2020年9月25日 (金)

これまでに観た映画より(212) 「雨より切なく」

2006年1月22日

DVDで映画「雨よりせつなく」を観る。野菜ジュースのCMでニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜と共演していた、モデルの田波涼子の映画初出演作にして主演作。相手役を務めるのは西島秀俊。吉元由美の短編小説集「いつもなら泣かないのに」が原作である。

大手広告代理店のマーケティング部勤務の水野綾美(田波涼子)は30歳を目の前にして独身。彼氏もいない。休みの日にはほとんど誰もいない釣り堀で釣りをしながら物思いに耽っている。結婚を決めた親友(黒坂真美)からは、「あたしと同じで顔はいけてるんだから、もっとやる気ださなきゃ」と急かされているが特に気に留めていないようだ。そんなある日、神宮外苑のフリーマーケットに参加した綾美は、同じ会社の倉沢(西島秀俊)を見かける。何かを探している倉沢。仕事は出来るが影のある倉沢に綾美は次第に惹かれていくのだった……。

田波涼子は人気モデルとして活躍しているためか、特別な美人でもなく演技も上手ではないのに独特の存在感がある。
ストーリー自体はありきたり、といっては何だが、かつてトレンディードラマと称されて量産されたタイプのドラマに似ている。
ただ、静かな展開と、にじみ出る孤独感、西島秀俊の抑えた演技により、浮ついた感じを受けることはない。恋愛と仕事というありふれた話なのに嫌な感じはしない。

映画は、綾美が倉沢からプロポーズされ、それを受け入れるところから始まる。しかし綾美の顔に笑顔はない。

倉沢が綾美にプロポーズするのはわかっているので、あとは二人がどうやって出会い、どのようにしてプロポーズするようになるのかに注意が行く。決して派手ではない、むしろ細かな心理描写に重点が置かれているのがわかる。

倉沢はかつて、愛した女性を事故で死なせてしまった。しかし亡くなった彼女のことをまだ愛し続けている。綾美もそれを知っている。倉沢は自分の寂しさを埋めるために自分を愛そうとしているのではないか。それでも結婚の申し込みに「いいよ」と言った。

九十九里の海で、倉沢と綾美はラジコンの飛行機を飛ばす。倉沢は以前、恋人と二人でラジコンの飛行機を飛ばしに行き、その途中で事故を起こし、恋人は死に、自分は生き残った。

綾美は、そこで倉沢に別れを告げる。死人に負けた悔しさからではない。それが自然だと思ったからなのだろう。

3年後、雨の日に偶然、二人は再会する。これもトレンディードラマでやると見ていられなくなるはずなのだが、二人とも抑えた演技をしているため、見ているこちらが恥ずかしくなるということはない。

別れ際、「私のこと愛してた?」との問いに、「何当たり前のこと聞いてんだよ」といった風に笑顔のみで応答する西島の演技が印象的だった。

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2020年9月24日 (木)

これまでに観た映画より(211) 「12人の怒れる男」

2006年1月19日

DVDで「12人の怒れる男」を観る。ヘンリー・フォンダ主演作。陪審員を任された12人の男達による心理攻防戦を描いた作品。同名戯曲の映画化である。

これを基にした作品に現在大阪で公演中の三谷幸喜の舞台「12人の優しい日本人」があるが、本家の「12人の怒れる男」映画版の方が説得力があり、スリリングである。ともに頑なに有罪と言い張る男が出てくるのだが、なぜ有罪に拘るのか、その理由は映画版の方が説得力がある(現在上演中の「12人の優しい日本人」では、拘る男をやっているのが生瀬さんだからというのもある。初演の相島一之だったら説得力があったかも知れない)。

まあ、三谷さんが本気で説得力を求めているとも思えないので(求めているなら「実は彼女は」という一番やってはいけないことを書いたりはしない。しかも理詰めでいけば変なところがある)それは流すとして、「12人の怒れる男」はその背景に、スラムや人種差別といった根深い問題がある。偏見と思い込み。これをどう崩すかが、一番の鍵であり、ミステリー的な面白さは、面白くするための背景という側面が強い。「12人の優しい日本人」とはここが逆である。

三谷さんが本気で社会派になってしまったら、それもそれで困るので、あれはあれ、これはこれ、でいいのだ。

ヘンリー・フォンダを始め、往年の俳優達は、今から見ると少し芝居がかった演技をしているように見える。時代によって芝居も変わる。変わらない方が不思議である。だが、緊迫感、男同士のちょっとした心の通い合いなど、見事な映画であり、脚本であり、演出だ。

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2020年9月23日 (水)

2346月日(23) KYOTO CMEX第1回コンテンツクロスメディアセミナー 戸田奈津子「世界の映画俳優が愛した京都」

2020年9月18日 烏丸六角のホテルモントレ京都大宴会場「ケンジントン」にて

午後4時30分から、烏丸六角にあるホテルモントレ京都2階大宴会場「ケンジントン」で、KYOTO CMEX 第1回コンテンツクロスメディアセミナー「世界の映画俳優が愛した京都」に参加する。映画字幕翻訳者として著名な戸田奈津子の講演である。

予約先着順無料で行われる講演会。本来ならもっと大勢の方に来て貰いたかった講演会であるが、コロナのためソーシャルディスタンスを保つ必要があり、90名限定となった。

異国情緒を売りとするホテルモントレグループ。7月に泊まったホテルモントレ京都はスコットランドの首都エディンバラをイメージした内装であり、「ケンジントン」もお洒落である。クラシック音楽の演奏なども似合いそうな空間であるが、お高いのだろうか。

 

映画の字幕翻訳家の代名詞的な存在である戸田奈津子であるが、若い頃に映画と英語に憧れ、津田塾大学学芸学部英文科在学中に映画の字幕翻訳を志すのであるが、当時は映画の字幕翻訳家は日本中で10人いるかいないかという専門性の強い仕事であり、全員男性でそれぞれ得意分野を持っていた。大学を出たばかりの女性が割り込む余地はなく、戸田奈津子も短期間のOL(秘書)やフリーの翻訳業をしながら清水俊二に師事するなどして機会を窺っていたが、最初の映画の字幕の仕事を貰った時にはもうすでに40歳を過ぎていたそうで、20年越しの夢の達成となったそうである。
ただ、今回話すのは字幕翻訳家としての仕事ではなく、その中で出会ったハリウッドスタートの思い出話である。字幕翻訳家を目指しながら仕事に全く恵まれなかった時代にその物語は始まる。1980年以降、ハリウッドスターが続々と来日するようになるのだが、ハリウッドスターは英語しか話さないので通訳が必要ということになった。ということで字幕翻訳家希望の英語が出来る女性がいる、英語にも映画にも詳しいので大丈夫だろうというので、その話が戸田奈津子に回ってきたのである。だが、戸田は英文科出身なので英語の読み書きは得意であるが、今の若い人達とは違って学校でリスニングもスピーキングも習っていない。いわば「文字専門」の人だったわけである。というわけで断ろうとしたのであるが、実際に会ったロバート・レッドフォードの美しさに胸がときめいたということもあって、ハリウッドスターとの通訳としての交流が始まっていく。ちなみに若き日のロバート・レッドフォードの美しさは今の若手ハリウッドスターとは「格が違う」そうである。

スクリーンに写真を投影しながらのトーク。映るのはロバート・レッドフォード、リチャード・ギア、シルヴェスター・スタローン(大河内山荘で撮影)、ロバート・デ・ニーロ、アーノルド・シュワルツェネッガー(新幹線内で)、シガニー・ウィーバー(嶋原の角屋で撮影)、ロビン・ウィリアムズ、トム・クルーズである。ハリソン・フォードとも京都を旅したことがあるが、残念ながらハリソン・フォードとの写真は残っていないそうだ。

リチャード・ギアは、千家(どこの千家かは不明)の茶室、苔寺(西芳寺)、そして余り人がいない寺院での写真に写っている。リチャード・ギアはダライ・ラマを崇拝する仏教徒であるが、若い頃はまだ何を信仰しようか迷っており、写真に写っているのは仏教を志し始めた頃の姿だそうである。ギアがカメラを構えた姿を捉えた写真もあるが、当時からモノクロームの写真を撮ること趣味で、毎年誕生日プレゼント代わりに自身が撮ったモノクロームの写真を伸ばしたものを送ってくれるそうである。
「アメリカン・ジゴロ」(1980)がヒットして、初めての来日。リチャード・ギアは大学で哲学を専攻したということもあって、思索を好む若者だったそうだ。人混みが嫌いであるリチャード・ギアは、清水寺や金閣寺といった観光寺には興味を示さず、「寂」が支配するような無名の寺院を好んだという。

1980年代初頭、来日したハリウッドスターはまず東京で会見を行い、更に大阪に移って再び会見を行って、その後、1週間ほど京都で遊ぶというのがスタンダードだったそうである。今のハリウッドスターは忙しすぎて、来日して会見してすぐ帰らなければいけないそうで、若いハリウッドの俳優達は往時の映画スターの来日スタイルをうらやましがっているそうである。一方、残念ながら映画のマーケット的にはもう日本は重要拠点ではなく、中国に取って代わられてしまったそうである。人口が多いところには勝てない、のであるが、実は日本の映画人口の減少も関係していると思われる。平均的な日本人が1年のうちに映画館で観る映画はわずかに2本。映画は「観る人は滅茶苦茶観る」というものであるため、実際は1本も観ないという人が圧倒的多数であると思われる。一方、中国や韓国では映画は国策の一つであるため、観ることを習慣としている人が多い。実は日本はクラシック音楽のマーケットとしても中国は勿論、韓国にすら負けてしまっており、オペラのDVDやBlu-rayの輸入盤に中国語や韓国語の字幕は入っていても日本語の字幕が入っていないというケースが散見される。韓国の人口は日本の半分にも満たないが、韓国の方がマーケットとして重視されているということである。私の周りにもオペラを観たことがないのにオペラを馬鹿にする人が普通にいる。かなりまずいことだと思われるのだが、危機意識を持っている日本人は少ない。中国にはいつの間にか座付きオーケストラを持つオペラハウスまで建つようになっており、かつて文化大革命を推進していた国とは思えないほどだ。

リチャード・ギアは、禅寺を回っている時に、“I was here.”と言ったことがあるそうだ。当然ながら輪廻の考えを知っており、昔、日本人だった時にこの寺院で修行していたことを思い出したという。本当かどうかはわからない。
京都から奈良に向かう途中、京田辺の一休寺(酬恩庵)に寄ったことがあるのだが、一休宗純の人物像や一休が詠んだ和歌(「有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け」だろうか?)にもリチャード・ギアは詳しかったそうだ。また桂離宮も愛したそうである。懐石料理なども好み、またなぜか「ひじき」が大好きだそうだ。

 

ロバート・デ・ニーロは、二条城の唐門で家族と共に撮った写真に収まっている。2006年に撮影されたものだという。
「レイジングブル」で、体重を20キロ増やし、20キロ落としたという伝説で知られるデ・ニーロ。戸田奈津子には、「体に悪いのでもう二度とやらない」と話していたそうだが、普通の人は一度だってそんなことはしない、と書きつつ、私も2003年に半年で17キロ体重を落としたことがあるのだが、みんなに心配され、病気説が流れ、重病説に変わるという経験をしたため、今では体重は「自然のまま」に任せている。

なんにでもなれる俳優として尊敬を集めるデ・ニーロ。ハリウッドでは売れない俳優や女優がウエイターやウエイトレスをやっていることが多いのだが、ウエイターに「憧れの俳優」を聞くと、10人中9人が「ロバート・デ・ニーロ」と答え、ウエイトレスに「憧れの女優」を聞くと、10人中9人が「メリル・ストリープ」と答えるそうで、この二人は神様扱いだそうである。

デ・ニーロが家族を連れて二条城に来たとき、息子達が「チャンバラが見たい」と言ったため、太秦の東映映画村で大部屋の俳優がチャンバラショーをやっているということを知り、息子達は太秦に向かうことになった。デ・ニーロも「見たい」と言ったのだが、大部屋の俳優のショーをロバート・デ・ニーロが見るとなると演じる方も困惑するということで、子ども達が映画村に行っている間、車の中で本を読んでいたそうである。物静かで「Sweetな」性格の人だそうだ。初来日前は、「気難しいらしいよ」などと聞かされていたそうだが、会ってみたら話とは別人であり、以降、戸田奈津子は「自分の目で判断したこと」以外は信じなくなったそうだ。

 

双極性障害(躁鬱病)に苦しみ、6年前に自殺したロビン・ウィリアムズ。戸田奈津子とツーショットの写真がスクリーンに映る。戸田奈津子は「東山の寺」とした覚えていなかったが、おそらく法然院だと思われる。
彼は本物の「天才」だそうで、コメディー出身ということもあり、人を笑わせるのが得意だった。記者会見でも即興による芸でその場を爆笑の渦に巻き込むことが得意だったそうである。アメリカのコメディーは作家が書いたものをコメディアンが演じるというケースが多いのだが、ロビン・ウィリアムは作家を使わず、全て自分で考えて演じていたという。
彼もロバート・デ・ニーロ同様、素顔は物静かな人で、それが人を前にするとサービス精神に火が付き、楽しませることに夢中になっていたという。
その二面性が、個人的には双極性障害に繋がっているようにも見える。悲劇的な死は天才であったことの代償なのか。

 

トム・クルーズもエンターテインメント精神に関しては誰にも負けないという。ディスレクシア(読字障害)を持ち、人一倍苦労して育ったトム・クルーズ。新宗教に入れあげていて、それで批判されることも多いが、現役としては最高の映画スターであることは間違いなく、戸田奈津子はトム・クルーズのことを「映画のために生まれてきた人」と評している。二条城での「ラスト サムライ」公開時の記者会見の写真がスクリーンに映る。
トム・クルーズは、「ラスト サムライ」出演に当たって、武士道や剣術などを徹底して研究したそうで、プロ意識も高く、日本など諸外国へのリスペクトも忘れないという。

危険なシーンにもスタントマンなしで挑むことでも知られるトム・クルーズであるが、他の映画を観た時に、あきらかに別人が吹き替えているとわかるものがあり、自分がそうなるのはみっともないという考えがあるそうだ。そのためトム・クルーズが危険なシーンに挑んでいる時は、必ず自身の顔が映るようにして貰っているそうである。「ファンが僕がやってるんだとわかると喜んでくれるから」だそうである。

トム・クルーズは笑顔が印象的な俳優であるが、朝起きた瞬間から笑顔というような人だそうで、「ちょっと気持ち悪いかも知れないんですけど」と戸田もいうが、とにかく人を喜ばせることを生き甲斐としているそうである。

 

ハリウッドスターの共通点は、「ビッグになればなるほど謙虚」だそうである。残念ながら写真はないが、最後はハリソン・フォードの話になる。ハリソン・フォードは30代になってから売れ始めた遅咲きの俳優であるが、売れ始めた頃から今に到るまで、内面は全く変わらないそうである。
ハリソン・フォードは20代の頃は丸々売れず、「大工をしていた」という話があるが、正確にいうとしていたのは大工というよりも「家具職人」に近いそうである。
アメリカの場合、売れない俳優にはポルノ映画からの声が掛かることがあるそうで、有名俳優にも若い頃はそうやって日銭を稼いでいた人はいるそうだが、ハリソン・フォードはポルノ映画から声が掛かっても、「それをやってしまうと俳優の仕事への誇りを失ってしまいそうだ」という理由で断り、職人仕事を行いながら映画俳優への道を模索し続けていたそうである。

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2020年9月22日 (火)

コンサートの記(656) 兵庫芸術文化センター管弦楽団特別演奏会「佐渡裕 アルプス交響曲」

2020年9月19日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、兵庫芸術文化センター管弦楽団特別演奏会「佐渡裕 アルプス交響曲」を聴く。リヒャルト・シュトラウス最後の交響詩となったアルプス交響曲1曲勝負の演奏会である。

ドイツ・ロマン派最後の巨匠といわれたリヒャルト・シュトラウス。管弦楽法の名手として、30代までに数々の傑作交響詩をものにしているが、40代以降はオペラに力を入れるようになり、オーケストラ曲を書く機会は減っていたが、51歳の時に完成させたのがアルプス交響曲である。交響曲とあるが、いわゆる交響曲ではない。リヒャルト・シュトラウスは長命で85歳まで生きており、51歳というのはまだ人生を振り返るような年齢ではないが、それまでに書かれた交響詩の要素を取り込みながら登山に人生を重ね合わせるという作品になっており、情景と心情をオーケストラで描くというショー的要素と独特の深みを合わせ持っている。フリードリヒ・ニーチェの著作に影響を受けた交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を代表作の一つとしているリヒャルト・シュトラウスだが、アルプス交響曲もニーチェの「アンチクリスト(反キリスト主義者)」にインスパイアされたことを作曲家自ら明かしている。

 

兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ。PACは、Performing Arts Centerの略)は、元々今月の定期演奏会のメイン楽曲としてアルプス交響曲を演奏する予定であったが、コロナで全てが白紙となり、それでも演奏活動が再開されたら大編成のものをやりたいと、芸術監督の佐渡裕が希望を出していたそうだ。

現在、オーケストラのコンサートでネックとなっているのは、楽団員がソーシャルディスタンスを確保しなければいけないということであり、大編成の楽曲はステージ上が密になるため変更せざるを得ない状態となっている。だが、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールは、元々オペラ対応劇場として設計されているため4面舞台を持っており、反響板を後方に7m下げてメインステージを拡げ、両サイドの舞台との風通しを良くすることで換気対策を十分に取り、管楽器や打楽器はひな壇に乗せて視界を確保することで演奏会に漕ぎ着けた。

今日のコンサートマスターは豊嶋泰嗣。チェロが手前に来るアメリカ式の現代配置を基本としている。ゲスト・トップ・プレーヤー及びスペシャル・プレーヤーとして水島愛子(元バイエルン放送交響楽団ヴァイオリン奏者、兵庫芸術文化センター管弦楽団ミュージック・アドヴァイザー)、戸上眞理(東京フィルハーモニー交響楽団第2ヴァイオリン首席)、石橋直子(名古屋フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者)、林裕(元大阪フィルハーモニー交響楽団首席チェロ奏者)、石川滋(読売日本交響楽団ソロ・コントラバス奏者)、中野陽一朗(京都市交響楽団首席ファゴット奏者)、五十畑勉(東京都交響楽団ホルン奏者)、高橋敦(東京都交響楽団首席トランペット奏者)、倉田寛(愛知県立芸術大学トロンボーン科教授)、奥村隆雄(元京都市交響楽団首席ティンパニ)の名がクレジットされているほか、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団フルート奏者の江戸聖一郞、関西フィルハーモニー管弦楽団首席トランペット奏者の白水大介(しろず・だいすけ)、元京都市交響楽団トランペット奏者の早坂宏明、元京都市交響楽団首席テューバ奏者の武貞茂夫らの名を見ることが出来る。
KOBELCO大ホールにはパイプオルガンがないため、電子オルガンの演奏を室住素子が行った。

1階席の中央通路前の席に譜面台が並び、ここで金管のバンダが演奏する。2階下手サイド席ステージそばも空席となっており、ここにはトロンボーン奏者2人が陣取ってバンダ演奏を行った。

客席は左右最低1席空けのソーシャルディスタンス対応。KOBELCO大ホール入り口ではサーモグラフィーを使った検温と手のアルコール消毒が必要となり、チケットも自分でもぎって半券を箱に入れる。また強制ではないが、兵庫県独自の追跡サービスにもQRコードを使って登録出来るようになっている。コンサートスタッフは全員、フェイスシールドを付けての対応である。

 

演奏前に、佐渡裕が一人で登場してマイクを手に挨拶を行う。春から、中止、延期、払い戻しなどが相次いだが、6月からコンサート再開に向けての実験や検証が行われ、9月に演奏会が再開されると決まった時には全員が、「アルプス交響曲は何が何でも演奏しよう」と意気込んでいたという。ステージ上でのソーシャルディスタンスがやはり問題となったが、「6月頃には、2mから2m半が必要といわれたが、うちの楽団、それだけ離れていても、アルプス交響曲、なんとかなるやろ」ということで上演のための努力を続けてきたそうだ。佐渡はご存じない方のためにKOBELCO大ホールが4面舞台であるという話をし、ひな壇については、「見た目もアルプス交響曲っぽい」と冗談を交えた話をしていた。一番上のティンパニが置かれている段は、ステージから約2mの高さがあるという。

兵庫芸術文化センター管弦楽団がアルプス交響曲を演奏出来ることになったのは、その名の通り劇場付きのオーケストラであることが大きいと佐渡は語る。貸し館での演奏となるとリハーサルが十分に行えないため、通常とは異なる配置での演奏は諦めざるを得ないのだが、ここは本番と同じホールでリハーサルが何日も行えるため、万全の体制を整えることが出来たという。
佐渡は、「今、アルプス交響曲を演奏出来るのは日本でここだけ」と自信を見せていた。
またアルプス交響曲が人生を描いているという解釈も語り、リヒャルト・シュトラウスに関しては、「今の時代に生きていたら、ジョン・ウィリアムズのような映画音楽を沢山書いたんじゃないか」「ジョン・ウィリアムズもリヒャルト・シュトラウスから影響を受け、リヒャルト・シュトラウスもベートーヴェンの『田園』などに影響された」と法灯のように受け継がれていた音楽の生命力にも触れていた。

 

本当に久しぶりの大編成オーケストラ生体験となる。兵庫芸術文化センター管弦楽団は、オーディション合格後、最大3年在籍可能という育成型オーケストラである。オーディションは毎年行われて楽団員が入れ替わるため、独自のカラーが望めない一方で、指揮者の個性が反映されやすいという特徴を持つ。

ゲスト・プレーヤーを何人も入れたPACオーケストラの響きは輝かしく、佐渡の基本的には陽性の音楽作りがよく伝わってくる。活動再開後初の特別演奏会ということで、オーケストラメンバー達も気合いが入っており、雄渾な音楽が奏でられる。配置の問題もあって、金管が強すぎる場面もあったが、やり過ぎという感じははなく、むしろ祝祭性が伝わってくる。佐渡は若い頃とは違い、丁寧な音楽作りが特徴となっている。描写力にも長けており、滝や草原の場面での抒情性や清々しさの表出も十分である。嵐の場面の大迫力もいかにも佐渡らしいが、日没は音色が明るすぎ、まだ日が高いように思えてしまう。ここのみならず陰影の付け方には物足りないものも感じた。
佐渡は、エピローグ以降は指揮棒を置いてノンタクトでの指揮。ここでも風景描写以上のものを感じ取るのは難しい。

前半がかなり好調だっただけに終盤の描き方に不満も感じてしまうのだが、全体を通せば今の時期に貴重な「特別な演奏」となっていたように思う。大編成の楽曲を演奏することは他ではまだ難しいため、「フルオーケストラの響き自体」が何よりも素晴らしいものに感じられた。

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忌野清志郎 「多摩蘭坂」

東京都国立市のたまらん坂にて

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2020年9月20日 (日)

これまでに観た映画より(210) 「さよならS」

2006年1月13日

DVDでフランス映画「さよならS」を観る。エリック・ゾンカ監督作品。

パン工場で働くエス(S)は、職務怠慢でクビを告げられる。恋人のサンドラに「金持ちの下で働くのはたくさんだ。奴らから金を奪う」と宣言したエスはマルセイユで窃盗団の一味に加わる。窃盗団のたむろする場であるボクシングジムで、いら立ちをぶつけるように格闘に打ち込むエス。窃盗団のリーダー格、オイユ(目)の家に住み、彼の祖母の世話をし、また窃盗をするという毎日。しかしエスは窃盗団一味とともに空き巣に入ったとき、警察に追い込まれ、逃げ遅れまいとして、オイユを2階の窓から突き落としてしまい……。

街の不良が大きなことを言ってアウトローの世界に入ったものの、そこでも己の小ささと不運を知るという物語。63分の中編であるが完成度は悪くない。ただ、北野武監督の「キッズ・リターン」という同傾向の更に優れた作品があるので物足りなさも感じた。

セリフを極力抑えて、映像で語らせる手法はエスのやるせなさを伝えている。夢やぶれる物語だが、救いのある(本当の意味での救いかどうかはわからないのだが)ラストにもホッとさせられた。

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2020年9月19日 (土)

コンサートの記(655) 京都フィルハーモニー室内合奏団 「北欧の室内楽」@アートコンプレックス1928 2005.12.7

2005年12月7日 三条御幸町のアートコンプレックス1928にて

午後7時からアートコンプレックス1928で京都フィルハーモニー室内合奏団のメンバーによる室内楽演奏会、「北欧の室内楽」を聴く。
アートコンプレックスでコンサートを聴くのは久しぶり。前回はジャズの演奏会だったのでクラシック音楽を聴くのは自分でも意外だが初めてである。

京都フィルハーモニー室内合奏団(以下:京フィル)はアートコンプレックスで定期的に演奏会を行っていたのだが、これまではずっと平日の昼間に演奏会を開いていたのでなかなか聴きに行けなかった。客席は、京フィルの関係者とファン、北欧音楽ファン(私もここに入る)、室内楽ファンに大別されるようだ。あまり宣伝はしていなかったので、「よくわからないけれど何となく来てしまった」という人はいないようである。

楽団紹介パンフレットには、藤堂音楽賞受賞や京都新聞大賞文化学芸術賞受賞など受賞歴が書いてあるが、それがどういう音楽賞なのかよくは知らないため、感じるのは「頑張ってるんだねえ」ということだけ。
それよりも、「アーノンクールが初めて、そして今のところ唯一指揮した日本のオーケストラ」という売り文句を書いた方がずっとわかりやすいしアピール力もあると思うのだが(クラシックファンの中に、アーノンクールが京都に来たことを知らない人は何人かいるかも知れないが、アーノンクールという名前を知らない人はまずいないだろうし)、京フィルには「売らんかな」という姿勢はないようなので、こちらがどうこういっても仕方ない。


曲目はニールセン(デンマーク)の木管五重奏曲。シンディング(ノルウェー)の「セレナーデ」より第1番、第2番、第5番。グリーグ(ノルウェー)の「ソルヴェイグの子守歌」と「白鳥」。シベリウス(フィンランド)の弦楽四重奏曲「親愛なる声」。グリーグのみ室内楽ではなく歌曲である。


ニールセンの曲は不思議なメロディーと現代的な響きが特徴。クラリネットが普通は出さないような音を出す。技巧的にも難しいのがわかる。
しかしその割りには曲があまり面白くない。今日のアートコンプレックスの客席は平戸間であるため、暖房が下まで届かず寒かったのだが、にも関わらず居眠りしている人が続出。やはり曲に魅力がないのだろう。


シンディングの曲は二つのヴァイオリンとピアノによる三重奏という編成。
シンディングの音楽はどこまで行っても青空、といった風な明るさと、艶やかで優しく爽やかなメロディーが特徴だ。だが少なくとも今日聴いた音楽からは影がほとんど感じられない。
生前は人気作曲家であったというシンディング。しかし死後、急速に忘れ去られてしまう。あるいは影が不足していたことがその原因なのかも知れない。シベリウスの音楽が喜びの歌の背後に癒しがたい悲しみを湛えていたのとは好対照である。


グリーグの歌は、清澄なメロディー、温かな雰囲気、透き通るような悲しみが特徴。愛らしい歌曲である。歌ったのはソプラノの島崎政子。真っ赤なドレスが印象的であった。


ラストのシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」は他の曲とは格が違う。弦楽四重奏曲ではあるが、スタイルは小編成による合奏曲に近い。先にも書いたがチャーミングで喜び溢れる歌の中に、悲しみや孤独が隠れている。私はそこに人生を感じてしまう。
視覚的にも格好良く、一斉合奏の部分は絵になっている。
ただシベリウスの音がしていたかというと、「ある程度は」と答えるしかない。シベリウスの音楽を聴かせるのは難しいのだと再確認する。

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2020年9月18日 (金)

美術回廊(57) 美術館「えき」KYOTO 「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」

2020年9月13日 美術館「えき」KYOTOにて

美術館「えき」KYOTOで、「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」を観る。

キスリング(本名はモイーズ・キスリングだが、キスリング本人はユダヤ的であるファーストネームが余り気に入らず、姓のみを記すことが多かったようだ)は、「ポーランドの京都」に例えられることが多い古都クラクフに生まれ、最初は彫刻に興味を持つが、地元の美術学校の彫刻科に空きがなかったため、絵画科に学ぶ。
19歳でパリに出たキスリングは、モンマルトルでピカソ、モンパルナスでモディリアーニや藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと交流。影響を受ける。藤田嗣治とは特に親しかったようで、二人で収まっている写真が残っている。

ちなみによく知られた「エコール・ド・パリ」という言葉だが、当時のフランスでは国粋主義が台頭しており、元々はモンパルナスという家賃の安い場末で創作活動を行う非フランス人画家を指す差別語であったようだが(この時代のフランス人画家達は「エコール・フランセーズ」と呼ばれていたそうである)、「印象派」同様、今では良いイメージの言葉に変わっている。

初期のキスリングの絵は渋めの色を用いたものが多いのだが、パリでの生活によって色彩豊かな作風へと変わっていく。キュビズムの影響も受け取ったが、「ちょっとした試み」として取り入れただけのようだ。そうはいいながら、菱形をモチーフにした静物画と風景画が意図的に並べられており、構図と構造は参考にしているようである。

風景画と違い、人物画は正面から光を当てたような独特の輝きと眼のデフォルメが特徴である。眼は大きめで少女漫画のような描き方をされていて、輝きと憂いを宿す。当時、モンパルナスでアイドル的な人気を得ていた「モンパルナスのキキ」ことアリス・プランと親しくしていたキスリングはキキを題材にした裸婦画、その名もずばり「モンパルナスのキキ」も残している。キスリングの裸婦画は臀部を膨らませたような描き方をしているのが特徴である。1918年には南仏に長期滞在し、南仏を題材にした絵も描いている。

「モンパルナスのプリンス」「モンパルナスの帝王」と呼ばれるほどの成功を収めたキスリング。彼自身は「自分はユダヤ人ではなくてフランス人だ」と思っていたようである。フランスに帰化もした。だがナチスドイツが台頭するとキスリングは反ナチ的な発言によりドイツから死刑宣告を受けたこともあって、ドイツによるフランス侵攻が始まると亡命。マルセイユからポルトガルを経てアメリカに渡る。ニューヨークに居を構えるが、旧知のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインに誘われハリウッドでも暮らしている。アメリカ時代に描いた「ミモザの花束」では花弁に使う絵の具をホイップ状に重ねることで立体感を出している。
南仏を代表する花であり、「不滅」という意味を持つミモザ。キスリングのフランスへの思いを表しているようだ。戦後フランスに戻ったキスリングは南仏サナリーにアトリエを構え、同地で没した。

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2020年9月17日 (木)

これまでに観た映画より(209) 三谷幸喜 原作・脚本 市川準監督作品「竜馬の妻とその夫と愛人」

2020年9月14日

録画してまだ観ていなかった日本映画「竜馬の妻とその夫と愛人」を観る。市川準監督作品。原作・脚本:三谷幸喜。三谷幸喜が佐藤B作率いる劇団東京ヴォードヴィルショーのために書き下ろした舞台作品の映画化で、三谷幸喜もカメオ出演している。
2002年の映画であるが、意図的に「古さ」を出す画が撮られている。出演:木梨憲武、鈴木京香、江口洋介、橋爪功、トータス松本、小林聡美、中井貴一ほか。音楽:谷川賢作。

フォスター作曲の「金髪のジェニー」とアイルランド民謡「ダニー・ボーイ」の谷川賢作編曲版が何度も流れ、ノスタルジアをくすぐる。

舞台となるのは、明治13年(1880)である。坂本竜馬(トータス松本。回想シーンのみの出演)の13回忌が京都の霊山で大々的に執り行われることが決まり、勝海舟(橋爪功)は竜馬の妻であったおりょう(鈴木京香)の動向を気にしている。13回忌にはおりょうにも出席して貰いたいのだが、今でも彼女が坂本竜馬の妻に相応しい生き方をしているのかどうか。勝はおりょうの義理の弟(おりょうの妹であるきみえの旦那)に当たる菅野覚兵衛(中井貴一)におりょうの様子を探るよう命じる。
菅野覚兵衛は、千屋寅之助を名乗っていた時代に土佐勤王党や海援隊に所属していた実在の人物であり、竜馬亡き後、おりょうの面倒を見ていたことがある。

おりょうは西村松兵衛(木梨憲武)と再婚し、神奈川県横須賀市のボロ長屋で暮らしていた。旦那の松兵衛はテキ屋などをして暮らしている甲斐性のない男であり、竜馬の妻の今の夫として相応しいとは思えない。実は覚兵衛は以前、松兵衛に海軍の仕事を世話してやったことがあるのだが、松兵衛のうっかりミスが原因ですぐにクビになってしまっている。

横須賀のテキ屋の元締めとして頭角を現している虎蔵という男(後に「新選組!」で坂本龍馬を演じることになる江口洋介が扮している。虎蔵の名は、おりょうに懸想していたことでも知られる近藤勇の愛刀・虎徹に由来するのかも知れないが本当のところはよくわからない)を、おりょうは気に入る。竜馬と同じ土佐出身で、土佐弁を喋るが、虎蔵は坂本竜馬なる人物は知らないと語る。豪放磊落で北海道での開拓を夢見るという虎蔵の姿勢にもおりょうは竜馬を重ねていた。

おりょうが虎蔵に走りそうになっているのを感じた松兵衛は覚兵衛と組んで剣術の稽古をするなど、なんとか虎蔵を上回ろうとするのだが……。

 

今は亡き坂本竜馬に取り憑かれている人々を描いた作品である。ある者は坂本竜馬に憧れて少しでも近づこうとし、ある者は研究を重ねて竜馬になりきろうとし、ある者は竜馬以上の男は現れないとして、思い出に生きようとしている。
ただ、これもいかにも三谷幸喜作品らしいのだが、「生きていることが一番だぞ」という強烈なメッセージが発せられている。結局のところ、今はいない存在に身を委ねても人生がややこしくなるだけであり、そもそもそんな人生では「自分の人生を生きた」とは到底言えないものになってしまうであろう。

鈴木京香が宮本武蔵(役所広司が演じていた)の奥方であるお鶴役で出演した舞台「巌流島」(1996)を想起させるシーンがいくつも出てくるが、おりょうの現在の名前は楢崎龍ではなくて西村ツルであり、三谷幸喜が意図的に重ねている可能性もある。

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2020年9月16日 (水)

坂本龍一 「Silk」 Endroll

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