コンサートの記(11) ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団来日公演2008大阪
2008年4月11日 大阪・中之島のフェスティバル・ホールにて
大阪は中之島にあるフェスティバル・ホールまで、ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団の来日公演を聴きに出かける。
ケント・ナガノは、1951年、アメリカに生まれた日系三世の指揮者である。アメリカで音楽教育と指揮者としてのキャリアをスタートし、フランスのリヨン国立歌劇場、イギリスのハレ管弦楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団などの首席指揮者・音楽監督を経て、2006年からモントリオール交響楽団とバイエルン国立(州立とも書かれる)歌劇場の音楽監督を務めている。夫人は、ピアニストの児玉麻里。
風貌が俳優の岩城滉一にどことなく似ているということもあり、日本でもファンの多い指揮者である。
モントリオール交響楽団の音楽監督にはもっと早期に着任する予定だったのだが、モントリオール響が長期のストライキに入ってしまったため、就任が遅れた。
モントリオール交響楽団は、1978年に音楽監督に就任したシャルル・デュトワのもとで急成長し、その後、約四半世紀に渡ってデュトワとコンビを組み続けて、「フランスのオーケストラよりフランス的」との賞賛を受けてきたカナダの名門だが、人事を巡ってデュトワと喧嘩別れし、その後は給与問題を巡って長期のストライキに入っていた。
ということで、モントリオール交響楽団のアンサンブルが健在なのかを確かめる上でも興味深いコンサートである。
曲目は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と交響詩(三つの交響的素描)「海」、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲。
「牧神の午後への前奏曲」はかなりゆったりとしたテンポで始まる。フェスティバル・ホールの音響への配慮があるのだろうか。「牧神の午後への前奏曲」も「海」も、管楽器のミスが思ったより多かったが、弦を中心としたハーモニーは美しく、ミントの香るような清冽な響きがある。さすがはモントリオール交響楽団、ではあるが、これはやはりデュトワの音色である。約四半世紀もの間、ともに仕事をしていたのだから、デュトワによってたたき込まれた音色を変えるのは容易ではないということか。美しい音色なので、それが変わらないこと自体は悪いことではないけれど、ナガノならではの響きも聴いてみたくなる。
そのナガノだが、演出は上手だ。特に盛り上げ方が巧い。自然な盛り上げ方ではなく、ギアチェンジの瞬間が明らかにわかるのだが、それでいて強引な感じは余り受けない。
ナガノの指揮姿は端正で、右手で拍を刻み、左手で指示とイメージをオーケストラに与える。要所要所では大きく腕を振るが、基本的にはビートの幅は他の指揮者に比べて小さめであり、後ろ姿は、数学科の有能な大学教授が、黒板に模範解答を書いている様のようだ。
管楽器に若干の不満はあったが、「牧神の午後への前奏曲」も「海」も秀演だった。
アルプス交響曲(交響曲と銘打たれているが、実際は長大な交響詩である)は更に充実した演奏で、開始早々から音に拡がりがあり、曙光が指す場面では、ステージ上が本当にパッと明るくなったような錯覚すら覚える。「滝」の場面も清々しいし、牧場の長閑さも出ている。「嵐の前の静けさ」の場面では、ナガノはオーケストラの音を弱め、不安定な感じを作り出す。かなり地味になるが、雷雨の強烈さを増すための演出だ。だが、肝心の雷雨の場面は、音は盛大に鳴っているものの、獰猛なまでの迫力は感じられなかった。少し残念。そういえば、ケント・ナガノの演奏も、モントリオール交響楽団の演奏もCDで数多く聴いているが、根源的な迫力を持つ演奏になっていたことはほとんどなかった。両者共に上品なのだ。
ただ、雷雨の場では、本当の意味での迫力はなかったものの、ナガノのオケ捌きの見事さは光っていた。
夕映えは清々しく、日没、終末、夜は、風景だけでなく、登山者の疲れまでも表現しているかのような、ナガノの棒の描写力の細かさが印象的であった。
演奏が終わり、ブラボーと盛んな拍手。晴れ着姿の小さなお嬢ちゃん二人(5歳前後かな)が出てきて、ナガノとコンサートマスターに花束を渡す。ステージ下には、おばさま数人が出てきて、花束を差し出し、これもナガノは受け取った。岩城滉一似とあっては、ナガノがおばさま族に人気があるのも当然という気がする。
アンコールは、「さくら(さくら さくら)」の管弦楽編曲版と、ビゼーの「アルルの女」より“ファランドール”。
「さくら さくら」は“和”ではなく、中国風の編曲に聞こえたが、誰の編曲だったのだろう。
“ファランドール”はノリの良い演奏で、ナガノの美質と、モントリオール響の美点が合致していたように思う。
ケント・ナガノ指揮の実演には以前も接したことがある。リヨン国立歌劇場管弦楽団の来日公演で、場所は東京オペラシティコンサートホール。サイド席だったのだが、東京オペラシティコンサートホールはシューボックス型のホールであり、サイド席後方に座ってしまうとステージの半分は見えないということになってしまう。私が座った席からは、指揮台に立つナガノの姿も身を乗り出してやっと見えるというほど視覚面は悪かった。ホールの音自体は残響が適度で悪くなかったのだけれど。
「ヨーロッパの聴衆は視覚は気にしない」と聞いたことがあるけれど、ここは日本だし、私は日本人だからね。
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