2025年4月15日 (火)

これまでに観た映画より(385) 浅野忠信&瀧内公美「レイブンズ」

2025年3月31日 京都シネマにて

京都シネマで、フランス・日本・ベルギー・スペイン合作映画「レイブンズ」を観る。現代の無頼のような生き方をした写真家の深瀬昌久と妻の洋子の人生を描いた伝記風作品である。伝記とは書いたが、生き方そのものよりも二人の関係性に重点が置かれている印象である。監督はイギリス・マンチェスター出身のマーク・ギル。最初、グラフィックデザインを学び、ミュージシャンに転向。その後、映画監督への再転向を果たしたという異色の人物である。脚本とプロデューサーも兼任。日本贔屓で日本語も学んでいる最中だという。2015年にイギリスの新聞で深瀬の記事を読み、興味を持ったのが今回の映画の入り口だという。
出演は、浅野忠信、瀧内公美、古舘寛治、池松壮亮、高岡早紀ほか。浅野忠信と瀧内公美に関しては、日本映画にも詳しいマーク・ギル監督によるキャスティングのようである。

浅野忠信が演じる深瀬昌久(ふかせ・まさひさ。1934-2012)は、北海道生まれの写真家。本名は同じ字で「よしひさ」と読むようである。写真館を経営する家に生まれ、日本大学藝術学部写真学科卒。いくつかの企業勤めを経てフリーの写真家に。奥さんの洋子(この映画では瀧内公美が演じる)をモデルにした写真で名を挙げ、1974年にニューヨーク近代美術館(MoMA)での写真展への出展により海外にも進出。しかし実家の離散などもあって酒量が増え、酔って階段から転落し、脳挫傷を負い、以後回復することなく10年後に他界している。

 

変わった人物であることを表すためか、首つり自殺する瞬間をカメラに収めようとするシーンなどから始まる。
深瀬にしか見えない巨大な烏(レイブンズ。「ツクヨミ」。ホセ・ルイス・フェラーが演じる)がおり、英語で深瀬に話しかけてくる。深瀬は英語はよく分からないはずだが、烏の言葉は分かる。烏は時に深瀬を導き、後押しをする。烏の存在により、この映画は日本語と英語の二カ国語作品となっている。

深瀬昌久(若い頃の深瀬は別の俳優が演じている)は、日大藝術学部写真学科に合格するが、父親の助造(古舘寛治)は、「写真館に大学の教育はいらない」と合格通知書を破り捨ててしまう。この厳父の存在が昌久の人格形成に大きな影響を与えているのは間違いなさそうだ。時間は飛ぶ。結局、昌久は日大藝術学部に進学して卒業したことが分かる。そして鰐部洋子(彼女も、Ocean Childである)という魅力的な女性と出会い、写真のモデルになって貰い、やがて結婚する。洋子は能楽師になりたいと思っていたようだが、今でこそ女性能楽師は珍しくない、というより私も知り合いに女性能楽師がいたりするのだが、この時代は女性は能楽師にはまだなれないようである(観世、金春、金剛、宝生、喜多という派に入ることは出来たが、能楽師として正式に登録出来るようになるのは2004年から)。だが、能楽の訓練は受けることにし、深瀬の稼ぎと洋子のパート代が費用として当てられることになる。だが、深瀬は芸術系の写真家であるため、余りお金は稼げない。そこで気は進まないが広告などの商業写真の仕事も手掛けるようになった。その頃には助手となる正田モリオ(池松壮亮)とも出会っている。
だが、商業写真にはどうしても乗り気になれない。昌久は芸術写真に戻り、十分な稼ぎが得られなくなってしまう。洋子も不満である。
北海道の実家に帰った深瀬。洋子も連れて行く。しかし、助造を怒らせた深瀬は打擲され続ける。洋子は青ざめたような顔でそれを見ていた。助造は最後には写真館倒産の責任を取って自裁した。深瀬は厳しかった助造が、自身が特集された写真雑誌を買っていたり、深瀬家での写真をスクラップブックに入れていたりと、深瀬のことを気に掛けていたことを知る。

そんな中、1974年(どうでもいいことだが私の生まれた年)、MoMAことニューヨーク近代美術館から写真を出展しないかという話が舞い込む。二人でニューヨークへと乗り込む二人。だが注目を浴びたのはモデルを務めた洋子の方であった。この頃から二人の間に溝が出来始める。洋子は洋子で、実際の洋子ではなく写真に収められたモデルの洋子が現実の洋子を飲み込むような気分になっていたと思われる。また夫がカメラ越しにしか自分を見ておらず、見られたのは自分ではなく夫自身、夫は自分のことしか見ていないと不満を募らせる。
結局、洋子は深瀬の家には戻らず、二人は別れた。それでも洋子が深瀬の家を訪ねた日、深瀬は短刀(脇差し)で洋子の背中を斬りつける。深瀬の家は屯田兵として北海道に渡った旧士族であり、廃刀令で刀は失ったが、旧士族の家によくあるように切腹用の脇差しは隠し持っていたようである(銃刀法違反にはなる)。旧士族らしく「男、四十にして功成らざれば、死をもって恥をすすぐべし」との家訓があり、父親から脇差しを渡されていた。旧士族の家には、切腹の仕方を伝授する家もあるようだが、多分、そこまでのことは深瀬家ではやっていなかっただろう。
とにかく刃傷沙汰となり、洋子が警察に通報したため、深瀬は逮捕される。重い罪にはならなかったようだ(この刃傷沙汰が事実なのかどうか確認は取れなかった)。離婚が成立する。
これで深瀬と洋子は終わり、にはならなかった。数年後、烏や猫などを題材とした深瀬の写真展を観に洋子が現れる。洋子は三好という男と再婚しており、三好洋子となっていた(エンドロールに、SpeciaL Thanks:Yoko Miyoshiの文字がある)。三好の身分は分からないが、大企業の重役風であり、洋子の言葉遣いも上品になっていた。これが二人の最後、にはやはりならなかった。行きつけのバーの階段から転落し、後頭部を打った深瀬。重症であり、以後、意識がハッキリしない状態が続く。老人ホームに入った深瀬を見舞う洋子。自分のことが分かっているのかさえ判然としない深瀬を見て複雑な思いでホームを去る。ホームの上には深瀬の象徴のような烏が舞う。これで終わり、にはならない。洋子はなんと深瀬が亡くなるまで10年間、見舞いを続けたのだった。

 

なんとも妙な二人。どこかで見たような関係だが、竹久夢二とたまきの間柄にそっくりである。画家・詩人・挿絵画家の夢二と、写真家の深瀬の違いはあるが、別れ際に刃傷沙汰になったり、それで永遠の別れかと思いきや延々と関係は続き、最期を看取ったというところまでそっくりである。深瀬と洋子が意図して似せた訳ではないだろうが、同じようなことをしている芸術系カップル、それも夢二とたまきほどには有名ではない二人がいた、というのは面白いことである。やっていること自体は面白い訳ではないのだが。
実際には、深瀬も洋子と別れた直後に再婚しており、深瀬と洋子は必ずしも映画内のような関係ではなかったとも考えられる。
脚本・監督のマーク・ギルはイギリス人であるため、竹久夢二とたまきを知っているのかどうかすら不明だが、「新版 夢二とたまき」を観たような気分になった。なお、洋子もたまきも金沢出身である。

深瀬が経済的な成功とは遠かったのは、洋子とは団地に住み、最後も家賃の安そうなアパートで一人暮らししていることからも分かる。誰もが知るほどの有名な存在にはなれなかったが、成功と言えるだけの体験はした。それでも芸術で食べていくのは大変なようである。

 

才能あるが故に、一般的な生活には馴染めない深瀬を浅野忠信が快演。最愛の女性となる洋子を演じた瀧内公美もチャーミングな場面から深瀬に迫る激しい表情まで幅広く「被写体に相応しい女」を演じている。半月ほど前に、サインを頂くために瀧内公美さんに至近距離で会ってお話も少ししたのだが、「この人は人間性が柔らかそうなので何にでもなれそうだな」という印象を受けた。表現を行う人はエネルギー放出量も多いので、一般的な人よりは能力などが伝わりやすい。もう古い話になるが、AKBグループが全盛の頃、「選抜入りした人達とそうじゃない子ではかなり実力差があるな。ファンは実力をよく見抜いているな」と思ったものだが、実際に有名アーティストなどは近くにいると才能などは伝わってくるので、「なるほど、そういうことか」と納得した。浅野忠信もヨコハマ映画祭の表彰式に彼が主演男優賞受賞者として出席した時に生で見たことがあるのだが、ただ立っているだけで誰よりも迫力があった。

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2025年4月14日 (月)

これまでに観た映画より(384) 「35年目のラブレター」

2025年4月9日 イオンモールKYOTO内のT・ジョイ京都にて

イオンモールKYOTO5階にある映画館T・ジョイ京都で、「35年目のラブレター」を観る。実話に基づくラブストーリーで、登場人物の名前も実話に基づくものが多い。
原作:小倉孝保。監督・脚本:塚本廉平。出演:笑福亭鶴瓶、原田知世、重岡大毅、上白石萌音、徳永えり、ぎぃ子、本多力、辻本祐樹、笹野高史、江口のりこ、くわばたえり、瀬戸琴楓(せと・ことか)、白鳥晴都(しらとり・はると)、安田顕ほか。音楽:岩代太郎。主題歌:秦基博「ずっと作りかけのラブソング」

奈良市。西畑保(笑福亭鶴瓶)は、寿司職人。もうすぐ65歳で定年を迎えようとしている。保は、幼い頃、母親の再婚で和歌山の僻地に越し、程なく母親は亡くなったが、義父は全く面倒を見てくれない人だったために、兄弟のために休日は子どもながらに働いていた。小学校までは歩いて片道3時間。それでも通っていたが、2年生の時に窃盗の疑いを掛けられ、苛められて、以後、学校には通えなくなってしまった。
それでも成長した保(青年時代の保:重岡大毅)は、寿司屋に修行で入るが、読み書きが全く出来ないため、同僚から苛められる。新たな職場を探すが、読み書きが出来ないとあっては採用されない。それでも奈良市にある寿司屋の大将である逸美(笹野高史)に拾われて、寿司職人として働き始める。それが1964年のこと。
1972年に、保はお見合いの話を受ける。相手が保の真面目さを気に入っているとのこと。お見合いの場で、相手の皎子(きょうこ。青年時代の皎子:上白石萌音)に一目惚れした保。皎子は当時流行りの女性の三大職業の一つ、タイピストであった(残りの二つは、エレベーターガールとスチュワーデス=CA)。当然ながら文字には詳しい。相手に自分が文盲だとバレないように気を付けながら奈良公園などでデートする保。結果、相手にバレることなく、むしろ皎子の方が積極的で結婚に至る。清楚な感じの皎子だが、実際は気が強いことが分かる。それでもいつかは保が文字の読み書きが出来ないことがバレる日が来る。皎子は黙ってそれを受け入れ、「私が保さんの手になります」と言うのだった。
二女に恵まれた西畑家。やがて二人とも結婚相手を見つける。そんな中、保は夜間中学の存在を知る。夜間中学(春日中学校夜間学級)教師の谷山恵(たにやま・めぐみ。男性。演じるのは安田顕)に説明を受け、中学を出ていないなら誰でも入れる(途中から制度が変わり、中学卒でも入学可となる)ということで、保は入学を決める。理由はこれまで自分に尽くしてくれた皎子(原田知世)にラブレターを書きたいためであった。

夜間中学は、数が減りつつあるが、子どもの頃に十分な教育が受けられず、読み書きや簡単な計算、英語などに難のある人が通う。引きこもり経験のある若者なども通っている。在籍期間は基本3年だが、最大20年まで。自分が「卒業したい」と思った時が、卒業の時である。

妻の皎子であるが、タイピストが花形の職業だった時代はとっくに終わり、ワードプロセッサー(ワープロ)を使って校正の仕事を内職でしていたが、パソコンの時代となり、ワープロによる仕事はもはや求められておらず、家事に専念するようになっていた。

夜間中学校の同級生は、戦争で十分な教育を受けられなかった者、比較的若いが読字障害がありそうな者、戦争で両親を亡くし、日本語をしっかり学んで最終的には大学に進みたいという南アジア出身者など、境遇はバラバラである。学校に通った経験がほとんどなかった保は、友達も出来て学校が楽しいところだということを初めて知る。
それでも保の文字を覚えるスピードは遅々たるもので何度も諦めそうになるが続ける。辞めようかと思っていた在学7年目のある日、保は谷山から、「最初の頃に比べると大分上手くなってきている」と励まされる。
そして、いよいよ皎子にラブレターを渡す日。皎子は喜ぶが、採点すると63点で……。

笑福亭鶴瓶と原田知世、そして若い頃の二人を重岡大毅と上白石萌音が演じることで、二人の成長、学力のみでなく夫婦としての成長を見守ることが出来るようになっている。
お見合いの場で、上白石萌音が、「薩摩おごじょ」と紹介され、「薩摩ちゃいます」と否定する場面があるが、上白石萌音が薩摩出身なのはよく知られているので、ちょっとした洒落である。見た目がやはり薩摩のお嬢さんである。

35年目のラブレターが、保から皎子へ宛てたものだと誰もが思うが実は……。これでおおよその見当は付いてしまうと思うが、分かってても十二分に味わえる映画であるので特に問題はないだろう。

奈良が舞台だけに、俳優陣はみんな奈良弁を使うが、ネイティブな奈良弁の使い手ではないのではっきりとは分からないものの、皆、達者である。地方出身で、標準語という別の言語を習得しているだけに、方言も覚えやすいのかも知れない。ちなみに私は千葉市出身であるため、普段から使っている言葉が標準語であり、方言などは特に話したことがないので(京言葉は文章でのみ使うことが出来る)方言を覚えるのは得意ではないかも知れない。
興福寺五重塔、薬師寺、奈良公園、浮見堂、奈良ホテル、法隆寺五重塔など奈良市内と奈良県内の名所も多く登場。エンドクレジットに東大寺の文字があったが、どこの場面だったのかは不明。大仏殿や南大門などの有名な建物は映っていなかったはずである。また以前に原田知世が住んでいたこともある千葉県佐倉市でもロケは行われているが、具体的にどの場面なのかは分からなかった。
ともあれ、古都の情緒もたっぷりで、話に彩りを添えてくれる。

笑福亭鶴瓶の味のある演技(笑福亭鶴瓶そのものだが)、原田知世のたおやかな雰囲気、重岡大毅の放つエネルギー、上白石萌音の溢れ出る才女感と癒やしのムードなど俳優陣も良い感じである。現在、大河ドラマ「べらぼう」の平賀源内役でブレーク中の安田顕も、源内とは異なる落ち着いた大人の雰囲気で、見る者に安心感を与えてくれる。

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2025年4月12日 (土)

楽興の時(49) 新内弥栄派家元 師籍四十五周年記念 新内浄瑠璃と舞踊の祭典「新内枝幸太夫の会」

2025年4月8日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホール

午前11時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、新内弥栄派家元 師籍四十五周年記念 新内浄瑠璃と舞踊の祭典「新内枝幸太夫の会」を聴く。私の年の離れた友人である新内枝幸太夫師匠とその一門、日本の伝統芸能者を多く集めた祭典である。
とはいえ、日本の伝統芸能はそれほど愛好者の広がりはないため、多くは枝幸太夫の身内や知り合い、友人である。

五部形式で、一部終了後に15分の休憩があるが、その後は、二部から五部までぶっ通し。終演時間は午後6時前で、実に7時間近くも上演が続いたことになる。
最初から最後まで付き合う人も勿論いたが、途中退席、途中抜けだし、遅れてくる人などもいる。余り劇場に慣れていない人が多いことも分かる。

「新内枝幸太夫の会」は、これまでは街中にあるが、レセプショニストなどはいないウイングス京都などで公演を行ってきたが、今年は京都で最も格式の高い京都会館ことロームシアター京都のサウスホールでの公演となった。大規模ホールであるメインホールでこそないが、多くの一流ミュージシャン(細野晴臣や原田知世)が立ったサウスホールも、新内が公演を行えるホールとしては最上級であろう。集客的にメインホールでの公演は無理なので、サウスホールで頂点に立ったと言える。

鳴物は、望月太津寿郎連中。

 

演目であるが、出演者の体調不良のためにカットされたものもあれば、枝幸太夫が予定になかった歌を付け加えたケースもある。
第1部が、「広重八景」、新内小唄「花合わせ」、「丸山甚句」、新内小唄「月天心」、新内小唄「蘭蝶」、新内小唄「別れてから」、「更けゆく鐘」、蘭蝶(上)四谷、口上「新名取披露」
「広重八景」(弾き語り:新内枝幸太夫)では、芳宗航が見事な舞を見せる。
「月天心」は、与謝蕪村の俳句が出てくるが、「貧しき街を通」ったのは大工ということになっている(語り:堤内裕)。

第2部が、新内流しと前弾き三味線、「古都春秋」、「むじな」、「忍冬(すいかずら)」、「葛の葉」
新内流しと前弾き三味線では、枝幸太夫師匠が三味線を弾きながら中央通路を歩き、おひねりを貰ったりする。師匠が私を見つけて、「本保ちゃんや。久しぶり」と挨拶したりした。
「古都春秋」は、その名の通り京都の名物が歌われるのだが、春は祇園甲部の都をどりが採用されており、「コンチキチン」の響きが流れる。
「むじな」は、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンがまとめた『怪談』からの話で、のっぺらぼうが出てくる(枝幸太夫の弾き語り。立方:紀乃元瑛右)。
「葛の葉」は、安倍晴明の母親である信太の森の葛葉狐の話である。立方は芝千桜。影絵で狐を浮かび上がらせたり、凝った演出である。
葛葉狐の和歌、「恋しくばたずね来てみよ泉なる信田の森のうらみ葛の葉」は、その場で障子に墨で書かれる。

3部では、枝幸太夫が日本コロムビアからCDを出している楽曲の歌唱。「青海波」、「綾子舞の女」、「約束橋」、「眠れない夜は」、「龍馬ありて」が歌われ、立方が舞を披露する。「約束橋」では何度か顔を合わせている藤和弘扇さんが舞を披露した。また「龍馬ありて」では、龍馬ゆかりの高知県から美穂川圭輔がやって来て舞を披露した。高知-京都間の最もポピュラーな移動手段は高速バスだが、8時間近く掛かる。
カラオケによる歌唱だが、「龍馬ありて」はいつもに比べて走り気味。仮に指揮者がいたとしたら一拍目を振る前に歌い始めている。ステージ上の音響も影響したのだろう。

4部では、物語性のある曲が奏でられる。「明烏夢泡雪」(下)雪責め、「蘭蝶」(下)縁切り、「帰咲名残命毛(かえりざきなごりのいのちげ)」尾上伊太八(おのええだはち)、「梅雨衣酸月情話(つゆころもすいげつじょうわ)」、「日高川」渡し場。「日高川」は、ご存じ安珍・清姫の話だが、清姫が日高川を泳ぎ切り、鬼の顔をした蛇になるところで終わる。

第5部は、枝幸太夫の「勧進帳」に始まる。立方は若柳吉翔。枝幸太夫の弾き語り。歌舞伎などでお馴染みの「勧進帳」をほぼアレンジすることなく歌と踊りでの表現に変えている。立方は、一貫して武蔵坊弁慶だけを舞で演じる。
「蘇一陽来復(よみがえりまたはるがくる)」巳では、道成寺に至り、鐘に巻き付いて焼き殺す清姫の話なども語られるが、それとは関係のない話も歌われる。立方は、花柳與桂。枝幸太夫の弾き語り。
ラストは「子宝三番叟」。立方は、藤三智栄と藤三智愛。優雅でキリリとした舞が行われた。弾き語りは枝幸太夫だが、ほかにも語りと三味線、上調子がいる。

一度幕が下りてから、再び上がって、千穐楽のおひねりとして手ぬぐいがまかれた。

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2025年4月10日 (木)

コンサートの記(899) 「京都市立芸術大学ピアノ専攻教授陣によるプロフェッサーコンサート 煌めくピアニズム」

2025年3月5日 京都市立芸術大学堀場信吉記念ホールにて

四条駅から京都市営地下鉄烏丸線に乗り、京都駅で下車。東に向かって数分のところにある京都市立芸術大学堀場信吉記念ホールで、「京都市立芸術大学ピアノ専攻教授陣によるプロフェッサーコンサート 煌めくピアニズム」を聴く。タイトル通り、京都市立芸術大学音楽学部ピアノ専攻の教授(全員が教授の肩書きではなく、専任教員や常勤講師もいる)達による演奏会。

出演は、砂原悟、上野真(うえの・まこと)、三舩優子(みふね・ゆうこ)、田村響(男性)、髙木竜馬(りょうま)。最後の演目であるワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲(小林仁編曲)にだけ、京都市立芸術大学専任講師の森本瑞生(パーカッション)が出演するほか、京都市立芸術大学音楽学部や大学院の学生とOBが出演する。

 

事前のプログラムは、2台のピアノのための作品などは発表されていたが、独奏曲に関してはシークレットで直前に発表されることになっている。

なお、ピアノは4台のグランドピアノを使用。コンサートホールに常備されているピアノは2台ほどが基本だが(2台のピアノのための作品は多めだが、3台以上のピアノのための作品は数えるほどしかないため)、京都市立芸術大学ピアノ専攻は、「学生になるべく多くの種類のピアノを弾かせたい」との思いから、堀場信吉記念ホールに4台のピアノを備えている。また芸術大学の音楽学部なので、ピアノは多く所有しており、更に数を増やそうとしてもおそらく可能だろう。

今回使われるピアノは、ウィーンのベーゼンドルファー290インペリアル、イタリアのファツィオリ F-308、スタインウェイ&サンズ D-274(ハンブルク)、スタインウェイ&サンズ D-274(ニューヨーク)。スタインウェイというとアメリカのイメージが強いが、1880年代からはドイツのハンブルクでも製造を開始している。これだけ多くの種類の名ピアノを所有している音楽学部は世界的に見ても珍しいそうで、「世界でもここだけじゃないか」という話もあるらしい。
ベーゼンドルファーのピアノは、昨年の11月に購入したばかりで、今回がお披露目となるそうである。

 

曲目は、モーツァルトのソナタ ニ長調 KV448(田村響&上野真)、三舩優子のソロ曲、髙木竜馬のソロ曲、マーラーの交響曲第5番よりアダージェット(シュトラダールによる2台ピアノ版。髙木竜馬&上野真)、田村響のソロ曲、シューベルトの幻想曲 ヘ短調 作品103 D.940(上野真&砂原悟)、バーバーのスーヴェニール「バレエ組曲」(ゴールドとフィッツデールによる2台ピアノ版)より第5番“Hesitation-Tango”と第6番“Galop” (三舩優子&上野真)、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲 4台ピアノ16手連弾 打楽器付き(小林仁編曲。髙木竜馬&生駒由奈、田村響&長山佳加、三舩優子&稲垣慈永、砂原悟&廣田沙羅。打楽器:森本瑞生、武曽海結、丹治樹)。

 

かなり有名なピアニストが出る上に、チケットが比較的安いということもあり、客席はかなり埋まっている。

 

堀場信吉記念ホールに来るのは二度目。前回はトイレが狭く、休憩時間に長蛇の列が出来るという欠点が分かったが、堀場信吉記念ホールの入る京都市立芸術大学A棟の向かいにあるC棟のトイレも開放することで、改善を図ろうとしているようだ。

 

京都市内には、京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタ、ロームシアター京都サウスホール、青山音楽記念館バロックザールなど、ピアノリサイタルでの使用を想定して作られたホールがいくつもあるが、いずれも音響的に万全という訳ではなかった。だが、堀場信吉記念ホールの音響はピアノ演奏向けとしてはかなり良い部類に入る。京都市内にあるピアノ演奏向けのホールとしては一番であろう。公立大学が所有するホールであるため、貸し館などはどれほど行えるのかは分からないが、「ここで数々のピアノリサイタルを聴いてみたい」と思わせてくれるホールである。

 

モーツァルトのソナタ ニ長調。田村響がハンブルクのスタインウェイを弾き、上野真がベーゼンドルファーのピアノを弾く。
モーツァルトの2台のピアノのためのソナタは、1990年代に、「聴きながら勉強すると成績が上がる曲」として話題になったが、その後に、「そういう見方は出来ない」として否定されている。
モーツァルトらしい典雅で愛らしい楽曲で、二人のピアニストの息もピッタリ合っている。なお、今回は、ソロ曲とワーグナー以外は譜めくり人を付けての演奏で、譜めくり人は各ピアニスト専属の女性が担当。三舩優子の譜めくり人だけは、ワーグナー作品で出演もする稲垣慈永(じえい)が務めていた。

 

三舩優子のソロ演奏曲は、リストのペトラルカのソネット第104番。美しいタッチの光る演奏である。ハンブルクのスタインウェイのピアノを使用。

 

髙木竜馬のソロ演奏曲は、ラフマニノフの前奏曲「鐘」。ラフマニノフの生前から人気曲であり、ラフマニノフのピアノコンサートに来た聴衆が「鐘」を聴きたがり、ラフマニノフが弾くまで帰らなかったという伝説を持つ曲である。
髙木はスケール豊かな演奏を展開する。低音と高音の対比が鮮やかだ。ピアノはファツィオリ。

 

マーラーの交響曲第5番(シュトラダールによる2台ピアノ版)より第4楽章「アダージェット」
髙木竜馬がファツィオリのピアノを、上野真がベーゼンドルファーのピアノを奏でる。
オーケストラの演奏では、おそらくレナード・バーンスタインの影響で、ゆったりとしたテンポが取られることの多いアダージェットであるが、ピアノでの演奏ということでテンポはやや速め。しかし次第にテンポは落ちる。
弦楽ならではの甘さを持つ曲だが、ピアノで演奏すると構造がはっきりと把握しやすくなる。オーケストラでも分かるが、ため息や吐息の部分がより明確に感じられる。
かといって分析的ではなく、エモーショナルな味わいも十分にある。

 

田村響のソロ演奏曲は、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」。元々はスタインウェイ・ハンブルクを使って演奏する予定だったが、ベーゼンドルファーを用いての演奏に変わる。舞台上の転換はないため、ソロではあるが上手側に鍵盤がある形での演奏となる。蓋は取り払われている。
「華麗なる大円舞曲」は、中学校の給食の音楽だった、という個人的な思い出はどうでもよいとして、愛らしさと神秘性、そしてタイトル通りの華麗さを合わせ持った名曲であり、田村の演奏も鮮やかであった。

ピアノが変わったのは、「ソリスト全員に別のピアノを弾かせたい」という意図によるもののようである。

 

シューベルトの幻想曲 ヘ調用。これも元々は連弾用の曲であるため、そのまま連弾の予定だったのだが、2台のピアノで弾く形に変わった。
シューベルトらしく、またドイツらしいという正統派の音楽と演奏である。暗めではあるが、愛らしさやノスタルジックな感じが顔を覗かせる。

 

バーバーのスヴェニール「バレエ組曲」(ゴールドとフィッツデールによる2台ピアノ版)より第5番“Hesitation-Tango”と第6番“Galop”
三舩優子がハンブルクのスタインウェイを、上野真がニューヨークのスタインウェイを演奏する。
アメリカの音楽、それも前衛には手を出さなかったバーバーの作品だけに、軽快で親しみやすく、明るくチャーミングな音楽が繰り広げられた。

 

ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲 4台ピアノ16連弾 打楽器付き(小林仁編曲)。大規模な舞台転換があるため、その間を教員総出演によるトークで繋ぐ。小林仁は砂原悟の直接の師だが、髙木竜馬が12歳ぐらいの時に小林の自宅に伺ってレッスンを受けたことがあったり、田村響が参加したコンクールの審査員が小林だったりと、若手とも繋がりがあるようだ。今回のコンサートにも「ぜひ伺いたい」と言っていたのだが、小林の住む東京は昨日今日と雪。道路でスリップする可能性があるので外出は難しいということで、京都に来ることは叶わなかったようだ。

4台のピアノが上から見るとTwitter状に、じゃなかったX状に配置される。打楽器の森本瑞生(特別客演)、武曽海結(むそ・みゆ)、丹治樹(たんじ・たつき。客演)はその背後に横一列で陣取る。
X状の手前上手側に髙木竜馬&生駒由奈、手前下手側に田村響&長山佳加、奥下手側に三舩優子&稲垣慈永、奥上手側に砂原悟&廣田沙羅。砂原悟&廣田沙羅コンビのみ、学生が第1ピアノ、教員が第2ピアノである。髙木竜馬がタブレット譜を使っているのが確認出来るが、他のピアニストの譜面は私の席からは見えない位置にある。
基本的に時計回りに主役が変わっていくようであるが、主旋律は田村響が受け持つことが多いようだ。
4台のピアノによる演奏を聴くことは少ない上に(多分、初めてである)更に打楽器が加わっての演奏。おそらく唯一無二の体験となるはずである。
オーケストラのように色彩豊かな響きという訳にはいかないが、迫力やスケールなどはこのサイズのホールで聴くには十分すぎるほど大きい。ピアノならではの音の粒が立った響きも印象的である。
実はピアノ専攻の教員の中には、京都市立芸術大学出身者は一人もいないのだが、特別客演としてティンパニを受け持った森本瑞生(京都市立芸術大学専任講師)は京都市立芸術大学のOGである。森本は更にシンガポール国立大学・ヨンシュウトー音楽院、ジョンズ・ホプキンス大学・ピーポディ音楽院(交換留学生として)、ジュリアード音楽院大学院でも学んでいる。
学生達は、京都市立芸術大学ピアノ専攻もしくは大学院に在籍中だが、京芸の学部卒業後に海外の大学院を修了してまた戻ってきていたり、すでにいくつかのコンクール優勝歴や入賞歴があったりする人もいる。客演の丹治樹は、京都市立芸術大学音楽学部管・打楽器専攻を経て同大学院修士課程器楽専攻を修了。卒業時に京都市長賞受賞。パーカッションアンサンブルグループ「アカサタ♮」のメンバーである。
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲は、高揚感溢れる曲だけに、演奏終了後に客席も盛り上がる。

「良かったねー」という声があちこちで飛び交い、聴衆の満足度も高そうであった。
帰りであるが、ここでまた堀場信吉記念ホールの弱点が見つかる。堀場信吉記念ホールは京都市立芸術大学A棟の3階にあり、1階から階段が伸びているのだが、照明がないため、足下がよく見えず危険である。エレベーターもあるが、余り多くの人は乗せられないので、大半の人は階段を選ぶことになるのだが、改善しないと事故が起こりそうである。スマホのライトで足下を照らしながら歩く人もいた。

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2025年4月 8日 (火)

これまでに観た映画より(383) 中国映画「石門」(ホアン・ジー監督と大塚竜治監督、瀧内公美さんによる舞台挨拶あり)@新宿武蔵野館

2025年3月20日 新宿武蔵野館にて

午後2時45分から、JR新宿駅の東にある新宿武蔵野館という映画館で、女流のホアン・ジー(黄骥)監督と大塚竜治監督の共同監督による中国映画「石門」を観る。二人の監督は夫妻である。中国湖南省長沙市を舞台に、妊娠などを巡るダーティーな話が繰り広げられる。日本では昨年、桐野夏生原作、長田育恵脚本の「燕は戻ってこない」というドラマが放送されたが、それに繋がるものがある。

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この回の上映には、ホアン・ジー監督と大塚竜治監督、更に女優の瀧内公美さんによる舞台挨拶がある。

新宿武蔵野館に入るのは初めてだが、小綺麗な映画館である。歴史の長い映画館であるが、何度か改装を行っているらしい。瀧内公美のことは贔屓にしているようで、彼女が浅野忠信と共演する「レイブンズ」の展示があり、また新宿武蔵野館は武蔵野ビルの3階にあるが、エレベーターの扉に「レイブンズ」の宣伝用写真が使われている。瀧内公美は新宿武蔵野館で「レイブンズ」の初日舞台挨拶を行う予定がある。

 

素人を俳優として起用した作品。主演のヤオ・ホングイ(姚红贵)は、ホアン・ジー監督作品に3本目の出演で全て主役だが、それ以外の監督の映画やドラマには出演しておらず、職業俳優とは呼べないようである。今は出身地で公務員をしているという。
セリフ回しの上手さなどが正確に分かるほどの北京語力はないが、明らかに機械のように話している人などセリフが苦手な人は流石に分かる。

長回しと長ゼリフの多用が特徴。長回しや長ゼリフは製作国を問わず、増加傾向にあるように見える。この作品はセリフのない長回しがかなりの長尺という特徴がある。

小さな英語教室の場面からスタート。
ヤオ・ホングイが演じるリンは大学生。フライトアテンダント(キャビンアテンダント。CA。空中小姐、空姐)になるための勉強をしている。中国にはCAになるための大学があるらしい。ただ日本にもパイロット養成の専攻を持つ大学はあるし、CA輩出数日本一の関西外国語大学(大阪府枚方市にある)は、現役CAのOGを呼んで講義や相談会を行うなど、CA養成にかなり力を入れている。なお、校名は「職業学院」(学院は中国では単科大学のこと。大学と呼ばれるのは総合大学のみ)という文字が見えるだけで、架空の大学かも知れない(長沙航空職業技術学院という大学があり、ホームページに卒業生がCAとして活躍している写真が掲載されているのでここなのかも知れない。ただやはり架空の大学の可能性もある)。
リンの親は産婦人科を開いているが、患者の子の死産により訴えられている(今では死亡率は低くなっているが、昔は出産は命がけの作業であり、今でも他の診療科に比べると、子もしくは母親あるいは両方の「死」にまつわる事柄で訴訟を起こされることは多く、日本でも産婦人科を目指す医学生の減少に繋がっている)。にも関わらず、ネズミ講のようなイベントに入れ上げている。
そんな中、リンの妊娠が発覚する。死産になった子どもの代わりにリンの子を養子にすることが話が丸く収まりそう。全然、丸くはないのだが。
リンは、学費を稼ぐためにアルバイトを始めるのだが、これも若い女性の世話や、どうやら卵子提供など、アウトの可能性が高く……。やがてリンは出産に備えて大学を休学する。

映画は合宿する形で、妊娠してから生まれるまでと同じ10ヶ月程度を掛けてじっくりと撮られたようである。また台本はあるが、上手くいかないところはカットし、アドリブを撮って上手くいった場合は採用したりもしたそうである。そうやってフィクションの中にノンフィクションを忍び込ませるやり方を採用したことが分かる。
2019年の場面から物語は始まるが、やがてコロナ禍が起こり、みなマスクをする。実際にはコロナが酷い時期には撮影は中断して、落ち着いてからコロナ禍の真ん真ん中という設定で俳優達はマスクをして撮影を行ったようである。

生まれてくる子どもについて、「1年間面倒を見てほしい」だの「それは嫌だ」のという会話が繰り広げられ(これはアドリブらしい)人間の扱いの軽さが感じられる。
ラストシーンでも泣く我が子を車の中に残してリンは出て行ってしまう。育てる権利はなく、自分の子どもにはならないので情が薄いのか、それとも他に意味があるのか。いずれにせよ救いはなさそうだ。
とにかく現代中国の闇が正面から描かれている。

 

舞台挨拶。司会は配給会社の松田さん。上手側から、大塚竜治監督、ホアン・ジー監督(通訳あり)、瀧内公美が出席する。瀧内公美は眼鏡を掛けて「その辺を軽く走ってきました」というようなラフな格好。この映画の関係者でない瀧内公美が出席するのは、映画の大ファンだからだそうで、特に長回しのシーンを「絵画みたい」と語り、素人達の演技に「どうやったらあんな演技出来るんだろう」と興味津々であった。なお、自分が出ている作品以外の舞台挨拶に参加するのは初めてだそうだが、他の作品に対してあれこれ言うのは俳優としてはよろしくないんじゃないかとの思いがあったため控えてきたそうだ。ただ今回は絶賛出来るので参加を希望したそうである。
大塚監督によると、皆、普通語(北京語をベースにした標準語)が上手くないので、それで苦戦したところはあったという。

撮影は禁止とのことだったが、最後に瀧内公美が、「ちょっとだけみんなで写真撮っちゃいましょう」と提案したため、撮影会が始まってしまった。私はスマホの起動が遅くて撮れなかったが。
瀧内公美は、映画のパンフレット購入者限定のサイン会にも参加。イメージ通りのかなり気さくな人である。女優とはいえ、映画製作者二人とファン一人という妙な組み合わせによるサイン会となった。
私もサイン会に参加し、瀧内さんとは彼女が主演し、2月に公開された一人芝居映画「奇麗な、悪」についてちょっと話す。隣のホアン・ジー監督には北京語(正確に言うと普通語)で話す。何の前触れもなく北京語で話し始めたため、瀧内さんも0.1秒ほどだが、「ん?」という感じでこっちを見ていたのが面白かった。

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2025年4月 7日 (月)

コンサートの記(898) 大植英次指揮 Osaka Shion Wind Orchestra 第159回定期演奏会

2025年3月29日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、Osaka Shion Wind Orchestra(吹奏楽団)の第159回定期演奏会を聴く。指揮は大植英次。

Osaka Shion Wind Orchestraの前身は大阪市音楽団である。愛称・略称は「市音」。1923年(大正12)の創設で、1926年創設の新交響楽団(NHK交響楽団の前身)よりも長い歴史を持つ。この時代は阪神間モダニズムと呼ばれる、阪神間で文化・経済が花開いた時期。1923年9月1日には関東大震災が起こっており、被災した関東の芸術家が新天地を求めて、阪神間や京都などに移り住み、関西は文化面でも豊穣の時代を迎えつつあった。
大阪市音楽団の団員は、大阪市の職員であり、「音楽士」の称号を得ていた。大阪市の音楽団体ということで、大阪市の音楽関連の仕事を一手に引き受けていたが、維新市政により状況は一変。当時の橋下徹大阪市長は大阪市音楽団の解散を示唆したが、大阪市音楽団は民営化の道を選択。愛称の「しおん」を入れたOsaka Shion Wind Orchestraに名称を変更している。愛称・略称はアルファベットで「Shion」に変わった。

吹奏楽団の強みは、サキソフォン奏者が常在していること。サキソフォンは比較的新しい楽器であるため、近現代の作品にしか使われないが、近現代よりも古典派やロマン派の作品の方が演奏されることが多いため、ほぼ全てのオーケストラはサキソフォン奏者をメンバーには入れておらず、客演でまかなっている。ただ吹奏楽はサキソフォン奏者が必要になるため、サキソフォンとのアンサンブルの精度を高めることが出来る。

Osaka Shion Wind Orchestraの現在の体勢は、音楽監督に宮川彬良、芸術顧問に秋山和慶。秋山和慶は今年1月26日に逝去したが、芸術顧問は終身称号などではなく永久称号になるのかも知れない。
本部は以前は大阪城公園内にあり、私もたまに前を通ることがあったが、現在は住之江区に移転している。

 

吹奏楽専門の指揮者はいるにはいるが、日本で有名なプロ指揮者はほとんどいない。宮川彬良も秋山和慶もオーケストラを振る回数の方がずっと多い。下野竜也のようにNHK交響楽団正指揮者の称号を受けながら自らが吹奏楽出身であるため、広島ウインドオーケストラの音楽監督を務める指揮者もいれば、昨年引退した井上道義のように「吹奏楽は好きじゃない」と言ってほとんど指揮しない指揮者もいる。井上によると吹奏楽は「首だけふらふら動いている感じ」。オーケストラは弦楽が低音から高音までベースを作り、その上に管楽器が乗るということが多いのだが、吹奏楽は弦楽が丸々ないため、胴体がなく首だけのように感じるのだと思われる。
大植が吹奏楽団をどれだけ振っているのかは分からないが、以前、テレビ番組で吹奏楽で有名な大阪府立淀川工科高校を訪れたことがあり、淀川工科高校吹奏楽部について「憧れだった」と語っていたため、吹奏楽に対する理解は深いと思われる。

曲目は、ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」(鈴木英史編曲)、レスピーギの交響詩「ローマの松」(鈴木英史編曲)、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」(佐藤正人編曲)。全て有名オーケストラ曲の吹奏楽編曲である。

吹奏楽団は、基本的には管楽器と打楽器によって編成されるが、弦楽器では唯一、コントラバスが加わる。弦楽器奏者は、幼い頃から練習を積み重ねてプロになるのが一般的だが、コントラバスだけは例外で、学校の吹奏楽部でコントラバスを始めたという人もいる。それでも間に合う唯一の弦楽器とされている。通常は1台のことが多く、Shionのコントラバスの正楽団員も1名だけだが、今日はコントラバスは2台が用いられる。
オーケストラの弦楽パートに当たる部分を引き受けるのはクラリネットで、クラリネットが最も人数が多く、コンサートマスターもクラリネット奏者が務める。今日のコンサートマスターもクラリネットの古賀喜比古である。

 

ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」。今日も大植は全て暗譜での指揮である。
輝かしい音色による熱い演奏を展開するが、今日はその後の2曲の演奏が凄かった。

 

レスピーギの交響詩「ローマの松」。レスピーギは、ベルリオーズ、リムスキー=コルサコフと並ぶオーケストレーションの三大達人の一人であるが、それはオーケストラ演奏の場合。鈴木英史の吹奏楽編曲がどうなるのかが気になる。
勿論、弦楽のあるオーケストラの方が彩りは豊かだが、吹奏楽版も浮遊感のある煌めくような音色が奏でられる。打楽器が活躍するパートもオーケストラ原曲より多そうだ。
“カタコンブ付近の松”のように管楽器の活躍する曲は違和感が余りなく、“ジャニコロの松”のようなクラリネットソロ(古賀喜比古が吹いた)が目立つ曲も原曲をそのまま生かしている。“ジャニコロの松”は弦楽の繊細なパートがあるのだが、管楽器だけで上手く処理されている。なお、ハープやピアノ、オルガンは原曲通り加わっている。ナイチンゲールの鳴き声の録音もやはり流れる。
“アッピア街道の松”は、金管のバンダが配されるのだが、ザ・シンフォニーホール3階正面席の左右両端にバンダが置かれ、立体的な音響を作り出していた。
演出の上手さは「流石、大植」といったところである。

 

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」。昨年の大河ドラマ「光る君へ」では、主に前半の音楽にシェヘラザードの主題によく似た音楽が用いられていた(作曲:冬野ユミ)。これは音楽による伏線で、終盤、藤原道長(柄本佑)が死の床にある時に、紫式部(劇中では紫式部の名は用いられず、藤式部と呼ばれた。本名は「まひろ」ということになっていた。演じたのは吉高由里子)が毎日少しずつ短い物語を語るシェヘラザードになるという展開があった。シェヘラザードの主題を奏でるのは、原曲ではコンサートマスター(第1ヴァイオリン首席)であるが、今回の編曲ではコンサートマスターであるクラリネット首席の古賀喜比古がシェヘラザードの主題を吹くことは一度もなく、フルートを中心に複数の管楽器でシェヘラザードの主題が受け渡された。クラリネットが吹くときもあったが、首席の古賀ではなくその後ろの席の奏者が吹いていた。

最も有名な“若き王子と王女”では、コンサートマスターの古賀のソロで始まり、徐々に吹くクラリネット奏者の数が増えていって、他の楽器にも回るという編曲になっており、原曲の豊かな弦楽合奏とはまた違った音楽となっていた。この“若き王子と王女”は、大植としては珍しく声を発しての熱演となった。

8分の6拍子や、4分の6拍子など、6拍子系の多い曲だが、大植は基本的には2つ振ることで処理することが多く、たまに細かく指揮棒を揺らすこともあった。また緩やかな部分では指揮棒をしまってノンタクトで振ることも多かった。

“バグダッドの祭、海、青銅の騎士のある岩にて難破、終曲”では、大植が細やかな指示を出したということもあり、リズミカルで迫力のある演奏となる。特に打楽器の処理が見事だった。

迫力満点の演奏だったということもあって、客席も大いに湧く。大植は楽団員を立たせようとしたが、楽団員は敬意を払って二度とも大植に拍手を送って立たず、大植が一人で聴衆の喝采を浴びた。

今日で卒団のプレーヤーがおり、花束の贈呈が行われ、大植も歩み寄って握手やハグなどを行っていた。

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2025年4月 6日 (日)

コンサートの記(897) 沖澤のどか指揮京都市交響楽団第698回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2025年3月14日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第698回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。

曲目は、陳銀淑(チン・ウンスク)の「スピト・コン・フォルツァ」とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」

陳銀淑は、1961年、ソウル特別市生まれの女流作曲家。ハンブルクでジェルジ・リゲティに学び、以後もドイツを本拠地として活動している。国籍を変えたのかどうかは不明である。1980年代には電子音楽の作曲を行い、1990年代以降は各地のオーケストラのコンポーサー・イン・レジデンスを務め、主に管弦楽曲を発表しているようである。

 

午後7時頃から、沖澤のどかのプレトークがある。
ステージに登場した沖澤はまず、「最初にご報告があります。11月にお休みを頂きましたが、無事、出産しました」と二児の母親となったことを告げた。
今回の定期演奏会は、3日間の事前のものも含めて、出雲路の練習場ではなく全て京都コンサートホールでリハーサルを行ったことを明かし、4月からの新シーズンは、リハーサルの公開などを行う計画のあることなども知らせていた(「クラオタ市長」こと松井孝治京都市長の発案)。

陳銀淑についてだが、ベルリンで一度会ったことがあるそうで、頭の回転が速く、知識が豊富でユーモアに富んだ人だったそうである。
「スピト・コン・フォルツァ」は、ベートーヴェンのメロディーをいくつも利用した作品で、「ネタバレになるんですけど、『コリオラン』序曲で始まって」と紹介していた。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」については、常任指揮者になったら必ず取り上げなければならない曲とした上で、「非常に難しい」。特にコンサートマスターのソロは「ソロを聴くために『英雄の生涯』を聴くという人もいるほど」有名だが難しいとし、(今日のコンサートマスターの)会田さんにもお聞きしたんですけれど、「協奏曲のソロより難しい。協奏曲はある程度自由があるが、『英雄の生涯』のソロはオーケストラの中でやらねばならない」と難度の高さを示していた。
その他にも語りたいことがあったのだが、「失念しました」ということで、京都コンサートホールにタクシーで向かう途中に衣装を忘れたことに気付いたため、いったん取りに戻ったり、次の日は財布を持ってくるのを忘れてスタッフさんにごちそうになったりと、ドジ話の開陳になってしまっていた。
沖澤はベルリン在住だが、ドイツに住んでいると、ドイツ音楽とドイツ語の親和性に気付くそうである。先月は松本で「カルメン」を指揮していた沖澤だが、「フランス語は音が抜ける。フランスのお菓子もサクサクと息の通る。ドイツのお菓子は『なんでこんなに砂糖入れるんだろう?』。日本のお菓子は丁度良いサイズで……、ええと何の話をしてたんでしたっけ? あ、言葉と音楽は結びついているということで」と話していた。

 

今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ヴィオラの客演首席奏者として柳瀬省太が入る。ドイツ式の現代配置での演奏。陳銀淑の「スピト・コン・フォルツァ」で使われる、ピアノ、鉄琴、木琴などはステージ下手端に並ぶ。
管楽器の首席奏者は、リヒャルト・シュトラウスのみの出演である。

 

見た目も声も明るめで、明るい音楽をやりそうな雰囲気のある沖澤だが、実際は渋い音色を駆使することが多い。陳銀淑の「スピト・コン・フォルツァ」(演奏時間約5分の短い曲)でも音は渋めである。
「コリオラン」で始まる曲だが、すぐに打楽器が入り、別の曲へと移行する。ピアノが「皇帝」のメロディーを奏でたり(ピアノ:沼光絵理佳)、弦楽器が「田園」交響曲の嵐の部分の音型を奏でたり、金管楽器が調は違うが運命動機を吹いたりとベートーヴェンへのオマージュが続く。この曲は2020年のベートーヴェン生誕250年を記念して作曲されたものである。

 

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。
この曲でもかなり渋い音を沖澤は京響から引き出す。ドイツ本流、それも一昔前、オイゲン・ヨッフムや沖澤がレッスンを受けたことのあるクルト・マズアなどのドイツ人指揮者が第一線で活躍していた時代のシュターツカペレ・ドレスデンやライプツィッヒ・ゲヴァントハスス管弦楽団、バンベルク交響楽団などが出していたような深くコクのある音色である。現在は世界的に活躍している独墺系指揮者の数が少なくなったということもあり、余り聴かれなくなった音だ。
系統でいうとクリスティアン・ティーレマン、とは大袈裟かも知れないが、音楽性に関しては同傾向にあると思われる。
沖澤は藝大大学院修士課程修了後に渡独し、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンの大学院修士課程も修了。ベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーで学び、ベルリン・フィル芸術監督のキリル・ペトレンコのアシスタントを務めていたが、そうした中でドイツの音を基調とするようになったのかも知れない。京響の常任指揮者の前任で、透明度の高い音を特徴とした広上淳一とは正反対の音楽性といえる。
渋いだけでなく堅固な演奏。指揮姿はオーソドックスで分かりやすく、音の運び方も巧みである。正真正銘のドイツ的な演奏なので、実のところ好き嫌いが分かれそうな気もするのだが、現時点では沖澤の音楽作りは好評を得ている。好き嫌いはともかくとして、日本のオーケストラからこれほどドイツ的な音を引き出す指揮者も珍しい。オーソドックスなイメージを持たれているが、実際はかなりの個性派指揮者である。常任になって自分のカラーを鮮明に打ち出すようになったということで、これまで客演での演奏を聴いて語られて来た沖澤評は実は全て間違いの可能性もある。
物語的な展開を見せるこの曲だが、沖澤は語り口よりも響きと構築感を重視。音の生み出すものよりも音そのもので語る演奏となった。
会田莉凡のソロも巧みであり、終盤のノスタルジアの表出にも長けている。これまで聴いてきた「英雄の生涯」とはひと味違った、「堅牢」な演奏が展開された。

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2025年4月 5日 (土)

これまでに観た映画より(382) 韓国映画「ケナは韓国が嫌いで」

2025年3月12日 京都シネマにて

京都シネマで、韓国映画「ケナは韓国が嫌いで」を観る。2015年に発売されたチャン・ガンミョンのベストセラー小説『韓国が嫌いで』の映画化である。監督・脚本:チャン・ゴンジェ。出演:コ・アソン、チュ・ジョンヒョク、キム・ウギョム、イ・サンヒ、オ・ミンエ、パク・スンヒョンほか。

学歴社会・競争社会である韓国。ヒロインのケナ(コ・アソン)はそんな韓国に嫌気が差し、ニュージーランドへの移住を図る。

学歴主義社会として知られる韓国。SKYと呼ばれる、ソウル国立大学校、高麗(コリョ)大学校、延世(ヨンセ)大学校の3校に入れば将来が約束されるため、これらの大学を目指す高校生はとても多く、その他の大学志望者も少しでも良いとされる大学に行くために熾烈な競争を繰り広げる。韓国は高校までは義務教育であるため、受験は1回切りで、多くの人が全力を尽くす。一方で波に乗れず、ドロップアウトしていく人も多い(そうした人々を描いた作品も複数ある)。
受験で勝利しても、就職したらしたでまた苛烈な出世競争が待ち受けている。ケナは「ヘル・チョソン」「ヘル・コリア」(いずれも「地獄の韓国」)という流行り言葉を口にする。

日本でもお馴染みのペ・ドゥナが主演した、「子猫をお願い」という映画では、商業高校を卒業して社会に出た18歳の女の子達が社会の壁にぶち当たる様が描かれていたが、この映画の登場人物は、それなりの大学校を出てそれなりの企業で働いているようであり、祖国が嫌いになるだけの強い要因が曖昧であるように感じられる。「生まれた国だからといって嫌いになってはいけないわけではない」という言葉もあるが、上手くいっているように見えるのにどうして? という気持ちは拭えない。
ヒロインも、「韓国は先進国の中でもGDPは20位以内で、イタリアやスペインに匹敵する」とヨーロッパの先進国(ただイタリアもスペインも先進国の中では経済力最下位争いで、デフォルトが起きてもおかしくないと言われている)並みなのに、何が不満なのだと言われる。ケナは、「自殺率は先進国の中で1位」とデータを示し、生きにくさを強調するが、少なくともこの映画の中に登場する韓国に生きにくさを見出すことは難しい。芸能人の自殺も多いことで知られる韓国だけに、自殺に追い込まれる仕組みなどが明らかにされてもよいように思うのだが、それもないため、わがままで「韓国が嫌い」と言っているように見えてしまう。ケナが通勤に片道2時間、それも満員のバスと電車を乗り継ぐのが大変という描写から入るが、私も二十代の頃は、満員のバスと電車を乗り継いで片道2時間掛けて東京の会社に通っており、彼女がとりわけ大変という風にも思えない。
実際にニュージーランドに移るケナ。最大の都市であるオークランドに住むようだ。ワーキングホリデーの仕組みを利用し、大学で会計学を学びながらアルバイトをこなして、最終的にはニュージーランドの永住権を獲得しようとする。ここでニュージーランドでの生きづらさが描かれても良いはずなのだが、実際はアルバイト先のブティックで、白人の先輩社員に靴を注意されるだけである。ケナはスニーカーを履いていたのだが、「TPOに合わせてハイヒールを履くべき」と注意される。もう一人の白人の先輩が、「彼女は歩きながら仕事をしているので、ハイヒールは無理」とかばってくれた。一見すると分かりにくいが、これは人種差別の一種のようである。同じニュージーランド人、もしくは白人だったら、靴のことで注意を受けたりはしないようだ。助けてくれたニュージーランド人の女性がケナにそう語る。ただそれ以外はニュージーランドでの生活は順調。パラグライダーでビルの屋上から飛び降りた友人の女性を撮影して、動画サイトに映像を載せたことで警察が家にやって来て、「国外追放になるかも知れない」とケナが語る場面があるが、結局は大目に見られたようである。

というわけで、韓国が嫌いで仕方がない理由も、ニュージーランドが良いとされる根拠も今ひとつハッキリしない。ケナには分かっているのだろうが、見る者にはそれは伝わってこない。

面白いのは、主人公のケナを始め、韓国人女性が煙草を吸うシーンが多いこと。日本では、女性の10人に1人が喫煙者というデータがあるようだが、韓国、そして中国でも煙草を吸う女性は「売春婦」が定番になっているため、喫煙率はちょっと前まで1%~3%弱と低く、それでも煙草を吸う女性は蓮っ葉(ビッチ)と見られがちであった。京都造形芸術大学舞台芸術コース在学中に、韓国からの留学生であるパクという女の子と日本人女子学生のNと私と3人でエチュード(即興で行う演技の稽古)を行ったのだが、パクがNを悪く言う際、「この女、煙草を吸ってました」を繰り返しており、韓国で煙草を吸う女がいかにイメージが悪いかが分かった。今回の映画では煙草を吸う女性が複数出てくるが、現在では状況が変わったのか、それともケナがちょっと嫌な女であることを示すために喫煙シーンを入れたのかは不明であるが、煙草をポイ捨てしたりしているため、マナー的にはやはり良くないという設定ではあるのだろう(データによると、韓国の若い女性の喫煙率は増加傾向にあり、日本並みに増えているようだ)。

ケナを演じるコ・アソンは子役上がりだが、確かな演技力が感じられる一方で美人という訳ではない。整形が当たり前の韓国であるが(今でもそうなのかは知らないが、美形でないと就職出来なかったり、「美人でないのは失礼だ」などと言われたりしていて、社会が美容整形を後押ししていた)、彼女は整形はしていないと思われる。余り洗練されていない素朴な印象だが、親しみの持てる風貌である。

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2025年4月 2日 (水)

RCサクセション 「多摩蘭坂」

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2025年4月 1日 (火)

観劇感想精選(488) 東京サンシャインボーイズ復活公演「蒙古が襲来」

2025年3月13日 京都劇場にて観劇

午後6時から、京都劇場で、東京サンシャインボーイズ復活公演「蒙古が襲来」を観る。
1994年に、30年間の充電期間に入ることを発表した東京サンシャインボーイズ。復活するのは2024年、東京の新宿シアタートップスにおいての「リア玉」であることが発表されていた。途中、新宿シアタートップスが閉館する際に、「return」という特別公演を行った東京サンシャインボーイズだが、充電期間は続き(コロナの時期に近藤芳正の呼びかけで、東京サンシャインボーイズの元メンバー達を中心としたZoom朗読劇「12人の優しい日本人」が生配信されたことはある)、2024年になって復活の動きが始まり、タイトルや内容も「蒙古が襲来」に変わったが、日本全国での公演を行うこととなった。

なお、関西では、大阪(SkyシアターMBS)と京都(京都劇場)の2カ所での上演を行う。1カ所だけでも良いと思うのだが、復活公演なのでより多くの人に観て貰いたいということ、また近藤芳正が現在は京都市を本拠地としているということで、京都での公演は外せなかったのかも知れない。なお、近藤芳正は後期の東京サンシャインボーイズには毎回出演していたが、全て客演で、東京サンシャインボーイズのメンバーだったことは1度もない。

作・演出:三谷幸喜。出演は、梶原善、宮地雅子、相島一之、吉田羊、小林隆、西村まさ彦、阿南健治、西田薰、谷川清美、野仲イサオ、甲本雅裕、近藤芳正、小原雅人、伊藤俊人(声の出演)。台詞を言う順番での表記である。吉田羊は、東京サンシャインボーイズの研究生としての出演らしい(他の俳優はアラ還だが、吉田羊は年齢非公表ながらアラフィフである)。エンディングテーマは、「どんちゃんの歌」(作詞・作曲:甲本ヒロト。甲本ヒロトは甲本雅裕の実兄である)。

東京サンシャインボーイズは、作を三谷幸喜、演出を山田和也が手掛けるのが常だったが、山田が売れっ子演出家になったことと、三谷が演出も兼ねることが多くなったことで、今回も作・演出:三谷幸喜となっている。三谷が演出も兼ねるようになったのは、映画「ラヂオの時間」で監督を務めた辺りからで、映画で演出をやるんだから舞台もという流れになったのかも知れない。初期の東京サンシャインボーイズでは、一橋壮太朗の芸名で出演もしていた三谷だが、役者は廃業している(コロナで倒れた俳優の代役として出演し続けたことはある)。
日本大学藝術学部演劇学科出身の三谷幸喜が旗揚げした東京サンシャインボーイズ。宮地雅子、小原雅人、演出の山田和也のように日大藝術学部演劇学科出身のメンバーもいるが(伊藤俊人も日大藝術学部演劇学科出身だが東京サンシャインボーイズ旗揚げには加わらず、サラリーマンに。その後、脱サラして東京サンシャインボーイズに加入したため、後期メンバー扱いである)、学内サークルからの発足などではなく、寄せ集め。初期には日大藝術学部音楽学科出身の深沢敦がいたり、明治大学文学部演劇学専攻出身の松重豊がいたりした(松重は、「こんな劇団売れないよ」と退団したが、後に見る目がなかったことを認めている)。
相島一之は立教大学、小林隆は明治大学の出身、甲本雅裕は京都産業大学を出て、大阪でのサラリーマンを経ての参加。西村まさ彦は、東洋大学中退後、地元・富山の写真専門学校を出て、カメラマンのアシスタントなどを経て、再上京後に新劇の劇団に入ってからの参加である。梶原善は専門学校出身。近藤芳正は学歴非公開で、渡辺正行が主宰だったこともある劇団七曜日出身である。阿南健治も学歴非公開だと思われる。

影アナを行うのは塩竃サンシャインボーイズこと山寺宏一。「携帯電話のスイッチをオフ」など諸注意から突然、脇にそれた話をしたりする。

 

今回は、文永11年(1274)10月の対馬国を舞台とした時代劇である。歴史の知識のある人は、後に元寇と呼ばれることになる元の国=モンゴル人=蒙古の王朝の襲来があり、対馬が占領されることは分かっている。だが、当の本人達はそんなことは知らない。

対馬の浜辺。背景に海が広がる。ムクリ(モンゴル)が攻めてくるとの噂があり、鎌倉から御家人のサカザキ(小原雅人)が情報を得るために下向してくる。一方、漁師のニラブ(梶原善)はある音の拍子が気になっていた。ニラブの妻のカメ(トラジの妹。演じるのは宮地雅子)はサカザキをもてなすための料理作りに励んでいたが、歩き巫女のおばば(吉田羊)に後に台無しにされてしまう。占いなどを行う歩き巫女。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では大竹しのぶが歩き巫女を演じていたが、今回は吉田羊が起用されている。やはり雰囲気を持った女優でないと味わいが出ないのであろう。一方、家屋の中には烏帽子をかぶった上品な着物姿の男の後ろ姿が数秒のみ見える。九条実実(くじょう・さねざね)であるが、九条実実は、故伊藤俊人が録音された声のみで演じているため、誰か別の俳優が一瞬だけ代理で出ているのであろう。
村長と思われるオンゾ(西村まさ彦)、その息子であるトラジ(相島一之)、トラジの幼馴染みであるタマオ(小林隆)などもサカザキの饗応や、ムクリの動向などが気になっている。浜でムクリの者と思われる遺体が見つかり、オンゾらはそれを砂山に隠している。
一方、ジンタ(甲本雅裕)が、壱岐から対馬にやって来ていた。ジンタはカメの元恋人であったが、遭難して数年行方不明に。その間にジンタを諦めたカメはニラブと結婚して二児をもうけた。しかし、ある日突然、ジンタが帰ってくる。しかしカメが結婚したとあってはもうどうにも出来ず、二人で浜辺で抱き合って、その後、ジンタは壱岐へと去ったのであった。そのジンタは壱岐で見張りの仕事をしていたのだが、コクリ(高句麗=高麗)の海辺にムクリの船が並んでいるのを見て、知らせに来たのだった。饗応には教養のある人がいるということでゴングージ(権宮司。近藤芳正)が遅れて現れたのだが、「対馬よりも(朝鮮半島から)遠い壱岐からなんで高麗が見えるのか?」と疑問をぶつけ、ジンタは答えることが出来ない。
オンゾは、この頃、女郎のウツボという女性(谷川清美)に入れ揚げているが、年齢故か、今で言う認知症のような症状が出ることがあるという。だが実は……。
トラジは、対馬に帰ってきたばかり、それまでは20年ほど、都で武門に仕えていた。下足番に始まり20年、最後まで下足番であった。「才能がないんじゃないか」とニラブに言われるトラジであったが、「今からでも遅いということはない」とやる気だけはある。
サカザキが到着し、ムクリに関する情報を知る者はいないかと聞くが、見ていないという証言が多い。オンゾは「異国がこの地に攻め寄せてきたことはございません」と語る(実際は刀伊の入寇があったはずだが、300年近く昔の話であり、人々の記憶からは消えているのだろう)。タマオは、船で流されてムクリに着いたことがあるという話を始める。また鍋についても、これは鉄鍋ではなくムクリの兜だということになるのだが。
隣村の村長であるウンジ(野仲イサオ)もサカザキに会うために来ていたが、「ムクリなんぞやっつけてやる」と息巻いている。
一方、たまたま対馬を訪れていた傀儡師のましら(阿南健治)ときんば(西田薰)は、芸を披露する。余り上手くないが、それは……。
トラジは、サカザキに才能を見込まれ(というほど何もしていないが)鎌倉に来て仕えぬかと言われる。トラジほどでなくても皆、出世欲はあり、ゴングージはムクリを発見すればその功で伊勢神宮の神官に推挙して貰おうなどと狙っていたりする。ゴングージは、浜辺にムクリの武具が漂着することが多くなったことに気付いていた。ムクリは戦支度を整えている。

そして突然……。

コメディを基調とした群像劇が、突如として残酷劇に変わるのは、「鎌倉殿の13人」のようでもある。「蒙古が襲来」というタイトルなので、予想はしていたが、ここまで徹底的にやるとは思っていなかった。何の予告もなく始まる戦の恐ろしさが表現されている。

そのまま暗いままでは終わらず、「どんちゃんの歌」が歌われる。

終演の影アナは戸田恵子。「東京サンシャインボーイズの次回公演は80年後を予定しています」。80年後となると出演俳優のみならず、今会場にいるほぼ全員が存在していないと思われる。

カーテンコールが終わった後も戸田恵子の影アナは続き、「上演はこれでおしまいです! これ以上、拍手しても何も出ません! また戸田恵子が東京サンシャインボーイズのメンバーであったことはありません。客演もしていません」と締めていた。戸田恵子が女優業に進出するのは、東京サンシャインボーイズが解散してから2年ほど経ってからで、それまでは声優しかしていなかった。戸田恵子を女優業に引っ張り出したのは三谷幸喜である(「総理と呼ばないで」において)。

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