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2012年1月 6日 (金)

観劇感想精選(88) ミュージカル「モーツァルト!」

2011年1月9日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後5時より、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「モーツァルト!」を観る。脚本・歌詞:ミヒャエル・クンツェ。音楽:シルヴェスター・リーヴァイ。演出・訳詞:小池修一郎(宝塚歌劇団)。出演:井上芳雄、島袋寛子、香寿たつき、高橋由美子、阿知波悟美、武岡淳一、吉野圭吾、山口祐一郎、市村正親ほか。オリジナル・プロダクション&協力:ウィーン劇場協会。

神童・ヴォルフガング(ウォルフガング)・アマデウス・モーツァルトの生涯をミュージカルにしたこの作品。オーストリア製のミュージカルで、日本では2002年に初演され、今回が4度目の上演となる。主役のモーツァルトはダブルキャストで、今日は井上芳雄がモーツァルトを歌う。井上芳雄は人気・実力ともに、若手では日本トップクラスに君臨するミュージカルスターである。とうことで、客席は大半が女性客で埋まっていた。

出来は素晴らしかった。私がこれまで観てきたミュージカルの中で一番良い作品かも知れない。

脚本、音楽、演出、役者ともに素晴らしかったが、まず最初に挙げるべきは井上芳雄の歌唱力。舞台は、モーツァルトの墓所に年老いたコンスタンツェが夜に訪れるところから始まり、次いで、子役の演じるモーツァルトが出てきてフォルテピアノを演奏し、それを皆が喝采する場面となる。その間にも何人かの歌手が歌を披露して、「それなりに上手いな」と思ったのだが、井上芳雄が青年・モーツァルトとして登場し、歌を披露すると格が違うのがわかる。井上の他にも、出演者には、劇団四季出身の市村正親、宝塚出身の香寿たつき、ベテランミュージカル俳優・山口祐一郎、本業が歌手の島袋寛子と猛者が揃っているのだが、井上の歌唱は表現力において、他の誰よりも勝っている。市村正親にも勝つのだからこれは驚くべきことだ。

子役のモーツァルトは、モーツァルトが青年になり、井上が演じるようになってからも影のように寄り添い、それが、子供の頃に誰からもチヤホヤされたという栄光の呪縛となっていることや、モーツァルトの才能がまだ涸れていないこと、更にはモーツァルトが自らの才能に振り回され、モーツァルトというブランドが自身のプレッシャーとなっていることをも表す。これは優れた作劇法だと思う。

モーツァルトのキャラクターは、「アマデウス」ほどではないが、天真爛漫で高慢なところがある(「哲学なんて何も知らないさ」という歌詞が出てくるが、これは史実とは異なり、実際のモーツァルトは最新の思想書にも目を通す知識人だった)。井上はその性格を伸びやかに表現する。ただ、台詞回しが、時折、歌っているようになってしまう箇所があり、ここは好悪を分かつかも知れない。

 

今回の「モーツァルト!」の見所の一つは、他の作品ではほとんど光の当てられていないモーツァルトの姉・ナンネール(ナンネル)をきちんと描いていること。それにより、このモーツァルトでは親子劇の要素が一層増している。弟思いで、弟がウィーンに旅立ってからは寂しい思いをするナンネールを高橋由美子が安定感のある演技と歌唱力で表現した。

 

コンスタンツェ役の島袋寛子は、演技は期待していなかったものの、肝心の歌が第一幕では声量の足りないところが見受けられ、「今日は調子が悪いのかな?」とも思ったりしたが、ヒロインとなる第二幕では打って変わって巧みな歌唱を披露する。第一幕で本気を出すと第二幕での効果が薄れるという計算がおそらくあったのだろう。演技もかなり上達していて、歌は声の細さを感じさせるナンバーがあったものの、甘い声色を生かした豊かな表現を聴かせてくれる。
普通の劇では、単なる悪妻として扱われることの多いコンスタンツェだが、今回の「モーツァルト!」では、自分に音楽の才能や努力を続ける力が無いことや、浪費をしてしまう弱さ、また自分では夫のインスピレーションを駆り立てられないという焦燥や、音楽に没頭して自分を顧みてくれない夫に対する不満など細やかな心理描写がなされていて、島袋寛子はそれらを丁寧に拾っていく。

 

モーツァルトの音楽に理解がなかった人物として描かれることの多い、ザルツブルクのコロレド大司教(山口祐一郎)が、この劇では誰よりもモーツァルトの才能を理解しており、その音楽性をウィーンに売り込んで、自分の宣伝に使おうとしたという解釈も目新しい。

 

教育パパとして描かれることの多い、レオポルト(レオポルド)・モーツァルト(市村正親)が、息子思いで、息子が難しすぎる音楽を作ることを心配したり、金遣いが荒いことを嘆いたりと、奥行きのある役所となっているのも興味深い。

 

「魔笛」の台本作者としてしか知られていないシカネーダー(吉野圭吾)を、モーツァルトのザルツブルク時代からの友人とする創作も効果的だった。更に市民のための音楽劇「魔笛」創作の契機となったのが、市民が蜂起したフランス革命だという設定も説得力がある。

ちなみにモーツァルトのライバルとして描かれることの多い宮廷楽長サリエリ(サリエーリ)は、この劇ではモーツァルトの音楽に理解のない人物として登場し、端役である(実際は、モーツァルトとサリエリは仲が良く、互いの才能を認め合っていたことがわかっている)。

 

音楽も充実していて、時に荘重に、時にメロディアスに、時にリズミカルにと多彩でわかりやすい。出演者全員が歌う第一幕の幕切れの場面や、レオポルトの死をナンネールが告げる場面における、ナンネールとコンスタンツェの二重唱などは聴いていて背中がゾクゾクした。

 

この劇では、第一幕の前半からモーツァルトが人生の行きづらさを嘆くナンバーを歌ったり、パリでの就職に失敗した際にザルツブルクの市民から「子供の頃は天才だったけれど、今はねえ」などと喧伝されるなど、悲劇的要素が全般に渡って盛り込まれている。その匙加減は絶妙で、明と暗が交互に、それも暗の部分が少し強く表現されていて、感動を誘う。「魔笛」の成功で人々が叫ぶ「モーツァルト!」という言葉が次第に呪いのように響いてくるという演出も巧みだった。

コンスタンツェの姉であるアロイズィア(アロイジア)にもっと良い女優を使って、モーツァルトとの関係を描いたり(モーツァルトはアロイジアが本命の女性だった。アロイジアはソプラノ歌手としても活躍する才媛であったといい、モーツァルトを振った女性として知られている)、アロイジアとコンスタンツェの才能を対比させたり、「レクイエム」作曲の場面をもっと長く丁寧に描けば完璧な作品になったと思う。それでも完成度は驚くほど高い。

 

カーテンコール。井上芳雄が「モーツァルト!」の日本での上演が今日で400回目であることを告げ、会場を盛り上げる。更に市村正親と山口祐一郎の気の利いたコメントが会場の笑いを誘う。

 

幕が下りた後で、井上芳雄が子役のモーツァルトを連れて登場。会場は総立ちとなる。私は前から3列目という絶好の席に座っていたので(一月の観劇はあと二本だけで、コンサートに行く予定もないので奮発した)、思い切って「ブラボー!」と声に出してみる。我が人生、初ブラボーである。すると井上さんは投げキッスで返してくれた。うーん、男の人に投げキッスをされてもねえ。ということで(?)井上さんから投げキッスを貰いたい女性は「ブラボー!」をかけてみるといいと思う。

 

改めて書くが、今回の「モーツァルト!」は本当に充実したミュージカルであった。

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