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2007年11月13日 (火)

稲尾和久の死

「鉄腕」、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた名投手、稲尾和久氏が死去。70歳。

日本記録であり、今後も破られないと思われるシーズン42勝(ビクトル・スタルヒンとタイ記録)を始め、数々の記録を打ち立てた名投手、稲尾。

稲尾の持ち味はスピードではなく、抜群のコントロールとウイニングショットのスライダー。実際に稲尾のピッチングを見た人で、「稲尾は球が遅かった」と証言する人は何人もいます。

漁師の子として別府に生まれた稲尾和久は、少年時代から船の櫓を漕いでいました。左足を上げる際に軸足である右足の踵も上げて、つま先立ちになるというコントロールのぶれやすいピッチングフォームだったにも関わらず抜群の制球力を誇ったのは、少年時代から櫓を漕いだことで培われた足腰の強靱さにあったと思われます。また、船板一枚隔てて下は海で、死が待っているという感覚を少年時に抱いたという稲尾は、ピンチにも動じない精神力をも手に入れました。

スライダーのコントロールは抜群で、例しに、ブルペンで目を閉じたままアウトローのスライダーを投げ込んだところ、20球以上連続で捕手の構えたミットと寸分違わぬところに球が行ったと言われています。

なお、広島カープと巨人軍で活躍した川口和久氏と、東京ヤクルトスワローズの石井一久投手は、いずれも父親が稲尾和久のファンであったことから、「かずひさ」と命名されたそうです。

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