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2009年11月26日 (木)

僕も昔は

僕も昔は根拠のない自信のようなものを多分に持っていた。

だからネット上で自信満々に妙ちきりんなことを語る人を笑う資格はないのかも知れない。

しかし、自己を客観視することだけは怠らなかった人間として、第三者の目を意識していないとしか思えない言動を何ら省みることなく人前にさらせる人間の神経というものを疑ってしまうのも確かなのだ。

そこには酷く幼稚なものを感じる。あたかも自己を拡大したものが世界だと思い込んでいるかのような無反省な拡散された意識を。

彼らは多分気付いていない。気付いていないからこそ恥を恥とも思わず堂々と開示することが出来る。

そこに僕は奇妙なねじれのようなものを感じる。なぜそれほど自己中心的に生きてこられたのかという。

周囲が寛容だったのか、本人が鈍感だったのか。

いずれにせよ、異星人の言動を見ているかのような違和感と怖ろしさを僕は覚えずにはいられない。何が彼らを許し、何から彼らは許されてきたのか

人と人との繋がりの中で、何かが欠落し、何かが不必要に甘い。

地球の自転にはじき飛ばされそうなほど脆い人間存在の自覚はそこにはない。自意識は肥大し、目に入る全てを覆おうとしている。

誰かが止めなければならない。誰かがブレーキをかけなければ、我々は全員、地球の外に弾き出されてしまう。

しかしそれは僕の任ではない。それは強く感じる。気付いていながら自分がその適任ではないというもどかしさ。

だが、それは半ば確定したことなのだ。僕の何をしようと変えることは出来ない。

僕はその任ではないから。

不明な人々が跳梁跋扈する様を、僕は今日も歯ぎしりして見ている。

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