シベリウスの年に(3) 京都市交響楽団第497回定期演奏会 オール・シベリウス・プログラム
シベリウスの没後50年ということで、シベリウス作品が例年より多くコンサートで取り上げられることになると思います。私が20代だった頃は、コンサートで演奏されるシベリウスの交響曲といえば、今回は第2番、次回も第2番、その次も第2番といった調子で、たまに交響曲第1番が演奏される程度でしたが、近年では他の曲も良く取り上げられるようになってきてはいます。それでも彼の交響曲全集が何組も出されているというCD業界に比べる、とコンサートではシベリウスの影はまだまだ薄いといわざるを得ませんが。
京都市交響楽団でも、2月18日に行われた第497回定期演奏会で、オール・シベリウス・プログラムが組まれました。指揮は井上道義。ヴァイオリン独奏は諏訪内晶子。
「カレリア」組曲、交響曲第7番、ヴァイオリン協奏曲、交響詩(音詩)「フィンランディア」というプログラム。
シベリウスの曲は金管楽器の使い方の鮮やかさが特徴の一つですが、それを生かそうとして金管を思いっきり吹かせてしまうと、彼の曲のもう一つの特徴である素朴さが犠牲になってしまいます。井上は、それをよく心得ているようで、いざという時以外は金管をほどよく押さえ、バランスを重視して、京都市交響楽団(京響)から渋いシベリウストーンを引き出すことに成功していました。
「カレリア」組曲におけるトライアングルやシンバルの立体感はコンサートだから味わえるもの。
また、交響曲第7番のオーロラのように自在に色を変えながら曲想を変えていく「流れる」ような特色も良く出ていました。
しかし、何といっても素晴らしかったのはヴァイオリン協奏曲のソリストを務めた諏訪内晶子。高貴な音色と神々しいまでの歌はこれまでの諏訪内の演奏の中でも特筆すべきもの。諏訪内はサカリ・オラモ指揮バーミンガム市交響楽団の伴奏で同曲をレコーディングしていますが、それとは比べものにならないほど優れた出来映え。「崇高」という言葉がこれほど似合う演奏に巡り会えることは稀で、諏訪内の進化には驚くほかありません。
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