コンサートの記(2) サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団来日演奏会(2005)
2005年10月23日 京都コンサートホールにて
京都コンサートホールで行われる、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団の演奏会に出かける。
サカリ・オラモは2002年にバーミンガム市交響楽団と来日、京都コンサートホールでも演奏会を行った。あれから3年、今度はもう一つの手兵となったフィンランド放送響を引き連れての再来日である。
前半がシベリウスの交響詩集、後半がマーラーの交響曲第4番というプログラム。
シベリウスとマーラーは一度だけ出会っている。ヘルシンキでのことだった。ヘルシンキ・フィルを指揮するためにやって来たマーラーはフィンランドを代表する作曲家であるシベリウスと会見。交響曲に関する見解を述べたが、もの別れに終わる。
マーラーはともかく、シベリウスはおそらくマーラーの考えに激怒したであろうことは想像に難くない。
という、仲の悪い二人の作曲家の作品を並べたプログラム。
フィンランド放送響はオーケストラとしての力は日本のオケとそう違わないと思う。ここぞ、という時の迫力のみをあげるなら、京都市交響楽団の方が上かも知れない。
しかし、アンサンブルの緻密さと、作品に対する共感が素晴らしい。フィンランド放送響も世界的には一流とは見なされていないオーケストラだが、ユッカ=ペッカ・サラステ時代に急成長した。当時のコンサートマスターがサカリ・オラモである。オラモはその後、同オーケストラの首席客演指揮者に就任。現在は首席指揮者を務める。
お国ものということもあって、シベリウスの演奏は流石。時に仄暗く、時に透明なシベリウストーンが完璧に出ていて、脳の中が洗われるような心地良さを覚える。
第1曲、「夜の騎行と日の出」と第2曲の「吟遊詩人」を指揮するときはオラモは眼鏡をかけ、スコアを見ながら指揮してたが、いったん退場後、眼鏡を外して再登場。残る曲は全て暗譜で振った。
バーミンガム市交響楽団を指揮したときは、やたらと棒を振り回す指揮者というイメージがあったが、スコアを見ながら指揮していたときは、要所要所以外は最低限の身振りで勝負。繊細な音をオーケストラから引き出していた。
古典的配置を採用しており、「トゥオネラの白鳥」の演奏では、音の受け渡しが目でも確認できて面白い。
前半最後はバーミンガム市響とも演奏していた「フィンランディア」。この曲は相変わらずオーバーアクションで振っていた。
繊細な部分が実に良い。ただフォルテシモの部分は、単に大きな音が鳴っているだけのような気もする。
オラモは現代ものを得意としているということもあってか、シベリウスを振った時も、他の指揮者に比べると鋭い音を響かせる。シベリウスが20世紀の作曲家であることを再確認させてくれる指揮者だ。
意外だったが、マーラーの方が出来が良かった。マーラーの曲は、スコアに全て作曲者自身による事細かな指示が記されており、プロのオーケストラなら、指示通りに演奏すれば失敗することは少ない。一方、シベリウスはスコア通りに演奏してもシベリウスの音楽になるとは限らない。
大家達のCDを聴いてもそれはわかる。マーラーの演奏に失敗する大家はまずいないが、シベリウスを演奏出来る大家は少ない。
しかし、それだけではない。基本的にオラモとマーラーは相性が良いのだろう。
冒頭は室内楽さながらの緻密で透明なアンサンブルを見せる。これほど繊細な表情のマーラーは聴いたことがない。
その後も、マーラー特有の濃厚さ皆無の演奏を披露。優しく、儚げな表情を見せる音楽だ。
ソプラノ独唱はファニー・ラスカッロ。声量には乏しいが、オラモ同様、優しい表情の歌を歌う。
フィンランド出身のマーラー指揮者というと、エサ=ペッカ・サロネンが有名だが、オラモの実力はサロネン以上かも知れない。
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