清水谷家の椋・秋

蛤御門の奥にある清水谷家の椋(むく)。禁門の変で倒幕の急先鋒であった、長州藩士・来島又兵衛が銃弾を浴びて負傷、自刃したのがこの椋の木の下であったという。
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蛤御門の奥にある清水谷家の椋(むく)。禁門の変で倒幕の急先鋒であった、長州藩士・来島又兵衛が銃弾を浴びて負傷、自刃したのがこの椋の木の下であったという。
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京都御苑内にある「学習院跡」の碑。孝明天皇が弘化4年(1848)に現在の京都御苑内に建てた学問所が「学習院」である。40歳以下の公家や役人がここで学んだ。現在、東京都豊島区にある学習院の前身である。
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東京・赤坂の迎賓館に次ぐ日本で二つ目の迎賓館・京都迎賓館。京都御苑内にある。当初は建設反対運動もあったが、京都人はゲンキンなのか、京都御苑付近の烏丸通は今「烏丸迎賓館通り」と名付けられ、積極的なアピールを行っている。
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京都御所の北、中山邸跡にある祐井(さちのい)。中山家出身の一位局(中山慶子)が産んだ祐宮(さちのみや。睦仁親王。のちの明治天皇)は中山氏の邸で生まれ、養育された。親王が生まれた翌年、この地に井戸が湧き、孝明天皇は、親王の幼名にちなみ、祐井と名付けた。祐井は御所三名水の一つだが、現在は近づくことが出来ない。
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京都御苑内の九条池に浮かぶ小島に建つ厳島神社。安芸の宮島にある厳島神社の分社である。本社とは似ても似つかぬ小さな社だが、唐破風鳥居が特徴のユニークな神社である。平清盛の勧進であり、清盛の母である祇園女御も祀られている。

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遠くに京都御所とその正門・建礼門が見える。かっては公家屋敷が並んでいたこの一帯であるが明治天皇が東京に移るのに従い、公家も東京に移住。辺りは荒廃してしまった。そこで公園として整備することになり、メインストリートとしてこの通りが新たに作られたという。
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小御所会議でよく知られた建物である。四賢候の一人である山内容堂(山内豊信。土佐藩主)が徳川慶喜排斥は陰謀だと責めるが、岩倉具視らが容堂刺殺を暗に示したことから、以後沈黙。会議は反幕派の勝利に終わる。

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紫宸殿の北西に建つ清涼殿。東を向いている。天皇の日常の御在所であったが、近世に入ると儀式のみを行う場となつた。右側に植えられているのは呉竹。

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