生誕100年 太宰治
本日、2009年6月19日は太宰治の100回目の誕生日、そして桜桃忌に当たります。
このブログ「鴨東記」は太宰治の「桜桃忌」をもじったものです。というわけで太宰治の紹介。
太宰治は1909年(明治42)青森県の金木町(現在の五所川原市に生まれます。本名は津島修治(太宰は津軽訛りがひどく、自分の名前も「つすますんず」としか発音出来なかったといいます)生家の津島家は青森県屈指の資産家で金銭的には何不自由な幼少期を過ごします。
金木尋常第一小学校、青森中学校(首席を通す)、弘前高校(現在の弘前大学)を経て、東京帝国大学文学部仏文科に入学。ただしフランス語は一切出来ませんでした。当時は高校を出ていれば帝国大学には入学できたのでフランス語はやらなかったようです。困ったことに入学試験はありましたが、仏文科は不人気でしたので入学できたようです。入学したものの講義にはほとんど出ず、単位は一つも取らないまま中退しました。
27歳の時に処女短編集『晩年』を発表し本格的にデビューします。
「晩年」の収められた『太宰治全集』(ちくま文庫)第1巻
その後、39歳で自殺するまでの12年間が本格的な創作期間となります。
29歳で石原美智子と結婚。最初甲府に、のちに三鷹に本拠を構えます。
そして1938年6月17日、愛人の山崎富栄と玉川上水にて心中。死体が発見されたのは2日後の6月19日で、太宰の39回目の誕生日に当たりました。6月19日は太宰の誕生日でもあり命日ともなったのです。
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