2022年9月24日 (土)

観劇感想精選(446) 日本初演30周年記念公演 ミュージカル「ミス・サイゴン」@梅田芸術劇場メインホール 2022.9.15

2022年9月15日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ミス・サイゴン」を観る。日本でもたびたび上演される大ヒットミュージカルである。ロングランのため複数人がキャストに名を連ねており、今日の出演は、伊礼彼方(エンジニア)、高畑充希(キム)、チョ・サンウン(クリス)、上原理生(ジョン)、松原凜子(エレン)、神田恭兵(トゥイ)、青山郁代(ジジ)、藤元萬瑠(タム)ほかとなっている。

プッチーニの歌劇「蝶々夫人」の舞台をベトナム戦争とその直後に置き換えて制作されたミュージカル。作曲は、「レ・ミゼラブル」のクロード=ミシェル・シェーンベルクである。クロード=ミシェル・シェーンベルクは、「蝶々夫人」の旋律を生かしており、「ここぞ」という場面では、「蝶々夫人」の旋律が効果的にアレンジされた上で奏でられる。またベトナムが主舞台ということで、東南アジア風の旋律も要所要所で登場する。どことなくラヴェル風でもある。

ベトナム最大の都市にして、南ベトナムの主都であったサイゴン市(現ホーチミン市)。戦災により家を失い、サイゴンへと逃げてきたキムは、女衒のエンジニアの後について、売春宿にやってくる。キムは米兵のクリスに買われて一夜を共にするが、それがキムの初体験だった。二人は愛し合い、結婚式を挙げるが、アメリカの傀儡国家であった南ベトナム(ベトナム共和国)の首都であるサイゴンが陥落し、米国の敗北が決定的になったことから、米兵であったクリスはサンゴンを後にしてアメリカへと戻る。その間にキムは、クリスの子である男の子を生んでいた。


有名作であるが、私は「ミス・サイゴン」を観るのは初めて。プッチーニの音楽を大胆に取り入れた音楽構成と、ベトナムの風習や衣装を生かし「蝶々夫人」では日本人以外は納得しにくかったラストを改変するなどしたストーリーが魅力で、「蝶々夫人」を観たことがない人でも楽しめる作品になっている。
「蝶々夫人」のラストは、日本人以外には納得しにくいもののようである。台本を担当したジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカ、原作小説を書いたジョン・ルーサー・ロングとそれを戯曲化したデーヴィッド・ベラコス、更にはプッチーニも日本的な美意識を理解していたということになるが、「自決の美学」は西洋人にはピンとこない事柄であるようだ(そもそも西洋人の大半がキリスト教の信者であり、キリスト教では自殺は罪とされている)。そこで蝶々夫人にあたるキムを積極的にわが子に命を与える女性に設定し、死ぬことで子どもの未来を開いた女性の「自己犠牲」を描いた悲劇となっている。ただ日本人である私は、この改変に対しては「合理的」に過ぎるという印象を受け、良くも悪くも「死」でもって何かと決着をつけようとする日本的な美意識の方により引き付けられる。ただ日本人の美意識もたびたびの転換を迎えており、日本人であっても「蝶々夫人」のラストの意味が分からない人が大半になる日が来るのかも知れない。そしてそれは第二次大戦時の残酷さを思えば、必ずしも悪いことではないのだろう。

私自身は、高畑充希が演じるキムが見たかったので、この日を選んだが、童顔系でありながらパワフルな歌唱を聞かせる高畑充希は、キム役に合っていたように思う。何度も上演されているミュージカルなので、そのうちにまた高畑充希以外のキムで聴くのもいいだろう。今日は視覚・聴覚(歌詞が聞き取れない部分がいくつもあった)両面で問題のある席だったので、別の席で観る必要も感じた。今回のプロジェクトで再び観る気はないが、次回以降のプロジェクトでも観てみたくなる作品であった。

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観劇感想精選(446) ミュージカル「ミス・サイゴン」@梅田芸術劇場メインホール 2022.9.15

2022年9月15日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ミス・サイゴン」を観る。日本でもたびたび上演される大ヒットミュージカルである。ロングランのため複数人がキャストに名を連ねており、今日の出演は、伊礼彼方(エンジニア)、高畑充希(キム)、チョ・サンウン(クリス)、上原理生(ジョン)、松原凜子(エレン)、神田恭兵(トゥイ)、青山郁代(ジジ)、藤元萬瑠(タム)ほかとなっている。

プッチーニの歌劇「蝶々夫人」の舞台をベトナム戦争とその直後に置き換えて制作されたミュージカル。作曲は、「レ・ミゼラブル」のクロード=ミシェル・シェーンベルクである。クロード=ミシェル・シェーンベルクは、「蝶々夫人」の旋律を生かしており、「ここぞ」という場面では、「蝶々夫人」の旋律が効果的にアレンジされた上で奏でられる。またベトナムが主舞台ということで、東南アジア風の旋律も要所要所で登場する。どことなくラヴェル風でもある。

ベトナム最大の都市にして、南ベトナムの主都であったサイゴン市(現ホーチミン市)。戦災により家を失い、サイゴンへと逃げてきたキムは、女衒のエンジニアの後について、売春宿にやってくる。キムは米兵のクリスに買われて一夜を共にするが、それがキムの初体験だった。二人は愛し合い、結婚式を挙げるが、アメリカの傀儡国家であった南ベトナム(ベトナム共和国)の首都であるサイゴンが陥落し、米国の敗北が決定的になったことから、米兵であったクリスはサンゴンを後にしてアメリカへと戻る。その間にキムは、クリスの子である男の子を生んでいた。


有名作であるが、私は「ミス・サイゴン」を観るのは初めて。プッチーニの音楽を大胆に取り入れた音楽構成と、ベトナムの風習や衣装を生かし「蝶々夫人」では日本人以外は納得しにくかったラストを改変するなどしたストーリーが魅力で、「蝶々夫人」を観たことがない人でも楽しめる作品になっている。
「蝶々夫人」のラストは、日本人以外には納得しにくいもののようである。台本を担当したジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカ、原作小説を書いたジョン・ルーサー・ロングとそれを戯曲化したデーヴィッド・ベラコス、更にはプッチーニも日本的な美意識を理解していたということになるが、「自決の美学」は西洋人にはピンとこない事柄であるようだ(そもそも西洋人の大半がキリスト教の信者であり、キリスト教では自殺は罪とされている)。そこで蝶々夫人にあたるキムを積極的にわが子に命を与える女性に設定し、死ぬことで子どもの未来を開いた女性の「自己犠牲」を描いた悲劇となっている。ただ日本人である私は、この改変に対しては「合理的」に過ぎるという印象を受け、良くも悪くも「死」でもって何かと決着をつけようとする日本的な美意識の方により引き付けられる。ただ日本人の美意識もたびたびの転換を迎えており、日本人であっても「蝶々夫人」のラストの意味が分からない人が大半になる日が来るのかも知れない。そしてそれは第二次大戦時の残酷さを思えば、必ずしも悪いことではないのだろう。

私自身は、高畑充希が演じるキムが見たかったので、この日を選んだが、童顔系でありながらパワフルな歌唱を聞かせる高畑充希は、キム役に合っていたように思う。何度も上演されているミュージカルなので、そのうちにまた高畑充希以外のキムで聴くのもいいだろう。今日は視覚・聴覚(歌詞が聞き取れない部分がいくつもあった)両面で問題のある席だったので、別の席で観る必要も感じた。今回のプロジェクトで再び観る気はないが、次回以降のプロジェクトでも観てみたくなる作品であった。

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2022年9月20日 (火)

スタジアムにて(41) J1 京都サンガF.C.対横浜F・マリノス@サンガスタジアム by KYOCERA 2022.9.14

2022年9月14日 サンガスタジアム by KYOCERAにて

午後7時から、サンガスタジアム by KYOCERAで、J1 京都サンガF.C.対横浜F・マリノスの試合を観る。
J1昇格は果たしたが苦戦することも多い京都サンガF.C.。現在のところ降格圏にはいないが13位に甘んじている。一方、対戦相手の横浜F・マリノスは現在首位であり、サンガの劣勢が予想される。

今日は試合前に京都市交響楽団の楽団員(塩原志麻、片山千津子、小田拓也、渡邉正和、黒川冬貴)による弦楽五重奏団の演奏がある。
まずは今日は宇治市DAYということで、宇治市内の中学校から各部門で業績を上げた生徒らがスタジアム内(といっても端の方だが)を歩き、京都市交響楽団の弦楽五重奏団が大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のオープニングテーマを3回ほど繰り返して演奏した。
弦楽五重奏団はキックオフの前のセレモニーでも演奏を行ったが、よく知らない曲で、音も応援団の太鼓にかき消されがちであった。


サンガとF・マリノスの実力差は、パッと見で分かるものではないが、上がりはF・マリノスの選手の方が速めである。

サンガも相手ゴール前で決定的なチャンスを迎えたりもしたが、あと一押しが足りず、逆にF・マリノスのエドゥアルドにヘディングシュートをゴール右隅に決められ、先制点を許す。

後半に入ってもF・マリノスのペースは続き、エルベルのループシュートがキーパーとその後ろにいたディフェンダーの頭の上を超えてゴールネットを揺らす。2-0。

サンガは、残り後3分というところで、コーナーキックを得る。クロスに井上黎生人が反応。これは相手キーパーに阻まれるが、こぼれたボールを金子大毅が蹴り上げ、ゴールの上のネットを揺らす。サンガ、一矢報いて更に攻撃を続けるが追加点はならず。J1首位の壁は厚く、サンガは1ー2での惜敗となった。

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2022年9月19日 (月)

楽興の時(45) チューバ奏者・坂本光太×演出家・和田ながら 「ごろつく息」京都公演

2022年9月9日 木屋町のUrBANGUILDにて

午後7時から、木屋町のUrBANGUILDで、チューバ奏者・坂本光太×演出家・和田ながら「ごろつく息」を聴く。チューバの特殊演奏とパフォーマンスからなるプログラム。出演は、坂本光太、長洲仁美(俳優)、杉山萌嘉(すぎやま・もえか。ピアニストただし今回はピアノ演奏はせず)。

坂本光太は、1990年生まれのチューバ奏者。現代音楽、即興演奏を得意とする。現在は京都女子大学の助教を務めている。

杉山萌嘉は、1991年生まれのピアニスト。東京音楽大学附属高校ピアノ演奏家コースを卒業後に渡独し、フライブルク音楽大学を卒業。更にカールスルーエ音楽大学の修士課程を修了している。カールスルーエ音楽大学には管楽器科の伴奏助手として勤務。帰国後は京都を拠点としている。

長洲仁美は、茨城県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後に、和田ながらのしたためなどに出演している。


プログラムは、「浮浪」(長洲仁美の一人語り)、チャーリー・ストラウリッジの「カテゴリー」、ヴィンコ・グロボカールの「エシャンジュ」(坂本光太&長洲仁美)、坂本光太と杉山萌嘉の「オーディションピース」(二人によるモノローグ)、池田萌の「身体と管楽器奏者による序奏、プレリュードと擬似的なフーガ」(坂本光太&長洲仁美)、坂本光太と長洲仁美による「一番そばにいる」


長洲仁美による「浮浪」は、超口語演劇を模した一人語りだが、個人的には超口語演劇は、友達面してズカズカ人の家に上がり込んで来る厚かましい奴のようで嫌いである。


チャーリー・ストラウリッジの「カテゴリー」は、演奏するというよりもチューバの可能性を広げる音楽で、蠕動のような響きから草原を渡る風のような音へと変わり、機械音のようなものへと変貌していく。

ヴィンコ・グロボカールの「エシャンジュ」は、鍋の蓋(のようなもの)、プラスチック製の盥、道路工事のコーンなどでチューバをミュートしていく音楽で、指示はスマホの画面に映し出され、ミュートするものは長洲仁美がチューバのベルへと指示に沿って差し込んでいく。実のところ、入れるものによって音色が極端に変わるということはなく、むしろマウスピースの使い方によって音が変化していく。動物の声のように聞こえる瞬間があるが、それが「吐く息」のよって作られる音色なのだということを再確認させられる。


坂本光太と杉山萌嘉による「オーディションピース」。二人は楽器は演奏せず、演奏している時の心の声を語る。「のだめカンタービレ」の演奏シーンの拡大版のようでもあり、あるいはコロナ禍にニコニコ動画で行われた無観客演奏の配信時に観客が演奏中の心の声を書き込んだように、今回は演奏家側が演奏中の心の声を届けるという試み。ただし音楽は奏でられないし聞こえない。一応、台本はあるようだが、譜面を見ながら即興で語る部分も多そうである。
二人とも音楽家であるが、喋りもなかなか達者であった。


池田萌の「身体と管楽器奏者による序奏、プレリュードと擬似的なフーガ」。
坂本光太と長洲仁美がペットボトル入りのミネラルウォーターを手に登場。坂本は、マウスピースを接続したビニールチューブを持っているが、先には朝顔が着いていて、これで演奏を行う。演奏中は坂本が長洲を抱え上げ、人体がチューバに見立てられる。
長洲は、水を一口含む度に、「屯田兵」「富田林」といったように「と」で始まる単語を口ずさむのだが(私だったら途中からさりげなく「徳川十五代将軍全員の名前」をつっかえつつ挙げるという演出にしたと思う)、ビニールチューブチューバの演奏は、「『ドローン』から『ローン』を取り、濁点を抜いた『ト』」の音で演奏される。


「一番そばにいる」は、坂本の演奏するチューバのすぐそばに長洲がいて、メロディーを模倣したり(もう少し近づけても良かったかも知れない)、状況を説明したりで(今いるUrBANGUILDから、高瀬川と鴨川の間、そして京都盆地、更には日本全土へと拡がり、またすぐそばの状況へと戻ってくる)、格段面白いというほどではないのだが、親しみの持てる画を作り出していた。

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2022年9月16日 (金)

観劇感想精選(445) 「VAMP SHOW」2022

2022年9月10日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後5時から、森ノ宮ピロティホールで、PARCO STAGE「VAMP SHOW」を観る。作:三谷幸喜、演出:河原雅彦。出演:岡山天音、平埜生成、戸塚純貴、塩野瑛久、尾上寛之、久保田紗友、菅原永二。

「VAMP SHOW」は、三谷幸喜が池田成志のために書き下ろしたホラーコメディで、1992年に初演。池田成志と板垣恭一が共同で演出を担当し、東京サンシャインボーイズの看板俳優だった西村雅彦や、個性派俳優として頭角を現しつつあった古田新太らが出演。三谷幸喜も一橋壮太朗の芸名で出演している。
その後、2001年にやはり池田成志の演出で再演。公演は映像収録されてPARCOからDVDとして発売されており、私はこれを視聴している。DVDは今でも購入することが出来るが、その時の出演は、堺雅人、佐々木蔵之介、橋本じゅん、河原雅彦、伊藤俊人、手塚とおる、松尾れい子という、当時、第一線に踊り出しつつあった俳優を起用した豪華なものであった。また2002年に逝去した伊藤俊人はこれが最後の舞台出演作となっている。
今は手元にDVDがないので記憶が曖昧だが、ジャケットの裏に、三谷幸喜が「この作品は、私と池田成志との友情から生まれた」といったような文章を寄稿していたことを覚えている。

今現在は劇作と演出の両方を行うことの多い三谷幸喜だが、東京サンシャインボーイズの上演形態が、作:三谷幸喜、演出:山田和也が基本であったことからも分かるとおり、元々は作と演出は分けるべきと考えていた人である。「VAMP SHOW」も出演はするが演出はしないのが基本路線となっており、三谷幸喜が「VAMP SHOW」の演出を手掛けたことは一度もない。

「VAMP SHOW」は三谷幸喜の作品の中でも異色作である。ほぼ若者しか出演せず、ストーリーも陰惨な場面が多い。現在、「鬱大河」などと評されている「鎌倉殿の13人」を手掛けている三谷幸喜だが、この機会に「VAMP SHOW」を再演するのも良いと思ったのかも知れない。再演に至る詳しい過程は分からないが、「鎌倉殿の13人」を見ていない人がこの芝居を観た場合、「え? 三谷幸喜ってこんな本を書く人だったの?」と戸惑うことも十分に考えられる。
また三谷作品としては珍しく、誰もが気づくレベルで論理破綻しており、三谷もそれを自覚していたと思われるが、そうまでしても内容を重視したかったということなのだと思われる。「孤独」というテーマを浮かび上がらせるために。


藤原是清(菅原永二)が一人駅長を務める田舎の寂しい駅が舞台である。小田巻香(おだまき・かおり。演じるのは久保田紗友)という若い女がホームに佇んでいる。事故があり、列車は遅れている。そこへ、島寿男(岡山天音)、坂東正勝(平埜生成)、丹下和美(戸塚純貴)、佐竹慎一(塩野瑛久)、野田英介(尾上寬之)の5人の若い男がやってくる。 彼らは同じ大学の落語研究会(「おち研」と略される場合が多いが、今回の上演では略称は「らく研」となっている)出身なのだが、とある理由で同じ病気に罹患してしまい、就職もままならず全国を放浪していた……。

タイトルにあるので、病気の正体を「吸血鬼(ヴァンパイヤ)」と明かしてしまっても特に問題はないと思われる。問題があるとしたら「ヴァンパイヤ」が何かのメタファーであるのかどうかだが、「正確に○○のメタファー」といえるものは三谷幸喜も想定していないと思われる。だが、初演から時を経て、何らかのメタファーに見えるということも確かである。あるとしても初演時は「俳優仲間」や「表現者」といった程度だった可能性は高いが、今は様々な理由で「上手く生きられない人」が思いのほか多いということも分かってきた。そうした一種の「種族」に当たる人にとっては、当初の想定を越えて胸に刺さる作品へと進化している可能性もある。その点では1992年の初演時よりも2022年現在の方が、背後にある三谷幸喜すら考えていなかった「可能性」を見出しやすくなっている。

2001年版では元落研副部長の佐竹慎一役で出演していた河原雅彦の演出。河原が演出した舞台作品にはいくつか接しているが、この「VAMP SHOW」でも河原雅彦らしいテンポが感じ取れ、個性が刻印されている。

2001年版の俳優が豪華なので、どうしてもそれと比較してしまうが、俳優陣は全般的に持ち味を上手く発揮出来ていたように思う。2001年版に比べると個性が弱く、セリフもものに出来ていないシーンが散見されるが、そもそも現在の若手俳優で再現することを目論んだプロジェクトであり、ないものねだりはしない方がいいだろう。よくやっていたと思う。

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2022年9月15日 (木)

これまでに観た映画より(311) 「トップガン マーヴェリック」

2022年9月12日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、「トップガン マーヴェリック」を観る。大ヒットしたトム・クルーズ主演作の36年ぶりの続編である。前作をリアルタイムで観た人も(私は残念ながら前作はロードショーでは観ていない)、前作を知らない人でも楽しめるエンターテインメント大作となっている。こうした娯楽大作の場合は、解説や解釈を書いても(そもそも解釈の入る余地はほとんどない)余り意味はないと思われるが(あるとすれば、「スター・ウォーズ」の意図的な模倣――おそらくリスペクト――ぐらいだろうか)、取り敢えず紹介記事だけは書いておきたい。

監督:ジョセフ・コシンスキー、脚本:アレン・クルーガーほか。製作にトム・クルーズが名を連ねている。実は、今月16日からは、前作「トップガン」の公開も始まるそうで、前作を観たことがない人は、「トップガン」もスクリーンで観る機会が訪れた。私もこの機会にスクリーンで観てみたいと思っている。

出演:トム・クルーズ、マイルズ・テラー、ジェニファー・コネリー、グレン・パウエル、モニカ・バルバロ、ルイス・プルマン、ヴァル・キルマー、エド・ハリスほか。

世界最高峰のパイロット養成機関トップガン出身のピート“マーヴェリック”ミッチェル(トム・クルーズ)は、今も現役のパイロットとして活躍。マッハ9、更にはマッハ10の壁を破ることに挑戦しようとしていた。だがそのプロジェクトに横槍が入りそうになる。今後、飛行機は自動運転化が進み、パイロットは不要となるということで、人間が運転して音速の何倍も速く飛ぼうが意味はないというのだ。AI万能論が台頭しつつある現代的な問題が提示されているが、マーヴェリックは、「(パイロットが不要になるのは)今じゃない」と答え、見事マッハ10の壁と突破する。
そんなマーヴェリックに課せられたミッションがある。トップガンの教員となって敵対する某国のウラン濃縮プラントの破壊に協力して欲しいというのだ。マーヴェリックは座学だけでなく、自らジェット機の操縦桿を握り、実戦形式で若いパイロット達を鍛えていくのだった。

とにかくジェット機によるアクションが見所抜群で、これだけでもおつりが来そうな感じである。マーヴェリックを巡る人間ドラマは、実のところそれほど特別ではないのだが(既視感のあるシーンも多い)、それによって空中でのシーンが一層引き立つように計算されている。
それにしてもトム・クルーズは大変な俳優である。宗教の問題が取り沙汰される昨今、サイエントロジー教会の広告塔ということだけが気になるが(難読症・失読症の持ち主として知られるが、サイエントロジーによって文字が読めるようになったと語っている)、マーヴェリックその人になりきって全てのシーンで観客を魅了してみせている。

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2346月日(40) 特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺ー真言密教と南朝の遺産」

2022年9月7日 京都国立博物館にて

東山七条の京都国立博物館で、特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺-真言密教と南朝の遺産」を観る。3階建ての平成知新館の2階と1階が「観心寺と金剛寺」の展示となっている。

観心寺と金剛寺は、南朝2代目・後村上天皇の仮の御所となっており(南朝というと吉野のイメージが強いが、実際は転々としている)、南朝や河内長野市の隣にある千早赤阪村出身である楠木正成との関係が深い。

共に奈良時代からある寺院であるが、平安時代に興隆し、国宝の「観心寺勘録縁起資材帳」には藤原北家台頭のきっかけを作った藤原朝臣良房の名が記されている。

観心寺や金剛寺は歴史ある寺院であるが、そのためか、黒ずんでよく見えない絵画などもある。一方で、非常に保存状態が良く、クッキリとした像を見せている画もあった。

1回展示には、ずらりと鎧が並んだコーナーもあり、この地方における楠木正成と南朝との結びつきがよりはっきりと示されている。

明治時代から大正時代に掛けて、小堀鞆音が描いた楠木正成・正行(まさつら)親子の像があるが、楠木正成には大山巌の、楠木正行には東郷平八郎の自筆による署名が記されている。楠木正成・正行親子は、明治時代に和気清麻呂と共に「忠臣の鑑」とされ、人気が高まった。今も皇居外苑には楠木正成の、毎日新聞の本社に近い竹橋には和気清麻呂の像が建っている。

河内長野近辺は、昔から名酒の産地として知られたそうで、織田信長や豊臣秀吉が酒に纏わる書状を発している。

観心寺や金剛寺の再興に尽力したのは例によって豊臣秀頼である。背後には徳川家康がいる。家康は秀頼に多くの寺社の再興を進め、結果として豊臣家は資産を減らすこととなり、大坂の陣敗北の遠因となっているが、そのために豊臣秀頼の名を多くの寺院で目にすることとなり、秀頼を身近に感じる一因となっている。木材に記された銘には、結果として豊臣家を裏切る、というよりも裏切らざるを得ない立場に追い込まれた片桐且元の名も奉行(現場の指揮官)として記されている。

最期の展示室には、上野守吉国が万治三年八月に打った刀剣が飾られている。陸奥国相馬地方中村の出身である上野守吉国(森下孫兵衛)は、実は坂本龍馬の愛刀の作者として知られる陸奥守吉行(森下平助。坂本龍馬の愛刀は京都国立博物館所蔵)の実兄だそうで、共に大坂に出て大和守吉道に着いて修行し、吉国は土佐山内家御抱藩工、吉行も鍛冶奉行となっている。価値としては吉国の方が上のようである。

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2022年9月12日 (月)

コンサートの記(804) 三ツ橋敬子指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2022「ザ・フォース・オブ・オーケストラ」第2回「2-ウェイ・ミュージシャンズ」

2022年9月4日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2022「ザ・フォース・オブ・オーケストラ」第2回「2-ウェイ・ミュージシャンズ」を聴く。指揮はお馴染みの三ツ橋敬子。ナビゲーターはガレッジセールの二人。


曲目は、レナード・バーンスタインのオーケストラのためのディヴェルティメントと「オン・ザ・タウン」から「3つのダンス・エピソード」、武満徹の「乱」組曲から第4楽章と「海へⅡ」(アルト・フルート、ハープ、弦楽オーケストラのための。フルート独奏:上野博昭、ハープ独奏:松村衣里)、ニーノ・ロータのトロンボーン協奏曲(トロンボーン独奏:岡本哲)、久石譲の「魔女の宅急便」とオーケストラのための「DA・MA・SHI・絵」


バトンテクニックに長けた三ツ橋敬子は、現代音楽を得意としている。なお、今回は三ツ橋が「演奏に専念したい」ということでガレッジセールとの絡みはなし。ガレッジセールの二人が進行を引き受ける。


今日のコンサートマスターは、「組長」こと石田泰尚(やすなお)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。管楽器の首席奏者は、前半はホルンの垣本昌芳を除くほぼ全員が出演。垣本は後半に登場。クラリネット首席の小谷口直子は前半のみの出番となった。


レナード・バーンスタインのオーケストラのためのディヴェルティメント。死後に作曲作品の再評価が進むレナード・バーンスタイン。指揮者の弟子が非常に多く、彼らが頻繁に師であるレナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の作品を取り上げるということもあるだろう。三ツ橋もレニーの愛弟子である小澤征爾に師事しており、レニーの孫弟子ということになる。
三ツ橋の指揮する京都市交響楽団であるが、非常に良く鳴る。今日は1階席で聴いたのだが、やはり音楽専用ホールを持つアドバンテージは非常に大きいようである。以前は1階席の鳴りが悪かった京都コンサートホールであるが、京響の成長と、舞台をすり鉢型にする工夫により、「良いオーケストラは良く鳴り、そうでないと良く鳴らない」という素直で演奏家には怖い響きの音響へと変わった。
レニーの多様な作風が窺えるオーケストラのためのディヴェルティメント。三ツ橋による表情の描き分けも巧みであった。

演奏が終わってガレッジセール登場。ゴリは今日は前髪を下ろしている。まず川田広樹が、京響と三ツ橋敬子を紹介。今回のテーマである「2-ウェイ・ミュージシャンズ」の意味が、「クラシック音楽ともう一つ。つまり二刀流」であると明かす。ゴリは、「二刀流と言えば大谷翔平選手」ということで、「ベーブ・ルースの持っていた二桁勝利二桁本塁打の記録を104年ぶりに破った」「今、全国の女子アナ、女性タレントが彼を狙っています。もうすぐ三刀流に」というところで川田に止められていた。

レナード・バーンスタインは、クラシックやミュージカルの優れた作曲家であり、同時に世界最高峰の座をカラヤンと争う大指揮者でもあった。作曲と指揮の二刀流である(同時に名ピアニストにして名教師でもあったが、ややこしくなるので今日は紹介されなかった)。
ゴリは、「バーンスタインも子どもの頃にお父さんとオーケストラを聴きに行き、そこでオーケストラの魅力に目覚めた。だから今日もここに将来のバーンスタインがいるかも知れない。大人になったらどうなるか分かりません。でも吉本興業に来るのは止めましょう」と言って川田に「何でよ」「素敵な会社よ」と突っ込まれていた。ちなみにゴリは、「給料がめちゃくちゃ安い」と語っていた。

「オン・ザ・タウン」は、レニーが最初に作曲したミュージカルで、映画化もされている(邦題は「踊る大紐育」)。「オン・ザ・タウン」はオペラ形式で上演されることもあり、日本でも佐渡裕が半オペラ半ミュージカルというスタイルで上演している。
「3つのダンス・エピソード」は、1945年にレニー自身が編曲したショーピースで、アメリカ的なノリが楽しい曲である。三ツ橋と京響も雰囲気豊かな演奏を繰り広げた。

続く武満徹は、クラシック音楽と映画音楽の二刀流である。がレッジセールの二人にとっては、映画音楽というと、「スター・ウォーズ」、「インディ・ジョーンズ」といったジョン・ウィリアムズの楽曲が印象深いようである。ゴリは、「インディ・ジョーンズ」には多分に影響を受けており、大学受験時に勉強をやる気が起こらず、東京の予備校でダラダラ二浪していて「もう諦めて沖縄帰ろうかな」と思っていたのだが、ある日、予備校の仲間から「何が好きなの」と言われて、「『インディ・ジョーンズ』のような世界が好きでああいうのやりたいんだよね」と答えたところ、「だったら日大藝術学部に映画学科があるからそこ受けてみたら。真田広之とか有名な人が出てるよ」と言われて初めて日芸を知り、途端に勉強にもやる気が出て合格出来たという話をする。
ゴリは、「ロッキー」シリーズも好きなようで、「絶対勝てないよ」と言われたロッキーが頑張っていいところまで行く。「人生何があるか分からないですよ。でも吉本興業に来るのは止めましょう」
ちなみにゴリは、中学生の時に彼女と二人で「ロッキー」シリーズを観に行って、見終わった後、シャドーボクシングをしながら「彼女を守る」というポーズを取っていたが、向こうからヤンキー五人組が来るのを見て、「肩こりの人」に変えたという話をしていた。

黒澤明の映画「乱」は、シェイクスピアの「リア王」を翻案したもので、黒澤の晩年の代表作である。黒澤映画のラッシュフィルムには、あらかじめクラシックの音楽が付けられていて、「これによく似た曲を書いて欲しい」と作曲家に頼むのが常だったようだ。「乱」のフィルムにも、マーラーの「巨人」などの音楽が付けられていたことが窺える。最終的にはこの「乱」で、武満と黒澤は喧嘩別れしてしまうことになるのだが、フィルムミュージック「乱」は今でも武満の代表作として世界中で演奏されている。光と影の明滅するような「タケミツトーン」はこの曲でも発揮されている。
三ツ橋と京響はこの曲の「抑えたドラマティシズム」を巧みに描き出していた。


武満徹の「海へⅡ」(アルト・フルート、ハープ、弦楽オーケストラのための)。
メルヴィルの小説「白鯨」に着想を得た作品で、「夜」「白鯨」「鱈岬」の3部からなる。武満は晩年に、「鯨のような優雅で頑健な肉体を持ち、西も東もない海を泳ぎたい」と語ってたそうだが、武満本人は若くして結核を患うなど、かなり病弱な人であり、65歳という、作曲家としては比較的若い年齢で亡くなっている。

生前、フランスの音楽評論家から、「タケミツは日系フランス人音楽家である」と評された武満徹であるが、この「海へⅡ」を聴くと、武満がドビュッシーなどから受けた影響がよく分かる。
余り関係ないが、「海へⅡ」は、私にとっても重要な作品である。ここでは説明はしないが。


ニーノ・ロータのトロンボーン協奏曲。それほど有名な曲ではないのだが、何故か2ヶ月連続で聴くことになった。先月末に、東大阪文化創造館 Dream House 大ホールで、愛知室内オーケストラの演奏で聴いているが、京都コンサートホールで聴く京響の演奏の方がオーケストラとしての馬力や色彩感に優れている。
ソリストの岡本哲(京響トロンボーン首席奏者)も、余裕を持って旋律を吹いていた。

ゴリは、ニーノ・ロータについて、「『ゴッドファーザー』などの映画音楽を書いた人」と紹介するが、映画の内容を考えて「大人になってから観て下さい」と伝えていた。


映画音楽とクラシック作品の二刀流のもう一人である久石譲。ゴリは、「久石譲は元々はミニマル・ミュージックという音楽を書いていた人」と紹介。エッシャーのだまし絵に着想を得た「DA・MA・SHI・絵」におけるミニマル・ミュージックの手法について説明する。

「魔女の宅急便」の愛らしさ、オーケストラのための「DA・MA・SHI・絵」の爽快さなど、いずれも優れたオーケストラ演奏であった。

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2022年9月11日 (日)

柳月堂にて(5) シャルル・ミュンシュ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(現:ニューヨーク・フィルハーモニック) サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」

2022年6月22日

出町柳の名曲喫茶・柳月堂で、シャルル・ミュンシュ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(現:ニューヨーク・フィルハーモニック)の演奏で、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」を聴く。後年、手兵であるボストン交響楽団と演奏した盤もあるのだが、ニューヨーク・フィルとの演奏は1947年に録音されたモノラル盤である。CD化もされており、現在でも入手出来るようだ。オルガンは、エドゥアルド・ニース=ベルガーの演奏のようである。

フランスを代表する指揮者の一人であるシャルル・ミュンシュ。小澤征爾やシャルル・デュトワの師としても知られている。ドイツ国境に近いアルザス地方のストラスブール(出生当時はドイツ帝国領シュトラウスブルク)の生まれ。アルザス地方は戦争によってフランス領になったりドイツ領になったりした歴史を持つが、ミュンシュの家系はドイツ系で、元はカール・ミュンヒという名前であった。後にフランスに帰化してフランス風のシャルル・ミュンシュに名を改める。ヴァイオリニストとして活躍し、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターをしていた時代に、カペルマイスターを務めていたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの影響を受けて指揮者に転身している。ミュンシュは即興的な音楽作りでも知られるが、「音楽は即興的でなければならない」を旨としたフルトヴェングラーの影響を受けていることは明らかである。

ミュンシュといえば、最晩年にパリ管弦楽団の初代音楽監督として録音したベルリオーズの幻想交響曲とブラームスの交響曲第1番という2つの名盤が有名である。すでに指揮者を引退していたミュンシュだが、アンドレ・マルローによる「世界に通用するフランスのオーケストラを創設したい」との強い希望によりパリ音楽院管弦楽団を発展的に改組して作られたパリ管弦楽団の音楽監督就任要請を受諾している。最後の力を振り絞って行われたこれらの演奏は、「狂気」すれすれの怪演でもあり、多くの人を虜にしてきた。

そんなこともあって、ミュンシュというと「ちょっと危ない」イメージもあるのだが、第二次大戦終結後まもなくに行われたこの録音では、端正でスマートな演奏を聴かせており、従来のミュンシュのイメージを覆す出来となっている。「熱い」イメージもあるミュンシュだが、それとは異なる演奏も行っていたことが分かる。

ミュンシュはボストン交響楽団の黄金時代を築いてもいるが、エレガントなボストン交響楽団の音に比べ、この当時のニューヨーク・フィルの音は都会的。今ではボストン響もニューヨーク・フィルもそれぞれの個性を保ちつつ、大きくは「アメリカ的」でくくれるオーケストラとなっているが、当時はかなり違う個性を持つ団体だったことがうかがえる。

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2022年9月10日 (土)

これまでに観た映画より(310) 「ポルトガル、夏の終わり」

2022年9月8日

録画しておいた映画「ポルトガル、夏の終わり」を観る。2019年の制作。アメリカ・フランス・ポルトガル合作。セリフは英語とフランス語、一部ポルトガル語が用いられている。
監督:アイラ・サックス。出演:イザベル・ユペール、グレッグ・キニア、マリサ・トメイ、ジェレミー・レニエ、ブレンダン・グリーソン、ヴィネット・ロビンソン、パスカル・グレゴリーほか。

原題は、主演女優であるイザベル・ユペールの役名である「フランキー」(フランソワの愛称)であるが、ポルトガルの避暑地であるシントラ(世界文化遺産指定)を舞台に繰り広げられる群像劇であり(フランキーは中心にはいるが)、「夏の終わり」がフランキーの病状に重ねられているため、邦題としてはまずまず良いのではないかと思われる。多分、「フランキー」というタイトルだったら、「観たい」と思う日本人はかなり少なかったはずである。

比較的淡々と物語は進んでいく。

有名女優であるフランキーことフランソワ・クレモント(イザベル・ユペール)は、末期の癌に冒されており、診断によると年を跨ぐことは出来ない。そこで、家族や友人を連れて、ポルトガルのシントラで晩夏を過ごすことにする。夫に元夫、元夫との間の息子とその恋人候補、現在の夫の娘(連れ子)とその夫と娘などの行く末を見定めるつもりでもあっただろう。特に息子のポール(ジェレミー・レニエ)を友人のヘアメイクアーティストのアイリーン(マリサ・トメイ)とめあわせようとするのだが、実のところ……といった展開になる。アイリーンはニューヨーク在住で、息子のポールは仕事でニューヨークに移るということで期待したのであるが、アイリーンにはすでに婚約者候補があり、ポールもそれとなくアイリーンにアプローチをするのだが、断られている。

最期は登山のシーンである。フランキーがプランを立てたのだ。先に山に登ったフランキーが下にいるジミーとアイリーンを見つめる。そのフランキーを更に上から元夫のミシェルが望遠鏡で覗いている(ミシェルは今では男と恋愛関係にあるようだ)。その後、更に上の場所から山頂に到達した人々を捉える視点。おそらく神の視点であろう。計画はフランキーの予定通りには進まなかった。だが人々は思い思いに人生を過ごしていく。それを見つめる神の視座にいるカメラは、最後の頂に立ったフランキーのもう一つの視点なのかも知れない。

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