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2011/01/12

大徳寺塔頭・総見院 織田信長一族の墓所

大徳寺塔頭・総見院

中央の一回り大きな墓石が織田信長公のもの。信長公の遺骨はなく(一説に、蓮台野にあった阿弥陀寺の清玉上人が信長の遺骨を拾い、阿弥陀寺に埋葬。それを知った羽柴秀吉が、信長の遺骨を渡すよう要求するも清玉上人が固辞したという)、秀吉が、運慶・快慶の流派を受け継ぐ康清という当代一の木像作者(仏師)に信長公の等身大の木製座像を香木を用いて二体作らせ、一体を信長の遺骸の代わりに焼いて供養したという。香木を用いたため、供養の際には芳香が漂ったそうである。残る一体が総見院の本殿に祀られているが撮影は不可(信長公の座像は衣冠束帯の公家の格好をしているが、これは信長が死後に従一位太政大臣の位を賜ったため。なお、信長は大正6年に正一位を顕彰されているが、死後に正一位に叙せられたのは、歴史上、信長で最後である)。
信長公の遺骨がないため、供養塔の色彩が強い。

織田信長の他にも、長男の織田信忠、次男で暗君として名高い織田信雄、フィギュアスケートの織田信成選手の先祖に当たる七男・織田信高(ただし、織田信高の家系は織田信雄の子孫から養子を受けているため、織田信成選手は信雄の血筋である)、信長公の葬儀で喪主を務めた四男の織田秀勝(羽柴秀勝。お江の方と結婚した羽柴秀勝とは別人である)、松平信康(徳川家康の長男)の正室となった徳姫(五徳)、信長公の側室であるお鍋の方などが埋葬されている。

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