コンサートの記(5) 長岡京室内アンサンブル「結成10周年記念コンサート」
2006年7月19日 京都府長岡京市の長岡京記念文化会館にて
長岡京記念文化会館で、長岡京室内アンサンブルの「結成10周年記念コンサート」を聴く。
長岡京室内アンサンブルは、パイヤール室内管弦楽団やフランス国立放送新フィルハーモニー管弦楽団(現・フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団)のヴァイオリン奏者として活躍し、リヨン国立高等音楽院助教授やルーズベルト大学シカゴ芸術大学音楽院教授を務めた森悠子が、東京の一極集中を是正し、長岡京から独自の音楽を発信したいという要望に共鳴して結成したアンサンブルで、メンバーは森の教え子や、森が「是非に」と頼んだ優秀なプレーヤーから成り立っている。いずみシンフォニエッタ大阪や大阪センチュリー交響楽団の首席客演コンサートマスターである高木和弘、ピアニスト舘野泉の息子であるヤンネ舘野(ヴァイオリン)などもメンバーだ。
曲目は、前半がモーツァルトのディヴェルティメントK136と、ヨーゼフ・ハイドンの交響曲第101番「時計」(献呈者であるペーター・ザロモンによる弦楽四重奏とフルート、フォルテピアノによる編曲を基にした弦楽合奏版)という古典派の比較的オーソドックス(それでも「時計」の弦楽合奏版は関西初演だそうだ)なプログラム。
後半は、ヒナステラの弦楽合奏のための協奏曲、ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ第9番」という、20世紀の南米を代表する2人の作曲家を取り上げるという意欲的なもの。ラストはサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」で締めくくる。
長岡京文化会館はいわゆる多目的ホールで、残響はほとんどない。それでもホール空間がさほど大きくないので音はちゃんと伝わる。
長岡京室内アンサンブルは小編成の利点を生かした、透明な音と緻密な合奏力を武器とする。モーツァルトのディヴェルティメントK136では、音の強弱の付け方が独特であり、ユニークな演奏を聴かせる。
ハイドンの交響曲でもアンサンブルの緻密さは生きており、指揮者のいるオーケストラとはまた違った合奏の妙味を聴かせてくれる。
前半は森悠子がコンサートミストレスを務めたが、後半は高木和弘がコンサートマスターの位置に陣取る。
ヒナステラというと、情熱的な音楽を思い浮かべるが、弦楽のための協奏曲は前衛的な手法をふんだんに取り入れた作品である。いわゆる現代音楽で、音楽理論が先行しそうなところもあるが、それでも迸る情熱は伝わってくる。というより、前衛的な手法を取り入れてこれほど熱い音楽を書いたのはヒナステラだけではないだろうか。現代音楽と聞いてイメージするクールさとは真逆の音楽がここにある。
最終楽章の狂騒は正に圧倒的で、ラテンの血のたぎりの凄さを実感する。
ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」は知名度が高い割りに耳にする機会が少ないが、今日演奏された第9番は優美で端正なフォルムとやはり南米の作家ならではの熱い内面を合わせ持つ優れた曲であった。
長岡京室内アンサンブルは、各奏者の自発性が良い結果を生み出している。
ラストの「ツィゴイネルワイゼン」では高木和弘がヴィルトゥオーゾぶりを存分に発揮、喝采を浴びた。
アンコールは2曲。グリーグの「ホルベアの時代から」より前奏曲と、滝廉太郎の「荒城の月」弦楽合奏版。
「ホルベアの時代から」の躍動感は素晴らしく、また「荒城の月」を聴くとしんみりしてしまう。やはり私も日本人なのだと実感する。
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