百人一首の日
本日5月27日は「百人一首の日」なのだそうです。
藤原定家が小倉山荘で選んだ「小倉百人一首」ですが、必ずしもその人の代表作が選ばれているわけではなく、出来の悪い歌もあります。
例えば、
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ(文室康秀)
意味:「吹いたとたんに秋の草木の萎れるので、山からの風を嵐というのだろう」
だから何だという内容の歌です。文室康秀は六歌仙の一人として有名ですが、女好きで小野小町に懸想したりしています。また、文室氏は蝦夷征伐に功を成した武門系の一族で、文化人の藤原定家からすると、「野蛮な一族の出」であり、気に入らなかったのでしょう。もっと良い歌もあるのに、こういう歌を敢えて選んだのも嫌がらせでしょうか。
もう一首、
春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山(持統天皇)
意味:「春が過ぎて夏が来たようですねえ、真っ白な衣を天香具山に干しているようなので」
春が過ぎたら夏なのは当たり前だろ、ということで技巧的にどうかと思われる歌です。
タレント・神田うのの名前の由来として有名な(?)鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)こと持統天皇ですが、このお方、結構な暴君です。特に息子の草壁皇子を皇太子にするために、最大のライバルであった大津皇子を讒謗によって死に追いやる様などは残酷という他ありません。こういうタイプの女性は定家は嫌いだったのではないでしょうか。出来の悪い歌を載せるというのはやはり嫌がらせでなのかも知れません。定家の時代には皇室は天智系に移って久しく、天武天皇と並んで天武系最高の天皇であった持統天皇に対するイメージは芳しからぬものがあったと思われます(ちなみに「小倉百人一首」の第一首は天智天皇作のなかなか良い歌。そして第二首が持統天皇作のいまいちな歌です)。
ちなみにここに載せた持統帝の歌は定家による改作で、元の歌は、
春すぎて夏きたるらし白たへの衣乾したり天の香具山
多分、これは叙景詩ではないでしょう。天下盤石となり、盛りを迎えた天武系王朝を歌ったものだと思われます。この自信溢れる歌を、定家の時代の流行りとはいえ軟弱なものに変えてしまったのは、定家が何らかの意図を持ってしたことなのでしょうか。
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