2025年1月25日 (土)

コンサートの記(881) ヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮京都市交響楽団第696回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2025年1月17日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第696回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は京都市交響楽団首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーント。

曲目であるが、当初の発表より変更があり、モーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」とロベルト・シューマンの交響曲第2番となった。モーツァルトの「グラン・パルティータ」は編成こそ小さめだが、全7楽章で演奏時間約50分と長い。シューマンの交響曲第2番も通常の演奏時間は40分ほどある。休憩時間なし演奏時間約1時間が売りのフライデー・ナイト・スペシャルであるが、今回は長さに関しては休憩ありの普通の演奏会と同等の規模となった。なお、来年度はフライデー・ナイト・スペシャルは実施されず、3月の沖澤のどか指揮のものが最後のフライデー・ナイト・スペシャルとなる予定である。

 

午後7時頃よりデ・フリーントによるプレトークがある(通訳:小松みゆき)。
デ・フリーントは、「セレナーデは屋内ではなく野外で演奏されることが多かった」と話し始めるが、まずはシューマンの交響曲第2番についての解説となる。この曲はシューマンが精神を病んでいた時期に書かれたもので、彼の中に二つの人格があってせめぎ合っていたという。落ち着いていることが出来ず、常に動き回っている時もあったそうだが、J・S・バッハの音楽を聴くと落ち着いたそうだ。
交響曲第2番の初演時の評価は真っ二つに分かれたそうで、「ベートーヴェン以降最高の交響曲」と絶賛する向きもあれば、「複雑すぎてよく分からない」と評する人もいたようである。現在もシューマンの4つの交響曲の中では第2番が最も難解とされており、演奏会のプログラムに載る回数も録音も少なめである。

シューマンの精神病については梅毒由来のものとする説が有力で、後に彼はライン川への入水自殺を図っている(未遂に終わった)。

モーツァルトの時代には、音楽は黙って静かに聴くものではなく、お喋りをしながら聴かれることも多かったという話もフリーントはする。
モーツァルトは当時は新しい楽器であったクラリネットを愛したことで知られるが、クラリネットからの派生楽器であるバセットホルンが使われていることにも注目して欲しいとフリーントは述べていた。

 

モーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」。オーボエ2、クラリネット2、バセットホルン2、ホルン4、ファゴット2、コントラバス1という編成である。
下手端のオーボエの髙山郁子と上手端のクラリネットの小谷口直子が向かい合う形になる。デ・フリーントは椅子に腰掛けてノンタクトでの指揮。
創設当初は編成が小さかったことから、小さくても聴かせられるモーツァルトの演奏に力を入れ、「モーツァルトの京響」と呼ばれた京都市交響楽団。その伝統は今も生きていて、典雅にして柔らかなモーツァルトが奏でられる。奏者達の技術も高い。デ・フリーントの各奏者の捌き方も巧みである。
クラリネットに美しい旋律が振られることが比較的多く、このことからもモーツァルトがクラリネットという楽器を愛していたことが分かる。
演奏終了後のコタさんこと小谷口直子は今日はハイテンション。ステージ上でデ・フリーントとハグし、客席に手を振り、一人で拍手したりしていた。管楽器奏者の多くはシューマンにも出演する。

 

シューマンの交響曲第2番。今日のコンサートマスターは京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。
ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。ヴィオラの首席にはソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入る。チェロの客演首席は森田啓介。トランペットは副首席の稲垣路子は降り番で、ハラルド・ナエスと西馬健史の二人が吹く。
デ・フリーントは指揮台を用いず、ノンタクトでの指揮である。

序奏こそ中庸かやや速めのテンポであったが、主部に入ると快速で飛ばす。かなり徹底したピリオド・アプローチによる演奏であり、弦楽器の奏者達はビブラートを最小限に抑えている。中山航介が叩くのはモダンティンパニであるが、時折、音だけだとバロックティンパニと勘違いするような硬い響きによる強打が見られた。
速めのテンポによる演奏だが、単に速いわけではなく、自在さにも溢れていて、滝を上る鯉のように活きのいい音楽となっていた。
こうした演奏で聴くとシューマンが鍵盤で音楽を考えていたということもよく分かる。
第3楽章のため息のような主題も、美しくも涙に濡れたような独特の音色によって弾かれ、悲嘆に暮れるシューマンの姿が見えるかのようである。H.I.P.の弦楽の奏法が効果的。
この主題は第4楽章で長調に変わって奏でられるのだが、今回の演奏では上手く浮かび上がっていた。
これまでの陰鬱なだけのシューマン像が吹き飛ぶかのような情熱に満ちた演奏であり、シューマンがこの曲に込めた希望がはっきりと示されていた。

デ・フリーントは今は知名度は低めだが、今後、名声が高まっていきそうな予感がする。

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2025年1月24日 (金)

これまでに観た映画より(367) 相米慎二監督作品「お引越し」4Kリマスター版(2K上映)

2025年1月22日 京都シネマにて

京都シネマで、相米慎二監督作品「お引越し」を観る。4Kリマスター版であるが、京都シネマでは2Kでの上映である。1993年の作品。讀賣テレビ放送の制作。原作:ひこ・田中。出演:中井貴一、桜田淳子、田畑智子、茂山逸平、千原しのぶ、青木秋美(現・遠野なぎこ)、円広志、笑福亭鶴瓶ほか。音楽:三枝成彰。チェロ独奏を行っているのは、東京交響楽団首席チェロ奏者時代の山本祐ノ介(やまもと・ゆうのすけ)。山本直純の息子であり、今は父の跡を継ぐ形で、ポピュラー系に強い指揮者として父親譲りの赤いタキシードを着て活躍している。

祇園の老舗料亭・鳥居本のお嬢さんである田畑智子のデビュー作(当時12歳)。今は名女優となっている田畑智子であるが、演技経験はこの時が初めてということもあり、必ずしも名子役ではなかったというのが興味深い。その後、努力して演技力を身につけたのだろう。ただこの時点でも表情などはかなり良く、演技のセンスが感じられる。

京都と滋賀県内が舞台となっており、セリフは京言葉が用いられている。「お引越し」というタイトルからは一家総出の引っ越しを連想させられるが、実際は、レンコ(田畑智子)の父親であるケンイチ(中井貴一)と母親であるナズナ(桜田淳子)の別居のお話である。ケンイチが家を出て行って、マンションの一室に引っ越したのだ。ナズナは離婚届を用意しているのだが、判はまだ押していないようだ。レンコはナズナと共に元いた家で暮らすことになるが、ケンイチのマンションにも時折出掛けている。ケンイチとナズナも週に1回は会って、レンコも入れて3人で食事を行っているようである。
ナズナはレンコとの間に契約書を作るが、レンコはそれが不満である。

公開時には、桜田淳子と田畑智子が高い評価を受けたが、桜田淳子は統一教会の問題で、以後、映画作品に出ることはなくなってしまっている。

京都のあちこちにある名所が映されるのだが、そのため、小学校の昼休みの間の移動なのに恐ろしく遠いところまで足を運ぶということになってしまっている(京都の人でないとそのことには気付かないだろう)。祇園祭、松ヶ崎妙法の「妙」の字の送り火や大谷祖廟(東大谷)の万灯会など、京都らしい夏の風物も画面を彩る。
また、この時期の小学校ではまだ「鎖国」という言葉が教えられていたり、アルコールランプを使用していたりと、今の小学校とは異なる部分が多い。田畑智子演じる漆場レンコはアルコールランプをわざと落としてボヤ騒ぎを起こしている。
関東地方からの転校生だと思われる橘理佐(青木秋美=子役時代の遠野なぎこ。彼女は実家が貧しく、親に無理矢理子役にさせられて、稼ぐよう仕向けられていた。そのことで成人してから精神が不安定になってしまう)ともレンコは上手くやる。
なお、小学校の校舎は、現在は京都市学校歴史博物館となっている、廃校になったばかりの京都市立開智小学校(御幸町通仏光寺下ル)のものが用いられている。

後半は琵琶湖畔を舞台とした幻想的な展開となる。建部大社のお祭りがあり、琵琶湖では花火が打ち上げられる。瀬田の唐橋でやり取りをするナズナとレンコだったが(おそらく、現実に行った場合には人が多くて互いの声は聞こえないだろう。芝居の嘘である)、やがてレンコは森の中へと彷徨い込み、火祭り(東近江市で行われているものらしい)などが行われている幻想的な光景の中へと分け入っていく。夜が明け、レンコは琵琶湖の水につかった両親を見つける……。

夏に焦点を当てた作品だが、ラストではレンコが一気に成長し、中学生になったことが分かるようになっている。

前半と後半でかなり趣の異なる映画であるが、日本的な抒情を感じさせる映像美がことのほか印象的な作品になっている。そうした点では相米作品の中でも異色の一本である。
4Kリマスター版は、2023年のヴェネツィア国際映画祭で、最優秀復元映画賞を受賞した。

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藤井一興(ピアノ) 武満徹 「リタニ」

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2025年1月23日 (木)

これまでに観た映画より(366) 周防正行監督作品「舞妓はレディ」

2014年9月30日 新京極のMOVIX京都にて

午後3時5分から、MOVIX京都で、日本映画「舞妓はレディ」を観る。周防正行監督作品。待望の周防監督によるミュージカル映画である。京都の花街を舞台にした作品の構想は、「シコふんじゃった。」や「Shall We ダンス?」より前から持っていたそうだが、どうしても作りたいというほどではなく、「オーディションで、気に入った子が見つからなかったらやらない」とも思っていたそうだが、上白石萌音(かみしらいし・もね)を見て、「いけそうだ」と確信し、説明ゼリフも音楽で処理すれば何とかなるということでミュージカル映画となった。ちなみに周防正行監督にミュージカル映画を撮るよう進言したのは故・淀川長治である。淀川長治は、「Shall We ダンス?」を観て、周防に「あなたなら日本製のミュージカルが撮れる」と太鼓判を押したそうだが、その後、周防がプロデュース業に専念してしまったということもあって、淀川長治は周防監督のミュージカル映画を観ることなく他界している。

周防監督は、花街のセットを作ることを条件としたそうで、主人公が働く下八軒という架空の花街は、全てセットで出来ている。京都の名所でも勿論、撮影が行われていて、京大学として出てくるのは京都府府庁舎旧本館、その他に随心院が実名で舞台となっているが、随心院に巨大な三門はなく、三門だけは知恩院のものが映っている。元・立誠小学校や平安神宮神苑の泰平閣でも撮影が行われている。


出演:上白石萌音、長谷川博己(はせがわ・ひろき)、田畑智子、草刈民代、渡辺えり、竹中直人、濱田岳、高嶋政宏、小日向文世、妻夫木聡、田口浩正、徳井優、渡辺大、松井珠理奈(SKE48)、武藤十夢(むとう・とむ。AKB48)、彦摩呂、高野長英、草村礼子、津川雅彦、岸部一徳、富司純子ほか。音楽:周防義和(周防正行の従兄弟)。


架空の花街である下八軒(京都で一番北にある花街・上七軒のもじりである)が舞台。下八軒では、舞妓が不足しているという状態が続いたままである。百春(田畑智子)は、もうすぐ30歳なのに、下に舞妓がいないということで舞妓に据え置きのままであり、芸妓になれないことに不満を抱いていた。百春は密かに実名で「舞妓さん便り」というブログを書いている。下八軒の置屋券お茶屋・万寿楽(ばんすらく)に西郷春子という女の子(上白石萌音)が訪ねてくる。春子は、鹿児島弁と津軽弁の混ざった奇妙な言葉で、舞妓になりたいと訴える。万寿楽の女将である小島千春(富司純子)は、春子を追い返すが、花街の言葉を探求するというフィールドワークのために下八軒に通い詰めいている、京大学の言語学者、京野法嗣(きょうの・のりつぐ。長谷川博己)は、鹿児島弁と津軽弁を操る春子に興味を示し、千春に自分が後見人になるから春子を舞妓見習いとして欲しいと頼み込む。そして京大学の研究室で、春子に美しい京言葉を話すための指導を行う。下八軒の男衆(おとこす)である、青木富夫(竹中直人。ちなみに竹中直人は、周防組では毎回のように「青木」という苗字で登場する)は雪深い津軽にある春子の家を訪ねる。春子の両親(「それでもボクはやってない」の加瀬亮と瀬戸朝香が写真のみで出演している)は春子が幼い頃に他界しており、春子は津軽出身の祖父と薩摩出身の祖母に育てられたため、津軽弁も鹿児島弁もネイティブとして喋ることが出来るのだ(ただこの部分に春子の描かれない影を見いだせない人は映画以前に人間がわかっていないと思う)。

鹿児島弁と津軽弁がなかなか抜けず、言葉だけでなく、舞や謡にも苦労する春子であったが……。


ミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」を意識したタイトルであり、「マイ・フェア・レディ」の名ナンバーの一つである「スペインの雨は主に平野に降る」が、「京都の雨はたいがい盆地に降るんやろか」というパロディとして使われている。

京都の花街の映画は、五花街(北から、上七軒、先斗町、祇園東、祇園甲部、宮川町)のどれかに協力を得て撮影を行うのであるが、今回はセットを組み、どこの街でもない花街というファンタージーとして描かれる。ただ、祇園祭や、をけら詣りが出てくるので、少なくとも上七軒は名前は掛かっているが地理的には違う(ただし上白石萌音は上七軒に泊まり込みで役作りを行っている)。下八軒は京都タワーが見える場所でもある。ただ、大阪国際空港は実際は伊丹にあるのだが、通天閣がバックにあるため、やはり全てが実在のものとは違うパラレルワールドである。

竹中直人と渡辺えりが「Shall We ダンス?」の時の格好で出てきたり(当時の渡辺えりは、渡辺えり子という名前)、妻夫木聡が赤木裕一郎(赤木圭一郎と石原裕次郎を混ぜた名前)という名前のスターとして出ていたりと遊び心満載の映画である。

花街の影の部分も当然ながら描かれるが、周防監督は基本的に笑いの人であるため、陰湿なものになることはない。


私は、日本シナリオ作家協会が出している月刊誌「シナリオ」を読んでいて、今日の映画である「舞妓はレディ」も脚本(採録シナリオとあったため、見たものと聴いたセリフを文字としてページに落としたものであり、周防監督の決定稿であるが、周防監督自身が書いたものではないものである)を読んでから出掛けたのであるが、京都の花街には遊びに行ったことはないがよく通っている場所であるため、画面を通して伝わってくるものはやはり本来の花街とは異質のものだということがわかる。この映画は脚本を読まずに観に出かけた方が良かったようである。

音楽はとても良くて楽しめる。帰りに河原町にある清水屋で「舞妓はレディ」のサウンドトラックを購入した。

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2025年1月22日 (水)

これまでに観た映画より(365) 相米慎二監督作品「夏の庭 The Friends」4Kリマスター版(2K上映)

2025年1月16日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「夏の庭 The Friends」を観る。相米慎二監督作品。1994年のロードショー時に、テアトル新宿で観ている作品である。原作:湯本香樹実(ゆもと・かずみ)、脚本:田中陽造。出演:三國連太郎、坂田直樹、王泰貴、牧野憲一、戸田菜穂、根本りつ子、寺田農、笑福亭鶴瓶、矢崎滋、柄本明、淡島千景ほか。エンディングテーマ:ZARD「Boy」。4Kリマスター版によるリバイバル上映であるが、京都シネマでは2Kでの上映となる。

戸田菜穂のスクリーンデビュー作としても知られている作品である。朝ドラ「ええにょぼ」でヒロインを務め、当時、期待の新進女優であった戸田菜穂であるが、玉川大学でフランス語を専攻し、たびたび渡仏するなど、女優以外にやりたいことがあったような気もする。現在も女優としての活動を続けているが、脇役中心で、期待されたほどではなかったというのが正直なところである。この映画でも、まだ若いとはいえ、感情表現が一本調子なところがあるなど、演技が達者とは言えないことが分かる。本人も自覚していて、そのため演技以外のものへも手を伸ばしていたのかも知れないが、本当のところは本人にしか分からない。
10年ほど前になるが、NHKBSプレミアム(当時)の「ランチのアッコちゃん」で演じた遣り手の女はなかなか良かったように思うが(蓮佛美沙子とのW主演)。

神戸市が舞台となっており、出演者全員が神戸弁を話すが、郊外の住宅地が舞台となっているため、一目見て「神戸らしい」シーンは一つもない。阪神・淡路大震災で壊滅的な打撃を被る直前の神戸が描かれているが、神戸らしいシーンがないので貴重な映像という訳でもないようだ。

サッカーチームに所属する三人の少年と、一人の老人の一風変わった交流を描いた作品。全て夏休み中の出来事なので、授業のシーンなどはない(学校のプール開放日の場面は存在する)。

前年の1993年にJリーグが発足。サッカー熱が今よりも高かった時代の話である。ちなみにこの映画が公開された1994年の夏は「史上最も暑い夏」と言われ、翌1995年の夏も「史上最も暑い8月」と呼ばれた。前年の1993年は記録的な冷夏であり、気候が不安定だった時期である。とはいえ、夏の気温は近年の方が高いように思う。

少年サッカークラブに所属する木山(坂田直樹)、河辺(王泰貴)、山下(牧野憲一)の三人は、庭が草ボウボウのボロ屋に住む老人(三國連太郎)が今にも死にそうだとの噂を聞きつけて、様子を探りに行く。少年達を見つけた老人は、追い払おうとし、迷惑そうな様子を見せるが、一転して子どもたちを歓迎するようになる。寂しかったのだと思われる。老人の庭の草むしりをし、コスモスの種を植え、屋根のペンキ塗りなどをする三人。
そこに姿を見せたのは三人の担任教師である近藤静香(戸田菜穂)。実は静香は老人、傳法喜八(でんぽう・きはち)の孫であった。
喜八は戦争中にフィリピンに赴き、当地の一家を銃で惨殺したことがあった。若い女が家から飛び出したが、喜八は追いかけ、射殺した。近づいて見て女が妊娠していることに気付いた。
喜八は戦前に結婚しており、妻の古香弥生(淡島千景)との間には、喜八が戦地にいる間に娘が生まれていた。その娘の子どもが静香なのだが、戦争が終わっても喜八は弥生の下には戻らず、孤独な暮らしを続けていたのだった。はっきりとは描かれていないが罪の意識があったのだろう。

子どもたちと老人の交流を軸に、死や戦争についても描いた作品。夏休みの子どもたちが主人公ではあるが、深みはある。
31年前はそれほどでもなかったが、今見ると、佐藤浩市が三國連太郎の息子であるのは明白である。顔や雰囲気がやはり似てくる。

31年前に一度観たきりの作品であり、ほとんどの場面は記憶から失せていたが、戸田菜穂が林檎を丸かじりするシーンは不思議と鮮明に覚えていた。

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2025年1月21日 (火)

コンサートの記(880) 神戸文化ホール開館50周年記念事業 ヴェルディ:オペラ「ファルスタッフ」

2024年12月21日 大倉山の神戸文化ホールにて

午後2時から、大倉山にある神戸文化ホールで、神戸文化ホール開館50周年記念事業 ヴェルディ:オペラ「ファルスタッフ」を観る。ジュゼッペ・ヴェルディ最後のオペラで、唯一の喜劇成功作となっている(ヴェルディは喜劇は好きであったが、若い頃に発表した「1日だけの王様」が大失敗に終わり、以後は喜劇に手を出せないでいた)。
「ファルスタッフ」の原作はシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」で、この作品はシェイクスピア最大の駄作と言われている。そもそも正式な公演用ではなく、王室での余興用に書かれた本である可能性が高いそうだ。それでもオットー・ニコライがオペラ化しており、ヴェルディもボーイトが書き換えた「ファルスタッフ」をオペラの題材に選んでいる。タイトルロールのファルスタッフは、元騎士だがビア樽体型の悪党であり、二人の女性を同時に唆そうとする食えない男である。

指揮は佐藤正浩、演出は岩田達宗。出演は、黒田博(ファルスタッフ)、西尾岳史(フォード)、小堀勇介(フェルトン)、谷口文敏(カイウス)、福西仁(じん。バルドルフォ)、松森治(ピストーラ)、老田裕子(アリーチェ)、福原寿美枝(クイックリー夫人)、内藤里美(ナンネッタ)、林真衣(メグ。体調不良の山田愛子の代役)、森本絢子、福嶋勲ほか。

管弦楽は神戸市室内管弦楽団。コンサートマスターの高木和弘が体調不良で降板したため、森岡聡が代わりにコンサートマスターを務める。
神戸市室内管弦楽団は、1981年に神戸市により神戸室内合奏団として発足。当初は弦楽アンサンブルであったが、2018年に管楽奏者を正式に加入させて神戸市室内管弦楽団に改称。2021年に鈴木秀美を音楽監督に迎えている。鈴木さんとはホワイエですれ違った。
神戸文化ホールの専属団体である。なお、神戸市にはフル編成のプロオーケストラは存在しない。

合唱は神戸市室内合唱団。神戸市が設立したプロの合唱団である。

神戸文化ホールは開館50周年ということで私より一つ上で、東京・渋谷区神南のNHKホールと同い年である。この時代に建てられたホールは比較的多いが、その多くが寿命を迎えており、1975年竣工の神奈川県立県民ホールは無期限休館に入る予定である。神戸文化ホールも閉鎖して、三宮に新しいホールを建てる計画があり、当初は、来年に新ホールはオープンする予定であったが、計画が遅れている。
古いホールなのでホワイエなども手狭で、客席間も狭いので移動に難がある。響き自体は悪くはない。階段が多く、エレベーターなどはないのでバリアフリーには対応していない。

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指揮者の佐藤正浩は初めて聞く名前だが、福島県出身で東京藝術大学に学び、ジュリアード音楽院のピアノ伴奏科に進んで修士課程を修了。歌劇場のコレペティトゥア(ピアノ伴奏者)として欧米で活躍した後にオペラ指揮者に転向。神戸市混声合唱団音楽監督、新国立劇場オペラ研修所所長を務めている。オペラ専門の指揮者のようだ。
日本の場合、12月になると有名な指揮者はほぼ全員第九を指揮しているので、第九以外の催しはなかなかオファーが出来ないという事情がある。

昨年の年末には、びわ湖ホール中ホールで「天国と地獄」の演出をしていた岩田達宗。年末には馬鹿騒ぎが似合うということなのか、今年もラストで馬鹿騒ぎがある「ファルスタッフ」を選んでいる。岩田達宗演出の「ファルスタッフ」は、9年前に下野竜也が指揮したものを大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスで観たことがある。

本編開始前に、神戸文化ホール開館50周年を祝う吉本新喜劇風寸劇が行われる。

今回は階段状の舞台を用い、回り舞台を用いてガーター亭とウィンザーの光景が交互に現れるようになっている。
字幕もユーモアに富み、「だめよだめだめ」という今では古くなった流行語(以前の下野竜也指揮の公演でも用いられていて、それほど受けていなかったが)なども用いられている。
神戸文化ホールは、左右に花道があり、それを効果的に使っているのだが、ホールの横幅が広いので必要以上に遠くにいるように感じられるところがあった。
滑稽なダンスのような動きを取り入れているのも特徴。ロビンは、9年前の上演同様、大阪音楽大学ミュージカル科出身の森本絢子が務めており、キレのある動きを見せていた。

「メタボ」と呼ばれるファルスタッフ。しかし、ファルスタッフ自身は脂肪があることに誇りを持っているようであり、テムズ川に落とされた時には、脂肪のせいで浮かんで助かったと冗談を言っている。特に意味はないと思われるのだが、何らかのメタファーとして見た場合、あるいは面白いかも知れない。片方が蔑んでいることを片方が誇っているということがあり得るのは「年齢」であろうか。ファルスタッフは若い頃は自称・痩せた美青年だったようである。
そして老年のファルスタッフと対比されるように若い恋人が登場する。

プレトークで岩田達宗は、虐げられた女性像に語っていたが、「ファルスタッフ」は女性が男性に復讐する、それも暴力的でなく成し遂げるという様を描いていることについて触れていた。男性の復讐は暴力的であるが、女性の復讐は必ずしも暴力的ではない。
またヴェルディは奥さんや子どもを相次いで亡くすという悲劇に見舞われているが、奥さんの名前はマルゲリータ、あだ名はメグで、「ファルスタッフ」に登場するメグのモデルになっているのではないかという。メグは、特に何もしないというオペラにあっては珍しい人物である。またヴェルディは家族を描くことに腐心していたとも語っていた。

 

ファルスタッフがアリーチェとメグを同時に誘惑しようとし(恋文を書くが、宛名以外は全て一緒という手抜きである)、アリーチェの夫であるフォードが「泉」という偽名でガーター亭に乗り込んでくるなど、ドタバタの要素が多く、痛い目にあったのに、公園での逢い引きに応じてしまうファルスタッフは滑稽である。
最後の「世の中はみな冗談」は、老境の人間による人間賛歌であり、最後はガーター亭に全ての人が記念写真のように収まるという演出が施されていた(ここが前回の演出とは大きくに違うところであった)。

二幕と三幕の間に岩田さんに挨拶。来年、びわ湖ホールで上演されるコルンゴルトの歌劇「死の都」についても伺ったのだが、びわ湖ホールが出している情報によると岩田さんが栗山昌良の演出を再現するかのように書かれているが、実際は他の人が再現の演出を行うそうで、「何かあった時のためにいるだけ」だそうである。


なお、カーテンコールのみ写真撮影可であった。

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2025年1月20日 (月)

観劇感想精選(481) 絢爛豪華 祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」2024-25

2025年1月6日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後5時から、梅田芸術劇場メインホールで、絢爛豪華 祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」を観る。作:井上ひさし、演出:藤田俊太郎。出演:浦井健治、大貫勇輔、唯月ふうか、土井ケイト、阿部裕、玉置孝匡、瀬奈じゅん、中村梅雀、章平、猪野広樹、綾凰風、福田えり、梅沢昌代、木場勝己ほか。音楽:宮川彬良。振付:新海絵里子。

日生劇場の制作。セリフの方が多いため、音楽劇となっているが、ミュージカル界の若手を代表する俳優が配役されている。2020年に上演されるもコロナで東京公演は途中で打ち切り、大阪公演は全て中止となっており、リベンジの上演となる。だが2020年上演の目玉だった高橋一生は今回は出演しない。そしてミュージカル俳優は舞台が主戦場となるため、一般の知名度はそう高くなく、そのためか空席がかなり目立った。ただ実力的にはやはり高いものがある。

浦井健治はこれまで観たミュージカルの中では、「アルジャーノンに花束を」が印象に残っており、唯月ふうかは博多座で「舞妓はレディ」を観ている(共に主役)。

 

「十二夜」を除くシェイクスピアの全戯曲からの抜粋と、「天保水滸伝」の「ハイブリッド」作品である。

この作品の説明が木場勝己によって講談調で語られた後で、シェイクスピアに関する情報が出演者全員で歌われる。「シェイクスピアがいなかった演目に困る」「英文学者が食べていけない」「全集が出せないので出版社が儲からない」「シェイクスピアがいなかったら女が弱き者とされることもなかった」「バンスタイン(レナード・バーンスタインのこと)が、名作(「ロミオとジュリエット」の翻案であるミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」のこと)を書くこともない」「ツーナイトツーナイト(「Tonight」のこと。実際にバーンスタインの「Tonight」のメロディーで歌われる)というヒット曲が生まれることもない」「シェイクスピアはノースペア」といった内容である。

「十二夜」を除くシェイクスピアの全戯曲からの抜粋であるが、四大悲劇と「ロミオとジュリエット」、「リチャード三世」、「間違いの喜劇」だけを抑えておけば作品の内容は分かる。

舞台となるのは下総国清滝(現・千葉県旭市清滝)。私の母方の実家が旭市であるが、清滝は旧・海上郡海上町(かいじょうぐんうなかみまち)にあり、平成の大合併により旭市に編入されている。銚子のすぐそばであり、作中にも銚子の名は登場する。現在の千葉県内であるが、「東のとっぱずれ」と称される銚子のそばだけに、江戸からはかなり遠い。

まずは「リア王」に始まる。清滝宿の旅籠を仕切る侠客・鰤の十兵衛(中村梅雀)の三女のお光(おみつ。唯月ふうか)が「愛情表現が足りない」という理由で家を追われる(「リア王」と違い、それなりに表現は出来ているのだが)。ちなみにお光がコーディリアに当たることはセリフで明かされる。
長女のお文(瀬奈じゅん)と次女のお里(土井ケイト)がそれぞれに派閥を作り、これがモンタギュー家(紋太)とキャピュレット家の関係に繋がる。
なお、お文とお里は傍白を語るときに体の向きを変えなかったため、本音の後におべっかを使ったということが分かりにくくなっていた。お光を演じる唯月ふうかは体の向きを変えていたが、演出ではなく自主的に向きを変えたのだろう。シェイクスピア好きなら傍白であることは分かるし、シェイクスピアのことを何にも知らない人がこの芝居を観に来る可能性も低いので敢えて変えなかったのだろうが、やはり傍白の時は体の向きを変えて分かりやすくした方が良かったように思う。

ハムレットは「き印の王次」の名で登場し(大貫勇輔)、リチャード三世は佐渡の三世次(浦井健治)として登場する。「マクベスノック」として有名なノック(障子を叩いているので実際にはノックとは呼べないが)を行うのも三世次である。
役名を変えずに何役も兼ねている場合があるが(尾瀬の幕兵衛というオセロとマクベスを合わせた名前の人物もいる)、お光とおさちは双子という設定で唯月ふうかが衣装早替えで演じている。
「オセロ」に出てくるハンカチは櫛に替えられている。
「ハムレット」の有名なセリフ、「To be or not to be,That's the Question.」は、様々な翻訳者による訳が紹介される(登場する中では、ちくま文庫収蔵の松岡和子による訳が最も新しいと思われる)。一般に知られる「生か死かそれが問題だ」は、実は文章自体は有名であるが、「ハムレット」の戯曲の翻訳に採用されるのは、21世紀に入ってからの河合祥一郎訳が初めてである。「ハムレット」のテキスト翻訳はその後も行われており、内野聖陽のハムレットと貫地谷しほりのオフィーリアという大河ドラマ「風林火山」コンビによる上演では全く違う表現が用いられていた。
お冬(綾凰華)という女性がオフィーリアに相当し、「尼寺へ行け!」や狂乱の場などはそのまま生かされている。お冬は新川という川に転落して命を落とすが、実はこの新川(新川放水路)は、私の母親が幼い時分に流されそうになった川である。
ラストは「リチャード三世」の展開となり、「馬をくれ!」というセリフはそのまま出てくるが、三世次は国王でも将軍でも天皇でもないので、「馬をくれたら国をやる」とはならず、転落死を選ぶ。

いわゆるパッチワークだが、繋ぎ方は上手く、「流石は井上ひさし」とうなる出来である。若手トップレベルのミュージカル女優でありながら、「舞妓はレディ」の時は、「(原作映画で同じ役を演じている)上白石萌音に比べるとね」と相手が悪かった唯月ふうかだが、やはり華と実力を兼ね備えた演技と歌唱を披露していた。
他の俳優も殺陣や歌唱に貫禄があり、好演である。

ラストは全員が1階客席通路に出て、「シェイクスピアがいなかったら」を再度歌い、大いに盛り上がった。

 

宮川彬良率いるバックバンドはステージの奥で演奏。基本的には見えないが、第2部冒頭では演奏する姿を見ることが出来るようになっていた。

 

梅田芸術劇場開場20周年ということで、終演後に、藤田俊太郎(司会)、浦井健治、大貫勇輔によるアフタートークがある。20年前にも劇場はあったのだが、経営が変わり、梅田芸術劇場という名称になってから20年ということである。以前は、梅田芸術劇場メインホールは梅田コマ劇場といった。シアター・ドラマシティは名前はそのままだが正式名称が梅田芸術劇場シアター・ドラマシティに変わっている。

梅田芸術劇場メインホールでの思い出深い公演として、浦井健治は「ロミジュリ(ロミオとジュリエット)」、大貫勇輔は「北斗の拳」を挙げた。なお、大貫勇輔は、き印の王次の「き印」が何のことか分からず、最初は「雉のことかな」と思っていたそうである。
元梅田コマ劇場ということで、梅田芸術劇場メインホールでは宙乗りが行える。浦井健治も宙乗りをしたことがあるそうだが、Wキャストで出ていた柿澤勇人(昨年、「ハムレット」で大当たりを取ったため、浦井も大貫も「ハムレット俳優」と呼んだ)は高所恐怖症であったため、宙乗りはしたが、「もう二度とやらない」と言っていたそうである。

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2025年1月17日 (金)

これまでに観た映画より(364) コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Playing the Orchestra 2014」

2025年1月15日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Playing the Orchestra 2014」を観る。WOWOWの制作で、WOWOWやYouTubeLiveで流れたものと同一内容である。ただ映画館で観ると迫力がある。来場者にはオリジナルステッカーが配られた。

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2014年4月4日、東京・溜池のサントリーホールでの公演の収録。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団で、コンサートマスターは三浦章宏である。

2013年にも、東京と大阪で「Playing the Orchestra」公演を行っている坂本龍一。オーケストラはやはり東京フィルハーモニー交響楽団。ただこの時は栗田博文が指揮者を務めており、「八重のテーマ」とアンコール曲の「Aqua」のみ坂本自身が指揮を行っている。坂本自身は出来に引っかかりを覚えたようで、翌年に自身の指揮による「Playing the Orchestra」公演を行うことを決めたようである。
なお、私自身は「Playing the Orchestra 2013」は、大阪・中之島のフェスティバルホールで聴いており、それが新しくなったフェスティバルホールでの初コンサート体験であった。だが、2014には行っていない。行っておけば良かったのかも知れないが。

坂本龍一は指揮とピアノを担当。指揮だけの時もあれば弾き振りを行う場面もある。ピアノの蓋を取り、鍵盤が客席側に来る弾き振りの時のスタイルでの演奏。弦楽はドイツ式の現代配置である。
東京フィルハーモニー交響楽団は通常のフル編成のオーケストラの約倍の楽団員を抱えているため、坂本龍一も「昨年の公演にも参加してくれた方もいれば初めての方もいる」と紹介していた。

曲目は、「Still Life」、「Kizuna」、「Kizuna World」、「Aqua」、「Bibo no Aozora(美貌の青空)」、「Castalia」、「Ichimei-No Way Out」、「Ichimei-Small Happiness~Reminiscence」、「Bolerish」、「Happy End」、「The Last Emperor」、「Ballet Mèchanique」(編曲:藤倉大)、「Anger-from untitled 01」、「Little Buddha」。アンコール曲目「Yae no Sakura(八重の桜)」メインテーマ、「The Sheltering Sky」、「Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)」

「The Last Emperor」の後半と、「Merry Christmas Mr.Lawrence」の後半以外はノンタクトでの指揮である。坂本は左利きだが、指揮棒は右手に持つ。

マイクを手にトークを入れながらの進行。坂本は指揮の訓練は受けていないため、本職の指揮者に比べると細部の詰めが甘いのが分かるが、自作自演であるため、作曲者としての坂本龍一が望む音が分かるという利点もある。

「Ichimei」は、市川海老蔵(現・十三代目市川團十郎白猿)主演の映画の音楽だが、レコーディング初日が2011年3月11日だったそうで、東京のスタジオも揺れたそうだが、坂本は録音機材などが倒れないよう支えていたという話をしていた。

「Bolerish」は、ブライアン・デ・パルマ監督の映画のための音楽であるが、デ・パルマ監督から、「ラヴェルの『ボレロ』に限りなく近い音楽を作ってくれないかと言われ、それをやったら作曲家として終わる」と思ったものの、結局、似せた音楽を書くことになったようである。ラヴェル財団からは本気で訴えられそうになったそうだ。「古今東西、映画監督というのはわがままな人種で」と坂本は放す。別に本物のラヴェルの「ボレロ」を使っても良かったような気がするのだが。ラヴェルの「ボレロ」は今は著作権がグチャグチャなようだが。

「Ballet Mèchanique」は、「藤倉大君というロンドン在住のまだ三十代の現代音楽の作曲家なのですが」「子どもの頃からYMOや僕の音楽を聴いて育ったそうで」自分から編曲を申し出たそうである。
この「Ballet Mèchanique」は、坂本本人のアルバムにも入っているが、元々は岡田有希子に「WONDER TRIP LOVER」として提供されたもので、その後に中谷美紀に「クロニック・ラヴ」として再度提供されている。歌詞は全て異なる。セールス的には連続ドラマ「ケイゾク」の主題歌となった「クロニック・ラヴ」が一番売れたかも知れない。

「Little Buddha」は、ベルナルト・ベルトルッチ監督の同名映画のメインテーマであるが、何度も駄目出しされて、書き換えるたびにカンツォーネっぽくなっていったことを坂本が以前、インタビューで述べていた。「彼(ベルトルッチ監督)は自分が音楽監督だと思っているから」とも付け加えている。ベルトルッチとは、「ラストエンペラー」、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3作品で組んでいるが、最初の「ラストエンペラー」も「1週間で書いてくれ」と言われ、それは無理なので2週間にして貰ったが、中国音楽のLPセットを聴いた後で作曲に取りかかり、不眠不休で間に合わせたそうである。オーケストレーションまでは手が回らなかったので他の人に任せている。

「八重の桜」は同名のNHK大河ドラマのテーマ音楽であるが、オリジナル・サウンドトラックにはなぜか指揮者の名前がクレジットされていない。指揮をしたのは尾高忠明である。

「戦場のメリークリスマス」の次にといっても過言ではないほどの人気曲である「シェルタリング・スカイ」であるが、個人的な思い出のある曲で、高校2年の時の芸術選択の音楽の授業でピアノの発表会があり、私は作曲されたばかりの「シェルタリング・スカイ」(ピアノ譜はなかったが、エレクトーンの雑誌に大まかな譜面が載っており、細部は適当にアレンジした)を弾いて学年1位になっている。ピアノを独学で弾き出してから間もない頃のことである。

説明不要の「戦場のメリークリスマス」。1989年のクリスマスイブ、テレビ朝日系の深夜枠で、坂本龍一がピアノで自作曲を弾くというミニコンサートのような番組をやっていた。それを録画して見たのが、「ピアノをやってみたいなあ」と思ったきっかけである。

 

演奏の出来としては、坂本がピアノに徹した2013の方が上かも知れない。曲目も2013の方が受けが良さそうである。ただ歴史的価値としては、自身で全曲指揮を行った2014の方が貴重であるとも思える。

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2025年1月16日 (木)

観劇感想精選(480) 森見登美彦原作 G2脚本・演出「有頂天家族」

2024年11月22日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、「有頂天家族」を観る。森見登美彦のファンタジー小説の舞台化である。南座では渡辺えりとキムラ緑子による「有頂天」シリーズが上演されたことがあるが、それとは一切関係がない。脚本・演出:G2。出演:濱田龍臣、若月佑美、渡辺秀(わたなべ・しゅう)、池田成志、相島一之、檀れい、有川マコト、盛隆二(もり・りゅうじ)、谷山知宏、林田一高、鹿野真央(女性)、佛淵和哉(ほとけふち・かずや)ほか。

マジックリアリズムなどを特徴とする作風の森見登美彦。「有頂天家族」はアニメ化もされており、叡山電車とのコラボレーションも行われているが、舞台化はなかなか難しい。「夜は短し歩けよ乙女」も何度か舞台化されているが、最初の舞台は東憲司の演出だったにも関わらず、成功作とは言えなかったように思う。俳優も今ひとつであった(主演女優の方が解釈を間違えてましたね。どなたかは書きません)。
「有頂天家族」も過去に舞台化されたことがある。

「有頂天家族」は、狸、天狗、人間によるドラマで、特に狸が重要な役割を果たしており、下鴨家と夷川(えびすがわ)家の抗争が主軸となっている。チェッカーズ主演の「TAN TAN たぬき」という映画があったが、セリフにも出てくるため意識されているのだと思われる。
下鴨家のお母さんは宝塚歌劇団のファンなのだが、この役を宝塚出身の檀れいがやっていて、宝塚の男役の格好をしていたりする(檀れいは宝塚では娘役であった)。
純粋なエンターテインメント作品であり、深読みはしない方が良いと思われる。家族愛を描いた作品で、温かみが感じられる。また下鴨家の次男である矢二郎(佛淵和哉)が、六道珍皇寺の井戸(小野篁が地獄への入り口としていた井戸だと思われる)にこもって、井の中の蛙をやっているなど、京都の名所が絶妙にちりばめられている。また矢二郎は叡山電車に化けるのだが、叡山電車沿線に狸谷山不動院という寺院があり、アニメ版「有頂天家族」とのコラボレーション列車が走っていた。
ヒロインをやっているのは、弁天役の若月佑美。元乃木坂46のメンバーである。30歳なので、ヒロインとしては年齢は高めであるが、今の30歳は若いので(我々の世代の基準なら見た目だけなら20代前半で通じる)、ちゃんとヒロインしている。今年の大河ドラマ「光る君へ」の前半で強烈な印象を残した玉置玲央の奥さんである。
主役の下鴨矢三郎はWキャストで、今日は濱田龍臣が演じる。大河ドラマ「龍馬伝」で、福山雅治演じる坂本龍馬の少年時代役をやった子で、三谷幸喜が作・演出を担当した舞台「大地」にも出ており、その頃は朝から晩までテレビゲームばかりやっていると話していて、共演者のまりゑから、「もっと舞台観なさい、映画観なさい」と言われており、その後、学んだのかどうかは分からないが、舞台俳優としては順調に成長していることが感じられる。

役者は魅力的な人が多い。池田成志や相島一之は流石の面白さである。文学座の鹿野真央も今年37だが、なかなか可愛らしい。今の37と昔の37もやはり違うようだ。ただ森見登美彦作品は小説で読むのが一番のように思う。イメージが重要になってくるのだが、書籍で読んだ方がイメージはしやすい。

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2025年1月14日 (火)

コンサートの記(879) 平野一郎 弦楽四重奏曲「二十四氣」京都公演@大江能楽堂

2024年12月10日 京都市役所そばの大江能楽堂にて

午後7時から、押小路通柳馬場東入ル(京都市役所のそば)にある大江能楽堂で、平野一郎の弦楽四重奏曲「二十四氣」の演奏を聴く。二十四節気を音楽で描いた作品。演奏は石上真由子(いしがみ・まゆこ。第1ヴァイオリン)、對馬佳祐(つしま・けいすけ。第2ヴァイオリン)、安達真理(ヴィオラ)、西谷牧人(にしや・まきと。チェロ)。全員、タブレット譜を使っての演奏であった。

能楽堂での演奏ということで色々と制約がある。まずファンヒーターは音が大きいというので本番中は切られるため、寒い中で鑑賞しなくてはいけない。客席もパイプ椅子や座布団などで、コンサートホールほど快適ではない。音響設計もされていないが、能楽堂は響くように出来ている上に空間も小さめなので、弦楽四重奏の演奏には特に支障はない。

弦楽四重奏で、四季よりも細分化された二十四氣を描くという試み。24の部分からなるが、24回全てで切るわけにはいかないので、春夏秋冬の4つの楽章で構成されるようになっている。
作曲者の平野一郎のプレトークに続いて演奏がある。能舞台の上には白足袋でしか上がってはいけない(他の履き物で上がってしまうと、板を張り替える必要があるため、膨大な金額を請求されることになる)ので、全員、白足袋での登場である。白足袋で演奏するクラシックの演奏家を見るのは珍しい。

 

平野一郎は、京都府宮津市生まれ(「丹後國宮津生」と表記されている)の作曲家。京都市立芸術大学と同大学大学院で作曲を専攻。2001年から京都を拠点に作曲活動を開始している。
プレトークで、平野は二十四節気は中国由来だが、すでに日本独自のものになっていることや、調べ(調)などについての説明を行う。

 

「二十四氣」であるが、現代曲だけあって、ちょっととっつきにくいところがある。繊細な響きに始まり、風の流れや鳥の鳴き声が模され、ピッチカートが鼓の音のように響く。弦楽器の木の部分を叩いて能の太鼓のような響きを生んだり、ヴァイオリンが龍笛のような音を出す場面もある。旋律らしい旋律は余り出てこないが、ヴィオラが古雅な趣のあるメロディーを奏でる部分もある(チェロのピッチカートで一度中断される)。ヴァイオリンであるが、秋に入ってからようやくメロディーらしきものを奏でるようになる。
秋には楽器が虫の音を模す場面もある。チェロが「チンチロリン」(松虫)、ヴァイオリンが「スイーッチョン」(ウマオイ)の鳴き声を模す。
冬の季節に入ると、奏者達が歌いながら奏でるようになり、足踏みを鳴らす。面白いのは四人のうちヴィオラの安達真理のみ左足で音を鳴らしていたこと。どちらの足で出しても音は大して変わらないが、おそらく左足が利き足なのだろう。
演奏時間約70分という大作。豊かなメロディーがある訳ではないので、聴いていて気分が高揚したりすることはないが、日本的な作品であることは確かだ。四人の奏者の息も合っていた。

演奏終了後に、安達真理がお馴染みの満面の笑みを見せる。彼女の笑みは見る者を幸せにする。

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