« ルドルフ・ゼルキン ベートーヴェン三大ピアノ・ソナタ+「テレーゼ」ソナタ | トップページ | 好きな短歌(25) »

2007年11月19日 (月)

観劇公演パンフレット(18) 加藤健一事務所 「コミック・ポテンシャル」(再演)

加藤健一事務所の「コミック・ポテンシャル」は、初演時に購入したパンフレットも紹介しましたが、今年(2007年)行われた再演のパンフレットも紹介します。加藤健一の直筆サイン入り。2007年11月4日、京都府立府民ホールALTIにて購入。

加藤健一事務所 「コミック・ポテンシャル」(再演)パンフレット

英国の劇作家、アラン・エイクボーンの近未来コメディ。未来では、ドラマは生身の俳優ではなく、演じることを専門として製造されたアンドロイド=アクトロイドを用いて撮影が行われています。脚本も不要で、これまでに放送された膨大な量のドラマのシナリオと演出のデータをインプットされたアクトロイドが状況に応じて勝手に演じます。嫌な未来図の中で繰り広げられる、「ロミオとジュリエット」路線のドラマです。

加藤健一事務所 「コミック・ポテンシャル」(再演)の感想

午後6時30分より京都府立府民ホールALTIで、加藤健一事務所の「コミック・ポテンシャル」を観る。2004年に上演された舞台の再演。アラン・エイクボーン:作、小田島恒志:訳、加藤健一:演出&出演。出演は、加藤忍、蟹江一平、西山水木、辻親八、小山萌子、深貝大輔、横山利彦、横井伸明、はざまみゆき、枝元萌ほか。

前回の2004年の公演もALTIで観ているが、今回も面白かった。前回よりも内容がよく理解できた、というよりは前回はストーリーに注目しすぎ、話を私個人の視点から眺めすぎ、役個々の感情を十全に把握できていなかった。要するに深い理解は全く出来ていなかったのである。
もちろんコメディーだし、アンドロイドが出てくるし、サイバーパンク的な要素(人工知能や人工臓器の話も出てくる)もあるのだが、一番注目すべきは、人間の「エゴイズム」であることがわかった。

未来のドラマは全てアクトロイドというアンドロイドによって演じられている。その事柄も重要だが、もっと重要なのはアクトロイドに演技を任せている人間のエゴイズムである。俳優でなくアクトロイドに演じさせれば、役者のスケジュールもわがままも聴かなくて済む。収録はオートマティックに進む。そもそも俳優を育てる必要がないので楽である。この「楽であればいい」というエゴイズムが今回は拡大されて見えた。

思い通りに進めたいという人間の持つエゴ。それが意志を持ったアクトロイドが現れたことにより、はっきりと顕在化される。
アクトロイドのためという思いが語られたりもするが、それも結局は人間のエゴイズムに根ざしたものでしかない。人間である以上あるいはそれは避けられないのか。
一方、意志を持ったアクトロイド、その意志とエゴイズムの境界はどこなのだろうか。人間は嫌になっても簡単に人生は降りられないが(加藤健一演じるドラマ監督・チャンドラーの「(自分が)心臓麻痺(で人生終わり)、なんてことになったら楽なんだけどな」というセリフが端的にそれを語っている)、アクトロイドは何のためらいもなく降りることが出来る。

そうしたエゴイズムと自由意志という、どちらがどちらにも転化しやすい感情のせめぎ合いに気付けば、この芝居の、単に笑えて楽しいというだけではない奥行きが見えてくる。
やはり芝居は許される限り何度でも観た方がいいのだろう。

観るのは二度目であってもアラン・エイクボーンの本の上手さには感心することしきり。ロボット的な動きを再現する役者の技量にもやはり感心する。感情を持つアクトロイドを演じた加藤忍の声と感情のコントロールと表出の巧みさにも唸らされた。

終演後、ロビーにてアフタートークがある。加藤健一俳優教室在籍中の出演者7名を除く役者全員、総勢14名が参加。楽しい一時であった。

| |

« ルドルフ・ゼルキン ベートーヴェン三大ピアノ・ソナタ+「テレーゼ」ソナタ | トップページ | 好きな短歌(25) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 観劇公演パンフレット(18) 加藤健一事務所 「コミック・ポテンシャル」(再演):

« ルドルフ・ゼルキン ベートーヴェン三大ピアノ・ソナタ+「テレーゼ」ソナタ | トップページ | 好きな短歌(25) »