豊かすぎず貧しすぎず
物質的に豊かすぎず貧しすぎず生きるのは、重要であるともいえる。だが、今、私が問うのは、想像力についてだ。
日本の女性シンガーソングライターのアルバムを何枚か立て続けに、ではあるが丹念に聴いてみた。歌詞とメロディーと伴奏を追い、彼女たちの中で創造された世界を私の中で再創造する。
言葉とは具体的でありながら曖昧で、規定的でありながら創造的でもある。言葉から受けたイマジネーションを膨らますのは自由である。しかし、恣意的な捉え方をしていたのでは、何も伝わっては来ない。
鑑賞というのは確かに一方通行的なものではある。伝える側はちゃんと伝わったかがわからないし、受け取った側もきちんと受け取れたのかどうか正確には確認できない。
伝える側は、伝えることが仕事だという意識はもちろんあるだろう。だが、受け取る側は受け取ることが仕事だと考えないことからすれ違いが生じやすい。
受け手が想像力を伸ばしすぎて、どこか別の場所に着地して、勝手に確定してしまうというのも困ると言えば困る。逆に想像力を縛り付けて、言葉を字義通り受け取っても、そんな広がりのない世界が面白いはずもなく、またそうなっては危険でもある。
だから言葉の両面に注意を向け、想像力を豊かすぎず貧しすぎず駆使するように心がけることは、鑑賞の、いやコミュニケーションの、いや存在とそれを形作る上で重要だと思うのだ。
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