2025年5月14日 (水)

コンサートの記(902) 「~浜松国際ピアノコンクール日本人初優勝記念~ 鈴木愛美ピアノ・リサイタル」2025@箕面

2025年4月29日 箕面市立文化芸能劇場大ホールにて

午後2時から、箕面市立文化芸能劇場大ホールで、「~浜松国際ピアノコンクール日本人初優勝記念~ 鈴木愛美ピアノ・リサイタル」を聴く。

YAMAHA、KAWAI、Rolandなどが本社を置き、楽器の街として知られる静岡県浜松市。とりわけピアノの生産は盛んであり、ACT浜松の「浜松ショパンの丘」には、ワルシャワのものと同等のショパン像が置かれているなど、ピアノに関しては日本一のイメージを誇る(なぜか家庭のピアノ所有率は、静岡県は奈良県に負けるようだが)。そんな街に出来た浜松国際ピアノコンクールであるが、これまで日本人の優勝者は現れなかった。それが昨年、第12回目の大会において、鈴木愛美(まなみ)が優勝に輝いている。合わせて室内楽賞、聴衆賞、札幌市長賞(浜松市と札幌市とは文化交流を行っており、優勝者は札幌で演奏会を行うことが出来るという特典)、ワルシャワ市長賞を受賞している。
鈴木は、2023年の第92回日本音楽コンクールピアノ部門でも第1位および岩谷賞(聴衆賞)など多くの賞を受けている。
関西テレビ主催のこの公演。鈴木は、関西テレビのエンターテインメント紹介番組「ピーチケパーチケ」にも事前に出演しているが、そこでコンクールはもう受けないと断言している。浜松国際ピアノコンクール優勝者は、ショパンコンクールへの優先出場権(予選なしで本選に参加出来る)も貰えるはずだが、鈴木は、「出ません」と即答している。コンクールはいくつも受けるものではないという考えのようだ。

 

箕面市立文化芸能劇場大ホールの最寄り駅は、Osaka Metro箕面船場阪大(はんだい)前という、終点の一つ手前の駅。その名の通り大阪大学(大阪大学自体は勿論有名だが、略称の「はんだい」は実はそれほど有名ではない。関東出身者で京都大学を受ける人は多いが、大阪大学を受ける人は余りいないため、略称もスルーされていたりする。「阪大」と漢字で書くと分かるはずだが、口頭で「はんだい」と言っても話題が大学のこと以外だったりすると、「はんだいって何?」となる可能性がある。関西出身者は案外気付いていない)箕面新キャンパスの最寄り駅である。箕面新キャンパスは以前は国立大阪外国語大学だった外国語学部の講義棟が聳えているが、敷地の狭いビルキャンパスで、新しいキャンパスであるため学生街なども構築されておらず、旧帝国大学のキャンパス前にしては寂しい。地下鉄のフロアから地上までは、東京芸術劇場のそれを思わせるかなり長いエスカレーターで上がる。

箕面市立文化芸能劇場大ホールは、阪大の校舎よりも手前にあるが、実は、5月1日からネーミングライツで、東京建物 Brillia HALL 箕面 大ホールに一般的な名称が変わる予定で、箕面市立文化芸能劇場大ホールという名で公演を行うのはどうも今日が最後のようだ(正式名称に変更はないと思われるが)。
箕面にはメイプルホールという地方都市としては比較的キャパの大きいホールがあるが、フル編成のオーケストラ公演などはメイプルホールでやって、中規模コンサートや室内楽、器楽、演劇公演や落語などはこちらに回すようである。
また図書館など一部の施設は大阪大学と併用である。

 

鈴木愛美は、2002年生まれ(やれやれ、俺が京都に越した年だぜ)。箕面市出身で、今回が凱旋公演となる。大阪市内の音楽科を持つ公立高校としては最も有名な大阪府立夕陽丘(ゆうひがおか)高校音楽科を経て、東京音楽大学器楽専攻ピアノ演奏家コースに進学。首席で卒業し、現在は東京音楽大学大学院修士課程に特別奨学生として在籍中。先の土日に、びわ湖ホールで行われた、びわ湖の春 音楽祭2025にも参加している。

 

箕面市立文化芸能劇場大ホールの内装であるが、側壁の木枠が箕面の滝を表していることは分かるのだが、正面と上方の白い壁に描かれた模様がなんなのかは不明。バラバラにした都道府県のようにも見え、高知県や愛媛県や栃木県に似たものはあるが、他は似ておらず、都道府県ではないようだ。

今日は前から3列目の真ん中で良い席である。ピアノの響きのとても良いホールであった。

 

曲目は、ハイドンのピアノ・ソナタ第13番、シューベルトの3つのピアノ曲より第2番、シューベルトの高雅なワルツ集、リストの「ウィーンの夜会」(シューベルトのワルツ・カプリス)第6番、シューマンの幻想小曲集。
リスト以外は、独墺系の曲目が並ぶが、リストの曲もシューベルト作品を基にしたものであるため、実質、オール独墺系プログラムである。

 

鈴木愛美は、一昨日同様、比較的質素な黒の上下で登場する。

 

ハイドンのピアノ・ソナタ第13番は、浜松国際ピアノコンクールで演奏して高い評価を受けた曲である。ハイドンというと、「交響曲の父」「パパ・ハイドン」のイメージで、交響曲や弦楽四重奏曲、宗教曲のイメージが強いが、鈴木はハイドンのピアノ・ソナタを、明るくチャーミング、第3楽章では憂愁を込めて演奏し、魅力な曲として再現する。

 

シューベルトの2曲も、歌心と造形美からたまににじみ出るほの暗さなどを巧みに表現。
ペダリングはオーソドックスで、ソフトペダルの上に置いた左足をたまに跳ね上げる時があるが、特に音楽的効果を狙ったものではないようだ。ただ、超弱音の時にはソフトペダルをぐっと踏み込んでいた。

 

リストの「ウィーンの夜会」第6番はスケールの大きさと華やかさが際立つ演奏。リストの作品だが、シューベルトの原曲だけに寂寥感が顔を覗かせる。

 

メインであるシューマンの幻想小曲集。音楽に文学的要素など様々なものを持ち込んだシューマン。その複雑性やいびつさなどをそのままに音楽にした作品であり、演奏である。可愛らしさ、謎めいた部分、奥深さなど様々な表情の曲が続く。
そんな中で、「子供の憧憬」をそのまま持ち込んだような第6曲「寓話」のノスタルジアの表現が特に良かった。他の曲も構築感と造形美が目立つ。きっちりとした構造設計がこの若いピアニストの最大の特徴と言えるかも知れない。

 

演奏終了後、鈴木はマイクを手にスピーチ。まだコンサートには全然慣れていない感じである。
「聴きに来て下さってありがとうございます。宣伝になってしまうんですが、6月7日に、豊中?(舞台下手を見る。ドアは閉じられていて何も見えない)豊中市立文化芸術センターでベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾きます。指揮は飯森先生です」

アンコール演奏は、一昨日のびわ湖の春 音楽祭2025で、びわ湖ホール小ホールでも弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第18番「幻想」より第1楽章。鈴木は、「タイトル通り幻想とか憧れといった様々な」要素を入れた曲だと解説して演奏開始。しっかりとした手応えのあるスケール豊かな演奏である。そしてシューベルトだからかも知れないが、流れよりも構築感を重視しているように聞こえる。ピアノの音はびわ湖ホール小ホールよりも箕面市立文化芸能劇場大ホールの方がクリアで良い。

アンコール演奏は本来は1曲だけだったようだが、やはりびわ湖ホール小ホールでも弾いたシューベルトの「楽興の時」第3番も演奏する。シューベルトの全ピアノ曲の中で最も弾かれているといわれる曲だが、若さ故のキレもあって、愛らしい演奏となった。

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コンサートの記(902) 「~浜松国際ピアノコンクール日本人初優勝記念~ 鈴木愛美ピアノ・リサイタル」2025@箕面

2025年4月29日 箕面市立文化芸能劇場大ホールにて

午後2時から、箕面市立文化芸能劇場大ホールで、「~浜松国際ピアノコンクール日本人初優勝記念~ 鈴木愛美ピアノ・リサイタル」を聴く。

YAMAHA、KAWAI、Rolandなどが本社を置き、楽器の街として知られる静岡県浜松市。とりわけピアノの生産は盛んであり、ACT浜松の「浜松ショパンの丘」には、ワルシャワのものと同等のショパン像が置かれているなど、ピアノに関しては日本一のイメージを誇る(なぜか家庭のピアノ所有率は、静岡県は奈良県に負けるようだが)。そんな街に出来た浜松国際ピアノコンクールであるが、これまで日本人の優勝者は現れなかった。それが昨年、第12回目の大会において、鈴木愛美(まなみ)が優勝に輝いている。合わせて室内楽賞、聴衆賞、札幌市長賞(浜松市と札幌市とは文化交流を行っており、優勝者は札幌で演奏会を行うことが出来るという特典)、ワルシャワ市長賞を受賞している。
鈴木は、2023年の第92回日本音楽コンクールピアノ部門でも第1位および岩谷賞(聴衆賞)など多くの賞を受けている。
関西テレビ主催のこの公演。鈴木は、関西テレビのエンターテインメント紹介番組「ピーチケパーチケ」にも事前に出演しているが、そこでコンクールはもう受けないと断言している。浜松国際ピアノコンクール優勝者は、ショパンコンクールへの優先出場権(予選なしで本選に参加出来る)も貰えるはずだが、鈴木は、「出ません」と即答している。コンクールはいくつも受けるものではないという考えのようだ。


箕面市立文化芸能劇場大ホールの最寄り駅は、Osaka Metro箕面船場阪大(はんだい)前という、終点の一つ手前の駅。その名の通り大阪大学(大阪大学自体は勿論有名だが、略称の「はんだい」は実はそれほど有名ではない。関東出身者で京都大学を受ける人は多いが、大阪大学を受ける人は余りいないため、略称もスルーされていたりする。「阪大」と漢字で書くと分かるはずだが、口頭で「はんだい」と言っても話題が大学のこと以外だったりすると、「はんだいって何?」となる可能性がある。関西出身者は案外気付いていない)箕面新キャンパスの最寄り駅である。箕面新キャンパスは以前は国立大阪外国語大学だった外国語学部の講義棟が聳えているが、敷地の狭いビルキャンパスで、新しいキャンパスであるため学生街なども構築されておらず、旧帝国大学のキャンパス前にしては寂しい。地下鉄のフロアから地上までは、東京芸術劇場のそれを思わせるかなり長いエスカレーターで上がる。

箕面市立文化芸能劇場大ホールは、阪大の校舎よりも手前にあるが、実は、5月1日からネーミングライツで、東京建物 Brillia HALL 箕面 大ホールに一般的な名称が変わる予定で、箕面市立文化芸能劇場大ホールという名で公演を行うのはどうも今日が最後のようだ(正式名称に変更はないと思われるが)。
箕面にはメイプルホールという地方都市としては比較的キャパの大きいホールがあるが、フル編成のオーケストラ公演などはメイプルホールでやって、中規模コンサートや室内楽、器楽、演劇公演や落語などはこちらに回すようである。
また図書館など一部の施設は大阪大学と併用である。


鈴木愛美は、2002年生まれ(やれやれ、俺が京都に越した年だぜ)。箕面市出身で、今回が凱旋公演となる。大阪市内の音楽科を持つ公立高校としては最も有名な大阪府立夕陽丘(ゆうひがおか)高校音楽科を経て、東京音楽大学器楽専攻ピアノ演奏家コースに進学。首席で卒業し、現在は東京音楽大学大学院修士課程に特別奨学生として在籍中。先の土日に、びわ湖ホールで行われた、びわ湖の春 音楽祭2025にも参加している。


箕面市立文化芸能劇場大ホールの内装であるが、側壁の木枠が箕面の滝を表していることは分かるのだが、正面と上方の白い壁に描かれた模様がなんなのかは不明。バラバラにした都道府県のようにも見え、高知県や愛媛県や栃木県に似たものはあるが、他は似ておらず、都道府県ではないようだ。

今日は前から3列目の真ん中で良い席である。ピアノの響きのとても良いホールであった。


曲目は、ハイドンのピアノ・ソナタ第13番、シューベルトの3つのピアノ曲より第2番、シューベルトの高雅なワルツ集、リストの「ウィーンの夜会」(シューベルトのワルツ・カプリス)第6番、シューマンの幻想小曲集。
リスト以外は、独墺系の曲目が並ぶが、リストの曲もシューベルト作品を基にしたものであるため、実質、オール独墺系プログラムである。


鈴木愛美は、一昨日同様、比較的質素な黒の上下で登場する。


ハイドンのピアノ・ソナタ第13番は、浜松国際ピアノコンクールで演奏して高い評価を受けた曲である。ハイドンというと、「交響曲の父」「パパ・ハイドン」のイメージで、交響曲や弦楽四重奏曲、宗教曲のイメージが強いが、鈴木はハイドンのピアノ・ソナタを、明るくチャーミング、第3楽章では憂愁を込めて演奏し、魅力な曲として再現する。


シューベルトの2曲も、歌心と造形美からたまににじみ出るほの暗さなどを巧みに表現。
ペダリングはオーソドックスで、ソフトペダルの上に置いた左足をたまに跳ね上げる時があるが、特に音楽的効果を狙ったものではないようだ。ただ、超弱音の時にはソフトペダルをぐっと踏み込んでいた。


リストの「ウィーンの夜会」第6番はスケールの大きさと華やかさが際立つ演奏。リストの作品だが、シューベルトの原曲だけに寂寥感が顔を覗かせる。


メインであるシューマンの幻想小曲集。音楽に文学的要素など様々なものを持ち込んだシューマン。その複雑性やいびつさなどをそのままに音楽にした作品であり、演奏である。可愛らしさ、謎めいた部分、奥深さなど様々な表情の曲が続く。
そんな中で、「子供の憧憬」をそのまま持ち込んだような第6曲「寓話」のノスタルジアの表現が特に良かった。他の曲も構築感と造形美が目立つ。きっちりとした構造設計がこの若いピアニストの最大の特徴と言えるかも知れない。


演奏終了後、鈴木はマイクを手にスピーチ。まだコンサートには全然慣れていない感じである。
「聴きに来て下さってありがとうございます。宣伝になってしまうんですが、6月7日に、豊中?(舞台下手を見る。ドアは閉じられていて何も見えない)豊中市立文化芸術センターでベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾きます。指揮は飯森先生です」

アンコール演奏は、一昨日のびわ湖の春 音楽祭2025で、びわ湖ホール小ホールでも弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ第18番「幻想」より第1楽章。鈴木は、「タイトル通り幻想とか憧れといった様々な」要素を入れた曲だと解説して演奏開始。しっかりとした手応えのあるスケール豊かな演奏である。そしてシューベルトだからかも知れないが、流れよりも構築感を重視しているように聞こえる。ピアノの音はびわ湖ホール小ホールよりも箕面市立文化芸能劇場大ホールの方がクリアで良い。

アンコール演奏は本来は1曲だけだったようだが、やはりびわ湖ホール小ホールでも弾いたシューベルトの「楽興の時」第3番も演奏する。シューベルトの全ピアノ曲の中で最も弾かれているといわれる曲だが、若さ故のキレもあって、愛らしい演奏となった。

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2025年5月12日 (月)

コンサートの記(901) びわ湖の春 音楽祭2025~挑戦~より 鈴木愛美、阪哲朗指揮京都市交響楽団

2025年4月27日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールおよび小ホールにて

びわ湖ホールで行われている、びわ湖の春 音楽祭2025~挑戦~から2公演を聴く。
びわ湖ホールでの春の音楽祭は、ラ・フォル・ジュルネびわ湖に始まり、その後、沼尻竜典芸術監督の下で独立して、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」となり、阪哲朗が芸術監督に就任すると同時に、「びわ湖の春 音楽祭」に改称された。毎年タイトルを掲げてきたが、今年は、~挑戦~ となっている。ただプログラムを見ても何が挑戦なのかはよく分からない。プログラム以外での意味なのかも知れない。
沼尻時代はオペラの上演を目玉にしていたが、今はそうしたことはない。

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午後3時45分から、小ホールで、鈴木愛美(まなみ)のピアノコンサートを聴く。上演番号は、27-S-4。27日のSmallホールでの4公演目という意味である。

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昨年11月に行われた第12回浜松国際ピアノコンクールで、日本人初となる第1位を獲得したことで知名度を上げた鈴木愛美。大阪府箕面市生まれ。大阪府立夕陽丘(ゆうひがおか)高校音楽科を経て、東京音楽大学器楽専攻(ピアノ演奏家コース)を首席で卒業。現在、東京音楽大学大学院修士課程に特別奨学生として在学中である。明後日、自身初となる本格的なピアノリサイタルを出身地の箕面で行う予定である。
出身作曲家は多いし、演奏家自体ももちろん生んでいるが、なかなか有名演奏家が輩出しなかった東京音楽大学。だが、まず、広上淳一教授による改革で、「指揮者になるなら東京音大」と言えるほどに指揮科が充実。次いで、特別奨学生という形ではあるが、藤田真央、辻彩奈などが卒業し、器楽部門もソリストが台頭してきた。広上淳一によると彼の在学中は、「大学自体が『指揮者になれるものならなってみろ』という態度」だったようだが、今は大学全体が本気を出しているようである。

 

曲目は、シューベルトのピアノ・ソナタ第18番「幻想」

黒の上下という質素な格好で現れた鈴木愛美。厳格にドイツのピアニズムを守るかのような、スケール豊かで渋みのある演奏である。ドイツ音楽の演奏は、ドイツの演奏家によるローカル色の強いものを経て、徐々にインターナショナルな方向へと進んできた。教育の失敗があったといわれるがドイツ・オーストリア系の音楽家が減り、様々な国から演奏家が生まれるようになり、人々のドイツ音楽信仰も徐々に薄れつつあったが、ここへ来て、「ドイツ音楽はドイツ音楽らしさを守って」という動きが出てきたように思う。
だからといって、音の彩りを欠いた演奏という訳ではなく、日だまりような温かな音色も奏でた鈴木。

演奏終業後、「お聴き下さりありがとうございました。アンコール演奏を行いたいと思います。シューベルトの楽興の時第3番」と、喋り慣れていない調子で紹介。ただ演奏は設計のしっかりしたものであった。

 

次いで、大ホールで午後5時から行われるファイナル・コンサート。演奏会番号は、27-L-2。Largeホールでは今日は2公演しか行われないようである。演奏は、阪哲朗指揮の京都市交響楽団。びわ湖ホールでの音楽祭は、大阪フィルハーモニー交響楽団なども出演したことがあるが、基本的には大津の隣町の京都市交響楽団が起用される。

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曲目は、リヒャルト・シュトラウスのオーボエ協奏曲(オーボエ独奏:ハンスイェルク・シェレンベルガー)と「ばらの騎士」組曲。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・オーボエ奏者を務めたシェレンベルガー。退団後は指揮者としても活動しており、長年に渡って岡山フィルハーモニック管弦楽団の首席指揮者を務め、現在は名誉指揮者の称号を得ている。岡山フィルは岡山シンフォニーホールでの全公演を録音しているため、今後、音盤や配信による音源が出る可能性もなくはない。2021年から3年間、ベルリン交響楽団(旧西ベルリン)の首席指揮者を務め、来年には同楽団との日本ツアーも予定されている。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置をベースとした布陣である。プログラムなどはないため、楽団員の名簿などは手に入らないが、ヴィオラの客演首席に入った男性奏者はかなり上手そうである(ソロパートがある)。クラリネット首席の小谷口直子は降り番のようだ。

 

リヒャルト・シュトラウスのオーボエ協奏曲。阪はこの曲はノンタクトで振る。
シェレンベルガーのオーボエは美音で、音も豊かだが外連はなく、的確に音楽を追究する姿勢。職人的な要素も持ち合わせているようである。
この曲では、第1ヴァイオリン8の中規模編成で演奏した京響も彩り豊かな音を聴かせる。

アンコールでシェレンベルガーは、「ベンジャミン・ブリテン」と言うのが聞こえたが、以後は聞き取れず。ただおそらく「6つの変容」のうちの1曲だろう。精度の高い演奏であった。

 

「ばらの騎士」組曲。この曲では阪は指揮棒を持って指揮。京響から自在な音色を引き出す。
京響は弦も管も充実していたが、特に弦の出す白い光ような音色が秀逸。華麗なオーケストレーションで知られるこの曲の紳士的エレガンスを十二分に表出していた。

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2025年5月 3日 (土)

京都芸術劇場春秋座「立川志の輔独演会」2025

2025年4月11日 京都芸術劇場春秋座にて

午後4時から、京都芸術劇場春秋座で、「立川志の輔独演会」を観る。
17年連続で春秋座での独演会を行っている立川志の輔。いつの間にかどこよりも多く独演会を行っている会場となったようだ。

午後4時開演というのは中途半端だが、京都芸術劇場春秋座は、京都市の北東隅にあるので、終バスが早い。ということで、志の輔によると終バスに間に合うよう開演時刻を早めに設定したそうである。今回の演目が長いということも関係しているようだ(演目は事前には発表されない)。
西に10分ほど歩くと、叡山電車の茶山・京都芸術大学前駅があり、そちらは比較的遅くまで走っているが、叡山・京阪・阪急などの沿線以外はバスの方が行きやすいということもあるだろう。

 

まずは、立川志の輔の五番弟子だという立川志の彦が、「紀州」をやる。なお、志の彦は現在は二つ目だが、今年の9月に真打ちに昇進することが決まっているという。
徳川将軍は15人いるが、可哀相な人もいる。初代家康も若い頃は粗食に粗食を重ね、江戸幕府を開いてから美味しいものでも食べようかと鯛の天ぷらを食べたら当たって亡くなってしまった(天ぷら死因説は今では否定されつつある)。7代将軍の家継も、3歳で将軍となり、7歳で亡くなってしまう。7歳なので子おらず、御三家から後継者を選ぶことになる。御三家は、尾州家(尾張徳川家)、紀州家(紀伊徳川家)、水戸中納言家。尾州家と紀州家は、代々大納言に叙せられるが、水戸は中納言(漢風官職名で黄門)止まりである。大納言以上になると、殿中で抜刀しても即切腹とはならないという特典があったと志の彦は語る。
最も格が高いのは尾州家である。石高も最も高く、居城は天下の名古屋城。尾州家の当主も、自分が将軍になる気で、市ヶ谷の屋敷を出た。四谷本塩町を通る。鍛冶職人の街である。「テンテン、カンカン、トーン」という鍛冶の音が、「天下取る」に聞こえる。
さて、江戸城に着き、老中から将軍就任を打診された尾州公。いったん遠慮し、「徳が足らぬゆえ任にあたわず」と言うも老中はそれを鵜呑みにして紀州公のところへ、紀州公も遠慮するが立て続けに、「他に将軍職を継ぐ者がないのであればそれがしが継ぐほかない」と宣言し、次期将軍は紀州公に決まった。
帰り道、四谷本塩町を通ると、やはり鍛冶の音が「天下取る」と聞こえるが、次いで水で冷やす音が鳴る「キシュー」

 

志の輔の最初の演目は、「三方一両損」。大岡裁きを題材にした作品である。
枕として、「大阪は毎年秋に行くことにしている。京都は秋か春。毎年、観光シーズンに行くのがいいのだが、京都は年中観光シーズン。ちょっと休みなさい」
「外国人が多いが、ここ(春秋座)は一番日本人率が高い」

春秋座での独演会であるが、第1回の時は、話す声がハウリングしていたそうで、「ここは1回切りで終わりかな」と思ったそうだが、客を入れて公演を行っているうちに音が締まってきたそうで、今では良い音響。落語の独演会を行うのにこれほど向いた劇場はないと言えるほどになったという。
志の輔の春秋座での独演会は3日目を聴くことが多いのだが、その時は、「今日のために昨日(2日目)一昨日(初日)とリハーサルを行ってきました」とボケるのが常だったが、初日の今日は、「近頃では初日がピーク」と言っていた。

「アメリカの『今行くべき100の場所』の中で二つだけ日本の街が選ばれた。一つは、大阪。大阪万博は今しか行けない」。大阪・関西万博は評判が悪いが、1970年の大阪万博も前評判は低かったものの蓋を開ければ大入りで、志の輔は今回もなんだかんだでみんな行くのではないかと予想していた。ちなみに「今行くべき場所」のもう一つは志の輔の故郷である富山だそうであるが、地元住民も「石川と間違えたんじゃないの?」と不審がっているそうである。石川には金沢の兼六園に金沢城、香林坊・片町、福井は恐竜を売りにしているが、富山には何もないそうである(志の輔を始め、西村まさ彦、柴田理恵、室井滋など、なぜか舞台人が多く出るという特徴がある)。富山県が出しているパンフレットで最初に紹介されているのが蜃気楼。魚津の蜃気楼が有名だが、富山県で見たことのある人はほぼいない。志の輔も18年間住んだが一度も見たことがない。蜃気楼が出るとサイレンが鳴るそうだが、人々が海辺に着く頃には消えているということで見られないものが1位。次いで紹介されているのが雷鳥。雷鳥は夏は羽根の色を変えて岩に擬態し、見つからないようにする。そして冬は雪に擬態し、目しか見えない。ということで見られないものが1位2位となっている。
3位は志の輔が「富山の人口の半分はホタルイカ」と言うホタルイカ。これも船が出れば見られる可能性があるが、船が出られる可能性が低く、やはり見られない名物のようである。石川さゆりが「ホタルイカを見たい」と志の輔に言い、志の輔もホテルの手配などをするのだが、出港の日に決まってコンサートの予定が入ってしまうそうで、結局、10年以上行けていないそうである。
というわけで、なぜ富山が選ばれたのかは謎のようである。

「三方一両損」。おそらく近江商人の「三方よし」に掛けた演目だと思われる。
財布を拾い、持ち主に届けたところ、「いらない」と言われる。だがそういう訳にもいかないので、もみ合いになりそうになる。そこで南町奉行所、大岡越前守忠相の捌きを仰ぐことになる(志の輔は「大岡越前」のテーマを口ずさむ)。大岡越前は、簡単な捌きは他の奉行に振り、妙な案件だけを取り上げていた。大岡越前は、自分も含めて三人が一両ずつ損をする「三方一両損」の捌きを下す。
なんだか釈然とせず、志の輔も「大岡越前は三方一両損なんてやらないよ」と言っていたが、こういう古典落語もあるということである。

 

第2部。松永鉄九郎による長唄三味線。松永鉄九郎は、「立川志の輔を追いかけていたら、舞台に上がるようになった男」と自己紹介をする。四季にちなんだ長唄(「元禄花見踊」など)を弾いた。

 

志の輔の語りによる「百年目」。大作であるため、志の輔も枕なしでいきなり本編に入る。番頭が丁稚や手代を厳しく指導している。本を読んでいる者には、「読むのは良いが、店先で読むと暇な店かと思われる。読むんだったら夜に読みな」
「番頭はとにかく嫌われる」と志の輔。「百年目」は、番頭が遊びに出掛けたことから起こるドタバタ劇である。
番頭が遊んでいるところに旦那が居合わせてしまう訳だが、番頭の方は何とか誤魔化そうとする。
一方で、旦那は番頭への揺るぎない信頼を語ってゆくという人情もの。
旦那と番頭のやり取りであるが、落語家のものというよりも舞台俳優のそれに近い。志の輔は明治大学在学中は落語研究会に入って、エースである紫紺亭志い朝を名乗っていたが、卒業後は舞台俳優を目指して劇団に入っていた。その後、巡り合わせで会社員になった後で落語家になっているが、舞台俳優だった時代に培った演技力が今に生きているように思えてならない。

志の輔は、桜の花が「百年目」をやり遂げるように背中を押してくれるというようなことを言うが、「私はこんな長い落語を聴きたいとは思いません」と締めていた。

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2025年4月29日 (火)

コンサートの記(900) 玉置浩二 阪急阪神東宝グループ billboard Classics 「KOJI TAMAKI ODE TO JOY」大阪城ホール公演

2025年4月16日 大阪城ホールにて

午後6時から、大阪城公園内の大阪城ホールで、阪急阪神東宝グループ billboard Classics「KOJI TAMAKI ODE TO JOY」を聴く。恒例となった玉置浩二のオーケストラとの共演コンサート。大阪では先にフェスティバルホールでの公演が行われたが、そちらは落選。すぐ近くの西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールでも公演が行われ、次いで行われるのが大阪城ホール公演である。大阪城ホールは、何度も前を通っており、倉庫を改造した小劇場が出来たときには、いくつか公演を観ているが、いわゆる大阪城ホールの内部には入ったことはない。城ホールの名で親しまれている大阪城ホールは、本来はスポーツのためのアリーナで、収容人数が多いことからコンサートでも用いられ、東の日本武道館、西の大阪城ホールと並び称されている。一方、音響設計が不十分として公演を行わないアーティストもいる。なお、「ODE TO JOY」の千穐楽は、日本武道館で行われる予定である。
実は、大阪城ホール公演の抽選も一次は落ちて、二次も良い席は落ち、第3希望の一番安い席のみ当たった。

アリーナなので、舞台は比較的自由に設営できるが、今回は北側に仮設ステージを置き、横長での使用となった。私の席はクラシックコンサートでいうポディウムに当たる舞台背後の席。玉置浩二が歌っているところを正面から見られないが、巨大スクリーンに映像が映ってパフォーマンスを確認出来るようになっている。
オーケストラの演奏であるが、オーケストラが演奏するには広すぎるので、楽器にマイクを付けてスピーカーから音を出すという方法を採用。生音で聴くのがオーケストラの醍醐味であるが、この会場ではそれは難しい。

今回の演奏は豊中市に事務所を置く日本センチュリー交響楽団が担当。指揮は大友直人。大友は、13日に京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを指揮したばかり。終えてすぐに玉置浩二とのコンサートのリハーサルに入って中2日で本番を迎えた。大友は日本武道館での「ODE TO JOY」の指揮も担う予定である。

2部構成で、第2部冒頭に演奏される管弦楽曲は毎回異なり、大阪城ホールでは、冨田勲の「新日本紀行」の音楽が演奏される。大友直人は若い頃、冨田勲の劇伴を中心とした管弦楽曲を指揮してCDを制作しており、「新日本紀行」も入っていた。

日本センチュリー交響楽団は、いつもながらのドイツ式の現代配置での演奏。コンサートミストレスは松浦奈々。彼女の姿はたまにクローズアップされるが、ヴァイオリンにマイクがセットされているのが分かる。

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まず、ベートーヴェンの第九より歓喜の歌のメロディーでスタート。合唱が入るところで音楽が「GOLD」に変わる。玉置浩二が現れて、「ロマン」でスタート。「コール」、「SACRED LOVE」、「MR.LONELY」、「サーチライト」、「Friend」で1部終了。「Friend」で終わるパターンは比較的多い。
玉置浩二はオーケストラと共演するようになってから初めてクラシックコンサートには休憩があるということを知り、「休憩があっていいんだ」ということで、自身のコンサートでも休憩時間を設けるようになっている。
第2部は、先に書いたとおり、冨田勲の「新日本紀行」の演奏に始まり、玉置浩二が現れて、「いつもどこかで」、「行かないで」、メドレー「ワインレッドの心」~「じれったい」~「悲しみにさよなら」、「JUNK LAND」、「夏の終わりのハーモニー」で本編終了。
玉置も大友も白髪に黒服、同い年という共通点がある。

アンコールは、登場はするもののなかなか演奏を行わず、玉置の3度目となる退場があった後で、大友指揮する日本センチュリー交響楽団がベートーヴェンの「田園」交響曲第1楽章を演奏。そこに玉置浩二の「田園」のメロディーが混じり、玉置が現れて自身の「田園」を歌う。例によって、「愛はここにある君はどこにも行けない」を「愛はここにある大阪にある」と地名に変えて歌った。更に、サビの「生きていくんだそれでいいんだ」のところを歌わず、聴衆に歌って貰っていた。
「田園」がラストということも多いのだが、オーケストラのメンバーが楽譜を換えたので、まだアンコール演奏があることが分かる。
アンコールの2曲名は、「メロディー」。これもラストで歌われることの多い曲だが、アンコールは更に続き、ダブルアンコールとして「田園」が再度歌われる。サビを聴衆に歌って貰うところなどは一緒だが、「愛はここにある」の次を「大阪城ホールにある」と会場に変えて歌い、客席を沸かせていた。

マイクを口から離してのアカペラの部分もあったが、スピーカーからも声が出ていたので、他の楽器のマイクから拾っているのだと思われる。大阪城ホールの空間で生声を響かせるのは、アンプラグドが基本のオペラ歌手でも難しいだろう。

「メロディー」を歌い終えた後には、見えにくかったステージ端のお客さんにも近づいて手を振るなど、ファンサービスも欠かさなかった。

 

コンサート終了後は、京橋の松下IMPビル内で食事をしたのだが、ここかしこから玉置浩二の歌声が聞こえてくる。どうやら大阪城ホールでコンサートのあった時は、そのアーティストの曲を流す習慣があるらしい。実際に店員がお客さんにそう説明していた。流れている音源がどこからのものなのかは分からないが、玉置浩二が香港でコンサートを行い、「行かないで」のサビを、ジャッキー・チュン(張楽友。リトル・ジャッキー)が北京語でカバーした「李香蘭」のものに一部変えて歌った音源も流れた。

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2025年4月27日 (日)

令和七年 第百五十一回 「都をどり」 都風情四季彩

2025年4月5日 祇園甲部歌舞練場にて

午後4時30分から、祇園甲部歌舞練場で、令和七年 第百五十一回「都をどり」を観る。親子連れで観に来ている人も多いのだが、私の隣に座った子どもは花粉症なのか鼻炎気味で、子どもなので遠慮することなくしょっちゅう大きな音を立てて鼻をすするため、集中力を持続するのは難しい。前の席に座った外国人女性は膝の上に子どもを抱えて観ていたが、たまに子どもが騒ぐ。また上演中に子どもがトイレに行きたがったのか、通路を歩く親子もいる。文化なので、年齢性別関係なく楽しめれば良いのだが、実際問題としては都をどりを子どもに見せるのは難しいかも知れない。大人でも歌詞を聴き取るのは難しいが(有料パンフレットには全て載っている)子どもが面白いと感じるかどうか。

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それは今後の課題として、今回は「都風情四季彩(みやこふぜいしきのいろどり)」という題名で、都の四季の名所を舞台にした舞踊が展開される。
「置歌」に続いて「梅宮大社梅花盛(うめのみやたいしゃばいかのさかり)」、「宝鏡寺雛遊(ほうきょうじひいなあそび)」、「蛤草紙永遠繁栄(はまぐりそうしとわのさかえ)」、「牛若弁慶五条橋出会(うしわかべんけいごしょうはしのであい)」、「清水寺成就院紅葉舞(きよみずでらじょうじゅいんもみじのまい)」、「妙満寺雪見座敷(みょうまんじゆきみのざしき)」、「平安神宮桜雲(へいあんじんぐうさくらのくも)」 の全八景が演じられる。有名な寺社が並ぶが、比較的演目に取り上げられにくい場所が並んでいるという印象である。清水寺はど定番だが、塔頭の成就院は庭が見事だが、季節限定公開されるだけで、内部は多くの人に知られている訳ではない。妙満寺は安珍・清姫の道成寺の鐘で有名だが、岩倉の外れにあるため、観光客が余り行かない場所である。

「都をどりは」「ヨーイヤサァ」のやり取りで有名な「置歌」(長唄)。左右両方の端に設けられた花道から(両端に長い花道のある劇場は余り例がない)浅葱色の着物を纏った芸舞妓が現れ、中央の舞台に進んで、若々しい舞が行われる。
「梅宮大社梅花盛」(長唄)。では、余り取り上げられることのない梅宮大社が舞台となる。梅宮大社は、県犬養(橘)美千代が、橘氏の氏神として創建したものである。県犬養美千代は橘氏の祖であり、橘の氏は息子の橘諸兄に受け継がれる。源平藤橘の一つとなっている橘氏だが、早くに没落したということもあって、他の名族に比べると影が薄い。橘氏を名乗った有名人物には楠木正成、また幕末の長州藩の秀才である吉田稔麿(池田屋事件の際に加賀藩邸の前で切腹。「生きていたら間違いなく総理大臣になっていた」といわれる傑物である)など数えるほどである。現在、再放送中のNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」には、雉真、桃山剣ノ介 、黍之丞、桃太郎など、最初の舞台となった岡山ゆかりの人名が出てくるが、犬も実は橘氏の祖が県犬養氏であるため、隠れた形ではあるがすでに出てきているということになる。

「宝鏡寺雛遊」(長唄)。宝鏡寺は寺ノ内という京の北側に豊臣秀吉が寺院を並べた地区にある。尼門跡寺院で、人形を多く所蔵することから「人形の寺」と呼ばれている。
桃の節句の折に、雛人形を飾り、尼僧と幼い娘らが戯れる様が描かれる。歌詞には「うれしいひなまつり」からそのまま抜き出した部分がある。

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「蛤草紙永遠繁栄」(浄瑠璃)。親孝行の漁師、漁太が網に掛かった蛤を放したところ、美しい娘となって「連れ帰って欲しい」と頼み、機織りをするという、「鶴の恩返し」によく似た異種交流譚である。蛤は巨大なセットが作られ、パカッと開いて、中から蛤の娘が現れる。演劇的要素の濃い舞であった。

「牛若弁慶五条橋出会」(長唄)。現在、京都の五条大橋には、牛若丸と弁慶の像があるが、往時はこの橋は五条大橋ではなかった。現在の五条通は、牛若丸と弁慶の時代には、六条坊門通であり、現在の松原通が往時の五条大路である。松の木が多かったことから五条松原通とも呼ばれていたが、豊臣秀吉が五条通を南に移したため、松原通の名が残った。往時の五条大橋の跡には松原大橋が架かっている。ただ、往時の五条大橋は、鴨川の巨大な中州を繋ぐ形で、二本架けられていた。中州には法城寺という、安倍晴明が建立した陰陽道の総本山のような寺院があったが、これも秀吉によって弾圧を受け、陰陽師は被差別民に落とされ、法城寺は破却され、中州も取り除かれた。
そんな歴史を持つ五条大橋であるが、実は『義経記』には、牛若丸と弁慶が出会ったのは五条大橋ではなく、五条天神の前とある。昔の五条天神の前には短いが橋が架かっており(現在も橋のようなものはある)、そこで二人が出会ったことになっている。というわけで、五条大橋で出会ったこと自体が明治になってからの創作のようである。
ただ、今回は、五条大橋(松原大橋)で、二人が戦うという設定を採用している。
武蔵坊弁慶も芸妓が演じるが、やはり弁慶は女性が演じるのには向いていない。「勧進帳」など、歌舞伎の荒事の代表格の演目に登場する弁慶。当然ながらダイナミックな動きが見せ場となるのだが、女性ではどうしても迫力が出ない。
一方、牛若は小柄な少年ということで、女性が演じた方がむしろ合っているのではないかと思えるほど軽やかな動きが絵になっている。牛若を女性が、弁慶を男性が演じる演目というのもあっていい。「都をどり」では無理だが。ちなみにテレビドラマではすでに川栄李奈の義経、小澤征悦の弁慶で制作された「義経のスマホ」(NHK総合)で、女義経、男弁慶は達成されている。

「清水寺成就院紅葉舞」(長唄)。清水寺の塔頭である成就院。秀吉ゆかりの寺院である。普段は非公開だが、春と秋に特別公開が行われる。庭園に関しては京都で一二を争うほどに美しい。幕末の勤王の僧で、西郷隆盛と共に錦江湾に身を投げることになる月照も成就院の僧侶であった。

「妙満寺雪見座敷」(長唄)。以前は寺町にあった日蓮宗・妙満寺であるが、昭和43年(1968)に岩倉に移っている。道成寺の鐘があることで知られる。ここも秀吉と縁があり、秀吉の根来攻めの際に家臣の仙石権兵衛秀久が鐘を掘り出して、妙満寺に収めたという。
成就院から移築したとされる雪の庭という庭園が有名で、雪景色の中、安珍・清姫の鐘が鳴り、洛北の寂しさが身に染みるような舞が展開される。
余談だが、以前、妙満寺の門前を通りかかった際、金子みすゞの「大漁」が掲示されていたのだが、冒頭が「朝焼け小焼けだ大漁だ」のはずが、「夕焼け小焼けだ大漁だ」になっていて、残念に思った記憶がある。「夕焼け小焼け」じゃ日が暮れる。

「平安神宮桜雲」(長唄)。平安神宮の神苑が背景に描かれている。神苑は桜の名所なので(谷崎潤一郎の『細雪』にも花見の場として描かれている)背景も、その手前も桜が並ぶ。平安神宮は1895年に伊東忠太設計で建てられた内国勧業博覧会のパビリオンを神社としたもので、今年が鎮座130年に当たる。神苑は時代劇のロケ地としてもよく使用される。
舞台と両方の花道を使った総踊り。目に鮮やかな壮観であった。

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実際の平安神宮神苑の桜

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2025年4月15日 (火)

これまでに観た映画より(385) 浅野忠信&瀧内公美「レイブンズ」

2025年3月31日 京都シネマにて

京都シネマで、フランス・日本・ベルギー・スペイン合作映画「レイブンズ」を観る。現代の無頼のような生き方をした写真家の深瀬昌久と妻の洋子の人生を描いた伝記風作品である。伝記とは書いたが、生き方そのものよりも二人の関係性に重点が置かれている印象である。監督はイギリス・マンチェスター出身のマーク・ギル。最初、グラフィックデザインを学び、ミュージシャンに転向。その後、映画監督への再転向を果たしたという異色の人物である。脚本とプロデューサーも兼任。日本贔屓で日本語も学んでいる最中だという。2015年にイギリスの新聞で深瀬の記事を読み、興味を持ったのが今回の映画の入り口だという。
出演は、浅野忠信、瀧内公美、古舘寛治、池松壮亮、高岡早紀ほか。浅野忠信と瀧内公美に関しては、日本映画にも詳しいマーク・ギル監督によるキャスティングのようである。

浅野忠信が演じる深瀬昌久(ふかせ・まさひさ。1934-2012)は、北海道生まれの写真家。本名は同じ字で「よしひさ」と読むようである。写真館を経営する家に生まれ、日本大学藝術学部写真学科卒。いくつかの企業勤めを経てフリーの写真家に。奥さんの洋子(この映画では瀧内公美が演じる)をモデルにした写真で名を挙げ、1974年にニューヨーク近代美術館(MoMA)での写真展への出展により海外にも進出。しかし実家の離散などもあって酒量が増え、酔って階段から転落し、脳挫傷を負い、以後回復することなく10年後に他界している。

 

変わった人物であることを表すためか、首つり自殺する瞬間をカメラに収めようとするシーンなどから始まる。
深瀬にしか見えない巨大な烏(レイブンズ。「ツクヨミ」。ホセ・ルイス・フェラーが演じる)がおり、英語で深瀬に話しかけてくる。深瀬は英語はよく分からないはずだが、烏の言葉は分かる。烏は時に深瀬を導き、後押しをする。烏の存在により、この映画は日本語と英語の二カ国語作品となっている。

深瀬昌久(若い頃の深瀬は別の俳優が演じている)は、日大藝術学部写真学科に合格するが、父親の助造(古舘寛治)は、「写真館に大学の教育はいらない」と合格通知書を破り捨ててしまう。この厳父の存在が昌久の人格形成に大きな影響を与えているのは間違いなさそうだ。時間は飛ぶ。結局、昌久は日大藝術学部に進学して卒業したことが分かる。そして鰐部洋子(彼女も、Ocean Childである)という魅力的な女性と出会い、写真のモデルになって貰い、やがて結婚する。洋子は能楽師になりたいと思っていたようだが、今でこそ女性能楽師は珍しくない、というより私も知り合いに女性能楽師がいたりするのだが、この時代は女性は能楽師にはまだなれないようである(観世、金春、金剛、宝生、喜多という派に入ることは出来たが、能楽師として正式に登録出来るようになるのは2004年から)。だが、能楽の訓練は受けることにし、深瀬の稼ぎと洋子のパート代が費用として当てられることになる。だが、深瀬は芸術系の写真家であるため、余りお金は稼げない。そこで気は進まないが広告などの商業写真の仕事も手掛けるようになった。その頃には助手となる正田モリオ(池松壮亮)とも出会っている。
だが、商業写真にはどうしても乗り気になれない。昌久は芸術写真に戻り、十分な稼ぎが得られなくなってしまう。洋子も不満である。
北海道の実家に帰った深瀬。洋子も連れて行く。しかし、助造を怒らせた深瀬は打擲され続ける。洋子は青ざめたような顔でそれを見ていた。助造は最後には写真館倒産の責任を取って自裁した。深瀬は厳しかった助造が、自身が特集された写真雑誌を買っていたり、深瀬家での写真をスクラップブックに入れていたりと、深瀬のことを気に掛けていたことを知る。

そんな中、1974年(どうでもいいことだが私の生まれた年)、MoMAことニューヨーク近代美術館から写真を出展しないかという話が舞い込む。二人でニューヨークへと乗り込む二人。だが注目を浴びたのはモデルを務めた洋子の方であった。この頃から二人の間に溝が出来始める。洋子は洋子で、実際の洋子ではなく写真に収められたモデルの洋子が現実の洋子を飲み込むような気分になっていたと思われる。また夫がカメラ越しにしか自分を見ておらず、見られたのは自分ではなく夫自身、夫は自分のことしか見ていないと不満を募らせる。
結局、洋子は深瀬の家には戻らず、二人は別れた。それでも洋子が深瀬の家を訪ねた日、深瀬は短刀(脇差し)で洋子の背中を斬りつける。深瀬の家は屯田兵として北海道に渡った旧士族であり、廃刀令で刀は失ったが、旧士族の家によくあるように切腹用の脇差しは隠し持っていたようである(銃刀法違反にはなる)。旧士族らしく「男、四十にして功成らざれば、死をもって恥をすすぐべし」との家訓があり、父親から脇差しを渡されていた。旧士族の家には、切腹の仕方を伝授する家もあるようだが、多分、そこまでのことは深瀬家ではやっていなかっただろう。
とにかく刃傷沙汰となり、洋子が警察に通報したため、深瀬は逮捕される。重い罪にはならなかったようだ(この刃傷沙汰が事実なのかどうか確認は取れなかった)。離婚が成立する。
これで深瀬と洋子は終わり、にはならなかった。数年後、烏や猫などを題材とした深瀬の写真展を観に洋子が現れる。洋子は三好という男と再婚しており、三好洋子となっていた(エンドロールに、SpeciaL Thanks:Yoko Miyoshiの文字がある)。三好の身分は分からないが、大企業の重役風であり、洋子の言葉遣いも上品になっていた。これが二人の最後、にはやはりならなかった。行きつけのバーの階段から転落し、後頭部を打った深瀬。重症であり、以後、意識がハッキリしない状態が続く。老人ホームに入った深瀬を見舞う洋子。自分のことが分かっているのかさえ判然としない深瀬を見て複雑な思いでホームを去る。ホームの上には深瀬の象徴のような烏が舞う。これで終わり、にはならない。洋子はなんと深瀬が亡くなるまで10年間、見舞いを続けたのだった。

 

なんとも妙な二人。どこかで見たような関係だが、竹久夢二とたまきの間柄にそっくりである。画家・詩人・挿絵画家の夢二と、写真家の深瀬の違いはあるが、別れ際に刃傷沙汰になったり、それで永遠の別れかと思いきや延々と関係は続き、最期を看取ったというところまでそっくりである。深瀬と洋子が意図して似せた訳ではないだろうが、同じようなことをしている芸術系カップル、それも夢二とたまきほどには有名ではない二人がいた、というのは面白いことである。やっていること自体は面白い訳ではないのだが。
実際には、深瀬も洋子と別れた直後に再婚しており、深瀬と洋子は必ずしも映画内のような関係ではなかったとも考えられる。
脚本・監督のマーク・ギルはイギリス人であるため、竹久夢二とたまきを知っているのかどうかすら不明だが、「新版 夢二とたまき」を観たような気分になった。なお、洋子もたまきも金沢出身である。

深瀬が経済的な成功とは遠かったのは、洋子とは団地に住み、最後も家賃の安そうなアパートで一人暮らししていることからも分かる。誰もが知るほどの有名な存在にはなれなかったが、成功と言えるだけの体験はした。それでも芸術で食べていくのは大変なようである。

 

才能あるが故に、一般的な生活には馴染めない深瀬を浅野忠信が快演。最愛の女性となる洋子を演じた瀧内公美もチャーミングな場面から深瀬に迫る激しい表情まで幅広く「被写体に相応しい女」を演じている。半月ほど前に、サインを頂くために瀧内公美さんに至近距離で会ってお話も少ししたのだが、「この人は人間性が柔らかそうなので何にでもなれそうだな」という印象を受けた。表現を行う人はエネルギー放出量も多いので、一般的な人よりは能力などが伝わりやすい。もう古い話になるが、AKBグループが全盛の頃、「選抜入りした人達とそうじゃない子ではかなり実力差があるな。ファンは実力をよく見抜いているな」と思ったものだが、実際に有名アーティストなどは近くにいると才能などは伝わってくるので、「なるほど、そういうことか」と納得した。浅野忠信もヨコハマ映画祭の表彰式に彼が主演男優賞受賞者として出席した時に生で見たことがあるのだが、ただ立っているだけで誰よりも迫力があった。

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2025年4月14日 (月)

これまでに観た映画より(384) 「35年目のラブレター」

2025年4月9日 イオンモールKYOTO内のT・ジョイ京都にて

イオンモールKYOTO5階にある映画館T・ジョイ京都で、「35年目のラブレター」を観る。実話に基づくラブストーリーで、登場人物の名前も実話に基づくものが多い。
原作:小倉孝保。監督・脚本:塚本廉平。出演:笑福亭鶴瓶、原田知世、重岡大毅、上白石萌音、徳永えり、ぎぃ子、本多力、辻本祐樹、笹野高史、江口のりこ、くわばたえり、瀬戸琴楓(せと・ことか)、白鳥晴都(しらとり・はると)、安田顕ほか。音楽:岩代太郎。主題歌:秦基博「ずっと作りかけのラブソング」

奈良市。西畑保(笑福亭鶴瓶)は、寿司職人。もうすぐ65歳で定年を迎えようとしている。保は、幼い頃、母親の再婚で和歌山の僻地に越し、程なく母親は亡くなったが、義父は全く面倒を見てくれない人だったために、兄弟のために休日は子どもながらに働いていた。小学校までは歩いて片道3時間。それでも通っていたが、2年生の時に窃盗の疑いを掛けられ、苛められて、以後、学校には通えなくなってしまった。
それでも成長した保(青年時代の保:重岡大毅)は、寿司屋に修行で入るが、読み書きが全く出来ないため、同僚から苛められる。新たな職場を探すが、読み書きが出来ないとあっては採用されない。それでも奈良市にある寿司屋の大将である逸美(笹野高史)に拾われて、寿司職人として働き始める。それが1964年のこと。
1972年に、保はお見合いの話を受ける。相手が保の真面目さを気に入っているとのこと。お見合いの場で、相手の皎子(きょうこ。青年時代の皎子:上白石萌音)に一目惚れした保。皎子は当時流行りの女性の三大職業の一つ、タイピストであった(残りの二つは、エレベーターガールとスチュワーデス=CA)。当然ながら文字には詳しい。相手に自分が文盲だとバレないように気を付けながら奈良公園などでデートする保。結果、相手にバレることなく、むしろ皎子の方が積極的で結婚に至る。清楚な感じの皎子だが、実際は気が強いことが分かる。それでもいつかは保が文字の読み書きが出来ないことがバレる日が来る。皎子は黙ってそれを受け入れ、「私が保さんの手になります」と言うのだった。
二女に恵まれた西畑家。やがて二人とも結婚相手を見つける。そんな中、保は夜間中学の存在を知る。夜間中学(春日中学校夜間学級)教師の谷山恵(たにやま・めぐみ。男性。演じるのは安田顕)に説明を受け、中学を出ていないなら誰でも入れる(途中から制度が変わり、中学卒でも入学可となる)ということで、保は入学を決める。理由はこれまで自分に尽くしてくれた皎子(原田知世)にラブレターを書きたいためであった。

夜間中学は、数が減りつつあるが、子どもの頃に十分な教育が受けられず、読み書きや簡単な計算、英語などに難のある人が通う。引きこもり経験のある若者なども通っている。在籍期間は基本3年だが、最大20年まで。自分が「卒業したい」と思った時が、卒業の時である。

妻の皎子であるが、タイピストが花形の職業だった時代はとっくに終わり、ワードプロセッサー(ワープロ)を使って校正の仕事を内職でしていたが、パソコンの時代となり、ワープロによる仕事はもはや求められておらず、家事に専念するようになっていた。

夜間中学校の同級生は、戦争で十分な教育を受けられなかった者、比較的若いが読字障害がありそうな者、戦争で両親を亡くし、日本語をしっかり学んで最終的には大学に進みたいという南アジア出身者など、境遇はバラバラである。学校に通った経験がほとんどなかった保は、友達も出来て学校が楽しいところだということを初めて知る。
それでも保の文字を覚えるスピードは遅々たるもので何度も諦めそうになるが続ける。辞めようかと思っていた在学7年目のある日、保は谷山から、「最初の頃に比べると大分上手くなってきている」と励まされる。
そして、いよいよ皎子にラブレターを渡す日。皎子は喜ぶが、採点すると63点で……。

笑福亭鶴瓶と原田知世、そして若い頃の二人を重岡大毅と上白石萌音が演じることで、二人の成長、学力のみでなく夫婦としての成長を見守ることが出来るようになっている。
お見合いの場で、上白石萌音が、「薩摩おごじょ」と紹介され、「薩摩ちゃいます」と否定する場面があるが、上白石萌音が薩摩出身なのはよく知られているので、ちょっとした洒落である。見た目がやはり薩摩のお嬢さんである。

35年目のラブレターが、保から皎子へ宛てたものだと誰もが思うが実は……。これでおおよその見当は付いてしまうと思うが、分かってても十二分に味わえる映画であるので特に問題はないだろう。

奈良が舞台だけに、俳優陣はみんな奈良弁を使うが、ネイティブな奈良弁の使い手ではないのではっきりとは分からないものの、皆、達者である。地方出身で、標準語という別の言語を習得しているだけに、方言も覚えやすいのかも知れない。ちなみに私は千葉市出身であるため、普段から使っている言葉が標準語であり、方言などは特に話したことがないので(京言葉は文章でのみ使うことが出来る)方言を覚えるのは得意ではないかも知れない。
興福寺五重塔、薬師寺、奈良公園、浮見堂、奈良ホテル、法隆寺五重塔など奈良市内と奈良県内の名所も多く登場。エンドクレジットに東大寺の文字があったが、どこの場面だったのかは不明。大仏殿や南大門などの有名な建物は映っていなかったはずである。また以前に原田知世が住んでいたこともある千葉県佐倉市でもロケは行われているが、具体的にどの場面なのかは分からなかった。
ともあれ、古都の情緒もたっぷりで、話に彩りを添えてくれる。

笑福亭鶴瓶の味のある演技(笑福亭鶴瓶そのものだが)、原田知世のたおやかな雰囲気、重岡大毅の放つエネルギー、上白石萌音の溢れ出る才女感と癒やしのムードなど俳優陣も良い感じである。現在、大河ドラマ「べらぼう」の平賀源内役でブレーク中の安田顕も、源内とは異なる落ち着いた大人の雰囲気で、見る者に安心感を与えてくれる。

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2025年4月12日 (土)

楽興の時(49) 新内弥栄派家元 師籍四十五周年記念 新内浄瑠璃と舞踊の祭典「新内枝幸太夫の会」

2025年4月8日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホール

午前11時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、新内弥栄派家元 師籍四十五周年記念 新内浄瑠璃と舞踊の祭典「新内枝幸太夫の会」を聴く。私の年の離れた友人である新内枝幸太夫師匠とその一門、日本の伝統芸能者を多く集めた祭典である。
とはいえ、日本の伝統芸能はそれほど愛好者の広がりはないため、多くは枝幸太夫の身内や知り合い、友人である。

五部形式で、一部終了後に15分の休憩があるが、その後は、二部から五部までぶっ通し。終演時間は午後6時前で、実に7時間近くも上演が続いたことになる。
最初から最後まで付き合う人も勿論いたが、途中退席、途中抜けだし、遅れてくる人などもいる。余り劇場に慣れていない人が多いことも分かる。

「新内枝幸太夫の会」は、これまでは街中にあるが、レセプショニストなどはいないウイングス京都などで公演を行ってきたが、今年は京都で最も格式の高い京都会館ことロームシアター京都のサウスホールでの公演となった。大規模ホールであるメインホールでこそないが、多くの一流ミュージシャン(細野晴臣や原田知世)が立ったサウスホールも、新内が公演を行えるホールとしては最上級であろう。集客的にメインホールでの公演は無理なので、サウスホールで頂点に立ったと言える。

鳴物は、望月太津寿郎連中。

 

演目であるが、出演者の体調不良のためにカットされたものもあれば、枝幸太夫が予定になかった歌を付け加えたケースもある。
第1部が、「広重八景」、新内小唄「花合わせ」、「丸山甚句」、新内小唄「月天心」、新内小唄「蘭蝶」、新内小唄「別れてから」、「更けゆく鐘」、蘭蝶(上)四谷、口上「新名取披露」
「広重八景」(弾き語り:新内枝幸太夫)では、芳宗航が見事な舞を見せる。
「月天心」は、与謝蕪村の俳句が出てくるが、「貧しき街を通」ったのは大工ということになっている(語り:堤内裕)。

第2部が、新内流しと前弾き三味線、「古都春秋」、「むじな」、「忍冬(すいかずら)」、「葛の葉」
新内流しと前弾き三味線では、枝幸太夫師匠が三味線を弾きながら中央通路を歩き、おひねりを貰ったりする。師匠が私を見つけて、「本保ちゃんや。久しぶり」と挨拶したりした。
「古都春秋」は、その名の通り京都の名物が歌われるのだが、春は祇園甲部の都をどりが採用されており、「コンチキチン」の響きが流れる。
「むじな」は、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンがまとめた『怪談』からの話で、のっぺらぼうが出てくる(枝幸太夫の弾き語り。立方:紀乃元瑛右)。
「葛の葉」は、安倍晴明の母親である信太の森の葛葉狐の話である。立方は芝千桜。影絵で狐を浮かび上がらせたり、凝った演出である。
葛葉狐の和歌、「恋しくばたずね来てみよ泉なる信田の森のうらみ葛の葉」は、その場で障子に墨で書かれる。

3部では、枝幸太夫が日本コロムビアからCDを出している楽曲の歌唱。「青海波」、「綾子舞の女」、「約束橋」、「眠れない夜は」、「龍馬ありて」が歌われ、立方が舞を披露する。「約束橋」では何度か顔を合わせている藤和弘扇さんが舞を披露した。また「龍馬ありて」では、龍馬ゆかりの高知県から美穂川圭輔がやって来て舞を披露した。高知-京都間の最もポピュラーな移動手段は高速バスだが、8時間近く掛かる。
カラオケによる歌唱だが、「龍馬ありて」はいつもに比べて走り気味。仮に指揮者がいたとしたら一拍目を振る前に歌い始めている。ステージ上の音響も影響したのだろう。

4部では、物語性のある曲が奏でられる。「明烏夢泡雪」(下)雪責め、「蘭蝶」(下)縁切り、「帰咲名残命毛(かえりざきなごりのいのちげ)」尾上伊太八(おのええだはち)、「梅雨衣酸月情話(つゆころもすいげつじょうわ)」、「日高川」渡し場。「日高川」は、ご存じ安珍・清姫の話だが、清姫が日高川を泳ぎ切り、鬼の顔をした蛇になるところで終わる。

第5部は、枝幸太夫の「勧進帳」に始まる。立方は若柳吉翔。枝幸太夫の弾き語り。歌舞伎などでお馴染みの「勧進帳」をほぼアレンジすることなく歌と踊りでの表現に変えている。立方は、一貫して武蔵坊弁慶だけを舞で演じる。
「蘇一陽来復(よみがえりまたはるがくる)」巳では、道成寺に至り、鐘に巻き付いて焼き殺す清姫の話なども語られるが、それとは関係のない話も歌われる。立方は、花柳與桂。枝幸太夫の弾き語り。
ラストは「子宝三番叟」。立方は、藤三智栄と藤三智愛。優雅でキリリとした舞が行われた。弾き語りは枝幸太夫だが、ほかにも語りと三味線、上調子がいる。

一度幕が下りてから、再び上がって、千穐楽のおひねりとして手ぬぐいがまかれた。

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2025年4月10日 (木)

コンサートの記(899) 「京都市立芸術大学ピアノ専攻教授陣によるプロフェッサーコンサート 煌めくピアニズム」

2025年3月5日 京都市立芸術大学堀場信吉記念ホールにて

四条駅から京都市営地下鉄烏丸線に乗り、京都駅で下車。東に向かって数分のところにある京都市立芸術大学堀場信吉記念ホールで、「京都市立芸術大学ピアノ専攻教授陣によるプロフェッサーコンサート 煌めくピアニズム」を聴く。タイトル通り、京都市立芸術大学音楽学部ピアノ専攻の教授(全員が教授の肩書きではなく、専任教員や常勤講師もいる)達による演奏会。

出演は、砂原悟、上野真(うえの・まこと)、三舩優子(みふね・ゆうこ)、田村響(男性)、髙木竜馬(りょうま)。最後の演目であるワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲(小林仁編曲)にだけ、京都市立芸術大学専任講師の森本瑞生(パーカッション)が出演するほか、京都市立芸術大学音楽学部や大学院の学生とOBが出演する。

 

事前のプログラムは、2台のピアノのための作品などは発表されていたが、独奏曲に関してはシークレットで直前に発表されることになっている。

なお、ピアノは4台のグランドピアノを使用。コンサートホールに常備されているピアノは2台ほどが基本だが(2台のピアノのための作品は多めだが、3台以上のピアノのための作品は数えるほどしかないため)、京都市立芸術大学ピアノ専攻は、「学生になるべく多くの種類のピアノを弾かせたい」との思いから、堀場信吉記念ホールに4台のピアノを備えている。また芸術大学の音楽学部なので、ピアノは多く所有しており、更に数を増やそうとしてもおそらく可能だろう。

今回使われるピアノは、ウィーンのベーゼンドルファー290インペリアル、イタリアのファツィオリ F-308、スタインウェイ&サンズ D-274(ハンブルク)、スタインウェイ&サンズ D-274(ニューヨーク)。スタインウェイというとアメリカのイメージが強いが、1880年代からはドイツのハンブルクでも製造を開始している。これだけ多くの種類の名ピアノを所有している音楽学部は世界的に見ても珍しいそうで、「世界でもここだけじゃないか」という話もあるらしい。
ベーゼンドルファーのピアノは、昨年の11月に購入したばかりで、今回がお披露目となるそうである。

 

曲目は、モーツァルトのソナタ ニ長調 KV448(田村響&上野真)、三舩優子のソロ曲、髙木竜馬のソロ曲、マーラーの交響曲第5番よりアダージェット(シュトラダールによる2台ピアノ版。髙木竜馬&上野真)、田村響のソロ曲、シューベルトの幻想曲 ヘ短調 作品103 D.940(上野真&砂原悟)、バーバーのスーヴェニール「バレエ組曲」(ゴールドとフィッツデールによる2台ピアノ版)より第5番“Hesitation-Tango”と第6番“Galop” (三舩優子&上野真)、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲 4台ピアノ16手連弾 打楽器付き(小林仁編曲。髙木竜馬&生駒由奈、田村響&長山佳加、三舩優子&稲垣慈永、砂原悟&廣田沙羅。打楽器:森本瑞生、武曽海結、丹治樹)。

 

かなり有名なピアニストが出る上に、チケットが比較的安いということもあり、客席はかなり埋まっている。

 

堀場信吉記念ホールに来るのは二度目。前回はトイレが狭く、休憩時間に長蛇の列が出来るという欠点が分かったが、堀場信吉記念ホールの入る京都市立芸術大学A棟の向かいにあるC棟のトイレも開放することで、改善を図ろうとしているようだ。

 

京都市内には、京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタ、ロームシアター京都サウスホール、青山音楽記念館バロックザールなど、ピアノリサイタルでの使用を想定して作られたホールがいくつもあるが、いずれも音響的に万全という訳ではなかった。だが、堀場信吉記念ホールの音響はピアノ演奏向けとしてはかなり良い部類に入る。京都市内にあるピアノ演奏向けのホールとしては一番であろう。公立大学が所有するホールであるため、貸し館などはどれほど行えるのかは分からないが、「ここで数々のピアノリサイタルを聴いてみたい」と思わせてくれるホールである。

 

モーツァルトのソナタ ニ長調。田村響がハンブルクのスタインウェイを弾き、上野真がベーゼンドルファーのピアノを弾く。
モーツァルトの2台のピアノのためのソナタは、1990年代に、「聴きながら勉強すると成績が上がる曲」として話題になったが、その後に、「そういう見方は出来ない」として否定されている。
モーツァルトらしい典雅で愛らしい楽曲で、二人のピアニストの息もピッタリ合っている。なお、今回は、ソロ曲とワーグナー以外は譜めくり人を付けての演奏で、譜めくり人は各ピアニスト専属の女性が担当。三舩優子の譜めくり人だけは、ワーグナー作品で出演もする稲垣慈永(じえい)が務めていた。

 

三舩優子のソロ演奏曲は、リストのペトラルカのソネット第104番。美しいタッチの光る演奏である。ハンブルクのスタインウェイのピアノを使用。

 

髙木竜馬のソロ演奏曲は、ラフマニノフの前奏曲「鐘」。ラフマニノフの生前から人気曲であり、ラフマニノフのピアノコンサートに来た聴衆が「鐘」を聴きたがり、ラフマニノフが弾くまで帰らなかったという伝説を持つ曲である。
髙木はスケール豊かな演奏を展開する。低音と高音の対比が鮮やかだ。ピアノはファツィオリ。

 

マーラーの交響曲第5番(シュトラダールによる2台ピアノ版)より第4楽章「アダージェット」
髙木竜馬がファツィオリのピアノを、上野真がベーゼンドルファーのピアノを奏でる。
オーケストラの演奏では、おそらくレナード・バーンスタインの影響で、ゆったりとしたテンポが取られることの多いアダージェットであるが、ピアノでの演奏ということでテンポはやや速め。しかし次第にテンポは落ちる。
弦楽ならではの甘さを持つ曲だが、ピアノで演奏すると構造がはっきりと把握しやすくなる。オーケストラでも分かるが、ため息や吐息の部分がより明確に感じられる。
かといって分析的ではなく、エモーショナルな味わいも十分にある。

 

田村響のソロ演奏曲は、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」。元々はスタインウェイ・ハンブルクを使って演奏する予定だったが、ベーゼンドルファーを用いての演奏に変わる。舞台上の転換はないため、ソロではあるが上手側に鍵盤がある形での演奏となる。蓋は取り払われている。
「華麗なる大円舞曲」は、中学校の給食の音楽だった、という個人的な思い出はどうでもよいとして、愛らしさと神秘性、そしてタイトル通りの華麗さを合わせ持った名曲であり、田村の演奏も鮮やかであった。

ピアノが変わったのは、「ソリスト全員に別のピアノを弾かせたい」という意図によるもののようである。

 

シューベルトの幻想曲 ヘ調用。これも元々は連弾用の曲であるため、そのまま連弾の予定だったのだが、2台のピアノで弾く形に変わった。
シューベルトらしく、またドイツらしいという正統派の音楽と演奏である。暗めではあるが、愛らしさやノスタルジックな感じが顔を覗かせる。

 

バーバーのスヴェニール「バレエ組曲」(ゴールドとフィッツデールによる2台ピアノ版)より第5番“Hesitation-Tango”と第6番“Galop”
三舩優子がハンブルクのスタインウェイを、上野真がニューヨークのスタインウェイを演奏する。
アメリカの音楽、それも前衛には手を出さなかったバーバーの作品だけに、軽快で親しみやすく、明るくチャーミングな音楽が繰り広げられた。

 

ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲 4台ピアノ16連弾 打楽器付き(小林仁編曲)。大規模な舞台転換があるため、その間を教員総出演によるトークで繋ぐ。小林仁は砂原悟の直接の師だが、髙木竜馬が12歳ぐらいの時に小林の自宅に伺ってレッスンを受けたことがあったり、田村響が参加したコンクールの審査員が小林だったりと、若手とも繋がりがあるようだ。今回のコンサートにも「ぜひ伺いたい」と言っていたのだが、小林の住む東京は昨日今日と雪。道路でスリップする可能性があるので外出は難しいということで、京都に来ることは叶わなかったようだ。

4台のピアノが上から見るとTwitter状に、じゃなかったX状に配置される。打楽器の森本瑞生(特別客演)、武曽海結(むそ・みゆ)、丹治樹(たんじ・たつき。客演)はその背後に横一列で陣取る。
X状の手前上手側に髙木竜馬&生駒由奈、手前下手側に田村響&長山佳加、奥下手側に三舩優子&稲垣慈永、奥上手側に砂原悟&廣田沙羅。砂原悟&廣田沙羅コンビのみ、学生が第1ピアノ、教員が第2ピアノである。髙木竜馬がタブレット譜を使っているのが確認出来るが、他のピアニストの譜面は私の席からは見えない位置にある。
基本的に時計回りに主役が変わっていくようであるが、主旋律は田村響が受け持つことが多いようだ。
4台のピアノによる演奏を聴くことは少ない上に(多分、初めてである)更に打楽器が加わっての演奏。おそらく唯一無二の体験となるはずである。
オーケストラのように色彩豊かな響きという訳にはいかないが、迫力やスケールなどはこのサイズのホールで聴くには十分すぎるほど大きい。ピアノならではの音の粒が立った響きも印象的である。
実はピアノ専攻の教員の中には、京都市立芸術大学出身者は一人もいないのだが、特別客演としてティンパニを受け持った森本瑞生(京都市立芸術大学専任講師)は京都市立芸術大学のOGである。森本は更にシンガポール国立大学・ヨンシュウトー音楽院、ジョンズ・ホプキンス大学・ピーポディ音楽院(交換留学生として)、ジュリアード音楽院大学院でも学んでいる。
学生達は、京都市立芸術大学ピアノ専攻もしくは大学院に在籍中だが、京芸の学部卒業後に海外の大学院を修了してまた戻ってきていたり、すでにいくつかのコンクール優勝歴や入賞歴があったりする人もいる。客演の丹治樹は、京都市立芸術大学音楽学部管・打楽器専攻を経て同大学院修士課程器楽専攻を修了。卒業時に京都市長賞受賞。パーカッションアンサンブルグループ「アカサタ♮」のメンバーである。
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲は、高揚感溢れる曲だけに、演奏終了後に客席も盛り上がる。

「良かったねー」という声があちこちで飛び交い、聴衆の満足度も高そうであった。
帰りであるが、ここでまた堀場信吉記念ホールの弱点が見つかる。堀場信吉記念ホールは京都市立芸術大学A棟の3階にあり、1階から階段が伸びているのだが、照明がないため、足下がよく見えず危険である。エレベーターもあるが、余り多くの人は乗せられないので、大半の人は階段を選ぶことになるのだが、改善しないと事故が起こりそうである。スマホのライトで足下を照らしながら歩く人もいた。

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