルシャと大フィルを讃えた。

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2016年8月22日 (月)

コンサートの記(249) 井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第500回定期演奏会

2016年7月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第500回定期演奏会を聴く。記念すべき500回目の定期演奏会のタクトを執るのは、勿論、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者の井上道義。

大阪フィルハーモニー交響楽団は、1947年に関西交響楽団として誕生。「楽団員が関西中から集まっている」ということで常任指揮者の朝比奈隆の意向を受けてのネーミングだった。関西交響楽団としては125回の定期演奏会を行ったが、1960年に大阪フィルハーモニー交響楽団に改称。「大阪フィルハーモニー」のネーミングはNHK大阪放送局が所持していたが、朝比奈隆の自伝などを読むと、朝比奈がNHK大阪から名前を買い取ったらしいことがわかる。その際、定期演奏会も第1回から数え直しになり、大阪フィルとしては500回、関西交響楽団時代を加えると625回の定期演奏会をこなすことになる。


曲目は、バカロフの「ミサ・タンゴ」とベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」

ルイス・バカロフは1933年生まれの現役の作曲家。映画音楽を多く手掛けており、特にアカデミー賞音楽賞を受賞した「イル・ポスティーノ」の音楽で知られる。クラシック音楽の作曲家としても活躍しており、イ・ムジチ合奏団のための新曲、「合奏協奏曲」を書き下ろしたりしている(2011年にザ・シンフォニーホールでイ・ムジチ合奏団が演奏。私も聴いている。ちなみにそのコンサートではエンリオ・モリコーネと坂本龍一の新作も演奏された)。アルゼンチンのブエノスアイレスの生まれ、その後イタリアに移住してマカロニウエスタンの映画音楽作曲家として活躍。現在もイタリア在住でイタリア国籍を取得している。ルーツはブルガリア・ユダヤ系だという。


ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であるが、井上道義の指揮なのでピリオド・アプローチなのかどうか事前に大フィル事務局次長の福山修氏に確認したところ、「実はモダン(アプローチ)なんです」と教えられる。現在ではモダン楽器によるピリオド・アプローチによる演奏が大流行で、どれもこれもピリオド・アプローチという状態だが、久しぶりにピリオドを前面に出さない「英雄」を聴くことになった。実はもっと聞きたいことがあったのだが、それは実演に接してからのお楽しみとして敢えて聞かないでおく。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。前半のバカロフはドイツ式の現代配置。後半のベートーヴェンはヴァイオリン両翼配置だが、ドイツ式の現代配置の第2ヴァイオリンとヴィオラを入れ替えた独特の配置。またコントラバスは「ミサ・タンゴ」で合唱が使ったひな壇を利用して上手最後列に計8台、前列に2台、後列に6台という形で登る。


バカロフの「ミサ・タンゴ」。スペイン語による歌唱である。ということで、スペイン人メゾ・ソプラノのサンドラ・フェランデスと、アメリカ生まれだがベネズエラ系でカラカス音楽院で学んでいるバリトンのガスパール・コロンというスペイン語ネイティブの歌手二人が独唱者として招かれている。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。この曲の特徴としてパイプオルガンの代わりにバンドネオンが加わるのだが、日本を代表するバンドネオン奏者である三浦一馬が参加する。

ステージ後方上部に横長のスクリーンが下がり、日本語字幕が投影される。スペイン語では、「主よ」は普通の人に話しかけるのと同じ「セニョール」になるようだ。また「栄」「光」と「栄光」を二文字に分けて一字ずつ交代で立て続けて投影された後、ラストで「栄光」の二文字になるなど字幕にも外連が見られる。

井上はこの曲はノンタクトでの指揮。

「キリエ」「グローリア」「クレド」「サンクトゥス」「アニュス・デイ」の5曲からなる演奏時間35分ほどの作品。最初のうちは歌詞がラテン語でなくスペイン語だという以外は普通の宗教音楽のようだったが、その後、ラテン色が急激に濃くなり、明るい音と旋律による音楽が展開する。その後またシリアスに戻るが、今度はコンガ、ギロ、スネアドラム、大太鼓などが打ち鳴らされ、タンゴというよりサルサに近いノリノリの音楽となる。その後、いかにもタンゴ的なリズムの部分を経て、バンドネオンとチェロソロによる哀切な掛け合いがあり、ラストの「アニュス・デイ」では再び敬虔なムードに帰って終わる。

サンドラ・フェランデスとガスパール・コロンの二人の独唱者はまあまあの出来だったが(特に目立った独唱曲がないということもあるが)、大阪フィルハーモニー合唱団はかなり健闘したと思う。もっとも、発音については私はスペイン語を学んだことがないのでどのレベルにあるのかはわからない。

三浦一馬のバンドネオンは高度な技巧とシリアスな音色を合わせ持ち、聴き応えがあった。


ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。井上は譜面台に総譜を置いたが、結局ページを開くことはなかった。暗譜による指揮である。
モダン・アプローチとはいえピリオドの影響皆無というわけではなく、ピリオド・アプローチが盛んなる前のモダンスタイル比べるとビブラートもやや少なめであるし、第1楽章などはテンポも速い(テンポに関してはピリオドの影響とは一概にいえないところがある)。ただボウイングはピリオドのそれとは異なる。フェスティバルホールの音響もあってか、明るめの音色による演奏であり、楽器も抜けの良い音を出している。
井上は金管の内声部を表に出したり、チェロの音を浮かぶ上がらせたりと自在な指揮。盛り上げ方も上手い。
そしてクライマックス。トランペットが旋律を……最後まで……吹き切った。実はベートーヴェンの時代にはトランペットは今ほど発達しておらず、クライマックスのトランペットでは高音が出ないという理由で、途中で主旋律担当が木管楽器に変更になるのである。ところが木管楽器はトランペットに比べると音が弱いので他の楽器の演奏に埋もれてしまい、主題が行方不明になることで有名である。1990年代までは、「ベートーヴェンもトランペットが当時もっと発達していたら当然最後までトランペットに吹かせただろう」という理由で、編曲して演奏するのが主流だったのだが、その後、「ベートーヴェンが書いた通りにやろう」ということで、主題行方不明を採用する演奏が増えた。木管がベルアップして吹いて主旋律が聞こえるよう工夫した演奏もある。
だが、やはりトランペットが最後まで旋律を吹いた方がずっと興奮度が高い。実は「トランペットを最後まで吹かせるのか」というのが福山さんに本当は聞きたかったことなのである。第500回定期演奏会というハレの場にふさわしい演出である。流石、井上ミッキー!

第2楽章はテンポを落としてじっくりとした演奏に変わる。第2楽章でのクライマックスでもそれほど熱くならない格調の高い演奏である。
ベートーヴェンの「運命動機」というと交響曲第5番で初登場と思われがちだが、「英雄」でも「ジャジャジャジャン」の音は全編を通して用いられている。井上の作る「英雄」は運命動機の把握がしやすい。

第3楽章はトリオのトリオホルン(駄洒落ではない)が有名なのだが、かつての大フィルはホルンに弱点があった。だが、メンバーが入れ替わるなどして腕は上がり、今日も1カ所だけ軽いミスがあったが、その他は輝かしい吹奏を聴かせる。

第4楽章も美しく、パワフルな演奏。井上は第1ヴァイオリンへの指示から素早く第2ヴァイオリンへの指示に切り替えたり、音型通りに指揮棒を左右に激しく振ったりと外連味もたっぷりな指揮。楽しい「英雄」となった。ヒロイズムも十分だ。


演奏終了後、井上は、「500回続けるのは大変なことです」と客席に語り、「明日は満席だそうです。フェスティバルホール万歳! 大フィルありがとう! みなさん、おやすみなさい!」で締めた。

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2016年7月 6日 (水)

コンサートの記(246) 山田和樹指揮 バーミンガム市交響楽団来日公演2016大阪

2016年6月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団の来日演奏会を聴く。

イギリスのEU離脱の中で行われる来日公演。時期がたまたま重なってしまった。

バーミンガム市交響楽団(City of Birmingham Symphony Orchestra。略称はCBSO)の来日演奏会を聴くのは通算で3度目。最初は1990年代後半に、東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で、サー・サイモン・ラトル指揮の演奏会を聴いた。ラトルはすでにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督への就任が決まっていたはずだが、前半に現代音楽が並んだということもあり、当日のタケミツホールは半分も入っていないというガラガラ状態。聴衆の現代音楽アレルギーを目の当たりにした格好だった。後半のベートーヴェン交響曲第5番の演奏は刺激的でとても面白かったが、それが「ピリオド・アプローチ」なるものによって演奏されたものだと知るのは少し経ってからのことである。

2度目は、2002年、京都コンサートホールにおいて。私が京都コンサートに初めて足を踏み入れたのがバーミンガム市交響楽団の来日演奏会だったのだ。指揮者は当時、CBSOの音楽監督を務めていたサカリ・オラモ。メインで演奏されたシベリウスの交響曲第2番が清心な出来映えであった。

ただ、前回聴いたのが2002年ということで、実に14年ぶりのバーミンガム市交響楽団体験となる。メンバーも大幅に変わったはずで、ファゴットの女性奏者はクラシックではまだ珍しい黒人である。

曲目は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:河村尚子)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

日本人若手指揮者界のトップランナーともいうべき山田和樹は、1979年生まれ。東京芸術大学在学中にオーケストラ(トマト・フィルハーモニー管弦楽団。現:横浜シンフォニエッタ)を立ち上げ、2009年には第51回ブザンソン国際コンクールで優勝という経歴から、「リアル千秋真一」と呼ばれたこともある。今年の秋からは先日来日もしたモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任することが決定している。その他に、スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団とオーケストラ・アンサンブル金沢のミュージックパートナー、横浜シンフォニエッタの音楽監督など多くのポストを牽引している。現在はベルリン在住。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。今日のメインはベートーヴェンの交響曲第7番だが、その初演を聴いて、「ベートーヴェンもついに気が狂ったか」と日記に記しているのが他ならぬウェーバーである。

アメリカ式現代配置での演奏。バーミンガム市交響楽団はラトルの時代から仄暗い響きを特徴としていたが、それは今も守られているようである。
弦はビブラートを抑えたピリオド奏法だが、盛り上がりを見せるようになるとビブラートを盛大に掛けるため折衷様式の演奏である。ティンパニが堅めの音出しているのが古楽風だ。
山田のオーケストラ統率力は極めて高い。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。フェスティバルホールはステージが広いので、予めオーケストラを奥寄りに配置し、ピアノを下手奥から正面へと移動させることで、楽団員が退場しなくても場面転換が可能になっている。

真っ赤なドレスで登場した河村尚子(かわむら・ひさこ)。今、最も注目に値するピアニストの一人である。1981年、兵庫県西宮市生まれ、5歳の時の一家で渡独。ドイツで普通教育と音楽教育を受け、現在もドイツ在住である。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、超絶技巧が必要なことで知られており、「弾き終わったら気が狂う」といわれるほど難しい。そのため、技巧を見せびらかすためにバリバリと弾くピアニストも多いのだが、河村尚子のスタートは慎重である。何かを探しながらためらいつつ進むという趣。技巧よりもラフマニノフの内面に光を当てたピアノである。
河村の特長であるヒンヤリとした音色を持つエッジの効いたピアノはラフマニノフにピッタリである。山田が指揮するバーミンガム市響も立体的な伴奏を奏でる。山田はスケールの的確さというものを理解しており、徒にスケールを拡げすぎることがない。

第2楽章を煌めきと不安とで彩った河村。その河村が第3楽章に入ると技巧を前面に出して、熱烈な凱歌を奏でる。ベートーヴェン的解釈と読んで良いのかはわからないが、第1楽章や第2楽章での憂鬱が圧倒的な音の波に呑み込まれていく。ラフマニノフの勝利を河村は鍵盤に刻みつける。決して、情熱をまき散らす様な演奏ではなく、今この時に刻印する。ただの「お祭り」に陥らない音楽を河村は創造する。本当に優れたピアニストだ。

山田指揮するバーミンガム市交響楽団の迫力も虚仮威しでなく、良かった。

河村のアンコール曲は、ラフマニノフの前奏曲変ト長調作品23の10。
音楽が底から沸き上がってくるような、不思議な曲であり、演奏であった。

ベートーヴェンの交響曲第7番。山田は以前、大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮して同曲を演奏している。
アメリカ式の現代配置ではあるが、ティンパニは指揮者の正面でははく、上手奥に位置する。しかも古楽用のバロックティンパニでの演奏である。

ということで、このベートーヴェンでは徹底したピリオド・アプローチによる演奏が展開された。弦楽器がビブラートを用いることはほとんどない。ホルンはモダン楽器を使用していたが、トランペットは通常のものとはやや違うように見えた。ピストンが着いているようには見えないのである。ナチュラルトランペットにも見えないが、過渡期的な楽器を使ったのだろうか。

ピリオドによって様式は異なるが、演奏の出来不出来に影響はしない。山田の楽曲構造把握は抜群で、マスとしてのスケールをきちんと把握して演奏している。そのため、決して大言壮語のベートーヴェンにはならない。

ベーレンライター版の楽譜を用いてるため、通常とは異なるところがいくつかあったが、特に気にする必要はないだろう。第3楽章のティンパニとトランペットの強奏は意図が余り伝わってこなかったが。

第1楽章と第2楽章で一つの音楽、第3楽章と第4楽章でもう一つの音楽という昨今流行のスタイルでの演奏。
少し軽い気もしたが、爽快な演奏ではある。第3楽章と第4楽章ではジャンプも飛び出すなど、指揮姿も躍動感に溢れていた山田。金管の強奏、ティンパニの強打も効果的で迫力ある第7を生み出した。ただノリが良すぎてベートーヴェン的要素が後退してしまったのはマイナスかも知れない。

アンコール。まず山田のスピーチ。「イギリスではシェイクスピア没後400年ということで、コンサートでシェイクスピアにまつわる様々な楽曲が毎回のように演奏されています。それではウォルトンという作曲家による『ヘンリー五世』より“彼女の唇に触れて別れなん”」。山田がオーケストラの方に向き直って演奏スタート。弦楽合奏のための曲である。映画音楽だそうだが、気高い曲調で、演奏もエレガントであった。

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2016年5月12日 (木)

コンサートの記(239) 「ローム ミュージック フェスティバル2016」より『VIVA!カーニバル!』&『豪華コンチェルトの饗宴』

2016年4月24日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホール&メインホールにて

左京区岡崎のロームシアター京都で行われている「ローム ミュージック フェスティバル2016」のコンサート2つを聴く。

「ローム ミュージック フェスティバル」は今年始まったばかりであるが、メインホールとサウスホールの2つがあるロームシアター京都の他に、中庭になっているローム・スクエアも用いた音楽祭典である。
23日と24日の両日、正午過ぎから、ロームシアター京都のサウスホールとメインホールで行われるリレーコンサートと、その合間の時間にローム・スクエアで行われる大学や高校の音楽団体(今年は、龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部、京都府立洛西高校吹奏楽部、同志社グリークラブ、京都市立樫原中学校吹奏楽部、京都両洋高校吹奏楽部、立命館大学混声合唱団メディックスが参加)の演奏が二本柱となる。


2日目となる今日は、まず午後1時からサウスホールで室内楽とピアノの演奏会があり、注目のヴァイオリニストである小林美樹と売り出し中のピアニストである小林愛実(こばやし・あいみ。血縁関係はないようである)が出演するのだが、昨日舞台を観て、今日コンサートを3本は流石にきついので、この公演は遠慮して、午後3時30分からサウスホールで行われる「VIVA!カーニバル!」というタイトルの室内楽公演から聴くことにする。

曲目は、フォーレの組曲「ドリー」(ピアノ・デュオ:菊地裕介&佐藤卓史)、モーツァルトのフルート四重奏曲第1番より第1楽章(フルート:難波薫、ヴァイオリン:石橋幸子、ヴィオラ:赤坂智子、チェロ:中木健二)、モーツァルトのクラリネット五重奏曲より第1楽章(クラリネット:金子平、ヴァイオリン:石橋幸子&瀧村依里、ヴィオラ:赤坂智子、チェロ:中木健二)、サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」(ピアノ:佐藤卓史&菊地裕介、フルート:難波薫、クラリネット:金子平、パーカッション:池上英樹、ヴァイオリン:石橋幸子&瀧村依里、ヴィオラ:赤坂智子、チェロ:中木健二、コントラバス:佐野央子)。

美人フルーティストとして有名な難波薫(なんば・かおる。日本フィルハーモニー交響楽団フルート奏者)や、名門チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団に在籍する石橋幸子、読売日本交響楽団首席クラリネット奏者である金子平が参加しており、メンバーはかなり豪華である。


フォーレの愛らしいピアノ・デュオ作品。女性の譜めくり人を付けての演奏である。東京音楽大学の専任講師でもある菊地裕介と、伴奏ピアニストとしても定評のある佐藤卓史(さとう・たかし)の共演。佐藤が第2奏者とペダリングを受け持つ。二人とも洒落た感覚の持ち主だが、佐藤はリズム感に長け、菊地はタッチが冴えている。


モーツァルトのフルート四重奏曲第1番より第1楽章。変なCDでデビューした難波薫であるが、勿論今日は正統派のフルートを聴かせる。音符が天に向かって昇っていく様が見えるほど軽やかなフルートだ。


モーツァルトのクラリネット五重奏曲第1番より第1楽章。金子平のクラリネットは音色が若干重く感じられたが、技術は達者。他の演奏家の技量も高い。


サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」。アンナ・パヴロワのバレエでも知られる「白鳥」が飛び抜けて有名だが、実際は「動物の謝肉祭」は冗談音楽である。様々な動物が出てくるのだが中に「ピアニスト」が混じっていたり(ピアノのスケールを弾くのがわざと下手に弾くよう指示されており、下手に弾けば弾くほど良いとされる)、「カメ」がオッフェンバックの「天国と地獄」より“カンカン”を超スローテンポで弾いただけのものだったり(著作権の厳しくなった今では考えられない曲である)、「ゾウ」もベルリオーズの音楽のパロディだったりする(ゾウのコントラバス独奏を務めた佐野央子(さの・なかこ)の音が乾き気味だったのが気になった)。
「白鳥」の他で有名なナンバーとしては「水族館」が挙げられる。美しくも神秘的な作風で、テレビCMなどにも良く用いられる。ちなみに「郭公」も登場するのだが、郭公の鳴き声を担当するクラリネットの金子平は「水族館」が始まる前に舞台上手袖にはけ、袖から郭公の鳴き声を吹いて、「ピアニスト」の前にステージに戻ってきた。
「白鳥」を奏でたチェロの中木健二。有名ソリストが手掛けた演奏や録音に比べると分が悪いが、それでも十分に美しいチェロ独奏を聴かせた。


今日は最前列での鑑賞となったため、ロームシアター京都サウスホールの音響の良し悪しについては明言出来ない。ただ、素直な音のするホールであることはわかった。



午後5時30分から、ロームシアター京都メインホールで、「豪華コンチェルトの饗宴」というコンサートを聴く。阪哲朗指揮京都市交響楽団の演奏。曲目は、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲、ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲(トリプル・コンチェルト。ヴァイオリン独奏:神谷未穂、チェロ独奏:古川展生、ピアノ独奏:萩原麻未)、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)

日本人女性ヴァイオリニストとしては別格級の一人である神尾真由子、売り出し中の新進ピアニスト・萩原麻未が出演する注目のコンサートである。
ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。オーボエ首席奏者の髙山郁子、トランペット首席のハラルド・ナエスは前後半共に出演。フルートは次席奏者の中川佳子が吹く。


京都出身の指揮者である阪哲朗。京都市立芸術大学作曲専修卒業後、ウィーン国立音楽大学で指揮を学ぶ。1995年に第44回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して注目を浴びるが、その後、活動の拠点をドイツに置いており、日本のオーケストラから声が掛からないということもあって、今のところ竜頭蛇尾気味の指揮者である。
以前、大阪シンフォニカー交響楽団(現:大阪交響楽団)のニューイヤーオーケストラを聴いたことがあるが、音楽の線の細さが気になった。


ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1楽章への前奏曲。
ロームシアター京都メインホールでオーケストラの音を聴くのは初めてだが、評価の難しい響きである。京都会館第1ホールとは比べものに鳴らないほど良く、ヴァイオリンは始めとする弦楽器の音は美しく聞こえるが、マスとしての響きはモヤモヤとして今一つ手応えがない。内観も含めて同じ永田音響設計が手掛けた兵庫県立芸術文化センター大ホールに似たところがあるかも知れない。コンクリートがしっかり固まりホールの音が引き締まるまで5年程度は掛かるという話もあるので、メインホールの響きもこれから良くなっていく可能性もある。また、コンチェルトでは特に響きに不満はなく、残響も2秒近くあった。
歌劇場を主な仕事場としてる阪。オペラは得意中の得意のはずであるが、重厚スタイルで行きたいのかスマートに響かせたいのか、聴いていてどっちつかずの状態になっているのは気になった。もっと京響を盛大に鳴らしても良いと思うのだが。


ベートーヴェンの、ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲。昨年、ミッシャ・マイスキー親子のトリオで聴いたばかりの曲である。

迷彩柄風の衣装で登場したヴァイオリンの神谷未穂は、桐朋学園大学を卒業後、ハノーファー国立音楽演劇大学に留学して首席で卒業。その後、パリ国立高等音楽院の最高課程を修了。現在は、仙台フィルハーモニー管弦楽団と横浜シンフォニエッタのコンサートミストレス、そして私の出身である千葉市に本拠を置くニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(今後、千葉交響楽団に改名する予定がある)の特任コンサートミストレスも務めている。

今や日本を代表するチェリストとなった古川展生。東京都交響楽団の首席チェロ奏者でもある。京都生まれであり、2013年には京都府文科賞も受賞している。ちょっと中年太り気味であろうか。黒の衣装で登場。

藤岡幸夫や飯森範親という、関西に拠点を置く指揮者が絶賛するピアニストの萩原麻未。「題名のない音楽会」にも何度か出演している。今日は水色のドレスで登場。広島県出身。広島音楽高校を卒業後、パリ国立高等音楽院に留学。修士課程を首席で修了し、その後はザルツブルクのモーツァルティウム音楽大学でも学んだ。


さて、名手3人によるトリプルコンチェルトであるが、やはり萩原麻未は上手い。というより、マイスキーの娘であったリリー・マイスキーがいかに下手であったかがわかった。
萩原のピアノはエッジが立っており、涼やかな音色を基調としているが音色の変化も自在。場面によっては鍵盤上に虹が架かったかのような印象を受ける。

古川のチェロは貫禄があり、難しいパッセージも難なく弾きこなす。

神谷の艶のあるヴァイオリンも聞き物だ。

阪哲朗指揮の京都市交響楽団はビブラートを徹底して抑えたピリオドアプローチでの演奏。タイトだが堂々とした響きが生まれていた。
神尾真由子をソリストに迎えた、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。

紫紺のドレスで登場した神尾は圧倒的なヴァイオリンを披露する。

神尾というとしっとりとした音色が特徴だが、今日はハスキーな音も出す。特筆は弱音の美しさで、これほど美しい弱音を出せるヴァイオリニストはなかなかいない。

情熱的な演奏であったが一本調子にはならず、足し引きと駆け引きの上手い演奏。阪の指揮する京響も神尾に負けじと個性溢れる伴奏を披露。

神尾、阪、京響3者丁々発止の熱演となり、終演後、客席は多いに沸いた。

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2016年4月15日 (金)

コンサートの記(237) 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015(年度) ~こどものためのオーケストラ入門~ 「オーケストラ大発見!」第4回「天才はどっち?モーツァルトVSベートーヴェン」

2016年3月27日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015(年度) ~こどものためのオーケストラ入門~ 「オーケストラ大発見!」第4回「天才はどっち?モーツァルトVSベートーヴェン」を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

こどものためのオーケストラ入門とあるが、曲目は本格的。親子で楽しめるプログラムとなっている(基本的には親の方が楽しめると思うが)。

曲目は、前半がオール・モーツァルトで、歌劇「フィガロの結婚」序曲、歌劇「魔笛」から「夜の女王のアリア(復讐の心は炎と燃え)」(ソプラノ独唱:安井陽子)、歌劇「ドン・ジョバンニ」から「恋人をなぐさめて」(テノール独唱:錦織健)、ピアノ・ソナタ第11番から第3楽章「トルコ行進曲」(ピアノ独奏:佐竹裕介)、交響曲第41番「ジュピター」より第1楽章。
後半がベートーヴェンの「エリーゼのために」(宮川彬良編曲。ピアノ独奏:佐竹裕介)と交響曲第9番「合唱付き」より第4楽章(ソプラノ独唱:安井陽子、メゾソプラノ独唱:福原寿美枝、テノール独唱:錦織健、バリトン独唱:三原剛。合唱:京響コーラス)。


開演前にロビーコンサートがあり、渡邊穣(ヴァイオリン)、田村安祐美(ヴァイオリン)、小峰航一(ヴィオラ)、佐藤禎(さとう・ただし。チェロ)、清水信貴(フルート)、鈴木祐子(クラリネット)、松村衣里(まつむら・えり。ハープ)の七重奏により、ラヴェルの「序奏とアレグロ」が演奏される。エスプリ・クルトワの結晶のような音楽であり、京響の奏者達も雅やかな演奏を繰り広げた。
演奏終了後、清水信貴が京響で演奏するのは今日が最後ということで、松村衣里から清水に花束が渡される。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席奏者の清水信貴、オーボエ首席の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子は今日は全編に渡って出演(「ジュピター」などはそもそもクラリネットのパートがないためクラリネット奏者の出演もなかったが)。トランペット首席のハラルド・ナエスは後半のみの出演。前半は首席の位置に早坂宏明が入り、後半は早坂に代わって稲垣路子が出演した。

ドイツ式の現代配置による演奏。


まずはモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲。この曲ではピリオドは余り意識しない演奏。伸びやかで勢いのあるモーツァルトである。

演奏を終えて、ナビゲーターであるガレッジセールの二人が呼ばれる。ゴリは「広上さん、進行上手いから俺らいらないんじゃないか」と言う。広上は「フィガロの結婚」について、「3時間以上掛かるオペラの序曲です。例えると前菜。突き出し、それからえーと、お通しのような」と語るが、ゴリに「そこまで説明しなくていいです」と言われる。
広上は、「オペラの本番ではオーケストラピットというものがありまして、わかりやすく言うとモグラ。我々は、下に入っちゃう」と語る。「じゃあ昔は歌手が主役だったんですね」とガレッジセールの二人は語るが、広上は「ねえ、ゴリちゃん、川ちゃん、カラオケ好き?」と聞き、ゴリが「大好きです」と応えると、広上は「私も大好きで、昨日も歌ってきました」と言う。ゴリが「何を歌うんですか?」と聞くと、広上は「演歌」、ゴリ「演歌?」、広上「そう、『長崎は今日も雨だった』、『そして神戸』、『街の明かり』。ねえ、今度、是非一緒に」と言って、ゴリに「広上さん、そういう話は楽屋でしましょうよ」と突っ込まれる。これからオペラのアリアが続くので、歌の話になったのである。
その後、安井陽子と錦織健が呼ばれるが、ゴリは「安井さんに歌って頂くのがテレサ・テンの『つぐない』」とボケる。ゴリは「(安井の)髪型がテレサ・テンぽかったので」と言い訳する。
安井陽子は夜の女王アリアに出てくるコロラトゥーラに説明し、ドレミファソラシドドシラソファミレドの音階でコロラトゥーラをやって見せる。
錦織健が歌う曲についてもゴリは「吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』」とボケる。錦織はドン・ジョバンニについて、「色男。最近、プレーボーイが話題になっていますがその先駆けのような存在と語り」、「乙武さんじゃ敵わない」と言う。川田が「狩野英孝は?」と聞くが、「全然敵わない。2000人ですから」と応える。「女とみれば誰でも」と錦織は言うが、広上は「お婆さんだろうが、若い女性だろうが、金持ちだろうが貧しかろうが差別しない」というドン・ジョバンニのあり方を「女性全般への愛」の象徴でもあると評価した。「恋人をなぐさめて」はロングブレスであり、一つ一つの旋律が長いので息継ぎが難しいそうである。
錦織は声域によって役が違うと言い、「ソプラノはお姫様。アルトはおばはん(ゴリが「急に口が悪くなりましたね」と突っ込む)。テノールが僕を見てもわかる通り王子様。バリトンが悪役」と語る。

安井の独唱による歌劇「魔笛」より「夜の女王のアリア」と、錦織健による歌劇「ドン・ジョバンニ」より「恋人をなぐさめて」。
広上指揮の京響は一転して、はっきりとピリオドとわかる演奏を展開。弦楽はビブラートを抑え、ボウイングも旋律の歌わせ方もモダンスタイルとは異なる。
安井の歌声は華にはやや欠けるが堅実。錦織もちょっと怪しいところがあったが全般的には優れた歌声を聴かせる。

安井も錦織もスリムな体型であるため、ガレッジセールの二人が袖で錦織に、「昔のオペラ歌手は太っているイメージでしたけどなんででしょうね?」と聞いたところ、錦織は「単に食欲に負けただけ」と答えたそうである。広上は、「以前は音が体中に共鳴するので、体が大きい方が良いといわれていましたが、実際は余り関係なかったようです」と述べる。


モーツァルトというと、「音が空から降りてきて、自分は書くだけ」というイメージが知られているが、広上によるとかなり勉強した作曲家だそうである。


今度は佐竹裕介のピアノ独奏で、ピアノ・ソナタ第11番より第3楽章「トルコ行進曲」。広上は「昔はサロンコンサートといいまして、サロンでの演奏を近くで見ていましたので、そのつもりで」ということで、広上とガレッジセールの二人は上手に並べられた椅子に腰掛けて佐竹の演奏を聴く。
佐竹は比較的ゆっくりとしたテンポを採用。左手を強調する。前半にミスタッチがあったが、後半はルバートを用い、音を足した演奏を行った。
演奏終了後、ガレッジセールの二人が佐竹に「みんなの見ている中で一人で演奏して緊張しないんですか?」と聞くと、佐竹は「滅茶苦茶緊張します」と答える。
広上が音を足したことについて聴くと、「いつも同じ演奏をしていると飽きるので」と佐竹。ちなみはガレッジセールの二人は「トルコ行進曲」についてよく知らなかったため、音を足して演奏したことに気づかなかったそうである。


交響曲第41番「ジュピター」第1楽章。広上はゴリに「交響曲というと、どんなイメージを持ちますか?」と聞く。ゴリは「(ステージ)いっぱい(の大人数)で演奏するようなイメージです」と答える。広上は「オーケストラピットで演奏していたオーケストラを舞台に上げて演奏させるために書かれたのが交響曲」と語り、ゴリは「あー、俺たちやっと明るいところで演奏出来るよ、と思ったでしょうね」と話す。
広上によると、モーツァルトは最初は交響曲に余り興味を持たなかったそうであるが、晩年、といっても本人は若くして亡くなるとは思っていなかったわけだが、依頼もないのに交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」を書いた。その頃、父親であるレオポルト・モーツァルトに、「お父さん、僕はこれからは交響曲作曲家として生きていきます」という手紙を送っていたそうである。

「ジュピター」は広上の得意曲目。日本フィルハーモニー交響曲を指揮したライブ録音もCDで出ている(録音は余り良くないが)。「光輝満つ」といった堂々とした部分も見事だが、密かに込められた影の表出も巧みである。


後半はベートーヴェンの2曲。
宮川彬良編曲による「エリーゼのために」。ピアノとオーケストラのための編曲である。まず幻想的な序奏があり、そのスタイルを保ちつつ続くが、途中で曲調がスペイン風になり、タンバリンやカスタネットなども鳴る。そしてラストはグリーグのピアノ協奏曲イ短調を模した編曲で彩られる。ワールドワイドな編曲である。


交響曲第9番「合唱付き」より第4楽章。京響コーラスが並ぶ間に広上とガレッジセールがトークを行う。
ゴリが「耳が聞こえなくても作曲出来るものなんですか?」と聞くと、広上は「普通は無理」と答える。ゴリは「そうですよね。佐村河内さんも結局、聞こえてましたもんね」と言う。広上は「今、言おうと思ってたのに」と言い、「私は彼のドキュメンタリーを見て号泣してしまった口なので」と続けた。ベートーヴェンの耳が聞こえなくなった理由について広上は、「ベートーヴェンのお父さんは大変優れたテノール歌手だったのですが、上がり症だったため演奏会がいつも上手くいかず、息子に八つ当たりで暴力を振るった。あるいはベートーヴェンは酒好きだったのですが、当時の酒が良くなかったのではないかと言われています。ただ本当の理由はわかっていません」とした。
広上によると、ベートーヴェンは沢山のスケッチを重ねて作曲したそうだが、モーツァルトも実はそうだったという。ただ、ベートーヴェンは部屋の掃除が嫌いで、スケッチをそこら中に放り投げておいたため、弟子などがそれを拾ってスケッチが残ったが、モーツァルトの場合はスケッチを破り捨てたり燃やしてしまったそうで、これまで発見がされなかったため、天才伝説が生まれたのであるが、最近になって妻であったコンスタンツェが「後世、何かあった時ために」と密かに手元に留めておいたモーツァルトの作曲のスケッチが60ほど見つかったという。
というわけで、天才であっても努力したし勉強したのだということになり、モーツァルトがいなかったらベートーヴェンはいなかった、ベートーヴェンがいなかったら後世の作曲家が出てこなかった可能性もあると結論づけ、どちらが優れているという考えはナンセンスとした。
ゴリが、「モーツァルトがテストの前に『昨日、全然勉強していない』」という子で、ベートーヴェンが「バリバリにやったという子」と例えると、広上は、「CMでもあるでしょ。クララが『全然勉強してない』と言って、ハイジが『絶対勉強してるな』と言う」と真似を入れて語り、ゴリに、「広上さん、クララとハイジの物真似も出来るんですね!」と感心されていた。

第九についてであるが、広上は「ベートーヴェンは破壊と創造の作曲家」とし、「まず合唱を交響曲に入れ、独唱も入れた。第3楽章はメヌエットという舞曲が普通だったが、ベートーヴェンはスケルツォという速い音楽に置き換えた。またベートーヴェンは民主社会主義者で、封建的貴族主義にNOを突きつけるためにシラーの詩を用いた」と例を挙げて述べる。ちなみに広上は「『老若男女』の平等をですね、私は最初これを『ろうじゃくだんじょ』と読んでしまっていたわけですが、願ってですね」と相変わらずのボケッぶりである。

第九を得意としている広上。今日の演奏もスケール豊かなものになった。両手だけでなく首を使った指揮が個性的である。この演奏は、ガレッジセールの二人もステージを降りて客席で聴いた。


合唱と独唱者4人がいるということで、アンコールはモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。清明な演奏であった。

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2016年1月16日 (土)

コンサートの記(225) 飯森範親指揮 山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2015大阪公演

2015年6月26日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2015大阪公演を聴く。指揮は山形交響楽団音楽監督の飯森範親。

4年連続4回目となる山形交響楽団のさくらんぼコンサート大阪公演。最初の2回はザ・シンフォニーホールで行われたが、前回からは会場をいずみホールに移している。

曲目は、モーツァルトの交響曲第1番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:上原彩子)、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」

開演15分ほど前から、山形交響楽協会専務理事・事務局長の西濱秀樹、指揮者の飯森範親、トランペット奏者の井上直樹、ホルン奏者の八木健史によるプレトークがある。

西濱秀樹は、今年の3月までは関西フィルハーモニーの事務局長であり、関西フィルのプレトークでユーモアたっぷりの話術を披露していたが、4月からは山形交響楽団の母体である公益社団法山形交響楽協会に移籍した。今日も関西フィルの時と同様、ユーモアの効いた話を聞かせる。山形交響楽団の大阪公演のプレトークはこれまで飯森の司会でやっていたが、西濱の話が面白いので司会に登用されたようである。

山形交響楽団(山響)が行ってきた、モーツァルトの――番号のないものも含めて――交響曲全50曲演奏達成を記念してのモーツァルトプログラムによる演奏会。モーツァルトの交響曲は全曲レコ―ディンされており、CDとしてのリリース計画もあるようだが、いつリリースするかなど細かいことはまだ決まっていないらしい。

飯森と山響のモーツァルト演奏の特徴は全面的にピリオド奏法を取り入れていることで、弦はビブラートを極力排し、弦自体をガット弦に張り替える奏者もいる。管は、ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルンを採用。フルートも木製のものが用いられる。ティンパニはバロック・ティンパニと呼ばれる旧式のものを採用。

現在のトランペットはバルブが付いているが、ナチュラル・トランペットは押すものが何もなく、口だけで音程を変える。ナチュラル・ホルンもバルブがなく、口と右腕で音程を変化させる。ちなみに、ナチュラル・ホルンは管1本だけでは出せる音が限定されているため、欲しい音がその管にない場合はその音が出せる別の管に変えて演奏するのだという。

ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルンの紹介は昨年と同じであったが、ピストン付きの現代のトランペットはナチュラル・トランペットに比べて遥かに音が大きいため、そのままモーツァルトを演奏すると弦と管のバランスを破ってしまうので、モダン楽器のモーツァルト演奏では常に弱音で吹くよう指揮者に指示され、結果、トランペットの音がほとんど聴き取れないという状況が発生しているという。ナチュラル・トランペットの場合は思いっ切り吹いても音が弱いので全体の中で上手くバランスが取れ、モーツァルトの演奏でトランペットを良く聴き取るにはむしろナチュラル・トランペットでの演奏を選んだ方が良いそうである。
ちなみに今日、ナチュラル・トランペットを吹く井上直樹はスイスのバーゼルで本格的にナチュラル・トランペットの奏法を学んだことがあり、またそれほど年ではないが、ナチュラル・トランペットの日本における権威的存在であるという。

古典配置による演奏。今日のコンサートマスターは山響ソロコンサートマスターの髙橋和貴(たかはし・かずたか)、フォアシュピーラーは犬伏亜里(いぬぶし・あり)。第2ヴァイオリンの首席奏者は舘野泉の息子である日芬ハーフの舘野ヤンネである。

飯森範親はモーツァルトの交響曲は2曲とも譜面台を置かず暗譜で指揮する。

モーツァルトの交響曲第1番。モーツァルトが書いた最初の交響曲ということで、モーツァルトの初期交響曲の中ではずば抜けて演奏頻度の高い曲である。

モーツァルトがわずか8歳の時の作品であり、「子供の書いた曲だから」とチャーミングに演奏されることが多いが、飯森は「天才に年齢は関係ない」とばかりにスケールの大きな演奏を展開する。流石はモーツァルトの曲であり、子供の頃に書いた作品でありながら大人にこうした真っ向勝負の演奏で挑まれても曲の内容が負けたり未熟さが露見したりということはない。

山響の弦楽はガット弦の人もいるということで、明るく澄んだ音色を出す。ナチュラル・ホルンは苦戦気味だが、改良された現代のホルンですら「キークス(音外し)」の代名詞なので、慣れないナチュラル・ホルンを楽々操るということは困難だと思われる。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。ソリストの上原彩子は、1980年、香川県高松市生まれ、岐阜県各務原市育ちのピアニスト。3歳からピアノを始め、ヤマハの音楽教室に通う。1990年にヤマハマスタークラスに入会。その後もずっとヤマハのマスタークラスで学んでおり、音楽高校にも音楽大学にも行ったことがないという異色の経歴を持つ。
2002年に第12回チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門に日本人としてまた女性としても初の第1位を獲得する。だが、当時のチャイコフスキー国際コンクールにヤマハが大口のスポンサーとして付いていたため、「不正があったのでは」という声もあった。

上原のピアノは高貴さとスケールの雄大さを兼ね備えたものである。どちらかというと典雅に傾いた演奏であるが力強さにも欠けてはいない。
一方で、第1楽章のカデンツァでは音の濁りが少し気になる。私は今日はステージ下手上方の2階席で聴いており、私の位置からはペダルが見えなかったのだが、おそらくペダリングに問題があるのだと思われる。

飯森指揮の山響は力強い伴奏を聞かせる。上原との息もピタリと合っている。

上原はアンコールとして自身がピアノ編曲した、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」より“あし笛の踊り”を演奏。最近のソフトバンクのCMで使われている曲である。愛らしい演奏であった。

モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。モーツァルトは最初に書いた交響曲第1番の第2楽章に「ハー二ーヘーホ」で始まる主題を用いており、これが「ジュピター」交響曲の第4楽章で「ジュピター」主題として登場している。おそらくモーツァルトが子供の頃に好んだ音型を振り返って交響曲第41番を書いたのだと思われ、偶然同じ音型になったわけではないと思われる。ただモーツァルト本人も交響曲第41番が自身の最後の交響曲となり、最初と最後の交響曲が同じ主題によって繋がるとは想像していなかったであろうが。

飯森と山響による「ジュピター」はスケールが大きく、力強い。情熱的であり、モーツァルトではなくベートーヴェンの交響曲に挑むかのようなアプローチであるが、「モーツァルトらしさ」というものは固定されているものでなく、ただ何となく漠然と共有されているものなので、そこから少し外れていても構わないのである。
それにしても力強い演奏であり、こうした演奏を聴くと最高神「ジュピター」よりも最強神「ハーキュリーズ」の名前が浮かぶ(「ジュピター」というタイトルを付けたのはモーツァルトではない。誰が付けたのかはわかっていない)。

ピリオドの効果が最も良く出たのは第2楽章。弦楽器の深い音はモダン・アプローチでは出せないものである。

1階席で聴いていると残響を余り感じないいずみホールであるが、ステージ真横の2階席で聴いていると残響が長いのがわかる。反響板のないホールなので席が上にある方が残響が良く聞こえるのだ。しかし、京都コンサートホールにしろ、フェスティバルホールにしろ、いずみホールにしろ1階席の音響が今一つというのはいただけない。高い料金を払って音の悪い席を買う羽目になるのだから。

飯森の指揮は分かりやすく、山形交響楽団を存分にドライブする。

演奏終了後、喝采を浴びた飯森と山形交響楽団。飯森が「山形交響楽団の演奏会はアンコールを行わないんです。本番で全力を出すので疲れてフラフラになるので」と語りかけ、「是非、一度山形へ」というアピールも忘れなかった。

なお、入場者全員に、東根市のサクランボ「佐藤錦」が数個入りのパックでプレゼントされた。更に抽選で山形県産サクランボのプレゼントもあったが私は外れた。

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2015年12月28日 (月)

コンサートの記(219) 上岡敏之指揮 読売日本交響楽団第13回大阪定期演奏会「第九」公演

2015年12月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後5時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで読売日本交響楽団第13回大阪定期演奏会「第九」公演を聴く。指揮は上岡敏之。

大阪公演を重視し、年3回の大阪定期演奏会を行うようになった読売日本交響楽団。来年度の大阪定期の指揮者と曲目もすでに決まっている。


録音の世界ではすでに有名になっている上岡敏之。指揮者としてデビューした後で、ピアニストとしてもCDデビューしているという異色の存在である(ピアニストが指揮者になるという逆のパターンは良くある)。
1960年、神奈川県生まれ。県下随一の進学校である湘南高校に進学。一学年上に大野和士がいた(同じ1960年生まれだが、大野は早生まれ)。ただ、上岡の入学当時すでに大野は校内のヒーロー的存在であり、湘南高校内では勉強が出来る方ではなかった上岡は引け目を感じたという。一方で、大野の方は上岡のピアノの腕を高く買っていたようで、合唱を指揮する際のピアニストに上岡を指名していたという。湘南高校卒業後は先輩である大野と同じく東京芸術大学の指揮科に入学するが、芸大時代の教師からの評判は散々だったようで、芸大の大学院進学を目指すも不合格。教授に紹介されて帝国ホテルのフロントとして1年間働く。

帝国ホテル勤務時代も音楽家への夢を諦めたわけではなく、深夜勤務の時間帯などには紙の鍵盤でピアノの練習をしていたことが確認されている。

1年の社会人生活を経た後でドイツ留学のための試験に合格し、渡独。ここから上岡の快進撃が始まる。ハンブルク音楽大学入った上岡は学生有志を集めてオーケストラを結成。その他にも、ちょっとした休み時間があった場合は知り合いの学生を誘ってアンサンブルの指揮。ピアノでも高く評価され、芸大時代の劣等生が一躍ハンブルク音楽大学のヒーローになる。その後、ドイツ各地の歌劇場でコレペティトール(オペラの伴奏ピアニスト)を務め、キール歌劇場ではソロ・コレペティトールとなり、同時にオペラ指揮者としての活動も開始。エッセンやヴィースバーデンの歌劇場の指揮者として働いた他、北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に指名され、コンサート指揮者としてのキャリアもスタート。

2004年にヴッパータール歌劇場音楽監督およびヴッパータール交響楽団の首席指揮者となりヴッパータール市全体の音楽監督にもなる。この時代に上岡の名は日本でも知られるようになり、ヴッパータール交響楽団とはCD録音や来日演奏会を行っている。現在はザールランド州立歌劇場の音楽監督を務め、2016年9月からは新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任する予定である。

捲土重来の見本のような指揮者であるが、作り出す音楽はかなり個性が強く、賛否両論気味である。第九の演奏もヴッパータール交響楽団を指揮したものがライブ録音され、CDで出ているが、とにかくテンポの速い演奏で、音楽評論家や音楽ファンを戸惑わせている。全4楽章からなる第九を単一楽章の交響曲のように一気呵成に演奏している異色の演奏だ。


今日の読売日本交響楽団のコンサートミストレスは日下沙矢子(読売日本交響楽団にはコンサートマスターが日下も含めて4人いる)。合唱は新国立劇場合唱団。独唱者はイリーデ・マルティネス(ソプラノ)、清水華澄(アルト)、吉田浩之(テノール)、オラファ・シグルザルソン(バリトン)。


今日はステージ上手上方の2階席、RC席という、わかる人には「私らしい名前の席」と思われる席での鑑賞である。


読売日本交響楽団の月間無料パンフレットである「月刊オーケストラ12月号」に上岡敏之のインタビューが載っており(コンサートミストレスの日下沙矢子へのインタビューも載っている)、上岡はヴッパータール交響楽団と録音した第九について、「今ではあの解釈は良くなかったと思います」「全体的にはもう少しテンポを落とすでしょう」と書いているが、実際は今日も快速テンポの演奏であった。予定演奏時間は65分となっていたが、それより2~3分は短い。

ベーレンライター版の楽譜を使用(そのため第4楽章ではピッコロの大活躍が聴き取れる)。ドイツ式の現代配置での演奏だがピリオド・アプローチを採用。弦のビブラートは全般を通してみると、それほど抑えているというわけではなかったが、部分部分で徹底したノンビブラート奏法を用いることでメリハリを付けている。

冒頭から快速進行。「無調」といわれる部分が終わり、短調に変わる場面は余りドラマティックにしないが、全般を等して緊張感のある演奏である。音楽は「緊張」と「弛緩」からなっているのだが、上岡指揮の第九には「弛緩」する場所がない。そのため、一筆書きのような独特の第九を生む。弛緩する場面がないからといって一本調子かというとそんなことは全くない。
ピリオド・アプローチであるため弦は薄くなっているが、第1楽章では緊張に次ぐ緊張の連続であるため音楽が怒濤のように押し寄せ、聴く者を押し流さんばかりになる。

第2楽章は緻密なアンサンブルで森羅万象の鳴動を聴かせる。上岡の指揮(暗譜での指揮である)はビート幅は基本的に小さいが、ここぞというところで両腕を大きく使う。また上体の動きは機敏で、第1ヴァイオリンに指示していたかと思うとサッと180度回転してヴィオラを指揮する。この楽章ではヴィオラが突然それまでとは違う音色で鳴ったことに驚いた。他の弦楽器の音色は変えることがなかったのでヴィオラだけが浮かび上がる形になるが、一つの楽器だけ音色を変えるという発想がこちらにはなかったため、ハッとさせられる。
第2楽章のラストはピアノ(楽器ではなく音の強弱の方)で終わる。川瀬健太郎指揮大阪交響楽団の年末の第九演奏でもやはり第2楽章の締めを小さくしていたが、ベーレンライターにそうした指示があるのかも知れない(上岡と川瀬以外にピアノで終わった演奏は聴いたことがないが)。

第3楽章はノンビブラートの弦楽器が美しく鳴る。管楽器も好調で、テンポはかなり速めであったが、せわしない感じは受けない。また、第1楽章、第2楽章も含めて、反復記号を全て繰り返していたが、テンポが速いため、それでも繰り返しをカットしたモダンスタイルの演奏よりは楽章ごとの演奏時間は短い。「冗長」ともいわれる第3楽章であるが、上岡の指揮では「長い」とは少しも感じなかった。

第4楽章に入る前に独唱者や打楽器奏者、ピッコロ奏者がステージ上に現れるが、聴衆は上岡の意図を把握しており、拍手が起こることはなかった。

その第4楽章も快速テンポ。「歓喜の歌」のメロディーをチェロとコントラバスの低弦群が歌う前に間を開けるのが慣例であるが、上岡は間髪を入れずに歌わせる。逆にバリトンが歌い出すまでは間を置き、バリトンのシグルザルソンも慣れていないような仕草を見せていた。なお、西洋の歌手は第九を歌うことに慣れていないため、楽譜を手に歌うのが必要であるが、上岡のインタビューからリハーサルが徹底して行われたことが察せられ、また東京と横浜で数公演を行ってから大阪入りして今日が楽日ということもあってか、シグルザルソンもソプラノのマルティネスも暗唱であった。

テンポが速いことばかりを書いているが、インテンポではなく、緩急自在で即興的に聞こえるところがある。また強弱も自在だが、ちょっと神経質に思える箇所もあった。フェルマータを短くするのも特徴である。

新国立歌劇場合唱団も独唱者達も好調。読響の演奏も見事で、ラストの超快速テンポを見事に弾ききる。


インタビューで「僕が一番嫌いなのは、「定番」と言われるような演奏です」と答えている上岡。確かに感動させるような第九ではなく、聴く者を圧倒するような第九であり、これまで聴いてきた中で最も衝撃的な第九の演奏だった。深みがある演奏ではないかも知れないが、音の情報量が多く、濃密であり、鮮烈な印象を受ける。音楽は生き物であるということがヒシヒシと感じられた。第九に関しては、年末だけでなく、年がら年中CDで聴いており、よく分かっているつもりになっていたが、「つもり」に過ぎなかったことを思い知らされる。余りにもインパクトの強い演奏を聴いたため、終演後、梅田に向かって歩いている間は茫然自失の体であった。クラシックを聴いたのに未来の音楽に接したかのような不思議な気持ちで。

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