大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」
いうまでもないことですが、レニングラードはサンクトペテルブルクの旧称。サンクトペテルブルクは大阪の姉妹都市でもあります。
1941年、ナチスドイツは独ソ不可侵条約を破って、ソ連に侵攻、旧都でソ連第二の都市であるレニングラードを包囲し、約900日に及ぶ攻防戦が展開されます。
そのレニングラード包囲戦のさなかで書かれたのが、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。
初演も、ドイツ軍がまだレニングラードを包囲している1942年に行われました。
この交響曲ではラストで勝利が描かれますが、作曲、そして初演された時点でもソ連軍は勝利しておらず、勝利への希望として書かれたとされています(異説はありますが、ショスタコーヴィチにも勝利への希望は間違いなくあったでしょう)。タイトルの「レニングラード」は、レニングラード包囲戦の中で書かれたということもありますが、実際にはレニングラード市に曲が献呈されたためについたものです。
そんなレニングラード(サンクトペテルブルク)の姉妹都市である、大阪のオーケストラ、大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)が、音楽監督である大植英次と演奏した、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」(フォンテック)。オーケストラの馬力が問われる作品であり、海外の名門オーケストラによる名演も多いのですが、大植と大フィルもなかなかの健闘を見せており、日本のオーケストラによるショスタコーヴィチの演奏としては第一級でしょう。
金管は力強く、大植の盛り上げ方も巧みであり、情熱が響きを突き破って噴き出してくるような熱い演奏になっています。2004年2月、大阪のザ・シンフォニーホールにおけるライヴ録音。
大阪フィルと大阪の新時代を切り開くという意志があったのかどうかはわかりませんが、大阪市の姉妹都市をタイトルとする「レニングラード」交響曲が演奏され、大植と大阪フィルのCD第一弾として発売された3枚の1枚に入ったという歴史的意義も感じさせる録音です。
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