無明の日々(5) 垂直のタイルを登れ
「なぜ山に登るのですか?」、「そこに山があるからさ」(ジョージ・マロリー)
人生はよく山に例えられる。学習もまたよく登山と比較される。一歩ずつ着実に登っていくこと求められるのだ。
しかし、高校生時代の私はツルツルとした垂直のタイルを登るよう要求されていた。手をかける場所も、足の踏み場もないタイルに挑めと。
おそらくは見えなかったのだろう彼らには、それがタイルであることなど。気付かなかったのだろう、私の目にしている世界を。想像力や知識を欠いていたから。
その当時、私は15歳だったけれど、そのことで30代半ばの彼らに対して不信を募られることになった。彼らは要領を教えた、だけれど、彼らは本当に人生を生きていただろうか? 私は彼らの誠実さを疑うし、彼らに教壇に立つ資格があったことさえも疑う。15歳だった私も30歳半ば、しかし、不信や和らぐことも薄まることもなく、より確実な否定へと高まっていく。
彼らが登れなかった、そして今後も登ることが叶わないであろう山の姿を当時の私ははっきりと捉えていたし、それからの私はその山を登り続けてきたのだ。
垂直のタイルを登ることは出来ない。登るよう命じるのは愚かなことだ。不明は大罪である。山は登れる。そして山を登っていたのは私の方だったのだ。私は彼らより高いところにいたし、もっと高いところにいける。
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