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2005/05/20

長岡宮跡

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延暦3(784)年、桓武天皇は平城京から乙訓郡長岡の地に遷都する。長岡京の内裏は難波宮からの移築であり、奈良の内裏よりも小規模であった。翌延暦4(785)年、長岡京造営の最高責任者である藤原種継が工事の督励のため夜の都を廻っていた時に弓を射かけられ、暗殺される。下手人はすぐに逮捕されたが、その中に皇太弟・早良親王の側近が多くいたため早良親王は廃太子となり乙訓寺に幽閉され、さらに淡路配流が決まる。早良親王は抗議のため食を断って自害。以後、干ばつや川の氾濫なども重なり、長岡京の造営は遅々として進まなくなる。これらは早良親王の祟りであるとして、桓武天皇は早良親王に祟道天皇を追号。しかし結局延暦13(794)年に都は葛野郡(現在の京都市)に移されることになる。

京都府向日市鶏冠井町の大極殿公園で。

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