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2006/05/05

細川ガラシャの墓

細川ガラシャの墓

細川ガラシャは明智光秀の息女。名はたま(玉、玉子とも表記される)。織田信長の勧めで細川忠興に嫁ぎ、現在の京都府長岡京市にあった勝龍寺城で新婚生活を送る。

本能寺の変で織田信長を滅ぼした光秀は娘婿である忠興に、味方につくよう要請するが忠興はこれを拒否した。しかし秀吉が光秀を討つと、光秀の娘を室として迎えていることに危機感を覚えた忠興は形だけ離縁し、玉を丹後国に遠ざける。丹後国での生活を送る中、玉は侍女であった清原マリアからカトリックについての知識を得、傾倒していくようになる。秀吉の取りなしで大坂に暮らすことを許された玉は正式にカトリックの洗礼を受け、ガラシャという洗礼名を授かる。同時に名字を細川に変えるが、夫婦別姓が当然であった当時の日本においてこれた異例のことであった。

秀吉の死後、石田三成ら反家康勢力が大坂で勢力を増す。三成は、大坂城において家康討伐の旗を揚げる際、ガラシャに人質として大阪城に入るよう命じるが、ガラシャはこれを拒否。三成は細川家大坂屋敷を取り囲み、強硬手段に訴えるが、ガラシャは最後まで従おうとはしなかった。
カトリックは自害を禁じていたため、家老の小笠原小斎秀清に胸を突くよう命じ、ガラシャは38年の生涯を閉じる。正式な墓は大阪市の崇禅寺にあるが、高桐院にも遺髪などを収めた墓がある。

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