コンサートの記(103) イ・ムジチ合奏団大阪公演2011 ヴィヴァルディ「四季」ほか
2011年10月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて
大阪・福島にあるザ・シンフォニーホールで、午後2時から行われる、イ・ムジチ合奏団の来日公演を聴く。
イ・ムジチ合奏団は、イタリアの弦楽合奏団である。それまで無名の曲であったヴィヴァルディの「四季」を一躍有名曲にしたことで知られる。特に日本では人気が高く、ヴィヴァルディの「四季」といえばイ・ムジチ合奏団というくらいである。イ・ムジチとは、英語にするとザ・ミュージックになる言葉である。イ・ムジチには女性団員がいたこともあり、コンサートミストレス(女性の場合はコンサートマスターのことをこう呼ぶ)がいたほどなのだが、現在は男性ばかりの12人による編成である。なお、イ・ムジチ合奏団は今年が結成60周年に当たるとのことだ。
曲目は、前半は全てイ・ムジチ合奏団60周年のために書かれたり編曲されたもので、イ・ムジチのために書かれたバカロフの「合奏協奏曲」、イ・ムジチのためにエン二オ・モリコーネが自身の映画音楽から編んだ「組曲」、坂本龍一がイ・ムジチのために新たに編曲を行った「ラストエンペラー」テーマ曲である。坂本龍一の「ラストエンペラー」テーマ曲が選ばれたのは映画「ラストエンペラー」の監督がイタリア人のベルナルド・ベルトリッチであるため、日本とイタリアの架け橋になる曲と考えられたからだろう。
後半は、イ・ムジチ合奏団の代名詞的楽曲であるヴィヴァルディの「四季」である。
舞台上には奏者達が腰掛ける椅子の他に、チェンバロとピアノが置かれている。
バガロフの「合奏協奏曲」はタイトルこそ、バロック風で、通奏低音としてチェンバロを用いるのだが、現代音楽である。イ・ムジチはシャープな演奏を展開する。合奏力は極めて高い。イ・ムジチ合奏団は本国であるイタリアよりも日本での評価の方が高いという話を聞いたことがあるが、これだけの力があるのだから、おそらく本国でも認められているのだろう。
エン二オ・モリコーネの「組曲」は、コンサートマスターのアントニオ・アンセルミではなく、隣の隣りに座っていたマルコ・セリーノがヴァイオリン独奏を務める。私は出来の良い公演のパンフレットしか買わないのだが、今日は「イ・ムジチなので外れはまずないだろう」ということで事前にパンフレットを購入しており、パンフレットにはメンバーの顔写真と名前が表記されていて、「組曲」の独奏者がマルコ・セリーノのでわかっていたのだが、パンフレットを買っていない人の中には奇異に感じた人もいたのではないだろうか。実はこれが、作曲家とイ・ムジチ合奏団による仕掛けの第一弾であったことが後にわかる。
モリコーネは映画「海の上のピアニスト」の音楽を「組曲」の中に入れているため、ピアノが用いられる。チェンバロとピアノはフランチェスコ・ブッカレッラが兼任する。
モリコーネらしいロマンティックな音楽であった。
3曲目、坂本龍一の「ラストエンペラー」テーマ曲。私も大好きな曲である。前述したが、二胡独奏と管弦楽のために書かれた作品なので、坂本龍一が新たに弦楽合奏のための編曲を行っている。当然、ピアノを使うものだと思っていたら、フランチェスコ・ブッカレッラは何と、チェンバロに向かって歩き出す。教授(坂本龍一のニックネーム)もプログラムにピアノを使うモリコーネの「組曲」があることはおそらく知っていたはずで、敢えて裏を掻いたのだろう。教授に一本取られた感じである。演奏は充実したものだった。
後半のヴィヴァルディの「四季」。演奏が始まってすぐに驚く。なんと、ピリオド風アプローチを仕掛けてきたのだ。
ピリオド・アプローチは、作曲者の生きていた時代の演奏法を再現したもので、弦楽にビブラートをかけない(ビブラートはコンサート会場が大きくなった20世紀に入ってから生み出された奏法である)、旋律の最後の音を伸ばさない(最後の音を伸ばすのはロマン派以降である)などの特徴がある。ピリオド風アプローチと書いたのは完全なピリオド・アプローチではないからで、コンサートマスターとチェロ奏者はビブラートを行っていた。ただ、他は全員、徹底してノンビブラート奏法を貫く。ビブラートをかけているコンサートマスターも旋律の最後の音を伸ばさずに、サッと刈り上げる。テンポも速めで、これはヴィヴァルディの時代は残響のない場所で演奏していたため、現代よりもテンポが速めであったことがわかっているためそうしているのだろう。
ピリオド・アプローチは21世紀に入ってから流行しているが、まさかイ・ムジチ合奏団がピリオドを行うとは予想だにしていなかった。またもや一本取られた。
演奏は素晴らしいの一言。ヴァイオリンが弓で弦を弾くのではなく、弓を弦の上に置くような奏法をしていたということもあり、バロック時代の演奏を再現したものなのに斬新に聞こえる。
アンコール。チェロ奏者のヴィト・パステノステルが日本語の書かれた紙を手にして舞台の中央まで進み、「ありがとうございます」と日本語で挨拶。「ロッシーニの『ボレロ』を演奏します」と日本語で言う。情熱的な曲と演奏であった。
アンコール2曲目、パステノステルが再び舞台中央まで出てきて、ポケットに手をやるが、日本語のメモが見つからない。隣のチェロ奏者がメモを持っていて、手渡すのだが、余りに手際が良すぎるので、もちろん演技である。だが笑える。パステノステルが日本語で「子供のころを思い出す曲です、『赤とんぼ』」と言う。そして山田耕筰の「赤とんぼ」が演奏されるのだが、これがかなり凝った編曲であった。序奏の後で、チェロが「赤とんぼ」のメロディーを歌い出し、それがヴァイオリンに受け継がれるのだが、途中で、ヴァイオリンはなんと「赤とんぼ」の旋律を敢えて短調に変えたものを弾き出す。こうした編曲をするのはおそらく日本人、それもユーモアがわかる人である。お堅い人だと「山田耕筰先生の旋律を勝手に短調に変えるなんてとんでもない」となるはずだからである。編曲者の候補として真っ先に名前が思い浮かんだのはやはり教授である。教授はユーモアのわかる人だし、長調を短調に変えるということもやりそうである。そして、演奏会のプログラムには教授の曲も入っている。
アンコール3曲目。パステノステルが日本語で「ナポリに行きたくなる曲です」と紹介する。しかし、弾かれたのはヴィヴァルディの「四季」より「春」の冒頭。それが突然、不協和音に転じたところで「サンタルチア」のメロディーが現れる。しかしこれでは終わらず、コンサートマスターの横にいたヴァイオリン奏者(フォアシュピーラー)が突然立ち上がり、「春」の冒頭を弾き初めて、コンサートマスターであるアントニオ・アンセルミに制されるという演技をする。会場大爆笑。「春」の冒頭はその後も他の奏者達によって何度も突然顔を出す。イタリア人とはいえ、こんな面白い人達だとは思いもしなかった。今日は何本取られることになるのだろう。ちなみに編曲者はパステノステルであることが後にわかる。この人はジョークが大好きなようだ。
最後はヴィヴァルディの「アッラルスティカ」。演奏はまともなものだったが、カーテンコールでパステノステルがわざと遅れて慌てて出てくるという演技をする。余りに面白いので、笑顔でサムアップして「ナイス、ギャグ!」とやり続ける。実は私は「四季」演奏終了後から、アンコール曲演奏中は除いて、全てスタンディングオベーションを行っており、奏者の一人が私に礼をするのを確認している。なので、演奏に対してのものだったら、拍手をすればいいわけで、そうでないということはギャグを讃えたものだということは通じたようで、何人かの奏者が私の方を見て笑顔で頷く。イ・ムジチ合奏団は何度も来日して大阪公演を行っており、大阪がお笑いの街だということは知っているはずなので、メンバー達も「お笑いの街であるOSAKAの人間からギャグで誉められたぞ」と気をよくしたことだろう。だがご存じの通り、私の正体は大阪人ではなく、京都在住の関東出身者である。一本取り返したことになるが、彼らには知らせないのが賢明なことであろう。
終演後、ホールの1階ホワイエにはアンコールの曲目が書かれて発表されるのだが、「赤とんぼ」の編曲者については書かれていなかった。
スタッフの人に、「『赤とんぼ』の編曲者は誰ですかね。一番やりそうなのは教授ですが」伺ったところ、音楽について知っているスタッフだとわかったため、調べてくれることになる。ただ2009年に編曲されたものだが(ということは武満徹の編曲でもないということである)、編曲をしたのは教授ではないとのことだった。また具体的な編曲者名はわからないという。他にああした編曲をやりそうな日本人作曲家は池部晋一郎や三枝成章がいるが、本当のところはどうなのだろう。
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