2020年8月 3日 (月)

これまでに観た映画より(196) 竹中直人監督作品「119」

2005年8月8日

ビデオで映画「119」を観る。1994年の12月に銀座(なのか築地なのか、正確にはよくわからないところにある)の東劇でロードショーを観て、感銘を受けた作品である。竹中直人監督作。主演は赤井英和、鈴木京香ほか。脚本は、「失楽園」の筒井ともみ、劇作家の宮沢章夫、監督である竹中直人の三人が手掛けた。消防隊員の活躍を描く、否、活躍しない消防隊員を描いた映画。

もう20年近くも火事が起きていない波楽里(はらり)という海沿いの架空の町が舞台。何も起こらない町のちょっとした出来事を扱っている。
消防隊員を演じるのは、竹中直人、赤井英和をはじめ、当時は無名だった浅野忠信と津田寛治。当時は今より無名だった温水洋一。映画監督でもある塚本晋也。

あまり映画に出ない人や、本業が俳優でない人も出演している。例えば、岩松了(劇作家・演出家)、周防正行(映画監督)、松岡錠司(映画監督)、昨日観てきたク・ナウカの演出家である宮城聰、佐野史郎の奥さん・石川真希、故・マルセ太郎など。
ちょい役で大塚寧々や真田広之なども出ている。

その他にも「また逢う日まで」の久我美子が出演。また写真のみの出演に「また逢う日まで」の故・岡田英次(久我美子演じる鴨下のおばさんの亡くなった旦那さんという設定。岡田は「119」公開の翌年、1995年に亡くなっている)、「無能の人」で竹中と共演した風吹ジュン(竹中直人演じる津田の亡くなった奥さんという設定)。

撮影当時、26歳だった鈴木京香が実にいい。今、20代で古き良き時代の日本美人を思わせる女性を演じて、これほど嵌まる女優はいない。(これを書いた2005年にはまだ20代だった)松たか子でも無理だろう。
小津安二郎を意識した作品だが(そうわかるように意図的にカメラワークを真似ていたりする)、鈴木京香は「平成の原節子」のような役を振られている。男性の目から見て理想的な女性像であり、当然、男性の目には魅力的に映る。女性がどう思うのかは良くわからないけれど。

鈴木京香の演技を見るだけでも十分に魅力的な作品だが、ところどころに仕掛けられた「大笑いこそしないが、思わずクスッと笑ってしまう」エピソードの数々が心憎い。脚本の宮沢章夫の力も大きいのだろう。
登場人物の心理の描き方も、とても丁寧だ。

 

私が好きなのは、津田(竹中直人)と日比野ももこ(鈴木京香)が二人で夜道を歩くシーン。上から二人を追いかけているカメラが、会話が一段落したところで動かなくなり、遠ざかっていく二人を見送る。ここはラストへの伏線にもなっている。

 

音楽担当は忌野清志郎。「きみの港(肥沃なデルタ)」というスケベな歌詞を持つ歌で笑わせたり、「満月の夜」という歌でしみじみとさせたり。いい音楽だ。

古き良き日本を思わせる風景を探して、ロケハンは入念に行われたそうだ。撮影は静岡県沼津市を中心に、全国各所で行われたという。

淡々とした展開を見せる映画だが、「日本っていいな」と心から思える作品である。

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2020年8月 2日 (日)

これまでに観た映画より(195) ヴィム・ヴェンダース監督作品「東京画」

2005年8月9日

ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画「東京画」をビデオで観る。敬愛する小津安二郎監督が描く東京への憧憬からこの街にやって来たヴェンダース監督の目に映る1983年の東京の風景が切り取られている。冒頭とラストは小津監督の「東京物語」のそれをそのまま用いている。

ヴェンダース監督が興味を持つ対象はパチンコ店や、飲食店の前のショーケースに並ぶ定食のサンプルを作る工場など。特にサンプル工場のシーンは見ているこちらが奇妙に感じるほど長い。
ゴルフの打ちっ放しに対する見方は誤解だらけで、おもわず「それは違うだろう」と突っ込みたくなる。

ヴェンダースは東京ディズニーランドに行こうとしたが、「アメリカのコピーだと思うと急に興味が冷めて」引き返してしまう。そして、「アメリカの影響を受けた若者達を見た」として紹介されるのが、当時、原宿に出没していた竹の子族。この辺りは作為を感じてしまって余り面白くない。竹の子族だけで当時の東京を語らないで欲しい。

1983年の東京の風景を見たい人にはやや物足りない作品である。しかし小津安二郎の映画が好きな人は絶対観た方がいい映画だ。
笠智衆や、小津の下で撮影監督を務めた厚田雄春らのインタビューが収められているためで、これを観ると小津という男が俳優やスタッフからいかに敬愛され、神のように崇拝されていたかがわかる。小津の思い出を語っていた厚田が突然、感極まって泣き出してしまうのも印象的。

小津安二郎とは改めて偉大な映画監督、いやそれ以前に偉大な人間だったのだと確認することが出来る。

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観劇感想精選(347) ク・ナウカ 「王女メデイア」2005@びわ湖ホール

2005年8月7日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

大津へ。びわ湖ホール中ホールでク・ナウカの「王女メデイア」を観る。エウリピデス作のギリシア悲劇を宮城聰が演出した。
ご存じない方のために書くと、ク・ナウカとは演じ手(ムーバー)と語り手(スピーカー)を分けた演劇スタイルを特徴とする東京の劇団である。関西で公演を行うのはこれが初めてだそうだ。

昨夜、ちくま文庫の「メデイア」を読んでいったで、比較が容易である。

前半部分はメデイアの内面告白を中心に再構成されている。主人公メデイアのムーバーは看板女優の美加理(みかり)、スピーカーは阿部一徳。

開演前から紗幕の前に老女(のちに乳母であることがわかる)が座り、ポテトチップを頬張っている。ほどなく紗幕が透け、着物を着て紙袋をかぶり、自分の顔写真を持った女性達が立っているのが見える。そして、客席後方の入り口からスピーカー達が賑やかに入ってきて、舞台に上がり、役を振り当てられる。スピーカーの男達の入場は皆が思い思いに喋るのでうるさすぎてちょっと興醒めではある(男達が俗物であることを示すためにやっているのはわかるけれど)。メデイアが登場し、語り手がしっかりとしたセリフを話し始めると引き込まれる。今回はムーバーは一人を除いて全員女性、スピーカーは全員男性が務める。ムーバーの女性は和楽器やボンゴなどの演奏も手がける。

メデイアのムーバー、美加理は朝鮮の民族衣装(チマ)を纏っている。座るときも立て膝であり、完全に朝鮮の女性であることがわかる。
舞台は明治時代の日本。番傘に明治天皇の御影が描かれ、舞台には巨大な日章旗が敷き詰められている。中央やや下手寄りに本を差し込めるようになっている塔が立つ(終演後の宮城のアフタートークにより、どうやら男性のシンボルらしいことがわかった)。
セリフでは「ギリシア」といっているがそれが日本のメタファーであることは明白だ。

閔妃や愛新覚羅溥儀などの歴史上の実在の人物が劇中の人物に重なって見えるところがある。虐げられた女性の姿が虐げられた国家の様にオーバーラップする。
愛するわが子をメデイアが殺す場面は、宮城の演出と美加理の動きに表出力があり、「愛のために殺す」、「愛するが故に殺す」という哀切さがにじみ出て、惻々と胸に迫る。

後半、特にメデイアが子供を殺すかどうか逡巡する場面以降はテキストレジをせず、ほぼそのまま語らせている。ただ、メデイアが龍に乗って現れる場面にメデイアは現れず、代わりに中央の塔が揺らぎ、本が落ちてくる(本が何を意味しているのか良くわからなかったが、アフタートークで宮城が、男性の「言葉による支配」の象徴として用いた、という意味のことを述べていた)。そして真っ赤なドレスに着替えたムーバー達がスピーカーの男達を次々に斬り殺していくという大殺戮シーンとなる。
「赤」に象徴的な意味があるのかどうかは正確にはわからない。女性的な色であり、映える色である。ただ国際政治的な意味があるとすると、怖さは一層増す。
ただ、色の意味のあるなしに関わらず、虐げられ、支配されてきた女性達が赤いドレスを纏って、支配者側の男性に一斉放棄を仕掛け、皆殺しにしてしまう様には鬼気迫るものがあり、残酷な美の迫力に満ちている。


アフタートークには宮城聰、美加理、阿部一徳が参加。びわ湖ホール夏のフェスティバルプログラムディレクター・志賀玲子氏(実際に教わったことのある師の一人)の司会により興味深い話を聴くことが出来た。

びわ湖ホールの裏に出て、琵琶湖沿いに歩く。夏の琵琶湖は涼風が湖面を渡り、実に清々しい。ジェットスキーが波を切り裂き、ヨットのマストが遠くに漂っているのが見える。「夏だなあ」と妙に感心する。

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2020年8月 1日 (土)

サザンオールスターズ 「夏をあきらめて」

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これまでに観た映画より(194) 「無伴奏シャコンヌ」

2005年7月9日

ビデオでフランス=ベルギー=ドイツ合作映画「無伴奏シャコンヌ」を観る。天才的な才能を持ちながら、コンサートなどでは活動せず、ただひたすら音楽を極めることだけを考える求道者のようなヴァイオリニスト、アルマン(リシャール・ベリ)。観客に媚びるような演奏ではなく、本当の演奏様式を確立したいと望み、ヴァイオリン教師などをして過ごしていた彼は、かっての親友でヴァイオリニストのミカエルが自殺したことを知る。

恋人とも上手くいかず、親友も失ってしまったアルマン。彼の求道的生き方がそういった事態を招いたのだろうか。スランプに陥っていたミカエルはアルマンの才能と己の才能を比較して失望していったのかも知れない。ミカエルの録音が良くないことで、カデンツァの場面を代役として弾くようにプロデューサーから要請され、それに応じてしまったアルマン。親友のためを思ってした行為なのだろうが、その事実を知ったミカエルは絶望しただろう。ある意味、アルマンはミカエルを殺したのではないかと思えてしまうのだ。

リヨンの地下鉄構内で演奏をするアルマン。やがて、地下鉄の切符売り場の女性・リディアと淡い恋に落ちるが、ある日、アルマンの演奏に熱狂して多くのミュージシャンが思い思いに演奏を始めるという光景を目にした彼女はアルマンの前から姿を消す。アルマンは自分より音楽を愛しているのだと気づいたのかも知れない。

リディアを失い、ヴァイオリンも心ない二人組に壊されてしまったアルマンは尋常とは思えない精神状態へ。

そこにかつて彼の演奏を耳にしたことのある音楽院の教師が現れ、ヴァイオリンを手渡されたアルマンはバッハのシャコンヌを弾く。

芸術を愛し、自分にもそして他人にも厳しかったことで多くのものを失ったアルマン。ラスト10分のシャコンヌ演奏場面は文学的過ぎる嫌いはあるものの、詩的で意味深く、感動的だ。

そして弾き終えたアルマンの表情。それは慈悲に溢れたキリストの顔のようにも見えるし、何故失うのかを悟った悲しみを湛えているようにも見える。


監督のシャルリー・ヴァン・ダムはアラン・レネやアニエス・ヴァルダなどセーヌ左岸派の映画監督の下で長年撮影監督を務めていた人物。経歴から察せられる通りの作風を持っている。

リシャール・ベリのヴァイオリン演奏シーンの演技も上手く、「本当に弾いているのでは?」と錯覚するほどだ。ところでこのベリ、役所広司にどことなく顔や雰囲気が似ている。

音楽監督は世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメル。実際のヴァイオリン演奏も担当しており、素晴らしい音を奏でている。

音楽と映画が好きなら、この映画を観ずに死ぬのはもったいない。そう言いたくなる佳作である。

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2020年7月31日 (金)

これまでに観た映画より(193) 「グランド・ホテル」

2005年7月19日

DVDで映画「グランド・ホテル」を観る。タイトルは有名だが、まだ観たことはなかったのでレンタルビデオ店で探してきたのだ。
松任谷由実のペンネーム、呉田軽穂の由来で、GGの愛称でも知られるグレタ・ガルボ出演作。1932年制作のアメリカ映画。後に「グランド・ホテル」形式と呼ばれる映画の原型となった世紀の傑作である。

9日に観た、マキノノゾミ作の「水平線ホテル」に登場人物の設定が何となく似ている。いや似ているのではなく、マキノは明らかにこの作品を意識して脚本を書いている。両作品とも電話のシーンで始まるのが最もそれをよく表している。

「グランド・ホテル」はベルリンの同名ホテルに集まる人々による群像劇。盛りを過ぎたバレリーナ、こそ泥、婿入りワンマン社長と彼にこき使われていた従業員、タイピストの女性などがこのホテルに泊まり、出会い、それぞれの人生の断片を見せ、去っていく。
脚本がよく練られており、「通り過ぎる場所」としてのホテルの哀感を出すことにも成功している。

ガルボはこの時27歳であるが、現代の27歳より大分年上に見える。他の俳優も現代の同年代の俳優に比べると落ち着いて見える。戦前の人は同じ年の頃であっても現代人に比べると10歳老けて見えるという説があるそうだが、それは本当のようだ。
ただ調べてみると、当時でもガルボは実年齢より上に見られがちだったそうで、本人も自分が老けてみられることをやはり気にしていたそうだ。そのためガルボは36歳で引退してしまい、生涯独身を通し、マスコミの前に出ることもなかったという。

それにしても1932年にアメリカはこれほど洗練され、計算された 映画を作っているのだ。こんな映画を作っている国と戦争しても日本は勝てるわけがない。

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観劇感想精選(346) 劇団M.O.P. 「水平線ホテル」

2005年7月9日 京都府立文化芸術会館にて観劇

雨の中を京都府立文化芸術会館(通称:京都文芸)に向かう。京都文芸は宇野重吉をして、「日本一の劇場」と言わしめた過去を持つが……、時の流れは速いものですね。

今日はここで劇団M.O.P.の「水平線ホテル」を観る。作・演出:マキノノゾミ。出演:キムラ緑子、三上市朗、小市慢太郎、林英世ほか。

M.O.P.はもともとは同志社大学の学生劇団からスタートし、京都で活躍していた劇団だが、現在は本拠地を東京に移している(2010年解散)。

「水平線ホテル」は地中海に浮かぶ、イタリアのある離島のホテルが舞台。「グランドホテル形式(特定の場所に集まった他人同士の人間模様を描く作品スタイル。映画「グランドホテル」に由来)」という言葉があるが、その言葉の通り、ホテルのロビーはよく演劇の舞台として選ばれる。今回もそうだ。

登場人物は全員イタリア人(アメリカ国籍のイタリア人は一人いるが)という設定なので、演技スタイルも新劇スタイルに近く、普段小劇場を見慣れた人は「変わった演技をするな」と思うはずだ。西洋人の動きを真似た演技なのである。

演技スタイルに関しては好みが分かれるだろうが、マキノの脚本はとにかく巧い。日本人が書いたとは思えないほどで、このままイタリア人の俳優を使って映画にしてもおかしくないほどの出来だ。

設定、展開、どんでん返しの妙、そして少し暗めのラスト、など全てに感心してしまう。

愛の強さについて、そして「正しい」とはどういうことなのかについて、考えさせられた。エンターテインメントとしても一級品である。

「水平線ホテル」の脚本を買って帰る。

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2020年7月30日 (木)

笑いの林(124) よしもと祇園花月 「リスタート! よしもと祇園花月ネタLive」2020.7.24

2020年7月24日 よしもと祇園花月にて

午後2時からよしもと祇園花月で、「リスタート! よしもと祇園花月ネタLive」を観る。

先週再稼働したよしもと祇園花月。先週はトークショーやゲームが中心だったが、今週からは漫才やコントなどの王道がプログラムに載り始める。吉本新喜劇が祇園に戻ってくるのはもう少し先になりそうである。

 

出演は、相席スタート、テンダラー、見取り図、学天即、藤崎マーケット、スマイル、COWCOW。豪華なラインナップである。

 

相席スタート。
まずは自己紹介。京都市出身の山添寛(やまぞえ・かん)は、特徴のない人と思われることが多いそうで、「地方局のアナウンサーにいそう」「結婚式場のスタッフにいそう」「カラオケの映像に出てそう」などと言われるそうである。

相方の山崎ケイは、早稲田大学卒業であるが、早稲女(わせじょ)繋がりである稲田元防衛大臣に似てると言われることが多い。本人は山口智子を意識しているそうであるが、それを口にしてから、「なんか目合わせてくれる人が減った」
ちなみに「アメトーク」に「いい女の雰囲気を出してる芸人」に出たことがあるそうである。本人は「いい女」枠ではなく「雰囲気を」しかも出ているのではなく「出している」と思われたのが不満らしい。山崎は「ちょうどいい感じのブス」を売りにしていたが、それがドラマのタイトルになりそうになった時に大炎上したため、今日は口にしなかった。

山添が年上の女性にプロポーズすることになり、山崎がそれを断る年上の女性を演じる(「もう水弾かないで馴染むよ」など)のだが、次第に「(家まで)駅から徒歩40分だよ」と年上の女性と直接関係のない条件を挙げ始めるというネタである。

 

テンダラー。
浜本広晃が、自粛期間に良いネタを考えてきたというので披露するが、「俺ら最近、ちんちんが」と言って、相方の白川悟実に「下ネタかい!」と突っ込まれる。

最近は一人焼き肉が流行っているというので、白川が客に扮して一人焼き肉に立ち寄るのだが、「いらっしゃいませ!」と言ってきた浜本が店員ではなく常連客だったり、100人が入れる広さのある謎の個室に通されそうになったりする。白川は店員の浜本にジャケットを預けるが、そのジャケットで床掃除を始められてしまったりする。

最後は交通事故を起こした際の損害保険のネタ。ソニー損保だとかチューリッヒだとかがCMでよくやっているあれである。
白川が交通事故を起こした人を、浜本が損害保険会社のオペレーターの女性を演じる。
白川が「白川悟実」と名乗ると、浜本は「え? 女性ですか?」
白川「いや、さとみという名前だけど男性です」
浜本「郷ひろみみたいなものですか? 城みちるみたいなものですか? 由美かおるみたいなものですか?」
白川「由美かおるは女やろ!」
浜本「お客様、勤務先が吉本興業となっていらっしゃいますが、ひょっとして?」
白川「ええ、漫才師です」
浜本「え!? 私、漫才大好きなんです。失礼ですが何というコンビで?」
白川「テンダラーといいます」
浜本、無視してパソコンを操作する仕草
白川「おーい!」

白川はUSJにいるのだが、軽トラックで来ているそうで(ジ・白川バンドというなぜ「ジ」なのかわからないバンドを率いているため、いつも楽器運搬用に軽トラックを運転しているのかも知れない)、代車として「日野の二トン」を提案されるも却下したりする。

 

見取り図。
盛山晋太郎が、謎かけを説くのが格好いいというので、「林檎とかけて好きな女性と解きます。どちらもきになる(木になる。気になる)」とやり、リリーが「ジャガイモとかけて嫌いな女性と解く。どちらもきにならない」と真似て、盛山に駄目だしされる。リリーは、「好きな女性とかけて嫌いな女性と解く。どちらもはなしたくない(離したくない。話したくない)」と言って、これはお客さんから拍手を貰っていた。
リリーは更にお客さんから、「祭り」というお題を頂いて挑むも、「祭りとかけてスズメと説く。どちらも三文字」というレベルの低いものにしかならず盛山に呆れられる。

続いて、痴漢冤罪の話。満員電車では痴漢冤罪に遭わないよう、つり革を両手で掴むといいと盛山が言い、盛山が男性を、リリーが痴漢冤罪を起こしそうな女性を演じるのだが、逆にリリーが電車内に他に誰もいないのに盛山に付き纏う変な女性になってしまう。

 

学天即。
よじょうは変わった髪型をしているが、天然パーマだと相方の奥田修二が紹介する。奥田「同情するでしょ?」
よじょうはよじょうで、奥田のことを「男前だ」と褒め、客席に奥田が男前かどうか聞くも全く反応がなく、奥田は「地獄やん」とこぼす。

よじょうは宇宙旅行をしたいという夢があるのだが、「宇宙旅行に行くのは、ANA? JAL?」というレベルで、奥田に「NASA」と突っ込まれる。
よじょうは更に宇宙旅行に行くのに高所恐怖症なのが難点だと言って奥田から、「普通、宇宙、遠いと思ってるけど、お前、高い思ってんのか?」と言われる。
宇宙旅行のためにプラスとなる事柄として、よじょうは英語が喋れる(関西大学卒であり、高学歴芸人に分類される)ことを挙げるも、「May I open the window?」と聞いて奥田から「一番駄目なことやん」と突っ込まれていた。

 

藤崎マーケット。
上新電機のCMに出演している阪神タイガースの選手のテンションが低いという話から入る(往時のCMで、今現在流れているものとは異なる)。

トキがホストに扮し、女性役の田崎祐一を接待するのだが、「あれ? 味がしない」と言って、田崎に「お前、コロナちゃう?」と突っ込まれる。
その後、トキは古今東西ゲームを提案するのだが、
トキ「B'zのメンバー。松本」
田崎「稲葉」
で二人しかいないので負け、
トキ「歴代総理大臣」
に挑むもトキ演じるホストは一人も上げられず自滅する。

 

スマイル。
ウーイェイよしたかが、「錦織圭です」と自己紹介するいつものネタから入る。
瀬戸洋祐が若い頃はヤンキーに憧れたというので、よしたかが「昔、ヤンキーだった」と言って、うんこ座りをするのだが、
瀬戸「なんで洋式(便器)やねん? そんなんおかしい」

瀬戸は車を運転して彼女の家の前に乗り付け、そこから一緒にドライブデートというのに憧れていると語るのだが、よしたかから「37歳にもなってそれ?」と言われる。
最後は二人でドライブデートに出掛けることになるのだが、よしたかは、「これ、何が面白いん?」

 

COWCOW。以前からやっている回文ネタをやる。
善し「トマト」
多田健二「パパ」
善し「新聞紙」
多田「ママ」
善し「竹藪焼けた」
多田「パパ、竹藪焼けた、パパ」
と多田の方がいい加減になっていく。

善しが、「イカのダンスは済んだのかい」と長いネタをやるが、多田は「たこのダンスは済んだのこた」と思いっきり回文を無視する。

その後に、学園を題材にした教師と生徒のやり取りネタが続く(覚えきれなかったので書かず)のだが、今日のライブネタはこれで最後だというので(夜公演としてCOWCOWの公演がある)アンコールとしてレビュー風のネタが行われ、観客も手拍子で応えた。


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2020年7月29日 (水)

コンサートの記(644) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第647回定期演奏会

2020年7月26日 京都コンサートホールにて

久しぶりに京都コンサートホールへ。2月の京響定期演奏会以来だから、5か月ちょっとぶりになる。

午前11時開演の京都市交響楽団第647回定期演奏会を聴くのだが、新型コロナウイルスの世界的な流行により予定されていた指揮者のパスカル・ロフェとピアニストのロジェ・ムラロが来日不可能になり、指揮者の代役を秋山和慶が受けて、曲目も変更になる。
また、京都市交響楽団の7月の定期は同一プログラム2回のはずだったが、入場制限を行う必要があるため、昨日1回、今日は午前11時からと午後15時からの2回、計3回の演奏が行われることになった。昨日と今日15時からの回は京響友の会のメンバー(ほぼ定期会員と重なる)優先となるため、1回券で来ている人は、今日の11時からの公演のみ入場可となる。

 

入場口でサーモカメラによる検温があり、大ホールへの入り口で手のアルコール消毒をする必要がある。アルコールアレルギーのある人は他の手段での消毒を行うようだ。
チケットは自分でちぎってプラスチック製の容器に入れる。プログラムも自分で取る。チラシ込みとなしの2種類のプログラムがあり、選ぶことが出来る。ビュッフェは営業停止、物販も行っていない。冷水機も使用出来なくなっている。

 

客席は左右共最低2席空けとなる。今日は三階席の上手側ステージ奥寄りの席である。手すりが多少邪魔になるが、指揮する秋山の姿がよく見える。P席(ポディウム)は全て空席となっている。

 

ホールに入った時には、京都市交響楽団第13代常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一らによるプレトークが行われていた。

 

ステージ上も奏者同士の間隔を通常よりも空けての演奏である。今日のコンサートマスターは、4月に特別客演コンサートマスターに就任してから初の登場となる会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーは置かず、泉原隆志は会田の真後ろの席で弾く。同じ人物がステージ上に長く滞在するのをなるべく避けるため、弦楽奏者は首席と副主席を除いて前後半で入れ替わる。アシスタント・コンサートマスターの称号を持つ尾﨑平は今日は後半のみの登場で、泉原の真後ろで演奏していた。
第2ヴァイオリンの客演首席は大森潤子。チェロの客演首席にはルドヴィート・カンタが入る。

 

曲目は、前半がシェチェドリンの「カルメン」組曲(ビゼーの歌劇「カルメン」による弦楽と打楽器の編曲版)、後半がストラヴィンスキーのバレエ組曲「プルチネルラ」
途中休憩なし、上演時間約80分というコロナ下特別対策による公演である。

シチェドリンの「カルメン」組曲は、弦楽器と打楽器のための作品。ストラヴィンスキーのバレエ組曲「プルチネルラ」は弦楽器と管楽器のための作品で打楽器は登場しない。ということで、ステージ上で「密」にならないための曲目が選ばれているのだが、同時に両曲ともトランスクリプション作品であり、元からある楽曲に新たな命を吹き込むという意味で京響の「再生」に重ねるという意図があるいはあるのかも知れない。

 

何でも振れる秋山和慶は、こうした危機の事態には引く手あまたである。1941年生まれ、桐朋学園大学で齋藤秀雄らに師事。卒業後ほどなく東京交響楽団を指揮してデビューし、その後、同楽団の音楽監督・常任指揮者を40年に渡って務める。小澤征爾の下でトロント交響楽団副指揮者、アメリカ交響楽団音楽監督(前任であるレオポルド・ストコフスキー直々の指名)、バンクーバー交響楽団音楽監督、シラキュース交響楽団音楽監督と、北米大陸でのキャリアも築いている。
広島交響楽団とはシェフとして長年に渡って良好な関係を築き、終身名誉指揮者の称号を得ているほか、新興の中部フィルハーモニー交響楽団芸術監督・首席指揮者、日本センチュリー交響楽団のミュージックアドバイザーなども務めている。

経歴から分かる通り、日本においては、比較的若い楽団を育てることに喜びを見いだすタイプであり、洗足学園音楽大学芸術監督・特別教授として指導に当たるほか、京都市立芸術大学からは名誉教授の称号を得ている。学生オーケストラの公演にもしばしば登場することでも知られている。

秋山は、コンサートマスターの会田莉凡と握手ではなくエルボータッチを行う。

 

シチェドリンの「カルメン」組曲。旧ソ連とロシアを代表する作曲家の一人であるロディオン・シチェドリン(1936- )がボリショイ劇場のプリマ・ドンナであったマイヤ・プリセツカヤの依頼により、ビゼーの歌劇「カルメン」をバレエ音楽にアレンジした作品である。打楽器が多用されており、その痛烈な響きが現代音楽であることを再確認させてくれる。

まず、チューブラー・ベルズによって「ハバネラ」の主題が奏でられるのだが、どこかノスタルジアを帯びており、「カルメン」が遠い昔の物語として語り出される趣がある。
ちなみに、「カルメン」の音楽のみならず、同じくビゼーの代表作である「アルルの女」からの“ファランドール”がボレロ舞曲風に奏でられ、歌劇「パースの娘」から“ジプシーの踊り”も取り入れられるなど、単純にアレンジしただけではなく、作品中でビゼーの音楽が再構築されている。

久々の定期演奏会を行う京都市交響楽団であるが、切れ味鋭く、美観も万全でブランクを感じさせない仕上がりである。

後半の「プルチネルラ」では打楽器が登場しないということで、舞台転換の際は、ステージスタッフのみならず京響の打楽器メンバーも自ら楽器を持ってステージ後方へと片付ける。

 

ストラヴィンスキーのバレエ組曲「プルチネルラ」。18世紀の作曲家であるペルゴレージの楽曲などをストラヴィンスキーが20世紀風に再構成した作品である。カメレオン作曲家と呼ばれ、作風をコロコロ変えたストラヴィンスキーの新古典主義時代の代表作である。

前半の「カルメン」組曲は、ドイツ式の現代配置での演奏だったが、「プルチネルラ」ではヴィオラとチェロの位置が入れ替わり、アメリカ式の現代配置に近くなるが、コントラバス首席奏者の黒川冬貴がチェロ首席のルドヴィート・カンタの真横となる最前列で弾くなど、独特のポジショニングである。

創設当時に、典雅なモーツァルト作品演奏に特化した活動を行い「モーツァルトの京響」と呼ばれた京都市交響楽団だが、その伝統が今も生きており、煌びやかにして雅やかな音色が冴えに冴えまくる。パースペクティブの築き方も巧みである上に秋山の抜群のオーケストラ統率力も加わって、古典の再構成作品の演奏として高い水準に到達しており、京響の楽団員も実に楽しそうだ。

京響が得意そうな楽曲を並べたということもあるが、今の状況ではベストに近い演奏が行われており、京都市交響楽団の実力の高さが再確認される演奏会となった。

 

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2020年7月28日 (火)

配信公演 阪哲朗指揮山形交響楽団 「ベートーヴェン交響曲スペシャル」第2回(文字のみ)

2020年7月25日 山形市のやまぎん県民ホールからの配信

午後4時からクラシック音楽配信サイト、カーテンコールで阪哲朗指揮山形交響楽団による「ベートーヴェン交響曲スペシャル」の第2回公演を視聴。やまぎん県民ホールからの配信。入場者数を絞った上での有観客公演である。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番と第8番。

まず、山形交響楽団専務理事である西濱秀樹によるプレトークがある。西濱秀樹は関西フィルハーモニー管弦楽団時代もユーモアに富んだプレトークを行っており、好評であった。その後、指揮者の阪哲朗も登場して、ベートーヴェンに関するトーク。「ベートーヴェンの交響曲第2番を演奏会でお聴きになったことのある方、いらっしゃいます?」という話になる。東京や関西はオーケストラの数も多く、ベートーヴェン・チクルスなども珍しくはないが、山形県内にプロのオーケストラは山形交響楽団だけ。交響曲第2番はそれほどメジャーな曲ではないので、生では聴いたことのない方も多いようである。阪哲朗もベートーヴェンの交響曲第2番を指揮するのは生涯2度目だそうである。

スコアであるが、ブライトコプフ(ブライトコップ)の新版を使用するそうである。新版は「原典版」と命名されているようだ。

トランペットやホルンはナチュラル仕様のものを使用。バロックティンパニも用いたHIPによる演奏である。古典配置を採用。


交響曲第2番では阪はタクトを使って指揮する。
交響曲第2番は、ベートーヴェンの交響曲の中では旋律重視の優美な曲と捉えられているが、HIPを駆使するとベートーヴェンの斬新さが浮かび上がる。弦も管も美しく、瑞々しさ溢れる演奏となった。
匂うような「青春の息吹」が感じられるのも特徴である。


休憩時間には、やまぎん県民ホールの紹介VTRも流れる。第1回の「ベートーヴェン交響曲スペシャル」でも流れたVTRだそうだが、1回目の日(七夕であった)には私はよそに行っており、アーカイブとしても残さないということだったので、観るのは初めてである。山響の楽団員がホール内各所で演奏する様子が流れた。山形の伝統工芸をモチーフにした飾りがあったり、カーペットの模様が最上川の流れをイメージしたものであったりと、郷土愛に満ちた内装である。


交響曲第8番。ベートーヴェン自身が最も気に入っていた交響曲として知られているが、ベートーヴェンの生前から今に至るまで人気は今ひとつである。明るめの曲調による小型の交響曲であるため、「ベートーヴェンらしくない」というのがその理由だと思われるが、「そもそもベートーヴェンらしさ」とは何かという問題もある。所詮はパブリック・イメージである。

阪は、この曲はノンタクトで指揮。生き生きとした音楽作りである。
この曲においてベートーヴェンが描いた明るさは、ある意味突き抜けており、第九を書くのはまだ先のことであるが、彼岸が見えているようでもある。
阪の指揮の上手さもあって、他の交響曲からは窺えない豪快な明るさもはっきりと感じ取ることが出来る。
フランスでいうところの「エスプリ・ゴーロワ(エスプリ・ゴロワ。「ゴール人気質」のこと)」のようだ。

交響曲第7番と第8番は双子の交響曲とも捉えられているが、第7番は音楽と人間の肉体的な美を描き、第8番ではより精神的なものを讃えているようにも思われる。第5と「田園」同様、相互補完的な関係である。


新型コロナ対策のため、客席で大声を上げることは禁止だが、客席の後ろの方には、「ブラボー」プレート(山形交響楽団の公式Twitterなどで、やまぎん県民ホールが配布したものであることがわかった)を掲げている人も何人かいる。
連続ドラマ「半沢直樹」の続編が始まったということもあり(?)、「やられたらやり返す」ということで(??)、阪哲朗も最後は「感謝」という言葉の書かれたプレートを拡げて、「文字返し」(???)で応えていた。

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