竹内まりや 「カムフラージュ」(CX系連続ドラマ「眠れる森」主題歌)
期間限定公開とさせていただきます。もう主演女優も脚本家もいません。
2024年12月2日 京都シネマにて
京都シネマで日本映画「二人ノ世界」を観る。永瀬正敏&土居志央梨W主演作。土居志央梨がNHK連続テレビ小説「虎に翼」の山田よね役でブレークしたのを受けての再上映である。2020年公開の映画で、2017年の制作とあるので、撮影もそれよりちょっと前かと思ったのだが、土居志央梨がX(旧Twitter)で、「21歳の時に撮影」と書いており、土居志央梨は現在31歳なので約10年前に撮られているということになる。何らかの理由で公開までに時間が掛かったようだ。プロデューサーは複数名いるが、メインは林海象。林海象と永瀬正敏は、「濱マイク」三部作を作り上げている盟友であり、土居志央梨は林海象の京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映画学科の教え子である。黒木華や土居志央梨は映画俳優コースの出身で、黒木華もプロフィールに「林海象に師事」と書いてあったりするのだが、林さんは演技自体の指導は出来ないはずなので、演出を付けて貰ったという意味なのだと思われる。原作・脚本:松下隆一(第10回日本シナリオ大賞佳作)、監督:藤本啓太。製作協力に、北白川派(林海象を発起人として京都造形芸術大学映画学科を中心に興った映画製作グループ)と京都芸術大学、京都芸術大学映画学科が名を連ねている。
出演は、永瀬正敏と土居志央梨の他に、牧口元美、近藤和見、重森三果、勝谷誠彦、宮川はるの等。余り有名な俳優は出ていない。
面白いのは、若き日の土居志央梨の声が松たか子そっくりだということ。多分、音声だけだとどちらがどちらなのか分からないほどよく似ている。顔の輪郭が同じような感じで頬もふっくらしているという共通点があるため、声も自然と似たものになるのであろう。
京都市が舞台である。元日本画家の高木俊作(永瀬正敏)は、36歳の時にバイク事故で脊髄を損傷し、首から下が不自由になる。画家時代は東京で暮らしていたが、今は京都の西陣にある実家で寝たきりの生活を送っている。母親が介護していたが4年前に他界。今は父親の呉平が介護を担っているが、高齢であるため、ヘルパーを雇おうとしている。しかし俊作はヘルパーが気に入らず、毎回、セクハラの言葉を浴びせて追い返していた。困った呉平はラジオに投稿。採用され、ラジオのパーソナリティーと窮状について話をする。そのラジオを聴いて、ヘルパーとして無理矢理押しかけてきた若い女性がいた。目の見えない平原華恵(土居志央梨)である(27歳という設定)。「虎に翼」にも花江という名の女性が出てきたが(森田望智が演じた)、こちらにも字は違うが「はなえ」が出てくるのが面白い。
華恵は、目が見えないということで、求人に応募しては不採用という状態が続いていることが冒頭で示されている。
俊作も、華恵に関しては卑猥な言葉を吐かず、取りあえず受け入れることになる。目が見えないので、本当にヘルパーが務まるのか、みな疑問視するが、何とかなっている。ちなみに華恵はヘルパーの資格は持っていない。京都のどこかは分からないが、屋外にゴミゴミした風景が広がる場所に住み、煙草をたしなむ。幼い頃に右目を失明し、5年前に左目の光も失ったようだ(視覚障害者のための団体、京都ライトハウスが撮影に協力している)。
これまで俊作は、女性ヘルパーに会ってすぐにセクハラに及んでいるため、顔が気に入らなかったのだろうか。面食いなのかも知れない。
俊作には、小学校の頃からの付き合いで、写真館を営む後藤という友人がいる。後藤にAVを貸して貰って見るのが習慣になっているようで、華恵の前でもAV鑑賞を行おうとする。後藤はたしなめるが、華恵が、「私は別に構いませんよ」と言ったため、介護を受けながらAVを見る(スクリーンからはあえぎ声だけ聞こえる)という妙な場面があったりする。
呉平の健康状態が良くなく、緊急入院することに(勝谷誠彦が医師役で出ている)。華恵は俊作を安心させるため、「検査入院」と告げたが、もう長くないのは明らかだった。
呉平の葬儀の日。いかにも意地悪そうな親戚のおばさん達(かなりステレオタイプの京都人といった感じである)は、目が見えず、無資格の華恵が俊作のヘルパーを続けていることに疑問を呈する……。
障害者を扱った思い作品だが、障害者が直面するシリアスな問題には本格的には触れず(そういった問題はドキュメンタリー映画で扱うのが適当だろう。ただ印象に残る場面はいくつもある)、障害者二人の心の接近が主に描かれている。俊作が事故に遭う以前に描いた鶴のつがいの絵を華恵が撫でて指先で読み取るシーンが印象的である。最初は寝てばかりだった俊作だが、華恵と屋外に出るようになる。
ロケ地の協力先として宝ヶ池公園などの名が上がっているが、宝ヶ池は映らず、公園内のその他の部分で撮影が行われている。また京都大学の北にある百万遍知恩寺での大念珠繰りの行事を二人がテレビで見る場面があり、その後、二人が屋台のある場所に出掛けるのだが、ここはどうも知恩寺ではないように思われる。百万遍知恩寺には余り屋台が出ることはない。どこなのかは少し気になる(吉田神社などは屋台がよく出ているが、吉田神社が協力したというクレジットはない)。
二人とも障害者であることを卑下する言葉を吐くことがあるが、華恵は、「私も俊作さんも普通の人間なのに。私は目が見えないだけ、俊作さんは体が動かないだけ」と障害者が置かれた理不尽な立場を嘆いたりもする。華恵は目の焦点が合っていないので、外に出る時はサングラスをして誤魔化しているのだが、バスに乗ったときに、席を譲って貰って座るも、女の子から、「このお姉ちゃん目が見えないの?」と言われ、明るく「何にも見えないよ」と返したが、女の子は何も応えないなど、一番傷つくやり方をされてもいる。
俊作も、「俺たち、色々と諦めなくちゃいけないのかな」と弱音を吐くが、その直後に路上で痙攣を起こし、病院に運ばれる。駆けつけた親戚から華恵は、俊作にもう会わないようにと告げられる。
ラストシーンではベッドインする二人。このまま障害者二人でやっていけるのかどうかそれは分からないが、障害者としてではなく男女として巡り会えた喜びが、今この時だけだったとしても描かれているのが救いである。
障害者ではあるが、ギラギラした生命力を感じさせる永瀬正敏の演技と、しっとりとした土居志央梨の演技の対比の妙がある。重く地味な作品ではあるのだが、独特の空気感が映画を味わい深いものにしている。
まだ京都造形芸術大学の学生だった土居志央梨の、山田よねとは正反対の瑞々しい演技も見物。しかしここから売れるまでに10年かかるのだから女優というのも大変な職業である。
2024年11月13日
ひかりTVの配信で、日本映画「ちょっと思い出しただけ」を観る。東京テアトルの制作。監督・脚本:松井大悟。主演:池松壮亮&伊藤沙莉。出演:河合優実、大関れいか、屋敷裕政(ニューヨーク)、尾崎世界観、成田凌、市川実和子、高岡早紀、神野美鈴、鈴木慶一、國村隼(友情出演)、永瀬正敏ほか。劇伴を「虎に翼」の森優太が担当している。
2021年の7月26日のシーンに始まり、過去の7月26日へと時が遡っていく。
2021年の7月26日は、コロナ禍の真っ只中ということで、登場人物の多くがマスクをしている。
タクシードライバーの野原葉(よう。伊藤沙莉)は、芸能関係者の男をタクシーに乗せる。トイレに行きたいと男が言い出したため、小劇場である座・高円寺の前でタクシーを停める葉。そのまま座・高円寺の中に入り(本来は部外者立ち入り禁止のはずだが)、舞台で佐伯照生(池松壮亮)が踊っているのを見掛ける。葉と照生は元恋人だった。ダンサーで振付なども担当した照生だが、今は足の致命的な怪我でダンスを諦め、劇場の照明係(助手)として働いている。だが、終演後には一人で踊っていたのだ。
照生が暮らすアパートの前には坂があり、その下の公園のベンチに中年の男(永瀬正敏)が座り込んで、亡き妻の帰りを待っている。
その後、時間は巻き戻る。
2019年7月26日。タクシー会社で朝の準備をしていた葉は友人からLINEで合コンに誘われる。お世辞にも雰囲気が良いとは言えない居酒屋での3対3の合コン。血液型の話になり、葉もA型だと答える(伊藤沙莉の血液型もA型)。表で煙草を吸おうとして火を借りた葉は、火を貸した男、康太(ニューヨークの屋敷裕政)と一夜を共にする。
その前年の7月26日には、葉は照生とタクシー運転中に意見が食い違い(葉は怪我をした照生を支えるつもりだったが、照生にはそうして貰う気はなかった)、別れる。タクシーを追おうとしない照生にも葉は不満だった(ここは伊藤沙莉の考えが反映されているという)。それでもバースデーケーキは贈った。
その前年の7月26日には葉は照生と一夜を共にし、デートをしている。ダンススタジオに通う照生は水族館(八景島シーパラダイスだと思われる)でアルバイトをしており、夜の水族館に二人で忍び込んだのだ。葉は踊る振りをしてみせた。
その後も、タクシー内でのとある映画を模したやり取りや、屋上での花火など、胸キュンシーンが続く。
その前年、恋人の照生にお祝いの花束を渡そうと、ダンススタジオの前までやって来た葉だが、照生が同じバレエダンサーの泉美(河合優実)から誕生日プレゼントを贈られるのを見て嫉妬に駆られ、花束を渡すことなく、雨の中、ダンススタジオを後にする。
ずぶ濡れになりながら傘を探す葉は、ベンチに座る男の当時存命中の妻(神野美鈴)と出会う。
葉と照生の二人が出会ったのは2015年の7月26日。友人の舞台を観に行った葉は、公演のダンスシーンの振付と出演をした照生と終演後の打ち上げで初めて顔を合わせる。乗客とは比較的話す葉だが、根の部分では奥手の性格のようである。ダンスシーンに不満のあった葉は率直に感想を口にするが、振付が照生であると知って気まずくなる。だが、葉の感想が舞台関係者のそれであることを見抜いた照生は葉とシャッター商店街を歩き、葉を抱え上げて踊るなど、戯れる。葉も元々は舞台関係者であることを打ち明けた(高校時代に演劇部にいたという話が先に出てくる。舞台女優ではなく、おそらくダンサーもしくは劇作系だと思われる)。とても甘酸っぱいシーンである。
そして2021年7月26日の座・高円寺。葉が照生のダンスを見つめるシーンに戻る。
上手くいかなかった恋。「ちょっと思い出しただけ」。葉は今は康太と結婚し、一児を設けている。
毎年の7月26日の照生の誕生日に焦点を当てて、時代を遡るという趣向のドラマである。
男女としての関係が崩れてしまったカップルの初々しい出会いのシーン(シャッター商店街とはいえ、実際にあれをやられると迷惑だろうが)など、愛らしいシーンをいくつも見つけることが出来る。タクシー運転手役で鈴木慶一がカメオ出演しているのも見所。鈴木慶一が二人を乗せたタクシーは横浜のみなとみらい地区で停まる。
今日、Webラジオの「松岡茉優&伊藤沙莉 お互いさまっす」で、伊藤沙莉が19歳の頃に運転免許を取りに行って楽しかったという話をしていたが、この頃の彼女は仕事が全く入らず、「普通にフリーターだった」そうで、「バイト行って、教習所通って、友達の家に連泊して、彼氏できて、彼氏もいるグループの子たちとずーっと一緒にいて」という生活だったらしいが、そんな生活を見かねたマネージャーさんに怒られて号泣したそうで、それまで惰性で女優をやっていたのが、「見てろよ」と気持ちが変わったのもこの頃のようだ(いずれも伊藤沙莉フォトエッセイ『【さり】ではなく【さいり】です。』より)。
これも「お互いさまっす」で伊藤沙莉が語っていたことだが、脚本を書く前に松井監督が伊藤にインタビューしに来たそうで、「恋愛観や恋愛ストーリーなど」を聴き、それがこの映画にかなり反映されているようである。
その伊藤沙莉であるが、自然体の演技。「こういう子いるよね」という妙な説得力がある。なお、伊藤は時の遡行に合わせて前髪をパッツンにするなど、若く見える工夫をしている。
池松壮亮は身体能力も高く、一生懸命やってはいるのだがどこか投げやりに見える雰囲気も上手く出しているように感じられた。
2024年ブレイク女優の一人、河合優実。いい役を貰っているということもあるが、この頃から人目を惹く要素があり、存在感を放っている。
葉の行きつけのバー「とまり木」のマスターである中井戸を演じる國村隼にも癒やされる。
どちらかといえば可愛い系の映画で、若い人向けであり、傑出した作品ではないかも知れないが、感情の変遷を的確に描き出していて好印象である。
ちなみに葉のタクシー免許更新日が6月17日になっているが、6月17日生まれの女優である麻生久美子が「SF Short Films」というオムニバス映画の一本でタクシー運転手役をやっている。こちらもお薦めである。
2023年2月11日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇
午後5時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「ジョン王」を観る。彩の国シェイクスピア・シリーズの一つ。出演・演出:吉田鋼太郎。テキスト日本語訳:松岡和子、出演:小栗旬、中村京蔵、玉置玲央、白石隼也、高橋努、植本純米、櫻井章喜ほか。オール・メール・キャストによる上演である。
「ジョン王」は、シェイクスピア作品の中でも知名度が低く、上演されることは今ではほとんどないといわれているが、叙事詩的傾向がかなり強く、登場人物の魅力が余り掘り下げられていない印象を受けるため、それもむべなるかなという気もする。
ジョン王は、英国史上最悪の王といわれることもあるようだが、この劇を観ている限りでは、「最悪」とまでの印象を受けることはない。また、やり取りや展開に納得がいかない部分があるのだが、これは実際にそうしたことが史実としてあったのであろうか。
タイトルロールを演じる吉田鋼太郎(埼玉、愛知、大阪でのみジョン王を演じる)と、先王リチャードの私生児であるフィリップ・ザ・バスタード(先王リチャード獅子心王の息子と認められ、リチャードと呼ばれることになる)を演じる小栗旬の存在感は流石で、出ているだけで舞台が引き締まる。
小栗旬は冒頭で、フードを被った現代の若者(小栗旬も40歳だが)として客席から舞台に上がり、ラストでも冒頭と同じ格好になって客席を歩いて去っていった。その去り行く小栗旬を自動小銃が狙っている。イギリスとフランスの戦争を背景とした作品だが、今なお続くウクライナ紛争など、戦争が過去のものではないことを示しているのだと思われる。
2024年11月5日
テレビ朝日系(こちらではABCテレビ)「徹子の部屋」に俳優の仲野太賀が登場。俳優の中野英雄の息子(次男)で二世俳優となる。再来年の大河ドラマ「豊臣姉弟!」で主役の、羽柴小一郎や大和大納言の名でも知られる豊臣秀長(羽柴秀長)を演じることが決まっている。
黒柳徹子は、「今年の朝ドラのヒロイン(「虎に翼」の伊藤沙莉)の夫(佐田優三役)を演じて話題になり」「ロスを生んだ」と紹介した。ちなみに仲野は、伊藤沙莉演じる寅子の二番目の夫の役を演じた岡田将生と友人であり、朝ドラに出演が決まった時も岡田に報告して、
仲野太賀「今度朝ドラ出るんだ」
岡田将生「へえ、どんな役?」
仲野「ヒロインの伊藤沙莉ちゃんの夫役」
岡田「え?」
となったそうだ。
また早くに亡くなるので、岡田に、「絶対ロスを生んでやる」と意気込んでいたという。
父親の中野英雄のことを、「宣伝隊長」と呼んでおり、私も今日の「徹子の部屋」のことは、中野英雄のXのポストで知った。
仲野は母親の影響で「徹子の部屋」に出るのが夢だったそうだ。
実は、丁度30年前の1994年に当時29歳の中野英雄が「徹子の部屋」に出演しており、その時のVTRが紹介される。鈴木保奈美主演のCX系連続ドラマ「愛という名のもとに」で、今で言うパワハラを受けて自殺してしまう「チョロ」というあだ名の青年を演じて話題になっていた頃である。「1歳の子」の話が出てくるが、これが現在31歳になる仲野太賀のことである。ちなみに長男の名は武尊(たける)で名付け親は柳葉敏郎だそうだが、太賀の名は中野本人が付けたそうで、「大河ドラマに出れるように(ママ)と思ったんですけど、字はちょっと変えてね。僕が無理なんで子どもにだけは大河に出て主役でも張っていただかないと(ママ)」と発言している。仲野太賀もこの話は知らなかったようで、「軽い衝撃映像みたいになってますよね」。自分の名前の由来も初めて知ったようだ。
中野英雄は柳葉敏郎の付き人であったが、柳葉が所属していた一世風靡セピアのマネージャーのようなことをしていた。一世風靡セピアのマネージャーなので元はかなりやんちゃである。柳葉敏郎のことは、太賀は生まれた頃から知っていて、親戚のおじさん気分だったのが同じ俳優となって不思議な感じだという。
ただ中野家では母親の方が柱のような存在であったようで、太賀はかなりのお母さんっ子として育ったようである。子役のオーディションを受けさせられたこともあったようだが、嫌がって裸足で逃げ出したそうだ。
転機は小学校5年生の時に、ドラマ版の「ウォーターボーイズ」を見たことで、主演の山田孝之に憧れ、市民プールに行ってシンクロナイズドスイミング(現在はアーティスティックスイミングになっている)の真似をしていたが、「やりたいのこれ(シンクロ)じゃないな。俺は俳優になりたいんだ」と気づいて、俳優志望へと転じて13歳でオーディションに合格し、現在まで俳優を続けている。山田孝之とは現在公開中の映画「十一人の賊軍」で共演している。幕末の戊辰戦争時の越後新発田藩の話である。剣豪の役なのだが、殺陣の経験が全くなかったため、下手すぎて白石和彌監督に「キャスティング間違えたか」という顔をされたそうだが、最後は「阪妻(阪東妻三郎)みたいだったよ」と褒めて貰えたそうである。
最初は二世俳優だと思われることが嫌で隠し、父親にも「息子だと言わないで」と釘を刺して、太賀の芸名で出ていたが、「苗字ないのもな」と思い、本名の「中野」から字を変えて「仲野」の苗字を付けた。「仲間」を大切にするという意味で「仲」の字に変えたと聞いている。ちなみに中野英雄は息子の願望を無視して、あちこちで、「息子なんだ」と広めていたらしい。
2024年11月16日 京都コンサートホールにて
午後2時30分から、京都市交響楽団の第695回定期演奏会を聴く。指揮は鈴木一族の長である鈴木雅明。
本来は京響の11月定期は、常任指揮者である沖澤のどかが指揮する予定だったのだが、出産の予定があるということで、かなり早い時点でキャンセルが決まり、代役も大物の鈴木が務めることになった。
今日の演目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ジョシュア・ブラウン)、ドヴォルザークの交響曲第6番。
日本古楽界の中心的人物である鈴木雅明。古楽器の指揮や鍵盤楽器演奏に関しては世界的な大家である。神戸市生まれ。1990年にバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)を創設。以降、バッハ作品の演奏や録音で高い評価を得ている。なお、レコーディングは神戸松蔭女子学院大学の講堂で行われ、鈴木も神戸松蔭女子学院大学の客員教授を務めているが、神戸松蔭女子学院大学は共学化が決定している。難関大学ではないが、良家のお嬢さんが通う外国語教育に強い女子大学として知られた神戸松蔭女子学院大学も定員割れが続いており、来年度からの共学化に踏み切った。
モダンオーケストラにも客演しており、ベルリン・ドイツ交響楽団、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団)、ニューヨーク・フィルハーモニック、サンフランシスコ交響楽団といった世界各国の名門オーケストラを指揮している。
東京藝術大学作曲科およびオルガン科出身(二度入ったのだろうか?)。古楽の本場、オランダにあるアムステルダム・スウェーリンク音楽院にも学ぶ。藝大の教員として、同校に古楽科を創設してもいる。現在は東京藝術大学名誉教授。
午後2時頃より、鈴木雅明によるプレトークがある。「今日の指揮者である鈴木雅明です。というわけで、今日の指揮者は沖澤のどかではありません。期待されていた方、残念でした」に始まり、楽曲解説などを行う。
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」については、「おどろおどろしい。お化け屋敷のような」ところが魅力でありと語り、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲については、「モーツァルトの次にベートーヴェンという王道。最も有名なヴァイオリン協奏曲の一つなのですが」ティンパニの奏でる音が全曲のモチーフとなること、またベートーヴェン自身はカデンツァを書き残していないと説明。ただベートーヴェンはヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲してあり、ピアノ向けにはカデンツァを書いているので、それをヴァイオリン用にアレンジして弾くこともあると紹介していた。
ヨーロッパなどでは王道の曲は「飽きた」というので、プログラムに載ることが少なくなったそうだが、その分、ドヴォルザークの交響曲第6番のような知られざる曲が取り上げられることも増えているようだ。ドヴォルザークの初期交響曲は出版されるのが遅れており、私の小学校時代の音楽の教科書にも「新世界」交響曲は第5番と記されていた。後期三大交響曲(その中でも交響曲第7番は知名度は低めだが)以外は演奏される機会は少ないドヴォルザークの交響曲。今日を機会にまた演奏出来るといいなと鈴木は語った。
鈴木が京都コンサートホールを訪れるのは久しぶりだそうで、リハーサルの時に「あれ、こんな音の良いホールだったっけ?」と驚いたそうだが(ステージを擂り鉢状にするなど色々工夫して音響は良くなっている)、パイプオルガンに中央にないのが不思議とも語ってた。一応であるが、演奏台は中央にある。
今日はヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。モーツァルトとベートーヴェンでは中山航介がバロックティンパニを叩く。
コンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が乗り番。一方で、管楽器の首席奏者はドヴォルザークのみの出演となる人が大半であった。
首席奏者の決まらないトロンボーンは、京響を定年退職した岡本哲が客演首席として入る。
京響は様々なパートの首席が決まらず、募集を行っている状態である。
モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲。全面的に、H.I.P.を用いた演奏である。
鈴木雅明は音を丁寧に積み上げる指揮。音響が立体的であり、建築物を築き上げるような構築力が特徴である。息子の鈴木優人は流れ重視の爽やかな音楽を奏でるタイプなので、親子とはいえ、音楽性は異なる。
総譜を見ながらノンタクトでの指揮。総譜は置くが暗譜していてほとんど目をやらない指揮者も多いが、鈴木は要所を確認しながら指揮していた。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン独奏のジョシュア・ブラウンは、アメリカ出身の若手。シカゴ音楽院を経て、現在はニューイングランド音楽院で、学士号修士号獲得後のアーティスト・ディプロマを目指す課程に在籍している。今年ブリュッセルで開催されたエリザベート王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位に入賞し、聴衆賞も獲得している。
北京で開催された2023年グローバル音楽教育連盟国際ヴァイオリンコンクール第1位、レオポルト・モーツァルト国際ヴァイオリンコンクールでも第1位と聴衆賞を得ている。
ブラウンは美音家で、スケールを拡げすぎず、内省的な部分も感じさせつつ伸びやかなヴァイオリンを奏でる。ベートーヴェンということで情熱的な演奏をするヴァイオリニストもいるが、ブラウンは音そのもので勝負するタイプで、大言壮語しない小粋さを感じさせる。
鈴木雅明の指揮する京響はベートーヴェンの構築力の堅固さを明らかにする伴奏で、ブラウンのソロをしっかり支える。重層的な伴奏である。
ブラウンのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。生まれたばかりの朝のようなイノセントな演奏であった。
ドヴォルザークの交響曲第6番。演奏会で取り上げられることは少ないが、スラヴ的な味わいのある独特の交響曲である。ドヴォルザークの傑作として「スラヴ舞曲」を挙げる人は多いと思われるが、そのスラヴ舞曲の交響曲版ともいうべきメロディーの美しい交響曲である。ただ構築や構造において交響曲的要素が薄いということが知名度が低い理由になっていると思われる。
旋律において、マーラーとの共通点を見出すことも出来る。第1楽章の終結部などは、マーラーの交響曲第1番「巨人」第2楽章のリズムを想起させる。マーラーはボヘミア生まれのユダヤ人で主にオーストリアで活躍という人で、自身のアイデンティティに悩んでいたが、幼い頃に触れたボヘミアの旋律が原風景になっている可能性は高いと思われる。
鈴木と京響は歌心に満ちた演奏を展開。音色は渋く、密度も濃い。かなり情熱的な演奏でもある。意外だったのはブラスの強烈さ。ティンパニと共にかなりの力強さである。通常ならここまでブラスを強く吹かせると全体のバランスが大きく崩れるところだが、そこは鈴木雅明。うるさくもなければフォルムが揺らぐこともない。結果として堂々たる演奏となった。
鈴木は、オーケストラを3度立たせようとしたが、京響の楽団員は鈴木を讃えて立たず、鈴木は指揮台に上って、一人喝采を浴びていた。
2024年11月17日 東京・渋谷公園坂のPARCO劇場にて
東京へ。渋谷・公園坂のPARCO劇場で、「PARCO文化祭」を観るためである。
午後6時から、渋谷のPARCO劇場で、「PARCO文化祭」を観る。俳優・ダンサーの森山未來と、「TRICK」シリーズや「モテキ」などで知られる映像作家・演出家の大根仁がプレゼンターを務める、3夜に渡る文化祭典の最終日である。
新しくなったPARCO劇場に入るのは初めて。以前のPARCO劇場の上の階にはパルコスペースパート3という小劇場もあり、三谷幸喜率いる東京サンシャインボーイズが公演を行っていたりしたのだが(個人的には柳美里作の「SWEET HOME」という作品を観ている。結構、揉めた公演である)。今のPARCO劇場の上の階には劇場ではなく、アート作成スペースのようなものが設けられている。また、大きな窓があり、渋谷の光景を一望出来るようにもなっている。
PARCO劇場の内装であるが、昔の方が個性があったように思う。今は小綺麗ではあるが、ごく一般的な劇場という感じである。ただ、屋外テラスがあって、外に出られるのはいい。
PARCO劇場の内部は赤色で統一されていたが、それは現在も踏襲されている。
今日はまず森山未來らによるダンスがあり(3夜共通)、リリー・フランキーと伊藤沙莉をゲストに迎え、森山未來と大根仁との4人によるトーク、そしてシンガーソングライターのカネコアヤノによるソロライブ、神田伯山による講談、ZAZEN BOYSによるライブと盛りだくさんである。神田伯山の講談とZAZEN BOYSによるライブの間に休憩があるのだが、ZAZEN BOYSのライブを聴いていると今日中に京都に戻れなくなってしまうため、休憩時間中にPARCO劇場を後にすることになった。
森山未來らによるダンス。出演は森山未來のほかに、皆川まゆむ(女性)、笹本龍史(ささもと・りょうじ)。楽曲アレンジ&演奏:Hirotaka Shirotsubaki。音楽の途中に「PARCO」という言葉が入る。森山未來がまず一人で上手から現れ、服を着替えるところから始まる。照明がステージ端にも当たると、すでに二人のダンサーが控えている。ここからソロと群舞が始まる。ソロは体の細部を動かすダンスが印象的。群舞も力強さがある。振付は森山未來が主となって考えられたと思われるが、洗練されたものである。
森山未來は神戸出身ということもあって関西での公演にも積極的。今後、京都でイベントを行う予定もある。
大根仁が登場して自己紹介を行い、「もう一人のプレゼンター(森山未來)は今、汗だくになっている」と説明する。程なくして森山未來も再登場した。
そのまま、リリー・フランキーと伊藤沙莉を迎えてのトーク。伊藤沙莉であるが、リリー・フランキーに背中を押されながら、明らかに気後れした態度で上手からゆっくり登場。何かと思ったら、「観客とコール&レスポンス」をして欲しいと頼まれてコールのリハーサルまで行ったのだが、どうしても嫌らしい。楽屋ではうなだれていたようである。伊藤沙莉というと、酒飲んで笑っている陽気なイメージがあるが、実際の彼女は気にしいの気い遣い。人見知りはするが一人行動は苦手の寂しがり屋という繊細な面がある。リリー・フランキーが、「私が目の中に入れて可愛がっている沙莉」と紹介し、「(コール&レスポンスが)どうしても嫌だったら、やらなくていいんだよ」と気遣うが、伊藤沙莉は、「やらないと終わらないし」と言って、結局はやることになる。作品ごとに顔が違う、というより同じ映画の中なのに出てくるたびに顔や声が違うという、「どうなってんの?」という演技を行える人であるが、実物は丸顔の可愛らしい人であった。丸顔なのは本人も気にしているようで、SNSに加工ソフトを使って顔を細くし、脚を長くした写真を載せたところ、友人の広瀬アリスが激やせしたのかと心配して、「沙莉、どうした?」と電話をかけてきたという笑い話がある。「めっちゃ、はずかった」らしい。
丸顔好きで知られる唐沢寿明に気に入られているんだから別にいいんじゃないかという気もするが。
なお、リリー・フランキーと伊藤沙莉は、「誰も知れないドラマで共演していて、誰も知らない音楽番組の司会をしていて、誰も知らないラジオ番組をやっている」らしい。伊藤は、「FOD(フジテレビ・オン・デマンド)」と答えて、配信されているのは把握しているようだが、地上波でやっているのかどうかについては知らないようであった。ちなみに、誰も知らないドラマで伊藤沙莉の母親役に、丸顔の山口智子が選ばれたらしいが、顔の形で選んでないか? すみません、「丸顔」でいじりまくってますけど、Sなんで好きなタイプの人には意地悪しちゃうんです。
伊藤沙莉が嫌がるコール&レスポンスであるが、大根がまず見本としてやってみせる。客席の該当する人は、「Yeah!」でレスポンスする。
リリー・フランキーが大根に、なんでコール&レスポンスをするのか聞く。
PARCO文化祭の初日のトークのゲストがPerfumeのあ~ちゃんで、「Perfumeのコール&レスポンスがある」というので、まずそれをやり、2日目のトークのゲストの小池栄子にコール&レスポンスの打診をしたところ、「やります」と即答だったので、3日目は伊藤沙莉にやって貰うことにしたらしい。リリー・フランキーは、「あ~ちゃんは歌手でしょう。小池栄子は割り切ってやる人でしょ」と言っていた。確かに小池栄子は仕事を断りそうなイメージがない。若い頃はそれこそなんでもやっていたし。
で、伊藤は本当はやりたくないコール&レスポンスだが、仕事なのでやることになる。
「男の人!」「女の人!」「それ以外の人!」で、「それ以外の人!」にもふざけている人が大半だと思うが反応はある。リリー・フランキーは、「今、ジェンダーの問題」と言っていた。
その後も続きがあって、「眼鏡の人!」「コンタクトの人!」「裸眼の人!」「老眼の人!」と来て、最後に「『虎に翼』見てた人!」が来る。「虎に翼」を見ていた人は思ったよりも多くはないようだった。
伊藤は、この後残るとまた何かやらされそうで嫌なので、出番が終わった後すぐに行く必要のある仕事を入れたそうである。
ここで椅子が運ばれてくるはずだったのだが、運ばれてきたのは椅子ではなく箱馬を重ねたもの(「箱馬」が何か分からない人は検索して下さい。演劇用語です)。レディーファーストなのか、伊藤沙莉のものだけ、上にクッションが乗せられていた。大根が、「出演者にお金を掛けたので、椅子に使う金がなくなった」と説明していたが、まあ嘘であろう。
建て替えられる前のPARCO劇場についてだが、伊藤沙莉は朗読劇の「ラヴ・レターズ」を観に来たことがあるという。旧PARCO劇場には出る機会がなく、新しくなったPARCO劇場には、「首切り王子と愚かな女」という舞台で出演しているので、背後のスクリーンに「首切り王子と愚かな女」(作・演出:蓬莱竜太)の映像が映し出される、WOWOWで放送されたものと同一の映像だと思われる。面白いのは、男性3人は座ったまま後ろを振り返って映像を見ているのだが、伊藤沙莉だけは、客席とスクリーンの間にいるので気を遣ったということもあるだろうが、椅子代わりの箱馬から下り、床に膝をついてクッションに両手を乗せ、食い入るように映像を見つめていたこと。この人は映像を見るのが本当に好きなのだということが伝わってくる。リリー・フランキーは、長澤まさみの舞台デビュー作である「クレイジー・ハニー」(作・演出:本谷有希子)で旧PARCO劇場の舞台に立っており、「クレイジー・ハニー」の映像も流れた。ちなみにリリー・フランキーは舞台作品に出演したことは2回しかないのに2回とも旧PARCO劇場であったという(私は名古屋の名鉄劇場で「クレイジー・ハニー」を観ている。大阪の森ノ宮ピロティホールでの公演のチケットも取ったのだが都合で行けず、ただ「長澤まさみの舞台デビュー作は観ておかないといけないだろう」ということで名古屋公演のチケットを押さえた。カーテンコールで長澤まさみは嬉し泣きしていた)。
伊藤沙莉は笑い上戸のイメージがあるが、実際に今日もよく笑う。ただPARCOの話になり、千葉PARCOについて、「何売ってんの? 何か売ってんの?」とリリー・フランキーが聞いた時には、「馬鹿にしないで下さい!」と本気で怒り、郷土愛の強い人であることが分かる。実際、千葉そごうの話だとか、JR千葉駅の話などをしてくれる芸能人は伊藤沙莉以外には見たことがない。100万近い人口を抱えているということもあり、千葉市出身の芸能人は意外に多いが、余り地元のことを話したがらない印象がある。木村拓哉も若い時期を過ごした時間が一番長いのは千葉市で、実家も千葉市にあるのに、千葉の話をしているのは聞いたことがない。プロフィールでも出身地は出生地である東京となっている。しばしば神奈川愛を語る中居正広とは対照的である。原田知世も千葉県佐倉市に住んでいた頃は、よく千葉そごうに買い物に来ていたようだが、そんな話も公でしているのは聞いたことがない。郷土愛の強さからいって、これからは千葉市出身の芸能人の代表格は伊藤沙莉ということになっていくのだろう。
なお、残念ながら千葉PARCOは現在は存在しない。千葉市のショッピングというと、JR千葉駅の駅ビル「ペリエ」、その南側にある千葉そごう、JR千葉駅および京成千葉駅から京成千葉中央駅まで京成千葉線とJR外房線の高架下に延びる屋内商店街(C・ONEっていったかな?)、千葉駅前大通りに面した富士見町(旧千葉そごうで今はヨドバシカメラが入っていた塚本大千葉ビルと千葉三越など。千葉三越は撤退済み)、千葉駅からモノレール及びバスで少し行った中央三丁目(バス停はそのまま「中央三丁目」、千葉都市モノレールは葭川公園駅。千葉銀座商店街がある)などが主な場所だが、中央三丁目にあったセントラルプラザと千葉PARCOはいずれも営業を終えており、セントラルプラザがあった場所には高層マンションが建っている。セントラルプラザ(略称は「センプラ」。創業時は奈良屋。火災に遭ったことがあり、奈良屋の社長が亡くなっている)は、CX系連続ドラマで、真田広之と松嶋菜々子が主演した「こんな恋のはなし」に、原島百貨店の外観として登場し(内装は別の場所で撮影)、原島百貨店の屋外に面したディスプレイの装飾を手掛けている松嶋菜々子とそれを見守る真田広之の背後に、東京という設定なのに千葉都市モノレールが映っていた。「こんな恋のはなし」は松嶋菜々子の代表作と呼んでもよい出来で、おそらくこの作品出演時の彼女は他のどの作品よりも美しいと思われるのだが、残念ながらソフト化などはされておらず、今は見られないようである。
千葉PARCO跡地にも高層マンションが建つ予定だが、PARCOの系列である西友が入ることになっている。
なお、大阪では、大丸心斎橋店北館が心斎橋PARCOになり、そごう劇場として誕生した小劇場兼ライブスペースが大丸心斎橋劇場を経てPARCO SPACE14(イチヨン)と名を変えて使用されている。
森山未來が、「神戸にはPARCOはない」と言い、リリー・フランキーも「北九州にある訳がない。暴力団しかいない」と言い、大根が「工藤會」と続けて、伊藤が「そんな具体的な」と笑っていた。
ちなみに、伊藤沙莉は森山未來からのオファーで呼ばれたようで、二人は映画&Netflix配信ドラマ「ボクたちはみんな大人になれなかった」で共演していて、濃厚なあれあれがあるのだが、そういう人と別の仕事をする時はどういう気持ちになるのだろう。なお、撮影は渋谷一帯を中心に行われており、ラストシーンはすぐそこのオルガン坂で撮られたのだが、渋谷名所のスペイン坂などと違い、オルガン坂は余りメジャーな地名ではないので、森山未來も伊藤沙莉もオルガン坂の名を知らなかったようである。
大根が、「毎日リアルタイムで見てました。『虎の翼』」とタイトルを間違え、リリー・フランキーに訂正される。リリー・フランキーは、「今年のドラマといえば、『虎に翼』か(大根が監督し、リリー・フランキーが出演している)『地面師たち』。でも『「地面師たち」見てます』と言ってくる人、反社ばっか」と嘆いていた。
伊藤沙莉が紅白歌合戦の司会者に選ばれたという話。リリー・フランキーは、「歌うたえよ、上手いんだから。『浅草キッド』うたえよ」と具体的な曲名まで挙げてせがんでいるそうだ。伊藤本人は歌うことには乗り気でないらしい。
リリー・フランキーは紅白歌合戦の審査員を務めたことがあるのだが、トイレ休憩時間が1回しかなく、それも短いので、時間内に戻ってこられなかったそうだ。伊藤に、「どうする? おむつする?」と言って、「流石にそれは」という表情をされるが、「衣装どうしようか迷ってるんですよ」とは話していた。
紅白で失敗すると伝説になるから気を付けるようにという話にもなり、「都はるみを美空ひばりと間違えて紹介」、加山雄三が「少年隊の『仮面舞踏会』」と紹介すべきところを「少年隊の『仮面ライダー』」と言ったという話などが挙げられる。加山雄三の「仮面ライダー」はYouTubeなどにも上がっていて、見ることが出来る。
続いてカネコアヤノのソロライブ。昨日、島根でライブを行い、今日、東京に移動してきたそうだ。アコースティックギターを弾きながらソウルフルな歌声と歌詞を披露する。ギターも力強く、同じメロディーを繰り返すのも特徴。ただ、歌い終えて森山未來と大根仁とのトークになると、明るく爽やかで謙虚な人であることが分かる。作品と人物は分けて考えた方がいい典型のようなタイプであるようだ。
講談師(「好男子」と変換された)の神田伯山。「今、最もチケットの取れない講談師」と呼ばれている。森山も、「(PARCO文化祭も)伯山さんだけで一週間持つんじゃないですか?」と語っていた。
私は、上方の講談は何度か聞いているが、江戸の講談を聞くのはおそらく初めてである。同じ講談でも上方と江戸ではスタイルが大きく異なる。
「PARCO劇場では、落語の立川志の輔師匠がよく公演をされていますが、落語と講談は少し違う」という話から入る。
講談は早口なのでよく間違えるという話をする。出てくるのは徳川四天王の一人で、「蜻蛉切」の槍で有名な本多平八郎忠勝(上総大多喜城主を経て伊勢桑名城主)。「本多平八郎忠勝。槍を小脇に、馬を駆け巡らせ」と言うべきところを、つい「本多平八郎忠勝、馬を小脇に、槍を駆け巡らせ」と言ってしまうも講談師本人は気付いていないということがあるそうである。
信州松本城主、松平丹波守が、参勤交代で江戸に向かう途中、碓氷峠で紅葉を眺めていた時のこと。妙なる音色が聞こえてきたので、「あれは何だ?」と聞くと、「江戸で流行りの浄瑠璃というもののようでございます」というので、浄瑠璃を謡い、奏でていた二人が呼ばれる。伯山は、「浄瑠璃は今でいうヒット曲、あいみょんでございます。と言ったところ、あいみょんのファンから『お前にあいみょんの何がわかる』と苦情が来た」という話をしていた。
その、江戸のあいみょんに浄瑠璃の演奏を頼む松平丹波守。二人は迷ったが演奏を行い、松平丹波守からお褒めの言葉を賜る。ただ、二人は松平伊賀守の家臣で、他の大名の前で浄瑠璃を演奏したことがバレると色々とまずいことになるので、内密にと願い出る。ただ松平丹波守は、江戸で松平伊賀守(信州上田城主)に碓氷峠で面白いことがあったと話してしまい、口止めされていたことを思い出して、「尾上と中村というものが猪退治を行った」と嘘をつく。そこで松平伊賀守は、家臣の尾上と中村を見つけ出し、猪退治の話をするよう命じる。なんでそんなことになったのか分からない尾上と中村であったが、即興で猪退治の講談を行い、松平伊賀守にあっぱれと言われたという内容である。
伯山の講談であるが、非常にメロディアスでリズミカル。江戸の人々は今のミュージカルを聴くような感覚で講談を聴いていたのではないかと想像される。江戸の講談を聴くのは今日が初めてなので、他の人もこのようにメロディアスでリズミカルなのかどうかは分からないが、これに比べると上方の講談はかなり落ち着いた感じで、住民の気質が反映されているように思える。
森山未來が登場し、「伯山さんの講談を是非聴きに行って下さい。チケット取れませんけどね」と語った。
ちなみに私は、旧PARCO劇場を訪れたのは数回で余り多くはない。1990年代には、芸術性の高い作品は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで上演されることが多く、三茶によく行っていた。
旧PARCO劇場で良かったのは、何と言っても上川隆也と斎藤晴彦版の初演となった「ウーマン・イン・ブラック」。上川と斎藤版の「ウーマン・イン・ブラック」は、その後、大阪で2回観ているが、ネタを知った上での鑑賞となったので、PARCO劇場での初演が一番印象的である。私がこれまで観た中で最も怖い演劇で、見終わってからも1週間ほど家族に「上川隆也良かったなあ」と言い続けていた記憶がある。
朗読劇「ラヴ・レターズ」は、妻夫木聡のものを観ている。相手の女優の名前は敢えて書かない。検索すればすぐに出てくると思うが。ラストシーンで妻夫木聡は泣いていた。
朗読劇も劇に入れるとした場合、この作品が妻夫木聡の初舞台となる。
2024年11月9日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて
午後3時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)の第155回定期演奏会を聴く。指揮は、シンガポール出身の俊英、カーチュン・ウォン。
日本フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を務めるカーチュン・ウォン。日本各地のオーケストラに客演した後で、日フィルが彼を射止めた。今年の9月からはイギリスのマンチェスターに本拠地を置く名門、ハレ管弦楽団(歴代のシェフに、サー・ジョン・バルビローリ、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、ケント・ナガノ、サー・マーク・エルダーら名を連ねる)の首席指揮者及びアーティスティック・アドバイザーにも就任し、更にヘルベルト・ケーゲルやミシェル・プラッソンとのコンビで知られたドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。
1986年生まれ。若い頃にシンガポールのユースオーケストラや軍楽隊でトランペット奏者として活躍し、渡独してハンス・アイスラー音楽大学ベルリンのオーケストラ及びオペラ指揮の修士号を獲得。2016年に第5回マーラー指揮者コンクールで優勝し、以後、様々な国のオーケストラと共演を重ねている。私もこれまで、京都市交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団との実演に接している。
今日はマーラーの交響曲第6番「悲劇的」1曲勝負。演奏時間約80分という大作だが、格好いい上に、特殊な楽器の使用が視覚的にも面白さを生むため、比較的プログラムに載る回数は多めである。1990年代にプロゴルファーの丸山茂樹が出演した栄養ドリンクのCMに冒頭が使われていた。
兵庫芸術文化センター管弦楽団は、毎年世界各地で行われるオーディションで選ばれた比較的若めの演奏家が、最大3年間在籍してトレーニングを積み、羽ばたいていくという人材輩出型のオーケストラである。京都市交響楽団首席トランペット奏者のハラルド・ナエス、NHK交響楽団首席オーボエ奏者の吉村結実、大阪交響楽団首席フルート奏者の三原萌など、国内のオーケストラに多くの人材を送り出しているほか、海外のオーケストラで活躍するOBやOGも多い。海外で行われたオーディションに合格して入団する外国人プレーヤーも多く、「日本人しか在籍していないのが問題。多様な音楽が奏でられない」とされる日本のオーケストラに外国人演奏家を送り込む役割も担っている。
ただ、若い人達だけでは心許ないので、毎回、トップにはベテランを配する。今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。おそらく第2ヴァイオリンの首席にゲスト・トップ・プレーヤーとして戸上眞理(京都市立芸術大学准教授、元東京フィルハーモニー交響楽団第2ヴァイオリン首席)。ヴィオラのゲスト・トップ・プレーヤーに、関西フィルハーモニー管弦楽団特別契約首席、神戸市立室内管弦楽団奏者の中嶋悦子。チェロのゲスト・トップ・プレーヤーに京都市立芸術大学准教授で神奈川フィルハーモニー管弦楽団特別首席の上森祥平(うわもり・しょうへい)。コントラバスのゲスト・トップ・プレーヤーに京都市交響楽団首席の黒川冬貴。オーボエのスペシャル・プレーヤーに新日本フォルハーモニー交響楽団首席の神農広樹(しんの・ひろき)。クラリネットのスペシャル・プレーヤーにロバート・ボルショス(名古屋フィルハーモニー交響楽団首席)。ホルンのスペシャル・プレーヤーに五十畑勉(いそはた・つとむ。東京交響楽団奏者)。トランペットのスペシャル・プレーヤーにオッタビアーノ・クリストーフォリ(日本フィルハーモニー交響楽団ソロ・トランペット奏者)。ティンパニのエキストラ・プレーヤーに京都市交響楽団打楽器首席の中山航介らが加わっている。この中にはPAC出身者も多く含まれる。
ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。第4楽章でハンマーで叩かれる台は下手の高いところに置かれているのだが、私は今日は下手寄りの最前列であったため、コントラバス奏者達の陰に隠れて、台やハンマーを見ることは出来なかった。
才気溢れる音楽作りが特徴のカーチュン・ウォン。今日は指揮棒の動きも鋭く、オーケストラから上手く音を掬い上げる。オーケストラの団員もかなり演奏しやすいはずである。
明るく輝かしい音色をカーチュンはPACから引き出すが、そのため却って悲劇的な要素(悲劇の音型ともいえる、「タンタタン、タタンタンタン」など)との対比が鮮やかになる。今日は最前列で聴いていたので、マスとして響きは分かりにくかったのだが、特に弦楽はキレキレであり、マーラーが音に込めた細やかな機微まではっきりと伝わってきた。
なお、「悲劇的」は第2楽章と第3楽章をどうするかという問題がある。マーラー自身も「スケルツォ」と「アンダンテ」のどちらを先に演奏するかの結論は出せなかったが、慣例としては1963年に出版されたスコアの、「スケルツォ」→「アンダンテ」の順番で演奏されていたが、今回は2003年版の「アンダンテ」→「スケルツォ」の順に則って演奏が行われた。
楽章の順番によって印象が異なるわけだが、個人的には「アンダンテ」→「スケルツォ」の方がしっくり来るように思う。あくまで好みの問題である。
PACオーケストラは長年在籍する楽団員が存在しないため、オーケストラとしての個性はほとんどないが、その分、指揮者の個性が反映されやすい。やはりカーチュンの指揮ということで、明晰さや鋭さ、細やかさやしなやかさ、巧みなオーケストラ捌きが目立つ。おそらく、カーチュンはマーラーよりもブルックナーの方が似合う指揮者だと思われるが、マーラーも作曲者の戦きや失意などを的確に表現していたように思う。オーケストラにもっとパワーがあればそうした要素も更にはっきりと出たと思われるのだが、PACも好演だった。
なお、この曲はコントラバスが重要な役割を果たすのだが、今日は古典配置ということでコントラバスは目の前。音の動きをはっきりと追うことが出来た。
ハンマーの回数は2回。ということで希望が残ったような印象であった。
今日は、カーテンコールのみ写真撮影可。ただ余り良い写真は撮れなかった。
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