観劇感想精選(21) 『死のバリエーション』
2007年6月6日 兵庫県立芸術文化センター中ホールにて観劇
西宮にある兵庫県立芸術文化センター中ホールで、ヨン・フォッセ作(翻訳:長島確。ながしま・かく)、アントワーヌ・コーベ演出の舞台『死のバリエーション』を観る。出演は、長塚京三、高橋惠子、伊勢佳世、瀬川亮、杵鞭麻衣(きねむち・まい)、笠木誠。
ヨン・フォッセは1959年生まれのノルウェーの劇作家、小説家、詩人。視座の移動する独特のセリフを特徴とし、「21世紀のベケット」、「イプセンの再来」などと呼ばれ、注目を集めている。
作風は難解とされ、一部からは「21世紀にベケットはいらない」などと評されてもいる。
ただ、『死のバリエーション』のストーリー自体はシンプルであり、把握は全く困難ではない。
薄明、役者の姿が朧気に見える程度の照明の中で舞台は始まる。
年をとった男(長塚京三)と、彼と元夫婦だった年をとった女(高橋惠子)が、海で死んだ娘(杵鞭麻衣)のことを回想する。彼らの背後には娘が「友達」と呼んだ男(笠木誠)。
照明が徐々に明るくなり、若い男(瀬川亮)と娘を身籠もった若い女(伊勢佳世)が現れる。年取った男と年取った女の過去の姿だ。
そして娘が現れ、「友達」と戯れ始める…。
悪い演劇ではなかった。難解といわれるヨン・フォッセの戯曲だが、それは展開の手順が独特なだけであり、理解不能なことが描かれているわけではない。題材はむしろ身近なものが選ばれており、静かな感動は観客の心に水のようにひっそりと染みこみ、満たしていく。
ただ、演出にはいくつか疑問がある。若い男と若い女の演技にはもっと抑制が必要なのではないか。年を取った男と年を取った女、そして若い男と若い女を対比させるために、若い二人にはよりナチュラルな演技を求めたのかも知れないが、セリフと演技がマッチしていない。フォッセの戯曲は、観客がイメージ補正をしながら観る必要があるので、私は若い二人の演技も頭の中で補正しながら観たが、出来れば演技はイメージ補正しないで観たい。
若い二人は娘を授かるが、男は別に好きな女が出来て、妻と娘から去っていく。この過程をナチュラルに近い演技でやると、卑俗な印象を受ける。
もっとも、最後まで観ると、その卑俗な部分が暗いストーリー展開の中にあって仄かな明かりのように浮かび上がる仕掛けにはなっている。印象にも残る。優れているようにも思う。しかし果たしてそうした仕掛けが必要なのかどうか。
モノトーンの演出を行えば、もっと違った感銘が得られたと思う。この手の戯曲を扱うときは、「わかりやすくしよう」、「面白くしよう」という演出意図が逆に観客に本質を見失わせる危険性もあるのではないか。
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