2025年12月14日 (日)

コンサートの記(932) ジャン=クリストフ・スピノジ指揮 京都市交響楽団第706回定期演奏会

2025年11月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第706回定期演奏会を聴く。指揮は、ジャン=クリストフ・スピノジ。

ジャン=クリストフ・スピノジ。いかにもベートーヴェン好きになりそうな名前であり、フランス・コルシカ島出身ということでナポレオンと同郷である。ベートーヴェンは「ウェリントンの勝利」を書いているけれども。
詳しい経歴などは無料パンフレットには載っていないが、クラシック音楽における「アンファン・テリブル(恐るべき子ども)」と呼ばれていたり、「並外れたリズム感と身体能力を持ち合わせた。音楽家=振付師」と称されてもいるようだ。

2007年に自ら組織したアンサンブル・マテウスと共にシャトレ劇場で珍しいものも含むオペラをいくつも上演。客演指揮者として、ベルリン・ドイツ交響楽団、パリ管弦楽団、hr交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、ウィーン交響楽団などと定期的に共演し、2021年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台にも立っている。

開演30分前からプレトークがあるが、スピノジは、フランス語で比較的長めのトークを行っていた。事前に打ち合わせはしていたと思うが、通訳泣かせではある。内容は楽曲の解説が中心。「田園」交響曲については、日本人の独自の自然観についても述べていた(私の認識とは多少異なっていたが)。

 

曲目は、ロッシーニの歌劇「アルジェのイタリア女」、ハイドンの交響曲第82番「熊」、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」

 

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の町田琴和(まちだ・ことわ。女性)が客演コンサートマスターとして入る。町田姓は圧倒的に鹿児島県出身者が多いのだが、彼女は東京生まれのようである。ちなみに私には京都出身の町田姓の友人が二人いる。
フォアシュピーラーに泉原隆志。ヴィオラの客演首席に石橋直子、チェロの客演首席にルドヴィート・カンタ。管の首席奏者の大半はベートーヴェンのみの出演である。クラリネット首席の小谷口直子は、老眼鏡をかけて出演した。私も近頃は老眼に悩むようになっている。

チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置での演奏。実のところ、ドイツ式の現代配置でもアメリカ式の現代配置でも大した違いはないとこれまでは思ってきたが、「田園」交響曲を聴いてその認識が誤りであることが分かった。

 

指揮台の前に譜面台はなく、スピノジは全て暗譜によるノンタクトでの指揮を行う。拍を刻むことは稀で、基本的には音型を両手で示してみせる。

 

ロッシーニの歌劇「アルジェのイタリア女」。ピリオドによる弦楽の響きの透明さがプラスに働き、管も快活で楽しい演奏になる。

問題はここからである。
ハイドンの交響曲第82番「熊」。最近、熊が日本のあちこちに出没しているが、「タイムリー」などとは言えないタイトルである(後記:令和7年の今年の漢字は「熊」に決まった)。タイトルの由来はよく分かっていないが、第4楽章の音型が熊の鳴き声に聞こえた説などがある。ハイドンによる命名ではない。

ロッシーニにはティンパニのパートがなく、この曲から中山航介がバロックティンパニを担当するが、ティンパニは指揮者の真正面ではなく、後列の中で一番上手寄りに陣する。

交響曲第82番「熊」は、ロヴロ・フォン・マタチッチがNHK交響楽団の定期演奏で取り上げたときの放送用音源がCD化されているので、それで親しんだ人も多いかも知れない。
だが、スピノジの「熊」は一般的な「熊」交響曲とは別物。緩急、強弱の幅が著しく、「これが俺の考える『熊』だ!」と思い切り提示してみせる。常日頃の京響では追いつけない解釈で、そこでスピノジと共演経験のある町田琴和が客演コンサートマスターとして呼ばれたのだろう。

かなり即興的であり、再創造的であるが、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなどは「音楽は即興的でなければならない」と考えており、同じ演奏は二度としなかったし、朝比奈隆もその時々によって演奏を変えていた。だからスピノジが前例のないことをした訳でもない。

良い演奏かどうかは人によって意見が分かれると思うが、私は、「遊んでるな」と微笑ましく見ていた。

ハイドンは交響曲第90番で、「全曲終わったと見せかけてまだ終わってない」を繰り返すのだが、スピノジは「熊」で同じことをやる。勿論、スピノジが切ったところで曲が終わるわけはないのだが、客席からは、「クレイジー!」という言葉が飛び(演奏中に言葉が飛ぶのはかなり珍しい)、演奏が終わってからはブーイングも響いた。

ハイドンは古典派なので、格調高く演奏すべきという考えは分かる。ただそうした考えがハイドンの人気を下落させ、ピリオド・アプローチが盛んになってから復活したということを考えると、「べき」演奏は作曲家の魅力を下げることに繋がらないと言い切れるだろうか。

 

ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。

第1楽章はやはり緩急を付けた演奏。同じフレーズでも急に遅くなったり速くなったりアゴーギクを多用する。ゲネラルパウゼも長め。この楽章ではそうする必要を強くは感じなかったが、第2楽章ではほぼインテンポによる細やかな演奏を聴かせる。小川のせせらぎを描いているのでそんなに急に遅くなったり速くなったりする訳はない。
第3楽章は「風景」よりも「心情」を表出。沸き立つ気分が描かれる。そして「嵐」であるが、ここで客席側に配置されたチェロがエッジの立った音を聴かせる。チェロは音が前に飛ぶ楽器なので、ドイツ式の現代配置のようにオーケストラの内側にあった方が有利なような気がするのだが、アメリカ式の現代配置のように指揮者のすぐ横にあった方が操りやすい。ストコフスキーも単に録音用に配置をした訳ではないようである。
第1ヴァイオリンの響きも電光を表していることがいつも以上によく分かる。
そして「嵐」のラストの方は引き延ばされ、嵐が去って行く様が描かれる(実際、第5楽章に入る直前までチェロは雷鳴の響きを奏で続けている)。
第5楽章は非常に明るい演奏であるが、最後の方で、「ここから去りたくない」というメッセージをスピノジは見つけていた。

 

老年になると穏健派になってしまう指揮者も多いが、スピノジにはこれからも暴れまくって欲しいものである。

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2025年12月12日 (金)

観劇感想精選(504) 音楽劇「エノケン」

2025年11月2日 大阪城公園内のCOOL JAPAN OSAKA WWホールにて観劇

午後5時から、大阪城公園内の、COOL JAPAN PARK OSAKA WWホールで、音楽劇「エノケン」を観る。ホリプロの制作。喜劇王エノケンこと榎本健一と彼の家族や仲間達を描いた作品。COOL JAPAN PARK OSAKAは、2019年にオープンした劇場だが、これまで何故か縁がなく、初めての来場である。

まだ軽演劇が盛んな時代の東京が舞台だが、現在の東京の軽演劇はもう何年も虫の息状態。一方、大阪は吉本新喜劇が今も人気であり、日本で最も成功した軽演劇の劇団となって、大阪を軽演劇の中心地とした功績は大きい。一方、松竹新喜劇などライバル劇団は苦戦しており、吉本の一強が続く。

COOL JAPAN PARK OSAKAという劇場自体が、大阪の民放各社と吉本興業によって建てられている。大阪だけの特殊な状況だが、各民放と吉本興業が共同で番組制作を行っており、吉本の権限が非常に強い現状の象徴となっている。3つあるホールの名付け親も明石家さんまだ。
一方、吉本自体は必ずしも堅調とは言えず、大阪で売れた芸人が東京吉本に進出するという状況は相変わらず続いていて、かまいたちや千鳥など、大阪時代に面白さに定評にあった芸人が東京に移って全国区になるというパターンがすでに成立しているものの、ミルクボーイや霜降り明星など個別に面白いコンビはいるが、次の世代の人達が順調に育っているとは言えず、劇場面でもよしもと祇園花月は撤退。吉本は京都における拠点を失っている。
ダウンタウンという看板もこれからは出演は無理そうであり、危機的な状況である。
吉本は京橋花月があった時代に芝居路線を打ち出したが、京橋花月閉鎖と同時に撤退。COOL JAPAN PARK OSAKAはその路線に戻るための布石だったと思われ、現在も吉本系の演劇が行われている。

この音楽劇「エノケン」も又吉直樹が戯曲を手掛けるなど吉本の色が入っている。作:又吉直樹、演出:シライケイタ。音楽:和田俊輔。主演:市村正親。出演:松雪泰子、本田響矢、小松利昌、斉藤淳、三上一朗、豊原功補。

松雪泰子は、エノケンの妻・よしゑと、銀座の女郎・花島喜世子(アイコの源氏名で呼ばれる)の一人二役。途中で、「一人二役って大変なんだから」と登場人物ではなく松雪泰子のセリフを言う場面があるが、台本に書いてあったのか、稽古中にアドリブで言ったのが採用されたかのどちらかであろう。

まず、エノケン(市村正親)が脱疽を患い、義足になった場面から始まる。エノケンは息子の鍈一(本田響矢)に支えられながら退場。
その後、市村正親は、若かった頃のエノケンとして客席下手入り口から登場。通路を歩いて舞台に上がる。名曲「青空(私の青空)」、NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、ヒロインの寅子(伊藤沙莉)が披露宴で歌い、「あの曲なに?」「披露宴で唄う歌じゃない」と話題になった(この時点での寅子の鈍さが表れている象徴的な場面でもある)「モン・パパ」、「東京節」「洒落男」などが歌われる。市村も高齢だが、本業がミュージカル俳優。本業が喜劇俳優で歌は余技の榎本健一よりも歌唱力ははるかに高い。それにしても「モン・パパ」が入るようになったのは感慨深い。「虎に翼」で話題になったということもあるが、恐妻家を唄った歌は、これまで男性からも女性からも好まれなかった。「モン・パパ」はタイトルからも分かるとおりシャンソンで、様々な日本語訳があり、今はYouTubeで聴くことが出来るようになっている。何種類もの訳詞と歌唱があるということは、大ヒットしたということだが、その後忘れられ、久しぶりに日の目を見た曲ということでもある。なお、「寅に翼」で歌われたのは、榎本健一&二村定一によるバーションである。

よしゑと喜世子の二役を行った松雪泰子。着物の早替えと声や仕草の変化で演じ分ける訳だが、喜劇役者の妻であるよしゑよりも、女郎とはいえ高級な店でハイクラスな人々の相手をしている喜世子の方が言葉遣いも身のこなしも可憐。身分的にはよしゑの方が上のはずなのだが、こうした逆転現象は、演技=演劇の妙味である。
松雪泰子出演の舞台はそれほど多く観てはいないのだが、彼女は空間に嵌まるタイプであるため、ヒット率はかなり高そうである。

豊原功補は、今回は、劇作家の菊谷榮(きくや・さかえ)を演じている。最初の場面で菊谷の声にエコーが掛かっていたため、彼が今はこの世にいないことが分かる。
その後、時代が遡り、菊谷が元々は舞台美術をしていたが、脚本に回ったことなどが語られる。三谷幸喜の「笑の大学」にも、菊谷をモデルとした人が出てくるが、軽演劇の本は演劇のそれとは異なる要素が求められる。お客さんは笑いに来ているので、哲学的な命題で入ったり、斬新な設定にしても付いてこられない。菊谷もそんなものを書くつもりはなかったが、自分にしか書けない作品を望んでいた。しかし召集令状が来る。戦地で菊谷は自身の最高傑作を書き上げるのだが、程なく戦死する。検閲制度があったため、戯曲にも目を通され、「自分にしか書けない」戯曲などは当局によって危険と判断され、破棄された可能性が高い。
そうではあっても、菊谷は幽霊となってエノケンを励ます。

菊谷よりも有名なのが菊田一夫(小松利昌)。「君の名は」が最も有名だが、小学校中退であり、仕事がないので公衆便所の掃除の仕事に申し込んだところ、「学歴がない」という理由で落とされ、「なにを!」と奮起して学歴の関係ない演劇界で生きている。

古川緑波(斉藤淳)は、早稲田大学中退であり、他の演劇人に比べるとインテリで、最初の売り込みのときから自身のことを「千両役者」と呼んでいたようである。その後、エノケン・緑波は浅草の二大看板となったが、次第にアイデアの枯渇に悩むようになっていく。その後、映画に端役で出たり、地方公演など、プライドをかなぐり捨てての活動を行うが、尊大な態度が周囲の人の癪に障ったようで、57歳にして寂しく世を去っている。

エノケンも脱疽の病気が進み、右足の膝から下を切断。その後、訓練によって軽快な動きを取り戻すが、更に脱疽は進んで太ももの切断まで行う。エノケンは心の面においては弱い人のようで、何度も自殺しようとするが、未遂に終わる。その後の復帰も周囲の人々に支えられてだった。古川緑波の凋落はこの芝居の中では描かれないが、好対照な生き方であるといえる。

実は、私が小学校の頃、道徳の教科書に載っていたのが、脱疽の病を得た後の榎本健一の姿だった。記憶が曖昧だが、今日観た芝居に描かれたエノケンとは違い、毅然とした英雄的な態度だったように思う。教科書の編纂者は、障害を得ても強く生きる偉人として榎本健一を選んだはずである。だが、実際の榎本健一は今日の芝居の方が近いはずである。

小説家や脚本家が戯曲を書くとかなりの確率で失敗する。戯曲は場面が限られるので、その中で何をどう配置するか決める必要があるが、小説も脚本も舞台は無限であり、ずっと自由である。
又吉直樹の戯曲も、場面や時代が飛ぶことが多く、映像的ではあったが、彼自身が舞台人ということもあり、過度にセリフを語らせることはなかった。またメタ的なセリフだが、「セリフは短い方が良い」と俳優に語らせていた。

シライケイタの演出は、中仕切り幕の多用が印象的。緞帳はないので、中仕切り幕で場面転換などを行う。歌舞伎的な手法だが、蜷川幸雄に影響を受けた人なので頷ける。客席の通路を多用した演出であり、市村正親や松雪泰子を間近で見ることが出来た。やはり松雪泰子は顔が小さい。

榎本の障害に相当するものが市村にとっては年齢だと思われる。昔のように唄えなくなるし、踊れなくなる。エノケンは65歳で他界したが、市村は76歳にして現役。市村は今日は年齢から来る衰えを克服したように思う。

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2025年12月11日 (木)

観劇感想精選(503) 舞台版「酔いどれ天使」(再演)

2025年12月6日 大阪上本町の大阪新歌舞伎座にて観劇

午後5時から、大阪上本町の大阪新歌舞伎座で、「酔いどれ天使」を観る。黒澤明監督の同名映画の舞台化である。笠置シズ子の「ジャングル・ブギ」が用いられていることでも知られるが、舞台版では踊り子は出てくるものの、「ジャングル・ブギ」などの歌はうたわれない。2021年に上演された舞台の演出家を変えての再演で、今回の方が有名キャストは少ない。

原作:黒澤明、植草圭之助。脚本:蓬莱竜太、演出:深作健太。黒澤以外は比較的珍しい苗字が並ぶ。植草は千葉県固有の姓で、少年隊の植草克秀は千葉市出身。また千葉市には植草学園大学という大学がある。ただし植草圭之助は東京生まれである。深作は、深作健太の父親である深作欣二が一人で有名にした苗字である。
出演:北山宏光、渡辺大、横山由依、阪口珠美、佐藤仁美、大鶴義丹ほか。京都出身の有名芸能人の一人である横山由依(京都人からすると「木津川市なんて奈良やん」ということになるのかも知れないが)は、岡田結実(おかだ・ゆい)との「ユイ」コンビでWキャストである。今日は昼からの公演は同じ役を岡田結実が演じた。

敗戦後の東京が舞台。闇市で成り上がり、愚連隊の頭的存在となった松永(北山宏光)は、手に銃弾を受け、腕は良いが酒好きで貧乏な医師の真田(渡辺大)に、弾丸の摘出手術を受ける。その時、真田は松永が結核に罹患していることを見抜く。
真田は性格にも癖があり、「名医が認める名医」的存在であるにも関わらず、格好もだらしがないため、患者が来ない。1ヶ月ほど誰も受診に訪れておらず、収入ゼロだが、それでも深刻には感じていない鷹揚な人柄である。開業医であるため、医院は自宅と兼用となっており、婆やと居候の美代子(佐藤仁美)と暮らしている。真田は平野愛子の「港が見える丘」(1947)が好きでしょっちゅう口ずさんでいる。
かつてこの街をシマとしていた岡田(大鶴義丹)が刑務所から出てくる。岡田は戦争中はずっと服役していたため、戦場のリアルを知らない。松永はかつては岡田の弟分だったが、「またアメリカと戦争をして今度は日本が勝つ」などと能天気なことを言う岡田と距離を取るようになる。松永は出征しており、前線に送られていた。他の兵士は必死で戦う気であることが分かったが、岡田は怖くて逃げることばかり考えていた。そのため五体満足で帰ることが出来たのかも知れないが、そのことを負い目に感じていた。
ある日、闇市を歩いていた松永は幼馴染みのぎん(横山由依)に声を掛けられる……。

 

第1幕、第2幕共に上演時間1時間ほどだが、映画を演劇にするのは難しいのか、1時間なのに長く感じられる。カットを切り替えたりは出来ないので、その分、セリフも多めになっているのかも知れない。中央に黒い水たまりが描かれた舞台で、布などを用いた演出もある。セットが変わることもあるが、映画にしては舞台があちこち飛ばない作品なので、舞台化には向いていると思う。
演技面で一番良かったのは佐藤仁美。最近は露出も特別多くはないし、容姿的にも飛び抜けた美人という訳ではないが、それでも長く活躍出来ているのは演技力が高いからだろう。頭一つ抜けている感じがした。

横山由依は全編北陸方言を用いての演技。北陸地方の何県なのかは分からないが、脚本担当の蓬莱竜太が青春時代を石川県で過ごしているので、石川弁である可能性は高い。彼女は真面目な性格で知られ、AKB48第2代総監督も務めているが、いかにも「真面目」な演技。伝わる人には伝わるし、嵌まる役もあると思うが。もう少し余裕があると更に良くなると思う。
演技面では他には突出した人はいないが、それぞれの個性は上手く出ていたように思う。
元乃木坂46の阪口珠美は、ダンサーの奈々江役だが、他のダンサーはダンスを本業としている人達。阪口は女優だからセリフも勿論喋れるが、他のダンサーは……。
最近、ミュージシャンやダンサーにセリフを喋らせる演出をたまに見るが、上手くいかない。セリフを喋るのは想像しているよりも難しい。

有名人が余り出ないので、客席は埋まっていなかったが、北山宏光のファンと思われる女性の中にはラストで泣いている人も大勢いて、作品としては成功だったといえる。

ラストでキャットウォークから紙切れが大量にばらまかれていたが、意図はなんだろう。すぐに思いつくのは二・二六事件、そして太平洋戦争中に米軍が飛行機からばら撒いた日本を揶揄する文章(「日本、よい国カミの国 カミはカミでも燃える紙」といったような文章)。イスラエル軍もガザ地区で、「ガザ市に残る者はスパイと見なして容赦なく撃ち殺す」という文章が書かれた紙を飛行機から撒いているそうである。IT全盛の時代だが、一度に多くの人にメッセージを伝えるには飛行機から文章が書かれた紙を撒くのが一番効果的なのかも知れない。いずれにせよ戦時色がいつ濃くなってもおかしくない不気味さを感じさせる演出である。

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2025年12月 9日 (火)

これまでに観た映画より(416) 黒澤明監督作品「酔いどれ天使」

2025年12月6日

Amazon Prime Videoレンタルで、黒澤明監督作品「酔いどれ天使」を観る。1948年公開。監督:黒澤明、脚本:植草圭之助&黒澤明、音楽:早坂文雄。出演:志村喬、三船敏郎、山本禮三郎、小暮三千代、中北千枝子、千石規子(千石規子も一発変換出来ない時代か)、笠置シズ子、進藤英太郎、清水将夫、殿山泰司、久我美子、飯田蝶子、堺左千夫ほか。
挿入歌「ジャングル・ブギ」(歌唱:笠置シズ子。作詞:黒澤明、作曲:服部良一)

基本的に、男性の役名は苗字のみ、女性の役名は下の名前のみである。笠置シズ子のように「ブギを唄う女」と役割が代名詞的に役名になっている人もいる。

舞台は東京であるが、東京の具体的にどこかは分からない仕掛けになっている。

巨大な水たまりに面した場所で開業医を営んでいる真田(志村喬)。水たまりの向こう岸では男(堺左千夫)がギターの練習を夜遅くまで行っているが、余り上手くはない(実際にはプロのギタリストである伊藤翁介が敢えて拙く弾いた音源を使用している)。松永という男が手を負傷したので、真田は手術を行う。手からは銃弾が摘出される。松永はこの一帯をシマとする暴力団の若頭的立場におり、近くの闇市一帯では顔役である。真田は松永が結核に冒されていることを見抜く。
巨大な水たまりは、いくつかの要素のメタファーだと思われるのだが、具体的に直喩が行われるのは、真田の「お前(松永)の肺の中のようだ」という言葉だけである。ただ、今と違い、衛生には配慮が行き届いておらず、更にはゴミの処理などもいい加減で、水たまりにゴミが捨てられたりしている。範囲を拡げれば、混乱の最中の東京、そして日本のようでもある。

この映画での三船敏郎は、西洋の俳優のような彫りの深い顔立ちで、「これぞスター」といったオーラがある。三船敏郎は三船敏郎で魅せる俳優で、木村拓哉に通じるところがある。木村拓哉も「何をやってもキムタク」などと言われるが、客の大半はキムタクを見に来ているのでそれで良い。そういう役者もいないと困る。

三船敏郎以外の俳優は、容姿面で優れているからキャスティングされたのではなく、演技力で選ばれているため、平凡な顔立ちの人が多い。元華族の令嬢である久我美子(くが・よしこ。本名は同じ漢字で「こが・はるこ」。珍しく源氏系の公家であった久我侯爵家の出身である)も10人いれば10人が「美人」と評するタイプではない。
現在は、「容姿でスカウトして、レッスンを積んで、もしくは積まずにデビュー」が多いと思われるが、練習すれば誰もが名優になれるという訳でもないので、演技力が頭打ちになっている気もする。容姿重視だと若い頃にたくさん出演させて稼ぐ必要があるので、実力が伴わないままになってしまう危険も高いのだが、売り上げ重視の事務所も多い。
それでも、私には「意地悪なお婆ちゃん役」のイメージがある千石規子なども当時としては可憐な方かも知れない。千石規子の演技が最も良かったと思える作品は、「おこげ」という映画。性的な要素も多い作品だが、神経症になった老婆を千石規子が迫真性を持って演じている。
この作品で千石は居酒屋で働くぎんを演じているが、舞台版とは違い、東京の言葉を話し、松永と同郷ではないが地方の小さな町の出身である。具体的な地名は語られないのでそこがどこなのかは分からない。

真田は、平野愛子の「港が見える丘」が好きで、たびたび口ずさむ。「港が見える丘」は前年である1947年のリリースである。戦争未亡人を主人公とした歌だ。

松永の兄貴分である岡田(山本禮三郎)が刑務所から出てくる。水たまりの畔でギターを弾いている男からギターを借り、スペイン調の楽曲を弾く。タイトルは「人殺しの歌」。
真田家に居候している美代子(小暮三千代)は、実はかつて岡田の情婦であった。「人殺しの歌」を聴いて、岡田が刑務所から出てきたことを美代子は悟る。
水たまりの畔で再会する松永と岡田。しかし、以前は兄弟分であったが今は反りが合わなくなっていることを松永は感じる。岡田は出所祝いにキャバレーで、「ジャングル・ブギ」という風変わりな曲と踊りのパフォーマンスを聴く。歌っているのは当然ながら笠置シズ子で、クレジットも歌手引退前なので「笠置シズ子」となっている。ただ歌手引退前に出演した映画で、「笠置シヅ子」という表記になっているものがあり、歌手としては笠置シズ子、女優としては笠置シヅ子と使い分けていた可能性がある。歌手時代が笠置シズ子で歌手引退後が笠置シヅ子ということでもないようだ。「酔いどれ天使」は引退前の出演作で「ジャングル・ブギ」を歌って踊るだけで演技のシーンはないので、いずれにしても「笠置シズ子」である。

松永の結核は進行し、どこかの海岸で棺桶を見つけ、開けてみると松永本人が飛び出してくるという悪夢を見る。松永は逃げるが、もう一人の松永も追ってくる。ここではオーバーラップを使って松永がもう一人の松永に追いつかれる場面が描かれる。芸術的で暗示的で印象的な場面だ。その後、賭場で喀血した松永は真田の家で療養することになる。

組の親分(清水将夫)が岡田が入獄中に松永が守ったシマを、岡田に返すことに決める。美代子を訪ねて真田診療所まで来るなど、往年の力を取り戻しつつある岡田の態度に松永は、岡田殺害を決めるのだった。


ペンキまみれになりながら松永と岡田が闘うシーンは、歌舞伎の「女殺油地獄」のオマージュかも知れない。

1948年の映画ということで、映像も音声も機械が今ほど発達していない上に経年劣化もある。セリフが団子になって聞き取れない場所もあるが、マイクの性能がそれほど良くないということで、明瞭さ重視の発声を行っている人が多い。ということで、現在とは演技のスタイルも異なっている。今だったらもっと大きな声が出せる場面でも、マイクが割れてしまうので抑える必要があったかも知れない。
笠置シズ子登場の場面は特に意味はなく、「人気歌手を出そう」程度の意図だったのかも知れない。「ジャングル・ブギ」も特に映画の内容とは関係のないものだが、当時のまだ混沌とした東京の街をジャングルに見立てた可能性はある。なお、連続テレビ小説「ブギウギ」でも、服部良一をモデルとした羽鳥善一(草彅剛)が、「ジャングル・ブギ」を書くことになった経緯を説明する場面で、「映画監督が分けの分からない歌詞を書いてきた」と言うセリフがある。

松永が不摂生を重ね、結核を進行させてしまうのと対照的に、セーラー服の少女(という役名である)は真田の言いつけをきちんと守り、快癒する。セーラー服の少女を演じた久我美子は、ちょっと前まで華族だった人だけに、やはり気品が違う。

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2025年12月 4日 (木)

これまでに観た映画より(415) 「アクターズ・ショート・フィルム」シーズン2

2025年12月2日

アクターズ・ショート・フィルム シーズン2 エピソード1「いくえにも。」とエピソード2「物語」を観る。俳優が監督としてショートフィルムを制作するという試みの第2弾。WOWOWの制作である。

エピソード1「いくえにも。」は、脚本:山咲藍、出演:村上虹郎、平岩紙、見上愛、奥田洋平、黒沢あすか他。監督:青柳翔。

少年が線路沿い(総武快速線もくしくは横須賀線沿いに見える)の電話ボックスに入るシーンから始まるが基本的には家族ものである。
阿部家では、毎週土曜日は一人暮らしをしている長男のシュウヘイ(村上虹郎)を呼んで家族4人で食事をすることにしている。朝食のテーブルについた4人。長女のナツミ(見上愛)は高校の制服を着ているが、土曜日でも学校に通う用事があるのかも知れない。ただ、結局、学校に行くことはない。
ナツミは肉を抜くダイエットを始め、シュウヘイは唐揚げが好きなので妹の分も食べる。
そんなところに、引っ越してきたお隣さんのフジノ(黒沢あすか)がやって来て、犬が……。

食事を始めたときは朝食だったのに、お隣のフジノがいる間に外は暗くなり、夕食となっている。そんなに長くいたのか?
シュウヘイがトイレの中で嘔吐する音が大きすぎるのが問題点。あんなに音が大きく漏れるトイレはもはや欠陥品である。

シュウヘイが自身のアイデンティティーを疑う展開があるが、基本的には食事をしているのがメインの話で、物語らしきものは見当たらない。
二世タレントとしては最も有名な一人である村上虹郎は、外見に似合う演技を見せている。
この時点では無名だったと思われる見上愛だが、大河ドラマ「光る君へ」で、中宮彰子(劇中での読み方は「あきこ」。実は「あきこ」と読む人が数人いた)に抜擢されて注目を浴び、次期朝ドラのWヒロインの一人をオファーで勝ち取っている。自然体の演技を行っているが、これだけでは女優としての資質は分からない。
平岩紙はおそらく主婦役だと思うが(旦那の職業は不明だが、一軒家に住んでいるので、少なくともそれなりの企業で良い地位にいると思われる。シュウヘイはホームセンターの倉庫係と、今ひとつパッとしない職業についた。正社員なのかどうかも不明)は、現実の彼女の年齢よりも若い女性を演じていると思われる。

エピソード2「物語」。出演:琉花、奥平大兼、玉城ティナ、はやしだみき他。脚本・監督:玉城ティナ

若い女性(琉花)が人混みの中でイヤホンを付ける。
彼女は白い部屋の中で寝たきりの男性、ユウヤに自身のことを話し続ける。彼女の職業が女優で、オーディションに落ちまくっていることが分かる。よそで聞いた話によると、男優でも女優でも大抵のオーディションは落ちるらしい。「オーディション荒らし」の異名を取った芳根京子でも落ちたオーディションの方が圧倒的に多いようだ。
とはいえ、オーディションに落ちてばかりでは仕事は出来ない。
彼女は昔、ユウヤがカラオケで歌った尾崎豊の「ダンスホール」を動画で撮影したことがあり、それを視聴して心を癒やしてきた。
見た目は要介護の男性に女性が話しかけているように思われるのだが、女性は部屋を出るとそこは病院のような施設で、女性が何も言わない男性に話しかけることで癒やしを得るセラピー施設のようだ。
新たな女性(玉城ティナ)が来た。ユウヤは、女性に好きなことを言っていいと紙に書いて示す。新たなセラピーが始まる。

7月12日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2エピソード3話「あんた」を観る。脚本・監督・主演:千葉雄大、主演:伊藤沙莉。

バーの雇われ男性ママが仕事を終えた後で小説を書き始める。それは遠い日の自分を題材にしたもののようだ。

仲が良さそうな男女が山にキャンプに来る。男の方(千葉雄大)も女の方(伊藤沙莉)も二人称は「あんた(標準語とは違い、『あ』ではなく『ん』にアクセントが来る)」であり、互いの名前は最後まで分からない。
男と女の親友という感じなのだが、共に未来に不安を感じている。女の方はマンションの22階から飛び降りる気になったことがあるということで希死念慮があり、男の方もまた同様の感情を抱いていた。

二人の関係に変化が起こる。女の方に彼氏が出来て同棲を始めたのだ。男の方は仕事を終えた後、小説を書こうとしているようだが、思うようなものは書けないようである。

女に彼氏が出来たことを男は喜ぶが、単なる親友で男女の関係になることはないと思っていた男が愚痴を言い始め……。

非常に仲が良いが恋人にもパートナーにもなれないし、なる気のない二人の心理劇。二度目のキャンプにおける心理攻防戦が見どころ。基本的に男も女も優しい人であることは分かる。


プライベートでも仲良しという千葉雄大と伊藤沙莉ということで、互いの良さが生かされている。台本はあるはずだが、伊藤沙莉の口癖が入っていたり、口語でしか使わない語順のセリフがあったりするため、かなり即興的に撮られた部分も多そうである。どうやったら自然に見えるかを第一に考えて二人で演技しているということもあり、俳優でない本当の一組の男女のやり取りを見ているかのようだ。
カメラの台数はそれほど多くないが、伊藤沙莉のキュートな丸顔(チャームポイントだと思うのだが、本人はコンプレックスに感じているようで、Instagramなどではビューティー+を使って顔を細くした写真をアップしている)が綺麗に撮られており、千葉雄大が伊藤沙莉のことを人間として大好きであることが察せられる。
線香花火のシーンの伊藤沙莉の子どものような無邪気さも愛らしいが、台本の必用がないシーンなので素でやっていると思われる。

「死んだら殺す」と発言出来る相手と出会う確率はかなり低く、その後はおそらく上手くいかなかったのだろうが、キャンプを楽しんだ日々は思い出として永遠に残るほどの幸せであったのだと思う。

伊藤沙莉は、この作品の演技で、国際短編映画祭 ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2022 ジャパン部門のベストアクターアワードを受賞した。

8月22日

アクターズ・ショート・フィルム パート2のエピソード4「ありがとう」を観る。脚本・監督:永山瑛太。主演:役所広司。出演:永山瑛太、橋本マナミ、服部文祥ほか。
地方都市。役所広司はきちんとした格好をしているが勤め人ではないようだ。食事も十分に取らずに店を出る。金銭的にも行き詰まっているようである。
その後、性感マッサージの店に入るが、ここも途中で抜け出す。
コロナ禍で多くの人がマスクをしているが、マスクをせずに大きな咳をしている男が一人。役所広司演じる男は、咳をしている男の車を奪う。黄色のオープンカーで、重厚な役所広司には軽すぎて全く似合っていない。男は、森の森の中に入り、首吊り自殺を試みようとするが、目の前に黄色い服を着た男が一人。それでも男は縊死を試みるが、ネクタイとベルトだけでは弱く、宙づりにすらなれない。たまに幼女や妻らしき姿が目の前に浮かぶ、男は二人を亡くし(もしくは別れ)、生き甲斐を失ったようだ。
役所広司演じる男は、黄色い服を着た男に案内されて山の中の家へ。二人暮らしで猟をして生活しているようだ。
役所広司演じる男は、猟銃を盗み出し、ヘミングウェイのように口内を撃って自殺しようとするが上手くいかず、ならばと腹に銃口を向けてゴッホのように死のうとするがやはり上手くいかない。
男は、都井睦雄になろうとして、商店街まで出て人々に銃口を向けるが、誰からも相手にされず、森へと戻る。娘の思い出の花束を川に流した後で、男は瑛太演じる黄色い服の男から撃たれる。かすり傷のようだ。
上を見れば太陽は輝き、自然は息づいている。「この世には生きるだけの価値がある」と男は思い直したようである。

妻子を失った老年に入ろうとする男の孤独に焦点を当てた作品だが、悲しく見えねばならないはずの妻子の姿がやけに綺麗であるだけに喪失感が薄まっている。何か一つエピソードを入れた方が良くなるはずである。セリフなしだったとしても十分である。
男の持ち金が少ないことは分かるので、失業がきっかけで妻に去られたのかもしれないが、自殺の理由としてはやや弱い。現実社会ではそうしたこともあるのかも知れないが、フィクションなので更なる説得力が要る。説得力がないと観客が置き去りにされてしまう。

最後に、格好悪い役所広司も格好良かった。

11月18日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2パート5「理解される体力」を観る。出演:柳英里紗(やなぎ・えりさ)、三浦貴大ほか。監督:前田敦子。
小さな喫茶店で、パフェを食べながら泣きじゃくる女、キエ(柳恵里紗)と煙草を吸いながらそれを見守るトランスジェンダーの男、ユミ(三浦貴大)。
キエは、旦那に浮気された。家に帰ったら、旦那が新婚旅行の時に買ったカメラで若い女のことを録画していた(多分、「撮影していた」のだと思われる)。これ以上の悲しみはないというので大泣きしていたのである。キエは悲しみが表に見えないタイプで、しかも身の回りで起こった悪いことにのみ記憶がいい。幼稚園児の頃や小学校時代に起きた悪いことを克明に覚えている。最近の研究で、発達障害のある人は悪いことばかり覚えて良いことを忘れてしまう傾向があることが分かっている。同じ失敗を二度としないために悪いことを覚えるのだが、良いことを覚えて悪いことは忘れるという一般人にありがちな傾向とは真逆であり、生きづらさを抱えている。最終的にはユミも同じような傾向があるらしいことが分かる(演技の可能性もあるので断言は出来ない)。
余り広がりのない物語だが、友情についてはよく分かる話になっている。なお、柳英里紗と前田敦子は大親友だそうだ。その関係を置き換えたところがあるのかも知れない。

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2025年12月 3日 (水)

これまでに観た映画より(414) 日本映画「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」アベラヒデノブ監督&武田梨奈さん舞台挨拶付き上映

2025年10月18日 大阪・十三の第七藝術劇場にて

大阪へ。
十三(じゅうそう)の第七藝術劇場で、映画「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」の舞台挨拶付き上映を観るためであるが、阪急十三駅の外に出るのは、実に20年ぶりぐらいである。阪急十三駅ではしょっちゅう降りているが、基本、神戸線、稀に宝塚線に乗り換えるためで、十三駅を目標として阪急電車に乗ったことは久しくなかった。
チケットはネットでの事前申し込み。発券機に予約番号と電話番号を入れるとチケットが発券される。

第七藝術劇場は、サンポードシティビルの6階にある大阪の老舗ミニシアター。何度か閉鎖に追い込まれているが、映画好きの尽力によって再建されている。尖った企画も多く、大阪の中でも特にファンの多い映画館とされる。

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今日観る「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」は、アベラヒデノブが、2017年に撮影した作品。5日ほどで全編を撮影したという。タイトルは英語で「袋とじ」という意味であるが、武田梨奈が演じる女性が袋とじを開けるのを特技としているほかに、外国とは違った「日本の流儀=ジャパニーズスタイル」が存在することも意味している。主演した吉村界人と武田梨奈も企画で参加している。劇場公開は2022年。

大晦日。画家の茂田を名乗る長谷川平太(吉村界人)は、元カノをモデルにした作品の目を描くことが出来ずにいた。共同での展覧会で発表する必要があり、長谷川が作品を出さないと展覧会は中止になって、損失は長谷川が埋めることになる。タイ人の知り合いが運転する自動三輪タクシー(トゥクトゥク)で、元カノと別れた空港に向かった長谷川は、倫(りん)という女性(武田梨奈)と出会い、行動を共にすることになる。倫には8歳の時に父親に捨てられた苦い記憶があるのだが、その父親が自分と同い年の中国人女性と再婚することを知らされていた……。

羽田空港と横浜の街で撮影が行われており、中華街やみなとみらい地区の観覧車など横浜の名所が映っている。

元カノの幻影から逃れられない男と、父親から受けた傷と向き合う女の物語である。二人は気が合いそうにも見えるのだが、ラストシーンの後でアメリカに共に向かったのかどうかは観る者の想像に任されている。倫は空港で誰でも出来るようなアルバイトをしており、失うものは何もないため、一緒に行きそうな予感は感じられる。

怒りを抱えている登場人物が多く、カリカリしたようなひりついた感じを受ける映画で、観ていて良い印象は受けないのだが、撮影現場でもそうしたカサついた空気はあり、喧嘩などもしながら撮っていったそうで、それが映画に影響しているのだろう。現場の空気が反映されているという点では成功作と言える。

 

終映後、アベラヒデノブ監督と、主演女優の武田梨奈による舞台挨拶。「虎に翼」では、金持ち弁護士の遺産を独り占めにしようと謀る愛人役を演じていた武田梨奈。生で見るのは初めてだが、想像以上にスポーティーな印象を受ける。スポーツを欠かさずにしている人が持つ雰囲気で、肩周りの盛り上がりなどもそれを裏付けている。空手家でもあり、「芸能界最強女子」とも言われる人だが、柔らかい感じで、自分から行くタイプではないことが分かる。

 

限られた時間での舞台挨拶であったが、アベラヒデノブ監督は大阪芸術大学映画科の出身で、第七藝術劇場には学生時代から思い入れがあったことを述べた。
武田梨奈は、先に記した通り映画が短期間で撮られたことと、現場の雰囲気について述べていた。また二人によると、「上映出来る場所があるかどうか分からない」状況で撮影が始まり、とにかく撮るというスタイルで進んでいったのだが、アベラヒデノブ監督が行方不明になる事件があったそうである。脚本に不備が見つかったため、漫画喫茶に閉じこもってずっと脚本を書いていたそうだ。

 

 

約20年ぶりの十三の街。大阪市の中でも下町の色が濃い場所である。一般の店のみならず、コンビニも出店を設けて声を張り上げている。コンビニがこうしたことを常時行っているところは日本でも余りないはずだ。
メインストリートを少し外れた所に神津神社という社があったので参拝してみる。高木彬光の神津恭介シリーズが好きな人には聖地になりそうだが、今の日本で神津恭介のファンがどれだけいるのか不明である。明智小五郎や金田一耕助のファンは多いだろうけれど。

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2025年12月 1日 (月)

コンサートの記(931) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第593回定期演奏会

2025年11月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバあるホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第593回定期演奏会に接する。指揮は、シャルル・デュトワ。
ここ数年は、毎年春から初夏にかけてに大阪フィルに客演していたデュトワ。だが昨年は、来日して東京での演奏会は指揮したものの、すでに体調の悪さは現れていたようで、大フィルのリハーサルにも現れたが、初日の終盤でリタイア。ヨーロッパに戻り、感染症(コロナではないとのこと)と診断されたが、めげずに再来日。予定通り福岡の九州交響楽団への初登壇を果たした。

今回も名誉音楽監督の座にあるNHK交響楽団を指揮してから大阪へとやって来たデュトワ。
N響でも大フィルでもメインとなるのはラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲である。

デュトワにとって、「ダフニスとクロエ」全曲は特別な楽曲である。モントリオール交響楽団の音楽監督に就任後、ローカルなオーケストラに過ぎなかったモントリオール響の実力を大幅にアップさせ、DECCAにレコーディングした同曲がベストセラーとなり、デュトワとモントリオール交響楽団の名を天下に轟かせている。
以後、フランス音楽を中心に録音を軌道に乗せたデュトワとモントリオール響(OSM)。ラヴェル、ドビュッシー、フォーレ、ベルリオーズ、ビゼー、フランクなどのフランス音楽と、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキー、チャイコフスキー、プロコフィエフなどのロシア音楽を録音。リリースしたCDの約半分が何らかの賞を獲得している。
デュトワは、NHK交響楽団ともDECCAにレコーディングを行っており、OSM相手ではなく個別にオネゲル交響曲全集やルーセル交響曲全集などのフランス音楽の王道からやや外にいる作曲家の作品も録音している。
OSMと決別した後は、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」でOSM盤を上回る出来を示している。フランス国立管弦楽団とは「プーランク管弦楽曲全集」を録音。協奏曲なども含む全集で、プーランクは名声に比して録音が少ないため重要な仕事となっている。

なお、大阪フィルハーモニー交響楽団の来年度の定期演奏会のプログラムが発表になったが、そこにデュトワの名はない。デュトワも先月89歳の誕生日を迎えた。「ダフニスとクロエ」で始まった環が「ダフニスとクロエ」でいったん閉じられようとしているのかも知れない。

 

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第22番(ピアノ独奏:小菅優)、ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:大阪フィルハーモニー合唱団)。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の真正面ではなくやや下手寄りに陣取る。

オーケストラは90人編成だそうで、エキストラも多い。出演者一覧には、京都市交響楽団の一樂恒(いちらく・ひさし。チェロ)、京都フィルハーモニー室内合奏団の松田美奈子(ヴィオラ)の名が見える。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第22番。モーツァルトのピアノ協奏曲の20番台前半の中では取り上げられる回数が比較的少ない曲である。他の曲が個性に満ちているだけにやや埋もれ気味になるのかも知れない。
映画「アマデウス」では、売れなくなったモーツァルトがウィーンの街を一人で歩くシーンで第3楽章の冒頭が用いられている(選曲&音楽監督;ネヴィル・マリナー)。

小菅優は、日本の若手の代表格的存在であるピアニストだが、そろそろ中堅に差し掛かろうとしている。大きなコンクールに参加したことがないのが特徴だが、マックス・ポンマーが京都市交響楽団に客演した際、ソリストを務めた小菅優が子どもだった頃に参加したピアノコンクールの決勝で協奏曲の指揮を担当したと語っていた。優勝したそうである。マイナーなコンクールを受けたことはあるのかも知れない。
世界的なコンクールで好成績を収めると注目されるが、必ずしも良い成績を収めた奏者が順調なキャリアを築くとは限らない。

編成を小さめにしてピリオドを援用しての伴奏。フェエスティバルホールは空間が大きいので、最初のうちは伴奏が聞こえにくかったのだが、次第に耳が調節される。デュトワ指揮の伴奏だが、かなり陰が濃い印象である。明るい旋律を歌っていても陰が忍び寄ってくる。
小菅のピアノはモーツァルトらしく透明度が高く愛らしいが、こちらも次第に暗いものが底から溢れてくる。
第1楽章と第3楽章のカデンツァは、20世紀を代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンが書いたものを使用。ブリテンはピアノ協奏曲第22番に出てくる様々なメロディーをコラージュしたものをカデンツァとして纏めていたが、最後は不吉な感じで終わる。

もっとも明るいはずの第3楽章。だが、最初はピアノが弾き、ヴァイオリンが同じ音型を返していたものが、終盤では、ヴァイオリンはピアノが弾いた通りには演奏せず、次第に距離が出来ているように感じられる。ピアノ協奏曲第20番や、第23番の第2楽章で露わにした孤独な表情を、ピアノ協奏曲第22番では、悟られにくいように行っているように感じられる。同じ天才のブリテンは当然気付いたはずだ。

 

アンコール演奏は、ショパンの「エオリアのハープ」。駆け抜ける爽やかな風のような演奏だった。

 

ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲。演奏規模、上演時間共にラヴェル最大の作品である。ラヴェルはその後、演奏会用に2つの組曲を編んでおり、特にバレエ音楽の第3部をほぼそのまま転用した第2組曲はコンサートでもたびたび取り上げる。
デュトワの指揮する「ダフニスとクロエ」全曲は、実は以前に1度聴いたことがある。渋谷区神南のNHKホールで行われたNHK交響楽団の定期演奏会で取り上げられたのだ。だが、その演奏会は、演奏内容以上に、上演中に震度3の地震が起こったことをことでよく記憶している。不幸中の幸いで、合唱だけの部分だったため、演奏は止まらず続けられたが(デュトワが地震に気付いたのかどうかは不明)、楽器の演奏だったら止まっていたかも知れない。震度3にしては揺れた方だった。この日の演奏会はNHKBS2(当時)で生放送されており、私も録画した映像を見たが、地震が起こった瞬間、男声合唱団の人々が天井を見上げる姿が映っており、「大丈夫かな?」という表情をしているのが確認出来た。勿論、カメラも揺れていた。

そんな思い出から30年近く経っての「ダフニスとクロエ」。往時のN響より今の大フィルは音の密度が濃い。また原色系の音色も特徴である。バスク地方に生まれたラヴェル。バスク地方はフランスとスペインに跨がるが、ラヴェルの血には、スペイン的な色合いや賑やかさを好むところがあるように思う。この曲も繊細なフランス的なところがありながら、闘牛を好むようなスペインの狂躁もまた顔を覗かせる。デュトワがフランス人だったら、あるいはもっと熱狂的な音楽を志向したかも知れないが、スイス・フランス語圏出身であるため、適度な上品さが加わり、理想的な演奏となりうるのだろう。
大フィルの技術も高く、大阪フィルハーモニー合唱団も力があった。
濃い密度を保ち、迫力に満ちながら、全体的に匂うような上品さを持ったラヴェル。今後、こうしたラヴェルが聴けるのかどうか分からないが、取りあえず今日はデュトワを聴けて良かった。

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2025年11月30日 (日)

観劇感想精選(502) 朗読劇「星の王子さま」 構成・朗読:安田成美

2025年11月12日 三条高倉の京都文化博物館別館ホールにて

午後5時から、京都文化博物館別館ホールで、朗読劇「星の王子さま」に接する。作:アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、翻訳:内藤濯(ないとう・あろう)。構成・朗読:安田成美、音楽(作曲・演奏):阿部海太郎、美術:木梨銀士(きなし・ぎんじ。安田成美と木梨憲武の次男)。

東京の自由学園明日(みょうにち)館(国指定重要文化財)での公演を経て、昨日今日と京都文化博物館別館ホール(旧・日本銀行京都支店。国指定重要文化財)での京都公演が行われる。

 

「トレンディ女優」という言葉から連想される女優の一人である安田成美。映画、ドラマ、演劇と幅広く活躍しているが、結婚後は育児などを優先して、仕事をセーブしていた時期もある。「同・級・生」、「素顔のままで」、「ヴァンサンカン・結婚」、年末時代劇「源義経」、仲代達矢演じる弁護士と敵対関係になる女性を演じた松本清張ドラマ「霧の旗」、ベトナムロケを行った「ドク」など多くのヒットドラマに出演。映画では、「犬死せしもの」、林海象監督作品「ZIPANG」、オムニバス映画「バカヤロー!私怒ってます」第2話“遠くでフラれるなんて”、緒形拳と共演した「咬みつきたい」、役所広司主演作「すばらしき世界」などに出演している。演劇も出演作は多くはないが、「リチャード三世」は私も観ている。ただこれは劇団新感線による新感線版「リチャード三世」で、出演時間は余り長くはなかった。
こうやって見ると、ドラマに特化した活動を行っていることが分かる。

元々は、「風の谷のナウシカ」のイメージソング(作詞:松本隆、作曲:細野晴臣。映画本編では流れない)のシンガーとして登場した人で、昨年、細野晴臣との共同作業で「風の谷のナウシカ」をリメイクしている。

 

まず木梨銀士による動く美術。アニメーションとは少し違い、動く美術としか形容の仕様がないものである。そして、作曲家でマルチプレーヤーである阿部海太郎によって様々な楽器が演奏され、安田成美がにこやかな表情で下手側から現れて朗読を行う。

安田成美が構成を担当したテキストは、かなり改変されていて、原作とは違い、星の王子さまからの視点で物語は進んでいく。本来の語り手である飛行機の操縦士は途中で登場し、星の王子さまからのメッセージを受け取る役目を担う。

ドラマでは基本的に声音の使い分けは行わなかった安田成美だが、流石はプロの女優。様々な声を駆使して演じ分ける。星の王子さまの声は子どもっぽく、ヘビの物言いは狡猾そうだ。
テキストの改編については、様々な意見があるかも知れない。『星の王子さま』の著作権はすでに切れており、多くの出版社から刊行されていて、青空文庫では無料で読めたりする。なので改編も自由なのであるが、今回の上演は星の王子さまの内省の物語としてなら有効だと思われる。改編が嫌なら後で無料でテキストを読むことも可能なのだから、原作通りに頭から読まれることを希望するよりも安田成美が解釈した「星の王子さま」に耳を傾けるのも良い経験である。美声でもあるし。

 

カーテンコールには、木梨銀士も登場。安田成美が自身の次男であることを明かすと、「似てる!(安田成美にというよりも木梨憲武にだと思われるが)」という声も上がるが、実際はそんなに似ておらず、サッカー選手のような見た目である。木梨憲武も強豪・帝京高校サッカー部で、3年の地区予選までレギュラー、帝京高校は全国大会に出場を決めるが、全国大会では補欠に落ちてしまい、ピッチには立てなかった。なので両親に似ているというよりも木梨憲武のサッカー選手的雰囲気を受け継いでいるのかも知れない。

それよりも印象的だったのは、安田成美の声の可愛らしさである。今日の上演、更にはこれまでに出演したドラマや映画で演じている時の声よりも更に可愛い。つまり我々がこれまで聞いてきたのは演技用の安田成美の声であり、地声はさらに魅力的だったのだ。彼女はバラエティーにはほとんど出ないので(「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのゲストとして出演し、ここに来る直前にスタジオアルタの前で痴漢に遭ったことを告白していたのが記憶に残っているが)、彼女の地声はほとんど関係者にしか知られていなかったということになる。

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2025年11月23日 (日)

これまでに観た映画より(413) 「第三の男」

2025年11月17日

Amazon Prime Videoで、「第三の男」を観る。映画誌などの「歴代映画トップ10」などでたびたび1位に輝く名画である。原作:グレアム・グリーン。制作:デヴィッド・O・セルズニック。監督:キャロル・リード。出演:ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリ(ヴァリ名義)、オーソン・ウェルズほか。音楽:アントン・カラス。俳優、演出、音楽等全てが高水準で「完璧映画」と称されることもある。

アントン・カラスがオーストリアの民族楽器、ツィターを使って奏でるテーマ音楽(ハリー・ライムのテーマ)は日本ではつとに有名で、ヱビスビールのCM曲となり、更にはJR恵比寿駅の発着音にも採用されている。

第二次大戦終了直後。連合国側(米、英、仏、ソ)による分離統治下にあったウィーンが舞台である。アメリカの三文西部劇小説家のホリー・マーティンス(ジョゼフ・コットン)は、ウィーンに住む親友、ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)から、「良い仕事がある」と誘われ、ウィーンへとやって来る。しかし、その直前にハリーは交通事故で亡くなっていた。ハリーの死はアパートの管理人によってホリーに告げられるのだが、この構図が実に格好いい。そしてハリーの葬儀に出席したホリーは、イギリス軍のキャロウェイ少佐からハリーが横流しの売人だったと告げられる。

ハリーの葬儀に気が強そうだが美しい女性が一人。ハリーの恋人であったアンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)である。彼女はオーストリア人の舞台女優として活躍していたが、実際はチェコスロバキア国籍であり、そのことで強制送還させられるのではないかと不安を感じていた。

そして、事故現場に、「第三の男」がいたことが明らかになる。この「第三の男」の姿を探してホリーは奔走するが、やがて「第三の男」が姿を現す……。

 

中学校3年の時、民放の深夜で、ノーカット日本語字幕付きの映画が放送されることがあった。「第三の男」もそうした深夜放送映画の1本としてビデオ(まだVHS)に録画して観たのが始まりである。ミステリー仕立てである上にユーモアにも溢れ、映画史上最高を争うのに相応しく思っていたが、今日、この配信を観て、これまでノーカットだと思っていた民放深夜の放送版には数カ所カットがあったことが分かった。勿論、話の展開には関係のないところがカットされているのだが、騙されていた気分である。配信の時代となり、多くの作品が観られるようになった今日にあっては、民放深夜の映画放送はもう需要がないかも知れない。

ミステリー作品なので、ネタバレ出来ない部分も多いのだが、下水道での大立ち回り、そして、「映画史上、最も長い歩くだけのシーン」とも言われるラストシーンは必見である。

なお、原作者のグレアム・グリーンは別のラストを用意していた。高校に入り、図書室で『グレアム・グリーン全集』を見つけた私は、「第三の男」を読んでみた。グレアム・グリーンの名は、赤川次郎が目標とする推理作家として知っていた。グリーンは映画版を観て、「納得がいくわけではないが、映画版の方が上と認めざるを得ない」と評価していた。

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2025年11月22日 (土)

これまでに観た映画より(412) 黒沢清監督作品「トウキョウソナタ」

2025年11月15日

Amazon Prime Videoレンタルで、黒沢清監督作品「トウキョウソナタ」を観る。日本、香港、オランダ合作映画。出演:香川照之、小泉今日子、役所広司、井川遥、津田寛治、土屋太鳳、児嶋一哉(アンジャッシュ)、井之脇海、小柳友ほか。

舞台はトウキョウ。どうも我々が住む世界の東京とは少し異なる場所のようである。

タニタ(あのタニタで間違いないようである)の総務課長の佐々木(香川照之)は、会社の「日本人一人の給料で、若い中国人を三人雇える」という人件費削減政策により、総務部が中国の大連に移ることを知る。遠回しであるが他の部署に移るか会社を辞めるかどちらかを選ぶようにいわれた佐々木は退社を選んだ。

このトウキョウには露骨に失業者が溢れているようであり、失業者が隊列を作って歩いていたりする。またハローワークもシュールで、階段をいくつも昇った上の階に3人ほどの対面スペースがある。階段は行列。東京のハローワークというと飯田橋や、職安通りのある新宿のものが有名だが、勿論、こんなおかしな仕組みにはなっていない。トウキョウのハローワークはカフカ的である。妻の恵(小泉今日子)や、息子の貴(小柳友)と健二(井之脇海)には内緒で、タニタに勤め続けているふりをしてハローワークや炊き出しに通う佐々木だったが、ある日、高校の同級生である黒須(津田寛治)と公園で出会う。最初は誤魔化そうとする二人だったが、炊き出しを行う公園に昼間からいるため、共に失業者であることは一目で分かった。ある日、黒須の家に招待された佐々木であるが、黒須の一人娘である美佳(土屋太鳳)は、佐々木の正体が父親同様、失業者であることを見抜く。おそらく黒須は誰かを家に招いたことがなく、急に佐々木が呼ばれたことから、父が失業者であると気付いていた美佳から同じ失業者だと見抜かれたのだろう。その後、黒須と妻は、ガス心中を図り、この世から去る。恵は佐々木が黒須と炊き出しをやっている公園にいるのを目にしており、夫が失業者だと気付いた。

一方、長男の貴の大学生活が上手くいっていないことに気付いていた佐々木と恵であるが、貴が米兵に志願しようとしていることを知る。トウキョウでは法律が変わり、日本人でも米兵として採用されるようになったのだ。

貴を自由放任主義で育てたのが間違いだったと考えている佐々木は、次男の健二は厳しく育てようとする。その健二は、ある日、美人のピアノ教師を見て、ピアノを習いたいと思うが、両親に反対される。それでもゴミ捨て場の中から、キーボード(音は出ない)を見つけ、給食費をレッスン代に回すことで、美人のピアノ教師、金子薫(井川遥)にピアノを教わることになるのだが、金子は健二のピアニストとしての才能が尋常ではないものであることに気付く。曰く「天才クラス」。音楽大学付属の中学校に行った方が良いというアドバイスも貰った。実は幼いときに「プロのピアニストを目指せる」と言われた人は結構いて、松たか子もそうだし(練習のしすぎで血を吐いて断念)、アナウンサーの内田恭子もそうだったような記憶がある。あの世界は天才同士の争いである。
だが、結局、ピアノは辞めさせられてしまう。

佐々木は、結局、スーパーマーケットの清掃業に就くのだが、「人生やり直したい」と思う。同じ頃、恵は自宅で強盗(役所広司)に襲われる。その後、車を走らせた恵と強盗。恵は途中でトイレに寄るが、スーパーマーケット内で清掃夫の格好をした夫と鉢合わせしてしまう。恵もまた「人生やり直したい」と思う。その時は、強盗だった相手とと思ったはずだが、強盗は恵が目を離している隙に、車を走らせて海の中へと消え去ってしまう。やり直すことなんて無理だ。
長男の貴が無事に戻ってこれそうだというニュースを聞いてしばらくして佐々木と恵は、白山音楽大学付属中学校(文京区白山に音楽関係の学校はないため、モデルとなった学校は存在しないと思われる)の入試に立ち合う。健二はドビュッシーの「月の光」を弾く。これが、合格するのか不合格なのか微妙な演奏が用いられている。ミスタッチはなくちゃんと弾けているのだが、サラサラと進みすぎで味は薄い。他の保護者達を注目させ、金子先生も納得の演奏だったが、合格出来るかどうかは実は微妙である。
だが、そんなことはどうでもいい。ここまで弾けるとは思っていなかった佐々木は演奏に涙し、これによって家族の環が閉じた。この家族でやり直す。

黒沢清監督の人間ドラマは分かりにくいということもあって、評価もサスペンスやスリラーに比べると低めなのだが、家族それぞれの状況が描かれ、環が閉じるという手法は比較的分かりやすく、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞、第10回アジア・アラブ映画大賞、シカゴ国際映画祭審査員大賞、第3回アジア・フィルム・アワード作品賞、脚本賞などを受賞している。


実力派俳優として活躍してきた香川照之だが、複数のバーでのセクハラとパワハラにより失脚。歌舞伎俳優、市川中車としてのみ活動してきたが、ネット配信番組で香川照之として復帰する予定があるようだ。

小泉今日子は、女優として安定した活動を続けてきたが、これまた不倫により一時女優活動を休止したことがあった。現在は復帰している。
若い頃からよく目にする人だったが、この映画の暗がりのシーンでは、顔がヨーロッパの女性のように見える場面がある。

役所広司演じる強盗は、元鍵屋で、錠前の天才。鍵に関する器用さや知識なら負けないが、人間関係が不得手であり、成功出来なかった。中盤以降からの登場だが、哀感漂う演技が見物である。

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