2017年7月 1日 (土)

E

E1+E2/E3=E

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2017年6月30日 (金)

もう誰も

追いつこうと懸命に走っていた。
気がついたら前にもう誰もいない。
これからは絶対的で究極の孤独を抱えて、一人進むしかない。

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2017年5月19日 (金)

説明

「説明が多い」などといわれたことがありますが、「いくら説明しても内容がわからない馬鹿」にそんなことを言う資格なぞないということです。

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2017年3月14日 (火)

場所 左京区岡崎について

 もう随分前のことだが、京都会館がロームシアター京都に改修されることで、京都会館のある左京区岡崎が河原町のようになるという危機説を唱える人がいた。岡崎が河原町になる危機? 正直、何をもってそういうことを語るのかはよくわからなかった。人が多くなることを言っているのだとすればなんとなくわかるのであるが、どうも岡崎が商業地区になるという危惧を語っているようにであった。
 
 普通に考えれば平安神宮のある場所が河原町のようになる訳がない。寝言は寝て言えとも思う。
 劇場は劇を快適に上演する場所であり、劇を心地よく観る場所である。コンサートホールはコンサートをたのしんで聴く場所であり、上機嫌で行う場所である。それ以上に優先すべきことは何もない。絶対にない。「おんぼろ施設を我慢して使え」といえるような無神経は私には理解出来ない。
 
 建築とは目的が達成されない時にはもう意味がないのである。建築とは飾りではなく生きているものである。使途に合わなくなった建築はお飾りになる。「お飾りに価値がある」と思う人もいるのかも知れないが、京都会館のような巨大建築をお飾りにして良いと本気で考えていたということなのだろうか。
 
 京都会館がロームシアター京都になって1年以上が経つが、当時の改修反対派からロームシアター京都の使い勝手の声は聞かれない。反対するなら反対が否決された結果についての発言も責任を持って行って欲しい。反対するだけなら馬鹿でも出来るが、「何が是で何が非」なのか事後も検分することは発言に責任を持つべき人間としての使命なのだから。
 

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2017年1月16日 (月)

我々はアーサー・ミラーにすら

我々はアーサー・ミラーにすら追いついていない。そして差は開くばかりだ。

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2017年1月 1日 (日)

あけまして

おめでとうございます。

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2016年12月 7日 (水)

リアルを追求すると演劇は死ぬ

そこに「日常」の続きはいらない。

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2016年12月 3日 (土)

見せ掛ける技術

東京の演劇人と違い、我々は150キロのストレートを投げることは出来ないのです。130キロが関の山です。ただ150キロを出しても打たれるピッチャーと130キロでも抑えれる投手がいます。可能性として最も高いのは、130キロのストレートを150キロ超に見せ掛けることです。小手先の技術では駄目です。本質を掴んで揺り動かす必要があります。

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2016年11月 7日 (月)

プロ・アマ

ロームシアター京都のオープンにより、東京の有名芸能人による京都での演劇公演が増えており、今後も増加傾向となることが予想される。
京都にもプロの劇団はあるが、プロの定義は東京とは異なり、「演劇一本で生活できる」という意味でのプロの人はほとんどいない。お金を貰っているという意味ではプロだが生活を考えるとアマということになる。もっとも東京でも「芝居だけで食っている人」は10人ほどといわれる世界である(CM出演や営業などは副業とされる)。ただ東京の有名プロ俳優は映像に出演さえ出来れば高額のギャラを貰うことが可能である。
 
観客として「俳優がプロではないから手加減して観る」ということは難しいと思われる。プロフェッショナルだろうがアマチュアだろうが演劇は演劇である。ただ東京の一流の人は伊達に一流なのではない。彼ら彼女たちは数千倍から数万倍の倍率を潜り抜けて「選ばれた人達」なのである。自分から手を挙げた人が大半である京都の演劇人とはそこが違うのだが、観客は同じ舞台俳優として見る。実力差など関係なしに。
 
これまでは京都で定期的に公演を行っている東京の演劇人は加藤健一事務所だけだった。ただ今後は京都でも一流芸能人による舞台公演が相当数行われることは確実である。
その場合、京都の演劇人が太刀打ち出来るのかどうか。少なくとも同じ土俵で戦うのは困難である(大阪でもメインの劇場である梅田芸術劇場メインホールやシアター・ドラマシティは東京の演劇人に独占されており、大阪の演劇人は芝居を打つことさえ出来ないのが現状である)。東京の演劇人にはない魅了を打ち出す必要があるのだが、困難であることは間違いない。白旗を揚げることなど出来ないのであるが。

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2016年10月29日 (土)

「みんな京都でええじゃないか!」とはいうけれど

その「みんな」に私は含まれていないし含まれたくもない。問われないままの「みんな」など得手勝手に過ぎる。

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