2021年11月14日 (日)

コンサートの記(752) 「ALTI 民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」@京都府立府民ホールアルティ

2021年10月28日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて

午後6時から、京都府立府民ホールアルティで、「民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」という音楽会に接する。津軽三味線(itaru)、二胡(尾辻優依子)、馬頭琴&ホーミー(福井則之)、ヴァイオリン(提琴&ヴァイパー。大城淳博)に古楽器のヴィオラ・ダ・ガンバ(中野潔子)を加え、各国・各地域の音楽が奏でられる。

曲目は、「もみじ」(全員)、「津軽よされ節」(三味線)、「楓葉繚乱(ふうようりょうらん)」(三味線)、「ナラチメグ」(馬頭琴、提琴、ガンバ)、「蘇州夜曲」(二胡)、「灯影揺紅」(二胡)、「スーホの白い馬」(馬頭琴)、「ホーミー・ホルバー・アヤルゴー」(馬頭琴&ホーミー)、「こきりこ節」(三味線、二胡)、「だんじゅかりゆし」(提琴、ガンバ)、「久高万寿主/唐船どーい」(ヴァイパー)、「かごめかごめ」の即興演奏(三味線、提琴、ガンバ)、「牧羊姑娘」(二胡、馬頭琴)、即興演奏(馬頭琴、三味線)、「茉莉花」(二胡、提琴、ガンバ)、「アメイジンググレイス~津軽あいや節」(三味線)、「津軽じょんがら節」(三味線)、「良宵」(二胡)、「三門峡暢思曲」(二胡)、「ドンシャン・グーグー」(馬頭琴)、「白馬」(馬頭琴)、「月ぬ美(ちゅら)しゃ」(ヴァイパー、ガンバ)、「てぃんさぐぬ花/闘山羊」(提琴、ガンバ)、「賽馬」(全員)。

全席自由だが、前後左右1席空けのソーシャルディスタンススタイルで、舞台席の上方、二階席と呼ばれる部分(一般的な二階席とは違う意味で使われている)は今日は関係者以外立ち入り禁止となっている。


ヴァイパーという楽器は、目にするのもその名を聞くのも初めてだが、アメリカで開発された6弦のエレキヴァイオリンで、日本では大城淳博が第一人者ということになるようである。

馬頭琴は演奏や曲を録音で聴いたことがあり、以前に訪れた浜松市楽器博物館では、「体験できる楽器」の中に馬頭琴(もどき)が含まれていたので、ちょっと音を出したこともあるのだが、演奏を生で聴くのは初めてかも知れない。

ホーミーは、今から30年ほど前に日本でも話題になったモンゴルの歌唱法である。低音の「ウィー」という声に倍音で中音域、高音域が重なるのが特徴となっている。坂本龍一の著書には、日本にホーミーを紹介したのは「いとうせいこう君」という記述があるが、これは本当かどうか分からない。坂本龍一は、日本で初めてラップを歌った人物もいとうせいこうであるとしている。


個人的なことを書かせて貰うと、民族音楽は比較的好きな方で、二十歳前後の頃にはキングレコードから出ている民族音楽シリーズのCDを何枚か買って楽しんでいた。「ウズベクの音楽」はかなり気に入った(HMVのサイトで、各曲の冒頭を聴くことが出来る)。
二胡は、姜建華が弾く坂本龍一の「ラストエンペラー」や、坂本龍一がアレンジしたサミュエル・バーバーの「アダージョ」を聴いて憧れ、キングレコードの民族楽器シリーズの中の1枚もよく聴いており、25歳の頃に先生について習い始めたのだが、色々と事情もあって3ヶ月でレッスンは終わってしまった。考えてみれば、二胡は単音しか出せない楽器なので、一人では「ラストエンペラー」を弾くことは出来ない。演劇を学ぶために京都に行く決意をしたのもこの頃ということもあり、以降は二胡とは疎遠になっている。

こうやって書いてみると、坂本龍一という音楽家の存在が私の中ではかなり大きいことが改めて分かってくる。ちなみに今日演奏された「てぃんさぐぬ花」も、初めて聴いたのは「BEAUTY」というアルバムに収められた坂本龍一編曲版であった。


客席に若い人が余りないのが残念であるが(親子連れはいた)、民族楽器が終結した演奏会を聴くという機会も余りないため、印象に残るものとなった。


福島則之の説明によると、馬頭琴は二弦からなる楽器であるが、一本の弦に馬の尻尾の毛100本ほどが束ねられているそうで、二弦と見せかけて実は二百弦という話をしていた。馬頭琴の音は人間の声に近い。西洋の楽器を含めて、これほど人間の声に近い音色を奏でる楽器は他に存在しないのではないだろうか。

ちなみに、弓の持ち方であるが、ヴァイオリンだけ上から掴むように持つオーバーハンドで、馬頭琴、二胡、ヴィオラ・ダ・ガンバは箸を持つように下から添えるアンダーハンドである。二胡とヴィオラ・ダ・ガンバは手首を返しながら左右に弓を動かすが、馬頭琴は二胡やヴィオラ・ダ・ガンバほどには弓を動かさないということもあってか、手首を固定したまま弾いている。

ヴィオラ・ダ・ガンバの、ガンバは「足」という意味で、両足で挟みながら演奏する。Jリーグのガンバ大阪も、フットボールの「フット」のイタリア語である「ガンバ」と、「頑張れ!」の「頑ば!」を掛けたチーム名である。
エンドピンのないチェロのようにも見え、ヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれた曲も現在はチェロで弾かれることが多いことから、「チェロの祖先」と思われがちだが、実際は違う体系に属する楽器であり、弦の数も6本が基本と、チェロよりも多い。


「茉莉花」は、中国の国民的歌謡で、第二の国歌的存在であり、アテネオリンピックや北京オリンピックでも流れて話題になっている。尾辻は、上海に短期留学したことがあるのだが、街角のスーパーや薬局などで「茉莉花」の編曲版が流れているのを普通に耳にしたそうで、中国人の生活に「茉莉花」という曲が根付いているのが分かる。

「良宵」は、二胡の独奏曲の中で間違いなく最も有名な曲であり、二胡奏者は全員この曲をレパートリーに入れているはずである。作曲した劉天華は、それまで京劇などの伴奏楽器でしかなかった二胡を一人で芸術的な独奏楽器の地位まで高めた人物であり、中国の民族音楽の向上に多大な貢献を行っているが、多忙が災いしたのか37歳の若さで他界している。
「良宵」は、元々のタイトルは「除夜小唱(大晦日の小唄)」というもので、大晦日の酒宴をしている時に浮かんだ曲とされる。尾辻によると、後半になるにつれて酔いが回ったような曲調として演奏する人もいるそうである。


アンコールとして、こちらは日本の国民的歌曲となっている「故郷」が独奏のリレーの形で演奏された。

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2021年11月11日 (木)

美術回廊(70) 京都文化博物館 創業200年記念「フィンレイソン展―フィンランドの暮らしに愛され続けたテキスタイル―」

2021年11月3日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、創業200年記念「フィンレイソン展 ―フィンランドの暮らしに愛され続けたテキスタイル―」を観る。

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フィンランドのタンペレに本社を置いていたテキスタイル企業、フィンレイソン。北欧のデザイン界を代表する企業だが、フィンレイソンというのは英国スコットランドからやって来た創業者、ジェームズ・フィンレイソンの苗字であり、「フィン」と入るがフィンランドとは一切関係がないようである。なお、200年に渡ってフィンランドのテキスタイルデザインをリードし続けたフィンレイソンであるが、20世紀後半の綿工業の衰退により、現在では本社を首都のヘルシンキに移し、生産は海外の工場に一任しているようである。
ちなみに、フィンレイソンを代表するデザインの名は「コロナ(王冠)」という何とも皮肉なものである。

1820年。ロシア統治下のフィンランドで創業されたフィンレイソン。工業都市タンペレに本拠を置き、ロシア人経営者の下で急成長。タンペレ市民の6割ほどがフィンレイソンの社員として働いていたこともあるそうだ。また北欧で初めて女性を社員として雇った企業でもあり、1880年代から1920年代に掛けては、女性社員の数が男性社員のそれを上回っていたそうで、かなり画期的な運営をしていたことが分かる。

動植物の柄を中心としたシンプルなデザインが多いが、子どもを描いたデザインなどは可愛らしいものも多く、見る方も自然と頬が緩んでしまう。

トーベ・ヤンソンもムーミンを使ったデザインでフィンレイソンのテキスタイルに参加しており、今回の展覧会の見所の一つとなっている。

京都文化博物館の4階と3階の展示室を使用しているが、3階に展示されている作品は撮影自由である(フラッシュ撮影、動画撮影などは禁止)。
フィンレイソンは女性の社員が多いという話をしたが、参加しているデザイナーも1名を除いて全員女性である。アイニ・ヴァーリがメインのデザイナーのようで展示数も多いが、第二次世界大戦中には、ユダヤ人ということでドイツから逃れてきた女性がフィンレイソンのデザイナーになったこともあったようである。

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3階の展示室もシンプルで飾らないデザインが主流だが、中にはミンナ・アホネンという、フィンランドらしい名前ではあるが日本語で取ると愉快な名前のデザイナーもいる。みんながみんなアホだったら、それはそれで幸せな世の中になりそうではある。

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フィンランドということで、シベリウスの交響詩「フィンランディア」を題材としたデザインのうちの一つも展示されている。シルッカ・シヴェが1980年代末に手掛けたものだが、白地に赤黄青の三原色線を配したシンプルなもので、フィンランドを支配し続けてきたスウェーデンとロシアからの飛躍をモチーフにしているようでもある。

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フィンランドの有名人に、パーヴォ・ヤルヴィの名前の由来となったことでも知られる名指揮者、パーヴォ・ベルグルンドがいるが、同姓のカーリナ・ベルグルンドというデザイナーの作品も展示されている。血縁関係はないと思われるが、比較的有名なデザイナーのようである。カーリナ・ベルグルンドの作品は原題はイケアでは「グラウドブローマ(幸せな花)」と命名されていたようだ。

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デザイナーということで、ヘルシンキ芸術デザイン大学(2010年に合併改組されて、アアルト大学となっている)の卒業生も多い。
ヘルシンキ芸術デザイン大学出身の、アンナ・フフタが描いた都市のデザインは、簡素化された図形の配置と色合いがいかにも北欧的である。

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リーサ・スーラ(ジョルジュ・スーラとは多分、無関係)が花の絵2点は、「キオト(京都)」と名付けられている。「京都は春の花の美しいところ」と聞いて命名したそうである。

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2021年11月10日 (水)

コンサートの記(751) オペラ「ロミオがジュリエット(Romeo will juliet)」世界初演

2021年11月5日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて

午後7時から、東九条のTHEATRE E9 KYOTOで、オペラ「ロミオがジュリエット(Romeo will juliet)」(ソプラノ、ギター、電子音響のための。2021年委嘱・世界初演)を聴く。作曲は、足立智美(あだち・ともみ。男性)。出演は、太田真紀(ソプラノ)と山田岳(やまだ・がく。エレキギター、アコースティックギター、リュート)。この二人による委嘱である。演出は、あごうさとし。

テキスト生成用のAI(人工知能)であるGPT-2に、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の原文を始め、文献やWeb上の情報など数百年分のデータを入れて記述されたテキストを基に作曲されたオペラである。足立本人は敢えて「ロミオとジュリエット」の原文には触れないようにしたそうで、「おそらく、オペラ作曲家が原作を読まずに作曲した世界初のオペラでもあります」(無料パンフレットに記載された足立本人の文章より)とのことである。

英語上演(一部日本語あり)字幕なしということで、予約を入れた人に届いたメールには英語の原文と日本語訳が載ったPDFが添付されており、事前に読むことが推奨されている。テキストは当日に席の上に置かれたチラシの束の中にも入っている。

私は事前に2度読んで行ったが、AIは意味というものを理解することが出来ないということでハチャメチャなテキストになっている。「ロミオとジュリエット」の主筋は登場せず(別れの場だけ多少それらしかったりする)、突然、ゲームの話になったり(「ロミオとジュリエット」をビデオゲーム化したものがいくつもあって、その影響らしい)、「あんた誰?」という登場人物が何の予告もなしに出てきたり(「ロミオとジュリエット」の二次創作からの還元の可能性があるようだ)、矛盾だらけの文章が続いたりと、とにかく妙である。ただ、そんな妙な文章の中に、時折ふっと美しい一節が現れることがある。それまでの過程が奇妙なだけに、その美しさは際立つ。

中央から左右に開くタイプの黒い幕が開き、オペラ開始。ソプラノの太田真紀は中央に黒いドレスを纏って(正確に言うと、床に置かれた黒いドレスに潜り込んで)座り、ベールを被っている。顔は白塗りで、そのために真っ赤に口紅が引き立つ。山田岳は上手奥にいてギターを弾き始める。両手は血をイメージしたと思われる赤い塗料に染められている。

今日が世界初演の初日である。

9場からなるテキスト。上演時間は休憩時間15分を含めて約1時間20分である。
英語テキストなので聞き取れない部分も多いが、聞き取れたとしても意味は分からないので、そう変わらないと言えないこともない。

まずは第1場「ロミオ」は朗読から入り、第2場「ジュリエット」では、冒頭の「目をいつもよりちょっと大きく動かしてみましょう!」が日本語で語られる。
ボイスチェンジャーが使われたり、声が重なって聞こえるよう加工されたりする。

そんな中で第4場の「ジュリエットとサクラ」は純然とした朗読。太田真紀も情感たっぷりに読み上げるが、その実、文章の意味は通っていなかったりする。サクラなる人物が何者なのか良く分からないが、なぜか子どもが登場し(誰の子どもなのかも、サクロやジュリエットとの関係も不明)、街には当たり屋(?)がいて、裕也というこれまた謎の男が突如現れ、白人の男が黒いカーテンのようだと形容される(白人なのに黒とは如何?)。

第5場「カンティクル」も朗読だが、サクラと独立した彼女の腕との話になっており(「ロミオとジュリエット」からどうしてそんな話になったのかは不明。そもそもジュリエットはどこに行ったのだ?)、中上健次の初期の短編小説「愛のような」を連想させる。
ノーベル文学賞候補と言われながら若くして亡くなった中上健次。一週間後には私は中上健次の享年を超えることになる。

音楽的には、声が重層的になる部分がクイーンのアルバム「オペラの夜」を連想させたり、ラストの第9場「ジュリエット」では、山田岳の弾くリュートに乗せて、太田真紀がシェークスピアと同時代のイギリスの作曲家であるジョン・ダウランドを思わせるような叙情的な旋律を歌うなど(「A drop」のリフレインが印象的)、全体的にブリティッシュな印象を受けるのだが、実際には「イギリス」をどれほど意識していたのかは不明である。ただ、アフタートークで足立は第9場の音楽についてはやはりダウランドを意識したと語っていた。
エレキギターからアコースティックギター、リュートという時代に逆行した流れになっているのも面白い。

ジョン・ダウランドは、近年、再評価が進んでいる作曲家なので紹介しておく。シェークスピア(1564-1616)とほぼ同じ頃に生まれ(1563年説が最有力のようだ)、シェークスピアより10年長生きした作曲家で、オックスフォード大学で音楽を学んだリュートの名手であり、エリザベス女王の宮廷楽士になろうとするが、なぜか不合格となってしまい、やむなくヨーロッパ大陸に活躍の場を求めている。イタリア、ドイツ、デンマークなどで名声を得た後、1606年にイングランドに帰国し、1612年にようやくジェームズ1世の王宮にリュート奏者として仕官。シェークスピアは、その頃には引退間際であり、共に仕事をすることはなかった。同じ時代を生きながらすれ違った芸術家の代表格と言える。


テキストとしては、第7場「ジュリエット」における、「ロミオここにあり」「来たれ」が繰り返されるミニマルなものや、第8場「ロミオ」の「愛」と「死」と「肉体」の観念、第9場「ジュリエット」での「死」と「ひとしずく」の関係などが面白い。AIは意味というものを理解することは出来ないので、自動記述的に生み出されたものなのだが、理屈では捉えきれないが感覚的に飲み込むことの出来る何とも言えない愉悦がここには確かにある。

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2021年11月 6日 (土)

観劇感想精選(416) ブルーエゴナク 「眺め」

2021年10月9日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後7時から、THEATRE E9 KYOTOで、ブルーエゴナクの「眺め」を観る。作・演出:穴迫信一。ブルーエゴナクは、福岡県北九州市を本拠地とする劇団である。出演:木之瀬雅貴、小関鈴音、野村明里、高山実花、平島恵璃香ほか。声のみの出演者が数名いる。

大きな観覧車のある街を舞台に、時間を前後する形で物語は進んでいく。
「過去編」と「未来編」に分かれているが、一族の四世代に渡る歴史と恋模様、将来の破滅または救済が描かれる。

背後にスクリーンがあり、ここに文字や映像が投影される。

日差し(木之瀬雅貴)と森ちゃん(小関鈴音)は、18歳。仲は良いのだが、「無視するゲーム」を行ったことから互いの関係にひびが入る。10年後、28歳になった日差しからのコメント(舞台の手前側にスタンドマイクが設置されており、ここでコメントが読まれる)で、森ちゃんとは別れてしまったことが確認出来るのだが、その後、二人は結婚し、女の子(名前は春望(はるの)。平島恵璃香)が生まれていることが分かる。
クモがコメントする場面(声:菅一馬)があり、これはノミ(野村明里)という女性の名前にも掛かっている可能性があるのだが、コメントに「クモが将来救済をもたらすことがある」というものもあり、おそらく芥川龍之介の童話「蜘蛛の糸」に掛かっているのだと思われる。

途中、タジマせかい(高山実花)という人物が登場し、子どもの頃に地元で行われた展覧会に有名な阿修羅像がやって来たこと、せかいが母親から「阿修羅像に似ている」と言われたことが語られる。その後、中学校の時に同級生のミカコが、アミノやヒガシタニという男子(これらの苗字も仏教絡みだろうか?)から「左側の阿修羅像に似ている」と言われるという話があり、せかいはミカコから「真ん中の阿修羅像に似ている」と言われる。
教科書にも載っている有名な阿修羅像ということで、興福寺阿修羅像のことだと思われ、この辺りが仏教的な救済に繋がっていそうだが、それは明示されることはない。


ところどころ日本語が妙なところがあったり、展開が複雑な割にそう特別なことが起こっている訳でもない(一応、「ディザスター(災害)」があって世界が危機に瀕していることにはなっているようだが)という難点があるが、あからさまに描かれない男女の物語と見た場合、なかなか愛らしい作品に仕上がっていたと思う。
なにはともあれ子どもという形で成就しているということは、親を始め多くの人の願いを叶えているという一つの希望である。少なくとも森ちゃんは父親の一番の望みを我が子にまで伝えている。

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2021年11月 1日 (月)

2346月日(35) 京都府立京都学・歴彩館 「吉川観方と風俗史考証の世界―コレクションの写真を中心に―」

2021年10月18日

下鴨にある京都府立京都学・歴彩館(京都府立大学の校舎と併用されている)の展示室で、「吉川観方と風俗史考証の世界―コレクションの写真を中心に―」を観る。

京都市に生まれ、幼時に大津で暮らした他は京都で生涯を過ごした日本画家、吉川観方(よしかわ・かんぽう。1894-1979)。京都府立第一中学校(現在の京都府立洛北高校の前身。今は下鴨にあるが、往時は京大に隣接した吉田近衛町にあった)卒業後、京都市立絵画専門学校(京都市立芸術大学美術学部の前身)予科に進み、同時期に江馬務主催の風俗研究会に参加している。京都市立絵画専門学校本科に進み、卒業後は松竹合名会社に入社して、南座で舞台意匠顧問として主に衣装などを手掛けるようになる。松竹退社後も業務提携を結び、映画などで衣装の監修を手掛けた。京都市立絵画専門学校はその後も研究科に通い、卒業後は大阪・道頓堀の劇場街で衣装考証なども手掛けている。京都の画家としては初めて大錦判の役者絵の版画を制作したとされ、今回の展覧会でも初代中村鴈治郎、二代市川左團次、十二代片岡我童の役者絵が展示されている。

有職故実の研究に始まり、江戸時代の小道具(鏡箱、鼻紙台などには丸に十字の島津の家紋が入っているが、大名の島津家のものなのかどうかは不明)などの収集に興味を持った観方は、江戸時代の習慣や装束などを復活させて写真に収めるという活動を行うようになる。1932年制作のペリー来航を描いた映画「黒船」の撮影に参加している写真が展示されているが、監督の名前がジョン・ヒューストンとジョージ・ヒューストンとに分かれている。ジョン・ヒューストン(「アフリカの女王」や「許されざる者」の監督のようである)が正解で、ジョージ・ヒューストンは誤記のようであった。ちなみにジョージ・ヒューストンという有名人物も実在していて、1930年代に西部劇の映画俳優として活躍していたようである。

先日、NHKアーカイブのFacebookが「島原おいらん道中復活」というモノクロの映像を配信していたが(島原にいるのは太夫であり、花魁はいないので誤りだが、当時の東京ではそうした情報は正確には把握出来ていなかったのだろう)、1947年に太夫道中を復活させたのも吉川観方であるようだ。

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2021年10月30日 (土)

コンサートの記(750) NISSAY OPERA 2021 プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」日本語訳詞版上演@フェニーチェ堺

2021年10月23日 フェニーチェ堺大ホールにて

午後2時から、フェニーチェ堺大ホールで、NISSAY OPERA 2021 プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。本業はバリトン歌手であるが、演出家、音楽学者、翻訳家など多分野で活躍し、『職業:宮本益光』という著作も出している才人、宮本益光の翻訳による日本語上演・字幕付きである。

指揮は園田隆一郎、演出は伊香修吾(いこう・しゅうご)という、今月上旬にびわ湖ホールでやはりプッチーニの歌劇「つばめ」を手掛けたコンビが続けての登場となる。演奏は大阪フィルハーモニー交響楽団。フェニーチェ堺の最寄り駅は南海堺東駅であるが、大阪フィルが事務所を構える大阪フィルハーモニー会館の最寄り駅である南海天下茶屋駅から堺東までは各駅停車で7駅と近い。余談だが、大阪フィルハーモニー会館は、元々は南海の工場があった場所に建っており、南海の社長だったか重役だったかが、当時の大阪フィルの音楽監督だった朝比奈隆と京都帝国大学時代の友人だったという縁で建設が実現している。

出演は、迫田美帆(さこだ・みほ。ミミ)、岸浪愛学(きしなみ・あいがく。ロドルフォ)、冨平安希子(ムゼッタ)、池内響(マルチェッロ)、近藤圭(ショナール)、山田大智(やまだ・たいち。コッリーネ)、清水良一(ベノア)、三浦克次(アルチンドロ)、工藤翔陽(くどう・しょうよう。パルピニョール)。合唱は、C.ヴィレッジシンガーズ。

数あるオペラ作品の中でも屈指の人気を誇る「ラ・ボエーム」であるが、ボヘミアン(ボエーム)を描いているということもあって女性の出演者が少なく、対立のドラマが(見かけ上は)存在しないという特殊なオペラでもある。


今回の上演では、ミミが最初から舞台中央のソファベッドにおり、それを表すかのような第4幕の音楽が前奏として付けられているのが最大の特徴である。ミミはほぼ出ずっぱりである(ミミがこの部屋から出ることは一度もない。第1幕のラストでもドアの外までは出るが、階段を降りることはない。また本来の登場の場面も、ドアから入ってくるのではなくではなく、窓際に不意に立っているという設定になっている)が、他の出演者にミミの姿が見えないという場面が存在(特に最初の方は、ラ・ボエーム達がミミの姿に気づかないまま話が展開していく)しているため、リアルな女性ではないということが分かる。あの世へ行ったミミの回想のドラマというコンセプトらしいのだが、芸術家の卵達を描いた作品ということで、ミミを「ミューズ」と見立てたという解釈が一番面白いように思う。これなら単なる「視座」ではなく、「見守る女神」の視点となり、ミミの死が芸術家達の青春の終わりに繋がって、より効果的であり、私ならそうするが、中途半端なのを見ると(第4幕ではムゼッタも見えない存在として登場してしまう)そうでもないようである。ミミがずっといるからミミに焦点を当てたドラマになるということでもないため、それならばふいに現れては去って行くミミの儚さを強調した方が良いように思われる。あるとすれば、実はミミではなく、この部屋つまり彼らの青春の空間が主人公であり、ミミがその象徴としての役割を持つという可能性である。これならまあまあ面白いかも知れない。コロナ対策として取られた演出という面もあったようなのだが、6月の日生劇場の公演での評判を受けての堺公演でかなりの不入りということで、観客に受け入れられなかった可能性もある。

上演は基本的には全て室内で行われる。第2幕のカルチェ・ラタンの群衆の声は窓の外から聞こえ、第1幕でラ・ボエーム達が集っていた部屋(画家のマルチェッロが家主である)がそのままカフェ・モミュスに移行するというわけで、ムゼッタとアルチンドロは下手にある窓から屋内へ入って来て、ボエーム達も窓から退場する。リアルな演出でないため、これでも良いわけである。第3幕冒頭のアンフェール(インフェルノ)門の場面も屋外ではなく、部屋がそのまま移行して関税徴収所の内部として描かれる(舞台美術:二村周作)。

日本語による上演であるが、歌詞が日本語になったからといって聴き取りやすくなったということもなく(イタリア語に比べれば分かりやすい場面も多いが)やはり字幕に頼る場面も多かった。

フェニーチェ堺大ホールに来るのは二度目で、初のオペラ上演体験となるが、空間自体がそれほど大きくはないため(3階席の最前列で観たが、視界も良好である)、オペラには音響面でも「ジャストフィット」という印象である。オーケストラの音も通りやすく、歌声も聴きやすくて、声を張り上げても壁がびりつくということもない。歌手達の演技も上質だったように思う。

大阪フィルは、ドイツ音楽に特化した低音豊かな音が特徴だが、これがあたかもバリトンのカンタービレのように響き、こうしたイタリア音楽の再現も悪くない。園田隆一郎の音作りも「手慣れ」を感じさせつつ新鮮という理想的なものであった。

なかなか感動的な「ラ・ボエーム」であったが、演出が前衛と正統の中間であるため、どっちつかずの印象も受けてしまったのも確かである。

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2021年10月29日 (金)

観劇感想精選(415) 安部公房原作 シス・カンパニー公演「友達」

2021年10月4日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後6時から、西梅田のサンケイホールブリーズで、シス・カンパニー公演「友達」を観る。作:安部公房、演出・上演台本:加藤拓也。出演:浅野和之、山崎一、キムラ緑子、林遣都、岩男海史、大窪人衛、富山えり子、有村架純、伊原六花(いはら・りっか)、鈴木浩介、西尾まり、内藤裕志(ないとう・ひろし)、長友郁真、手塚祐介、鷲尾真知子。なかなかの豪華キャストである。

安部公房の「友達」は、自身の短編小説「闖入者」を基にした戯曲で、1967年に青年座で初演されている。三島由紀夫が絶賛する一方で、不条理演劇の第一人者であった別役実は「文学性と演劇性」について疑問を呈していたりする。
ある男のところに突然、「家族」を名乗る人々が押しかけるという内容で不気味でもあり、正直、観ていて気持ちのよくなる舞台ではない。

安部公房の原作は、基本ラインとしては「連帯に押しつぶされる『個』」を描いている。その背後には広がりつつあった都市と地方の文化的距離(何度も繰り返し歌われるテーマソング「友達のブルース」の歌い出しが“夜の都会は”であることは象徴的である)や皆が同じ方向を向いていた高度成長期の中で埋もれていく「個人」の問題などが横たわっているのだが、加藤拓也は主題をインターネット時代の「無自覚の暴力」に変更し、「闖入者」で描かれた部分を多く取り入れている。ただそれが期せずして加藤が意図したものとは異なる「友達」の一面を浮かび上がらせることになった。

主人公の男(鈴木浩介が演じている。眼鏡がトレードマークの鈴木だが、今回は眼鏡なしでの出演である)は、独身だが婚約者(西尾まりが演じている)もおり、特に不自由なく暮らしていたのだが、ある日突然、9人の「家族」が押しかけ、男の家で勝手に生活を始めたばかりか、男の役割=仕事も多数決で決めてしまう。多数決といっても押しかけた家族9人が全員賛成で、反対するのは部屋の主である男だけということで、「家族」達のわがままが全て通ってしまう。朝食を作ったりといった「家族」のための仕事を押しつけられた男は仕事を辞めざるを得なくなり、婚約者とも別れる。そして元となった婚約者は「家族」の長男(林遣都)と付き合うようになる。そんな目に遭いながらも男が「家族」を受け入れていたのは、思わせぶりな態度を取る次女(有村架純)に惚れていたからでもあり……。

「孤独」はいけないことと言って押し寄せ、「連帯」を押しつけてくる「家族」のやり口の陰湿さには見ていて嫌悪を感じるのだが、実は男と「家族」とは合わせ鏡のような存在にも見えてくる。「家族」のうち、長男は探偵として働いたことがあり、次男(岩男海史)も警察学校を出ているようなのだが、今は共に職についておらず、父親(山崎一)は「犬に言葉を教える研究家」であるが、生活のための糧は得られていない。ということで、寄生主を探して彷徨っているという根無し草のような存在である。なお、男と「家族」以外の登場人物、婚約者、警官(長友郁真と手塚祐介)、アパートの管理者(鷲尾真知子)は腰に縄を巻いており、世界と結びついていることが分かる。男と「家族」にはそれがなく、世界を当て所なく彷徨う存在であることが暗示されている。

「家族」の人々は、ありのままの自分を受け入れてくれる誰かを求めているが、そんな人も場所も見つかる訳はない。集団ではあるが、あるいは集団であるが故に彼らは怖ろしく孤独な存在だ。そんな孤独な集団を引き受けることになった男は、次女の存在を欲しており、得られないことで元々意識していなかった孤独を深めていく。欲するがために受け入れ、依存し、互いが孤独を深めていくという不幸な関係は、実際のこの世界でもありふれた構図である。
結果として、こうした事態が実を結ぶことはなく、孤独な人々はいつまでも彷徨い続けることになる。


鈴木浩介と西尾まりは、私と同じ1974年生まれで、婚約者同士を演じるのにぴったりの関係である。実際には鈴木浩介は、一回り下の大塚千弘と結婚しているのであるが。

有村架純を舞台で観るのは初めてだが(7年ぶりの舞台となるらしい)、一目見て有村藍里と姉妹であることが実感される。見た目も似ているが、漂わせている雰囲気が同じである。

有村架純は、兵庫県出身だが、そのためにこちらの人は親しみを抱いているのか、終演後、感想などを語り合う人々はみな「架純ちゃん」と「ちゃん」付けで呼んでいた。

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2021年10月27日 (水)

「全国龍馬ファンの集い関東大会 in 横浜」2014 尾﨑正直高知県知事(当時)講演より『竜馬がゆく』と高知県

2014年10月18日 横浜大さん橋ホールにて

「全国龍馬ファンの集い関東大会 in 横浜」。前半のメインは、高知県知事である尾﨑正直氏による講演である。

尾﨑はまず土佐藩はどちらかというと徳川に親しみを抱いていた藩(山内容堂公も公武合体派であり、徳川征討に最後まで反対したのも他ならぬ容堂公である)であり、長州や薩摩のように藩が一体になって立ち上がったというケースとは異なるということを述べる。土佐の場合は龍馬もそうだが、脱藩した志士達が個々に新しい時代を模索していた。

尾﨑氏は高知市出身であり、中学校2年生ぐらいの頃に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで感銘を受けたというが、坂本龍馬が勉強を余りしなかったということから勉強が嫌いにもなったという。『竜馬がゆく』の中にある武市半平太に対する「あたら勉強が出来たために創造性を発揮出来なかった」というような記述も影響したそうだ。
しかし、1985年に、司馬遼太郎が高知市で、坂本龍馬生誕150周年のイベント(坂本龍馬は新暦に直すと1836年1月3日生まれであるが。旧暦の生年月日である天保6年11月15日の、「天保6年」は大部分が1835年になるのである)で行った講演を聞いた尾﨑は衝撃を受けたという。
司馬遼太郎は、船で高知入りしたようであるが、高知市民が龍馬の格好をしたり「龍馬」と書かれた旗を持っているのを見て、「奇妙なことですね。高知県民は四国の中でも独自のプライドを持つ県民だったはずなのに。まるでみんな自分を龍馬に仮託しているかのようです。聞くところによると、高知県の高校生の成績は四国の中で最低だそうですね。みんな龍馬が勉強をしなかったからといって自分もしなくていいと思っているんでしょうか」と述べたという。確かに当時の高知県の高校の偏差値は四国の中で最も低かったとのこと。司馬は「坂本龍馬というのは、あくまで特定の時代の人物であり精神である。真似をしても仕方がない」と言い切ったそうである。

この司馬遼太郎の講演は全国龍馬社中の会長である橋本邦健氏も聞いていたそうだが、橋本もやはり衝撃を受けたそうである。

尾﨑は、『竜馬がゆく』の中にも「竜馬が議論に負けないよう一生懸命本を読んだという下りがある(龍馬が漢文で書かれた本を読んでいる。他の者が書き下しで読み上げてみるよう龍馬に要求すると、龍馬が滅茶苦茶な読みをしたのでみんな笑ったが、内容を問うてみると寸分違わず理解しているため全員が驚いた、という場面が有名である。司馬遼太郎は「特異な才能」と評している)」として、龍馬が決して勉強を疎かにしていたわけではないことも強調していた。

尾﨑正直は、今、高知県の高校生の学力増強に取り組んでいるそうだが、単なる詰め込みでなく創造性を発揮出来るような教育方針も採っているという。

そういえば、高知県出身の漫画家は沢山いて、漫画甲子園は毎年高知市で行われるほどだが、小説家となるとなぜか「宮尾登美子、以上」となってしまう。これは謎である。

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2021年10月25日 (月)

「全国龍馬ファンの集い関東大会 in 横浜」2014 大友啓史監督トークショーより「龍馬伝」について

2014年10月18日 横浜大さん橋ホールにて

大河ドラマ「龍馬伝」の演出家で、映画「るろうに剣心」の監督である大友啓史の講演が始める。勝海舟の玄孫である高山みな子をコーディネーターとしてのトークである。

大友監督は「いかにも業界人」といった風の飄飄とした雰囲気で登場する。思っていたよりも軽い感じの人であったが、話の内容は興味深かった。「龍馬伝」は構想から完成まで3年を要したが、「龍馬伝」の企画が立ち上がった頃に、丁度、アメリカではバラク・オバマ大統領が当選し、「チェンジ!」をスローガンに掲げていた。そのため、大友も「大河ドラマにもチェンジが必要だ」として、これまでの大河ドラマの慣例から外れた手法を採用したという。まず、セットであるが、天井も部屋割りもある本当の家屋と同じようなものを造っている。これは今も高知駅前の記念館に保存されており、有料ではあるが実際にセットに上がることが出来る。普通は屋内のセットには天井がなく、上からは照明が当たっているのだが、大友監督は「上を見たときに照明が目に入ったら、なりきっている役から役者本人に戻ってしまうのではないか」との考えから敢えて天井のあるセットを拵えたそうだ。当然のように照明担当からはクレームが殺到したそうだが、「これは龍馬伝だから」と押し切ったそうである。

大友監督は、チェンジには二つ方法があって、まず周囲を変える。実際、「龍馬伝」からはカメラなどの機材も新しいものが導入されたそうである。もう一つは自分を変えることで周囲が変わって見える。大友監督は、細かいカット割りが基本であるテレビの撮影法に敢えて背き、長回しが基本で、数台のカメラで撮影という方法を採用したそうである。その方法だと、VTRの量が通常のドラマの4倍から5倍になってしまったそうで、編集に時間が掛かり、制作からもクレーム殺到だったそうだが、長回しをすることで、役者が役になり切っている時間を撮ることが出来たという。近江屋事件のシーンは16分間長回しだそうであるが、確かに独特の感じは出ていたように思う。長回しだと演技が粗くなるという欠点もあるが、役者が意図した以上の演技が生まれる可能性がある。

ドラマで求められる演技力は瞬発力であり、映画では短時間の演技維持力である。最も演技力が求められるのはやはり演劇で、2時間かそれ以上に渡って役であり続けなければならない。それもロングランになるとそうした状態が3ヶ月以上続くこともある。ただ、演劇における演技でも終演まで上手く演じきるための計算は必要であり、そうした計算は役になり切っていない客観的な部分で行う必要がある。そのため、演劇でも出番の長い主要キャストの場合は、どんなに没入型の俳優でも完全に役になり切ることは出来ないし、やってはならないのである。やってしまっては様にならないのだ。

ただ、ドラマで期限を設けない長回しの場合は100%役になりきれるし、なっても構わない。映像であるため上手くいかなくなると「カット」が掛かり、打ち切りや、やり直しが利くのである。言い換えると「カット」が掛かるまでは存分に役になり切ることが出来るということになる。
大友監督によると、福山雅治が長回しで役になり切った後には、「風が吹く」ような感覚があったという。

大友監督は、映画「るろうに剣心」についても、「続『龍馬伝』です」と語り、「龍馬伝」では人斬りの岡田以蔵を演じていた佐藤健が、主役の緋村剣心を演じていることは繋がっていると語っていた。

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2021年10月21日 (木)

松本幸四郎・桂米團治特別出演 杵屋勝七郎主催「響の宴」@ロームシアター京都サウスホール

2021年10月17日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後5時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、「響の宴」を観る。本来は三味線の杵屋勝七郎の還暦を祝って、今年に2月に行われるはずの公演だったが、コロナによって延期。当初は、松本幸四郎、片岡愛之助、中村壱太郎、尾上右近ら歌舞伎俳優を招いて盛大に行われる予定だったが、歌舞伎俳優は毎日のように公演に出演しているため出演予定は一旦白紙に。ただ松本幸四郎だけは、襲名披露の時にお世話になったということで、「10月は芝居を休みます」と言ってくれたそうで、今回出演することになった。

そして、杵屋勝七郎とは20年来の付き合いだという桂米團治も「黒塚」の語りとして出演することになった。米團治はこの夏に公式YouTubeチャンネルを立ち上げたが、第1回ゲストが杵屋勝七郎だったという。米團治は今日、奈良で本番があったのだが、ロームシアターでの出番に間に合うよう、登場順を繰り上げて貰ったそうである。


演目は、「三番叟」、杵屋勝九郎襲名披露でもある「廓丹前」、「鷺娘」、「蜘蛛拍子舞」、「娘道成寺」(立方:井上安寿子、尾上京、花柳双子、若柳佑輝子)、「黒塚」(語り:桂米團治)、「流れ」(立方・振付:松本幸四郎)。なお、幸四郎は「蜘蛛拍子舞」では、藤舎呂照の名で立鼓を打った。

三味線は基本的には杵屋一門で構成されるが、「三番叟」では祇園甲部の小花が、「鷺娘」では先斗町のひづるが、いずれも紅一点として加わった。


「娘道成寺」で舞う4人は、京躍花(きょうようか)という団体名でも活動しているようである。苗字からも分かる通り、京都の五花街うち祇園東を除く四つの花街を代表する若手舞踊家で構成されている(井上流=祇園甲部、尾上流=先斗町、花柳流=上七軒、若柳流=宮川町)。なお、一つだけ入っていない祇園東の舞の流派は藤間流だが、松本幸四郎(本名:藤間照薫。ふじま・てるまさ)は、藤間流から分かれた松本流の家元で、名取名は松本錦升である。
京舞の振りはそれぞれ異なるので、折衷したものを舞っているようである。というよりそうしないとバラバラになってしまう。
私自身は観ていて楽しかったが、終演後の声を聞くと、やはり他流試合ということで不満を感じた人も多かったようである。


「黒塚」。舞台中央に高座がしつらえられ、桂米團治が上がって語る。まず本物の邦楽演奏を出囃子として貰った喜びを語る。ちなみに出囃子の「三下がり鞨鼓」は「娘道成寺」の曲だそうである。
「黒塚」は同名の能を原作とする作品で、市川猿之助の当たり役、というところから入るのだが、「黒塚」の前日譚である「安達ヶ原」の内容を語っていく。時は平安。京の公家に仕える岩手という美しい乳母がいた。彼女には娘が一人いたのだが、世話をしている姫が5歳になっても一言も喋らない。そこで占い師に見て貰ったところ、「妊婦の腹の中にある胎児の生き肝を飲ませば治る」という結果が出た。岩手は娘を京に残し、妊婦の生き肝を探して遠く陸奥に下る。
現在の福島県二本松市にある安達ヶ原で長の年月、岩屋に籠もっていた岩手のところにある日、若い夫婦がやって来る。妻の方は産気づいていた。岩手は絶好の機会と見て、夫が出掛けた隙に妻を殺害し、胎児の生き肝を手に入れるのだが、死に際に妻が発した言葉により、妻の正体が岩手の実の娘であったことが分かる。かくて岩手は発狂し、岩屋を訪れる旅人を殺害してはその肉を貪り食らうことになる。という話なのだが、
米團治「これじゃ能に出来ませんわな」
ということで、その後の話として能「黒塚」が作られ、それが歌舞伎や謡曲へと発展している。


米團治が退場し、三味線と長唄による「黒塚」。特別ゲストとして、箏の大石祥子と尺八の石川利光が参加する。
謡を聞き取るのに慣れておらず、しかも座席のシートの薄いロームシアター京都サウスホールで上演時間約1時間という長編の「黒塚」ということで、臀部の痛みと戦いながらの鑑賞となる。消耗戦となったが、冴え冴えとした邦楽の音色などは楽しむことが出来た。


松本幸四郎の振付・踊りによる「流れ」。幸四郎の長着の色は浅葱に近いが、「流れ」というタイトルなので、「水色」とするのが一番良いだろう。もっとも、流れるのは水だけではない。時間も人の心も流れる。
そんな「流れ」を表す幸四郎の淀みない動きを見ている内に、先ほどまで感じていた疲労がすっと抜けていくような不思議な感覚にとらわれる。まるで「神事」に接して身を清められたかのようだ。


千穐楽(カーテンコール)。まず杵屋勝七郎のコメントであるが、「もう還暦なので涙腺が(崩壊しそう)」「満員のお客さんの圧を感じるのは2年ぶり」ということで感慨ひとしおのようである。勝七郎が感激の余り落ちが付けられないと察した米團治が幸四郎に話を振る。幸四郎は、「伝統芸能は絶えることがない。そのことを(客席の)皆様に、なにより勝七郎さんに実感させられました」という内容の言葉を述べた。

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