これまでに観た映画より(385) 浅野忠信&瀧内公美「レイブンズ」
2025年3月31日 京都シネマにて
京都シネマで、フランス・日本・ベルギー・スペイン合作映画「レイブンズ」を観る。現代の無頼のような生き方をした写真家の深瀬昌久と妻の洋子の人生を描いた伝記風作品である。伝記とは書いたが、生き方そのものよりも二人の関係性に重点が置かれている印象である。監督はイギリス・マンチェスター出身のマーク・ギル。最初、グラフィックデザインを学び、ミュージシャンに転向。その後、映画監督への再転向を果たしたという異色の人物である。脚本とプロデューサーも兼任。日本贔屓で日本語も学んでいる最中だという。2015年にイギリスの新聞で深瀬の記事を読み、興味を持ったのが今回の映画の入り口だという。
出演は、浅野忠信、瀧内公美、古舘寛治、池松壮亮、高岡早紀ほか。浅野忠信と瀧内公美に関しては、日本映画にも詳しいマーク・ギル監督によるキャスティングのようである。
浅野忠信が演じる深瀬昌久(ふかせ・まさひさ。1934-2012)は、北海道生まれの写真家。本名は同じ字で「よしひさ」と読むようである。写真館を経営する家に生まれ、日本大学藝術学部写真学科卒。いくつかの企業勤めを経てフリーの写真家に。奥さんの洋子(この映画では瀧内公美が演じる)をモデルにした写真で名を挙げ、1974年にニューヨーク近代美術館(MoMA)での写真展への出展により海外にも進出。しかし実家の離散などもあって酒量が増え、酔って階段から転落し、脳挫傷を負い、以後回復することなく10年後に他界している。
変わった人物であることを表すためか、首つり自殺する瞬間をカメラに収めようとするシーンなどから始まる。
深瀬にしか見えない巨大な烏(レイブンズ。「ツクヨミ」。ホセ・ルイス・フェラーが演じる)がおり、英語で深瀬に話しかけてくる。深瀬は英語はよく分からないはずだが、烏の言葉は分かる。烏は時に深瀬を導き、後押しをする。烏の存在により、この映画は日本語と英語の二カ国語作品となっている。
深瀬昌久(若い頃の深瀬は別の俳優が演じている)は、日大藝術学部写真学科に合格するが、父親の助造(古舘寛治)は、「写真館に大学の教育はいらない」と合格通知書を破り捨ててしまう。この厳父の存在が昌久の人格形成に大きな影響を与えているのは間違いなさそうだ。時間は飛ぶ。結局、昌久は日大藝術学部に進学して卒業したことが分かる。そして鰐部洋子(彼女も、Ocean Childである)という魅力的な女性と出会い、写真のモデルになって貰い、やがて結婚する。洋子は能楽師になりたいと思っていたようだが、今でこそ女性能楽師は珍しくない、というより私も知り合いに女性能楽師がいたりするのだが、この時代は女性は能楽師にはまだなれないようである(観世、金春、金剛、宝生、喜多という派に入ることは出来たが、能楽師として正式に登録出来るようになるのは2004年から)。だが、能楽の訓練は受けることにし、深瀬の稼ぎと洋子のパート代が費用として当てられることになる。だが、深瀬は芸術系の写真家であるため、余りお金は稼げない。そこで気は進まないが広告などの商業写真の仕事も手掛けるようになった。その頃には助手となる正田モリオ(池松壮亮)とも出会っている。
だが、商業写真にはどうしても乗り気になれない。昌久は芸術写真に戻り、十分な稼ぎが得られなくなってしまう。洋子も不満である。
北海道の実家に帰った深瀬。洋子も連れて行く。しかし、助造を怒らせた深瀬は打擲され続ける。洋子は青ざめたような顔でそれを見ていた。助造は最後には写真館倒産の責任を取って自裁した。深瀬は厳しかった助造が、自身が特集された写真雑誌を買っていたり、深瀬家での写真をスクラップブックに入れていたりと、深瀬のことを気に掛けていたことを知る。
そんな中、1974年(どうでもいいことだが私の生まれた年)、MoMAことニューヨーク近代美術館から写真を出展しないかという話が舞い込む。二人でニューヨークへと乗り込む二人。だが注目を浴びたのはモデルを務めた洋子の方であった。この頃から二人の間に溝が出来始める。洋子は洋子で、実際の洋子ではなく写真に収められたモデルの洋子が現実の洋子を飲み込むような気分になっていたと思われる。また夫がカメラ越しにしか自分を見ておらず、見られたのは自分ではなく夫自身、夫は自分のことしか見ていないと不満を募らせる。
結局、洋子は深瀬の家には戻らず、二人は別れた。それでも洋子が深瀬の家を訪ねた日、深瀬は短刀(脇差し)で洋子の背中を斬りつける。深瀬の家は屯田兵として北海道に渡った旧士族であり、廃刀令で刀は失ったが、旧士族の家によくあるように切腹用の脇差しは隠し持っていたようである(銃刀法違反にはなる)。旧士族らしく「男、四十にして功成らざれば、死をもって恥をすすぐべし」との家訓があり、父親から脇差しを渡されていた。旧士族の家には、切腹の仕方を伝授する家もあるようだが、多分、そこまでのことは深瀬家ではやっていなかっただろう。
とにかく刃傷沙汰となり、洋子が警察に通報したため、深瀬は逮捕される。重い罪にはならなかったようだ(この刃傷沙汰が事実なのかどうか確認は取れなかった)。離婚が成立する。
これで深瀬と洋子は終わり、にはならなかった。数年後、烏や猫などを題材とした深瀬の写真展を観に洋子が現れる。洋子は三好という男と再婚しており、三好洋子となっていた(エンドロールに、SpeciaL Thanks:Yoko Miyoshiの文字がある)。三好の身分は分からないが、大企業の重役風であり、洋子の言葉遣いも上品になっていた。これが二人の最後、にはやはりならなかった。行きつけのバーの階段から転落し、後頭部を打った深瀬。重症であり、以後、意識がハッキリしない状態が続く。老人ホームに入った深瀬を見舞う洋子。自分のことが分かっているのかさえ判然としない深瀬を見て複雑な思いでホームを去る。ホームの上には深瀬の象徴のような烏が舞う。これで終わり、にはならない。洋子はなんと深瀬が亡くなるまで10年間、見舞いを続けたのだった。
なんとも妙な二人。どこかで見たような関係だが、竹久夢二とたまきの間柄にそっくりである。画家・詩人・挿絵画家の夢二と、写真家の深瀬の違いはあるが、別れ際に刃傷沙汰になったり、それで永遠の別れかと思いきや延々と関係は続き、最期を看取ったというところまでそっくりである。深瀬と洋子が意図して似せた訳ではないだろうが、同じようなことをしている芸術系カップル、それも夢二とたまきほどには有名ではない二人がいた、というのは面白いことである。やっていること自体は面白い訳ではないのだが。
実際には、深瀬も洋子と別れた直後に再婚しており、深瀬と洋子は必ずしも映画内のような関係ではなかったとも考えられる。
脚本・監督のマーク・ギルはイギリス人であるため、竹久夢二とたまきを知っているのかどうかすら不明だが、「新版 夢二とたまき」を観たような気分になった。なお、洋子もたまきも金沢出身である。
深瀬が経済的な成功とは遠かったのは、洋子とは団地に住み、最後も家賃の安そうなアパートで一人暮らししていることからも分かる。誰もが知るほどの有名な存在にはなれなかったが、成功と言えるだけの体験はした。それでも芸術で食べていくのは大変なようである。
才能あるが故に、一般的な生活には馴染めない深瀬を浅野忠信が快演。最愛の女性となる洋子を演じた瀧内公美もチャーミングな場面から深瀬に迫る激しい表情まで幅広く「被写体に相応しい女」を演じている。半月ほど前に、サインを頂くために瀧内公美さんに至近距離で会ってお話も少ししたのだが、「この人は人間性が柔らかそうなので何にでもなれそうだな」という印象を受けた。表現を行う人はエネルギー放出量も多いので、一般的な人よりは能力などが伝わりやすい。もう古い話になるが、AKBグループが全盛の頃、「選抜入りした人達とそうじゃない子ではかなり実力差があるな。ファンは実力をよく見抜いているな」と思ったものだが、実際に有名アーティストなどは近くにいると才能などは伝わってくるので、「なるほど、そういうことか」と納得した。浅野忠信もヨコハマ映画祭の表彰式に彼が主演男優賞受賞者として出席した時に生で見たことがあるのだが、ただ立っているだけで誰よりも迫力があった。
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