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2008年12月14日 (日)

観劇感想精選(57) 「表裏源内蛙合戦」

2008年12月12日 大阪・京橋のイオン化粧品シアターBRAVA!にて観劇

午後2時から、シアターBRAVA!で、井上ひさし:作、蜷川幸雄:演出の公演「表裏源内蛙合戦」を観る。主演:上川隆也、勝村政信。出演は、高岡早紀、豊原功補、篠原ともえ、高橋努、大石継太、立石涼子、六平直政ほか。音楽:朝比奈尚行。

数々の業績を残しながら、いずれも広く浅くであったため奇人と呼ばれ、希代の天才かペテン師かと評価の分かれる平賀源内の一代記。

途中休憩20分を含めて、上演時間約4時間10分という大作であるが、長さは全く気にならなかった。

「表裏源内蛙合戦」

平賀源内という人が、はったりと外連で生きたような人なので、井上ひさしの本も、蜷川幸雄の演出もそれを体現しており、劇構造自体が平賀源内という人のハチャメチャぶりを示しているかのようだ。

基本的には喜劇路線でありながら、実際は悲劇の様相も帯びている。

井上ひさしは、ストーリーに大嘘を交えたり、劇中歌に、掛詞や、韻を踏んだ歌詞、四字熟語を並べた歌詞などをふんだんに用いて、徹底して遊んでみせる。

幕が開くと、出演者全員が揃っての前口上。歌舞伎の襲名披露のようで、まずはったりをかます。前口上のセリフにも「シアターBRAVA!」と会場の名前が出てきたり、井上ひさしの本への揶揄が加わっていたりして、舞台の虚構性とエンターテインメントの味わいを前面に出す。

讃岐国高松藩の足軽の子として生まれた平賀源内(上川隆也。「オギャー、オギャー」と産声を上げる出生時から平賀源内を上川隆也が演じていて笑わせる)。幼時から突出した利発さを見せた源内は、高松藩主松平氏に気に入られ、若殿(のちの松平頼恭)の鬼役(教育係兼毒味役)として仕える。この高松松平氏の若殿というのが馬鹿殿(という設定)で、自慰にふけってばかりいる。高松松平の若殿ばかりでなく、時の将軍、九代目徳川家重と十代目の徳川家治もこちらは史実通りの馬鹿殿。のちに源内に出仕の話を持ちかける、秋田久保田藩主:佐竹曙山(曙山は号。諱は佐竹義敦)も藩の農民が疲弊にあえいでいるのに、自身は洋画を描いてばかりという政治的に無能な藩主として描かれる。

幼き日、平賀源内の中にもう一人、裏の平賀源内(勝村政信)が現れる。裏の源内は立身出世のために手段を選ばないという、源内の影の部分の現れである。

長崎留学(長崎名物の中に、「ピカドン」として長崎原爆が含まれていたりする。また隠れキリシタンという日陰の存在にも触れている。2つは「浦上」というワードで繋がっている)を経て、江戸に出た源内は、高松藩から脱藩。しかし、高松藩主松平頼恭は、源内の脱藩は認めたものの、他の藩への仕官は認めず、源内は浪人となる。

今でいう博覧会を開いたり、当代随一の本草学者としての知恵を生かして、オランダ貿易に頼るしかなかった作物を日本で栽培することに成功したり、ある時は戯作者、ある時は蘭学者、またあるときは医学者、画家、発明家、そして今の時代でいうコピーライターのような仕事までこなす超人・源内。しかし、田沼意次に申し出ていた御公儀への仕官は叶わず、また、源内の生み出した多くのものは、町人によって消費されるだけで世に貢献することはなかった。

一方で、吉原で苦労する遊女のために妙案を考えるなど、ちょっとした貢献はした。

秋田藩主:佐竹義敦に仕官の話を持ちかけられ、秋田に赴く源内。しかし、久保田城に向かう途中、疲弊しきった農民達に一揆のやり方を教えて欲しいとせがまれる。農民達の考えに同調しかけた源内だが、そこに影の源内が現れ、城に向かうよう告げる。源内は結局、農民達を見殺しにすることになった……。

無能な者が上にいるという身分社会にあって、己一人の力で人生を切り開こうとする源内の爽快さと悲哀が描かれていく。

舞台奥が楽屋になっていて、開場直後から、役者達がそこに出入りして服を選んだりしている。また、舞台袖はわざと見切れるようになっていて、役者やら黒子やらが歩いているのがわかる。蜷川が良くやる、舞台の虚構性の強調である。

また、「コリオレイナス」の時同様、開演後は、楽屋になっていた場所の前に巨大な鏡が出現して、舞台と客席の観客が映る。この鏡は、置き道具の裏を映して虚構性の強調を手伝ったり、幕の裏で行われる場面を客席から見えるようにしたり、時代と舞台の一方の主役が観客や庶民であることを告げる役割を担ったりと、かなり効果的に用いられる。

町民には才能を消費され、救いを求める農民の役には立てなかった源内。庶民と才人の関わりが大きなテーマの一つになっている。

また、源内は仕官することが叶わず、浪人、今でいう無職者として過ごすしかなかった。

そして、社会の変革への希望を役者達が歌うという、いかにも井上ひさしらしいラスト。

リストラの嵐が吹き荒れ、「蟹工船」のようなプロレタリア文学が注目を浴びる時代にあって、「表裏源内蛙合戦」を上演する意義とそれを観る意義は大きい。

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