京都市交響楽団大阪特別公演2009
2009年4月12日日曜日、午後2時から大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団の大阪特別公演が行われました。指揮は広上淳一。京都市交響楽団の常任指揮者である広上淳一との大阪公演は初となります。
普段はどちらかというと冷たい響きのする京都コンサートホールで演奏している京都市交響楽団(京響)ですが、甘い響きのザ・シンフォニーホールでの演奏は、いつもの京響とはまた異なった魅力を振りまいていました。
満員となったザ・シンフォニーホールを喝采の嵐に巻き込む快演で、京響の実力を大阪の聴衆に示しました。
京都市交響楽団大阪特別公演2009の感想(「猫町通り通信」より転載)
午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、京都市交響楽団大阪特別演奏会を聴く。指揮は広上淳一。
曲目は、ビゼーの「カルメン」組曲第1番、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:山下洋輔)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。
「カルメン」組曲第1番と「ラプソディ・イン・ブルー」は、一昨日の京都市交響楽団スプリング・コンサートでも演奏されており、聞き比べることが出来る。
「カルメン」組曲第1番は、京都コンサートホールでの演奏よりも音色が艶やかで、セクシーともいうべき演奏となった。京都コンサートホールでは「鋭い」と思われたコントラバスのピッチカートもザ・シンフォニーホールの甘い響きに包まれて穏やかに耳に届く。
今日のコンサートマスターは若い泉原氏(スプリング・コンサートのコンサートマスターは渡邊氏)だったが、広上の解釈に特別な変化があったわけではない。ホールが変わっただけで、これだけ演奏の印象が変わるということは、音楽体験というものは聴衆一人一人のなかで確定されるものであり、さも何でもわかっているといいたげな音楽評論家のいうことを鵜呑みにしない方が賢明だということでもある。
他人は他人でしかない。
「ラプソディ・イン・ブルー」は、日本を代表するジャズピアニスト、山下洋輔のソロということで、山下が登場した時から会場は喝采に包まれる。
それにしても、一昨日はやはり日本を代表するピアニストの小曽根真のソロで「ラプソディ・イン・ブルー」、今日は山下洋輔で「ラプソディ・イン・ブルー」、指揮は広上淳一という、贅沢としかいいようのない音楽体験である。
山下は硬質のタッチで鍵盤に挑みかかる。情熱的な演奏であるがピアノの音はヒンヤリとしている。もはや創造の域に達している即興の数々は聴いていて興奮させられる。
広上の指揮は一昨日よりもコントロールが強化されている。一昨日はある程度奏者に任せた部分も今日は一つ一つしっかり振る。途中でジャンプを繰り返すなど、ノリノリの指揮で、ガーシュウィンを聴く醍醐味を客席にプレゼントする。
山下のアンコール演奏は、「枯葉」と「スウィングしなけりゃ意味ないね」のメドレー。原曲がかろうじてわかるほどの装飾に満ちた独自の快演であった。
チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。広上淳一入魂の演奏である。第1楽章の第2主題を最初は抑えめにして、徐々に嘆きの表情へと変わっていく演出が上手い。大強奏の前の、クラリネットなども切ない夢にしっぽのように演奏をし、大強奏で夢を絶ちきって苛酷な現実との激闘へと突入する。
第2楽章はたおやか。色に例えると薄紫のような高貴な雰囲気も漂う。
第3楽章では、広上はノンタクトで指揮。ティンパニを叩くように左右の手を交互に振り下ろしたり、両手を上げ下げするだけのユニークな指揮だが、京響は轟然と鳴り響き、ゴージャスな音の饗宴となる。
第3楽章が見事な出来だったので、拍手をする聴衆もいたが、広上はそれを制して最終楽章に突入。身も世もない悲しみを全身で表す。時折訪れる慰めや儚い夢が切なく響き、続いて嘆きの表情が強調されるが、音色には気品が宿り、単なる嘆き節になってはいない。
銅鑼が鳴った後の金管の旋律が、今日はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の変奏に聞こえた。誰も指摘していないがあるいはそういう意図があるのかも知れない。「悲愴」はCDで把握しきれないほど何度も聴いているが、実演でないと気付かないことはやはりあるのだろう。
演奏終了後、客席から爆発的な喝采が起こる。
アンコールにはリャードフの「8つのロシア民謡」より“遅歌”という珍しい曲が演奏された。
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