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2006年4月 1日 (土)

北山の可能性

京都市内で最も北にある大通り、北山通。市営地下鉄北山駅、松ヶ崎駅があり、交通の便も良い。京都府立植物園、京都コンサートホールなどの文化施設があり、お洒落なカフェやレストランが並ぶ。現在は京都大学のそばにある左京区役所が松ヶ崎の北山通沿いに移転する計画もある。

劇場文化について考えてみる。京都には大劇場というものが存在しない。厳密に言うと、あることはあるのだが、歌舞伎用だったり(南座)、某有名劇団専用劇場と化していたり、大学の施設だったり(京都芸術劇場春秋座)、稼働率が低かったりする。
往年の名優・宇野重吉が「日本一の劇場」と称した京都府立文化芸術会館も中規模劇場であり、最近、内面改装が行われたが、現代演劇に適した劇場かというとそうでもない。

関西にある主な大劇場は、梅田芸術劇場メインホール、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ、ウェルシティ大阪厚生年金会館芸術ホール(いずれも大阪)、びわ湖ホール(滋賀県大津市)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)などであり、東京を始めとする大手シアトリカルカンパニーは、このいずかのホールで公演を行う。びわ湖ホールのある大津市は京都の隣り町だが、京都から大津までの電車賃は高く、他のホールは京都から遠い。

このことからもわかるとおり、京都は劇場文化が発展しにくい街である。

だからといって京都が演劇不毛の街かというとそうでもない。歌舞伎、能などの演劇を生んだこの街は、現代演劇においても重要な地位を保ち続けている。小劇場の数も少なくない。

しかし、劇場の多くが現代の観客の好みから徐々に外れ始めているのも事実のようだ。

今年1月、河原町通界隈にあった映画館が相次いで閉館した。いずれも歴史ある映画館であったが、その宿命として老朽化が目立っていた。

河原町通の一つ西の通りである新京極通に松竹が新しいシネマコンプレックスを建てた。そのあおりを受けたことは間違いない。

閉鎖したのはいずれも東宝系の映画館であったが、東宝も二条に新しくシネマコンプレックスを開館させたばかりであり、老朽化した河原町の映画館は客の入りも悪く、閉鎖に踏み切ったようだ。

新京極、二条、そして四条烏丸にある「京都シネマ」などの新しい映画館はいずれも盛況である。新京極のシネマックスなどは予約システムがあるため、満員で目当ての映画が観られないこともある。

3つの映画館に共通しているのは、まず新しいこと。音響や映像などは新しいシステムで再生した方が良いに決まっている。
そしてそれにリンクしてトイレが綺麗なことだ。東京の映画館では「新しくてトイレが綺麗なこと」は観客を呼び込むための第一条件である。それほどよい映画でなくてもトイレが綺麗な映画館で上映されればそれなりに客が入ることがわかっている。名画や話題作が掛かっていても、古くてトイレの汚い映画館は避けられた。千葉市には90年代前半までは古い映画館しかなく、映画好きの人の中には同じ映画をやっている東京の綺麗な映画館までわざわざ観に出かける人も少なくなかった。

もちろん例外もあって、「綺麗な映画館は気取っていて気に入らない」という人もいる。しかしそれは少数派だ。その証拠に、千葉市の古い映画館は次々新しいものに建て替えられ、最後まで残った古い映画館は採算が合わず閉鎖された。

劇場はどうだろう。やはり映画館と同じ現象が起きていないだろうか。

東京で人気のある小劇場は新宿にあるシアター・トップス、初台の新国立劇場小ホールなどだ。大劇場も青山劇場や、紀伊國屋サザンシアターなどが人気である。
共通していることは新しいかどうかは別としてトイレが綺麗であることと、全席予約の公演が多いことだ。逆に靴を脱いでビニール袋に入れて観劇するというスタイルの劇場は人気がない。

やはり人間は、「同じ観るなら上演中もその前後も快適な方が良い」と思うようだ。当然といえば当然である
しかし京都には、快適さという点において合格点に達している劇場が実は皆無なのである。

「演劇は劇場よりも中身だ」という意見もある。しかし、オンボロの野球場や競馬場には人が入らなかったという歴史がある。今はなき川崎球場などが良い例だが、プロ野球だけに中身のない試合をやっていたわけではない。面白い試合も当然あった。だが面白いだけではどうにもならないことがあるのだ。

劇場文化を考える上で、「劇場」そのものが何故か等閑視されてきた歴史がある。他の芸術、例を挙げれば映画や音楽などではハコが重視されるようになって久しい。演劇だけがハコに無関心であったというのも奇妙といえば奇妙だ。

そこで、北山なのである。京都コンサートホールがあり、植物園があり、レストランやカフェがあり、画廊がある。もともとは田畑が広がっていた場所なので土地もまだ余っている。
あらゆる芸術が、快適な環境が、そして可能性が北山にはあるのである。

21世紀の北山文化が芸術、とりわけ演劇によって花開くことを夢見る。北山にはそれに十分な条件が整っている。土曜や日曜の昼間、植物園に行く、コンサートを聴く、画廊で絵を見る。そして夜には劇場で観劇。
そのためには劇場が必要だ。大劇場は景観にそぐわないかも知れない。しかし質の高い小劇場を作るとしたら北山を措いて他にない。

もし演劇人に芸術を愛す心があるのなら、北山という場所に注目して欲しい。そう強く願う。

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