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2008年5月19日 (月)

観劇感想精選(35) 劇団四季 「ウェストサイド物語」

2008年3月22日 京都劇場にて観劇

午後5時30分から京都劇場で劇団四季の公演「ウェストサイド物語」を観る。アーサー・ロレンツ台本、スティーヴン・ソンドハイム作詞、テキスト日本語訳:倉橋健、日本語作詞:岩谷時子、レナード・バーンスタイン音楽、浅利慶太:演出。

これまで劇団四季の「ウェストサイド物語」では、ブロードウェイ初演の振付を担当したジェローム・ロビンスの弟子であるボブ・アーディティの振付による公演を行ってきたが、今回のプロジェクトからはジェローム・ロビンスのオリジナルの振付を再現して公演を行っている。ジェローム・ロビンスの振付再現を行ったのはジョーイ・マクニーリー。
日本人の体格、体力ともに良くなり、オリジナルの振付が可能な時期に入ったと判断があったのかも知れない。

体格は確かに良くなっているだろうが、日本人がジェローム・ロビンスの振付で踊ると、それでもまだ体操のお兄さん的ダンスになってしまう。だが、出演者達が振りに慣れれば更に良くなるだろう。そもそもオリジナルの振付に挑もうという気概がいい。

あらゆる要素の中で、歌の水準が一番高い。英語の歌の日本語訳詞が妙になるのは避けられないが、出演者達は高音も良く伸びていたし、平均的水準も高かった。

ちなみに今日の主な出演者は、トニーに阿久津陽一郎、マリアに花田えりか、ベルナルドに加藤敬二、アニタに団こと葉、リフに松島勇気、チノに玉城任、シュランク警部に志村要、クラプキ巡査に石原義文。

マリアの花田えりかのセリフ回しが多少気になったが、傷というほどではない。

演技も納得のいく水準。私は白人の若手キャストによる公演も観たことがあるが、キャリアがものをいうのか、劇団四季の方が非言語的なものも含めて演技表現の水準は高いと思う。

ダンスについていうと、例えば体育館のマンボの場で白人キャストの公演の時に感じられた「殺気」のようなものは四季の俳優からは感じられない。これはやはり人種の差だろう。ジェット団とシャーク団は敵同士だが、日本人がやるとどうしても互いに協力してその場をつつがないよう進行させているように見える。だが、それはある意味、日常生活で殺気を感じることのほとんどない日本という国の良さの表れなのかも知れない。

ラストのトニーが撃たれるシーンには問題を感じた。互いを見つけたトニーとマリアが走り寄るのだが、その距離が短いため、チノが飛び出してきてトニーを撃つ場面がコントのように見えてしまう。
京都劇場のスペースの問題もあると思うけれど、トニーとマリアにもう少し長い距離を走らせないと、観客に「ひょっとしてうまくいくか」という希望を抱かせる間を取ることが出来ない(「ウェストサイド物語」を観に来る人は結末がどうなるかを知っているとは思うが)。希望を抱かせる間がないままトニーが撃たれしまうと、トニーがおっちょこちょいの間抜けに見えてしまうのだ。

とはいえ、なかなか感動的な舞台になっていた。レナード・バーンスタインの書いた「トゥナイト」の五重唱は日本語詞で聴いてもゾクゾクする。やはりミュージカルの名場面中の名場面といえるだろう。

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