長崎・ある晴れた日に
昭和20年(1945)8月9日午前11時2分、長崎市の浦上地区に原子爆弾「ファットマン」が投下される。広島に続く、世界史上2度目にして現時点で最後の都市への核爆弾投下であった。
しかし、この日、原爆投下の第1目標は実は長崎ではなく、福岡県小倉市(現在の福岡県北九州市小倉地区)であった。
「ファットマン」を載せたB29戦闘機「ボックス・カー」は、晴れとの情報を得て小倉に向かう。が、小倉市上空は雲が厚く、また市街地が煙っており投下目標が見えない。実は前日の8月8日に米軍は隣接する八幡市(現在の北九州市八幡地区)で爆撃を行っており、その残煙が雲に混じって市街を覆ってしまっていたのだ。
原爆を搭載したまま帰るわけにはいかない「ボックスカー」は、急遽、目的地を第2候補であった長崎市に変更する。「天候・晴れ」との情報があった長崎であったが、「ボックスカー」が到着した時にはすでに雲に覆われていた。しかし戦闘機が長崎市の浦上地区上空に差し掛かったとき晴れ間が覗く。原爆は投下された。当日の死傷者は7万人以上。その後も後遺症による死亡者は増え、長崎原爆が原因で亡くなった方は14万人を超える。
| 固定リンク | 0
コメント