中国ロックのカリスマ崔健 「崔健 1986-1996」
中国ロック界のカリスマであり、世界的にみても稀なほど本格的なロックアーティスト、崔健(ツイ・ジェン CUI Jian)。
1961年、朝鮮族自治区出身の父親と韓国人の母親との間に北京に生まれた崔健は、トランペット奏者だった父親の影響で、14歳からトランペットを始め、北京交響楽団に入団してトランペット奏者として活躍しましたが、次第に周囲のブルジョワ的な雰囲気に疑問を持ち始め、ロックに転身します。中国ではまだ本格的なロック音楽は根付いておらず、崔健は中国におけるロックのパイオニアともなりました。
1980年代、時あたかも中国に民主化運動の風が流れ始めていた時、体制変革のメッセージを歌詞の裏側に隠しているとされた崔健の歌は当時の中国の若者に熱狂的に受けいれられ、1989年の天安門でのデモの際には、崔健の「一無所有(俺にはなにもない)」が若者の間でテーマソングのように口ずさまれました。
6月4日の第二次天安門事件が起こった直後には、崔健が逮捕されたのではという噂が北京を駆け巡りましたが、それはデマであり、崔健はその後も、そして今も中国を代表するミュージシャンであり続けています。
そんな崔健が1986年から1996年にかけて発表した楽曲を集めたベスト盤「崔健 1986-1996」。
崔健の代表曲である「一無所有(俺には何もない)」、「一塊紅布(紅い布)」など13曲を収録。
ロックとは変革の音楽であり、変革期にあった中国にあって、崔健の音楽の生み出す音楽は抜群の説得力を持ちました。力強いサウンドと歌はもちろんのこと、多用な解釈が出来る「玉虫色」と称された歌詞、そして敢えて早口で歌い、何と言っているのか北京人にすら聞き取れないという独特の歌唱法。時代の貴重な証言となる可能性も秘めています。
実は私は日本で崔健のステージに接したことがあり、特に1995年、新宿にあった日清パワーステーションでの崔健ソロライブは今も記憶に鮮やかです。日本人と中国人のオーディエンスが一緒になって崔健を応援しました。不安定になってしまった今の日中関係を思うと夢のような瞬間でした。
参考のために崔健作品の歌詞を2つ掲載しておきます。
「俺には何もない(一無所有)」
そうだろ何度も訊いただろ
いつになったら付いてくる?
だが、おまえはいつも笑うだけ。「何にもないでしょ? あなたには」
夢をあげると言っただろ、自由だって欲しいだろ? だけどおまえは笑うだけ。「何にもないのよ。あなたには」ああ、いつになったら付いてくる?
どれだけ待たせりゃいいんだよ?大地は回り続けるし、川の流れはとまらない
でも、おまえは笑いをとめはしない。「一文無しでしょ。あなたって」なんでそんなに笑うんだ?
こんなに必死である俺をおまえの前じゃ永遠に
俺は無能のままなのか?ああ、とっとと俺に付いてこい
今すぐ俺のものになれもう充分に待ったはず。これが最後の通告だ
俺はおまえの両手を取る。さっさと俺に付いてこいそしたらおまえは震えてた。涙もこぼれ落ちていた
まさかそんなじゃないだろな。無力な俺が好きなのか?
ああ、今からおまえは俺のもの
今すぐ俺に付いてこい
詞:崔健 日本語訳:本保弘人
「紅い布」 詞:崔健
あの日あなたは紅い布で 私の両目と天を覆った
「何が見える?」とあなたは訊いた 「幸せが」と私は答えたそれはとても心地良い感覚だった 私の今の立場も忘れさせてくれたから
「何が欲しい?」とあなたは言った 「あなたとともに歩ける道が」、私の答えはそれだったあなたの姿が見えないまま 道のりもわからぬまま 私はあなたの手を握りしめていた
「何がしたい?」とあなたは問うた 私は答えた「あなたの望むことを」私は感じた あなたは鉄ではないけれど、鉄のように強靭だと
あなたには血が通っている そうも感じた 握りしめたあなたの手が熱かったからとても居心地が良かった 居場所がなかったということも忘れてしまうくらい
「何がしたい?」とあなたが訊く 答えはこう、「全てお任せ」ここは荒野ではない そう思った
大地がひび割れているかどうかも見えないというのにそして感じた 喉が渇いたと
しかし私の口はあなたの唇によって塞がれてしまっていた進む足は止まった 泣こうにも泣けなかった 涙さえも枯れ果ててしまっていたのだ
私は永遠にあなたに寄り添っていたい あなたの痛みを誰より知っているのは他ならぬ私なのだから日本語訳:本保弘人
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