2025年7月 4日 (金)

コンサートの記(906) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第587回定期演奏会 エルガー 「ゲロンティアスの夢」

2025年4月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第587回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大フィル音楽監督の尾高忠明。

桜も散り始め、フェスティバルホール周辺の多くの桜が葉桜となっている。

今日の曲目は、エルガーの「ゲロンティアスの夢」1曲のみ。上演に約90分を要する大作である。エルガーの出世作で、イギリスではよく演奏されるが、日本で上演される機会は少ない。大フィルも、音楽監督がU.K.でポストを持った経験があり、エルガーを得意とする尾高でなかったら取り上げることはなかったであろう。
プレトークサロンで、大フィル事務局長の福山修さんが、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団が7年前に取り上げているが、それ以外の上演は把握していないと仰っていた。おそらくだが、それ以外に上演されたことはないのだろう。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。今日も第2ヴァイオリンは全員女性である。ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは視覚上の理由(背後に合唱が陣取る)からやや下手寄りに位置し、指揮者の正面にはトランペットが回った。
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
独唱は、マリー=ヘンリエッテ・ラインホルト(メゾ・ソプラノ。守護天使)、マクシミリアン・シュミット(テノール。ゲロンティアス)、大山大輔(バリトン。司祭、苦悶の天使)。

「ゲロンティアスの夢」は、オラトリオであるが、エルガーが作曲時点でオラトリオとしていなかったという理由からだと思われるが、今回は曲目は「ゲロンティアスの夢」とのみ表記されている。

 

ゲロンティアスという男性が天国に召される様を描いたもので、イギリスの神学者・詩人であるジョン・ヘンリー・ニューマンの宗教詩を基のテキストとしているが、ニューマンは英国国教会からカトリックに改宗した人物であり、エルガーもカトリックの信者だった。イギリス人の大半は英国国教会(プロテスト)の信者であるため、エルガーはカトリック的な要素を詩から除くことで、反発を弱めようとしている。

二部構成であり、男声歌手二人は始めから登場して歌唱を行う。メゾ・ソプラノのマリー=ヘンリエッテ・ラインホルトは、二部が始まる時に上手側から登場した。

字幕付きでの上演。
エルガーらしいノーブルさと音の輝き、力強さなどを共存させた楽曲である。大阪フィルハーモニー合唱団も優れた歌唱を聴かせる。
オラトリオなので、独唱者の歌唱もいくぶんドラマティックになるが、みな節度を持った歌唱。

死者が天国に向かうまでを描いており、ある意味、英国版の「おくりびと」(人ではなく天使だが)のような楽曲である。

CDを含めて聴いたことのない楽曲であったが、エルガーを振るときの尾高と、大フィルの堅実な演奏力への信頼が共に高まる演奏会であった。

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2025年7月 2日 (水)

NHK「松本清張シリーズ 天城越え」(大谷直子主演版)

2025年6月27日

ひかりTVで、NHK「松本清張シリーズ 天城越え」を見る。1978年、「天城越え」最初の映像化である。出演:大谷直子、佐藤慶、鶴見慎吾、宇野重吉、三代目中村翫右衛門、荒井注、松本清張ほか。演出:和田勉。和田勉演出の代表作である。音楽:林光。

大塚ハナ役の大谷直子は、他の「天城越え」のハナに比べると幾分地味だが、最も万人受けする美貌の持ち主であるように思う。ただその分なのか、生田絵梨花、田中美佐子、田中裕子に熱心なファンがいるのに比べて、大谷直子に熱心なファンがいるようには感じられない。私がテレビドラマを見始めた頃には、大谷直子は盛りを過ぎた脇役の多い地味な女優であり、主演作もこの「天城越え」が最後のようである。
土工役に佐藤慶を配し、他の「天城越え」ではほとんど何も語らない土工役の過去などが明かされている。
説明ゼリフなどが多用されているのもやや気になる。また伏線がきちんと張られていないため、殺害動機が分かりにくくなっているし、直接的な言葉を使う必要も出てくる。
照明が美しく、今に至るまで「照明のNHK」と呼ばれているのが納得の出来である。
暴力シーンなども他の「天城越え」に比べると控え目である。
ただ、ハナが自供するのは本当の犯人に気づいたからではなく、眠らせてくれないので眠かったからで、ハナが真犯人に気づくのは無罪で釈放されてからだ。この辺は上手い描き方ではない。
ハナが少年(鶴見慎吾)の実家である下田の鍛冶屋を訪ねてくるのはオリジナル。ただ余り意味が感じられなかった(どういう意図で入れられたのかは分かる)。

47年前の作品ということで、出演者の多くが今では消息が分からなくなっているようであるが、今と違い、出演者に美男美女が少なく平凡な容姿の人が多い。今では、「テレビはイケメンと美女が出るもの」となっており、実生活では会ったこのないハイレベルの容姿の人ばかりが出ていることもあるが、この「天城越え」が制作された頃は、容姿よりも演技力が重視されていたことが察せられる。当時もニューフェイス出身など容姿端麗な人はいたが、劇団出身など、容姿で勝負するところでない場所から勝ち上がってきた人が多かったと予想される。
ただ現在は、オーディション、アイドル出身、モデル出身などの俳優が増えた。当然、眉目秀麗である。演技力は二の次になることも多いがそれがいいことなのか悪いことなのかは分からない。

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これまでに観た映画より(389) 松竹・霧プロダクション映画「天城越え」(田中裕子版)

2025年6月26日

ひかりTV見放題で、松竹・霧プロダクション映画「天城越え」を観る。4度映像化されている当作の2度目の映像化で、唯一の映画化である。1983年公開。ということで美術や映像などには古さも感じられる。一方で、天城山の自然は最も美しく撮られているように思う。原作:松本清張、監督:三村晴彦。出演:渡瀬恒彦、田中裕子、樹木希林、北林谷栄、伊藤洋一、坂上二郎、柄本明、石橋蓮司、吉行和子、伊藤克信、車だん吉、阿藤海(阿藤快)、加藤剛(特別出演)、平幹二朗ほか。

この映画は、前半に捜査や取り調べの場面が来て、大塚ハナ(田中裕子)と少年(役名は小野寺建造となっている。伊藤洋一)の二人連れの場面は後半に出てくる。そのため、全編を通しての主人公は元刑事の田島(渡瀬恒彦)になるが、存在感を最も放っているのはやはり田中裕子である。
冒頭付近ですでに犯人が分かるような描写があり、少年のハナに対する悔いが全編を通して流れる。この作品は、生田絵梨花主演の2025年版や、田中美佐子主演の 1998年版のように、主人公が老いたハナを訪れるという、原作にない場面の追加はなく、ハナは無罪になったがほどなく死ぬという原作通りの末路を辿っている。

俳優が本業でなく、タレントや芸人を本職としている人が多く出演しているのも特徴だが、今の芸人やタレントとは違い、セリフ術などには拙さが強く感じられる。時は移って、ここ20年ほどは本職の俳優以外は演技の上手い芸人かタレントしか映画に起用されないようになっているように思う。

この作品の最重要人物である大塚ハナを演じる田中裕子は、雌雄眼ということもあって、美貌では生田絵梨花や田中美佐子に及ばないが、女としての魅力、強さ弱さ儚さ艶やかさなどでは大きく上回り、田中裕子の天才的な表現力を味わうことが出来る。彼女も略奪愛などがなければ、もっと活躍の場が広がっていたのかも知れないが。

封切られた1983年を舞台にするため、冒頭付近には、当時流行っていたタケノコ族が踊っている姿が映っており、ラストは天城隧道へと入って行く暴走族の姿を映して、時の移り変わりや無常を感じる演出が施されているが、ラストシーンの暴走族はいらなかったかも知れない。また、1983年を舞台にするために、事件の発生を大正15年(1926)から昭和15年(1940)に変えているが、日米開戦間近であることは特に物語展開に関係しない。一応、時代が分かるよう出兵の場面はある。

14歳の少年の動機を成人男性が理解出来ないという松本清張の一種のトリックは巧みである。

音楽は「砂の器」の菅野光亮(かんの・みつあき)。甘いメロディーが奏でられているが、この映画が公開された1983年に44歳の若さで他界しており、これが最後から二番目の映画音楽となった。

田中裕子は、第7回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、第38回毎日映画コンクール主演女優賞、第26回ブルーリボン賞主演女優賞、第7回モントリオール世界映画祭主演女優賞、第29回アジア太平洋映画祭主演女優賞など、本作で多くの賞を獲得した。

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2025年6月30日 (月)

1998年 TBS元旦特別企画「天城越え」(田中美佐子主演版)

2025年6月17日

ひかりTVで、TBS元旦特別企画「天城越え」を見る。1998年の元日の放送。4種類ある「天城越え」の映像の田中美佐子主演版である。他の「天城越え」と大きく異なるのは、他の「天城越え」では女郎の大塚ハナを28歳前後の女優が演じているのに対し、TBS版で大塚ハナを演じている田中美佐子は当時38歳と10歳ほど年上でベテラン女優と見られていたということである。1998年時点では女優の寿命はまだ短く、田中美佐子も「女優は28歳でおばさん、40歳で終わり」と言われたことがあるそうで、主役がいつまで出来るか分からない状態だったが、この世代にしては珍しく38歳でもかなりの人気があった女優である。経歴も変わっていて、TBSの俳優養成機関に入り、デビューしたはいいが、人見知りもあって「根暗な女」とみなされ、「女優には向いていない。故郷に帰れ」と言われたこともある。萩本欽一と同じ浅井企画にいたため、欽ちゃんのバラエティにコメディエンヌ枠で出たりもしていた。この経験により一転して「面白い人」という評価が高まり、また連続ドラマで主演を張る女優としては珍しく、2時間サスペンスや1時間ミステリーなどの番組にいくつも主演・出演している。今では2時間サスペンスのようなドラマ枠はなくなってしまったが、連続ドラマなどに比べると格落ちと見られることが多く、それでも差別なく出演していたということになる。ということで好感度はかなり高かった。
そんな田中美佐子のハナであるが、年齢を感じさせない華やかさがあり、妖艶であるが温かな女性というイメージである。無邪気なところもあり、魅力的な女性に仕上げているのは流石、田中美佐子である。
少年役を務めるのは二宮和也。リアルタイムで見ている時にジャニーズの話を妹としているので、二宮和也がジャニーズの子だということはこの時点でかなり有名だったようである。
ハナと少年の天城越え(少年は下田から天城隧道を抜け、静岡方面に向かうはずが修善寺から下田方面へと向かうハナに惹かれて引き返しているので、厳密には天城越えをしたのはハナだけで少年は越えてはいない)の過程で川遊びをしたり、少年がハナに「赤とんぼ」の歌をうたうなど、行程は2025年版よりも詳しく描かれている。
暴力のシーンは、2025年版に比べるとかなり激しく、今ではコンプライアンスで地上波放送出来ないかも知れない。BSでも無理の可能性がある。ということで、2025年現在ではこうしたドラマは作りにくい。映画なら可能だろうが。
成人した少年(長塚京三)が老いたハナに会いにいく原作にはない場面があるが、これは2025年版でも同じようなラストとして付け加えられている。1998年版では舞台は能登で、田中美佐子は老けメイクは余りせずに体の動きと声を変えて30年後のハナの演じている。2025年版は俳優が変わり、若い頃のハナは生田絵梨花が演じ、30年後のハナは若村麻由美がハナの故郷である茨城の浜で作業をしている様子が映される。
2025年版と1998年版を比べると一長一短であるが、個人的には1998年版の方が思い入れが強い。それにしても「天城越え」という小説自体がかなりの名作である。トリックというよりタネはかなり簡単なのであるが、なぜ大人の男が見抜けなかったのかが、15歳の少年という絶妙な設定によって成り立っている。
1998版は第35回ギャラクシー賞優秀賞受賞、第38回日本テレビ技術賞(録音)も受賞している。
当時無名に近かったと寺島しのぶと遠藤憲一も出演。寺島しのぶは今に比べると若干拙いように感じられるが、遠藤憲一は演技面では仕上がっており、あとは誰が自分を見出すかという段階にあるように思われる。

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2025年6月29日 (日)

特集ドラマ「天城越え」(生田絵梨花主演版)

2025年6月15日

NHKオンデマンドで、特集ドラマ「天城越え」を見る。松本清張の短編小説の実に4度目となる映像化。映画の田中裕子主演版と、NHKの大谷直子主演版が有名だが、1998年放送のTBSの田中美佐子主演版はリアルタイムで見ていて、これもかなり出来が良い。二宮和也のテレビドラマ初出演作でもある。

今日見るのは昨日NHKBSで放送されたばかりの生田絵梨花主演版である。萩原聖人が余りイメージに合わないが、岸谷五朗が良い味わいを出している。生田絵梨花の女郎姿も可憐だ。

ひかりTVでは、現在は4種類の映像全てを見ることが可能である。

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2025年6月27日 (金)

観劇感想精選(492) 高畑充希主演ミュージカル「ウェイトレス」(再演)

2025年5月16日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ウェイトレス」の再演を観る。脚本:ジョーン・ネルソン、音楽・歌詞:サラ・バレリス。原作映画製作:エイドリアン・シェリー。ブロードウェイ演出:ダイアン・パウルス。出演:高畑充希、森崎ウィン、ソニン、LiLiCo、水田航生、おばたのお兄さん、田中要次、山西惇ほか。

日本初演時に話題になったミュージカルであるが、私は初演は観ていない。
魅力的な人が全く出てこないという変わったミュージカルである。その分、俳優は魅力的な人で揃えられている。かなり魅力的な人が出ていないと、アメリカだとお客さんが途中で続々と帰ってしまいそうな内容だが、元々そうした計算で、アメリカでも魅力的な俳優が揃えられていたことが予想される。

「ウェイトレス」というタイトル通り、誰でも出来る仕事をしている下層階級の人がメイン。ただ実はウェイトレスは絶対出来ない種類の人がいる職種なので注意は必要である。魅力があるというだけでハイクラスに行ける場合も案外多いので、ずっと下層でくすぶっている人に魅力的な人が少ないというのも道理である。
ヒロインのジェナ(高畑充希)からして、一目で「なし」と分かるはずの駄目男と結婚し、無計画に妊娠し、挙げ句の果てには不倫に走るという、これだけだと本当にどうしようもない女性である。同僚のドリー(ソニン)は年齢=彼氏いない歴、ベッキー(LiLiCo)は夫が要介護と皆冴えない生活を送っている。
3人が働くのは「ジョーのパイのダイナー」というアメリカ南部にある店。ジェナはパイ作りの才能があり、オーナーのジョー(山西惇)や店長のカル(田中要次)との仲も良好である。
一方で家庭は破綻していたが、やることはやっていて、妊娠が分かる、とここまで書いてもまだどうしようもない人である。
夫のアール(水田航生)は、ミュージシャンの夢破れて働いている(工具を持っているのでブルーカラーであることが分かる。というよりあの性格ではホワイトカラーは無理である)が、不真面目という理由でクビになる。上司から「傲慢だ」と言われたそうで、手鏡を見ながら、「この俺が傲慢?」と不満を述べるが、100人いたら100人が傲慢だと1秒で分かるキャラである。本人だけが気付いていない。ジェナはその100人に入れなかった。ここに至ってもまだまだ駄目な人である。こんな男と結婚するなんて成り行きか? と思うのだが、実際に成り行き任せの人であることが後に分かる。
アールは仕事を探す気がなく、ジェナに更に稼がせようとする。ジェナは仕方なくウェイトレスのシフトを増やす。
ドリーに恋人が出来る。オギー(おばたのお兄さん)という青年だが、舞台俳優時代の話をするも、どう聞いても下手な俳優であり、「詩を書いている」というも、どう聞いて下手な詩である。本当に徹底して駄目な人しか出てこない。

産婦人科を訪れるジェナ。いつもは女医さんに診察して貰っていたようだが、引退して、今は男性のポマター医師(森崎ウィン)が担当医となっている。ポマター医師は、専門用語を淀みなく話すことから頭は良いと思われるのだが、察する能力に乏しい、話がつまらない、ジェナに好意を抱いて診察の2時間前から診察室で待っている……、ここまで読んで、「なんてつまらない芝居なんだ」と思った方、あなたは正常ですが、つまらないのは私の責任じゃありません。本当にこういうあらすじなんでです。
ジェナはポマター医師と成り行きでダブル不倫に落ちる。あんたねえ……。

ちなみに相手の奥さんと知り合いなのに不倫している女性2名。まるで今日(2025年5月16日)、東京で行われるやばい……、あの女優さんの演技ほとんど見たことないからどうでもいいや。

スプリングフィールドという街(アメリカにはスプリングフィールドという名の街が数多く存在するため、どのスプリングフィールドなのかは不明)でパイ作りのコンクールが行われることを知ったジェナは優勝して賞金を手にし、アールと離婚して自立することを目標とする。

 

魅力的な筋書きとは言えないが、これを魅力的に変えるのが芝居の力であり、音楽の効用であり、俳優の魔術である。

 

とにかく高畑充希の存在に尽きる。歌唱力の格が違う。ソニン、森崎ウィンなど歌の上手さで知られる人も霞んでしまう。歌うようにセリフを奏でながら不自然に聞こえないというのも大した才能である。この点においては、高畑充希は大竹しのぶの後継者第一候補とも思える。男性俳優とはデュオの場面があるのだが、同じ旋律を歌うため、高畑充希の上手さが目立って、男性陣が可哀相になってくる。でも才能だからねえ。とんでもなく上手いんだからどうしようもない。
第2幕では、ピアノ伴奏に乗って歌うナンバーが2曲あるのだが、いずれも第1拍から歌い出しに入る。拍のジャストで必ず入るのだが、全て完璧。歌の滅茶苦茶上手い人でも1回か2回はずれるものなのだが。
大阪の観客はこれだけのご当地出身女優がいて誇らしいだろうなあ。

BOBAさんこと田中要次は好きな俳優なのだが、映像の人の演技。今度、映像で見ようと思う。

パイ作りのコンクールの模様は描かれないが、優勝するか上位入賞するかしてジョーに店を譲られ、店の名も「ジェナのダイナー」になる。
ブレヒト的なハッピーエンドになるのだが、「え? この人達だよ。大丈夫なの?」という気になる。ただ、作り手にとってはそれも計算のうちなのだろう。

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2025年6月22日 (日)

これまでに観た映画より(388) 「ゆきてかへらぬ」

2025年6月7日

Amazonプライムで、日本映画「ゆきてかへらぬ」を観る。中原中也、小林秀雄、長谷川泰子の三角関係を描いた作品。出演:広瀬すず、木戸大聖、岡田将生、田中俊介、草刈民代、瀧内公美、藤間爽子、柄本佑ほか。監督:根岸吉太郎。音楽:岩代太郎。

中原中也と小林秀雄、長谷川康子の三角関係を描いたものとしては、先にテレビドラマが制作されており、三上博史、古尾谷雅人(初代)、樋口可南子の三人が出演していて、評判も良かった。

今回も売れっ子や売り出し中の俳優を起用しているが、スケール的にはワンランクダウンである。

今回の主役は、中原中也(木戸大聖)と小林秀雄(岡田将生)の二人から愛された女性、長谷川泰子(広瀬すず)ということで、文芸ものというよりも男女の愛の不可思議が中心となっている。ということで、文学らしさを映画に求めると肩透かしを食らうかも知れない。

中原中也が長谷川泰子と出会ったのは、立命館中学の学生だった京都時代。子どもの頃は「神童」と呼ばれた中也であるが、山口県立山口中学校(現・山口県立山口高校)に入学すると文学に耽溺するようになり、特に日本史の成績が悪く落第する。その後、京都・北大路の立命館中学校に転校。京都市内を転々とするようになる。その後、マキノ・プロダクションの女優だった長谷川泰子と出会い、泰子の下宿に転がり込む。そして泰子の手記によると、「(夜寝ていたら)中原が襲ってきたんです」ということで恋人となった。泰子は等持院にあったマキノ・プロダクションの撮影所に通いやすいよう、近くの北野白梅町のそばの地蔵院(椿寺)の裏に住んでいた。当時の建物は残っておらず、跡地と思わる場所にはアパートだかマンションだか寮だかが建っているが、その後に泰子が「文士の二号」と言われたことで喧嘩を起こしてマキノ・プロダクションをクビになったため、ここに住む理由はなくなり、二人は御所のそばへと引っ越している。この京都最後の寓居の地は現在も往時の外観を残している。

なのでこの映画に描かれることは、かなりフィクションが多く、制帽を被っているので、中也が学生だということは分かるが、通学のシーンなどはない(実際、余り通わなかったようだが)。泰子が中也に会ってから女優を目指すというのも順番が逆である。

いかにも京都らしい街並みが映るが、実際には地蔵院周辺は往時も石畳だったり、道が細かったりということはなくフィクションである。妙心寺の広大な境内も映るが、妙心寺は二人の生活圏の外である。

中也がなぜ京都から東京に移ったかの理由も「京都に飽きた」からではなく、立命館中学4年を終えて大学予科受験資格を得たので中退し、早稲田大学の予科を受けることに決めたからだった。京都で親交を持った詩人の富永太郎(田中俊介)のつてを頼って状況。この頃に小林秀雄と会っている。そしてほどなく泰子は小林のもとに走るのだった。
早稲田大学の予科を希望したのは、早大が文学に強い大学だったからだが、ゴタゴタで受験出来ず、中也はまず日大の予科に入るが中退、その後、神田駿河台の語学学校アテネ・フランセでフランス語を学び、当時神田駿河台にあった中大の予科に入るもまた中退と、どうも学業が合わなかったとしか思えない。最終的には東京外国語学校(東京外国語大学の前身)の専修部仏語科に入学。東京外国学校の本科が終わってからフランス語だけを教える過程で、現在の語学学校に近いため、卒業しても大卒にも、旧制専門学校卒にもならないが、フランス語は学べる。中也のフランス語のレベルは高かったことから熱心に学んだことが窺える(それでも成績自体は中程度だったようだ)。こうしたことが省かれてしまっているため、中也がなぜランボーの「地獄の季節」をフランス語の原文で読めるのか分からなくなってしまっている。

中原のことはこれぐらいにして、映画の中で、泰子が母親のイシ(瀧内公美)が自分を連れて入水し、無理心中を図ったことを明かす場面がある。それも無理心中を図ったのは2度や3度ではなく、泰子は「気狂い血が流れていること」に怯えるが、次第に狂気が頭をもたげ始める。中原中也も長男の文也の死にショックを受け、鬱状態で千葉市の中村古峡療養所(現・中村古峡記念病院)に入院しているが、この映画を観ると、二人を結びつけたのはまさにこの狂気だったのではないかという気がしてくる。狂気のぶつかりゆえに中也から離れた泰子だが、狂気ゆえに二人は着かず離れずの状態を続けられたのではないか。

広瀬すずは、普通の女性を演じると本当に普通の女性になってしまうのだが、こうした狂気の役などを演じると迫力もあってなかなかである。正統派として育てたいという事務所の意向はあるのだろうが、こうした少し変わったところのある女性を演じた方が上手くはまる気がする。

ロケは、つくばみらい市にあるNHKのワープステーション江戸でも行われているようで、見覚えのある街並みが出てくる。

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2025年6月12日 (木)

「God Only Knows」

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2025年6月10日 (火)

STUTS&松たか子 with 3exes 「Presence」 feat. KID FRESINO

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2025年6月 9日 (月)

観劇感想精選(491) 「リンス・リピートーそして、再び繰り返すー」

2025年5月10日 京都劇場にて観劇

午後6時から、京都劇場で、「リンス・リピート―そして、再び繰り返す―」を観る。作:ドミニカ・フェロー、テキスト日本語訳:浦辺千鶴、演出:稲葉賀恵(いなば・かえ)。出演:寺島しのぶ、吉柳咲良(きりゅう・さくら)、富本惣昭(とみもと・そうしょう)、名越志保(なごし・しほ)、松尾貴史。

ドミニカ・フェローは、まだ二十代と思われる若い劇作家。この「リンス・リピート」は、自身が摂食障害を患っていたニューヨーク大学在学中に多くの演劇を観るも摂食障害を取り上げた作品が一つもないことに気付き、自伝的作品として書き上げたもので、オフブロードウェイでの初演時は、自身が摂食障害のレイチェル役を演じたそうである。なお、劇中ではレイチェルは名門イェール大学法学部在学中で弁護士を目指しているが、ドミニカ・フェローは法学ではなく、ニューヨーク大学では演劇を学んでいる。

アメリカ、東海岸。コネチカット州グリニッジ。ジョーン(寺島しのぶ)は、エクアドル系のヒスパニックである。ヒスパニック系は、アメリカでは数は多いが最下層と見なされ、最も差別されている。そこから這い上がって弁護士となり、今では共同弁護士事務所を立ち上げるというキャリアウーマンであるジョーン。ジョーンの夫のピーター(松尾貴史)は、名家出身だが、経済力はなく、セミリタイアのような生活を送っている。ということでジョーンが一家を支えている。
長女のレイチェル(吉柳咲良)は、イェール大学の4年生。成績も優秀だが、摂食障害を患い、レンリーという施設に入っている。
長男のブロディ(宮本惣昭)は高校3年生。フットボール選手として活躍したため、名門のノートル・ダム大学への進学が決まっている。

人種差別の激しいアメリカ。ヒスパニック系が勝ち上がるには専門職に就くしかない。ジョーンはそうして勝ち抜いてきた。名門大学に入り成績優秀な娘にも同じ道を歩むことを望んでいる。

レイチェルが施設から帰ってくる。吉柳咲良はミュージカル俳優として期待されている人だが、今回はストレートプレーなので歌はないのかと思っていたが、短いもののスキャットで歌ってくれる。このレイチェルがしょっちゅう着替えるのだが、それによって時間の経過や場所の移動が分かるようになっている。
入院施設レンリーは、一度は回想として、一度は悪夢の中に出てくる場所として登場する。レンリーでレイチェルを受け持つのは、ブレンダ(名越志保)というセラピスト。実はこのブレンダは黒人という設定なのだが、今の日本では肌を黒く塗って黒人を演じることは禁忌とされているため、とくに何も施さずに登場。おそらく黒人だと分かった人はいないと思われる。

レイチェルは、イェール大学で文系クラスを受講していることをジョーンに打ち明け(ジョーンも「学生時代、詩の授業を取ってたわよ」と返す)、レンリーでも詩を書いてブレンダに見せている。だが自信があるわけではなく、「エミリー・ディキンソン(「希望とは翼あるもの」などで知られる米国最高の女流詩人。半引きこもりのような生涯を送り、若くして亡くなっているが、生前は詩を発表せず、死後に発見された詩の数々が反響を呼び、世界的名声を得る。日本でも岩波文庫から英文と日本語対訳の詩集が発売されるなど人気は高い)ぐらいでないと」と自らの才能に限界を感じているようでもある。また、レイチェルは自殺を図ったことがあるが、それを仄めかすナイフの詩を書いていた。
4ヶ月大学を休んでいたレイチェル。だがそれまでの成績が優秀だったため、イェール大学ロースクールの受験資格はありそうである。
だが、本当は、レイチェルは、法学ではなく文学の道に進みたくて、それが摂食障害に繋がったのでは……、と思わせるのはミスリード。この家には何故か体重計が母親のジョーンの部屋に置いてあるのだが、これが伏線になっている。

ヒスパニック系の話であり、親子の話であり、心理劇であり、ミステリーの要素も含まれる。

母親のジョーン役の寺島しのぶが主演で、彼女が出ると空気が引き締まり、いかにも格上という感じがするのだが、レイチェルを演じる吉柳咲良が舞台上にいる時間が最も長くセリフも多く、また初演時に作者が自分自身のこととして演じているため、W主演的な位置にある。寺島しのぶと吉柳咲良とでは本当に親子ほど年齢が離れているので、なかなかW主演とは銘打ちがたいのだが。
寺島しのぶと吉柳咲良が抱き合ってから、吉柳咲良が客席通路を通って退場するのは、母からの巣立ちを意味すると思われる。

吉柳咲良は、昨年、朝ドラ「ブギウギ」では、主人公のスズ子(趣里)に挑もうとする若手歌手の水城アユミ役、大河ドラマ「光る君へ」では1話だけの出演だったが、のちに『更級日記』などを書くことになる菅原孝標女を演じて話題になり、お茶の間にも知名度を拡げている。今年はTBS日曜劇場で詩森ろばが脚本を書いた「御上先生」に高石あかりらと共に生徒役で出演している。

 

今日は上演終了後にアフタートークがあり、寺島しのぶ、松尾貴史、吉柳咲良の3人が出演する。松尾貴史は、始まってから終わるまで一度も客席から笑いの起こらない芝居に出るのは初めてだと語る。

客席からの質問があり、消え物の話のほか、細かいところも質問として出た。

アフタートークが終わり、寺島しのぶと松尾貴史は、客席に手を振る。吉柳咲良はそのまま退場しようとして、二人が手を振っていることに気づき、慌てて手を振るなど微笑ましい。

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