カテゴリー「演劇私見」の10件の記事

2017年7月 1日 (土)

E

E1+E2/E3=E

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2017年6月30日 (金)

もう誰も

追いつこうと懸命に走っていた。
気がついたら前にもう誰もいない。
これからは絶対的で究極の孤独を抱えて、一人進むしかない。

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2017年5月19日 (金)

説明

「説明が多い」などといわれたことがありますが、「いくら説明しても内容がわからない馬鹿」にそんなことを言う資格なぞないということです。

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2017年1月16日 (月)

我々はアーサー・ミラーにすら

我々はアーサー・ミラーにすら追いついていない。そして差は開くばかりだ。

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2016年12月 3日 (土)

見せ掛ける技術

東京の演劇人と違い、我々は150キロのストレートを投げることは出来ないのです。130キロが関の山です。ただ150キロを出しても打たれるピッチャーと130キロでも抑えれる投手がいます。可能性として最も高いのは、130キロのストレートを150キロ超に見せ掛けることです。小手先の技術では駄目です。本質を掴んで揺り動かす必要があります。

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2016年11月 7日 (月)

プロ・アマ

ロームシアター京都のオープンにより、東京の有名芸能人による京都での演劇公演が増えており、今後も増加傾向となることが予想される。
京都にもプロの劇団はあるが、プロの定義は東京とは異なり、「演劇一本で生活できる」という意味でのプロの人はほとんどいない。お金を貰っているという意味ではプロだが生活を考えるとアマということになる。もっとも東京でも「芝居だけで食っている人」は10人ほどといわれる世界である(CM出演や営業などは副業とされる)。ただ東京の有名プロ俳優は映像に出演さえ出来れば高額のギャラを貰うことが可能である。
 
観客として「俳優がプロではないから手加減して観る」ということは難しいと思われる。プロフェッショナルだろうがアマチュアだろうが演劇は演劇である。ただ東京の一流の人は伊達に一流なのではない。彼ら彼女たちは数千倍から数万倍の倍率を潜り抜けて「選ばれた人達」なのである。自分から手を挙げた人が大半である京都の演劇人とはそこが違うのだが、観客は同じ舞台俳優として見る。実力差など関係なしに。
 
これまでは京都で定期的に公演を行っている東京の演劇人は加藤健一事務所だけだった。ただ今後は京都でも一流芸能人による舞台公演が相当数行われることは確実である。
その場合、京都の演劇人が太刀打ち出来るのかどうか。少なくとも同じ土俵で戦うのは困難である(大阪でもメインの劇場である梅田芸術劇場メインホールやシアター・ドラマシティは東京の演劇人に独占されており、大阪の演劇人は芝居を打つことさえ出来ないのが現状である)。東京の演劇人にはない魅了を打ち出す必要があるのだが、困難であることは間違いない。白旗を揚げることなど出来ないのであるが。

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2016年7月11日 (月)

京都という孤島

 京都で相次いで小劇場が閉鎖する。いずれも稼働率ではなく所有者側の事情であるが、京都に近い将来、小劇場の危機が訪れるのはもうずっと以前から分かっていた。
 もう閉鎖してしまう劇場だから書いてしまうが、京都の小劇場のレベルは東京の1960年代のそれである。最初に京都の小劇場に行ったときの印象を正直に書くが、「何だこの前時代的施設は」である。
 正直、他の文化に触れている人が京都の小劇場文化に触れようとするには無理があった。お洒落でサービスの行き届いたアート施設に通い慣れている人が京都の小劇場に通うだろうか。答えは明白に「No.」である。
 京都には劇場文化がない。14年前に来たときからそれは気がついていた。そして困ったことに、「演劇で重要なのは劇場ではない」と本気で信じている演劇関係者がいたことだ。「想像力欠乏症」。この病名を彼らには布告したい。
 京都という文化的孤島にあって「まともな劇場がない」(これはロームシアター京都が出る前の大型文化施設にも共通したことであったが)、という状況から一歩でも早く抜け出す努力はすべきであった。しかし京都小演劇界は見事なまでの自閉ぶりを演じた。
 文化首都を標榜する街に住む人々の現状把握能力は以上に述べた通りである。私が京都に来たときには京都の演劇は東京に比べて20年遅れていた。そして東京の演劇は進歩している間に(幸い、進歩の速度は緩やかだったが)30年遅れになってしまった。
 「不十分な設備で頑張っているのが格好いい」。そういう意識は1960年代の東京のアングラ演劇にはあった。だが、今は21世紀である。「客を呼ぶためにはどうすればいいのか」と東京が練り続けてきたことを京都は放棄してきた。海の向こうにもっと素晴らしい場所があるのを知らずに、孤島の人々はままごとを繰り広げていたのである。

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2006年4月 1日 (土)

北山の可能性

京都市内で最も北にある大通り、北山通。市営地下鉄北山駅、松ヶ崎駅があり、交通の便も良い。京都府立植物園、京都コンサートホールなどの文化施設があり、お洒落なカフェやレストランが並ぶ。現在は京都大学のそばにある左京区役所が松ヶ崎の北山通沿いに移転する計画もある。

劇場文化について考えてみる。京都には大劇場というものが存在しない。厳密に言うと、あることはあるのだが、歌舞伎用だったり(南座)、某有名劇団専用劇場と化していたり、大学の施設だったり(京都芸術劇場春秋座)、稼働率が低かったりする。
往年の名優・宇野重吉が「日本一の劇場」と称した京都府立文化芸術会館も中規模劇場であり、最近、内面改装が行われたが、現代演劇に適した劇場かというとそうでもない。

関西にある主な大劇場は、梅田芸術劇場メインホール、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ、ウェルシティ大阪厚生年金会館芸術ホール(いずれも大阪)、びわ湖ホール(滋賀県大津市)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)などであり、東京を始めとする大手シアトリカルカンパニーは、このいずかのホールで公演を行う。びわ湖ホールのある大津市は京都の隣り町だが、京都から大津までの電車賃は高く、他のホールは京都から遠い。

このことからもわかるとおり、京都は劇場文化が発展しにくい街である。

だからといって京都が演劇不毛の街かというとそうでもない。歌舞伎、能などの演劇を生んだこの街は、現代演劇においても重要な地位を保ち続けている。小劇場の数も少なくない。

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2006年3月29日 (水)

演劇だけでは駄目なのです

日本には、「一意専心」、「一道に精進すること」が美徳とされてきた風潮がありました。今はそれほどでもないようですが、かっては「多芸は無芸」、「一芸に秀でれば遊ぶことなし」という言葉が本当に通ったようです。最近は多芸な人が増えてきたので、「マルチな才能を発揮」などと呼ばれて多芸が尊ばれ、一芸に秀でていても遊ぶしかない人も増えているようですが。

演劇も同様で、「演劇一筋」という人が面白い演劇をするか、というとそういうことは余りないようです。総合芸術だからということもあるでしょう。文学書を読まない人が劇作や演出をしても、余程生まれついてのセンスがある人でないと上手くいかないでしょう。

最近、危惧感を覚えるのは、

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2006年1月18日 (水)

大阪に行こう

1月18日、「ひと・まち交流館 京都」でミーティング。

しかし私(本保)は以前に永尾さんから来たメールの「午前」と「午後」を読み間違えており、午前10時頃、永尾さんからのメールが来て初めてそのことに気づくという大失態。

すぐに出かける。40分後に「ひと・まち」に着く。『生まれ変わるとしたら』の反省会も兼ねていたのだが、私の一番の反省は、「今日遅刻したこと」になってしまった。

「午前からミーティングはないだろう」という思い込みが生んだ事態。思い込みというのは本当におそろしいものだ。

永尾さんから、「一人芝居というジャンルを誤解している人がいるのでは」という意見が出たので、それについて、一人芝居が日本では盛んではないことを述べた。

一人芝居が隆盛なのはアメリカで、特にハイレベルとされる大学では学生が自作自演の一人芝居をよく演じている。メッセージを伝えるのには一人芝居が一番という考えがあるからだろう。

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