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2005年10月10日 (月)

次回作の読み合わせ+他者の戯曲を読む効用について

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岡田利規の「三月の5日間」を読んで複雑な表情を浮かべる永尾よしろう。(撮影:本保弘人)

次回作は30分足らずの一人芝居を行う予定である。台本は3分の1ほどしか出来上がらなかったが(なぜ出来上がらなかったのかは「猫町通り通信」を参照して下さい)、とにかく出来た分で読み合わせを行う。セリフが多いためか思ったより時間がかかる。3分の1程度のつもりだったが、実際は2分の1近く来てしまっている。これではクライマックスになる前に時間切れになってしまうので、細部を削って、後半のプランを前倒しにする必要がある。
今回は特別な一人芝居にするつもりはない。といっても実際どうなるかはわからないが。
だが、最低でも上演する意義のあるものにはしたい。

ついで前回も読んだ、チェルフィッチュの岡田利規の戯曲「三月の5日間」の読み合わせ。
私は前の日に親不知を抜いたばかりで口が上手く開かないのだが、それでもなんとか精一杯読む。

「三月の5日間」は岸田國士戯曲賞受賞作だが、風変わりなスタイルを持つ。男優5人、女優2人による芝居だが、役者は語り手と演じ手の両方を務める。基本的には「語り」、つまり説明の部分が大部分を占めるのだが、この説明がわざと下手に書かれている。セリフは膨大なのだが、30字で語れることを、敢えてその100倍も、200倍もの言葉を費やして語るのである。いわば「言葉の多い失語症」のメタファーのように。

舞台は東京・渋谷。かなり具体的な地名(ブックファーストだとか東急だとか、スペイン坂、といった風に)が書かれており、渋谷に通い慣れている人なら光景が目の前に浮かぶように思うだろう。
東京を記号化した遊びの要素もある。戯曲中に出てくる固有名詞(必ずしも登場人物ではない)は、ミノベ、アズマ、ヤスイ、イシハラ、スズキだが、これは全員、歴代の東京都知事の苗字から取られている(美濃部亮吉、東龍太郎、安井誠一郎、石原慎太郎、鈴木俊一)。「スズキっていうのはすごく体の柔らかい人なんですけど」、というセリフを聞いて、かって鈴木俊一氏が4度目の都知事選に立候補し、「老人だからやめておけ」と対抗勢力に揶揄されたのを受けて、テレビの前で、立位体前屈をして「まだ老人ではない」とアピールして見せたことを思い出し、笑ってしまう人も多いだろう。
さらに「ユッキーっていう(あだ名の)女の子」が重要な登場人物になるのだが、ユッキーとは、青島幸男前都知事から取られたあだ名だろう。

内容的にはイラク戦争が始まった5日間に、一組の男女が渋谷のラヴホテルに泊まってずっとやっていた、というそれだけの話なのだが、ラヴホテルの部屋という、一種、隔離された空間にあって、遥か彼方の戦争をよりはっきりと感じている、というところに面白さがある。渋谷の街を歩いていた反戦デモなどの記述などが、他の何時でもなく、その日、その時であるという「時間」の特別性を鮮明にする装置として働いている。
私(本保)も同時期に大阪の御堂筋を歩いていて、反戦デモを見かけ、それとなく参加して500mほど一緒に歩いたという経験があるから、「三月の5日間」に登場する若者達の心情は比較的把握しやすい。

「渋谷がいつもの渋谷じゃないように見えた」というのは決して否定的なセリフではないように思う。歴史的出来事を、戦地から遠く離れた渋谷の若者がヴィヴィッドに捉えていることを示すセリフだ。

しかし、それでいて彼らが戦争よりも「日常」に重きを置いているのが、頼もしくもある。駄目駄目なセリフを話す若者だけれども、戦争熱に浮かされて「机上の空論」に走らないのがいい。

ラストの二人(ミノベくんとユッキー)のセリフは、二人の気持ちが通い合ったほんの一瞬をさりげなく示していて(本当にさりげなくである)、好感が持てるものだ。

私は「三月の5日間」を上演するつもりはない。予定もない。だが、こうして他者の戯曲を読み合わせすることは、戯曲という世界の多様さに触れるという意味で重要なことだと思う。
演劇をやっていながら、自分の周辺の世界以外にはまるで関心がないという人は少なくないが、それでは人間として、ひいては役者としての幅が出ないという結果になりかねない。世界の狭さは表現の多様性を否定してしまう。
最近は学生の作品でも日常をそのまま(岡田利規のような加工をせずにという意味だが)舞台に上げてしまったような作品が目立つが、日常を描くなら、エッセイが一番簡単で適当な方法だ。そもそもいわゆる日常とは舞台に上げるべきものなのかどうか。
「表現とは何か?」、まずそういったこと考えるためにも、他者の戯曲の読み合わせは、例え上演する予定がなくても有効だと私は考えるのである。

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