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2007年3月27日 (火)

観劇公演パンフレット(10) 野田地図(NODA・MAP) 「カノン」

野田地図(NODA・MAP)第8回公演「カノン」の公演パンフレットを紹介します。2000年4月に東京・渋谷のシアターコクーンで観劇した際に購入したもの。表紙はのちに発売される野田秀樹著『20世紀最後の戯曲集』(新潮社)と同じものが使われています。

野田地図(NODA・MAP)「カノン」パンフレット 「カノン」は、芥川龍之介の小説「偸盗(ちゅうとう)」と、プロスペル・メリメ原作でのちにオペラ化されて有名になる「カルメン」を下敷きにした作品。

作・演出・出演:野田秀樹。出演は、唐沢寿明、鈴木京香、串田和美、岡田義徳、須藤理彩、手塚とおる、広岡由里子、大森博、宮迫博之、蛍原徹ほか。

時は平安、京の都では《猫の瞳》(つまりキャッツアイ)という盗賊集団が悪事を働いている。その《猫の瞳》の女首領である沙金(しゃきん。鈴木京香)が牢に送られた。牢番の太郎(唐沢寿明)は沙金にそそのかされ、彼女の脱獄に肩を貸してしまうのだが、主である天麩羅判官(野田秀樹)に刑を免れる代わりに密偵として《猫の瞳》を監視するよう言い渡される……。

希望が挫折に、自由の思想が暴力に変わっていく人間存在の業と悲しみを描く傑作である。

大殺戮シーンのBGMとして明るく爽やかな「パッヘルベルのカノン」を用いることでより残酷さを引き立てる野田のアイデアは天才的、また《猫の瞳》の女首領・沙金の企みが明らかになるラストシーンの哀しみは圧倒的である。

 

「カノン」の感想(変奏の行き着く先に 野田秀樹「カノン」 2003年に書いたもの)

変奏の行き着く先に 野田秀樹『カノン』

 「それから俺は、女神と呼ばれた女が左手に持っていた『じゆう』を奪い、タマを空にして冬の空に発砲した。冬の空に向かって空玉を撃つと、パーンと乾いた音がした。外の人間は、それがタタカイのはじまりだと思った。だが俺は知っていた。それは、終わりを告げる空砲。自由を盗もうとした盗人達の物語はとうにここで息たえていた」(『カノン』より、太郎のラストのセリフ)。
 2000年4月に初演された、野田秀樹の『カノン』は、芥川龍之介の『偸盗』とメリメの『カルメン』を下敷きにしていると作者により明記されているが、モチーフになっているのは明らかに1972年に起きた「あさま山荘事件」である。日本中が注目し、そのあらましが幾日にも渡ってテレビ中継されたこの事件の記憶が、野田秀樹の原風景のようなものとなっているようだ。野田は『カノン』の公演パンフレットにこう書いている。
 「今回の芝居は、僕の中に30年ほど前に、焼きついたひとつのバーチャル原風景からはじまっている。
  (中略)
  これは、今なお私の頭の中にのこる強烈で不可解で謎のままの一枚の風景画だ」

 物語の舞台は芥川の『偸盗』に則り、平安時代の京におかれている。だがそこは野田らしく、当時あるはずのないラジオやバイクといったものが登場し、現実とは別の奔放なイメージ世界が展開される。登場人物の設定は芥川の原作そのままであり、京を揺るがす盗賊の美しき女首領・沙金とその手下達、そして彼女の魅力に振り回される太郎と次郎の兄弟が、時の権力者に反発するという物語である(この物語のアウトラインや細部、ある箇所のセリフなどは芥川の作品にほぼ忠実であり、これは野田としては珍しい)。
 時の権力に反対した者達、ここで思い起こされるのは、野田の青春時代、日本に吹き荒れた学生運動と、その最も過激な一派、赤軍派のことである。彼らは時の政府の方針に反対し、各地で暴動、占拠、籠城などを行った。だが市民は彼らを決して白眼視していたわけではない。むしろ新しい社会誕生への期待を彼らに求めていた節もある。搾取階級と被搾取階級の分断が解消された平等な社会の誕生を。「丸く座る主義」ならぬ「マルクス主義」による楽園の創世を。

 『カノン』において、盗賊達が人々からむしろ英雄のように扱われ、積極的に逃げ道を与えられ、応援すらされているというのは、おそらく1960年代から70年代の怒れる若者への市民の眼差しと呼応しているのであろう。しかしそれが所詮は幻影でしかなかったことを思い知らせるのが「あさま山荘事件」であり、それにより発覚した「粛正」という名の下に行われた内ゲバつまり虐殺の数々であった。最初の殺人が次々と疑惑を呼び、組織の中は疑心暗鬼に満ち、殺人が呼び水となって次々に人殺しが重ねられていく。あたかもカノンのように。それは最果てまで行き着いてしまった人間の闇であり、病みだ。あさま山荘に連合赤軍の5名が人質を取り、強奪したライフルを手に籠城する。自由を求めていたはずの彼らが手にしたのが銃であり、彼らの組織は人間としてのモラルの最低ラインを超え、病みに病みきってしまっていた。沙金達が「自由」を盗みに天麩羅判官の屋敷に押し入り、その正体が「銃」であることを知った下りがこれに呼応する。「じゆう」が「じゅう」に化けたのだ。ドラクロアの「民衆を引き連れた自由の女神」。彼女の左手にもしっかりと銃は握られていた。自由は美しいものではなく、暴力の匂いに満ちた陰惨なものでもあるのだ。そして「あさま山荘事件」後に発覚した内部虐殺の数々。それは彼らの組織が腐りきったものであることを証明した。あさま山荘に赤軍派の銃声が轟く。戦いが始まる。しかしもうその時点で戦いはまるで無意味なものになってしまっている。戦いのあとに何が残るのか。何も残りはしない。

 自由を求めた戦いは最初の銃声が鳴ったときにはすでに終わっていたのだ。自由を求め、より良い社会への変革を求めた願望の変奏の行き着く先は単なる暴力でしかなかった。それは銃を使った愚かで無目的な抵抗に過ぎない。しかもそれを率いた女性(永田洋子)にも腐臭が立ちこめている。『カノン』で盗賊達を天麩羅判官に売り、自分だけ「じゆう」を手に入れようとしたのも女リーダーである沙金であった。女リーダーが裏切り者であったり狂気に憑かれたりしている組織はすでに戦いの前に瓦解している。戦いは始まる前に終わっているのだ。ラストで太郎が天に向けて空砲を撃ちながら語ったように。

 人々が赤軍派や学生運動に抱いた希望が幻想に過ぎなかったことを知り、「しらけ」が流行語となった時代があった。希望はしらけに化けた。銃が、つまり暴力が自由を殺したのだ。しかし『カノン』においては野田はまだ希望や永遠を夢見ている。彼はいささかロマンチストなのかも知れない。自ら崇拝した自由の女神の胸を撃ち抜いたあとでも、野田は希望を夢見るのだ。彼の見たバーチャルな原風景に彼は何らかの意味を求めようとしている。かつて若者が描いた希望や自由は挫折した。しかしそれが全く無意味だったのかと野田は問いかける。
 冒頭に引用した野田の言葉をもう一度、繰り返してみよう。

 「これは、今なお私の頭の中にのこる強烈で不可解で謎のままの一枚の風景画だ」
 「あさま山荘事件」。それにいたる一連の過程。それが何だったのかを野田は自らに、そして観客に問いかけてみせる。

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