カテゴリー「ベートーヴェン」の82件の記事

2018年9月20日 (木)

コンサートの記(425) 広上淳一指揮 第4回・京都市ジュニアオーケストラコンサート

2009年2月1日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第4回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮・スーパーバイザー:広上淳一。
京都市ジュニアオーケストラは10歳から22歳までのメンバーによる若いオーケストラ(今回の出演者の最年少は13歳であった)。楽器が出来ることが入団の条件であり、音楽を専攻している若者だけではないとのことである。弦楽パートには京都市交響楽団の団員も加わっての演奏。

プログラムは、シャブリエの狂詩曲「スペイン」、グノーの「ファウスト」からのバレエ音楽、ベートーヴェンの交響曲第7番。

青少年のオーケストラということもあって、パワー不足は感じられたが、音は磨かれていて美しい。

狂詩曲「スペイン」では広上が普通は強調しないところを強調していたり、「ファウスト」からのバレエ音楽では指揮台狭しとばかりに動き回っていたり、例によって個性的な演奏を指揮姿で魅せる。狂詩曲「スペイン」では金管に肺活量の問題を感じたが、「ファウスト」からのバレエ音楽も含めて、弦楽パートはかなり充実している。音の厚みはないが、響きの美しさは相当なハイレベルである。

ベートーヴェンの交響曲第7番。リズムを重視して書かれたこの曲のリズムを広上は徹底して追求。普通の演奏なら流してしまうところも広上はじっくりと音を刻んでいく。京都市ジュニアオーケストラのメンバーが若いためか、音が明るく、溌剌としている。そのため、渋さには欠けるが、躍動感溢れる演奏になった。広上は楽譜に指定された反復を全て履行していたようで、長めの演奏になったが、聴き応えがあった。やはり広上のベートーヴェンは良い。


アンコールでは、京都市ジュニアオーケストラの合奏指導に当たった、京都市立芸術大学の秋山愛美さん(指揮科4回生)と、粟辻聡さん(指揮科2回生)が登場。広上と三人で、ブラームスのハンガリー舞曲第5番を演奏する。粟辻→秋山→広上の順に指揮台に上がる。
秋山さんの指揮は、実は3年前に京都市北文化会館の京都市立芸術大学の演奏会で接したことがある。その時と今と指揮姿はほとんど変わっていない。手先を動かしてオーケストラを整える感じ。まあ、そう簡単に進歩はしないわな。

広上の指揮になると、オーケストラの音の合間から突如として熱いものが噴き出すのがわかる。あれは一体何なのだろう。いつも不思議に思うのだが、指揮者の力というのは目に見えない部分の方が大きい。その力の正体は指揮者本人でもわからないようだ。色々な指揮者のインタビューを読んでもそう感じる。

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2018年9月 2日 (日)

コンサートの記(418) 下野竜也指揮 NHK交響楽団大津公演2018

2018年8月24日 びわ湖ホール大ホールにて

午後7時から、びわ湖ホール大ホールで、下野竜也指揮NHK交響楽団の大津公演を聴く。N響の近畿公演は全3回、明日は奈良市で、明後日は西宮市で公演を行う。

曲目は、ニコライ(Ⅱ世じゃないですよ)の歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:リーズ・ドゥ・ラ・サール)、ベートーヴェンの交響曲第5番。
「西郷どん」のメインテーマを演奏しているコンビだけに、ひょっとしたらアンコールで演奏されるのかなとも思ったが、それはなかった。

今日のコンサートマスターは、ウィーン・フィルのコンサートマスターとしてお馴染みだったライナー・キュッヒルが客演で入る。第2ヴァイオリン首席は大林修子、チェロ首席は大統領こと藤森亮一。それ以外の首席は私が学生定期会員だった頃にはまだいなかった人である。オーボエ首席が青山聖樹、フルート首席が甲斐雅之、トランペット首席が京都市交響楽団出身の菊本和昭。第1ヴァイオリンの横溝耕一は横溝正史の家系の方だろうか。私が学生定期会員だった頃にはまだ黒柳徹子の弟さんが在籍していた。
ステージマネージャーの徳永匡哉は、どうやら徳永二男の息子さんのようである。

オットー・ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房」序曲。「タタタタン」というリズムがモチーフになっており、それ故に選ばれたのかも知れない。下野は快活な音色をN響から引き出し、スケールの大きな演奏を展開する。たまに交通整理が行き届かない場面もあるが、総体的には優れた出来である。

リーズ・ドゥ・ラ・サールをソリストに迎えた、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。

フランスの若手であるリーズ・ドゥ・ラ・サール。以前、京都市交響楽団の定期演奏会で聴いたことがある。その時、CDも買っている。雨傘で有名な(?)シェルブールの生まれ。4歳でピアノを始め、11歳の時にパリ国立高等音楽院に入学。2004年にニューヨークのヤング・コンサートで優勝し、以後、世界各地で活躍している。
スペルからいってサールが苗字なのだが、サールという苗字のフランス人は冠詞のように前に必ずドゥ・ラが付く。世界で初めて教室での教育を行ったジャン=バティスト・ドゥ・ラ・サール(鹿児島のラ・サール学園の由来となった人)もそうである。下野が鹿児島出身だからというのでラ・サールという人がソリストに選ばれたわけでもないだろうが。

ドゥ・ラ・サールは冒頭のピアノ独奏をかなり遅いテンポで弾き始める。オーケストラが入ると中庸のテンポになるが、第2楽章ではまたテンポを緩めてじっくりと演奏する。
打鍵が強く、和音を確実にとらえるようなピアノである。
下野指揮のN響は渋い音での伴奏を聴かせる。濃厚なロマンティシズムの表出が光っている。

ドゥ・ラ・サールは、「メルシー、サンキュー、ありがとうございます」と3カ国語でお礼を言う。アンコール演奏は、ドビュッシーの24の前奏曲から第1曲「デルフィの舞姫たち」。色彩感豊かなピアノである。

ベートーヴェンの交響曲第5番。下野は指揮棒を振り下ろしてから止め、そこでオーケストラが運命動機を開始、フェルマータの音で下野は指揮棒を右に払う。これによってフェルマータを思い切り伸ばすという指揮法である。
ピリオド・アプローチを採用しており、弦楽はビブラートをかなり抑えていたが編成は大きいのでピリオド的には聞こえない。ただこれによって細部まで音が聞き取れるようになり、第4楽章では大いにプラスに作用する。
ベーレンライター版の楽譜を使用。ベーレンライター版は第4楽章が旧ブライトコプフ版とは大きく異なるが、掛け合いの場所の音型を、「タッター、ジャジャジャジャン、タッター、ジャジャジャジャン」ではなく、「タッター、タッター、タッター、タッター」と同音でのやり取りを採用し、ピッコロも大いに活躍。
この曲でも整理が上手くいっていない場面があったが、全体的には密度の濃い優れた演奏である。日本人指揮者の日本のオーケストラによるベートーヴェンとしては相当なハイクラスと見ていいだろう。

基本的にN響は日本人指揮者の場合はベートーヴェンがきちんと振れる人でないと評価しない。下野がN響から気に入られているのもベートーヴェンが良いからだろう。

アンコール演奏はベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」より行進曲。朗らかな演奏であった。



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2018年8月26日 (日)

コンサートの記(414) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団 Meet the Classic Vol.37@大阪工業大学梅田キャンパス 常翔ホール

2018年8月19日 大阪工業大学梅田キャンパス 常翔ホールにて

大阪へ。
午後2時から、竣工したばかりの大阪工業大学梅田キャンパス内にある常翔ホールで関西フィルハーモニー管弦楽団のMeet the Classic Vol.37に接する。指揮は関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者で、Meet the Classic公演を始めた藤岡幸夫。Meet the Classic公演は通常はいずみホールで行われるのだが、現在、いずみホールは改装工事中のため、常翔ホールで行われることになった。

大阪工業大学梅田キャンパスが出来たのは、阪急梅田駅の東側、以前は廃校になった梅田東小学校があったところである。向かいには大阪の「凌雲閣」跡の碑がある。
近年、学生を集めるための大学キャンパスの都心回帰傾向があり、京都でも同志社大学が教養部の置かれていた京田辺キャンパスを理系のみのものとし、文系は1年から4年まで京都御所の北にある今出川キャンパスに新校舎を建てるなどして集約している。
梅田地区にも各大学がサテライトを置くほか、宝塚大学が梅田に進出。大阪工業大学もロボット関係の学部を梅田の超高層キャンパスに移した
大阪工業大学梅田キャンパスは、地上21階地下2階のOIT(Osaka Institute of Technology)梅田ビルを丸ごとキャンパスとしたもの。東京の理系大学である工学院大学が西新宿に超高層ビル一棟のキャンパスを構えているが、丁度、そんな感じである。ビルキャンパスは受験生から敬遠されがちだが、都心にある場合は利便性が魅力であり、理系であればなおさら色々と便利だろう。

常翔ホールは、OITビルの3階にある。各椅子に上に引き出して手前に倒すタイプの簡易デスクが付いており、主に講演や集会場として使われるホールだと思われるが、すでに室内楽などのコンサートが行われている。客席は比較的急傾斜で作られており、椅子が一段上がるごとに階段が2つ付いている。各段は木目であるが、ぱっと見、段差がわかりにくく、転びそうになったり転んだりする人が何人かいる。

曲目は、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:小栗まち絵)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」

ステージはやや狭く、第1ヴァイオリン10型の編成でびっしりと埋まる。ティンパニは指揮者の正面に置くスペースがないということもあり、ステージ下手奥に配される。
今日のコンサートマスターは岩谷祐之(いわや・すけゆき)。今日も関西フィルの通常シフトであるアメリカ式の現代配置での演奏である。

ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」。関西フィル Meet the Classicのオープニングテーマである。音響であるが、想像よりもずっと良い。それほど大きなホールではないが音の通りが良く、各楽器が明晰に聞こえる。

演奏終了後、藤岡幸夫がマイクを片手にスピーチ。するもマイクがオンにならず、藤岡が声を張って挨拶する。藤岡も常翔ホールで演奏するのは初めてだったが、音響の良さに驚いたそうで、「ここの館長は元ピアニストで、共演したこともあるのですが、彼が徹底して」音響を追求したホールだそうで、「むしろゴージャスになりすぎないよう音を抑える必要がある」そうである。「マイク使わなくても、声良く聞こえますよね」と藤岡は言う。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ソリストの小栗まち絵は重鎮的存在である。大阪生まれ、桐朋学園大学に学び、第37回日本音楽コンクールで1位を獲得。渡米し、インディアナ大学ブルーミントン校アーティスト・ディプロマ課程を修了。ソリストの他、室内楽奏者としても活躍し、夫で京都市交響楽団コンサートマスターであった故・工藤千博と共に教育活動にも熱心に取り組んできた。現在は相愛大学大学院教授、東京音楽大学特任教授の座にある。

藤岡と小栗は初共演だそうだが、藤岡の方が熱心に共演を希望していたそうである。小栗の門下生とは藤岡は何度も共演しているそうだが、全員、自分のソロパートだけでなく、オーケストラの音にも気を配るそうで、小栗の教育の素晴らしさを藤岡は称えていた。

小栗のソロは渋く、玄人好みである。テクニックをひけらかすでもなく、無駄に音楽にのめり込むでもなく、出しゃばるでもなく、オーケストラと一体になった「音楽」の素晴らしさそのものを感じさせる。

演奏終了後、藤岡は小栗にコメントを求めるも、やはりマイクのスイッチが入らず。スタッフが下手から別のマイクを持って出てくる。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲について小栗は、「若い頃には良く弾いたが、もう弾くことはないと思っていた。だけどこの際」ということでもう一度弾いてみようと思ったそうだ。

アンコールは、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番よりアンダンテ。堅実な演奏であった。

メインであるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。藤岡は演奏前にスピーチ。ティンパニはバロックティンパニ、トランペットはナチュラル・トランペットを使用していることを明示し、「今でこそベートーヴェンはクラシックコンサートのオーソドックスなレパートーリーという感じですが、彼の生前中はそうじゃなかった。破壊者、革命家といった感じだった。例えば、二つの和音が鳴った後で、チェロが主題を奏でますが、チェロにテーマを弾かせるというのは画期的なことだった」。第2楽章についても「葬送行進曲ですが、悲しいというよりも史上のあらゆる英雄への思いを込めたような圧のある」と説明する。第3楽章でも従来のメヌエットではなくスケルツォを採用、第4楽章でも変奏曲をピッチカートで奏でるという画期的なことをやっていると述べた。今回は青年ベートーヴェンのエネルギーを客席に届けるという主旨の演奏のようだ。

ピリオドらしく速めのテンポを採用。弦楽器奏者はビブラートというよりも要所要所を「揺らす」奏法を行う。
関西フィルハーモニー管弦楽団は、関西のオーケストラの中でもパワーでは下位に来る楽団であるため、オーケストラの持ち味を最大限に引き出すための演奏でもあるようだ。
白熱した演奏であるが、ややうるさく聞こえてしまうのが難点。青年作曲家の情熱は伝わる演奏だったが、全曲を通した見通しの良さも欲しくなる。

演奏終了後、藤岡は、「とにかく暑いんでね。少しでも涼しくなる演奏を」ということで、「あんまり演奏されない曲なんですが、シベリウスの『クリスチャンⅡ世』より“エレジー”」が演奏される。良く整った演奏であった。

藤岡は今夜放送される「エンター・ザ・ミュージック」の紹介もする。「エンター・ザ・ミュージック」のプロデューサーを務めているのが実は小栗まち絵のお嬢さんなのだそうだ。


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2018年7月27日 (金)

コンサートの記(405) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン交響曲全曲演奏会第3回

2018年7月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅲを聴く。Ⅰは聴いたが、Ⅱは同日にロームシアター京都で行われた田中泯のダンス公演を優先させたため接していない。

交響曲第6番「田園」と交響曲第5番という王道の組み合わせ。であるが、この時期に聴くにはちょっと重い。

今日のコンサートマスターは崔文洙。大フィルのスタンダードであるドイツ式の現代配置による演奏であるが、今日は第2ヴァイオリンが客演も含めて全員女性という、ありそうでなかなかない構成になっている。第1ヴァイオリン15名、第2ヴァイオリン14名というモダンスタイルでの演奏。


交響曲第6番「田園」。テンポもスタイルも中庸で、音の瑞々しさを優先させた演奏。空間の広いフェスティバルホールだが、編成が大きく、モダンスタイルということで良く響く。
優れた演奏ではあるが、特筆事項はこれといってないように思う。


交響曲第5番。出だしの運命動機ではフェルマータを短めに取り、流線型のフォルムを作り上げる。出だしで第2ヴァイオリンがわずかにフライングしたほか、クラリネット、ピッコロなどにミスがある。
面白いのは第4楽章のクライマックスの音型で、金管群が耳慣れない和音を築く。そういう譜面があるのかどうか。またクラリネットが二本ともベルアップによる演奏を行っている部分があった。ピリオドアプローチによる演奏で目にするが、そうではない演奏で見かけるのは初めてである。
尾高はラストも流さずにカッチリとした止めを行い、個性を刻印した。

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2018年6月 9日 (土)

コンサートの記(395) ジョセフ・ウォルフ指揮 日本センチュリー交響楽団第225回定期演奏会

2018年5月31日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団の第225回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はイギリス出身の若手、ジョセフ・ウォルフ。

ジョセフ・ウォルフは、実はサー・コリン・デイヴィスの息子である。だが、親の七光りを嫌い、芸名で活躍している。ロンドンの王立音楽院と、ドレスデンのカール・マリア・フォン・ウェーバー大学でヴァイオリンをジョルジ・パウクらに師事。アマデウス弦楽四重奏団、ボロディン弦楽四重奏団、タカーチ・カルテットと共に室内楽の経験も積み、ウォルフ・カルテットを結成している。指揮は、コンラート・フォン・アーベル、ヨルマ・パヌラ、クルト・マズア、小澤征爾らに師事。カール・マリア・フォン・ウェーバー大学在学中にブランデンブルク・フィルの指揮者に就任している。その後、イギリスに戻り、ギルドホール音楽演劇学校でも学んでいる。


オール・ベートーヴェン・プログラムで、「コリオラン」序曲 作品62、ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61(ヴァイオリン独奏:クロエ・ハンスリップ)、交響曲第4番 作品60。作品番号の並んだ作品をプログラミングしている。

今日のコンサートマスターは、後藤龍伸(たつのぶ)が務める。


ジョセフ・ウォルフ登場。口髭と顎髭を伸ばしており、写真とは大分イメージが異なる。


「コリオラン」序曲。ピリオドを援用した演奏で、燃焼度、ドライブ能力共に高い演奏である。


ヴァイオリン協奏曲ニ長調。ソリストのクロエ・ハンスリップは、1987年生まれの若手。ピアニストのダニー・ドライバーと共にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を作成している。ロシア人教師のザハール・ブロンに10年間学び、クリスティアン・テツラフ、イダ・ヘンデル、サルヴァトーレ・アッカルドにも師事している。

ハンスリップは美音家。スケールはさほど大きくないが、磨き抜かれた音が心地よい。


交響曲第4番。ここではかなりピリオドを意識した演奏を聴かせる。急激な音の盛り上げ、典雅なピッチカートなど美しさと力強さを兼ね備えた音楽を生み出していく。
ウォルフの指揮はそれほどダイナミックではなく、指揮姿も個性的ではないが、音楽同様、イギリス的なエレガントさとドイツ的な堅固な構築感を感じさせるものであった。

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2018年5月24日 (木)

コンサートの記(388) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団  ベートーヴェン交響曲全曲演奏会第1回

2018年5月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会第1回を聴く。大阪フィルが朝比奈時代から何度も繰り返し行って来たベートーヴェン交響曲チクルスの新シリーズである。

札幌交響楽団時代にもベートーヴェン交響曲全曲演奏を行っている尾高忠明。大阪フィルのシェフに就任してまず大フィルの看板企画に挑むことに決めた。

今日の演目は、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲、交響曲第1番、劇音楽「エグモント」序曲、交響曲第2番。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ベートーヴェンの初期交響曲であるが、第1ヴァイオリン14型と大きな編成での演奏。ピリオド・アプローチを採用しているが、スケールは大きく、ベートーヴェンの初期作品ではあっても大交響曲として演奏していることがわかる。

今日もノンタクトで指揮する尾高忠明。やや速めのテンポでの演奏。エネルギー放出量は大きいが、弦楽にHIPを取り入れているためか暑苦しくはならない。
フォルムの堅固さも特徴であり、朝比奈以来のDNAが保たれているのが確認出来た。
時折、音像が雑になるところもあったが、第1回の演奏としては上出来だったように思う。

全曲演奏終了後、尾高は、「あと7曲ありますので、よろしくお願いします」と言い、最後は「おやすみなさい」のポーズをして指揮台を後にした。


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2018年5月20日 (日)

コンサートの記(387) 寺岡清高指揮大阪シンフォニカー交響楽団第125回定期演奏会 ハンス・ロット 交響曲第1番

2008年5月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時より、大阪のザ・シンフォニーホールで、大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)の第125回定期演奏会を聴く。指揮は大阪シンフォニカー響正指揮者の寺岡清高。

「ベートーヴェンと世紀末ウィーンの知られざる交響曲シリーズ」と銘打たれた4回公演の第1回目。前半がベートーヴェンの交響曲第2番、後半がハンス・ロットの交響曲第1番というプログラム。

寺岡清高は早稲田大学卒業後、桐朋学園大学で学び、更にウィーン国立音楽大学でも指揮を専攻した。その後もイタリアのキジアーナ音楽院やフィエゾーレ音楽院などで学んでいる。師はカルロ・マリア・ジュリーニ、ネーメ・ヤルヴィ、ヨルマ・パヌラなど。2004年に大阪シンフォニカーの正指揮者になっている。昨夏は、急病のネーメ・ヤルヴィの代役としてイギリス室内管弦楽団を指揮してロンドン・デビューを飾った。ところで本当にネーメさんは急病になったのだろうか。師が急病だと偽って弟子にチャンスを与えることはたまにある。

25歳で夭逝したハンス・ロット(1858-1884)の交響曲第1番が演奏されるというのが珍しい。

ハンス・ロットはウィーンの生まれ。16歳でウィーン音楽院に入ってアントン・ブルックナーに弟子入りし、その才能を認められている。2歳下のグスタフ・マーラーは同門であり、親友でもあった。

20歳で交響曲第1番の第1楽章を完成させるが、ブルックナー以外の教師には認められなかった。それでもその2年後には交響曲第1番を完成させ、憧れの存在であったヨハネス・ブラームスを訪問し、ブラームスが審査員を務めていたベートーヴェン大賞に交響曲第1番を応募するが、ブラームスから酷評されて精神を病み、精神病院に入院。回復することなく25歳で亡くなった。

ハンス・ロットの交響曲第1番が初演されたのは、ごく最近のこと。1989年、アメリカのシンシナティにおいてだった。

私が最も信頼している若手指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ(いうまでもなくネーメの息子)は、ハンス・ロットを高く評価していて、インタビューで「録音したい」とも語っていた(その後、フランクフルト放送交響楽団と同曲を録音、名盤となった)。ということで聴いてみたくなったのである。
寺岡はネーメの弟子なので、ハンス・ロットの交響曲第1番を取り上げるのも自然という気もする。

ベートーヴェンの交響曲第2番。寺岡がこの曲を前半に取り上げた理由は、後半のハンス・ロットの交響曲第1番を聴いてわかった。

大阪シンフォニカー交響楽団はアメリカ方式の現代配置を採用。日本のオーケストラとしては珍しい。
3階のステージ左手上の席に座ったということも影響しているのかどうか、ヴァイオリンの響きは実に艶やかだが、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの響きが鈍く聞こえる。

管はまずまず充実していたが、第2楽章でホルンの目立つキークスがあり。

寺岡の表現は中庸を行くもので、悪いところはないが、良いところも余り見つからない。活きの良さを強調するでもなく、音の美しさを追求するでもない。強弱のつけ方は、良く言うと大らか、悪く言うと大雑把である。安心して聴けるベートーヴェンであるが、その分、もの足りなさも感じる。

後半のハンス・ロットの交響曲第1番。
初めて聴く曲だが、青春の息吹が感じられる作品であった。ベートーヴェンの「青春の歌」ともいえる交響曲第2番と組み合わせられたのも納得。

清々しい響きの目立つ曲で、金管などの強奏に浅さが感じられたり、まとまりの悪い箇所もあるが、格好いい音型も多く、オーケストレーションも巧みで、聴かせる。また、鳥の鳴き声を模す音型があるなど、大自然の響きを感じさせる拡がりのある音楽が展開される。第3楽章は、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第2楽章に似た舞踏の旋律である。オーストリアの田舎の舞踏をモチーフにしているので似たものになったのかと思いきや、どうもマーラーはハンス・ロットのオマージュとして似た旋律を敢えて書いたらしい。

ブルックナーやマーラーの影響と、ブルックナーやマーラーにも影響を与えたことが窺える作品だ。完成時のロットは22歳。早熟の筆による充実のシンフォニー。

だが、どうも妙なのである。4楽章からなる交響曲なのだが、全ての楽章が太陽の光を燦々と浴びているようで、陰影に乏しい。たまに影のある音型が出てきても、すぐに明るめの旋律で否定されてしまう。

ハンス・ロットの師のブルックナーにしても、友人のマーラーにしても陰影は濃厚である。マーラーの音楽の場合には更に激しい葛藤もある。なのにハンス・ロットの音楽にはそれが感じられないのだ。

明るい未来を夢見る若者の曲であるが、人間である以上、もっと葛藤があってもいいと思うのだがそれがない。全楽章を通して、夢見がちな若者の明るい未来を疑わない音楽に終始する。

そして、第4楽章では、明らかにブラームスの交響曲第1番第4楽章を意識した凱歌が流れ、ラストも自己讃美のように聞こえなくもない。葛藤もないのに凱歌を奏でていいものか。

ブラームスは実はハンス・ロットの音楽を否定したのではなく、人間性に疑問を持ったのではないだろうか。ブラームスはブルックナーと折り合いが悪く、ブルックナーの弟子のハンス・ロットに好感を抱いているはずはなかった。そのロットが賞に曲を発表する事前に自分を訪ねてきて、応募した曲に自己の楽曲の影響を受けたことの窺える部分があったのなら、「媚びを売っている」と思われても仕方がないような気もする。

実は、ハンス・ロットは、ブラームスに作品を酷評されてベートーヴェン大賞には落選するが、同時に応募した芸術家奨学金(審査員はやはりブラームス)が下りたのである。ブラームスが作品を全く認めていないのなら奨学金が下りるはずもない。更にブラームスを信奉していた評論家のハンスリックは、ロットのことを褒めているのである。

しかし、奨学金が下りることが決定した頃には、ハンス・ロットはすでに精神病院の中にいた。ロットはブラームスを尊敬していたようで、そのブラームスから酷評を受けたのがショックで発狂したという。ブラームスが自分を殺そうとしていると口走ったともいう。

これも妙だ。師であるブルックナーも、マーラーも、自作の交響曲の初演は失敗することが多かった。ブルックナーは憧れのウィーン・フィルに自身の交響曲を演奏して貰うべく奔走し、リハーサルにまで漕ぎ着けたが、そこでウィーン・フィルのメンバーに作品を否定されるという屈辱まで受けている。しかし、発狂はしなかった。ブルックナーもマーラーも強迫性障害を患ってはいたのだが。

ブラームスに作品を否定されたのがショックなのはわかるが、ブラームスだって神様ではないのである。あらゆる作品の出来を見抜けるとは限らないし、意図的に芸術作品を否定することもある。ブラームスの批評を鵜呑みにしてしまうとは22歳にしては無邪気すぎないか。発狂するほどブラームスに心酔していたということなのだろうが、余りにも冷静さを欠いている。ブラームスに自作を褒められて当然という意気込みがあったのか。ブルックナーには理解されていたのにそれでは駄目だったのか。自意識が強すぎやしないか。
それが夢見る交響曲第1番の作風に繋がっているように思えるのだ。

演奏は、金管がばたつく場面があったりしたが、全般的に見れば充実していた。

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2018年5月15日 (火)

コンサートの記(383) 大和証券グループPresents 佐渡裕指揮トーンキュンストラー管弦楽団 レナード・バーンスタイン生誕100年記念日本ツアー2018京都公演

2018年5月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、大和証券グループPresents 佐渡裕指揮トーンキュンストラー管弦楽団レナード・バーンスタイン生誕100年記念日本ツアー2018京都公演を聴く。

京都生まれの佐渡裕の凱旋公演となる。佐渡は2016年にもトーンキュンストラー管弦楽団と日本ツアーを行ったが、その際は関西ではフェスティバルホールでの公演を行っただけであった。今回の日本ツアーは今日が初日で、この後、今月27日まで13箇所での公演を行う。関西では今回もフェスティバルホールでの公演を行うが、佐渡の現在の本拠地である兵庫県立芸術文化センターでの演奏会はない。
有料パンフレットの販売はないが、かなり充実した内容の無料パンフレットが配られており、良心的である。

今日の曲目は、バーンスタインのキャンディード序曲、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、ブラームスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ヴァレリー・アファナシエフ)

今日は3階LB1列2番での鑑賞。偶然だが、LBというのは、Leonard Bernsteinのイニシャルと一緒で嬉しくなる。


ます佐渡が一人で登場し、マイクを手にトークを行う。レナード・バーンスタインとの思い出、更に最初はニューヨークで勉強しようと思っていたところ、バーンスタインに連れられてウィーンに行き、ウィーン国立歌劇場やムジークフェラインザールの立ち見席で演奏を聴いて学んだこと。ウィーンでは立ち見席での時代を経て今では指揮台に立つようになったため、「なかなか座らせてくれない」というお決まりのギャグを繰り出して聴衆を笑わせていた。オーストリアでもバーンスタイン生誕100年ということで今年はバーンスタインの作品が多く取り上げられるそうである。ちなみにウィーンでは指揮の仕事がなかったため、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して、ラムルー管弦楽団の首席指揮者に就くなど、指揮としての本格的なキャリアはフランスでスタートさせている。

日本ではウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団と呼ばれることもあるトーンキュンストラー管弦楽団は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、ウィーン放送交響楽団に次ぐ、ウィーン第四のオーケストラ的な扱いをされている団体である。現在はニーダーエースターライヒ州のオーケストラとして州都ザンクトペルテンを本拠地としており、ウィーンムジークフェラインザールでも演奏会を行っている。歴代の首席指揮者の中には、クルト・ヴェス、ハインツ・ワルベルク、ワルター・ウェラー、ファビオ・ルイージといった日本でもお馴染みの指揮者の名前も並んでいる。
ウィーン放送交響楽団でも評価は高くないが、トーンキュンストラー管弦楽団はそれより下ということで、ポピュラー音楽の演奏を手掛けることも多い。
クリスチャン・ヤルヴィ、アンドレス・オロスコ=エストラーダの時代を経て、2015年に佐渡裕が首席指揮者に就任。比較的指揮者をコロコロ変える傾向にある楽団だが、佐渡とは任期延長を行っている。私はクリスチャン・ヤルヴィとの来日公演をザ・シンフォニーホールで聴いており、佐渡とのフェスティバルホールでの演奏会を聴いているため、これが3度目のトーンキュンストラー管弦楽団体験となる。

ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは上手側に置かれている。無料パンフレットに団員の名簿も載っているが、ファーストヴァイオリンにShotaro Tojima、チェロにKanade Oshimaと日本人の名前が見られる。チェロに東洋人風の容貌の奏者は一人しかおらず、Kanade Oshimaさんは女性であることがわかった。ピアノ/チェレスタにKyoko Yoshizawaの名もあるが、今日はピアノとチェレスタが用いられる曲はないため、降り番である。


バーンスタインのキャンディード序曲。出だしに爆発力があり、テンポもリズムも理想的である。語り上手な演奏なのであるが、オーケストラのパワー、特に弦楽の威力が今ひとつなのが玉に瑕である。


ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。佐渡は第九の演奏を多く手掛けており、代名詞のようになっているが、ベートーヴェンは必ずしも得意とはしていない。
弦楽器のビブラートを控えめにして透明な響きを出しているが、ピリオドの影響が感じられるのそこだけで、ピリオドアプローチによる演奏ではない。瑞々しい響きが印象的だが、弦と管のバランスが悪く、時に金管が能天気な強奏を行うことがある。「田園」はベートーヴェンの曲の中でも実は演奏が難しい部類に入るのだが、トーンキュンストラー管弦楽団の力が及ばない場面も見受けられる。
佐渡は第2楽章をノンタクトで振るが、テンポが速過ぎて詩情を欠くところもあった。
第4楽章の嵐は、迫力満点で描写力も高いが、佐渡が今も「爆演の佐渡」から抜け出せていないことも感じられた。
最終楽章も悪くはないのだが、やはり弦と管のバランスは最後まで整わなかった。


後半。ブラームスのピアノ協奏曲第2番。独奏は、1990年代に異色のピアニストとして脚光を浴びたヴァレリー・アファナシエフ。ピアニストであると同時に、詩人、小説家としても活動しており、鬼才として日本でもファンが多い。モスクワ音楽院でエミール・ギレリスに師事。1968年のバッハ国際コンクールと1972年のエリザベート王妃国際コンクールで優勝。1974年に西側に亡命し、ベルギー国籍を得ている。

極端に遅いテンポを採用することなどで知られるアファナシエフであるが、協奏曲ということもあり、それほど個性を前面には現さない。
今日はピアノの鍵盤が良く見える席にいたのだが、アファナシエフは指を余り曲げることなく、鍵盤上に指を置いていくような弾き方をする。日本だったら先生から直されるような弾き方である。
アファナシエフは旋律を切るように弾いたり、立体感を出しながらブラームスの古典的一面を強調しつつ演奏したりするが、特に異端という印象は受けず、充実したブラームス演奏を展開する。
佐渡指揮のトーンキュンストラー管はやはりパワー不足という感は否めないが、自分達の作曲家であるブラームスのロマンティシズムを大切にした演奏を行っていた。第3楽章のチェロのソロも充実の演奏である。


アファナシエフはアンコールとして、ショパンのマズルカ イ短調を演奏する。こちらは協奏曲と違ってかなり個性的な演奏である。ショパンの曲というよりも古典派の作品のように聞こえる。

ラストは佐渡とトーンキュンストラー管によるアンコール演奏、ブラームスのハンガリー舞曲第5番。ノリの良い演奏であった。

ベートーヴェンは少し落ちるが、なかなかの出来の演奏会だったように思う。トーンキュンストラー管弦楽団のレベルであるが、技術面に関しては日本のオーケストラと比べても中堅程度で抜群に良いオーケストラというわけではないようである。いかにも独墺系のオーケストラらしい渋めの響きは魅力的である。

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2018年4月19日 (木)

コンサートの記(373) 下野竜也指揮 京都市交響楽団第505回定期演奏会

2007年10月12日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団(京響)の第505回定期演奏会に接する。今日の指揮者は下野竜也。ソリストとして、若手ピアニストの小菅優(こすげ・ゆう)が登場する。
曲目は、J・S・バッハ作曲、レスピーギ編曲の「パッカサリアとフーガハ短調」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、フランクの交響曲ニ短調。

前にも何度か書いたが、下野竜也は1969年生まれの若手指揮者。鹿児島に生まれ、県下有数の進学校である甲南高校を卒業。ここで普通なら大都市にある音大を目指すところだが、下野は地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入っている。鹿児島大学の音楽科にも指揮専攻はあるが、有名指揮者が教えているわけではない。あるいは下野はこの時点ではプロの音楽家を目指していなかったのかも知れない。鹿児島大学卒業後、桐朋学園大学音楽学部付属指揮教室で本格的に指揮の勉強を始め、イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事している。ちなみに、先日、名古屋フィルを指揮してシベリウスの名演を聴かせたハンヌ・リントゥもキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事しており、二人は同門ということになる。
大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)の指揮研究員となり、1999年に大フィルを指揮してデビュー。2001年のブザンソン国際指揮者コンクールに優勝して脚光を浴びる。昨年、読売日本交響楽団の正指揮者に就任している。

西郷さんのような体格で、ニコニコと笑みを浮かべながら棒を振る様は、クマのぬいぐるみが指揮しているようで可愛らしいが、実力は確かである。


指揮者はみな、自分自身の音色を持っているが、下野の音は若手にしては渋め。「パッカサリアとフーガハ短調」は、弦の渋い音色と、管の華やかな色彩をともに生かした演奏だった。
ポディウム席で聴いていたのだが、パイプオルガンを使う曲だったので、ポディウム席の真後ろにあるパイプオルガンの低音が床を小刻みに揺らす。音楽とは振動であり、振動で音を感じるというのも私自身は好きである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ソリストの小菅優は1983年生まれ。9歳の時に渡欧し、以後、ずっとヨーロッパで音楽教育を受け、活動を続けている。日本人の若手女流ピアニスト(といってもヨーロッパでの生活の方が長いので、正真正銘の日本人ではないのかも知れないが)の中で最も脚光を浴びている一人である。

小菅は立体的な音を奏でる。一音一音が美しく、また音に風景が宿っているような、想像を喚起する力がある。
下野の指揮も小菅に合わせて非常に爽やか。ベートーヴェンではなく、モーツァルトのピアノ協奏曲を聴いているのではないか、と錯覚するほどであった。
渋い第2楽章では、小菅、下野ともに落ち着いた音色で演奏。曲想の描き分けが鮮やかだ。

ソリストにも様々なタイプがあって、完全に自分の世界に入ってしまう人もいるが、小菅はそれとは正反対。下野の指揮棒を常に意識し、オーケストラだけが演奏する場面では、京響の団員とアイコンタクトを図っていた。オーケストラにも好まれるタイプのピアニストである。

アンコールは2曲。いずれもショパンの「24の前奏曲」より第3番と第7番。なお、京都コンサートホールの、今日のアンコール曲目を知らせるホワイトボードには、なぜか「ショパン 前奏曲第3番、第5番」と書かれていた。
ちなみにショパンの前奏曲第7番は、世間では太田胃散のCM曲として認知されているあの曲である。

小菅優が出演する割には客の入りは少なかったが、若い人が多く聴きに来ており、休憩時間や終演後に、「(小菅優と)同世代だし応援したいよね」という話がそこかしこで聞こえたのが心強い。


フランクの交響曲ニ短調。尻上がりの演奏であった。京響は、金管が極めて優秀。輝かしい音色で鳴り渡る。下野の指揮は全般的には良かったが、切迫感が欲しい場面での迫力が今一つ。下野も、コンサートマスターのグレブ・ニキティンも顔を真っ赤にしての力演なのだが、その割には出る音に緊張感が足りない。
一方、優雅な曲想のところでは、丁寧な演奏で魅せる。どちらかというと淡彩の演奏で、もっと濃い音を出しても良いと思うのだが、あっさりしている方が日本人には合っているのかも知れない。

第2楽章演奏終了後、誰かの時計のアラームが鳴り始める。しかも長い間止まない。下野はアラーム音が消えるのを待っている。ようやくアラーム音が消え、下野はニコリと微笑んで指揮棒を振り始める。第3楽章(最終楽章)は金管の大活躍もあって素晴らしい演奏となった。


指揮者としてのポストは東京で得た下野だが、大阪フィルとの繋がりも強く、来年4月から京響の常任指揮者となる広上淳一に師事したこともあるようなので、今後も関西で指揮活動を行っていくことだろう。というより絶対に行って欲しい。

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2018年4月 6日 (金)

コンサートの記(367) サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月12日 大阪・中之島の(旧)フェスティバルホールにて

午後2時から大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団の来日演奏会を聴く。オラモとフィンランド放送交響楽団の来日公演を聴くのは2度目、前回は京都コンサートホールでの公演に接している。

サカリ・オラモは、1965年生まれの指揮者。シベリウス・アカデミーで、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、加えてヴァイオリニストとしても研鑽を積む。かつてはフィンランド放送交響楽団のコンサートマスターだったということもあるオラモ。指揮者としてのデビュー時の相手もフィンランド放送交響楽団だそうで、楽団員達とは古くからの気心の知れた間柄だ。
オラモは、サー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に任命されて一躍脚光を浴びたが、バーミンガム市響のシェフの座(現在の肩書きは音楽監督)からは近く離れる予定で、今後は首席指揮者の地位にあるフィンランド放送交響楽団と、新たに音楽監督に就任するロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を主たる活躍の場にするものと思われる。

フィンランドのオーケストラということで、東京などの公演ではシベリウス作品をプログラムに盛り込んでいるフィンランド放送響であるが、大阪公演ではシベリウスの名は演奏曲目にはない。
ブラームスの「悲劇的序曲」、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」(独奏チェロと管弦楽のための作品だが、今回はトランペットを独奏としたバージョンで演奏する。ソリストを務めるのは、人気、実力とも世界最高のトランペッターといわれるセルゲイ・ナカリャコフ)、ベートーヴェンの交響曲第5番というプログラム。

残響の少ないフェスティバルホールの、ステージから遠い天井桟敷に座ったため、音そのものの美しさを楽しむことは出来なかったが、フィンランド放送交響楽団の高い機能と、オラモの雄弁な指揮を楽しむことは出来た。フィンランド放送交響楽団は20年ほど前の来日公演ではオーケストラの技術がボロボロで、評価も同様に散々だったそうだが、技術面では著しい向上を見せており、解像度の高い音楽を繰り広げる。

ブラームスの「悲劇的序曲」では、ひんやりとした弦と、輝かしい金管の音色の対比が鮮やかであり、オラモの指揮もタイトルに込められた悲劇的な雰囲気を的確に引き出している。

「ロココの主題による変奏曲」で、オラモとフィンランド放送響は更に優れた実力を発揮。ロシア風の冷たく拡がりのある音色から、心からの温もりを感じさせるロマンティックで優しい音色まで、自在に操る様は魔術のようだ。
チェロ独奏のための曲をトランペット(正確にはフリューゲルホルンというトランペットとは微妙に違う楽器)で吹いてしまおうという挑戦は無謀にも思えるが、名手ナカリャコフだけに技術的な不満は感じさせない。しかしチェロに比べるとトランペットはどうしても分が悪い。高度なトランペット演奏技術が求められるわりには聴き映えが今ひとつという点でも損だ。

ナカリャコフは、アンコール曲に超絶技巧を思う存分披露できる「ベニスの謝肉祭」(ジャン・パティステュ・アーバン作曲)を選び、神懸かり的な技術を披露。客席を圧倒する。


メインのベートーヴェンの交響曲第5番では、オラモは理知的な演奏を繰り広げる。大編成による演奏だが、弦楽器のビブラートを抑え気味にするなどピリオド奏法の影響も見られ、良い意味で折衷的なスタイルを採用(配置もヴァイオリンが両翼に来る古典的配置を基本としながら、、コントラバスは舞台上手奥に置くという折衷様式であった)。ベートーヴェンが書いた楽譜を客観的に丁寧に音に変えていく。基本のテンポは速めだが伸縮自在であり、表情も多彩。第1楽章と第2楽章をアタッカで繋いだのも個性的だ。
音楽にのめり込むことはないが、その分、曲の効果を十全に発揮させる計算がなされており、第4楽章冒頭の輝かしさにも瞠目させられた。「秀才によるベートーヴェン」という言葉が浮かぶ名演奏。
まだ交響曲第5番を聴いただけだが、オラモのベートーヴェンはかなり期待して良さそうだ。

アンコールはやはりシベリウス。最近はアンコール曲の定番となった感もある「悲しきワルツ」が演奏された。オラモはピアニッシモの部分を聴き取るのが難しいほど弱い音で演奏してみせる。昨年来日したパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルもアンコール曲として演奏した「悲しきワルツ」で、ピアニッシモを強調していた。この曲のピアニッシモの部分をかなり弱くするというのは流行りなのだろうか。

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