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2016年7月11日 (月)

京都という孤島

 京都で相次いで小劇場が閉鎖する。いずれも稼働率ではなく所有者側の事情であるが、京都に近い将来、小劇場の危機が訪れるのはもうずっと以前から分かっていた。
 もう閉鎖してしまう劇場だから書いてしまうが、京都の小劇場のレベルは東京の1960年代のそれである。最初に京都の小劇場に行ったときの印象を正直に書くが、「何だこの前時代的施設は」である。
 正直、他の文化に触れている人が京都の小劇場文化に触れようとするには無理があった。お洒落でサービスの行き届いたアート施設に通い慣れている人が京都の小劇場に通うだろうか。答えは明白に「No.」である。
 京都には劇場文化がない。14年前に来たときからそれは気がついていた。そして困ったことに、「演劇で重要なのは劇場ではない」と本気で信じている演劇関係者がいたことだ。「想像力欠乏症」。この病名を彼らには布告したい。
 京都という文化的孤島にあって「まともな劇場がない」(これはロームシアター京都が出る前の大型文化施設にも共通したことであったが)、という状況から一歩でも早く抜け出す努力はすべきであった。しかし京都小演劇界は見事なまでの自閉ぶりを演じた。
 文化首都を標榜する街に住む人々の現状把握能力は以上に述べた通りである。私が京都に来たときには京都の演劇は東京に比べて20年遅れていた。そして東京の演劇は進歩している間に(幸い、進歩の速度は緩やかだったが)30年遅れになってしまった。
 「不十分な設備で頑張っているのが格好いい」。そういう意識は1960年代の東京のアングラ演劇にはあった。だが、今は21世紀である。「客を呼ぶためにはどうすればいいのか」と東京が練り続けてきたことを京都は放棄してきた。海の向こうにもっと素晴らしい場所があるのを知らずに、孤島の人々はままごとを繰り広げていたのである。

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