2026年2月15日 (日)

コンサートの記(948) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団豊中演奏会 オールNHK大河ドラマテーマ曲

2026年2月6日 曽根の豊中市立文化芸術センター大ホールにて

午後7時から、曽根にある豊中市立文化芸術センター大ホールで、「大阪フィルハーモニー交響楽団豊中演奏会」を聴く。指揮は下野竜也。全曲、大河ドラマのテーマ曲というプログラムである。

大河ドラマのテーマ曲は、NHK職員の息子で、自称「大河フェチ」の広上淳一が当時の手兵であった京都市交響楽団と、前半が大河ドラマのテーマ、後半がクラシック名曲という形で何度か行っており、京響の常任を離れてからもニューイヤーコンサートなどで取り上げている。
また本家のNHK交響楽団は、沖澤のどかの指揮で、さいたま市の大宮ソニックシティ大ホールで大河ドラマのテーマ曲とクラシック名曲のコンサートを来月行う予定である。ちなみにチケット料金であるが、N響が大フィルの倍以上高い。

久しぶりの豊中文芸。豊中市は日本センチュリー交響楽団のホームタウンであるため、センチュリー響が豊中文芸で優先的に演奏会を行っているが(定期演奏会は大阪市内のザ・シンフォニーホールから変更なし。おそらくザ・シンフォニーホールでやった方が豊中で行うよりも客が入る)、大阪フィルハーモニー交響楽団は大阪市の南の方(西成区岸里)に本拠地を置いているため、豊中で演奏する機会はそう多くないはずである。

下野竜也は大阪フィルの1月の定期を振り、その後、京都市ジュニアオーケストラのリハーサルと本番、更に大フィルの豊中演奏会と続いており、おそらくずっと関西で過ごしているものと思われる。
下野は、大フィルの指揮研究員出身だが、研究員であった2年間は、豊中市の庄内(大阪音楽大学がある場所)で暮らしていたそうだ。

下野が大河ドラマのテーマ曲を振ったのは計7回で、近年では最多となる。
ここ10年ほどは、下野と同じくNHK交響楽団の正指揮者である尾高忠明、広上淳一の3人で回しており、今年の大河「豊臣兄弟!」のテーマ曲指揮者として沼尻竜典が新たに加わっている。

 

曲目は、大島ミチルの「天地人」、芥川也寸志の「赤穂浪士」、湯浅譲二の「元禄太平記」、林光の「花神(かしん)」、池辺晋一郎の「黄金の日日」と「独眼竜政宗」、山本直純の「武田信玄」、千住明の「風林火山」、坂本龍一の「八重の桜」、吉松隆の「平清盛」、服部隆之の「真田丸」(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、菅野祐悟の「軍師官兵衛」、エバン・コールの「鎌倉殿の13人」、ジョン・グラムの「べらぼう」

N響が今年の大河「豊臣兄弟!」のテーマ音楽を演奏するのが売りなら、大フィルは昨年の大河「べらぼう」のコンサート初演奏を実際に指揮した人のタクトで聴けるのが魅力である。

ゲストは3人。先に記した三浦文彰、作曲家の池辺晋一郎、オンド・マルトノ奏者の原田節(たかし)。池辺晋一郎は作曲の拠点は東京だが、アクリエひめじなど姫路市での仕事も多く、また「川が流れてる街が好き」と述べたことがあり、「大阪とか」と大阪市を筆頭に挙げている。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置による演奏だが、豊中市立文化芸術センター大ホールはステージが比較的狭いので、大編成の大フィルが乗ると、「ぎっしり」という感じである。
邦楽器の音は、下手端に位置するキーボードが出していた。また「赤穂浪士」では、エレキギターが演奏された。

下野は、身長が高くないので、高めの指揮台を使用。総譜であるが、製本されていないので、印刷された譜面を1曲ごとに取り替えて指揮していた。
司会を兼ねながらの指揮(「司会をします。たまに指揮もします」と冗談を言っていた)。

豊中市立文化芸術センター大ホールは、西宮市にある兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールをモデルとして建てられたが、サイズや内装、音響なども異なるため(音響設計は、クラシック音楽専門のところではなく映画館の音響が専門の会社に頼んでいるはずである)、今日の演奏会では、音が塊となって迫ってくるかのよう。やはりこのホールには中編成から小編成のアンサンブルの方が相応しいようである。

下野は、俳優には余り詳しくないようで、「妻夫木聡」という名前を何度か間違えていた。
「映画に負けない時代劇を作ろう」という掛け声と共に始まった大河ドラマ。当時の時代劇映画は、一流の作曲家に音楽を依頼することが多かったため、負けないためにはこちらも一流の作曲家を起用する必要がある。これまでの大河ドラマの音楽担当者を見ても、著名な作曲家の名前が綺羅星の如く並んでいる。

芥川龍之介の三男で、芥川也寸志作曲賞にその名を残す芥川也寸志。ソ連の音楽に詳しくショスタコーヴィチ作品の紹介なども行っていた人である。「赤穂浪士」のテーマ音楽(本編での演奏はまだNHK交響楽団ではない)は、数ある大河のテーマ曲の中でも知名度は随一。赤穂浪士を描いた音楽としては最も有名で、民放のバラエティ番組なども赤穂浪士を紹介する際にはこの音楽を流すことが多かった。ちなみに大河ドラマの音楽は、テーマもその他の音楽もフリー素材扱いとなり、自由に使うことが出来る。
芥川の「赤穂浪士」はすでに大河ドラマのテーマ曲のみならず、彼のオーケストラ小品と見なして間違いないと思われる。

「元禄太平記」の音楽を担当した湯浅譲二は、「徳川慶喜」のテーマ音楽でも知られている。現代音楽の作曲であり、いつも易しい音楽を書くということはしなかった。「元禄太平記」の音楽は平明である。主人公は異例の出世を遂げた柳沢吉保。ただ柳沢吉保は男色好きで、時の将軍・徳川綱吉も衆道を好んだ。ということで教科書に書けない、テレビにも映せない何かがあったのかも知れない。

林光は、現代音楽の風潮を嫌い、メロディー第一の作曲を行った人である。「花神」のテーマ曲でもテーマを繰り返しながら変化させるのが上手い。
「花神」の映像は、総集編が出ていて、私は見たことがある。司馬遼太郎の原作も読んだが、原作の方が面白かった。ただ全話見たら評価が覆るかも知れない。

池辺晋一郎作曲の「黄金の日日」と「独眼竜政宗」。演奏前に、池辺晋一郎がトークゲストとして登場。いきなり、「歯医者みたいなことやってるね。歯科医者(司会者)」とジャブ。池辺晋一郎というと駄洒落がお馴染みで、下野に「5回までにして下さい」と言われる。5回ということに掛かるが、池辺晋一郎は大河ドラマの音楽を冨田勲に並ぶ最多タイとなる5回手掛けている。

池部「5回。誤解のないように」

「黄金の日日」を手掛けていたときは、同時進行で「未来少年コナン」の音楽も担当していたそうで、大変な忙しさだったという。
主人公である呂宋助左衛門こと納屋助左衛門を演じた六代目市川染五郎は、2016年の大河ドラマ「真田丸」でも九代目松本幸四郎として同じ役を演じている(その年の暮れに二代目松本白鸚襲名を発表)。

「独眼竜政宗」は今も「好きな大河ドラマランキング」でたびたび1位を取る作品であるが、通常は前年の秋にテーマ音楽を録音するところを、N響が秋に海外ツアーを行うため、前年の8月に録音が行われることになった。脚本は2ページしか出来ておらず、仕方なくイメージを膨らませて作曲したそうだ。下野は、「独眼竜政宗」を見ていて、変わった音が鳴っていることに気付いたが、後にそれがオンド・マルトノの音だと知ったそうだ。
ということで、オンド・マルトノ奏者の原田節がステージ上に呼ばれる。オンド・マルトノは、メシアンのトゥーランガリラ交響曲に用いられていることで知られているが、使用されている曲はそれほど多くない。池辺は、「勇壮なイメージ」ということでオンド・マルトノを取り入れたそうである。
池部「伊達なので伊達に」
ちなみに流行語となった「梵天丸もかくありたい」と語っていた少年は、今は京都芸術劇場春秋座の芸術監督である。

池部は、「皆さん、テーマ曲が一番大変だと思うでしょ。でもそうじゃない。ドラマの中で流れる曲が大変。打ち合わせして、場面の切り替わりだとか転調」に合わせた音楽を書かないといけない。全話分で620曲ぐらい作曲するそうである。
「今はそうじゃない。ストックしておいて、合った曲を選ぶ。でも事前に100曲から200曲ぐらい書くので、準備が大変。あと使われない曲も出てくる」
更に、「テーマ曲が大変なのは手間が掛かる」と駄洒落を言っていた。
原田節も池辺に合わせて、池辺「和音が出来ない」、原田「わおーん」と言ったり、一番端に置かれたスピーカーのような見た目の楽器の裏に銅鑼がついているのだが、「どこでも銅鑼」と言って、下野は、「原田さん、普段、こんな人じゃないんですよ」とフォローしていた。

第1部では、昭和の大河ドラマのテーマ曲を取り上げたが、第2部では新しい曲も増える。

山本直純が作曲した「武田信玄」に続き、信玄の軍師として知られる山本勘助を主人公にした「風林火山」が演奏される。赤備えである。共に武田の騎馬隊をイメージして作曲している。「風林火山」の千住明は、母親に作曲したものを聴かせたのだが、「もっともっと」と要求されて、最後には「騎馬隊の馬の耳まで見えた」として納得出来る作品となったようだ。一部では、「コッペパーン」で始まる矛盾した歌詞が付けられて歌われている。

曲が多いので、下野も、「次ぎ、『八重の桜』ですよね」と頭がこんがらがるようだ。
「2分から3分の間に、ベートーヴェンの交響曲1曲分のエネルギーを皆さん込めるので、やる方は大変」

坂本龍一が唯一書いた大河ドラマのテーマ曲「八重の桜」。2013年、「八重の桜」放送当時に、坂本龍一本人がピアノとアンコール楽曲での指揮を担当した「Playing the Orchestra 2013」で取り上げている。私にとっては、新装オープンとなったフェスティバルホールでの最初のコンサートであった。その時は篠笛が鳴るという、ドラマ通りの編曲であったが、今回は篠笛も笛の類いも鳴らない編曲であった。坂本龍一はニューヨーク在住ということで、テーマ曲と、「八重のテーマ」だけを作曲。本編の作曲は中島ノブユキに託している。
現在、「八重の桜」はNHKBSで再放送中である。

吉松隆の「平清盛」。冒頭にピアノが活躍するが、これは「左手のピアニスト」として活躍している舘野泉が左手だけで弾いたものである。「梁塵秘抄」の「遊びをせんとや生まれけむ戯れせんとや生まれけむ」の部分をピアノで表している。ちなみにこの部分は純粋に遊ぶ子供を愛でているもので、「遊女が」という解釈は「梁塵秘抄」の性格に合わない。
時代に合わせてリアルなセットや服装にしたところ、神戸市長から「汚い」と苦情が入ったことでも知られる大河ドラマである。

服部隆之の「真田丸」。短い曲だが、この曲を演奏するためだけに大河本編でもヴァイオリンを弾いた三浦文彰登場。三浦文彰は最近は指揮者としても活動している。本編の指揮者は下野であり、オリジナルのソリストと指揮者が揃うことになった。下野は、ドラマにも堺の商人役で出演。セリフは、「はい」だけであったが、大河俳優となっている(?)。広上淳一が、「私も出たかったんです」と嫉妬していたが、その後に大河ではないが音楽監修を務めたTBS系日曜劇場の「さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~」にピアニカ奏者役でカメオ出演することになる。
三浦は、「服部先生に冒頭だけでも聴けて貰ったのが良かった。『土臭く。侍』というイメージも言って頂けた。作曲者に直接答えて貰えることは実は稀で。みんな死んじゃってるんで」と語っていた。
広上淳一指揮の京都市交響楽団がこの曲を演奏したときには、コンサートマスターの石田泰尚がソロを弾いたが、ソリストと、普段コンサートマスターとして活動しているヴァイオリニストの違いがよく分かった。
この曲はヴァイオリンが駆け、オーケストラがそれを追いかけるという構図を取っている。
三浦の退場後、下野は、「三浦さん、本番2分45秒でした」と語る。それだけのために豊中に来ている。

 

菅野祐悟の「軍師官兵衛」。菅野さんが席にいて、大フィルの福山さんと話しているように見えたのだが、気のせいだろうか。
京響に初登場した時は、雨天で、「嵐を呼ぶ男」と呼ばれるほどの雨男だと明かしてた菅野祐悟。その後、主に関西フィルハーモニー管弦楽団と仕事をすることが多く、交響曲などを発表している。

下野は演奏後、「(主演の)岡田准一さんの顔が見えましたか?(岡田准一は大阪府枚方市の出身で、今もひらかたパークのひらパー兄さんとして親しまれている)。これからは海外の作曲家が書いた曲を演奏します。エンニオ・モリコーネも書いていますが(「武蔵」。お蔵入り決定で、大河の黒歴史となっている)、エバン・コール。この人はアメリカ人ですが、日本のアニメにも詳しいです。これを録るときはコロナの頃だったものですから、あんまり大人数ではいけない。一応、全員でも録ったんですが、パートごとに分けて録る。ただそれをそのまま全部合わせると上手くいかないものですから(カラヤンはそうした手法でも録音していたようだが)、クリックを使おうと。しかし、オーケストラの音が大きいので、クリック音が聞こえるように音量を上げると外からも聞こえてしまう。そこで『電磁波クリックがあります』ということで、後頭部に電磁波が出るものを装着すると外には聞こえなくても頭の中には聞こえる。でもやはりオーケストラの音が大きい。今度は『針があります』ということで、腕時計に針が仕込まれていて交互に腕を指す。この曲には懐かしさもありますがあの痛さも思い出します」

エバン・コールの「鎌倉殿の13人」。演奏時間は2分15秒と短い。鎌倉時代が舞台で、戦国時代や幕末ほどには様々な人は登場しない。承久の乱も軽く触れるだけで、身内同士の殺し合いと姉弟関係を描くという内容であったため、キャストの数は他の大河に比べて少なめだったはずである。身内同士の粛正が多いので、陰惨でもあったが。
広上淳一と京都市交響楽団がこの曲を演奏した時には、掛け声は録音されたものをスピーカーから流していたが、今日は大フィルの団員がその場で声を発していた。

ジョン・グラムの「べらぼう」。下野はジョン・グラムについて、「『麒麟がくる』も作曲しています」と紹介する。
ジョン・グラムはアメリカ人だが(ちなみに生年が1960年または1961年とあり、よく分からないらしい)、日本情調の表し方も巧みである。

 

最後は、
下野「鹿児島県出身なので、鹿児島県が舞台になった大河を。『篤姫』じゃありません。『西郷どん』(富貴晴美作曲)という愉快な曲を」
主役オファーを断られ、当時、お茶の間では無名に近かった鈴木亮平が代役として大抜擢されるなど、色々あった大河だが、「西郷どん」が言葉通り愉快に鳴った。

下野は最後に、「大阪フィルの指揮研究員だった時、2年間だけ豊中市民でした。大阪フィルのメンバーに『どこに住んだらいいだろう』と相談したら、『庄内がいいんちゃう』と言われたもので、庄内の部屋とは反対側にある不動産屋に行って契約して。その時は部屋はまだ見てません。それから大阪フィルで、岩城宏之先生のドビュッシーの「海」のリハーサルを見学して、庄内の表側に行ったら、『楽しくて、庄内』と書いてあって、楽しい街だなあ」と思い出を語っていた。

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2026年2月13日 (金)

コンサートの記(947) 広上淳一指揮京都市交響楽団第707回定期演奏会

2026年1月23日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第707回定期演奏会を聴く。

京都コンサートホールの周りには雪の固まりが残っている。京都の中心部では降らなかったが、北山では雪が降ったのかも知れない。北山近辺の道は濡れていなかったが、北大路通は濡れているところもあった。京都はほんの少し違っただけで天気が変わるため、一口に「京都市の天気」と言えないところがある。

今日の指揮者は、「京都市交響楽団 広上淳一」という肩書きの広上淳一。

曲目は、準オール・アメリカ・プログラム。レナード・バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」、バルトークのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:三浦謙司)、コープランドの交響曲第3番。
有名曲がないため(バルトークのピアノ協奏曲第3番は、強いて言えばバルトークのピアノ協奏曲の中では有名な方)客の入りは悪く、おそらく半分行っていない。1席の前の方と2階席と3階席のステージ脇両サイドは人がいるが、他は入っていない。

 

6時30分頃から、広上淳一と京響ゼネラルマネージャーの森貴之によるプレトークがある。森が、「雪が降ったところの皆さん、大変なところをよくぞお越し頂きました」と述べたため、北山や北大路以外にも雪が降ったところがあることが分かる。
広上は、「死にかけた」という話をする。大晦日に家族で伊豆高原に旅行に行き、ビール3杯などを飲んで風呂に入ったところ意識をなくし、奥さんが気付いて救急車を呼んで助かったという。医者に「こっぴどく怒られました」だそうで、「皆さん、お酒飲んで風呂に入ったら駄目ですよ」と語った。奥さんからも「こんなところから葬式出すの嫌だからね」と言われたそうである。
そして家に戻って、沖澤のどかが「ボレロ」を振るカウントダウンに間に合ったそうである。

レナード・バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」もコープランドの交響曲第3番も政治色が強い曲目である。
「スラヴァ」は、チェリスト&指揮者のムスティスラフ・ロストロポーヴィチの愛称である。彼がソ連からの亡命に成功し、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に就任したのを記念してバーンスタインが書いたものである。バーンスタインによる選挙大会の政治演説や聴衆の歓声が録音で流される。
コープランドの交響曲第3番は、第4楽章に「市民のためのファンファーレ」が流れるのだが、この曲は指揮者のユージン・グーセンスが1942年8月に「アメリカの戦争遂行の愛国的なファンファーレ」として18人の作曲家に依頼したファンファーレの一つであるため、広島のようにアメリカによる甚大な被害を受けた街では「市民のためのファンファーレ」もコープランドの交響曲第3番も演奏出来ないそうである。
バルトークのピアノ協奏曲第3番のソリストである三浦謙司に関しては、「ベルリンに住む上手いピアニスト」と語っていた。
京都市交響楽団の成長については広上は、コンセルトヘボウ・アムステルダム(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)、チェコ・フィル、フィンランドのラハティ(交響楽団)、スウェーデン放送響、バンベルク交響楽団に似たオーケストラになったと語るが、これはあくまでも広上が振った時。指揮者によって音が変わる。そういう意味では広上淳一と沖澤のどかは対極にいる指揮者かも知れない。鬼束ちひろが、「音楽性は生まれた土地の気候によって決まる」と若い頃に記していたが、東京生まれの広上と青森生まれの沖澤とでは音楽性が違ってくるのは当たり前かも知れない。

 

今日のコンサートマスターは「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置による演奏である。客演首席ヴィオラ奏者には新日本フィルの森野開、客演首席チェロ奏者には新日本フィルの櫃本瑠音(ひつもと・るね)、首席客演トロンボーン奏者には都響の風早宏隆。風早という苗字はマンガ・映画「君に届け」で有名になっているが、風早氏は本流は数少ない平氏系の公家である。京都市内に風早町という住所があるが、御所近辺の公家街に移る(移される)まではその近辺に屋敷を置いていた公家だ。風早宏隆がどこまで公家の風早氏と近いのかは不明である。
コープランドの交響曲第3番は、大編成であり、打楽器に客演奏者がずらりと並ぶ。

 

バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」。広上はバーンスタインに直接指揮を学んでいる。今の時代には巨匠にして教育者という指揮者は少ない。良き時代に教育を受けたと言える。
「スラヴァ!(政治的序曲)」は、ドイツ・グラモフォンから、作曲者がイスラエル・フィルを指揮した録音が出ているが、今は積極的にイスラエル・フィルを聴きたいという状況ではない。ただ広上と京響の演奏の方がバーンスタインらしさがはっきり分かる。バーンスタインは優れた指揮者であったが、音楽にのめり込みやすいという性格であり、客観的に彼の音楽を聴きたいのなら他の指揮者による演奏を選んだ方が良いのかも知れない。幸い弟子は数えられないほどいる。
甘く澄んだ弦、輝きのあるブラス、抜けの良い音など、広上の良さが十全に出ている。
エレキギターが浮かび上がるなど、いかにもバーンスタインらしい曲想(エレクトリックギター演奏:山田岳)。最後は、楽団員の「スラヴァ!」の言葉で締める。これはロストロポーヴィチの愛称であると同時にロシア語で「栄光あれ!」の意味を持つ。

 

バルトークのピアノ協奏曲第3番。ハンガリーを代表する作曲家であるバルトークであるが、ナチスの台頭を嫌い、アメリカに亡命する。しかしアメリカの水が合わなかったようで、引きこもりのようになり、作曲よりも民族音楽研究に取り込むことが多くなる。ただこれでは音楽で稼ぐことは出来ない。見かねたボストン交響楽団の音楽監督であるセルゲイ・クーセヴィツキーが作品を依頼。出来上がった管弦楽のための協奏曲はバルトークの代表作の一つとなった。だが白血病を患い、気難しい性格が災いして対人関係に悩むなど、最後までアメリカになじむことはなかった。最後は服装も浮浪者のようになって、デイヴィッド・ジンマン少年に石を投げられる(直接投げつけたという話と、住んでいる家の窓にぶつけたという話があり、どちらなのか、あるいは両方なのか不明)など惨憺たる有り様で、在米5年で他界している。
ピアノ協奏曲第3番は、バルトークのアメリカ時代の作品である。

ソリストの三浦謙司は、1993年、神戸生まれのピアニスト。13歳で英国政府奨学金を得てロンドン・パーセル・スクールに入学。2011年からはベルリン芸術大学で学ぶも、翌年に中退。日本で様々な仕事をしながらボランティア活動を行う。2014年に再び渡独。ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンに入り、卒業後は同校の教員としても活動している。第4回マンハッタン国際音楽コンクール金賞受賞、第1回Shigeru Kawai国際ピアノコンクール優勝。スタインウェイコンクールベルリン第1位、2019年のロン=ティボー国際コンクール・ピアノ部門優勝及び3つの特別賞を獲得して名を挙げている。

ジャネットにネクタイ姿で現れた三浦。右肩を落として構える癖のあるピアニストである。広上指揮の京響が奏でる伴奏であるが、昨日聞いた歌劇「青ひげ公の城」とは明らかに異なる洒脱でモダンな響きがする。バルトークがアメリカに滞在した月日は短かったが、アメリカ的なるものを確実に吸収していたことが分かる。単に引きこもっていただけではなかったようだ。
三浦の難所も軽やかに乗り越えるピアノも聴き応えがある。クリアな音色も魅力的だ。
バルトークもアメリカの影響を受けた、あるいは受けざるを得なかったことが分かる楽曲でもある。

三浦のアンコール演奏は、シューマンの「子供の情景」から“詩人のお話”。技巧的には平易な曲で、あるいは私も昔弾いたことがあったかも知れない。
「子供の情景」も決定的名盤が存在しない楽曲である。そもそも録音が余り多くない。個人的に好きなのは、録音は古いがホロヴィッツ盤。こんな小品集であってもホロヴィッツのひらめきは冴えている。アルゲリッチ盤は彼女にしては大人しいが、そもそも彼女に向いている楽曲ではないような気がする。

 

コープランドの交響曲第3番。コープランドは同性愛者、バーンスタインは両性愛者で、二人は短い間だったがパートナーであった。バーンスタインに指揮者になるよう進言したのもコープランドであったと言われる。
それはそれとして、コープランドの交響曲第3番は大傑作である。いかにもアメリカ的な広がりとノスタルジアを兼ね備えた旋律が巨大なモニュメントを打ち立てていく。
京響が奏でる音はたおやかで立体的であり、印象派に影響を受けたと思われるグラデーションも美しさに満ちているが、楽章が進むにつれて大音響へと変わっていく。最後列にずらりと並んだ打楽器群が進軍を後押しする。ピアノ、チェレスタ、2台のハープなども威力を加える。
第4楽章に「市民のためのファンファーレ」が登場。この曲は、広上が京響の常任指揮者に就任して初めてのコンサートの第1曲として演奏したものである。そんなことも思い出しつつ、強烈な音を堪能する。
東にN響あれば西に京響あり。広上と地元オーケストラの実力を堪能した夜であった。

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2026年2月11日 (水)

NHK 宮城発地域ドラマ 草彅剛主演「ペペロンチーノ」

2026年2月2日

NHKオンデマンドで、宮城発地域ドラマ「ペペロンチーノ」を見る。作:一色伸幸、音楽:世武裕子。主演:草彅剛。出演:吉田羊、國村隼、矢田亜希子、富田望生、一色洋平、蒼波純、古川凛ほか。演出:丸山拓也(NHK仙台放送局)。

東日本大震災から10年が経った宮城県内の牡鹿半島にある町(具体的な市区町村名は明かされない)が舞台。10年前、港の近くで妻の灯里(吉田羊)と共にイタリアンレストラン「PARADOSO」を開いていた小野寺潔(草彅剛)は、東日本大震災で被災。命は助かったが、レストランは津波に流された。
仮設住宅に入った小野寺。レストランを失ったので他の仕事を探さねばならないが、見つかるのは賃金が安いか、肉体労働の仕事だけ。5つほど従事したが、どれも長続きはしなかった。
そんな日々の中で、酒浸りの生活となり、オートバイを飲酒運転して転倒し、脚の骨を折るという重傷を負う。担当した佐々木という医師(國村隼)もアル中だったことがあり、小野寺は2021年の3月11日まで断酒するよう厳命される。
ある日、小野寺は、仮設住宅の隣の部屋で暮らしているのが、高校の時の同級生であるより子(矢田亜希子)であることに気付く。激しめの親子喧嘩を聞きつけて、隣家に飛び込んだのだ。より子はシングルマザー。小野寺は仲直りのためのペペロンチーノを作る。「最も易しいが、最も難しい」それがペペロンチーノ。

かつてレストランがあった場所を訪れた小野寺は、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」より第18変奏を奏でる音に惹かれ、倉庫の方へ。グランドピアノを弾いていたのは高橋(一色洋平)。なたね(富田望生)がそれを聴いている。高橋はなたねのためにピアノの練習を重ねていたようで、突然、なたねにプロポーズ。なたねのみならず小野寺も動揺して、近くにあった木材などを蹴飛ばしてしまい、高橋となたねから「誰?」という目で見られる。小野寺は、以前に近くでレストランを開いていた者だと教える。
高橋となたねは、海で養殖の仕事をしているが、小野寺も仕事を教えて貰うようになる。

妻の灯里がイタリアンを食べる姿を見た小野寺は、以前の「PARADOSO」より、より海に近い場所に新たな「PARADOSO」を開くことを決め、金策に回る。雑誌やテレビが取材に訪れ、窓から見える海の眺望も話題となって繁盛するが、コロナ禍が訪れる。そんな中、一人の若い女性がPARADOSOを訪れる。彼女は小さなWeb情報誌のライター、庄司結衣香(齊藤夢愛)だった。彼女は他のライターとは少し異なる記事を書いた。


2021年3月11日。小野寺は、知り合い全員をPARADOSOに呼び、貸し切りパーティーとするが、それは小野寺が誰よりも深い喪失を抱えていることが分かる瞬間でもあった。


2021年にNHK仙台放送局によって制作されたドラマである。陰のある男役も得意とする草彅剛だが、この時点で渋みも加わった演技を行うことが可能になっている。年を取れば取るほど味が出てくるタイプだ。
何千回、何万回と写真を撮られてきた人だと思うが、新たなPARADOSO出発の日に写真を撮られているときには明らかに撮られ慣れていない表情をしており、面白い。
目の演技が細やかな富田望生は、この2年ほど後に体重を増やして、朝ドラ「ブギウギ」で草彅剛と再度共演。富田望生は自身と同じ福島県出身の役を演じており、語尾が「くんちぇ」になる方言を草彅が面白がってよく真似ていたそうだ。

どんでん返しのあるドラマだが、一層、小野寺という男の内面が愛おしくなるような気がする。
東京制作とは違った、ゆったりとした時の流れを感じられるのも印象的であった。

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2026年2月 8日 (日)

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団+ウィーン楽友協会合唱団ほか モーツァルト 「レクイエム」(ジュースマイヤー版)

日本語歌詞対訳付き

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2026年2月 4日 (水)

コンサートの記(946) びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲「劇場支配人」&レオンカヴァッロ作曲「道化師」2026.1.24

2026年1月24日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

大津へ。びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲「劇場支配人」&レオンカヴァッロ作曲「道化師」を観る。

「道化師」は、京都国立博物館中庭特設会場で、吉田裕史(ひろふみ)指揮ボローニャ歌劇場フィルハーモニーによる大規模キャストによる野外公演を観たことがあるが、「劇場支配人」を観るのは初めて。「劇場支配人」序曲は、以前に「題名のない音楽会」のオープニング&エンディングに使われていた

キンボー・イシイ指揮日本センチュリー交響楽団の演奏(コンサートマスター:松浦奈々)。日本センチュリー交響楽団は、びわ湖ホール中ホールでのオペラ上演にたびたび呼ばれているが、中規模編成のオーケストラだけに中ホールの小さめのピットでも威力を発揮出来るからだろう。ただ日程によっては、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団や大阪交響楽団が入ったりもする。
大ホールでのオペラ上演は京都市交響楽団が受け持つことが多い。何と言っても隣町のオーケストラである。

キンボー・イシイは、本名を石井欽一といい、キンボーはヨーロッパでのニックネームである。ただ、欽一というと欽ちゃんこと萩本欽一のイメージが強いからかどうかは分からないが、師である小澤征爾から「お前はキンボーを名乗れ」と言われ、それを守っている。一時は、キンボー・イシイ=エトウと名乗っていたが、長いからか、いつの頃からかキンボー・イシイとなっている。
冗談みたいな名前の人だが、ヨーロッパを中心にオペラ指揮者として活動しており、ベルリン・コミッシェ・オーパーの首席カペルマイスターを経て、マクデブルク劇場音楽総監督、大阪交響楽団首席客演指揮者、ドイツ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州立劇場音楽総監督などを歴任している。
ウィーン市立音楽院でヴァイオリンをバリリ四重奏団で知られるワルター・バリリに師事。ジュリアード音楽院でも当初はヴァイオリンを専攻していたが、怪我のために途中で指揮に転向。前述、小澤征爾やサイモン・ラトルに師事している。

演出と日本語台本を務めるのは、お馴染みの中村敬一。「ザ・スタッフ」所属ということで、岩田達宗とも同僚だった人である。国立(くにたち)音楽大学招聘教授、大阪音楽大学客員教授。沖縄県立芸術大学講師などを務めている。沖縄県人の多くは、クラシック音楽を聴く習慣がないと言われているが(古くからの民謡や伝統音楽と、アメリカ統治時代に入ったロックやジャズなどが盛んで、クラシックが根付く土壌自体が形成されなかった)、県立の芸術大学があり、砂川涼子などスター歌手も生まれているため、普及に期待が持たれている。

 

上演前に、中村敬一による解説がある。1時間ほどの短いオペラ2本で、いずれももう1本の中編オペラと併せて上演されることが多く、特に「道化師」は、イタリアのヴェリズモ(現実)と呼ばれたオペラであり、ヴェリズモオペラのもう1本の代表作であるマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」との組み合わせで上演されることが多いが、今回はそうではなく、「劇団」を巡る2本の物語としている。
モーツァルトの「劇場支配人」はタイトルとは裏腹に、劇場ではなくシェーンブルン宮殿の温室で上演するために作られた、どちらかというと余興に近いオペラである。オペラと書いたが、セリフを喋るだけの人も多く、アリアも少ないことから、ジャンル的には「魔笛」同様、ジングシュピールに分類される。セリフも歌詞もドイツ語だ。ヨーゼフ2世がドイツ語によるオペラ「ドイツ国民劇場」運動に力を入れており、サリエリがイタリア語のオペラ・ブッファを、モーツァルトがドイツ語のジングシュピールを書き、同日に続けて初演されている。サリエリが書いたオペラのタイトルは、「はじめに音楽、次ぎに言葉」である。1786年2月7日初演ということで、中村は「寒かったんじゃないか」と思ったそうだが、実際にシェーンブルン宮殿の温室行ってみたところ、温水が壁の向こうの管に常に流れているような施設で、暖かかったそうだ。両作品はヨーゼフ2世が義弟に当たるオランダ総督夫妻をもてなすための上演で、一般市民は会場にいなかったものと思われる。

「道化師」は、3人の作曲家にまつわる話があり、イタリアで行われた1幕物のオペラコンクールで、プッチーニが「妖精ヴィッリ」を送るも落選。しかしボーイトが高く評価して初演に漕ぎ着ける。初演時のピットに音楽院時代以来のプッチーニの友人であるマスカーニがコントラバス奏者として参加していたそうだが、上演は大成功。マスカーニは負けじと1幕物のオペラを書く。これが「カヴァレリア・ルスティカーナ」でコンクールで、当選を果たす。その上演の成功を目の当たりにしたレオンカヴァッロが書いた1幕物オペラが「道化師」である。コンクールには最終選考に残らず落選したが、コンクールの主催者が高く評価し、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮で行われた初演は大成功したが、レオンカヴァッロの成功作はこの1作だけとなったようである。作曲以外には台本作家、教育者として活躍した。レオンカヴァッロに刺激を与えたマスカーニもまたヒット作は「カヴァレリア・ルスティカーナ」1作に留まっているようだ。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」は実は原作を岩波文庫で読むことが出来るのだが、ごくごく短い物語であり、特にどうということもない作品である。オペラの方がずっと面白い。

 

歌劇(またはジングシュピール)「劇場支配人」。Wキャストで今日の出演は、脇阪法子(ヘルツ夫人)、高田瑞希(たかだ・みずき。ジルバークラング嬢)、古谷彰久(ふるや・あきひさ。フォーゲルザング)、林隆史(ブフ)、有ヶ谷友輝(ありがや・ともき。フランク)、佐貫遙斗(さぬき・はると。アイラー)、山田結香子(プファイル夫人)、岩石智華子(いわいし・ちかこ。クローネ夫人)、五島真澄(ヘルツ)、徳田あさひ(とくだ・あさひ。マドモアゼル・ルイーズ)。

まずは、現実の話。びわ湖ホールが今年の7月から改修工事に入るが、びわ湖ホール声楽アンサンブルはどこで活躍すればいいのかという話になって、滋賀県内を地方巡業と明かされるが、そこで劇場支配人のフランク(有ヶ谷友輝)が小さな劇団を作ろうとしていることを打ち明ける。それを知った人々が、「我こそが劇団に相応しい」と名乗り出てくるという芝居である。
初めの方はセリフだけという珍しい展開でもある。セリフは基本的に日本語で関西弁も混じるが、時折、ドイツ語が用いられる。
演技はオペラならではのもので、演劇的ではないが、演劇風の演技をしている人がいきなり歌い始めるのも差が激しすぎて妙なので、「オペラという架空世界の演技」として見るしかない。それはそれで楽しい。

今日が初日であるが、そのため緊張したのか、歌や振る舞いに堅さの見える人が何人かいる。今日のキャストは、1月26日にも出演する。平日のマチネーになるが、そちらの方が良い歌唱になりそうである。

出てくる人は皆、自身満々。「私より良い歌手はいない」と堂々と宣言し、「あなた程の人は他にはいない(「そこまで天狗な人はあなただけ」という当てつけ)」「あなたはいくらで契約したの?」「私より高いはずがない」というやり取りがある。
今回はフォーゲンザング夫人をマドモアゼル・ルイーズ(徳田あさひ)というバレリーナに変えて登場させているが、これは中村敬一が作り上げたキャラだそうだ。「びわ湖ホールの大規模改修期間における芸術家たちの活動ぶり」を示すためのキャラだそうだが、ジャンルの違うバレエで和らげようという意図もあったのだと思われる(元々のセリフは金に関する話ばかりでえげつないらしい)。
背景はいくつかのスクリーンを組み合わせたものだが、最後には一番大きなスクリーンにびわ湖ホール中ホールの客席が映り、これが遠い18世紀のことでなく今のびわ湖ホールの改修にも繋がっていることを示していた。なお、上野の東京文化会館も改修工事にはいることがセリフで告げられていた。
キンボー・イシイ指揮の日本センチュリー交響楽団はピリオド・アプローチを採用。古典様式を守った上で活気ある音楽を生んでいた。

 

レオンカヴァッロの歌劇「道化師」。出演は、福井敬(けい。カニオ)、船越亜弥(ネッダ)、西田昂平(こうへい。トニオ)、福西仁(じん。ペッペ)、大野光星(こうせい。シルヴィオ)。
「ヴェリズモ」と呼ばれるジャンルのオペラの代表作である。イタリア人は陽気で明るいイメージがあるが、こと芸術作品となるとシリアスな悲劇が好まれる傾向がある。

旅回りの芝居の一座に起こった悲劇である。殺害事件が観客の目の前で起こる(ギリシャ悲劇以来、悲惨なシーンは舞台裏で行われるのが慣習だった。ビゼーの歌劇「カルメン」の初演が失敗したのも、客の見えるところで殺害シーンが行われたからでもある。ちなみに歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」も殺害は舞台裏で起こることになっているが、舞台上で起こるようにした演出もある)。

まず、足が不自由な道化役のトニオの口上で始まる。ステージ上には人が多いが、それでも「群衆」と呼ぶには足りないので、歓声などはスピーカーから録音されたものを流す。
座長のカニオとネッダは夫婦だが、ネッダは男にもて、トニオに言い寄られたり(鞭でぶって返り討ちにする)、村の青年であるシルヴィオと駆け落ちの約束をしていたりする。ネッダとシルヴィオがベンチの上で抱き合っているところをカニオが目撃したことから全ての悲劇が始まる。カニオはネッダに相手の名前を言うよう迫るが、座員ペッペがなだめる。
開演が迫り、カニオは衣装を纏い、化粧をするが、ここで歌われるのが有名な「衣装を纏え」である。オペラの冒頭にもこの旋律は登場する。ケヴィン・コスナーの出世作である映画「アンタッチャブル」で、ロバート・デ・ニーロ演じるアル・カポネが劇場のボックス席でこのアリアを聴きながら感動の涙を流しているところへ、配下からの「暗殺成功」の報告を受けて、一転ほくそ笑むというシーンに使われていることでも知られている。
一座の芝居が始まる。劇中劇である。アルレッキーノ(男の道化役でトリックスターのこと。代表例は「フィガロの結婚」のフィガロ)はペッペ、コロンビーナ(女の道化役で恋の取り持ち役のこと。代表例は「フィガロの結婚」のスザンナ)はネッダが務める。
心理劇の妙味として、カニオはネッダが抱き合っていた相手の名前を言わないから刺したのではない。それなら実にありきたりだ。実際は、トニオが間に入ったことで目撃した逢瀬を思い出し、逆上してネッダを刺すことになる。能天気にも顔が割れているにも関わらず芝居を見に来ていたシルヴィオも刺す。そしてラストの「喜劇は終わりました」のセリフは本来はトニオが語って、始めと終わりを結ぶことになるが、今回はカニオが客席の方を向いて語る。ベートーヴェンの遺言と同じ意味を持つことになる。

キンボー・イシイの指揮姿は私が座っていた席からもよく見えたが、キビキビとしてエモーショナルなものであった。生み出される音もダイナミックであり、ラストでは心を揺すられる思いであった。
どこぞで、「テノール界のラスボス」とも呼ばれている福井敬の歌はダイナミックで感情の表出も豊かであった。ネッダをコケティッシュに演じた船越亜弥のこれまでのイメージを覆す歌と演技も良かった。

 

びわ湖ホール オペラへの招待は何度も見聞きしているが、今回は上位に来る出来であったように思う。

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2026年2月 3日 (火)

坂本龍一 「Solitude」

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2026年2月 1日 (日)

コンサートの記(945) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第594回定期演奏会 バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)ほか

2026年1月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第594回定期演奏会を聴く。今日の指揮は下野竜也。大フィル指揮研究員として朝比奈隆の下で学んだ指揮者でもある。ちなみに朝比奈の指揮に接した第一印象は、「何を振ってるのか分からないし、それなのに凄い音が出ていて訳が分からない」だったそうである。
現在は、NHK交響楽団の正指揮者、札幌交響楽団の首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラの音楽監督を務め、広島交響楽団から桂冠指揮者の称号を得ている。吹奏楽出身の指揮者だけに広島ウインドオーケストラの音楽監督として吹奏楽の普及にも励んでいるものと思われる。

曲目は、大栗裕(おおぐり・ひろし)の管弦楽のための「神話」、小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番、バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全一幕。出演:宮本益光、石橋栄実、田中宗利)。

いつものドイツ式の現代配置。今日のコンサートマスターは崔文洙だが、最前列の席だったため、崔文洙の隣で誰が弾いているのか見えず。真っ正面のコントラバスと、ヴィオラ奏者達の背中を見ることになる。管楽器はトロンボーンがわずかに見えるだけ。ただ「青ひげ公の城」ではトロンボーンが高い台に上って吹いたため、よく見えていた。

 

大栗裕の管弦楽のための「神話」。「天岩戸」を題材にした作品である。大阪フィルハーモニー交響楽団のホルン奏者にして、大フィルのための作品も多く書いた大栗裕。下野竜也が大阪フィルを指揮してレコーディングデビューしたのも大栗裕作品であった。
大栗は大阪・船場の生まれ。天王寺商業学校(現・大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校)を卒業後、実家の小間物問屋を継ぐが、音楽を志し、旧東京交響楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)や日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のホルン奏者として活躍。朝比奈に呼ばれ再び大阪へ。関西交響楽団時代の1955年に大フィルに入団し、1966年まで在籍。その後は作曲家として活躍している。
管弦楽のための「神話」は、天岩戸が閉じたところから始まり、どうやったら天照大神が出てくるのか神々が考えるところから始まる。太陽神である天照大神が引きこもってしまったため、この世は闇である。ちなみに天照大神は伊勢神宮(内宮)に祀られてからも、「一人で食事をするのが寂しい」ということで豊受大神を呼び寄せているため(伊勢神宮外宮)、「皇祖神なのにメンヘラ」と呼ばれていたりする。
とにかく鶏が鳴けば朝になったと思うだろうということで、トランペットが鶏の鳴き声を真似る。その後も引きこもりの天照大神だったが、天鈿女命が裸踊りを始め、神々がその滑稽さに笑い転げる(芸術・芸能の神である天鈿女命は大宮姫命と同一視されることがあるが、大宮姫命はどちらかというと文芸系の女神である)。一体何事かと岩戸を少し開けてみる天照大神。そこに鏡が差し出され、鏡を知らない天照大神は何が起こったのか戸惑う。そこへ天手力男命が岩戸を強引にこじ開けるというストーリーである。古事記の中でも特に有名な場面の一つであるため、知っている人も多いと思われる。ちなみに京都市の蹴上にある日向(ひむかい)大神宮には、いかにも「作りました」という感じの天岩戸があり、戸隠神社として天手力男命が祀られている(厄除けの神)。初めて見た時には笑ってしまうかも知れないが、面白いことは面白い。
今日のプログラム全般にいえることだが、土俗的な迫力があり、一種の野蛮な力強さが聴く者を惹きつける。下野も造形をきちんと測った上でだが、いつもより強烈なドライブを見せていた。

 

小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番。小山清茂も音大に学んだ人物ではない。長野師範学校(現・信州大学教育学部)在学中にピアノの音を聴いて魅せられ、独学で作曲をものにする。師範学校卒業後は長野や東京で教員として勤務していた。1946年に「管弦楽のための信濃囃子」が第14回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門で1位を獲得。1955年に教職を退いて作曲家として活動するようになっている。
鄙歌とあることからも分かるとおり、洗練とは真逆の古来から地方に残る生命力を音楽として昇華。力強い響きと「和」を感じさせる旋律を特徴とする。
「和讃」「たまほがい(上界と下界の魂のつどい)」「ウポポ(アイヌ語で室内で仕事をしたり儀式を行ったりするときに集団で歌う民謡)」「豊年踊り」の4部からなるが、今日は続けて演奏される。
やはり力強さが要求される曲であり、大フィルのパワーが生きている。大フィルも昔に比べると音に洗練度が増してきたが、こうした演奏も勿論可能である。

 

バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全1幕)。大フィルは2013年に再開場したばかりのフェスティバルホールで、井上道義の指揮で、ハンガリー人の歌手2人を招いて「コンサートオペラ」として「青ひげ公の城」を上演している。
「青ひげ公の城」は、バルトークが完成させた唯一のオペラで、オペラ・ブッファとは異なる猟奇系オペラの代表作である。猟奇系オペラというジャンルはないが、挙げていくと、「ヴォツェック」、「ルル」、「サロメ」、「ねじの回転」などが含まれるだろう。「トゥーランドット」も場合によっては入るかも知れない。
青ひげ公は残忍な王で、数多の人を死へと導いている。「青ひげ公の城」の話が効果的に使われている映画として黒沢清の出世作である「CURE」が挙げられる。役所広司演じる刑事・高部の妻である文江(若くして亡くなった中川杏奈が演じている。中川杏奈という著名人は複数いるようだが、1965年生まれで演出家の栗山民也の奥さんだった人である)は精神を病んでいるのだが、それがかなり重いと分かる場面に「青ひげ公の城」の絵本が使われている。

出演は、宮本益光(ますみつ。青ひげ公)、石橋栄実(えみ。ユディット)、田中宗利(吟遊詩人)。
宮本益光は、バリトン歌手の他に、演出・構成、外国語オペラ詞の上演用日本語訳、執筆など幅広く活動しており、著書の名は、『職業、宮本益光』である。
大阪音楽大学教授としても知られる石橋栄実。澄んだ声を特徴とするソプラノだが、今日は役が役だけに痛切な声を聞かせる。
田中宗利は、劇団ひまわり所属の俳優。京都大学文学部哲学科卒。ピアノやチェロを習い、指揮者としても活動している。

下野、宮本、石橋の3人は、2023年に広島でも「青ひげ公の城」を上演している。

 

譜面の上に置かれた照明以外は光が絞られてスタート。吟遊詩人役の田中宗利が上手側から現れて、この話が昔々の語り継がれてきた物語であるということを告げる。
そして演奏開始。下野の巧みなリードに導かれて、豪快にしておどろおどろしい音楽が奏でられる。やはりこのオペラはオーケストラが強靱でないといけない。
青ひげ公の城にやって来た青ひげ公と、妻となったユディット。青ひげ公が残忍な王であるということはユディットも知っている。だが、ユディットは、家族と婚約者を捨てて青ひげ公の王妃になることに決めた。何故なのかは分からない。帰る場所をなくしたが、ユディットはかなり積極的である。青ひげ公に対して何度も「愛している」を口にする。あるいは帰る場所がないので青ひげ公にすがるしかないのかも知れないが。一方、青ひげ公の方は「愛してくれ」とは言うが、一度も「愛している」と口にすることはない。ユディットが「『愛してる』と言って」と迫っても、別の話をする。愛してなどいないのかも知れない。だとしたら正直だが。
一見、青ひげ公がユディットの行動を制しているように見えるのだが、実際にはそうやってユディットの非常に強い好奇心を引き寄せているようである。まんまと鍵を開けさせ、いくつもの部屋を見せ、最後の部屋へ。鍵を開けたのも多くの扉を開いたのもユディットの責任である。最後の部屋には朝の女と昼の女と夕方の女がいた。ユディットは夜の女となる。コンプリートである。
だが、どの部屋にも血痕があった。涙の湖にだけはなかったが、それは涙の湖だからか。とにかく殺さずに残忍な何かが起こっていたとしてもそれは知るよしもない。涙の湖が本当に涙の湖だとしたら、泣いたのは前にいた3人の女ということになる。会ったときには、たまたま普通の精神でいただけで、ユディットも3人の女同様、泣いて湖に涙を落とすことになるのだろうか。

夜の女になったと分かった時点で、ユディット役の石橋栄実は下手に向かって退場するという演出だったが、さて、どこに向かったのか。最後の部屋以外に行く当てはないが。

各部屋は色のついた照明によって表現される。

オペラではあるが、管弦楽に力強さが求められる。その点、馬力に関しては日本屈指のオーケストラである大阪フィルの力がプラスに働く。
独唱者2名の歌唱も優れており、独唱者を伴った管弦楽曲のような緻密な音楽を見事に再現してみせていた。

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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2026年1月30日 (金)

コンサートの記(944) fever presents Candlelightコンサート「坂本龍一へのオマージュ」 チェンバー・ミュージック・アトリエ神戸

2026年1月18日 左京区岡崎の京都観世会館にて

午後3時から、左京区岡崎の京都観世会館で、fever presents Candlelightコンサート「坂本龍一へのオマージュ」を聴く。元々のタイトルは「坂本龍一の音楽の世界」だったようだ。
アメリカのfever社が行っているCandlelightコンサート。京都ではこれまで京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタなどで行われていたが、音楽ホール以外の場所へと公演の規模を拡げ、京都観世会館での公演を行っている。京都観世会館は能楽堂で、能や狂言以外で京都観世会館に入るのは初めてである。
現場で動いているスタッフは全員日本人だが、システムはアメリカ式。チケットもプログラムもスマホにダウンロードしたものを使用。キャンドルの販売が終演後に行われていたが、クレジットカードのみ可と完全にアメリカ方式であった。

演奏は弦楽四重奏団であるチェンバーミュージックアトリエ神戸が行う。第1ヴァイオリン:根垣りの(ねがき・りの)、第2ヴァイオリン:萩原合歓(はぎわら・ねむ)、ヴィオラ:山本紗帆、チェロ:吉田円香(まどか)。
根垣はフリーのヴァイオリニストのようだが、萩原は京都フィルハーモニー室内合奏団のコンサートマスターをしていた経験があり、現在は神戸室内管弦楽団のヴァイオリニストである。。山本と吉田は、共に兵庫芸術文化センター管弦楽団のコアメンバーとレジデントプレーヤーある。

 

曲目は、「レヴェナント」、「スネーク・アイズ」、「M.A.Y. in backyard」、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」、「Opus」、「King's March」、「Amore」、「水の中のバガテル」、「Aqua」、「Rain」、「美貌の青空」

休憩なし、1時間ちょっとのコンサートである。観世会館で使われているキャンドルは4800本だそうだ。

 

坂本龍一自身は弦楽四重奏用の編曲を行っていないので、第三者が編曲した譜面を使用しての演奏となる。「Amore」は、アルバム「Beauty」に収録されたバージョンではなく、坂本がピアノ用に編曲、それもアルバム「/05」以降に編曲したゆったり目のバージョンを弦楽四重奏用に移している。

チェロの吉田円香がマイクを手に進行役を担う。

 

「M.A.Y. in backyard」は、アルバムやピアノソロで聴くとそれほどでもないのだが、弦楽四重奏で聴くとかなり前衛的な部分があることが確認出来る。
「M.A.Y.」は、メイではなく、裏庭にいた三匹の野良猫、モドキ、アシュラ、ヤナヤツの頭文字である。

「戦場のメリークリスマス」は、冒頭の繊細な音型をヴァイオリンのピッチカートで奏でる。

「Amore」は、先に書いたとおり、アルバム「Beauty」に収められている楽曲だが、それ以前に「undo」というタイトルで、マキシシングルが発売されていた。違いは歌声が入っているかどうか。「undo」を聴いたプロデューサーが、「これは、アモーレ、アモーレと歌っている」と言ったため、合唱を入れることにしたのだが、「アモーレ」という言葉は使わず、ユッス・ンドゥールが書いたシンプルな歌詞を採用している。
その後、ピアノバージョンをビールのCMで坂本がピアノで弾き、これが最初のピアノバージョンだった。
坂本が21世紀に入ってから編曲したピアノバージョンは懐旧の趣があるが、一番最初のバージョンである「undo」からの編曲も聴いてみたかった。

「Rain」に関しては、吉田が、「ゆったりとした雨」と語ったため、「あ。これ映画観たことないぞ」と分かる。「Rain」は、満州国の皇帝となった愛新覚羅溥儀が、第二夫人である文繍に離婚を切り出され、拒むも文繍は自由を求めて雨の中へ、傘も断って去って行くという場面の音楽である。坂本龍一がたびたびコンサートで取り上げた自信作にしてお気に入りの楽曲だった。
この曲には疾走感と痛切さ、更には切迫感も必要になるのだが、今回は解釈が異なるため、弦が悲鳴を上げたりする場面があるにも関わらず、のんびりとした音楽になってしまっていた。
映画音楽を弾くなら、映画を観て、どの場面でどのように使われているかを知らないと的外れな演奏になってしまう。

「美貌の青空」は、教授が生前に「イタリアで演奏するとどういうわけか滅茶苦茶受ける」と話していた楽曲である。私個人もなぜイタリアで受けるのかは分からないが、今後も「美貌の青空」を歌ったり演奏したりする人は出てくると思われるので、イタリアでやってなぜ受けるのか解き明かしてくれると嬉しい。

 

アンコール演奏は、「ラスト・エンペラー」 メインテーマ。弦楽器に非常に合う楽曲である。時間の関係で少し端折った演奏であったが、四人だけであっても音自体に力が宿った作品であるだけに、充実した響きの演奏となった。

なお、アンコール演奏時のみ、撮影・録画が可であった。

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これまでに観た映画より(426) 「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto」4Kレストア版

2026年1月17日 T・ジョイ京都にて

京都駅八条口南西にあるイオンモールKYOTO内の映画館、T・ジョイ京都で、ドキュメンタリー映画「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto 4Kレストア版」を観る。上映時間62分の中編。フランス映画である。監督はエリザベス・レナード。1986年の作品だが、撮影自体は1984年に行われている。YMO散開直後であり、坂本は大島渚監督のオール・メイル・キャスト映画「戦場のメリークリスマス」の音楽が高く評価されて、アメリカではなくイギリスのアカデミー賞作曲賞を受賞。この映画の中にも映画「戦場のメリークリスマス」の場面が挿入されている。

1952年1月17日に東京都中野区に生まれた坂本龍一。東京都世田谷区に育ち、都立新宿高校を経て東京藝術大学音楽学部作曲科に現役合格。その後、同大学大学院音響研究科で、電子音楽やコンピューター音楽などを学んでいる。学生運動を行い、授業には余り出なかったそうだが、民族音楽の小泉文夫には多く学び、また作曲の師である三善晃から得たものも大きいことが作品を聴くと感じられる。
本当は大学院に進む気はなく、「社会には出たくない」ので留年しようと思っていたが、指導教員(誰なのかは不明)から、「留年は駄目だ。お前は卒業するか大学院に行くかどっちかにしろ」と言われ、大学院進学を選んでいる。望んで進んだわけではないが、これが愛称の「教授」に繋がる。大学院在学中に友部正人と出会い、レコーディングに参加。当時としては破格のギャラに驚喜し、バックバンドのミュージシャンとしてスタートすることになる。

最初にドビュッシーの言葉がフランス語で語られる(この作品は全編英語字幕付き)。“I am working on things that will only be understood by the grandchildren of the twentieth century.”。坂本はおもちゃの銃で遊んでいる。
坂本のアルバムの中でもマイルストーン的な1枚である「音楽図鑑」の制作に取材班は密着し、それ以外に坂本へのインタビューや思考を聞きだし、明治神宮や浅草寺の祭りなど、東京的な要素の濃い場所でロケを行っている。
当時の東京には、自動改札は勿論なく、駅員が切符を切っている。原宿では竹の子族が踊っているが、ダンスのレベルは今の若い人に比べるとかなり低い。今の若い子は、小学校の授業でダンスを学んでおり、誇張でなく竹の子族の何十倍も高度な動きとスピードでダンスを行っている。本当に隔世の感である。

坂本龍一が、新宿アルタの液晶ビジョンが見える位置に立つと、YMO時代の「体操」や「Behind the Mask」のPROPAGANDAライブ時の映像がビジョンに映る。

後年、坂本は若い頃の自分について、ヘッドバッドを行うポーズをして、「生意気だった」「(YMO結成の時も)時間があったらやります」「年取って(そういうことがなくなって)良かった」と述べている。

この頃は30代前半(厳密に書くと32歳)だが、父親への反発から文学書よりも思想書を多く読んでいたという坂本は、鋭さを特に隠そうとはしていない。

1から10まで、順番に作曲するのが音楽というのがそれまでの作曲法だったが、坂本はそれに疑義を呈し、部分部分を作曲して保存し、次の部分とつなぎ合わせるというシャッフリングのような発想をしていることが分かる。村上春樹が1985年に発表した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にもシャッフリングは登場するので、そういう発想をする人が多い時代だったのだろう。
シンセサイザーで作曲をする坂本だが、この時代のシンセサイザーの性能は今のおもちゃ以下。フロッピーディスクをLPレコードサイズにしたようなメモリーディスクを何枚も使い、音色の変更はメモリーディスクに入っているものの中からセレクトして行う。今なら適当な電気店で買った安いキーボードでも音色のチェンジは簡単に出来る。そう思うと、1984年は思っているよりも遙かに昔ということになるようだ。ちなみにCDの発売は、1985年なので、スクリーンの向こうの世界にはまだCDというものは存在しない。
明治神宮の神苑に似た場所で、坂本は「歩き煙草禁止」「順路→」という立て札の前を煙草を吸いながら逆方向に進んでいく。反骨精神を表しているようだ。今は「歩き煙草禁止」じゃなくて「禁煙」の立て札になっているだろう。
ちなみに明治神宮での祭りで鼓が打たれるが、鼓に近い音もメモリーディスクには入っている。

影響を受けた人物として坂本は、様々な作曲家を挙げた後で、哲学者・思想家の吉本隆明(「たかあき」ではなく有職読みで通称の「りゅうめい」で答えている)を挙げた。
一方で、「クラシックよりビートルズを先に聴いていたらクラシックには行かなかったかも知れない」と述べている。

坂本が作曲した作品以外に流れるのは、坂本が愛したフランスの作曲家の作品。ドビュッシーの「子供の領分」より第1曲“グラドゥス・アド・パルナッスム博士”、サティのグノシエンヌ第1番などだ。

YMO時代の中でもとりわけ有名な作品である「東風」は、PROPAGANDAライブの時のものと、矢野顕子とのピアノ連弾のものが採用されている。

なお、坂本はたまに眼鏡を掛けているが、後に老眼になるまで視力1.5なのが誇りだったと語っているため、伊達眼鏡である。老眼になってから丸眼鏡を掛けるようになり、「お洒落」と評判になったが、フランスの作曲家には丸眼鏡を愛用していた人が何人かいるため、影響を受けたのかも知れない。

坂本は、店舗で掛かるBGMについては、「最初から聴かないで次の階に行ったらまた別の音楽に変わる」として、音楽の聴き方が変わるという予兆を感じている。ただ、音楽の聴き方については現時点では激変はしていないように思う。ソフトから配信が主流になったりはしているが、基本的には好きな音楽を最初から最後まで聴く人の方が多いだろう。

1984年、バブル前夜。日本が上り調子の時代である。GDP(当時GNP)は世界第2位。1位のアメリカを脅かす勢いで、「Japan as No.1」と呼ばれるのが、1985年頃である。坂本も東京を「資本主義の最先端」と呼んでいる。まさかここまでひどい国になってしまうとは誰も予想していなかっただろうが、YMOも世界初のサンプリングを駆使したアルバム「テクノデリック」を発表するなど、世界最先端の音楽を作っていた。世界音楽史上、日本のミュージシャンが世界最先端の地位に躍り出たのはおそらくこの時だけだっただろう。

アルバム「音楽図鑑」の収録曲は、「M.A.Y. IN BACKYARD」と「マ・メール・ロワ」、ラストに演奏される「SELF PORTRAIT」がメインだ。それ以外の楽曲では、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」が教授によるピアノソロと、映画の場面をセレクトして流れる。

その後、坂本は「ラストエンペラー」の音楽で、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡)と共にアメリカのアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる(なお、この時、エンニオ・モリコーネが落選し、作曲者を大いに落胆させた)。
だがこれはまだ坂本龍一が世界的に知られる前の映像である。

この時の坂本は、整然としたものではなく、そこからこぼれ落ちたもの、はみ出たものなどに興味を持っていたようで、ノイズなどを取り入れた音楽に繋がって行くのかも知れない。アルヴァ・ノト(カールハインツ・ニコライ)との作業はまさにそんな感じだ。

ニューヨークに転居して世界的な活動を始める坂本。ニューヨーク転居については矢野顕子が強く望んだもので、その理由については知っている人は知っているので詳しくは書かない。村上龍はテレビ番組で「亡命していった」と語っていたが、坂本はそれも否定している。

一方で、東京に対する落胆は増していったようで、自伝『音楽は自由にする』では、東京に対して、「限界に来ている」「家賃が高すぎる」「誰が住むか」と露骨に嫌悪している。「東京じゃない、家賃の安い場所から新しいものが生まれる」という予感もあったそうで、最後の方では、「京都あたりに住んでみようかと思っている」と述べている。これは絵空事ではなく、実際に京阪神地域を愛したデヴィッド・ボウイが手に入れていた九条山の土地を買ったか、買おうとした動きがあったようである。だが、癌になったことで京都移住は夢と終わった。

東京に生まれ、東京に育ち、東京で学び、東京で仕事をしてきた坂本龍一。「東京はもう駄目だ」とまで宣告したようなものだったが、最後の癌の治療は主治医が東京にいたため、東京に仮住まいし、東京の病院で手術を受け、東京の病院で亡くなった。そして何よりも、本人は否定するかも知れないが、彼は東京が似合う男だった。

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