2021年1月20日 (水)

コンサートの記(685) ジャナンドレア・ノセダ指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団第7回定期演奏会

2007年2月17日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター大ホールにて

西宮北口にある兵庫県立芸術文化センター大ホールで、兵庫芸術文化センター管弦楽団の第7回定期演奏会を聴く。指揮はイタリア出身で、ゲルギエフ門下のジャナンドレア・ノセダ。1964年生まれと若く、今後が期待されている指揮者の一人である。

兵庫芸術文化センター管弦楽団は、2月にこのノセダを呼び、3月定期にはネーメ・ヤルヴィの次男で、パーヴォ・ヤルヴィの弟であるクリスチャン・ヤルヴィを指揮台に招く。なかなか豪華な顔ぶれである。ノセダのチケットは取れたが、父も兄も名指揮者ということで期待の高いクリスチャン・ヤルヴィのチケットは瞬く間に完売になってしまったようで入手出来なかった。

さて、ジャナンドレア・ノセダ指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏会。前半がヴェーベルンとシェーンベルクという新ウィーン学派の作曲家の作品を並べ、後半にはウィーン生まれの作曲家、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」を置くという、「ウィーン」をテーマにしたプログラムである。

ヴェーベルン編曲(J・S・バッハ作曲)の「音楽の捧げもの」より《6声のリチェルカーレ》とシェーンベルクの室内交響曲第2番は、いずれもノセダの優れた音楽性を示した演奏であった。特にシェーンベルクは室内交響曲第2番では、ゾッとするほど美しい音を楽譜とオーケストラから引き出し、ノセダという指揮者がただ者でないことがわかる。
ただ、ノセダの指揮姿は、指揮棒を上げ下げするだけの単調なもので、プロらしくない。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」は情熱に溢れ、剛胆な迫力に満ちた演奏。ただ情熱一辺倒の感は否めず、ところにより暑苦しさを覚える。また会場にいる他の誰よりもノセダ本人が音楽に夢中になってしまっているのがわかるため、こちらがうまく音楽に酔えないもどかしさもある。
それにしてもノセダの指揮は妙だ。指揮棒の上げ下げを繰り返すだけかと思ったら、腰を振ったり、飛び上がったり、片足に重心を置いて斜めになりながら指揮したりと、指揮法をちゃんと学んだことがあるのか疑問に思えるほど個性的。棒を縦に振り、腰を揺すっている後ろ姿はまるで卓球選手のよう。ノセダの作る音楽もラケットで音を次々と跳ね返していくようなスポーツじみたところがある。
とはいえ、スケールは大きく、推進力、爆発力ともに抜群であり、また聴いてみたいと思える指揮者であった。

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2021年1月19日 (火)

R.I.P. 大城美佐子 「十九の春」(映画『ナビィの恋』より)

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2021年1月18日 (月)

観劇感想精選(379) 蜷川幸雄演出 唐沢寿明主演「コリオレイナス」

2007年2月14日 シアター・ドラマシティにて観劇

大阪へ。シアター・ドラマシティで、「コリオレイナス」を観る。作:ウィリアム・シェイクスピア、演出:蜷川幸雄。出演は唐沢寿明、白石加代子、勝村政信、吉田鋼太郎、香寿たつき、瑳川哲朗ほか。

「コリオレイナス」はシェイクスピア作品の中でもとりわけマイナー部類に入る。シェイクスピア晩年の作品であるが、初演時から不評であり、その後も駄作扱いが続いている。ただ「優性論」という問題を考える上では現代にも通ずるところのあるテキストであると私個人は思っている。

舞台は紀元前5世紀のローマ。勇猛果敢にして高潔なローマ貴族、ケイアス・マーシアス(唐沢寿明)は、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚い。彼はヴァルサイ人の都市であるコリオライを陥落させた栄誉を称えられ、新たにコリオレイナスという名を与えられる。ローマの新執政官に推されたケイアス・マーシアス・コリオレイナスであるが、彼の高潔ゆえに俗悪なものを見下す性質、極度なまでのプライドの高さ、愛想をふりまくことが出来ない性格などが災いし、市民の代表である護民官のシシニアスとブルータスに毛嫌いされており、ローマ市民からも「傲慢でさえなければ、あれほど出来た人はいないのに」と惜しまれはするものの愛されてはいなかった。

執政官になるには選挙でローマ市民から票を集めなくてはいけないのだが、コリオレイナスはどうしても市民に頭を下げることが出来ず、謙虚であることも出来なかった。コリオレイナスの母ヴォラムニア(白石加代子)は、市民の前で演じるだけで良いとコリオレイナスを説得するが、病的にプライドの高いコリオレイナスは演じるということにさえ嫌悪を覚え……

優れた資質を持ちながら樫の木のように固い性格と渡世術の欠如が災いしたコリオレイナスの悲劇を描く。タイトルロールのコリオレイナスを演じる唐沢寿明は強面にするために頭を坊主に丸めての熱演である。

幕が上がると鏡張りのセットがあり、観客がその鏡張りのセットに映っている。4枚組の鏡の中央の2枚が開くと背後に急階段状の舞台が現れ、一番上の段では四天王の像が客席を睥睨している。
四天王の像があることからもわかるとおり、仏教風のデザインが多く用いられており、元老達やコリオレイナスの衣装も山法師風である。またローマといいながらも、コリオレイナスが大小の日本刀を差し、長刀で戦ったり、ヴォラムニアが清の西太后を思わせる衣装を纏うなど、アジア的要素を多く取り入れている。

良い舞台であった。演出も俳優も良いが(特に俳優陣の殺陣は迫力満点であった)、観ているうちに演出の工夫や演技の巧拙などは気にならなくなり、「コリオレイナス」という作品自体の良さが浮かび上がってくる。観客に「良い演出だ」、「良い演技だ」と思わせる舞台はまだまだ一級品には遠く、「良い作品」だと思わせるのが真に優れた舞台であるとするなら、今日観た「コリオレイナス」はその真に優れた舞台であった。
「コリオレイナス」の登場人物全員が私の分身のようにも見えてくる。それだけ人物が巧みに描かれているということであり、晩年とはいえ、シェイクスピアの筆がさほど衰えていたわけではない証拠ともいえる。もっとも演出で隠してあるが、冷静に考えると妙に雑な箇所があり、シェイクスピアの体調が万全ではなかったことも同時にうかがえるのだが。

民主主義と衆愚政治が隣り合わせであることが示されるが、「コリオレイナス」の悲劇は英雄達だけで成り立つものではなく、愚かだろうが何だろうが、市民が生み出したものであり、市民の存在の大きさと恐ろしさを同時に伝える。歴史の主役は良くも悪くも市民なのだ。
劇が始まる前と、終演後、鏡状のセットに観客達を映したのも、「劇の主役は実は観客=市民」という構図を際だたせるための工夫であると思われる。

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2021年1月17日 (日)

コンサートの記(684) ベルトラン・ドゥ・ビリー指揮ウィーン放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月10日 大阪・福島のザ・シンフォニーホール

午後2時より、ザ・シンフォニーホールで、ベルトラン・ドゥ・ビリー指揮ウィーン放送交響楽団(旧・オーストリア放送交響楽団)の来日公演を聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。曲目は「エグモント」序曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:ピョートル・オフチャロフ)、交響曲第3番「英雄」。

ベルトラン・ドゥ・ビリーは、1965年、パリに生まれた指揮者。フランスが生んだ久々の大物指揮者といわれ、2002年からウィーン放送交響楽団の首席指揮者の任にある。
以前、ドイツの若手指揮者が払底気味であるという話をしたが、クラシック音楽のもう一方の雄であるフランスもこれといった若手指揮者を生み出せないでいた。そこへ現れた、ベルトラン・ドゥ・ビリー。フランス音楽界の期待を一身に受けている。

「エグモント」序曲。ドゥ・ビリーは古典配置を採用しているが、ピリオド奏法には興味がないようでオーソドックスな仕上がりを見せる。冒頭は弦が薄いものの響きは美しい。バランスは最上であるがきれい事に終始せず熱い演奏を聴かせる。特に後半の緊張感は異様なほどで、この若きフランス人指揮者のドラマティックな音楽性がよく表れていた。

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。寡聞にして知らなかったが、ピョートル・オフチャロフは1981年レニングラード(現・サンクトペテルブルク)生まれのピアニストで、1999年から本拠地をオーストリアのザルツブルクに移し、数々のコンクールで優勝しているという。
オフチャロフのピアノは彩り豊かであり、音の粒立ちも良く、スケール豊かで表情の細やかなもの。かなり優れたピアニストである。
ドゥ・ビリー指揮のウィーン放送響も、オフチャロフに負けじと色彩豊かな演奏を披露する。

秀演が続いていただけに、交響曲第3番「英雄」への期待が高まる。
ベルトラン・ドゥ・ビリーは「英雄」でも正攻法の演奏を繰り広げる。木管の浮き上がらせ方などに才能を感じさせもする。しかし全体としてはいささか面白味に欠ける演奏になってしまっていた。正攻法ならドゥ・ビリーより優れた演奏をするベテラン指揮者はいくらでもいる。今年42歳の指揮者に第一級の「英雄」を求めるのは酷だったか。今後に期待しよう。
ウィーン放送響の技術も一定の水準には達していたが、第2楽章で突然調子外れの音を出す奏者がいたり(余りに妙な外し方だったので私は驚いてしまったのだが、指揮者のドゥ・ビリーも驚いたようで、一瞬、「ん?」という表情を見せていた)まだまだ改善の余地あり。


アンコールではウィーンゆかりの作曲家の作品を披露。まずはブラームスのハンガリー舞曲第1番で自信に溢れた演奏を披露。
続いて、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「雷鳴と稲妻」が演奏されたが、勢い任せの乱暴な演奏であった。ウィーンの楽団ならどこでもヨハン・シュトラウスの名演を繰り広げるというわけではないらしい。
最後はヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。指揮者のドゥ・ビリーが聴衆相手に拍手の合図を送るなど、楽しい時間を過ごすことが出来た。

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2021年1月16日 (土)

コンサートの記(683) ロームシアター京都開館5周年記念事業 シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」

2021年1月10日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」を聴く。

来場者はいつもとは少し異なっているようである。25歳以下無料招待や、留学生のための特別チケットなどもあったようだが、ロームシアターの構造をよく知らない人が多く、少なくとも常連さんは余り来ていない。あるいは招待客が多いということも考えられる。普通に考えて、雅楽とコンテンポラリーダンスという、どちらもマイナーなジャンルの組み合わせで行われる公演に数多の人が訪れるとは思えない。雅楽の演奏を行うのは宮田まゆみ率いる伶楽舎であるが、宮田まゆみが雅楽のスターとはいえ、あくまで雅楽を聴く人の中でのスターである。東儀秀樹のように自作やポピュラー音楽を奏でる人ならファンが多いが、宮田まゆみは雅楽とクラシック音楽のみなので誰もが知っているという存在ではないと思われる。
クラシック音楽好きも、同じ時間帯に京都コンサートホールで井上道義指揮京都市交響楽団によるニューイヤーコンサートが行われるため、そちらを優先させた人が多いはずである。

 

二部構成の公演で、第一部が「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」、第二部が武満徹作曲の雅楽「秋庭歌一具(しゅうていがいちぐ)」による現代舞踏作品「残影の庭-Traces Garden」(振付・出演:金森穣。出演:ノイズム・カンパニー・ニイガタよりNoism0)の上演である。

 

第一部「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」の曲目は、芝祐靖作曲の「巾雫輪説(きんかりんぜつ)」、双調音取/催馬楽「新しき年」(以上、演奏:伶楽舎)、声明「普賢讃」/舞楽「陵王」(演奏と舞:音輪会)。

雅楽では、「残楽(のこりがく)」という演奏法が一般的で、これは次第に音の数を減らして最後は篳篥と箏の掛け合いになるというものである。クラシックに例えると――例える必要があるのかどうかはわからないが――ハイドンの交響曲第45番「告別」のような感じである。箏は「輪説」という自由奏法を行う。芝祐靖(しば・すけやす)は、「輪説」に焦点を絞った新作を依頼され、「残楽」とは逆に箏の独奏から始まって次第に楽器を増やし、全員合奏で終わるという、クラシック音楽に例えるとラヴェルの「ボレロ」のような曲を構想する。だがなかなか思うようには行かず、作曲には苦労したようだ。曲名にある「巾」とは箏の一番高い音のことだそうである。
箏の独奏に始まり、琵琶の独奏が加わり、篳篥、龍笛、笙が鳴り、箏は三重奏、琵琶も二重奏となる。音のボリュームと迫力の変化が楽しい曲だが、雅やかさも失うことはない。雫がせせらぎとなって川に注ぎ、ということでスメタナの「モルダウ」が意識されている可能性がある。

後白河法皇が好んだことで知られる催馬楽であるが、一時期伝承が途絶えており、江戸時代に再興されているが、平安時代のものがそのまま復活したという訳ではないようである。
「新しき年」でも芝祐靖が復元した楽譜を使用。「新しき 年の始めにや かくしこそ はれ」という歌詞が引き延ばされつつ歌われる。

音輪会による声明「普賢讃」。仏教音楽である声明だが、「普賢讃」は日蓮宗の声明の一つである。普賢菩薩を讃える声明と雅楽が融合される。散華の場もある。そのまま続けて舞楽「陵王」。舞人は、友田享。
クラシック音楽愛好者の中には、黛敏郎のバレエ音楽「舞楽」を好むという人も多いと思われるが、その「舞楽」の本家本元の舞楽の一つであり、曲調も似ている。迫力と優雅さを合わせ持ちつつどことなくユーモラスな感じもする舞も面白い。

 

第二部「残影の庭-Traces Garden」。伶楽舎が演奏する武満徹の「秋庭歌一具」は、現代雅楽を代表する作品である。武満は、雅楽について、「まさに音がたちのぼるという印象を受けた。それは、樹のように、天へ向かって起ったのである」(音楽エッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』より)とコメントしている。1962年10月、宮内庁楽部の演奏を聴いた時のコメントである。それから約10年が経った1973年に武満は国立劇場から新作雅楽の作曲の委嘱を受け、「秋庭歌」を作曲。その後、1979年に「秋庭歌」に5曲を加えた「秋庭歌一具」を完成させている。
「秋庭歌一具」は知名度も高いが、今回のようにコンテンポラリーダンスとの共演が行われたこともある。2016年に伶楽舎と勅使河原三郎によって行われたもので、この公演はその後、NHKによって放送され、私も観ている。タケミツホール(東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”)での上演であった。

今回の上演では、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・舞踏部門芸術監督の金森穣と彼が率いるNoism Company Niigataによる現代舞踏とのコラボレーションとなる。

武満徹の作品において「樹」は重要なモチーフとなっているが、演出・振付の金森穣が無料パンフレットに載せた文章にも、この新作ダンスが樹という風景を用いた「過ぎ去り日の残影」を描いた旨が記されている。

 

武満徹の「秋庭歌一具」は、中央に秋庭と呼ばれるスペースを置き、左右後方の三カ所に「木霊」と呼ばれる演奏者達を配置して庭の移ろいを描く。「木霊」は精霊であり、移ろいゆく時間そのものを表していると解釈することも可能である。
武満は、有名な「ノヴェンバー・ステップス」や劇伴になるが大河ドラマ「源義経」のオープニングテーマで邦楽器とオーケストラのコラボレーション作品を書いているが、そうした和と洋の対比ではなく、「武満徹が純粋な雅楽作品を書いた」ということ自体が歴史的な意義を持っている。古代中国由来で日本でだけ生き残った雅楽に、日本で生まれ育ったが西洋音楽の道に進み、フランスの評論家から「タケミツは日系フランス人だ」とまで言われた偉大なクラシックの作曲家が己の作風を注ぎ込む。これは時代と場所とが音楽として重層的且つ歴史的に立ち上がることに他ならない。世界で彼にしか書けないと言われたタケミツトーンが、歴史の集合体として生かされており、おそらく日本音楽史上に永遠に残る傑作である。

「庭」を題材にした作品も多い武満だが、時と共に姿を変えゆく庭は音楽との共通点を有し、時の移ろいもまた重要なテーマとなっている。

コンテンポラリーダンスの出演は、Noism0(金森穣、井関佐和子、山田勇気)。衣装:堂本教子。映像:遠藤龍。秋庭の前の空間でダンスが行われる。

まずは三人横並びで同じ動きを始めることでスタート。やがてその動きやポジショニングが徐々にずれていく。キャットウォークから赤い羽織のようなものが降りてきて、井関佐和子がそれを纏う。紅葉を表しているのだと思われる。だが、すぐに井関佐和子は上手に向かって退場。紅葉の時期はほんの一瞬で、秋の盛りが一瞬で過ぎ去ったことを示すのかも知れない。その後は、移ろいゆく時の流れとその回想からなるダンスが展開される。男性ダンサーは二人とも黒系の羽織を着て再登場するが、よく見ると一人は茶色、一人は黒の羽織で色が微妙に異なることがわかる。黒は「玄冬」ということで冬を表し、茶色は赤と黒の中間で晩秋もしくは初冬を表していると思われる。移ろう時の中で秋の思い出が何度もリフレインするが、赤と茶の二人のダンスから、赤と茶と黒の三人のダンスに変わり、季節が移り変わっていくことが表される。
やがて落葉した樹のオブジェが現れる。舞台上方にはいくつものロウソクの明かりが灯っているが、それも次第に下がってくる。背後には橙色の光が投影され、太陽の力が弱まり、冬が近いことが告げられる。赤色の秋の精も眠りにつき、やがて去る。
空白の舞台を囲む三方で雅楽の演奏が続く(「秋庭歌」の場面だと思われる。庭そのものが主役の場とされたのであろう)が、やがて秋の精が現れ、眠りから一瞬覚める。秋が終わる前の、一瞬の夢が展開される。舞台上にはダンスを行っている影の映像が投影され、秋の精も自身の思い出と共に舞う。天上から紅葉の葉が降り、初冬の精と冬の精も現れ、舞台上に投影された中秋の名月を李白のように掴もうと試み、失敗する。
やがて赤い羽織はワイヤーに乗って天上へと帰り、思い出としての秋も完全に終結する。秋の精と初冬の精は手に手を取って舞台から退場。冬の精が一人ポツンと残される。

ダンスを筋書きで描くというのは粋な行為ではないが、おおよそこのようなことが演じられているように見えた。金森のプロダクションノートからは、移ろいゆく今よりも移ろい去ってしまったものへの哀感が強く感じられる。秋の盛りよりもそれが過ぎ去った後を描いたシーンの数々は、一種の幻想美として目の奥に留まることとなった。

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NHK「クローズアップ現代 [瀬戸際のオーケストラ対策は]」2007年1月17日放送(後記あり)

2007年1月17日

NHK「クローズアップ現代」。今日は[瀬戸際のオーケストラの対策は]というテーマで、経営難が叫ばれ続けている日本のオーケストラ事情を特集する。

オーケストラは大所帯であるためコストパフォーマンスが悪く、毎回客席が超満員になっても黒字が出ない。存続のためには資金援助に頼るしかないのだが、言葉だけは「好況」と言われていても実情が伴っていない現在の日本(2007年時点)では援助金がカットされ続けているというのが現状である。

私の出身地である千葉市に本拠を置く、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(現・千葉交響楽団)の苦境が放送される。千葉県内唯一のプロオーケストラとして1985年に発足。千葉市は比較的クラシック音楽愛好家の多い街だが、東京に近いということもあって、より優秀な演奏を求めて東京のプロオーケストラの演奏に通う人の方が多い。

千葉県も文化においては東京に頼り切りというところがあり、自前で文化を生み出そうという気概には欠けるところがある。JR千葉駅前に音楽専用ホール「ぱ・る・るホール」がオープンしたが、千葉県はニューフィルのフランチャイズにして育てるのではなく、東京フィルハーモニー交響楽団を招くという政策を採った(後記:その後、「ぱ・る・るホール」は大手地方銀行の一つである京葉銀行がネーミングライツを得て、京葉銀行文化プラザ音楽ホールとなったが、運営費が維持出来ず、2018年に閉鎖されている)。

ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉は年5回の定期演奏会を開いているが、会場は千葉市、市川市、船橋市、習志野市などに分散されているため、一つの都市に密着して演奏を行うということが出来ない。またゲストの堺屋太一氏が大阪フィルの前身である関西交響楽団の学校巡りの話をしていたが、ニューフィルは学校巡りや芸術鑑賞会での演奏を数多くこなしている。しかし思うような結果は出ていない。
クラシック音楽の聴衆を増やすためには、クラシックが持つ、「難しい」、「高尚な」、「インテリが聴く」、「暗い」、「退屈」という誤ったイメージを払拭する必要があるのだが、かつてのインテリ達が「クラシックは特別」という意識を今も持ち続けていることが多いこともあってか、なかなか普及しない。海外有名オーケストラの来日演奏会チケットが高いため、日本のオーケストラのチケット料金も高いと誤解されている節もある。

オーケストラだけでなく演劇もまたそうで、誤ったイメージが浸透しているため観客が増えない。映画にしろテレビ番組にしろ本にしろ漫画にしろ、一度も観たことがない、一冊も読んだことがないという人を探すのは難しい。しかしクラシックのコンサートや演劇を生で一度も味わうことなく生涯を終える人は思ったより多いと思われる。
初対面の人と演劇の話をする場合は、「まず演劇というものを観たことがあるか」から始めなければならない。そうでないと失礼になる。悲しいことだがこれが現状である。欧州などとは違い、日本では演劇が日常に溶け込んでいないのだ。

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2021年1月15日 (金)

コンサートの記(682) 阪哲朗指揮 大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)第45回名曲演奏会

2007年1月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪シンフォニカー交響楽団の第45回名曲演奏会を聴く。指揮は京都市生まれの阪哲朗。1995年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して注目を浴びた指揮者である。シンフォニーオーケストラではなくドイツの歌劇場を中心に活躍しているためか、CDなどは出ていないが、評価は高く、特にドイツにおいてはオペラ指揮者として高く評価されている。1968年生まれと若く、広上淳一(1958年生まれ)、大野和士(1960年生まれ)、大植英次(1956年生まれ)、佐渡裕(1961年生まれ)の次の世代の逸材として注目を浴びている一人である。

ニューイヤーということもあってか、後半はオール・シュトラウス・ファミリー・プログラム。前半はシュニトケの「モーツ・アルト・ア・ラ・ハイドン」と、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」。

「モーツ・アルト・ア・ラ・ハイドン」は京都市交響楽団の定期演奏会で井上道義も採り上げていた半冗談音楽。井上道義はこの曲を十八番としているようで、京響との演奏では外連味たっぷりの指揮と演技で大いに笑わせてくれた。阪さんは真面目なので(井上が不真面目ということではないが)井上のような悪ふざけはしない。ただオーケストラ団員が指揮に従わず、どんどん勝手に演奏するという演出はする。チェロ奏者やヴァイオリン奏者に指揮台を占領されてオロオロするという演技などは面白い。阪哲朗は指揮者というよりも老舗旅館の若旦那といった風貌なのでオロオロする様は実にはまっている。

モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」は古典配置による演奏。阪哲朗は知的な音楽作りに定評があるので、おそらくピリオドアプローチで来るだろうと予想。果たしてその通りであった。弦楽器のビブラートを抑えてすっきりとした響きを作り、音の強弱を「ミリ単位」という例えを使ってもいいほど細かくつける。これほど強弱に気を遣う指揮者も珍しい。躍動感にも満ちた音楽を創造するが、踏み外しが一切ないのが逆に気になる。こんなに優等生的な演奏でいいのだろうか。

後半のシュトラウス・ファミリーの音楽は、音に勢いがあり、演出も気が利いていて文句なしに楽しめる演奏であった。昨日聴いたウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラのような、ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いていたバンドと同じサイズの編成による演奏も良いが、やはり現代のコンサートホールで聴くにはサイズの大きなオーケストラの方が適している。大阪シンフォニカー交響楽団も澄んだ響きを出しており、好演だ。

ところで阪哲朗という指揮者はいつも涼しい顔をして振っている。同じ京都市生まれで京都市立芸術大学出身であっても、佐渡裕とは正反対だ。

アンコールは3曲。まずヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。阪は演奏の途中で指揮台を降り、残りの演奏をオーケストラに任せて下手袖(ステージ向かって左側)へ引っ込んでしまうという演出をする。だがこれ、阪は事前にオーケストラに告げていなかったようで、演奏を終えたファーストヴァイオリンの奏者達が驚きの混じった顔で阪の去っていった下手袖を振り返っていた。

アンコール2曲目は恒例のワルツ「美しく青きドナウ」、3曲目も恒例の「ラデツキー行進曲」。まずまずの演奏であった。

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これまでに観た映画より(240) 「ラ・ラ・ランド」

2021年1月11日 新京極のMOVIX京都ドルビーシネマにて

MOVIX京都ドルビーシネマで、ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」を観る。英語表記だと「LA LA LAND」と「LA」が3つ重なるが、これは「LA」ことロサンゼルス(Los Angeles)が舞台になっていることにも由来する。脚本・監督:デミアン・チャゼル。音楽:ジャスティン・ハーウィッツ。出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、ジョン・レジェンド、ローズマリー・デウィット、J・K・シモンズほか。2016年の公開(日本では2017年公開)。高音質のドルビーシネマの登場に合わせてのリバイバル上映である。

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アメリカ文化が背景にあり、名ミュージカル作品へのオマージュに溢れているため、そういった知識が十分にない人は意味を100%掴むことは難しいかも知れないが、ストーリーは複雑でないため、楽しむのには何の問題もない。

セブ(本名はセバスチャン。ライアン・ゴズリング)は売れないジャズピアニストだが、アメリカにおけるジャズ文化の衰退が背景にある。私がジャズを本格的に聴き始めた1990年代にはすでに、アメリカにおいては「ジャズはコンテンポラリーな音楽ではない」と見なされていた。勿論、偉大な現役のジャズミュージシャンは何人もいるが、ジャズ・ジャイアンツといわれた時代の人々は、モノクロの写真や映像の時代に活躍している。この映画にも写真が登場するチャーリー・パーカー然り、ビル・エヴァンス然り、会話に登場するサッチモことルイ・アームストロング然り。マイルス・デイヴィスはカラーの時代の人だが、故人である。彼らに匹敵するジャズメンははもはや存在しないというのが現状である。セブの弾くジャズがオーナーの怒りを買ったり、ヒロインのミア(エマ・ストーン)が平然と「ジャズは嫌い(英語のセリフを聞くと、思いっきり“I hate Jazz.”と言っている)」と言ってセブが激怒するという背景にはこうした事実がある。日本でも人気のあるケニー・Gの話も出てくるが、どうもアメリカではイージーリスニング扱いのようである。

ハイウェイの通勤ラッシュのシーンから始まる。夏の朝のロサンゼルス、気温は摂氏29度。少しも進まぬ渋滞に皆イライラしている。そんな時にある黒人女性が路上に降り立ち、歌い踊り始める。すると人々は次々に車のドアを開けて歌とダンスに参加する。曲が終わると、人々は車に戻り、元の渋滞へと帰る。やがて車が動き始めるのだが、一人で車に乗っていた女優志望のミアはセリフの練習をしていたため発車が遅れ、後ろにいたセブにクラクションを鳴らされる。セブはエマの車に横付けして「何をやってるんだ?」という顔。出会いは最悪だった。そしてその夜、二人は偶然再会する、という一昔前に流行ったトレンディードラマのような展開を見せる。

その後も突然歌ったり踊ったりがある(タモリさんが嫌いそうな)王道のミュージカル的展開で話は進む。

ミアは、女友達と共同生活を送りながらオーディションを受ける日々を続けている。普段は撮影所の近くのカフェでアルバイトをしているが、たまに有名俳優がその店を訪れることがあるようだ。なんとかかんとか一次オーディションを通ったのだが、二次オーディションではセリフを言い終わらないうちに落選を告げられ、落ち込む。

一方、セブは、オールドジャズに憧れを持っているのだが、西海岸ということもあって音楽好きからも理解が得られない。レストランのピアノ弾きに採用されたが、ジャズを弾いたためオーナーからその場で解雇を言い渡される。その場にたまたまミアが居合わせることになった。ただここでの再会もまた最悪のうちに終わる。
セブはオールドジャズのための店を開くという夢を持つが資金がない。
その後、セブは余りパッとしないバンドにキーボーディストとして加わり、またも偶然、ミアと再会する。急速に距離を縮めていく二人。セブはミアにも店をやりたいという夢を語り、ミアは女優を目指す理由を幼少期の思い出から物語る。
ある日、昔なじみのキース(ジョン・レジェンド)と再会したセブは、セッションに加わる。キースは、電子音を用いたジャズを行っているのだが、セブはそれには違和感を覚える。キースはマイルス・デイヴィスの話を持ち出す。

ここでなぜマイルス・デイヴィスなる人物の話が登場するのかわからない人もいると思うが、マイルス・デイヴィスは初めてジャズにエレキ音を取り入れた人であり、その他にもラッシュフィルムに即興で音楽を付けるなど(「死刑台のエレベーター」)次々と新しい試みを行って「ジャズの帝王」と呼ばれた人物である。セブはマイルスに比べて保守的に過ぎるというキースの意見が語られている。
随分昔、黛敏郎が「題名のない音楽会」で司会を務めていた時代に、ジャズの特集が放送されたことがあったのだが、黛がエレキを取り入れたマイルスのジャズに「これはもうジャズではなくロックだ」と否定的な見解を述べていたのを覚えている。

本心からやりたい音楽ではなかったが、店を始めるための資金を稼ぐため、セブはキースのバンドに加わり、レコーディングを行い、全米ツアーに出る。かなり売れているバンドのようだ。ミアはセブが出演しているライブを聴きに行くが、熱狂する観客の中にあってセブの存在が遠くなるのを感じる。ただセブの方もやりたい音楽が全く出来ないばかりか、プロモーションに継ぐプロモーションという環境に嫌気が差し始めていた。

一方、ミアは女優の仕事がないなら自分で作るということで、一人芝居の戯曲を書き、劇場を借りて上演することに決めた。主人公の名はジュヌヴィエーヴ。名作ミュージカル映画「シェルブールの雨傘」のヒロインの名前である。出身地であるボールダーを舞台にした作品だ(上演中のシーンは出てこないため、筋書きや内容は一切わからない)。セブはミアに自分のツアーに帯同してはどうかと誘うが、ミアは稽古のための時間が取れないと断る。すでに同棲を始めていた二人だったが、次第に境遇に差が生まれていた。

小劇場で行われたミアの一人芝居だが、知り合いとそのほか数名が観に来ただけで不入り。更に楽屋に戻ったミアは、帰る途中の観客がミアの演技と作品を酷評しているのを聞いてしまう。仕事で劇場に駆けつけるのが遅れたセブがようやく劇場の前に到着。だが己の才能に絶望したミアはセブの言うことも聞かず、女優の夢を諦めて故郷のボールダーに帰ることを決意する。
再び一人で暮らすことになったセブだが、ある日、一本の電話が入る。配役エージェンシーからのもので、ミアの一人芝居を観た映画関係者が彼女の演技を観て気に入り、呼びたいとの申し出があったという。配役エージェンシーはミアがまだセブと同棲しているものだと思い込んでセブのスマホに電話をかけてきたのである。セブはすぐにボールダーのミアの実家に向かって車を飛ばす。

 

「シェルブールの雨傘」からの影響が特に顕著であり、あの物語をもっと納得のいく形で終わらせたいという思いがあったのかも知れない。
「シェルブールの雨傘」では、共に金銭的に成功しながら完全なる別離という残酷な結末を迎えた男女だったが、この「ラ・ラ・ランド」では成功しつつも別の道を歩んだことを後悔はせず、むしろ互いを祝福しているように見える。
成功を夢見る若者が押し寄せる希望と絶望の街、ロサンゼルスが舞台となっているが、エマ・ストーン演じるミアは夢見る人々への讃歌を歌い、セブはささやかではあるが確固とした幸せを手にしている。別れを描いているにも関わらず、清々しい気持ちになれる佳編であった。

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2021年1月13日 (水)

コンサートの記(681) ペーター・グート指揮ウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ「ニューイヤー・コンサート」2007京都

2007年1月12日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで、ペーター・グート指揮ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラによるニューイヤー・コンサートを聴く。日本を代表する若手ソプラノ歌手・森麻季がゲスト出演する。

ウィンナ・ワルツやポルカのスペシャリストとして一部で高い評価を受けているペーター・グートはもともとはヴァイオリニストであり、生地のウィーンでヴァイオリンを学んだ後、旧ソ連に留学。モスクワ音楽院で当時世界最高のヴァイオリニストの一人であったダヴィッド・オイストラフに師事している。
ウィーン交響楽団の初代コンサートマスターとなったグートは1982年に指揮者としての活動を開始、ヨハン・シュトラウスⅡ世同様、ヴァイオリンを弾きながらオーケストラを指揮することもある。

ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラは名前通りの祝祭オーケストラだが、1978年から活動を続けており、シュトラウス・ファミリーの演奏はお手の物だ。

森麻季は有名だ。
で済ませたいところだが、クラシックの知識のある方ばかりとは限らないので紹介しておくと、1970年、東京に生まれ、東京藝術大学および大学院、文化庁オペラ研修所を経て、イタリアに留学。まずアメリカで成功を収め、日本ではNHK交響楽団との共演で知名度を上げる。昨年(執筆当時。具体的に書くと2006年)、avexからCDデビューしている。伸びやかな高音と華やかな容姿が売りである。

ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラは小編成(ファースト・ヴァイオリン8、セカンド・ヴァイオリン3、ヴィオラとチェロとコントラバスが2。2管編成)であり、京都コンサートホール大ホール向きではない。だから最初の曲である「こうもり」序曲などは音量に不満を感じたが、ワルツやポルカなどは音量よりも音の美しさが重要なのでボリューム不足はさほど気にならなかった。アンサンブルの精度はもう1ランク上を望みたくなるが音の艶やかさは十二分に合格点に達していた。

ペーター・グートの指揮はCDでも耳にしているが、本当に楽しそうにワルツやポルカを演奏する。ショーマンである。これは音だけではわからない。やはり音楽は生が一番である。チケットもそう高くはないんだし。

森麻季は3曲に登場。まずはオペレッタ「こうもり」より“伯爵様、あなたのようなお方は”。続いてワルツ「春の声」。最後がオペレッタ「こうもり」より“田舎娘を演る時は”。いずれも余裕を持って歌われる高音が素晴らしい。ただ今日は私はステージ下手(左側)真横に座っており、私の席からは森の声は聞き取りにくかった。残念。
森は“伯爵様、あなたのようなお方は”ではピンクのドレスにショッキングピンクの手袋、「春の声」では青いドレスにターコイスブルーのショール、“田舎娘を演るときは”ではエメラルドグリーンのドレスに白い手袋で登場。森のドレス姿の鮮やかさに会場のここかしこから女性のため息が起こる。

全プログラムを終えて、グートと森が登場。森は最初に出てきた時と同じピンクのドレスにショッキングピンクの手袋。グートはラデツキー行進曲をオーケストラに演奏させて、自分は森と共に客席に降りて1階席を巡る。会場にいた子供3人を呼んでステージに立たせ、指揮棒を持たせて指揮の真似事をさせると再び森麻季と更にファーストヴァイオリン8人を引き連れて1階席を一巡り。サービス精神旺盛である。


ウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ ニューイヤー・コンサート2007 公演パンフレット(鴨東記)

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2021年1月12日 (火)

美術回廊(61) 京都髙島屋7階グランドホール 「没後70年 吉田博展」

2021年1月7日 京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、「没後70年 吉田博展」を観る。

現在の福岡県久留米市に生まれた吉田博(1876-1950)は、明治、大正、昭和期に掛けて風景画の第一人者として活躍した人物である。久留米藩士の子として生まれ、京都と東京で洋画を学び、洋画家として活躍したが、49歳の時に木版画を始める。その後、1923年(大正12)に関東大震災が起こり、木版画や版木を全て焼失。他に被害を受けた画家仲間も多かったため、代表してアメリカに渡って絵を売ることになるが、売れたのは吉田の木版画ばかり。アメリカでも浮世絵の評価は高く、そのため版画が人気だったのだが、「反骨の男」とも呼ばれた吉田は、江戸時代の浮世絵ばかりが高く評価されていることに疑問を抱き、以降は独自の木版画制作に没頭するようになる。

実は若い頃に吉田は渡米しており、デトロイトやボストンで展覧会を開いて好評を博している。ちなみにこの時は英語は一切出来なかったそうで、かなりのチャレンジャーである。当時は、黒田清輝を中心とするフランス帰りの画家が日本で人気を得ていたが、吉田はこれに反発。敢えてフランスではなくアメリカに向かって腕試しをしている。
吉田は黒田清輝率いる白馬会のメンバーとはかなり仲が悪かったそうで、白馬会の白がかった淡めの画風を毛嫌いしていた。九州男児だからかどうかはわからないが喧嘩っぱやく、黒田清輝に殴りかかったこともあったという。後には、白馬会に対抗する形で太平洋画会を興している。

旅と山岳を愛し、画材を持ち仲間を連れて富士山を始めとする日本の名山に登山。登山中にじっくりとした描写を行うのが常だったという。次男には穂高岳にちなむ穂高(ほだか)という名を与えている。ちなみにこの穂高と、長男の遠志(とおし)は二人とも版画家となっている。

吉田博は、浮世絵ではなく洋画を版画に移したような新しい木版画を目指したが、構図の大胆さなどは案外、浮世絵と共通しているように思われる。あるいは構図の大胆さは「摺りやすさ」に由来しているのかも知れないが、私は版画を制作したことがないのでよくわからない。

独自の画風を目指した吉田博だが、ホイッスラーにだけは惹かれたという。仄暗い寒色系の色使いなどにはホイッスラーに共通するものも感じられるが、最終的には吉田はホイッスラーからも離れたという。

アメリカの風景を版画で描いた作品がいくつか並ぶ。グランド・キャニオンやナイヤガラ瀑布などで、色彩感や構図が面白い。

吉田は版画の性質を生かし、同じ版木に異なる色彩を入れることで、朝、昼、夕、夜など、同じ絵の時間違いバージョンなどもいくつか制作している。これには日本を題材にした作品のみならず、スフィンクスやタージマハルなど海外で描かれた風景画も含まれる。

なお、吉田は専ら風景画家として活躍。人物画は余り得手としていなかったようで、風景画の中にいる人物達の表情も簡素である。

吉田の作品は、日本よりも海外での評価が高く、ファンも多い。厚木飛行場に降り立ったダグラス・マッカーサーの第一声が、「ヒロシ・ヨシダはどこだ?」だったというジョークも存在する。マッカーサーが吉田ファンというのは本当で、新宿区下落合にあった吉田のアトリエを実際に訪れている。ダイアナ妃も吉田博のファンで、「瀬戸内海集 光る海」と「猿沢池」の2作品を自室に飾っていた。
「瀬戸内海集 光る海」は、海に反射する光を描いた作品である。吉田は印象派の絵画について特に語ってはいないようだが、この光のたゆたい方は印象派のアイデアそのものである。印象派は日本の浮世絵の版画に影響を受けたが、そうした浮世絵の影響を受けた洋画が日本の版画へとフィードバックされたような形となっている。循環である。面白い。

富士山と山中湖を描いた版画には、定番の「逆さ富士」が描かれているが、吉田の作品はこの他にも水に反映した物体を描いていることがかなり多い。また暖色と寒色の組み合わせが絶妙であり、幻想性を高めている。

映像も2点流れている。版画の工程を描いた映像では、吉田が摺り師にかなりの数の重ね摺りを要求したことが語られており、江戸時代の浮世絵の版画は多くても十数回の重ね擂りで完成するが、吉田の作品は平均でも30回以上、日光東照宮の「陽明門」の版画に至っては実に96回も重ね摺りが行われたという。

展示会場を出たところにあるモニターには、吉田の人生を描いた映像が映っており、反骨精神旺盛な吉田のエピソードはここで語られていた。

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